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天皇一族の正体 | ■↑▼ |
2022/08/24 (Wed) 16:33:56
天皇家の出自
西暦 2世紀から奈良時代までの皇室の歴史
日本語のルーツは9000年前の西遼河流域の黍(キビ)農耕民に!
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14019324
朝鮮の無文土器時代人が縄文人を絶滅させて日本を乗っ取った
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007681
被差別同和部落民の起源 _ 朝鮮からの渡来人が先住の縄文人をエタ地域に隔離した
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007586
コーカソイドだった黄河文明人が他民族の女をレイプしまくって生まれた子供の子孫が漢民族
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14008392
朝鮮人の起源
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14036232
天皇家は伊都国を本拠地として奴隷貿易で稼いでいた漢民族系朝鮮人
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007686
天皇家は2世紀に伊都国から日向・大和・丹後に天孫降臨した
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007799
天皇の姓は阿毎氏(あまし/あめし/あまうじ/あめうじ)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/232.html
天皇はソウル出身の漢民族
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/233.html
天皇家は弥生時代後期にソウルから福岡県の伊都国に植民した
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/234.html
天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/104.html
邪馬台国は ヤマトノクニ と読むのが正しい
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/246.html
神武って何した人?
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/238.html
天皇家は本当に万世一系なのか?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/415.html
「万世一系」の虚妄
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/237.html
皇位継承は兄弟相続するのが古くからの伝統
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/236.html
皇族初夜の儀式「三箇夜餅の儀」 _ 朝鮮半島由来のシルトックという餅を使う儀式
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/313.html
皇族初夜の儀式
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/851.html
皇室に伝わる秘儀
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/851.html
天皇のY染色体ハプログループ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/584.html
皇室がDNA公開を厳禁している理由
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/242.html
東山天皇の Y染色体が縄文系 D1 だというデマが広まった背景
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/241.html
天皇一族の様な一重瞼・奥二重瞼は華北に居た漢民族にしかみられない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/103.html
古代日本の主流氏族の26%が韓国系、天皇制国家支配体制の一軸を成す
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/534.html
古代の帰化人
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/378.html
西暦400年前後に、秦氏(弓月氏)が、百済の民、数十万人を引き連れて日本に移住してきた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/550.html
大阪住民の半数は渡来人の子孫
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/780.html
飛鳥地方に見られる日本の原風景
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/782.html
平城京から長岡京へ遷都する原因となった「祟り」の正体とは
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/123.html
桓武天皇の失敗と成功―日本列島のアイデンティティー―
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1052.html
天下制覇の上町台地の物語―信長が戦い、秀吉が利用した地形―
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1045.html
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天皇のルーツが渡来系である可能性は昔から指摘されています。
これは近代国家の枠組みから外れるために、社会一般にも研究者間でもある種のタブー、
として扱われていた事は、昭和の時代から存在していました。
例としては、天皇家の埋葬が土葬で、朝鮮式の埋葬法で古墳と似て山のような
盛り土である事は知られています。
古い時代の古墳が調査禁止となっているのは、そこから物的証拠が出てくるからです。
それは何を意味するかというと、大陸との繋がりを示すからですね。
終戦直後の占領軍はそうした調査を行ったようですが、現在は出来ない。
宮内庁が許可しないでしょうから、ですね。
当時の認識として、日本を象徴する人物が海外に関係していたとするならば、
それは多くの人の混乱を招いたでしょうから簡単には認められない問題でしょう。
日本という国が単一民族ではない、という点もその通りです。
日本が単一民族といった概念を採用したのは近代国家の枠組みが成立する過程で
生み出された概念に過ぎません。
現実は違い、古来から移民の国として存在する、というのが正しいです。
民俗学的考古学的に調査を行った話としては、天皇のルーツは朝鮮半島の38°線付近の
小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、それらは紛争地帯である
ために容易に近づく事は出来ないだろう、同行した当時KCIA局員の話としては、
そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ
「知らない方が良いこともあるのだ」と答えたという研究者の話が伝わっています。
この話はあるメディアに流れました。
38°線付近の集落という事は、朝鮮半島の南北の中間点であるので、
仮にこの付近が関連する村であると、南だけではなく北とも天皇は接点を持つ
可能性が浮かび上がります。
(私の直感として、天皇と北の接点が存在した場合に拉致問題と関係して
いなければ良いなあ、と思うのですが、、、、、気にしすぎでしょうかね)
こうした話題はタブーに属するので、ある種のオルタナティブメディアで
爆弾発言として現れる事も当時としては多かったように思います。
天皇が戦争とどう関わったかについては、総括することは必要だという考えは
理解しますが、
戦前の体制や、戦後の状況からいっても、昭和の時代、平成一桁の時代において
戦争経験者が多く存在する時代ですし、
天皇制や天皇と戦争との関連を法的に取り扱う事は、容易ではない
といえるでしょう。
そうした意味では、棄却理由は無理があるとはいえ裁判所が天皇の戦争との関わり
以外に出自等歴史的タブーに絡み、歴史に挑戦するというのも難しいので、
棄却は無理も無いといえるでしょう。
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/523.html
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漢民族系朝鮮人の天皇一族による極悪非道の世界侵略の歴史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14003198
・朝鮮で長江の稲作民と縄文人に似た民族が混血して現代日本人と全く同じ遺伝子の日本語を話す無土器文化人になる
・朝鮮の無土器文化人(弥生人)が北九州に移民して水田農耕を始める
・ソウルに居た漢民族の天皇一族が北九州に移民、植民都市の伊都国を作り、日本人奴隷(生口)を青銅器・鉄と交換する奴隷貿易で稼いでいた。後漢の光武帝が贈った金印(漢委奴国王印)の「委奴」は「いと」と読む。
・神武東征・倭国大乱 → 天皇一族が日向・大和・丹後に天孫降臨、縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。
・ヤマトタケルの東征 → 関東の縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。
・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 → 東北の縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。
・10世紀に沖縄へ日本人大量入植 → 沖縄の縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。
・10世紀に西表島・石垣島へ日本人大量入植 → 西表島・石垣島に先住していた縄文系先住民をジェノサイド
・豊臣秀吉の 朝鮮 出兵 → 朝鮮 で奴隷狩り、平戸や長崎は世界有数の奴隷市場になった。ポルトガル商人に奴隷を売って鉄砲や白糸を得た
・明治維新 → 田布施の 朝鮮 人が徳川幕府を倒し英米の傀儡政権を作る。
・神仏分離令・廃仏毀釈・神社合祀令 → 神仏習合の禁止・日本の仏教と神道を弾圧、六部・虚無僧・山伏・梓巫女・憑祈祷・狐下しを禁止、神社を統廃合した。日本人は無信仰・無神論の民族に変わった
・欧米との貿易開始 → 日本人女性50万人を騙してバイシュン婦として海外に売り飛ばした
・北海道への和人大量入植 → 最後の縄文勢力をジェノサイド
・千島列島の乗っ取り → 千島アイヌを色丹島の強制労働所に集めて絶滅させる
・朝鮮 の乗っ取り → 農民から農地を取り上げ、作物を日本へ飢餓輸出、朝鮮 女性を性奴隷 にする
・台湾のアヘン漸禁政策 → アヘンを専売化し、濫用防止の名の下に、大規模なアヘンの密売を主宰することで日本軍資金を調達した。
・満州の乗っ取り → 農民から農地を取り上げケシを栽培、麻薬商売で ぼろ儲け
・関東大震災 → JPモルガンから復興費用を借り、それ以降天皇一族は JPモルガンのエージェントになる
・2・26事件 → 政府の新自由主義政策に憤った共産主義者の将校が革命を起こすが、味方だと思っていた昭和天皇に裏切られる
・大東亜共栄圏 → 満州でケシ栽培、朝鮮 の工場で麻薬製造、中国・東南アジアで麻薬を売って ぼろ儲けする体制
・南京大虐殺・慰安婦強制連行・731部隊の人体実験 → 昭和天皇直々の命令でやったので陸軍や外務省では止められなかった
・中国・東南アジア侵略 → 食料を強制調達して日本に送り現地で1000万人以上餓死させる。 現地女性を性奴隷 にする
・近衛上奏文 → 日本陸軍の軍人の殆どが共産主義者で、ソ連の対日開戦に合わせて共産革命を起こそうとしている、と警告
・太平洋戦争 → 日本陸軍による共産革命を防ぐ為にアメリカと八百長戦争をやって、アメリカ軍に日本を占領して貰った
・大空襲・原爆投下 → 共産主義者を武器・食料無しで最前線へ送り、本土の共産主義者も大空襲・原爆投下で革命を起こす気力を無くさせた
・特殊慰安施設協会(RAA)設置 → 35万人の日本駐留米軍の為に、仕事の無い日本女性に女性事務員募集と偽り 7万人の慰安婦を集めた。当時の大蔵省主計局長池田勇人(後の総理大臣)が日本勧業銀行に指示を出して資金を提供した。
朝鮮戦争が始まると横浜、大阪(のち奈良)、小倉の三カ所に日本人慰安婦を集めた米軍管理の「センター」を設置した。
・極東国際軍事裁判(東京裁判) → 昭和天皇の戦争犯罪を日本陸軍の軍人に肩代わりさせる目的で開廷される。
・日本国憲法第九条 → 日本陸軍は共産主義者ばかりだったので、共産革命を起こせない様に軍隊を廃止した
2023/03/22 (Wed) 00:24:59
【ゆっくり解説】孝明天皇の衝撃の事実と謎!!
2023/03/21
https://www.youtube.com/watch?v=gR0wA78MNi8
2023/04/12 (Wed) 07:23:55
みんな大好きな白洲次郎さん の正体
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14103660
2023/04/18 (Tue) 18:00:59
2023年04月18日
「チャブ」が甦った ! / 秋篠宮問題に関する省察 (1)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68926313.html
惚れた女房に添い遂げる
Emperor 5234
Prince A 598342
皇室ネタで稼ぐ週刊誌は、皇后陛下や今上陛下よりも、もっぱら秋篠宮家に狙いを定めているようだ。なるほど、秋篠宮家はスキャンダルの宝庫だからしょうがない。小室問題と機密費の流用は未だに囁かれているし、眞子内親王もバカ娘丸出しの醜態を晒している。これなら、一般国民が騒いでも無理はない。それに、秋篠宮殿下と紀子妃殿下が不正の常習犯ときているから、色々と掘れば次々と悪事がバレてくる。拙い弥縫策としか思えないが、両殿下は御用記者を使って誤魔化そうとしていた。髭面のアル中殿下を見ていると、憤りを通り越して「こんな人が皇太弟なのかぁ~」とため息が出てしまう。一般人だと不可能な不正でも、皇室の権威と人脈を使えば可能となるんだから、「皇族特権の濫用だ!」と批判されても反論できまい。
しかし、我が国にはまだ皇室支持派が残っている。盲目的な国民は“生身の皇族”に目を背け、“理想の皇族”を追い求めているようだ。実際、今上陛下は立派なので皇室支持派がたくさんいても不思議じゃない。平成時代、。ただ、皇族も人間なので、良い人もいれば、悪い人も出てしまうのが現実だ。
4月13日放送のチャンネル桜では、水島総社長と高清水裕子が、いつものように週刊誌記事を取り上げ、マスコミによる皇室の愚弄を批判していた。『週刊新潮』(2023年4月20日号)は「『秋篠宮広報室』に課された『中国発フェイクニュース』摘発」という記事を掲載し、宮内庁広報室がSNSを活用し、積極的な情報発信を行うと共に、皇室に関するフェイクニュースにも対応する、というのだ。この記事によれば、支那の工作部隊である『網軍』は二千万人の人員を擁しているそうで、彼らが色々な偽情報や政治プロパガンダを流布させているという。
この記事を紹介した水島社長は、「皆さん、支那の工作機関がフェイクニュースを流して、皇室を潰そうとしているんですよぉ~」と注意を呼びかけていた。高清水氏と水島社長は、鼻息を荒くして、ガセネタに踊らされる国民や意図的にデマを流す反日左翼を非難していたが、冷静に見れば二人の姿は滑稽だ。なぜなら、普段、水島社長と高清水氏は、週刊新潮や週刊文春の皇室記事を批判し、「こんなのは皇室を潰すための嘘だ ! 男系男子の皇統を廃絶するための誹謗中傷! 誰が情報源なのか判らぬ言いがかりだ!」と激しく怒っていたからだ。
確かに、週刊誌記事には販売部数を増やすための扇動記事や、イチャモンに近い中傷記事が少なくない。それなら、どうして今回の記事だけは「本当」なのか? もし、週刊誌が常に捏造記事を書いているんなら、今回の週刊新潮も「デマ」を書いているはずだ。水島社長は毎回、「みなさん、こんな雑誌は見ない、読まない、買わない、ように!」と呼びかけていた。それなら、今週の記事だって「根拠無き推測記事」であるはず。どうして、今週号だけは「真実」なのか?
水島社長は林千勝や馬渕睦夫との対談で、「ディープ・ステイト」や「国際金融資本家」が話題にのぼると、「私は脚本家でもあるので、もし私が戦争や謀略のシナリオを書くとすれば・・・」と自慢げに自分の憶測を述べる。だが、水島社長はロックフェラー家やロスチャイルト家の誰か、あるいは側近、友人、親戚などから直接的に情報をえているのか? 林氏や馬渕大使が状況証拠だけで語った話を鵜呑みにし、「そうなんですよぉ~」と嬉しそうに頷いていたが、これなら雑誌の記事を読んで「ホントかもねぇ~」と呟く国民と同じじゃないか!
Prince A 432Princess Kiko 7663Princess Kiko 988Princess Kiko 6543
(左 : 若い頃の秋篠宮殿下 / 中央 : 初々しかった頃の紀子妃殿下 / 右 : 笑顔が怖くなった紀子妃殿下 )
筆者は雑誌記事をそんなに信じていないが、一応、記者は現場や関係者を取材し、常識的に考えて“有り得る話”や真相にやや近い噂話を基にして書いているはずだ。だから、多少の脚色や水増し、派手な見出しはあるが、秋篠宮家に関する記事は、多少の裏取りをしているんじゃないか? もちろん、最初から捏造ということも有り得るが、全くのデタラメとなれば、編集長もOKを出さないから、“砂粒”程度の真実を含んでいる可能性はある。それに、不正行為を「悪い」と思わない殿下と妃殿下だから、側近や知人からのリークも有り得るし、秋篠宮家の破廉恥行為を咎めたい者、皇室の名誉を大切にしたい国民、恨みを持つ宮内庁職員、悪事を垣間見た関係者など、様々な情報提供者がいるはずだ。
保守派国民の中には、秋篠宮批判を「雅子妃バッシング」の再来と考える者も少なくないが、二つの批判は根本的に異なっている。
雅子妃のケースは、「公務をサボるのはケシカラン!」というマスコミの憎しみだった。しかし、我々は小和田雅子嬢を神道の「最高司祭」に選んだ訳じゃない。筆者は雅子妃が靖国神社に参拝しなくても構わないし、歌会や文化イベントに出席しなくてもいいとさ思っていた。皇太子殿下が好きな女性と結婚し、幸せな家庭を築くことが出来ればそれでいい。雅子妃が公務に出ないで専業主婦になったら悪いのか? 『皇太子さまへの御忠告』を書いた西尾幹二や週刊文春は、自衛官を「給料泥棒」と罵る連中と同じだ。「税金で養っているんだから、公務に出ろ!」とでも言いたいのだろう。
「保守派論客」を装う櫻井良子も、『WiLL』の論調に同調したのか、元キャリア外交官の雅子妃が皇室の伝統を変えてしまうのでは、と仄めかしていた。
・・・保守の人びとは日本国の基盤に天皇を戴く皇室があると見なし、雅子妃の“人格”も重要ながら、日本には変えてはならない守るべき大切な価値観があると考える。
今、雅子妃がお元気な笑顔を取り戻されたことはなによりである。だが、合理的な価値観の持ち主である雅子妃が、西欧風の合理精神では測れない皇室の伝統、この国の文明としての皇室のあり方に、どこまで協調していけるのか、あらためて考えざるを得ない。
(「『悠仁親王』ご誕生でも低調な世論 皇室への無関心こそ最大の危機」『週刊ダイヤモンド』2006年9月23日号)
筆者が男系男子の皇統を尊ぶ一方で、秋篠宮家を批判するのは、一般人でもしないような不正を重ねているからだ。これに関しては以前のブログで述べたから繰り返さない。(参考記事A) ただ、多くの国民が怒っているのは、裏口入学や剽窃作文、馬鹿娘夫婦への裏支援、名誉総裁職から得る利益、大名旅行と浪費癖、取り巻き連中との悪事などを誤魔化し、それを隠蔽するために更なるウソを重ねていることが漏れ伝わってくるからだ。もし、秋篠宮殿下が姑息な手段を使っていなければ、憤慨する国民はもっと少なくなったはずだ。「秋篠宮バッシング」を批判する水島社長達は、皇室の歴史や謀略工作の話ばかりを口にし、具体的な事情説明もせぬまま、ただ「皇室批判は反日行為です」と繰り返すだけなので、これでは北朝鮮の報道番組と変わりがない。「秋篠宮殿下、万歳!」と「金日成将軍、マンセー !」と何が違うのか?
「皇室女優」となった粉屋の娘
秋篠宮家の不正を語るとなれば、その淵源たる皇太后陛下の件に触れねばならない。小室圭と眞子様にまつわる不正疑惑の背後には、秋篠宮殿下だけではなく、母親の美智子皇太后の画策があるに違いない。なぜなら、皇室支持派の有力者や一橋大学、三菱を動かすには、秋篠宮殿下の人脈だけでは力不足で、皇太后陛下の人脈を考慮に入れないと説明ができないからだ。
それにしても、なぜ上皇陛下は母親(皇太后陛下)の采配を防ぐことが出来なかったのか? 上皇陛下は幼い頃から人一倍正義感がつよく、不正を憎む皇太子殿下であったのに、これほどの大規模不正を見逃すなんて、本当に信じられない。おそらく、知ってはいるが妻の暴走を抑止できなかったのであろう。ついでに言うと、兄である今上陛下が弟宮に鉄槌を下せないのは、男子をもうけることができず、秋篠宮家に頼ったことに原因があるのかも知れない。つまり、屈辱的な「借り」が出来てしまったので、苦言すら述べることが出来ない、ということだ。
また、上皇陛下が小室騒動や悠仁親王問題に容喙できなかったのは、たぶん女房にベタ惚れの亭主であったからだろう。これは陛下の青年時代や御成婚当時の状況を思い出せば何となく解る。世間の夫婦でも、女房に頭が上がらない亭主はたくさんいるし、旦那に指図する女房も珍しくない。民間から嫁がれた美智子妃から見れば、明仁親王殿下は「世間知らずのお坊ちゃん」だ。「私がちゃんと助言しないと」と考えても不思議じゃない。美智子妃が陛下の肘を摑んで誘導する姿を見れば判るじゃないか。
それに、天皇陛下夫妻となれば離婚は出来ないし、喧嘩しても家庭内離婚すら難しい。もし、美智子妃が宮中の伝統儀式に嫌気が差し、「馬鹿らしい」と不満を漏らしたら、陛下はどうするつもりだったのか? その他にも、女官達からの嫌がらせ、あるいは旧華族の女性陣によるイジメもあったから、それらに耐えかねて「離婚してください!」と言い出せば、窮地に立たされるのは陛下の方だ。離婚できない夫婦関係となれば、劣勢の亭主が折れるしかない。だから、周りの敵から妻を守るのは殿下の務めとなったし、殿下も宮中の因習に反撥する気質があったから、美智子妃の側に附いたのも当然だ。
こうした発言は不敬になるが、明仁親王殿下は不運な時代に生まれたのかも知れない。昭和8年にお生まれになった殿下は、大東亜戦争が始まると沼津での疎開生活を余儀なくされ、学習院初等科時代には祖国の敗戦を迎える事となった。しかも、皇太子殿下は皇室の伝統に従い、幼い頃から両親と離れ離れで、肉親の愛情に飢えていたという。一般国民は生まれた時からすっと親と暮らしているが、継宮(つぐのみや / 明仁親王)殿下は三歳で両陛下のもとを離れ、両親と触れ合う機会は1週間に1度となっていた。迪宮殿下(昭和天皇)も川島純義中将の家に預けられたから、親と離れて養育されるのは皇室の慣習であった。
しかし、皇室の伝統は敗戦の衝撃で徐々に崩れだす。日本は戦勝国アメリカの属州に成り下がり、「民主主義(デモクラシー)」という名のもとでロボトミー(思考改造)を施された。“侵掠戦争”への反省と左翼分子の“猛威”により、質実剛健の武士的気風は煙のように消えてしまう。精神的に去勢された日本人にとって、家父長的権威は時代遅れで、親子が友達のように触れ合う進歩的思想が主流となる。亭主関白の厳格な家庭より、対等の夫婦が育む「暖かい家庭」の方が理想となっていた。こうした風潮の中で過ごせば、皇太子殿下だって自分の境遇を嘆くし、新たなライフスタイルが新鮮に思えてくる。
Elizabeth Vining 1( 左 / ヴァイニング夫人と皇太子殿下)
また、困ったことに、皇太子殿下の英語教師には、リベラル派のクェーカー信徒であるエリザベス・グレイ・ヴァイニング(Elizabeth Janet Gray Vining)夫人が任命されてしまった。非戦闘員を旨とするキリスト教徒が選ばれてしまえば、殿下の考えが宮中の“しきたり”から離れてしまうのも無理はない。このヴァイニング夫人は元も、児童文学の作家であったが、帰国後は政治活動に従事したようで、1969年にはベトナム戦争の反対デモに参加して逮捕されている。
一応、昭和天皇からの提案で「アメリカ人の教師」が求められたというが、マッカーサー元帥は日本側の意図をちゃんと見抜いていた。つまり、日本人がGHQに積極的な民主化を示したいが為に、わざとヴァイニング夫人を英語教師にしたというこだ。未亡人のヴァイニング夫人を選んだのは、学習院の院長を務めていた海軍大将の山梨勝之進と学習院のレジナルド・H・ブライス教授、外交官の澤田節蔵、寺崎英成とグエン夫人であった。
日本の國體と時代が変わったので仕方ないけど、上皇陛下に帝王のオーラが無いのは誠に残念だ。これは上皇陛下の落ち度じゃない。昭和天皇がご幼少の時は、乃木希典大将や東郷平八郎元帥といった模範的な武人が学習院の師傳(しふ)となっていた。幼い頃から名誉と義務を叩き込まれた両大将は、我が国の美徳や矜持を無言で迪宮殿下に示していた。殿下の方も畏敬の念を抱きながら二人の英雄を見ていたし、明治大帝や元勲とも接していたから、自然と武士の覚悟が身についていた。ところが、上皇陛下は重苦しい疎開生活が終わると、今度は卑屈な敗戦国の空気を吸う破目になったから、お気の毒としか言い様がない。
こうした環境に加え、皇太子殿下には鉛の十字架を背負う青春しかなかった。つまり、殿下には職業選択の自由も無く、ただ将来の天皇になるだけのレールがあるだけだった。いくら英語やフランス語を熱心に勉強しようが、あるいは乗馬やテニスに打ち込もうが、自分の運命を変えることは不可能。既に決まっている路線から逃れることは出来ない。閉塞感が漂う中で、貴重な青春時代を過ごす殿下の心情を、同級生の橋本明(はしもと・あきら)が述べていた。
非人間的な家庭生活を強いられてきた皇太子は青春期、どうしようもなく情緒不安定で、どちらかと言えば暗い性格に落ち込みやすかった。移り気で勉強嫌いであり、冷酷なまでの非情を身につけていた。(橋本明『知られざる天皇明仁』講談社、2016年、p35.)
後に共同通信社の記者になった橋本氏は、昭和15年に学習院初等科に入り、東組で皇太子殿下の級友となった。それから学習院大学を卒業するまで、彼は身近で皇太子殿下を見てきたというから、橋本氏の記述には“ある程度の信憑性”がある。橋本氏によれば、学習院時代の殿下は根暗な生徒であったという。
Emperor 553Princess Michiko 11Emperor & Empress 435
(左 : 若い頃の皇太子殿下 / 中央 : 正田美智子嬢 / 右 : 殿下の御成婚 )
この時期、同学年生の間で、皇太子ほど陰々滅々な男は他に見当たらなかった。老成して希望も無くくさり切っていた。正田美智子との出会いがこうした皇太子を根底から変えた。電話を通して積み重ねた会話の中で明仁親王は「どのような時でも公務が優先する」と信念を語っていたが、たった一回「家庭を持つまでは絶対に死んではいけないと思った」、ポリツと漏らされた。悲痛な響き、籠められた寂しさの発露こそ正田美智子の心を抉ったのだった。(上掲書、p.36.)
橋本氏の回想で特筆すべき点は、如何に殿下が幸せな結婚と温かい家庭生活を望んでいたかという側面である。「家庭を持つまではぜったいに しねない」という呟きは、我々の心を貫く。一般国民には想像できない、堅苦しい人生を歩む殿下にとって、美しい正田美智子嬢は唯一の眩しい光であった。カメラを趣味となされた殿下が、熱心に正田美智子嬢の写真を撮っていたのも頷ける。
Princess Michiko 5542(左 / 正田美智子嬢)
正田家の御令嬢は殿下にとって“魂の救済”であった。殿下が大学四年生の頃から、宮内庁の側近は、皇太子妃の選抜に着手していたという。しかし、なかなか良い相手が見つからなかったそうだ。というのも、お妃には「旧伯爵家以上の家柄に生まれた女性」が基準となっていたからだ。差別を憎む国民には心外だけど、庶民の女性は対象外。ところが、上流階級の人々は歐米風の生活に憧れていたので、自分の娘を旧態依然とした時代錯誤の皇室に嫁がせるなんて考えもしなかった。第一、当の娘達が金切り声を上げて厭がったというから、“お妃候補”に挙がる女性は次々と辞退した。
良家の親達もゾッとしたようで、「冗談じゃない!」と思っていたそうだ。でも、露骨に断れないから、早めに娘を嫁に出そうとしたし、「畏れ多い」という口実で逃げてしまう女性もいたらしい。こうした婚姻忌避を目にした殿下は、かなり落ち込んだようで、「どこも駄目だ。一生、結婚できないかもしれない」と急に老け込んでしまった。(p.150.) 悲嘆に暮れた殿下は気力を失い、顔色は蒼白というより黒ずんでいたという。古くから付き合いのある友人も、徐々に殿下から離れて行き、山本五十六元帥の次男もそのうちの一人であった。学習院の馬術部で主将を務めていた殿下は、仲間の前で「私は日本で一番きれいな人を嫁にするんだ」と語っていたらしい。(上掲書、p.107.) 純粋な殿下の願望を聞いてしまうと、本当に心が締め付けられる。皇太子に生まれたことが、まるで「呪い」のように思えてしまうのだ。
皇太子といえども、10代の少年なら、それなりに異性に目覚めるし、ガールフレンドを作って休日にデートしたい、と望んでも当然だ。健康な男子なら、謹厳実直な皇族だって女性の体に興味を抱く。級友の橋本氏は、次のようなエピソードを明かしている。
昭和25年2月3日、伊藤教諭の休講でクラスの大半は試験勉強に精を出していた。しかし、皇太子殿下と井口道生らは、エロ雑誌を見つけ出し、むさぼるように読み出したという。微笑ましいのは、みんなが去った後、殿下がヌード写真の雑誌を独占したことだ。普段、裸の女性をぜったい目に出来ない殿下は、やや猫背になって身をかがめ、興味深く読んでいたという。現在の我々が聞くとちょっと笑ってしまう逸話だ。友人の前では恥ずかしかったのか、殿下は本心を偽り、「つまらないものだけど魅力的だね」との感想を述べたらしい。(上掲書、p.94)
この時、橋本氏は殿下に対し、どうやって男女の行為を知ったのかと尋ねた。すると殿下は次のように答えたという。「ボクは二年の終わりに“生命の科学”を見て知ったよ。小説を読むと、わかってくるんだね。いやボクはエロ雑誌に恵まれていないものでね。だめなんだよ。ふふふ・・・」と。確かに、厳(いか)つい側近に囲まれた皇太子が、『プレイボーイ』のような雑誌を本屋で買えば一大スキャンダルになるし、かといって侍従に「あの雑誌を買ってきて」と頼めば、これまた一騒動になる。となれば、医学書の類いを探すしかないだろう。悠仁殿下ならパソコンでエロ動画を見ることも出来ようが、それでもクラスの友人に知られたら大変だ。もし、インターネットのチャット欄でバラされたら、紀子妃殿下が烈火の如く怒るだろう。叱責された殿下は、自分の部屋で独り寂しく、こっそり見るしかない。
令和の時代なら、官能小説やエロ漫画なんて珍しくもないが、1960年代までの日本だと学校で咎められる破廉恥行為だ。昭和25年に無修正版の『チャタレイ婦人の恋人』が発禁処分となった。しかし、殿下の級友達は“老成(ませ)た”連中で、親と教師の目を盗んでこの禁書を輪読したそうだ。というのも、この洋書を発売した小山書店の息子が殿下の級友だったので、クラスの者が完訳本を手にすることが出来たのだ。皇太子殿下は7月1日に借り受け、早くも3日に返却したという。なぜなら、持っていること事態が危険と思われたからだ。(上掲書、p.103.) しかし、当時の橋本氏は運が悪かった。何しろ、彼の父親が最高検の検事だったから、D.H.ローレンスの本を取り締まる側の人間だったのだ。橋本氏は殿下に発禁本を読ませたことで、4時間も説教さたそうである。(上掲書、p.115)
ちなみに、社長の小山久二郎はチャタレイ事件の被告となってしまい、1957年に有罪を受け、罰金刑に応じていた。裁判の影響により、小山書店は後に倒産する。
Emperor 742(左 / 写真撮影が趣味の殿下)
いくら「禁書」になったとはいえ、殿下も男だから卑猥な小説と聞けば、どんな物語なのかと興味を持つはずだ。それに、クラスの友人がワッと集まってコソコソ読んでいれば、それに参加したくなるじゃないか。殿下だって庶民と同じように異性に興味を持つし、御洒落にも敏感になる。事実、殿下も髪型を気にしたそうで、ポマードを附けて自慢げに歩いていたという。友人には「コテを当ててね。毛を倒すのが大変なんだ」と語っていた。(上掲書、p.77) 学習院に通っていた当時、明仁殿下の渾名は「チャブ」で、親しい友人は遠慮なく「チャブ」と呼んでいたそうだ。(上掲書、pp.61-62) バイニング夫人は殿下を「ジミー」と呼んでたが、高等科の友人は「チャブ」だなんて・・・。良くも悪くも、天皇を「現人神」と敬う時代は過去のものとなっていた。
しかし、いくら「民主主義の日本」となっても、皇室は依然として格式を重んじる貴族社会だ。昭和25年の1月、殿下は隣に坐る橋本氏に向かって、「世襲の職業はいやなものだね」と語っていた。(上掲書、p.85.) 橋本氏によると、高校一年生の皇太子殿下は、感情の起伏が大きく、振幅の度合いが激しい性格であったという。「世襲という職業への疑惑、嫌悪、自己撞着が揺れ動き、喜びからウツウツとした心情への移転、勤勉から怠惰、快活から孤独感への変身を交互に容易にさせていたと分析できる状態だった」そうである。(上掲書、p.88)明仁殿下の或る友人が「殿下の悩み」として纏めていた。
① 監禁されていること。
② 独り暮らしで、肉親または同地位の者と同じくしないこと。
③ 見物的な気分で見られること。
④ ジャーナリストにウソを書かれること。
⑤ 世間体をいつも考えなければならないこと。
⑥ 婦人に接する機会が僅少なこと。
⑦ 理想を持てないこと。
⑧ 皇嗣の必然として、自分の姉妹のように将来における自由の保障がなく、かえって束縛される事の多くなること。
⑨ 過大視されること。
⑩ 生活が単調になるに伴って、自分の生活が自分にとって辛くなること。
⑪ 友または外部の者との交友関係に関すること。 (上掲書、p.102.)
こうした苦悩を噛みしめた殿下にとって、心を弾ませる正田美智子嬢がどれほど大切な人であることか ! 初老化した殿下は、見る見るうちに若返った。級友の德川義宣(とくがわ・よしのぶ)は、「チャブが甦った」と評していた。(上掲書、p.158.)ちなみに、義宣の本名は「堀田正祥」で、堀田正恒伯爵の息子であったが、尾張德川家の養子になったので「德川」の姓を名乗っていた。
話を戻す。正田美智子さまを皇太子妃にしようとしたのは、東宮参与を務めた慶應義塾大学の小泉信三塾長と黒木従達(黒木・じゅうたつ)東宮侍従、クウェーカー信徒の宇佐美毅(うさみ・たけし)宮内庁長官であったそうだ。(黒木侍従は西郷従道の孫で、黒木為楨(くろき・ためもと)の家督を継いだ海軍主計大尉。)
ところが、美智子妃の選抜に異議を唱えたのは、皇室伝統の守旧派であった。特に秩父宮妃殿下の御生母で、東宮参与でもあった松平信子は、反対派の代表格であったという。(この反対勢力に関しては以前に述べた。)学習院の外郭団体である「常磐会」は、旧華族が中心となる女子会で、彼女達にとったら「粉屋の娘」が皇太子妃になるなんて言語道断。「鬼婆」と呼ばれた信子からすれば、腹立たしくて我慢が出来ない縁談であった。それゆえ、「民間初のプリンセス」となった美智子妃が、どんな嫌がらせを受けたことか。御母堂の正田富美子さんが、耐え難きを耐え、数々の屈辱を秘めながら、黙って亡くなったことは有名だ。民間人から皇太子妃になった美智子さまが、宮中で理不尽な思いをしたことは容易に察しがつく。
Prince & Princess 6642Princess Michiko 66342Matsudaira 55
(左 : 「テニスコートの恋」で話題となった殿下と美智子妃 / 中央 : 「新時代のプリンセス」となった美智子妃 / 右 : 松平信子)
事情を知らない当時の庶民は、「ミッチー・ブーム」で大盛り上がり。国民の熱狂を背にしたマスコミは、皇太子夫妻の記事を書きまくり、雑誌社も調子に乗って美智子妃の写真を大々的に載せていた。しかし、皇室の伝統を尊ぶ上流階級は、「開かれた皇室」を苦々しく思っていた。とりわけ、“藝能人化”するプリンセスには大反対。殿下の友人で、学習院中等科から大学まで一緒だった藤島泰輔(ふじしま・たいすけ)は、大衆の晒し者になる「週刊誌天皇制」を否定していた。曰く、「皇室を敬愛する日本人にとっては、シンデレラ物語は不要」であるらしい。加瀬俊一(かせ・としかず)元国連大使の息子である加藤英明(かせ・ひであき)も「見世物(pageant)」となる皇族には反対を示していた。伯爵夫人の酒井美意子(さいか・みいこ)も皇室を敬愛する旧華族であったが、ニュー・タイプの皇族には賛成できなかった。橋本氏によると、旧華族の人々は「皇太子の味方であるはずなのに、彼らの理想像たる天皇概念から皇太子の現実像は外れている」と感じてしまい、「マイホーム・パパ」となった皇太子を肯定することはなかったらしい。(上掲書、p.202.)
皇室を守りたい上級国民は、女優のように振る舞う美智子妃に眉を顰め、宮内庁にも皇太子妃(平成の皇后)に反撥する人が少なくなかった。有名なのは浩宮殿下に仕えた濱尾実(はまお・みのる)侍従である。美智子妃が衣装代に年間何千万円も費やしたのは、自分がどのように写るのか、世間がどのように自分を評価するのかを気にしていたからだろう。つまり、美智子妃は香淳皇后のような「簾(すだれ)の奥でうずくまる老婆」じゃなく、西洋風の煌(きら)びやかなプリンセスに憧れていたのだ。濱尾氏は美智子妃の行動を暴露する。
皇后さまはマスコミ報道を非常に気になさいます。新聞などで、皇室記事に関する雑誌広告を目にされると必ず、「これを買ってきてください」と侍従に指示なさるほどです。ですから、女性週刊誌は毎号といっていいほどご覧になっていると思います。(「『恐れながら、美智子皇后に申し上げます』」『週刊ポスト』p.59.)
美智子妃の「御洒落好き」は有名で、ドレスの仕立てに関しては非常にうるさく、ハリウッド女優並みのファッションをモットーにしていた。たぶん、日本版のグレース・ケリーでも目指していたんじゃないのか? 1993年の歐州訪問では、約2億円の経費がかかったそうだが、この金額には飛行機代は含まれていなかった。宮内庁主計課の予算担当者によると、「両陛下がお召しになるご服装の新調代は、三千万円といった具合」であった。ということは、衣装代だけで1ヶ国につき1千万円以上もかかっていたことになる。皇后陛下は同じ服を着ることはできないので、毎回毎回、服を新調したそうだ。(「天皇訪歐費用『2億円』の中身」『週刊新潮』1993年9月9日号)
濱尾氏は週刊新潮のインタビューで、たまりに溜まった皇后陛下への不満を吐き出していた。曰く、「何も見すぼらしい格好で行って下さいというわけではありませんが、国内で着ていらっしゃる服で十分ですよ。質素を旨とする皇室の伝統はどうなっているのか、と問い返したい気持ちになりますね」と。(上掲記事)
一般国民の中には、濱尾氏の暴露に反撥し、「皇后陛下バッシングだ!」と憤るが、マスコミに語るくらいだから、そうとう腹に据えかねる出費であったのだろう。皇室に仕える侍従なら、皇族の欠点には目を瞑(つむ)るはず。多少の浪費なら「仕方ない」と諦め、決して雑誌記者に漏らすことはない。だが、皇室擁護派の濱尾氏が意を決して公表したということは、美智子妃の浪費癖が相当酷かったということだ。確かに、香淳皇后が衣装代に1千万円とか1億円を使ったという話は聞いたことがない。昭和天皇と同じく、久邇宮出身の香淳皇后はとても質素で、女優のような振る舞いは考えもしなかった。
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(上写真 / 「ハリウッド女優」並みの美智子妃)
「チャンネル桜」の水島社長は、一般国民が皇族に対して批判を述べると、すぐ「皇統の断絶を目論む反日勢力だ!」とか「支那工作員の手下である!」と言い放つが、皇后陛下の協力無くして、マスコミがあんなにたくさんの写真集を出すことが出来るのか? 三笠宮寛仁殿下は、自分の振る舞いを棚に上げて、皇族の藝人化とマスコミの報道を非難していた。髭の殿下は「開かれた皇室」に反対し、「我が国の皇室に対しては馴染まない」と述べていた。(寛仁親王・工藤美代子『皇族の「公」と「私」』PHP研究所、2009年、p.188.)殿下はテレビや雑誌に取り上げられる皇族を話題にし、以下のように語っていた。
時代の変化に合わせて、少しずつ世の中にお出ましになるようになりましたが、いまはマスメディアに煽られて、不必要なものまで、人の目に触れるようになりました。・・・現在は、天皇ご一家や、秋篠宮様たちをタレントのごとく扱う記事やニュースが頻繁に出てきて、芸能人のごとしです。(上掲書、pp.188-189.)
三笠宮殿下は歌手や女優のように振る舞う皇后に賛成しなかったが、当の美智子妃は積極的にカメラの前に姿を見せていた。もし、マスコミの取材や写真撮影を嫌っていたら、あんなに多くの特集は実現しないだろう。もし、令和の高校生や大学生が、過去に出版された写真集を全て見たらビックリするぞ。皇室について無知な女子高生なら、「えっ、美智子さまは、スターダストかオスカーの所属タレントなの?」と尋ねてしまうだろう。浅丘ルリ子だって、あんなに多くの写真集を出しているとは思えない。
身近で皇后陛下を眺めていた側近や皇室支持派は、美智子妃の振る舞いを咎めていたが、筆者は美智子妃の浪費癖を責める気にはならないし、気晴らしになるなら仕方ないと思っている。それに、若くて美しい皇太子妃、そして後の華麗なる皇后陛下に国民が浮かれていたんだから、全体的に見れば良かったんじゃないか? 皇室ファンのオバちゃん達は、ファッショナブルなプリンセスに憧れていたし、そのファッションを真似して喜んでいたんだから、衣装代が年間10億ないし20億円になっても割が合うだろう。だいたい、有害な左翼議員に何百億も与えているんだから、皇后陛下に100億円を渡しても文句はあるまい。
筆者が皇室に対して愚痴をこぼすのは、皇族が「悪い事」をしている場合のみ。不正行為をしていなければ、公務をサボってもいいし、「慰霊」と称して観光旅行に行ってもいいと思う。上皇陛下や皇太后陛下が靖国参拝を嫌うなら、それはそれで構わないし、マスコミから叩かれるのが厭なら、江戸城の中で祈ればいいじゃないか。水島社長のように「ご参拝を!」と陛下に要求するのは無理難題である。もし、宗教儀式が長時間で面倒なら、10分くらいで切り上げ、後は「省略」でもいいと思う。神様だって赦してくれるんじゃないか。上皇陛下が幸せな夫婦生活を送り、やましい悪事をしていなければ、それで充分。皇室の将来は皇族が決めることで、平民が容喙することじゃない。我々に不満があれば、その都度“不満”を口にするだけでよく、皇室の問題は最終的に今上陛下が決めることだ。
次回に続く。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68926313.html
2023/05/09 (Tue) 02:43:17
2023年05月08日
嫌われる皇族の理由 / 秋篠宮家はどうなるのか? (前編)
秋篠宮殿下が「日本の代表」なんて嫌だ !
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68931687.html
King Charles III & Queen 002Prince A 70834
秋篠宮殿下と紀子妃殿下がチャールズ3世の戴冠式に出席し、ようやく一段落となったが、週刊誌による秋篠宮家批判は絶えることがない。筆者は週刊誌の報道を全て否定するつもりはないが、雑誌記者が持ち出す「国民の声」というのは怪しいと思っている。中には捏造の声もあるだろうし、誇張された記事だってあるだろう。もしかしたら、皇室破壊を目論む左翼分子が“保守派”をかたって投稿しているのかも知れないし、日本人に扮した支那人が、意地悪で辛辣なコメントを書き込んでいるかも知れないのだ。それでも、国民の一部に秋篠宮への嫌悪感が蔓延しているのは確かで、秋篠宮殿下が今上陛下のように素晴らしい人物とは言い難い。
筆者は誰だか判らぬ「匿名の国民」が発する声など信じない。だが、購入者の中には信じる人も居るようだ。なるほど、一部の国民は殿下の戴冠式出席に不満であったが、そもそも不人気のチャールズ3世の式典なんだから、誰が招かれてもいいじゃないか。もし、秋篠宮殿下が行きたいのであれば手筈を整えてやればいいし、悠仁親王殿下を連れての観光旅行でもいいだろう。どうして秋篠宮殿下じゃ厭なのか? もし、今上陛下が訪英となれば、15時間くらいの缶詰状態になるから、気楽な外国訪問じゃないだろう。
秋篠宮家に関する不評の根源は、殿下と妃殿下の“人柄”にある。保守派の言論人は秋篠宮殿下を庇うため、歴代天皇の系譜を持ち出し、萬世一系の皇統を懇切丁寧に説明するが、皇室に関する教育を受けていない民衆にとったら“ウンザリする説教”でしかない。普通の庶民は天皇陛下の“人格”を肌で感じるから、「有り難い存在」として敬愛し、その“威厳”にひれ伏す。机に向かって千年の歴史を勉強したから尊敬する訳じゃない。一般的に、巷の庶民は天皇陛下に直接会ったことはないが、テレビで拝見する陛下の雰囲気で“立派な天皇”と判断する。他方、秋篠宮殿下の話し方や態度を観ると、直感的に“ダメな人”と思ってしまうから、番組キャスターがいくら殿下を褒めても、その言葉は虚しく響き渡るだけ。生理的に嫌いなんだからしょうがない。
建前上、日本人の宗教は神道や仏教となっているが、一番根深いのは「学歴信仰」の方である。冷静に考えればアホらしいが、大学や高校の入試試験は“神聖な儀式”だ。それゆえ、賄賂や人脈で「合格」の身分を得る者は、“冒瀆行為の異端者”と見なされる。普通の皇族は「皇室の威光」で大学へ“特別入学”したり、側近や友人の“助力”で学位を得ることはない。特に、秋篠宮殿下は、前々から“皇族の特別扱い”を嫌う傾向があったそうだ。(「秋篠宮皇嗣夫妻『信号を止めるな』大騒動 宮内庁が憂慮する交通格差」『週刊ポスト』2021年3月19・26日号)
東大や京大はもとより、学習院大学でも「皇族の特別扱い」は無かったそうで、フランス文学を専攻していた故・篠沢秀夫名誉教授によれば、「特別入学」とか「裏口入学」はなく、試験の結果で判断を下していたそうである。(篠沢 秀夫「死の床より申し上げます 誰よりも深く愛子さまの教育を憂う」『文藝春秋』2011年2月号)おそらく、徳仁親王殿下が入学する時も、学習院大学は「徳仁親王殿下だから無条件で受け容れよう」とは考えず、ある程度の筆記試験というか能力検査を課したはず。
Emperor 7743(左 / 皇帝の風格が漂う天皇陛下)
殿下が大学院へ入った時も“実力進学”と推測できる。オックスフォード大学で水の研究をなされた時も、真剣に“英語”で勉強されたはずだ。真面目な皇太子殿下の性格を考えれば、「ズル入学」なんて想像できない。ちなみに、陛下が1993年に出版された『テムズとともに 英国の二年間』が、今年、紀伊國屋書店から復刊されて、アマゾンではベストセラーになっている。「学習院教養新書」版の方は、古本なのに驚くような高値が附いている。やはり、陛下の人気は凄い。
一方、秋篠宮殿下の方はどうなのか? “英語”で書かれた秋篠宮殿下の博士論文については、以前のブログで触れたのでここでは述べない。しかし、夫婦揃って“疑惑の学歴”をつけるのは問題だ。紀子妃殿下は2013年に『結核予防の意識と行動について : 結核予防婦人会講習会参加者・女子大学生の調査より』という論文を提出して博士号を取っている。どんなレベルの論文か判らないけど、もし、そんなに素晴らしい博士論文であるなら、宮内庁のホームページに掲載し、誰でも閲覧できるようにするべきだ。国民の中には論文をダウンロードして詳しく拝読したいと願う人もいるので、印税を求めずに公開してもらいたい。ところが、妃殿下の論文は国会図書館にまで行かないと閲覧できない。これでは、国民の疑惑が深まる一方だ。
しかし、なぜ紀子妃殿下は博士号が必要だったのか? 一つの推測として、悠仁親王殿下をお茶の水大学附属小学校に入れるため、と考えられる。もし、「研究員の子供」として特別入学させたければ、母親が「研究員」の身分を手に入れなければならない。そこで、妃殿下はロイヤル・パワーか幽霊(スタンド)を使って博士論文を作成したんじゃないか? 『文藝春秋』が、ある秋篠宮家関係者の話を紹介している。
「秋篠宮ご夫妻は幼稚園からの3年保育を望んでおり、学習院幼稚園が2年制なのに対して、ちょうど紀子さまが研究活動をされていたお茶大幼稚園が条件に合っていた。それで同大の女性研究者を支援する特別入学制度を利用して入園されました。」(「悠仁さま十五歳の憂鬱」『文藝春秋』2022年4月号)
この迂回入学なら何とか誤魔化せるが、北九州市の作文コンクールでは「致命的なヘマ」をやらかしてしまった。悠仁親王殿下は『小笠原諸島を訪ねて』という作文を提出して「佳作」を受賞したが、後に“剽窃”が発覚し、参考文献を巧妙に編集して「自分の文章」にしたことがバレてしまった。チャンネル桜の水島総社長は、「皆で寄ってたかって、中学生を責めるなんて酷いじゃないか!」と怒ってたが、これを話題にした国民は、ロボットのような親王殿下じゃなく、幽霊作家を雇った紀子妃殿下を批判したんじゃないのか? そもそも、凡庸な中学生が、あんな作文を書くことは出来ないし、自分の金で幽霊を雇うことも出来まい。おそらく、「推薦入学」の“材料”や“根拠”が必要だったから、作文コンクールに目を附けたのだろう。数学や科学での“実績”にすると、色々と詮索されてしまうので、曖昧な「国語」の評価なら、適当にチョロまかすことが出来ると思ったのかも。審査員は主催者の顔色を窺って忖度(そんたく)するから、「怪しいなぁ~」と思っても「素晴らしい!」と褒めちぎるしかない。
週刊誌は紀子妃殿下に辛く当たるが、筆者はちょっと“気の毒”に思っている。文仁親王殿下と結婚された時は、まさか皇太子を産む破目になるとは考えていなかったはずだ。次男の嫁として比較的気楽に過ごせると思ったんじゃないか? しかし、雅子妃に男子が望めなくなったので、体外受精か男女産み分けで悠仁親王殿下を産む役目になってしまった。国民の中には「まさか!」と思う人もいるだろうが、高齢出産で「男の子の誕生」なんて、あまりにも出来過ぎている。(当時、妃殿下は39歳で、一般的に「高齢出産」は35歳以上の妊婦を指す。) 小泉純一郎総理は安倍晋三官房長官から「御懐妊」の知らせを受けて驚いていたけど、ちょっと賢い国民なら、「もしかして、体外受精の“男女産み分け”なのか?」と怪しんだはずだ。(生殖医療技術の発展に関しては、医学界でも1980年代後半から様々な論争が巻き起こっていた。)
Princess Kiko 55342Princess Kiko 6439Princess Kiko 743
(左 : 独身時代の紀子妃殿下 / 中央と右 :「作り笑顔」が普通になった妃殿下)
「未来の天皇」を育てる国母となった紀子妃殿下は、運命とはいえ、本当に可哀想だ。昔は単なる「次男の嫁」で、バレーボール部の「洗濯係」程度で良かった。ところが、悠仁親王殿下を産んだ事により、100名か200名の部下を率いるキャプテンになってしまったのだ。軍隊に譬えれば、ジャガイモの皮剥きをする一等兵が、いきなり大佐や中将になったようなもので、あまりにも“荷”が重すぎる。それゆえ、周りからのプレッシャーに押しつぶされそうなるし、ちょっとした事でも敏感になってヒステリーの連発なんだろう。でも、「狐の笑顔」から「般若の顔」に変わる瞬間は恐怖だ。
週刊誌が報じるように、雅子妃への劣等感を持っていたのかどうか判らないが、紀子妃殿下の努力は空回りなのかも知れない。ある元皇族が妃殿下について語っていた。
「学習院も立派な学校ですが、海外留学をしていないことや、雅子さまのように社会に出て働いたことがないことに少しコンプレックスを感じておられるようです。今年、お茶の水女子大学に人文科学系の論文を提出して博士号を取得されました。学識を深めたいという純粋な動機はもちろん、経歴としても立派なものを持ちたい、というお気持ちもあったように拝察します」 (「皇室特別レポート 紀子妃の大研究」、『週刊現代』2013年11月23日号)
旧皇族に連なる関係者も、次のようなエピソードを明かしていた。
「ご結婚なさる前、大学生だった紀子さまが出された直筆のお手紙を拝見したことがあります。とても素朴な文章だったのが印象に残っています。それでいて、ところどころ辞書からそのまま引っ張ってきたような難しい四文字熟語や漢字が使われている。なにか無理をなさっているようで、違和感がありました。『ああ、紀子さまは皇室の一員になるに当たり、他の皇族の方に比べてご自身に日本語力が足りないことに、少し劣等感を感じてらっしゃるのではないだろうか』と感じたことを覚えています」(上掲記事)
紀子妃殿下が“教養”の面で苦労されている事は、端から見ていても何となく察知できる。巷の教育ママは「バイリンガル教育」とやらを持て囃すが、日本人が「日本」で暮らし、「日本人」として生きてゆくのであれば、国語の勉強を優先すべきだろう。ただし、親の都合で海外生活をする子供は、自分の運命を選べないから本人が努力するしかない。『週刊現代』の記者によれば、紀子妃はペンシルベニア大学に留学する父・川嶋辰彦氏に伴われ、1歳から6歳まで海外で過ごしていた。彼女は現地の小学校に入るが、父親の方針で家でも会話となれば全て英語だったという。そのため、紀子妃殿下は英語を「母国語」として育ったようだ。
「ホンマか?」と疑いたくなるが、たぶん、これは川島家から発せられた宣伝エピソードだろう。もしかすると、宮内庁が「英語が得意な紀子様」というイメージを創るため、わざと流したプロパガンダなのかも知れない。よく、皇室と昵懇の担当記者や御用評論家は、水面下で宮内庁や川島家と結託し、秋篠宮家を掩護(えんご)する偽情報を流すから注意が必要だ。
Princess Kiko 89342(左 / ご婚約当時の紀子妃殿下)
例えば、紀子妃殿下は小学生の時、ウィーンにも住んだことがあるという。有名な渡邉みどり(皇室評論家)によれば、紀子妃殿下は「ドイツ語を普通に話した」そうだが、大学時代の友人によれば、第二外国語の授業で支那語を選んだそうだ。この友人は「どうしてドイツ語を選択しなかったのか?」と不思議がったが、おそらく「チョロまかし」が利く言語の方を選んだのだろう。漢字なら質問されても推測で答えられるし、本屋に行けば現代語訳の「漢文」書籍が並んでいる。虎の巻も手に入るから、宿題でズルも可能だろう。しかし、ドイツ語だと発音や文法、語彙の点でメッキが剥がれてしまうから、なるべく避けた方がよい。
とにかく、秋篠宮両殿下が英国を訪問し、チャールス3世の戴冠式に出席するという報道は、国民の多くに違和感を与えたようだ。5月6日に秋篠宮殿下が出席なさると報道されるやいなや、多くの国民が殿下の代理出席に不快感を表した。(「チャールズ国王の戴冠式、秋篠宮ご夫妻ご出席に抗議殺到 スキャンダルは英国でも大々的に報道」『週刊新潮』2023年3月23日号)ある者は宮内庁へ抗議の電話を掛け、別の者はインターネット・ニュースのコメント欄に不満をぶつけたという。
確かに、今上陛下と皇后陛下が御出席となれば日本人としても誇らしいし、現地である程度の歓迎を受けるだろう。だが、陛下の“代理”として訪英するとなれば、英国王室の方だって“それなり”の歓迎しかしないだろう。日テレの映像を観たら、案の定、ブリテン側の態度は冷たく、秋篠宮殿下がスタンステッド空港に到着し、飛行機のタラップを降りたら、地面には赤絨毯が敷かれていなかった。しかも、出迎えたのは駐英日本大使と誰だか判らぬ英国の役人一人だけ。外務省の一等書記官が到着したのかと錯覚するほどの光景だ。
一般国民は殿下の「英語力」に疑問を持ち、「どうして英語が堪能な天皇陛下や皇后陛下が出席なさらないんだ?!」と訝(いぶか)しむが、日本の皇族なんだから、堂々と「日本語」で通してもおかしくはないだろう。イギリス人の英語が難しいのであれば、大使館の通訳を呼んで隣に立たせればいいじゃないか。確かに、秋篠宮殿下は英語会話が拙く、他人の力で英語論文を書いてしまったから、普通の国民から批判されてもしょうがないけど、英語を喋ることは教養人の証拠じゃないぞ。。
ところが、宮内庁と結託した主流メディアは、「英語を流暢に話す秋篠宮両殿下」というプロパガンダを垂れ流した。以前、両殿下がギリシアの首相と会ったとき、テレ朝の番組は「通訳無しで会話されました」と報道し、戴冠式でも「“英語”でメッセージを述べられました」と褒めちぎっていた。なぜ、マスコミは意図的に「英語力」を強調したのか? おそらく、担当記者が宮内庁との協定を結んだからだろう。つまり、宮内庁から贔屓を受ける代わりに、「英語が得意な殿下」という“刷り込み”を一般国民に行う、という密約だ。報道番組でサブリミナル効果やステルス・マーケティング(stealth marketing)の手法は厳禁だが、皇室報道ならOKなんだろう。
Prince A in EnglandPrince A 68093
( 左 : オックスフォード大学留学時代の秋篠宮殿下 / 右 : 英国の戴冠式に列席された秋篠宮両殿下 )
読売新聞はもっと露骨で、殿下が1988年から1990年にかけてオックスフォード大学のSt.John's Collegeに留学したと紹介し、ブリテンの王族と「心温まる、友好的な関係(cordial relations )」を深めていった、と書いている。 (‘British Coronation: Japan’s Crown Prince Returning to Student Days,’The Yomiuri Shimbun, May 2, 2023.)「ホンマかぁ~?」と猜疑心が強くなる記事だが、フジテレビも負けずに「留学時代の秘話」を紹介し、学生時代の殿下を世話したトマス・ケンプ元教授にインタヴューを行っていた。ケンプ氏は殿下を“優秀な学生”と評し、“熱心”に勉強していたと褒めるが、どんな「学問的業績」や「研究成果」があるのかは公表しなかった。FNNは殿下が教授の説明に聞き入っている姿や当時の映像を流したが、若き殿下は教授の話に頷くばかり。殿下はイギリス人と会話する時は、やたらと「聞き上手」で、ユーモアを交えて流暢に話すことは滅多にない。「B&B」の島田洋八と同じく“頷く”ばかり。
昔、ヘンリー王子に話しかけられた時、秋篠宮殿下は何を言われているのか解らなかった。これに呆れたヘンリー王子は、「英語が通じない奴なんだ」と判り、適当にあしらっていたから、観ている日本人の方が恥ずかしくなる。たぶん、秋篠宮殿下の留学も「試験無しのコネ入学」なんだろう。「熱心に勉強」するだけなら、小学生にも出来るじゃないか。それに、どうして殿下はちょくちょくタイへ旅行されるのか? 「学術交流」なら、母校のオックスフォードを訪問し、優秀な動物学者と一緒に鯰や鶏を論ずればいいだろう。イングランドだけじゃなく、アメリカやカナダにも一流の動物学者がいるから、タイよりも学問的水準は高いはずだ。
ところが、秋篠宮殿下はなぜかタイが大好き。宮内庁のホームページを見れば判るけど、「殿下は池田大作と同じタイプなのか?」と驚くばかりだ。宮内庁の「紹介文」を以下に引用する。
殿下は今までに幾度となくタイへ魚類や家禽類の調査で訪問され、その成果をいくつかの学術論文として発表されました。それらのことから、タイにおける水産振興や家禽学への貢献に対し、平成7(1995)年9月に同国カセートサート大学から理学(水産生物学)、ブーラパー大学から理学、平成11(1999)年7月にコーンケーン大学から理学(水産学)、平成13(2001)年8月にシーナカリンウィロート大学とチュラーロンコーン大学から理学、平成15(2003)年8月にウボンラーチャタニー大学から理学(農学)、平成19(2007)年3月にキングモンクット工科大学から理学(水産学)、平成23(2011)年3月にカセートサート大学から理学(畜産学)、チエンマイ大学から人文学(人間・環境管理学)、平成24(2012)年11月にタマサート大学から理学(農業技術)、平成30年(2018)年12月にマハーサーラカーム大学から生物学の名誉博士号の贈呈をお受けになりました。
いやぁ~凄い。日本企業がたくさん集まるタイ王国だと、日本の皇族はこんなにも賞賛されるのか! 一部の国民は「どうして殿下はタイばかり訪問されるのか?」と疑問に思うが、おそらくタイ人は「格下の劣等民族」だから、殿下は“くつろいだ”会話ができるんじゃないか? もし、イングランドに行けば、会話は「通訳抜き」の英会話となるし、イギリス人はタイ人みたいにペコペコしないから、秋篠宮殿下としては不愉快だ。しかも、イギリス人の学者は「どんな論文なのか? どんな研究結果を得たのか? 」と詳しく訊いてくるし、質問された殿下も英語で具体的に説明しなければならない。イギリス人はタイ人と違って下らない演説に我慢しないから、カタカナ英語の演説なんて誰も聞かないし、最初から講演会に出席しないと思う。だから、殿下がイングランドを避けるのも当然だ。上流や中流階級のイギリス人は、「日本の皇族だから」といって卑屈にならないし、ジャングリッシュを喋れば「何言ってるのか解らぬ!」と言って無視する。博士号を持つ殿下としては面目丸つぶれだ。
こうした背景を知れば、皇室支持派の一般国民だって、秋篠宮殿下の訪英に“無理”があることくらい解るだろう。でも、宮内庁は「次期天皇の父親」というイメージを国民に植え付けたいから、わざと五月に園遊会のスケジュールを入れ、陛下の戴冠式出席を不可能にしたのだろう。チャンネル桜の高清水裕子や水島社長は、皇太子時代の上皇陛下を例に取り、「秋篠宮殿下が代理で出席でも異論は無い」と言い張った。しかし、訪英した上皇陛下は、エリザベス女王の戴冠式で邪険にされ、その扱いは憤慨するとほど酷い扱いだった。(波多野勝著『明仁皇太子 エリザベス女王戴冠式列席紀』を参照。)
日本人は過去を水に流すから健忘症となりやすいが、イギリス人やスコット人は何時までも戦争を覚えている。第二次世界大戦で日本は英国と敵対関係になり、イギリス人が自慢する戦艦「プリンス・オブ・ウェイルズ」を沈めたことがある。しかも、植民地であったビルマにも手を出したから、総督のマウントバッテン卿は昭和天皇を深く憎んだ。このマウントバッテン卿はチャールズ王太子にとって「師父」ともいうべき存在で、未来の国王に大きな影響を与えた親戚の伯父さんである。
Lord Mountbatten 22Emperor S 2713Prince A 643Prince A 70932
(左 : マウントバッテン卿 / 中央 : 若き日の昭和天皇 / 右 : 若い頃の秋篠宮殿下と紀子妃殿下)
1971年、昭和天皇が英国を訪問された時、面会を嫌ったマウトンバッテン卿は意図的にロンドンを離れた。しかし、歓迎の晩餐会でマズいと思ったエリザベス女王は、急遽、マウントバッテン卿に連絡をつけ、何とか説得して連れ戻すことができたという。昭和天皇とマウントバッテン卿は宮殿のプライヴェート・ルームで会ったそうだ。こうした過去を知っている日本人なら、地上波テレビが言う「皇室と英国王室の親しい関係」とか「秋篠宮殿下を温かく迎えるチャールズ国王」なんて嘘と判るだろう。ワイドショーばかりを観る国民なら騙せるが、昭和時代を覚えている国民は騙せない。
King Felipe & Queen Letizia 1King Carl XVI Gustaf & Princess Victoria of Sweden
(左 : フィリペ国王とレティシア妃 / 右 : カール16世とヴィクトリア王女)
そもそも、チャールス3世は国家元首の出席を望んでおり、普通なら今上陛下が参列するはずだ。実際、何人も国王が出席しているので、日本の天皇陛下が御出席となっても不思議じゃない。例えば、スペインからはフィリペ国王とレティシア妃が来ていたし、スウェーデからはカール16世とヴィクトリア王女、ベルギーからフィリップ国王とマルティルデ王女、ネーデルラントからはウィレム・アレクサンダー国王とマキシマ妃が出席していた。したがって、日本の天皇陛下と皇后陛下が訪英されてもルール違反じゃない。
King Philippe & Queen Mathilde of BelgiumKing Willem-Alexander & Queen Maxima of the Netherlands 003
(左 : フィリップ国王とマルティルデ王女 / 右 : ウィレム・アレクサンダー国王とマキシマ妃 )
天皇家を優先する皇室支持派は、「秋篠宮殿下じゃ厭だ、恥ずかしい!」と愚痴をこぼすが、筆者は「どうでもいい」と思っている。たとえ、レセプションで両殿下が孤立しようが、現地メディアから無視されようが構わない。殿下の出席は外交儀礼の一環だから、建前の表敬と礼状の贈呈が主な仕事だ。日テレの人気番組、「初めてのお使い」と同じ性質の訪英だから、ヨーロッパの王族と会っても適当に笑顔で対応するだけでいい。無理な期待をする国民の方が間違っている。
Prince Albert & Princess Charlene of Monaco(左 / アルバート公とシャルレーヌ妃)
チャンネル桜の高清水氏は、「日本の皇室は世界で最も古い」とか、「外国の王族が尊敬するロイヤル・ファミリー」と述べ、矢鱈と秋篠宮家を擁護していたが、そんなのは“夜郎自大の自惚れ”でしかない。歐米諸国のジャーナリストは秋篠宮殿下を見ても誰だか判らないし、悠久の歴史を誇る皇族と知っても興味は無し。それよりも、外国のメディアは日本より格下となるモナコ公国を取り上げ、アルバート公とシャルレーヌ妃の写真を大々的に載せていた。
日本の皇室が二千年以上の歴史を持っていても、そんなのはカッパドキアかバビロニアに存在した古代人の王族みたいなものだ。トルコから西は全て「オリエント地方」であり、日本が何処にあるのかさえ判らない。だいたい、米国の属州が最古の皇室を自慢しても、貧乏なエチオピアの皇帝と同じ扱いだ。庶民の小娘であった紀子妃殿下が、いくら着飾っても「馬子」程度。社交界に登場しても「透明人間」でしかなく、存在感は10のマイナス6乗くらい。電子顕微鏡で探さないと判らないプリンセス、といったところだ。
ところが、国民の白痴化を促すテレビ局は、秋篠宮殿下が如何に厚遇されたのかを宣伝していた。例えば、TBSは王太子クラスの中で、秋篠宮殿下が最前列の席に坐っていたと喜んでいたが、それは外務省の役人が前もって英国側に頼み込んでいたからだろう。さすがに、アフリカやアジアの参加者に交じっての末席では、日本の国民に申し訳が立たないから、たぶん現地の役人が土下座したか、色々な賄賂、つまり相手が欲しがる“手土産”や“間接的な利益供与”で最前列にしてもらったんだろう。メンツの為なら50億でも100億円でも惜しくはない。どうせ税金なんだから、気前よく使っても大丈夫、という訳だ。
次回に続く。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68931687.html
2023/06/06 (Tue) 13:27:02
神武東征 _ 当時世界最大の水銀生産地は奈良で、 神武東征も水銀獲得の為だった
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日本史関係投稿集 | ■↑▼ |
2022/08/26 (Fri) 13:15:21
777投稿集
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▲△▽▼
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「サル・人類史」全記事 - るいネット
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2023/04/12 (Wed) 07:24:12
みんな大好きな 白洲次郎さんの正体
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2023/04/12 (Wed) 22:38:48
米海軍しのぐ軍艦29隻、幕末日本の経済力 急速な海軍整備に裏打ち
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2023/04/15 (Sat) 11:14:48
鈴木貞美『満洲国 交錯するナショナリズム』
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2023/05/21 (Sun) 10:44:13
寺西貞弘『天武天皇』
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漢民族系朝鮮人の天皇一族による極悪非道の世界侵略の歴史
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わずか16年で消滅!?藤原京の謎!!
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遺跡からみる近江地域の渡来系集団―大津北郊地域の遺跡を主な手がかりとして―
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天皇家は本当に万世一系なのか?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/415.html
「万世一系」の虚妄
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/237.html
皇位継承は兄弟相続するのが古くからの伝統
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/236.html
皇族初夜の儀式「三箇夜餅の儀」 _ 朝鮮半島由来のシルトックという餅を使う儀式
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/313.html
皇族初夜の儀式
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/851.html
皇室に伝わる秘儀
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/851.html
2023/06/06 (Tue) 13:26:47
神武東征 _ 当時世界最大の水銀生産地は奈良で、神武東征も水銀獲得の為だった
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吉野ヶ里遺跡 | ■↑▼ |
2023/05/31 (Wed) 05:44:26
佐賀の風景 第28弾 『吉野ヶ里歴史公園~吉野ヶ里遺跡~』<国の特別史跡>(神埼市、吉野ヶ里町)
2021/09/12
https://www.youtube.com/watch?v=zfmQwKvGtPY&t=75s
脊振山地から南に張り出す舌状台地の上に吉野ヶ里遺跡はあります。ここに佐賀県の工業団地を造る計画が持ち上がる中、遺跡の価値が改めて認識され、昭和61年から本格的な文化財の発掘調査が行われました。その結果、我が国弥生時代最大規模の環壕集落であることが確認され、また魏志倭人伝に記された邪馬台国の様子を彷彿とさせる建物跡などが発見されたことにより、一躍全国の注目を集めました。
平成4年に国営吉野ヶ里歴史公園として整備することが決定され、さらに国営公園区域の周辺に佐賀県の公園区域を設け、国と県が一体となった歴史公園として、平成13年4月からその一部が開園されました。
歴史公園「環壕集落ゾーン」には、最盛期だった3世紀後半の吉野ヶ里遺跡の巨大環壕集落が復元され、祭祀をおこなった北内郭、その時代、ムラを治めた王の墓、南内郭には、弥生時代の日本の様子が記された中国の史書 魏志倭人伝の邪馬台国の記述にある「宮室、楼観、城柵厳かに設け」に合致する物見櫓と環濠などの遺構が復元され、日本の歴史を語る上で大変重要な遺跡であり歴史公園でもあります。
吉野ヶ里遺跡 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%90%89%E9%87%8E%E3%83%B6%E9%87%8C%E9%81%BA%E8%B7%A1
吉野ヶ里歴史公園 - Google マップ
https://www.google.com/maps/place/%E5%90%89%E9%87%8E%E3%83%B6%E9%87%8C%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%85%AC%E5%9C%92/@33.3239366,130.3887596,17z/data=!3m1!4b1!4m6!3m5!1s0x3541ba01fcf6e05f:0x59dd48402b9d5234!8m2!3d33.3239366!4d130.3887596!16s%2Fm%2F02660bp?entry=ttu
平原遺跡 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%B9%B3%E5%8E%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1
箸墓 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%AE%B8%E5%A2%93
邪馬台国 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD
2023/05/31 (Wed) 05:51:53
日本語のルーツは9000年前の西遼河流域の黍(キビ)農耕民に!
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14019324
金平譲司 日本語の意外な歴史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14020106
DNAからみた縄文人と弥生人 神澤秀明(国立科学博物館)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14088258
縄文人と弥生人 「日本人の起源」論争
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14058699
朝鮮人の起源
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14036232
朝鮮の無文土器時代人が縄文人を絶滅させて日本を乗っ取った
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007681
被差別同和部落民の起源 _ 朝鮮からの渡来人が先住の縄文人・弥生人をエタ地域に隔離した
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007586
天皇家は伊都国を本拠地として奴隷貿易で稼いでいた漢民族系朝鮮人
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007686
天皇家は2世紀に伊都国から日向・大和・丹後に天孫降臨した
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007799
神武東征 _ 当時世界最大の水銀生産地は奈良で、神武東征も水銀獲得の為だった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007798
邪馬台国は ヤマトノクニ と読むのが正しい
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007801
ここまで分かった! 「古代」謎の4世紀
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14080144
5~7世紀(三国時代) の朝鮮人は現代朝鮮人と同じだった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14059584
考古学から見た新羅, 百済, 大加耶の対倭交渉 -5世紀前半代を中心にㅣ 高田貫太
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14092198
2023/05/31 (Wed) 05:56:44
邪馬台国が奈良県以外では有り得ない理由
2008.9.28
邪馬台国の会 【特別講演会】 柳田康雄先生 伊都国と邪馬台国
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku273.htm
1.伊都国と邪馬台国 柳田康雄先生
私は伊都国とは深い関わりがある。平原遺跡を始め数多くの遺跡の発掘に携わり、平原遺跡の巨大鏡を始め120枚以上の鏡を発掘した。
平原遺跡については発掘後20年以上になるが、ようやく報告書を刊行することができた。
今日は、これらの経験を踏まえて、邪馬台国に入る直前までの北部九州(福岡、佐賀)の状況について解説する。
■ 弥生時代のクニと国の出現
弥生時代の集落を村とすると、それを束ねているのを考古学で、カタカナで「クニ」 という。そして、この「クニ」が「国」に発展する。
現在、発掘が進んでいる早良(さわら)平野に、弥生中期の初め(紀元前200年前後)に 出現した遺跡があり、朝鮮半島の青銅器がはじめて副葬品として現れる。
そのなかの吉武高木遺跡は青銅器が副葬される率が高い。なかには、1人で銅剣、銅戈4本を持ち、小さいが「多鈕細文鏡」という鏡を持ち、勾玉を持つものがある。
銅剣を1本もっている集落が周辺にいくつか散らばっている。 この地域ではこのような銅剣は合計15~16本出ているので、これは、吉武高木遺跡を中心に付近の村を統率した「クニ」が出現していたと考える。
弥生時代初期からある板付遺跡は福岡平野の拠点集落であるが、ここには弥生中期の初めに銅剣、銅矛7本が出てくる墳墓が出現する。しかし福岡平野の他の地域からは出てこない。
少し後の弥生中期の中ごろ以後、春日平野の須玖岡本遺跡に青銅器が集中する。青銅器を作る工房も集中する。ここでは銅鏡30枚、銅剣、銅矛が8~10個出土した甕棺が出現する。
福岡平野は、中期のはじめから前半は板付遺跡中心に発展するが、中頃をすぎるとすべてが須玖岡本遺跡に集中する。 博多駅の近くの比恵から、那珂を経て春日市の須玖遺跡に至るそれぞれ100ヘクタール級の広さの地域に遺跡が途切れなく存在する。
発掘は大字、小字ごとにやっているので、その単位で遺跡の名前が付けられているが、この地域の遺跡は連続した遺跡であり、環濠を設けることなしに繋がっている。
30ヘクタールほどの吉野ヶ里が最大の環濠集落といわれているが、伊都国では三雲地域を発掘した時にすでに40ヘクタールの広さがあり、井原鑓溝遺跡の調査で、60ヘクタールにもなる遺跡であることがわかった。考古学では環濠集落でないと拠点集落と言わない風潮があるのはおかしい。
須玖岡本遺跡はわずかな丘陵にはいるので、平野に面したところだけに環濠がある。環濠の内側の春日丘陵の地域は100ヘクタール以上にもなる一つの単位集落と思われる。
比恵那珂遺跡は弥生終末には、側溝を持つ幅6~7mの縦貫道路遺溝が出てくる。比恵遺跡では幅20mの運河が出てくる。
吉野ヶ里、池上曽根、唐子鍵を取り上げて弥生都市について議論されることがあるが、この地域の遺跡と比べるとこれらの遺跡は規模が小さく、どんぐりの背比べである。
弥生中期の段階で首長墓が出てくる。弥生中期の終わりに、いままでは朝鮮半島との 交流ばかりであったが、福岡平野の首長墓から中国の鏡が出てくる。
これは全部前漢時代の 鏡である。三雲南小路遺跡からは1号甕棺と2号甕棺の合計で57枚の前漢鏡が出土した。
三雲南小路の1号甕棺は、金銅製の埋葬用の飾り金具(下図の8)が発見されている。これは、皇帝が王侯クラスに下げ渡した物で、1号甕棺が王墓であることを示している。
2号甕棺は22枚の小型鏡が出ているが、ペンダントや勾玉が多数出ていることや、武器がないことから女性の墓と考えられている。
なお、昔に発掘されたもので、金ぴかなものなど価値のありそうなものは持ち去られたりして申告されていない可能性がある。 このようなことも考慮しないと、出土物についての研究では誤る可能性がある。
井原鑓溝遺跡は江戸時代に発掘され、鏡の鈕が21個あったことから少なくとも21面の鏡があったとされる。鉄刀や鉄の鎧なども発見されていることから王墓級の墓である。ただし、大型鏡がない。
最近の発掘では、井原鑓溝遺跡から割竹型の木棺墓が発見され鏡やガラス玉が多数出土している。割竹型木棺は4世紀の前期古墳からしか出ないと言われていたが、伊都国では弥生時代後期のはじめから出る。
九州では甕棺が注目されるが、甕棺と同時に木棺がある。大阪の場合は河内湖があって、木材が水に浸かって残るので発見しやすい。しかし九州では大地の中だと木棺が腐ってしまうので発見しにくい。しかし、最近は技術の進歩で木棺が分かるようになった。
このように、弥生中期後半から後期の初めにかけて、北部九州は鏡をはじめとした副葬品をもった墳墓が大量に増える。しかしそれは伊都国だけである。福岡の奴国と言われているところからはほとんど出て来ない。
後漢からもらった金印が志賀島から出土したが、委奴国と彫られた金印の文字を「倭の奴国」と読んで福岡平野の国とすると、鏡が奴国から大量に出ないのはおかしい。金印の読み方はいくつか提案されているが、「倭の奴国」とは読まないのではないか。
吉野ヶ里からは鏡のかけらは出てくるが鏡が出て来ない。吉野ヶ里は福岡に持ってくれば普通の遺跡。福岡では土地の値段が高いので吉野ヶ里のような大規模な発掘はできないのが残念。現在の吉野ヶ里は宣伝などで過大に評価されている。そのため考古学者はそっぽを向いている。
■ 平原遺跡
平原遺跡の1号墓は王墓である。寺沢薫氏などの近畿の一部の考古学者も王墓と認めるようになった。
王墓もランクがある。鏡の大小や数だけでなく、いろいろな要素で決まる。
王墓には鏡がなければいけない。4世紀までの初期の前方後円墳の副葬品は鏡が主体である。
鏡を副葬品の主体とする墳墓は、弥生時代では三雲南小路遺跡と須玖岡本遺跡、平原遺跡だけである。
棺の主軸近くにある柱跡と、少し離れたところにある大柱の跡を結ぶ線を延長すると、日向(ひなた)峠に向かっている。
10月20日ごろの収穫の時期に日向峠から日が昇るので、何か関係があるかも知れない。
墓には長さ3mの刳抜式木棺があり、大量の朱が蒔かれていた。
頭と足の付近で大量に見つかった鏡の破片のうち、頭付近の破片は全て元の鏡に復元できた。
墓坑のコーナに柱穴の跡があり、木槨があった可能性がある。ホケノ山古墳と同じよう、副葬品は木槨の上から落ちてきているように見える。
出土した前漢鏡(上図左)は直径16センチもあり、この型式の鏡としては中国でもトップクラスのもので、楽浪郡でも見つかっていない。平原の王が中国の外臣の中でも上位として扱われた証拠であろう。
この鏡は、カドが丸くなっていて、周りがすり減っている。前漢末に作られたものが、平原の王の時代まで伝世されたものと思われる。
また、直径21センチの方格規矩四神鏡(上図右)は、京都大学の岡村秀典氏の編年では、漢鏡4期から5期の鏡で、1世紀前半から中頃のものとされる。
しかし、後漢の始めの鏡とすると、銘文は鏡の上から始まるのだが、この鏡では下側から始まっているのはおかしい。
また、後漢の鏡では四の文字を横棒四本で現すのが特徴であるのに、ここでは四の文字を用いている。
つまり、この鏡は岡村氏の言うような中国の鏡ではなく、日本で作られた製鏡である。
平原からは40枚の鏡が出土しているが、直径46.5cmの超大型内向花文鏡や、直径27cmの内向花文鏡も中国にはなく、製鏡と思われる。
平原王墓から、楽浪郡などでも出土するガラス耳(じとう:ピアス)が出てくる。
耳は女性の墓からしか出ないので、平原王墓の被葬者は女性であると判断できる。
耳は時代が降るに従って端部の広がりが少なくなり管玉のようになる。
平原出土の耳は端部の広がりがほとんど無く、後漢の終わり頃のものと考えられている。発掘主任の原田大六氏はこれを琥珀の管玉としていた。
平原王墓からは、ガラス連玉、ガラス小玉、細型ガラス管などが多数出てくる。
右図上段左の連玉は直径5ミリ長さ2センチほどのものだが、高度な技術で作られており、内側は薄い空色で外側が紺色の二重構造になっている。
平原王墓を始め伊都国の地域からは、加工途中のものを含め大量のガラス玉や小玉が出てきており、この地域が高い技術でガラス飾りや玉を製作していたことがわかる。
三雲の弥生終末の遺跡からファイアンス(ガラスの釉薬をかけた焼きもの)が出てきている。
ファイアンスは地中海地域が起源で、エジプト・メソポタミアや中国にもあるので、海のシルクロード経由で南方からもたらされた物である。
伊都国地域のガラス玉の技術も南方から海を経由して入ってきたものであろう。
■ 弥生終末から古墳時代
福岡市の那珂八幡古墳は九州で最も古い時期の前方後円墳である。前方部がやや長めだがその形から纏向型前方後円墳であろう。
このような古墳は小さいものを含め、福岡県には多数あるが、唐津を除くと佐賀県にはない。
弥生時代の福岡県の王墓・首長墓を、副葬品の数などの要素から5段階のランクを付けて表に整理してみた。
この表を見ると弥生後期では圧倒的に伊都国の地域に権力が集中していることがわかる。
北部九州の地域では、弥生王墓から初期の前方後円墳に権力が繋がっているのである。
近畿地方でもこのような表を作って検討して欲しい。近畿で前方後円墳が発生したとするなら、福岡地域のように弥生時代から繋がっていないとおかしい。
近畿地方の前方後円墳は、主体部の構造や副葬品については九州の影響を受け、円形に突出部がでた輪郭のデザインは吉備から東瀬戸内の要素である。
近畿の古墳は、独自に発展したものではなく、これらの地域の影響を受けて出来たものである。
弥生終末と古墳出現の時期はAD200年頃と考える。卑弥呼は2世紀の終わりごろ共立されたとすれば、その墓は古墳が出現した近畿の大和であり、卑弥呼の邪馬台国は古墳時代の近畿の大和にあったと考えられる。
考古学者の中には、邪馬台国は弥生時代にあったと考える人がいる。邪馬台国が弥生時代から存在したとすれば、首長墓のある伊都国しかその候補はない。
平原が卑弥呼の墓ではないかという話があるが、そうは考えていない。平原の被葬者は卑弥呼と親子関係なのではないか。
2.柳田先生の論点 安本美典先生
邪馬台国論争そのものは、いずれ別の機会に行いたいと思うので、今回は論点の整理をしてみたい。
■ 考えの一致する部分と異なる部分
柳田先生は著書『伊都国を掘る』のなかで、原田大六氏の発言を引用して「考古学的事象は日本の原始・古代に関するかぎり、古事記や日本書紀の「神代」神話をさけて通ることは出来ない。」と述べているが、これについてはまったく同感である。
また、「これまで、多くの研究者が平原王墓を無視してきたが、そのために邪馬台国問題や古代国家形成で避けて通れない古墳出現期の諸問題の研究に多くの時間がかかった。今後は、古墳出現期の研究に対して、平原王墓を正面から評価し、その研究に取り組んで欲しい。」とする考えについても賛成である。
邪馬台国に関連する部分では、柳田先生の考えは「伊都国東遷説」ともいえるような内容である。すなわち、邪馬台国は大和朝廷の一時期の姿であり、大和朝廷は九州で発生し、邪馬台国時代以前に畿内に移ったと考えておられる。邪馬台国は畿内にあったことになる。
いっぽう、安本先生は、九州勢力が畿内に移ったのは邪馬台国時代の後であり、邪馬台国は九州にあったとする。
北九州勢力が畿内に移ったとする点では、柳田先生と安本先生の考えは同じであり、中山平次郎や和辻哲郎が述べていた「北九州の弥生文化と大和の古墳文化の連続性」や「大和の弥生文化を代表する銅鐸と、古墳文化の非連続性」は、このような考えと整合するものである。
骨組みの所で意見が異なるのは、北九州勢力が近畿地方に移動する時期の違いである。
■ 洛陽焼溝漢墓出土鏡の時期について
洛陽の焼溝漢墓の鏡の年代の、日本での紹介のされ方がおかしい。洛陽焼溝漢墓の鏡の年代は平原遺跡の年代にも関係する重要なことである。
下表は、奥野正男氏の『内行花文鏡とその製鏡』(季刊邪馬台国32号)による。ただし、後漢晩期の年代幅は、もとの報告書に基づき安本先生が訂正。
平原遺跡から、長宣子孫内行花文鏡が出土している。長宣子孫鏡は、焼溝漢墓では、第六期に最も多く出土する鏡である。
奥野氏は、第六期を後漢晩期として、後147~160という年代幅を与えていたが、もとの報告書では、西暦190年の年号が記された入れ物から第六期の鏡が出土した記録があり、第六期は少なくとも190年まで時代を広げるべきである。
柳田先生は、平原遺跡を西暦200年ごろと見ておられるので、長宣子孫鏡が洛陽で190年ごろに使用されていたことと年代的には整合することになり、平原の年代についての柳田先生の見解に納得できる。
ところが、京都大学の岡村秀典氏は、平原遺跡でも出土した長宣子孫鏡を漢鏡5期とし、紀元75年頃の鏡としている。平原を200年ごろとする柳田先生とは、100年以上年代が異なっているのはおかしなことである。
3.対談 柳田康雄先生 VS 安本美典先生
■ 平原遺跡について
安本: 副葬品から考えると平原遺跡を卑弥呼の墓と考えてもおかしくない。しかし、『魏志倭人伝』には、卑弥呼の墓は径100余歩と記されている。魏の尺度では100余歩は100m以上になるが、平原遺跡全体に土を持った墳丘としたとき100m以上になる可能性はあるのか?
柳田: 14m×10mくらいの方形周溝で区切られているので、まったく無理である。周溝があると言うことは、掘った土を盛り上げるので、もともとは墳丘があったはずだが、100m以上にはなり得ない。
安本:女性の墓か?
柳田: 弥生時代で一番大きな素環刀太刀が出てきているが、女性の墓からしか出土しない耳(じとう:ピアス)が出土しており、女性に間違いない。
また、女性の墓とされている三雲南小路2号墳と同じように、小型の鏡に色を付けて模様を塗り分けていることからも女性の墓といえる。
■ 三角縁神獣鏡と庄内式土器の初現
安本:柳田先生の著書に「現在のところ布留式土器より古い土器が伴い、確実に質のよい三角縁神獣鏡を副葬しているのは九州の前方後円(方)墳のみである。」という文章がある。これを素直に理解すれば、三角縁神獣鏡が出てくるのは、畿内より、九州の方が早いということになるが・・?
柳田: 土器で見ると、庄内式土器の一番新しい物と三角縁神獣鏡がいっしょに出るので、三角縁神獣鏡は九州の方が先に出現したといえる。
■ 庄内式土器
安本: 庄内式土器が畿内で発生したことを疑っている。九州の方が早いのではないか?
柳田: 庄内式土器は圧倒的な量が近畿から出る。古い庄内式土器は九州では少ないが三雲遺跡で若干出てくる。しかし、近畿の人はこれを新しいと言う。私も土器の編年についてはみっちりやってきたがどこが新しいというのか良く判らない。私が見ると古いのもあるのだが数は圧倒的にすくないのは確か。
庄内以前の土器は単体で九州に流れてくるが、庄内式土器からは高坏や壺がセットで出現する。ここに大きな違いがあるので庄内式土器から古墳時代に移る。
九州の古墳では、那珂八幡古墳などから庄内式土器の新しい物は出てくるが、古いものは出ない。しかし、近畿と違って、庄内式土器の新しいものと三角縁神獣鏡がいっしょに出てくる。
■ ホケノ山古墳
安本:庄内式土器や画文帯神獣鏡を出土したホケノ山古墳から、布留Ⅰ式相当の小型丸底土器がでている。柳田先生も、土器の底部の形態変化は平底→凸レンズ状平底→とがり気味丸底→丸底という変化の方向であることを述べておられる。従って、小型丸底土器を出土するこの古墳は、かなり新しいのではないか?
『ホケノ山古墳調査概報』には、布留式相当の小型丸底土器と庄内式土器が同時期に使用された可能性が高いと記されている。そうすると、ホケノ山の庄内式土器の年代は、かなり新しい布留式土器の時代になるのではないか。
柳田: 当事者ではないので、確定的なことを言えない。一時、ホケノ山古墳は新しい布留式土器の時代との話もあったが、今年の2月の勉強会では、また古いとされているようである。
一般的に言えば、古い土器と新しい土器がいっしょに出たら新しい土器で年代を考えるのだが、発掘担当者などによる最近の勉強会では、ホケノ山のものは布留式土器の古いものが見つかったと解釈しているようである。
また、見つかった銅鏃は、普通にみれば布留式土器に伴う銅鏃であるが、これも、古い銅鏃という解釈をしているようだ。報告書をまとめる人たちは、古墳の年代を3世紀なかごろ以前と考えているようだ。
■ 伊都国と女王国の位置関係
安本: 『魏志倭人伝』には、女王国は伊都国の南にあることが、3回も書かれている。伊都国が糸島半島の国だとすると、その南の筑後平野は女王国の有力な候補であり、甘木や朝倉地域を邪馬台国の有力候補と考えている。
ところが、柳田先生の資料に「佐賀平野・筑後平野・筑豊地域などは邪馬台国の候補地どころか卑弥呼を共立した国にも含まれない」と書かれているので、甘木や朝倉は候補地ではないのか?
柳田: 考古学の立場で考えているので、初期の前方後円墳が出現していて、三角縁神獣鏡やそれ以前の鏡が出ているところは候補地になる。
大願寺方形周溝墓、神蔵(かんのくら)古墳のある甘木・朝倉地域は、初期の前方後円墳が出現しているし三角縁神獣鏡も出ているので、候補地に含まれる。
文献学者は安本先生のような見方をする九州説の人が多いが、朝倉以南の筑後平野では、前方後円墳から三角縁神獣鏡やそれ以前の鏡を出すところがないので、この地域が女王国だということは考古学的には証明出来ない。
■ 三種の神器
安本: 三種の神器が出てくる遺跡は須玖岡本遺跡、平原遺跡、三雲遺跡と言われたが、 すぐ南の東小田峰遺跡から璧がでているので、璧を玉と考え、剣、鏡も出土しているので、 三種の神器が出ているといえるのではないか?
柳田: 玉というのは勾玉ではないのか?
安本:璧という字は下に玉がついているので・・・
柳田:ははは、それなら認めます。(^_^)
璧を持っている三雲南小路や須玖岡本は最高ランクであるが、かけらを加工したものがその次に準じると國學院雑誌にはっきり書いた。
東小田峰遺跡では4分割以上したものを丸く再加工して璧に見せようとしている。更に璧のかけらを再加工して勾玉に見せようとしたものもあるので、東小田峰遺跡の例も勾玉と同レベルと考えて良い。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku273.htm
2023/05/31 (Wed) 05:57:48
イト国からヤマトへー柳田康雄の説
2008-10-22
https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519938952.html
○福岡大学市民カレッジ、《邪馬台国を訪ねて 2》の第1回が、先日福岡市で開催された。表題は、その際の講師である柳田康雄氏の講義の題をそのまま利用させてもらった。その方が説明するのに分かり易いと判断したからである。
○もっとも、事前の案内では、「伊都国から邪馬台国へ」となっている。だから、本来の意図は、邪馬台国は伊都国から派生したものとするのであろう。今回の講師である柳田康雄氏の講義を聴いていて、その通りであることが分かった。
○「伊都国から邪馬台国へ」を「イト国からヤマトへ」と変更する理由について、資料の中で、氏は
『魏志』倭人伝の世界は古墳時代であるから伊都国・奴国と表現するが、2世紀末以前の弥生時代
では、「イト国」・「ナ国」としている。
とことわっている。古墳時代なら、伊都国・奴国であり、弥生時代なら「イト国」・「ナ国」とするのだそうである。
○最近、大和朝廷も、「ヤマト政権」と区別して表記するものが多くなっている。大和朝廷とヤマト政権では、随分概念が違うのだそうだ。それと同様に、「伊都国から邪馬台国へ」と「イト国からヤマトへ」も概念が違うのだろう。どうも学者先生の言葉は、煩雑で、煩わしくて仕方がない。
○要するに、イト国からヤマト国家が発生したことが言いたいのではないか。そして、その時代が弥生時代であることが言いたいらしい。だから、古墳時代である『魏志』倭人伝の時代には、ヤマト国家が成立していたという説である。『魏志』倭人伝が記載する倭国大乱の時に、ちょうど、イト国が東に進出し、ヤマト国家となったというのである。
○その理由として、柳田康雄氏は鏡の存在を指摘する。イト国から大量に出土した大型の鏡は、まさしく王のものにほかならない。だから、大型鏡が大量に出土したイト国こそが権力の中心地であり、古墳時代に大量の鏡が出土する近畿はイト国の後継者に過ぎないと言う仮説である。
○学者の妄想はすごいと言わざるを得ない。第一、『魏志』倭人伝には、邪馬台国は既出しているのである。それをわざわざヤマトとすること自体に不自然さを感じる。第二に、伊都国は邪馬台国とは同時に出現している全く別の国家である。そういうふうにきちんと『魏志』倭人伝は記録している。だから、伊都国と邪馬台国とは、全く別のものである。それを同一視すると言うか、イト国からヤマトへと発展したことなど、妄想以外のなにものでもない。
○かつて、三角縁神獣鏡をあたかも卑弥呼の鏡であるかのように喧伝し、同笵鏡論をことごとくしく唱えた人々がまたもや、同じ轍を踏むような気がしてならない。三世紀の発掘物を展示・例示して、それがまるで、邪馬台国や卑弥呼のものであるかのような表現を用いるのは、明らかに詐称であろう。北九州や近畿で出土したそれらのものは、確かに邪馬台国や卑弥呼と同時代のものかも知れないが、邪馬台国や卑弥呼とは、明らかに無関係の代物である。なぜなら、そこに邪馬台国が存在するはずがないからだ。学者であれば、願望と事実とは明確に区別すべきであろう。邪馬台国のものであって欲しいと言う願望と、単なる三世紀の遺物とでは、全く認識が違う。それが混同されて発表されている。
○今回の、柳田康雄氏の講義資料の冒頭に、次のようにある。
『魏志』倭人伝は、日本古代史のなかで最も有名な史料である。しかし、すべてが正確に記述され
ているとはいえないために権威ある学者の諸説だけではなく、学問に値しない奇説が横行している所
以である。
○『魏志』倭人伝は、本当に『すべてが正確に記述されているとはいえない』のであろうか。意外に『魏志』倭人伝は正確である。私は、むしろ、三世紀に、あれだけ正確に日本のことを記録していることに驚異を覚える。『魏志』倭人伝を正確に読みさえ出来れば、ちゃんと邪馬台国に到着出来る。それは、対馬や壱岐国、末廬国、伊都国、奴国、不弥国にしたところで同様である。それから先が正確に読めないのは、むしろ読者の能力の問題に過ぎない。
○伊都国や奴国、不弥国までは、きちんと着いているのである。なぜ、そこから先に到達し得ないのか。それは中国の史書の読み方を知らないからに過ぎない。読者が不学なのである。何も努力しないで中国の史書が簡単に読めると言う考え方自体が間違っている。編者と言うか、著者は、おそらく三世紀最大の歴史家であろう陳寿である。作者の能力をを疑う前に、自分の能力を疑うのが筋であろう。誡言として、宮崎市定の言葉を贈りたい。
このように『史記』においては何よりも、本文の意味の解明を先立てなければならないが、これは
古典の場合已むを得ない。古典の解釈は多かれ少なかれ謎解きであって、正に著者との間の知恵比べ
である。そしてこの謎解きに失敗すれば、すっかり著者に馬鹿にされて了って、本文はまっとうな意
味を伝えてくれないのである。(「宮崎市定全集」第5巻『自跋』)
○宮崎市定ほどの大学者でも、中国の史書に悪戦苦闘しているのである。もっと謙虚になって『魏志』倭人伝を正確に読むことを心掛けるべきであろう。そうしない限り、妄論奇説ばかりが氾濫する結果となることは明らかだ。
○考古学者があれこれと邪馬台国を語る時代は、残念ながらもう終わった。邪馬台国はすでに発見されている。それを知りたければ、ブログ「魏志倭人伝を読む」・「邪馬台国の虚像と実像」を読めば明らかである。魏志倭人伝からしか、邪馬台国は出現しない。そんなことは考古学者にも分かっているはずだ。人の土俵で面白、可笑しく相撲を取ることは、いい加減止めるべきだろう。魏志倭人伝も邪馬台国も考古学の範疇外である。もちろん、良識ある考古学者がほとんどで、一部の考古学者に過ぎないのだろうが。
https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519938952.html
2023/05/31 (Wed) 08:20:58
吉野ヶ里では門のような鳥居の上に、木で作った模型の鳥がとまっている
鳥居から鳥が消えた日
2016年5月5日
https://artworks-inter.net/ebook/?p=1336
神社と鳥居はワンセットになっている。
日本の神社になぜ鳥居が有るのかは、私なりの見解が有り、このHPにも書いた。
鳥居は神を封じ込める結界
http://artworks-inter.net/ebook/?p=162
日本の場合、畏敬すべき神の存在がメインなのだが、タブーとしての神に仕立て上げた存在も有る。
祟り神や怨霊神がそうである。
そのための鳥居や結界も存在する。
しかし、それは神道が形式化され整備されてからの事であり、それ以前の神道は各地さまざまな形で、その土地やその種族にあわせたものとして存在していた。
古代の神道は、古事記や日本書紀の記述に無い、日本の土着の神の存在の証明でも有る。
学問的呼び名で言うと原始神道というらしい。
これは、魔術的な不可思議なものではなく、先祖崇拝や祈祷や占いなどである。
鳥居の形にいろいろ有るのは、原始神道と現在までの神道の融合のせいも有るだろう。
また、神仏習合のせいもあるかと思われる。
しかし、人と神を分ける結界という考え方は同じようだ。
弥生時代の鳥居
先日吉野ヶ里にいった際、復元された弥生時代を見てそこに鳥居があるのを発見した。
壱岐の原の辻遺跡復元集落と同じような鳥居である。
門のような鳥居の上に、木で作った模型の鳥がとまっているのだ。
吉野ヶ里歴史公園
遺跡というのは、発見された時は穴ぼこだらけの土地である。
そこにあるものを、今までの研究に照らし合わせて復元する。
だから、復元模型は研究者たちの思い入れや、想像が入るのですべてを丸のみにして、信じるわけにはいかない。
だから、鳥居風の門の上に、木の模型の鳥があったのも、研究者たちの演出だと思っていた。
吉野ヶ里遺跡の職員の人に、何気なく木の模型の鳥の話しをした所、出土品として木の模型の鳥があったとの事でびっくりしたのだ。
鳥形木製品
恥ずかしながら、日本の鳥居のことばかりやっていたので、アジアに広がっている鳥のトーテムの事は、頭から消え去っていた。
穀霊信仰と鳥に対する崇拝
http://www.yoshinogari.jp/contents/c3/c104.html
韓国のソッテという鳥のトーテム
http://satehate.exblog.jp/16749464/
ソッテ
鎌倉から、こんにちは
ソッテ(鳥竿)という木の鳥が居ます。
http://blog.kamakura-seoul2005.com/?eid=1062236
s-ソッテ(鳥竿)
壱岐の鳥居
(長崎県壱岐市芦辺町 原の辻遺跡) 撮影アートワークス
縄文や弥生といった時期には、当然神社と鳥居はないのだが、鳥居の起源として色んな説がある。
弥生時代に稲作が始まったと教科書では書いているが、稲作は縄文時代からおこなわれていた。
弥生時代に盛んになったのは、水田という手法が広まったという事である。
穀霊信仰と鳥に対する崇拝
http://www.yoshinogari.jp/contents/c3/c104.html
穀霊を運ぶ生物としての鳥を崇拝する観念が生まれたことが大阪府池上遺跡や山口県宮ヶ久保遺跡など、各地の弥生時代の遺跡から鳥形木製品や鳥装のシャーマンとおぼしき人物の描かれた土器などにより推察できます。吉野ヶ里歴史公園
鳥竿
日本野鳥の会関係のサイトには、「この鳥竿は、アジアの稲作地特有の風習で、優良な稲作地を探すときの目安として朝、鳥が多く集まるところに設置されたのが始まりといわれています」とあります。
確かに、鳥と稲作は深い関係があり、信仰の対象である事は間違いない。
日本神道の結界としての鳥居とつながっていると思うが、この時点ではもっと範囲の広い信仰の対象だった。
朝鮮のソッテだけではなく、中国の少数民族にも鳥竿は見られる。
特に有名なのは中国のミャオ族である。
芦笙柱(トン・カー
(杉浦康平アジア図像の世界 11 http://www.kousakusha.co.jp/RCMD1/rcmd_11.html)
鳥越憲三郎 説
倭族の一部が日本列島に移住し、また他の倭族と分岐していったとした。分岐したと比定される民族には、イ族、ハニ族 (古代での和夷に比定。またタイではアカ族)、タイ族、ワ族、ミャオ族、カレン族、ラワ族などがある。これらの民族間では高床式建物、貫頭衣、注連縄などの風俗が共通するとしている。
それ以外にも多数の説があり面白い本も多い。
ミャオ族歌手 阿幼朶
(ミャオ族歌手 阿幼朶)
朝鮮では鳥竿だが、他の地方ではトーテムポール風に変化しているものもある。
鳥への信仰は同じなのだが、インド仏寺のトラナ、中国の牌楼、朝鮮の紅箭門など門としてつながっていったと思われる。
インド仏寺のトラナインド仏寺のトラナ
s-朝鮮の紅箭門朝鮮の紅箭門
日本にも朝鮮半島のチャンスンと同じものが神社に残っている。
高麗神社(埼玉県日高市)
第1駐車場内の将軍標(しょうぐんひょう・チャンスン)チャンスンは朝鮮半島の古い風習で、村の入り口に魔除けのために建てられた。
http://blue-angels.my.coocan.jp/jinja/koma/komajinja.htm
高麗神社
吉野ヶ里の門の上の鳥は、これらの流れを考えて作られたのだろう。
精霊門ハニ族(アカ族)の精霊門
http://ameblo.jp/hex-6/entry-12020355977.html
中国の雲南省に住むハニ族(アカ族)の精霊門を参考にしたとおもわれる。
特に印象的なものは神武天皇の絵画である。
もちろん書かれたのは江戸時代だとおもうが、弓の上に止まっている八咫烏(やたがらす)の絵は、鳥竿(ソッテ)を持っているといっても、誰も疑わないだろう。
神武天皇
日本には鳥竿やトーテムポールは直接伝わっていないが、鳥信仰は色んなものに変化していったのと推測される。
鳥信仰の門が、神社の鳥居と結びつくのはそれほど違和感がないと思える。
神社だけではなくお寺にも鳥居がある。これは神仏習合の影響である。
日本というのはつくづく不思議な国だと思われる。
日本以外の所から色んなものが伝わっているのだが、すべてを日本流に変化させているのだ。
ジャパンフィルターと呼んでも良い。
これは現代でも大いに作用している。
ここからが本題である。
鳥信仰の鳥居なのに、日本に定着するとその鳥の模型がなくなってしまっている。
吉野ヶ里歴史公園にあった、鳥の模型が乗っている門がなくなっているのだ。
そして、その代わりにセットになったものがある。
注連縄である。
これはどういうことなのだろうか。
稲作はどんどん広がっていて、九州から東北地方までも広がっている。
考えられる理由はただ一つしか無い。
鳥信仰を持っていない稲作の民の台頭である。
鳥の模型が無くなった代わりに登場したのが注連縄である。
現在鳥居に注連縄がはっているものも多い。
注連縄の原点は『蛇』
http://www.ne.jp/asahi/anesaki/ichihara/kyuukei/simenawa/simenawa.htm
鳥居に巻き付く蛇しめ縄(熊野神社・所沢市西新井町)鳥居に巻き付く蛇しめ縄(熊野神社・所沢市)
shimenawa_torii
蛇と注連縄
6-1 鳥居
http://www.741.cc/Bonhu/kami06.htm
星宮神社
星宮神社
くらら日記 栃木県下野市下古山 星宮神社
http://blog.livedoor.jp/clala_koubou/archives/2013-07-21.html
鳥から蛇に変っていったのだ。
鳥信仰は、その土地に住む原住民が長い間培ってきた信仰でもあり、稲作や穀物の生育と鳥との関係が信仰を生んだと思われる。
つまり、長い農耕の歴史が空や鳥を信仰の対象にしてきたのだ。
ところが、日本は1万5千年とも言われる長い縄文の時代があった。
農耕一筋ではなく、狩猟と農耕という独特のサイクルを持って、長期間平和に暮らしてきた。
農耕というと穏やかなイメージがあるが、水田というのは山を崩し土地を開墾して自然破壊を繰り返していくライフスタイルなのだ。
さらに、水田は新技術として日本中を駆け抜けていく。
稲作の鳥信仰は薄れていったのだ。
もちろん鳥という天空と地面をつなぐ神秘的な生き物に対する信仰は消えていないが、日本には古くから蛇信仰がある。
稲作の大敵でもあるネズミの天敵というのもその理由の一つだろう。
それ以外にも
蛇の形体が男根を思わせること
蝮などの強烈な生命力と、その毒で敵を一撃のもとに倒す強さ
脱皮により生まれ清まる再生力
有名な説に「蛇 (講談社学術文庫)吉野 裕子」がある。
吉野氏によれば、田んぼに立っているかかしは蛇のことだという。
蛇の力と神社がいつか寄り添って、日本中に広まっていったのだろう。
蛇の怖さは、縄文人たちはよく知っている。
そしてその生命力も計り知れない。
蛇信仰は鳥居とセットとなって広がっていった。
その事実からいえることは、稲作を伝えた人達の主導権を奪った人達が日本の主流になったという事である。
それが縄文人と言われる日本在住の民たちである。
縄文人は別に単一の種族ではない。
長い間混血を繰り返し、日本に定住していた民だ。
この民たちが動き出したのだ。
ジャパンフィルターが稼働したのである。
渡来倭族たちの新技術を吸収し、日本風にアレンジさせて進化させた。
水田に適した熱帯ジャポニカを品種改良して東北の寒冷地でも収穫が出来るように進化させたのである。
漢字が日本に入ってきたが、ジャパンフィルターを稼働させ、ひらがな、カタカナを生み出した。
仏教は日本の仏教へと変化させ、神仏習合を生み出し日本教を生み出した。
江戸から明治に移る時、無血革命という離れ業を実現し日本を外国から守った。
戦後、欧米の技術が入ってきたが、物まね、イエロー・モンキーといわれながら、世界一のトランジスタラジオを生み出した。
数え上げればキリがない。
古代新技術の到来は、現日本人にとって渡来人に土地を奪われていくことと同じだったのだ。
渡来人たちは、別に親切で日本にやってきたのではない。
征服者の顔を持っているのだ。
色んな理由で日本にやってきた渡来人のいいなりになるわけにはいかない。
だから、ジャパンフィルターが稼働した。
空白の4世紀というのがある。
倭国が歴史に記載されない時代だ。
邪馬台国の時代、まだ縄文の生活様式が残っている。
そのご大和朝廷が本格的に動き出す時は水田稲作は全国に広まっている。
空白の4世紀とは弥生時代とかさなっている。
日本はなぜ、世界の歴史に登場しなかったか。
それは、鎖国をしていたからである。
これは、江戸時代の鎖国と同じ状況だ。
外国の新しい風にさらされていた日本は、数ある選択肢の中から国を閉じることを選んだのだ。
世界の常識から見れば、とんでもない選択だったはずだ。
しかし、鎖国を実行して国力を充実させる道を選んだ。
日本の4世紀、邪馬台国から大和朝廷に脱皮して行くには、海外との交易をなるべくさけて、国内の体制を固める必要があったのだ。
これは、中国大陸などの情勢を察知して働いたジャパンフィルターだと確信する。
そしてこの時期、鳥の鳥居から蛇の鳥居となり、本格的な日本水田稲作の道が切り開かれたのである。
荒唐無稽といわれればそれまでの話しだが、多数の渡来人の説が幅をきかせる中
日本語という言語が変らなかった事実を説明できる説はこれしか無い。
チベット、中国、モンゴルなどの様々な人種と文化が日本にやってきて化学反応を起こし、ハイブリットな日本人が出来上がった。
日本人の故郷は何処かといわれれば、世界中だといえる。
それが気障なら、日本人の故郷はここ日本列島だというのが正解だ。
https://artworks-inter.net/ebook/?p=1336
2023/06/06 (Tue) 10:27:14
【報ステ】邪馬台国“論争”に「一石投じる」世紀の発見?吉野ケ里遺跡『石棺墓』開封(2023年6月5日)
2023/06/06
https://www.youtube.com/watch?v=c35K_ODA2JM
邪馬台国の場所を明らかにする、世紀の発見になるかもしれません。佐賀県の『吉野ケ里遺跡』で見つかっていた、有力者のものとみられる“石棺墓”の蓋(ふた)が5日に開かれました。
古代の集落が「ムラ」から「クニ」へ発展する兆しがみえる、吉野ケ里遺跡。去年、300年前の江戸時代から立っていた神社を移転したところ、その下に新たな古墳がありました。
卑弥呼がいた邪馬台国は、魏志倭人伝にも記載されていますが、その場所が九州か近畿か、その他なのか、結論は出ていません。
佐賀県文化財保護・活用室、白木原宜室長:「土の方に赤いのがうっすら見えましたので、弥生時代で赤色顔料を用いるとなると、高貴というか有力者の墓が多いのかな。誰でも彼でも真っ赤っかということはありませんから」
これまで吉野ケ里遺跡では見つかっていなかった“弥生時代後期”の可能性があるといいます。
“石棺墓”は、4枚の石蓋で閉じられていました。内側は長さ192センチ、幅40センチ。「×」などの刻みが表面に見られなかった1枚は、裏側からたくさんの印が見つかりました。埋葬された人の顔の位置にあたり、何らかの意味がありそうです。
白木原宜室長:「それが邪馬台国の時代であれば、論争に一石を投じることになるのでは」
そもそも、最有力は奈良の纒向遺跡でしたが、30年ほど前、卑弥呼の居館をしのばせる物見櫓(ものみやぐら)跡などが相次いで見つかったことで、佐賀が「邪馬台国時代のクニの中心地」ではないかとフィーバーになりました。
ロマンを抱いてきた佐賀県民は…。
佐賀県民:「めっちゃうれしいなと思いました。佐賀は『魅力ない』って言われているけど、めっちゃあるし『過去に栄えてた』って言われてたら、すごくうれしい」
佐賀県民:「小学生とかに教える際に『佐賀はすごかったんだよ』と教えられたら、すごくいい」
佐賀県民:「(Q.佐賀説が有力になるのでは)ぜひあってほしい、絶対。それで見に来るとか、この辺が(経済的に)潤うとかはどうでもいい。俺はもう大好きだから、卑弥呼がここであってほしい」
発見に沸く佐賀県に、奈良県からは冷静な反応も…。
桜井市立埋蔵文化財センター、橋本輝彦所長:「赤い塗料は水銀朱だと思うのですが(弥生時代の墓では)よく使われる塗料」
魏志倭人伝にある「卑弥呼の墓」の記載からも、奈良説を押します。
橋本輝彦所長:「3世紀の段階で、大型の前方後円墳がすでに出現している。ヤマトの方が可能性が高いのでは。今回のものだけで、九州説・近畿説に大きな影響を与えることは、中から金印とか、極端な話“卑弥呼”と書いた物が出てこない限り、なかなか難しいのかなと」
石蓋には密閉するための粘土が付着していましたが、流入した土が予想よりつまっていました。今後、土を掘り下げて副葬品を探します。
佐賀県・山口祥義知事:「蓋に白い粘土が付着していた。ずっと残されていたから、盗掘されていない。これは非常によかった。全容判明は、来週の半ばごろまでには。乞うご期待」
■『邪馬台国』はどこに…“論争”に影響は
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もし邪馬台国や卑弥呼につながるような副葬品が見つかれば、邪馬台国がどこにあったのか、今までの論争に大きく影響する可能性があります。
国営吉野ケ里歴史公園が運営する『弥生ミュージアム』によると、邪馬台国の場所については、諸説唱えられています。中国の歴史書『魏志倭人伝』には、魏から邪馬台国へのルートが書かれています。
朝鮮半島から、いくつかの国を経由して『不弥国(ふみこく)』に至るまでは大きな異論はありません。ただ、問題はこの先、邪馬台国までの道のりです。
魏志倭人伝では、不弥国から先について、このように書かれています。
「南のかた投馬国に至る。水行二十日(水路で20日)」
「南、邪馬台国に至る。水行十日、陸行一月(水路で10日・陸路で1カ月)」
「水路で10日、さらに陸路で1カ月」なのか、「水路なら10日、陸路で1カ月」かは分かりません。いずれにせよ、南の方角であれば“九州説”と言えますが、距離をそのまま足していくと、邪馬台国は九州南の海上になる可能性があります。
一方、距離がほぼ合致するのは“近畿説”ですが、方角は南ではなく東です。一説には方角を間違えて記載したのではないか、という話もあります。
(Q.九州説・近畿説、それぞれ補強する材料は)
“近畿説”については、『纏向遺跡』周辺を中心に、銅鏡が多数、出土しています。卑弥呼が魏から銅鏡をもらったとされているので、補強する材料の一つになります。2009年には、卑弥呼の時代とされる大型の建物が発掘されています。纏向遺跡の中にある『箸墓古墳』には、土器に付着した炭化物から、240~260年に作られたものと推定されています。これは卑弥呼が亡くなった年代と一致します。
“九州説”については、『漢委奴国王の金印』が志賀島で発掘されて以降、有力な情報はありませんでしたが、吉野ケ里遺跡で大規模集落などが見つかり、論争に拍車がかかりました。そして5日、石棺の土から赤い顔料が発見され、これが有力者の墓ではないかと注目されています。
(Q.近畿か九州か分かるとどうなるのか)
弥生ミュージアムによると、邪馬台国の場所が近畿か九州かによって、日本の古代国家がどのような道筋でつくられたか、その歴史にも大きく影響するということです。
経済・相場関係投稿集 | ■↑▼ |
2022/08/23 (Tue) 11:34:12
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アベノミクスのツケ「地銀含み損3兆円」…破綻シリコンバレー銀行とビジネスモデル酷似
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株式投資は企業への投資ではない _ 外資が儲けたらそれと同額だけ日本が損する
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世代間格差は存在しない、格差は資本家階級と労働者階級の間にだけある
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アドバンテスト・イビデン・ディスコ…AI半導体で日本企業は宝の山!
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中国に半導体包囲網、半導体強国の夢消える
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【Front Japan 桜】 平井宏治 ~ 半導体を制するものが世界を支配する[R4/12/15]
https://www.youtube.com/watch?v=x-tKZ70kEd4
髙橋洋一 ジリ貧の中国半導体産業 WTO提訴も無駄 世界トップは日米蘭
2022/12/16
https://www.youtube.com/watch?v=8oEoiHDF11E
経産省が出てきた時点でアウト…「日本の半導体の凋落原因」
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14113049
エリオット波動原理から見た 日経平均とフィラデルフィア半導体指数/有川和幸さん【キラメキの発想 10月17日】 | 一般社団法人 日本エリオット波動研究所
https://www.youtube.com/watch?v=kCf1VZ0jZ-4
https://jewri.org/news/news-3292/
エリオット波動 宮田直彦 半導体株の出直り期待と日経平均の強気保ち合い
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2023/06/05 (Mon) 12:42:11
ああい
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Amazon配達ドライバー「配達終わらない...」荷物は1日200個超、休憩は10分
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ああy
2023/06/06 (Tue) 09:08:53
日本経済復活 _『冷戦崩壊』の崩壊が起き日本のターンが来る
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アドバンテスト・イビデン・ディスコ…AI半導体で日本企業は宝の山!
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日本エリオット波動研究所 _ 日経平均は本格的な上昇相場に入ったのか?
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日本エリオット波動研究所の相場予測は凄い、 宮田直彦のエリオット波動分析はデタラメ
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これから起きる超円高によるバブル崩壊と預金封鎖
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40年続いた米国株強気相場が崩壊する、米国株は30年上がらない
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ついに始まる世界金融恐慌
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株価は長期金利と企業利益で決まる。
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今後10年の株式市場はバイアンドホールドでは勝てない
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過去数十年の上昇相場を前提に今後数十年の投資をしてはいけない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14091142
「株式投資は長期的にはほぼ儲かる」という主張が完全に間違っている理由
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14042637
鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html
株式投資の神様「ウォーレン・バフェット」の言葉を真に受けると悲惨な結果になる
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/886.html
バフェットが使う「3つの原則」と合致する日本株
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日本経済復活 _『冷戦崩壊』の崩壊が起き日本のターンが来る | ■↑▼ |
2022/08/10 (Wed) 19:44:46
日本経済復活 _『冷戦崩壊』の崩壊が起き日本のターンが来る
2022年08月10日
『冷戦崩壊』の崩壊が起き日本のターンが来る
米中対立開始の歴史的瞬間、2016年9月3日、中国はオバマが乗った大統領専用機を空港施設から最も遠い場所に誘導し、タラップを用意せずSPが一緒に降りるのを禁止した。
中国メディアはオバマの無様な様子を笑いものにしたが、当然これで済むはずがなかった
(エアフォースワンの周りで勝手に写真を撮る中国人スタッフ)
画像引用:https://www.sankei.com/photo/story/expand/160904/sty1609040013-p5.html オバマ氏到着でぎくしゃく 赤じゅうたん付きのタラップなし - 読んで見フォト - 産経フォト
桃太郎と犬猿キジ
1990年以降の日本は(世界との比較で)32年間連続マイナス成長、衰退し続けたわけですが日本衰退につながった諸条件が変わりつつある。
日本にとって最大のマイナス要因は冷戦崩壊で、世界が平和になって中国や旧ソ連が自由市場に参入し日本の居場所を奪っていった。
1990年まで工業製品を安価に大量生産できるのは日本だけだったが、韓国や中国やベトナムやアフリカでも生産できるようになった。
冷戦時代の日本はアジアの唯一の大国にして唯一の先進国、唯一の西側主要国で、欧米からVIP待遇されていました。
冷戦終了ソ連崩壊で「アジアの番犬」は不要になり解雇、エサを貰えなくなり自力で食べ物を探さなくてはならなくなった。
安い工業製品を輸出する役割は韓国や中国に変わり、日本は高コストで工業生産国としては競争力を喪失した。
時を同じくして冷戦崩壊で欧米は中国やロシアを「パートナー」として迎え入れ、日本は欧米を脅かす脅威としてとらえられるようになった。
クリントン政権やブッシュ政権は同盟国の日本を敵国のように扱い、日本と敵対する中国、韓国、ロシアをあからさまに優遇した。
経済でも外交でも安全保障でも30年以上日本叩きが続き、これらが総合的に日本の衰退につながっていった。
桃太郎は鬼退治のために犬猿キジを連れていたが、鬼と桃太郎が友達になったので、犬猿キジが邪魔になったという事でした。
ところが桃太郎はやっぱり鬼と喧嘩別れして、もう一度犬猿キジをきび団子で集めようとしているのが現在の状況です。
一度解雇された日本は再びアジアの番犬として呼び戻され、「さあもっと吠えろ」と言われています
日本のターン
アメリカと中ロにはっきりと亀裂が表面化したのはオバマ時代後期で、2014年にウクライナ紛争にロシアが介入し東部を親ロ派が占拠した。
2016年9月に中国で杭州G20が開催された時に象徴的な出来事があり、今考えるとこの時に米中対立が始まりました。
9月3日にオバマは大統領専用機B747で着陸したが、中国は最も遠い場所に誘導し「安全上の理由」からタラップを用意せず歓迎セレモニーもしなかった。
オバマは機体備え付けの階段から降りるのを余儀なくされ、中国はまた「警備上の理由」で警備兵なしで歩いて行くよう命令した。
同じ日に到着した安倍首相の政府専用機はなぜか「特等席」に誘導され赤いじゅうたん付きタラップが用意され歓迎セレモニーが行われた。
新華社通信などがこの出来事でオバマを笑いものにし、後にトランプ政権で対中制裁を受ける理由を自ら作り出した。
中国との対立を深めたオバマ政権は広島訪問などで日本との関係改善を図り、この流れはトランプ政権でも続けられた、
バイデン政権の2022年に中国は台湾を攻撃すると言い出したが、実際に起きたのはロシアによるウクライナ侵攻で、これでロシアは完全に西側と敵対した。
中国はロシアに同情しながらも決して加担しなかったが、超大国のように振舞う事でアメリカとの対立を深めていった。
中国は自らを超大国と称しているため、台湾を攻撃や占領出来ないと国家の威信が傷ついてしまう。
威信がなくなった独裁国家は禿げのライオンと同じで誰も恐れてくれず、中国は何かをやらかす動機を十分に持っている。
とは言え中国軍には日米欧を敵に回して台湾を占領する力がないので、クルリと向きを変えて中央アジアなどで侵略戦争する可能性がある。
アメリカにとって重要になったのが日本で、中国やロシアと軍事的対立をするには日本の協力が不可欠になる。
日本列島があるから米軍は日本と大陸の間に防衛線を張れるが、日本が協力しないと防衛ラインはカリフォルニアか良くてハワイに下がる。
日本と協力するには日本の経済回復が不可欠で、米政府が今までのような態度だったら日本は「平和憲法があるので協力できない」と断るでしょう。
アメリカは安全保障上の理由から、中国やロシアと対抗するのに日本を優遇せざるを得なくなります
https://www.thutmosev.com/archives/88736310.html
2023/01/20 (Fri) 07:42:52
ここではエリオット波動の宮田さんと反対に今年の日経平均暴落を予測しています:
日本政府、金融緩和終了に言及 連続利上げなら日経平均は暴落へ
2023年1月19日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/32865
年末に日本銀行が実質利上げを行なったことで、2013年のアベノミクス以来の金融緩和政策が危機に瀕している。
実質利上げをしている黒田総裁自身は、記者会見で自分は金融緩和を続けているという意味不明な供述を続けているが、今度は政府の側から金融緩和の終了に言及する声が上がっている。
円安とインフレ
日銀は12月20日の金融政策決定会合で実質利上げを決めた。
日銀がYCC変更で長期金利の上昇を許容、日本も金利上昇による景気後退へ (2022/12/20)
日銀が利上げに踏み切らなければならなかったのは、日本のインフレ率が急上昇しているからである。12月の東京都区部の速報値ではインフレ率は遂に4.0%まで上がっており、しかもこの数字は9月以降どんどん加速している。
その一因は明らかに日銀の緩和によってもたらされた円安である。インフレが問題となる中でインフレを目指す日銀の量的緩和によって、2022年の為替相場では日本円はドルやユーロどころかインドネシアルピアなどよりも弱い最弱通貨の1つとなっていた。(※1/19誤りを訂正しました)
日本円が下がり、日本人から見てほとんどすべての外貨が上昇すると、当然ながら輸入品の価格が上がる。そもそも「インフレ政策」とはそれを目指す政策だったというのに、自民党の支持者たちは何が不満なのだろうか。
ハイエク: 緩やかなインフレが有益であるという幻想
インフレ政策を支持しながらインフレの意味を今年まで知らなかった彼らの卓越した頭脳はさておき、もうすぐ任期が終了する黒田氏は、「緩和には何の問題もなかった」という顔をして逃げ切りたかったのだろうが、最後の最後に利上げをやらされたのである。それが恐らくは、金利を上昇させながら「これは利上げではない」などという意味不明な黒田氏のコメントに繋がっていると思われる。
金融緩和を終わらせたい日本政府
その意図が恐らくは政府から来たのだろうということは、1月の会合後の西川経産相の発言から読み取れる。
世界経済フォーラム(通称ダボス会議)において、彼はまず次のように発言した。(Reutersの英語記事の直接引用からの翻訳である。)
政府の多様な政策によって日本のインフレは他国よりも緩やかなものに留まっている。
ちょっと笑ってしまうような奇妙な話である。自民党はインフレを抑制するような政策は一切行なっていない。例えば全国旅行支援である。
日本政府の全国旅行支援で宿泊予約殺到してホテル代値上がり
更に言えば、ガソリンに対する補助金は最悪の悪手であり、エネルギー資源が足りないからインフレが起きているのに、エネルギーの購入に補助金を出すことはまさに火に油を注ぐことに等しい。
サマーズ氏: ガソリンの価格高騰対策でインフレ悪化へ 現金給付の悪夢を人はもう忘れている
だが自民党の政治家の卓越した頭脳はマクロ経済学の常識など軽々と飛び越えてゆく。
そしてこういう人々が最初にやることは、自分を棚に上げてまず他人から批判することである。西村氏は次のように言う。
当然ながら、金融政策は将来正常化されなければならない。
投資が行われて賃金が上がり、経済が回り始めれば、金融緩和は将来停止させることが出来るだろう。そしてその段階に近づきつつある。
2013年のアベノミクス以来の日本政府としては異例の発言ではないか。こうした発言になった原因は、日本のインフレの状況である。
日本のCPI(消費者物価指数)のデータを見れば、日本のインフレ率の上昇ペースは危機的であり、このままではすぐにでも5%や6%に上がっていくだろう。
しかも円安による輸入物価の上昇が国内物価に波及している様子が見られ、ドル円が下がったとしても国内物価の方はそれだけでは下がってくれないだろう。
だから黒田氏は逃げ出せば良いかもしれないが、日本政府の方はこのままでは物価が高騰し国民に責められる。インフレ政策を有権者も支持したではないかという突っ込みは正論なのだが、馬鹿に正論は通用しない。
ここでは何度も言っているが、インフレとは物価上昇という意味である。それ以外の意味はない。インフレ政策はそれを目指してきたのである。その理由については以下の記事で解説している。
利上げで預金者はインフレから資産防衛できるにもかかわらず日銀が利上げを行わない理由
2023年は利上げの年に
よって2023年は日本にとって利上げの年となるだろう。それが投資家にとってどういう意味を持つかと言えば、まずはドル円の下落である。
去年はドル高かつ円安の年だったが、アメリカと日本の両方でそのトレンドがひっくり返り、今年はドル安かつ円高の年になりそうだ。アメリカ側の事情については以下の記事を参考にしてもらいたい。
日銀の長期金利の実質利上げを受けてドル円の空売りを開始
そして日本株については、以下の記事で纏めてある。
2023年の日経平均の推移予想: ドル円下落と金利上昇で二重苦に (2023/1/4)
だがその後のインフレ統計や日本政府の発言を見ていると、2023年には黒田総裁の退任後に新総裁のもとで連続利上げが行われる可能性がある。
今年の株式市場は、アメリカでは金利の低下が始まっており、去年の利上げ効果による企業利益の減少と金利低下による浮揚効果が相殺し合う状況になるとここでは説明してきた。
だが日本が世界的な景気後退のもとで連続利上げを行うならば、企業利益の減少と日本の長期金利の急上昇という状況のもとで、日本株はかなり急激な下落相場になるだろう。日経平均は現状では次のように推移している。
結論
ということで、新体制の日銀が連続利上げに踏み切れば、ドル円と日経平均は仲良く暴落してゆくだろう。
だが金利を上げなければ日本は恐らくアメリカやヨーロッパ並みの物価高騰に突入してゆく。欧米の物価高騰が地獄絵図であることは、以下の記事などで紹介してきた。
ドイツの政治家、カーボンニュートラルのために風呂に入らないことを推奨
EU、食料価格高騰の最中、代替食品としてトノサマバッタを推奨
自民党が国民の生活を慮って本気でインフレ退治をするかどうかはかなり怪しいところだが、少なくとも多少の利上げは強いられることになるだろう。
そこで問題となるのは、コロナ後に大流行りしたつみたてNISAなどの、金融の専門家から見て何の根拠もないギャンブル的な素人投資法である。
「株式の長期投資はほぼ儲かる」という幻想は金融庁の「基礎から学べる金融ガイド」から来た
金融庁などは高校生にまで日本株や海外株のETFなどを買うことを推奨してきたから、それに乗せられて投資をした人のポートフォリオは日本株や海外株のETFで構成されているだろう。
だが2023年、彼らのポートフォリオはどうなるか。 日本政府が主導する利上げによって日本株は死に、海外株はドル円の下落によって価値が大幅に毀損することになるだろう。
何度も言っているが、何故彼らはわざわざこのタイミングで投資を奨めたのか。しかも単に投資理論が間違っていただけではなく、日本政府自身が国民のNISA口座にそうした商品を放り込み、その後でそれらの価値を暴落させようとしている。
この件については何度も語ったので、ここまでにしておこう。詳しい議論が知りたい人は以下の記事を参考にしてほしい。
「株式投資は長期的にはほぼ儲かる」という主張が完全に間違っている理由
だが、他人に買わせた投資商品の価値を意図的に下落させることは、控え目に評価しても詐欺である。
岸田首相にはその才能がある。還付金詐欺などを本業にするタイプのプロの方々は、是非お上の優れたやり方を学ばせてもらうと良いだろう。これこそが本物である。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/32865
参考
宮田直彦 エリオット波動レポート - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AE%AE%E7%94%B0%E7%9B%B4%E5%BD%A6+%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E6%B3%A2%E5%8B%95&sp=CAI%253D
エリオット波動・宮田レポート(短期アップデート)
https://www.m2j.co.jp/market/report/20525/list
エリオット波動でみると日経平均は2050年まで上昇 _ 宮田直彦 日本株はもうすぐ大暴騰する
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14031612
エリオット波動 宮田直彦 半導体株の出直り期待と日経平均の強気保ち合い
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14056708
2023/01/20 (Fri) 08:21:15
同じエリオット波動でも日本エリオット波動研究所は、宮田直彦さんとは反対に、今年からの日経平均株価の大暴落を予測しています:
一般社団法人 日本エリオット波動研究所
https://jewri.org/
日経平均1年間のカウントの振り返りとナスダック100とS&P500の進行想定/有川和幸さん【キラメキの発想 12月19日】 | 一般社団法人 日本エリオット波動研究所
https://www.youtube.com/watch?v=MGFhLQnPOf4
https://jewri.org/news/news-3333/
エリオット 波動
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/591.html
2023/01/20 (Fri) 18:12:51
為替については
一般社団法人 日本エリオット波動研究所
https://jewri.org/
エリオット波動原理から見たドル円と日経平均/有川和幸さん【キラメキの発想 9月12日】 | 一般社団法人 日本エリオット波動研究所
https://www.youtube.com/watch?v=0I_beldwtXE&t=119s
https://jewri.org/news/news-3250/
2023/06/05 (Mon) 15:05:43
米国が没落し日本が繁栄する「転換期」 5大総合商社をまとめ買い、バフェット氏が示した日本の可能性 国際投資アナリスト大原浩氏が緊急寄稿1/2ページ
2023.6/5
大原浩
https://www.zakzak.co.jp/article/20230605-47RH2AV3EBJU5LYAJFBTH577NE/
市場が混乱を懸念した米国の「債務上限問題」は回避されたが、米国が抱えている問題はそれだけではないと指摘するのは国際投資アナリストの大原浩氏だ。緊急寄稿で大原氏は、米国が「没落」していくのと対照的に、日本は「繁栄」に向かう転換点が来ているとの見方を示す。
米国では大統領選以来続く政治的混乱、インフレに対抗するための急速な利上げの副作用、金融機関の経営不安問題などがめじろ押しだが、本質的原因は、1971年のニクソン・ショック(金・ドル交換停止)にさかのぼる。金やその他の資産の裏付けがない、いわゆる「ペーパーマネー」を野放図に刷ってきた結果、ドルの価値が大幅に下落したのだ。
また、「借金をして自社株買い」をしたり、「(事業活動という中身がない)箱だけの会社」(SPAC=特別買収目的会社)が上場し、まだ何も活動をしていないのに巨額の資金を集めてきた。
これも、ぺーパーマネーがいくらでも刷れることから、「過大な金融緩和」が行われた結果だ。
その結果として生じたインフレに対抗するために米連邦準備制度理事会(FRB)のパウエル議長が大胆かつ急速な利上げを行った。それでもインフレの脅威は収まっておらず、「景気崖落ち」のリスクを背負いながらも、現状維持あるいは引き上げを行わざるを得ない状況である。
投資の神様と呼ばれるウォーレン・バフェット氏は、米国の将来に対して「万年強気」であることで有名だ。だが、そのバフェット氏が「シリコンバレー銀行をはじめとする金融機関の経営」を憂慮し、「米国経済の『信じられないような時期』が終わりつつある」との趣旨の発言をした。
バフェット氏の海外への本格的な投資は2003年の中国・ペトロチャイナが初めてだが、国際的な石油大手の中の一社として割安であるから購入した。電気自動車やバッテリーを製造するBYDも、創業経営者をバフェット氏や相棒のチャーリー・マンガー氏が高く評価したから購入したのであり、決して中国への投資ではない。台湾の半導体メーカーTSMCは有望な企業だが、いわゆる「地政学リスク」の問題から購入直後に売却したと明言している。
それに対して、日本の5大総合商社の株式の購入は、明らかに「日本そのもの」を購入した事例だ。総合商社は日本の産業の川上から川下までを網羅しており、日本の将来に自信を持てなければ到底購入に踏み切れないからである。5大総合商社を「まとめ買い」したことも日本の将来に対する信頼の表れであろう。
バフェット氏はさらなる「日本企業」への投資の可能性を示唆している。個別企業ではなく、「国単位」での投資の可能性に言及するのは、母国である米国以外では初めてのことだ。バフェット氏は現在92歳だが、20~30年単位で投資判断を行うのが基本だ。彼が120歳になるまで日本は成長を続けるとの自信があると思われる。
1990年頃のバブル崩壊後「日本は駄目だ」と繰り返し洗脳され日本人は自信を失っているが、約30年ぶりに日本と米国の立場が逆転し、米国が没落し、日本が繁栄へと向かう転換点がすでにやってきているのではないだろうか。
そもそも、日本の「失われた○○年」の原因は、直輸入の米国型経営を無理やり風土が違う日本に当てはめようとしたことにある。今後日本が発展していく中で日本型(経営)の「本当の価値」が脚光を浴びることになる。われわれも、この30年ぶりのトレンドの「大転換」に乗り遅れないようにしたいものだ。
2023/06/06 (Tue) 09:04:42
日経平均がバブル後高値なのに、あなたの株はなぜ上がらない?
つばめ投資顧問の長期投資大学
2023/06/05
https://www.youtube.com/watch?v=6sRsTAS-PTo&t=20s
日経平均株価がバブル後高値 を更新 しています。一方で、自分の株だけ上がらないと感じている人は多いのではないでしょうか?その理由と今後の方針を考えます。