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1:777
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2023/07/23 (Sun) 03:48:47
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【日ユ同祖論】日本人のルーツとヘブライ語の謎|茂木誠
むすび大学チャンネル
2022/03/25
https://www.youtube.com/watch?v=Za-JuacbVoo
<目次>
00:00 はじめに
00:46 様々な人物が裏付ける日ユ同祖論
12:16 日本にユダヤ人が渡ってきた時期
17:23 「天孫降臨」は2回あったという仮説
ユダヤの歴史 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLGqoPsu9icDYmqlUflf_TmVklScqHwoQE
茂木誠 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%8C%82%E6%9C%A8%E8%AA%A0
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2:777
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2023/07/23 (Sun) 04:02:57
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茂木誠 _ ユダヤの古代史&世界史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14130919
アシュケナージ系ユダヤ人の歴史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14043502
ユダヤ人の Y-DNA _ 日本にはユダヤ人の遺伝子は全く入っていない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007378
秦氏がユダヤ人だというのはド素人の妄想
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007812
ユダヤ人は白人美女が大好きで、非白人は人間だと思っていない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14077515
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2023/07/23 (Sun) 12:36:00
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教科書には無いDNA解析で分かった古代日本人の起源|茂木誠 - YouTube
むすび大学チャンネル
2021/11/27
https://www.youtube.com/watch?v=VlWW0KpIyEA&list=PLGqoPsu9icDZNFrziAgVfNUUAbU836F9G
https://www.youtube.com/watch?v=-liE1A6cr4I&list=PLGqoPsu9icDZNFrziAgVfNUUAbU836F9G&index=2
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2023/07/25 (Tue) 21:57:25
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【日ユ同祖論】ユダヤと秦氏は繋がっていた!?|茂木誠
2022/03/30
https://www.youtube.com/watch?v=rcIbCcacDoc&list=PLGqoPsu9icDYmqlUflf_TmVklScqHwoQE&index=12
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2023/07/26 (Wed) 21:14:56
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始皇帝はユダヤ人だったのか? |茂木誠
2022/04/02
https://www.youtube.com/watch?v=jCAuJ6zFvVc&t=13s
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2023/07/30 (Sun) 06:05:24
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「日ユ同祖論」の間違いと本質
KYOH 2021年7月21日
https://note.com/yamato_izumo/n/n4d69cbd41fe2
日ユ同祖論を笑う日本人が多いのに驚きます。
笑うことが笑われることになるので、本当のところを書いておきます。
日ユ同祖論は、もともとユダヤ人がイスラエル王国を滅ぼされて、連れ去られた事件に端を発します。ヘブライの民には十二支族がありましたが、この十二支族のほとんどが失われてしまいました。行方不明なんです。
なので、時を経て現在。「生き別れた十二支族という兄弟」を探すユダヤ人がいます。彼らが日本の文化を見て、イスラエルと共通すると感じたことから、研究が始まったのが日ユ同祖論です。
日ユ同祖論で指摘されることは半分本当のことです。半分こじつけです。
ここで日本人がユダヤ人を笑う、問題点を述べます。
問題点
①ユダヤ人はコーカソイドなのに、日本人はモンゴロイドである。これはDNA的におかしい現象です。ユダヤ人の子孫なら男系遺伝子がつながっている限り、勝手にモンゴロイドになることはありません。
②ユダヤ人は日本の文化を口にするとき、漢字の訓読みと音読みを区別できません。音読みは、古代のChinaの言葉です。だから日ユ同祖論の比較対象が音読みであった場合、日ユ同祖論ではなくて、中ユ同祖論になります。
③ユダヤ人が指摘する似たような言葉は似てるだけで、歴史的に言葉が違うことが挙げられます。歴史を調べていけば、同祖論とするにはかなり怪しい状態になります。ただ、他の言語に比べて圧倒的に似ている言葉が多いのも事実です。
さて、ここから事実を指摘していきます。
真実
まずは②に関してですが、外国の人は、訓読みと音読みの区別ができません。訓読みはヘブライ語とかなり共通しますが、音読みはただの勘違いです。それだけのことです。いえ、むしろ音読みがベブライ語に似る理由は確かにあります。
Chinaの言葉は漢字ですが、その読み方は印欧祖語からの引用が多く含まれます。これは文化が西からChinaに入って来たためです。青銅器時代も鉄器時代も、西から来て、黄河文明などへ伝播しました。この時、言葉がなければ文明は伝わりません。故に、漢語自体がすでに印欧祖語やカナン語のコピーになっています。
ヘブライ語もカナン語からコピーされていますので、その点で最初から共通します。
さて問題の①
ユダヤ人はコーカソイドなのに、日本人はモンゴロイド。
本当にそうでしょうか。テルマエロマエというローマを部隊にした映画では、ローマ人を日本人が演じました。実は当時のローマのラテン語は、日本語的な発音をします。日本人が喋る方が遙かにローマのラテン語に近くなります。とは言え、日本には平たい顔族のほうが多いんです。平たい顔族は、ローマ人とはかなり違う風貌をしていまして、まさにモンゴロイドになります。
さらには、東北などにかけては、北欧系の貌立ちの人も多くいます。ロシア方面から北海道などを経由してやってきた民族がいるのではないかとされていますが、それなら韓国や中国のほうが圧倒的にこういう人たちは多いはずです。ですがそういうこともありません。なぜ日本だけが特殊なのでしょうか。
この民族の境目は言語で追跡することができます。出雲弁や東北弁はズーズー弁とされ、共通の言語が分岐したものとされます。これが共通していたのは、平安時代よりずっと前の時代です。その頃からこの言語はほとんど変わっていないことがわかります。なにより、この言語による文献が存在しません。ここが重要です。漢語、つまりChinaの言葉で筆記されたことがないということです。
対して畿内で喋られていた言語は、常にChinaの言語で筆記されます。そして平安時代まで遡ると、当時のChinaで使われいた漢語と音が似ていきます。母音の種類が増えたり、発音に癖が出てきます。文献は完全に漢語になります。漢語からだんだんと日本語になっていく過程が出ます。
この過程を日本人は、倭人が漢語を覚えていって倭語を漢字で書くようになったのだと言います。
ですが、現実は逆です。Chinaから来た人は漢語しか使えません。彼らが倭語を覚えて、漢語で和語を書くようになったのが本来の歴史です。
これは言語を比較すると簡単に答えがでます。
言語比較
たとえば、日は太陽で、火は火で、陽は陽射しみたいな使い分けがされますが、ヤマトの言葉では漢字は使いません。なので、「ひ」は全部同じ意味です。もともとの表記は出雲文字に記されていると思います。フェニキア語などと比較しても圧倒的に音と形が正しいからです。
ヒは、「ヒカリ」に見るとおり、見えない光そのものです。ヒカリが筋として見えるようになると、ヒカリになります。ヒが高いは、ヒカリが高いという意味です。火にあたるも、ヒカリにあたる。「火を点ける」とは本来「ヒカリをつける」という意味になります。これが宗教用語になって、ヒト、ヒメ、ヒコ、ヒミコ、ヒルトなどに発展します。
これが漢語になると、漢字が正しくなります。日と火はまったく違う意味になります。
たとえば、「キ」はなんでしょうか?
す「き」、「き」になる。ヒトの言うことを「き」く、薬が「き」く。
文字は古くは鍵の絵が描かれていたと伝承があります。これはマッチングを意味します。ここからが本題です。
ヤマト言葉は「あ」を前に付けるだけで、言葉の意味を反転させることができます。英語では「un」、サンスクリット語でも「あ」をつけると同じように言葉が反転します。
さて「あ」をつけてみましょうか。
あきる。あきらめる。
ヤマトの言葉はほとんどがこうなっています。
日本語を勉強してきた方は意外に思うでしょう。そんなこと知らなかったと言うでしょう。
ついで数詞をあげなければいけません。
ヤマトの言葉では、ひい、ふう、みい、よおの他に。
モノガタリ。モノオモイ。モノサシ。のmono。
タロウやジロウ、二番目がジ
色トリ取り、トリい などに見えるように3をトリといいます。
他にも古語をみれば、ペンタとか使っています。
デカいもギリシャ数詞です。うんとデカくなって、ドデカくなるのは正しい順番です。
ヤマト言葉では、ギリシャ数詞が当時の音のままで単語組み込みで使われていきます。
ただ日本語では、物や鳥と書きまして、意味が通らなくなります。日本人になるとこれが認識できていません。そして日本語の数詞は漢語の数詞になります。いち、にい、さんという奴です。
言語を比較精査すると、次のことが言えます。
日本語は漢語です。ヤマトの言葉を漢語に翻訳する言語になっています。だから数詞が漢語で、表記も漢語になります。日本人はヤマトの言葉をこれっぽっちも理解していませんし、理解できません。哀しいことですね。
日本人がモンゴロイドな理由
これで答えがでます。言語の歴史から日本語が四世紀以前に遡れない問題がでます。日本語を使う民族が日本にいないためです。ですが四世紀からやってきて、畿内で長安の街をつくりまくって、日本全土に移住していく様子が出ます。
つまりChinaから大勢移民がやってきました。彼らの文化は、その時代のChinaにありますので、紛れもなく日ユ同祖論とは関係ありません。民族もモンゴロイドになります。
問題は日本人が来る前のヤマトの国です。
ヤマトの国の歴史を書きますと
イザナミとイザナギが外国からやってきました。
当時の日本には縄文人が住んでいました。ここにイザナギとイザナミが加わって、初めてヤマト国が誕生します。ヤマト国の言語は出雲弁や東北弁が近いです。
たとえば九州の方言ではかなり劣化します。劣化というより独自の言語化がされます。これは縄文人が言語を取得したからそうなります。縄文の言葉に加えてヤマト言葉を覚えた場合に、音が変化しやすくなるのです。
九州にあった邪馬台国では30の国が争いを続けていました。縄文人が縄張り争いをしています。他の縄文人の言うことを聞くはずがありません。ただヒミコだけは誰もが従ったことが記されます。
このヒミコがヤマト国の人です。イザナミの系列の人だと思われます。つまり九州ではこの人と付き添いの数人だけがコーカソイドの人です。
日ユ同祖論では、ヤマトから続く文化と、Chinaから来た文化を比べて、ヤマトから続く文化が似通っているという話をします。つまり、ヒミコとユダヤ人は繋がります。ですが日本人になると繋がりが出ません。
問題の③
日本人は四世紀にChinaからやってきて勢力を拡大していきます。彼らは中華人を名乗らずに、日本人を名乗りました。中華の国に対しては、「我々が倭人です」と挨拶までしています。
成りすましたんです。
これも言語の端々に痕跡がでます。
成りすましたことにより、日ユ同祖論では歪んだ答えがでるようになります。
ユダヤ人は、日本人が過去にイスラエルと繋がっていると認識しました。実際には日本人は、DNAを見てもChinaの人がほとんどです。
Chinaと差別化を計るために、日本人というブランドを作って、もともといた日本人が唐や随から文明を学んでいったと説明されます。
ですが、言語やDNAを見れば、それが違うことが判明します。
もともとChinaの人が日本にやってきて、ヤマトの国の文明をごっそり盗んで行く様子が出ます。
現代を例にあげると、アメリカ合衆国に中国から移民があって、新しい州を作る前になりました。するとアメリカにいきなり二人の大統領がでます。喧嘩になります。しばらくすると中国の人が「私がアメリカを束ねました。国名を美国にしました」と世界中に挨拶にいきます。ここからモンゴロイドの国になります。英語を漢字で表記する変な言語を使います。
美国人は、「アメリカの文化なんてない。すべては美国人の文化だ」と主張します。アメリカにある文明は、美国人が自分で作ってきたものだと。そして自らはアメリカ魂ともっているとさえ言います。
イギリスあたりが同祖論を展開しても、こうなったらもう日ユ同祖論と同じ結果にしかなりません。
これで日ユ同祖論を笑っていられますか?
https://note.com/yamato_izumo/n/n4d69cbd41fe2
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7:777
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2023/07/30 (Sun) 07:05:50
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Q: 渡来人の秦氏は中央アジアの弓月国から来たそうですが、本当ですか?
回答: Ohta Mutsumi
本当の訳がありませんが、この話は日猶同祖論の派生形である「ユダヤ人日本渡来説」信奉者に根強い人気があります。書籍もいろいろ出ていますし、ネットにも情報がいっぱい出てきますので、信じている方々もいっぱいおられます。しかし、ちょっと調べると、根拠薄弱な情報を寄せ集めて成り立っているだけなのでバカバカしくなるぐらいです。
信奉者たちが使う根拠は、応神天皇の時代に百済から一族を率いて渡来したという「弓月君」という人物の存在で、これは『日本書紀』(720年)に記述があります。また『新撰姓氏録』(815年)にも融通王、別名夕月君が応神天皇の時代に渡来したとあります。この夕月君は渡来人グループである秦氏のリーダーと目される人物です。
次に信奉者たちはこの夕月君は中央アジアから来たという説を展開します。資治通鑑という中国の歴史書に夕月国という国の存在が書かれており、夕月君は夕月国から来たのであるとします。
さらに、当時の中央アジアにはユダヤ人が住み着いている街があったという話を加えることで「秦氏はユダヤ人だった」説が完成します。以下、順々に考えていきましょう。
夕月君自体は実在性が疑われている人物ですが、かなり古い時代に、「秦氏」を名乗る氏族グループが渡来していたことは多分確かでしょう。ただし、応神天皇の時代とされているので正確な年代は分かりません。応神天皇は日本書紀で111歳、古事記で130歳まで生きたことになっており、実在性も疑われている天皇です。古事記や日本書紀の記述を鵜呑みにするならば、3世紀から4世紀にかけて生きたことになっており、そうであるならば卑弥呼と同時代人ということになります。応神天皇は中国の史書にに出てくる倭王讃(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AE%83)ではないかとも言われており、そうなると5世紀前半の人となります。6世紀の継体天皇の時代以降は歴史記述ははっきりしておりますので、応神天皇は5世紀以前の人でしょう。従って「秦氏」の渡来人グループが日本にやってきたのは5世紀以前の話と考えるのが順当なところです。
秦氏のリーダーと目される夕月君は百済からやってきたと『日本書紀』記します。『新撰姓氏録』によれば秦の始皇帝の末裔であるとのこと。おそらくは、秦氏がそう称していたのでしょう。この二書には中央アジアの出であることを匂わせるような記述は一切ありません。
ところが、佐伯好郎という人が1908年の論文で夕月君は、中央アジアの夕月国から来たのだという説を立てます。佐伯は言語学者で、景教の研究で有名な人です。ついでに書けば最初期の日猶同祖論者でもあります。
しかし、弓月国なんて国は中央アジアには存在していません。どの歴史書にも現れません。ネットで検索して出てくる「中央アジアにあった夕月国」の話はすべて秦氏ーユダヤ人説信奉者の方々によるものです。信奉者の方々は決まって資治通鑑に夕月国のことが書いてあると主張しており、おそらくは佐伯がそう言いだしたのでしょう。
現在のwikipediaでは「1908年の論文「太秦を論ず」で発表された「秦氏=ユダヤ人異教徒」説は、古代日本の渡来人系有力氏族・秦氏の本拠地であった京都・太秦の地名・遺跡などを根拠としながらもほとんど語呂合わせ的なものであり、当時の歴史学界ではほとんど相手にされなかった(現在も否定されている)」とされています。「弓月君は弓月国から来た」というのも「夕月」という同じ名前からの連想によるもので、それ以上の根拠を持ちません。そもそも夕月「国」は資治通鑑に登場しません。
資治通鑑とは1065年に編纂が始まって1084年に完成した評価の高い歴史書です。しかし「弓月」という言葉が出てくるのは以下の2箇所のみです。
永徽二年(辛亥,公元六五一年)七月,西突厥沙缽羅可汗寇庭州,攻陷金嶺城及蒲類縣,殺略數千人。詔左武候大將軍梁建方、右驍衛大將軍契苾何力為弓月道行軍總管,右驍衛將軍高德逸、右武候將軍薛孤吳仁為副,發秦、成、岐、雍府兵三萬人及回紇五萬騎以討之。
永淳元年(壬午,公元六八二年)夏,四月,甲子朔,日有食之。 (中略) 阿史那車薄圍弓月城,安西都護王方翼引軍救之,破虜眾於伊麗水,斬首千餘級。
両方とも西突厥と唐の戦争がらみの話の中に出てくる地名であり、「弓月城」とあるので「夕月」という街か城塞はあったのでしょう。しかし7世紀についてのこの2箇所の記述だけから5世紀以前の「弓月国」の存在は引き出せません。そもそも資治通鑑以外の歴史書に「弓月」の地名は出てきません(少なくとも、そういう情報を見たことが私はありません)し、現在の歴史教科書に「夕月国」が中央アジアにあったと書いているものはありません。夕月国とは「秦氏はユダヤ人だった」論者の頭にのみ存在する架空の国家です。
ということで、当時の中央アジアにユダヤ人が住んでいようとも、そもそも夕月国が存在せず、名前が一緒だからというだけの理由で朝鮮半島の百済国にいたグループが中央アジアから来たというのは、あまりにも根拠が薄いのです。ましてや夕月君の実在性自体が疑われていますので、根拠はさらに薄くなります。
なお、「秦氏=ユダヤ人論」には様々なバリエーションがありますが、夕月君が真の始皇帝の末裔を称していたということを使って、「秦の始皇帝の末裔というのは誤りで、 紀元4世紀の華北を支配した五胡十六国時代の前秦の王族の末裔であろう」とするものがあります。前秦は五胡の一つである氐族が興した王朝であり、元々は甘粛省から来たとされています。甘粛省の西隣りにはタリム盆地があり、その先が中央アジアです。これなら、夕月国という架空の国家を引き合いに出さなくとも「秦氏=ユダヤ人論」が展開できるとあって、その筋の方々には人気の説ですが、前秦がユダヤ教国家であったというような話はどこにもありません。たとえ、五胡の氐族にユダヤ人の血が流れていようとも、ユダヤ教の伝統が途絶えていれば、その子孫が日本に渡ろうともユダヤ文化の何かが日本に伝わることは何一つあり得ません。
そして、「秦氏=ユダヤ人論」の誰一人として前秦がユダヤ教国家だったと立証しようとする人がいません。そういう、いい加減な話なのです。
https://jp.quora.com/%E6%B8%A1%E6%9D%A5%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%A7%A6%E6%B0%8F%E3%81%AF%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%9B%BD%E3%81%8B%E3%82%89%E6%9D%A5%E3%81%9F%E3%81%9D%E3%81%86%E3%81%A7?share=1
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8:777
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2023/07/31 (Mon) 20:20:41
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【日ユ同祖論】日本に来た二つのユダヤ人の秘密。茂木誠先生と語る
2023/07/29
https://www.youtube.com/watch?v=xtz54WbLIR0
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9:777
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2023/07/31 (Mon) 23:04:24
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【表では言えない】封印された皇統の話|茂木誠×羽賀ヒカル
2023/02/08
https://www.youtube.com/watch?v=SzomOy6ekek&list=PLnU7lV_MMtxBLAK807pz7u2305eDXr_ri&index=3
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10:777
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2023/08/15 (Tue) 16:26:31
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【日本とユダヤの奇妙なつながり】日ユ同祖論を深堀りします│茂木誠×吉岡孝浩
2022/07/01
https://www.youtube.com/watch?v=ORSSfo5xkQ0&list=PLIFjTpVDXkJmF-oB8nr1Ap0kjfBnnHWCZ&index=14
00:14 ユダヤ選民思想における日本の位置づけは?
05:14 日本文化とユダヤの関係
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11:777
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2023/09/29 (Fri) 07:33:07
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神仏習合とケガレ思想(平安時代) |茂木誠
2023/09/28
https://www.youtube.com/watch?v=UoTvyzz97HU
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12:777
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2024/09/24 (Tue) 05:53:28
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アシュケナジイユダヤ人のハプロタイプ
2016-04-04
https://ameblo.jp/oyasumipon/entry-12146761873.html
インド・ヨーロッパ語族は、5,000–6,000年前
黒海・カスピ海の付近(現在のウクライナからヴォルガ川の地域)で始まったそうです。
参考:インド・ヨーロッパ祖語-Wikipwdia
Y染色体ハプログループの分析によると、インド・ヨーロッパ祖語を話していた人々と、
コーカサス地方の民族は異なるよう。
インド・ヨーロッパ語族を広めたとされるのは、タイプRを持っていた人々で、
コーカサス地方はタイプGとタイプJだということです。
参考:ハプログループR -Wikipedia
http://assam1983.blog.fc2.com/blog-entry-71.html
ユダヤ人のハプロタイプは以下のように、GとJのようだ。
ユダヤの祭司職(モーセの兄・アロンの子孫、レビ族、コーヘン家)
ユダヤ教の世襲祭司職(神主)であるコーヘン(Cohen)家のY染色体は、ハプログループJ1a1b1b1a2a1a1a4b1a(J-L147.1*, subclade-Z18271)である(注1)。これは、世界中に広がるコーヘン家の男性復数名から得られたデータに基づく。コーヘン家は、男系男子で世襲相続してきた祭司職(神主)の家柄で、アシュケナージ系ユダヤ人であり、モーセの兄である「アロン」の子孫で、レビ族に属する。これらの結果により、「アシュケナージ系ユダヤ人は、純ユダヤ人ではなく、途中で改宗した白系ハザール人の子孫である」といった憶測は、完全に否定される結果となった(注2)(注3)(注4)。
http://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93J%E7%B3%BB%E7%B5%B1
ユダヤ人が属する Y染色体DNAハプログループ: Y染色体DNAハプロタイプ系統樹(2003) 、 List of haplogroups of historic people(有名人のハプロタイプ)
F(セム) > G、H、I、 J > J系統=アブラハムの子孫 > J2a が オリジナルのユダヤ系、 G2c(アナトリア) は捕囚の時混血? or ディアスポラ時代?
(ハム) > A、B、C、 D、E > E系統= クシュ、ミツライム、プテ、カナン > E1b1b1a3 は 主にフェニキアとの混血
K(ヤペテ) > L、M、N、O、 P > Q、R > R1a1 は ディアスポラの時に東欧系が混血 (アシュケナジムのみ)
1) J2a系統: Y染色体DNAハプロタイプの J系統は、セム系の J1系統と J2系統に分かれる。(ヨーロッパのY遺伝子分布 )
・ J1(M62、中東の南部系) ・・・ アラビア半島全体 30%、 特に イエメン 70%
ex) モハメッド(イスラム教創始者ムハンマド、570-632; ヨルダン王族2名より分析) J1a2b2*、 ペルシャ・カージャル朝の王(1772-1834) J1
・・・・・ これはどう見ても イシュマエルの子孫である。父親はアブラハムで、母親はエジプト人。
→上の記事では、モーセの兄・アロンのY染色体がこれ(当然モーゼとも同じ)。アシュケナジイ・ユダヤ人で、白人と思われる。系図では、この系統がシュメール人のサラを母とする。
また、別の記事だが、http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm では、
J1はアラビア半島起原で1万年前頃の分岐、セム語族。アナトリア・レヴァント地域、北アフリカにも。一部コーカサスにも。
・ J2(中東の北部系) ・・・ J2a(M41): クレタ島、インドのバラモン階層(R + J2a)
J2b(M63): ギリシャ、アナトリア(トルコ中部)、バビロニア、エルトリア(ローマ初期の支配層)
この J2a 系統に ユダヤ人が集まっている。 J系統は アブラハムの子孫と考えられ、オリジナルのヘブル民族(セム → エベル)の流れがここにある。
∴ J1: イシュマエルの子孫(ハガルはエジプト人)
J2: イサクの子孫(=イスラエル民族、サラは同族) + ケトラの子孫(ミデヤン、 ヨクシャン → シェバ、デダン など、 創25:1-4)
ex) あるロシア系ユダヤ人 J2a1b(J-M67)、 あるルーマニアのユダヤ人 J2(J-M172)、
ロスチャイルド家 J2a1b3(J-L210) ・・・ もちろん、J2aであるからといって本当のユダヤ人であるとは限らない。(ロスチャイルドはJ2a(M41)の多いクレタ島出身であり、実は にせユダヤである。ユダヤ教は全く信奉していない。 「クレテ人(クレタ島の人)は昔からのうそつき、(性的な意味で)悪いけだもの、なまけものの食いしんぼう」(テトス1:12) ・・・ BC600頃の クレタ島出身の哲学者エピメニデスの格言を 流用。当時、キリスト教宣教を妨害する 評判の悪い自称ユダヤ人たちがいて、間違った教えで人々を翻弄していた。
(ロックフェラーはドイツ系白人のワスプで、出自が明らかに異なる。デビッド・ロックフェラーのユダヤ教は形だけ。)
ヨーロッパのユダヤ人家系は J2が多い。現在のイスラエル国はJ2が 20-30%。(レバノン 30-40%、ヨーロッパ 5-10%、その他 アナトリア、イタリア中部、南イタリア、アラビアなどに広く分布) ところが コハニム(レビ族のうちの祭司職、アロンの男系子孫)に アラビア系の J1系統が集まっているのは驚きである。主が しるしのために、本来のユダヤ人でないアロンを任命したとしか考えられない。(↑の(1))
←J2は、メソポタミア文明の農耕民が起原、コーカサス・メソポタミア・地中海沿岸(15000年前頃)。Y-DNA「G」と共に農業革命を興こした先進遺伝子集団。http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm
また、ヨセフの時、外国人支配時代のエジプト(ヒクソス時代)なので、エフライムとマナセには E系統(YAP)は入っていないで J系統・セム系が保たれていると思われる。
晩年のアブラハムのケトラの子(東に行ったが)は 父系遺伝から J系統であり、日本人にはJ系統がいないため、日本人がケトラの子孫であるという説は間違い。
2) G2c系統: これもセム系で、アシュケナジ系ユダヤ人に G2cのみが見出される。コーカサスのG2aは入っていない。
・ G2a ・・・ コーカサス(黒海、カスピ海の北)、 イラン、アフガニスタン、カシミール
ex) ヨシフ・スターリン G2a1a、 アイスマン(コルシカ島・特殊) G2a2a1b
・ G2c ・・・ アナトリア(トルコ中部)、 アシュケナジム・ユダヤ
・・・・・ したがって、アシュケナジムが ハザール王国(コーカサス)の改宗者の子孫(7-10c)という説は、DNAから見て間違いで、現在では俗説とされている。
←上はいつの分岐モデルに基づいているのかわかりませんが、アーシュケナシーは、G1a・G2a1a1a1などのようです。http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm
3) E1b1b1a3(E-V22)系統: E系統は、創世記10章の ハムの子孫(クシュ、ミツライム、プテ、カナン)の代表であり、D系統と共に、Y染色体DNAに YAP変異を持ち、アフリカ、地中海沿岸に、ごく普通に非常に幅広く分布している。(A系統、B系統を半ば駆逐するような形で) 日ユ同祖論に近い議論でたびたび言及される YAP共通の点は、E系統と D系統が ごく初期の段階で分かれ、その後は互いに交流の形跡が無いことから、YAPのしるしはそれほど重要な意味を持たないと考えられる。(初期の 階段状ピラミッドまでは共通と思われる。 バベルの塔 → エジプトの階段状ピラミッド → エジプトの大ピラミッド → 小規模のピラミッド状の墓; → チベット・中国のピラミッド、 → 日本の海底ピラミッド)
・ E1a(E-M33)系: 西アフリカ (→ るいネット )
・ E1b1a(E-M2) ソマリア、エチオピア、ギニア、サハラ以南 ・ E1b1a7(E-M191) モザンビーク、ジンバブエ、南アフリカ
ex) ラムセス3世 E1b1a(E-V38) (・・ 2012 12)、 バラク・オバマ E1b1a(E-V38)
・ E1b1b(E-M215、M35 (旧)E3b)系: 東アフリカ、北アフリカ、南ヨーロッパ(ドイツとオーストリアに9%弱もいる)
ex) アドルフ・ヒトラー E1b1b1(E-M35) ・・・ E1b1b1a3 と異なり、フェニキア・ユダヤ系ではない
・ E1b1b1a(E-M78、 (旧)E3b1a)、 ・ E1b1b1a1(E-V12)、 ・ E1b1b1a2(E-V13) 古代ギリシャ人、 ・ E1b1b1a4 モロッコ人
・ E1b1b1a3(E-V22) フェニキア人、古代ユダヤ人(レヴァント(=シリア、パレスチナ(ペリシテ人の地)))、アラビア半島
・・・・・・ E系統のユダヤ人の多くは、初期の歴史の中で本来のJ系統ユダヤ人グループに合流したものと考えられる。 ソロモン以降、フェニキアとのかかわりの時代に 積極的な交流があったことを示す。(アハブの妻イゼベル)、 さらに古くは ヒッタイト(ヘテ人)、モアブ人などが混じっているはずである。
● ハム系 → ミツライム(エジプト) → カスルヒム → ペリシテ人(E系統) + J2系統(シリア人) ≒ フェニキア人(言語はセム語系の フェニキア語、 人種は混合) → BC9cにはアッシリアに服属、 カルタゴへ移る → ポエニ戦争以降 共和政ローマに併合
ハム系 → シドン人
ハム系 → カナン → ヘテ人(ヒッタイト) ・・・ エジプトに、”鉤鼻”のヒッタイト兵士の彫刻、ヘテ人とはアブラハムの頃に交流、
エサウの妻(ヘテ人2人と ヒビ人1人) → 5人の子 → エドム人 ・・・ このエドム人がフェニキアの航海技術を持ち、ユダヤ人と共に 南洋ルートで沖縄・山陰に来たと考えられる(→ (1) エドム人とユダ族の移動 ) 琉球人から見たフェニキア人は 背の高い人々だったとされる(下に 沖縄のフェニキア遺跡 )
モアブは、アモンと共に、 アブラハムの甥のロトと彼の娘たちとの近親相姦の子孫
・ E1b1b1b2(E-Z830) アルバート・アインシュタイン ・・・ 上記(E1b1b1a3)と異なるので、本当のユダヤ人ではない
・ E1b1b1b2a1*(E-M34) ナポレオン・ボナパルト ・・・ 家系が中部イタリア出身
・ E2(E-M75) サハラ以南
・ セファルディム(北アフリカ)や、特に エチオピアのユダヤ人(ベト・イスラエル(ダン族)、A3b2(M13) 41%、E3*(M40) 18%、E3b(P2) 32%、 J2(M172) 5%・・・ E系統50%、黒人系で90%以上、ユダヤ系は5%もいない)への E系統の混入率は高い。(ディアスポラ時代に混入)
4) R1a1系統: R1a1: 東欧系、 R1b: 西ヨーロッパ人の40~80%
2005年の調査により、 アシュケナジー系男系 Yの 11.5%が R1a1系統であり、母親がユダヤ人で 一部の東欧系の父親の子供がユダヤ教になったことを裏付けている。 ( R1a: 東欧人で 54-60%、2001年) 母系(ミトコンドリア↓)の80%以上との違い
* また、アシュケナジムのミトコンドリアDNAの解析では、はるかに多く、母系の81%がヨーロッパ系(mt-DNAの H 20.5%、K 31.8%、N1b 9.2%、J6.3% など)、中近東(ペルシャ、アナトリア) 8.3%、アジア1.1%であり、80%以上が(コーカサスではなく)ヨーロッパ人種であることを裏付けている。(→ Nature Asia 、 Figure10 (2013 10))
これは、エルサレム陥落後まもなく ヨーロッパ人の妻を多く娶ったためといわれる。歴史では、8-9世紀に北フランスにユダヤ人集団の記録があり、14末-15世紀にかけて西ヨーロッパを追放され(イギリス1290-、フランス1394-、ドイツ15c-)、東欧へ移動し、特に ポーランドの保護に入った。この時、特に 現地人の妻との間に子孫が多くできたことを表している。(同族結婚では奇形などが多くうまく育たなかったと思われる。)
** アシュケナジー系の 人口ボトルネックの存在:
25~32世代前、すなわち 1200-1400年頃に アシュケナジムが わずか250-420人程度にまで減少した形跡が発見された。これは、ヨーロッパ人と比べて、劣性遺伝疾患が100倍に増幅されていることなどから推測されたものである。 この時期には、十字軍による組織的虐殺、あるいは ペストの罹患 および その迫害 という、きわめて厳しい環境下に置かれた歴史を経てきた事を表している。(申命記28章の のろい、「星の数ほど多くても、残された者はわずか。」(28:62) ただし、今は回復の時になってきている。)(「東欧系ユダヤ人は250~420人が創始者」ゲノム解析で判明 、2014、記事元・WIRED.jp.)
http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/00%200%200%20dna2.htm
https://ameblo.jp/oyasumipon/entry-12146761873.html