777投稿集 2592793


奈良時代の美術 _ 仏像

1:777 :

2024/01/08 (Mon) 20:48:14

日本の名画・彫刻
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832407

奈良時代の美術 _ 寺院・神社
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16834465

奈良時代の美術 _ 仏像
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16834286


▲△▽▼


天平仏 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%A4%A9%E5%B9%B3%E4%BB%8F

天平仏
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/369.html

天平文化 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%B9%B3%E6%96%87%E5%8C%96


▲△▽▼


奈良時代の美術
https://irohani.art/study/12452/

前回の第3回では飛鳥・奈良時代の美術について紹介しました。

仏教が中国・朝鮮から渡来し、しかもその背景にはインドの影響もあった……みたいな超グローバルな時代。仏像をはじめとする日本文化がどう醸成されたかがよく分かったのではないでしょうか。

前回「日本は唐の影響を受けながら美術作品を作っていったんやで」と紹介しましたが、その結果、具体的にどんな仏像ができたのか。今回は唐の影響を受けまくった奈良時代の仏像を紹介していきましょう。


奈良時代の仏像のキーワードは「写実主義」

まずは簡単におさらいをしておくと、飛鳥時代には渡来系の仏師・鞍作止利(くらつくりのとり)さんが仏像を作り始めました。法隆寺金堂の「釈迦三尊像」が代表作です。


Tori Busshi


止利様式の特徴は前回紹介しましたが、上下のまぶたが同じ形、やせ型で面長、ちょい微笑んでいる(アルカイック・スマイル)みたいな感じ。服のしわもカッチカチです。ぱっと見、すごく端正なお釈迦さんなんですけど、かっちりし過ぎてて、ちょっと人間らしくないよね~、というのが持ち味でした。

それが奈良時代は唐の影響を受けて、写実的になっていきます。つまり「すんごく人間ぽい」という感じになるんです。例えば腰巻や上衣といった衣類のひだがよりリアルになりますし、体系はふくよかになる。不自然に微笑むこともなくなりました。

この写実的な表現は作り方を工夫することで可能になりました。飛鳥時代って一本の木を彫りまくる「一木造」や、複数の木のパーツを組み合わせる「寄木造」が主流だったんです。つまり基本は「木を直で彫る」っていう。これじゃ、なかなか繊細な表現は難しい……。

そんななかで奈良時代に入ると「塑像」「金銅像」「脱活乾漆像」などの作り方が出てきます。

● 塑像:骨組みに粘土をつけて彫る
● 金銅像:内側から粘土→蝋(ろう)→粘土の順番で型取りして焼き、蝋が溶けた部分に青銅を流し込んで成形する
● 脱活乾漆像:骨組みに粘土を貼り付けて成形したあと漆に浸した布を貼って成形する。

ただ木を彫るだけでなく、粘土や青銅、布などを駆使することで繊細な表現を可能にしたんですよね。いや、すごい。


初唐~盛唐へ。奈良時代の仏像の世界

奈良時代は平城京遷都の710年~平安京遷都の794年までを指しますが、この時代にはさっき紹介した技法で、いろんな仏像が作られます。ここからは重要作品をみていきましょう。


興福寺西金堂 乾漆十大弟子立像
仏陀は生涯に1250人の弟子がいたといわれますが、そのなかでも特に優秀な10人を「十大弟子」と呼びます。乾漆十大弟子立像(じゅうだいでしりゅうぞう)は、その弟子を彫った乾漆像です。今は6躯が現存しています。

・乾漆十大弟子立像(法相宗大本山 興福寺)
https://www.kohfukuji.com/property/b-0017/


いやまぁインド人なんですけどね。日本に合わせて、顔は日本人になっています。まず表情が豊かですよね。そのうえで衣類のひだがかなりリアルになっています。まさに写実主義。

東大寺法華堂 不空羂索観音像

Ismoon (talk) 15:49, 10 February 2019 (UTC)


奈良時代の仏像!といえば王様・東大寺ですよ。そのなかでも中心に据えられたのが「不空羂索観音像(ふくうけんさくかんのんぞう)」です。脱活乾漆像の表面に金箔を張っています。高さは362cm、目が3つと腕が8本の「三目八臂(さんもくはっぴ)」モチーフの巨大な立像です。

モチーフはもちろん「光」。まず後光(後背)がエグい。そのうえ宝冠や、合掌の手の間にはさまった宝玉など、全体的にきらびやかです。こんなん対面した瞬間に「ははーっ」ですよ。ひれ伏さざるを得ない。

そのうえ身体がガッシリしているのに注目です。ボディビルの掛け声でいうと「キレてる!」でなく「デカい!」みたいな身体になっています。これは唐の開元年間の特徴と通じており、当時日本は唐から影響を受け続けていたことが分かっています。ちなみに日本ではここから平安初期まで、こうしたがっしりした仏像が増えていきます。

この像は、この後の鎌倉の彫像にも影響を与えており、よく「日本の仏像の古典(クラシック)」ともいわれます。

東大寺盧舎那仏像
Mass Ave 975


いわゆる「奈良の大仏」さんですね。752年に完成しました。とはいえ、当時つくったものが今でも現存しているわけではなく、その後の戦国時代で何度か焼損したので、ほとんどは再建されたものです。

なので今の大仏さんをみて「材質」や「表現」をみることで奈良時代の仏像の時代背景がわかる、というわけではないのが前提ですね。

それよりも重要なのは「当時なんでこんな超巨大な仏像をつくったのか」という部分ですね。いまでいうと約4,657億円もかけて260万人雇って、7年かけて仏像を作ったんですよ。令和の今はありえない。こんなことすると、SNSで「#スピリチュアル岸田」みたいなハッシュタグが流行っちゃいます。

当時、盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう)を作ったのは聖武天皇ですが、当時の日本はかなり悪い状況でした。まず疫病が流行して政治の中心人物が次々に亡くなった。また飢饉やら地震があり、乱も起きたんですね。そのなかで社会不安が巻き起こっていた最中でした。

今でいうとコロナとオイルショックと東日本大震災が同時期に起きて、九州の知事が「国は何してんだー!」つって東京に攻め込んでくる、みたいな。もう未曽有&阿鼻叫喚みたいな状態です。

そのなかで聖武天皇は「仏やな」と。「仏の力で国を安定させたい」と思ったんですね。それで奈良の大仏さんをつくったり、全国に国分寺と国分尼寺というお寺を作らせたりしたわけです。つまり、奈良時代はそれくらい国は仏教の力を信じていた、ということになります。

大仏開眼会での美術作品
それで752年に盧舎那仏像が完成するわけですが、完成した際に大仏開眼会が開かれました。そのなかで「伎楽(ぎがく)」というパントマイム演劇のような伝統芸能が開催されました。伎楽は飛鳥時代に中国から伝わったものです。


東大寺所蔵の伎楽面30面のうち酔胡従(重要文化財)/
今泉篤男 et al.


これによって中国で作られたお面がいくつか伝わってきたのも注目ポイントです。

なかでも「崑崙(こんろん)」というお面は伎楽内ではかなりゲスな役回りです。モデルは中国の周辺民族になっています。今見ても「こいつは100%悪人やろ」という顔だちでしょうが、このイメージが当時から確立されていたのはおもしろいポイントですよね。

・伎楽面 崑崙(e国宝)
https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=100769&content_part_id=007&langId=ja&webView=null


唐招提寺 鑑真和上像

Tōshōdai-ji, Nara


最後にご存じ鑑真さんの坐像です。鑑真は「唐の文化を日本に伝えたいのです」という一心で、5回の渡航に失敗してもめげずに6回目の渡航で日本に到着して唐の文化を広めました。

この時の渡航には絵画、彫り物、刺繍などの技術者も含まれていたといわれてるのがポイントです。ちなみに、2回目の渡航のときには85人も乗っていたのだといいます。

つまり鑑真によって、唐の後期文化が日本に持ち込まれることで、奈良時代の仏像はまた新しい一面を見せるわけですね。

例えば、飛鳥時代に最盛期を迎え、奈良時代ではあまり用いられなかった「一木造」。鑑真一行はそれまでの木材とは別の「榧(かや)」に直接ノミを入れて彫っていたんですね。この榧材の一木造の仏像は、東大寺を建築していた工人に受け継がれ、平安時代前期に盛り上がることになります。
中国の影響で育った日本文化の源流
さて、こんな感じで奈良時代の美術作品の王道はもう何と言っても仏像です。つくることで救われる。という時代だったからこそ、奥深い作品ができました。

「日本文化」という意味でも、ターニングポイントとなりますね。ここまで唐の影響を受けたカルチャーが日本に浸透していくと、日本文化の源流の一部は中国にあることにあらためて気付きます。個人的には「伎楽」のお面はむっちゃ好きです。この時代から今に至るまで「悪人ぽさ」や「善人ぽさ」という感覚的なデザインは変わっていない。

いやむしろこの当時に生まれた「○○ぽさ」が今の私たちに影響を与えているのでしょう。まさに歴史を知って、今を理解するというおもしろさがありますよね。

さて、そんな徐々に形成されていく日本文化が花開くのが、みんな大好き平安時代。次回は平安時代の美術作品について紹介していきたいと思います。
https://irohani.art/study/12452/


▲△▽▼


天平時代の美術:作品の鑑賞と解説
https://j-art.hix05.com/04tenpyo/tenpyo.index.html

710(和同三)年の平城遷都から784(延暦三)年の長岡京への遷都を経て794(延暦十三)年の平安遷都に至るまでの80数年間を、美術史上では天平時代と呼ぶ。聖武天皇治世下の天平時代(729-749)に花開いた華麗な仏教美術を以てこの時代を代表させた形である。

天平時代の仏教美術の最大の特徴は唐の影響が大きいということである。度々派遣された遣唐使(奈良時代に入唐に成功した遣唐使は六次)が大量の情報や美術品をもたらし、それらが日本の仏教美術に直接影響を与えた。唐の仏教美術の特徴は現世的・人間的であることで、深い精神性を特徴とする北魏の仏教美術とは著しい対照をなしているが、日本人にとっては、こちらの方がなじみやすかったようである。

唐の仏教美術はまた、国際性が豊かだったという特徴がある。世界国家となった唐はシルクロードを通じて西域と結びつき、インドとの交流も盛んであった。したがって唐時代の彫刻などには、西域やインドの影響も伺われる。そうした国際色豊かな文化が、遣唐使を通じて天平時代の日本にも伝わってきたわけである。

平城京では、遷都直後から、飛鳥地方の大寺(薬師寺や大安寺など)の移転や藤原氏による興福寺の造営が行なわれたが、天平時代に入ると諸国に国分寺の制度が定められたほか、平城京に国分総寺及び総尼寺として、東大寺と法華寺が造営され、それらに収めるための仏像や美術品が大量に作られた。この時代は国家が中心になって仏教美術の振興にあたっていたわけである。

天平仏は唐の様式に従うということのほかに、木造や銅像に加え、乾漆や塑像の技法を駆使する点でも前の時代と違う。乾漆や塑像は白鳳時代の末期になって現れたのであるが、天平時代に入ると全面的に開花し、平安時代には消滅する。したがって天平時代に特徴的な様式といってもよい。

天平時代における仏教美術の制作の担い手は、大規模な官営工房であった。建築、彫刻、絵画、写経、工芸品などの分野ごとに造営のための組織が整備され、大量の技術者が製作に従事した。奈良時代の前期には、光明皇后直属の皇后宮職として整備され、金光明寺造仏所を経て天平時代盛期には造東大寺司となり、東大寺大仏の制作には述べ50万人が動員されたという。

制作に従事した技術者たちは、唐からもたらされる仏教美術をいち早く吸収し、高水準の技術を駆使して製作にあたった。しかし、これらの官営工房は、長岡遷都以降は活躍の場がなくなり、やがて(789年)廃止の憂き目にあった。

ここではそんな天平時代を代表する美術作品について、画像を鑑賞しながら適宜解説を加えたいと思う。
https://j-art.hix05.com/04tenpyo/tenpyo.index.html


▲△▽▼
▲△▽▼


奈良時代の画家・彫刻家

国中 公麻呂 くになか の きみまろ(奈良県 生年不明 - 774年11月11日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16834873

将軍万福 しょうぐん まんぷく(奈良県 生没年不明、奈良時代)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16834876
19:777 :

2024/01/12 (Fri) 17:04:45

天平のミケランジェロ 国中連公麻呂

国中 公麻呂 くになか の きみまろ(奈良県 生年不明 - 774年11月11日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16834873



田中英道◉日本から見たサピエンス全史#26◉奈良天平時代の天才作家・国中連公麻呂!天平のミケランジェロをご存知か!
2020/07/06
https://www.youtube.com/watch?v=Yg35YD67erM

世界がミケラジェロを絶賛するように、国中連公麻呂はもっと注目され大絶賛されるべき日本を代表する天才であると、田中英道先生は論じます。

◾️国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ / 生年不明〜774年)
天平の大彫刻家(仏師)。その作品には、東大寺大仏・大仏殿。東大寺法華堂の不空羂索観音・日光菩薩・月光菩薩、東大寺戒壇院の四天王像、新薬師寺の十二神将像、唐招提寺の鑑真和上坐像、法隆寺の行信僧都坐像。ほかが挙げられる。


田中英道◉日本から見たサピエンス全史#25◉奈良文化を再発見せよ!〜アテネ・奈良・フィレンチェは世界三大文化都市
2020/03/30
https://www.youtube.com/watch?v=SPZJB4tzKsY&t=0s

世界三大文明はこれまでお伝えしてきた通り、

1.ギリシャ・ローマのヨーロッパ
2.ユダヤ・キリスト・イスラムの中東
3.日本を中心としたアジア

でしたが、都市で言えば

1.アテネ
2. 奈良
3.フィレンチェ

であると田中先生は述べます。

これより先は、飛鳥・奈良時代から始まる日本文明の歴史を、紐解いて参りたいと思います!



田中英道『天平のミケランジェロ 公麻呂と芸術都市・奈良』弓立社、1995年9月
https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E5%B9%B3%E3%81%AE%E3%83%9F%E3%82%B1%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AD%E2%80%95%E5%85%AC%E9%BA%BB%E5%91%82%E3%81%A8%E8%8A%B8%E8%A1%93%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%83%BB%E5%A5%88%E8%89%AF-%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%86%8D%E8%80%83-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E8%8B%B1%E9%81%93/dp/48966756

内容(「BOOK」データベースより)
ルネッサンスより800年前の奈良・天平時代に、ミケランジェロ級の大彫刻家がいた。七世紀の日本は、紀元前五世紀のギリシア、十六世紀のイタリアと並ぶ、世界的な美術の黄金時代だった。その天才群の中で、ひときわ輝く、「奈良の大仏」を作った公麻呂…。今まで、だれも問題にしなかった、天平時代の名作の作者を推理・特定し、西洋のミケランジェロなどと同じ水準の評価を、世に問う。江戸時代の『万葉集』再評価に匹敵する、世紀の野心作。

内容(「MARC」データベースより)
七世紀の日本は世界的な美術の黄金時代だった。その天才群の中でひときわ輝く、奈良の大仏を作った公麻呂。この天平時代の名作の作者を推理・特定し、ミケランジェロなどと同じ水準の評価を世に問う。

カスタマーレビュー

hermes
5つ星のうち5.0 仏像が、これほど優れた芸術作品であるとは知らなかった、もったいない
2022年7月24日

ミケランジェロによるローマ、システィナ礼拝堂の天井画の修復に関わり、レオナルド・ダ・ヴィンチ研究で、あのケネス・クラークから賛辞をおくられた、西洋美術史の第一人者、田中英道先生が、日本美術に目を転じ、25年前に書かれた本。

日本の歴史を学校で習いながら、仏教美術の解釈については全く知らず。ルネサンス、フィレンチェには、『美術家列伝』を著したヴァザーリがいたのに対し、日本では、これまで日本美術史家らによって、工房の作とされてきたから。つまり文献が残されていないから、と。それに対し、田中先生のアプローチは、西洋美術解釈のモレリアンメソッドなど、作品の“かたち”から、作家を同定するもの。鋭い観察、膨大な史料の解析により、日本でも、ギリシャ、イタリア美術と同様に、美術表現がアルカイズムからクラシシズム、バロックへと様式の変遷が見られることを立証。

15世紀ルネサンスのミケランジェロに比する8世紀奈良の国中連公麻呂(くになかのむらじ・きみまろ)の作品をメインに紹介する一方、ドナテッロに対応する将軍万福(しょうぐんまんぷく)、それ以前の止利仏師(とりぶっし)らの傑作を解説。イタリアルネサンスの700年も前に、日本にこれほどの天才芸術家たちがいたとは!しかもルネサンス期のネオプラトニズムに対し、盧遮那仏(るしゃなぶつ、大仏のこと。現在のものは江戸時代に作られたもの)建立の礎となった華厳経の思想的背景まで迫り、優れた美術作品の誕生には、これらが必須と。日本人でありながら、日本にいながら、これほどの芸術作品が、先人たちにより遺されたことを知らず、世界に発信していない、また満足な修復さえ施されていない、とは痛恨の極み、文化庁の怠慢だけなのであろうか。


▲△▽▼


田中英道東北大学大学院教授ってどうよ
https://academy3.5ch.net/test/read.cgi/gallery/1029412317/

157 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/24 23:36:39

なんで田中さんはこんなになっちゃったんだろ??


158 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/27 01:30:53

同じアホでも篠沢教授みたいな路線なら人畜無害なのに、よりによって作る会だもんなあ


111 :わたしはダリ?名無しさん?:02/11/02 23:23

あの人の文章って支離滅裂で何言いたいのかわからんところ多いんだよな。
ああっ、「そらお前の語彙力が貧弱なんじゃ!」というツッコミが聞こえる。。。


118 :わたしはダリ?名無しさん?:03/01/02 08:25
>>111
俺もよくわからないこと多い。
文の前後の繋がりが不明瞭なことが多いっていうかね。


144 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/06 04:36

かつて、洋行帰りに大量の無修正エロ本を税関で取り上げられたというレジェンドの持ち主


147 :わたしはダリ?名無しさん?:04/06/14 18:23

講義でもますます快調に毒電波飛ばしまくる田中先生
西洋美術史の授業なのに延々と日本の仏像の話するのってどうよ
ああ、今年度末のご定年が待ち遠しいなあ。

...と、研究室のみんなの気持ちを代弁してみるテスト


151 :わたしはダリ?名無しさん?:04/09/16 23:10:10

最近出した新書、何ですかあれ?
完全にイカ(以下略


161 :わたしはダリ?名無しさん?:皇紀2665/04/01(金) 08:44:32 東北大はめでたく定年だな
西美のスタッフ・学生一同も喜んでるよ


8 :わたしはダリ?名無しさん?:02/08/16 08:38

しっかりした研究者だったのに、
運慶がどうとか、写楽がこうとか、専門分野でも
最近電波発信しまくってるけど、
いったいどうしちゃったんどうろう?

あ、それと彼の『フォルモロジー研究』は俺が東京でリサーチした限り、
各古書店での在庫率が一番高い美術研究書だと思う。
似たような書名・装丁の『イコノロジー研究』はなかなか手に入らないのに・・・
皆が売払ってしまいたくなるほどのDQN本なのか?
俺はまだ読んでないけど・・・(読む予定もなし)

12 :わたしはダリ?名無しさん?:02/08/16 23:41
>>8
>しっかりした研究者だったのに、
>運慶がどうとか、写楽がこうとか、専門分野でも
>最近電波発信しまくってるけど、

西洋美術が専門だから、運慶も写楽も全然専門分野ではないよ。
日本彫刻史の専門家からは全然相手にされていない。
一人だけネガティブな批評を書いた研究家がいたが、それに自著で猛反発。
しかし、その後は全く無視されているらしい。


15 :わたしはダリ?名無しさん?:02/08/17 14:15

フランスで博士論文にしたジョルジュ・ド・ラトゥール研究は今でも基本書だが・・・
まあ20世紀では最初期のカタログの試みだったというだけかもしれん。

16 :わたしはダリ?名無しさん?:02/08/17 22:59

天平のミケランジェロ
運慶とバロックの巨匠たち
実証 写楽は北斎である
法隆寺とパルテノン
 (プププププ

17 :わたしはダリ?名無しさん?:02/08/18 00:21
>>16
「天平のミケランジェロ」というのは造東大寺司次官の国中連公麻呂のことらし
い、そしてドナテルロが興福寺の阿修羅像などの作者とされる将軍万福らしい。

この人は天平期の傑作、例えば新薬師寺十二神将像・東大寺法華堂日光月光菩薩
像・東大寺戒壇院四天王像・唐招提寺鑑真和上像などの像の作者を著書の中で勝
手にこの天平のミケランジェロ国中連公麻呂と断定している。

まあ、自分の著書で何をどう書こうが自由なのだが、その学界では全く認められ
ていないDQN説を、こともあろうに扶桑社版「新しい歴史教科書」の中で、あ
たかも広く学界で認められている「定説」であるかのように記述しているのだ。

新しい歴史教科書に反対する陣営もこのことについて触れる人はいないが、教科
書執筆者として、このような態度はいかがなものか。


19 :わたしはダリ?名無しさん?:02/08/18 05:41

24 名前: goatsong 投稿日: 2002/08/17(土) 17:46
ところで、英道さんがある天平彫刻の作者帰属(国中連公麻呂だとか)を行っ
た時、「史料にない」とかなんとかいう理由で、その帰属にいちゃもんをつけた
学者がいたそうな。詳しくは知らないので何ともいえないのだが、もし理由が
それだけなら、この学者のオツムの程度が知れると思う。「史料がない」こと
は、「この帰属は間違っている」という何らの根拠にもなりえない。例えばルネ
サンス期の芸術には、署名なんかもなく、来歴の確認出来ないものが五万と
ある。これは巨匠も同じで、署名や史料のあるもの(基準作)なんかは実際に
は指で数えるほどしかない。

それをどうやって色々の芸術家に帰属させるのかといったら、これは作品自
体の分析(画材や様式等)を通して行われるものであって、そういう結果の後
に今日、例えばヴェロッキオの「キリストの洗礼」の部分が、レオナルド・ダ・ヴィ
ンチに帰属されてる。まぁ、そういったわけで、仮に「違う」と主張するなら、そ
の反対史料の存在以外には、作品自体の分析の結果を提示しない限り、も
う全然意味は無い。
(ちなみに英道さんは、正にこのような日本美術史の史料偏重と様式論の貧弱を批判している人なのです)


25 :わたしはダリ?名無しさん?:02/08/18 16:21
>>19
お前・・・現場の人たちに殺されるぞ。
なんの史料もない、言い伝えのみの仏像を相手にして
年代設定と仏師の出自の推定をしてるんだぞ。
お前、調査の現場知らないでいってるだろ。


27 :わたしはダリ?名無しさん?:02/08/18 19:01>
>>19
自分の著書でどんな学説を書こうが自由だ。しかし、中学生が学ぶ社会科の教科書に学界
では全く認められていない自説(学界ではドキュソ説とされている)を、あたかも確定さ
れた定説のように断定的に載せるのはいかがなものか。教科書を自説の宣伝の場として使
っているとしか考えられない。と、俺は言っているだけだ。田中英道の手法、及びその説
が正しいのか、正しくないのかなどという議論はしていない。


31 :25:02/08/18 19:26

>正にこのような日本美術史の史料偏重と様式論の貧弱を批判している人なのです)

って記述にかっとしちゃったよ。

T氏の日本関係の著作、特に仏像関係は読んでるんだが
明らかに史料を誤読してるし、現代の研究者の論文まで
正反対の意見をいってることにして引用してたりするわけですわ・・・
たとえ仮説として独創的でも、やっぱり即物的な史料の無視・詐欺的引用があると困るんだ。


36 :わたしはダリ?名無しさん?:02/08/19 00:52

某サイトのBBSからのコピペ。

さて、ご指摘の田中英道氏については、私自身はあまり存じ上げておりませんので、ご紹介下さった「天平のミケランジェロ」という本をあたろうと思いましたが、拙ページの「文献」に収録されていない本なので、他のスタッフもおそらく知らないのかもしれません。 ○○○○に電話して聞いてみたところ、

「ああ、あの方は西洋美術の専門家ですよ」

と言い、

「西洋美術の専門家なのに、日本美術についても色々論を出しておりましてね、ただあの方のメジャーは西洋美術のそれでしかないのに、それで日本美術をも論じて独特の見解を述べられておりますね。奇特な方だなあ、とは感じております」

と話しておりました。

××様の御見解にありました、

「奈良時代の作家をドナテルロやミケランジェロに準える、鎌倉時代美術をバロックに準える」考え方を話したら、笑っていました。

「それが田中さんの奇特な点でしてね、少なくとも私個人としては全面的に受け入れ難い。
まあそういう極論もあるかと、適当にほっとくのがいいですね。
あんまりあの方の論をまともに受け取らないことを、私はおすすめしますが」

と話しておりました。

37 :わたしはダリ?名無しさん?:02/08/20 20:53

比較芸術学とか比較史学とかの方法論はあるが、田中さんのは、なあ……


46 :わたしはダリ?名無しさん?:02/08/25 02:24

まあ、それ自身偉大な天平や鎌倉の仏師たちを説明するのに、わざわざドナテルロやミケランジェロを引き合いに出して「ニッポン版ミケランジェロ」とか矮小化したような言い方をしてしまうあたり、このおじさんは自分の国の文化に対し本当は劣等感がある、強い西洋コンプレックスの持ち主だなあと思います。
のびやかさとは無縁な、怨念のこもった認識をお持ちのお方だね(ピュア


116 :わたしはダリ?名無しさん?:03/01/02 04:50

「田中英道」って検索したら、ここに流れてきたのですが、現在の彼ってやっぱり「キワモノ」だと思います。

確かに昔は「学術的に」実績を残している「らしい」けど、やはり「営業右翼」と揶揄されている3K新聞とつるんでいる事で、もう終わっていると。

ジェンダー系の美学・美術史のワークショップに出入りしてたときも、彼の話題が出てましたが、出席者(もちろん「研究者」です。)の方たちは、彼の言説がどうこう、というより、彼を取り巻くメディア環境から判断して、既に「終わってる」 と判断されてました。「まともに相手をするのはよそう」と。

ただ、怖いなぁーと感じるのは、そうした態度が「結果的に」田中氏のような方を「野放し」にしていることにあります。

ここにおられる方は、研究者としての「立場」を堅持されようと努力されている方ばかりなので、慎重になっておられる。

大袈裟な、的はずれな言い方かもしれませんが、「嘘も100回言えば、本当のことになる」ということもあります。

専門家の皆さんだからこそ、早めに声を上げておいた方が、「いろんな意味」でよろしいかと思うのですが…。

117 :わたしはダリ?名無しさん?:03/01/02 07:17

うーん、割とあの人の言うことは納得出来る部分あるけどな。
あの人の作品評価や作者認定についてはちょっと疑問に感じる部分はあるし、
つくる会とつるんでるのも嫌なんだが・・・
でも確かに天平彫刻だろうが作者はいて当然だと思うし、
無著世親像を「弟子が彫るのを運慶が指導した」なんて説明されると
ちょっと一般人の理解を超えてる感じがするよ。
田中説が極論に過ぎるとしても、ある意味では日本の美術史界に
対して大きな問題提起にはなると思う。

田中さんが日本の美術史に対して専門の人に比べると弱点が多いのは
間違いないので、これから専門の人達がその問題提起をどう受け止めて
発展させて行くかってのが楽しみ。
ま、無視されてるんじゃ何も起きようがなさそうですが。
それと日本の美術家を評価するのにミケランジェロとかドナテッロとか
持ち出して来るのはどうかと思うな。
世界を視野に入れた上での位置をはっきりさせたいという狙いがあるのかもしれんが。
それと同じく☆の評価も・・・
https://academy3.5ch.net/test/read.cgi/gallery/1029412317/


▲△▽▼


西洋美術史の専門家だった(?)田中英道は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/206.html

  • 名前: E-mail(省略可):

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.