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ヨーロッパ人の殆どは昔も今も聖書に何が書かれているか何も知らない

1:777 :

2025/03/29 (Sat) 11:02:46

ストーリーテラーさん 2013/3/26 9:55
カトリック教会は昔は信者に聖書を読ませていなかったんですよね?
補足
聖書を読まない司祭(笑)仕事してないようなもんじゃん・・・
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13104501968

服部 弘一郎さん 2013/3/27 15:12

カトリック教会の「ミサ」は本来「聖餐式」を意味する言葉です。カトリック教会のミサの中心は聖体拝領であり、聖体を通じた信者とキリストの一致がとても重んじられていたわけです。

これに対してプロテスタント教会は聖餐式をあまり重んじません。聖餐は秘蹟のひとつではありますが、聖体は「キリストの体」そのものではなく、キリストの体を象徴するパン切れやぶどう酒(ブドウジュース)に過ぎないのです。

こうした聖体に対する解釈のせいか、プロテスタント教会ではカトリック教会に比べると聖餐式の回数が少ないようです。カトリック教会は主日に限らず、平日でも司祭がミサをたてます。叙階を受けた司祭にとってミサの執行はとても大切な仕事であって、教会に信徒が誰もいなくても、司祭は黙々とミサをたてているわけです。

これに対して、プロテスタント教会の中心にあるのは、聖書に書かれている「神の御言葉」です。ですから教会の中心にある説教壇には、説教壇用の大型聖書が置かれていて、信徒席からもその存在がよく見えるようになっています。プロテスタント教会は、まさしく聖書中心なのです。

同じキリスト教でも、カトリック教会とプロテスタント教会にはこうした違いがあります。

さて信者に聖書を読ませるか否かという話ですが、かつてカトリック教会では信徒にあまり熱心に聖書を読ませなかったのは事実です。しかし読むのを禁じていたわけではありません。読む必要があまりなかったというのが実態でしょう。ミサは聖体拝領の儀式中心に進みますし、ミサはかつてラテン語で行われていましたから信徒は教会で聖書を開く必要がありません。なぜラテン語かと言うと、全世界のカトリック教会が、教会の標準語であるラテン語の典礼を通して目に見える一致を実現するためです。世界のどこに行っても、同じ日に同じ暦に従って同じラテン語のミサを行っているというのが大事だったわけです。

そんなわけで典礼はラテン語でしたが、信徒は自分で自国語の聖書を持っていて読んでいました。例えば日本だと、明治時代に何種類かの文語訳の聖書が完成していますし(ラゲ訳など)、戦後にはバルバロ神父による口語訳も完成しています。バルバロ訳は今でも購入して読むことができますが、現在は新共同訳が使われています。現状で言えば、カトリックでもプロテスタントでも熱心に聖書を読む人は読むし、読まない人はまったく読まないという同じような状態になっていると思います。

ところで「昔は」という昔がどのぐらい昔のことなのかはよくわかりませんが、一般信徒があまり熱心に聖書を読んでいたわけではない(読めたわけではない)のはカトリックもプロテスタントも同じです。プロテスタント教会はルターが早々にドイツ語訳聖書を作ったことから、一般信徒でも熱心に聖書を読むように思われていますが、これは大きな誤解です。

聖書というのは今でもそれなりに値段の張る物ですが(日本語訳聖書だと旧約新約合本になっていて5千円ぐらい)、かつては物価水準で今の何倍も何十倍もするような高価なものでした。ルター時代の活版印刷は我々の知っている印刷物というより、むしろ版画に近いようなものです。一度に刷れる数は数十部。何百部も刷ればベストセラーです。有名なグーテンベルク聖書は、全部で180部しか印刷されていません。印刷物と言うより、美術工芸品みたいなものなのです。当然ですが値段はとても高価なものになりますが、それでも肉筆写本よりは安いのでこうした印刷聖書は売れたわけです。

宗教改革の時代になると印刷聖書の値段はだいぶ下がって部数も多くなるはずですが、印刷物はやはり今よりずっと高価なものでした。まず紙が高かったのです。そして大量に高速印刷する技術もなくて、印刷は例によって版画の延長にありました。こうした時代にはそもそも読むものの数が限られていますから、一般庶民は字を読む能力を持たない文盲が当たり前です。これは別に恥でも何でもありません。読むものがないのですから、字なんて覚えても意味がなかったわけです。字が読めたのは一部のお金持ちだけです。

ヨーロッパでは19世紀の初頭までこうした状態が続いていました。つまりカトリックだろうとプロテスタントだろうと、誰も聖書なんて読んでいなかったのです。読んでいたのは一部のお金持ちだけです。聖書が一般庶民にまで浸透して行くのは、19世紀に木材パルプからの製紙技術が確立して紙が安くなったことと、輪転機が発明されて大量印刷が可能になってからです。また近代化によって国民の教育水準が上がり、識字率は大幅に上昇していきます。これでようやく、誰でも聖書を読める時代になったわけです。19世紀半ば以降は聖書の値段も庶民に手の届くものになり、最初は各家庭に1冊、やがて信徒1人に1冊というように広まっていきます。

誰もが聖書を読める、本当の意味での「聖書中心主義のプロテスタント教会」が登場するのは19世紀後半でしょう。キリスト教の長い歴史の中では、ほんのつい最近のことです。それ以前は聖書は一般信徒にとって遠い存在であり、カトリック教会ならミサの典礼が重視され、プロテスタント教会なら牧師の説教が重視されていたのだと思います。



Castellaさん 2013/3/29 0:17

カトリックに限らず、読ませていなかったというか、読ませられなかったんでしょうね。昔(中世~近代)は聖書は一般人が読める代物ではありませんでした。

まず、値段が高価であること。
聖書が紙に印刷されるようになるまでは、全て羊皮紙が使用されていました。聖書1冊を作るのに羊500頭ほどが必要だったようです。大量の羊の皮が必要なだけでなく、羊皮紙を作るのには非常に手間もかかりました。文章はもちろん手書きで書き写されたものです。それに合わせて値段も非常に高くなりますから、庶民には到底手が出ません。

あと、言語の問題です。昔ですから教育を受けている人以外は文字が読めません。もし、文字が読めても、当時の聖書はラテン語翻訳が中心でしたので、ラテン語の教養がない庶民は仮に聖書が手に入ったとしても理解できません。

時代が進んで、グーデンベルグの活版印刷聖書が登場してきます。しかし、値段は高いままで、現在の日本円にして、羊皮紙版は一冊1000万円ほど、紙版でも一冊400万円ほどはしたようです。

グーデンベルグから少し経つと、ようやく庶民でも手が届きそうな聖書が登場します。1522年に出版されたルター訳の聖書です。原語はドイツ語で庶民でも理解することができました。値段としては、現代に例えるなら高級電化製品を買うような感覚だったようです。1533年には、10家庭につき1家庭ほどがルター訳聖書を所有していました。

カトリックでは、司祭の説教とミサなどの秘跡が信徒の信仰生活の糧でした。十字軍や免罪符問題などは、やはり民衆が聖書を読めなかったことにも原因があるかもしれませんね。

このように聖書が一般民衆に身近になったのは長い歴史の目で見れば最近のことです。

ちなみに現在では聖書は2500以上の言語に翻訳され、世界で普及が進められています。日本では、日本聖書協会の新共同訳聖書を例にとるならば、中型サイズのものが1冊4515円、小型サイズが3150円で入手できます。ギデオン協会などは聖書の寄贈の活動をしていますので、場合によっては無料で入手できることもあります。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13104501968





聖なる書物を読むということ
キリスト教学科 長谷川 修一 教授、加藤 喜之 准教授
https://arts.rikkyo.ac.jp/feature/talkshow/l7hqge0000000rp3.html

民衆が聖なる書物を読むまでのプロセス
加藤:実は中世においてそもそも聖書は読まれていませんでした。基本的に一般の人は字を読むことができないですし、ラテン語で書かれていたため、エリート層しか読めない。普通の聖職者ですらもほとんど読めなかったんです。

そういう中で、聖書がどのように知られていたかというと、耳で聞くわけですね。でも、それもラテン語なのであまり分からない。もちろん、絵に描かれた聖書の物語を見たり、説教などを通してその一部を聴くことは当然ありますが、民衆レベルでの聖なる書物に対する理解と、一番トップのエリートが理解している聖書、聖なる書物というのはずいぶん乖離しているわけです。

一般民衆の話だけにしてみますと、彼らは我々が思うほど聖書というものに執着していませんでした。それよりも、パンとぶどう酒をもちいた、いわゆる「聖餐式」という 儀式のほうが民衆にとっては重要だったわけです。儀式の中で例えば「モノ」としての聖書が飾られていたりはします。ですがそれはあくまで背景にすぎません。そのため我々は、「キリスト教=聖書」というように理解はしていますが、中世の民衆にとってはそれほど重要視されているものではなかったのです。

でも、これがだんだん中世の後期になってくると、状況も少し変わってきます。経済が発展していって、市民生活のようなものが都市の中で行われていくようになると、自分たちの信仰をもう少し知りたいという欲求が出てくるんですね。そうすると俗人用の、つまり一般民衆用の宗教的な本というのがいろいろ出版されるわけです。彼らはミサには出席しているのですが、ミサで語られる儀礼の言葉はよく分からない。そこで儀礼が行われている間にそういった書物を自分で読んだりすることで、ある種、能動的に礼拝に加わることができるようになるのです。

実際に語られている聖書の言葉と、もちろん聖書の翻訳の部分というのはそういった宗教本にも入っているのですが、そこで語られていることと、実際に読んだり、自分が能動的にやっている行為には大きなギャップがあり、まだその時点では乖離していました。

この状況が大きく変化するのが宗教改革です。1517年以降、宗教改革者たちはより積極的に民衆に語り掛けます。また、民衆がもっと自発的に聖書を知るようになる仕組みを用意するようになるのです。なぜかというと、宗教改革の理念の根幹には、個人個人が神について知って、神に対して信仰を持つということが救いにつながるんだという信念があったからです。儀礼を「行う」ことから信仰内容を「理解する」という大きな考えのパラダイムシフトみたいなものがそのとき起こってくるのですね。その基本的な考えに基づいて、民衆もきちんと自分で勉強しなければいけない、勉強して聖書に書かれていることを知って、それで自分の救いを確かなものにしていってほしいという願いが、宗教改革の指導者たちの中にあったのです。

それを可能にしたのが中世後期に起きた活版印刷技術の発明です。この時代の聖書はまだラテン語なのですが、この技術の発展とともに印刷されるようになります。宗教改革がはじまり1520年代になると、ルターによってまず新約聖書がドイツ語に翻訳されます。旧約聖書も併せて両方刊行されるのが1534年。そこで初めて、ドイツの民衆がラテン語を知らなくても自分たちの言葉で聖書を読めるという状況がやってきたのです。

それ以前の民衆は「読む」という行為をしていなかったのですが、こうした流れによって人々が聖なる書物を読むプロセスが少しずつ、できていったといえるでしょう。
日本語の変化と聖書学の進歩によって聖書の言葉は変わった
長谷川:2018年、昨年の12月に新しい聖書協会共同訳という聖書の翻訳がなされました。その売り言葉というのが「変わらない言葉を変わりゆく世界に」なのですが、でも実は聖書は変わってきた言葉なのです。

私の専門としている旧約聖書、ヘブライ語聖書のほうのお話をします。どういう本を翻訳したかというと、今からおよそ1,000年前に、写本、活版印刷技術が発明されるまでは手書きの写本しかありませんでしたから、その手書きの写本、1008年に写本された聖書を底本としてヘブライ語から直接日本語に訳したものです。これまでもそうでした。1987年に出された新共同訳という聖書もありますし、その前の1950年代に出された口語訳聖書もありますが、それらすべて1008年に写本された聖書から翻訳されています。

なぜ新しい訳が必要かというと、1つは、我々が使っている日本語が変わるからです。大体30年、一世代経つと使う言葉が変わります。ですから、私の世代の人と今の若い10代、あるいは20歳前後の方と、それから70代、80代の方とは、おそらく共通している語彙はたくさんありますが、違う語彙もたくさんありますし、文法も若干変わってきたりします。まず、それが1つ。

もう1つは、聖書学の進歩です。今まではこういうふうに訳されてきたけれども、実はこれはこういうふうに訳したほうが正確なのではないか、そういうことが新しい発見が毎年のようにありまして、これも変わっていきます。いくつかあるので1つだけ例を挙げますと、今までの新共同訳の聖書では、「強い酒」とか「濃い酒」と訳されてきた単語があります。これシハードというヘブライ語なのですが、新しい聖書協会の共同訳の聖書では「麦の酒」に変わりました。麦の酒というのは焼酎では麦焼酎がありますが、当時は蒸留する技術はおそらくありませんでした。ですからウイスキーでもあり得ない。そうなりますと、これはビールなんですね。ビールというのは今から3,000年、4,000年、いや5,000年ぐらい前から、エジプトだとかメソポタミアで広く作られ、飲まれていました。もちろん現在のビールとはちょっと味が違い、もう少しドロッとした甘い飲み物、若干の甘みと酸味があるような飲み物だったといわれていますが、それをどうも聖書でたくさん言及しているようであるということです。

それが最近分かってきて、英語訳の聖書でははっきりと「beer」という言葉を使っているものもあらわれています。ようやく日本語でも「麦の酒」と。神様はビールを飲むのかという問題があったのかどうかは分かりませんが、避けられてきたところもあるのですが、それがようやく麦の酒という名前に変わりました。このように他にもたくさんの変化が聖書にはあります。
https://arts.rikkyo.ac.jp/feature/talkshow/l7hqge0000000rp3.html
2:777 :

2025/03/29 (Sat) 13:32:46

Amazon.co.jp: 田川 建三: 本、バイオグラフィー、最新アップデート
https://www.amazon.co.jp/stores/%E7%94%B0%E5%B7%9D-%E5%BB%BA%E4%B8%89/author/B001I7I64G?ref=ap_rdr&isDramIntegrated=true&shoppingPortalEnabled=true

書物としての新約聖書 – 1997/2/1
田川 建三 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%9B%B8%E7%89%A9%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E6%96%B0%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8-%E7%94%B0%E5%B7%9D-%E5%BB%BA%E4%B8%89/dp/432610113X/?_encoding=UTF8&pd_rd_w=6JKPd&content-id=amzn1.sym.bb272e13-1a68-41b0-a370-44a252d487ac&pf_rd_p=bb272e13-1a68-41b0-a370-44a252d487ac&pf_rd_r=356-7154373-8873023&pd_rd_wg=PjpsJ&pd_rd_r=5bc6e8ce-7841-44b7-8a2b-b6557bbed2f4&ref_=aufs_ap_sc_dsk


2014-07-25
書物としての新約聖書/田川建三
発売日: 1997/02/01
https://sampo.hatenablog.com/entry/2014/07/25/213723

 世界で一番読まれている本だとか永遠のベストセラーだとか言われる聖書だけど、意外と我々は聖書がどんな書物なのかをよく知らない。もちろん、日本人だからキリスト教には馴染みがないという人は多い。
 しかし、そういう話ではない。田川のようにクリスチャンの家庭に育った人でも、よく分からなかったのだ。若い頃にこんな本があれば、あたら時間を無駄にせずに済んだだろうに、と、そんな思いでこの本を書いたのである。これは田川自身が自分で読みたかった本なのだ。

正典化の歴史
 全体は4章に分かれる。第1章は正典化の歴史。
 聖書は1人の人物が書いたのではない。正典編集委員会のようなものを作って、計画に従って執筆したわけでもない。別々の場所で、別々の時代に、独立して書かれたものである。
 影響関係はある。福音書で言えば、現在の通説では、先ずマルコが書かれ、マタイとルカはこれを参照しつつ、共通の語録(Q資料と言われるが、理論的に想定されているだけで、写本などが発見されているわけではない)と独自の資料を用いて、それぞれの神学を表現したということになっている。書き換える必要があると思われていたのかもしれない。
 こうしたバラバラに書かれた書物が、どうして一つの正典へと結集されたのか。最初に新約を独自の仕方でまとめたのは、異端のマルキオンである。正統派の側は異端によって正典化を促されたのだ。
 しかし、どのような過程を経て現在あるとおりの聖書になったのか、文書の選択(後の正典文書と同時期には、使徒的教父文書や後に偽典と呼ばれる文書も書かれていた)と配置(当時の写本の形態も考慮しなくてはいけない)については、あまり詳しいことは分からないようだ。
 ただ、何か宗教会議のようなものが開かれて、満場一致で27文書が選定され、その並べ方も統一されたなどということはない。アタナシウスが367年に27文書の新約正典を主張するまでは、今日の正典でさえ一部には反対意見に曝されている文書もあったのである。

 さて、キリスト教は正典宗教と言われる。しかし、初期キリスト教はまだ正典を持っていなかった。これをどう考えたらいいだろうか。

新約聖書の言語
 第2章は新約聖書の言語。
 新約聖書はギリシャ語で書かれている。当時の地中海世界で共通語として使われていたのだから当然のことだ。と、いうわけには、実は行かない。
 都会であれば、一応はギリシャ語は通じる。しかし、全ての人がギリシャ語に通じていたわけではない。田舎ではなおさらだ。イエスだって、おそらくアラム語で話していただろうが、ギリシャ語(やラテン語)はほとんど知らなかっただろう。ギリシャ語を話すパウロの伝道がどこで成功し、どこで失敗したかということも、当時の言語事情と密接に関係している。
 だから、聖書の記者たちがギリシャ語で執筆しているからといって(マタイは最初ヘブライ語ないしアラム語で書かれたという説もあるが、今日の通説では否定的されているようだ)、決して全員がギリシャ語の達者だったわけではない。特にマルコなどはかなりぎこちないし、セム的な癖が随所に現れる。

新約聖書の写本
 第3章は新約聖書の写本。
 グーテンベルクが活版印刷を発明するまで、聖書は手書きの写本で伝えられてきた。その間に写し間違いがあったり、間違いを訂正するつもりで手が加わってしまったり、後世の神学が入り込んで来たりしつつ、いろいろな変化を来してしまったわけだが、聖書の場合、他の古典作品に比べて格段に残された写本が多い。比較校合してゆくと、だいぶそれらしいテキストが出来上がるのである。
 文献学の精華としてネストレの新約聖書がある。編集者たちが一番確からしい本文を確定している。しかし、それだけではなく、脚注に大量の異読が様々な記号や略語とともに示されている。新約学者はこれを見ながら、自分で正文批判をするのである。
 序文や巻末の記号、略語の説明を注意深く読めば、ネストレを使いこなせるようになるのかもしれないが、私はちょっと面倒なのであまりアパラトゥス(欄外注)を見ない。だが、田川が重要な大文字写本とその性格、写本の型(アレクサンドリア型、ビザンチン型、西方型、カイサリア型など、写本にも幾つかの系統がある)、異読の利用の仕方の実際を簡単に示してくれるので、なかなか便利だ。

 ネストレと本文は同じだが(編集者が同じなので)、アパラトゥスが分かりやすく単純化された(?)テキストとして、アメリカのThe Greek New Testamentがある。異読の確からしさに等級を付けているらしい。また、メッツガーが異読の解説を施した正文批判のための註解書も出ている。
 ネストレが使いこなせれば必要ないものらしいけど、一応買っておこうと思う。

新約聖書の翻訳
 第4章は新約聖書の翻訳。
 ドイツ語、フランス語の後、詳しく英語と日本語の翻訳史が語られる。
 英訳というと先ず欽定訳が思い浮かぶが、実は独自の翻訳というよりも、ほとんどティンダル訳を受け継いだものらしい。それにジュネーブ聖書を加えて、もっと逐語訳的にしたのが欽定訳である。ちなみに、ティンダルは聖書の翻訳などに手を染めたということで、死刑に処せられている。
 田川が推薦する英訳はRSV。私が持っているNABについても概ね好意的である。嫌いなのはNEBとかTEVといった換骨奪胎の意訳である。NIVなどになるともう相手にもしない。

 日本語訳では口語訳と新共同訳。文体には苦言も呈するが、新約は口語訳の方に軍配を上げる。加えてフランシスコ会訳。
 共同訳はNEBやTEVと一緒でくそみそにけなされる。ナイダ主義に新植民地主義の匂いをかぎ取って、よほど不快になるらしい(同じ理由で、例のThe Greek New Testamentにも手厳しい)。
 岩波の聖書翻訳委員会訳はこの本を書き終える頃にようやく出たもので、ぱらぱらとめくってみた感じでは新共同訳よりもいいのではないかと書いている。しかし、現在刊行中の新約の訳注においては、その評価を完全に覆している。
 新改訳はNIVと同じ扱い。論ずる気もないということで済ませている。私はこの訳をほとんど読んだことがないから、それほどに原理主義的であって、学問的批判に耐えられるものでないのかどうか、よく分からない。

新約聖書概論
 さて、この本は「新約聖書概論序説」である。個々の文書がいつどこで誰によって何の目的で書かれたのかというようなことは、「新約聖書概論」に書かれることになる。田川はそれを執筆することも自分の義務であると、後書きで書いている。
 それから20年近く経つ。しかし、聖書の訳注は進んでいるものの、概論は未だに出版されていない。訳注第1巻の序文では、概論の仕上げ段階に来て、概論と訳注の順序が逆でないかと思ったと言っているから、まだ暫く出ないのかもしれない。もうだいぶ高齢だと思うので、精力的なのはいいのだが、健康には気を付けてもらいたいものだ。
https://sampo.hatenablog.com/entry/2014/07/25/213723
3:777 :

2025/03/29 (Sat) 13:35:26

大人の教養TV
【キリスト教】とは?〜歴史から教えまで〜
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14150219

キリスト教原理主義
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/391.html

イエスの本当の教え _ 神の国、神の子とは何か?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14006907

イエスが殺された本当の理由
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/371.html

グノーシス思想
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/390.html

この世のものとも思えない音を出すにはどういうオーディオ機器が必要か
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14030753

イエスのY染色体ハプログループは J2
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007464

パゾリーニ『奇跡の丘 Il Vangelo secondo Matteo』1964年
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14005109

聖書の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/336.html

ロシアのキリスト教 _ テレビドラマ 『ドストエフスキー 白痴』2003年
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007014

キリストの再臨とアメリカの政治
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007057

ユダヤ陰謀論とグローバリズムを考える _ ヨーロッパ化されたキリスト教がユダヤ思想の正体で、ユダヤ教やユダヤ人とは何の関係も無かった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/504.html

東海アマ 福音派キリスト教はキリスト教の仮面を被ったユダヤ教
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/487.html

独占インタビュー 元弟子が語るイエス教団「治療」の実態!!
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/605.html

タルコフスキー アンドレイ・ルブリョフ (1966年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/243.html

アンチクライスト _ アンドレイ・ルブリョフ
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/484.html

欧米人の恋愛は性的倒錯の一種
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/200.html

世界を変えた映画『エマニエル夫人』 1974年
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/249.html

まともな人間に芸術は理解できない _ ゴッホは何故ゴッホになれたのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/481.html

ディープ世界への入り口 _ 箱根湯本 平賀敬美術館
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/297.html


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欧米のキリスト教徒全員の行動指針となっているヨハネの默示録
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/506.html

参考資料 _ ヨハネの默示録 (文語訳)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/903.html

参考資料 _ トマス福音書
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/372.html

参考資料 _ ユダの福音書
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/373.html

参考資料 _ 聖イッサ伝  
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/374.html

参考資料 _ マリアによる福音書
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/375.html

参考資料 _ マルコによる福音書(文語訳)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/376.html

参考資料 _ 舊約聖書 傳道之書
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/550.html

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