777投稿集 2422879


近親相姦タブーを扱った パゾリーニ『アポロンの地獄 Edipo Re』1967年

1:777 :

2022/05/24 (Tue) 05:11:09

近親相姦タブーを扱った パゾリーニ『アポロンの地獄 Edipo Re』1967年

監督 ピエル・パオロ・パゾリーニ
脚本 ピエル・パオロ・パゾリーニ
原作 ソポクレス『オイディプス王』
音楽 ピエル・パオロ・パゾリーニ
撮影 ジュゼッペ・ルッツォリーニ(イタリア語版)ピエル・パオロ・パゾリーニ
公開 1967年9月3日

動画
https://www.youtube.com/watch?v=iT8xtiMQYy8
https://www.youtube.com/results?search_query=Pasolini+++Edipo+Re

設定→字幕→自動翻訳→日本語 で日本語字幕が出ます  


『アポロンの地獄』(伊: Edipo Re、英: Oedipus Rex)は、1967年のイタリア・モロッコのドラマ映画。監督・脚本はピエル・パオロ・パゾリーニ、出演はフランコ・チッティ(イタリア語版)とシルヴァーナ・マンガーノなど。

ソポクレスによる悲劇『オイディプス王』を原作とし、原題もそのままイタリア語で『Edipo Re』であるが、日本語タイトルは全く無関係のものになっている。


ストーリー

表向きはオイディプス王の物語の映画化であり、その特徴は『奇跡の丘』で提示された、厳しい自然主義である。ソポクレス作品が王となったオイディプスを時の中心とし、災禍が下ったテーバイでアポロンの神託により国から除かねばならないとされた災いの原因をもとめるオイディプスに対して、次々となされる証言や告白によって、誰も知らなかった過去の真実が次第に暴かれて行く形をとるのに対し、映画では全場面が過去から未来へ、時間に従って展開される。

映画はパゾリーニの故郷である現代のボローニャから始まる。母親が出産し、子供が成長したのち、両親の寝所を覗き見たところから突如場面が転換しオイディプスの物語が始まる。オイディプスの物語が終わるとまた現代のボローニャに戻り映画が幕を閉じる。本作の真の姿は著名な作品であるオイディプス王に形を借りたパゾリーニ自身の物語である[要出典]。


キャスト

オイディプス: フランコ・チッティ(イタリア語版)
イオカステ: シルヴァーナ・マンガーノ - オイディプスの実母。テーバイの王妃。
メロペ: アリダ・ヴァリ - オイディプスの養母。コリントスの王妃。
テイレシアス: ジュリアン・ベック(英語版) - 盲目の予言者。
クレオン: カルメロ・ベネ(イタリア語版) - テーバイの摂政。イオカステの実弟。
アンゲロス: ニネット・ダヴォリ(イタリア語版) - テーバイの伝令。
ライオス: ルチアーノ・バルトーリ(イタリア語版) - オイディプスの実父。テーバイの国王。
ポリュボス: アーメッド・ベルハクミ - オイディプスの養父。コリントスの国王。
ライオスの従者: フランチェスコ・レオネッティ(イタリア語版) - 赤ん坊のオイディプスを殺すように命じられた男。
羊飼い: ジャンドメニコ・ダヴォリ - 赤ん坊のオイディプスを拾った男。コリントスからの使者。
司祭: イヴァン・スクラトゥリア(イタリア語版)
大祭司: ピエル・パオロ・パゾリーニ


音楽
モーツァルト弦楽四重奏曲第19番ハ長調「不協和音」第一楽章冒頭
日本の神楽

撮影
メインの場面はモロッコで、プロローグとエピローグはイタリアで撮影された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%9C%B0%E7%8D%84
2:777 :

2022/05/24 (Tue) 05:32:07

心理学講座「エディプス/エレクトラコンプレックス」 | 精神分析基礎1より


女児が父親に強い性的愛着を感じ,母親に嫉妬するのは「エレクトラコンプレックス」と呼ばれる。

男児の場合は,愛情の対象が母親のまま変化しないが,女児の場合は,はじめ母親に向けていた愛情がこの時に父親に移る。

女児は自分にペニスがないことを発見し,男児と比べて劣っていると感じる。(ペニスは力の象徴) 

ペニスがないのは母親も同じであることを知って失望し,自分もペニスを持ちたいと願う。(男根羨望)

男児の場合は去勢不安からエディプスコンプレックスが終結するのに対し,女児の場合は男根羨望からエレクトラコンプレックスが生起する点で大きな違いがある。
http://x51.org/x/04/04/2928.php


エディプスコンプレックスには批判も多く、有名なものとしては


「それは外向的な人間に限ったもので内向的な人間においてはそれに限らない」


というカール・グスタフ・ユングの批判がある。

実際、エディプスコンプレックス理論は父性的な社会である西欧ではよく利用される理論であったが、母性的な社会である日本ではさほど感覚的に合わなかった。

また、エディプスコンプレックスは父親が強いという事が前提であり、ブロニスワフ・マリノフスキの「母権性社会」の話は、こういった事の反証として用いられる。

多くの学者が指摘しているが、強い近親相姦的欲望が多くの人にあるとフロイトが主張したのは、フロイト自身が母親との近親相姦的願望と父親への憎悪を自己分析によって発見したという点も見逃せない。

シングルマザーやワーキングマザーが多くなり、父親不在となった現代の社会では、エディプスコンプレックスの存在に懐疑を抱くようになった者も多い。

1980年代にはアメリカで記憶論争が相次いだ。

両親に性的被害を受けたなどの訴えが中心であり、フロイトの無意識の理論を忠実に掘り起こして行った問題の出来事と言われた。

1980年頃にアメリカでは、催眠などを用いた回復記憶セラピーにより、偽りの性的虐待の記憶(虚偽記憶/false memory)を植え付けられ、家族関係が崩壊し、それに加えて甚大な精神的苦痛を受けたとして、多くのセラピストやカウンセラーが訴えられ敗訴した。

これは精神分析への批判というよりも、フロイトの初期の理論を援用したある種の心理療法への批判である。

この時にもエディプスコンプレックスは実際の近親相姦などと比較されたが、患者の訴えと違い、実際にそのようなことが行われている例は少なかったと言われる。

しかし当時においては実際に多くの人が記憶回復によって、「性的な虐待をされた!」と親を非難したり、またそれによって家族が崩壊するような事が続発したため、精神分析自体に対する批判へとつながった。

このように実際の事件においてエディプスコンプレックスや近親相姦を元にする考え方は危険視された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%97%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E5%88%86%E6%9E%90%E5%AD%A6#.E8.A8.98.E6.86.B6.E8.AB.96.E4.BA.89


過誤記憶

精神分析の創成期にフロイトは、ヒステリー患者の心的現実(mental reality)に着目したが、やがて近親姦の記憶などを訴えるクライエントが彼の予想をはるかに上回って増えてきたために、「こんなに近親姦が多いわけがない」とフロイトの中で理論の撤退が起こり、かつて彼が心的現実と呼んだものは幻想(fantasy)へと変化していった。

このプロセスと似たようなことが、1980年代以降のアメリカにおいて繰り返される。

家庭内暴力や近親姦の被害を訴えるクライエントたちに、一部のカウンセラーがアミタールなどの催眠系薬物を使用する催眠療法である回復記憶療法(RMT:Recovered Memory Therapy)を用いて、無意識の中から抑圧された記憶(Repressed Memory)を引き出し、意識の上に回復された記憶(Recovered Memory)として置きなおすことによって諸症状を治療しようと試みた。

1988年、エレン・バスとローラ・デイビスの共著『The Courage to Heal』(邦題『生きる勇気と癒す力』)のなかで、女性の原因不明の鬱は幼少期に受けた性的虐待の記憶を抑圧しているからである可能性が高いから、虐待されたと感じているなら虐待されていると主張するべきである、ということが述べられた。

これが発端となって、アメリカでは多くの女性クライエントが、引き出された記憶をもとに、加害者である家族(近親姦をおこなった父など)を被告に相手どって法廷闘争をくりひろげるようになる。

『Trauma and Recovery』(邦題『心的外傷と回復』)の著者として名高い精神科医ジュディス・ハーマン(Judith Herman)なども原告側の立場に立ったが、司法の場は彼女たちに冷たいとあるていど予見していた。

これに対して被告側の弁護に立った認知心理学者エリザベス・ロフタス(Elizabeth Loftus)が、「ショッピングモールの迷子」という実験をおこない、クライエントの訴える近親姦の記憶は、セラピストやカウンセラーが捏造した事件をクライエントに植え込んだものであると主張し、原告たちの一連の訴えを偽記憶症候群(にせきおくしょうこうぐん:FMS:False Memory Syndrome)と名づけた。

また、虐待加害者として訴えられた親たちも、このロフタスと連動して、症候群の名前に基づいて1992年、偽記憶症候群財団(FMSF:False Memory Syndrome Foundation)を設立し、財源的にも裁判を有利に闘っていく体勢をととのえた。

ロフタスの実験

実験「ショッピングモールの迷子」とは、家族から聞いたほんとうのエピソード3つに、ショッピングモールで迷子になったという虚偽のエピソードを1つ加えて、被験者がその4つともほんとうの話だと思い込むようになるかどうかを試すものである。

その結果、被験者の4分の1が、植え込まれた記憶もほんとうの自分の体験だと思い込んでいることを示した。

しかも、偽りであるはずの記憶は非常に詳細であり、のちにこれが偽りであった事を知らされた被験者たちは皆驚いたという。

この実験に基づいて、家族という密室で起こった虐待などの犯罪を、司法の場で追及しようとした原告たちは敗訴し、原告たちから抑圧された記憶を引き出したセラピストやカウンセラーは莫大な賠償金を払わされることになった。

また、これによって回復記憶療法も用いられなくなり、2000年までに完全に行なわれなくなってしまった。

現在の評価

法廷での実験のように、治療者がクライエントに捏造した事件を過去の外傷として植え込むことはできないとしても、クライエントが診察室で語ることすべてが、物証主義的観点から事実であるかといえば、そうではない。

限りある診察時間で治療者の理解を得ようとするあまり、自らが受けた被害を象徴化したり、簡略化したり、ときには拡大・誇張して述べることはあるであろう。
また、語っているうちに事件の脈絡を変えて、自分を気の毒な被害者として扱ってもらおうと努力することもあるであろう。

稀なケースとして、健忘(amnesia)の対極にある過剰記憶(hypermnesia)や作話(confabulation)が起こる場合もある。

しかし、これらは何ら、クライエントが過去に受けた外傷を「否定」するものではない。

むしろ、なぜ記憶の叙述に関して、そのクライエントがわざわざ労力を使って、それら誇張や作話を行なっているのかに、臨床的な関心は向けられるべきであるとされる。

もっとも、誇張や作話が行なわれるときには、クライエントの意識状態の変化や、神経系統の随伴症状が伴うので、臨床家がそれを見逃すことは現実的にあまりないが、それでもなお事実関係の審理は司法の仕事であって、臨床家は叙述の真偽を見極めるのが仕事ではない。

以上のような現在の評価がありながらも、前述したように回復記憶療法は停止されている。

外傷性のある出来事による記憶障害は精神障害の診断と統計の手引きのPTSDの診断マニュアルでは確認されるが、FMSのような症状は認められていない。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E8%AA%A4%E8%A8%98%E6%86%B6

今も生きるフロイトの影響


今も、アメリカには40位の精神分析医を養成する機関があるが、それ以外の一般社会では、フロイトは科学と言うより文学の人物として取り扱われている。

去年、ニューズウィークはある特集で、ダーウィンは今でも科学的妥当性を保っているのに対して、フロイトとカール・マルクスはその世紀は終わったと述べた。

フロイトの評価が最低にまで落ち込んだのは、多分1990年代の始めではないであろうか。

その当時、女性はテレビのトークショーに出て、子供時分に受けた性的虐待をしゃべったものだ。

子供時分の性的虐待とは、フロイト的手法により無意識から探り当てたものであったが、これがフロイトを窮地に陥れた。

このような場合、彼は何時も両方の立場支持するような言い方をする。

性的虐待をしたと非難を受けた親や兄弟の側に立つ人達は、フロイトが抑圧された性的虐待の記憶が神経症の原因になると言う、デタラメな理論を打ち立てたからとフロイトを非難した。

一方、性的虐待を受けた人達の側は、フロイトが臆病にも社会の圧力に負けて、幼児期の性的虐待の記憶は単なる子供時代の空想であると前言を翻したと非難した。

「フロイト派の精神分析医に女性を送るのはナチにユダヤ人を手渡すのとあまり違わない」

とグロリア・シュタイネム氏が当時言っていた。

フロイトの評価は未だ少しも改善していない。

抑圧された記憶をめぐる論争の結果、何十年も封印さえていたアメリカ議会図書館の中にある膨大なフロイトに関する文献が、専門家に公開された。

それにより、フロイトの嘘を裏付ける文献が次第に出てきている。

彼がしたとされる治療例の殆どが、希望的観測と意識的作り話の所産であり、彼の理論は循環論法の汚水溜めの上に成り立っているのが証明されつつあるのだ。

フロイトの理論を裏付ける為の、脳スキャンを含む各種の科学実験は、未だ始まったばかりであり、結果は出ていない。

「残念ながらフロイトが言った事は全て嘘であった。

こんな事を言うと裏切りになるが、エディプスコンプレックスからペニス願望、幼児期のセックス等、全てが間違っていた」

とフロイトの伝記を執筆しているピーター・クレイマー氏は言う。

一体どれほどの嘘曝露にフロイトは持ちこたえるであろうか。

シカゴ大学のジョナサン・リア-は、フロイト理論の中心コンセプトである、人間は基本的に葛藤していると言う考えが今の社会にも影響力を持っていると指摘する。

この葛藤は、欲望やら本能から出で来るものだから、水面下に隠されている。

欲望が親とのセックスを意味しているとは考えたく無いであろう。

何故なら我々はそんな欲望を認めるわけには行かないからである。

精神分析とは、この葛藤が何か別のシンボルの形を取って出現してきた時にそれを指摘して、解消するのが仕事であるとリアーは言う。

現在、精神分析用語は脳科学専門用語に取って代わられている。

例えば、エンドルフィンと言えば沈静を意味し、性急な人を”frontal”と呼ぶが如くで、ちなみにfrontalとは前頭前野皮質を意味し、衝動を抑える重要な脳の部分である。
http://saito-therapy.org/new_finding/freud_inour_midst.htm
3:777 :

2022/05/24 (Tue) 05:33:20

精神分析は死んだ


恐らく歴史上の著名人でフロイトほど自分の言った事が全て誤りであった人物はいないであろう。 

フロイトファンにとっては1990年代は最も屈辱的な時代であった。

タイム誌はその表紙で「フロイトは死んだか」と大見出しを掲げた。

以前精神分析の本拠地であった”ニューヨーク書評”でさえフロイトを単なる思想家と酷評した。

1990年代はフロイト戦争の時代であり、精神分析運動の終焉でもあった。

2000年はどうなったか。

2000年はフロイトの”夢分析”が出版されてから100周年にあたり、フロイト派の人には勝利の年になるはずであったが、事実は祝賀どころか敗北であり葬式となった。

だから精神分析は21世紀になる前に終わっていたのであり、このタイム誌の問いかけに対する答えは

「そう、精神分析は実際に死んだ」

なのである。

知識人の中に莫大なお金と時間を使い、エゴ追求に身を費やした人が沢山いた。

これだけの努力を費やすと、おいそれと精神分析から身を引けない。

何故なら彼らは精神分析やその本の出版で名声を得ているからである。

今までに精神分析関連の膨大な書籍が出版され批評、論評、レクチャーも行われた。

しかしどれ一つとしてフロイトの限界を指摘したものは無い。

もちろんフロイト支持者も精神分析を止める気持ちは毛頭無いから、フロイト産業はそのまま生存し続けた。

フロイトは彼独特の世界にいる。

恐らく歴史の中で彼ほど自分の言った事の全てが間違っていたのは彼を置いていないはずである。

彼に幸いであったのは、精神分析の専門家が今もってフロイトの間違いを取り繕おうとしている事である。

しかし門外漢である一般読者は既にフロイトの築き上げた壮大な嘘に驚愕しているのだ。

フロイトの間違いの中で、20世紀中には分らなかったが21世紀には発見できるのは何であろうか。

フロイトは明らかに事実をでっちあげている。

例えば彼のコカイン使用を擁護する態度とその変遷や、患者アンナOに関する日和見主義的意見、誘惑理論に関する考え方の急変、彼の患者について語る時に毎回言っている事が変わる事実等、枚挙にいとまが無い。

例えばフロイトの患者の1人である狼男ことセルギウス・パンケジェフを調べると良い。

フロイトは彼を治したことにしているが、実際は彼はその後も60年間、精神分析を繰り返している。

当然ながらパンケジェフはフロイトに人生を駄目にさせられたと言っている。


又、フロイトは”暗示”を頻繁に言うがその割には暗示を真剣に扱って無い。

それ故に彼の臨床の報告の信憑世が怪しくなり、結果的に彼の理論を疑わしいものにした。

1890年の時点で既にこの”暗示”が多くの人に疑われていた。

暗示とは彼にとって都合の良い言葉であるが、暗示を受けるのはその体質的傾向がある人だけであり、彼の考えはおかしい。

このような疑いが既に存在していたにも関わらず、フロイトの言葉巧みな否定とその後の彼の名声の前に埋もれてしまった。

そして今、我々はもう一度出発点に戻った。

もう我々は過去の記憶だとか自由連想などを信用しない。大体こんなものは心理分析医と患者の馴れ合いの合作なのである。

そしてもう一つ、無意識理論がある。

無意識はフロイト全盛期には頻繁に使われた言葉でありフロイトが発見した事になっているが、これは嘘だ。

彼を溯る事かなり前に無意識が既に語られている。

キリスト教徒に乗り移った悪魔、分裂を引き起こす催眠術、18~19世紀の二重、三重人格者、ビクトリア時代の文学作品に取り入れられた「二重」テーマ、今日ではくだらないハリウッドの映画の筋書きにあるいは心理療法にと皆無意識が取り上げられている。

この一連の流れを見ると、精神分析の霊媒(この場合は牧師、分析家、あるいは怪しい医者)が無意識を調べて心の暗い秘密の部分に到達できると主張しているのが分る。

そうだろう、貴重な代価を払えば我々の心の悪魔を追い出してくれるかも知れない。

しかし精神分析による治癒なんて言うものは悪魔払いの祈祷と大して違わなく、無意識世界と言う不確かな実体を信じ込む作業に過ぎない。

信じるの信じないのと言う議論になると、それは又暗示の世界に戻る。

現在での暗示効果は医療で良く使うプラセボ(偽薬)でありそれ以上のものでは無い。

しかし精神分析はカルトのようなものだから、人間の被暗示性を治療の為に利用するべきと強く我々に迫る。

カール・クラウスが随分前に述べているように、精神分析とは心の病を治すと言いながら、実際はそれ自身が毒になっている。

言わば欧米の魂を女性の男性器願望、エディプスコンプレックス、死の衝動等で汚染したのは精神分析そのものなのである。

このような精神分析流の考え方は何処かにあったものでは無いし、世界で何処にも存在しない。

正にフロイトの創作であった。
http://saito-therapy.org/new_finding/psychoanalysis_dead.htm

まあ、エディプスコンプレックスはデタラメだったけど、近親相姦の話は殆ど本当だと考えた方がいいですね。
4:777 :

2022/05/24 (Tue) 05:34:15

フロイト理論は現代ではその殆どが否定されている様ですが、エディプス・コンプレックスに近い心理があるというのも事実です:
8日、高校1年の少年(17)が千葉県市川市の自宅で土木作業員の父親(54)を刺したとして、千葉県警行徳署に殺人未遂の現行犯で逮捕された。

父親は病院に搬送されたが死亡した。容疑を殺人容疑に切り替えて動機などを追及しているが、少年は「引きこもりを打開しようとして刺した」などと供述している。

 調べによると、少年は8日午前6時15分ごろ、市川市欠真間の自宅の台所付近で、父親を殺害しようと包丁で背中を刺した疑い。

少年は同17分ごろ自ら119番し「父の背中を包丁で刺した」と通報した。通報を受け救急隊員に同行した行徳署員が殺人未遂の現行犯で少年を逮捕した。父親は病院に搬送されたが、午前7時26分に死亡。司法解剖して死因を調べる。

 少年は父親が出勤前に台所で顔を洗っていたところを、自宅にあった包丁で背後から突き刺したとみている。

また動機について、少年は「自分は引きこもりがちで、この状況を打開しようとしてオヤジを刺した」と供述していることから、少年の最近の生活状態を詳しく調べている。

 同署によると少年は父親の次男。3人きょうだいの一番下で、両親が離婚した8年前から母、兄、姉とは別に、父子2人で賃貸アパートに暮らしていた。同署員が駆け付けたとき、少年は倒れた父親の傍らに震えながら立っていたという。


________

トーテム饗宴

ある日のこと、追放された兄弟たちが力をあわせ、父親を殺してその肉を食べてしまい、こうして父群にピリオドをうつにいたった。

彼らは団結することによって、一人ひとりではどうしても不可能であったことをあえてすることになり、ついにこれを実現してしまう。

〔��〕暴力的な父は、兄弟のだれにとっても羨望と恐怖をともなう模範であった。

そこで彼らは喰ってしまうという行為によって、父との一体化をなしとげたのである。

父の強さの一部をそれぞれが物にしたわけである。

おそらく人類最初の祭事であるトーテム饗宴は、この記憶すべき犯罪行為の反復であり、記念祭なのであろう。

そしてこの犯罪行為から社会組織、道徳的制約、宗教など多くのものが始まったのである
http://www.shosbar.com/works/crit.essays/kotaihassei.html


トーテム動物はフロイトによれば「高められた父」である。

ところがフロイトはトーテミズム社会においてトーテム的饗宴ではトーテム動物を儀礼的に殺して食べるという事を想定していた。

フロイトによればトーテム動物を殺すという強迫行為には二重性がある。

欲動(父を殺したいというエディプス・コンブレックス)を抑圧すると同時に部分的に実現するという二重性が隠されているのだ。

部分的に、というのは本物の父親は殺せないという抑圧はあるが、代わりに「高められた父」としてのトーテム動物を殺せるという事だ。

だからトーテム動物を殺して食べる機会を例外的に設ける事は、父を殺した事への後悔と、「高められた父」と同一化したいという二重の気持ちを示す。
http://sun.ap.teacup.com/berlinparis/64.html


要するに、実際に父親を殺さなくても良い様に父殺しの儀式を行って,代理満足を得させるのが宗教の目的だという考え方ですね:


________

未開社会には、贈与の義務あるいは互酬的な諸制度がある。

それは共同体の形成と維持を目的とするものである。

しかし、それが、なぜいかにして共同体の「至上命令」として出てくるのか。

この疑問に正面から挑んだのは、フロイトだけである(『トーテムとタブー』(1912年))。


私の考えでは、フロイトが考えたのはトーテミズムの起源というよりもむしろ、未開社会における「兄弟同盟」、つまり、「兄弟同盟のすべての構成員に平等の権利を認め、彼らのあいだにおける暴力的な競争への傾向を阻止する掟」がいかにして形成されたのか、ということである。


 フロイトはその原因を息子たちによる「原父殺し」という出来事に見いだそうとした。

むろん、これはエディプス・コンプレクスという精神分析の概念を人類史に適用するものである。

しかし、彼は当時の学者の主要な意見を参照し、特に、ダーウィン、アトキンス、ロバートソン・スミスらの理論を借用している。

それらがどのようなものかを、フロイト自身の言葉で示そう。


 ダーウィンからは、

人類が原初、小さな群族を作って生活していて、

その群族のそれぞれが比較的年齢の高い男性原人の暴力的支配下にあり、

彼はすべての女を独占し、

若い男性原人たちを彼の息子たちも含めて鎮圧し、懲罰を加え、あるいは殺害して、排除してしまった、

との仮説を借用した。

アトキンソンからは、以上のような記述に続くかたちで、


この父権制が、父に抗して団結し、父を圧倒し、これを殺害して皆で喰い尽くしてしまった息子たちの謀叛によって終焉に至った、

との仮説を借用した。


そして、さらに私は、ロバートソン・スミスのトーテム理論に従って、父殺害の後、父のものであった群族がトーテミズム的兄弟同盟のものになったと考えた。


 勝ち誇った兄弟たちは、実のところ女たちが欲しくて父を打ち殺したのではあるが、互いに平和に生活するために女たちに手を出すのを断念し、族外婚の掟を自分たちに課した。


父の権力は打ち砕かれ、家族は母権に沿って組織化された。

しかし、父に対する息子たちの両価的な感情の構えは、その後のさらなる発展の全経過に力を及ぼし続けた。

父の代わりに特定の動物がトーテムとして据え置かれた。

この動物は父祖であり、守護霊であるとされ、傷つけたり殺したりしてはならぬものとされたが、しかし年に一度、男性原人たちの共同体構成員全員が饗宴を開くために集まり、ふだんは崇拝されていたトーテム動物は饗宴のなかでずたずたに引き裂かれ、彼ら全員によって喰い尽くされた。


この饗宴への参加を拒むことは、誰であっても許されなかった。

これは父殺害の厳粛な反復だったのであり、この反復とともに社会秩序も道徳律も宗教も生まれたのである。
(『モーゼという男と一神教』p165、「フロイト全集」22巻、岩波書店)

 
 今日の人類学者はこのような理論を斥けている。

古代に「原父」のようなものは存在しない。

実際、フロイトがいうような原父はゴリラ社会の雄に似たものというより、むしろ、専制的な王権国家が成立したのちの王や家父長の姿を、氏族社会以前に投射したものだというべきである。

だが、そのようにいうことで、フロイトがいう「原父殺し」の意義が消え去ることはない。

 くりかえすと、フロイトは、氏族社会の「兄弟同盟」システムがなぜいかにして維持されているのかを問うたのである。

私の考えでは、それは、氏族社会が国家に転化しないのはなぜかを問うことにほかならない。

理由は、国家=専制的な父の生成をたえず阻止するシステムがあるからだ。

いいかえれば、氏族社会が「原父殺し」をたえず反復しているからだ。

それは、トーテムにかぎらず、さまざまな互酬性の実践において反復されている。

国家の生成を妨げるかぎりで、戦争もその一つである。

つまり、「原父殺し」は経験的に存在しないにもかかわらず、互酬性によって作られる構造を支えているのである。

それは事後的に遡及的に見いだされる原因である。

ゆえに、「原父殺し」という考えは、太古にそのような原父はいないからといって斥けられるものではない。

 私の考えでは、独占的・専制的であったのは、原父ではなく、共同体所有そのものである。

具体的にいうと、漂泊的小バンドでは、すべての生産物が平等に再分配された。

定住ないし準定住の結果、バンドの間で恒常的に交通する事態が生じたとき、そのような共同体所有は部分的に否定されなければならなくなる。

共同体所有を断念して他の共同体に贈与するのである。

これはフロイトがいう「原父殺し」である。

しかし、贈与されたものは、他者に対する「力」をもつ。

それが他者の敵意を抑え込む。

こうして、贈与の互酬によって、環節的・成層的な共同体が形成されるようになる。フロイトがいう「兄弟同盟」は、そのようなものである。


 氏族社会に存する「平等主義」は強力である。

それは富や権力の偏在や格差を許さない。

それは強迫的なものである。

では、なぜそうなのか。

これは、各人の嫉妬などから説明することはできないし、復古主義的な願望から説明することもできない。

フロイトは、平等主義のこの強迫性を、「抑圧されたものの回帰」から説明した。

つまり、一度抑圧され忘却されたものが回帰してくるとき、それはたんなる想起ではなく、強迫的なものとなるのだ。

 われわれは「抑圧されたものの回帰」の例を、氏族社会よりもむしろ、氏族社会が国家と貨幣経済によって完全に解体され忘却された後に見出すことができる。

それは普遍宗教である。


いうまでもなく、それについても、フロイトは『モーゼと一神教』で論じている。


フロイトの仮説の中で重要なのは、モーゼに率いられてエジプトを脱出し砂漠を放浪した人々が緑豊かなカナンに入る手前で、モーゼを殺したというものである。


モーゼが砂漠にとどまることを命じたからだ。

だが、殺されたモーゼは、カナンの文明の発展の中で、預言者を通して「モーゼの神」として戻ってくる、とフロイトは考えた。

いうまでもなく、これは『トーテムとタブー』で書かれた「原父殺し」の再現である。

しかし、実際には、フロイトは、むしろ普遍宗教の問題から、原始時代の「原父殺し」に遡行したのである。


 フロイトがいうことは、ユダヤ教やキリスト教に限定されるものではない。

普遍宗教はそれぞれ各地の世界帝国の下で、「抑圧されたものの回帰」として出現したのである。

 交換様式という観点からいえば、普遍宗教は交換様式BとCが支配的である世界帝国の下で、それによって抑圧された交換様式Aが高次の次元で回帰したもの、すなわち、交換様式Dである。

それは現実には存在しないものである。

とはいえ、人々の恣意的な願望や空想として出てくるのではない。

その逆に、人を強いる「力」、倫理的な至上命令として出てくるのだ。
http://web.nagaike-lecture.com/?page=1
5:777 :

2022/05/24 (Tue) 05:35:14

ヒステリーと精神分析は切っても切れない仲にある。
精神分析はフロイトとヒステリーとの出合いによって誕生したものだと言ってよいだろうし、また、フロイト自身もヒステリーであったということを考え合わせると、まさに精神分析はその生い立ちからして、ヒステリーの中から生まれたヒステリーのもの(of the hysteria)なのである。

ではその誕生の経過を少し辿って見よう。


*シャルコー

フロイトは1885年10月から1886年の2月までの5カ月の間、パリのシャルコーのいるサルペトリエール病院に留学する。

このときの経験はフロイトに大きな印象を与えた。

神経学者としてパリにやってきた彼は、シャルコーのヒステリーを扱う圧倒的な力量に感激し、自分も精神病理学に方向転換し、ヒステリーに携わることに直接興味を持ち始めたのであった。

シャルコーは有名な“火曜日のレッスン”で催眠術を用いて患者にヒステリー症状を出させたり、またそれを取り除いたりして見せたり、外傷ヒステリーの名で、それまで一般的に女性の病であると信じられていたヒステリーに男性ヒステリー患者の形があることを症例提示によって示したりして参加者たちを驚かせ、感嘆させ、また当惑させていたのであった。

フロイトはここで催眠下の無意識の状態において一つの思考が存在し、それが患者の症状を支配しているのだという可能性、そしてそれと共に、そこには性的なものが作用しているということを垣間見るのであった。

またヒステリーにおける身体麻痺は決して解剖学的な経路に従うのではなく、腕とか足という言語表象による身体イメージに従って生じるということも学んだ。

精神分析の誕生の発端となるこれらの考えも、シャルコーにおいては何の日の目も見ずに葬られ、新しいヒステリー理論が生まれることもなく終わってしまった。

彼の理論は器質的な観点から成り立っており、ヒステリーは遺伝的なものが支配するという考えを持っていたので、無意識の理論が発展する基盤は欠けていたし、性の問題にしてもそれが現実に病気の要因となっていることを暗に認めていても、当時のブルジョワ的考えに支配されていた彼にとってそれを正面から取り扱うことは不可能であった。

当時フランス医学界のボス、支配者の一人であったシャルコーは患者の応対にしても、一人一人を自分の部屋に呼び出してくるという態度で、結局、ヒステリーにたいして支配者的な立場に立ち、そこから患者を見るという「観察の臨床」から逃れることはできなかった。

彼は、それとは反対に、患者の前に赴き、ヒステリーの言葉に耳を傾け、それを真理として受けとるフロイトの「聴取の臨床」とは正反対の場所にとどまったのであった。

*ブロイヤーとアンナ・O


精神分析の誕生にあたり、フロイトとヒステリーとの結び付きをとりなしてくれたもう一人の師は、フロイトより14歳年長で、フロイトにヒステリーの催眠治療の手解きを与えたブロイヤーであった。

彼は有名なアンナ・Oとの治療を催眠を使って1880年から1882年までおこない、その結果を、ブロイヤーと交友のあったフロイトに知らせたのであったが、フロイトはあまり大きな反応は見せなかった。

シャルコーのところに行って、彼のヒステリーの扱いに目をみはったフロイトは、ブロイヤーによるアンナ・Oの治療の話をシャルコーに話して見るが、シャルコーは興味を見せなかったのであった。

シャルコーのところから帰って開業を始め、ヒステリーの治療に携わるにしたがってヒステリーにたいする興味がふくらみ、プロイヤーを説き伏せ再び彼にアンナ・Oの症例を持ち出させ、彼と共同で『ヒステリー研究』(1895年)を書き上げるのであった。


ウィーンに帰ってからフロイトは最初、催眠下における暗示によって治療を施していたのであったが、暗示は必ずしも有効ではないということが徐々に判明するようになり、少し違った方法を使うこととなった。

それは、ブロイヤーがアンナ・Oの治療の際に考案したもので、催眠下に暗示を与える代わりに、患者と会話を交わし、患者の考えていることを自由にしゃべらせて、患者の中に鬱積しているものを吐き出させ、患者の心の中にあるものを浄化しようというものである。

これはカタルシス法と呼ばれている。

カタルシス法はブロイヤーが考え出したというより、ブロイヤーがアンナ・Oから教えてもらったものだといったほうが正しいかもしれない。

彼女は「詩的で創造力の豊かな天賦の才能を持つと共に、鋭く、批判力を持った知性を持ち、この知性が簡単に暗示をかけることを妨げていたのであった」。


このような患者を前にしてブロイヤーはなす術を失っていたのだろう、結局、彼女の言うことをおとなしく聞くことしかできなかったのである。

彼女はそれを「talking cure」とか「煙突掃除」とかいう誠に正鵠を射た表現を使って表わすのだった。

『ヒステリー研究』のアンナ・Oの症例はカタルシス法によって彼女は病気から解放されたとなって終わっている。

しかしながら実際はまだ後日談が残っている。

ブロイヤーはアンナ・Oの治療を最後まで行ったわけではなく、あるとき突然治療を打ち切り、自分は妻と一緒にイタリアに旅行にでかけてしまったのであった。

なぜ彼はそのような行動を取ったのだろうか。


その答えはそれから50年後になってやっと明らかになる。

フロイトは当時偶然にブロイヤーの口から聞き、そのときは何を意味するものか把握できないままにあった言葉を半世紀後に思いだし、それが何を意味していたのかを理解するのであった。

それはこうである。

アンナ・Oの症状が一応治まったとき、彼女はブロイヤーに腹部の痙攣発作を訴えてこう言うのだった――


「ブロイヤー先生の子供が生まれるのですわ。」


これを聞いてプロイヤーは愕然とする。

彼女は想像妊娠の症候を示し、それもブロイヤーの子供だというのである。

彼女はブロイヤーが子供を欲しがっていることを知り、主体の欲望は他者の欲望であるというラカンの言葉どうり、自ら子供を持ちたいという欲望を抱き、それを想像妊娠という形で、愛する主治医に見せつけるのである。


これはアンナのブロイヤーに対する転移であるとともに、ブロイヤーも気がついていない彼のアンナへの対抗転移を表わすものでもあろう。

このような状況を前にどうしてよいか分からなくなったプロイヤーは患者をその場に放り投げて、逃げ出すのであった。

そして彼の妻はイタリア旅行中ブロイヤーの望むとおり子供を身籠もるのであった。


ブロイヤーの発見はまさに精神分析の誕生を準備する直接の第一歩であった。

彼が最後に逃げ出さず、自分の今やっていることは何を意味するのか、何が自分の目の前にあるのかを見とどけようとしていれば素晴らしいものが得られたであろう。

ブロイヤーは優秀で才能にも恵まれていた医師であったが、それ以上のものではなかった。

彼は因習的な考えに捕えられ、フロイトが言うように「ファウスト」的なものを持っていなかったのだ。

夢判断の扉に「天上の神々を動かしえざりば冥界を動かさむ」と記したフロイトのような大きく、自由な志は持っていなかったところが、この二人の医者の運命を大きく隔てることとなったのである。

*自由連想法


ブロイヤーと共同で著した『ヒステリー研究』はブロイヤーの扱った『アンナ・O』も入れて五つのヒステリーのケースが取り扱われており、彼女たちの治療を通して精神分析が生まれていった様子が生き生きと描かれている。

医学的にヒステリーを治療する時、治療者は、シャルコーがそうであったように、病気を治すための知をもって患者を診るという支配者の立場に立つのが通常であるが、『アンナ・O』のケースにおいてブロイヤーは医者という立場を一旦保留し、患者との談話の中で、患者が自ら健康を回復するのを待つという方法をとった。

これがカタルシス法として精神分析の自由連想の前身となったのである。

フロイトがブロイヤーのカタルシス法を初めて適用したのは、『ヒステリー研究』の最初の症例『エミー・フォン・N夫人』においてであった。

まだこの方法になれていないフロイトは、彼女にあれこれといろいろ尋ね回ったのであろう。

ある日、

「彼女はすっかり不機嫌になって、これはなんのためか、あれはなんに由来するのか、といつもいつも尋問するものではない。

こちらが言おうと思っていることをしゃべらせていただきたい」


とフロイトに苦情を言うのであった。

この一見、些細な出来事の中には、患者に頭に浮かんでくることを自由に語らせるという、精神分析の唯一の方法である自由連想法となって大きく実を結ぶものが含まれていたのである。


『エミー・フォン・N夫人』の治療においては、すべてがカタルシス療法で行われたわけではなく、フロイトは催眠中に暗示を与えて効果を得るという方法にも大きな助けを求めていた。

しかしながら、当時のフロイトはこのケースにおいて暗示というものに不信を抱くようになったのである。


「フォン・N夫人の夢遊状態を研究していた時に、初めて私はベルネームの『暗示の中にすべてがある』という命題の正しさ、および彼の聡明な知人デルブフの『どうして催眠術が存在しないか』という考え方に対して、重大な疑念を抱くようになった。

私が指を前に突きだして、一度だけ『お眠りなさい』と言うことが、患者の特殊な心理状態を作りだしたはずだ、しかもその状態における患者の記憶が心的体験をすべて包括していたなどということは、今でも理解できないところである。


この状態は私が呼びおこしたものかもしれないが、しかし私の暗示によって作り上げたものではない。

この状態の性格は、ともかく普遍妥当的であって、私をはなはだ驚かせたからである」。


このような疑惑が無意識の発見に結び付いたのであろう。

ここには精神分析誕生の胎動が聞こえてくるような調子がある。

精神分析が成立するのには、暗示との離別が必要不可欠なもので、ブロイヤーのカタルシス法はその第一歩であったのだ。

だが、それ以前にもフロイトは暗示について批判的な目を持っていた。

『集団心理学と自我の分析』の中でフロイトはこう言う


「このようにして暗示はまさにそれ以上還元できない根源的現象、人間の精神生活の根本事実である、とすぐにも主張されるかもしれない。

私が1889年にその驚くべき手腕をまのあたりに見たベルネームもそう考えていた。

だが、わたしはその当時でさえもこの暗示の専制にたいして、ぼんやりではあるが反対していたことを思い出すことができる……

私の抵抗はその後もつづいた。

そして万事を説明する暗示そのものは説明されるべきではないとする説に反対するという方向に向かった。

そしてこれについて私は、むかしのなぞなぞあそびを繰り返したものだ。


クリストフはキリストを背負い

キリストは全世界を背負った。

それなら、いってごらん。

クリストフはどこに足を据えたか」。


カタルシス法において患者との談話は催眠下で行われる。

そして、催眠術はまたひとつの暗示効果であるならば、暗示との離別の次の段階は催眠術の使用なしに患者と接して治療を進めることであろう。

患者によっては催眠が効かない場合もあるということを考慮にいれるとますますこの必要性は増大するのである。

この課題は次の『ミス・ルーシー・R』の症例で果たされる。

というのは、彼女には催眠術が効かず、フロイトは正常な状態のままで談話を、すなわち分析を行うことを余儀無くされたのであった。

そして、その結果は満足のいくものであった。

フロイトの最後の症例『エリザベート・フォン・R嬢』では最初から催眠術の助けを借りずに分析が始められ、自由連想による分析の基礎が完成した。

フロイトはこう言っている


「この症例は私が手掛けた最初の完全なヒステリーの分析であったが、このようにしてわたしは、のちに一つの治療法にまで高め、目的意識をもってそれを駆使するにいたった、一つの処置を発見することとなった」。

*精神分析の諸概念


『ヒステリー研究』には精神分析理論に重要な概念が、その十分な意味は展開されず、いまだに未熟のままではあるが、数多く含まれている。


その中のひとつは「父親」である。


父親はここでとりあげられている五つの症例の中の四つに共通する一つのキーワードであると言ってもよいだろう。

『アンナ・O』と『エエリザベート・フォン・R嬢』は父親の病気の看病をしていて病気になったのだし、

『カタリナ』は父親から受けた性的外傷がもとで病気になった。

『ミス・ルーシー・R』は雇主である主人への愛をめぐってヒステリーが生じたのであるから、これも一つの父親像として考えてみて良いであろう。


『ヒステリー研究』の中では、父親というものを分析における中心的な概念として取り扱うという問題意識はまだ生まれてはいないが、分析の誕生とともに父親というものがこのように大きな場所を占めているのは注目すべきである。

父親という概念は、もう少し後になって、フロイト自身の問題からエディプスがとりあげられるようになるための一つの布石になるのである。


その他の分析にとって重要な概念となるものをいくつか挙げてみると、


________


転移
 

ブロイヤーとアンナ・Oの間に生じた転移は精神分析の原動力となるもので、これを前に逃げだしたブロイヤーとは逆に、フロイトは後にこれを治療における一つの重要な要因であることを認めた。

分析は転移をうまく操作することが要求される。

転移とは、すでに分析誕生以前のアンナ・Oの症例でも問題になるほど分析では重要な概念で、まさに「始めに転移ありき」なのである。

_____


性 


ヒステリー研究においては性の問題はあまり大きく取り上げられてはいない。

その理由は、そこで取り扱われている患者が殆ど裕福なブルジョワ階級に所属しており、当時の彼女たちの道徳からして、性に関することに触れることは大変むつかしいことだったということに由来するのだろう。

ただ、カタリナの場合には、彼女は庶民的階層の出身であったからであろう、


病気の原因としての性的な外傷がはっきりと示されている。


のちにフロイトはヒステリーの一般的な病因は子供の頃の性的な外傷にあると考えるようになった。


_________

抑圧 


フロイトはここで病気は病原となる回想に結びついており、その回想が抑圧されたことから生じると考えたのであった。

カタリナとルーシー・Rにおいては抑圧は二つの系列の回想に結び付いていて、一つの系列のものがもう一つのものに遡及的な効果を及ぼして抑圧が起こり、症状が形成されるという、抑圧の遡及理論の萌芽も見られる。


________


無意識 


そもそも、催眠によって、意識上には昇ってこない過去の回想が再生され、それが病気を決定しているということから、そのまま無意識の概念が導き出されるであろう。

だが、無意識を形容詞的ではなく名詞的に使うフロイト的無意識の確立は第一局所論を待たなければならないのであった。

アンナ・Oの場合のように、ヒステリーの第二状態は無意識を考えるのに格好の症状であったであろう。


_______


*フリース

フロイトとヒステリーとの最初の出合いは、このように大変実りの多いものであった。

ここには、精神分析が成立するための殆どのものがあると言っても良いだろう。

しかし、まだ分析が分析として作動し始めたわけではない。

殆どのものと言ってもすべてではなく、やはり、何かが欠けているのである。

では、何がここに欠けているだろう。


それはエディプス理論、そして分析家である。


分析家になるための唯一の条件は、自分で分析を受け、自分自身の欲望を構成する主体的構造の糸を一つ一つ手繰っていく経験をしなければならない。

だが、フロイトは最初にやってきた分析家なのであるから、だれかほかの分析家に分析を受けるということは、当然、不可能であった。

それでも、一人の分析家が誕生したのである。

ここには、すべてのものごとの始まりにある、マルクスにおける本源的蓄積のように、ひとつのロジックに暴力を加えるような、出来事があったのである。


それはフロイトとフリースの出合いである。


シャルコーそしてブロイヤーとの出合いは、フロイトとヒステリーの結びつきの媒介となるものであったことはすでにのべた。

ところが、フリースとの出合いにおいては少し状況が変わって、彼はヒステリーではなくパラノイアであったことがこの二人の間の関係において決定的なものとなったのである。

フリースはフロイトよりも二歳年下の耳鼻咽喉医であったが、自分の職業を実践するに、一つの奇妙な理論を作りあげていた。


それは人間の周期性、両性具有性、鼻と性器の関係という三つの要素からなる、多分にパラノイア的な理論であった。


通常ならばこのような理論はあまりまともにはとりあげられないであろうが、ちょうどこの頃のフロイトの目には、それが真理として映ったのである。

その結果、フリースはフロイトにとって知を想定された主体の場に置かれ、分析で生じる関係と同じようなものが成立し、すなわち転移がうまれ、フリースに語りかけるという形をとって、フロイトはそこで自分の無意識の構造を捕えるという奇跡的な「自己分析」が可能となったのである。


このフロイトの「自己分析」においてもうひとつの重要な出来事は、フロイトの父ヤコブ・フロイトの死であろう。

父親の死によって、フロイトは自らのエディプスの存在にいやがおうでも目を向けさせられるようになるのである。

フリースとの「分析中」に起こった父の死は自分自身のファンタスムの構築を容易にし、その結果エディプスコンプレックスが作りあげられたのだと言ってもよいだろう。


ここにおいても、ヒステリー研究の諸症例と同じように、父親が重要な位置を占めているのがわかる。

それは、ほかでもなく、フロイト自身がヒステリーであったということに由来しているのである。

フリースとフロイトの出合いはパラノイアとヒステリーとの出合いであり、これがミシンの上のコウモリ傘のように不思議な光を放ったのである。


ヒステリーのための

精神分析はヒステリーのためにあると言ってよいだろうか。

分析的観点からすれば、主体的構造は、神経症、精神病、倒錯の三つに分類することができるが、一般的に倒錯は分析にはやって来ないものだし、フロイトは精神病は分析できないという立場を取っているので、結局、神経症だけが分析の対象として残る。

また、神経症は強迫神経症とヒステリーによって構成され、もちろんどちらも精神分析の対象であるが、フロイトによれば前者は後者の方言、つまり強迫神経症はヒステリーをひとつのローカルな言葉で表わすものとされるのであるから、精神分析はヒステリーのためにあるという命題は成立する。

では、ラカンにおいてはどうだろう。

ラカンの考えるヒステリーのディスクール においてヒステリーとは主体($)が代弁者の場に立つという構造で、ヒステリーとは主体に外ならず、分析のディスクール は分析家(a)が主体($)を相手とするという構造を取っていることは一目瞭然であるので、精神分析はヒステリーのためにあると言ってなんら異存はないであろう。

また、分析が成立するためには患者のヒステリー化がまず前提として必要である。


精神分析はヒステリーのためにあるとすれば、はたしてそれは精神分析の使命なのであろうか。

精神分析だけがヒステリーを扱うのであろうか。

では、精神医学の役割はどう考えれば良いのだろう。


精神医学とヒステリーは歴史的に深い関係にある。


*ヒステリーの歴史


ヒステリーについては紀元前2000年ごろから古代エジプトの記録に残されており、そこでは、ヒステリーは子宮が体内を移動することから生じ、それが身体の諸器官を刺激することからさまざまな症状が現れるのだとされていた。

その治療法は、子宮を元の位置に戻すことで、そのために悪臭を放つものをかがせて、子宮を上から追い下げると同時に、陰部の方に芳香の良いものを置き下に引き戻そうとする、今から考えるとまことに突拍子もないものであった。


この理論がギリシャのヒポクラテス(BC460-377)に受け継がれ、19世紀までこの説を支持していた医者が残っていたというほど長い間、西洋医学におけるヒステリーの考えを支配するのである。


子宮の移動をヒステリーの原因にするという考えには、ヒステリーを前に途方に暮れたであろう男性のファンタスムが多分に混ざっているのだろうが、それと同時に、ヒステリーの諸症状を心的、霊的もしくは神的なものと見なさず、体内の一つの器官という物理的なものに因を求めようとする合理的な理論化の努力は注目にし値する。


また子宮という性的なものとヒステリーを結び付けたことも興味深い。

これは性というものがまだタブー化されていなかったからであろう。


ヒステリーを問題にした古代の最後の重要な人物はガレヌス(131-201)である。

彼は小アジアに生まれ、ローマ皇帝の侍医として迎えられ、長い間医学界の権威であった。

解剖学に優れ、心身症について考えたのも彼である。


ヒステリーについては、その原因を性的な抑制にあるとし、また男性にもヒステリーがあることを認めた。

彼がヒステリーの子宮移動説を採らなかったのは、彼の解剖学の知識がそれを許さなかったのであろう。


キリスト教に支配された暗黒の時代、中世はヒステリーにとっても暗黒の時代であった。

宗教にとって病気の悪は道徳的な悪と同一な次元としてみなされ、善の敗北であって、この悪に打ち勝つのは信仰しかないのである。


こういった時代にはヒステリーは消滅し、そのかわりに悪魔憑き、魔女、またその逆の聖人がでてくるのである。


そしてジャンヌ・ダルクが犠牲になったような魔女裁判が治療に取って代わり、医者の代わりに僧侶、エクソシストが活躍する。


宗教的にヒステリーを悪きものとみなした中世においては、ヒステリーの対応に医者が介入する余地を取り上げるのであった。

だが、この考えは同時に悪魔憑きの現象を“精神病理”的に把握しようという傾向を後の時代に持ち込んだのであった。

シデンハムなどの医者は悪魔憑きを医学的に扱い、それが精神的異常をもたらす病気だという考えをもたらした。

またシデンハムはヒステリーをカメレオンのように限りなくその症状を変化させるものだということを認めた。


それに続く啓蒙時代にヒステリーと深い関係にあるものは、メスメリスムである。


それはドイツの医者メスメール(1734-1815)の考え出した治療法で、彼は自分の身体からは磁石の磁気にも匹敵する“動物性磁気”が発散していると信じ、それをおけに溜めて、万病の治療に使用できるような装置を開発した。

この装置は奇跡的に多くの病の治療に効果的で、それによって彼の名声は、一時的にではあったが、おおいに高まったのであった。

彼の「動物性磁気」による治療は、その当時あった磁石を使った治療から思いついたもので、もちろん物理的な実際の効果はなく、

その秘密は彼自身の持っていた特殊な暗示能力と、彼のところにきた患者の多くがヒステリーであったというところにある。

この時代にはまだ暗示というものが理論的に確立していず、ヒステリーの治療に効果のある暗示にたいしても、啓蒙時代に相応しい、科学的因果関係による説明が要求されたことから、それを磁石の磁気のように、物理的合理性を持ちながら離れた距離から作用するものが根拠として使われたのであった。

そして磁石の磁気から「動物性磁気」が想定されたのである(このような考え方はいつの世にも無くならないもので、現代においても磁気を使ったブレスレットの類いが氾濫しているのを見ればメスメリスムを一概に笑うわけにはいかないであろう)。

19世紀はヒステリーがもっとも自分の市民権を確立した時代である。

メスメリスムから催眠法が生れ、それはピュイセギュールとかラフォンテーヌによって引き継がれていった。

しかし彼等は医者ではなく医学界からはまともな扱いは受けなかった。

19世紀の半ば頃にイギリスの外科医ブレイドがこれに興味を示しその効力を実験した結果、実際に作用があることが確かめられ、徐々に医学界に認められていく。

フランスではリエボー、そしてベルネームが催眠法を用いてヒステリーの治療にあたり、ナンシー学派を形成する。

しかしヒステリーにとってこの時代の重大な出来事はシャルコー(1825-1882)の到来である。

37歳でサルペトリエールの医局長に就任した彼は、1870年に病院の制度の改革を機会に同病院の癲癇とヒステリー患者の責任者となり、このときからヒステリーとシャルコーの名前はしっかりと結び付けられるのである。

神経学者として優秀な業績をおさめたシャルコーは、ヒステリーに対しても実証科学的な方法をもって対処していこうとした。

彼にとってヒステリーは他の病気とおなじように一つの病気なのである。

こうして、彼はヒステリーに器質的な病因を求めようとしたのであったが、そのうちにヒステリーには何の器質的な欠陥もなくまた、何の理由もなく病気が治癒することがあることに気がついた。

そこでこの問題を解決するために催眠法に助けを求めたのであった。


だがシャルコーは自分の器質障害説をヒステリーにおいてもやはり捨てることができなかった。

催眠法によって自由に症状を生み出すことはできても、その奥にはやはり何か器質的なものを見ていたのだ。


彼の弟子ババンスキーはこの点において師の教義を変更しようとした。

ヒステリーが自由に催眠で生み出せるものならば、器質的なものとは何の関係もないのであって、患者はただ擬態によって症状を作り出しているにすぎない、と。

これは変更というよりも、より現実に沿うようにしたにすぎないのであるが。

シャルコーにとってヒステリーとは、

(1)発作、
(2)視野狭搾とか麻痺、感覚過敏などのヒステリーを特徴的に示す諸症状、(3)どのような器官的な障害も真似し得る神経的擬態、


からなっている。ババンスキーは結局、(2)のヒステリーに特徴的な症状を(3)ら来るもの、つまり擬態であるとするのである。


そして最終的に、ヒステリーを、何の実体もない、単なる患者の模倣から発生するものとした。

ヒステリーの病名そのものも、それが実体を持たないものだということから、廃止してしまい、そのかわりに、説得によって治るという意味の、ギリシャ語に由来する、ピティアティスムという病名を提案するのであった。

ババンスキーは、ヒステリーの症状が暗示によって左右されるものだということのみを強調して、そこに主体の分裂、すなわち無意識という壁があり、意識的な説得だけではヒステリーの治療はできないということに気がつかないのであった。


19世紀は、シャルコーの大ヒステリーによって代表されるように、ヒステリーが大きくクローズアップされた時代であったと同時に、その実体を実証科学的につかむことの難しさにより、ババンスキーがヒステリーという疾患名そのものをも廃止しようとしたことに示されるように、ヒステリーというものが精神医学から消滅する第一歩が踏み出された時でもあったのだ。


シャルコーでもうひとつ忘れてはならないことは、フロイトとの出合いである。

われわれにとってシャルコーの本当の意味は、彼がヒステリーの治療についてフロイトにバトンタッチをしたことではないだろうか。

ヒステリーの歴史は、何か得体の知れないものに、それぞれの時代がどうにかこうにかひとつのレッテルを貼り付けてきたというのが本当のところである。

この状況に終止符が打たれるには精神分析の誕生を待たなければならなかった。

フロイトの生み出したこの新しい実践によって、それまでさまざまなところを彷復ってきたヒステリーはやっと自らのすみかを見つけ出したのだ。

いやむしろ、最初の章で見てきたよ.うに、ヒステリーは自ら自分の巣を造り上げたのだといったほうがよいかもしれない。


たしかに、ヒステリーは精神分析に自分の領域を見つけだすのであったが、それとは反比例的に、精神医学においてはますます隅のほうに追いやられてしまうようになった。

奇妙なことに、そこにも分析が一役買っていることも見逃すことができない。


フロイトの理論に精神医学の側から最初に興味を示したのはブロイラーであった。

現代の多くの精神科医と同じように、ブロイラーの関心の中心は精神病にあった。


ところが、精神分析理論は神経症の理論であって、直接精神病の治療を目的とはしないのであるから、精神科医にとってはあまり興味の対象とはならないはずである。

それにもかかわらず彼が分析理論に興味を持ったのは、そこにある普遍性を見いだしたからであって、ヒステリー理論を精神病理論に応用できると思ったのである。

つまり精神病をヒステリー理論で読みとろうとしたのである。

そしてその後に、その結果できあがった精神病像を通して、ヒステリーを、「大きなヒステリー」を見ようとしたのだ。

つまり、ヒステリーと精神病との混同がなされたのである。


そしてこの混同にはっきりとした形態を与えたのが、精神分裂病という疾患単位である。

分裂病という言葉が使われるようになる以前は、早発性痴呆が一般的に使われていたのであるが、そもそも早発性とは早期に発症するという意味であるにもかかわらず、早発性痴呆患者が必ずしも若いうちに発症するとは限らないということ、そしてまた痴呆ということにも問題があり、この命名法の不適切さが指摘され、そのかわりに、ブロイラーが分裂病の名を与えたのである。


その時点で、上記の混同により、分裂病は大きく膨れあがった概念となった。

この分裂病という言葉は精神医学界で大きな成功を獲得し、その結果、ヒステリーという言葉を片隅にやってしまったのである。

分裂病という言葉は、精神病と神経症との境界をあやふやにしてしまい、そこにできたどっちつかずの症例にボーダーラインのような、つぎあてのための概念が当てるられることになった。


これによってますますヒステリーは肩身の狭いものになってしまったのである。


そして現代にいたって、最近のDSMではヒステリーという言葉が消し去られてしまった。

ここでヒステリーの長い受難の歴史にピリオードが打たれたかのようである。


精神医学が実証科学的であろうとするなら、客観的なデータのみを取扱い、常に曖昧性を伴う主体的事象を排除せざるを得ないであろう。

ヒステリーとはじつは自分の名を持たない主体のさけびこえなのである。

名前を持ちようのない主体に、歴史が与えた名前なのである。

ヒステリーの定義の難しさ、カメレオンのように容貌を変え、捕えたと思ったときにはもうそこにはいなくなっているという、掴みどころのないその性格は、シニフィアンの主体の性格に他ならない。

この意味で現代医学はたしかにヒステリーを排除しようとしているのであり、また排除せざるを得ないのである。

なぜなら現代医学にはヒステリーというものが透明なものとなり、見えないものなのであるから。

現代医学にとって、精神分析がヒステリーを取り扱うのは、ちょうどドン・キホーテが風車と戦っている姿に映るであろう。

しかし、本当のドン・キホーテはボーダーラインなどという風車と戦う者ではないだろうか。

現代医学がヒステリーから遠ざかれば遠ざかるほど、精神分析はますますヒステリーのためにあることを主張するのである。


ヒステリーによる精神分析


精神分析はヒステリーの女性たちと、フロイトというヒステリーから生まれたのだということを見てきた。

では、このことは精神分析にどのような影を残しているのだろうか。


ラカンはセミネール11巻でこう言う

「分析実践のフロイト的領野はある始原の欲望に依存したままに残っていた」。


始原の欲望とは「分析のある原罪」であり、「フロイトの欲望そのもの、つまりフロイトにおいて何かが決して分析されたことがないということ」であるとラカンは言う。


フロイトがフリースを相手にして「自己分析」した結果得られたものは、

母親にたいする愛情と、母親を自分のものにするために、父親を亡きものにしようとする感情によって構成される、エディプスコンプレックスであった。


エディプスを、われわれの精神を支配する根源的な構造であると考えたのであった。

しかしラカンのことばに従えば、フロイトの見つけ出した、もしくは、考え出したエディプスコンプレックスそのものに「フロイトにおいて何かが決して分析されたことがないということ」が含まれているのではないだろうか。


エディプス神話を見てみるとそれは必ずしもフロイトが垣間見たエディプスコンプレックスと同じ水準では語れないことが分かる。


神話ではエディプスの父、ライオスは偶然にエディプスに出合い、殺されたのであり、ただの通りがかりの人物としてしか出てこない。

そしてエディプスがテーバイの王となり自分の母イオカステを妻とめとったのも、スフィンクスの怪物にかけられた謎を解いたからであって、自分の母を妻にしようとしてなった訳ではない。

エディプス神話はいろいろな解釈を許すものではあるが、主体の構造を表わすストーリーとしての神話としてはあまり適切ではないのである。


また、父親への愛とか、超自我の形成なども、エディプス神話では説明がつかない。

そこでフロイトは文化人類学的資料をもとに、現代における神話を一つ作り上げようとする。


『トーテムとタブー』がそれである。


『トーテムとタブー』は次のように構成されている。


まず人間社会の原始状態には、一つの部族では強大な父親、オランウータンのような父親が部族を支配して、母も娘も含んだすべての女性を独占し、息子たちは一人の女性もあてがわれず部落から追い出されていた。


この状態を不満に思う子供達はある日、団結して父親を殺してしまう。

そして父親を食べてしまい、父親に同一化するのである。

だが、父親を殺して父親に対する攻撃欲動を満足させたあとは、今まで父親に対する憎しみが隠していた父親への愛が頭をもたげ、愛するものを殺してしまった悔恨から罪悪感が生じる。

これが超自我の起源である。


こうして、死んでしまった父親は罪悪感を通してよりいっそう子供達を支配するようになり、子供達は父親殺しの原因となった近親相姦の欲望を禁止し、掟を定めたのである。


死んだ父親はトーテムとなり、宗教の神の原形となる。

また、トーテム生蟄の饗宴を通して父親への同一化が繰り返され同一の理想像によって部族の結束が固まるのである。

この神話は父親の神話であることは一目瞭然であろう。

すべての女を独占し、女の悦びを満足させ、自分も満足する、一人の超人のような父親、これこそはヒステリーの望んでいる父親である。


ここにはエディプスの父とは比較にならない強大な父のすがたがあり、このような父に対してのみ憎しみが生まれ、また愛も生まれるのである。


もちろんこの父親は死んでしまうのだが、死んだからといって意味を持たなくなったわけではない、むしろ死んだからこそひとつの理想像としての威力を発揮するのである。

フロイトはこの神話によって父親というものを救おうとしている。


この父親を救おうとする欲望はヒステリー的な欲望である。

ヒステリー研究の中にあってアンナ・O、エリザベート・フォン・Rは父親を看病していることから病気になったのだったということが思い起こされよう。


またカタリナの場合には父親に誘惑されたことが彼女の症状の奥にあったのだが、自分の娘にまで手を出すような父親は、まさに獣のような『トーテムとタブー』の父親と同じようなものである。


ここでは父親を救うまでもなく、そういう父親が存在するのである。


ところで、フロイトは最初、カタリナのケースのようにヒステリーは小さい頃に父親とか近い親類に性的ないたずらを受けたことが原因であると考えた。


しかしながら、あまりにも多くのヒステリーの無意識にそのような出来事を見いだすことから、結局、それはヒステリーのファンタスムにほかならないと結論した。


無意識には事実とファンタスムの区別はないのである。

ヒステリーのファンタスムにはそれゆえ『トーテムとタブー』に描かれているものと同じような父親を認めることができる。


こうして見るとエディプスとはヒステリーのファンタスムであるという結論が出てこよう。


フロイトの“自己分析”は自分自身のファンタスムをエディプスとして構築したのである。


そしてそれを乗り越えられなかったところがラガンのいうように「フロイトにおいて何かが決して分析されたことがないということ」ではないだろうか。


フロイトの殆ど最後の論文である、『終りのある分析と終りのない分析』で、フロイトは分析が乗り越えることのできない限界について述べている。


「われわれは分析治療を施しているうちに陰茎願望と男性的抗議にまで達すれば、それですべての心理的な地層を貫いていわば人工の加わらない『自然のままの岩石』に突き当たったので、仕事はこれで終りであるという印象をしばしばもつものである。

これはおそらく本当であろう」。


陰茎願望とは女性が男性性器を所有したいという陽性の志向に由来するものであり、ラカン的に言えばファリュスを得ようとすることである。

男性的抗議とは、男性が、他の男性にたいして受身的、あるいは女性的立場をとらされること、つまりペニスを失うこと、についての反抗である。

フロイトはこの二つを去勢コンプレックスと名づけている。


女性がファリュスを得ようとするのは誰にたいしてであろう。

それは当然ファリュスを持っている者、去勢されていない者である。

つまりトーテムの父親である。


男性が他の男性にたいして受け身になることについては、陰性エディプスの問題がからんでくるものであるが、男性が受け身になる相手の男性とは、やはりあの愛される、『トーテムとタブー』の、殺された父の姿をとった男性である。


それゆえフロイトが持ちだす分析の限界とはエディプスの限界であり、「フロイトにおいて何かが決して分析されたことがないということ」の限界なのである。


女性の論理

結局、フロイトは男性の論理しか展開しなかったということになる。

実際、フロイトにとって女性は暗黒大陸であって、かれの自ら立てた「女性は何を欲するのか」という問いは最後まで謎として残ったのであった。

フロイトの分析の限界は、そうすると、男性的見方の限界であって、彼が女性ということについて十分な論理を持っていなかったことに通じるのである。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:sIbQ3BuJvZgJ:psychanalyse.jp/archives/M_MUKAI/Hysterie.doc+%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%88+%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%BC&cd=24&hl=ja&ct=clnk&gl=jp


03. 2010年10月22日 13:11:03: MiKEdq2F3Q

フロイトが精神分析という技法を開発したのは、催眠療法の効果に疑問を感じたからでした。
催眠療法は暗示によって、一時的に患者の病状を回復させる事が出来ますが、結局元の状態に戻ってしまいます。

患者を完全に健康な精神に戻す事の出来る治療法を探し求め、最終的に辿り着いたのが精神分析学だったのです。

患者の中に起こる様々な精神的な疾患は、全て患者自身の幼児性欲の衝動と充足の過程の歪みによって起こる自家中毒のようなものと考えるやり方です。

分析の過程で患者が両親に対する不満を表明した場合は、その両親が患者に辛く当たるばかりでなかった事を思い出させ、総じて言えば患者の両親は愛情深く患者に接していた筈である事を納得させます。

そして、全ての病いは患者自身の精神の問題であった事、全ての問題は患者自身の問題であった事を患者が納得した時点で、治療は完了します。

そして、それは画期的な効果を上げたと、フロイトは自画自賛するのですが。

 しかし、精神分析で治療された患者は、一時的に快復しても結局元に戻ってしまうそうです。

なんだ、それでは結局催眠療法と同じ事ではないか。

自分の過去の記憶をあちこち掘り返されて、それで結局元の木阿弥ならば、催眠療法の方が手っ取り早くて良いですね:

 1896年、ジクムント・フロイトは、論文『ヒステリー病因論』の中で、六人の男性患者と十二人の婦人患者、計十八のヒステリー症例を紹介、

そしてその全ての症例が抑圧された性的暴行の結果であることを明らかにします。 

 これらの研究の結果、フロイトは、ヒステリー発病の裏には単一ないし複数の時期尚早な性体験があり、しかもそれは子ども時代でももっとも早い時期に体験されている、と結論付けます。


要するに、ヒステリー発病の原因は幼少時の性的虐待が原因だと言っている訳です。


 当時、ヒステリー患者は下層民よりも特権階級、つまり貴族階級の方により多く発症していました。

この点について、フロイトは次のように説明します。


 『社会の上層にある人は、教養、ならびにしばしば知的な面だけに偏って発達した人格のために精神的外傷を防衛するが大きい。

ところがまさにこの精神的外傷の防衛(抑圧、記憶内容からの感情の分離、理想化による否認など)こそノイローゼを生む原因なのだ。』

(アリス・ミラー 『禁じられた知』P159より)

 この解釈は、当時のフロイトの立場の微妙さを暗示させます。

ヒステリー発症が当時の特権階級に多いと言う事実、それにフロイトの結論を重ね合わせますと、幼児に対する性的虐待は、下層民よりも貴族社会の中で多く起こっている事になります。

フロイトにしてもそうは言えなかったと言う事情があるのでしょう。

また、彼自身の常識が、そのような事実を拒否していたという面もあるでしょう。

 とにかく、フロイトはヒステリー発症の原因を幼少時の性的虐待による精神的外傷そのものではなく、精神的外傷の防衛によるものだと考えた訳です。


従って、その治療法は、患者の記憶の奥に抑圧された虐待の記憶を自覚させ、それと向き合う勇気を起こさせる事です。

精神的外傷を消す事は出来ませんが、防衛の機能を働かす必要が無くなった時、症状に悩まされる事は無くなります。


この、初期のフロイトの理論を、誘惑理論と言うそうです。

この言葉も、後には別のニュアンスの言葉に変化していくようですが、当時の意味で言うならば、

患者の神経症は、幼少時に受けた、大人からの誘惑により受けた精神的外傷の結果である、という事です。


 ですが、フロイトのこの理論は世の中に受け入れられませんでした。

先ず第一に、ヒステリー症状の原因が性的虐待にあるとすれば、ヒステリー患者の数だけ、いや、発症に至らないケースも含めればそれ以上の性的虐待が現に行われている事になります。

大人が、あるいは年長の者が幼児を慰み物にするという非道な行いの例がそんなに多いとは、当時の常識では考えられなかったのです。


 もう一つ、問題があります。

フロイトがどのように言い訳しようと、彼の理論に従えば、幼児の性的虐待は下層民の間よりも特権階級の間で多く行われているというニュアンスは拭い去れません。

そして、フロイトの著作の読者の殆どは、その特権階級の人間達なのです。


フロイトの誘惑理論を葬り去ってしまったのは当時の社会のタブーに触れたからです。

そして、そのようなタブーを支えるものとして、キリスト教的な教育があるのです。


フロイト自身も当時の教育を受け、そして自らのトラウマに自分自身がとらわれていました。


貴族達の攻撃に反論しながら、貴族達と同じ疑問を彼自身が感じていたという事です。

そして、彼自身の両親や子ども時代を理想化したいという願望も、彼の中にあったという事です。

 1897年9月、フロイトは誘惑理論に代わる、衝動理論を発表します。


一言で言えば、子どもの深層心理の奥に潜む性的な記憶は現実に起こった性的虐待の記憶ではなく、自らの幼児性欲が引き起こしたイメージだと解釈する方向に転換してしまったのです。
 エディプス・コンプレックス、口唇期性欲、肛門期性欲、性器期性欲、様々な概念が用意されました。

全ては、患者の中の記憶が現実の性的虐待の記憶ではなく、自らの幼児性欲の衝動が引き起こした幻想であると説明する為のものです。


それでも、フロイト自身は誘惑理論を全く捨ててしまった訳ではないようです。

何とか、衝動理論と誘惑理論の接点を見出そうという意欲は持っていたようです。


しかし、フロイトの弟子達にとって、フロイトの精神分析学イコール衝動理論なのでしょう。


 フロイトは、誘惑理論から衝動理論へと移る時、幼児の性的虐待という個別的な体験を、人間が誰しも幼児期に持つ性的な衝動として普遍化してしまいました。

それで、性的虐待以外の原因で起こる様々な心理現象も、全て性欲に結び付けざるを得ないという矛盾が生じてしまったのでしょう。


アリス・ミラーによれば、フロイトの初期の精神分析治療の驚くべき効果は、彼自身が自分の誘惑理論に疑問を感じ始めたと思われる頃から失われてしまったと言う事です。

初期のフロイトが行っている、患者をありのままに受容し、過去の虐待の記憶を解放する事によって患者を治療していくやり方です。

「あなたは悪くない。あなたは犠牲者だったのだ。」

と認めていくやり方です。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/takagish/books/book003.htm


04. 2010年10月22日 14:46:09: MiKEdq2F3Q

■フロイトの罪~セクシャル・アビューズ~

 ヴィクトリア朝時代に「精神分析」を提唱したジグムント・フロイトは、「勇気ある先駆者」だと思います。

 この時代は、厳重なキリスト教的・社会通念により、性的な話題を出すことが禁忌でした。

 そんな風潮のなか、フロイトは性的欲望に関する学問への切り口を与えました。

性的嗜好に関して初めて分類したのも、彼です。

 彼は人間の意識には


「超自我」と「自我」、

「エロス(生に対する欲求)」と「タナトス(死に対する欲求)」、

「リビドー(欲動)」


などがある、と説いています。


 フロイトはヒステリー(解離性障害・PTSD・パニック障害などの神経症)の原因が、抑圧と性的原因にある、と提唱しました。

 が、彼の言は、後に性的虐待(sexual abuse セクシャル・アビューズ)を子供の願望によるものとし、20世紀後半になるまで、虐待を受けた子供達を苦しめることになります。

 ヒステリーのある女性には幼児期に性的な体験があり、これを引き起こすのが「エディプス・コンプレックス」だとはフロイト言いました。

 「エディプス・コンプレックス」はギリシャ神話のオイディプス神話が由来です。


__________


 テバイの王ライオスは息子に殺されると予言を受け、妻・イオカステが無理矢理生んだ息子――つまりオイディプス――を山の中に捨てます。

オイディプスはコリントの王に拾われ、成長しました。

 が、オイディプスは「父を殺して母と結ばれる」と託宣を受け、両親(育ての親)を殺したくないとコリントから出奔します。

 道中、ある老人に出会い、道を譲る譲らないで喧嘩になってしまい、オイディプスは老人を殺してしまいます。

 実はこれが、実父のライオスでした。

 オイディプスがテバイにやってきた時、丁度テバイはスフィンクスに苦しめられていました。

 オイディプスはスフィンクスを退治し、王として迎えられ実母・イオカステと結婚してしまします。

 ところが数年後に疫病が流行り、オイディプスは「ライオスを殺した者を探し出し追放せよ」という託宣を授かります。

 ライオス殺しの犯人を探そうとするオイディプスに対し、預言者・ライオスが「おまえがライオスの息子」と告げられ、知らず知らずのうちに父殺しと母子相姦を起こしていたことを知りました。

 オイディプスは両目を潰してテバイを去り、イオカステは自害してしまいます。


_________

 フロイトは、最初は心的外傷(トラウマ)が女性をヒステリーに陥らせているのだと思いました。

が、親の罪――ひいては、男の罪――を認めたくないのか、オイディプス神話が人間の普遍的に抱いている願望だと感じ、その幻想が娘に実父や義父・親戚などを誘惑させたのだと論破しました。

 彼は、幻想は人間の無意識が造り上げるのだと説き、幼児には親と近親姦をしたい欲動があるから、親との情事の幻想をつくるのだと説きました。

 つまり、娘が無意識の欲動により、父親を誘ったと言いたいわけです。

 この発想は、うつ病者にカウンセラーが


「うつ病ではなく、それはあんたのわがままではないのか」

とか

「あんたはうつ病ではない」


と言うのと同じです。

 これは、ドクターハラスメントです。

 二次虐待を受けた女性は、傷を深くします。

現に、フロイトの診察を受けて治っていない人がいます。


「自分が悪いから、あんなことになったんだ」


と女性のなかの子供は自分を責めていたでしょう。

 幼い子供は親に支配されるものです。

子供にとって親しか頼れる人はおらず、親元が安全な場所なのです。

 だから、親から虐待を受ければ、深い傷を受け、居場所を無くしてしまいます。

 性的虐待を犯す父親は大人として未熟です。

幼児性愛やストレスなどにより、力でもって子供を踏み躙ります。


 それに対して母親は弱い人間で、何も言えない母親は夫と娘の関係を見守るだけです。

娘を女だと思って嫉妬したりする母親は、娘を罵り父親とともにさらに傷つけます。

 父親などの絶対者に


「これは夢だからね」

とか

「お母さんや他のひとに言っちゃだめだよ」


などといわれたら、子供は従わずにはおれません。


 こうして虐待は繰り返され、子供の傷は深く、潜在化していきます。


 幼い頃に受けた心的外傷はその人の人生を崩壊させます。

被害者(サバイバー)は人間不信に陥ってアダルトチルドレンとなってしまい、酷い場合だと自殺してしまう可能性もあります。


 また、幼い頃に受けてしまった傷を、人間は知らず知らずのうちに繰り返してしまったりします。

 虐待の現場が夢となって何度も現われ、またずっと続く現実に子供自身が順応してしまい、まるで愛人のような慣れた様相を見せてしまうこともあります。

 傷がトラウマになった事象を人生に再現させたりします。

が、傷が子供の自我をねじれさせてしまったために起こったことで、子供の真実の本意ではないのです。


 性的虐待は未熟な大人が起こすものです。

子供は被害者です。

どうか、そのことを忘れないで下さい。

 そして、被害を受けたひとは、なにも汚れていないです。

自分を責める必要はありません。


 また、過剰な精神分析は危険です。

信頼できるカウンセラーの力を借り、ありのままの自分を取り戻すため、嘆きと癒しの仕事を行なってみてください。

 フロイトが提唱したことは真実を得ているところもあります。

性的虐待と心的外傷の関連性を発見したことも、彼の抜きんでたところでしょう。


 が、彼が性的虐待だと気付きながらも、目を反らしたのは、過ちだというほかありません。
http://d.hatena.ne.jp/toyouke/20050427/1114594274
6:777 :

2022/05/24 (Tue) 05:36:45

近親相姦の話はみんな本当だと思った方が良い:
生まれて初めて出来た彼女が父親に性的虐待されてた

所謂やらはた(二十歳を過ぎても童貞)だった僕に生まれて初めて彼女が出来た。

モデルみたいに可愛い年下の彼女。僕は幸せの頂点だった。

「この子の為なら しねる」

そんな臭いセリフを脳内でつぶやいてみては悦に浸っていた。


性的虐待の事実を知る

そんな幸せは長く続かなかった。

彼女が父親に性的虐待を受けている事実を知った。

彼女は夜な夜な父親に犯されていたのだ。

何不自由なく育ってきたボンボン大学生の僕はどうしたら良いか見当も付かなかった。

父親から彼女を奪え!

気付いたら、彼女を自分の部屋にかくまっていた。

(最初高1だと言っていた彼女は、実は春に中学を出て高校に進学していなかった)

自分の手元から彼女が居なくなって、父親は半狂乱になって娘を探したらしい。

一週間で僕の家に乗り込んで来た、無断拝借したトラックで玄関の扉を破壊しながらw

彼女は連れ戻された。でも、このまま彼女を父親の元に置くなんて耐えられない。

次に彼女は、自分を置いて男と逃げた母親の元に向かった。

「しばらくこっちに来なさい」そう言ってくれたそうだ。

彼女に逃げ場なんて無かった

数日後、彼女は痣だらけになって僕の前に現れた。

母親と同居して居る間男に、サッカーボールのように蹴られる暴行を受けたらしい。

挙句の果て、寝て居る彼女の布団に潜り込んで性的な悪戯をしようとした。

それで、真夜中にタクシーを拾って逃げて来たらしい。

途方に暮れた。

僕の部屋は父親にバレて居る。

母親の元に行けば今度は間男から暴行を受ける。

父親の元に行けば父親から性的虐待を受ける。

どうしたらいいんだ?

彼女といっしょに駆け落ちすればいいのか?

パチンコ屋の店員にでもなれば、贅沢は出来なくても彼女と慎ましく暮らす事が出来るはずだ。


悩んだ末の結論、僕は逃げた

数日間悩んだ末(その間、彼女は友人の元を転々としていた)

僕は児童相談所に全てを話した。

何故かけおちしなかったのか?

白状すると、自分可愛さに逃げただけだ。

大学生としての自分、将来国家資格を得れば最悪食うには困らない。

そんなアドバンテージを彼女の為に手放すのが惜しかった。

「この子の為なら しねる」そんな臭いセリフ、大嘘だった。

相談所の職員はそんな卑怯な僕に

「もう大丈夫、私達がなんとかするからね。君は十分がんばったんだ。」

と、優しい言葉をかけてくれた。

涙が出た。自分の将来が無茶苦茶にならなかった安堵の涙。

僕は汚い。


児童相談所と僕と彼女の嘘

すぐに児童相談所の職員が彼女の父親の家を訪れた。


彼女の父親は虐待の事実を全否定した。そして彼女自身もそれを否定した。


「自分を犯す父親でも世界でたった一人の家族、離れ離れで暮らすのは嫌。

だから、私の自作自演だったことにして。あなたも私達に口裏を合わせて。

そうすれば、全部全部元に戻るから。」


彼女にそう頼まれた。

僕は「分かったよ」とだけ答えた。でも嘘だった。


犯されても家族なんて理解できなかった、

何よりも僕は彼女が今後も夜な夜な父親に犯されるという現実から逃げたかった。

とりつかれたように彼女が虐待されている証拠を集めた。

その甲斐あって、虐待の事実は認められ、彼女の保護施設行きは決定した。

彼女の保護施設行きが決まって電話で彼女に罵倒された


「アンタに何の権利があって、私達父娘を切り裂くのよ!


アンタなんか赤の他人なのに!

永遠にずっと私を哀れんで、可愛がってさえいればそれで十分だったのに。

もう、友達だってひとりも居なくなる。

私はひとりぼっちだ。みんなみんなアンタのせいだ。」

体中の血が逆流したような感覚、怒りとも悲しみとも恥ずかしさとも、なんとも形容しがたい感情が僕を支配した。

それまで一度も彼女に向かって声を荒げたことがない僕は、ヒステリックにのどが痛くなるほどの大声で彼女に向かってわめき散らした。

「僕は、君の現実逃避の道具じゃない。

心があるんだ。

君を幸せにしたかったし、今でも君を幸せにしたい。

今のままじゃいつか君の心は壊れる。

これは全部君のためにした事なんだ。」

「全部君のため」なんて欺瞞だ、大嘘。

しょせんは単なる自己満足。

僕は一人の男として自分の所有する雌が、他の男に犯されるのが嫌だっただけだ。

「虐待された子供は、自分の子供にも虐待してしまうんだよ。

だから私は一生子供は産まない、産めない」


そう言っていた彼女は元気だろうか?
http://anond.hatelabo.jp/20090506000425



211 :可愛い奥様 :2007/02/20(火) 16:26:55 ID:k5yM12nz0
身内に犯罪者が数名。

うち1人は近親相姦のもつれによる殺傷

死んでも話さない。
http://2chokaita.blog97.fc2.com/?no=1511
7:777 :

2022/05/24 (Tue) 05:38:14

なぜ母親を殺すのか


シュレジンジャーの提示する十六歳の高校生Kの事例


この少年は、母を絞殺した後、性交と肛門性交を行なっているが(ネクロフィリア)、生前、母との間に性関係(近親相姦)を実際に持っていたことが、逮捕後明らかになった。

 Kは高校二年生で、普通の学校生活を送っていた。犯行当日、彼は六時に起き、いつも通り、一人で朝食を食べ、顔を洗い、仕事に出かける父に行ってらっしゃいと言った。その後、Kが開いたままの浴室のドアから母をのぞき見ると、母は下着とボタンをはずしたシャツを身につけているだけだった。そのとき勃起した、とKは犯行後語っている。母は、「犬とじゃれあっていて、学校に行くしたくをなかなかしない」ことで、彼を叱った。このときの状況について、Kは逮捕後、次のように供述している。

「母は叫び続けていて、僕は一言も言い返せませんでした。全部真に受けて、僕は怒った。僕は階下に降りて行きましたが、母に対して自分がどれだけ怒っているかということばかり考えていました。

母が僕を虐待していたこと、性的な虐待です、母が僕に触っていたことなど。

これが、そのとき僕の心を通り過ぎたすべてです」。

「僕は母をお風呂から引っ張り出して、乱暴に押し倒しました。僕は何も言いませんでしたが、本当にカッカしていました。母は言いました。

『あんた、なにをやっているの。私は、あんたのお母さんよ。あんた、何をしようとしてるの』。

僕は、自分を抑えられなくなっているのを感じました。すべての怒りが僕の中から吹き出しているようで、その怒りに僕の体が反応したのです。僕は母をベッドに押し倒し、両手を首のまわりに巻きつけました。本当に興奮していました。そして、一言も言わずに母を絞め殺したのです。母が死んでしまった後で、母の服を引き裂きました。まだ怒っていたので」。


「母が死んでから、母とセックスしました。そのとき、母はただ意識を失っているだけなのだと、僕は思っていたので。勃起していました。母が僕を性的に興奮させたのです」。


 性交と肛門性交を行なった後、彼は射精している。

「母が動かなかったので、死んだのだと思いました。そのとき、母を支配することができたように感じたのです。母をずっと僕の支配下に置くことができるようになったのです。

僕は、それまで若いツバメみたいだったので、殺すことによって母を取り戻すことができたように感じました。だからこそ、それを実行したのです」。

「僕は母をベッドの上に寝かせました。それから、食べ物、お金、僕の犬、車のキーを持ち出しました。宝石も持ち出しました、お金が底をついたときに売ることができると思ったので。僕はただできる限り遠くまで逃げたかったのです」。

 それから、彼は母の顔の上にTシャツを投げかけたが、それは「母の目が閉じてなくて、僕をにらみつけているようだった」からである。

 その後、Kは車に乗り込み、一時間ばかり乗り回したものの(彼は運転免許を持っていなかったし、運転の仕方も知らなかったので)、車がスリップして、雪のふきだまりに乗り上げてしまった。警察が到着したとき、彼は父に電話してくれるように頼んだ。その日の早朝、Kの父は、妻の勤務先から、妻が出勤していないという連絡を受けていたが、それはめったにないことだったので、自宅まで様子を見に帰った。父がちょうど自宅に到着したとき、Kから電話があり、「僕はママを殺した。迎えに来てよ」と告げたのである。

 Kは少年院に一時的に収容され、裁判を待っている間に、母との近親相姦の詳しいいきさつを打ち明けた。

それは彼が七歳の頃に始まっていた。最初は、母は

「僕のペニスの周囲をいじるくらいだった」。

ところが、彼が小学校四年生になった頃には、性的な接触はより頻回になっていった。彼は、一方では、母が触ったりこすったりするのを異常とはみなしていなかったが、他方では、どこかおかしいと感じていた。その当時の出来事について、彼は次のように語っている。


「いつものように学校から帰ってくると、ママが僕にキスして、服を脱がせ始めた。ママは僕のペニスを握った。それから、僕の手を取って、ブラウスの下のオッパイに押しつけたんだ。

僕は好奇心で一杯だったと思う。そのことについては何も考えられなかったんだ。しばらくしてから、これはまともなことではないと感じるようにはなったんだけど」。


 思春期の始まる(小学校六年生)頃には、Kの母は、

「僕の服を脱がせて、自分も服を脱いだ。それから、もっとすごいことをやるようになったんだ。

『あんたは、すてきな足と体をしているわ』

と言って。僕は興味津々だった。パパが帰ってくるとすぐに、ママは全く別人みたいになっちゃったけど」。


Kは、このような性的関係が「気持ちよかったので」、楽しんでいたと語っている。


 Kの母は、息子との性交を何度も試みたようである。最初、Kは「怖かった」が、やがて誘惑に負けてしまう。最初に性交したときのことを彼は詳しく語っている。


「母は寝室にいました。そして、寝室に来るように、僕を呼んだのです。母は仕事から帰ってきたときの服装で、僕を抱きしめ、キスしました。母は服を脱ぎ始め、僕もシャツを脱ぎました。母はブラウスを脱ぐと、僕のパンツを脱がしました。それから、僕はベッドの上に倒れ込みました、母が押したからです。母はスカートを脱ぐと、僕の体に触って、キスし始めました。

僕は横になっていましたが、勃起していました。母は向きを変え、僕の方が上になり、母の足が僕にからみつきました。

僕たちは以前には、こういうことは一度もやったことがなかった、いつもはオーラル・セックスだったのです。でも、そのときは、ただそれをやりたかったのです」。

 彼は射精した後、母を押しのけた。

「それで、母が僕に尋ねたのです。

『どこか悪いの、怖いの。一体どうしたの』

と。僕は、走って自分の部屋に戻りました。僕はドアのわきにじっと座っていましたが、母は僕をののしり続けていました。腹が立ちましたが、自分の部屋でずっと考え続けていました。『なぜ、母はああいうことをやりたがるのだろう』と。僕は自分が正常ではないのだと思い、学校の他の子たちとはずいぶん違っているように感じました。教室で席に座っていても、みんなを眺め回し、こういうことが他の子たちにも起こっているのだろうかと考えたのです」。

 Kは、母との性関係を週二回程度、七、八年ものあいだ続けていたと語っている。

ところが、犯行の六カ月ほど前から、母とずっと続けてきた頻繁な性関係によって、落ち着かなくなった。彼は父に打ち明けることも考えたが、

「僕は父を信用していなかった。もし父に打ち明けたら、僕の家族はバラバラになってしまうのではないかと思った。僕は、それがいやだった。前にも両親が別居したとき、僕のせいなのではないかと思ったので」。


 犯行の一週間ほど前、二カ月続けてレポートの点数が悪かったので、Kはひどく落ち込んだ。彼は母を無視し、性的なことに関わり合うのを避けようとしたが、母は彼に「圧力」をかけ続けた。

「母は、僕の足、肩、胸を触って言いました。

『どうして、あんたはママのことをきらいになっちゃったの』。

これは、性的なことを言っているのだなと僕は思いました。僕が犬を連れて家に帰ったときに、父がいないと、母は言いました。

『どこか悪いの。あんたは、お父さんそっくりね』。

それから僕に触り、服を脱ぎ始めるのです。母がブラウスのボタンをはずすと、僕は走って逃げました」。


 それまで長年にわたって、母と性関係を持ち続けてきたのに、なぜそのときになって母との性交をいやがるようになったのか、という質問に対しては、次のように答えている。

「その月は、いつもと違っていた、僕は、疲れ果てているように感じていたんだ。もうセックスなんかしたくなかったんだ。するとお母さんは言ったんだ、

『あんたはお父さんみたいね、あんたは何もしたくないのよ、困ったものね』と」。

Kはそのとき、自分が性的な問題を抱えていることを、母にほのめかされたように感じたという。


 彼は、母が自分にますます圧力をかけてきているように感じていた。

「母は、誘惑し続け、わめき続けていた」

ので、ついに彼は最終通告を発した。

「僕をそっと一人にしておいてくれないなら、誰かに言いつけるぞ」と。

 Kが母と最後に性関係を持ったのは、殺害の十日ほど前のことである。

「オーラル・セックスの最中に、僕は

『もうこんなことはしたくない』

と言って、母をおしのけた。すると、母は言ったんだ。

『いいえ、あんたと私は、ときどきこれをしなくちゃいけないのよ。あんた、どこか悪いの』」。


息子が母の口の中に射精して、二人はオーラル・セックスを終えたのだが、


「母は、僕をまた元気にしようとした。また刺激しようとしたんだ。僕は母をおしのけて、浴室に行き、内側から鍵をかけて、体を洗った。母はドアの外で叫び続けていた。

『どこか悪いの。どうかしちゃったの』と」。


 他の機会もとらえて、母は息子との性関係を再開しようとしたようであるが、Kの方が拒否していた。犯行の前日には、

「僕は母を殴ることを考えていた。父がいないときには、母は僕に触り続けていたけど、もうそれがいやだったから。母の顔をピシャリと平手打ちして、僕がもう母を欲してはいないことをわからせてやろうと思っていたんだ」。

その晩は、

「自分に眠るように言い聞かせた。だけど、月曜日の朝起きたら、疲れているように感じたんだ」

と彼は語っている。


 こうして、その日、Kは母を殺害してしまったのである。

 Kは犯行の二日前に十六歳になったばかりだった。逮捕後施行された心理検査、知能検査(WAIS - R でIQ一一三)、脳波検査、神経学的検査では明らかな異常は認められず、頭部CTの所見も正常であった。また、精神医学的な診察の結果、軽度の抑うつ気分が認められたものの、統合失調症などの精神病の症状、人格障害の徴候は認められず、共感能力、論理的な思考能力、現実検討能力も良好であった。

したがって、この母殺しには、精神疾患よりもむしろ家族力動、性的葛藤が重要な要因として関与しているのではないかと考えられる。・・・・
http://www.transview.co.jp/books/4901510312/text.htm
8:777 :

2022/05/24 (Tue) 05:39:10

要するに秘密の性的関係は子供の心を歪ませるという事でしょうか:

65 名前:ロキ 投稿日:2006/01/06(金) 18:36:53

今日は僕は都内に住む30代の会社員です。現在結婚し子供もいます。
カズさんのHP見てビックリしました。 実を言うと私の実家も先祖代々近親相姦をしている家系だからです。秋田県の場所は勘弁してほしいのですが某村大字何某には今でもそういった風習が残っています。

何故その集落に近親相姦が風習として存在してるのか?というのは昔平家の落人の兄妹が先祖で、追っ手から逃れる為に隠れ近親相姦によって子孫を増やしたからです。その兄妹は集落の祠に奉られています。それから私の実家の村は標高がかなり高くその為稲作が出来ない程寒い為、裸でお互いに暖めあって夜を過ごす事もあり、今でも麓まで冬の燃料を買いに行く事は大変で、その風習は続いているようです。

私自身姉と母との近親相姦を経験していますが、私自身は自分の家族と同じ様に近親相姦をする気はありません。ただこの様な近親相姦がその土地の文化として又生活として残っている事実を知って頂きたくて此処に書きました。

私の実家は現在姉が家を継いでいます。姉には現在男の子二人と女の子が居ますが、長男の父は実父です。姉の旦那は同じ集落の男でその事も知っています。その村は15軒ほどの小さな集落で血がとても濃く、姉の旦那も又従兄弟になります。

村の人間は結構地所を持っているので今でも結婚して他所の家が入るのを嫌う傾向にあるのです。ですが色んな人間が言うほど奇形児や遺伝子病はないです。甥っ子も親子の子ですが全く普通です。唯昔から子の出来ない夫婦は全く出来ず。私の居た頃は少なくとも半数がそういった夫婦でした。そういった場合は村の男が種付けをしに行くのです。又未婚の女性が腹を貸しに行くこともします。

近親相姦や乱交では常識のある人から見たらとんでもない事ですが、今思うとその社会の中には其れなりの情や雰囲気があったと思います。

今年の正月にですね。田舎に家族つれて遊びに行った時のことです。家の小2の娘がですね。

「おばさんとお兄ちゃんが裸で抱っこしてた。」

って言うんですよ。朝六時頃娘が遊んで欲しくて小6の甥っ子探しにいったんですね。さすがにその時は私も戸惑いましたが、姉に話したら少し反省していましたが。妻には私の事は話してますので少し困惑していたようです。

現在私の実家には小学生の子供が5人中学生が2人高校生が3人しかいないそうです。そういったなかでする相手も少ないというのが理由の一つだと思います。私も大学に進んだのが切欠で村を出たのですが、矢張り女性がいっぱいいれば其方に興味を持つのが普通だと思います。事実私も大学を出てからは、母や姉との行為はしていません。姉や母も不思議とそれを受け入れてくれてます。

近親者や村の人間との行為は、その村の持つ雰囲気や情が関係あるのでしょう。今田舎に帰っても私とその家族は部外者であるように思えます。昔の友達と酒を飲んだときも私の昔の事についてはあまり触れなかったし、又今の事も語ろうとはしませんでした。唯結婚の話は別で友達は現在39歳ですが新しい嫁さんを貰ったと紹介してくれました。17歳でした。世間体があるのでまだ籍には入れてないそうですが、彼にとっては二度目の結婚で最初は19歳で農協の職員をしている時に36歳の未婚の母と結婚しています。実父の子供だったと思います。

世間では淫行ですが私の村では人が少ない故に結構こういう事が普通にあり、むしろ近い世代で結ばれることの方がラッキーなのです。姉の長男は現在15歳ですが23歳の娘とお付き合いしているそうです。

田舎ってすることないから子どもたちがみな早熟で、初体験を済ませる年齢が低いっていいますよね。暇をもてあまして、身近にいる親兄弟とセックスをしだす、っていう現象もあるんですかね。ですが、さすがに全部の田舎という事は無いと思います。私自身聞いたことはありません。

唯この様な事は普通外部には話しませんのでもしかしたらとは思いますが。もし性的にオープンな村で世代を超えた性交流があり、人数の少ない隔離された集落があれば、可能性はありますね。なんとも言えませんが家の村もそうでしたから

私の村はどちらかと言うと「家族でザーメンを楽しもう」というより、「家族で暖まる」といった感じでした。実際私の村では性行為を「燃す」と言います。心の中の嫌な物を燃やし元気な気持ちを燃え上がらせると言った感じですか。

「えのぎだなぁ」

と言う言葉がうちの村ではよく使いますが、意味は家が暑いという意味で

夜中喘ぎ声が多く聞こえる家は多く燃える=暑い=景気が好い。

という意味から金銭的に豊かな事もさし、近親相姦がけっして世間で言う悪いイメージではなかったように思えます。

「おがはんおじげあねがっこおめさままだね」

と言う言葉がありますが、味噌汁、漬物に身内を例え好きな子を主食であるご飯に例え、近親者との肉交よりお前の方が良いと言うある意味恋人への最高のほめ言葉になっています。

「ひながのばっち」

これは悪い意味で使われることが多く例えばお酒が止めれない人が「酒はひながのばっちだ」と言うようにやめようと思っても中々止められない時に使う事です。婚期を逃してしまうほど両親と末っ子の情交は凄まじくそれを比喩しているのでしょう。

78 名前:ピス・メンス 投稿日:2006/02/17(金) 00:29:51

 もし、娘ができ、近親相姦を行うに当たって、色々心配なことがあります。
 まず、そもそも、娘が体を許してくれるかどうか。
 もし、許してくれても、その後、精神に影響を与えないのかどうか。
 中には、精神分裂症に陥ってしまうのではとかですね。

 ロキさんの村では、いかがだったでしょうか?


80 名前:ロキ 投稿日:2006/02/18(土) 20:37:04

そうですね。近親相姦というのはやはり雰囲気が大事かと思います。ピス・メンスさんのご家庭が何より性に対してオープンである事が必要かと。いきなり襲うのは娘さんも嫌がるでしょう。

私の場合は横で両親がセックスしていた事で興奮したのを覚えています。私の姉の場合もそうだったと思います。精神的な影響は私の村では無かったと思います。たとえ親子でも普通の異性と同じ感覚なのでしょう。外部に隠したり引け目を感じたりするのは世間の倫理観とのギャップの問題だけだと思います。

私も叔母との経験があります。34歳の叔父が亡くなった時当時42歳の叔母の所へ行き。父と一緒に叔母を抱きました。私の村では後家さんや奥さんをなくした旦那を親族が身体で慰める風習があるのです。叔母は私の身体の上で叔父の名前を呼んでいました。懐かしくも悲しい話です。

叔父はとても優しく幼い時は可愛がってもらいました。村の中では近親相姦といってもアッケラカンですよ。そんなに問題はないです。
http://jbbs.livedoor.jp/movie/108/storage/1013361373.html


しかし、いくらなんでもここまでアッケラカンだとちょっとね:


近親相姦家族カズの家の告白


僕が母と、妹が父と初体験した日

最初は、母が僕のオナニーを手伝ってくれることから始まりました。もちろん僕から言い出したわけではありません。オナニーをしている時に見つかってそれから手伝ってくれるようになりました。始めの時だけは手でしごいてくれるだけでしたが、次の日からはフェラチオをしてくれました。

すごく気持ちよくて、母の口の中に出したのですが、母が精液を飲んでくれたのでビックリしました。それからも毎日のようにお願いしました。驚いたのは、父が家にいるときでも僕の部屋にきて、精液を飲んでくれたことです。あとで聞かされたことですが、父と母の計画だったそうです。

ある日、まだ僕と妹がファミコンで夢中になって遊んでいる時に、両親の寝室から母のいやらしい声がしてきたのです。妹も聞こえたらしくて、気になったので妹とそおっと寝室に行ったのです。すると、ドアが15cmぐらい開いていたので覗き込むと、父と母がセックスをしている最中でした。妹も昔からエッチな事には興味しんしんだったので、恥ずかしがらずにのぞいていました。ドアからは、父のものが母の中に入っているのがよく見えました。

しばらくして、バックの体位になったのですが、母も父もドアの方に頭を向けたので「見えにくいなあ」と思った時に、父が、「和己も久美も入っておいで」と、びっくりすることを言いました。母もあえぎながら、「恥ずかしがらないでおいで」と言いました。僕も妹もビックリしたのですが、逃げると怒られそうだったので、中に入りました。

セックスを中断して父と母は、僕と妹にセックスは、愛し会う者同士の当然の行為だと言うことを説明してくれました。そして間違った知識でセックスをすると大変な事になることも聞かされました。話が終わって、父が続きをするので見ていなさいと言うので、見ることにしました。そのまえに母がみんな裸の方がいいというので、僕と妹も裸になりました。僕のものは立っていたのですが、父が立派になったなあと褒めてくれました。妹は僕と父のものを見比べていましたが、父のものは立っていなかったので、「お父さんもお兄ちゃんみたいになるの?」と言いました。父は「握ってみなさい」と言って、妹に握らせました。そして母から手の動かしかたを教わり、動かすと父のものも立ってきました。妹は無邪気に「あっ、大きくなってきた!!」と喜んでいました。

完全に立った父が僕のものとどっちが大きいか比べようと言いだしたので並びました。妹は「おとうさんの方がおっきいし、色が全然違う」と言いました。すると母が「今日の記念におちんちんの長さを計ったら?」といい、寝室を抜け出して手にノートとものさしを持ってきました。そのノートは僕が隠してあったやつなのでビックリしました。驚いて母から奪うと、母は「そのノートはお父さんも知っているわよ。」といいました。そのノートは、僕のものの長さを計って折れ線グラフにした成長記録と、オナニーの回数をつけたノートなのです。父が15cm、僕が13cmでした。記録係は妹で楽しそうにノートに書き入れていました。

そしていよいよセックスの続きが行われたのですが、その前に妹と僕にコンドームのつけ方を教えてくれました。妹は父のものにかぶせ、僕は自分のものにかぶせました。セックスが始まったのですが、体位を変えるたびに父が説明してくれました。いつの間にか興奮した妹は自分のあそこを触っていました。それに気付いた父が、妹とお互いに触わりっこしないさいというので、妹が僕のものを握り、僕は妹のあそことオッパイを触りました。僕はがまんできなくなって精液を出してしまうと、妹がコンドームを外してくれました。そして精液の入ったコンドームを捨てていいものなのか迷って、そのまま持っていました。

母が僕のものをきれいにしてあげるからおいでというので、母のそばに行くと、体位を変えて父の上になった母がフェラチオしてくれました。それを見た妹が「お母さんがお兄ちゃんのをなめてる!」といって驚いたのですが、母は「親子だから平気よ」と言いました。やがて父と母が気持ちよさそうな声をあげていってしまいました。父の精液の量は僕の半分くらいでした。母はコンドームに入った父と僕の精液を飲んでしまいました。妹がそんなの飲んで大丈夫なの?と聞くと母は、大事なお父さんと僕のだから大丈夫だといい、妹にも少し舐めてみることをすすめました。妹は少しだけ指先につけて舐めたのですが「変な感じ」とは言ったけど、嫌そうじゃなかったです。母が「そんなに嫌な味じゃないでしょ?」と聞くと妹は「うん」と言いました。父が「男って、精液を飲んでくれるとうれしいもんだぞ」と言うと妹は納得していました。

父と母のセックスが終わったので、もうおしまいと思ったのですが、父が「和己と久美はセックスしたことがあるのか?」と聞いてきました。僕も妹も「ない」と答えました。すると父が、ふたりとももう大きいのだからそろそろ体験しておいた方がいいよといいました。そして母が「そうしなさい、和ちゃんは私と、久美ちゃんはお父さんとしなさい」といいました。僕が「親子でセックスしてもいいの?」と聞くと、父が「セックスは子供を作る目的もあるけど、快楽を味わうゲームみたいなものだから、家族同士で楽しんでもいいだよ」といいました。僕は前から母にフェラチオしてもらいながら、母とセックスがしたいと思っていたのでオッケーだったのですが、妹の気持ちがわからなかったので、どうするのか心配だったのですが妹は「お父さん、優しくしてね」とあっけらかんに言いました。妹は隠し事をいっさいしないあっけらかんとした性格ですごく明るいのですが、エッチのことについても同じなのでびっくりしました。

妹は父に全身を舐められて、気持ちよさそうな声を上げました。僕は父のやっていることを見ながら母に同じことをしました。初めてなのでうまくできなかったはずなのに母はほめてくれました。そして母があえいでくれるとうれしくなってがんばりました。母が気持ちよくなったので今度は、フェラチオをしてくれる事になりました。あとから聞いた話では、妹にフェラチオの勉強をさせるために仕組んだそうです。ギンギンに立った僕のものを母が舐めはじめると、妹が「私もやってみる」といいだしました。そして父のものを口に入れて、母が僕を舐めるのを真似しはじめました。それを見て母が、ていねいに妹に指導しました。いつもならすぐに言ってしまうのですが、一度出していることと、母が説明するためにちょくちょく口を外すので長持ちしました。時には僕をほったらかしにして父のものを母と妹が交互に舐めたりもしました。

いよいよセックスすることになったのですが、最初は僕と母が父と妹に見られながらしました。体位は正常位しかしませんでした。何回か腰をふるととろけそうな感じになって、すぐにいったからです。妹が「気持ちよかったあ?」と聞いてくるので、すっごくよかったと言ってやりました。いったあとも立ったままのものを見て母が「まだできる」と聞いてきたので、何回でも出来ると言うと、「元気ねえ」と感心していました。

次に父と妹がセックスを始めました。入れる瞬間をジックリ眺めました。「痛い」と小さな声をあげましたが、痛みをこらえながらも父のものをしっかり受け止めていました。父と妹のセックスを見ながら、妹の処女が欲しかったなあと思いました。しばらくゆっくりと腰を動かしていた父ですが、妹を気づかって途中で抜いてしまいました。すると「父さんは出るのに時間がかかるから久美がかわいそう」だからということでした。母が僕に妹とセックスするように言うので、妹に入れようとしたのですが、うまくはいりません。さっきみたいに母が僕のものを妹のアソコにあててくれて入れることができました。妹の中は、母よりかなりきつかったので僕はすぐにいってしまいました。父は隣で母の中に出していました。

こんなふうにして、家族みんなでのセックスが始まりました。
http://www.kazunoie.com/memo/memo1.html

1999年夏ごろの日常風景

ふだんの日は、父が仕事で帰ってくるのが夜11時を過ぎるのでセックスするのは、母と妹と僕の3人です。でも毎日3人で一緒にするわけじゃないです。3人一緒にするのは、半分ぐらいです。土曜日の夜や日曜日は、最低でも2週間に1回は4人でします。3人でする時は、最近はジャンケンで順番を決めて順番の低いものが上のものに奉仕します。一番勝ったものは2人から奉仕されますが、1番まけたものは2人につくさないとだめです。

先週やった時は、僕が1番、母が2番、妹が3番でした。最初に要求したのは、服装です。3人とも裸じゃつまんないので、母には裸の上にエプロンを着るようにいって、妹にはスクール水着を着るようにいいました。最初は、全身を舐めるようにいいました。上から順番に舐めさせました。乳首を同時に舐められたときは気持ちよかったです。フェラチオもチ○ポと玉を同時に舐められるとすごく気持ちがいいです。チ○ポも交互に舐めさせました。一番負けた母はフェラチオするのが好きなので、あまり母にはなめさせずに妹に舐めさせました。チ○ポと肛門も同時に舐めさせました。妹がチュパチュパとおいしそうに舐めているのを見ながら、母がうらやましそうな顔で肛門と玉をいったりきたりしていました。

しばらくして、妹も母に奉仕される権利を主張したので妹のオ○コを舐めさせることにしました。妹は僕にフェラチオしながら母にオ○コを舐めてもらうことにしました。母はレズではないらしいですが、妹のオ○コはよく舐めています。水着を横にずらしながら舐めていました。母は妹の感じるポイントを十分に心得ているのと、指をつかっていかせてしまいました。妹のイク顔を見て、入れたくなったので水着をずらせて入れました。

僕が妹をズコズコついている間中、母は僕や妹とキスをしたり、ふたりの乳首をなめていました。正常位から、だっこして最後は正常位にもどしました。妹がいったので、出すまえに母に妹とつながっているところを舐めてもらおうと思ったのですが、水着姿の妹がすごくかわいいのでそのまま出すことにしました。妹が安全日だったので、ひさしぶりに中に出すことにしました。そのことを言うと妹は「飲みたいよ」というので、「久美は兄ちゃんに注文できないんだぞ」と言ってやりました。「でも」というので「わがままいうと抜くぞ」というと、「やんやん」と言いました。そして「いくぞ」と言って中に出しました。ひさしぶりに中に出したのですが、口の中に出すのも気持ちいいですが、あそこの中に出すのはやはり気持ちいいです。全部出たので、チ○ポをぬいて母に口できれいに舐めてもらいました。妹は1番まけた時も自分からおねだりするのに、母はさすがに大人で僕が命令しない時はおとなしく待っています。

母にきれいに舐めてもらっている時に妹が「出てきた」というので、いいことを思いつき、妹をまんぐり返しにしました。そして母に妹のからだを支えさしている間にキッチンに行ってストローをとってきました。「ジャーン」と言ってストローを見せると、母は「ストローはだめよ、久美のカラダに傷がつくわ」と怒られてしまいました。ほんとうなら母には発言権はないのですが、親としておこられると言い返せません。母はそういう時はマジな顔になります。でも数分後には淫乱女性の顔つきになるのが不思議です。アメリカのホームページにそういう画像があったのでやってみたかったのですが残念です。母はそういいながらも、妹をまんぐり返ししたままなので、精液をなんとかしないと行けないことはしっかり思っていたようです。

母を仰向けにして、妹に母の顔をまたぐようにいいました。水着を着たままだったので僕が水着をずらしました。垂れはじめは母の口の中にはいらないで顔にかかりました。途中から母が下から口をつけて吸出していました。母の顔にかかったものは妹に舐めるようにいいました。でも飲んでいいよとは言わなかったので、母も妹も口の中に精液を溜めていました。いろんなビデオを見ると精液がきらいな人がいて、すぐに吐き出そうとしますが、母も妹も飲むのが3度の食事より好きなので、すぐに飲ませると喜ぶだけです。かと言って、しばらく口にいれたままにするのも平気なので、口移しさせることにしました。母も妹もいろんな精液飲みのビデオをみているので心得ています。しばらく母と妹にぐちゅぐちゅやらせていました。つばで量がふえたので、飲ませることにしましたが、抽選することにしました。

母と妹は精液を半分ずつ口に入れたまま、僕がクジをつくるのをまっていました。2個だけじゃおもしろくないので、6個作りました。当たりは1個です。妹から交互にひかせたのですが2回戦で母が当てました。妹は残念そうな顔をして、母の口に自分の口の精液を写していました。そして母はゆっくり味わいながら精液を飲みました。感想を聞くと、「久美のお汁とつばと母さんのつばが混ざっていて、母親としては幸せだったけど、精液らしい味があまりしないわ」と言っていました。母には不満だったようです。

次に、妹に制服にルーズソックスをはくように命令しました。その間に母とセックスすることにしましたが、母がエプロン姿なのでキッチンですることにしました。普段よくするように母が雰囲気作りのために、冷蔵庫からキュウリを出してまないたの上に置きました。包丁は危ないので使いません。演技派の母が「今晩のおかずは、きゅうりしようからし、和己のおちんちんにしようかしら」といいます。すると僕は「比べて見る?」と言って、コンドームをかぶせたきゅうりをオ○コに入れ2、3回つきました。そして「母さんのオ○コさん、おいしいですか?」というと、母は「他も試食するわ」といいます。今度はチ○ポを入れて聞くと「これにするわ」といいます。

しばらく立ちバックで続けていると、妹が制服姿にルーズソックスをはいて、少し化粧までしてやってきました。妹もノリがいいので、演技に参加します。「母さん、そんなことしてないでゴハンつくってよ。学校に遅れるでしょ」と言います。あえぎながら母が「待ってなさい、もうすぐ牛乳ができるから」と言い返します。「牛乳だけなの?」と言うと、母が「好きなものにかけて食べなさい」と言ったので妹は冷蔵庫を開けていました。中からカップに入ったみつまめを出してきました。フタを開けて「ミルクまだかなあ」と言って待っています。

なかなか僕がださないので、「この牛さんはお乳をもんであげないと出ないみたいですね」と言って僕の玉をさわりに来ました。「揉むより舐められる方がいいみたいですね」と言って玉に舌を這わせてきます。いきそうになったので妹に合図するとみつまめを持って待ち構えます。母からチ○ポを抜いてみつまめに振りかけました。すると「おりこうさんですね、こぼれないで全部入りましたよ、ごほうびにきれいにしてあげましょうね」と言って、口できれいにしてくれました。妹は精液がかかったみつまめを食卓でおいしそうに食べていました。精液がとくに多くかかったところを眺めてから食べていました。

たべおわるのを待っている間は、母にフェラチオをしてもらっていました。食べおわったので、最後に母と妹を交互にせめようと思って、場所をかえることにしました。食卓の上に制服姿の妹を横になるように言って、チ○ポを入れました。それから妹を抱き起こして駅弁スタイルのままリビングに移動しました。そして、床に妹をおろしてつきまくりました。母と妹をバックにしたり、母と妹が抱きあっているところを交互につきました。

しばらくついていたら、父からの合図の電話がかかりました。ちょうど母の脚を肩にのせてついていたので、妹に電話に出るようにいいました。少し話したあとで、コードレスを母に渡しました。母は父と会話していました。「食事はどうするの?」とか聞いていました。妹に聞くと早く帰ってくるとのことでした。電話を切った母が僕につかれながら、「父さん帰ってくるから食事の準備するから、母さんもうやめるわ」と言いました。「母さんまだいってないでしょ」というと、「いいからどいて頂戴」というので、しぶしぶ抜きました。「2人でやってなさい」というので、妹に入れました。

制服姿の妹をいろんな体位でついていると、シャワーをあびた母がキッチンに行くのに横を通りました。「そろそろ終わりなさいね」と言いました。そのあとすぐに妹の口に出しました。ペロっと飲んだ妹が「私もシャワーあびる」と言って出ていきました。横になっていると母が料理をつくっている後ろ姿が目に入りました。やりたらなかったので、後ろから入れさせてもらおうと近づくと、母が手で自分のお尻を隠すようにしました。それでも近づいて行くと「いい加減にしなさい」と言ってチ○ポをきつく握ってきました。仕方がないのでその時はそれで終わりました。
http://www.kazunoie.com/memo/memo99.html


僕と母のSMごっこ

母とのSMプレイの話を書きます。SMプレイと言ってもほんとの遊びです。

その日は、僕が最初にSになりました。初めに母を縛りました。縛り方は父から教わって、母や妹で何度も練習したのできれいに縛れます。と言っても跡がつくと大変なので少しゆるく縛りました。そして母に、僕の全身をなめるように命令すると縛られて動きにくそうですが、一生懸命舐めてくれます。チ○ポはすぐに舐めさせません。母はフェラチオが大好きなので、すぐに舐めさせると喜ぶだけなのでいつもじらしていじめます。玉と肛門を先に舐めさせました。

そのあとで母を座らせておいて、母の口の前でチ○ポをぶらぶらさせて「舐めたい?」と聞いてやりました。すると母は、いつも言っているように「ご主人様のチ○ポをしゃぶりたいです」と言いました。すると僕が「みゆきのご主人様は、父さんのことじゃないのか?」というと、「違います。私のご主人様は、和己様です」といいます。今度は「みゆきは、自分が産んだ息子のチ○ポがないと生きていけないです。と言ってみろ」というと、「みゆきは、私が産んだ和己様のチ○ポがないと生きていけません」と繰り返しました。

僕が「じゃあ、父さんのチ○ポは久美専用にしてもいいのか?」と聞くと、今まで雰囲気を出していたのに、多少マジに戻って「それはこまります」というので、「母さん、そういう時は僕のチ○ポだけでいいですと言うんだよ」というと、「だって、ほんとに久美専用になったら困るわ」と言いました。「もう母さんったら、よくばりなんだから」と言うと、「父さんのチ○ポがあったから和己と久美が産まれたのよ。だから大切にしなきゃ」と意味不明のことを言いました。

少しさめてしまったので、母をバイブ責めにすることにしました。バイブは母専用なので寝室に隠してあります。バイブを取ってきて、母のオ○コに入れました。すぐに母は感じだして声を上げ始めました。そして1度母がイッてしまったので、今度はバイブを抜けないようにして、何度も何度もいかせました。

5、6回いったあとで母が「もうだめ、スイッチを切って」と言うので、「まだだめ」と言って、そのまま僕のチ○ポをフェラチオするように言いました。いじわるして母から少し離れたソファに座りました。母が懸命に立ち上がって、僕の所まで歩いてきてフェラチオを始めました。でも手が自由じゃないのでチ○ポが安定しないので、口の中に入れてじゅるじゅる舐めるという感じよりも、玉を舐めたり、チ○ポを舌で下から上に舐め上げるのが中心でした。

途中からは、大きく口を開けさせておいてチ○ポを突っ込んで自分で腰を動かして母の口の中をつきました。そしてそのまま母の口の中に精液をだしました。すぐには飲ませずに、舌の上で何回か転がすように言って、最後にコップに出すようにいいました。そのあとで僕のチ○ポをきれいに舐めさせました。精液は次の僕のSの番の時に飲ませようと思いました。

一度出したのでSとMが交代です。母は女王様の衣装に着替えました。それで、僕に全身を舐めるように命令しました。舐める前には必ず「みゆき様、乳首を舐めさせていただいていいですか?」と言わされました。母の全身を舐めたあと、最後にオ○コを舐めるのですが、僕が仰向けになって母が僕の顔に腰をおろしてきました。母が「舐めたいの」と聞くので「舐めさせてください」とお決まりのセリフをいうと、「いつも同じのセリフじゃ舐めさせてあげない」と言われたので、「僕が生まれてきた女王様の美しいオ○コをじゅるじゅるさせてください」と言いました。すると「いい子ね、じゃあ舐めていいわ」と許可がおりたので、舐めました。

しばらく舐めていると、「上手に舐めてくれたからご褒美をあげましょうか」というので、「ありがとうございます」というと、精液の入ったコップを持ってきて、「口をあけなさい」というので、「それは、次に使う分だよ」とあわてると、「奴隷が生意気なことをいうんじゃありません」と言いました。自分の精液だから抵抗はないのですが、予定が狂ってしまうのでこまったのですが、命令だから口を開けました。すると母が精液を僕の口に垂らしながら「飲んではダメよ」と言いました。全部口に入れると「私の口に垂らしなさい」というので、母の口に垂らしました。母が何度も口移しを要求するので、つばで量が増えて行きました。最後に母がコップに精液を戻し「女王様は今日は、たくさん飲みたい気分なの、だから奴隷は一生懸命出しなさい」と言いました。

そのあとで母が上に乗ってセックスしたのですが、僕がイキたくなったら母は腰の動きを止めました。何回もじらさせたあと、体位を正常位に代えて母の口に出しました。母は舌の上で精液を転がしたあとでコップに移していました。
http://www.kazunoie.com/memo/memosm.html


父と母の出会い

いつも読んでくださっている方からの質問で「父と母の出会い」と「母が近親相姦を知った時の事」を書いて欲しいというのをよくいただきます。母から取材をしたので書きます。

学校に行かなくていい日の朝、父と一緒に朝食を食べていたら母から「手伝って欲しいことがあるから家に居て」と言われました。いやな予感がしたけど家の用事が最優先なのでイヤイヤ「うん」と返事をしました。そこに制服に着替えた妹がやってきて父の膝の上に座りました。そして父の皿からリンゴをひと切れ取って食べました。僕は用事を妹にも手伝わせようと思って「母さんが用事手伝って欲しいそうだから早く帰ってこいよ」と言いました。すると母は「午前中で終わる用事だから久美はいいわ」といいました。

妹はその後、自分がお尻をこすりつけている間に父のチ○ポが立ってきたのでひっぱり出してフェラチオしようとしました。でもすぐに母から「遅刻するわよ」と言われてやめました。そして父と僕にキスをしてから「お手伝いがんばってね」と言って学校へ行きました。

全部終了して母の所に「終わったよ」と言うと、松山から僕あてに荷物が届いていると教えられました。開けて見ると、僕の大好きな栗と「栗んとん」というふざけた名前のお菓子とビデオテープが入っていました。再生すると従姉さんが美穂さんをいじめながら撮影したビデオでした。ほとんど美穂さんのアップで従姉さんは声ばっかりです。時々従姉さんが美穂さんにバイブを入れる所の手が写る程度でした。美穂さんは従姉さんに質問攻めに合っていました。僕はこのビデオを見ながら「母にもこの手でいこうか」と思いました。

ビデオカメラを持って、家事をしてた母の所に行きました。カメラを回しながら後ろから迫りました。母はカメラを見ると「ハメ撮りしたいの?」と聞いてきました。「ダメ?」と聞くと「化粧してから」ということなのでしばらく待ちました。

待っているとシャワーを浴びて化粧した母が裸でやってきました。僕のズボンを脱がせました。僕は「フェラチオしながら質問に答えて」といいました。母はパンツを脱がせてくれて僕のチ○ポを咥えました。

カメラを見ながら僕のチ○ポの裏筋を下から上に舐め上げている母に、「父さんと母さんってどこで知り合ったの?」と聞きました。母は「それは前に教えたじゃない」と言いました。僕はビデオ用に「ビデオ用に全部もう一度聞くので答えてよ」といいました。

母はチ○ポを舐めながら答えてくれました。父と母の出会いは「アイビー」がきっかけです。昔アイビー少年少女だった父と母は学生自分に別々のアイビークラブに所属していたそうです。その頃、アイビーリーグというのがあっていろんなアイビークラブが所属していてパーテイなんかも開かれていたそうです。そのパーテイで父と母は初対面したそうですが、そこでは何も起こらなかったそうです。

仲良くなったのはアイビーのファッションショーに出た時で、父と母がカップル役に選ばれて「金曜日のデート」というシュチエーションで手をつないだのがきっかけだそうです。最初のデートでキスをして、2回目のデートでHしたそうです。3回目のデートからは会うたびにHしたそうです。

母が僕の先ばしりの液を舌先ですくって舐めました。僕は「母さんのフェラって父さんが仕込んだの?」と聞きました。すると「母さんはね、父さんと知り合うまではお嬢さんだったのよ」と答えました。僕は久美のフェラチオの練習を思いだしました。久美は母が僕のチ○ポを舐めているのを見ながら父のチ○ポを舐めたり、学校から帰ってから僕のチ○ポを母とダブルフェラしながら練習していました。見る見る上達して父が悲鳴をあげたのを覚えています。でも母は見本が無かったのでどうしたのか聞いたら、言われるままにやったそうです。

母にフェラチオの素人の役をやってもらいました。母は僕のチ○ポを握りながら「どうやったらいいか教えて」と言いました。僕が「先っぽをソフトクリーム舐めるみたいにやってごらん」といいました。すると、いきなり根元から先っぽまで一気に舌を這わせました。僕が「それはお嬢さんじゃないよ」というと母は「ソフトクリームが垂れてきたのよ」とボケてくれました。

母が「そろそろ欲しい」というので入れることにしました。質問しながらハメ撮りするので騎乗位でしました。僕が横になると母はパンツを脱ぎました。「舐めようか」と言うと母は「ヌレヌレだからいいわ」と言って、チ○ポを掴んで自分で入れました。僕は下から撮影しながら質問を続けました。

次の質問は、父が近親相姦しているのを知った時の事を聞きました。結婚前に2人で見た映画に近親相姦の話があって、映画が終わってから「もし俺が近親相姦してたらどうする?」と質問されたらしいけど、「そんな事あるわけないわ」と思ってた母は、祖母がきれいな人だったので冗談半分で「あのお母さんなら、いいんじゃない?」と答えたそうです。

映画のタイトルを聞いたけど、母は「わすれたわ。それより、もういいでしょ。4日もしてないから母さんすっごくしたいのよ」と言いました。僕は仕方ないので先にやってから質問を続けようと思って「終わってからも付き合ってよ」といいました。すると母は「何回でも付き合うわよ。今日は何回する?」と言いながら腰を激しく上下しました。

僕はカメラを置いて、下から母のオ○コを激しく突きあげました。母は「アー、いいわ」と声をあげました。僕が下から母のオッパイを揉むと母はドンドン感じていきました。母は4日もしかなった日はめったにないので、いつも以上にすごく感じていました。母に「クリトリスさわってごらんよ」と言うと、カラダをそらせてクリトリスをいじりはじめました。母は「気持ちいい!!」と言いながら腰の上下とクリトリスいじりを同時にやっていました。

だっこちゃんスタイルになると、母は僕の口にむしゃぶりついてきて、よだれで僕の口まわりをべとべとにしてくれました。それから正常位になって母の足を肩にかついで激しくパンパンと突きました。すると母は「ダメダメ!!イク、イク!!」と言って、イッテしまいました。僕はチ○ポを入れたままで母の痙攣がおさまるのを待ちました。

もう一度カメラを持って、イッタ後の母の顔を映していると、トロントした目で僕を見たので「母さん、さっきの話の続き教えてよ」と言いました。すると母は「そんな事どうでもいいでしょ。もう一度して」といいました。僕は質問に答えてくれないのでいじわるしてチ○ポを抜いてしまいました。すると母は「抜かないで!!」と悲鳴のような声を上げました僕が質問に答えてくれたら入れてあげると言うと、母は自分の指でオ○コを開いて「わかったら、入れて」と言いました。でも僕はホームページのネタ作りのためにフェラさせながら答えてもらおうと思ったので「質問が先だよ」と言って入れるのを拒否しました。

母にフェラチオさせながらいろいろ質問しました。母は僕がしゃべっている間はチ○ポを舐めていて、答える時はチ○ポを握らせました。ビデオから音声だけ書き取りました。

僕「もっと、音を立てて舐めてよ」
(母が、激しく音を立てて舐めました)

僕「母さんがホントに近親相姦やってるのを知ったのっていつ?」
(チ○ポから口を外しました)

母「結婚してすぐよ」
(ふたたび口に咥えました)

僕「告白されたの?」

母「見たの」

僕「父さんとおばあさんの?」

母「そう」

全部書くと長くなるのでまとめますと、結婚後に松山の家で泊った時に父と愛しあっている所におじさんとおばさんが「仲良くやってるか?」と言って入ってきたそうです。母がビックリしていると、その横でおじさんとおばあさんがセックスを始めたそうです。それが最初に近親相姦の現場に触れた時だそうです。


僕「ビックリした?」

母「そりゃ、ビックリしたわよ」

僕「じゃあ途中でセックスやめたの?」

母「・・ううん」

僕「母さんの事だから、興奮したんでしょ」

母「わかる?」

僕「わかるよ。それで母さんは見てたの」

母「ちょっとだけね」

僕「どんな体位でしてたか覚えてる」

母「いきなりバックだったわ」

僕「おばあさん、気持ちよそうな顔してた?」

母「ニコニコしながら、母さんたちを見てたの」


そのあと、バックでやっていたおばさんが母のオッパイを舐めにやってきたそうです。その当たりからわけがわからくなって気がついたら、隣で父がおばあさんと座位でやっていたそうです。そして横になって見ていたら、おじさんがおばさんを連れてきたそうです。おばさんは妊娠8ヶ月目で大きなお腹をしていたそうです。

母「おばさんはね『私もビックリしたけど家系だから諦めちゃったわ』と言ったわ」

僕「意外にみんな認めてしまうもんなんだね」

父さんがおばさんに中だししたあとで、チ○ポを抜いて近づいてきた時に母はてっきり自分が後始末するもんだと思っていたら、父さんはおばさんとデイープキスをしてからゆっくり横にしてパンツだけ脱がせてチ○ポを入れたそうです。父はおばさんの大きなお腹に負担がかからないようにしてチ○ポをゆっくり出し入れしたそうです。僕はまだ妊婦としたことがないのでそのシーンを想像してすごく興奮して出したくなりました。

僕「母さん、出したいから舐めて!!」

母「待って、母さんの中に入れて」

僕「1回出してから」
(母が激しく舐めあげてくれて、僕は母の口に向けて発射しました)

僕「まだ飲まないで」

母「すごい、一杯れたわ」

僕「うれしい?」

母「うれひい」

僕「口を開けて」
(母が口を開けると、たっぷりと僕の精液がたまっていました)

僕「終わるまで飲んじゃだめだよ」

母「わかったわ」


精液を口に含ませたままで母に父とおばさんの続きをしゃべらせました。父とおじさんは正常位のままでやって最後におばさんの大きなお腹の上に射精したそうです。母は大きなお腹にの上に出された精液を全部舐め取ったそうです。舐めとっている時に後ろからお尻をつかまれたので振り返るとおじさんがいて入れていいか聞いてきたそうです。母は拒まないで受け入れたそうです。

その質問が終わって、精液を飲んでもいい許可を与えました。母はおいしそうに喉を鳴らして飲んでいました。僕はホームページ用のネタを撮り終えたので、母ともう一度することにしました。四つん這いにしてバックから激しく突きました。パンパンと音を立てて突くと母は頭をソファに乗せて、あえいでいました。母の片足を持ち上げて突くとすごく気持ちよさそうによがっていました。

僕は、一緒にイクつもりだったけど母が我慢できそうになかったのでバックのままでイカせました。僕はすぐにチ○ポを抜くと正常位に変えてもう一度バコバコ突きました。イキたくなったので最後のダッシュをかけて母と同時にイキました。チ○ポを抜いて母の口に向けて発射しました。全部出終わって母に最後まで吸い出してもらいました。
http://www.kazunoie.com/memo/memodeai.html

朝の僕と母と妹の3P

妹がボランティア活動先から大阪に戻ってきて最初の家族乱交のことを報告します。この日の朝、起きてすぐにトイレに行こうと下に降りました。すると、リビングで母と妹が全裸で、父は下半身だけ脱いでいて3Pをやり終えたところでした。父が四つんばいの母のお尻の上に射精したらしくて、妹が口で吸い取っている最中でした。父はチ○ポで飛び散った精液を集めて、妹が吸い取りやすいように協力していました。

父は、僕を見て「父さん、ゴルフだから後は頼む」と言いました。その声で思い出したように母が「お父さん、時間大丈夫なの?」と聞くと父は「あっ」とあわてました。「久美、先に父さんのチ○ポきれいにしてくれ」と言うと、妹は「お母さん動かないで」と言って、口に入れていた精液を母の背中に垂らしました。そして父のチ○ポをパクっと咥えて、オ○コ汁まみれのチ○ポをきれいに舐めました。妹が口をすぼめて何回もしごいたので、父は「またやりたくなるから、舌だけがいいな」と言いました。

チ○ポをきれいにしてもらった父はすぐにパンツとズボンを履いて出て行きました。妹はもう一度母の背中の精液を吸い取っていました。妹が吸い取っている間に、母が「カズちゃん、母さん欲しいから早くトイレに行ってきて」と言いました。僕は妹が父の精液を飲み込むまで見ていたかったけど、朝立ちでビンビンだったのですぐにトイレに行きました。便座に座って朝立ちしているチ○ポを押さえつけてオシッコをしました。

トイレから出ようとしたら母が僕をトイレの中に押し戻してパジャマのズボンをズリ下げました。そして僕を便座に座らせて、その上にまたがってきました。「母さんから先でいいの?」と聞くと、「お父さんが母さんのお尻の上に射精したけど、ほとんど久美ちゃんとやってたのよ」と言いました。母はチ○ポをつかんでそのまま腰を下ろしてきました。母のオ○コの濡れ具合からして、かなり我慢させられていたみたいです。チ○ポが母のオ○コの奥まで入っていく間「ハアー」と声をあげていました。

母は僕と軽くキスしてから、上下運動を始めました。「母さん、かなり我慢したでしょ」と言うと「そんなに濡れてる」と聞いてきました。「グチュグチュだよ」と言うと、「すぐにイキたいから激しくして」と言いました。僕の方からも下から激しく突き上げました。母は「いい、いいわ」と声を出しながら上下運動を続けていました。母の声がだんだん激しくなってきたので、そろそろ妹が乱入してくるかなあと思っていると、予想通り妹がやってきました。ドアを開けっ放しにしてやっていたので、丸見えでした。でも妹は「オシッコしたい」と言うだけで、僕と母のエッチに参加してくる様子じゃなかったので、「母さん、久美がオシッコしたいらしいからトイレからでよう」と声をかけました。すると母は「もうすぐイキそうなの。抜かないで」と言うので、チ○ポを抜かないように立ち上がりました。

すると妹が便座に座ったので、トイレから出ないで、母を壁にもたれさせて片足立ちにしました。妹が「邪魔」と言わなかったので、チ○ポを動かしました。母のあえぎ声と妹のオシッコの音が同時に聞こえていましたが、僕の耳は妹のオシッコの方を90%ぐらいのバランスで聞いていました。でも母がイキそうになっていたので、オ○コを突くスピードは落としませんでした。母は「アア!アア!」と叫びながら感じまくっていました。

妹のオシッコの音が止まったので、僕は妹の方にむかって「ウォシュレットで洗わないで」という意味で手を出しました。妹は意味がわかっていないみたいで、スイッチを入れてしまっていました。せっかくオシッコしたての妹のオ○コをきれいに舐めてあげようと思ったのですが残念でした。妹はオシッコが終わってもそのまま見学していました。母はそれから1分もしないうちに「イク!イク!!!」とイッてしまいました。

母がイクと妹が「お兄ちゃん、今度あたしだよ」と言うので、母のオ○コからチ○ポを抜きました。母は仲良く3Pしようと主張していました。それからもう一度リビングルームに戻りました。リビングルームに戻ったら妹は真っ先にソファに手をついて四つんばいになって僕にお尻を向けました。母が「久美ちゃんが先でいいから、少しだけ舐めさせてね」と言いながら僕の前にひざまづくと、妹が「あたしも舐める」と飛んできました。

最初はチ○ポの両側から舌先でチロチロ舐められました。次に妹が裏筋を舐めて、母が舌の裏でチ○ポの上側をすべらせるように舐めていました。そのあとは交互に口に入れてチュパチュパ舐めたり、思いっきり吸われたりしました。Wフェラが段々盛り上がってきて、妹が僕のチ○ポを握って母の鼻の穴に入れようと遊んだりすると、母も妹の耳の穴に入れようとふざけていました。それからもう一度、まじめにWフェラに戻って、チ○ポと玉を交代で舐めてくれました。仕上げはチングリ返しさせられて肛門を舐められました。

僕のチ○ポの先から激しく「第1チ○ポ汁」が出始めたので、二人並んで四つんばいになってもらいました。母のオ○コも妹のオ○コもかなり濡れていたので、「すぐ入れるよ」と言うと、ふたり同時に「入れて」と返事がきました。約束通り、最初に妹のオ○コにチ○ポを入れました。僕が妹のオ○コにチ○ポを入れ始めると母は「どう、気持ちいい?」と妹に声をかけていました。妹は「気持ちいい」と言っていました。根元まで入れてじっとしていると妹のオ○コが僕のチ○ポを締め付けてきました。やっぱり妹のオ○コが最高と思っていると、母が「お父さんみたいに味わってないで、動いてあげなさい」と言いました。妹は「じっとしてていいよ。でもお母さんが焦れてくるかな」と冷やかしていました。母は妹の乳首をつまんでいました。

それから妹のオ○コの感触を味わいながらゆっくり突き始めました。妹はすぐに反応して声をあげていました。母は四つんばいのままで僕の腰の動きを見ていました。少しだけサービスのつもりで妹のオ○コからチ○ポを抜いて、見せてあげると母が起き上がろうとしたのであわてて妹のオ○コの中に戻しました。母はそのまま僕と妹の結合部を覗き込んでいました。僕は母を意識しないで普段通りに妹を突きまくりました。すぐにはイカせないでおこうと思ったのでおもいっきり強く突くのは数回だけにしました。それでも妹はオ○コ汁を出しまくってチ○ポが白くなっていきました。

母は段々我慢できなくなってきて僕にオッパイを押し付けるようになってきました。仕方ないので「久美、母さんと少しだけするぞ」と言うと「いいよ」と答えてくれました。すると母は妹のオ○コに埋まっていたチ○ポを強引に引っ張りだして、チ○ポにむしゃぶりついてきました。チ○ポについた妹のオ○コ汁を舐めながら「おいしい」を連発していました。チ○ポを抜かれた妹は僕に唇を求めてきました。しばらくこのままの状態でキスをしていると、母が「入れて」と言いました。

母が四つんばいでお尻を突き出していたので、妹が「入れてあげる」とチ○ポをつかんで母のオ○コに当ててくれました。すると母の方から腰を押し付けてきたのでズッポリ入ってしまいました。母は「今日の母さん、すごくHしたい気分なの。だから用事なかったら1日中相手して」と言いました。用事はなかったのですが、妹が「お昼からお兄ちゃんと梅田に遊びに行くから翔ちゃんとして」と言いました。母は「遊びだったらいつでもいけるでしょ」と言おうとしました。でも僕が激しく突き始めたので、母はあえぎ声をあげるので精一杯になっていました。妹が「お母さんイカせちゃって」と耳元でささやくので、そのまま「パン!パン!」と音を立てながら突きまくりました。

母は「イッてもやめないで!」と言ったあとは「イイ!!アア!!アッアッ!!イキそう」と声をあげていました。僕もイキそうになってきたのですが、1発目は妹でと心に決めていたので耐えました。母がすぐにイッてくれたので耐えられました。「イク!!!」と叫んでお尻をピクピクさせていた母の腰を持ってじっとしていると、妹が「今度はお兄ちゃんを気持ちよくさせてあげる」と言って、僕の手を引っ張って仰向けになるようにいいました。仰向けになって母のオ○コ汁付きチ○ポをそびえたたせると、妹が騎乗位でまたがってきました。

「出そうだからゆっくりして」と言ったのですが、妹はいつもどおりの騎乗位を始めました。妹は僕が耐えている顔を見て「ほんとに出そうな感じね」と言うので「マジで出る」と悲鳴を上げました。目を閉じて耐えていたら母が顔を舐めながら「出したら」と言いました。妹も「出していいよ」と言うので、「中出しする」と言ってから妹のオ○コの中に射精しました。妹のオ○コの中に大量の精液を注ぎこんでいると、妹が「お兄ちゃんの耐える顔ってかわいい」と言いました。

精液が全部でききると、妹がゆっくり離れました。すぐに母が妹のオ○コに口を付けて精液を吸出していました。妹は僕のチ○ポの後片付けをしてくれていました。母は最初は妹を横向きにしてオ○コに口を付けていましたが、最後は母の顔の上に座らせて舐めていました。妹は僕のチ○ポをトコトンまで吸い出していました。玉を揉みながら「思い切り吸ったら、タマタマの全部出てきたら面白いのにね」と言いました。

いつまでも離れないので母が「口開けて」と集めた精液を妹の口に入れにやってきました。妹はチ○ポから離れて、母にむかって口を大きく開きました。母は「飲んじゃだめよ」と言ってから妹の口に精液を流し込んでいました。そして妹を仰向けにしてから最後の仕上げに妹のオ○コを舌全体で「ベロ〜ン」と舐めてきれいにしていました。

妹のオ○コをきれいにした母は妹の上にのしかかって行きました。そして妹に精液を口角から少しずつ出させて吸い取りながら、「このままでいいから母さんに入れて」と言いました。僕はすぐに上下に並んだオ○コの上側にチ○ポを挿入しました。母はオ○コにチ○ポがズッポリ入っても妹との精液の口移しをやめませんでした。しばらく僕はその様子を見ながら母のオ○コを突きました。1分ぐらい突いていると、「久美ちゃんと交互について」と言うので、母のオ○コからチ○ポを抜いて、下側のオ○コにチ○ポを入れました。妹は気持ちよさそうな顔をしながら母と口移しを続けていました。

1分毎の交代を3セットやったら、母が「あと2回出して」と仰向けになりました。そして妹には「お兄ちゃんの精液3回分まとめて味わいたいから飲んじゃだめよ」と言うと妹も賛成のようでした。母のオ○コにチ○ポを入れると今度は妹が上にまたがってきました。妹のオ○コを見ながら、母を突きまくりました。時々妹のオ○コに指を入れて感じさせたりしながらやったので、腰がおろそかになって怒られました。

母はイキそうになってきた時に「久美ちゃんの口に出して」と言ったので、母が一度イッたあとの2回目に一緒にイッて妹の口に射精しました。妹の口の中にはさっきの精液や唾液が入っているので量はわかりにくかったのですが、それなりに出ました。妹の口の中は2発分の精液と母と妹の唾液が一杯だったので、チ○ポの吸出しと後始末は母がやってくれました。母は少しだけ精液のまざった唾液を妹の口に流しこみました。

2発出したあとですが、チ○ポはビンビンのままなので、3発目はすぐに始めました。母が「こぼれるから母さんが口に入れるわ」と言って、口移しを要求したのですが「平気」と言って拒否して、口に含んだままで仰向けになりました。母は「何かの拍子に飲むことがあるからダメ」と言って、母が仰向けになって、オッパイの上に妹の顔が来るようにしてバックからやるように言いました。

言われた通りに、バックからチ○ポを突っ込みました。妹は口を開けることが出来ないので「ウウウ」と唸っていました。母に「この方が久美がこぼす危険性高いと思うなあ」と言うと「オッパイの上だったらいくらこぼしても大丈夫よ」と言いました。「母さんがああいうから、思いっきり突くよ」と言ってから妹のオ○コを突き始めました。

3回目なのでイクまで時間がかかりました。妹はその間に2回イッていました。でも唸り声だけなのでいつもと様子が違いました。僕が射精に向けて腰を早く動かしだすと、下から見学していて心配した母が「お母さんの口に垂らしなさい。思いっきり声あげたいんでしょ」と言って、母はカラダをずらせました。妹は母の口めがけて精液をドバーっと垂らしていました。

それからは今まで我慢した分、大きな声をあげまくっていました。すぐに妹が「またイキそう」と言ったので、「お兄ちゃん、もうすぐイケる」と言うと「一緒にイク」と耐えていました。そして妹と同時にイキました。今度も中出しでした。グッタリしている妹のカラダを支えて母の顔をまたがせました。母は指を入れて精液をかきだして口に入れていました。

3回分の精液と唾液の量は結構ありました。母と妹が口移しをしあっている間にグラスを取ってきてあげました。ケンカしないように半分ず
9:777 :

2022/05/24 (Tue) 05:45:42

が家は変態家族です。
ネットを開けば、野外での露出やスワッピングなど、変態カップルや変態夫婦が溢れています。俺の両親は、スワッピングや乱交や野外プレイをこなしてきたタイプです。そして、俺はその変態夫婦の子供です(笑)。

両親が一番変態なのが、子供を巻き込む事に一切抵抗感がない事です。
普通はどんな変態夫婦も子供は巻き込みませんよね。

父は風俗嬢の母と結婚し、若くして脱サラをして風俗店を経営しています。
この状況だけでも一般的な家庭ではありません。
まさに変態のサラブレッドのように俺は育ってしまいました(笑)。

父は自分の店の風俗嬢に、最低でも1日1発フェラ抜きをさせている程性欲があり溢れています。
(10分位で済ませるが、1時間分の給金は出しています)

(普通の風俗店では、あらゆる理由から自分の店の風俗嬢とはしませんが、ウチでは男性店員もお金さえ払えばOKなんです)

そして、中出し大好きな変態夫婦(両親)は今時珍しく4人の子供を授かりました。
姉、姉、俺、弟の4姉弟です。そんな我が家の話です。

我が家では、10歳になると性教育との名目のプレイが始まります。
(もしかしたら両親は真剣なのかも…)
俺が10歳になった時、親父が、

「ママには絶対内緒だからな!」

と約束をさせ、俺を自分が経営する風俗店に連れて行きました。

そして、まず待ち構えていたのは勃起の能力の確認でした。

親父の事務室に入るとすぐにエロDVDを鑑賞させられました。

巨乳の女の子達が全裸で犯されながら口内発射されたザーメンを次々と飲んでいく内容を見せられ、すぐに勃起してしまいました。

父「ちゃんとチンコ硬くなったか?」

俺「硬いよ」

父「気分はどうだ?硬くなって気持ちいいか?」

俺「気持ちいいよ」

と答えると親父は店の女の子に電話を掛けました。

父「準備は出来てるから、教育の件今からお願いする」

するとすぐに事務室に下着姿のお姉さんが2人入って来ました。

親父に好きな方のお姉さんを選ばせられると、選んだお姉さんが服を脱がせてきました。

隣では父も服を脱いでいます。

エロDVDを見させられて既に勃起していたので、お姉さんが

「うわ~っ(笑)」

と笑いました。

全裸になり、腰にタオルを巻かれると、4人でシャワー室に連れて行かれました。

シャワー室に入る時、2人のお姉さんはブラとパンツを脱いでプルッとしたオッパイを丸出しにしました。

この時、俺のペニスはビクビクと脈打っていました。

シャワー室に入ると父が

「即尺からいこっか」

と言い、父と横に並んで立っている前でお姉さん2人が屈み込んで俺の包茎のペニスをジュポジュポしゃぶり始めました。

よく家で母が父にフェラしてたので日常的な光景だったのですが、見るのとされるのは大違いでした。

父「皮を剥くって分かるか?俺と同じ形になるようにチンコをつまんで根元に皮を引っ張ってみろ」

親父は自分のペニスの皮を実際に動かして実演した。

お姉さんにフェラされながら真似して皮を剥こうとすると、キツくて最後まで剥けませんでした。

そして父は、もう1人のお姉さんにフェラを続けさせ、ペニスをわざわざ口から外してお姉さんの開けた口の中に向けてしごいて射精をしました。

父「これが射精な。大人になる為にお前もするんだぞ」

そしてプレイルームに移動し、フェラをされながら皮を剥くように引っ張る事を続けました。

それが毎日1時間です。

徐々にペニスの先の皮が緩くなり、4日目にはカリの半分まで剥けていました。


5日目、シャワー室に入ると父は俺の勃起したペニスを見て

「皮半分剥けてるな。今日全部剥いちまえ」

と言い、お姉さんがフェラを始め、俺のペニスが完全に勃起すると、父が俺のペニスの皮を摘んでゆっくりと強く剥いていきました。

皮が3分の2まで剥け、カリがお姉さんの口の中に触れる面積が増えていき、ゾワゾワした性感をカリが感じていました。

父が

「皮を摘んでしごいて、皮を全部剥いちゃって」

と言うと、お姉さんがペニスの先をしゃぶりながら俺のペニスの皮を摘んで皮を剥くようにシゴキました。

5分もすると皮がさらに緩くなり、お姉さんがフェラしながら皮を剥くようにシゴいていると、あまりにも気持ち良くてギンギンに勃起していました。

もう剥けそう…と思っていると、突然お姉さんの口の中で皮がズルッと全部剥け、カリ全体がお姉さんの口の中に放たれました。

皮が全部剥けた瞬間、また初めての性感を感じました。

お姉さん「全部剥けたよ~(笑)」

父「じゃあ精通させて、フェラはゆっくりな」

お姉さん「はぁ~い!」

お姉さんは強く吸いながらしゃぶりつきました。

横では父がもう1人のお姉さんに口内発射しています。

父「気持ちいいだろ?そのまま気持ち良くなっていくと精子が出そうになる感じするが、分かるか?」

俺「分からないけど、フェラチオ気持ちいい」

父・もう1人のお姉さん「ははは!(笑)」

父が、もう1人のお姉さんに俺に抱きついてキスするように言うと、俺はフェラをされながらお姉さんに抱きついてキスをしました。

お姉さんのオッパイが当たってきて、性感が一気に高まりました。

お姉さんに抱きついてオッパイを俺の体に押し当てていると、お姉さんの体気持ちいい!お姉さんの体気持ちいい!としか考えられませんでした。

そして、頭ではお姉さんの体しか考えられなくなり、今まで感じた事のないような込み上げ感が沸き起こりました。

とにかくペニスが気持ち良かったのを憶えています。

何も分からないまま、とにかくお姉さんの体で気持ち良くなっていると、しゃぶられているペニスが凄い勢いでビックン!!ビックン!!と動きました。

激しい快感に包まれ、ペニスがビックン!!ビックン!!と脈打つ度、尿道にゼリーのような物が通り抜けていくのが分かりました。

フェラしていたお姉さんは精液を口に溜めながらゆっくりしゃぶりついて来ました。

お姉さんが口を開けると、精液がタップリ入っていて、射精をした事を知りました。

父に、

「お姉さんが精液を飲んでくれるから良く見てるんだぞ」

と言われ、お姉さんがゴキュッと喉を鳴らせて精液を飲むのを見ていました。

抱いているお姉さん「うわ~~~(笑)」

飲んでくれたお姉さん「あはは(笑)」

父に、

「おめでとう!大人の男だな!」

と言われて嬉しかったのを憶えています。

そして次は、連続で射精出来るようになるまで1週間毎日フェラ抜きをされました。

父にはオナホールとローションを渡され、

「家でも射精したくなったら使いなさい」

と言われ、お姉さんのフェラを想いながら1日に2~3回射精をしていました。

初めのうちは射精した直後にペニスを刺激されるのは辛かったけど、すぐに慣れていきました。

3週間目には、3分も休めばすぐ次の刺激が出来るくらいになってしまいました。

そして、

「お姉さんに連続で射精してみろ」

と父に言われ、シャワー室で2回口内発射をしました。

さすがに父も

「これは凄いな(笑)」

とお姉さん達と笑っていました。

しかし、精通からひと月近く過ぎた頃の俺は、家での射精を含めると既に100回以上の射精をしており、射精欲が異常に強くなっていくのを感じていました。

そして父は、


「一緒に母に射精する」

と言ってきました。

翌日母はいつも通り、父に出勤前のフェラ抜きをしていました。

18時に部屋に来いと父に言われていたので、父の部屋に行くと父と母と姉2人が下着姿で揃っていました。

姉2人も性教育が済んでおり、処女のままバイブやローターでイク事を覚えていました。

姉2人はローターでオナニーをしていました。

母は既に下着姿で父のペニスをフェラしています。

2人の姉が隣の姉の部屋で毎日オナニーをしているのは知っていましたが、実際にローターでオナニーをしているのは初めて見ました。

異様なこの空間に入ると、風俗嬢のお姉さんの事が頭をよぎり、服を脱ぐ前に勃起してきました。

服を脱いで横になるように言われ、全裸で横になると、2人の姉が見ている中、父にアナルセックスされた母が四つん這いでフェラしてきました。

そして、父と母にフェラまで性教育された姉2人もオナニーをしながら交代でフェラしてきました。

母が父にフェラしているのは風呂場でもリビングでも日常でしたが、姉のフェラは初めて見ました。

この後仰向けに横になっている俺の上に母が乗って来て、母は俺のペニスをアソコに当てそのまま腰を下ろしました。

初めてのセックスです。

ペニスが女の中に入り、フェラとは違う快感が襲ってきました。

母が横になっている俺に抱きついてきたので、姉の体を見ながら母を抱き締めました。

そして父が再び母のアナルにペニスを挿入してきました。

母の膣と直腸の中で父とのペニスが当たり、父がアナルを突く度母の中でペニスが激しく刺激を受けました。

母は突かれる度に喘ぎ声を出しています。

俺は姉の体をオカズにして母の穴を下から突きました。

さすが元風俗嬢。

母は下からも突けるように腰を少し浮かせています。

2人の姉もオナニーが激しくなり、喘いではいませんが遠慮なくよがっています。

母の女の体を抱き締めたまま性感に身を任せていると、すぐに射精感が込み上げてきました。

現役で乱交やスワッピングに参加している母はピルを常用しているので躊躇なく母の体内で射精しました。

精通からひと月で母とのセックスを体験し、精液を母の体内に注ぎ込みました。

射精すると父と母に喜ばれ、女の体内に射精した快感に浸りながら、30分は父にアナルを突かれ、何度も射精されている母にそのまま抱きついていました。

次は姉のフェラ抜きが始まりました。

母がフェラで俺のペニスを再び勃起させると、父と母にローターでクリトリスを刺激された姉2人が交代でしゃぶりついて来ました。

姉の口の中で射精すると、近親相姦独特の満足感がありました。

精液を飲み慣れない姉はオナニーしながら一気に飲み込むと父にバイブでイカされました。

そして、射精したばかりの俺のペニスに母が再び勃起するように丁寧にしゃぶりつき、萎えなくなったところでもう1人の姉にしゃぶらせフェラを指導しました。

「彼氏も旦那もちゃんと朝夜抜かないと絶対浮気されるからね」

なんて母は言っていました。

バイブでイカされて抱きつきながらフェラしている姉に口内発射すると、やはりオナニーしながら精液を飲み込みました。

最後は母にフェラされ、2人の姉を抱き締め、姉のオッパイを感じながら無理矢理射精しました。

父が仕事に出た後も、母の

「無駄な浮気をされない為のフェラ抜き講座」

が続きました。

最初は初めて見る姉のエロい行為に引いてる部分も少しはありましたが、最後はワイワイとヤリまくっていました。

変態夫婦の息子の精通と初セックスの話です。

http://www.h-ken.net/txt/2478/
http://www.h-ken.net/txt/2478/page_1/
10:777 :

2022/05/24 (Tue) 05:50:04

インセスト・タブーができた理由


39 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/03/29(土) 23:02:34


>家庭環境は娘の母親が勝手に出て行って

母親が父親を捨てて出て行って後に、父と娘に関係ができたと。

体験告白系でよくあるパターンですが、作り話ばかりではないんですね。


40 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/03/30(日) 11:18:10


父娘家庭で相姦になるというのは体験告白の王道パターンでその時点で信憑性を疑う(苦笑)。

ファザコン娘が母に捨てられた(又は亡くなった)父に同情して関係するという投稿を何回読んだことか。

ただ、このパターンの妄想で書く人が多いということは、そういう妄想を生み出す元となる事実があったのではとも思えるのです。


35 :家族とエッチしまくりたいさん:2007/12/09(日) 01:01:30

告白系の妊娠話は99%は妄想か釣りだけど、残り1%はガチなのかもしれない。

ま、頭が悪い俺にはどれが嘘でどれが真実かなんてわからないけど。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/108/1180642354/


____________


[33789] おとうさん 投稿者:娘 投稿日:2010/10/11(Mon) 23:47


私のお尻の穴は、おとうさんのち×ぽ専用です。

お父さんは変態議員なので、おま×こには興味が無く、お尻の穴ばかりかわいがってくれます。

最初にお尻にち×ぽをいれられたのは、小学3年生の夏休みでした。

そのときは、おねいちゃんも妹も全員お尻にち×ぽを入れられました。

妹はまだ幼稚園だったので、お尻の穴が切れて血だらけになり大変でした。

おねいちゃんはチ×ポをぬくとうんこをしてしまい、お父さんにしかられました。

わたしのおしりの穴は切れなかったし、うんこもでなかったので、おとうさんにほめられました。

おかあさんも最初はお尻の穴でかわいがられたそうです。

おかあさんが子供が欲しいとお願いして、ようやくま×こに入れてもらったのよといっていました。

そうしたら、最初の子供が女の子だったので、おとうさんは、子供のお尻の穴をいじめることができると大喜びで、次々と子供を生ませるためにま×こにち×ぽ汁を注ぎ込んだそうです。

そうして生まれたのが、私たち三姉妹です。

おねいちゃんも妹も、もちろん私も、大学入学で家を離れるまで毎日のようにお尻の穴でち×ぽを喰わえてました。

おとうさんはお尻を可愛がるために、そんなにお金もないのにお風呂場をアナルプレー専用に改造してまで、私たちのお尻の穴をいじめました。

私たちが、お尻の穴にち×ぽを入れられても泣かなくなると、今度は浣腸や、拡張バルーンなどを使って、私たちが泣きわめくようにしました。

一度、マヨネーズとワインビネガーの連続浣腸で、おねいちゃんが意識不明になったことがあります。

妹はお尻の穴が緩くなり、おむつをして通学していた事もありました。その後はアナルプラグにかわりました。

私のお尻の穴は柔軟なのか、おとうさんのむちゃくちゃなプレーにもなんとか耐えることができました。

大学を卒業して家に戻ったのですが、おとうさんはまだ処女だった私を犯し、中だししました。

そうです、おとうさんは私を妊娠させて、女の子を生ませようとしているのです。

もう一週間毎夜おとうさんに犯されています。

妊娠するのは時間の問題です。

http://www.erotown.com/toupara/bbs/b04_2/index.cgi

パパとお風呂で…。

実は12歳になった今でもパパとお風呂に一緒に入ってるんです。

ママが病気で亡くなったその日の夜も、一緒にお風呂場へ。

パパと入るとあそこを指で丁寧に丁寧に洗ってくれて、気持ちいいんです。

まず指で私のクリクリした所をいじりながら、まだ洗ってない私のおしっこが出る所をペロペロ舐めるんです。

私が『パパ汚いよぉ』って言うと、パパは

『こんなに綺麗なピンク色をして汚いわけないだろう。
他の男には見せたらダメだぞ。』


と言ってハァハァ言いながら舐め続けるんです。

最初はくすぐったかっただけなのに私もだんだん気持ち良くなってきて、よく分からない気持ちになるんです。

パパが

『ほら、お前のおまんこからお汁が出てきたぞ。
まだ12歳なのにいやらしい娘だなぁ。』


って言って自分のおちんちんを触らせるんです。

パパのおちんちんはいつもと違って大きく硬くなってて、舐めてと言われるのでペロペロしました。


『パパはお前の事が好きだからこうするんだよ』


って言われて、私のあそこをパパのおちんちんでこすりつけるんです。

すでに私のあそこはすごく濡れていて、外側はヌルヌル。

思わず『パパ気持ちいいよぉっ』って言うと、パパが


『今まではお前のあそこにこするだけだったけど、もっと気持ちいいことをしようか。


お前がもう少し大きくなってからするつもりだったけど、パパはもう我慢できないよ』

って言われて、私は意味が分からなくて返事が出来ないでいると、私の中に急にパパのおちんちんが入ってきたんです。


『パパっ、何するの?』

訳が分からず聞くと、

『少しだけ我慢すれば良くなるよ』

って言われて私の中でおちんちんを出し入れするんです。

すでにヌルヌルだから、ちょっと痛かったけど気持ち良くて

『パパぁっ!パパぁっ!』

って叫んじゃいました。パパは何度も

『やらしい娘だ、やらしい娘だ』

って言っていつもは私の体にかける精子を中に出しました。

私のあそこからパパの出した精子がいっぱい垂れてきて、いつもより気持ち良くてびっくりしました。

それからと言うもの、お風呂場以外でもパパは私のあそこに夢中なんです。
夜お布団に入ってきては…。

http://plaza.rakuten.co.jp/reirei1988/diary/201008310040/

父に抱かれてしまいました。なんだか笑えてきます。…


嬉しそうに実の娘を相手にセックスしていた父が。

そして、そんな父にまったく抵抗する事無く抱かれていた私が。

高校を卒業して3年。

何もする事無く、無意味に近い生活をしてきた。

ひきこもりと言っても良いのかもしれない。

そんな私を、父は文句言う事無く保護してくれた。

もう二十歳を過ぎて、こんなことじゃいけないのに。

私の面倒をみてくれているんだ。

父には私を自由にする権利がある。

私が父のために出来る事は、父の望むことをすることくらい。

最初は、お風呂で背中を流してあげるくらいだった。

お互い照れあってた。慣れてきた頃、父が私の裸を見るようになった。

そして父の股間が男として立った。

かなり戸惑いました。

まさか実の父娘でそういう事があるなんて思ってなかった。

だけど私は、逃げませんでした。

そのうち父が、暑いから外で涼もうと言って私を外へ連れ出した。

外へ出たところで、私は父にキスされた。

生まれて初めてのキス。

ベッドへ連れて行かれ、色んな生まれて初めてのことをされた。

そして、生まれて初めてセックスを経験した。

少し悲しかった。

でも今は全然平気。

父が望んだんだから仕方ない。

私と父は、恋人になります。

人生が始まった。

お父さん、好きです。 (2010年06月27日)
http://plaza.rakuten.co.jp/reirei1988/diary/201006270007/
11:777 :

2022/05/24 (Tue) 05:51:38

母似の私1ヶ月前、一人暮らししている私のマンションへ、田舎から父が突然やってきました。

私26歳、父51歳で、一人暮らしして4年が経っていました。

何でも父は出張だったらしく、2晩泊めてくれと言うんです。

私の彼氏も出張で、夜中やって来なかったのはよかったのですが、彼氏のシャツを見つかり父は激怒、私は「男物の服を干しておくと、泥棒や痴漢に入れないの。」と説明をし、何とか納得してもらいました。

しかしその夜、私が寝ているベッドに父がやって来て、

「本当に男はいないんだな。」と言い、私が「いないよ。」と言うと、

「だったら、寂しいだろ。」と言い、ベッドに入ってきたのです。


私も必死に抵抗しましたが、父の力には勝てず犯されてしまいました。

父は抵抗に疲れた私に覆いかぶさり、私の体を好き勝手にするのです。

私の体中を愛撫すると、正上位で繋がり、それに飽きるとバックから。

最後は何とか外に出してくれたんですが、私が泣いていると

「すまなかった。お前が死んだお母さんに似ていたから。」

と言って、部屋を出て行きました。

しかし、次の晩も私のベットにやって来たのです。

私はもう抵抗をする気にもなれず、父に背中を向けじっとしていました。

すると父は私を後ろから抱き、パジャマとショーツを脱がすと私の胸を揉みながら後ろから入ってきたのです。


「お前のお母さんもこの格好が好きだった。
この格好で一晩中繋がっていたこともあったよ。」

と言いながら、ペニスを出し入れするんです。

実は私も好きで、彼によくこの格好で抱かれながら寝るんです。

私もだんだん気持ちよくなってきて、いきそうになるのを必死に我慢していました。

しかしそれも父に分かってしまい、そうなると父の言うとおりにされてしまうんです。
父は私にペニスを咥えさせながら父の顔を跨げと言うんです。

私がしぶしぶ言う通りすると、今まで父のペニスが入っていてまんこを舐めてくるんです。

私はそれだけで父のペニスを離し、「いくうう、」と叫んでしまいました。

その後はもう何がなにやら分からず、父に身を任せてしまいました。

気が付くと朝になっていて、父が後ろから私を抱き、ペニスが私の中に入っているんです。

私は父を起こさないようにお尻を振り、ペニスを出し入れするのですがうまくいかず父を起こしてしまいました。

「お母さんと同じだ。お母さんもよくそうしてお尻を振っていたっけ。」

と言いながら、今度は勢いよくピストンしてくるんです。

その後お昼前まで、私は何度も何度も父にいかされ、最後には

「私の中に出して。」

と、叫んでいました。


今は彼とも別れ、お正月休みを実家で過ごしています。

実家には父だけなので、朝も昼も夜も関係なく毎日父と抱き合っています。

夕べは紅白と面白いテレビ番組があるので、夕方までに食事を済ませ、父と一緒にお風呂に入り、父の部屋で後ろから抱かれながらテレビを見ていました。

母の位牌もあるので気が引けますが、気が付くとテレビの事を忘れ、父に抱きついたりペニスを咥えていたり、父の腰に跨ってお尻を振っていたこともありました。

今、父は大きな鼾をかいて、私の隣で眠っています。

当然私も父も裸のまま。父のペニスに手を伸ばすと、だんだん硬くなってくるのが分かるんです。

実家に帰ってきて、私の気持ちに変化がありました。

それは、一人暮らしをやめて実家に帰ってこようかなと思っているんです。

父のペニスは挿入可能な堅さになって来ました。

父を起こさないように、いただきます。
http://plaza.rakuten.co.jp/reirei1988/diary/201009050008/

1 お父さんと関係 [えみか]


お父さんと関係を持っています。

お母さんは離婚して家出ていきお父さんと二人暮らしです。

ある日お父さんがオナニーしている所を目撃してしまい私もしばらくしてなかったし我慢出来なかったのでお父さんに告白しました。

するとお父さんは私をベットに押し倒してきました。

二人で全裸になり深いディープキスをしました。

お父さんは私のアソコ舐め私はお父さんのチンコ舐め一時間位舐めたり指マンされて何度もイカされました。

そして挿入の時ゴムはあったけど私はゴムが嫌いなのでそのまま生で挿入しました。
最後は中出しでした。

それから毎日お父さんとお風呂に入って寝るのも一緒で生理以外は毎晩愛し合ってました。

そして二年後女の子を産みました。

その子も今年で私がお父さんと関係を持った年になりました。

昨日お父さんはその子と関係を持ちました。

今日は3Pする予定です。

早く夜にならないかなぁ。

まてないからお父さん帰ってきたら襲ってしまうかなぁ。

子供は二人下の子も女の子です。
http://incest.ebo.jp/thread/79.html
12:777 :

2022/05/24 (Tue) 05:52:26


1父と姉が目の前で [こう]


これは、私が小6の時に体験した話です。
とは言っても私自身の体験ではないのですが。

私が小4の時、父と母は離婚していて、当時中2の姉と三人の父子家庭でした。

夜寝る時、父の寝室で親子三人で寝ていました。

子供部屋もあったのですが、なんか父と一緒にいると落ち着くので私も姉も なんら抵抗もありませんでした。


ところがこの寝室で父と姉のとんでもない行為を目の当たりにする事になったのです。

ちょうど夏休みに入って間もない頃だったので今頃になります。

ある日の夜、隣の布団から異様な雰囲気が漂ってきました。

なんかが擦れるような音と共に、

『パパ、パパ、私ね…』

『優子、本当にかわいいぞ、パパは優子の事、大好きだぞ』

『私もパパが大好き…』…

それからは姉の子猫がなきじゃくるような、なんとも言えない喘ぎ声が低く聞こえてきました。

もちろん私には二人がどんな行為をしているのか充分理解していました。

目を凝らすと、薄明かりが点いているので二人の様子がはっきり見えました。

父の布団の中で二人は変な動きがしているのがはっきり見えました。


『ねえ、パパ暑いよ』

『そうだな、タオルケットをとるか』

そう言うとタオルケットを剥ぎ取り、枕もとの扇風機のスイッチを入れました。

私はそんな二人を布団を被った状態で観察していました。

『なあ、こう○は寝てるよな』

『うん、大丈夫よ』

そう言うと二人は下着姿で抱き合い始めました。

姉は白のスポーツブラに白黒のボーダー柄のパンティー、父は股間がモッコリと膨れあがっている、真っ黒のビキニを履いていました。


父と姉は、横向きに抱き合いながら、激しく足を絡ませていました。


私の視界には、姉のヒップをパンティーの上からマッサージするように愛撫する父の手がはっきりと見えました。


やがて、二人は正常位で重なると、お互いの下着をちょっと下にずらし、ガチでセックスを始めました。

二人は声はあまり出さずに、ディープキスをする音と、ピストンするたびに聞こえる『ギュッギュッギュッ』と言う音だけがテンポよく響いていました。

時折、姉の低くなきじゃくるような喘ぎ声も響いて来ました。


私自身もすごく興奮していました。

二人のセックスを直に見て、その場で初射精したくらいでしたから。

二人はセックスが終了すると何事もなかったかのように眠りについていました。

二人はその後も定期的にセックスを重ねていました。

この話には続きがありますので、また書きたいと思います。

約20年近く前の話でした。
http://incest.ebo.jp/thread/87.html


            ̄~^ヽ、;ヽ;;;;ヽ;:ヽ
           '~" ̄ヽヽ;i;;;i;;;;i;;;;i   
              ノ:ノ::ノ;/;;;;;i;;i   あ…ん? ああ…あああ…いや? いや? ダメぇ!
        __,,,,,,,,,,,___/:/;/:/;;i::ノ/
  /^~"´ ̄-‐‐‐'''"´/:/;ノ;;;;ノ://
 /::::::/:::::::_,,,、---‐‐'''`~,、-''/::/
/:::/:-‐''''"~~::::::::;;;;-、,,,,、-,,、-‐ヽ,,_                 _、-、_
;/;;'`"~、-''''''~^'''''ー-、_,,i:i、  ヽ`ヽ、;ヽ、,,,ノ.   /"´ ̄~''ヽ. ,.. ‐"`'ー-''`''-、
;;;/~":、---、___/´ ,,i:'''  ::   ヽ. ヽ.`'''"´  /´    :::..,/        .:::ヽ
;;;;;'''''^~~~~^'''''/ー-  ';、 :::    `  ヽ`''ー-,,,i_    -‐''"          ::::::::;i、,
;;;、;;;`''ー-,,,,,,,,,,,,,,_,,,,,、_   ''       ',::::    `'ー            .:::::::::;/:: ヽ、
;;;ヽ、ー、;;ー-、,,,,,,,、-‐''"    .;´ ̄`,   ',::::,,,,、-    _、           ''~     ''ー
:::::ー、ヽ、,,''ー-ヽ.''''",.,;' "^' 'ー-‐'' . _、-'''''"´    "       ヽ     ::
:::ヽ、`''ー-、ー-、'ヽ"、i;.     ヽ /"     .::..   '::,,:ヽ.     i     :::::
、::ヽ;;ヽ、:ー-、,,,,,、.ヽ ';''   ノノノ/;/      ..:: ::::  ヽ,,,ノ     ':::    :::
ヽ,,_::''‐、,,,,''ー-''ー-"''/~'"''"/:/::      ::、::: ::::..     ..:.::::::::"     :::::::::
  ヽ


りみ [初投稿]

私の初体験は10歳です。 相手は父です。

夜中寝ていると体を触る手にきづきましたが、「体をなでられて気持ちいいな・・・」と思いました。

数日するとすべてを脱がされました。

股間を撫でられているうちに今までと違う気持ちよさが襲ってきて無意識に父にしがみつきいってしましました。

それからは、毎晩のように愛撫されました。

指だったのが唇で吸われ毎晩のように気持ちよくしてもらいました。

3週間もしたころでした。

「もっと気持ちよくなれる。最初は痛いけど我慢してごらん。」といわれました。

「うん」と頷くとすぐに父のおちんちんが入ってきました。

痛くて泣きそうになりました。

それでも股間を舐められるのが好きで毎晩父を待ちました。

たくさん舐めてもらって気持ちよくなった頃おちんちんが入ってきます。

痛みがなくなるとそれはそれで気持ちのいいものでした。

そして小学校を卒業する頃には愛撫され挿入されることが大好きになっていました。

成長するに従っていろいろなことをためしました。

中学入学式の晩は、おちんちんを舐めることを覚えさせられました。

「舌を出してごらん。」といわれて・・・

おちんちんが近づいてきた時はおどろきましたがソフトクリームを舐めることをすぐに覚えました。

「上手だ、いい娘だ。」とほめられ嬉しくなりました。

数週間の間、父が帰ってくるのを待っていてズボンを脱ぐとすぐに父のものをしゃぶりました。

「りみのおしゃぶりはパパのおちんちん。」と言いながら喜んでしゃぶりました。

うちは父子家庭なので誰の目も気にせずSEXできるのです。

気分のいい日は全裸で帰宅を待っていたりします。

誰に見せるわけでもないので、あそこの毛は剃ってもらっています。

そのほうが可愛い気がして・・・。

お尻の穴も少しずつ、刺激されて指が1本入り・・・2本はいるようになり気持ちよくなった頃おちんちんを挿入されました。

もちろん今はおまんこもお尻も両方気持ちよくなっています。

SEX大好き。気持ちいいこと大好き。毎日したいのです。

まだまだ父との生活は続くのですが・・・もっと刺激的なことがあれば試していきたいと思っている18歳です。
http://www.hi-ho.ne.jp/attsu/kindan/kindan412.html


_______________________

[33815] お兄ちゃん 投稿者:あやか 投稿日:2010/10/13(Wed) 05:58
私には4つ上の兄がいます。

両親が旅行へ行き、二人でいたときのことです。

これってありがちな場面だな。。。と思ってたの。

お兄ちゃんのオナニー見てからしたくて仕方なかったから。

わざとノーブラでお風呂から出てきてソファーにタオルだけ巻いて座っていました。

もちろん、下もはいてません。

足を少し広げて寝たふりしてたら、お兄ちゃんが来て・・・アソコを覗いていました。

寝返り打つふりして大股開いたら、むしゃぶりついてきてオマンコがぐちゃぐちゃびちょびちょに濡れてしまいました。

お兄ちゃんのオチンチンもピンクでつやつやしてて。。。くわえるとあたたかくて、波打っていました。

ソファーの上だと汚れて親にばれるので、お兄ちゃんの部屋でHしました。

その日のよるは7回もしました。

お兄ちゃんは大学1年、私は高校2年です。

彼女とはこんなに出来ないって言っていました。

それからは毎晩、毎日私のオマンコをなめにきます。

おにいちゃんのおちんちんもなめてあげます。


              /               \
          / / ∠三ミレ-- 、      ヽ
         / / //─'''´ ̄ ̄`ヽ      ゙i
        / /  //        ゙iヽ  ヽ  |
        ,' /  //          | ヽ  ', |
        | |  / l,、、,,_   -‐''" ̄`゙i. |   | |
        | | / ノ,.t-、    'Tッ'Tゝ ヽ|レ‐、| |
        ゙i |/ ,ィ`' _L.,!    ` ┴'  リ‐、 } |
        .!///゙!     ,         ノ__/ .!
         |/ | ',    ゙        /  |  |
          |! |  \   ゚       /  |  .!
          {  |  | | ゙ヽ、    /  |   |  |
         ゙、 ', | |   | `l'"´    ゙、|  |i   |   私はフツーよ
         ヽ ヽ | |   レ'′      \ || /
           /ヽ \!  |  ̄ ``   r'´ ` ̄``ヽ
        /   ヽ ヽ ノ                   ヽ
        |     〉 V              |   |
        |    /  /       \       ヽ、 |
        |    / / /|       ヽ       \
        .!   / { ヽ|    ...     ゙、        ヽ
        |  {  ゙i   ヽ  ::r.;:.     l         ::_)
        .!  \ ト、 |   `゙"     /          /
         |    ト| | ∧       /           /
            |  / / /|| ゙ヽ、 __ ,. -'"    ` ーr┬ '′
          | / / | ヽ、               | /

____________

[33821] 子供が欲しい 投稿者:紀子 投稿日:2010/10/13(Wed) 12:51
私は36歳の主婦です。息子に性教育を実習で教えてしまいました。

主人とは五年前に離婚して、12歳の息子と二人暮しです。

先日夕食の時、息子が学校で性についての授業があったと話してくれました。

男女の生殖器の違いや、女性の生理、男性の射精についての話しがあったそうです。

息子は晩生で、性について疎いようでした。

その日、息子がお風呂に入っている時、私も一緒に入りました。

そして息子に女のお○○こがどのようになっているか顔の前で開いて見せました。


そして膣に指を入れさせ、ここに男性がおちんちんを差し込むと気持ちよくなって射精することを教えました。

指を出し入れさせているうちに、息子はまだ皮のかぶったおちんちんを大きくしていたので、自慰の仕方を教えました。

私がおちんちんを右手で握り、「めりっ」と皮をむきました。

そして左手で亀頭の先端をなでながら、しこしこと息子のおちんちんを上下にしごきました。

数回上下に擦ると、激しい勢いでおちんちんの先端から精液を噴き出しました。

そしてこれからはおちんちんが大きくなったら自分で擦って出すように教えました。

その夜、私は久し振りに男性の硬いおちんちんに触れた為か、お○○こが疼いて仕方ありません。

指で割れ目をなぞると、べっとりと濡れています。

私は下着を脱ぎ、お○○こに指を這わせ、激しくクリちゃんを擦り、ぬるぬるの膣に指を差しこみ、お○○こを自分で慰めました。

最初の絶頂が訪れ、けだるい空気が体を包んだとき、何気なくドアの方に目を向けると、なんと息子が私をみながら自慰を行なっているのです。

おちんちんを勃起させ右手で激しく擦っているのです。

私は起き上がり、息子の前に行くと、何回か射精したらしく、床には精液が飛び散っており、特有の匂いが立ち込めていました。

私はその場であお向けに寝て、両足を大きく開き、お○○こを広げました。

息子は左手でおそるおそるお○○こに触れてきました。

そこはさきほどのオナニーでべっとりと愛液で濡れています。

息子が指を動かすたびに「くちゅ、くちゅ」といやらしい音がします。

私は息子のおちんちんに手を伸ばし、お○○こに亀頭の先端をあてがい、差しこむようにいいました。

息子が腰を前に動かすとおちんちんは私の膣の中にヌルリと入りました。

息子は自然に腰を上下に振り、おちんちんをお○○この中に出し入れしています。

私が激しく腰をふると、体内に暖かい液体が注ぎ込まれてきました。私は息子の体にしがみつき、それを受け止めました。

それ以来、息子はオスになり、学校から帰ってくるなり私におちんちんを押し付けてきます。

私もその日以来、下着をつけるのをやめ、スカートをめくれば、いつでも息子が挿入できるように準備しています

[33816] 息子との性 投稿者:由梨 投稿日:2010/10/13(Wed) 07:01

夫に隠れて息子とセッ○スをするようになって、半年になります。

息子は21歳、私は46歳になります。

きっかけとなったのは、私のお友達との電話でのお喋りでした。

いつもは、夫の愚痴や、お姑さんの愚痴を30分位聞かされたあと、バーゲンの話やグルメの話になるのですが、その日は、うちの息子と同じ年頃の一人息子のオナニーの話になったのです。

私もよく知っている子で、キムタクに雰囲気が良く似た上品でスリムな子です。

私のお友達がたまたま、お風呂場に洗濯物を取りに行ったら、息子さんが、お風呂場でオナニーをしていて、その立派なペ○スを見てしまったと言うのです。

「太さも、長さも夫よりもワンサイズ大きめで、反りがあって、赤黒い亀頭は大型バイブくらいで、見ているだけで下半身が熱くなって濡れちゃったから、私もトイレに入ってオナニーしちゃったの」

って、そんな話でした。

私の息子もときどき、私の入浴時に裸を覗いたり、私の下着でオナニーをしてるようなので、私もその電話を聞きながら、なんだか体が火照ってきてパンティが濡れてきました。

電話が終わってしばらくソファに座りながら、何時の間にか、私もパンティの中に手を入れて濡れた割れ目をやさしく撫で回していました。

もうすぐ息子が帰ってくる時間だわと頭の中で思い、自分の指で自分を慰めながら、息子の若いペ○ニスに襲われたらどうしよう…そんな事を考えていると、すごく興奮してきて、激しく指を動かしていました。

片手で自分の乳房を揉み、足を大きく開いて、パンティの中に手を入れて、夢中でオナニーしているとき、ふと人の気配を感じて、ドアの方を見ると、ズボンを脱いでブリーフを脱ぎ捨てて、今にも襲い掛かりそうな息子の姿がありました。

「母さん!」

息子が、私の上に覆いかぶさってきました。

私は、声も出ません。

息子は私の濡れたパンティの横からいきなり、勃起した、ペ○スを挿入してきたのです。

途端に、熱く熱した鉄の棒を突っ込まれたような快感が襲ってきて、私は「あっ」と声を上げて息子にしがみついてそのペ○スを奥まで届くように腰を浮かせて迎え入れました。

息子が私にキスをしたあと、激しく腰を動かし、「ああっ、母さん!」と言うと、すぐに体を硬直させて、私の膣の中に熱い液体を注ぎ込んできました。

息子は一旦「母さん…、ごめん…」と言いましたが、私の膣の中でまだ硬さを失っていないペ○スをまた動かして、二回目を始めました。

二回目はもう私も感じていて、快感を体の芯で感じるように息子の腰に手を回して恥ずかしいくらいの声を上げてしまいました。

その日からは、息子の言いなりになって、夫にわからないように、ほとんど昼間に息子と関係を持つようになりました。

息子は夫よりもはるかに情熱的に色んなことをして私を絶頂に導こうとしてくれます。

そのうちに私の体も息子の若いペ○スが待ちどおしくなって、自分が怖くなっています。

息子とのセッ○スの後、自分の陰部をティッシュで拭きながら、こんなケダモノみたいなこと、早くやめなきゃ、といつも頭では思いますが、

息子に肩を抱き寄せられて、やさしく愛撫をされると、すぐに体の奥が反応してしまって、膣穴が若いペ○スの挿入を待ち焦がれるように濡れそぼってしまうのです。

恥かしいことですが、この年になって、アナルや、夜の公園でのセッ○スや、電車の中でのリモコンバイブなど、今までに経験したことがないようなことを初めて経験させられたこともあって、わずか半年の間に息子の求めから逃れられないように調教されてしまったのかもしれません。

夫とのセッ○スでは、もう体が感じなくなってしまって、夫との夜の営みもほとんどなくなってしまいましたが、その代わりに息子との新鮮なセッ○スで若返ったように女の喜びを感じています。

でも、人には言えない背徳感はどうしても拭い去ることができなくて、同じ経験の方たちが集うこちらのサイトに投稿させて頂いて、少し気持ちが軽くなりました。

            ̄~^ヽ、;ヽ;;;;ヽ;:ヽ
           '~" ̄ヽヽ;i;;;i;;;;i;;;;i   
              ノ:ノ::ノ;/;;;;;i;;i   あ…ん? ああ…あああ…いや? いや? ダメぇ!
        __,,,,,,,,,,,___/:/;/:/;;i::ノ/
  /^~"´ ̄-‐‐‐'''"´/:/;ノ;;;;ノ://
 /::::::/:::::::_,,,、---‐‐'''`~,、-''/::/
/:::/:-‐''''"~~::::::::;;;;-、,,,,、-,,、-‐ヽ,,_                 _、-、_
;/;;'`"~、-''''''~^'''''ー-、_,,i:i、  ヽ`ヽ、;ヽ、,,,ノ.   /"´ ̄~''ヽ. ,.. ‐"`'ー-''`''-、
;;;/~":、---、___/´ ,,i:'''  ::   ヽ. ヽ.`'''"´  /´    :::..,/        .:::ヽ
;;;;;'''''^~~~~^'''''/ー-  ';、 :::    `  ヽ`''ー-,,,i_    -‐''"          ::::::::;i、,
;;;、;;;`''ー-,,,,,,,,,,,,,,_,,,,,、_   ''       ',::::    `'ー            .:::::::::;/:: ヽ、
;;;ヽ、ー、;;ー-、,,,,,,,、-‐''"    .;´ ̄`,   ',::::,,,,、-    _、           ''~     ''ー
:::::ー、ヽ、,,''ー-ヽ.''''",.,;' "^' 'ー-‐'' . _、-'''''"´    "       ヽ     ::
:::ヽ、`''ー-、ー-、'ヽ"、i;.     ヽ /"     .::..   '::,,:ヽ.     i     :::::
、::ヽ;;ヽ、:ー-、,,,,,、.ヽ ';''   ノノノ/;/      ..:: ::::  ヽ,,,ノ     ':::    :::
ヽ,,_::''‐、,,,,''ー-''ー-"''/~'"''"/:/::      ::、::: ::::..     ..:.::::::::"     :::::::::
  ヽ

[33839] 皮を被った 投稿者:麻美  投稿日:2010/10/15(Fri) 15:40
息子は私と彼のおまんこ行為を見ても息子の包茎おちんちんは中々大きく堅くなりません、

私はオナニ―を初める時に彼に全裸でオナニ―をするように言われ全裸なりました、

私が昇天した時に彼も全裸になり、息子も私が脱がせ全裸にしました。

息子のおちんちんは小さく萎んだままです、

彼と私が逝く処を見て息子のおちんちんは少し大きくなりました3㎝位に勃起させてます、

彼は私をベッドに仰向けに寝かせ私の乳首を愛撫し初めました

指先で乳首を転がされたり撫でなれたり摘ままれたり揉まれたりし大きく尖りコリコリ勃起し彼の愛撫に反応して尖ってます、

そして彼が乳首を舐め吸われると気持ち良くて躰が反り痙攣し乳首で逝きました。

もう私のおまんこは大洪水みたいにグチョグチョに濡れ淫汁がワレメから滴り溢れそうです。

彼は息子に私のおまんこを近くに寄って見てみろと言って息子に見させてます、

息子は私が乳首を愛撫されてびしょびしょになったツルツルのおまんこを間近で見てます。

息子のおちんちんが大きくなり勃起してます、

まだ皮は剥けてませんけど8㎝位迄に堅く勃起させてます、

息子をベッドに座らせ脚を拡げさせ私は息子の股関に顔を埋め息子の包茎おちんちんを舐めさせられお尻を突き上げバックから彼におまんこして貰ってます、

四つ這いになりバックから彼におまんこして貰いながら息子の勃起した包茎おちんちんをおしゃぶりしてます。

息子は舌で5回位舐めると射精しました。

私は息子の顔を見ながら息子におまんこ気持ちいぃおまんこ気持ちいぃおまんこ気持ちいぃと何回も叫びました。

息子は私がおまんこ気持ちいぃて言ってるうちにおちんちんをまた堅く勃起させました

私はまた堅く勃起息子の包茎おちんちんを舐めさせられました。

               /|:::::::::::::::::::::ヽ.:.:.:.:、:.:.:.:、:.:.:.、.:.、.:.:.:.:.:.::`゛>
           /{::|:\:::::::\.:.:.:\.:.:.ヽ::.::.ヽ:.:.ヽ::::::::::.:.`゛ー- ..,__
: 何 :    /:|::',: ト、::::::ヽ、:.\:.:.:.\:.:.ヽ:.:.:\.:.:.:.:.:::.:.:.:.:::.::::_;:-'´   : : :
: が :   //: /:::|::',|::'、:::::::::\:.:\.:.:.ヽ:.:.:\:.:..\::::::::::::\、::::\    : : :
: 何 :  /!::|::l:::: /|:::l:ヽ:\::ヽ:.:\:.:\.:::ヽ:.:.:ヽ:.:.:.:\::::::::::::\ ̄   : : :
: だ :   |/l::|::|::|: ト、:::::::::、、:ヽ、:.:.:.:::::::::::::::ヽ::::.:ヽ:.:.:.:.\:.:.:.ヽ:::\.   : : :
: か :   |::|::/l::|::|r‐ヽ:::::ヽ(ヽー,―\::::::、::::::::::ヽ::.:.::::::.:::::::ヾ. ̄   : : :
:    :   }//l::|:::|{(:::)ヾ、:::ヽ \!(:::) ヽ,:::ヽ:::::::::::::::::::::::::::::::::::ヾ、   : : :
: わ :.   |/l::|::|:::|ヽ==''" \:ヽ、ヽ=='" |:::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ、::::\
  か     / ',|::|:::|   /   `゛       |!::::::::::::::::::::::::::::ト、::ト、_` ゛`
  ら      l::!::::ト、  '、 _         ||::::::::::::::::::::::::ト:ヽヾ| | ̄ ̄ ̄`ヽ、
  な     r'"´||',::::',                 |:::::/l:::::|\:::ト、ヾ | |     / / \
  い   /   ll ',::', 、 ーこニ=-       /!::/ ヽ:::|  ヾ、  ノ ノ  /  ,イ   ヽ、
       ,'    |  '、:, \ --       ,. '´ |;'  l ヾ、.   //     / |    l: l
      |   |!  ヽ;  ヽ       /.:    i!  /   ゛// |l      / |      | |

[33809] 息子と愛しあっています 投稿者:yumi 投稿日:2010/10/12(Tue) 19:31
最近、息子が私をHな目でみるようになりました。

ちらちらと、胸やおしりに視線を向けてきます。

まあ、私もスタイルには結構自信ががありますので、多少喜んでいた部分もあったのですが。

ところが私の入浴や、なんとトイレまで覗こうとし始めたのです。

さすがに私も頭にきて、現場を押さえて叱りつけようとしました。

トイレに入るふりをすると、すぐに息子がやってきました。

だます様に使っているふりをすると、急いでドアを開けました。

なんと息子はオチンポを大きくして、シコシコと擦ってオナニーをしていたのです。

私は唖然としてしまいました。

息子のオチンポが信じられないほどたくましく、堂々としたものだったからです。

突然トイレから飛び出した私を見て、息子もびっくりしたようでしたが、巨大なオチンポは反り返ったままでした。

主人が亡くなった後、長い間そんなものを見たことがなかった私は、メロメロになりそうでした。

それでも何とか叱ろうと息子に声をかけたのですが、息子のほうから謝ってきたのです。

お母さんが美人でグラマーだからたまらなかったんだと、半泣きでした。

私はもうだめでした。

息子のオチンポに、むしゃぶりついて激しくフェラすると、そのままセックスになだれ込みました。

トイレの前の廊下で息子にのしかかって、童貞チンポをベチョベチョのオマンコに向かい入れました。

激しく腰を振ってピストンすると、息子はあっという間に射精しましたが、オチンポはコチンコチンのままでした。

私も数え切れないほど何回もいってしまいました。

その後は、リビング、私や息子の寝室、台所やオフロなどでも毎日いっぱいセックスするようになりました。

亡くなった主人や、かつての恋人たちと比べても、ぜんぜん比較にならないほどの快感でした。

やっぱり実の息子だけに、体の相性がよいのでしょうか。

私は、今すごく幸せです。

でも、息子に哀願されて、私の恥ずかしいトイレをビデオで録画されるのが少々問題ですが。

特に大きいほうは恥ずかしいです。

それでも、いっぱいウンチが出ると息子は喜んで、たくましいオチンポで私を天国に連れて行ってくれます。

最近はそれを期待して、なるべくいっぱいウンチが出るように我慢する母親の私なのです。

[33628] いけない母 投稿者:孝子 投稿日:2010/09/30(Thu) 11:44
主人のことですが浮気してるようですが私にはふれてきません。

高校生の息子もいるしどうしたらいいかわからず気づかないふりをしていまいたがやっぱり許せない。

出張の多い主人ですが出張先で女がいるようなんです。

月2.3回出張で数日いません。

復習してやりたいなと思うようになりました。

でもそんなことするのもなって思ったりも。

そんな状況で日々が過ぎていました。

そんなある日、息子が休みの日の朝息子がまだ寝てるのかなってちょっと普段はいかない息子の部屋に。

少し暑がりな息子はまだTシャツに短パンという姿で布団を飛ばして寝ていました。

このこったら^^

私は布団をかけといてあげようと近くに行くと・・・・・

息子の股間が異常に盛り上がっていました。

やだこの子ったら。

少し私は笑ってました。

でもしばらく眺めてるうちに。

おおきそうだわ・・・・・この子

この子を食べてみたい。

そういえばどれだけ男の人との交わりがなかっただろう。

私だって女。性欲もあります。

私は眠ってる息子にまたがりました。

しばらく間近で息子の顔を覗き込んでました。

その状態で息子のあそこをさわりました。

太い・・・・・すごく。

けっこうたくましいわ。

あたりかも。

握ったりしてました。

そうしてると息子が目をさましました。

かっ母さん!

どうしたの。

息子はあそこをさわられてることにすぐ気が付いたみたい。

何してるんだよ。

たかし。

母さんと愛しあおうよ。

なにを馬鹿なこといってるんだよ。

やめなって

とにかく息子の短パンに手をいれ息子のものを握りました。

たかしのこんなになってるよ。

わあ大きい。大きいのねえ。

たかしのって

息子は私をはなそうとしましたが私は息子の感じるところをせめました。

あっ

息子は腕の力がぬけていきました。

やめなって。

やめていいの?

私は息子が感じてるのはわかりました。

なおもせめながらそういいました。

やめてほしくないけどこんな・・・・・

正直になろうよ。

ほら。

私は短パンからペニスをとりだしました。

息子は拒否しません。

ぱくっ

母さん。そんなこと。親子でするなんて。

少し気持ちよくさせておいて突然やめました。

ねえ続きしたくない?

続き?

そう。

でも。

相手が母さんだから躊躇してるの?

うっうん。

その前に男と女よ。私たち。

誰にも言わなけりゃ、男と女の1シーンにすぎないのよ。こういうことって。

交わり会うのが親子か他人の違いだけ

男と女ってすることは同じよ。でしょ?

やっていやなりゃもう次からやめておけばいいのよ。

でしょ?

やってみないとわからないでしょ。

うん。

私はその間息子の感じる部分をやさしく触ってました。

そんなことしたらその気になっちゃうよ。

その気になっていいのよ。

ふたりだけの秘密よ。

ほんとにいいんだね?

私は行動で返事をしました。

チュッチュッと軽く連続したキス。

これが母さんの返事よ。

息子は息が荒く明らかに興奮していました。
http://www.erotown.com/toupara/bbs/b04_2/index.cgi
13:777 :

2022/05/24 (Tue) 05:53:23

4. お父さんの赤ちゃんを妊娠しました

1 :早苗:2007/06/01(金) 05:12:34

中2から、お父さんとセックスしてます。

お母さんが家を出て行ってから、関係が始まりました。

もう6年になります。これまでに、4回妊娠して、今回初めて産みます。

後悔はしてません。

これからも、お父さんの赤ちゃんを産んであげて、本当の家族を作りたいと思ってます。

信じられないでしょうが、本当のことです。


5 :早苗:2007/06/08(金) 09:10:01

お父さんは、38歳です。 若いでしょ?


8 :早苗:2007/07/24(火) 13:21:38

な、なんと、双子ちゃんでしたぁ。

一気に二児のママです。

女の子だろうって。

メッチャ嬉しいです。


9 :名無しさん@近親相姦が大好き:2007/08/01(水) 22:47:00

お父さんとsexする経緯なんて聞きたいなぁ


10 :名無しさん@近親相姦が大好き:2007/08/11(土) 00:41:16

お風呂で洗ってもらって気持ちよくなったから。



              /               \
          / / ∠三ミレ-- 、      ヽ
         / / //─'''´ ̄ ̄`ヽ      ゙i
        / /  //        ゙iヽ  ヽ  |
        ,' /  //          | ヽ  ', |
        | |  / l,、、,,_   -‐''" ̄`゙i. |   | |
        | | / ノ,.t-、    'Tッ'Tゝ ヽ|レ‐、| |
        ゙i |/ ,ィ`' _L.,!    ` ┴'  リ‐、 } |
        .!///゙!     ,         ノ__/ .!
         |/ | ',    ゙        /  |  |
          |! |  \   ゚       /  |  .!
          {  |  | | ゙ヽ、    /  |   |  |
         ゙、 ', | |   | `l'"´    ゙、|  |i   |   私はフツーよ
         ヽ ヽ | |   レ'′      \ || /
           /ヽ \!  |  ̄ ``   r'´ ` ̄``ヽ
        /   ヽ ヽ ノ                   ヽ
        |     〉 V              |   |
        |    /  /       \       ヽ、 |
        |    / / /|       ヽ       \
        .!   / { ヽ|    ...     ゙、        ヽ
        |  {  ゙i   ヽ  ::r.;:.     l         ::_)
        .!  \ ト、 |   `゙"     /          /
         |    ト| | ∧       /           /
            |  / / /|| ゙ヽ、 __ ,. -'"    ` ーr┬ '′
          | / / | ヽ、               | /

11 :名無し3:2007/09/08(土) 21:18:59

早苗ちゃん、その後の経過はどうなったのでしょうか?
最近のSEXの状況などを交えて、教えてください。



15 :早苗:2007/10/16(火) 23:51:46

10月1日無事生まれました~!!!

双子の女の子ちゃんです。

パパもめちゃくちゃ喜んでくれて、生んでよかった~。

今名前考え中なんです。

18 :早苗:2007/10/25(木) 14:46:58

・色々ありがとうございます。1日じゃなくて、10日って打ったつもりが間違ってました。

名前、私とパパが一人ずつ決めました。

19 :家族とエッチしまくりたいさん:2007/10/26(金) 11:51:00

これからは避妊するんだよ。君のためにも。

早苗さんにとって理想の男性が父親であっただけ・・・

それと早苗さんの体が父親のペニスと精液を求めていた。

これって一種の運命かな? 

けど4回妊娠は危なかったよ。子宮がだめになって不妊や後遺症が残るからね。

健康で清潔な精液は女性のホルモン増進効能があるけど妊娠は別だよ。

お父さんにもきつく言っておいてね。

20 :早苗:2007/10/27(土) 15:56:40

・これから相談しようと思います。

ありがとうです。「家族と~」さん

21 :家族とエッチしまくりたいさん:2007/11/04(日) 13:06:22
パイプカットでもすれば良いと思う。
22 :SATIKO:2007/11/25(日) 22:52:01

早苗さん元気な赤ん坊、お誕生おめでとうございます。
これからは、お父さんと娘さん達と幸せに過ごして下さい。

私は、20代ときに、弟との間に子供が出来ましたが、結局堕胎することになりました。

お互い家庭があり、妊娠の発覚による家庭崩壊を防ぐ意味もありました。
しかし、今ではその事を少し、後悔しています。

それは、それ以降まったく私に妊娠の兆候がなく、今日まで何十年も過ごして来ました。

その間、夫は女を作り出て行き、弟は若くして交通事故で死んでしまいました。
もしあの時の子供が生まれていれば、と思います。

是非、早苗さんは愛する人と子供に囲まれて、元気に生きてください。


24 :家族とエッチしまくりたいさん:2007/11/29(木) 16:49:03
>>20
>>19だけど、パイプカットもよいかも?  女性にとって性交痛って嫌ですよ。

>>22
難しいですね。  私は25歳と19歳で自ら父親の子を産んだ女性を知っています。
兄の子2人産んだ女性も知っているけど弟の子を産んだ女性って少ないね。

25 :家族とエッチしまくりたいさん:2007/11/30(金) 07:22:05
>>24
>私は25歳と19歳で自ら父親の子を産んだ女性を知っています。
>兄の子2人産んだ女性も知っている

実話なら話を詳しく話してくれませんか。

その女性の方々が産んだ子供は障害はなかったんですか??

26 :家族とエッチしまくりたいさん:2007/12/06(木) 16:51:15
>>25
兄の子を産んだ女性の子供2人とも男性だけど遺伝性のてんかんで入退院繰り返している。

25歳で父の子を産んだ女性の子供は女の子で健康児、21才で産んだ女性の子供は生後2才で死亡。

27 :家族とエッチしまくりたいさん:2007/12/06(木) 16:53:49

そうそう19歳で父親の子を産んだ女性の子は健康児。男の子だった。

俺が出会った近親出産で一番多いのは、父娘姦だね。


33 :家族とエッチしまくりたいさん:2007/12/08(土) 14:01:42

叔父が産婦人科、同級生が精神病院と介護施設の理事 
その関係で近親相姦の実態を聞くことがあった。

実際にあった事もある。
21歳で父親の子を生んだ女性はちょっと苦手って言うか恐かったね。。。

やはり差別表現かもしれないけど、表に出にくいが養護及び介護施設や精神病院に行くと近親相姦で生まれた子供から施設生活50年以上の寝たきり老人まで本当にいるんだ。

しかし一般と変わらない生活をしている人まで色々いる。

無責任な妊娠出産は生まれてくる子供がかわいそうだ。  
最後まで育てる責任感があれば別だけど。


35 :家族とエッチしまくりたいさん:2007/12/09(日) 01:01:30
>>33
なるほど。合点がいきました。

あなたの言うことは信じますよ。

告白系の妊娠話は99%は妄想か釣りだけど、残り1%はガチなのかもしれない。

ま、頭が悪い俺にはどれが嘘でどれが真実かなんてわからないけど。

望んで性倒錯をしている側すれば責任をもって子作りするのはいいだろというだろうね。

必ず障害児が産まれるわけでないし、障害児だから産んではいけないわけではないし。


37 :匿名子:2007/12/29(土) 00:25:51

お母さんには悪いけど、たくましい父に抱かれたい
父の子供を妊娠したい

38 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/03/27(木) 19:26:28

上記で書いた19才で父親の子を合意で産んだ女性だけど、二人目を数年前に生んでいたらしい。

まあちょっと理解できない世界だけどね。

家庭環境は娘の母親が勝手に出て行って十数年行方不明。
父との関係は高校生からだって。


39 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/03/29(土) 23:02:34

>家庭環境は娘の母親が勝手に出て行って

母親が父親を捨てて出て行って後に、父と娘に関係ができたと。
体験告白系でよくあるパターンですが、作り話ばかりではないんですね。


40 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/03/30(日) 11:18:10

父子家庭で相姦になるというのは体験告白の王道パターンでその時点で信憑性を疑う(苦笑)。

ファザコン娘が母に捨てられた(又は亡くなった)父に同情して関係するという投稿を何回読んだことか。

ただ、このパターンの妄想で書く人が多いということは、
そういう妄想を生み出す元となる事実があったのではとも思えるのです。

38さん、その19歳で産んだ女性は現在では何歳なのでしょうか?


41 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/01(火) 12:58:18
>>40
どうもどうも。 どうなんでしょうね。。。?作話なのかどうかは本人達のみが知る事でしょう。


まだ三十にはなっていないと思います。
 
現実にどれだけの近親相姦による出産があるのか存じませんが存在するのも事実。  
結局永遠の謎かもね?


42 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/01(火) 13:01:37

産科から精神科に紹介されてわかった事実。
 
紹介された精神科医師は俺の高校時代の同級生。
やはり近親相姦がばれたら精神科受診するみたいだね。


43 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/03(木) 22:00:05
>>42
>産科から精神科に紹介

前に某巨大掲示板で産婦人科医が語るスレみたいのが立って、そこで自称“産婦人科医”が実際に近親姦による妊娠はあるよとコメしたことがありました。

本当かどうかはわかりませんが、体験告白でも産婦人科にちょくちょく近親相姦による妊娠の相談があるという話はでてきますね。

告白に書かれていることによると、医師は本人が出産を望んでいる場合はDNAと羊水検査をするだけで、強いて出産を止めることはないそうですが。
某掲示板の自称医師も同じことを言っていました。
だからって、それが本当かどうかは素人の僕にはわからないのですが。


44 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/03(木) 23:52:30

前に本サイトで投稿していた和子さんという方は現実話ですよ。

話が具体的で、女性しかまず使わない単語など書いていたのでネカマでは無い・

母子手帳やレントゲン撮影などを行い、出産までの経緯など医学的に見ても極めて正確な話をしてました。

母性本能がエスカレートして母と子の近親相姦に行き着くのが一番多いそうです。


45 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/04(金) 21:27:57
>>44
Blog「父に抱かれて 近親相姦」も妄想ではなく実話の可能性が高いように見えますよ。
父親の子供を妊娠していく過程がリアルすぎるんですよ。


46 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/08(火) 10:06:59
>>43
オ―ストラリアで父娘相姦の子が生まれて社会問題になっているらしい。
http://blog.goo.ne.jp/cheguerrilla/e/dd1b13af91917599bca5a1e670b2b99d

47 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/08(火) 16:37:05
>>46
読んだ。オーストラリアの田舎ならありそうな話だ。

48 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/08(火) 21:35:41
>オ―ストラリアで父娘相姦の子
一人目は心臓疾患があって死に、二人目は異常なしですか・・・。

49 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/10(木) 22:39:27
>>48
上記で紹介した21才で父親の子を産んだ女性の長女も2才で先天性心疾患で亡くなられましたね。

遺伝病はリスクが高いのでしょうね。
  
彼女は確か知り合いの話ですと流産も数度繰り返して結局は子供が出来ない体になったとか?

彼女は父親との関係を自ら受け入れているので後悔は無いかも?????

私は彼女に会った事があります。なかなかスタイルの良い女性でした。

が何か?普通と違う。

自分達の関係を否定される事に過敏になっていて恐かったです。 
 
もう30代ですね。
父親は知りません。父親の年齢は50代でしょうね?


50 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/11(金) 12:37:50

>遺伝病はリスクが高い

それでも異常がない子供が産まれる可能性もあるので、一部の女性は出産に踏み切るのでしょう。

>自分達の関係を否定される事に過敏

オーストラリアの父子相姦で妊娠した女性も父と関係を結んだことに過剰に肯定的ですね。
あの記事を読むと、体験告白の近親妊娠に関する投稿も実話が混じっているんじゃないかと思いました。

たまに妊娠を告白した投稿で真に迫っているのがあり、そういうのってオーストラリアの女性のように相姦に対して過剰に肯定的なんです。

マザコンや父子家庭に相姦が起こりやすいというのはよく言われているのでネカマやオタクをからかうのが好きな女性がそういう話を元にネタを書いて釣っているのもあるでしょう。

でも、オーストラリアの事件は実話を加工して投稿したのもあるんじゃないかと思わせました。


57 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/28(月) 14:26:47
>>50
お久しぶりです。

今日ネットで自分の娘を自宅の地下室の閉じ込めて子供を生ませていた父親がオ―ストリアで逮捕されたニュ―スを見ましたよ。

強要いかんね!   合意の無いセックスや出産は犯罪。


58 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/29(火) 14:43:32
>57
24年間監禁して7人の子供を産ませたそうですね。

こんな変態系掲示板にきておいてこんなことを言うのは偽善的ですが。
Fという父親がやった行為は鬼畜の所業としか思えません。

中絶させずに産ませたというのは何だかキリスト教社会独特の歪みを感じる。

アメリカのド田舎は近親相姦の問題が多いというのはよく聞く話ですが、オーストラリアの田舎も同じようですね。


59 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/29(火) 23:06:23
>>58
まあ合意があればすべてOKでもないですね。

生まれた子供が正常児でも、その子供は大きくなって自分の出生の秘密を知った時 問題がでる事もある。

結婚できない現実もあって、近親相姦は合意があろうが無かろうが生まれた子供の人生にも悪影響がある。

止めて無難だね。


61 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/30(水) 19:37:43

私の友人の病院に兄と妹の間に生まれた男の子が二人とも先天性てんかんで通院及び入院している。

やはり劣性遺伝が出やすいからね。

日本の正確な現状は???  作話ばかりで信憑性が薄いですね。

まともな資料がありません。


62 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/30(水) 20:39:59
>>59>>61
同意の場合ですが、僕は本人たちが望んでいるのなら妊娠は止めようがないと意見は違うのですが、産んだ後の問題が問われるのは仕方がないですね。

>日本の正確な現状は???作話ばかりで信憑性が薄いですね

NHKだったかで日本の性的虐待で明るみなったのは氷山の一角だみたいな報道を目にしたことがあります。

それに日本は近親による結婚は禁止していても、性交や妊娠は罪にならないので意外と実話もあるかもしれません。

日本の田舎なんか近親妊娠なんてありそうだなぁ。

まあ、ネット上に公開されている体験告白は作話が殆どだよね(苦笑)。

たまにディティールがリアルで「実話?」とどっきりする話がありますが。


63 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/30(水) 20:45:29

つけたしですが、日本の近親妊娠の実例は実話誌で度々取り上げられる娘が父を○害した事件がありますよね。

64 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/30(水) 20:56:25
>>62
個人的には警察や精神科医師より産婦人科医師が一番近親相姦の実態を把握していると思います。

がしかし患者の守秘義務と人権があって表に出ない。

65 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/05/01(木) 08:49:18
>>58
御存知ですか???アメリカの白人中産階級及び上流階級で意外と獣姦も行われています。

私達の印象評価では(精神異常の複雑な家庭環境で育った身なりの悪い男)が馬小屋や豚小屋に浸入して獣姦を行うと思い浮かべますが、

実はハイソで郊外の豪邸に住む身なりの良い独身白人女性及び夫婦が自宅で飼っている犬との獣姦を楽しんでいる実態もあるのです。

室内で大型犬を飼う家も珍しくも無い。アメリカってゲイも近親相姦も獣姦も日本より比率的に多いのは確実。

カトリック信者が日本の数倍で本来信仰に敬虔であるはずの韓国が日本の数倍の強姦発生率であるのもアメリカと同様何か社会の歪みと矛盾を感じます。

これは私の想像で表に出ませんが、中国の農村部や辺境及び少数民族社会における
近親相姦及び出産率もきっと高いと思います。


66 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/05/01(木) 16:22:18
>>58
根拠を出せと突っ込まれたら困りますが、合意及び強要虐待どちらであれ私の知り合いの病院でもネットのニュ―スでも、父娘相姦が一番多い???

と私は思っています。 
その次が兄弟姦?  最後に母息子姦?

どうでしょ?  調査資料が無いので想像の域を越えません。


67 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/05/01(木) 19:41:04
>>66
日本はマザコンが多いので母子姦が多いという俗説がありますが。

ほら、ココや他の体験告白掲示板も母子姦ネタが多いし(笑)


68 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/05/03(土) 23:16:17

大型犬を室内に入れて足袋をはかせて・・・、日本では都市部で結構あるみたいだし。

近親姦、特に母子相姦がハイソに多いのは日本も同じだよ。

マザコンもあるけど、子離れしたくない欲求不満の母親におもちゃにされてるって感じだけど。

69 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/05/05(月) 13:05:52
>>67
ここも他も作話だらけです。w

>>68
貧しく複雑な家庭環境に性的犯罪及び変態行為多いと言う神話が、実は綺麗でハイソな世界における変態行為を見落としますよね。

自分の娘を監禁して子供を生ませていたオーストリア男性も綺麗な住宅街に住む中産階級でしたし。



70 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/05/06(火) 14:02:25
>69
>ここも他も作話だらけ

ははは、わかっていますって。

でも、絶賛休業中の「近親相姦研究所」ですが。
あそこの父子相姦に関する投稿の一部は父親と関係をもった理由が筋が通っていて妙なリアリティがあったな。

実話を元にしたフィクションじゃないかと思えるぐらい。

かすみ、リンコ、YUYUYU、大猫熊の投稿がそう。

あと、母親が実父に強姦されて産まれた子供の投稿もリアリティがあった。


73 :連続コピペ投稿スマソ:2008/09/08(月) 23:07:28

No.6769 2008-06-06
近親相姦、孫娘にも毒牙の手

嘉義県で中年の男が17年前から娘にセックスを求め、妊娠させて2人の孫娘を出産させ、さらにこの孫娘(7歳、娘でもある)にも手を出そうとしたことが分かった。

現在27歳のこの女性は今までじっと我慢していたが、孫娘にまで猥褻行為を働いたため、支援者団体に事実を公開した。

父親は現在、姿をくらませている。警察はDNA鑑定をして事実関係を調べる。
http://www.naruhodo.com.tw/news/search.php?page_num=0&no=6769



74 :孫娘への嫉妬かも:2008/09/09(火) 06:48:53

嘉義県っていうのは台湾の中部あたりの地域です。

この娘さんはお父さんが孫娘に手を出したことがきっかけで事実を公開したということになっていますが、もしかしたらホントはじっとガマンしていたのではなく実はお父さんのことを娘妻としてちゃんと愛していたかも知れません。

お父さんの子供を2人も妊娠して出産してるんですから。

ホントにお父さんのことを嫌いだったら27歳になるまで一緒に住んでいないですぐに逃げ出しているのではないかと思います。

10歳のころから17年間もお父さんの性愛を受けて開発されているんですから父娘夫婦としての情愛はきっとあるでしょう。

このお父さんがさらにエッチしようとしたのは7歳の孫娘ということですから娘さんが20歳の時に産んだ子ですよね。

はたして20歳になった女性が無理やりに犯されて子供を産むまでじっとしているでしょうか。

妊娠して出産するまでに1年近くあるんですから、その期間には妊婦検診にも行くでしょうし病院のお医者さんの検診や保健所の保健師さんの訪問とか母親学級なんかもあるでしょうから。

どこか未開の地ならともかく台湾ならば日本国内とかわらない状況のはずです。

もしかしたらこれまで自分にそそがれてきたお父さんの愛情が孫娘にうつってしまうことを嫉妬したのかも知れませんね。

でもこのニュースは今年6月のことなんですけど続報とか何もないのでしょうかね。

娘さんのその後とか、失踪したお父さんのその後のことだとか…。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/108/1180642354/
14:777 :

2022/05/24 (Tue) 05:54:05

4. 父に抱かれて・・・


2005年05月31日
いまさら

父がSEXを求めてきたのを拒んだ。
何を今更とも思うけど。
別に嫌いになった訳じゃない。
最初は全然こわくなかったのに、今になって怖くなってきた。
お父さんは我慢してくれてる。


2005年05月27日
父は私を女としてしか見てない

私は内向的すぎた。
男の人とセックスすることで、何か変われれば良いなんて気持ちもあった。
そして一番身近にいたのが父。
っていうか私のまわりには父以外には男なんていなかったし。

いろいろ考えたけど、ちょっとでもタイミングとか意識の持ち方が違ってたら、近親相姦していなかったかも。
それとも、いずれこうなってた運命だった?
それなら諦めもつきやすいんだけどね。

もう父は私を女としてしか見れないらしいよ。
やっぱり私とセックスをやっちゃったからなんだろうね。
お父さんも被害者なんだよね。

2005年05月24日
距離をおこう

しばらく父とは距離をおこうと思う。
何か変だ。
父とはセックスするだけで、他は何もかわらないと思っていた。
でもそんなことはなくて、何もかもが変わってきてる。
全然落ち着けないよ。
父のいない時間が、なんとなく落ち着ける。


2005年05月22日
長かった

やっと朝になった。
すごく恥かしいおもいをした夜だったよ・・・。
裸をいっぱい調べられた。
さわられ、なめられ。
アソコも・・・中まで。
恥かしすぎて気絶したかもしんない。
あんまり長いこと調べてるんで、もうセックスしないのかと思ったら、挿入もされた。
すごくゆっくり入ってきて、ゆっくりと中で動いてた。
気持ちよかった・・・。
そして、だんだんはやくなっていって・・・。

これが今の現実ってことか。
私と父は、もう男と女なんだ。
こういうことをする関係なんだなって考えさせられた。

2005年05月19日
さいきん早いね

だんだん父が早く帰ってくるようになった。
それだけ私といる時間が長くなるんだけど。
そしてキスしたがるのよね。

キスはダメっていってるのに。
お父さんは恋人じゃなくて、やっぱり父親。
セックスは許しても、キスは許せないってやっぱり変?

確かにセックスのほうがすごいことなんだろうね。
だけど私の気持ち的なもんだから。
キスは本当に好きな人とするね。
・・・・って、そんな人、できるかな?
このまま、ずっと父と・・・っていう可能性のほうが高いかも(^_^;)
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-05.html


2005年06月27日
鏡の中の私

お風呂から上がって、なんとなく鏡を見た。
そこに映っているのは、裸の私。
父にすごく良い体だって言われた体・・・。

どうなんだろう?
自分では普通なんじゃないかなって思うんだけど。
太ってはいないけど痩せてもない。
胸は一応あるけど、巨乳でもない。

もうちょっと痩せたいって思ってるけれど、父は今のままで最高だからって言う。
きっと父好みの体なんだろうね。

これも父を私と本当に近親相姦させてしまった原因の一つなのかもしれない。
父好みじゃなかったのなら、こうならなかったのかも。

鏡に映ってるのは、血の繋がった父親とセックスを経験した女の体。
そして父親の性器を挿入された部分もある。
姿だけ見てたら、そんなことわからないのに。
人間って表面だけじゃわからないもんだよね。

2005年06月26日
すがしがしい朝

昨夜はあれほど暑かったのに、すがすがしい朝だ。
裸のまま、何もかけずに仰向けで朝を迎えた。
となりには、私の体を楽しんだ父がいた。

どうやら私の体をたっぷり鑑賞してたみたい。
すごく良い体だって言われた。
もう手放せないって。

嬉しいけど、素直に喜べないね。

2005年06月22日
父もまだ若い

父はまだまだ若い。
今は44歳だしオジサンなんだけど。

すごいパワーを感じる。
そのパワーが私を圧倒する。
セックスで私は圧倒されまくってる・・・。
普通にセックスしてても、とても気持ち良くされてる。

父以外とはセックスしたことないから、他の男性と比較は無理。
でもこんなに気持ち良いってことは・・・。
少なくとも相性は良いんだろうね。
父娘が体の相性良いなんて、超変なことだけど。

2005年06月19日
誓い

約束してもらおうと思った。
遊びじゃなく、本気で愛し続けることを誓うって。
もし誓うのなら唇にキスをして、遊びだから誓えないっていうならキスをしないでって言った。
もちろん、誓えないのなら近親相姦も終わり。

すると父の方からも、私に約束を求めてきたんです。
ずっとお父さんの女になって、他の男を好きになって離れていったら絶対にダメだって。

約束させるつもりが、逆に約束を返されるなんて思わなかった。
自分の首を絞めちゃったかな・・・?

でも自分から言い出したことだから、今更は引っ込められない。
私、まっすぐに立って目を閉じたよ。

イメージ的には結婚式でのキスを思い浮かべてた。
愛を誓わせるっていうのも、そんなイメージがあったから出たのかな。

目を閉じてるとき、父に言われた。
ずっと2人で暮らしていくんだぞ。わかったね。・・・って。

そして・・・・


唇と唇が重なった。

2人とも誓ってしまったんですね・・・。
なんだか本当に結婚してしまったみたいなキスだったよ。
キスの後、父に見つめられて緊張した。
そして再びキスされて、舌を入れられた。

もう誓ったんだからいいよね・・・ディープキス。
少しはそういうのあったけど、本当に解禁ってところかな。
こういうキスってなんだかエロいよね。

約束したから、セックスもなんだか安心して任せられた。
今まで相手がお父さんだったから、声を出すのも恥かしいし、ためらっていたけど、なんだか自然と声が出たよ。
お父さんにも言われてしまった。
今夜はすごく気持ち良さそうに声出してたねって(^_^;)

もう眠いから寝るけど・・・。
私、誓ってしまったんだね・・・。


2005年06月17日
考えてた

色々と今後のことを考えた。
父の女になるのを認めたといっても、実父と近親相姦をしている以上は不安は消えないし。

自分のひきこもり的な性格や今までの生活を考えたら、他の男性と出会って結ばれるなんて無いと思う。
今の状況から考えてもね。
たぶんこのまま父の女として関係が続いていくんでしょう。
そして今はまだ関係は浅いんだろうけど、どんどん深く深くなっていくんだろうね。

親子で愛し合っちゃいけないとは思わない。
父が私を女として愛するのなら、もうそれでかまわない。
ただ父娘同士だから、余計に冗談じゃ済まないんだよね。
冗談や遊びじゃ、近親相姦なんてやっちゃいけない。
だから私を愛するっていうんなら、父にもそういう気持ちじゃないとね。
私が欲しいなら、本気で愛してほしい。

安心してお父さんにセックスを許したいから・・・。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-06.html


2005年07月31日
諦めろって・・・

父に愛撫されてるときに言われた。
もう諦めろって。


諦めるって何を?
私はもう父の女になってるのに。
こんなに・・・父親相手にSEXをする女になってるのに。


でも父から見たら、まだまだなんだね。
確かにそうかも。
私は、まだ父の女だって思い込もうとしてる段階なんだね。
それに、父のことを男としてはまだ愛してない。
それって体は許してても、心をガードしてるってことかも。
父はそれを見抜いてるんだ。
やっぱりすごいよ。

セックスをしているんだから、やっぱり父のことは愛するようにならなきゃいけないんだとは思うよ。
相手に失礼だもんね。

父に出入りされながら、私が父のことを愛するようになってくのを想像してた。
もし想像通りになったら、もう今の私はいなくなるね。
その代わり、私のお腹には父との赤ちゃんが出来るよ・・・。


2005年07月29日
油断すると写される

ちょっと油断したら写される。
お風呂から上がったところを狙われた。

なんか嫌だ。
いくら想い出になるからっていっても。
そりゃ確かに私も10年後とかに今の自分を見たら、いろいろと思うんだろうけど。
この体が、父に愛されてセックスを許し始めたときの体なんだな・・・とか。

でもやっぱり裸とか、セックスしてるところが残るのって不安だよ。

Hなビデオとか撮影されてる人って、恥かしくないのかしらねぇ・・・。

2005年07月26日
父がパソコン使ってた

今まで父はあまりパソコンとか使うこと少なくて、ほとんど私が使ってた。
だけど父がパソコン使ってたよ。

なんかデジカメの画像とか扱うのにパソコンを使ったらしい。
ドキッとしたよ・・・。
これを書いてるのが父にバレるんじゃないかって。
これからは注意しなきゃいけないなぁ。

父がパソコンで見てた?画像がどんなものかは私もまだ知らない。
見せてっていったけど、まだ編集してないからって拒否された。
なんかコッソリとしてるなぁ・・・。

まあ見たい気持ちもあるけど、見るのも怖いから、気持ちは半々かな。


2005年07月25日
隠してるし

カメラの本体はあるけど中身がない!

さすがはお父さんだよ。
これじゃ何を写されたのかわからない。

こまったな・・・。


お酒のまされた

父にお酒を飲まされた。
まだ残ってて、なんか頭痛い。

昨夜はほんとフラフラ~ってなったよ。
そしたらお父さん、カメラを準備しようとするし。

すごくやばいと思った。
だから撮影したいならキスシーンにしとこうよって言ったよ。

それから間もなく、ビデオカメラの前で、私は父に抱き寄せられキスをしたの。
これでも十分に父娘同士が愛し合ってる証拠になるね。
いっきに頭がクラッとしてきて、睡魔に襲われた。
キスしながら目を閉じてるのに、なんだか体全体がグルグルと回るみたいだったし。

キスが終わって、もう眠いからって寝させてもらった。


だけで気がついたら私、父に服を脱がされてた。
デジカメで撮られてる音もしてた。
ダメっていったけど抵抗力まったくなし。
父にゆっくりと股を広げられてくのに、それをなんとなく許してしまった。
撮影されてる音が聞こえてたよ・・・。

その後、セックスもされた。
私は、もう寝てるだけで、父のやりたい放題だったんだけど。
たぶんずっと正常位だったんじゃないかな。

たぶんセックスシーンも撮影されてしまったんだと思う。
父は近親相姦の証拠を自分で残してどーすんの?
見つかったら、むしろお父さんがヤバイんじゃないの?
私もヤバイけど。

お父さんのお宝ができちゃったな。
何を写したのか調べないといけないかな。

http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-07.html

2005年08月28日
父は迷っている

もうセックスは、以前のように戻った。
あれから父は、私に膣内射精をしていない。

あの旅行の時だけだったんだ。
もちろん、それが当たり前。
私も、理解している。

だけど私の記憶には残っている。
父と子作りをしたことが。

私は本気だった。
そして、今でも父がその気になったら受け入れるつもりでいる。
私は子供を作るとしたら、やっぱり早いほうが良いと思ってるから。

だけど、今は父の気持ちを尊重しよう。

父はまだ迷っているようだ。
気持ち的には、私を妊娠させたいらしい。
だけど、やはり近親相姦ということが、父を止めてる。

最近は子供の話をするようになって、父も戸惑い気味。
私が、そんなことを考えるなんて思ってもみなかったみたい。
それはそうでしょうね。
私自身も、子供が欲しいとこんなに思うなんてちょっとビックリ。

まだ先は長いし、どうなるかもわからない。

2005年08月21日
夢じゃない

どうしても思い出してしまう。
なんだか夢でも見ていたような。

だけど夢じゃないんだよね。

私、おとうさんとあんなすごいことしたんだ。
ぎゅっと抱きかかえられて、たぶん逃げようとしてもダメだったんじゃないかな?
事故なんかじゃなくて、お父さんが最初からやる気だったってことに意味があるよ。

口じゃいえないから、ここでこっそり書くね。
私、お父さんの子を産んでもいい。

たぶん安全日だったから、お父さんは私と子供作るようなことしたんだろうけど。
もう危険日でもいいよ。

なんだか、一気に私の中で盛り上がった。
今、本当にお父さんと子供作っていい気分なの。


2005年08月19日
超近親相姦

父と旅行しました。

そして私と父は、すごい世界に足を踏み入れたよ・・・。

出かける前に、墓参りもした。
そこで父は、お墓に謝った。
先祖に申し訳ないことをしてしまったって。
私も謝ったよ。

そして父は言ったよ。
もう本当に裏切ります。すみませんって。

すごい父の本気度が伝わった。
そして、この時、私は直感したよ。

その直感は当たった。
ほんと、私ってすごいと思ったよ。
これが女の感ってやつ?

すぐに旅行に出かけて、その宿泊先での最初の夜。
私と父は、そこで近親相姦をすることになります。
ただ今までと違ったのは、父がコンドームを付けなかったこと。

すぐに気付いたよ。
っていうか、付けないんじゃないかって思ってたら、本当につけなかったから。

私、そのまま続けさせた。
そして父に、運命を任せた。
すごい緊張したよ。ドキドキしたよ。

そして私の体に、永遠に残る記憶が刻み込まれました・・・。

忘れない。
どんどん私の中に入ってくる、あの暖かな感触・・・。
それが私の父親の精子だなんて。

ついにされてしまった膣内射精。
父は謝ったけれど、私は責めることなんてしなかった。

そして、すごかった2日目の夜・・・。
今夜も中で出すのかって聞いたら、出すって父はいうの。
だから、子作りするんだねって私は言ったんだ。
父は・・・そうだね。子作りしようねって・・・。

言葉だけでも、すごく動揺したよ・・・。

安全な日とかは父も知ってるし、そのへんは任せてるので、たぶん大丈夫な日を選んでるんだろうとは思う。
だけど、そんなこと関係なくなるくらい、あの言葉は強烈だった。

私、本気だったよ。
本当に子作りしてるつもりで、セックスしてた。
もちろん怖いって気持ちもあったよ。
でも、私は・・・お父さんの子供を産んで良いって気持ちになってた。

だから私のなかではすごいセックスだったよ。
また父に中出しされて、子供が出来たんだなって思えたよ。


今は、落ち着いてる。
すごいセックスしたんだなって、冷静に考えてるよ。
超近親相姦ってところかな?

だけど、お父さんもそのときは覚悟してるって言ってたけど、本当に子供が出来るかもしれない。
それほどのことをしたんだ。

そして、ひとつだけ確かなこと。
私達は、子作りしたんだ。
子供を作るつもりで、セックスしたんだ。
少なくとも、私はそう思ってるから。


2005年08月06日
おじさんの臭いをとろう

父の加齢臭ってのを、できるだけなくしてあげる。
夏は汗かくから、とくに気をつけないと。

ゴシゴシ洗い過ぎて、痛いって言われた~。

そして反撃された。

よく泡立つタオルで、しっかりと洗われたよ。
すっきりした。

足を大きく広げられて、あそこもしっかりと洗われたけど。

その後、すごくなめられた・・・。
綺麗になってるから、たっぷり味わったんだね・・・。
石鹸の味しなかったかな?

2005年08月01日
パートナー

私達、いつもセックスばかりしてる訳じゃないんだよ。
確かに親子でセックスをするってことは、生活の全てに影響してるけどさ。

だけど一緒に生活していくことで大切なのは、心と心の繋がりなんじゃないかな。
気持ちが離れたらパートナーとしては終わるよね。

その点は、私達は繋がってると思う。
そのへんの夫婦に比べたらね。
ずっと暮らしてる親子なんだし。
たぶん父との関係を、夫婦として考えたら、良好なんじゃないかな。

私は元々はひきこもりぎみな、世間からちょっと離れた女。
これから父以上の相手と出会う可能性なんて、無いって思ってる。

お父さん・・・・これからももっとセックスしようね。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-08.html


2005年09月09日
将来

将来のことを考えてみる。

私はひきこもりニートのようなもの。
こんなんじゃダメだとは思う。
だけど父が私を守ってくれてる。
父の専業主婦に就職すれば、私はやっていける。
父もそれを望んでる。
その道は、永遠に父とセックスをし続ける道。

じゃ子供はどうする?
父とセックスをし続けるなら、やっぱり考えないといけないよね。
父がいらないっていうのなら、仕方ないって思う。
近親相姦で子供作るんだからね。

だけど、もし将来的には作りたいっていう気持ちがあるのなら・・・。
作るなら出来るだけ早く産みたい。
お父さんだっていつまでも若くないんだから。
子供のことを考えたら、お父さんは1つでも若いほうがいいよね。

でも母親になるなら、私ももっと頑張らないと。
社会勉強しなきゃ。
それためには、パートでもして仕事しようかな。
お父さんは心配するけど。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-09.html

2005年11月21日
好き

私の気持ちが、どんどん父の方へと流れていく。
以前よりも、もっと好きになってると思う。

もう近親相姦だっていい。
父に何回でもセックスしてもらいたい。

もう何をされてもいい。

2005年11月06日
やはり私は父の女

簡単な仕事だけど働きはじめて、だいぶ慣れてきていた。
まわりの人達も親切だし。

父と子供を作るってことも、非常識すぎるのが冷静になって思えてきてたし、父が決断しなかったのも理解できる。
近親相姦することも、だいぶ減っていた。

このまま普通の生活に戻っていくんだろうなって思うようになってた。
そしていつか、父以外の男性とセックスして、子供を作ることになるのかなって。
働きはじめてから、そういうのが感じられるようになってきていた。


だけど、やはり後戻りなんて出来ないみたい。
父も私を手放すつもりになってたらしいけど、やっぱりそれは無理なんだって。
とうとう父も我慢できなくなって、私を押し倒した。

そして近親相姦・・・。

セックスすれば、やっぱり私は父の女なんだって感じる。
父がその気なら、私は拒否することは出来ない。
前に誓ったとおりに、ずっと一緒だと言われた。

膣内射精もされた。

私にとっての現実は、他人とは逆なんだ。
父と近親相姦して暮らしてくのが私の運命なんだ。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-11.html


2005年12月25日
聖夜

とても素敵な夜だった。
こんなに愛してもらえるなんて・・・。

お父さんが私の体を優しく包み込み、とろけるようにしてくれた。
父娘だって、ここまでできるんだ。

これで、もう妊娠したかもしれないね。
私を愛してくれてありがろう。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-12.html


2007年11月26日
不安

私達はどうなるんだろうか?
漠然とした不安に包まれます。

見えない未来。
想像はする。
その想像がさらに不安を呼ぶこともある。
何も考えないほうが良いのだろうか?

久しぶりに自分で書いた過去を読んだ。
私達が初めて結ばれた日からずいぶん経ったんだね・・・。


やはり大変なことです。
子供を育てるということは。
父は今が一番大変な時期だからという。
もちろん私も頑張る。
母親なんだから。

むしろそれに加えて襲ってくる精神的なプレッシャーが、私を悩ますんだろう。
将来、父のことをどう説明すればいいのか・・・とか。
色々と・・・。

私は強くならなきゃいけない。
昔のような甘えは許されない。
だけどお父さん・・・私を安心させてください・・・。

いつお父さんがSEXを求めても受け入れるから。
なんでも許すから。
だから冷たくしないで。
私はお父さんだけが頼りだから。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2007-11.html

2007年12月31日
年越しですね

もう親戚付き合いとか無いんだろう。
私達は社会からは認められない家族なんだから。
でも、それはそれで良いね。
めんどくさいし。

だから、お正月は家族だけでのんびり。
父も仕事にいかないもんね。

3人で暮らしていこう。
後悔なんてないからさ。
それとも私をまた妊娠させて4人にしちゃう?
今度は、お父さんが欲しかった女の子かもしれないよ?
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2007-12.html


2008年01月28日
変化

父と私の関係は、以前とは変わってきたように思う。
悪化しているわけじゃない。
微妙な雰囲気の変化です。

子供が出来たからなんだろうね。
以前は男女としての関係。
今は父親と母親としての関係なんだろう。
近親相姦をしてしまう前の親子関係にも似てるね。
でもセックスはまだしてる。
やはり私達の関係を象徴しているのはセックス・・・。

結局、夫婦=セックスなのかな?
それなら私達は父娘でありながらやっぱり夫婦ですよね。


2008年01月17日
予言?の続き

父の予言は不思議と良く当たるんです。
だからちょっと考えてしまいました。
どれくらいでそういうことになる可能性が出てくるのかな?
男の子は何才くらいからセックスしたくなるんだろう?

中学生くらいになったら、もう出来るんだろう。
だけどはっきりいって中学生なんてまだ子供!
私のほうがなんとなく嫌だ。
実際には高校生くらいからだろうね。


父がこんなことも言うんです。
この子が相手というのなら許すって。
許すってのはセックスを含めて結ばれるということです。

冗談で言ってるのかも。
でも、そうなる頃には約15年ほどだし、父もそれだけ年齢を重ねてます。
自分が老いた時、私を託そうという気持ちがあるのでしょうか?

父に言われると、なぜかそうなってしまいそうな気がしてくる・・・。
確かにありえない。
でも、ありえないことを今まで父は何度も予言して当ててきた。
今の私達の存在そのものがありえない。

この子が成長した姿は想像できない。
だけど考えてしまいました。
この子とセックスしてしまっている自分を・・・。

2008年01月15日
予言?

父がこんなことを言った。

「この子とお前は、将来セックスすることになるかもな。」


私とあの子がセックス?
ふと、あの子の顔を見た。
現在の直感としては、まずあり得ないことですよ。
確かに私はこの子を愛してます。
だけど、この子の前で裸になり足を広げられ、父にされてるようなことするなんて・・・。
それに私は結婚できないとはいえ父と結ばれた関係なんですから。

でもまったく想像出来ない訳じゃない。
だって私達は、近親相姦で成り立った家族なんです。
普通の人達にはまったくないでしょうけど、私達の頭の中には常に近親相姦という意識がある。
もう感覚そのものが違うんですね。
する、しない、というのは別として、どうしても考えてしまう避けて通れないことなんだろう。

むしろ、まったく想像すらしないほうが不自然に思えるよね。

妊娠中は、私と父の関係をこの子にどう説明すれば良いのかということを考えてた。
その答えは今も出てない。
これからも、いろんな問題が出てくるんだろう。

もし、あの子が女の子だったとしたら、父とどうなってたの?
これから、また女の子が生まれたとしたら?
兄と妹で・・・ということもあり得るよね。

そして、この問題でもっとも重要なことがある。
それは私達は近親相姦を否定してはいけないということ。
近親相姦を否定することは、この子の存在をも否定することになるから。

もし将来、この子が私を望んだとしたら?
妹がいたとして、その妹と結ばれることを望んだら?
少なくとも近親相姦はダメだという理由で拒むことは出来ないのです。

もちろん、今は想像の話。
実際にこうなるなんてことはないかもしれません。
だけど親子で結ばれた現実もある以上、考えておかないといけないんでしょう。
かなり遠い話だろうけど。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-01.html

              /               \
          / / ∠三ミレ-- 、      ヽ
         / / //─'''´ ̄ ̄`ヽ      ゙i
        / /  //        ゙iヽ  ヽ  |
        ,' /  //          | ヽ  ', |
        | |  / l,、、,,_   -‐''" ̄`゙i. |   | |
        | | / ノ,.t-、    'Tッ'Tゝ ヽ|レ‐、| |
        ゙i |/ ,ィ`' _L.,!    ` ┴'  リ‐、 } |
        .!///゙!     ,         ノ__/ .!
         |/ | ',    ゙        /  |  |
          |! |  \   ゚       /  |  .!
          {  |  | | ゙ヽ、    /  |   |  |
         ゙、 ', | |   | `l'"´    ゙、|  |i   |   私はフツーよ
         ヽ ヽ | |   レ'′      \ || /
           /ヽ \!  |  ̄ ``   r'´ ` ̄``ヽ
        /   ヽ ヽ ノ                   ヽ
        |     〉 V              |   |
        |    /  /       \       ヽ、 |
        |    / / /|       ヽ       \
        .!   / { ヽ|    ...     ゙、        ヽ
        |  {  ゙i   ヽ  ::r.;:.     l         ::_)
        .!  \ ト、 |   `゙"     /          /
         |    ト| | ∧       /           /
            |  / / /|| ゙ヽ、 __ ,. -'"    ` ーr┬ '′
          | / / | ヽ、               | /


2008年02月28日


一人目の子の時は、お互いが求め合って本気で子作りをしてた。
私も当時は父にメロメロになってたし。
すぐに出来るもんだと思ってたけど、案外すぐには出来なかった。
そのぶん父にたくさん愛されたけど。
あの頃は本当にいけないことしてるんだなって気分でした。
そして、そのぶん父に出された時の刺激も凄かったよね。

今回はちょっと違うね。
個人的には子作りに関してそんなに乗り気じゃなかった。
あくまで父任せだったんだけど、避妊してセックスもしてた。

不思議なもんだ。
頑張ってたときは案外あたらなくて、そうでないときはすぐにあたるなんてね。

父の考えは違うかもしれないよ?
確かにあの時は父の希望で膣内射精を許した。
あの時のセックスは、父にしてみれば子作りだったのかも。

これも運命なのかな。
もちろん産むつもりです。

2008年02月26日
予想通り

検査へ行って来た。

やっぱり予想通り。
妊娠8週目。

私は父以外とはセックスしたことがない。
父との子供です。

さて・・・。


2008年02月22日
ほんとにヤバそう

前から感じてはいたけど・・・
体調がやっぱりおかしい。

もしかしたら?

ってゆうか、たぶんそうだろうね。
近いうちに検査にいってこなきゃ・・・。

http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-02.html

2008年03月30日
きもちわるい

ずっと気持ち悪いの続いてる・・・。
仕方ないけど、前と違ってもう一人の世話しなきゃならないから・・・。

ボールドのTVコマーシャル見てたら笑えてくる。

「いい香り」
「気持ちいい」

あの香り嗅ぐと、めちゃ気持ち悪いんですけど;


2008年03月12日
大切に

父は喜んでたよ。
それと、やっぱり妊娠させるつもりで出したんだって。
それで妊娠したのには驚いてたけど、よく考えれば驚くことじゃないんだよね。
男が女の中に出すってことは、そういうことなんだし。

しばらくは父とセックスしないよ。
それで流産とか嫌だもんね。
生まれたらいけない子だからとか思わない。
私の子供なんだから。
大切にしたいのね。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-03.html

2008年05月10日
久しぶりに

お腹がちょっと出てきた。
胎盤も出来たみたいで安心。

それで久しぶりに父とセックスした。
とうとう許したね。
ゆっくり・・・ゆっくりとしてもらった。
心地よかったよ。

お父さんはどうだんたんだろうね?
妊婦とのセックスはどんな感じなんだろう?
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-05.html

2008年07月30日
女の子です

かなりお腹が大きくなった。
女の子は確実なようです。
元気な子ならそれでいいです。
障害とかないか心配・・・・。

二人も子供を育てていくことが出来るんだろうか?
不安ばかりですよ最近は。

私と息子がいずれセックスする運命なんじゃないかとか、
娘が息子か父とセックスすることになるんじゃないか

とかは、大きく育ってからの話です。

今はこの子達をしっかり育てることが大事。
子供達がしっかり育ってくれさえすれば、息子とセックスしてしまう運命だとしても諦めもつく・・・そんな気分にすらなるよ。

まあね、まだわからないけど。
頑張って育てないと。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-07.html

2008年10月06日
産まれた

産んだよ。
女の子です。

お父さんとの事が心配?
今はそうでもないかな。
むしろ、これから二人も育てていく事を考えたら、そちらの方が心配です。

育児は大変だ。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-10.html

2009年01月09日
これでいい

やっぱり私は父の女。
これからもそうして続いていくんだろう。

それを嘆く必要もない。
自分で選んだ道だ。
子供もいる。
そこに幸せは存在する。

私は、実の父親とセックスしてしまった。
そして妻となった。
そして子供を設けた。

その事実は永遠に消えることはない。
悩んでも無駄なんだ。

父はこれからも私とセックスを続ける。
私はそれを許す。
それで良い。
私達の生活は、それでうまく行くんだ。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-01.html

2009年03月26日
生理

母乳をやってるので出産してからも生理はこなかったけれど、とうとう生理がやってきてしまった。
また痛い思いすることになるのか。

そして、また父に決められちゃうのかな・・・。
嬉々としながら私の中で出してさ。

父がそう望むのなら、それは運命と思って受け止めるしかない。
私達は、そのへんの夫婦以上に強く結びついた関係なんだから。

母乳やってるから、胸がパンパンに膨らんでる。
父は、その胸を喜んでる。
赤ちゃんのためのものなのにね。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-03.html

2009年04月09日
避妊

さすがに父も3人目となると躊躇っているようだ。
ちゃんとコンドームをつけてる。

これでしばらくは安心ですかね。
あとは子育てに専念といきますか。

子供が寝ている隣で、実の父親に抱かれる私・・・。
なんともいえませんね。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-04.html

2009年09月22日
仕事

仕事をする事を考えてる。
永遠に父に頼れる訳じゃないから。
これから、何が起きるのか分からない。
その時、子供達は守らなきゃいけない。

私は、変わらなければいけない。
母親になったんだから。

私は、社会から逃げていた。
そして、父の女になった・・・。
その先にあったものは、今の家庭。
それを後悔にしてはいけない。
間違いじゃなかったと言いたい。

この子供達の存在は、間違いじゃない。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-09.html

2009年10月12日
いつか・・・

子供の成長なんて早いものですね。
あっという間に大きくなる。
私も少しは成長してるのかな?
親として、妻として、一人の人間として・・・。

そうだよ。
近親相姦をしたって人間なんだから。
だから子供達も人間。

最近、よく考える。
このまま成長していけば、いずれ父親の事を聞く時がくるんです。
その時、何て答えるの?
正直に言うなら早い方が良いの?
それとも大人になってからの方が良いの?

誰にもわからないよね。
前例だってほとんどないしね。

もし怒るのなら、償いはする。
私に出来ることなら何でも。
もし償いとして、息子が私の体を求めたとしたら?

ふふっ・・・・。
許すよ。
そうなったら、好きなだけ私の体を奪えばいい。
気の済むまでね。
妊娠させられるのかな?
でも、それも仕方ないよね・・・。

そんなネガティブな事を考えてしまった。
私は近親相姦をした女。
その呪縛からは、もう逃げられないから。
逃げられないんだから逃げないよ。
今は、一番近くにいるのは父。

何もかも覚悟の上でこうなったんだよね?
お父さん・・・。

父は、当たり前の行為のように私を抱く。
強い人だ。
実の娘とのセックスに、何の迷いもないみたい。
頼りにしてるよ。
父であり、夫でもあるんだからね。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-10.html

2009年11月09日


実の娘に子供を産ませる。
世間からすれば、そんな父親は悪なのだろう。

妊娠させるだけでも常識外。(まだ堕胎する道がある)
父娘でのセックスだって、あってはいけない話。
父娘が唇を重ねてキスすることだって変態的なことなんです。

私達は、もう戻ることが出来ない。
産んだのだから。
父も悪なら、私も悪ね。


子供は悪じゃないけど。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-11.html


2010年01月07日
幸せ

子供の存在は、やっぱり幸せ。
笑顔を見るだけで元気になる。

産んで良かった。

誰もが近親相姦を間違いだと言うのでしょう。
でも、幸せはあった。

間違いなんかじゃないよ。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2010-01.html

2010年05月29日
仕事

仕事をすることにした。
その間、子供は保育園で預かってもらうことに。

将来の事を考えたら、私も今のままじゃダメだし。

父は最初は反対していました。
でも納得してくれたんで。
これから頑張らないと。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2010-05.html
15:777 :

2022/05/24 (Tue) 05:55:27

4. 父に抱かれて・・・ の完全版

父に抱かれて・・・

2005年05月31日
いまさら

父がSEXを求めてきたのを拒んだ。
何を今更とも思うけど。
別に嫌いになった訳じゃない。
最初は全然こわくなかったのに、今になって怖くなってきた。
お父さんは我慢してくれてる。


2005年05月27日
父は私を女としてしか見てない

私は内向的すぎた。
男の人とセックスすることで、何か変われれば良いなんて気持ちもあった。
そして一番身近にいたのが父。
っていうか私のまわりには父以外には男なんていなかったし。

いろいろ考えたけど、ちょっとでもタイミングとか意識の持ち方が違ってたら、近親相姦していなかったかも。
それとも、いずれこうなってた運命だった?
それなら諦めもつきやすいんだけどね。

もう父は私を女としてしか見れないらしいよ。
やっぱり私とセックスをやっちゃったからなんだろうね。
お父さんも被害者なんだよね。


2005年05月24日
距離をおこう

しばらく父とは距離をおこうと思う。
何か変だ。
父とはセックスするだけで、他は何もかわらないと思っていた。
でもそんなことはなくて、何もかもが変わってきてる。
全然落ち着けないよ。
父のいない時間が、なんとなく落ち着ける。


2005年05月22日
長かった

やっと朝になった。
すごく恥かしいおもいをした夜だったよ・・・。
裸をいっぱい調べられた。
さわられ、なめられ。
アソコも・・・中まで。
恥かしすぎて気絶したかもしんない。
あんまり長いこと調べてるんで、もうセックスしないのかと思ったら、挿入もされた。
すごくゆっくり入ってきて、ゆっくりと中で動いてた。
気持ちよかった・・・。
そして、だんだんはやくなっていって・・・。

これが今の現実ってことか。
私と父は、もう男と女なんだ。
こういうことをする関係なんだなって考えさせられた。


2005年05月19日
さいきん早いね

だんだん父が早く帰ってくるようになった。
それだけ私といる時間が長くなるんだけど。
そしてキスしたがるのよね。

キスはダメっていってるのに。
お父さんは恋人じゃなくて、やっぱり父親。
セックスは許しても、キスは許せないってやっぱり変?

確かにセックスのほうがすごいことなんだろうね。
だけど私の気持ち的なもんだから。
キスは本当に好きな人とするね。
・・・・って、そんな人、できるかな?
このまま、ずっと父と・・・っていう可能性のほうが高いかも(^_^;)
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-05.html


2005年06月27日
鏡の中の私

お風呂から上がって、なんとなく鏡を見た。
そこに映っているのは、裸の私。
父にすごく良い体だって言われた体・・・。

どうなんだろう?
自分では普通なんじゃないかなって思うんだけど。
太ってはいないけど痩せてもない。
胸は一応あるけど、巨乳でもない。

もうちょっと痩せたいって思ってるけれど、父は今のままで最高だからって言う。
きっと父好みの体なんだろうね。

これも父を私と本当に近親相姦させてしまった原因の一つなのかもしれない。
父好みじゃなかったのなら、こうならなかったのかも。

鏡に映ってるのは、血の繋がった父親とセックスを経験した女の体。
そして父親の性器を挿入された部分もある。
姿だけ見てたら、そんなことわからないのに。
人間って表面だけじゃわからないもんだよね。


2005年06月26日
すがしがしい朝

昨夜はあれほど暑かったのに、すがすがしい朝だ。
裸のまま、何もかけずに仰向けで朝を迎えた。
となりには、私の体を楽しんだ父がいた。

どうやら私の体をたっぷり鑑賞してたみたい。
すごく良い体だって言われた。
もう手放せないって。

嬉しいけど、素直に喜べないね。


2005年06月22日
父もまだ若い

父はまだまだ若い。
今は44歳だしオジサンなんだけど。

すごいパワーを感じる。
そのパワーが私を圧倒する。
セックスで私は圧倒されまくってる・・・。
普通にセックスしてても、とても気持ち良くされてる。

父以外とはセックスしたことないから、他の男性と比較は無理。
でもこんなに気持ち良いってことは・・・。
少なくとも相性は良いんだろうね。
父娘が体の相性良いなんて、超変なことだけど。


2005年06月19日
誓い

約束してもらおうと思った。
遊びじゃなく、本気で愛し続けることを誓うって。
もし誓うのなら唇にキスをして、遊びだから誓えないっていうならキスをしないでって言った。
もちろん、誓えないのなら近親相姦も終わり。

すると父の方からも、私に約束を求めてきたんです。
ずっとお父さんの女になって、他の男を好きになって離れていったら絶対にダメだって。

約束させるつもりが、逆に約束を返されるなんて思わなかった。
自分の首を絞めちゃったかな・・・?

でも自分から言い出したことだから、今更は引っ込められない。
私、まっすぐに立って目を閉じたよ。

イメージ的には結婚式でのキスを思い浮かべてた。
愛を誓わせるっていうのも、そんなイメージがあったから出たのかな。

目を閉じてるとき、父に言われた。
ずっと2人で暮らしていくんだぞ。わかったね。・・・って。

そして・・・・


唇と唇が重なった。


2人とも誓ってしまったんですね・・・。
なんだか本当に結婚してしまったみたいなキスだったよ。
キスの後、父に見つめられて緊張した。
そして再びキスされて、舌を入れられた。

もう誓ったんだからいいよね・・・ディープキス。
少しはそういうのあったけど、本当に解禁ってところかな。
こういうキスってなんだかエロいよね。

約束したから、セックスもなんだか安心して任せられた。
今まで相手がお父さんだったから、声を出すのも恥かしいし、ためらっていたけど、なんだか自然と声が出たよ。
お父さんにも言われてしまった。
今夜はすごく気持ち良さそうに声出してたねって(^_^;)

もう眠いから寝るけど・・・。
私、誓ってしまったんだね・・・。


2005年06月17日
考えてた

色々と今後のことを考えた。
父の女になるのを認めたといっても、実父と近親相姦をしている以上は不安は消えないし。

自分のひきこもり的な性格や今までの生活を考えたら、他の男性と出会って結ばれるなんて無いと思う。
今の状況から考えてもね。
たぶんこのまま父の女として関係が続いていくんでしょう。
そして今はまだ関係は浅いんだろうけど、どんどん深く深くなっていくんだろうね。

親子で愛し合っちゃいけないとは思わない。
父が私を女として愛するのなら、もうそれでかまわない。
ただ父娘同士だから、余計に冗談じゃ済まないんだよね。
冗談や遊びじゃ、近親相姦なんてやっちゃいけない。
だから私を愛するっていうんなら、父にもそういう気持ちじゃないとね。
私が欲しいなら、本気で愛してほしい。

安心してお父さんにセックスを許したいから・・・。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-06.html


2005年07月31日
諦めろって・・・

父に愛撫されてるときに言われた。
もう諦めろって。


諦めるって何を?
私はもう父の女になってるのに。
こんなに・・・父親相手にSEXをする女になってるのに。


でも父から見たら、まだまだなんだね。
確かにそうかも。
私は、まだ父の女だって思い込もうとしてる段階なんだね。
それに、父のことを男としてはまだ愛してない。
それって体は許してても、心をガードしてるってことかも。
父はそれを見抜いてるんだ。
やっぱりすごいよ。

セックスをしているんだから、やっぱり父のことは愛するようにならなきゃいけないんだとは思うよ。
相手に失礼だもんね。

父に出入りされながら、私が父のことを愛するようになってくのを想像してた。
もし想像通りになったら、もう今の私はいなくなるね。
その代わり、私のお腹には父との赤ちゃんが出来るよ・・・。


2005年07月29日
油断すると写される

ちょっと油断したら写される。
お風呂から上がったところを狙われた。

なんか嫌だ。
いくら想い出になるからっていっても。
そりゃ確かに私も10年後とかに今の自分を見たら、いろいろと思うんだろうけど。
この体が、父に愛されてセックスを許し始めたときの体なんだな・・・とか。

でもやっぱり裸とか、セックスしてるところが残るのって不安だよ。

Hなビデオとか撮影されてる人って、恥かしくないのかしらねぇ・・・。


2005年07月26日
父がパソコン使ってた

今まで父はあまりパソコンとか使うこと少なくて、ほとんど私が使ってた。
だけど父がパソコン使ってたよ。

なんかデジカメの画像とか扱うのにパソコンを使ったらしい。
ドキッとしたよ・・・。
これを書いてるのが父にバレるんじゃないかって。
これからは注意しなきゃいけないなぁ。

父がパソコンで見てた?画像がどんなものかは私もまだ知らない。
見せてっていったけど、まだ編集してないからって拒否された。
なんかコッソリとしてるなぁ・・・。

まあ見たい気持ちもあるけど、見るのも怖いから、気持ちは半々かな。


2005年07月25日
隠してるし

カメラの本体はあるけど中身がない!

さすがはお父さんだよ。
これじゃ何を写されたのかわからない。

こまったな・・・。


お酒のまされた

父にお酒を飲まされた。
まだ残ってて、なんか頭痛い。

昨夜はほんとフラフラ~ってなったよ。
そしたらお父さん、カメラを準備しようとするし。

すごくやばいと思った。
だから撮影したいならキスシーンにしとこうよって言ったよ。

それから間もなく、ビデオカメラの前で、私は父に抱き寄せられキスをしたの。
これでも十分に父娘同士が愛し合ってる証拠になるね。
いっきに頭がクラッとしてきて、睡魔に襲われた。
キスしながら目を閉じてるのに、なんだか体全体がグルグルと回るみたいだったし。

キスが終わって、もう眠いからって寝させてもらった。


だけで気がついたら私、父に服を脱がされてた。
デジカメで撮られてる音もしてた。
ダメっていったけど抵抗力まったくなし。
父にゆっくりと股を広げられてくのに、それをなんとなく許してしまった。
撮影されてる音が聞こえてたよ・・・。

その後、セックスもされた。
私は、もう寝てるだけで、父のやりたい放題だったんだけど。
たぶんずっと正常位だったんじゃないかな。

たぶんセックスシーンも撮影されてしまったんだと思う。
父は近親相姦の証拠を自分で残してどーすんの?
見つかったら、むしろお父さんがヤバイんじゃないの?
私もヤバイけど。

お父さんのお宝ができちゃったな。
何を写したのか調べないといけないかな。

http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-07.html


2005年08月28日
父は迷っている

もうセックスは、以前のように戻った。
あれから父は、私に膣内射精をしていない。

あの旅行の時だけだったんだ。
もちろん、それが当たり前。
私も、理解している。

だけど私の記憶には残っている。
父と子作りをしたことが。

私は本気だった。
そして、今でも父がその気になったら受け入れるつもりでいる。
私は子供を作るとしたら、やっぱり早いほうが良いと思ってるから。

だけど、今は父の気持ちを尊重しよう。

父はまだ迷っているようだ。
気持ち的には、私を妊娠させたいらしい。
だけど、やはり近親相姦ということが、父を止めてる。

最近は子供の話をするようになって、父も戸惑い気味。
私が、そんなことを考えるなんて思ってもみなかったみたい。
それはそうでしょうね。
私自身も、子供が欲しいとこんなに思うなんてちょっとビックリ。

まだ先は長いし、どうなるかもわからない。


2005年08月21日
夢じゃない

どうしても思い出してしまう。
なんだか夢でも見ていたような。

だけど夢じゃないんだよね。

私、おとうさんとあんなすごいことしたんだ。
ぎゅっと抱きかかえられて、たぶん逃げようとしてもダメだったんじゃないかな?
事故なんかじゃなくて、お父さんが最初からやる気だったってことに意味があるよ。

口じゃいえないから、ここでこっそり書くね。
私、お父さんの子を産んでもいい。

たぶん安全日だったから、お父さんは私と子供作るようなことしたんだろうけど。
もう危険日でもいいよ。

なんだか、一気に私の中で盛り上がった。
今、本当にお父さんと子供作っていい気分なの。


2005年08月19日
超近親相姦

父と旅行しました。

そして私と父は、すごい世界に足を踏み入れたよ・・・。

出かける前に、墓参りもした。
そこで父は、お墓に謝った。
先祖に申し訳ないことをしてしまったって。
私も謝ったよ。

そして父は言ったよ。
もう本当に裏切ります。すみませんって。

すごい父の本気度が伝わった。
そして、この時、私は直感したよ。

その直感は当たった。
ほんと、私ってすごいと思ったよ。
これが女の感ってやつ?

すぐに旅行に出かけて、その宿泊先での最初の夜。
私と父は、そこで近親相姦をすることになります。
ただ今までと違ったのは、父がコンドームを付けなかったこと。

すぐに気付いたよ。
っていうか、付けないんじゃないかって思ってたら、本当につけなかったから。

私、そのまま続けさせた。
そして父に、運命を任せた。
すごい緊張したよ。ドキドキしたよ。

そして私の体に、永遠に残る記憶が刻み込まれました・・・。

忘れない。
どんどん私の中に入ってくる、あの暖かな感触・・・。
それが私の父親の精子だなんて。

ついにされてしまった膣内射精。
父は謝ったけれど、私は責めることなんてしなかった。

そして、すごかった2日目の夜・・・。
今夜も中で出すのかって聞いたら、出すって父はいうの。
だから、子作りするんだねって私は言ったんだ。
父は・・・そうだね。子作りしようねって・・・。

言葉だけでも、すごく動揺したよ・・・。

安全な日とかは父も知ってるし、そのへんは任せてるので、たぶん大丈夫な日を選んでるんだろうとは思う。
だけど、そんなこと関係なくなるくらい、あの言葉は強烈だった。

私、本気だったよ。
本当に子作りしてるつもりで、セックスしてた。
もちろん怖いって気持ちもあったよ。
でも、私は・・・お父さんの子供を産んで良いって気持ちになってた。

だから私のなかではすごいセックスだったよ。
また父に中出しされて、子供が出来たんだなって思えたよ。


今は、落ち着いてる。
すごいセックスしたんだなって、冷静に考えてるよ。
超近親相姦ってところかな?

だけど、お父さんもそのときは覚悟してるって言ってたけど、本当に子供が出来るかもしれない。
それほどのことをしたんだ。

そして、ひとつだけ確かなこと。
私達は、子作りしたんだ。
子供を作るつもりで、セックスしたんだ。
少なくとも、私はそう思ってるから。


2005年08月06日
おじさんの臭いをとろう

父の加齢臭ってのを、できるだけなくしてあげる。
夏は汗かくから、とくに気をつけないと。

ゴシゴシ洗い過ぎて、痛いって言われた~。

そして反撃された。

よく泡立つタオルで、しっかりと洗われたよ。
すっきりした。

足を大きく広げられて、あそこもしっかりと洗われたけど。

その後、すごくなめられた・・・。
綺麗になってるから、たっぷり味わったんだね・・・。
石鹸の味しなかったかな?


2005年08月01日
パートナー

私達、いつもセックスばかりしてる訳じゃないんだよ。
確かに親子でセックスをするってことは、生活の全てに影響してるけどさ。

だけど一緒に生活していくことで大切なのは、心と心の繋がりなんじゃないかな。
気持ちが離れたらパートナーとしては終わるよね。

その点は、私達は繋がってると思う。
そのへんの夫婦に比べたらね。
ずっと暮らしてる親子なんだし。
たぶん父との関係を、夫婦として考えたら、良好なんじゃないかな。

私は元々はひきこもりぎみな、世間からちょっと離れた女。
これから父以上の相手と出会う可能性なんて、無いって思ってる。

お父さん・・・・これからももっとセックスしようね。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-08.html


2005年09月09日
将来

将来のことを考えてみる。

私はひきこもりニートのようなもの。
こんなんじゃダメだとは思う。
だけど父が私を守ってくれてる。
父の専業主婦に就職すれば、私はやっていける。
父もそれを望んでる。
その道は、永遠に父とセックスをし続ける道。

じゃ子供はどうする?
父とセックスをし続けるなら、やっぱり考えないといけないよね。
父がいらないっていうのなら、仕方ないって思う。
近親相姦で子供作るんだからね。

だけど、もし将来的には作りたいっていう気持ちがあるのなら・・・。
作るなら出来るだけ早く産みたい。
お父さんだっていつまでも若くないんだから。
子供のことを考えたら、お父さんは1つでも若いほうがいいよね。

でも母親になるなら、私ももっと頑張らないと。
社会勉強しなきゃ。
それためには、パートでもして仕事しようかな。
お父さんは心配するけど。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-09.html


2005年11月21日
好き

私の気持ちが、どんどん父の方へと流れていく。
以前よりも、もっと好きになってると思う。

もう近親相姦だっていい。
父に何回でもセックスしてもらいたい。

もう何をされてもいい。


2005年11月06日
やはり私は父の女

簡単な仕事だけど働きはじめて、だいぶ慣れてきていた。
まわりの人達も親切だし。

父と子供を作るってことも、非常識すぎるのが冷静になって思えてきてたし、父が決断しなかったのも理解できる。
近親相姦することも、だいぶ減っていた。

このまま普通の生活に戻っていくんだろうなって思うようになってた。
そしていつか、父以外の男性とセックスして、子供を作ることになるのかなって。
働きはじめてから、そういうのが感じられるようになってきていた。


だけど、やはり後戻りなんて出来ないみたい。
父も私を手放すつもりになってたらしいけど、やっぱりそれは無理なんだって。
とうとう父も我慢できなくなって、私を押し倒した。

そして近親相姦・・・。

セックスすれば、やっぱり私は父の女なんだって感じる。
父がその気なら、私は拒否することは出来ない。
前に誓ったとおりに、ずっと一緒だと言われた。

膣内射精もされた。

私にとっての現実は、他人とは逆なんだ。
父と近親相姦して暮らしてくのが私の運命なんだ。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-11.html


2005年12月25日
聖夜

とても素敵な夜だった。
こんなに愛してもらえるなんて・・・。

お父さんが私の体を優しく包み込み、とろけるようにしてくれた。
父娘だって、ここまでできるんだ。

これで、もう妊娠したかもしれないね。
私を愛してくれてありがろう。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-12.html


2007年11月26日
不安

私達はどうなるんだろうか?
漠然とした不安に包まれます。

見えない未来。
想像はする。
その想像がさらに不安を呼ぶこともある。
何も考えないほうが良いのだろうか?

久しぶりに自分で書いた過去を読んだ。
私達が初めて結ばれた日からずいぶん経ったんだね・・・。


やはり大変なことです。
子供を育てるということは。
父は今が一番大変な時期だからという。
もちろん私も頑張る。
母親なんだから。

むしろそれに加えて襲ってくる精神的なプレッシャーが、私を悩ますんだろう。
将来、父のことをどう説明すればいいのか・・・とか。
色々と・・・。

私は強くならなきゃいけない。
昔のような甘えは許されない。
だけどお父さん・・・私を安心させてください・・・。

いつお父さんがSEXを求めても受け入れるから。
なんでも許すから。
だから冷たくしないで。
私はお父さんだけが頼りだから。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2007-11.html


2007年12月31日
年越しですね

もう親戚付き合いとか無いんだろう。
私達は社会からは認められない家族なんだから。
でも、それはそれで良いね。
めんどくさいし。

だから、お正月は家族だけでのんびり。
父も仕事にいかないもんね。

3人で暮らしていこう。
後悔なんてないからさ。
それとも私をまた妊娠させて4人にしちゃう?
今度は、お父さんが欲しかった女の子かもしれないよ?
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2007-12.html


2008年01月28日
変化

父と私の関係は、以前とは変わってきたように思う。
悪化しているわけじゃない。
微妙な雰囲気の変化です。

子供が出来たからなんだろうね。
以前は男女としての関係。
今は父親と母親としての関係なんだろう。
近親相姦をしてしまう前の親子関係にも似てるね。
でもセックスはまだしてる。
やはり私達の関係を象徴しているのはセックス・・・。

結局、夫婦=セックスなのかな?
それなら私達は父娘でありながらやっぱり夫婦ですよね。


2008年01月17日
予言?の続き

父の予言は不思議と良く当たるんです。
だからちょっと考えてしまいました。
どれくらいでそういうことになる可能性が出てくるのかな?
男の子は何才くらいからセックスしたくなるんだろう?

中学生くらいになったら、もう出来るんだろう。
だけどはっきりいって中学生なんてまだ子供!
私のほうがなんとなく嫌だ。
実際には高校生くらいからだろうね。


父がこんなことも言うんです。
この子が相手というのなら許すって。
許すってのはセックスを含めて結ばれるということです。

冗談で言ってるのかも。
でも、そうなる頃には約15年ほどだし、父もそれだけ年齢を重ねてます。
自分が老いた時、私を託そうという気持ちがあるのでしょうか?

父に言われると、なぜかそうなってしまいそうな気がしてくる・・・。
確かにありえない。
でも、ありえないことを今まで父は何度も予言して当ててきた。
今の私達の存在そのものがありえない。

この子が成長した姿は想像できない。
だけど考えてしまいました。
この子とセックスしてしまっている自分を・・・。


2008年01月15日
予言?

父がこんなことを言った。

「この子とお前は、将来セックスすることになるかもな。」


私とあの子がセックス?
ふと、あの子の顔を見た。
現在の直感としては、まずあり得ないことですよ。
確かに私はこの子を愛してます。
だけど、この子の前で裸になり足を広げられ、父にされてるようなことするなんて・・・。
それに私は結婚できないとはいえ父と結ばれた関係なんですから。

でもまったく想像出来ない訳じゃない。
だって私達は、近親相姦で成り立った家族なんです。
普通の人達にはまったくないでしょうけど、私達の頭の中には常に近親相姦という意識がある。
もう感覚そのものが違うんですね。
する、しない、というのは別として、どうしても考えてしまう避けて通れないことなんだろう。

むしろ、まったく想像すらしないほうが不自然に思えるよね。

妊娠中は、私と父の関係をこの子にどう説明すれば良いのかということを考えてた。
その答えは今も出てない。
これからも、いろんな問題が出てくるんだろう。

もし、あの子が女の子だったとしたら、父とどうなってたの?
これから、また女の子が生まれたとしたら?
兄と妹で・・・ということもあり得るよね。

そして、この問題でもっとも重要なことがある。
それは私達は近親相姦を否定してはいけないということ。
近親相姦を否定することは、この子の存在をも否定することになるから。

もし将来、この子が私を望んだとしたら?
妹がいたとして、その妹と結ばれることを望んだら?
少なくとも近親相姦はダメだという理由で拒むことは出来ないのです。


もちろん、今は想像の話。
実際にこうなるなんてことはないかもしれません。
だけど親子で結ばれた現実もある以上、考えておかないといけないんでしょう。
かなり遠い話だろうけど。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-01.html


2008年02月28日


一人目の子の時は、お互いが求め合って本気で子作りをしてた。
私も当時は父にメロメロになってたし。
すぐに出来るもんだと思ってたけど、案外すぐには出来なかった。
そのぶん父にたくさん愛されたけど。
あの頃は本当にいけないことしてるんだなって気分でした。
そして、そのぶん父に出された時の刺激も凄かったよね。

今回はちょっと違うね。
個人的には子作りに関してそんなに乗り気じゃなかった。
あくまで父任せだったんだけど、避妊してセックスもしてた。

不思議なもんだ。
頑張ってたときは案外あたらなくて、そうでないときはすぐにあたるなんてね。

父の考えは違うかもしれないよ?
確かにあの時は父の希望で膣内射精を許した。
あの時のセックスは、父にしてみれば子作りだったのかも。

これも運命なのかな。
もちろん産むつもりです。


2008年02月26日
予想通り

検査へ行って来た。

やっぱり予想通り。
妊娠8週目。

私は父以外とはセックスしたことがない。
父との子供です。

さて・・・。


2008年02月22日
ほんとにヤバそう

前から感じてはいたけど・・・
体調がやっぱりおかしい。

もしかしたら?

ってゆうか、たぶんそうだろうね。
近いうちに検査にいってこなきゃ・・・。

http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-02.html


2008年03月30日
きもちわるい

ずっと気持ち悪いの続いてる・・・。
仕方ないけど、前と違ってもう一人の世話しなきゃならないから・・・。

ボールドのTVコマーシャル見てたら笑えてくる。

「いい香り」
「気持ちいい」

あの香り嗅ぐと、めちゃ気持ち悪いんですけど;


2008年03月12日
大切に

父は喜んでたよ。
それと、やっぱり妊娠させるつもりで出したんだって。
それで妊娠したのには驚いてたけど、よく考えれば驚くことじゃないんだよね。
男が女の中に出すってことは、そういうことなんだし。

しばらくは父とセックスしないよ。
それで流産とか嫌だもんね。
生まれたらいけない子だからとか思わない。
私の子供なんだから。
大切にしたいのね。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-03.html


2008年05月10日
久しぶりに

お腹がちょっと出てきた。
胎盤も出来たみたいで安心。

それで久しぶりに父とセックスした。
とうとう許したね。
ゆっくり・・・ゆっくりとしてもらった。
心地よかったよ。

お父さんはどうだんたんだろうね?
妊婦とのセックスはどんな感じなんだろう?
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-05.html


2008年07月30日
女の子です

かなりお腹が大きくなった。
女の子は確実なようです。
元気な子ならそれでいいです。
障害とかないか心配・・・・。

二人も子供を育てていくことが出来るんだろうか?
不安ばかりですよ最近は。

私と息子がいずれセックスする運命なんじゃないかとか、
娘が息子か父とセックスすることになるんじゃないか

とかは、大きく育ってからの話です。

今はこの子達をしっかり育てることが大事。
子供達がしっかり育ってくれさえすれば、息子とセックスしてしまう運命だとしても諦めもつく・・・そんな気分にすらなるよ。

まあね、まだわからないけど。
頑張って育てないと。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-07.html


2008年10月06日
産まれた

産んだよ。
女の子です。

お父さんとの事が心配?
今はそうでもないかな。
むしろ、これから二人も育てていく事を考えたら、そちらの方が心配です。

育児は大変だ。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-10.html


2009年01月09日
これでいい

やっぱり私は父の女。
これからもそうして続いていくんだろう。

それを嘆く必要もない。
自分で選んだ道だ。
子供もいる。
そこに幸せは存在する。

私は、実の父親とセックスしてしまった。
そして妻となった。
そして子供を設けた。

その事実は永遠に消えることはない。
悩んでも無駄なんだ。

父はこれからも私とセックスを続ける。
私はそれを許す。
それで良い。
私達の生活は、それでうまく行くんだ。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-01.html


2009年03月26日
生理

母乳をやってるので出産してからも生理はこなかったけれど、とうとう生理がやってきてしまった。
また痛い思いすることになるのか。

そして、また父に決められちゃうのかな・・・。
嬉々としながら私の中で出してさ。

父がそう望むのなら、それは運命と思って受け止めるしかない。
私達は、そのへんの夫婦以上に強く結びついた関係なんだから。

母乳やってるから、胸がパンパンに膨らんでる。
父は、その胸を喜んでる。
赤ちゃんのためのものなのにね。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-03.html


2009年04月09日
避妊

さすがに父も3人目となると躊躇っているようだ。
ちゃんとコンドームをつけてる。

これでしばらくは安心ですかね。
あとは子育てに専念といきますか。

子供が寝ている隣で、実の父親に抱かれる私・・・。
なんともいえませんね。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-04.html


2009年09月22日
仕事

仕事をする事を考えてる。
永遠に父に頼れる訳じゃないから。
これから、何が起きるのか分からない。
その時、子供達は守らなきゃいけない。

私は、変わらなければいけない。
母親になったんだから。

私は、社会から逃げていた。
そして、父の女になった・・・。
その先にあったものは、今の家庭。
それを後悔にしてはいけない。
間違いじゃなかったと言いたい。

この子供達の存在は、間違いじゃない。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-09.html


2009年10月12日
いつか・・・

子供の成長なんて早いものですね。
あっという間に大きくなる。
私も少しは成長してるのかな?
親として、妻として、一人の人間として・・・。

そうだよ。
近親相姦をしたって人間なんだから。
だから子供達も人間。

最近、よく考える。
このまま成長していけば、いずれ父親の事を聞く時がくるんです。
その時、何て答えるの?
正直に言うなら早い方が良いの?
それとも大人になってからの方が良いの?

誰にもわからないよね。
前例だってほとんどないしね。

もし怒るのなら、償いはする。
私に出来ることなら何でも。
もし償いとして、息子が私の体を求めたとしたら?


ふふっ・・・・。
許すよ。
そうなったら、好きなだけ私の体を奪えばいい。
気の済むまでね。
妊娠させられるのかな?
でも、それも仕方ないよね・・・。


そんなネガティブな事を考えてしまった。
私は近親相姦をした女。
その呪縛からは、もう逃げられないから。
逃げられないんだから逃げないよ。
今は、一番近くにいるのは父。

何もかも覚悟の上でこうなったんだよね?
お父さん・・・。

父は、当たり前の行為のように私を抱く。
強い人だ。
実の娘とのセックスに、何の迷いもないみたい。
頼りにしてるよ。
父であり、夫でもあるんだからね。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-10.html


2009年11月09日


実の娘に子供を産ませる。
世間からすれば、そんな父親は悪なのだろう。

妊娠させるだけでも常識外。(まだ堕胎する道がある)
父娘でのセックスだって、あってはいけない話。
父娘が唇を重ねてキスすることだって変態的なことなんです。

私達は、もう戻ることが出来ない。
産んだのだから。
父も悪なら、私も悪ね。


子供は悪じゃないけど。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-11.html


2010年01月07日
幸せ

子供の存在は、やっぱり幸せ。
笑顔を見るだけで元気になる。

産んで良かった。

誰もが近親相姦を間違いだと言うのでしょう。
でも、幸せはあった。

間違いなんかじゃないよ。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2010-01.html


2010年05月29日
仕事

仕事をすることにした。
その間、子供は保育園で預かってもらうことに。

将来の事を考えたら、私も今のままじゃダメだし。

父は最初は反対していました。
でも納得してくれたんで。
これから頑張らないと。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2010-05.html


2011年01月26日


汚れた

お父さん、ごめんなさい。

仕事先の人に、食事に誘われた。
そして、お酒飲まされました。

何なんだろう・・・。
気がついたら知らない部屋のベッドの上。
服は全部脱がされてた。

その人とセックスしていました。

私は人とは違う人生を歩いている。
なんでいまさら・・・。
近親相姦以外したくなかった。
知ってしまった。
他の人を。

泣いても「泣き顔も可愛い」と唇にキスされてしまうだけだった。
汚れました。
身体の隅々まで・・・。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2011-01.html


2011年02月26日


ダメ

ダメぇ・・・。
本当に堕ちちゃうよ・・・。

このままだと、あの人のものになるのを承諾しちゃう。
何も出来ない。
逆らえない。

ダメよ。
ダメなのに・・・。

puyopuyo_2 at 23:26|Permalink│

.

2011年02月19日


洗脳の儀式

許してしまったディープキスの代償はやっぱり大きかった。
もう止められない。
彼の求めるまま、唇を重ねる私・・・。
これは私にとって、まるで洗脳の儀式のよう。
分かってたんだ。
だから最後まで許さなかった。

「洗脳されちゃうよ・・・。」
ふと言ってしまった。
彼は「それじゃ洗脳してやる」とキスを続けた。
何度もしつこく・・・。

身体の力が抜けていったよ。
本当に洗脳されてるみたいだった。
もし、あのままセックスしていたら、私は本当の意味で彼のものにされていたかもしれない。
危ない所でした。

反省もこめて、父に抱いてもらおう。
私を元に戻して・・・。

puyopuyo_2 at 23:29|Permalink│

2011年02月17日


心が折れそう

このままだと心が折れてしまいそうです。

仕事中でもあの人にキスされる。
諦めてしまいました・・・。
大切なものを失った。
ディープキスを許してしまったんです。
何を今更と思うでしょうね。
もう何度もセックスを許してるのにと。
でも私にとっては違う。
セックスはしてしまってるけど、これは守りたかったの。

でも許してしまった。
なぜ?
わからない。
気が付くと彼の舌が入ってきてた。
終わったと思った。
諦めてそのままディープキスしてしまったよ。

あの人は喜んだよ。
嬉しそうに何度も私にキスをした。
仕事中なのに。

また放心状態になった。
弱い私。
仕事が終わると彼に連れていかれた。
そしてセックス・・・。

お父さん、許して・・・。

puyopuyo_2 at 23:45|Permalink│

2011年02月14日


やばい

近親相姦しかしたくなかった。
だけど私は、それ以外を経験してしまった。
もう取り返しの効かないものが、私の身体に残り続けるのね。

そのショックが今も尾を引いている。
無気力状態。
呆然としてばかり。
そんな私を彼は逃さない。
仕事中でも平気で唇を奪う。
もう抵抗する気力もない。

そして休日。
私は彼に身体を奪い尽くされた。
残念ながら父以外でも気持ち良い。
油断した時、あっという間にセックスにのみこまれる。
このままだと彼の女にされちゃう。


puyopuyo_2 at 00:39|Permalink│

2011年02月10日


どうなるの?

私はどうなるのだろう?
自分の弱さでこうなってしまった。
なんとかしないといけないのに。

私の体が汚れていく・・・。
あの人を止める事が出来ない。
応じてしまった私も悪いのね。
体を売ったようなものだし。

せめて父以外で気持ち良くされたくなかった。
ごめんねお父さん。
私も普通の女でした。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2011-02.html


2011年03月10日


ついに・・・

まさか、この私が・・・。
近親相姦しか興味なかったのに。
信じられないよ。
でも、これが現実なんだね。

私、とうとう堕ちました。
あの人のものになることを承諾してしまった。
その瞬間、私の気持ちを守っていた壁が溶けてなくなり、一気にあの人が私の気持ちを侵食した。
服従の証として、中に注ぎこまれました。

承諾してしまった以上は、彼に従うしかない。
全てをあの人に与えます。
あの人はどこまで求めるのだろう?
子供が2人もいる私を。

あの人のものになり、セックスが変わった。
今まで父に気を使って抱かれてた。
だけど遠慮なく抱かれたの。
あの人を求めて、大きい声で叫びながらイッちゃった。
すごかった・・・。

ごめんなさい、お父さん。
守れなかった。
堕ちてしまったの。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2011-03.html

2011年04月03日


父の決断

父に、母親としての自覚を持てと言われた。
子供の事を一番に考えるようにと。
まったくその通りだと思う。

そして子供の面倒をしっかり見れるのならば、私の好きにすれば良いと言った。
父にしても苦渋の決断だったでしょう。

全ては私次第。

puyopuyo_2 at 22:33|Permalink│

.

2011年04月01日


気づかれた

ついに父に気付かれた。
いずれバレるとは思っていたけれど。

父は、あんな男を相手にしたらロクなことにならないからやめておけと言う。
父親を相手にしてる方がロクなもんじゃないでしょ!と言い返してやった。

父を怒らせるつもりじゃなかった。
追い詰める気もなかった。
悪いのは私。
父は怒りながら私を抱いた。
私は従った。
父は私の中に出しました・・・。

夢を見ていました。
あの人と結婚して、子供を授かる夢を。
でも、これが現実。
私は、また父との子を身籠る事になるのかもしれない。
父が怒るのは当然。
私は受け入れなければいけない。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2011-04.html


2011年08月29日


戻っていく私

戻っていく・・・。
私が父のところに・・・。

まだ気持ちは全部整理出来ていない。
でもこれで良いのだろう。
子供達の母親にも戻れる。

私的には、正直、父との間に三人目の子供を作ろうとは思わない。
あの人との子供なら作りたいと思ったけれど。
その気持ちを父に見透かされている。
だから父は、必要以上に私を愛し、取り戻そうとする。

父も傷ついたのだ。
まだ怒っているのね。

父に私の本音を正直に伝えた。
彼への未練と、三人目は望んでいないことを。
ただ父の望み通りにするとも伝えた。

それから間もなく、父は私を妊娠させようとしました。
それを私は受け入れました。

父に愛される私。
ちょっと前のことなのに、随分懐かしい。
父との近親相姦、気持ち良かったよ。
少しづつ戻っていった。
昔の私に。
父が、あの人から私を奪い返しているんだね。


puyopuyo_2 at 23:47|Permalink│

.

2011年08月20日


捨てられた

彼に捨てられました。
遊ばれただけだったんですね。
一番愛したのは君?
それも嘘にしか聞こえない。

悲しい・・・。

結局、私が戻る場所は父。
やはり運命みたい。
父は、本当に良いんだな?と私に尋ねた。
そして、覚悟を見せてもらうと言って、父は私に子作りセックスをした。

仕方ないです。
これも罰ね。
私は受け入れた。
そして膣内へ出されました。

父はこれからも続けるのだろうか?
もしそうなら、私は再び父の子を身籠ることになる。
父が望むのなら、それも受け入れよう。
puyopuyo_2 at 22:36|Permalink│
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2011-08.html
16:777 :

2022/05/24 (Tue) 05:59:58

“娘と性交”父親が無罪の理由 抵抗可能だった?
4/8(月) 12:13配信 テレ朝 news
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20190408-00000031-ann-soci

 娘と性交した父親の裁判で無罪判決が言い渡されました。判決では「娘は抵抗可能な状態だった」とされていますが、その判断の理由とは。

 共同通信によりますと、父親である男性は実の娘が19歳の時に勤務先の会社やホテルで抵抗できない状態に乗じ、娘と性交したとして準強制性交の罪に問われて懲役10年を求刑されていました。検察側は「中学2年生のころから性的虐待を受け続け、専門学校の学費を負担させていた負い目から心理的に抵抗できない状態にあった」と主張。弁護側は「同意があり、抵抗可能だった」と反論。名古屋地裁岡崎支部は、同意については「性交は意に反するもので、抵抗する意志や意欲を奪われた状態だった」と娘の同意はなかったと認定しました。

 しかし、抵抗できる状態であったかについては「以前に性交を拒んだ際に受けた暴力は恐怖心を抱くようなものではなく、暴力を恐れて拒めなかったとは認められない」と指摘。抵抗を続けて拒んだり、弟らの協力で回避したりした経験もあったとして、「従わざるを得ないような強い支配、従属関係にあったとまでは言い難い」と判断。「被害者が抵抗不能な状態だったと認定することはできない」として、無罪判決を言い渡しました。

 子どもの人権問題に詳しい寺町東子弁護士:「日本の刑法では不同意のセックスが処罰対象ではなく、暴行脅迫を用いて、あるいは抵抗不能の状態に乗じて性交などを行った場合に罪になる。被害者が同意していなかったということだけでは罪にならない。家庭内の虐待ですと、それまでの積み重ねのなかで抵抗しても無駄と刷り込まれてしまっていたり、抵抗することで暴力を振るわれた経験があったり、もっと強く抵抗した場合に何をされるか分からないという恐怖があったり、支配と従属関係というのができてしまっていることが多い。さらに抵抗がしにくい状況というのがある」

 2017年の刑法改正では親から子どもなどへの性的虐待を処罰する「監護者性交等罪」も導入されましたが。

 子どもの人権問題に詳しい寺町東子弁護士:「18歳未満の者に対し、監護者の影響力に乗じて、性交等を行った場合、暴行脅迫がなくても罪になる。(今回の事件の被害者は)18歳未満ではないので該当しない」

 一方で、20歳未満は未成年として扱われ、親権者の同意がなければ法律行為はできません。家の契約も携帯電話の契約も親の同意が必要なのです。

 子どもの人権問題に詳しい寺町東子弁護士:「18歳、19歳のお子さんが被害に遭っていて、逃げたいと思っても、家でお父さんからの被害を我慢するのと家出して路上でもっと危険な目に遭うのとどっちがいいかを突き付けられて、(暴行被害を)我慢しちゃうと『受け入れていた』という認定がされてしまう。18歳、19歳の子どもたちにとっては過酷な法的状況だと思います」
17:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:00:29

■日本は近親相姦社会 国立社会保障人口問題研究所
【調査研究 配偶者選択の現状 今泉洋子 金子隆一】
我が国でも山村や孤島などの集団で近親婚率を調べると30%を超えている集団がいくつかあった。
我が国における近親婚率はこれら隔離された集団ばかりでなく、都市部においてもつい最近まで
近親婚率は数%におよんでいた。我が国の値はインド・エジプトの次に高くブラジルの値と同水準にある。
近親婚率を調べることは、集団全体の人口資質を知る上で大切である。
我が国のように諸外国と較べて近親婚の多い国においては
今後も近親婚の動向を調べていく必要があろう。

http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14168401.pdf

■日本家族計画協会「日本は近親婚が非常に多い」

遺伝のはなし3 近親婚 - 日本家族計画協会
近親婚はどれくらいあるか
わが国では 1947 年には 15.5%という報告もありました。最近は減少し 3~5%
を割っているでしょう。もちろん、地域差はあります
近親婚は欧米では 0.2~0.3%です。

http://www.jfpa.or.jp/mother_child/150401遺伝のはなし3-1近親婚.pdf

■藤田医科大学「日本人の遺伝子はかなり均質」
https://www.fujita-hu.ac.jp/research/story/neuro.html

■日本は異常な近親相姦社会
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/J/JAPbuster/20170106/20170106102236.png


https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/J/JAPbuster/20170106/20170106102443.png


https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/J/JAPbuster/20170106/20170106102308.jpg
18:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:01:19

近親相姦がもたらす“5つの障害・遺伝病”が恐ろしすぎる!
何世代も呪いのように続く… いまだ“推奨”されている国も!? 2019.08.12.
https://tocana.jp/2019/08/post_106685_entry.html

 現在、世界のほぼ全ての国や文化圏で近親相姦はタブーとされている。

 しかし過去、近親間の結婚・出産は世界各地の特に王族・貴族間で盛んに行われており、古代エジプトでは支配層において純血を守るという目的から実の兄弟姉妹間、さらには親子間での婚姻・出産は当たり前の事象であった。

 近親交配では先天異常を持って生まれる子が誕生する確率が高くなることが知られている。類似した遺伝子を持つ者同士の交配により、劣性形質が発現しやすいなど多数の問題が生じる可能性が高まる。たとえ目に見えた障害が現れなくとも、子から孫へと、代々問題が受け継がれることもある。

 海外メディア「Ranker.com」では、王族・貴族の家系で行われた近親交配によって生じた可能性のある先天性疾患の例がいくつか紹介されている。


・ 13 Genetic Mutations That Can Arise from Incest (Ranker)
https://www.ranker.com/list/genetic-mutation-from-incest/laura-allan

■下顎前突症(The Habsburg Jaw)

【閲覧注意】近親相姦がもたらす5つの障害・遺伝病が恐ろしすぎる!
何世代も呪いのように続く… いまだ推奨されている国も!?の画像1

https://www.ranker.com/list/genetic-mutation-from-incest/laura-allan

神聖ローマ皇帝カール5世。画像は「Ranker」より引用

 ハプスブルグ顎と呼ばれる下顎前突症は、現在のスイス領内を発祥としたハプスブルグ王家からその呼び名が付けられた。

 ハプスブルグ家では近親婚が代々繰り返され、一族には下顎前突症以外にも数々の障害を抱える者が多数誕生した。一族を描いた肖像画には、長い顎や過蓋咬合といった特徴を持った人物が多数描かれている。

 その中でも特に有名なのは、スペイン王のカルロス2世(1661~1700)で、父のフィリップと母のマリアナは叔父と姪の関係であった。そして父フィリップと母マリアナの双方とも近親婚によって生まれている。

 カルロス2世は巨人症で顎が大きく長く、言語障害や知的障害、精神障害、生殖機能障害、尿細管性アシドーシス等、数々の疾患を抱えていた。噛み合わせが悪いせいで常によだれを垂らし、8歳まで歩けなかったという。

 しかも、現代に生きるハプスブルグ家の末裔さえ、幾人かはこの特徴的な顎が現れており、近親婚による影響は何世代にも及ぶ事が見て取れる。


■頭蓋骨奇形(Misshapen skull)

【閲覧注意】近親相姦がもたらす5つの障害・遺伝病が恐ろしすぎる!
何世代も呪いのように続く… いまだ推奨されている国も!?の画像2

https://tocana.jp/2019/08/post_106685_entry_2.html

画像は「Ranker」より引用

 古代エジプトの半身像や絵画で、時折見られる後頭部が異常に長い頭。これは当時の芸術的観点から誇張されたものではないようだ。兄と妹、姉と弟、父と娘、母と息子、叔父と姪、従妹同士の結婚が、エジプト王室では当たり前に行われていた。その結果、多くが障害を持って生まれており、ツタンカーメンは頭蓋骨奇形以外にも口蓋裂や内反足、脊椎側弯症も患っていた。

■奇肢症(Fused limbs)

【閲覧注意】近親相姦がもたらす5つの障害・遺伝病が恐ろしすぎる!
何世代も呪いのように続く… いまだ推奨されている国も!?の画像3


https://tocana.jp/2019/08/post_106685_entry_2.html


画像は「Ranker」より引用

 ジンバブエのヴァトマ族では、足の肢部分が結合し鳥の足のようになる欠指症という疾患が多く発症しており、その大きく繋がった足から「ダチョウ人間」とも呼ばれている。地理的に隔離され、その少人数の部族内で交配が繰り返されたことが疾患の原因と見られる。


■血友病(Hemophilia)

【閲覧注意】近親相姦がもたらす5つの障害・遺伝病が恐ろしすぎる!
何世代も呪いのように続く… いまだ推奨されている国も!?の画像4

https://tocana.jp/2019/08/post_106685_entry_3.html

ビクトリア女王のひ孫、アレクセイ・ニコラエヴィチ・ロマノフ。画像は「Ranker」より引用

 近親婚はヨーロッパ王族の間でも非常に盛んで、イギリスのビクトリア女王(1819~1901)も近親婚に起因する疾患を抱えて生まれた一人であった。

 1850年代、ビクトリアと夫アルバートの間に生まれた四男には血液が凝固する病気(血友病)があった。娘たちにもその遺伝子が受け継がれており、孫の代になっても血友病が多く発症している。そのため、血友病は時に「ロイヤル病」とも呼ばれていた。

■小頭症(Microcephaly)

【閲覧注意】近親相姦がもたらす5つの障害・遺伝病が恐ろしすぎる!
何世代も呪いのように続く… いまだ推奨されている国も!?の画像5

https://tocana.jp/2019/08/post_106685_entry_3.html

画像は「Ranker」より引用

 パキスタンでは今も従兄妹間の結婚が当たり前のように行われているどころか、なんと推奨されている。1998年のレポートには、実に63%ものパキスタン人が血縁者と結婚したとある。数代にわたり従兄妹同士の結婚が繰り返されているケースもあり、小頭症の子どもも多く誕生している。

 パキスタン人全体の先天性疾患患者誕生の割合は1万分の1だが、パキスタン以外の世界に目を向けると、その割合は100万分の1に下がる。いかに異常な数値であるか見て取れるだろう。

 今回紹介した以外にも、アルビノ症や重度の体や顔の歪み等の奇形、小人症、生殖障害、免疫系の障害等も近親交配による疾患としてリストされている。その他にも聴覚障害、視覚障害、内臓や神経系、骨等の疾患も多く報告されている。

 もちろん、それらは近親婚でない場合にも発症する可能性がある。しかし、近親間での出産が遺伝的に危険である事は紛れもない事実だろう。

 ほとんどの国では近親婚は違法とされているが、先述したパキスタンのように、今も文化として残っている国が存在する。モラルとしてはもちろん、これだけの危険を冒してまで守るべきものなのかと思わざるを得ない。

参考:「Ranker」、ほか
https://www.ranker.com/list/genetic-mutation-from-incest/laura-allan
19:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:01:52

“家族レイプ”の狂気…「娘は幸せだったと思う」母親はカメラで撮影
東スポWeb 2019年5月14日
https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoSports_1391703/

“家族レイプ”の狂気…「娘は幸せだったと思う」母親はカメラで撮影
さいたま地裁


【“普通”の家 父・母・娘…家族レイプの衝撃:短期連載1】今年3月、全国の地方裁判所で4件の性犯罪事件で無罪判決が出された。うち2件は父親から娘に対するものだった。無罪判決を疑問視、危険視した各メディアが背景を検証し、被害者支援団体がデモを行っている。本紙では、7人家族の間で起きた“強姦事件”の裁判をリポートする。長女が4歳ごろから中学生になるまで父親から性的虐待を受けていた。母親も加害者として加担。父母は有罪判決となった。信じられない家族関係を生み出した背景は? 無罪判決との分かれ目は? 4回にわたって検証する。

 さいたま地裁(入江猛裁判長)は4月3日、強姦罪(刑法改正前の事件のため=現・強制性交等罪)、強制わいせつ罪、児童ポルノ禁止法違反の罪に問われた被告人の男Aに懲役18年(求刑23年)を言い渡した。

 2012年1月~14年8月の約2年7か月の間、血のつながった実の娘である長女(当時10~12歳)に対して、主に自宅で強姦17件、手淫や口淫など強制わいせつ4件を遂げたほか、性交の様子をビデオカメラで撮影し、動画データをハードディスクに保存・所持していた。

 起訴・追起訴は6度。昨年10月から6回の審理によって起訴内容はすべて認定された。性的行為の様子や裸体及び陰部の撮影は長女が7歳から、性行為は9歳のころから始まった。罪として認められたものは極めて一部にすぎない。

 長女が4~5歳のときに風呂場で手淫と口淫を教え込み、中学生になるまで性的及び性行為は約10年続いていた。


この事件をさらに特異なものにさせ、長女を不幸にさせているのが、長女の母でありAの妻B(事件発覚後に離婚)も加担していたことに尽きる。4月23日、さいたま地裁(河村俊哉裁判長)はBを強姦ほう助と強制わいせつほう助の罪で懲役7年(求刑10年)の判決を言い渡した。

 BはAの指示に従い、2階寝室に長女を連れて行き、他の子供たちが2階に来ないように見張った。ときには自分も性的行為に参加して、手で勃起させたAの陰茎をそのまま長女の陰部に導くこともあれば、娘と2人でAを口淫することもあった。そして、ビデオカメラを持ってAと娘の行為を撮影したのだ。Bも起訴内容(強姦ほう助10件・強制わいせつほう助3件)を認めた。

 狂った親だが、他の4人の子供からすれば普通の親でもあった。事件化されるまで、彼らは同じ家の中で起きていたことを知らなかった。性行為の意味も分からない4~5歳から口淫を教えられ、嫌悪感や抵抗感を麻痺させられていた長女にとっても、ある意味で“普通の親”だったかもしれない。Aによる性交は長女が中学生になって終わった。それから約4年後、長女は高校生になってようやく初めて被害を被害と認識して、他者に相談できた。

 Aにも罪の意識がほぼないように見える。「悪いことというか、親子なので背徳的行為をしている認識はあった」と法廷で言っていた。逮捕された当初も取り調べでこう供述。

「娘は自分から上に乗ってきたので、私と性交していると、きっと幸せだったと思う。娘との性交には彼氏彼女のような愛があり、和姦だったので逮捕されるなんて考えたこともない。なんでこんなことになったか不思議でしょうがない」


Aが父娘関係と夫婦関係を言い表すところによると、長女を「最愛の女性」「運命の人」、Bを「マスター(ご主人さま)とスレイブ(奴隷)」。ゆがんだ醜い愛情を娘に注ぎ、妻は何でも言うことをきく奴隷として扱った。

 13歳未満の児童に対する強姦事件で暴行・脅迫要件は必要とされない。性交の事実さえ認定されれば、罪と認定される。Bが撮影し、Aが保存していた動画データが有罪判決に導いた。

「娘を犯す父親は無条件でおかしい」と普通の人なら思うところだが、Aはイメージしやすい「娘に手を出すような粗暴な父親像」とも異なる。それは、他の子供たちが「自分たちにも長女にも良い父親だった」と証言し、出所後はAとBを支えると約束していることでも明らかだ。(続く)
20:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:02:21

一度も避妊具を付けなかった鬼畜父「そういうことは考えたことがなかったです」
東スポWeb 2019年5月15日
https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoSports_1393173/
一度も避妊具を付けなかった鬼畜父「そういうことは考えたことがなかったです」
両親に実刑判決を下したさいたま地裁


【“普通”の家 父・母・娘…家族レイプの衝撃:短期連載2】現在高校生の長女が幼少期から中学生になるまで性的虐待を続けた父親Aと、その行為を止めなかった母親B。ある家族の中で起きた強姦事件の主犯の父親は、いったいどんな思考の持ち主だったのか。性犯罪に無罪判決が続いた今年3月のショックが冷めやらぬ中、4月に判決の出たこの事件は「圧倒的に有罪」だ。短期連載2回目は鬼畜の父親にフォーカスを当てる。

 Aの性的虐待は“普通の家族の日常”の延長線上にあった。起訴された強姦・強制わいせつ事件は主に寝室で起きたが、Aと長女の性的な結びつきは「風呂場」にあった。すべての犯行の始まりは4歳だった娘と2人で入浴したことから始まり、父娘の入浴を卒業したときに犯行も終わった。

 Aいわく「溺愛のあまり芽生えた娘という認識を超えた感情」から、風呂場で性行為をすることもあれば「悩み相談や学校のことを話した」ことも。その両方もあった。日常と虐待を一緒くたにされて、まだ未熟だった長女には、正常な判断ができなかったはずだ。

 今でこそ「無知だった」と反省の態度を示すAだが、当時は悪いとも思っていなかった。取り調べで指摘され、初めて違法性を認識したという。「暴力、脅し、だます」行為を伴う性行為だけが強姦などの罪になり、親子間・低年齢児童を相手にした性行為が犯罪になる「認識はなかった」とした。だからか、法廷では自信たっぷりに「暴力、脅迫、口止め」などを用いていないと主張した。


その自信の根拠には「娘の嫌がることはしない」という「ポリシー」があるようだ。中学生になった娘が一緒の入浴を避けるようになると、Aは受け入れた。同時に、約10年続いた近親相姦もスッパリと終了した。

 Aは「いずれ私との入浴を拒絶する。とうとう来たのか」「娘は父親と一緒の入浴から卒業する時期だった」とあたかも普通の父親然に分析しつつ、一方では「そういう関係でなく、普通の親子関係に戻りたいのだと思った」と“異常性”を客観視もしていた。

 性行為をやめたのは先のポリシーゆえだろうか。ところが、ある動画には「痛い思いしたことないでしょ」(A)、「痛かったよ」(長女)というやりとりが残っていた。行動をエスカレートさせたAが大人のおもちゃを使用したり、肛門に指を入れる陵辱行為もあった。長女が嫌がった記憶がAの頭からすっぽり抜け落ちている。どこまで「溺愛」と言っても、自身の性欲のはけ口にしていただけだとわかる。

 日常と性的虐待が地続きになっている象徴的な出来事がある。Aの趣味はカメラ撮影だった。家族旅行やお祝いごとなどの家族写真を撮るのと同じ感覚で娘との性行為も撮影していたのだ。

 2012年9月、長女が小学5年のころに「家族パーティー」の写真を撮影したのもA。「これは初潮のお祝いだ」と警察に説明した。鬼畜の父親が言うとゾッとするが、一般的な家族でも子供の体の成長を祝うこと自体は普通である。

 問題は、その後にも先にもAが一度も避妊具を付けなかったことだ。妊娠の危険性に「そういうことは考えたことがなかったです」と、どこ吹く風。たまらず検察官の口から出た「父親なら考えるでしょ!」という詰問に「父親なら、娘としないと思います」と笑って答えたのは、Aなりのジョークか、それとも本心か。「私の性的嗜好は親子、妻、関係ない。若いころからそうだった」と続けた。


避妊をしないのは筋金入り。そのために5人の子供を産んだBの話は次回に続く。Bが犯行に加担した動機がいくつかある中で、そのうち1つは「子供たちの生活を守るため」だった。(続く)

【事件・判決概要】2012~14年の約2年7か月、実娘である長女(当時10~12歳)に、17件の強姦と4件の強制わいせつを行い、その性交の様子を撮影したハードディスクを所持した罪で、さいたま地裁は父親Aに懲役18年(求刑23年)の判決。長女の母親Bもその犯行をカメラで撮影したほか、長女と父親の性行為をサポートするなどして、同地裁は強姦ほう助罪と強制わいせつほう助罪で懲役7年(求刑10年)判決。
 A、B、長女のほかに、3男1女の7人家族。被害は長女が4~5歳のころから中学生まで約10年続いたが、他の子供たちは気付かず。昨年、高校生になった長女が被害届を出して事件化した。
21:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:02:46

鬼畜父の蛮行を積極的に支えた鬼母の正体
東スポWeb 2019年5月16日
https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoSports_1394748/

【“普通”の家 父・母・娘…家族レイプの衝撃:短期連載3】長女に性的虐待を続けた父親Aに酌量の余地は全くない。その犯行を止めずに、むしろ積極的に支えた母親Bは? 世間から責められるべき鬼母なのか。自分も幼いころに実父からDVを受け、大人になってからもAに支配されたというが“被害者”なのか。連載3回目は母親に注目してみる。

 Aによる長女への性的虐待で、Bは「長女を寝室に連れて行く」「他の子供が寝室に近づかないように見張る」「夫と娘の性行為を撮影する」「Aの性的興奮を高めるため、自らも娘と性行為に参加する」という主に4つの役割を果たした。

 加担した理由は――。Bの実姉の証言では、幼いころに実父から頻繁に殴られたという。そんな環境で支配されやすい下地が形成された。Aと結婚後、家事を失敗するとAから「バカ」「能なし」とののしられ、テレビのリモコンを投げつけられたり、性行為の最中も言葉や性的な暴力を受けた。家族は2度夜逃げしたほど貧困な上、家計はAが管理。Bは歯科医にも行けず、前歯を失い滑舌が悪い。コンドーム代がなく、娘にさえ避妊しないAとの間に、Bは5人の子供を産んだ。

 子供を引き取る離婚を求めたが、Aから許されず。夫と娘がセックスしていることを知られるのが恥ずかしくて、周囲にも助けを求めなかった。判決では支配されるまでの暴力は否定された。

 息子らの「父は母より上の立場だけど、暴力を振るったのは見たことがない」との証言から「暴力や暴言の内容は服従せざるを得ないほど陰湿とは認められない」とした。


性犯罪への加担はAの指示に従ったものだが「自らカメラアングルを考えて撮影を工夫していた」「長女に卑猥な言葉を言わせようとしたAに同調し、Bも笑いながら長女に発言を繰り返させようとした」と認められた。何より「本件に関与することで自身の性欲を満たしたいという思いもあったと供述している」とされ、罪深い。

 Bの弁護人は取り調べでの誘導や、子供の生活を守るためにAの命令に背けなかったと主張したが、地裁は「同調できない」と退けた。「母親も被害者」と言うつもりは毛頭ない。被害者は長女だ。診察した精神科医によれば、長女はノートに「一生会いたくない」と父親への拒絶感を示した。似ている大人を見かけたりすると、悪夢や頭痛など不調が出るため、治療を受けている。

 長女はBに対して「どうかと思うが言えなかった。母親は被害申告した私を責めていると思う」と揺れている。被害を明かした際「両親を許せません」としながら「相談したら家族の関係が崩れる」と苦悩していた。

 長女は警察へ訴えた後、Bにだけ伝えた。BがAに黙っていたのは、母としての最後の意地、妻としての抵抗だったのかもしれない。Aが知れば、家宅捜索までに証拠の動画データを消すこともできたからだ。

 長女と小学生の次女と三男は事件が表面化した後にAと離婚したBの戸籍に入った。裁判の最後、Bは娘に謝罪し「一生をかけて罪を償っていきたい」と述べた。
22:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:03:25

【悲報】日本、近親相姦大国だった・・・
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1559393427/l50
1名無しさん@お腹いっぱい。2019/06/01(土) 21:50:27.83ID:BHVYbm4p

■日本は近親相姦社会 国立社会保障人口問題研究所

【調査研究 配偶者選択の現状 今泉洋子 金子隆一】

我が国でも山村や孤島などの集団で近親婚率を調べると30%を超えている集団がいくつかあった。
我が国における近親婚率はこれら隔離された集団ばかりでなく、都市部においてもつい最近まで
近親婚率は数%におよんでいた。我が国の値はインド・エジプトの次に高くブラジルの値と同水準にある。
近親婚率を調べることは、集団全体の人口資質を知る上で大切である。
我が国のように諸外国と較べて近親婚の多い国においては
今後も近親婚の動向を調べていく必要があろう。

http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14168401.pdf


■日本家族計画協会「日本は近親婚が非常に多い」

遺伝のはなし3 近親婚 - 日本家族計画協会
近親婚はどれくらいあるか
わが国では 1947 年には 15.5%という報告もありました。最近は減少し 3~5%
を割っているでしょう。もちろん、地域差はあります
近親婚は欧米では 0.2~0.3%です。

http://www.jfpa.or.jp/mother_child/150401遺伝のはなし3-1近親婚.pdf

■藤田医科大学「日本人の遺伝子はかなり均質」
https://www.fujita-hu.ac.jp/research/story/neuro.html

■日本は異常な近親相姦社会
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/J/JAPbuster/20170106/20170106102236.png


https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/J/JAPbuster/20170106/20170106102443.png


https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/J/JAPbuster/20170106/20170106102308.jpg
23:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:06:57


9 名前:きち 投稿日: 2004/05/07(金) 23:18

すごいといえば、30年代の名張ぶどう酒事件の村のようなフリーセックスとかもすごいですね。

10年ほど前、仕事で3年ほど住んでいた僻地の村では近親相姦やら夜這いもどきやらで全校50人ほどの中学に知的障害の生徒が8人もいました。

でもこの事件も周りの人が何時間も待っていたというのが笑えますね。

12 名前:あんず 投稿日: 2004/05/08(土) 23:17

日本は近親相姦(父→娘)が多いのはどうしてだ?

と外国人に聞かれたことがあります。なんでも彼の周りだけでも
4人の日本人の女性がそういう過去があるそうです。

そういう話を聞くと病的で嫌悪感を感じますが、もしかしたら日本は昔そういう奇習が普通(と言ったら語弊がありますが)だったのかもしれないですね。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1073909229/


_______________________________


身近にある近親者からの性的侵入


 家族というのは実に不思議なものです。同じ屋根の下で暮らしていながら、夫婦の寝室では、性行為そのものが行なわれているのに、他の家族に対しては、その性行為は厳重に隠されてしまうのです。そして、性の匂いを拭い去った家族の生活が、延々と続いて行くのです。このような日常生活の中で、ときとして、親と子の間の性的な境界がゆるみ、本来なら夫婦の間だけで表現されるべき性欲が、子供たちに向かって滲み出していくこともあるのです。そして、それが性的虐待と呼ばれるものへと、少しずつ発展していくこともあるのです。まずは、その具体的な例として、私が目撃した出来事から書き始めてみたいと思います。

 あれは、真夏の暑い日のことでした。強い日差しを浴びながら、人通りのない住宅街を歩いていると、アパートの前の道路で、親子が水浴びをしているのに出会いました。ビニール製の小さなプールを作って、そこに三、四歳くらいの男の子がひとり裸で立っていました。そして、その周囲を三人の主婦たちが取り囲んでいたのです。主婦たちは、なにやら男の子のオチンチンに代わる代わる手を伸ばしては、それをいじくり回しながら、話に夢中になっているようでした。私が近付いて行くにつれて、その会話も聞き取れるようになってきたのですが、「将来これで女を泣かせるようになる」というようなことを言っているのが分ったのです。そして、彼女たちは卑猥な笑い声をたてていたのですが、途中で私が接近していることに気付くと、一斉に顔を伏せて黙り込んでしまいました。顔を下に伏せただけではなくて、強い羞恥心に駆られて、さらに私から顔をそむけるようにしているのです。真ん中にぽつんと取り残された男の子は、何が起きたのかまったく理解できずに、私が通り過ぎて行くのをぼんやりと眺めていました。

 これだけの出来事なのですが、ここにはいろんな意味が含まれています。まず、この主婦たちは、人通りがなかったとは言え、そこが道路という公の場所であるということを忘れるほど、話に夢中になっていたということです。おそらく、男の子のオチンチンという、まだ未発達ではあるものの、男性性器の実物を手に取って、それを品定めしながら、お互いに卑猥な冗談に花を咲かせていたのです。そして、性的な興奮も手伝って、周囲への警戒がおろそかになっていたのでしょう。おそらく三人の主婦うちの一人は、その子の母親に違いありません。自分の息子のオチンチンを、他の主婦たちにもいじらせながら、卑猥な会話によって性的な高揚感を味わっていたのです。もちろん、彼女たちは自分のやっていることの意味を理解してたのです。理解していたからこそ、恥ずかしさのあまりに、私を見るなり一斉に顔を伏せたのです。まさに文字通りに、人に顔向けのできないようなことをやっていたわけです。

 性的な虐待というと、どうしても変質者をイメージしてしまいがちですが、実際にはそんなことはないのです。加害者で、もっとも多いのは、見ず知らずの他人ではなくて、子どもの身近にいる、一見普通に見える人たちなのです。肉親だったり、親戚だったり、近所の人だったり、学校の先生だったりするのです。そして、加害者のイメージとしては、どうしても男性の加害者を思い浮かべてしまがちですが、女性がそんなことをするはずがないと言う間違った思いこみが世間にあるために、女性による虐待が見過ごされていることが多いのではないかと思われます。それに、男性が女性から性的虐待を受けたとしても、それは虐待であるとは受け取られずに、逆に「いい思いをしたじゃないか」と羨ましそうに言われたりする風潮があります。しかし、もしこの場面で性が逆だったらどうなるでしょうか。たとえば、三人のオヤジたちが、幼い女の子の股間に指を入れながら、「将来、男を泣かせるようになるぞ」などと卑猥なことを言って笑っていたらどうなるでしょうか。これはつまり、大人の性的な興味のために、子どもの体が利用されたということなのです。体が性的に利用されたということの影響は、女の子も、男の子も同じなのです。しかし、どうしても世間では、女の子の場合には騒いだりするのに、男の子の場合には、まともに取り上げようとしない傾向があります。しかし、最近、まだ少数ではありますが、女性の加害者の問題や、男性の被害者の問題が取り上げられるようになってきています。この問題は別のところで詳しく書く予定です。

 もう一つのケースを紹介しましょう。これは会社の同僚のことなのですが、この人はたしかに仕事のできる人なのではありますが、ちょっとプライバシーの境界に曖昧な部分がありまして、家庭での出来事を、会社に来て冗談のようなつもりで話してしまうのです。普通なら恥ずかしくて言えないようなことでも、ぺらぺらと話してしまうため、この人の家庭の状態をみんなが知ってしまうことになるのです。その話の中で、幼稚園に行っている娘さんのことで、奥さんからひっぱたかれたというのがありました。幼い娘さんをお風呂に入れているときに、娘さんに自分のペニスを洗わせたというのです。洗ってもらっているうちに感じてきて、ペニスが勃起してきたのですが、気持ちがいいのでそのまま洗わせていると、突然、奥さんが浴室に入ってきて、思いっきり彼の顔をひっぱたいたのだそうです。こういうことを、会社に来て、みんなに冗談めかして話してしまうのです。

 では、このケースでは浴室でどういうことが行われたのか考えてみましょう。幼い女の子が、お父さんと一緒にお風呂に入ると、男と女の体の違いに興味を持つようになることがあります。自分の体にはないオチンチンというものに関心を持つようになるのは自然なことです。そして、その機会に親が適切な知識を与えてやるのも必要なことなのです。しかし、子どもの好奇心を利用して、大人が性的な興奮を得るとなると、これはまったく違う話になってしまうのです。おそらく、彼は性的な興味から、面白半分で娘さんにペニスを洗わせたのでしょう。親子の間で性的なことが行われる場合には、普通は秘密のこととして隠されて行われるのですが、彼の場合には、自分のやっていることの意味を理解していないために、まったく隠そうともせずに、ましてや罪悪感を抱くこともなく、堂々と開けっぴろげにやっていたのでしょう。子どもは、父親のペニスをいじることで、妙な高揚感があって、いわゆるはしゃいだような状態になったのではないでしょうか。そこで、大きな声で「オチンチン」とか「大きくなった」とか、意味も分からないままに叫んでいたのかもしれません。その声を、台所にいた奥さんが聞きつけて、普段の夫の言動からして、浴室で不穏な事態が発生していると感じたのでしょう。そして、浴室のドアを開けてみると、その不穏な事態を目の当たりにすることとなり、思わず夫の顔を力まかせにひっぱたいてしまったのでしょう。そして、おそらく子どもをすぐに夫から引き離したことでしょう。

 果たして、このような出来事は、この一回だけで終わるのでしょうか。幼い娘さんは、こういう父親と大人になるまでの間、ずっと一緒に生活していかなければならないのです。その間に、さらにいろいろな出来事があって、そのたびに性的な境界が少しずつ曖昧にされて行くことでしょうし、その他にもさまざまな影響を受けていくことになると思われます。

 ここで、性的虐待という言葉の意味をはっきりさせておきましょう。性的虐待というのは、いま書いた二つのケースのように、親などの立場の強い人が、子どもなどの弱い立場の人を「性的に利用する」ということなのです。どうゆうふうに利用するのかというと、大人が性的な刺激を得るために利用するのです。しかし、子どもを利用するにあたっては、暴力や脅しを使うというパターンもありますが、近親姦のような性行為にまでは行かないような場合には、日常的な何気ない行動を装って行われることが多いのです。たとえば、よくあるのが入浴の時に子供の体を洗ってやる場面です。まだ幼くて自分で体を洗えないような子どもは、たしかに親が洗ってやらなければならないのですが、ここに微妙な状態が発生することがあるのです。親であるとは言っても、子どもの性器に多少は興味を持つこともあるでしょう。しかし、中には体を清潔にするという大義名分のもとに、必要以上に念入りに子どもの性器を洗ったりする人もいるのです。浴室という、閉ざされた密室の中で、子供の体を清潔にするという言い訳のもとに、親が性的な刺激を得る目的で、自分の子どもの体を洗うのです。幼い子どもは、自分がされていることの意味をまだ理解出来ませんし、親の方も、ちょっとしたイタズラ、あるいはちょっとふざけてみただけ、というような軽い気持ちでやっているだけなのかもしれません。しかし、ここには、自分の子どもを、性的に利用しているという「虐待」の一面が顔を覗かせているのです。

 その他にも、子どもは成長するのに従って、さまざまな独り立ちを体験していきますが、それを妨げるような形で行なわれることもあります。たとえば、子どもが一人で寝るようになるとか、一人でお風呂に入るようになるとか、そういう自立的な行動が、親の寂しさを埋め合わせるために妨害されてしまうのです。そして、ときにはそれが性的な色彩を帯びてくることもあるのです。

 普通、何歳で一人で寝るようになるのかといった資料は持ち合わせていませんが、子どもが一人で寝るようになってもいい年齢に達しているにもかかわらず、いつまでも一緒に寝ている親子もいるのです。たとえば、息子が中学生なっているにもかかわらず、母親と一緒に寝ているようなケースもあるのです。思春期になれば、当然、性的な意識も目覚めてきますので、ただ単に一緒に寝ているだけで性的な意味はないのだとは言っても、息子の心の中には、母親の体から立ち上る「女」の匂いへの関心が少しずつ芽生えていくのです。親と子の間には、別々に寝るようになる時期というのがあるのですが、たとえば夫の不在とかの理由で、母親が自分の寂しさを紛らわすために、子供が成長を無視して一緒に寝ることで、密着感を得ようとすることもあるのです。こんなふうに、親に利用されて育った子どもは、自立へのステップをうまくクリアできない可能性が高くなってしまうのです。

 一人寝と同じように、一人でお風呂に入るようになるのも、自立へのひとつのステップとなるわけですが、ここにも自立を妨害をしようとする親がいるのです。そして、お風呂の場合には、裸になりますので、性的な要素が入りやすくなってきます。たとえば、小学生の高学年になっているにもかかわらず、母親が息子と一緒に入浴したり、息子の性器を「清潔にする」という名目で、母親が必要以上に丁寧に洗ったりするケースもあります。

 このようなことは、父親と娘の間にも時々見られます。娘と一緒に入浴することを、親子のコミュニケーションを取るためだとか、適当なもっともらしい理由をつけるのです。もう胸が膨らんできて、父親と一緒に入浴するのが不適切な年齢に達しているにもかかわらず、うまく言いくるめてしまうのです。娘の方でも、まだ世間知らずで、中学生や高校生になっているのに、風呂には父親と入るものだと思っていたりするケースも、ときにはあるのです。しかし、学校の友達との会話で、お風呂の話題になったときに、父親と一緒に入浴しているということを、何の疑問も持たずに話してしまい、その結果、友達から、異常だとか、父親が変態だとか言われて、強いショックを受けたりすることになるのです。たしかに、父親との入浴に性的な雰囲気は一切無かったとしても、父親の方としては、娘の成長してゆく肉体を眺めて、秘かに楽しんでいたわけです。つまり、自分の楽しみのために、娘をだまして利用していたことになるのです。一方、娘の方は、世間の常識を知ったことでその異常性に気づき、裏切られたという思いを抱きます。子どもというのは、親は自分のためになることをしてくれるはずだという期待を持ちますが、ただ単にそれが裏切られたというだけではなくて、自分の体が親の身勝手な楽しみのために利用されていたのだということも分かって、二重に裏切られた気持ちになるのです。

 自立心が正常に発達していけば、友達からバカにされるという思いが出てくるようになって、適当な年齢になれば、自分の方から一人で入浴すると言い出したりもするのですが、親にうまく利用されている場合には、このような自立心がなかなか育たなかったりします。それに、自分の体なのに、いつまでも親に洗ってもらっていたりしますと、自分が自分であるという感覚もあいまいになっていきますし、成長に伴って発生してくる「性的なプライバシー」も歪められてしまうのです。この、性的なプライバシーの発達は、自分といものを確立するための重要な要素となってくるのです。このような性的なプライバシーについても、親から尊重してもらえずに、侵害されてしまうこともあるのです。よくあるのが、年頃になった娘の裸を見たがる父親が、「つい、うっかりと」浴室のドアを開けてしまうケースです。そして、「ごめん、ごめん」と言って、笑ってごまかしたりするのです。父親の方としては、冗談の延長のような軽い気持ちでやったりするのですが、見られてしまった方としては不愉快な気持ちが残ります。思春期になれば、そういうわざとらしい行動の意味を理解するようになるからです。

 このような性的なプライバシーへの侵害は、娘が部屋で着がえをしているときにも行なわれます。「つい、うっかり」ノックするのを忘れてドアを開けてしまった、というようなパターンです。しかも、着がえをする時間を見計らったかのようなタイミングで、ドアを開けるのです。さらに、もっと侵略的な親になりますと、子どものプライバシーを侵害するために、もっと強力な方法を使ったりします。家が狭くて収納場所がないという理由で、子供の部屋の押し入れなどに、親が普段よく使うような品物をしまっておくのです。そして、それを取りに行くという口実で、頻繁に子供の部屋に出入りするのです。これは、子どもにとってはたまったものではありません。こうなると性的なプライバシーだけではなくて、「自我」への侵略を受けることにもなるのです。このような度重なる侵略は、自分というものの境界を確立できずに、自他の区別があいまいなまま成長することにもなっていくのです。

 性的なプライバシーへの侵害は、親が自分の性的な部分を露出するという形で行なわれることもよくあります。たとえば父親が風呂上がりに、腰に巻いていたタオルが「偶然」落ちてしまい、年頃の娘にペニスを見られてしまうというようなケースです。たしかに、偶然そうなることもあるでしょう。しかし、親が性的な刺激を得るためにわざとそうしたのなら、意味は違ってくるのです。ここには、隠された露出症的な意味合いが含まれてくるのです。他にも、たとえば、母親が湯上がりの着がえを持ってくるのを忘れたと言う口実のもとに、あらわな姿で思春期の息子の前を行ったり来たりするとか、あるいは、父親が湯船につかってから、石鹸を忘れたとか、タオルを忘れたとか言って、娘に持ってきてもらい、ドアを開けたときに、自分の股間をさらけ出したりするのです。

 このような行為は、すべて正当な言い訳のものとに実行されるのです。実際に石鹸を忘れることもあるでしょうが、たとえ意図的に忘れたとしても、いくらでも偶然を装うことが出来るのです。しかし、ときには冷静になって考えてみれば、その不自然さが浮かび上がってくるようなこともあります。たとえば母親が着替えをするときに、息子にスカートのジッパーをしめてもらうとか、ブラのホックを留めてもらうような場合です。急いでいたからとか、いろいろな口実もあるでしょうが、急いでいるのなら自分でやった方が早いでしょう。あるいは、父親が腰痛になって娘に湿布薬を貼ってもらうときに、必要以上にお尻を露出させるとかいうケースでは、果たして自分で鏡を見ながら貼ることが出来ないのかとか、そんなにお尻の方まで露出必要があるのかとかいう疑問も出てきます。

 これらの露出症的な行為に共通しているのは、性的な誘惑の存在です。しかし、親としてもあまり大胆な行動に出るにはためらいがあるのです。親子間の性的なタブーを犯そうなどという、そんな大それた考えはないのです。ですから、何気ないような日常の行動を装うのです。そうすればいくらでも言い訳が出来ますし、罪の意識も持たなくて済むのです。ですから、たとえば息子にブラのホックを留めてもらっても、息子が母親の体をじっと見つめていたりしますと、「いやらしい目で見ている」と言って、冷たく突き放してしまうことも出来るのです。こうすることで、ただ単に着替えを手伝ってもらってただけなんだという、正当な言い訳が成立するのです。しかし、息子の方としては、誘惑を受けながら同時に禁止されるという、非常に矛盾したメッセージを同時に受けとることになり、このようなことが繰り返されるに従って、徐々に根の深い性的な葛藤を抱え込むようになっていくのです。

 このような、もっともらしい言い訳というのは、立場を逆転するために使われることもよくあります。たとえば、父親が幼い娘とプロレスごっこをして遊んでいるときに、父親の手が妙に娘の性的な部分ばかり触っているのを、母親が不自然に思ってとがめたりしたしても、「これはただの遊びであって、お前がいやらしい目で見るから、そういうふうに見えるんだ」と言いくるめるのです。そして、さらに、「いやらしい目で見ているお前の方が、おかしいのだ」と反撃するのです。

 このような、反撃は、たとえば、「偶然」裸を覗かれて不愉快になっている娘に対しても、「裸は自然で美しいものなんだ。見られて恥ずかしがったり、不愉快になったりするのは、お前の方がいやらしいことを考えているからなんだ」と、逆に強引に押し切ったりするのです。そして、性的なプライバシーの侵害が行なわれているにもかかわらず、まるでなんでもないような自然なことにしてしまうのです。このようなやり方は、イジメのやり方と同じなのです。あくまでもふざけているだけなんだ、ということにするのです。もしも、イジメではないのかと抗議しても、冗談の分からないヤツだと言うことで、ごまかしてしまうのです。性的な虐待も、これと同じようにして行なわれることが多いのです。こういう状態にさらされ続けていますと、性的な境界が混沌としたものになって行くのです。

 もちろん、このような性的な侵略は、言葉によるカラカイという形で行なわれることもあります。生理が始まった娘に、卑猥な冗談を言ってみたり、成熟していく肉体に対して「色気付きやがって」などというひどい言葉を浴びせたりするのです。このような言葉によって、自分の体に対する嫌悪感を植えつけられていくのです。

 それから、性的な露出で、子どもに非常に大きな影響を与えるものに、夫婦の性生活をそれとなく露出するというパターンがあります。寝室のドアを「うっかりと」閉め忘れたことにして、子どもたちに覗き見をする機会を与えるとか、自分達のセックスの声が聞こえるようにしたりするのです。このようにして、覗かれたり、あえぎ声を聞かれたりすることで、自分たちの性的な興奮を高めようとするのです。日本の住宅事情を考えてみれば、たとえ意図的ではなくても、子どもたちへの配慮がおろそかになると、性行為の気配に気付かれてしまうこともあるでしょう。このような性行為の露出は、子どもに非常に大きな影響を与えます。たとえば性に対する嫌悪感や、羨望、嫉妬、恐怖、あるいは自分だけが除け者にされて見捨てられたような感情などをあおったりするのです。そして、こういう強烈な感情が、子どもの性的な方向性をゆがめてしまうのです。

 しかし、こういったこととは逆に、表面的には性的な要素がまったく無いような形で子供が利用されることもよくあるのです。たとえば、父親が娘に接するときに、まるで妻であるかのようにして接するのです。親子ではなくて、夫婦のような心の親密さを娘に求めて来るのです。娘の方でも、父親の求めに応じて、まるで妻にでもなったかのように振る舞うことで、父親との間に、ある種の一体感のようなものを感じることが出来るのです。別に性的なことをするわけではありません。親と子の立場の違いをなくして、まるで夫婦のような対等な口のききかたをしたり、あるいは、妻ように父親の身の回りの面倒を見てやったりするのです。しかし、妻であるかのように振る舞ったとしても、現実には、父親には本物の妻がいるのです。父親が娘の方に寄りかかっているときはいいのですが、本物の妻の方へ寄りかかって行ったときには、娘はまるで見捨てられてしまったかのような寂しさと、母親への激しい嫉妬を覚えるようになるのです。そして、このような三角関係は、やがて性的な色彩を帯びてくることもあるのです。こうなると、親子の役割や境界が混乱したものになってくるのです。このような混乱は、娘を妻の代用品として利用しようとした父親によってもたらされるのです。娘はこのような混乱の中で、本来の子どもとしての自分を失ってしまうのです。

 このような関係は、母親と息子の間にもよく見られます。仕事などで父親の不在が長引いたり、夫婦関係が希薄なものだったりしますと、母親が自分の寂しさ紛らわすために、まるで夫に接するかのようにして息子に接していくのです。つまり、息子を夫の精神的な代用品として利用するのです。もし、息子が母親の期待に応えようとしても、本物の夫が帰ってくれば、代用品の夫はもう不要になってしまうのです。息子はその時、以前のような本来の息子の役に戻ることも出来ずに、自分が何者なのかという問題に直面することになります。そして、息子は母親との濃厚な一体感を失うこととなり、見捨てられたような喪失感を味わうのです。息子は、やがて父親に対して、「あいつさえいなければ」という思いを抱くようになっていくのです。父親さえ帰ってこなければ、いつまでも母親との、まるで夫婦であるかのような、密着した精神的な一体感を持ち続けることが出来るのです。さらに、母親が夫に対する愚痴や不満をこぼしたりしますと、息子にとっては、それが自分への誘惑に聞こえてきたりするのです。しかし、現実には父親が帰ってきて、母親を独り占めしたうえに、さらに性的な関係まで持ってしまうのです。そして、息子は激しい嫉妬を抱くのです。息子の心の中で、母親を独り占めにしたいという願望が次第に大きくなっていくのですが、このような願望は、父親との関係を危険なものにしてしまいますので、心の中に深く抑圧されることになるのです。

 このような、代用品としての夫や、代用品としての妻の役をやらされて、ずっと親から利用され続けていますと、やがて自分が何者なのか分からなくなっていきます。親としては、子どもを利用しているなどという意識はなくて、ただ寂しかったり、話し相手が欲しくて、子どもにべったりと寄りかかって行くだけなのです。子どもの方は、薄々自分が利用されているという持つこともありますが、何とか親の期待に応えようとして、代用品ではなくて、本当の夫や妻になりたいという願望を抱くのです。そして、現実にはかなうはずのないこのような願望が、さまざまな葛藤を作り出して行くのです。

 このように、性的な出来事が無くても、少しずつ「近親相姦」的な感情が、植えつけられていくのです。ですから、もしも、子どもの方から親に性行為を仕掛けていったとしても、それ以前の段階で、親からの長期間にわたる刷り込みが行なわれているのです。日々の暮らしの中で、境界が少しずつ緩んでいって、親に対して性的な願望を抱くようにと仕向けられて行くのです。表面的には「相姦」のように見えても、そこに至るまでの、代用品として利用され続けていた、長い長い日々の積み重ねがあるのです。

 このような、親からの性的な接近には、ほかにもさまざまなパターンがあります。親からだけではなくても、きょうだいの間でも、たとえば、お医者さんごっこなどがエスカレートしていって、性的な虐待になったりすることもあります。いずれにしても、性行為に至らなくても、家族内での役割が混乱したり、性的な境界があいまいなものになったりしますと、それがさまざまな影響を子どもに与えることになるのです。そして、もし実際に性行為にまで進んでしまった場合には、さらに複雑で強烈な影響を与えることになるのです。
http://homepage1.nifty.com/eggs/jitai/incest/1mijika.html

近親相姦タブーと性的境界


 人間の性行動の調査をするときには、「性の秘密」という厚い壁に阻まれてしまい、その実態をつかむことが非常に困難であります。そこで、近親相姦タブーの問題を考えるにあたって、そもそも人間はなぜ隠れて性交するのかという問題から考えてみたいと思います。

 人間に近い動物であるサルは、堂々とみんなの見ている前で性交するのですが、最近、野性のチンパンジーの観察で非常に興味深いケースが報告されています。これは、極めてまれなことなのですが、群れの中で地位の低いオスが隠れてメスと性交していたというのです。観察によると、どうやらみんなのいる所で性交していると、地位の高いオスが割り込んできて、メスを横取りされることがあることから、それを避けるために隠れて性交しているらしいのです。これは、人間の性行動を考えるうえで、非常に示唆に富んでいると言えましょう。つまり、隠れて性交するということは、地位の低いサルであっても、子孫を残すチャンスが得られるということです。サルの観察でも、弱い者同士が群れを離れて別の群れを作るというケースも観察されています。ですので、おそらく人間もこれと同じように、弱い者同士が集まって、なるべく平等な集団を作ろうとしていく過程のなかで、性交もお互いに隠れてすることによって、子孫を残す機会を平等に分け合うようになったのではないか、というふうに私は推測しています。そして、隠れて性交することによって、メスとの継続的な夫婦関係や、夫婦の持ち物としての「家族の財産」といった観念が発達していったのではないかと思われます。つまり、性は公開すべきものではなくて、プライベートなものであり、隠すべきものであるというふうに位置づけることによって、そこから個人の所有の観念や、夫婦や家族などの観念が発達していったのではないかと思います。

 人間の社会にも、かつて二百数十年くらい前までは、乱交社会というのが現実に存在していまして、あの大航海時代にキャプテン・クックが初めてタヒチ島に上陸したときには、そのあまりのありさまに、ビックリ仰天しているのであります。そして、彼等が島に上陸したときに非常に困ったことは、露骨な誘惑もさることながら、島民には「所有」という観念が希薄だったということです。ですから、個人の所有物であろうと何であろうと、みんな勝手に持っていってしまい、それで島民との間でトラブルが多発することになったのです。西洋から来た人たちにとって、これはまさに泥棒行為そのものなのですが、島民にとっては何でもないことだったのです。このような所有の観念があまり発達しなかった背景には、やはり乱交による性の共有というのがあるのではないかと思われます。集団のしきたりとして、特定の異性とだけ性交することが許されず、頻繁に相手を変えて性交しなければならなかったのです。しかし、このような乱交社会であっても、若いうちはいいのですが、歳をとってくるとやはり特定の異性に愛着を持つようになるようでして、なかでも地位の高い人たちには夫婦のような関係になることも黙認されていたようです。このような乱交社会というのは、現代の我々の社会と比較すると、興味深い事がたくさんありますので、これはまた別の機会に書くことにします。

 さて、このような所有という観念も、発達の仕方がいろいろとありまして、それが性的な関係にも色濃く反映されることになるのです。たとえば、その最たるものに、家族の財産を誰が引き継ぐのかということがあります。男が代々財産を引き継いでいくのが父系社会であり、女が引き継いでいく場合が母系社会となるのです。この、両者の間には、性関係のあり方にも大きな違いがあるのです。たとえば、父系社会では、男が家の財産を継いでいきますので、生まれてくる子供は間違いなく父親の子どもでなければならないのです。妻が浮気をして作った他人の息子では困るのです。そこで、間違いなく妻に自分の子どもを産ませるために、いわゆる純潔だとか貞操観念だとかいった性道徳が発達することになるのです。そして、たとえば、結婚するまでは処女でなければならないとか、女は男を産んでこそ一人前の女であるとか、性的に活発な女はふしだらな女であるとか、そういったさまざまな価値観が、父系社会を支えるために発達していくのです。

 しかし、母系社会では様子がだいぶ違ってくるのです。女性の場合には、自分の子どもというのは、当然のことながら自分自身が産むわけですので、父系社会の父親ように、本当に自分の子どもなのかというような疑いを持つ必要はまったくないのです。ですので、子どもの父親がどこの誰であろうと、自分で産んだ子は、疑いもなく自分の子どもなわけです。このようなことから、母系社会では性に関しては全体的に開放的な傾向が見られるのです。そして、女が財産を継いでいきますので、産んだ子が男ですと「ハズレ」ということになってしまうのです。そして、女は女を産んでこそ一人前の女となるのです。

 このようなことは、民族によって風習やしきたりなどがさまざまなのでありすが、おおざっぱに言いますと、父系社会と母系社会にはこのような違いがあるのです。しかし、母系社会だからといってかならずしも女が威張っているわけではなくて、なかには、女は男の前を横切るときには四つん這いにならなければならないというような、非常に変わったしきたりのある母系社会もあるのです。

 さて、このようにして人間はさまざまな文化や性道徳を発達させていったのですが、では次に家族内での性関係はどうなのかという事について考えてみたいと思います。なぜ近親者の間では性行為や、婚姻関係を結ぶことが禁止されるのかという、いわゆる近親相姦タブーの問題です。これにはいろいろな説がありまして、だいたいみなさんは、すぐに遺伝の問題を思い浮かべると思いますが、どうもこの説にはあまり説得力がないのです。たしかに近親婚を繰り返すことによって、遺伝的に問題を持った子供が生まれる確率は高くなるとは思われますが、それは統計を取ってみて初めて分かることでして、乳幼児の死亡率が非常に高かった時代においては、死亡の原因が近親姦によるものなのか、病気などによるものなのかを区別することが不可能だったからです。では、現在では、近親姦による遺伝の問題はどうなっているのかというと、研究者によって非常に大きなバラツキがありまして、現在においても確かな事は分かっていないのです。たしかに、両親が最初から遺伝的な問題を抱えている場合には、それが子どもに遺伝していくことになりますが、そういう場合を除けば、おそらく今の高齢出産の危険率と同じくらいではないかという人もいますし、いや、もっと高いはずだという人もいます。相手が人間ですので、実際に交配して実験してみるわけにも行きませんので、おそらく危険率は高くなるだろうとは思われますが、それがどれくらいの数字になるのかということはまだよく分かっていないのです。しかし、歴史を振り返ってみますと、たとえば古代のエジプトでは、きょうだい婚による王位の継承が何代にもわたって続けられて、かのクレオパトラもそのようにして生まれてきたわけですし、クレオパトラ自身も実の弟であるトレミーと結婚しているのです。そして、遺伝的には何の問題もないのです。インカ帝国においても14代にわたってきょうだい婚が繰り返されましたが、健康上の問題は起きていません。その一方で、ヨーロッパの王家は、近親婚による血友病という遺伝的な問題を抱えていて苦しんだようです。

 では近親相姦タブーはなぜ存在するのかというと、いろいろな説がある中で、「社会化」説が一番説得力があるのではないかと思われます。これはどういうことなのかといいますと、家族の外部の人と結婚することで、親戚が増えることになりますので、このような社会化によって、たとえば農作業などの人手が必要な時に、親戚同士で助け合うことが出来ますし、食べ物やお金に困っているようなときには、お互いに融通し合うことも出来るのです。このように血の繋がりを家族の外部の人たちに解放することによって、みんなから社会の一員として受け入れられることになるのです。しかし、これを拒否して閉鎖的な近親姦をしていますと、それは社会化への拒絶となりますので、このような反社会的な行為は忌み嫌われることになるのです。しかし、これとはまったく逆に、強大な権力や莫大な財産を持っている人のような場合には、親戚が増えれば権力や財産が分散してしまいますので、古代エジプトのファラオのように、近親婚を繰り返すことで、自分たちの独占的な利権を守ろうとするのです。そして、近親婚を、王に許された神聖な婚姻であるとして、それを正当化したりするのです。

 このように、社会化がタブーの背景にあることから、そのタブーの範囲をどこまでとするのかということも、その社会の文化や価値観によって違ってくることになるのです。そこで、まず日本の現在の状況について言いますと、法律によって、直系の血族と、傍系の血族で三親等以内の人との結婚は禁止されているのです(備考欄に条文掲載)。ここで直系というのは、たとえば自分の両親、祖父母、曾祖父母というふうに、親をさかのぼって行ったり、あるいは自分の子ども、孫、ひ孫というふうに子どもをたどっていったりする、上下の垂直の血の繋がりのことで、これは何親等であろうと禁止されています。さて、ちょっとゴチャゴチャしてきますが、次の傍系というのは、直系の人たちの兄弟姉妹や、そこからさらに先に伸びていく血の繋がりのことを言います。たとえば、自分自身の兄弟姉妹との関係はどうなるのかと言いますと、これは直系ではなくて傍系ということになるのです。そして、何親等になるかと言いますと、親等の数え方は、私-親-私の兄弟姉妹、というふうに血の繋がりをたどるときに、一度親のところに戻って、それから兄弟姉妹のところに行くという数え方をしますので、2親等ということになります。そして、法律ではこの傍系の血の繋がりについて、3親等以内が禁止の対象になっているのです。

 私 ------------ 0親等
 私の両親 --------- 1親等(直系)禁止
 私の兄弟姉妹 ------- 2親等(傍系)禁止
 兄弟姉妹の子である甥や姪   3親等(傍系)禁止
 さらにその甥や姪の子ども   4親等(傍系)結婚可能

 ということになりますが、いくら法律上は結婚可能であるとは言っても、その年齢差を考えてみるとどうなんでしょかね。そこで、自分の年齢に近い線を探るのであれば、親のルートをたどることになります。
 私 ------------- 0親等
 私の両親 ---------- 1親等(直系)禁止
 私の祖父母 --------- 2親等(直系)禁止
 その子、つまり両親の兄弟姉妹  3親等(傍系)禁止
 さらにその子、つまり私のいとこ 4親等(傍系)結婚可能

 ということで、いとことなら結婚できることになるのです。もしも、自分に配偶者がいるときには、配偶者の両親などは、血族ではなくて「姻族」というふうに呼ばれ、姻族については、直系についてだけが禁止の対象になっています。ですので、たとえば妻が亡くなった時は、夫は妻の妹と結婚することもできるのです。しかし、妻の母親、つまり義母は直系の姻族ということになりますので、結婚はできないのです。こういった、結婚できるかどうかという問題については、その他にも離婚や再婚をした場合とか、養子をもらった場合とかに、いろいろと複雑な組み合わせが発生してきますが、そこまで突っ込んで調べていくと、私も疲れてしまいますので、このへんでやめときます。
 さて、このような、何親等までの結婚を禁止するかということは、それぞれの国によって違いがありますし、時代によっても結婚できる範囲が揺れ動いたりすることもあるのです。なかには、非常にまれなケースではありますが、近親婚や近親姦が社会的に容認されているところもあるのです。たとえば、シエラ・マドレ山脈に住むインディアンの間では、農作業の事情と経済的な理由から、今でも父と娘の近親姦が普通に行なわれているそうですし、ジャワのカグラン族では母親との近親姦は繁栄をもたらすとされ、カシス族では母と息子の間以外であれば問題なく結婚でき、東アフリカのタイタ族では、経済上の理由から、息子が母や姉妹と結婚することがよくあったそうです。しかし、これらはあくまでも例外的なものでありまして、ほとんどの社会では、近親婚や近親姦はタブー視されているのです。

 この近親婚を禁止しようとする圧力の源となっているのが、先に書きましたように社会化という事なのですが、このことは個人レベルについても言えることでして、個人の社会化、つまり個人が精神的に成長していって、社会的な自立を達成するということでもあるのです。もしも、近親者の間で性行為が行なわれたりしますと、親離れや、子離れが非常に困難になってしまい、それが子どもの精神的な成長を妨げることにもなるのです。ですので、ほとんどの社会では、近親者の間に、何らかの境界を設定して、性の秩序を維持しようとしているのです。昔は性の秩序がルーズだった社会であっても、いわゆる「近代化」の波が押し寄せると共に、性の境界が明確にされる傾向があります。そして、このような性の境界の明確化は、同時に近代的な自我の確立を目指すものでもあるのです。

 たとえば、最近の日本では、性の乱れが指摘されることがよくあるのですが、近代化以前の性風俗を見てみますと、今の若い人たちには信じられないようなことが、ごく普通に行なわれていたのです。なかでも特に有名なのが、「夜這い」と言われる風習ですが、知らない人もいるかと思いますので、簡単に説明しておきます。これはおもに農村部で全国的に広く行なわれていたことなのですが、年頃になった娘のいる家に、夜中になると村の若い男が忍び込んでいって娘と交わるのです。昔の農村の家の作りは、ごく簡単なものであり、とくに戸締まりもしていませんので、そっと忍び込んでいって、真っ暗やみの中で娘の寝ている布団を探し出して、そこに入り込むのです。若い娘のいる家では、自分の娘の性を村の男たちに解放しなければならなくなるわけですが、もしも拒否したりしますと、村八分ということになって除け者にされてしまい、村に住んでいられなくなってしまうのです。このような夜這いは、嫁選びという意味もありますし、過酷な農作業の合間におこなわれる楽しみのひとつでもあったのです。このような村社会における女の性というのは、男たちの共有財産のように位置づけをされていたのでが、こうすることによって村の連帯感強め、水争いや百姓一揆のときなどに、団結して行動できるようにするという意味もあったのです。しかし、ここには当然のことながら、人権とか、性の自己決定権とかいうものはありません。たとえば、各地にいろんな風習があったのですが、新潟県の三条市の周辺では、明治のはじめころまで「盆かか」という風習が残っていたそうでして、お盆の三日間だけの妻になる人を、くじ引きで決めるのです。男たちは、組み合わせが気に入らないときには、男同士で互いの相手を交換する交渉をしていたそうなのですが、女性には変更する権利は、一切認められていませんでした。

 他にも、地方によってはフンドシ祝とか、腰巻き祝とかいうのがあって、親戚の年長者が若者に性の手ほどきをするとかいうのもありますし、あるいは、若い男たちが夜這に行って恥をかかないようにということで、年配の女性たちが神社などに集まって、若者に性交の実施教育をするというようなことも、地方によっては行なわれていたようです。あるいは、結婚していても、厄落としと称して、祭りの時などに夫も婦も見知らぬ人と交わったりするような風習もあったようです。ほかにもいろいろな風習があるのですが、農村部でのこのような性的にゆるんだ環境下では、おそらく近親姦もそれなりに行なわれていたのではないかと思います。全体的に言えば、子供の父親が誰なのかということにあまりこだわらないような、母系社会的な雰囲気が背景にあって、もしも父親の子どもでないことがはっきりしているときには、「祭りの子」などと言って済ませていたようです。しかし、このような淫靡な風習は、明治時代から始まる近代化の波が押し寄せるて来るに従って、しだいに消滅していったのです。

 そして、近代化と共に、「近代的な自我」の確立が求められるようになっていくのですが、これはつまり、人間としての、あるいは個人としての、自立した精神の確立が求められるようになって行くということなのです。社会においても、家庭の中においても、性の境界が設定され、性のプライバシーが尊重され、性の自己決定権が尊重され、そして個人の人権が尊重され、精神的な自立が促されるようになっていくのです。しかし、これは一つの理想でありまして、人間の心の中には、暗いドロドロとした欲望が渦巻いていたりしますので、時には歪んで屈折した心が、陽の当たらない場所で、毒々しい悪の花を咲かせたりすることもあるのです。

 しかし、1970年代にアメリカで「性革命」と呼ばれる性の解放運動が起こり、それと共に、今まで家族の秘密として厳重に隠され続けて来た近親姦の問題も、その暗いベールが剥がされて、社会の表舞台に登場することになったのです。そして、虐待的な近親姦の悲惨な実体も、世間に知られるようになっていったのです。
http://homepage1.nifty.com/eggs/jitai/incest/2taboo.html

近親姦の実態について


 実際に起きている近親姦の実態とは、どのようなものなのかと言いますと、どうやら近親姦にはおおざっぱに言って、「虐待」的な要素と、「お気に入り」的な要素の、両極端の二つの要素があるように思います。虐待的な要素というのは、言葉の暴力や、肉体的な暴力などを伴いながら、強制的に行なわれる性行為のことです。もう一方の、お気に入り的な要素というのは、いわゆる「お父さん子」とか言われるような、親子の親密で良好な関係を利用しながら行なわれる性行為のことを言います。この二つの要素は、それぞれが単独で現われるケースもありますが、二つの要素が複雑に入り混じっているようなケースもたくさんあるのです。

 ではまず最初に、虐待的なケースから書いていきましょう。これは、いわば家庭内レイプのようなものなのですが、通常のレイプ事件と違う点は、被害者には逃げ場がないということです。通常のレイプ事件というのは、もちろん被害者にとって非常にショックな出来事であり、精神的にも非常に大きなダメージを被るわけですが、それでも被害者には帰る家がありますし、そこには自分の寝室があり、自分のベッドや布団があるのです。しかし、家庭内で発生するレイプの場合には、どこにも安全な逃げ場がないのです。夜、眠っているときに、父親が勝手に寝室に侵入してきて、脅迫しながら力ずくで強姦したりするのです。そして、通常のレイプと大きく違う点は、被害者は子どもであり、しかも犯人は、自分を育ててくれている実の親なのだということです。つまり、被害者である幼い子どもは、犯人である親と一緒に生活しなければならないのです。まだ幼い子どもは、衣食住のすべてを親に依存しなければなりませんので、このような逃げ場のない状況が、さらに大きなダメージを与えることになるのです。

 さらに、家庭内レイプには、虐待的な行為が含まれてくるのです。たとえば、父親が幼い娘の膣に、むりやりペニスを挿入しようとして、膣口が裂けてしまったケースの写真を見たことがありますが、いったい、この親はなにを考えているのかと言いたくなるようなことが発生したりするのです。虐待的な親たちは、こいう唖然とするような非常識きわまりない行為を、性的な衝動に駆られたままに、平気でやってしまうのです。

 虐待は、このような性交を強要するものばかりではありません。幼い子供に対しては、ペニスをマッサージさせたり、フェラチオを強要したり、精液を飲むように言ったりするのです。もしも、子供が性的なサービスを拒否したりしますと、罵詈雑言を浴びせて、子どもの心をズタズタにしたり、浴室に連れ込んで、頭から小便を浴びせたり、あるいはトイレに連れて行って、泣き叫ぶ子どもの頭を便器の奥へ押し込んで、その上から水を流して溺れそうにさせたりするのです。ほかにも、肛門にアイスピックを挿入して直腸に穴をあけたり、膣や肛門への異物の挿入、さらに殴る蹴るだけではなくて、裸にして縛って部屋に監禁したり、食事を与えないで放置したり、何回も妊娠させて、そのつど子どもに嘘をつかせて堕胎を繰り返させたりするのです。このようにして、虐待的なケースでは、子どもの人間としての人格は完全に無視されてしまい、性的なオモチャのように扱われたりするのです。

 こういうケースでは、親は教育という名のもとに、子供のあら探しをすることがよくあります。そして、子どものやることに難癖をつけて、子どもを罰しようとするのです。そして、そのつど罰として性行為を強要して行くのです。このような親は、あらゆる思考が性行為へと結びついていくのです。このような虐待的な親の特徴としては、言うことがコロコロと変わったりして、非常に気まぐれなところがあったり、あるいは突然、怒りを爆発させたりするようなところがあるようです。怒りが暴走してしまいますと、親は自分でも感情をコントロールすることができなくなってしまい、場合によっては激怒に駆られて、突然子どもの首を絞めたりするようなこともあるのです。そして、このようなケースでは、首を絞めている途中で子どもが静かになってから、はっと我に返ったりするのです。まさに、殺人の一歩手前まで行ってしまうのです。このような、親の衝動的な行動というのは、まったく予測不可能な面があるために、子どもはいつどんなことをされるか分からないままに、常に虐待の不安にさらされることになるのです。

 こういう虐待の被害者というのは、言っておきますが、まだ幼い子どもなのです。たとえ、大人がこのようなひどい扱いを受けたとしても、精神的に大きなダメージを被ることになりますが、まだ幼い子どもたちは、大人以上に大きなダメージを被ることになるのです。普通の家庭の子どもであれば、テレビで「ドラエモン」だとか「サザエさん」だとかいう、平和な家族を描いたマンガなどを見て、無邪気に楽しんだりするのでしょうが、同じ年頃の子供たちの中には、親からフェラチオを要求されたり、むりやり強姦されたり、便器の中に頭を突っ込まれたり、首を絞められて殺されそうになったりしている子供たちがいるのです。「家族」という閉ざされた扉の奥で、このような虐待行為が行なわれているのです。しかし、それでも、子どもたちは生きていかなければならないのです。どんなにひどい家族であっても、子どもたちはそこで生きていかなければならないのです。その環境の中で、なんとかして生きて行く方法を考えなければならないのです。

 そして、その生きて行くための方法のひとつが、「心を凍らせる」ということです。心が何も感じなくなってしまえば、もう苦しむこともないのです。たとえば、手術のときに麻酔をかけて、痛みの感覚を麻痺させてしまうように、子どもは、自分の心を凍らせて、感情を麻痺させてしまうのです。そうすれば、心をズタズタに切り裂かれたとしても、もう何も感じなくなってしまうのです。なにも感じなくなってしまえば、虐待にも堪えることが出来るのです。そして、卑劣な親から強姦されるという、こういう忌まわしい出来事は、すべて忘れてしまえばいいのです。心を凍らせて、何も無かったことにしてしまえばいいのです。そうすれば、もうそのことで苦しむこともなくなるのです。このように、心を凍らせてしまうという行為は、激しいショックによって自分が発狂してしまわないようにするための、ひとつの安全装置として作用するのですが、しかし、後で詳しく書きますが、これが大人になってから、さまざまな心の障害となって現われて来るのです。

 さて、虐待的なケースについて書いてきましたが、これとはまったく正反対の位置にあるのが、いわゆる親の「お気に入り」になるようなケースなのです。この、お気に入りタイプでは、言葉による暴力や、肉体的な暴力はほとんど見られません。なぜかといいますと、親は子どもとの良好な愛情関係をうまく利用しながら、性行為へと誘導するからなのです。子どもは最初は少し抵抗を示すこともありますが、最終的には消極的ながらも、親との性行為を受け入れてしまうのです。あるいは、このような消極的な態度ではなくて、時として子どもの方から積極的に親を誘惑するようなケースもあるのです。このようなお気に入りタイプの子どもというのは、親と性的な関係を持つことによって、家族内でさまざまな特権を獲得していくことになるのです。たとえば、親の愛情を独り占めにすることができますし、自分の欲しいものを優先的に買ってもらったり、親との肉体関係を利用しながら家族内の人間関係を操作したりして、自分が家庭の中で中心的な存在になったりするのです。

 このような、お気に入りになってしまう子どもというのは、親との性行為を楽しんでいるようにも見えますし、親との間に濃厚な恋愛感情があったり、あるいは、まるで夫婦のような状態になったりするのです。しかし、子どもが大人になってから、自分のしてきたことやされてきたことの意味を知って、そのショックから精神的にボロボロになったりすることもあるのです。あるいは、いつまでたっても親との性行為を断ち切ることが出来ずに、自立の問題で苦しむことになるのです。たとえば、自分に恋人が出来たときに、親から妨害されたりして、なかなか親離れをすることが出来なかったりするのです。あるいは、たとえ親との肉体関係を終了させることが出来たとしても、精神的な分離や自立の問題を抱えることになるのです。

 お気に入りタイプでは、なぜ親が性行為へと誘導したのかといいますと、親が自分の子どもを、性的に利用したかったからなのです。親が勝手な都合によって、自分の子どもを利用しているだけなのです。こういう親というのは、子どもの自立の問題だとか、近親姦によって生じる心の問題だとか、そういうことはまったく考えていないのです。親は、性教育だとか、子どもへの愛情表現だとか、いろいろなことを言ったりしますが、それは言い訳にしか過ぎないのです。親は、ただ自分の性的な願望が満たされれば、それでいいのです。そのために、子供をうまく利用するのです。ですから、子どもが大人になって、性行為の意味を理解できるようになると、それに伴って、親が自分の体を利用していただけなんだという事も、理解できるようになるのです。そして、親の裏切り行為を知ったショックから、精神的に苦しむことになるのです。

 たとえ親が、「子どもの方から誘惑してきたんだ」と言ったとしても、大人同士の関係ならばともかく、子どもと大人の間では、このような言い訳は成り立たないでしょう。もし子どもが「あんなヤツ、殺して」と言ったら、子どもに言われるままに人を殺してしまうの
24:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:10:46

みんな隠しているけど部落では父娘相姦が基本


裏には裏の道があり  2011/2/25(金)


たまたま1月に新年のご挨拶ということで、工藤会系の事務所へ足を運んだ時、いろんな人と出会って話をさせてもらいました。その中にA氏はいました。


A氏は田川市の出身。部落差別の中で気が付いたら893のご職業をされているということだった。

残念ながら筑豊地方や北九州市内というのは無数の部落が存在している。15歳になって中学を卒業すると当たり前のように働きに出るのだが、もちろん仕事が無い。
部落出身ということを隠してうまく就職できても結局、後からバレてクビになる。

男性の場合はかなり働き口が狭いので、多くの人間が余ってしまう。それでしょうがないから裏社会へと入ることになる。

そちらのことはまた追々。今回は女の子の方の話。


とりあえず15歳になって中学を卒業したらお水商売の世界へ入るのが半ば、常識のようになってしまっている。在日の経営するパチンコ店などに働きに出るのもいいが、正直、稼ぎが段違いなのですぐに辞めてしまうという。


そのA氏は斡旋をする仕事をしてる。

中洲がもちろんメインではあるが、大阪の飛田新地、名古屋、札幌、東京などにも顔が広く通じていて、15歳になった女の子を広く斡旋しているということを話してくれた。


部落の地域だと常識なんて無い。 我々の考える常識とはかけ離れた世界がそこには存在している。暗く・・・絶望と悲観と・・・ 


A氏が、15歳になった少女と出会い、話を聞いてみると、

初体験は小学生の時で、部落の中でも何度も何度もレイプされたり、

時には父親にレイプされたり、祖父にレイプ、義父にレイプされたり、

さらにその全員に順番にレイプされたりして育つ。

ちょっとキレイめで可愛らしい子になると、15歳の時にすでに男性経験は500人というとんでもないのもいるのだそうな。

だから、中学を卒業したばかりの女の子に声をかけると、喜んでお水で働きたいと言うらしい。今までは襲われてもただ快楽を得るだけで、お金にはならなかったが、これからはセックスが金になると知って喜ぶのだそうだ。 私にはまったく信じられないが、それが部落の世界なのだそうだ。

15歳でいきなりソープデビュー。15歳という若さで本番ありということだから、料金は8万でも10万円にも設定しても客は殺到するという。ほとんど中学生のような少女と金を払えば合法的(?)にセックス出来ると聞いて金の使い道に困っている男達は群がる。1回10万円でも1週間に30回の予約を入れた強者もいたらしい。凄過ぎる。


本人の取り分は半額。それでも、中学を卒業したばかりの少女が1年でもの凄い金額を稼ぎ出す。


さすがにまだ本番までは抵抗があるという少女の場合はお触りだけのピンサロやキャバクラで働く。ソープにはかなわないが、やはり中学卒業したばかりの女の子がってことで固定客はいっぱい付くからなかなかの収入になるという。

入った金で整形をして綺麗にして、うまくいけばAVにでも出てまたそれなりのお金を稼いで部落出身の男と結婚してはすぐ離婚、また結婚してはすぐ離婚を繰り返す人生を送る。


娘が生まれると金になるってことで、金が欲しい父親は娘をレイプして子どもを産ませたりする。男の子だとガッカリし、女の子だと大喜びする。

私が出会ったことがある女性は、祖父との子どもを産み、義父との子どもを産んだことがあるって平気な顔で話してくれたから、驚いたことがありました。


精神病を患っている人も部落にはたくさんいて、産まれてくる子どももまた精神病に。


A氏が話してくれた悲惨な女の子の話。

産まれてすぐに精神病と分かり、父親が育児放棄。母親は自殺。

その後、祖父母が育てたが、小学校に行く頃からさらにおかしくなり、いつも下着姿でその辺を徘徊したりしてどうしようもなかったという。

で、部落の大人の男性たちが毎日レイプ。
集団で次から次へとレイプ。

中学生ぐらいの年齢の頃には2人の子どもがいたという。

そんな年齢でも服を着ないでその辺を徘徊しているものだから、男性が寄ってきては普通に道端でレイプされているとのこと。誰も止めないし、いつもの光景といった感じ。それで次から次へと精神病を患った子どもが出来たという話を聴いた。


A氏が言うには、その少女は部落の人間に毎日レイプされるためだけに生きている、とのこと。


なんだろうね・・・・悲惨を通り越して、言葉が出なかった。

A氏が言うには、そんな精神病患者でも植物を言われた通りに育てることぐらいは出来るのだそうだ。だから、大麻を育てさせては、少ない生活費を渡すということが行われているのも普通のことなんだそうな。たぶん、それが大麻だと知らずに育てるんだろう。育てるとお金がもらえるから一生懸命育てる。普通だったらおかしいと思うが、残念ながらそう思う回路を持っていない。


そんなことを繰り返しては、A氏は少女と大麻で組の中でものし上がっていったそうな。

やはり経済力を持った893は上からも当然重宝されるし、金を山ほど持ってる構成員は出世も早い。

「にいちゃん、金に困った時はいつでも電話ちょうだいな。金ならいくらでもあるからいつでも助けてやるわ」

って、にやっとしながら話してくれた。

「大丈夫、金には困ってないから」

そう伝えると、またにやっと笑いながら奥の部屋へ入っていった。
http://blogs.yahoo.co.jp/canon_beginner/64016850.html


俺の住む地域では近親相姦は珍しい事じゃない

少し昔では夜ばいもあったそうだ

しかし近親相姦といってもイトコ程度でキョウダイや親子での関係は珍しい

やはり子供が出来てしまい血が濃くなる事が心配だからだ

しかし俺は娘達と・・・

長女が中二の時から今、高校一年で次女が今年中二になり長女の目を盗み短い時間ながら次女とも交わる様になった

そして長女に目撃されてしまった 風呂に入っていると思っていたが突然 扉が開き次女の胸を舐めている姿を見られてしまった

長女はそのまま黙って自分の部屋に

俺は慌てて長女の部屋に行き言い訳をするが泣いている

しばらく長女を抱きしめていると次女も部屋に

その日から昔の様に三人で風呂に入り三人で寝る様になった

嫁が死んで5年なんとか子供達と仲良く出来ている

部落の中で新しく嫁を世話をしようとするが俺は今の生活が気に入っている
http://nan-net.com/kinshin/bbs/res/1/BV-5_Mm/  

1 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 04/01/06 20:23 ID:1jTpa9z0 [1/2]

昔の部落では近親相姦はあたりまえだったらしいが
どのあたりまでの近親と結婚(妊娠出産)してたのかな?

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/05(水) 06:00:37 ID:aSvyzTk9O

部落では今でも父娘相姦は多いらしい。父が娘を無理矢理…みたいな。
ソースは近所の部落民(37歳男性・公務員)からの酔った勢いでのカミングアウト。
http://mimizun.com/log/2ch/rights/1142686940/


159 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/15 00:18 ID:o2R4oq5j[1/1]

部落のものは親子が基本。

父親が娘を犯して子供が生まれ
その子を父親の私生児扱いにする例がけっこうあったそうだ。


110 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/22 16:38 ID:qgsZGHnG[1/1]

俺の父親の集落では近親相姦ともいえるような複雑な結婚が行われている(た?)。
叔父と姪が結婚したり、叔母と甥が結婚したり。
実際に障碍者も生まれているし。

本当に山奥の集落だから昔からそういうことが行われているのかもしれないけど(信号機が一つしかないw)
周りを見渡せばほぼ全戸が夫婦の親戚という恐ろしい所があります。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/22 19:58 ID:aIeCyok0[1/1]

狭いバラックに大人数が暮らしていたため
嫁が妊娠しても誰の子供かわからなかったらしい
旦那が留守のときは平気で親父や兄弟、近所の男がまぐわっていた
http://logsoku.com/thread/tmp2.2ch.net/rights/1073388229/
25:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:11:26

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/04 23:35 ID:dqB5C2Vc[1/2]

N県では死んだ娘を父親が犯して成仏させるという風習があったそうな。

もちろん部落での話だが。

部落では父親が娘を犯すという風習があった可能性がある。
http://logsoku.com/thread/tmp2.2ch.net/rights/1073388229/


奇祭、奇習、世の中には沢山ありまして、面白半分という部分はあるのですが、実際に知っていくとですね。口が段々重くなります。近親相姦、精神疾患、遺伝病の発症の理由、村の中での奇習を隠すための排他主義。私もちょっと見てみたんですが、何といいますかね。今まだ残る人に対して、困ることになるんじゃないかと。

私は特に、幼い頃から、「えたひにん」と呼ばれる人たちの生い立ちや生き様、「部落」と呼ばれるところの部落からどう脱していくか、そして、現在、口が裂けても言われないけれど、ある施設の近所の子供に対する「差別」を追っていった事がありました。それを専門に勉強したかったんですが、あまりに、悲しい事実があるので、私も知りうることに関して、口が重いことがあります。けれど、実地でそういう人たちの話を聞いて周った(はじめた当時の私はまだ、8歳くらいでしたかね)ので、口も重くなります。

どうしてここに、社が建つのか。どうしてここに、こんなものがあるのか。どうしてここにこんな施設があるのか。

紐解いていけば紐解けるのですが、だからと言って、残された人たちが、すっきりはっきり白状できない理由も、あるのです。

何度でも話に上がっては来ると思いますが、触ってはいけない問題もあるということで、やったやってないは関係ない世界があるんです。それを、個だけを尊重して尊んで美談にしようとすると、村全体が悪くなって、誰も嫁に来なくなってしまったり、後を取る人もいなくなったり、廃村に持ち込まれたりします。あなたは、掘り下げようと思うとき、全ての人の利益を考えて発言してください。

どさくさにまぎれて行ったことは、全て、美談にならない洒落にならないものばかりなんです。
http://blog.goo.ne.jp/nekotech/e/ff1deb2cfcd8c62ed0dced78d7521f04
26:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:11:55

777 : (^-`)夢商 [Gotenyama] : 投稿日:2010/05/29 18:27:52ID:A+Ncr2F00

枹の部落では
性交前で亡くなった娘を慰めるために
父親が開通してから
棺桶に納めるところがあった

今はやってないと思うがのぅ


778 : 本当にあった怖い名無し [] : 投稿日:2010/05/29 19:12:34ID:aQQyEwJb0 [1/2]
>>777
幼女でもそれやるの?www

779 : 本当にあった怖い名無し [] : 投稿日:2010/05/29 19:40:03ID:xy1l7W/20 [1/1]

死姦を風習にしなくてもな、、、


780 : 本当にあった怖い名無し [sage] : 投稿日:2010/05/29 20:14:06ID:DAlIyxMu0 [1/2]
>>777
枹てなに?地名?
読みは「ばち」でいいの?


781 : (^-`)夢商 [Gotenyama] : 投稿日:2010/05/29 20:29:58ID:A+Ncr2F00 [2/3]
>>780
県名
詳しい場所は書けないよ

しかし目のつけどころの良いスレじゃのう

物の怪や猟奇的、変質者などの類いは部落にルーツあり
日本のオカルトの源流は部落と差別と穢れだと思う
http://logsoku.com/thread/anchorage.2ch.net/occult/1265477106/#804
27:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:12:30

61 名前: 名無し募集中。。。 投稿日: 2012/05/03(木) 09:04:27.48 0

児童虐待の報告書みたいなの読んだんだが

地方(部落?)によっては祖父や父親が小中学の娘とやるのがあたりまえの所があるんだよね

子供もそれが普通と思わされてるし


54 名前: 名無し募集中。。。 投稿日: 2012/05/03(木) 08:45:56.29 0

近親相姦があると遺伝子的に病気に弱くなる
近親との性交を好む遺伝子を持った人は死滅したから近親との性交を好まない人が増えたんじゃないかな



56 名前: 名無し募集中。。。 投稿日: 2012/05/03(木) 08:57:20.54 0
>>55
田舎特に古い家柄だといとこ同士なんてあたりまえ
田畑財産流出させないためにな
おれの実家もそうだが確かに障害リスクはある


57 名前: 名無し募集中。。。 投稿日: 2012/05/03(木) 08:58:08.01 0

むしろ田舎の方がそういう近親相姦婚多いよ


63 名前: 名無し募集中。。。 投稿日: 2012/05/03(木) 09:05:53.96 0

村社会だと女の子が生まれた時点でまんこは村の共有財産って考えあるからね
http://blog.livedoor.jp/samplems-bakufu/archives/51344448.html


サンカ生活体験記 11

 行き帰りに色んな事を聞いてしまったので、姉娘に上にかぶさってこられ、自分のラッキョウを入れられてオシッコをジャッとやってしまった私は、もうすっかりおどおそしきっていた。 すると、五銭玉を一つとっている手前か、年下の私が脅えたみたいにすくんでいるのに、

「女ごはな、初潮(サソヒ)があるまでは、まんだ子供で、女ではないから、兄妹でもママゴトにはする」

 娘は慰めるつもりか、父親が名古屋へ下駄の歯入れ屋をしに行き、母は津島へ注文の箕を届けに小さな子を二人連れていって、誰もいなくなった日。私を山陰へ連れてゆくと、そこで、「マグモノリ」とよぶ、謝国権の「LOVE」みたいな事を、人形の画でなく実地に教えた。

「タチ・クラ・ネ」という言葉は今でも、はっきり覚えている。「オタチ」というのは、今はレズビアン用語だが、その時は娘が下になって片脚を私の左右の肩に担がせるみたいに置き、そして抱えて持ち上げるみたいなやり方。

とてもラッキョではそれでは挿入できず、あてがえるぐらいだったので、次はクラだった。これは私が下になって、娘が上からおおいかぶさる前と同じ型で、またオシッコをかけられてはと、娘はこれは恰好だけで次は「ネ」だった。

私は左を下に叢に寝かしつけられ、娘は右を下にして、今言う横行位で、これはそのままで一回転して背向位と変わるのだが、これを繰り返して十回ぐらいは、ずっと続けねばゆかぬというのである。

 「マスラ」と呼ぶのが正常位だが、これは男が疲れるから仕事に差し支えるゆえ、女からは求めてはならぬし、三十から五十歳までといった掟まであって、殆ど女上位体勢が一般的だったらしい。

 向こうはオシッコの洗礼で懲りていたろうし、私は、もし見つかったらという心配から、その時もあてがうきりで挿入まではしてなかった。というのは、その前日の事だった。娘のすぐ下の弟と、その下の妹が、玩具もなく遊ぶ事もなくなったせいでの真似だった。

「天道(アノ)さんは、天(アマ)から見てるぞ。両親(カドイロ)の真似をしたら、生命がないぞ!」

母親のガナリ声がした。 運悪く現場を見つかってしまって、二人は厭という程まで叱られ、木太刀で打たれていた。 したがって、子供は絶対に両親の真似などしない事になっている。また、それは一人立ちして暮らしている親の特権であって、セブリを持たない者は決して誰も真似などしてはならない事として、厳しく教えこまれているのである。だから、私はとても恐ろしかったのである。

 ゆえに、いつ母親が戻って来て見つかって、自分も箕作りの木太刀で叩かれるかと気が気でなかった。まだ五銭玉を私が持っているのを知っている娘は、あわよくばもう一枚せしめるつもりか、すっかり恐怖からその気を喪失して縮こまっているものを手に持ちそえて挿入しようとするのだが、私としては、その時はとてもそれどころではなかった。

 娘の話では、初潮がある以前なら差し支えないから、父親が実地に性教育するセブリもあるそうである。今、ヨーロッパで父娘相姦が流行しているそうだが、その点はこちらが先進国である。他人と違って、父なら無理のないように優しく性教育もできるというものである。

 なにしろ、週に一度は娘も伜も親達から徹底的に奥の奥まで調べられる。もし、発育不全で婚礼が駄目になってはクズシリ様にも申し訳がないし、核家族の先鞭をつけ、セブリは夫婦だけという暮らしでは、もしも「行かず後家」となってしまった娘を背負い込んではどうにもならない。

 だから、一度縁づけたら万事そつなくやってゆけるように、差し障りのない初潮前に、タチ、ニ、ネから始まって四十八手をみな教えこんでおくのが親の責任でもある。だが、子供どうしでは遊びで終わってしまって学習にはならぬから固く厳禁されているのであるらしい。

 他に娯楽はないから雨天や仕事のない日は、日に十回も繰り返す夫婦も多いが、別に恥ずかしい事ではないので、客が来ても子供に見られても、途中で止めるという事は、まぁ絶対にない。

 私も姉娘も並んで、ヨシ夫婦の実演を何十回も、組んでほぐれるところを見てしまったか判らないほどである。テレビもない時代だし、夫婦は他にする事が別になかったせいだろう。
http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1012

俺は62才同居の兄貴は64才兄貴の嫁は48才、といっても俺と兄貴の共通の嫁で俺が34才の時に20才で兄貴に嫁いできた。

俺の部落は全部で17世帯で全部姓は同じ、皆親戚になってる。 熊本県と大分県の県堺の町で最近三つの町が合併した、山奥深い部落なので昔から親戚同士の結婚でよそ者はいない。 昔から女は少なく男は多くてあぶれた男のために夜這いは普通に行われてきた、村の全員が黙認してきたので生まれてくる子供も誰の子かよく分からない。 村全体の授かり子として大切に育てられた、当時兄貴が嫁をもらった時も俺の嫁でもあった。

嫁は少し頭が弱かったけど働き者で兄貴と俺の嫁として この年まで頑張ってる。 子供は直ぐに続けて3人産まれたがその頃の夜這いの男も数人いたから本当は誰の子供か分かっていない。 3番目に女の子が産まれたが3人共母親の血を引いて頭が弱かった。 頭が弱くても村では仕事はなんぼでもあって差別なく生きていけた。

3人の子供が成長して大人の仲間入りしたが、それほど広くない家で兄貴と俺と嫁の行為を自然に見てきた子供達にとって家族同士で行うセックスに問題など感じなかったのはしかたのないことだった。

夏の夜、上の二人の男の子が母親にのしかかっているのを見て兄貴も俺も黙って許した。 狂ったように大声上げて腰を使いながら射精を繰り返す子供達に嫁も又狂ってしまい狂乱の声を上げ続けた。

隣りの部屋をふと見ると、娘が全裸でトロンとした目で母親と兄たちの行為を見ながら 右指を膣に入れて出し入れしていた。

俺は兄貴の顔を見ると兄貴の形相が変わり娘をジッと見ている、あっ兄貴は犯るかなっと思った。 俺も変になりかかってた、兄貴と顔が合った 引きずった顔でニャっと笑った。 俺も下卑た顔でうなずいた、兄貴が俺の前を通って娘に近づいた。 目の前を兄貴の太く長いチンポが揺れながら過ぎると俺も頭が白くはじけた。

娘に兄貴が被い被さると娘は甲高い声を上げた、俺が近づくと兄貴のチンポが娘を貫いているのが見えた。 そのままギシギシと攻めて膣から流れる愛液で兄貴のチンポがテラテラと光った やがて娘がウーンと唸って失神した。

兄貴がチンポを抜いて俺と交代した、俺もたまらず娘の膣にぶち込んだ。 あったけー 気持ちえー 娘が再び声を上げだした、俺はあらんかぎりの力で腰をぶつけ続けた。

その頃になってやっと娘が処女でなかったことに気が付いた、そうか兄弟妹でオメコしてたんだ それで兄貴と俺が入れたら失神したんだ そう思うと納得した。
その晩 明け方まで父娘 母息子の乱痴気騒ぎは続いた。 その夜を堺に親子兄弟の縁はなくなった、雄と雌の関係になった もう止まらない。 初めて 俺と兄貴が娘を犯してからは毎晩親子 兄弟妹で破廉恥な淫虐プレーが続いた。

俺も兄貴も久し振りの若い女体に狂ってしまい年を忘れてチンポが疼いた。
今晩はもう無理だと自重しても目の前で兄妹 母と子供のセックスを見せられるとつい三便宝を仕込み俺も兄貴もチンポが勃起してきて、いつの間にか俺も兄貴も嫁や娘にのしかかっていた。

俺も兄貴も太く長いチンポしていたが息子達はもっと凄いチンポを持っている。
二人の息子は生まれつき頭が弱かったが嫁と兄貴と俺のセックスを子供の頃から見ていた所為か早熟でセンズリも早く覚えチンポはもの凄く大きかった。

その太く長いチンポで貫かれる嫁も娘も歓喜の声を上げ続けた。

朝起きて仕事に行く時は普通の家庭なんだが、夜になると皆 淫乱獣に変身した。 嫁も娘も俺 兄貴 二人の息子が代わる代わる射精する精液で種壺状態でトロトロ垂れ流し乾く間もなく次々にチンポを刺し貫かれた。

嫁と娘が上げるよがり声 呻き声 男達が上げる歓喜の声、接合部が発する淫乱音 部屋中に漂う精液の臭いで頭は痺れ口からは涎が垂れて このまま死んでもいいやと思えるほど気持ちが良かった。

数ケ月後 娘が妊娠した、誰の子が分からないが たぶん二人の息子のどちらかだろう。 その年 娘が男の子を出産した、訳ありの子なので近くの親戚が男の子を引き取ってくれた。 村の誰もが知っていたが 非難するものは一人もいなかった、むしろ貴重な子供の出生を喜んでくれた。

流石に嫁は妊娠しないが 俺達男は娘に二人目の子供を宿すため 今晩も喜々として種壺に仕込むだろう。
http://dokusin.art.coocan.jp/cgi-bin/coocan/dokusin/new-incest-dokusin-0202/new/yybbs.cgi?list=pickup&num=477#477
http://dokusin.art.coocan.jp/cgi-bin/coocan/dokusin/new-incest-dokusin-0202/new/yybbs.cgi?list=pickup&num=482#482

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/18(土) 10:59

近親婚を重ねた家族に生まれた人を知ってる。

彼も含めて、その家に子供は七人。
聴覚障害者が三人(!)。
能障害が一人。

まったく正常だったのは彼と弟さんの二人きり。
その上、三人が二十歳になる前に亡くなっている。

貧しい地域だから栄養失調で亡くなったのかも知れないが、それにしても・・・。

354 :藤村:2001/03/02(金) 23:38

近親相姦はかなり寿命が短いです。
50才まで生きることができればいい方。

http://mimizun.com/log/2ch/uwasa/971693212/

133 : 名無しさん@お腹いっぱい。 [] : 投稿日:2005/12/12 21:34:36ID:CJ3oj11hO [3/3]

屠殺行為をしてきた民の近親相姦による異常遺伝子の民、
それを同和運動により解放された訳だろ。

同和により野放しになり、現在異常犯罪が増えている。
血統が問題で差別になるのは必然なのでは???
http://logsoku.com/thread/tmp5.2ch.net/rights/1128839447/
28:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:13:00

65 名前:ロキ 投稿日:2006/01/06(金) 18:36:53

今日は僕は都内に住む30代の会社員です。現在結婚し子供もいます。
カズさんのHP見てビックリしました。 実を言うと私の実家も先祖代々近親相姦をしている家系だからです。秋田県の場所は勘弁してほしいのですが某村大字何某には今でもそういった風習が残っています。

何故その集落に近親相姦が風習として存在してるのか?というのは昔平家の落人の兄妹が先祖で、追っ手から逃れる為に隠れ近親相姦によって子孫を増やしたからです。その兄妹は集落の祠に奉られています。それから私の実家の村は標高がかなり高くその為稲作が出来ない程寒い為、裸でお互いに暖めあって夜を過ごす事もあり、今でも麓まで冬の燃料を買いに行く事は大変で、その風習は続いているようです。

私自身姉と母との近親相姦を経験していますが、私自身は自分の家族と同じ様に近親相姦をする気はありません。ただこの様な近親相姦がその土地の文化として又生活として残っている事実を知って頂きたくて此処に書きました。

私の実家は現在姉が家を継いでいます。姉には現在男の子二人と女の子が居ますが、長男の父は実父です。姉の旦那は同じ集落の男でその事も知っています。その村は15軒ほどの小さな集落で血がとても濃く、姉の旦那も又従兄弟になります。

村の人間は結構地所を持っているので今でも結婚して他所の家が入るのを嫌う傾向にあるのです。ですが色んな人間が言うほど奇形児や遺伝子病はないです。甥っ子も親子の子ですが全く普通です。唯昔から子の出来ない夫婦は全く出来ず。私の居た頃は少なくとも半数がそういった夫婦でした。そういった場合は村の男が種付けをしに行くのです。又未婚の女性が腹を貸しに行くこともします。

近親相姦や乱交では常識のある人から見たらとんでもない事ですが、今思うとその社会の中には其れなりの情や雰囲気があったと思います。

今年の正月にですね。田舎に家族つれて遊びに行った時のことです。家の小2の娘がですね。

「おばさんとお兄ちゃんが裸で抱っこしてた。」

って言うんですよ。朝六時頃娘が遊んで欲しくて小6の甥っ子探しにいったんですね。さすがにその時は私も戸惑いましたが、姉に話したら少し反省していましたが。妻には私の事は話してますので少し困惑していたようです。

現在私の実家には小学生の子供が5人中学生が2人高校生が3人しかいないそうです。そういったなかでする相手も少ないというのが理由の一つだと思います。私も大学に進んだのが切欠で村を出たのですが、矢張り女性がいっぱいいれば其方に興味を持つのが普通だと思います。事実私も大学を出てからは、母や姉との行為はしていません。姉や母も不思議とそれを受け入れてくれてます。

近親者や村の人間との行為は、その村の持つ雰囲気や情が関係あるのでしょう。今田舎に帰っても私とその家族は部外者であるように思えます。昔の友達と酒を飲んだときも私の昔の事についてはあまり触れなかったし、又今の事も語ろうとはしませんでした。唯結婚の話は別で友達は現在39歳ですが新しい嫁さんを貰ったと紹介してくれました。17歳でした。世間体があるのでまだ籍には入れてないそうですが、彼にとっては二度目の結婚で最初は19歳で農協の職員をしている時に36歳の未婚の母と結婚しています。実父の子供だったと思います。

世間では淫行ですが私の村では人が少ない故に結構こういう事が普通にあり、むしろ近い世代で結ばれることの方がラッキーなのです。姉の長男は現在15歳ですが23歳の娘とお付き合いしているそうです。

田舎ってすることないから子どもたちがみな早熟で、初体験を済ませる年齢が低いっていいますよね。暇をもてあまして、身近にいる親兄弟とセックスをしだす、っていう現象もあるんですかね。ですが、さすがに全部の田舎という事は無いと思います。私自身聞いたことはありません。

唯この様な事は普通外部には話しませんのでもしかしたらとは思いますが。もし性的にオープンな村で世代を超えた性交流があり、人数の少ない隔離された集落があれば、可能性はありますね。なんとも言えませんが家の村もそうでしたから

私の村はどちらかと言うと「家族でザーメンを楽しもう」というより、「家族で暖まる」といった感じでした。実際私の村では性行為を「燃す」と言います。心の中の嫌な物を燃やし元気な気持ちを燃え上がらせると言った感じですか。

「えのぎだなぁ」

と言う言葉がうちの村ではよく使いますが、意味は家が暑いという意味で

夜中喘ぎ声が多く聞こえる家は多く燃える=暑い=景気が好い。

という意味から金銭的に豊かな事もさし、近親相姦がけっして世間で言う悪いイメージではなかったように思えます。

「おがはんおじげあねがっこおめさままだね」

と言う言葉がありますが、味噌汁、漬物に身内を例え好きな子を主食であるご飯に例え、近親者との肉交よりお前の方が良いと言うある意味恋人への最高のほめ言葉になっています。

「ひながのばっち」

これは悪い意味で使われることが多く例えばお酒が止めれない人が「酒はひながのばっちだ」と言うようにやめようと思っても中々止められない時に使う事です。婚期を逃してしまうほど両親と末っ子の情交は凄まじくそれを比喩しているのでしょう。

76 名前:ピス・メンス 投稿日:2006/02/12(日) 20:04:15

 ロキさんの話を読んでいて、最近の大雪のニュースで、孤立した村落が話題になりましたが、もしかすると、あの村落や周辺でも近親相姦をやっているのでは?と思いました。 実際には、どうなんでしょうね? あの辺りは

77 名前:ロキ 投稿日:2006/02/14(火) 19:52:31

うーんどうでしょうかね。あの辺の地理は確かにわが村に似ていますが・・・
例えば交通事情とかがですが。私の場合既に村を出ていますのでたとえ匿名でもカミングアウトできたのかもしれません。私の経験では実際に近親相姦をしている人は、独特の恥ずかしさがあり中々外部の人には話したがらないのです。

分かり易くいうと、身近に手ごろな異性がいない為自分の身内や年の離れた異性と性行為をしているのですから、交通事情が発達したとしてもバスで30分以上町から離れていれば友達も、ましてや恋人もでき難いものです。又高校進学時に村を離れ下宿する子も少なくありませんが。その頃には村の人情や性が身に付いてしまい、多少不便でも通えるのであれば村に帰ってくる子も多いです。

そんな中で普通に恋愛してセックスする子に引け目を感じたりするのでしょうか。大人もやはり犯罪行為になるような事や一般人から見れば倫理観からかけ離れた事をしている訳ですから自ずと口はかたくなるのでしょうか。

ピス・メンスさんももし娘さんと体験する様になれば分ると思います。


78 名前:ピス・メンス 投稿日:2006/02/17(金) 00:29:51

 もし、娘ができ、近親相姦を行うに当たって、色々心配なことがあります。
 まず、そもそも、娘が体を許してくれるかどうか。
 もし、許してくれても、その後、精神に影響を与えないのかどうか。
 中には、精神分裂症に陥ってしまうのではとかですね。

 ロキさんの村では、いかがだったでしょうか?


80 名前:ロキ 投稿日:2006/02/18(土) 20:37:04

そうですね。近親相姦というのはやはり雰囲気が大事かと思います。ピス・メンスさんのご家庭が何より性に対してオープンである事が必要かと。いきなり襲うのは娘さんも嫌がるでしょう。

私の場合は横で両親がセックスしていた事で興奮したのを覚えています。私の姉の場合もそうだったと思います。精神的な影響は私の村では無かったと思います。たとえ親子でも普通の異性と同じ感覚なのでしょう。外部に隠したり引け目を感じたりするのは世間の倫理観とのギャップの問題だけだと思います。


私も叔母との経験があります。34歳の叔父が亡くなった時当時42歳の叔母の所へ行き。父と一緒に叔母を抱きました。私の村では後家さんや奥さんをなくした旦那を親族が身体で慰める風習があるのです。叔母は私の身体の上で叔父の名前を呼んでいました。懐かしくも悲しい話です。

叔父はとても優しく幼い時は可愛がってもらいました。村の中では近親相姦といってもアッケラカンですよ。そんなに問題はないです。
http://jbbs.livedoor.jp/movie/108/storage/1013361373.html
29:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:14:18

38 :本当にあった怖い名無し:2012/05/25(金) 22:29:31.57 ID:izmPJ9ba0

おれの出身は軒数20くらいの山間地。苗字全部一緒だった。本家とかあったし。 母さん(違う地区から嫁いできた)が

「ここらは近親相姦してたところだから、あんたらが障害を持ってたり奇形児じゃないか心配だった」

っておれが大人になって教えてくれた。 昔はうちの地区はみんな苗字一緒なんだぜって変な自慢してたけど、それ聞いて背筋が寒くなった。

そこかしこに無縁仏はあるし、葬式の時変な儀式してるし・・・
今思えば不気味だな。


93 :本当にあった怖い名無し:2012/08/17(金) 01:52:54.80 ID:KAZVh3tz0

東北の父の実家で、知り合いはみんな意味を知らない謎の風習があるんだけど…。
お盆の頃になると赤い布でぐるぐる巻きにされて布に風車をいっぱい刺したボロボロの小さめのお地蔵さん?を設置する文化がある。
お地蔵さんは本当年期入っててボロボロだけど、かろうじて表情はわかる。優しそうな感じで笑ってる。多分女性。 

お盆の頃になると道を挟んだ村の墓地の目の前にある、ため池みたいな場所にでかい慰霊碑があるんだけど、お地蔵さんはその前に設置される。 お地蔵さんは道を挟んだ向こうのお墓の方を向いている。

慰霊碑にはとある戦没者の名前が書いてある。石碑の前にはお地蔵さん以外にも小さな石碑?が5,6個ある。 小さな石碑は季節関係なくある。梵字みたいなのが読めるけど意味はわかんない。これはお地蔵さん位古くて字が読めない。

ため池前の戦没者石碑の前にある梵字石碑の中に布ぐるぐる巻きのお地蔵さんを置く。これがお盆の光景。
で、このお地蔵さんはお盆が終わると山奥の川に流すらしい。流したらどっかに保管するらしい。どこに、誰が保管してるかは知らない。
お地蔵さんは父の実家では”ミズコ”と呼ばれてる。他の家ではなんと呼ばれてるか知らない。

なんで布を巻いて風車を刺して慰霊碑と梵字の中に置いて、どうして川に流してどこに誰が保管するのか、この風習に何の意味があるのか、こういう風習は他の所でもやってるのか。誰か心当たりがあったら情報おねがいします。

97 :本当にあった怖い名無し:2012/08/17(金) 02:20:52.11 ID:BNdhvcKO0
>>93-96
一般に「水子」と言えば、死産・流産などでこの世に生れなかった子供のこと。
赤い布は産着、風車は子供の玩具だから(恐山の賽の河原でも見る光景)、
普通に考えると水子を供養する儀式なのかなと思うけど……。
「地蔵を川に流す」というのがちょっと引っかかる。
土地の由来を知らずにうっかりしたことは言えないけど、 明治ぐらいまで、貧しい地域にはいろんな風習があったからね。

98 :本当にあった怖い名無し:2012/08/17(金) 11:08:13.64 ID:Zn97AIuu0

石の地蔵様が川に流れるというのはよほど地蔵が小さいのか
川が急流なのか
ドボンと沈むイメージから離れられんな


99 :本当にあった怖い名無し:2012/08/17(金) 14:29:01.63 ID:TpDgFTby0

古事記でもなり損ないの子は(葦舟にのせてだけど)、流し去られたよね。


101 :本当にあった怖い名無し:2012/08/18(土) 13:59:59.32 ID:kel8ZOeO0

「日本書紀」に弟橘姫の入水という話があって、弟橘姫は日本武尊の后で海神の怒りにあって波が荒れ船が進めないときに海に身を投げてその怒りを鎮めた場所は走水の海で現在の浦賀水道

面白いことに三浦半島の大浦山洞窟遺跡で弥生時代中期の人骨が発見されたが
骨には刃物で肉をそいだ跡があり、人肉食の風習があったことが疑われている
もしかしたら荒波を鎮めるための儀式的なものである可能性もあるかも

「三浦洞窟人バラバラ死体のミステリー」
http://homepage2.nifty.com/raputar/kansama1-4.htm

102 :本当にあった怖い名無し:2012/08/18(土) 14:18:28.46 ID:Pzw4Mv+N0

ヒルコはイザナギとイザナミの国産みで最初に生まれた子で出来が悪いとして流された
これは女神であるイザナミが最初に声をかけて子をなしたためと「古事記」にはあるけど
この男尊女卑的な神話は後代の中国の影響を受けているという説もある

ヒルコが流れ着いた場合はエビス神に変質したりする
祝福された漂着物といった意味合いか またエビス神は漁業の大漁を象徴したりもする
ただエビス神の性格は複雑で素性をたどるのは難しい
殺生を嫌う仏教の影響は少ないのではないかな

103 :本当にあった怖い名無し:2012/08/18(土) 14:21:14.82 ID:XHLHC4nn0
>>98
お地蔵様は30cm、梵字は20cm位です。川は一部の人しか知らない川らしいです。

>>99
父が水難事故の子供の供養かもとも言ってました…。
本当に古い土地だから謎の場所とか言い伝えが多いので、分かる方がいて安心しました…


104 :本当にあった怖い名無し:2012/08/18(土) 15:27:39.14 ID:tLucQCE00

水子は民俗学のほうでだいぶ研究があるな
現在のような水子供養の概念というのは人工妊娠中絶が盛んになってからのものでかなり新しい 特定宗教が新手の金集めのために始めたという話もあるくらい

昔の間引きや、石を抱いたりしての子堕ろしと現代の妊娠中絶が最も異なる点は、間引きなどは集落において容認されていたという点かな

ある程度の年齢の子がある日を境にいなくなったとなれば、集落内でははあやったか、とすぐにわかる

それに対して現代の妊娠中絶は人に知られぬ個人的な行為だから、どうしても罪悪感を個人で引き受けるしかない 

「現代日本の水子供養」
http://www.ne.jp/asahi/time/saman/index.htm

http://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1333464457/
30:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:27:05

日本に実在した恐ろしい風習とかしきたり


36:本当にあった怖い名無し:2009/01/13(火) 23:07:13 ID:J0exCnF50

おれも昔証券会社で働いてた頃いろんな所に行ったわ。
血とか骨とかが付いた地名からして凄いとこ。
特に何も無かったけどね。

ただ一度だけ部落のはずれの道端で白痴っぽい若い女を見た。
白いスリップとパンツだけでケラケラ笑ってるのよ。
横で小さい子供がフリチンで遊んでたかな?

車止めて見てたら通りがかりの親父に睨まれたので、そそくさとその場を去った。

帰り道で思ったんだけどね、その若い女って部落の男の公衆便所なのかなって?
なんの確証も無いけどそんな気がした。かれこれ10年前。

15 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水)

地元のしきたり

十二年に一度本家か分家から赤ん坊と食べ物を山の神社に奉納する
まだやってる
翌日行くと赤ん坊、食べ物は消えてる

21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 00:05:50.71 ID:4cwhA+zH0
>>15
大まかでいいから地方おしえて

31:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 00:13:42.25 ID:Sw6vRLo30
>>21
東日本とだけ
奉納する前は山に入れば八つ裂きにされたとか

129 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 01:37:01.03 ID:Sw6vRLo30

で俺の体験

子どもの頃よく言われるのが大きくなるまではその神社にいくなと言われる
そう言われてもたまに友達と行ってしまってたが奉納のための赤ん坊は産まれても公表しない

その時の子供は本家の子供
地主で本家の子供なら村はけっこう大騒ぎするはずだが何もなかった

俺は赤ん坊をみてみたかったが婆ちゃんや父親に止められてた
一週間かそこらかな?奉納が行われる

村人が食べ物を持って来て、その整理や車に載せるのを手伝わされてたのもあって忙しかったのは覚えてる

食べ物を車に載せて神社の入るための山道にいく
子供は神社に入っちゃいけないから俺は車から食べ物を下ろすのを手伝わされた
軽トラに載せたりもしてたしすげー量で色んな匂いが混ざってた
全部下ろしたら車で帰った
その日の夕飯はすげー豪華だったけど静かだったと思う

翌日神社に友達といってみた
もちろん食べ物のためだ
魚や肉はダメでも果物はいけるだろと思ってた

神社に行って中をみると何もなかった
軽トラや車で運んだ食べ物がない
運んだのはここじゃないのかもと思ったが果物や魚の匂いが扉を開けた時少し残ってた

こんな話

85 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 01:11:33.47 ID:Sw6vRLo30

地元はすげー田舎なところ
赤ん坊を奉納する家は元々そこの地主

森にはいって生活するわけだが奥に入りすぎると上でも書いたように八つ裂きにされた
社も建てて毎年食べものを奉納するがそれでも被害はでる

それで地主が自分の家の赤ん坊と一緒に神社に入りひたすらもう襲わないようお願いをした

けど眠ってしまい夢の中で声を聞いた
赤ん坊はうまい。おまえの家の赤ん坊を捧げるなら襲わないでおくと

起きると扉は閉めていたのに赤ん坊はいなくなってた
それから山に入っても襲われなくなった

これが婆ちゃんから聞いた話


65 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 00:56:37.42 ID:RkYjO6AmO

子供の墓は基本的に大人とは一緒にされない。

床下や庭などにトロ箱やミカン箱に入れて埋められることも多かった。

古い家の庭にお稲荷さんとかじゃない塚があったりするが、あれは無縁仏と子供の墓だったりする。


4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/12(火) 23:54:26.53 ID:gV14b2+/0

奇形はごく潰しなのでキュッ

5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/12(火) 23:55:01.88 ID:/gEAURTL0

人工的神隠し

92 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 01:14:51.98 ID:FHX1fQw40

地蔵盆の時にその一年で死んだ人と同じ数の提灯を飾って最後に子供が提灯を破く


76 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 01:03:17.00 ID:C7WEk85Q0

赤ん坊を一度捨てる風習は結構あるのよ
なぜかというと拾った子供はよく育つという俗信があったから
自分の子供を一度捨てて近所の人に拾ってもらいそのあと返してもらうことで擬似的な拾い子とする風習


157. 名も無き哲学者 2012年10月23日 07:23

現代の常識では酷いとか人権がとか言って忌み嫌われる風習とか因習とかは大事だったんだよ…

姥捨ても、お産婆さんがキュッってするのも決して大きな声では言えないけど必要な事だったんだよ。老人ホームやら、優性保護法なんて言い訳作って誤魔化すのは良くないよな


6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/12(火) 23:55:08.51 ID:LCHumACv0

ある地域の屋根裏には牢屋があった
近親婚が多く、近親相姦で生まれる障害者を閉じ込めておくために

【閲覧注意】あなたの家の開かずの間『開かずのトイレの痕跡』
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4215369.html

27 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 00:09:46.72 ID:f5zNDHWl0

明治のころまでは地下に牢屋などを作って精神的な疾患などを抱えた家族を監禁してた

147:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 01:54:08.57 ID:yF5K3ouQO

重い病気、ボケ老人を姥捨て。
障害持ちを幽閉や産まれた直後〆る
見合いや許嫁による半強制結婚

なんて風習は実は理に叶っていて村や地域社会が効率よく回る為に必要だったのかもしれないな
現代が抱える医療費の増大や未婚晩婚少子化もこういった風習がなくなってしまったが故かもしれない


156:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 02:01:30.22 ID:xeLUaf8l0
>>147
障害持ちを〆るのは普通にやってるだろ
高齢出産だと何も言わんでもチェックされるぞ
あと、安楽死は絶対早く合法化すべきだな
自殺の原因の半分は病気
かわいそう


419 名前:名無しさん@涙目です。 (空)[sage] 投稿日:2011/08/14(日) 14:45:37.10 ID:zV2yCDi70

畑の隅に必ず果樹が植わってて、人が死ぬとその木から少し離れた処に土葬される。 そうすると2,3年先に例年になくワッと果実 の成る年が来るから、その実を漬けて酒にする。 盆や命日がくる度に、故人の話しをしながら、それをチビチビと親戚一同で呑み交わす。

一度、止める様に指導があったけれど、うちの地域が今も土葬を認められているのは この習慣があるから。

82. あ 2012年10月22日 09:58

女とおし
村の有力者に初夜権と称して新婚初夜の嫁を掘られる
この処女膜をやぶる行為から女とおしと呼ぶ
気持ち悪いな~


162. 名も無き哲学者 2012年10月23日 11:53

新婚の新妻は初夜に村の長老が味見をする、処女膜開通は長老の特権であった。




74. 名も無き哲学者 2012年10月22日 08:31

うちの実家岡山の山奥なんだが、昭和30年ごろまでは夜這いの習慣があったぞ。実際多くのお爺さんが若い頃経験したって話を経験者から聞いた。戦争で夫を失った後家さんに、若い衆が夜這して筆おろししてもらうんだそう。逆の場合もあって(やもめのおじさん×若い娘)そっちは子づくり目的な。

あと、昭和の中ごろくらいまでは田舎の山奥に歌垣の夜みたいな風習が残ってて、地区の祭りの後気に入った人と寝て、その結果できた子供は福の神と言われて大事に育てられたんだとか。でも解せないのが、夜這いや乱交祭りという風習に則った結果できた子供は大事にされるのに、強姦や不倫の子は母親ともども差別されて村八分にされるとか。

風習かな。うちの実家周辺では一般的にお盆に迎え火焚かない。でも最終日にお供えと故人の戒名の書いてある薄い木の板持って、鈴や鐘、家によっては小さい太鼓を絶え間なく鳴らしながら川まで行って、お供え流して板を燃やす。

その後帰宅するのだけど………帰宅途中決して後ろを振り返ってはならず、声を立ててもいけない。鳴り物すら懐にくるんで足跡も消して歩く。

そうしないと音にひかれて死人が返ってくるからって言われた。死人に気が付かれないように懐中電灯とかも消すから、途中田んぼに落ちたり側溝に落ちたりして怪我をする(笑)昔肥溜めに落ちた人もいたらしいが、誰も助けに行けなくって自力で這い出たらしい。



20. m9(^Д^) 2012年10月22日 01:12

神様同士が交じり合う儀式があって それを若い女性がチンコの形した棒もって見てるっていうのなかったっけ?

交じり合っている儀式はお面かぶった男同士だがそのまわりを若い女性が見ているってシュールだなぁって思った。 処女を守るって西洋から来た考えで日本ではむしろ嫁入り前に不吉な血の出る膜は破って嫁入りさせていたんだよなぁ。

地元ではもう残ってないけど 14前の女は稲荷の前で薪を3日焚き、その間、夜は稲荷の裏から鬼が出てきて 掛けていたらしい。

「掛ける」というのはもちろん「交わる」事。


鬼はどういう方法で選ばれてたかまでは 聞かなかったな。 無事、鬼に掛けられた女は、その次の日から夜ばいを受ける事を許され、兄弟以外の一番近い血縁から順番に紹介で次の男へと権利が渡っていく。 一巡し、もし身ごもっていたらいとこ婚だった。 身ごもっていなければ、他の男と結婚。

細かいルールまでは知らんが財産を守る知恵だったらしい。



43. 名無しさん 2012年10月22日 02:56

今と違って昔は処女性重要視されて無かったからな
それより今と違って性関係の情報無さ過ぎて
いきなり初夜迎えても出来ない事の方が深刻だった



52. あ 2012年10月22日 04:09

風習というか、嫁は家に嫁いできたものとして、兄が戦死したから弟が兄嫁と結婚とかならあるわな

あとは西武グループの初代の女癖みてると、息子の嫁と当たり前のようにやってるし、出身地ではそんな習慣があったんじゃないかとも思ってはしまうが
嫁と親父の子供を養育する息子とかなにが楽しかったのかね



216. 名も無き哲学者 2012年10月26日 00:21

シベリア抑留して帰って来た近所の爺さんは、 戻ってきたら後家扱いになってた新婚ほやほやの嫁が村の若衆の夜這いですっかり熟れてたのでショックで村を出たと言ってたよ。 それでも体面上、その後数年は法律上結婚し続けてたんだと。

後家は若衆のもの、という風習が残っていた地域の場合 同じように自分が苦労してる合間に嫁さんが公衆便所になっちゃって 涙飲んだ人は多々いただろうな。

どっちにせよ、人口の少ない村では若い人間はそれなりに貴重だし 一人に操を立てて生涯寡婦だと子供が生まれず村が栄えない。 だからこその風習なんだろう。

江戸から戦前戦後にかけて、それなりに人口が多く、移住者や旅客も多かった都市部はともかく、山間の村なんて自分の村と周囲の村くらいが世界の全て。
だからこその再婚・早婚システムといえなくもない。

無論、こうした風習や歌垣のシステムと、通常の不倫はまったく別。
寡婦を含む独身者は結婚が大きな仕事だし、歌垣は晴れの日の祭りだから許されたのであって、ケの日において秩序や和、信頼を乱す行為は御法度、ってことなんだろうな。



188. 名も無き哲学者 2012年10月24日 00:07

死後婚とはちょっと違うけど、アジアの一部やアフリカでは処女のまま死んだ娘は悪霊と結婚してしまうから、破瓜を済ましてから埋葬する習慣があったそうだ。
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4318420.html
http://blog.livedoor.jp/isther_s/archives/8698294.html

参考 _ 座敷牢


昔は発病した子供を精神病院に受診させず、自宅に部屋をつくって閉じ込め、長期間、食事だけ与えるくらいの扱いしていた家族が実際にあった。病名はほとんどが統合失調症だったと思われる。そんな風な部屋は「座敷牢」と言われた。この座敷牢に入れられていた患者さんは、現在、うちの病院のように小さな病院でも2名いる。たぶん、現在のどこの精神病院でも、数名は生存されていると思うのである。

座敷牢で数年生活していた人は、必ずと言ってよいほど、かなり荒廃している。人によっては会話ができないくらいで、話しができたとしても、連合障害が酷くてまとまった会話にならないことの方が多い。ずっと保護室で暮らしていた人もいる。座敷牢と保護室は変わりがないじゃんと思うかもしれないが、僕に言わせると天と地の差がある。保護室では、普通に食事が食べられるし、入浴、洗面もできるからだ。精神症状によれば読書やパソコンもできる。

興奮が酷いケースでは、当然、過酷といっていいほどの大量の精神病薬が入っている。現在、もう70歳くらいになる女性患者がおられるのだが、14歳頃から30歳まで、床下に入れられていたらしい。食事もおにぎりが1つずつとか、そんな感じであったらしく、今でも背丈なども相当に小さい。よく言えば小柄なのだが、つまりは慢性的な栄養失調だったのであろう。

僕はこの人を約2年ほどしか受け持っていないのだが、当時、セレネースが40mgくらい入っていて、他のフェノチアジンも併用されていて、どのようにやっても寛解しないような感じだった。僕が持った後、ジプレキサやセロクエルをあわせて処方したり、いろいろ手を尽くしたが非常に難しいと思った。

これは2003年1月の処方である。
セレネース  30mg
セロクエル  600mg
トロペロン   3mg
アキネトン   3mg
ヒベルナ   100mg

2004年1月の処方は下のような感じだった。
クレミン     100mg
リントン      9mg
リスパダール  12mg
ヒベルナ     75mg
アキネトン    3mg

まぁこれがベストかどうかわからないのだけど、これでも悪いときはセレネース液経口やトロペロンの静注をしていたのである。不思議なことに、この処方でもEPSは全然なかった。この程度の処方が長かったこともあるかもしれない。あるいは、かなり多い量なのでEPSさえ押さえ込んでいたのだと思われる。

この患者さんの処遇し辛いところは、悪くなると、寝ている人の首を絞めたりすることであった。だからと言って、ずっと保護室住まいにするのはむごすぎるので、僕はこんな処方で大部屋で様子をみていたのである。

最初、床下から救出された?時は、垢にまみれており、顔の中央だけ赤いような感じで、まさに動物に育てられた子供のようであったらしい。当然、ずっと入浴もしていない。

最初入院した時は非常に精神状態が悪く保護室に入れていても、すぐに便いじりをして全身便だらけになってしまうとか、自分の肛門から出てきた回虫を拾って食べたりと、どうしようもない状態だった様子が詳しくカルテに記載されている。ちゃんと落ち着いて食事をするとか、洗面をするとか、生理の始末とか、そういうのが全然できなかったのである。

カルテの生活歴をみると、中学校時代はなんとバレーボールの選手だったらしい。これにはちょっと唖然としたというか、それを通り越した驚きだった。

なぜこんなことになったかというと、貧しくて治療費がなかったので仕方なく家族がそのようにしたのであった。昭和30年代後半から40年前半頃は、まだ日本は保険制度がまだ整備されていなかった。生活保護も制度も予算が少なく皆に行き渡らなかったのであろう。

これは今なら犯罪に等しいが、当時は社会の余裕もなく、そのような家族の処遇もとりわけ咎められなかったのである。こういう患者さんをみると、薬物治療に限らず、作業療法、生活指導、レクレーション、デイケアなどのリハビリテーションがいかに重要かがわかる。

日本の精神病院の老人患者さんにはそのような人がまだいるのである。
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10025431136.html


参考 _ おじろく、おばさ Ojiroku, Obasa


 長野県の南部、飯田のあたりは、高山の多い信州の中でも特に山深いところである。平地といえるような土地はほとんどなく、ろくな道すらないのだけれど、そんなところにも古くから人は住んでいるもので、天竜川に沿ってぽつぽつと小さな集落がいくつか点在している。

 そうした集落をひとつひとつ数珠繋ぎするようにして、豊橋と辰野を結ぶ飯田線が全通したのが昭和12年。なにせ平らな土地のほとんどない深い山地のこと、さぞかし難工事だっただろうことは想像に難くない。さてその飯田線に、中井侍(なかいさむらい)という、ちょっと変わった名前の無人駅がある。長野、静岡、愛知の三県の県境あたりに位置する駅である。

 と、なんだか紀行文のように始まったのだけれど、別に私はこの中井侍に行ったことがあるわけではない。飯田線にも乗ったことはない。ただ、ある精神医学誌の論文にこの地域のことが載っていたので、ちょっと興味を惹かれただけである。

 「中井侍」をネットで検索してみると、写真入りのページがたくさん出てくる。どうやら、長野県の最南端の駅として、鉄道ファンにはちょっと知られた駅らしい。たとえばこのページやこのページ、このページなどの写真を見ると、本当に山の中の小さな駅で、鉄道がないころはまさに外界から隔絶された秘境だったのだろうなあ、と思うばかりである。

 さて、その中井侍の駅のある付近は、かつて神原村と呼ばれていた(今では天龍村になっている)。このあたりは高山の谷間で平地が極端に少ない。耕地面積が充分とれないから、産めよ増やせよというわけにはいかず、なんとかして人口を制限をしなければ共倒れになってしまう。そこで、この村の人々は奇妙な人口制限法を考えた。

 まず、一家のうち長男だけが家督を相続し、結婚して社会生活を営む。次男以下と女の子は、他家に養子になったり嫁いだりしないかぎり結婚を許されず、世間との交際を禁じられ、生涯戸主のために無報酬で働くのである。

 この村では、こうした制度が16~17世紀ごろから何百年も続いていたという。こうした男は「おじろく」、女は「おばさ」と呼ばれ、家庭内の地位は戸主の妻子以下、戸籍簿には「厄介」と記され、村人と交際もせず、村祭りにも出られなかった。

 こうしたおじろく、おばさは結婚もせず、近所の人と交際することもなく、話しかけても返事もしないが、家族のためによく働いて不平も言わなかったという。怒ることも笑うこともなく、無愛想で趣味もない。おじろく、おばさ同士で交際することもなく、多くのものは童貞、処女で一生を終えたらしい。

 彼らは、物心つくまでは長男と同じに育てられるけれど、次第に弟や妹は兄に従うものだ、という教育を受け、将来は兄のために働くのだ、と教えこまれるようになるのだそうだ。たとえば、長男は休まずに学校へ行けたが、弟妹はことあるごとに学校を休んで家の仕事を手伝わされる。

 成長するに従ってだんだんと兄と違う取り扱いを受けるようになるのだけれど、それは割合素直に受け入れられ、ひどい仕打ちだと恨まれるようなこともなかったとか。親たちも、長男以外はおじろくとして育てるのが当然だと考えていたので、別にかわいそうに思うこともなかったらしい。

 掟に反抗して村を出る者がいなかったかというと、おじろくが村を出ることは非常に悪いことで家の掟にそむくことだ、という考えがあったため、村を出ようと思う者はほとんどなく、まれに出る者があっても人付き合いがうまくできず、すぐに戻ってきたのだそうだ。

 実際のおじろくへのインタビュー(普通に訊いても顔をそむけて答えてくれないので、睡眠薬を使ったアミタール面接を行ったのだそうだ)によれば、彼らは人と会うのも話しかけられるのも嫌い、楽しいことも辛いこともなく、世の中を嫌だと思ったこともなく、結婚したいとも思わず、希望もなく、不満もない。あるおじろくは、村を出たのは一生で一度だけ、徴兵検査で飯田まで出たとき(歩いて往復3日かかったという)だが、別に面白いことはなく、町へ行ってみようとも思わなかったという。

 こういう制度が何百年もの間続いていたというのだ。今じゃとても信じられない話ではあるけれど、周囲から隔絶した村だからこそありえた話だろう。

 おじろくを現代社会に連れてきて精神科で診てもらったとしたら、おそらく何かの人格障害と診断されるだろうけれど、逆にもしこの村でおじろくが反抗して自由を求めたとしたら、これまたおそらく人格障害とみなされることだろう(もちろん、そういう診断があったとしたら、の話だが)。このように、人格についての判断は、社会の価値観と無縁ではありえないのですね。このへんに、「人格障害」の判断の難しさがあります。

 おじろくの場合、「生まれつきの性格」とは関係なく、社会環境によって人格を作られてしまったわけだけど、現在の価値観からいえば、これは村社会全体による差別であり、洗脳であるのかもしれない。でも、私は別にその地域の文化が遅れていた、と言いたいわけじゃないのですね。文化なんてものは相対的なもの。社会全体が、弟妹は兄のために働くものだ、と思っているのであれば、それに反抗する考えすら浮かばないってのは当然のことだろう。社会常識の呪縛ってのは、それほどまでに強いものなのだ。もちろん、私たちだって、気づいていないだけで、現在の常識に縛られているはず。いくら常識から自由なつもりでいても、常識を完全に無視するのは不可能であり、そんな人がいたとしたらそれこそ「人格障害」と呼ばれることだろう。

 なお、明治5年には人口2000人の村に190人の「おじろく」「おばさ」がいたそうだが、鉄道の開通以来減少し、昭和35年には男2人、女1人になっていたとか。その絶滅間近の3人の「おじろく」「おばさ」に直接インタビューして書かれた論文(近藤廉治「未分化社会のアウトサイダー」)が、「精神医学」1964年6号に掲載されている。また、西丸四方「和風カスパール・ハウザー」(最新精神医学2000年5号)も「おじろく」「おばさ」を取り上げている。この文章は、その2つの論文によった。
http://psychodoc.eek.jp/abare/ojiroku.html
31:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:32:31

昔の風習で初体験パート  2010/09/11

両親が相次いで泣くなり、僕は叔母に引き取られた。
叔母には僕と同い年の高校生の娘と中学生の妹がいた。

亭主は浮気して女と一緒に暮らしている。

叔母に引き取られて驚いたのは、僕が入浴するときは必ず叔母も一緒だということだ。
叔母に言い含められているのか従姉妹達もなにも言わない。

毎日脱衣所で二人服を脱いで全裸になって浴室で身を清める。
叔母が僕の全身を洗ってくれる代わりに、僕も叔母の裸体全身を洗わなければならない。

僕は石鹸を付けたタオルで叔母の乳房を触りながら洗っていく、叔母の巨乳を合法的に触れるので、揉み捲くり石鹸の泡だらけの乳房の谷間に顔を埋め、大きい乳輪の真ん中にある乳首をすい続けた。叔母は拒否すらせず双方の乳房を揉ませ僕のエロ行為を受け入れていた。

僕が興奮して

「叔母さん、やらせて!」

と言うと、ローションを肉棒に塗りしごきだす、ヌルヌル感で僕は気持ちよくなり白いザーメンを叔母の肉体にかけてフィニッシュ。

風呂から上がると従姉妹たちから

「お母さんに抜いてもらったの?」

と聞いてくる。もう習慣になり普通の出来事なのだ。

叔母は僕の前でM字開脚しクリトリスを舐めるように促す。

おばの指示通りに舐めていくと、叔母が気持ちよくなっていった。

「弘司、女は此処を舐められると気持ちよくなるんだよ。
今度は穴の中に指を入れてごらん。」

膣の中に指を入れると叔母が一瞬痙攣した。

「それを前後に動かして・・」

膣の中で指をズコズコと動かすと叔母は激しく興奮し悶絶した。

「おばさん、やらせて。」

と僕が言うと叔母は勃起した肉棒を口に銜えフェラチオをして僕の精液を飲み干した。

僕は叔母に

「なぜこんなことをするの?」

と聞いたことがある。叔母は

「男になるための儀式よ。」

と言うのみ。高校生も3年になると叔母と一緒に寝るように言われ、数々の性的行為を二人でして、僕は叔母の愛人のようになって近親相姦寸前の関係を続けて、叔母からSEXについて教わっていた。

僕は高校生の従姉妹と海水浴に行った。
泳ぎ疲れて日陰で休んでいたとき、彼女から真相を聞きだした。

僕が生まれ育った町は、昔から男を大切にする。
だから初体験の相手にと頼まれたら女は嫌とは言えず童貞卒業の手伝いをすることが多い。
童貞を卒業した者は一人前の男として見られるからだ。

僕もその風習は知っていたので、僕はこの従姉妹と初体験を済ませ童貞を卒業させようと思っていたのだ。ところが僕の部落では少し違う、男が年頃になると近所の年増に頼み初体験の相手をしてもらう。

相手をする年増は大抵後家か亭主が出稼ぎに行った女房だ、男は童貞を捧げた年増に結婚するまで面倒見てもらう、詰まる話が性教育をしてもらうのだ。経験豊富な年増の女から色々と教わった男は結婚してから嫁との夫婦生活が円満になり家が栄えたケースが多かったという。

だから僕の部落では母親みたいなおばさんと初体験する例が多い、我が一族では当主の跡取りに適当な年増が近くにいなければ親戚の年増が相手をすることになっていたらしい。血が遠い程いいのだが大抵は叔母が努めた。

今よりも避妊に対しての意識も技術も低かったので、当然妊娠する場合がある、そのときは産むしかない。甥の子を叔母が産むのである。しかしその子は里子に出された。

だから僕は当主の跡取りになるので、当家の風習に則り叔母が初体験の相手になり結婚するまで僕と肉体関係を結ぶのだ。

僕は推薦入試で大学進学が決まった、年の暮れに叔母が僕を居間に呼び、初体験の儀式を行うと告げた。

冬休みの期間正月まで、両親が死んで不在となった僕の実家で二人だけで行うと言う、雪の積もった中を二人は実家へ、布団を敷き二人は全裸になりその中へ潜り込む。

二人はキスを交わす、舌を絡め禁断の情事の開始を告げる。

叔母に今まで教わったとおり豊満な乳房を揉みほぐし乳輪から乳首へ愛撫を施す。叔母も負けずに僕の裸体を嘗め尽くし、若い男の肉体をむしゃぶりつくす。

叔母が肉棒を銜えフェラチオをし甥の肉棒をしゃぶる。叔母は当時まだ40代の半ば、従姉妹たちにはない豊かな乳房を始めとして、美しい裸体に僕は酔いしれる。

「弘司、弘司、私と結婚したいでしょ、私の裸綺麗でしょ、弘司は私のことが好きでしょ。」

叔母はもう僕を甥ではなく男としてみてるらしい。

僕は叔母の美脚を広げさせM字開脚の状態で僕は顔を埋め、クリトリスを舐めクンニを始めた。叔母は余りの気持ち良さに喘ぎ声を漏らし、

「ひろーーーーしーーーーー好きーーーーーー」

と叫び僕を求めた。しばらく続けると潮を吹きシーツが濡れてしまった。

「弘司、弘司に対する気持ちが潮を吹かせたのよ、弘司は誰にも渡したくない、私の男にしたい。」

叔母は僕を抱きしめ僕に深い愛を示した。叔母は勃起している肉棒を膣の中に挿入し

「コンドームはいらないから、この中で出して。」

と妊娠覚悟で僕を迎え入れる。叔母の子宮目掛け僕は腰を振り肉棒をズボズボさせる。叔母に教わったようにFUCKモーションに強弱を付け時間を持たせる。

「叔母さん、そろそろ行くよ。叔母さんと一緒に居たい。叔母さんが好きだよ」

そう言いつつ激しく腰を振って肉棒を膨張させ頭が真っ白になると

「どぴゅ~~~~~~~」と膣の中で多量の精液が注がれていった。

正月まで実家に篭り、叔母と性の儀式を行い初体験は無事終了し叔母と肉体関係を続けることになった。
http://www.erotown.com/toupara/bbs/b01_1/index.cgi?mode=thr&no=2076
32:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:32:57

珍しくもない東北地方の近親相姦(フィクション)


○○家の秘密 投稿者:近親相姦 投稿日:2009/03/21(Sat) 19:08

  私は東北地方の人里離れた部落に暮らす、30代後半の男です。
農協で働く妻恵美子と10年程前見合結婚し、婿養子に入りました。
隣に家を建ててもらい、金銭的には何不自由なく暮らしていますが、この地方地域部落の風土仕来たり、特に○○家の奇行には驚かされるばかりです。

  近親相姦など珍しくもありません。性欲の強い男は暇さえあれば女を見つけ、己の欲望をみたしています。義理の父は60になりましたが、未だに性欲絶倫で、義理の母幸代50代を毎日容赦なく犯しています。男尊女卑。ここは未だ戦前の日本の名残、この部落は今でも女は男の奴隷です。

妻も近寄らない開かずの間に全裸で緊縛された義母

  私はこの家に入り1週間でこの異常に出くわしました。義母は気立ての優しい働き者です。小柄ですが胸は大きくふくよかで、色気漂う熟女です。そんな義母は私にメイドのように振る舞い、初めはこんな山奥に婿に来てくことに恐縮しての態度だと思っていましたが、この家では女は男に尽くすことが何よりの喜びと教育され、家の仕来たりだったのです。

  私はこの家に来た時から義母を異性として気にしていました。妻もあり新婚です。義理の父もいます。初めは良い夫を決めていたのですが、この家に入り1週間も経たぬ間に理性は吹っ飛び、義母を犯してしまったのです。

当時私たち夫婦は広い2階を、義理の姉がいるのですが、引き籠りの彼女が南側の1部屋を、大広間に台所客間、日の当りの悪い北側奥2部屋を義母夫婦が寝室に使っていました。

  家は古いのですが田舎ですから部屋は広く、義母夫婦の寝室も2部屋を引き戸で仕切り、手前の和室だけでも20畳はあったと思います。この家に来て間もない私は分からなかったのです。

  その日私は義母に用があり、義母を捜すうちに妻も近寄らない開かずの間を開けてしまったのです。雨戸の閉まった薄暗い部屋には、裸電球が灯され中央には大きな三角木馬が置かれ、奥を見渡すと古木で作られた十字の磔台が、その横には鉄格子の牢が設けられ、中には全裸で緊縛された女が放り込まれていました。

  その一糸纏わぬ全裸の姿は、女の秘肉こそ見えない状態でしたが、大きく垂れた乳房は縄で縛られ熟女を強調していました。義母のあられもない姿です。よく義父は義母を弄び、そのまま部屋を閉めて山に入ってしまうのです。きっと帰ってきてからまた義母をいたぶるのでしょう。


女縄-裸女を縄で縛る悦楽
http://w.livedoor.jp/onnanawa/d/%B2%D6%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0
http://w.livedoor.jp/onnanawa/d/%cc%dc%bc%a1%20/%20MENU
http://w.livedoor.jp/onnanawa/d/%e6%ea%cc%e7%c5%db%ce%ec


縄で片足を大きく開かされ、オマンコは丸見え

  数日後、私は義父が出掛けた隙に妻の目を盗み、義父の寝室に忍び込みました。薄暗い部屋の中で義母は全裸で後ろ手に縛られ、目隠しをされ、天井の梁から吊られていました。排尿を我慢し切れなかったのでしょうか、尿は垂れ流されていました。梁からさがった縄で片足を大きく開かされ、オマンコは丸見えでした。犯って下さいと言わんばかりに、熟れたオマンコが曝け出されているのです。

  その日を境に私の理性は吹っ飛び、義母を犯し続けています。数ヶ月が経ち義父も気づいたのでしょうか、普通なら殴られたり嗜(たしな)めたりたいへんなことになるはずなのですが、義父の奇行はエスカレートし、酒が入ると平気で私の前でも義母を罵り、その場で服を剥ぎ取り陵辱するようになりました。義母のおろおろする怯えた姿が、責める人間にはたまらない快楽なのでしょう。


引き籠りの義姉は、肉汁を垂れ流してイキ果てる

  妻恵美子には5歳年上の姉で洋子がいます。40になるのですが嫁にも行かず、小学校を卒業してから引き籠りだそうです。魂の抜けた人形のような女で、部屋の外に出ることはありません。こちらから何か話しかけると「ハイ」と頷く程度で、反応があまりない女です。

  キスしても抱きしめて、下着の中に手を入れオマンコをいじりまわしても、拒否することなく黙って従う従順ないい女です。私はそれをいいことに、洋子を性処理奴隷として使っています。洋子は仕事もせず家事もせず、いつも部屋にいるので犯したい時何時でもセックスできる都合のいいダッチワイフなのです。

  色白で細い腕に細い脚。痩せこけた胸を弄っても、女肉の楽しみはありませんが

「服を脱げ、股を開け」

と命令すると素直に従い、勃起した肉棒をオマンコに突っ込んでやると、普段無表情で反応しない女が、苦痛なのか感じてるのかうめき声をあげながらバタバタと暴れ、更に強引に押さえつけ膣奥の子宮にチンコをぶちあててやると、こんな人形のような女でも、肉汁を垂れ流してイキ果てるのです。

  洋子のオマンコは義父も使っています。義母のように私の目の前で陵辱こそしませんが、家から出ない女が妊娠し子供を堕したのです。


義父は義母を私に与えて、妻を性処理に使っている

  妻も私と結婚した時には処女ではありませんでした。もの心のつくころには母親と父親のセックスを目の当たりにし、母親からは、女は男に尽くすことを、何よりの喜びと教え込まれて育ったと聞いています。男根の咥え方に男の喜ばせ方、義母から教わったそうです。

  私と一緒になる前、妻は義父の玩具のひとつだったのでしょう。私も義母や義理の姉を奴隷にしてる以上、妻を義父の欲望から救うことは出来ません。義父は義母幸代を与えて私に提供し、未だ恵美子を性処理に使っているのです。私には娘がひとりいます。6歳になる愛らしい女の子です。私たち夫婦のセックスも見させています。
  妻を横に娘に肉棒を舐めさせ、上手くできた褒美に、娘の小さなオマンコを舐めてあげています。女にする日もそう遠くはないでしょう。
http://s.webry.info/sp/26624724.at.webry.info/201304/article_21.html
33:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:33:22

2005/3/4 東北地方の方に質問です。

東北地方は近親相姦が多いって本当ですか?
近親相姦で産まれたって人います?

なるべく方言で答えて下さい。
ベストアンサーに選ばれた回答

ま、聞いた話だけど…

たげにちゅーふうふがいて、そこのわらはんどがたげやべーったかんじらしくて、

まわりのふとだばみな、あそこのふうふだっきゃきょうだいでねーんずなってへってらったってや~


というのはありました。

ID非公開さん

私の地元は漁師町ですが近親相姦の話は結構聞きます。

実際、異性との出会いが少なくて ついつい船小屋でやっちゃったとかね。
殆ど、身内同士で船に乗って作業しているところが多いし、個人の漁師は。

近親相姦で生まれた子供は、色素が薄く白人のように、髪の毛も白に近い金髪です。

私の同級生にいました。

12535640さん、津軽人?もしくは平内あたり?

実は、わーも津軽だよ。

___


ID非公開さん

事実多いですね。

一昔前の話ですが、群馬 、新潟、山形、福島など山奥の集落が有名です。

アメリカほどではないですが。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q103245165
34:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:33:49

2011年05月16日21:00

私の生まれた地域に今でも残る風習です。

女子は初◯を迎えた段階で二つのうちから一つを選択しなければなりません。

・一つは、父親もしくは5歳以上年の離れた兄に処女を捧げる。
 これを選択した場合、処女喪失以降は自由恋愛が認めれれます。

・もう一つは、結婚するまで純潔を守ることができますが、結婚相手は親が決めます。
 簡単に言うと人身売買のような形になります。男性が娘の「家」から「処女の娘」を大金を以て買うということです。


 注意点として、男性の配偶者になれるとは必ずしも限りません。
 有力者の愛人になるというケースもありえます。
 「夫」との間に年齢差があって、「夫」が早くに亡くなった場合、実家に帰される場合があります。

 この場合、子供は「夫」の家に取られます。

私の場合、許嫁とか愛人とかは考えられなかったので一つ目を選択しました。

上に書いた文の通りの説明を受けるわけではありません。

「これからお父さんに女にしてもらうのですよ」

といった感じです。かといって、生理が終わった途端に父親に挿入されるというわけではありません。

渡しの場合は一人部屋で寝ていたので、風呂で母親から大人の女の嗜みとしての
体の洗い方を教えてもらい、自室で母と一緒に父親が訪れるのを待ちました。
ノックなどして父が部屋に入ってきました。トランクスだけの姿です。

父の登場を合図に母親が私を裸にし、立膝の角度まで仕込んでから退室。

退室時に母親が部屋を真っ暗にしました。

何をされるのかとドキドキしていたら、両膝を掴まれて、ほぼ同時にアソコに何かが触れる感覚がきました。クンニでした。

父の舌は正確にクリトリスと包皮の境目を愛撫してから私のワレメの始まりにまで舌を這わせ まだわずかにしか生えていない恥毛を確かめるるように撫で付けました。 あとは同じことの繰り返し。

クリトリスの快感に関しては、ふろに入った時に母から

「女はね、ここを触られると男の人を受け入れる準備ができるのよ」

といった感じに言われ、実際に触られもして、もう快感をしっていました。
けれども舌による快感は群を抜いていて、私は何度も腰をくねらせて抗いました。
その夜はそこまで。

私はその日のうちに処女を散らすものだとばかり思っていたので少し拍子抜けしました。

こんな日が毎日続くと思っていましたが、そうでもありませんでした。
父の「夜這い」はほぼ週一のペースで、事前に母親から伝えられます。

「今日はお父さんが来るからキレイにしておくのよ」

といった感じです。 父の愛撫はクリトリスから小陰唇に至り、やがては極度に慎重に膣の入口にまで来るようになりました。

何回目かからは灯りを暗くしなくなり、父が私のアソコを眺めている時間も長く
なりましたが、実際に父が何をしていたのか具体的には私にはわかりません。
母親が付き添いっぱなしのこともあって、私への父の愛撫が終わった途端に父が母に挿入して・・・ということもありました。

フェラチオの手ほどきもほぼ一から十まで父から受けました。

もう口に出してくれてもいいのにと私は思っていましたが、父はいつも寸前に口から抜いて、 主に自分の手の上に出していました。

父がいよいよ挿入してきたのは初めての日から半年ぐらいだったでしょうか。
コンドームを見せられて悟り、そして覚悟しました。

もう私の膣は父の指(一本?二本かも)を簡単に受け入れていたころもあり、恐怖は ありませんでした。

この日も母が横にいてくれて私の手を握ってくれていました。

痛みはありましたが、意外なほどにあっけなくて、それと父は正に処女膜を貫通させる仕事だけをしてペニスを抜き母の体で射精したのですが、それを見た私はちょっと悔しい気分でいました。

その日以降、父は夜這いこそすれ、私の下半身を裸にしてアソコを見つめるだけで
触れられることはなくなりました。(私は眠ったふりをしていました)
やがてはそれもなくなりました。

あれから10年以上が経って、私はまだ嫁にも行かずに両親に世話をかけているのですが年に数回は母親の目を盗んで父の入浴に突入してます。

母親の目を盗む必要はないとも思うのですが、女としての意地かな?

とにかく父が私をまぶしそうに目を細めて見て、アソコを元気にしてくれるのを見るのは幸せです。

口で抜いてあげようかと誘うのですが、それはいつも赤面して辞退されます。
父に処女を捧げてよかったなと今も思ってます。

・・・彼氏には絶対打ち明けられない秘密ですがw
http://blog.livedoor.jp/erocopype/archives/4768834.html
35:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:40:54

1 :天之御名無主:2001/06/23(土) 23:05

祭りのときは乱交OK
処女膜破りの儀式
異性または同性の成人から性の手ほどきを受ける思春期の子供

などなど教えてください


14 :天之御名無主:2001/06/29(金) 08:44

高知のヨサコイ祭りは乱交しほうだいって聞きましたが本当ですか?

30 :Six ◆aTOy5bfc:2001/08/15(水) 14:12

東北・甲州・信州の夜這いの風習は有名ですし
瀬名秀明の「ブレイン・ヴァレー」に出てきた夜伽専門の村巫女(白拍子の類?)なんかもそうですね。

33 :天之御名無主:2001/08/16(木) 02:04
>>30
信州では諏訪地区(だったかな?)の「足入れ婚」も比較的近年まで残っていたと聞いてます。


46 :天之御名無主:01/08/28 09:49 ID:sLqx1aZ場所はいえませんが、私の田舎はいまだに祭夜の夜這いの風習があります。
私は18のときに、30代半ばのバツイチ女性のところに夜這いに行き、みごと筆おろしを済ませました。

52 :天之御名無主:02/02/08 06:17

15年ぐらい前にNHKで見たレポートで、瀬戸内海のとある島ではいまだにある風習が
続いていて、それはその島の子供が16歳になると、絶対にセックスをしなくては
ならないものでした。

ルールはこう。

その祭りは一定期間内に行われるもので、祭りになると男・女それぞれ3~4人
同士でとある家に集まり、3日ぐらい共同生活を続けます。

そこで気の合う同士で事を行うのですが、選択権があるのは男子だけで、指名を
受けた女子には拒否権がありません。

可愛い1番人気の子には、当然、バッティングもあり得るのですが、そうなると
親同士の話し合いで、決着を付けなければなりません。

引き下がった男子は、他の女子を指名しなくてはなりません。
例え相手が凄いブサイクでもセックスしなくては一家の恥なのですから。
すなわち、何が何でもペアにならなくてはならないのです。

セックスする順番にもルールがあったはずなのですが、忘れてしまいました。
ペアになると両家の親同士があつまり、隣の部屋でセックスする自分たちの
子供の様子を伺うそうです。

親たちは伺いながら興奮するどころか、上手く仲良くなれるかが心配で仕方ない
とかなんとか言ってたことを覚えています。

勿論、TVではセックスの場面などは映すわけが無く、家に集まった子供たちが
ダベリあってる場面とか、親たちの顔を写してるだけでしたが、この放送を
見た当時はまじでショックでした。
どうしてこの島に生まれなかったのだろうかと。

だれかこの話に心当たりがある人、見てないかな?


56 :天之御名無主:02/04/13 21:16
>>52
十年くらい前に似た話し聞いたなぁ…
結論から言うとデマ

正確にはかなり昔の話。
たぶん、再現した映像を勘違いしたのでは?
もしくは風習と言うか、たんに集まってた風景とか…
あんま大きくない島だと何処かの家に集まる事って良く有るよ。


108 :天之御名無主:03/01/21 23:51

少し田舎に行くと、秋祭りの夜とかみんな異様にギラギラしてる。
日本人の中には乱交の文化は生き長らえているよ。

114 :天之御名無主:03/03/09 16:33

宮城の某村では、維新の頃まで、新婚初夜は花婿の父親が花嫁とセックスする因習
があったらしい。
封建時代の名残らしく、父権の威信を保つためだったとか。
惚れあった者どうしの若い二人なら、辛い一幕だったろう。

和歌山の有田は太平洋戦際、全国での徴兵検査の成績が最低だった地域だ。
理由はこの徴兵検査でヒューマンテイルの者が一村に3名もいたことが判明した
からだ。

紀伊半島の海浜地域は古くから近親婚の多い地域だ。それは地理上の理由がある
ためだが、当時の有田の「尻っ尾者」は、女も含めると実際は調査以上の潜伏数
がいたと推測できる。

147 :天之御名無主:03/12/09 21:08

茨城県の八○町の某部落で今でも18歳になると夜這いの風習が残っている
その為か結婚も早いが離婚も多い
そこの部落は、平家の落中人伝説のあるところで一族の家系を守る為に風習が残っています。
ただ、外との交流が少なく血縁関係で部落を編成している為、血が濃くなる為か障害者や天才が多い


172 :天之御名無主:04/02/20 04:54
>>59
愛知県某所出身ですが、そこでバイトしてた時にちょっと離れた所から車で通っている子が、

「今だに嫁貸しのしきたりとかあるんだよ~早く出たい」

とか言ってたなぁ…。たしか客に嫁を貸すって聞いたような。


173 :天之御名無主:04/02/20 21:28
>>172
是非その村に遊びに行きたい、ってゆか
村の中だけで嫁の貸し借りをやってるんだろうか?

239 :天之御名無主:04/12/31 21:36:03

沖縄県の某島では代々近親相姦で筆おろしをすませる風習があるらしい。
男の子が思春期迎えたときの母親(或は姉)の仕事とか

少年→一人前の男になるための儀式は世界各地にあることからも信憑性はある。
具志堅が初体験は?との雑誌インタビューに「思い出したくない」とはぐらかしたのも証拠になろう


330 :天之御名無主:2005/04/02(土) 22:52:54

本島ではなく○○島(離島)での風習らしい。
男が16歳を迎えると、父親は黙って家を空け母親が筆おろしをするとか。
(稀に姉のケースもあり)


332 :天之御名無主:2005/04/02(土) 23:26:44

日本の関西に母親が筆をおろす近親相姦のの風習があるって聞いたことがあるよ

333 :天之御名無主:2005/04/02(土) 23:31:02

聞いたことある。
たしか、京都の近く、、、


382 :天之御名無主:2005/05/15(日) 14:12:51

雪国で寒くて家から出たら凍死するような、北の日本海側の場所で山間に囲まれた地方なら近親相姦みたいのがありそうだね。
情報きぼん

384 :天之御名無主:2005/05/24(火) 16:58:52

東北地方にはそういう風習多いな

390 :天之御名無主:2005/06/07(火) 22:36:51

東北の温泉入ったら、洞窟の中で巨根像に締め縄という荒ぶる神が鎮座されてました。
その地方では美少女たちがチンポ像を抱え顔を真っ赤にし練り歩く風習があると聞きます。


391 :天之御名無主:2005/06/08(水) 00:08:40
>>390
顔を真っ赤にてのはあんたの希望だろ。
俺が見たのは東北じゃないが、普通の顔してにこにこ歩いてたぞ。
実物を見た事がないと、木彫りの置物と同じであまり抵抗がないらしい。

397 :天之御名無主:2005/06/21(火) 20:50:34

もう昔のことだけど、全裸の女がお面をつけて盆踊りをしてたという地域なら聞いたことがある。
なんで裸なのかまでは教えてくれなかったけれど。

398 :天之御名無主:2005/06/23(木) 15:50:26
>>397
俺も聞いたことがある。
なんでもそのあと乱交に至ってたようだけど。
俺が聞いたのは盆踊りじゃなくて、それに似た神事だったけれどね。

406 :山形南部:2005/07/08(金) 17:34:48

平家の落人の隠れ里だったといわれる某所では近代になっても村の女性は
「みんなの物」でほぼ自由にセークス可能だったそうな。

そこは今はダムの底になったが、昔、そこを訪れた人の話では、

近親相姦が多いので出産の際に「奇形やダメポー」は即座に絞めるのだが
判別出来ずに生きた人間が成長したのが度々目についたと・・

事実、現存している。
可哀想でキーボードに涙が

408 :天之御名無主:2005/07/10(日) 03:31:58 ?

先々月までアフリカを旅行してました。モロッコでのことです。モロッコの南端は
サハラ砂漠と一部接しているのですが、周辺の砂漠への前線基地的なオアシスの街にしばらく滞在してました。遊牧や隊商的な生活をしている砂漠の民は少なくなったけれども今でもちゃんと存在していて彼らがオアシス近郊に立ち寄ると必ず市が立つので楽しかったです。

夜になると女奴隷が卑猥な見世物を見せたりするのですが、若い日本人の子が一人いましたね。

体中にヘンナと呼ばれる染料で模様を書き込んだ全裸の日本人の娘が男達の輪の中で腰を振ったり、触られたりしてました。

  彼女と日本語で話をしたので間違いないです。諦めの境地にあるようなことを
言っていましたが、どうやら彼女のショーを見るかぎり、男達の喝采を買って彼女自身すっかりはまっているような、恍惚とした様子でした。

彼女はその地域では結構有名で、もとは女子大生で砂漠まで来て輪姦されたあげく、ある金持ちの後宮にしばらく監禁されていた娘らしいです。

それで飽きられたうえで売られたと。まるでボウルズの小説の世界。
人間って案外簡単に壊れちゃうものなんですね。


455 :天之御名無主:2005/09/17(土) 20:29:48

日本人って近親相姦(関西)とかホモ(武田信玄)とか自殺(切腹)とかあんまり
タブーが無い民俗なんだね。

456 :天之御名無主:2005/09/17(土) 21:00:00

奈良時代以前の皇族・貴族は異母兄弟姉妹間の結婚を常としており、皇族女性でなければ皇后とはなり得なかった。

日本神話においてもイザナギとイザナミは兄妹であり、ウガヤフキアエズは叔母であり育ての母である玉依姫と結婚する。

日本と近親相姦で調べたら、いっぱい出るは出るは。
日本ってすごい国だよね。

458 :天之御名無主:2005/09/19(月) 16:13:06

北陸の漁村での話し(伝聞だからね)

戦前までは毎年旧暦の6月の新月の夜、奇祭が行われたと聞いた。

その年元服を迎える男女が秘密裏に村内から選ばれ、7日間神社に篭って禊を行う。

新月の夜、二人は神主や巫女、村の長や網元の前で海岸にふんどし一丁で立って海に飛び込み、100mくらい沖合いの小島まで泳ぐ。

神主たちは小船で二人を追う。小島には小さな祠があり、神の目の前でふんどしを外した二人は愛し合う。その後、少女の膣から流れ出る精液を曼荼羅模様の神紙で受け止め、その年の漁を占う、というもの。


461 : ◆arPoYs0ON. :2005/09/24(土) 20:24:39

京都伏見区のとある地域は異常に同姓の多い地域が有ります。
80代の方に伺ってみた。

「夜這いってあったんですかね、○○さん」

「さーねー。ははは」

とはぐらかされてしまいました。ますます興味が湧いてくる!


462 :天之御名無主:2005/09/24(土) 21:09:47

夜ばいはスレがあるけど、システム化されたものとしてかなり最近まで全国各地に「あった」のは事実みたいですね


466 : ◆arPoYs0ON. :2005/09/25(日) 09:39:50
>>463
けれどもその地域の人は本当に障害を持つ親族の家庭がおおく、座敷牢の存在を認める方もいらっしゃいます。なのでどうしても色々な想像をしてしまいます。


472 :天之御名無主:2005/10/21(金) 00:03:21

関東と東海地方の貞操観念が割合強く他の地方はおおらかな様な気がします。

青森ではだいたいが中三か高一で初体験を済ます様です。
チャンスが無い子は焦って誰かに相手を紹介してもらうそうです。

援助交際の相場は「いちご」で結構あっけらかんとおじさんとエッチを楽しむ。
東京だと嫌々お金の為にマグロ状態でセックスすると言う感じ。
関西方面の女と話をしていると「良くしてくれたお礼にしてあげた」とか「落ち込んでいたのでしてもらった」と言う話を聞く。実際どうなんでしょうか?

485 :天之御名無主:2006/05/01(月) 02:14:10

ネタ1 ある田舎の風習

18歳に達した少女達は祭りで神社の境内で神男に処女を捧げなければならない。
この行事を行って初めて大人の女性として認められるんだと。


486 :天之御名無主:2006/05/01(月) 02:35:10

ネタ2 ある田舎への婿入り

この地方へ婿入りする男は嫁の親類に挨拶しなければいけない。
夕方から嫁の親類たちと盛大な宴会が行われ、その後寝室に通される。
そして、その場に集まる嫁の親類(女性のみ)と一晩過ごし

婿入りの許しを得なければならない。
これは村の存続をかけ子孫を繁栄させるため、生殖能力の高い男であるかチェックする仕組みと思われる。

評価する女性は嫁の母、祖母、姉妹、すべての親戚で手技によって精液の濃さ、量も批評される。またその晩に限り婿と性交することも許される。

まぁ。逆輪姦みたいな感じになるようですね。

490 :天之御名無主:2006/06/08(木) 00:58:54

新潟の山間部にいまだに夜ばいやカガイっぽい盆踊りやってるところがあるって聞くけど、

508 :天之御名無主:2006/09/11(月) 02:49:54

某混浴温泉には裸合コンたる風習が残っている。
地方からくる若い男女客参加もOK
その日晩 男女入り乱れのセックスがある。
旅の恥は掻き捨て
彼彼女いる貴方もOK!


516 :天之御名無主:2006/10/19(木) 19:45:29

10年くらい前、母方の祖父の家にいったはずが、離婚したはずの祖母と同じ苗字の家に世話になっていた。よくわからず母に聞いたところ、代々2つの家系で婚姻しているとのこと。

本家には座敷牢があって精薄で生まれた子などはそこで暮らしていたらしい。
(その数年前の台風で流されて今はもうないです)

その時会った従姉妹?は高校生なのに親戚との婚姻が決まっていて、本人はおかしいともなんとも思っていない様子でびっくりしたけど何も言えなかった。
多分兄弟でとかはないと思うけど十分疑問。


526 :天之御名無主:2006/11/15(水) 18:58:11

 昔読んだ本のコラムかなんかに書いてあったけど

ある村では女ばかりの家(女系家族)だと跡取りがなくなってしまう。
そこで相談してくじ引きで半年に1回、その村の長男以外の男性が泊まりにいく。
で、その女系家族の娘たちと性行為して子供ができたら婿入りしてその家を継ぐのが決まりなんだと。

村存続のための掟なんだろう。


534 :天之御名無主:2006/12/28(木) 17:27:58

長野県の一部では、今でも祭りの後に童貞や処女を捨てる儀式があります。
というか、15年前ほど前には確実にありました。(私自身、それが初体験ですから)
このスレに書かれている事と違っているのは、実際にはコンドームを使う事くらいでしょうか


548 :天之御名無主:2007/01/12(金) 11:32:04

昔 親類の叔父が地域に伝わる言い伝えとして教えてくれた

元服を迎える男と同い年の女が村から一組選ばれて神主の前で性交したそうだ 
神事らしいけど何が目的かよくわからん


588 :天之御名無主:2007/09/29(土) 22:29:10

青森県は弘前市の南西に10kmほど入った山間部に「かこ村(かっこ村?)」
という小さな盆地状の村があり(地図には地名なし)今では廃村状態の所がある。
その村はかつて十二年に一度、凶作や飢饉に見舞われることの無いように悲惨な祭りが行われていた。

祭りの年には村の中で未婚の女性が選ばれ、人身御供として神社に奉納するという。
人身御供といっても命を奪うわけではなく、選ばれた女性(少女10~16歳くらい)
(基準不明)が三日三晩すごす。同時に選ばれた8人の村人が「神のお面」をかぶり日没から日の出まで代わる代わる少女と性交することにより、神々に生贄をささげ、五穀豊穣をねがったそうです。

長時間の性交に絶えられず失神したり逃げだそうと試みる娘もいたそうですが、神罰を恐れる村人に厳しく監視されていたそうです。犠牲となった娘はその後村によって特別な待遇下におかれた。


601 :北海道民:2008/01/13(日) 23:36:52

本州は耽美の宝庫だね。
近親姦の風習とか、もう完全にファンタジーの世界だよ。

644 :天之御名無主:2009/01/15(木) 19:47:08 245 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:04/11/01 06:48:07 ID:h0Yp+Mkn
続き

村の合併前に、私の村の二十歳前の男性が、隣村の女性に夜這いをかけたことがあったらしい
もちろん、両者合意の上だったそうで、本人間の間では問題はなかった。

一度目の夜這いのあと、二度、三度繰り返しているうちに、相手の村の男衆にしられ夜這いの後、村境で捕まり、散々殴られて返されてきた。

当時の私の村の男衆は、怒り喧嘩直前までいったらしいが、両村の大人が中に入って、夜這いをかけた男性の母親が夜這いを受けた女性の夫の夜這いを受けるということで手打ちになった話があります。

村の合併後、新村になってから、新しい村域内でのその種のトラブルはなくなりましたが今合併後の新村の隣村との間には、掟は存在します。


>>230
そのような話ではありませんが、何年か前、その年18歳になった一組の双子を含む
男の子達の希望を聞きまわった時、当時27歳の新婚の地元出身の地元中学校の教師を務めている女性に希望が集中して、かなり村で話題になったことがあります。

毎晩一人ずつする掟なので、その女性が八月中のある週に毎晩、白装束で鎮守さんに夜出かけていきました。結局、彼女を相手に八月中に童貞を失った男子が双子をふくめいっぱい生れたことになります。

双子の場合、どちらを先に優先させるかでもめました。戸籍上の兄弟はあるのですが、その家の教育方針で一年おきに兄弟の序列を変化させていたので二人がどちらが先に、女性を抱くかでもめて、結局若衆の前で籤をひくことで解決しました。

恐ろしい連中
http://syarecowa.moo.jp/108/31.html

シリーズ・関連 呪い系
http://syarecowa.moo.jp/kanren/noroi.html

死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?
http://syarecowa.moo.jp/


651 :天之御名無主:2009/03/25(水) 04:38:20
>>644
それ、たぶん、親父の田舎だと思う。

俺も、18のときに、親父の実家に夏休みの間、帰郷して同じ体験をした。
今、首都圏の大学に通ってるけど、将来は祖父を継いで田舎に暮らすことになると思う。
相手の女性は、三十前後の美人のバツイチの女性だった。

最初、騎上位で挿入してもらって、おっぱいを揉んだり乳首を吸ったりしてる間に
しらないうちに射精してた。


654 :天之御名無主:2009/04/15(水) 18:16:53

小学生の女の子だけの祭りがあったな。
露出の高い服装にさせて(ブルマTシャツだった)集団で家を回る祭り。
女の子達は家ごとにお菓子を貰う。全員でなく、先頭のリーダーの女の子にお菓子がたくさん入った袋をあげる。
公民館から出発して村の家を全部回ると祭りが終わるんだが、大抵、公民館に戻るころは人が少なくなっていた。
昔は可愛い子がいなくなってたってよく噂になってた。

寂しい老人が女の子を引き止めて家で話し相手にさせられるらしい。
当時はそんな祭り興味なかったし、男だから参加しなくてよかったと思ってたが、普通にバイシュンとかしてたらしい。


681 :天之御名無主:2009/07/01(水) 00:51:36

母親が言っていたんだけど、
母親がいた村では、15、6歳になると同じ年の女の子&母親達が集まって
一晩性について勉強したんだって。
それも、学校で習うような文献だけのやつではなく、母親達が裸になって
結構な所まで教えてくれたんだって。

ちなみに母親は山形の村出身
http://desktop2ch.tv/min/993305147/
http://hentai4u.blog12.fc2.com/blog-entry-86.html
36:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:41:07

【日本奇習紀行シリーズ】 近畿地方

奇習! 少女は実父の子を孕み、母親は息子の筆おろし ― 近畿地方に実在した「近親相姦村」の実態
http://tocana.jp/2016/11/post_11425_entry.html

 これまでも日本各地に伝わる“性の禁忌”についてしばしばご紹介してきたが、今回取り上げるのは、男女ともにただひたすらに「親子セックス」とでもいうべき行為を続けてきたという“近親相姦村”の話である。無論、その性質上、今回我々の取材に応じてくれたその村の出身者・佐藤直道さん(仮名・73)からは、記事として取り上げる内容について「ある程度ぼかすように」と再三釘を刺されているが、今の時点で明かせるのは、それが「近畿地方にある集落」であるという点と、彼が知る限り「昭和50年代半ばまでは続いていた」という点だ。

「本当に隠してくださいね、そうしないと、私がどうなるかわかったもんじゃありませんから。なにせ、実の親子が交わるんです。交わって子どもも生まれる。生まれた子どもも交わる。そういう村の話ですから」

 佐藤さんが育ったその“近親相姦村”では、兄弟姉妹との関係は厳に禁じられていながらも、それとは逆に母子父子間のセックスは強要されるという、なんとも奇妙な習慣が存在していたのだという。佐藤さんの場合は、生まれて間もなく、この地域に住む親戚一家の元へと引っ越してきたため「範囲」に含まれていなかったというが、その親戚宅の場合は、親子間でのセックスが常態化していたという。

「ええ、だからその家でも、一家の大黒柱は娘たちと毎晩かわるがわるですよ。息子にしたってそう。実の母親の乳房を二十歳を超えたって吸い続けているんですから……。もらい子の私は蚊帳の外でしたけども、なぜそうした行為を自然に彼らが受け入れていたのか、今でも不思議に思います」

当然、そうした行為が「当たり前のこと」であり、むしろ「守るべきもの」として定着している以上、少女たちは実の父親相手に破瓜(はか)を経験し、少年たちは生みの親である母親相手に筆おろしを済ませるのが原則であった。そして、長じてもその行為自体は続き、実の親が死ぬまで、その忌まわしき性行為は続けられるのだという。そのため、この村においては、実の母親が息子の種を宿して出産し、父親は愛娘を孕ませるという事態が頻発し、それこそ「通常の家計図ではありえないような状態」(佐藤さん)となっていたのだという。

「私は就職と同時に村を離れて、その養父母一家とも徐々に疎遠になっていったのですが、その後、風の噂で何人もの子宝に恵まれたという話は聞いています。でも、それが一体誰を父親とする子なのか、誰が母親として生んだ子なのかということまではわかりませんね……」

 それが小さな村の中だけで起きていることであるとはいえ、組織的に近親相姦が行われていたのであれば、その歴史に鑑みると、遺伝子異常などの問題が頻発していると見るべきだ。その由来や定着過程も、一切が不明だという“近親相姦村”の奇習――。彼らの末裔たちが現在この日本でどのように暮らしているのか、いささか気になるところだ。
(取材・文=戸叶和男)
http://tocana.jp/2016/11/post_11425_entry.html
37:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:41:48

奇習! 実父と娘が常習的セックス、子どもができたら… 秋田県南部で行われていた“伝統的”近親相姦

その文化や宗教観などによって異なりはするものの、世の中には実に様々な“性のタブー”が存在する。そうしたタブーの中で割と知名度はありながらも、その実、踏み込む人がそれほど多いわけではないと考えられるものの1つが、親子兄弟姉妹間などにおける性交渉、すなわち「近親相姦」だ。


「……ああ、たしかにそうだよ。このあたりじゃ、昔はそれが当たり前でね。どこの家でもみんなそうしてたもんだよ」


 かつて秋田県南部のとある地域で行われていたという「近親相姦」に関する習慣についてそう語るのは、今でも同地域に住むという元養殖業・戸川盛一朗さん(仮名・69)。戸川さんの話によると、かつて当地においては、親と子がごくごく当たり前のように交わるという信じ難い習慣が存在していたのだという。


「親子って言ってもね、そういうことするのは、男親と娘だけなんだよ。だから兄妹とか姉弟とか、女親と息子っていう組み合わせはない。あくまで男親と娘だけなんだよな」


 当地における近親相姦の習慣において、その「組み合わせ」として認められているのは、男親と娘のみ。逆にそれ以外の組み合わせについては、絶対に行ってはならないものとされていたという。その理由は定かではないものの、戸川さんの話によれば、もしそれ以外の組み合わせで関係を持ってしまった場合は、当人たちはもちろんのこと、家人全員が村から追放されるという厳しい掟が存在していたのだそうだ。


「みんなそれが当たり前のものとして考えてたわけだから、誰一人、躊躇う人間もいないし、みんながみんな、そういうことをやっていたんだけどもね、一応は子どもができないように、中に挿れてはいけないことになっていてね。もっとも、実際には嫁入り前の娘が腹ボテになっていたりするのも見かけたから、守られていたわけじゃないんだろうけどな」

あくまで“建前上”は挿入ナシのセックスに限定されていたものの、戸川さんが言うように、実際にはそれを守る者はほとんどなく、実父の子を身ごもる少女たちが後を絶たなかったという。


「身ごもったのがわかるとね、薬を飲んでおろすんだよ。そう、虫下しをするみたいにね。だから村の共同墓地にはね、そういうのを供養するための地蔵がいくつも祀られていたよな…」


 なぜか「習慣」というだけで実父とのセックスを繰り返し、その子供を身ごもるたびに中絶を繰り替えしていたという当地の少女たち。どこをどう贔屓目に見たところで、現代人の我々の感覚からすれば、それは単なる性的虐待でしかない行為だが、いずれにしろ彼女たちが、その後の人生において、“普通の大人”として生きていけたのかどうか、誠にもって疑問である。
(取材・文/戸叶和男)
http://tocana.jp/2017/03/post_12314_entry.html
38:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:43:41

2014年12月21日【呪い・祟り・復讐】近親相姦の障害?
うちの実家は東北の田舎なんだけど旧暦の正月に『ささら』っていう祭が有る。
祭事に詳しい人なら地区まで特定できそうだから明記はしないけど、そんくらい田舎だって話。

俺はガキの頃に屋根裏部屋とか物置とか探検するの好きだったと記憶している。
居間の隣に襖(ふすま)を隔てて、親戚が集まった時に宴会する様な応接間(?)が有り、その隣に仏壇や昔の調度品、旧家によく有る母親の子供の頃に買った人形とか母の兄弟の五月人形とかが、うっすら埃(ほこり)被って置かれてる様な部屋があった。

その部屋の押入れの奥に、小部屋が有るんだ。

もう何年も昔に、母方の親が相次いで亡くなって家を手放す時に俺の母の兄である叔父から聞いた話では、そんな感じの部屋ってのは、この辺の部落の旧家には何箇所か有って、その昔『夜這い』の風習とかが残ってる頃の名残だという。

戦前から子不足に悩んでた付近の住民が、あの小部屋で密会して、なんとか子供を増やそうとしていたらしい。


そんな中、ある家系に池沼の娘ばかり生まれる様になって、(近親相姦の障害?)近くの神社の家が「これは祟りだ」とか言い出した。

それで娘を引き取って、巫女として養ってたらしいんだが、戦後の貧しさから、その池沼の姉妹達に客取らせて金貰ってたんだと。
そのバイシュンに使われてたのが例の小部屋。

神主は祈祷(きとう)だと言って、夜な夜な巫女を旧家に行かせる。
その家の人間は巫女を小部屋に通し、順に客を招きいれて相手をさせて金を取り、その幾らかが神主の所に入る事になる。

『ささら』ってのは、その巫女がみごもった水子を慰める意味も有るらしい。
叔父は、「俺はこの事を、自分の息子には話さない。俺はここから離れるし、お前の母親も嫁にいった。事実上、この土地で○○(苗字)の家を継ぐのはお前になるから話すんだ」って、酒に酔いながら言ってた。

叔父も子供の頃に巫女が客取ってるとこ盗み見た事が有るから、「その頃はまだ、分家した家系に池沼の娘が生まれてたんだろう」との事。

ちなみにその部落の神社は、叔父が中学出る前に火事で無くなって、その家がどうなったかは知らんのだと。
http://kowainazofushigi.ldblog.jp/archives/18830302.html
39:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:53:56

血族結婚部落の優生学的調査概報(第一報) -新潟・長野県境「秋山郷」調査-
http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/16894704.pdf

血族結婚部落の優生学的調査概報(第二報)-千葉県安房郡七浦村、豊房村調査-
http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/DATA/pdf/16894804.pdf

血族結婚部落の優生学的調査 -山梨県南巨摩郡西山村奈良田部落調査-
http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14208903.pdf

血族結婚部落に関する生体人類学的研究(2)
http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14209001.pdf

この写真は人間の奇形児
http://blog-imgs-36.fc2.com/u/r/a/uracigoto/1d82bae043f6d36f495ead612ccb438a-300x237.jpg


親が代々血族結婚をした子供…
http://blog-imgs-36.fc2.com/u/r/a/uracigoto/93f0f764df25b503be229642b2894dc6.png

家柄、血筋を知らないと大変なことになる

子供が生まれると精神異常の子供が生まれるからだ

兄弟、姉妹、親子で子供を作った先祖には奇形が生まれる確立が高い

企業はイメージが損なうと部落出身者は採用しない

採用しない理由は…

社内結婚されると奇形児や精神異常の子が多く出るのを知っているから

差別が本当の理由ではない

家庭に奇形児や精神異常者が出ると仕事に影響する

遺伝子はメンデルにより、その性質が発見され、ワトソン・クリックによって構造と、遺伝子となる物質の存在が明らかとなっている

血統との情報を合わせるのにはこれらの情報で十分なのだが血統を科学的に判断する血統の科学では…

血縁結婚を繰り返すと血が濃くなり(同じ遺伝子が重なる)奇形が発生

同じ遺伝子はその作成過程(遺伝子がコピーされ増殖する過程)で、コピーミスを犯しやすくなるからだ

現在も人間の遺伝子研究は進められているが、性格、知能など様々な遺伝子が発見されている

性格遺伝子で、暴力的、短気、異常興奮などの遺伝子があれば犯罪者の家系が成り立つ

犯罪傾向の遺伝子は存在し、環境や家庭の問題ではない

遺伝により犯罪者の確立は大幅に上がる

そこで問題になるのが…血族結婚が続いた弊害
http://blog-imgs-36.fc2.com/u/r/a/uracigoto/fc2blog_20130301195503061.jpg

部落出身者 在日朝鮮人

近親結婚を追跡調査した報告があり、将来できる子どもの殆どが障害者、知恵遅れ、犯罪者になる確立が高いという結果が出ている

カリカック家の一族という外国にある部落の子孫の犯罪率の高さや頭の悪さを追跡調査した報告があり、将来できる子どもが殆ど知恵遅れや犯罪者、身体及び精神を病んでいる人が多い、と報告されている

部落出身者又は在日朝鮮人に障害者が多いのは、近親結婚が多かったから

優生学研究者は遺伝説を唱えている

ジューク一族の研究論文では、2人の部落民が次々と子どもを作っていき、最後は1000人くらいの子孫になるが、半分以上が、精神障害者で、さらに半分が犯罪者になったという結果も発表されている

部落の人の多くは、遺伝的に粗暴で知恵遅れが多く発生している

別部落出身者や在日は、育つ環境に問題があるのではなく遺伝の問題

遺伝はいつでるか分らず孫の代に出るかも知れない
http://blog-imgs-36.fc2.com/u/r/a/uracigoto/img_1214704_38288977_0.jpg


在日朝鮮人

韓国も階級社会で、日本に来た朝鮮人は韓国では差別にあっていた民族

親や兄弟姉妹間で子供を作ったので奇形が多く、生まれるとすぐに川に流した

今はみやげもの屋に売っているが…

日本でも「こけし」これを漢字にすると「子消し」

生まれるのが殆ど奇形児で川に流し「こけし」として押入れなどに隠していた

「姫だるま」「こけし」も同じ由来がある

貧困農家の口減らしとされているが事実は違う
http://blog-imgs-36.fc2.com/u/r/a/uracigoto/df_20130301202255.png


部落出身者は300万人

在日は韓国で差別されていたのを日本が軍人として日本に連れて来た

彼らも血族結婚で日本の部落民と同じで血筋に弊害がある

韓国人がすべて、というのではなく部落民は親族結婚を繰り返したので精神病、奇形の遺伝子を確実に引き継いでいる

それと知らずに結婚すると精神病の遺伝子が必ず子孫にでる

これを書くと必ず批判が殺到するがこれは事実だ!

オレが言いたいのは「精神病は必ず遺伝する」ということ

競走馬にしろ、牛やブタ、ニワトリもすべて遺伝子操作で作られる

例えば胎児の段階で、脳細胞をがんがん刺激し、細胞をたくさん分裂させたら生まれてから英才児になるかもしれない

将来は、赤ちゃんを産むときに受精卵の遺伝子をコンピュータなどで読んで、

「この人のIQはこのくらいになりそうだ」という話になると思う

IQが140以上になる可能性は0.1%、130以上は5%とか、

今のままでいくとIQ100を越える可能性は0とか、ある一定の確率が出てくる

体外受精で受精卵1個を取りだして検査すると、プリンターから一覧表がでてきて、

IQ130以上なるパーセントは5パーセント、身長何センチになる確率何パーセント

70歳以上生きる確率が70パーセント、80歳以上は3パーセントと計算が出てくる

美人になるかならないか、までも出てくるだろう

受精卵は作るたびごとに遺伝子は違うので病気の一覧表を両親に渡して、こんな値であれば、この受精卵を使うのはやめて別の受精卵にしょうということもあり得るだろう

人間の肉体と精神の特徴、あらゆるもの計算される時代になるかも…

クローン人間ではなく改造人間の時代になる

そうなれば部落民のDNAでも在日のDNAでも関係なくなるが、それまでは…

だから部落民や在日のDNAを引き継ぐと大変なことになる
http://blog-imgs-36.fc2.com/u/r/a/uracigoto/df.png
http://blog-imgs-36.fc2.com/u/r/a/uracigoto/vb.png


http://uracigoto.blog.fc2.com/blog-entry-246.html
40:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:54:40

朝鮮部落の朝は、酒の臭い。2011-01-03 | 日記

私は、この朝鮮部落に住んでもう8年ぐらいたちます。

あさは、ひとのさぐりあい、ひとのけなしあい、おまけに悪口大会、
そうして、つながりといえば、兄弟姉妹のセックス関係だけです。

あんまり近親相姦がおおいので、ちんば、いざりがたくさんいます。
それに、通名も当たり前で、年賀状も通名らしいです。

この朝鮮部落の臭いは、時にねこのしょんべんのにおい。
ときに、酒の発酵した、いやなにおい、または、たまに洗濯のいいかおり、

朝鮮人が昨年しんでいきましたが、内密に葬式をしたらしく、釣り目のあつまりはみれなかったです。

そのひとは、すこしおかしなひとでした。

いつも、のぞいてました、大家にうその通報はするは、本当にいやなひとでした。
「うえから、みえるんだろう」とか
「おいだしてやる」とか

困っていたら、しんでゆきました。北朝鮮のほうへたぶん灰はとんでいったのでしょうね。

朝鮮部落の若者は、結婚しませんというよりも、できません。
または、朝鮮部落同士まぐわります。

それで、ちかくにある産婦人科でおろします。
生めない子つまり、近親相姦のこどもだからです。

性の関係は、普通の人よりも、はるかにはげしいです。
結婚できないためなのか?

ストレスの多い環境のためなのか?
すごい、年齢まで、近親相姦または、デリヘルなどでやりまくりますね。

この町のいいところは、ひとのさぐりあいですので、
孤独死はありません。たぶん大家が勝手にさぐりますからね。

朝鮮人同士の仲のよさ、それはすごいです。
ほかのものをよせつけないし、臭い部屋でも平気ですね。

孫も、ちょうせんじんなら、かわいそうとしかいいようがないです。
人間のうじですね。

私の住む町は、●●朝鮮部落です。
しかし、みんなは、ひみつにしております。
http://blog.goo.ne.jp/ootomo0320/e/fc08fc45f24c9891f107bc50f2a03dd7
41:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:55:14

裏には裏の道があり  2011/2/25(金)
たまたま1月に新年のご挨拶ということで、工藤会系の事務所へ足を運んだ時、いろんな人と出会って話をさせてもらいました。その中にA氏はいました。


A氏は田川市の出身。部落差別の中で気が付いたら893のご職業をされているということだった。

残念ながら筑豊地方や北九州市内というのは無数の部落が存在している。15歳になって中学を卒業すると当たり前のように働きに出るのだが、もちろん仕事が無い。
部落出身ということを隠してうまく就職できても結局、後からバレてクビになる。

男性の場合はかなり働き口が狭いので、多くの人間が余ってしまう。それでしょうがないから裏社会へと入ることになる。

そちらのことはまた追々。今回は女の子の方の話。


とりあえず15歳になって中学を卒業したらお水商売の世界へ入るのが半ば、常識のようになってしまっている。在日の経営するパチンコ店などに働きに出るのもいいが、正直、稼ぎが段違いなのですぐに辞めてしまうという。


そのA氏は斡旋をする仕事をしてる。

中洲がもちろんメインではあるが、大阪の飛田新地、名古屋、札幌、東京などにも顔が広く通じていて、15歳になった女の子を広く斡旋しているということを話してくれた。


部落の地域だと常識なんて無い。 我々の考える常識とはかけ離れた世界がそこには存在している。暗く・・・絶望と悲観と・・・ 


A氏が、15歳になった少女と出会い、話を聞いてみると、

初体験は小学生の時で、部落の中でも何度も何度もレイプされたり、

時には父親にレイプされたり、祖父にレイプ、義父にレイプされたり、

さらにその全員に順番にレイプされたりして育つ。

ちょっとキレイめで可愛らしい子になると、15歳の時にすでに男性経験は500人というとんでもないのもいるのだそうな。

だから、中学を卒業したばかりの女の子に声をかけると、喜んでお水で働きたいと言うらしい。今までは襲われてもただ快楽を得るだけで、お金にはならなかったが、これからはセックスが金になると知って喜ぶのだそうだ。 私にはまったく信じられないが、それが部落の世界なのだそうだ。

15歳でいきなりソープデビュー。15歳という若さで本番ありということだから、料金は8万でも10万円にも設定しても客は殺到するという。ほとんど中学生のような少女と金を払えば合法的(?)にセックス出来ると聞いて金の使い道に困っている男達は群がる。1回10万円でも1週間に30回の予約を入れた強者もいたらしい。凄過ぎる。


本人の取り分は半額。それでも、中学を卒業したばかりの少女が1年でもの凄い金額を稼ぎ出す。


さすがにまだ本番までは抵抗があるという少女の場合はお触りだけのピンサロやキャバクラで働く。ソープにはかなわないが、やはり中学卒業したばかりの女の子がってことで固定客はいっぱい付くからなかなかの収入になるという。

入った金で整形をして綺麗にして、うまくいけばAVにでも出てまたそれなりのお金を稼いで部落出身の男と結婚してはすぐ離婚、また結婚してはすぐ離婚を繰り返す人生を送る。


娘が生まれると金になるってことで、金が欲しい父親は娘をレイプして子どもを産ませたりする。男の子だとガッカリし、女の子だと大喜びする。

私が出会ったことがある女性は、祖父との子どもを産み、義父との子どもを産んだことがあるって平気な顔で話してくれたから、驚いたことがありました。


精神病を患っている人も部落にはたくさんいて、産まれてくる子どももまた精神病に。


A氏が話してくれた悲惨な女の子の話。

産まれてすぐに精神病と分かり、父親が育児放棄。母親は自殺。

その後、祖父母が育てたが、小学校に行く頃からさらにおかしくなり、いつも下着姿でその辺を徘徊したりしてどうしようもなかったという。

で、部落の大人の男性たちが毎日レイプ。
集団で次から次へとレイプ。

中学生ぐらいの年齢の頃には2人の子どもがいたという。

そんな年齢でも服を着ないでその辺を徘徊しているものだから、男性が寄ってきては普通に道端でレイプされているとのこと。誰も止めないし、いつもの光景といった感じ。それで次から次へと精神病を患った子どもが出来たという話を聴いた。


A氏が言うには、その少女は部落の人間に毎日レイプされるためだけに生きている、とのこと。


なんだろうね・・・・悲惨を通り越して、言葉が出なかった。

A氏が言うには、そんな精神病患者でも植物を言われた通りに育てることぐらいは出来るのだそうだ。だから、大麻を育てさせては、少ない生活費を渡すということが行われているのも普通のことなんだそうな。たぶん、それが大麻だと知らずに育てるんだろう。育てるとお金がもらえるから一生懸命育てる。普通だったらおかしいと思うが、残念ながらそう思う回路を持っていない。


そんなことを繰り返しては、A氏は少女と大麻で組の中でものし上がっていったそうな。

やはり経済力を持った893は上からも当然重宝されるし、金を山ほど持ってる構成員は出世も早い。

「にいちゃん、金に困った時はいつでも電話ちょうだいな。金ならいくらでもあるからいつでも助けてやるわ」

って、にやっとしながら話してくれた。

「大丈夫、金には困ってないから」

そう伝えると、またにやっと笑いながら奥の部屋へ入っていった。
http://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/13f7cdcd736285b2acfdb818a1be2ff2
42:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:55:49

部落民って長野県に多い高橋とかいう名字の奴らが有名だよな
なんか目がすんげ~小さいの
それで近親相姦繰り返して近所全部同じ高橋とかいう苗字のガチブラww
なんか名古屋とかにも蒲郡とか被差別部落村とかあるけど
あっこはチンピラの部落民がさらった人間をリンチしたり身ぐるみ剥いだり
している日本のヨハネスブルグww
だって愛知県警自体が部落民が巡査とかやってるもん
Fラン大とかゴミ専門学校、実業高校など諸々のド底辺とかが
弘道会とかいうヨツとかエタの元締めみたいなのとつるんでるしな
ネットの時代愛知県警のあまりの部落民巡査の犯罪ぶりに業を煮やした
県民がネットで警察庁とかに垂れ込んで最近は河村市長がそいつらを
取り締まりにかかったんで大人しくなっているけど依然として個人商店とか
に存在してるしな あと河合塾でBFとか35とかアビバみたいな専門卒となんて
ほとんど被差別部落ばっかよww 部落民は近親婚のせいで頭がどんどん悪く
なっているから荷物片付けとかエクセルのしるし付けみたいな簡単なこと
ぐらいしかできない。そしてそういう簡単な仕事?みたいなので利権というか
部落作ったりする。思えば肉関係のエッタに高橋とかいう苗字が多いのって
こういうところからきてるかもしんねーなww
ま、部落民は近親婚のおかげで身体機能も劣弱な個体が多いからちょっと
どつくかなんかするだけでびびるような奴らだから狂犬には脅すってのが
一番いうこと聞かすのに手っ取り早いと思うよ
ナチスドイツだったら被差別として絶滅収容所直行ってところだろうけど
43:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:56:56

2010年08月25日
出生異常・学習障害・視力障害などの原因に、法律で禁止されないのが不思議なイトコ婚の実態
https://gigazine.net/news/20100825_cousin_marriages/
いとこ同士の結婚、いわゆる「イトコ婚」というと、昔の王侯貴族に限った話だと思う人もいるかもしれませんが、イトコ婚が法律により禁止されていない日本では、比較的最近の著名人でも作家の故色川武大(阿佐田哲也)氏と孝子夫人や菅直人首相と伸子夫人など、イトコ婚をしている人は意外とたくさんいるようです。

ほかの国でのイトコ婚の扱いを見てみると、アメリカでは州によりイトコ婚が禁止されている州(25州)とそうでない州がありますが、イギリスでは特に禁止されていないとのこと。しかし西側諸国ではどちらかというとタブーとして見られる傾向があり、逆にイスラム圏など、イトコ婚がむしろ好ましく見られる地域もあるそうです。近年になってパキスタン人などの移民のコミュニティでイトコ婚が増加傾向にあるイギリスでは、年間700人ものイトコ婚による子どもが遺伝子疾患を持って生まれてくるというショッキングな実態が判明しています。

詳細は以下から。700 children born with genetic disabilities due to cousin marriages every year - Telegraph

パキスタン系イギリス人は、半数以上がいとこ同士で結婚し、パキスタン人の子どもが遺伝子疾患を持って生まれてくる確率は一般集団の10倍も高いとのこと。

イトコ婚にまつわるリスクには、生まれてくる子どもの幼児死亡率や、出生異常(先天性欠損症)・学習障害・視覚障害・聴覚障害・代謝異常などの確率が高まることなどが挙げられます。また、イトコ婚で生まれた子どもが大人になると、不妊であったり流産をするリスクが一般に比べ高く、5歳の誕生日までに1/3の子どもが亡くなるそうです。

チャンネル4のドキュメンタリー番組「Dispatches」の調査では、イギリスで行われた70以上の研究でイトコ婚のリスクが証明され、毎年700人ものパキスタン系イギリス人の子どもが遺伝子疾患を持って生まれてくるにもかかわらず、人々がこの危険を無視しているという実態が浮き彫りになりました。

労働党のKeighley地区選出のAnn Cryer元国会議員は、この問題に光を当てようとしたため、さまざまな抵抗を受けたそうです。

「これは公衆衛生上の問題であり、肥満や薬物依存、アルコールといったほかの問題と同様に、国民の関心を高め、議論することによって取り組むべき問題なのです。しかし、なぜか、イトコ婚については『デリケートな問題なので触れるべきでない』と言われてしまいます」とAnn Cryer元国会議員は語ります。「おかしなことです。解決策を見つけるためには、まず話し合うべきなのですから」

調査により、過去30年間にイギリスでのイトコ婚の数は劇的に増えていることが明らかになっています。この増加に貢献しているのは主にパキスタン系イギリス人同士のイトコ婚ですが、人口の1/4近くがいとこ同士で結婚するというバングラデシュ系や、中東や東アフリカ出身者のコミュニティーのいくつかでもイトコ婚が多く見られるそうです。

https://gigazine.net/news/20100825_cousin_marriages/
44:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:57:27

近親相姦 2020年06月24日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1165.html
 韓国では、かつて建前上、同姓同本禁婚法があって、同じ氏姓、同じ本貫のなかでの婚姻が禁止されてきた。しかし、これは1997年廃止された。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E5%A7%93%E4%B8%8D%E5%A9%9A#:~:text=%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%81%A7%E3%81%AF%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1,%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%82

 しかし、現在でも、韓国民法によって八親等以内婚は禁止されている。日本の民放が三親等以内婚を禁止していることを思えば、近親婚に対する極めて強い警戒心があることが分かる。

 https://www.lec-jp.com/h-bunka/item/v226/pdf/200304_38.pdf
 
 なぜ、このような極端な法律が施行されているかという理由は、韓国の社会に、広く近親性交の伝統が存在しているからである。
 現在でも、韓国社会では近親性交に対するハードルが低く、兄弟姉妹、あるいは親子のなかで妊娠出産したという話は珍しくもない。韓国ツイッターでは、「兄に犯された妹」という社会現象が話題になったこともあった。

 https://plus.chunichi.co.jp/blog/pak/article/224/2212/

 これは、1900年以前、李王朝時代に、朝鮮社会に広く「試し腹」という習慣があり、未婚の娘を父親が妊娠させて、「妊娠できる体」であることを証明してから嫁に送り出すという風習が広く行われていた。
 https://www.youtube.com/watch?v=b5oPEuLbu6I

https://0ccult.online/%E6%9D%8E%E6%B0%8F%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%81%A8%E3%81%AF-%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E5%88%B6%E3%81%A8%E8%BF%91/

 これを、奴隷制とともに廃止させたのは、日本の侵攻による1905年の朝鮮総督府令である。
 韓国社会は、世界でもっとも激しい差別制度が長く続き、女性の地位が著しく低かった。「女性は子を産むだめの道具にすぎない」という儒教的思想が広く浸透する徹底した男尊女卑社会だった。

 だから、今でも、統一教会が合同結婚式で、日本の娘たちを韓国の貧農の嫁にばかり送り込む理由も、性的奴隷として日本女性を利用することで、日本への復讐を果たすという文鮮明の指示によるものである。
 送り込まれた信者の日本人女性は、二度と、故郷に連絡を取ることさえ許されない、苦役ロボット、子作りロボットの地位に貶められている。

 だから、北朝鮮で、キムヨジョンが、すでに死亡したと思われる金正恩の代わりになって、国主として指揮権をふるえるかというと、儒教思想にあって、男のための道具にすぎない女性が、国主になれるわけがなく、必ず陳腐な人物であっても、別の男が登場してくることは確実である。

 韓国(朝鮮半島)において、女性蔑視と近親相姦が風習として広く浸透しているがゆえに、政府は、それに対して深刻な危機意識を抱いて、常識では考えられない八親等婚姻さえ禁止しようとするのである。
 なぜ禁止するのか? それは、遺伝上の深刻な弊害が無数に出てくるからだ。

 日本でも、かつて、大正帝が近親婚ゆえに、虚弱体質で、知的に劣った人物だったことが知られている。それゆえ、裕仁天皇は、近親婚の弊害を避けるために、明仁氏の嫁に美智子氏を強く推薦したのである。
 実は、裕仁天皇の父親は、西園寺八郎だったといわれている。大正帝に受精能力がなかったからだ。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-333.html?m2=form

 明治帝は、西郷や大久保がでっちあげた南朝末裔を自称する長州奇兵隊の大室寅之祐だったが、大正帝の父ではなく、天皇家の近親者が父親だったといわれるので、近親婚の解決になっていなかった。
   
 韓国に広く根付いた近親婚の弊害とは?

 韓国人の遺伝子の特徴について
 米人類学者Cavalii-Sforzaの遺伝子勾配データによれば、 朝鮮人は世界でも類を見ないほど均一なDNA塩基配列の持ち主であり、これは過去において大きな Genetic Drift(少数の人間が近親相姦を重ねて今の人口動態を形成)か、あるいは近親相姦を日常的に繰り返す文化の持ち主だった事を表します。
 
(文献:The Great Human Diasporas: The History of Diversity and Evolution.
1995.. Luigi Luca Cavalii-Sforza and Francesco Cavalli-Sforza. Addison Wesley Publ. ISBN 0-201-44231-0)

 韓国では、昔から若くて綺麗な娘達は中国に献上されていたので、女性が足りず近親相姦が繰り返されてきた。
遺伝子レベルで見ても「父と娘」「母と息子」が結ばれないと出来ない遺伝子が大多数見つかっている。

 ◆umiushiakaiドイツで人類のゲノム解析やってる大学教授の話
 朝鮮民族は近親相姦の物と思われるゲノム上の痕跡(修正不能)が多すぎて、他の民族では考えられない異常な近親相姦を、民族として繰り返してたと思われるあまりにショッキングで常軌を逸した内容なので、そのゲノムの発表は出来ない。

 また、朝鮮人男性の40%に発症すると言われる統合失調症も、それが原因である可能性が大きい。異常な民族と言わざるを得ない。

出典 http://matome.naver.jp/odai/2136136228419314801

****************************************************************

 上に指摘されているのは、近親相姦がもたらす遺伝上の弊害として「統合失調症」の多発が挙げられている。
 かつて、大韓航空の経営者一族の娘が、出されたナッツが気にくわないという理由で旅客機を止めてしまい大問題になった。

 https://www.youtube.com/watch?v=uiYPvvOY3jE

 これはナッツ姫副社長だけでなく、母親の「水かけ姫」まで巻き込んで韓国社会を震撼させたが、結局、財閥の問題というより、韓国人社会に広く蔓延した「ぷっつん体質」=統合失調症を反映したものである。

 韓国人には、昔から「火病」と呼ばれる一種のヒステリーが知られていた。
 https://www.youtube.com/watch?v=U4T_Cu7Phlg

 https://www.youtube.com/watch?v=ZU9uBfKBkk8

 この症状は、大韓航空ナッツ姫をそのまま表しているし、韓国人による政治集会を見ると、必ず現れている体質で、興奮したまま焼身自殺したりする人が枚挙にいとまない。
 この原因が、100年前まで文化として存在した「試し腹」や、近親相姦の風習がもたらした悪い結果というわけだ。

 近親婚の習慣は、実は日本にも地域によっては風習として残っている。
 私が、40年ほど前に、揖斐川町の徳山ダム建設予定地に、民俗学の調査として入ったとき、現地で、たくさんの実例を取材したことがある。
 当時、1970年代だが、まだ徳山村予定地には、平安時代から続く古い集落が残っていて、飲食店の経営者などと話し込んで、民俗に関するたくさんの情報を得た。

 このとき得た情報としては、祖父が孫娘を犯して妊娠させてしまうという例が数件確認できた。妊娠した胎児は、堕胎などせずに、産んで親戚が養子として育てることが多かった。娘は、別の男に嫁いでいった。

 徳山村は、西日本の「夜這い文化」が盛んな土地で、当時、まだそれが生きていて、年頃の娘が近所に赤飯を配ることが合図で、娘は家の離れに寝泊まりして、夜這いに備える。若者たちは、真夜中になると、そこに順次押しかけてゆく。
 どこの家にも離れがあり、その出入り口は、茶室の「夜這い戸」という小さな「にじり戸」だった。
 千利休による茶の文化とは、実は、夜這い文化に寄り添ったものだったのだ。

 ちなみに、娘が妊娠すると、娘が夜這い若者のなかから気に入った者を婿に指名できる権利があり、それを断ることはできなかった。赤子の父親は誰でもよかった。
 津山三十人殺し事件も、実は夜這いを断れた若者の怒りから始まった事件なのだ。

 こうした夜這いは、近親婚と直接の関係はないが、そんな自由な性風俗の雰囲気が、近親婚と同じ効果をもたらした現実があったのだ。
 「祖父が孫娘を犯す」という事件も、当時の西日本性文化では、ありふれたものだったということだ。

 それゆえに、近親婚の習慣は、西日本の夜這い文化が最近まで残った地域に多く見られる。私の実姉が兵庫県の寺の大黒なのだが、旦那の住職も、いとこ同士の子供である。
 私の身近に、そのような近親婚者が多数いる。

 彼らを誹謗する意志はまったくないが、おおむね近親婚者の子供たちは、韓国民と同じで、突然怒りっぽくなることがある。
 遺伝的には、聾唖者が多くなったり、非常に珍しい遺伝障害を引き起こして長生きできない者が少なくない。また知恵遅れも起きやすい。

 突然、興奮して我を忘れて怒り狂うような傾向があった場合、驚くよりも、両親の近親度を見るべきだ。
 これは、年齢とともに治ってゆく場合が多いので、それほど気にしても仕方ない。
 それが犯罪や事故に結びつかないように、優しい気持ちで見守る必要があるだろう。

 「韓国人の火病」は、もはや一つの文化として昇華してしまって韓国民のパーソナリティに同化しているので、それを批判されても、何のことか分からないだろう。
 しかし、そうした火病文化が、韓国社会に与えている影響は、決して小さなものではない。
 火病は、外部から、お節介がましい干渉によって治療できるようなものではない。
 我々としては、静かに見守り、自分で気づくのを待つ以外にないと思う。

 この遺伝的異常というのは、実は、日本人全体にも広く存在している。
 私もまた、その一人で、子供の時はADHD児童であった。今でも、ひとつことに集中しすぎて、全体の自分が見えなくなることもある。
 だが60台後半の私は、もう自分の異常さを治療するチャンスがない。

 まあ、長い経験から言わせていただくと、完全無欠に正常で、何もかも完璧な人物は見たことがない。どんな人物でも、必ず欠陥を抱えているもので、アラを探し始めれば山のように見えるのが普通である。

 もし、完全無欠なカルマのない人物がいたなら、この宇宙で2番目に下等といわれる地球に生まれてくる意味が存在しないのである。 

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1165.html
45:777 :

2022/05/24 (Tue) 06:58:09

人類における近親交配で何が起きているか?
2021年07月18日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1559.html
 近親交配とは?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A6%AA%E4%BA%A4%E9%85%8D

 近親婚
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A6%AA%E5%A9%9A

 上のリンクにもあるように、近親婚が起きる最大の理由は、特権階級が自分たちの血筋集団への社会的・歴史的な幻想としての畏怖を守ろうとしたことだ。
 だから王族・皇族の特権社会で、近親婚による遺伝的弊害が多発してきた。

 【ヨーロッパの王族、貴族は同ランクの者との婚姻を繰り返したため、近親婚を避けることは事実上不可能になり、気付かなかったことにしたり教会に特別免除をもらうことによって、有名無実なものとなった。
 事実上容認された近親婚の範囲は地域によって異なるが、スペイン・ポルトガルの王族やドイツ諸侯の間では叔姪婚がしばしば行われた。顕著な例としてスペイン・オーストリアのハプスブルク家が挙げられる】

 【歴史的に近親婚は、地位や財産の一族外への散逸を防ぐため、東洋・西洋とも王族・貴族間では慣例的に広まっていた。有名な例では、スペイン・ハプスブルク朝では、血族同士の結婚を繰り返し、17世紀末には虚弱な人物ばかりが誕生するようになり断絶するに至った。
 その典型例である最後の王カルロス2世は、伯父と姪の婚姻の結果であるとみられている。ベラスケスの肖像画で知られる同母姉マルガリータ王女は、父方の従兄・母方の叔父にあたるレオポルト1世と結婚し、夫妻の間に生まれた4人中3人の子が1歳未満で夭折(死去)した。

 日本でも近親婚の風習は戦前までよく見られた。戦後に制定された民法により、三親等内の婚姻は禁止されている(民法734条)が、近親婚の風習が残る地域もある。
 世界的にみて、いとこ婚のような比較的血縁の近い者どうしの婚姻の頻度が高い地域特に中近東、ロシア系ユダヤ教徒内にあるが、遺伝的背景による精神的または体格的障害児が頻繁に生まれやすくなることが報告されている。現在のロシア、ユダヤ教ではこの風習を完全に控える事が一般的である】

 ネット上からは、ほとんど削除されているが、生物学者でもある昭和天皇、裕仁氏が皇族内の近親婚習慣による遺伝的劣化、人間力劣化を怖れて、長男、明仁氏の配偶者について、反対を押し切って皇族外から美智子氏が選ばれたのは有名である。
 なぜ裕仁氏が皇族内の濃密な血縁での婚姻を嫌ったかという理由は、父? である大正天皇(嘉仁)の、近親婚による遺伝的劣化がもたらした異常行動を見ていたからだ。

 大正帝を知る者は、「暗愚」とか甚だしきは「白痴」という見下し表現を使っている。
 大正天皇が、どんな人物だったかを克明に記録した天皇付女官、久世(山川)三千子(1892~1965)による手記がある。
  
 知られざる天皇家の「闇」をあぶり出した、ある女官の手記 明治大正期の貴重な証言
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49332?imp=0

 【臣下の言上が長くなると、退屈のあまり椅子から立ち上がってしまうこと(188頁)輿のなかでも落ち着きがなく、ひょこひょこ動くこと(194頁)女性の写真を集める性癖があったこと(313~314頁)
 本書に描かれた大正天皇像は、明らかに三千子に好意をもち、天皇としての節度を越える振る舞いに及ぶことも一度や二度ではなかった】

 と生々しく描かれているが、ずいぶん手心が加えられた表現であるのは当然で、おそらく大正帝嘉仁は三千子に対して性的DVを加え続けていたのだろう。でなければ、本文にあるような極端な拒絶が起きるはずがない。
 大正帝に受精能力がなかったとの報告もある。

 大正帝の実父は明治帝ということになっているが、真実は違う。明治帝の正妻は美子のはずだが、史書には、ほとんど出てこない。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%A4%A9%E7%9A%87

 美子には子が産まれず、女官の柳原愛子から大正帝が生まれたことになっている。
 実は、明治帝睦仁は、歴史的事実からニセモノであることが明らかになっている。彼の本名は、大室寅之佑、長州藩奇兵隊力士隊の兵士だった。維新前に、井上馨と伊藤博文が孝明天皇を厠で暗殺したとき、ホンモノの睦仁も殺されたといわれている。

 ホンモノ睦仁は5尺あまりしかないが、敏捷で蹴鞠の達人だったと実母慶子の父、中山忠能の日記が残っている。だが明治天皇は身長6尺筋骨隆々の立派な体躯、山岡鉄舟と年中、相撲をとっていた。
 明治帝就任後、事情を知る中山家は、永久に遠ざけられた。
 寅之佑は、橋本龍太郎の4代前の宗家、大室家が南朝天皇の正統末裔だったとの触れ込みで、西郷隆盛によって睦仁にすり替えられたのだ。

 だが、維新政府がその後調べて、南朝天皇血統という事実がはっきりせず、天皇になってはみたものの、自分の子種を残すことを許されなかった。
 女官、柳原愛子との間に生まれた大正帝の実父も、おそらく孝明天皇に近い皇族の誰かだったと噂されている。
 だから皇族間近親交配による遺伝的劣化が起きていたのだ。

 大正帝の実子であるはずの昭和帝裕仁は、いったい誰の子供なのか?
 これについては鬼塚英昭氏が「西園寺八郎」と名指ししている。つまりその子の西園寺公望は裕仁の実の兄弟であり、確かに二人は似ていて、公望は最期まで裕仁を守り抜こうとしていた。
 母親が貞明皇后=九条節子であるかについては、はっきりしない。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/?m2=form&no=333

 そんなわけで、昭和帝裕仁は、生物学者としての知識からも血族の親密度に危機意識を抱いていただろう。だから、血族外の優れた未婚女性を探して、数百万人に一人しかいないほど傑出した女性である美智子を発見したのだ。
 話は何もかもトントン拍子にうまくゆき、名皇后が誕生し、現在は息子、浩宮が天皇に就任している。

 さて、日本の皇族血統は、美智子氏の登場によって、大きな希望の光を得たともいえるが、民衆レベルでは、まだまだ血族結婚の弊害が消えていない。
 豪農の出身であった渋沢栄一は、自身の最初の妻と妹の夫がいずれもいとこ婚、庶出の娘のうち2人がまたいとこ婚、前述の妻との長女の娘が妹の息子と結婚(いとこ違い婚)している。また、磯田道史の著書『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』で分析対象とされている加賀藩士の猪山家では、2代続けていとこ婚が行われている。

 1983年の報告で福江市(五島)では全体の7.9%と近親婚の比率が高く、旭川市では0.78%と低かった。離島での近親婚は、宿命的な地域特性であり、全国で同じ問題が起きている。
 https://matomake.com/I0003365

 https://note.com/makito1renai/n/nc6ec939aa631

 しかし、「いとこ婚」による遺伝的障害の出現率は、一般婚の13倍に達する。
 私の姉の夫の親がいとこ婚だが、他の兄弟姉妹が全員聾唖者になっている。また、私の知るいとこ婚子弟は、総じて切れやすい傾向がある。

 日本国憲法第24条では『婚姻は、両性の合意のみに基いて成立』とあり、近親者間の性交自体を法律上禁止しておらず、また近親者間の事実婚認定も阻害されない。
 しかし、日本国憲法第24条に基づき制定される民法により、近親者間の結婚に係る婚姻届は受理されず、誤って受理されても後に取り消しされる。

法的束縛により婚姻届が受理されない近親婚は、以下の通り。
 直系血族 三親等内の傍系血族(兄と妹、姉と弟、おじと姪、おばと甥)(養子と養方の傍系血族を除く)
 直系姻族(婚姻関係終了後も継続)
 養親とその直系尊属及び養子とその直系卑属(離縁後も適用)
 この他にも、特別養子と実方との親族関係が終了した場合にも、婚姻における近親婚制限が適用される。

 近親者である事実を知らず婚姻関係が成立し、その後で認知等で近親者である事実が判明した場合、婚姻の取消し原因となる。取消し請求をすることができる者は、各当事者・その親族・検察官である。
******************************************************************

 近親婚の多い民族と言えば、アシュケナージユダヤ人以外に、朝鮮・韓国人が知られている。
 【米人類学者Cavalii-Sforzaの遺伝子勾配データによれば、朝鮮人は世界でも類を見ないほど均一なDNA塩基配列の持ち主であり、これは過去において大きなGenetic Drift(少数の人間が近親相姦を重ねて今の人口動態を形成)か、あるいは近親相姦を日常的に繰り返す文化の持ち主だった事を表します。】

 という言説が出回っているが、これをデマとして否定することに躍起になっている人がいるようだ。しかし、朝鮮民族の一つの特徴として、「火病」と名付けられたヒステリーが存在することは世界的に知られている。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E7%97%85#:~:text=%E7%81%AB%E7%97%85%EF%BC%88%E3%81%B2%E3%81%B3%E3%82%87%E3%81%86%E3%80%81%E3%81%8B,%E8%A8%BA%E6%96%AD%E5%90%8D%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%80%82

 私も、過去半世紀以上にわたる韓国人の性格に関する情報を総合して、恐ろしく切れやすい「火病」が存在することは事実だと思うし、私自身もツイッターやタクシー乗務で何回か被害に遭った。何せ、日本の武闘派暴力団の9割が在日朝鮮・韓国人だといわれている。タクシー運転手を困らせる連中の大半が、その筋なのだ。
 「火病」患者は、暴力団にとって有能な人材である。

 「切れやすい」性格は、「思い込みの激しい」性格でもある。客観的科学的分析と判断を待たずに、たちまち暴走するタイプであることを意味する。
 日本を批判する韓国人の多くが、論理的根拠とは縁の遠い安易な決めつけによって先走る傾向があるが、これは、おそらく近親婚による遺伝的問題と無関係ではない。

 具体的なイメージとしては、有名な「ナッツ姫」や、その母親などの報道を見れば一目で理解できる。

 http://omura-highschool.net/2017/06/24/32029/

 https://ameblo.jp/great-purple-emperor/entry-12447457722.html

 朝鮮人は、有史以来、近親婚を繰り返してきた歴史的事実があり、さらに「試し腹」という習慣があった。これもデマと否定されているが、事実として存在していた。
 http://omura-highschool.net/2019/03/28/45383/

 そもそも、日本による植民地統治までは、朝鮮には奴隷制度があり、激しい差別体制があった。女性は、男性にとって「子を産む道具」でしかなかった。
 朝鮮半島では、ホンネや真実を話せない。すべてが儒教の長幼序列価値観の下で抑圧されるから、忍耐を重ねても、ときどき火病を演じて爆発させ、ストレスを発散するしかなかった。

 韓国から長幼序列制度・儒教の影響が消える日まで、火病が消える日も来ないだろう。
 だが、朝鮮と同じように、頑強な差別体制が続いたイギリスでも、近親相姦が存在していることは重要だ。

 タブーを超えて調査......英国での「極端な近親交配」の実態が明らかに 2019年9月10日
 https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/09/post-12962.php

 <豪クイーンズランド大学の研究チームは、英国人およそ50万人の遺伝子情報のデータベースを用い、「極端な近親交配」について分析した......>

 近親交配は、両親の血縁が近いため、両者が有する共通の劣性遺伝子が子に伝わって発現する可能性が高く、先天性疾患などが起きやすくなると考えられてきた。しかし、長年の文化的なタブーであり、違法と定める国もあることなどから、その調査は難しく、近親交配の実態や健康に及ぼす影響について、まだ十分に明らかにされていない面がある。

 約0.03%(3652人あたり1人)が「極端な近親交配」によって生まれた
 豪クイーンズランド大学の研究チームは、英国人およそ50万人の遺伝子情報が登録されている「バイオバンク(UKB)」のデータベースを用い、1938年から1967年に生まれたヨーロッパ系の45万6426人を対象に、第一度近親者(親子、きょうだい)間もしくは第二度近親者(祖父母、孫、おじ、おば、おい、めい)間の「極端な近親交配(EI)」について分析した。

 2019年9月3日にオープンアクセス誌「ネイチャーコミュニケーションズ」で発表した研究論文によると、対象者のうち、男性65名、女性60名の合わせて125名が、第一度近親者もしくは第二度近親者の間に生まれた子であることを示す遺伝子情報を有していた。

 この分析結果をふまえ、研究チームは、「1938年から1967年に英国で生まれたヨーロッパ系のうち、約0.03%(3652人あたり1人)が『極端な近親交配』によって生まれた子であると推定される」と述べている。

 健康に与える影響は......
 研究チームでは、「極端な近親交配」が健康に与える影響についても分析した。その結果、「極端な近親交配」と肺機能、視力、認知機能などの低下との間に関連が認められた。また、「極端な近親交配」によって生まれた子は、あらゆる種類の疾病にかかるリスクが高まることもわかった。

 「バイオバンク(UKB)」に登録されている人は、概ね、他の英国人に比べて健康で、教育水準の高い人であることから、研究チームは、この研究で示した推定値について「実際よりも低く偏っている可能性がある」との見方を示し、「『極端な近親交配』をより正確に定量化するためには、大規模な研究が必要だ」と指摘している。
****************************************************************

 これらの記事に関して、私の印象を直截にいえば、差別体制が頑強で、社会の風通しの悪い閉塞的な土地(朝鮮・韓国・英国・ユダヤ人社会)では、開かれた自由な人間関係よりも、人の拘束を前提とした荒んだ異常な関係が多くなるのではないかということだ。

 もしも、人間関係がオープンで、たくさんの人と自由に交際できる環境があるなら、閉塞のなかにある近親相姦など起きる理由がない。
 だから、日本にあっても、近親婚の弊害が出ているのは、離島や未解放部落などの差別地域なのだ。

 天皇家など皇族に近親婚の弊害が出たのも、それが閉鎖社会だからである。解放された社会では、近親婚など何の必然性もない。我々と、子供たちの未来にとって必要な社会は、閉ざされた人間関係ではなく、オープンで自由闊達、毎日が楽しい社会である。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1559.html

  • 名前: E-mail(省略可):

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.