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ロバート・ケネディ・ジュニアが次期大統領選挙に立候補

1:777 :

2023/04/21 (Fri) 03:35:36

2023.04.21XML
ロバート・ケネディ・ジュニアが次期大統領選挙に立候補すると表明
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202304210000/

 ​ロバート・F・ケネディ・ジュニアが正式に次の大統領選挙へ出馬すると表明した​。言うまでもなく、この人物は1968年6月6日に暗殺されたロバート・ケネディの息子であり、63年11月22日に暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領の甥であり、99年7月16日に「飛行機事故」で死亡したジョン・F・ケネディ・ジュニアの従兄弟にあたる。

 アメリカの大統領選挙は4年に1度であり、1964年、68年、2000年にも実施されている。ジョン・F・ケネディとロバート・ケネディは大統領選挙の有力候補。ジョン・F・ケネディ・ジュニア本人は大統領選への出馬を否定していたが、1999年当時、共和党のジョージ・W・ブッシュや民主党のアル・ゴアより人気があった。立候補すれば当選した可能性が高い。

 RFKと親しかったマーチン・ルーサー・キング牧師は1968年4月4日に暗殺されたが、その丁度1年前、ニューヨークのリバーサイド教会で開かれた「ベトナムを憂慮する牧師と信徒」で、「沈黙が背信である時が来ている」という主催者の訴えに賛意を示し、「なぜ私はベトナムにおける戦争に反対するのか」という話をしている。

 ロン・ポール元下院議員によると、​キング牧師の顧問たちはベトナム戦争に反対するとリンドン・ジョンソン大統領との関係が悪化すると懸念、牧師に対してベトナム戦争に焦点を当てないよう懇願していた​というが、牧師はそれを無視したわけだ。

 アメリカでは第2次世界大戦後、ソ連を先制核攻撃する作戦が立てられていた。1957年に作成されたドロップショット作戦では300発の核爆弾をソ連の100都市に落とすることになっていた。

 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、​統合参謀本部のライマン・レムニッツァー議長やSACの司令官だったカーティス・ルメイなどの好戦派は1963年の後半にソ連を奇襲攻撃る予定だった​という。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていた。この攻撃を成功させるためにもアメリカ軍はキューバを制圧する必要があったのだ。キューバからなら中距離ミサイルでアメリカに反撃できる。ソ連もそう考えたようで、キューバへミサイルを運び込んだ。

 その事実を知ったレムニッツァーやルメイたちはソ連と戦争を始めるように求めたが、ケネディ政権は海上封鎖を宣言するの止める。これでも現在、ロシアのウラジミル・プーチン政権が行なっていることより強硬だが。

 この危機をケネディ大統領は外交的に解決、1963年6月10日にアメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行う。ソ連と平和共存する道を歩き始めると宣言したのだ。

 その演説で彼は軍事力で世界に押しつける「パックス・アメリカーナ(アメリカ支配による平和)」をまず否定、アメリカ市民は「内へ目を向けて、平和の可能性に対する、ソ連に対する、冷戦の経過に対する、また米国内の自由と平和に対する、自分自身の態度を検討しはじめるべき」(長谷川潔訳『英和対訳ケネディ大統領演説集』南雲堂、2007年)

 ケネディは「互いに寛容な心をもって共存し、その紛争を公正で平和的な解決方法」に委ねるように求めた。ソ連とアメリカとの間で全面戦争が起これば、いずれの国も破壊されるとも主張、冷戦の段階でも「両国はともに無知と貧困と病気を克服するためにあてることができるはずの巨額のカネを、大量の兵器に投じている」と警鐘を鳴らした。「自信を持ち、恐れることなく、われわれは人類壊滅の戦略に向かってではなく、平和の戦略に向かって努力し続けるのです」ともしているのだが、軍事強硬派は怒る。大統領が暗殺されたのは、その演説から5カ月後のことだった。

 キング牧師と親しいRFKも兄と基本的に同じ考え方だったろう。それだけでもCIAや軍の強硬派にとって危険なことだったろうが、それ以上の恐怖もあったはずだ。つまり、兄の暗殺を大統領として調べ始めることも予想された。

 2001年9月11日はアメリカ、そして世界の歴史における大きな転換点になった。ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのだ。それを口実としてジョージ・W・ブッシュ政権は侵略戦争を本格化させた。もしJFKジュニアが大統領だったなら、こうした展開にはならなかっただろう。

 そして現在、世界は2001年以上の大きな歴史の転換点にある。ヨーロッパ諸国や日本は依然としてアメリカの属国だが、世界的にアメリカ離れが起こっている。そうした国中にはドル体制やエネルギー政策を支えてきたサウジアラビアも含まれている。そうした時期に実施される大統領選挙でネオコンは負けるわけにはいかない。すでにドナルド・トランプを潰す手を打ちつつあるが、RFKジュニアの登場は彼らにとって厄介だろう。あらゆる手段を使い、RFKジュニア潰しを行うだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202304210000/



【今、世界はどうなっている?】林千勝×水島総 第25回「ケネディ家の反乱児はアメリカの分断統治構造を壊せるか?[桜R5/4/15]
https://www.youtube.com/watch?v=EsrYKdq1rLg

出演:林千勝(近現代史研究家・ノンフィクション作家)・水島総(日本文化チャンネル桜代表)
2:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/04/21 (Fri) 03:38:48

59年前の11月22日、支配層から憎悪されたケネディ大統領はダラスで暗殺された
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14066707
3:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/05/11 (Thu) 10:09:29

2023.05.11XML
ロバート・ケネディ・ジュニアがJFK暗殺とCIAを結びつける発言をしたインパクト
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202305100001/

 次のアメリカ大統領選挙へ民主党から出馬すると表明しているロバート・F・ケネディ・ジュニアは5月7日、WABCラジオでホストを務めるジョン・カツィマティディスのインタビュー中、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺にCIAが関係している可能性に言及した。「合理的疑惑以上」だとしている。これまで少なからぬ研究者やジャーナリストがこの暗殺を調査、同じ結論に達している。

 ケネディ大統領は1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺され、その直後にリー・ハーベイ・オズワルドが逮捕される。ところが暗殺の2日後、ダラス警察の地下でオズワルドは射殺された。その犯人だとされているジャック・ルビー(ジェイコブ・ルベンスタイン)はナイトクラブのオーナーで、シカゴの犯罪組織とつながっていた。サム・ジアンカーナと緊密な関係な関係にあったとも言われている。

 ルビーは1964年4月に死刑が言い渡されたが、上訴裁判所はそれを取り消す。この年の6月にウォーレン委員会のメンバーとダラスで面談したルビーはワシントンDCへ移すように強く求めている。テキサスにいては命が危ないという理由だった。自分は真実を話す用意があるが、テキサスでは無理だというのだ。結局、彼の移送は認められず、1967年1月にパークランド病院でガンのために55歳で死亡した。

 ケネディ大統領は1963年11月2日にシカゴを訪れる予定だったが、そこでも暗殺計画があった。パレードの途中で4名のスナイパーが高性能ライフルで大統領を狙うという情報をFBIが「リー」なる情報源から入手、シークレット・サービスへ伝えられた。

 また、シカゴ警察のバークレー・モイランド警部補は10月後半、シカゴにあるカフェテリアの経営者からケネディ大統領に関して不穏当な話をする常連客がいることを知らされている。そこで警部補はその男が来るのを待ち、トーマス・アーサー・ベイリーだと確認してからシークレット・サービスに連絡している。(James W. Douglass, “JFK”, Orbis, 2008)

 ベイリーの自宅を捜索すると、M1ライフル、カービン銃、2800発の銃弾があった。11月2日午前9時10分(東部時間では10時10分)、ケネディがシカゴのオハラ空港へ到着する予定時刻の30分前にベイリーは逮捕されている。

 警察で捜査を担当したのはダニエル・グロスとピーター・シューラだが、グロスはFBIやCIAの訓練を受けた人物で、1969年には警官隊を率い、黒人解放運動を掲げて活動していたブラック・パンサーの指導者であるフレッド・ハンプトンとマーク・クラークを射殺する。またシューラは1970年代にシカゴの警察本部で情報担当の幹部になった。

 11月18日にマイアミで暗殺する計画もあったと言われている。そこで自動車によるパレードが中止になった。そして22日に大統領はダラスへ入る。(Peter Janney, “Mary’s Mosaic,” Skyhorse, 2013)

 当時のダラス市長アール・キャベルの兄のチャールズ・キャベルは1953年4月からCIA副長官を務め、アレン・ダレス長官と同じようにソ連との核戦争を視野に入れた好戦的な作戦を実行しようとしていた。ケネディ大統領は1961年11月にダレス長官を、そして1962年1月にはキャベル副長官を解任している。

 1963年11月22日の朝、ケネディ大統領はフォート・ワースのカーズウェル空軍基地からダラスのラブ・フィールドへ移動、そこでパレード用のリンカーン・コンバーティブルに乗り込む。

 そのリムジンの約400メートル前方を走るパイロット・カーを運転していたのはダラス警察副本部長のジョージ・ランプキン。この人物は予備役の第488情報分遣隊で副隊長を務めていたが、その分遣隊で隊長を務めていたジャック・クライトンはダラスの石油業者で、ジョージ・H・W・ブッシュと親しく、第2次世界大戦でCIAの前身であるOSSに所属していた。

 大統領が乗ったリムジンは防弾仕様でなく、屋根はシークレット・サービスのウィンストン・ローソンの指示で取り外されている。またリムジンのリア・バンパーの左右には人の立てるステップがあり、手摺りもついているが、パレードのときには誰も乗っていない。大統領の指示だったという話もあるが、エージェントだったジェラルド・ベーンは大統領がそうした発言をするのを聞いていないと証言している。元エージェントのロバート・リリーによると、大統領はシークレット・サービスに協力的で警備の方法に口出しすることはなかった。

 パレードの途中、12時半頃にケネディ大統領は暗殺された。後ろの教科書ビルから撃たれたことになっているが、映像を見ても証言を調べても、致命傷になったであろう銃撃は前方からのものだった可能性がきわめて高い。銃撃が始まると、大統領を乗せたリムジンの後ろを走る自動車にいた特別エージェントのエモリー・ロバーツは部下のエージェントに対し、銃撃だと確認されるまで動くなと命令している。

 しかし、クリント・ヒルは命令を無視してリムジンに飛び乗る。彼によると、銃撃の後に喉を押さえるケネディ大統領を見てのことだ。まだステップに足がかかる前、血、脳の一部、頭骨の破片が自分に向かって飛んできて、顔、衣類、髪の毛についたとしている。

 ステップにヒルの足がかかった時、大統領夫人のジャクリーンもボンネットの上に乗り、大統領の頭部の一部を手に触れようとしていた。その時、大統領の頭部の中が見えたという。リムジンの前方から銃撃されたことは決定的だ。(Clint Hill with Lisa McCubin, “Mrs. Kennedy and Me”, Gallery Books, 2012)

 ケネディ大統領の死亡はダラスのパークランド記念病院で確認されているが、後にルビーもこの病院で死亡する。大統領の死体を見た病院のスタッフ21名は前から撃たれていたと証言、確認に立ち会ったふたりの医師、マルコム・ペリーとケンプ・クラークは大統領の喉仏直下に入射口があると記者会見で語っている。前から撃たれたということだ。

 そうした証言をしたペリーにベセズダ海軍病院から電話が執拗にかかり、記者会見での発言を撤回するように求められている。これは同病院で手術や回復のための病室を統括していた看護師、オードリー・ベルの証言。ペリー本人から23日に聞いたというが、数カ月後にそのペリーは記者会見での発言を取り消し、喉の傷は出射口だとする。ウォーレン委員会でもそのように証言した。(Peter Janney, “Mary’s Mosaic,” Skyborse, 2013)

 大統領の死体は法律を無視してパークランド記念病院から強引に運び出され、検死解剖はワシントンDCのベセズダ海軍病院で行われた。担当した軍医のジェームズ・ヒュームスは検死に不慣れだったとも言われている。

 狙撃の訓練を受けたわけでもないオズワルドがひとりでケネディ大統領を暗殺したとする公式説に疑問を持った地方検事がいた。ニューオリンズのジム・ギャリソンだ。1966年後半から捜査を始め、67年3月にクレイ・ショーを逮捕する。オズワルドがソ連へ「亡命」した時に名前が出てきた人物で、サントロ・モンディアール・コメルシアールやパーミンデックスの理事でもあった。イタリアの王族や貴族もCIAの秘密工作で名前が出てくるが、ここではそうした話を割愛する。

 パーミンデックスはCIAやイギリスのMI6と関係が深いと言われている会社で、アルジェリアの独立に反対する軍人グループへ資金を供給していたとイタリアでは報道されている。ショーを逮捕したギャリソンはアメリカの有力メディアから批判されるが、それだけ彼は核心に迫っていたということだろう。

 その軍人グループとは1961年に創設された反ド・ゴール派の秘密組織OAS(秘密軍事機構)。イタリア政府もサントロとパーミンデックスを危険な存在だと認識、1962年に両社は国外へ追放され、ヨハネスブルクへ本部を移している。(Jim Garrison, “On The Trail Of The Assassins”, Sheridan Square Press, 1988)

 シャルル・ド・ゴールは大戦中、レジスタンスに参加している。アメリカやイギリスの私的権力はこのゲリラ戦部隊を敵視、対抗するために組織したのがジェドバラ。この人脈が大戦後、CIAの秘密工作部門やNATOの秘密部隊ネットワークを築いた。ド・ゴールが命を狙われた一因は第2次世界大戦中にナチスと戦ったことにあると考える人は少なくない。

 パーミンデックスが創設されたのはスイスで、カナダにも施設があった。設立当時の1958年における社長兼会長はルイス・モーティマー・ブルームフィールドだが、この人物は1938年にイギリスの破壊工作機関SOE(特殊作戦執行部)へ入っている。

 第2次世界大戦中、OSSとの連絡機関としてイギリスはBSC(英国安全保障局)を設置するが、その責任者だったウィリアム・ステファンソンはケネディ大統領が暗殺された当時、ブルームフィールドを動かす立場にいた。(EIR, “Dope, Inc.”, Progressive Press, 2010)

 ケネディ大統領が暗殺された後、副大統領だったリンドン・ジョンソンが大統領に就任、11月29日に「ケネディ大統領暗殺に関する大統領委員会」を設置、アール・ウォーレン最高裁長官を委員長に据える。委員長の名前から「ウォーレン委員会」と呼ばれることが多い。

 委員会のメンバーはウォーレンのほかにリチャード・ラッセル上院議員(当時、以下同じ)、ジョン・クーバー上院議員、ヘイル・ボッグス下院議員、FBIと関係が深いジェラルド・フォード下院議員、アレン・ダレス元CIA長官、ドイツの高等弁務官としてナチスの大物を匿ったジョン・マックロイ元世界銀行総裁がいた。そして主席法律顧問はFBIとCIA両方とつながっていたリー・ランキン。この中で委員会の専従はダレスだけだった。

 ウォーレン委員会が暗殺に関する報告書と出した3週間後の1964年10月12日、ケネディ大統領と親しかったマリー・ピンチョット・メイヤーが散歩中に射殺された。銃弾の1発目は後頭部、2発目は心臓へ至近距離から撃ち込まれている。プロの仕業だ。容疑者として逮捕されたレイモンド・クランプは1965年に無罪が言い渡されているが、捜査は杜撰だった。

 ケネディ大統領が暗殺された直後にマリーは友人でハーバード大学で心理学の講師をしていたティモシー・リアリーに電話し、泣きじゃくりながら「彼らは彼をもはやコントロールできなくなっていた。彼はあまりにも早く変貌を遂げていた。・・・彼らは全てを隠してしまった。」と語ったという。(Timothy F. Leary, Flashbacks, Tarcher, 1983)

 マリーは大統領と親しかったことから何かを聞いていた可能性があるが、それだけではない。彼女が結婚したコード・メイヤーはCIAで秘密工作部門の幹部を務めていた人物。ふたりは1958年に離婚しているものの、CIAの内部情報を知りうる立場にあった。

 ジョン・F・ケネディ大統領、 弟のロバート・ケネディ、ケネディ兄弟と親しかったマーチン・ルーサー・キング牧師は短い期間の間に暗殺された。ケネディ大統領の息子であるジョン・F・ケネディ・ジュニアは大統領選挙を翌年に控えた1999年7月16日に「飛行機事故」で死亡している。

 次の大統領選挙への出馬を表明しているロバート・F・ケネディ・ジュニアはロバート・ケネディの息子であり、ジョン・F・ケネディの甥であり、ジョン・F・ケネディ・ジュニアの従兄弟にあたる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202305100001/
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2023/06/18 (Sun) 04:09:14

【今、世界はどうなっている?】林千勝×水島総 第27回 米国の分断統治体制にヒビを入れたJFKの甥」[桜R5/6/17]
https://www.youtube.com/watch?v=JwMZuDJYE_U

出演:林千勝(近現代史研究家・ノンフィクション作家)・水島総(日本文化チャンネル桜代表)
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2023/07/19 (Wed) 01:37:14

「歴史の真実が公になる時代に …次期大統領候補が危険を伴いながら 言及し続けるアメリカの裏側」西田昌司×伊藤貫 シン・外交安保対談Ⅱ VOL.3
2023/07/18
https://www.youtube.com/watch?v=UuzxIgt6TZU
6:777 :

2023/07/23 (Sun) 22:38:24

報道されないロバート・ケネディ・ジュニア現象と参政党|林千勝
2023/07/23
https://www.youtube.com/watch?v=kjTnGLPksBk
7:777 :

2023/07/25 (Tue) 01:12:47

報道されないロバート・ケネディ・ジュニア現象と参政党〜後編〜|林千勝
https://www.youtube.com/watch?v=s9nCbtWGwEQ
8:777 :

2023/08/17 (Thu) 01:57:15

2023.08.17XML
R. ケネディ Jrは米国がウクライナに生物兵器の開発施設を保有していると認めた
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202308170000/

 ​ロバート・ケネディ・ジュニアはタッカー・カールソンとの対談で、アメリカがウクライナに生物兵器を開発するための研究所を持っていることを認めた​。

 愛国者法によって2001年に生物兵器開発競争が再開されると国防総省は生物兵器に多額の資金を投入し始めたが、その当時、ジュネーブ条約に違反すれば絞首刑になるため、彼らは生物兵器の開発を本格化させることに神経質だったという。そこでバイオセキュリティの権限をHHS(米国保健社会福祉省)の一機関へ移したとケネディは説明している。ウクライナを研究開発の拠点にした理由も罰則を回避することが目的のひとつだったのだろう。

 昨年2月24日からロシア軍はドンバス周辺に集結していた部隊を含むウクライナ軍を攻撃したが、そのほか軍事施設や生物兵器の研究開発施設を破壊、同時に文書を回収している。その中には生物化学兵器の研究開発に関するものが2万以上存在しているという。

 そうした文書の分析を指揮しているロシア軍のイゴール・キリロフ中将によると、ウクライナにはアメリカのDTRA(国防脅威削減局)にコントロールされた研究施設が30カ所あり、そこではロシアやウクライナを含む地域を移動する鳥を利用して病原体を広める研究もしていたという。また2019年からウクライナ兵を被験者としてHIV(ヒト免疫不全ウイルス)の感染実験が行われ、覚醒剤やモルヒネなどの薬物も使われていたと発表されている。こうした生物化学兵器の研究開発施設の建設に対する抗議がハリコフやメレファで、遅くとも2013年8月には行われていた。こうした発表の後、​ビクトリア・ヌランド国務次官は昨年3月8日、上院外交委員会で行った証言でそうした研究施設の存在を認めている​。

 医薬品業界で研究開発に関わってきたサーシャ・ラティポワの分析によると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」の接種計画はオバマ政権の時代にアメリカの国防総省が始めている。​7月21日にジョー・バイデン政権はOPPR(パンデミック対策対応室)の発足とポール・フリードリックス退役少将のOPPR初代室長就任を発表している​が、これもCOVID-19とアメリカ国防総省との関係を示していると言えるだろう。この新組織は生物学的脅威や病原体に対する備えと対応を指揮することになるという。

 ​ジェームス・クラッパーは国家情報長官だった2016年2月9日に発表された情報評価の中で、遺伝子編集を「大量破壊兵器と拡散」の項目で取り上げ、「規制基準や倫理基準が異なる国々が行うゲノム編集の研究はおそらく潜在的に有害な生物学的製剤や製品を生み出すリスクを増大させる」としている​が、アメリカがリスクを増大させた疑いが濃厚だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202308170000/
9:777 :

2023/08/22 (Tue) 04:52:56

ボケ老人VS陰謀論者2024年米大統領選の“ヤバさ”をジェームズ斉藤が解説! 米民主党がトランプ化!? CIAを目の敵にするケネディの甥っ子が台風の目に…
2023.08.21 14:00 文=中村カタブツ君
https://tocana.jp/2023/08/post_255171_entry.html

ジェームズ斉藤(以下、ジェームズ):久しぶりにアメリカの情勢をお届けしましょう。いま来年の大統領選挙に向けて民主党も共和党も盛んに動いていますが、面白い現象が起こっています。それは民主党のトランプ化です(笑)。
──民主党のトランプ化!? どういうことですか?
ジェームズ:言葉通りの意味で、民主党のロバート・ケネディ・ジュニアが中心人物です。
ボケ老人VS陰謀論者2024年米大統領選のヤバさをジェームズ斉藤が解説! 米民主党がトランプ化!? CIAを目の敵にするケネディの甥っ子が台風の目に…の画像1
ロバート・ケネディ・ジュニア(画像は「Getty Images」より)
──あっ、ケネディ・ジュニアですか(笑)。
ジェームズ:いま彼の人気は凄いですよ。先日もトランプ関係者、デサンティス関係者、ケネディ・ジュニア関係者に会ってきましたが、一番勢いがあったのはケネディ・ジュニア関係者でしたね。人気の秘密はトランプが言い始めたディープステートとの戦いに乗り出しているためです。
──対ディープステート!? まだそれ人気があるんですか?
ジェームズ:あります。アメリカで政治に関心がある人たちにはとてもよく刺さるんですよ。実際、ディープステートの被害に合って一番苦しんでいるのは彼らですからね。
──いや、でも、ジェームズさんはディープステートを連呼する人たちをあまり信用してないですよね?
ジェームズ:してません。なぜなら、彼らはともするとカルトに走っていってしまうからです。トランプ支持者が特にそうで彼らはディープステートと戦っているうちにナチやKKKに入っていってしまいますからね(苦笑)。まあ、それはトランプ自身にもそういう傾向があるからなので、仕方ないところはあるのですが。一方、ケネディ・ジュニアの場合は彼らとは違ってディープステートとは言わずにCIAと名指しをするんですよ。

──あっ、確かにそうですね(笑)。

ジェームズ:ディープステートと言ってしまうと実際の敵がどこかわからなくなるんですよ。だから、トランプが一つ無責任だなと思うのは、そういった超国家勢力をディープステートのような陰謀論の匂いがプンプンするような用語で全部まとめて終わりにしてしまったことです。これは知的無責任だと思います。ケネディ・ジュニアのほうが遥かに戦略的に正しくて、あとは知的責任を感じるんですね。たとえば、ディープステートと言って切り込むんじゃなくて、CIAそのものに切り込んでいるんで。しっかり目に見える存在に切り込んでいっているのが正しいと思います、やり方としては。
──トランプの場合はCIAも含めてディープステートが悪いんだっていうから、それで一気に胡散臭くなるんですね。
ジェームズ:胡散臭くなるし、なんの対応もできないんですよ。結局、トランプ自身がディープステートを煽るエージェントである可能性も否定できないんですね。
──お前もディープステートの一員だろうと。
ジェームズ:実際、ケネディ支持者の中には「トランプはディープステートだ」と広言していた人がいましたからね。「だから、ケネディに寝返った」と(笑)。なにしろ、ケネディ・ジュニアはCIAを敵に回して、「叔父のJFKを暗殺したのはCIAなんだ」「父親のロバート・ケネディ暗殺には真犯人がいる」という前提に立って選挙活動をやっていますからね(苦笑)。

──いやぁ、面白いけど、よくやるなぁと思って(苦笑)。
ジェームズ:完全に「陰謀論の人」という扱いになってしまいますからね。もちろん、彼の言ってることは正論ではあるんですよ。ケネディ暗殺事件なんて疑惑しかないですからね。しかし、いま主要メディアは極左が牛耳っていますから、ケネディ・ジュニアがいくら叫んでも「事実に基づかない主張」と切って捨てられるだけなんです。それでも戦う姿勢に支持者が集まってきているんですね。で、その熱狂的な支持者というのは元トランプ支持者です。トランプ、デサンティスで満足できない人がいまケネディ・ジュニアに集まっているんです(笑)。
──つまり、濃いファンを集めているんですね(笑)。
ジェームズ:集めてます。ですから、ケネディ・ジュニア関係者には勢いがあるんですよ、良くも悪くもですが(笑)。
──具体的にどういう人たちなんですか?
ボケ老人VS陰謀論者2024年米大統領選のヤバさをジェームズ斉藤が解説! 米民主党がトランプ化!? CIAを目の敵にするケネディの甥っ子が台風の目に…の画像4
ジョー・バイデン大統領(画像は「Getty Images」より)
ジェームズ:たとえば、ケネディ・ジュニアの支持者の1人はこんなことを言っていました。「結局、我々をコントロールしているのは全部ロンドンなんだよな」と(笑)。
──おお、わかってますね。結局、「シティの奴らですよね」とか(笑)。
ジェームズ:「連邦準備銀行の筆頭株主が英国王室ですからね」とかですね。陰謀論の知識がないとケネディ・ジュニアの関係者とは話せないですから(笑)。まあ、これは陰謀論ではなく、事実なんですが。ですから、私は彼らと話している最中に、TOCANAの編集者たちと話している気持ちになりましたよ(苦笑)。

──それはいい話ですね(笑)。
ジェームズ:ただ、だからこそ、いまのアメリカは大丈夫なのかと思うんですよ。だって、そういう人たちが勢いを増しているんですよ。どれだけ病んだ世界なんですか? この病んだというのは陰謀論を信じる人が多い世界という意味じゃないですよ。権力者の不正を陰謀論だといって政府も司法もメディアも封じ込めているから、逆に、人々は不信感を感じて、トランプを応援し、ケネディ・ジュニアを応援するんです。

──アメリカという国がメチャクチャ抑圧社会になっているんですね。
ジェームズ:その象徴ですよ、こういうムーブメントは。
──でも、なぜ、トランプではなく、ケネディ・ジュニアなんですか? 別にトランプだっていいのに、なぜ、トランプ支持者がケネディ・ジュニアに乗り換えているんですか?

ジェームズ:それはさっきも言ったようにトランプがディープステートを連呼するだけで、実際には戦っていないからです。逆にすべての不正や疑惑の事件の原因をディープステートの一言で済ませてしまうので、それ以上の検証がとまってしまうんですよ。逆に、ケネディ・ジュニアのほうはディープステートとは言わずに、「叔父を殺したのはCIAだ」と名指ししています。具体的な組織な名前を出すので本当の戦いになるんですよ。

──だから、ケネディ・ジュニアはアメリカ人の大好物になるんですね。「お父さんとおじさんをCIAに殺されたんだ」とか言えば、「よし、弔い合戦だ」とかってなりますよね(笑)。
ジェームズ:なります(笑)。その熱狂が大事なんです。また、ケネディ・ジュニアはワクチンの疑惑問題についてもずっと発信していた人なので、それもよかったんです。というのも、トランプか、ケネディか、どっちに入れるかっていう、その分かれ目って実はワクチンなんです。ケネディ・ジュニア支持者からすると、「よく考えてみろよ、ワクチンの承認をしたのはトランプじゃないか」というのがあるんです。「ファウチを雇ったのもトランプじゃないか」と。一回、クビにしましたけど、ファウチを政権に入れて、ワクチンを承認したのもトランプだったんです。ですから、ここでトランプから離れてケネディに行くんですよ。
──ケネディ・ジュニア人気の秘密がよくわかりましたね。それは熱狂的に支持されますね。でももう、民主党は大統領候補をバイデンに決めたんですよね?
ジェームズ:党が指名する大統領候補はバイデンでしょうね。たぶん、ケネディは落ちると思うんですけど、前から言われていたのがトランプのキャンペーンに副大統領候補として乗り込む可能性は残っています。
──それは民主党にいたままですか?
ジェームズ:いえ、民主党から離れて共和党に行くってことです。そうなるとケネディ家に革命が起きます。ずっと民主党でやってきましたから、あの一家は。
──ということは結局、トランプVSバイデンになるんですよね?
ジェームズ:バイデンVSトランプになっても副大統領候補にケネディが滑り込む可能性は一応あります。そこはトランプが許すかどうかですけど、そうなったらまた見ものですね(笑)。
──というか、そこが見どころでいいのか? という気がしますね(笑)。
ジェームズ:ボケ老人VS陰謀論者ですからね(笑)。恐ろしい国ですよ。これが日本の最大の同盟国で、日本の命運を握っているんですからね。日本はそろそろアメリカの属国であることから脱することを真剣に考えるべきでしょうね。
https://tocana.jp/2023/08/post_255171_entry.html
10:777 :

2023/10/05 (Thu) 06:37:11

【そうきチャンネル】『ロバート・ケネディJR暗殺未遂』第三党からの出馬検討 日米近現代史研究家 渡辺 惣樹(わたなべ そうき) 23.085 #渡辺惣樹 #わたなべそうき #そうきチャンネル
渡辺 惣樹
2023/10/04
https://www.youtube.com/watch?v=whnkj_nA9qU
11:777 :

2023/10/12 (Thu) 08:03:51

【そうきチャンネル】ケネディJR『独立候補宣言』・なぜ民主党を諦めたのか 日米近現代史研究家 渡辺 惣樹(わたなべ そうき) 23.087 #渡辺惣樹 #わたなべそうき #そうきチャンネル
渡辺 惣樹
2023/10/11
https://www.youtube.com/watch?v=vWv0eqw42yo
12:777 :

2023/10/27 (Fri) 11:21:27

2023.10.27XML
R・ケネディ・ジュニアは大統領選挙を前にして、シオニストやCIAと手を組んだ
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202310270000/

 ケビン・マッカーシーがアメリカ下院議長を解任されたのは10月3日のことだった。​その後任にマイク・ジョンソン下院議員が選ばれたのだが、この人物は福音主義キリスト教徒​で、ベンヤミン・ネタニヤフ首相を含む「修正主義シオニズム」と緊密な関係にある。以前からユダヤ系アメリカ人はイスラエルのパレスチナ弾圧に批判的な人が多く、そうした弾圧を支援してきたのは福音主義キリスト教徒だ。新下院議長はシオニストだと考えて間違いないだろう。

 アメリカはシリアをアル・カイダ系武装集団に攻撃させた際、現地のキリスト教徒を殺戮していたが、イスラエルはガザにあるキリスト教の教会を攻撃している。福音主義キリスト教徒はアメリカで最も強くイスラエルを支援している勢力で、しかもほかのキリスト教徒とも考え方が違う。

 アメリカを支配しているのはキリスト教徒でもユダヤ教徒でもなく、シオニストであり、その背後には金融資本が存在していると言えるだろう。ジョン・F・ケネディはその力に立ち向かったが、甥のロバート・ケネディ・ジュリアはすでに屈服している。パレスチナ問題でイスラエル支持を明確にしたのだ。

 ​ロバート・ケネディ・ジュニア​の長男、コナーは反ロシアの立場からジョージタウン大学の授業に出ず、ウクライナでネオ・ナチの軍隊に入り、ロシア軍と戦っていた。コナーの弟、ロバート・ケネディ3世が結婚した相手は「元CIAオフィサー」のアマリリリス・フォックス・ケネディ。ロバート・ケネディ・ジュニアは10月14日、選挙運動本部長をデニス・クシニッチからアマリリスに交代させている。

 来年の大統領選挙を前に、ロバート・ケネディ・ジュニアはシオニストとCIAに屈したと言えるだろう。これまで彼を支援していた人が離れていくことは避けられない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202310270000/
13:777 :

2024/02/28 (Wed) 19:28:25

【そうきチャンネル】『ケネディJR 暗殺危機継続』バイデンの意地悪 日米近現代史研究家 渡辺 惣樹(わたなべ そうき)
2024/02/28
https://www.youtube.com/watch?v=DVRsFlt8Kgs
14:777 :

2024/04/03 (Wed) 19:23:29

【そうきチャンネル】『ケネディJR副大統領候補』何故マスクの「元カノ」が? 日米近現代史研究家 渡辺 惣樹(わたなべ そうき)
2024/04/03
https://www.youtube.com/watch?v=3ElwiAiKcG8
15:777 :

2024/04/06 (Sat) 09:46:22

3度も離婚したマリリン·モンロー。 夫のみぞ知る秘密
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16847196


△▽


マリリン・モンロー(1926年6月1日 - 1962年8月5日)

Marilyn Monroe - Bing images
https://www.bing.com/images/search?q=Marilyn+Monroe&form=HDRSC2&first=1&tsc=ImageHoverTitle
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動画
https://www.bing.com/videos/search?q=Marilyn+Monroe&FORM=HDRSC3
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有名女優マリリンモンローヴィンテージヌード編集ビデオ
https://www.xvideos.com/video26832235/_
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ヘンリー・ハサウェイ『ナイアガラ』(Niagara)1953年
https://www.bing.com/videos/search?q=Niagara+++1953&FORM=HDRSC3

ハワード・ホークス『紳士は金髪がお好き』(Gentlemen Prefer Blondes)1953年
https://www.bing.com/videos/search?q=Gentlemen+Prefer+Blondes+++1953&FORM=HDRSC3

オットー・プレミンジャー『帰らざる河』(River of No Return)1954年
https://www.bing.com/videos/search?q=River+of+No+Return++1954&FORM=HDRSC3

ビリー・ワイルダー『七年目の浮気』(The Seven Year Itch)1955年
https://www.bing.com/images/search?q=The+Seven+Year+Itch++1955&form=HDRSC2&first=1&tsc=ImageHoverTitle

ビリー・ワイルダー『お熱いのがお好き』(Some Like It Hot)1959年
https://www.bing.com/videos/search?q=Some+Like+It+Hot++1959%e5%b9%b4&FORM=HDRSC3

ジョン・ヒューストン 『荒馬と女』(The Misfits)1961年
https://www.bing.com/videos/search?q=The+Misfits++1961&FORM=HDRSC3
16:777 :

2024/04/06 (Sat) 09:49:35

ケネディを撃ったのは、運転手とグラシノールの丘の狙撃手です。

つまり、実行犯として逮捕されたオズワルドは、一切関係なかったというわけです。

この事件は、初めから計画されていたシナリオどおりの暗殺でした。

それにしても、ケネディは、なぜ暗殺されたのでしょうか?

理由の一つは、前にも述べましたが、人種差別問題、CIAとの確執、麻薬とマフィアの撲滅、軍需産業の縮小、ベトナム戦争撤退など、彼の政策は、シークレットガバメントに逆らう行為だったからです。

また、他にも彼は米政府を支配するシークレットガバメントから、自由を取り戻そうとしたり、

連中が支配している貨幣発行権を取り戻したり、

さらには、パレードの日に、シークレットガバメントの存在を、国民の前で発表しようとしていたのです。

だから、邪魔者とされ、この世から消されたのです。

ケネディは暗殺される前に、シークレットガバメントの存在を、彼の愛人だった「マリリン・モンロー」に話しています。

それを聞いたマリリン・モンローは、知人のジャーナリストに、そのことを電話で喋ってしまいました。

電話の内容は、CIAが盗聴。

マリリン・モンローもまた、邪魔者として暗殺されたというわけです。

〈マリリン・モンロー〉


ケネディが暗殺され、マリリンモンローが暗殺され、これだけでは終わりませんでした。

実はケネディの次男も殺され、

三男は車で秘書と共に海に転落させられ、秘書が死亡・・・

以後、その恐怖で三男は政界から去ってます。

マイケル・ジャクソン、ジョン・レノン、ダイアナ妃、尾崎豊、中川昭一などは、
ケネディ同様にシークレットガバメントの命令で何者かによって暗殺された人たちです。

ファシズム国家である米国では、政府に反対する発言や行為は非常に危険で、それは警察や軍も敵に回すことになるのです。

ケネディ暗殺後、当時の副大統領だった「リンドン・ジョンソン」が中心となり、
ケネディ暗殺に関する資料や証拠物件をまとめた「ウォーレン報告書」という調査報告書が存在します。

この報告書には、事件の詳細を2万ページにも及んで記載しています。

が、その内容は未だ明らかにされていません。

〈ウォーレン報告書〉


副大統領だったリンドン・ジョンソンが、ケネディの後、大統領に就任しました。

ジョンソンは、フリーメイソンのメンバーでした。

シークレットガバメントは、彼が大統領に就任すれば、米国をコントロールするのに好都合だったのです。

だから彼をケネディの後の大統領に据えたのです。
http://sekainoura.net/oworen.html


マリリンを殺した4人の男たち
1960年代アメリカ暗殺史の系譜と符号

「1962年6月、モンローの女優としての評判は下降線を辿っていた。モンローはCIAと組織の陰謀を知っていた上、著しく精神の安定を欠いていた。7月にはボビー(ロバート・ケネディ)との関係も切れ『何もかもばらす』と脅しをかけるようになった。

彼女の電話を盗聴し逐一監視していたCIAは、復讐にかられた麻薬中毒のモンローに全てを暴露されることを恐れ、ムーニー(サム・ジアンカーナ)に彼女の始末を依頼した。

 1963年8月5日、殺し屋たちは暗くなるのを待って、午前零時前に自宅に侵入した。すでに彼女はボビーの医師が鎮静剤を打っていたおかげで、ぐったりしていた。

彼らはマリリンを裸にすると、口をテープで封じ、医師が特別に処方したペントバルビタールの座薬を注入した。

口から致死量の睡眠薬を服用させれば嘔吐しかねないが、座薬は肛門膜組織から直接血管に吸収され、胃から検出されるものは何も無い。彼らは彼女が完全に意識を失ったのを確認すると、テープをはがしマリリンの口元をきれいに拭いて、そして静かに消えて行った」
---「DOUBLE CROSS」by Sam Giancana and Chuck Giancana P370-373より抜粋


 モンローの死因を扱ったテレビ番組はこれまで何度か放映されてきたが、その決定的な真相に迫るものは何一つなかった。せいぜい死亡当日にボビーが彼女と言い争いをしていた程度に留まるもので、ためにボビー犯人説を示唆するという、無責任なものであった。

確かにボビーはモンローと会ってはいたが、司法長官という立場上からも暗殺までするとは考えられない。そのことを最も熟知し、徹底して利用したのがCIAだった。しかもCIAはFBIを使ってボビーが訪れた痕跡すら消して、その後の司法長官としてのボビーに圧力をかけるようになる。つまり恩を売ったわけだ。

しばらくは大人しくしていたボビーも、その潔癖な正義感から再び不正に挑むようになる。激怒した彼らは大統領でもあった兄を公開処刑してボビーに警鐘を鳴らす。自分たちに逆らう者はこうなるのだと・・・だが、ボビーはかえってそれを契機に発奮すると大統領選にうって出る。これこそが彼らが最も恐れていたことであった。再び闇の政府が始動する。その結果が1968年6月6日だった。
http://oriharu.net/gabana_n/zaakan/hibi0506/hibi-niisi-050607.htm


▲△▽▼


マリリン・モンローから19歳のインターンまで、ケネディが流した浮名
2013年11月18日 13:45 発信地:ワシントンD.C./米国
http://www.afpbb.com/articles/-/3003473


【11月18日 AFP】ジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)大統領は多くの魅力的な女性に囲まれていた。妻のジャクリーン(ジャッキー、Jacqueline Kennedy)はもちろん、大統領就任を後押しした母親のローズ。それから映画スターに、ホワイトハウスで働く10代のインターン、マフィアと関係のある女性……。

 50年前に暗殺されたケネディが、多くの女性たちと複雑な関係にあったことに疑いの余地はない。

 彼がこうした女性たちを、大統領に上りつめ権力を維持するうえで助けになる人物として大切にしてきたのか。あるいは自分の旺盛な性欲を満たすために、彼女たちをもて遊んだだけなのだろうか。

「ケースバイケースだ」と言うのは、10月に『The Kennedy Half-Century: The Presidency, Assassination and Lasting Legacy of John F. Kennedy(ケネディ半世紀)』を上梓し、ベストセラー作家となったラリー・サバト(Larry Sabato)氏だ。

「JFKは、力や影響力のある人々に対しては上品で礼儀正しく振る舞った。だが彼の性欲は飽くことがなかった。今日で言うなら、彼は若く美しい女性を性の対象として扱っていたのだ」と、バージニア大学(University of Virginia)政治学センターのセンター長も務めるサバト氏はAFPに語った。

 ケネディの人生の中心にいたのは、妻のジャッキーだ。旧姓ジャクリーン・ブーヴィエ(Jacqueline Bouvier)は1929年7月、裕福な家庭に生まれた。彼女の洗練されたファッションスタイルには、世界中が注目した。

 ケネディがテキサス(Texas)州ダラス(Dallas)で暗殺されたとき、ジャッキーはあのオープンカーで彼の隣に座っていた。その後の数時間、彼女が夫の血が飛び散ったシャネルのピンクのスーツを着替えることを拒んだのは有名な話だ。「犯人たちがジャックに何をしたのか見せてやりたい」と、彼女は言った。

 ケネディ家は現代アメリカの恵まれた家庭を象徴するイメージを世間に与え続けたが、大統領のプライベートは愛人に囲まれた生活だった。

 最も有名なのは女優のマリリン・モンロー(Marilyn Monroe)だ。ハリウッドのセックスシンボルは、1962年の民主党の資金集めパーティーで、色気たっぷりに「ハッピーバースデー」を歌った。誕生日を祝ってもらったケネディは喜びを隠さなかった。

 今年8月に出版された『These Precious Few Days: The Final Year of Jack with Jackie(貴重な数日間:ジャックとジャッキーの最後の年)』の著者でジャーナリストのクリストファー・アンダーソン(Christopher Andersen)氏によれば、ジャッキーは2人の関係を知っていただけではなく、モンローに夫を譲ってあげると告げたという。

「あなたがホワイトハウスに入って、ファーストレディーとしての責務を負って、すべての問題を抱えればいいのよ」と、ジャッキーはモンローに語ったといわれる。モンローは1962年8月、薬物の過剰投与で亡くなった。

 ジャッキーの言う「問題」には、ジュディス・キャンベル・エクスナー(Judith Campbell Exner)のことも含まれていたかもしれない。彼女がケネディと2年間、熱い関係にあったことは、歴史家たちも認めるところだ。

 ホワイトハウスのインターンだったミミ・ビアーズリー(Mimi Beardsley)の場合は、ケネディに言い寄られたときはまだ19歳だった。彼女が言うには、男性と性的関係を持ったのはケネディが最初で、初めてのセックスはケネディ夫妻の寝室だった。その後、2人は大統領のバスタブでアヒルのおもちゃで遊ぶほど親しくなる。2人の関係は1年半続いた。

「後悔していない。私は若かったし、誘惑された。その事実は変えられない」と、彼女は2012年に出した回顧録で記している。

 ケネディがいったい何人のバイシュン婦を雇ったのかは誰にもわからない。だが護衛たちが、ソ連との核戦争前夜ともいわれた時代に、スパイ行為や脅迫を恐れるに足る人数だったことは確かだ。

「彼はときに、少し問題がある女性をそばに置こうとする傾向があった」と、ケネディの護衛を務めていたアンソニー・シャーマン(Anthony Sherman)氏は1997年にABCテレビのドキュメンタリー番組で語っている。素性が怪しい女性たちだ。

 サバト氏も、「JFKは大統領職と家族を何度も危機にさらした。外国の諜報機関が彼の問題行動について何らかの情報を得ていたのは、ほぼ確実だ」と語っている。

 母親のローズ・ケネディ(Rose Kennedy)が息子の女遊びを知っていたのは間違いない。彼女もジャッキーと同じく、夫の数々の浮気に耐えた女性だ。実業家で大使も務めたケネディの父親ジョセフ(Joseph Kennedy)は、1920年代に当時の映画スター、グロリア・スワンソン(Gloria Swanson)と3年間、愛人関係にあった。それは、まるで40年後のケネディとモンローを予兆させるような関係だった。(c)AFP/Robert MACPHERSON


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モンローの肉体を嘗めたユダヤ人 / ハリウッドに張られた蜘蛛の糸 (後編)
ゴイム(異教徒)を妻にするユダヤ人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68580296.html


マリリン・モンロー
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/5/b/5b3787c8.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/1/d/1d4d7383.jpg


テレビ東京が2013年頃、朝の時間帯に昔懐かしい「奥様は魔女(Bewitched)」を再放送していた。綺麗なカラー映像に修正されたコメディー番組を観た方も多いんじゃないか。

このアメリカ・ドラマは元々、昭和40年代に放送されたシットコム・コメディーで、主役のサマンサを演じたエリザベス・モンゴメリー(Elizabeth V. Montgomery)とダーリン役を演じたディック・ヨーク(Dick York)は今でも有名だ。義母のエンドラを演じたアグネス・モアヘッド(Agnes Moorehead)も意地悪の魔女が板に付いていて、とても印象に残る女優であった。米国にはこういった雰囲気を醸し出す、憎いくらい上手な演技をする脇役がいるからすごい。人気ドラマ「ダイナスティー」のジョアン・コリンズ(Joan Collins)みたいな実力派がいるから、ややもすると緩みがちな連続ドラマが引き締まる。

ちなみに、今回「奥様は魔女」を調べてみたら、日本版も制作されていたそうで、人気女優の米倉涼子がサマンサ役を演じていたそうだ。知らなかった。まさか日本人バージョンがあったなんて。観てないから何とも言えないが、おそらく駄作なんじゃないか。日本人がアメリカドラマを模倣して成功した例は少ないだろう。

ドラマじゃないけど、以前に野口五郎がサンタナのヒット曲「スムーズ(Smooth)」を拝借し、「恋はメラメラ」という題にして唄っていた。サンタナのオリジナル版では、人気歌手のロブ・トーマス(Rob Thomas)を起用して素晴らしい出来だったが、野口五郎の方は一度聴けば恥ずかしくて耳を塞ぎたくなるほどの代物である。元曲をあれほど無惨にしたカヴァー曲も珍しい。


  脇道に逸れたから話を戻すと、ドラマの中で美人妻を演じたエリザベス・モンゴメリーは、何とプロデューサーのウィリアム・アッシャー(William Asher)と結婚していたのだ。

彼はユダヤ人の父親とカトリック信徒の母親を持つユダヤ系アメリカ人だが、ユダヤ人支配のハリウッドでは一般的にユダヤ人制作者と見なされていた。

我々とってショックなのは、貞淑な妻を演じていたエリザベスが、私生活では同性愛者や妊娠中絶を支持する筋金入りの左翼活動家であったことだ。確かに、「奥様は魔女」の中にも人種差別を取り上げたエピソードがあって、黒人を対等に扱うサマンサの姿があった。今から思えば、1960年代後半から1970年代にかけて放送されていた番組だから、リベラル色が強くてもしょうがないと考えられるが、「奥様は左翼だった」じゃ笑えない。

それにしても、売れっ子女優がユダヤ人プロデューサーと結婚するなんて、いかにもハリウッドらしい現象である。もし、彼女が一般人女性のままだったら、ユダヤ人と結婚せずに普通の白人男性と結婚していたんじゃないか。

こんな異人種間結婚を見ているから、ユダヤ人に警戒心を抱く西歐系白人や、藝能界に入りたがる娘を叱る親がいるのだろう。仔羊を狼の群れに解き放つようなものだから、まともな親が反対するのも無理はない。それに、生まれてくる孫がユダヤ人の血統なんて考えただけでも恐ろしい。


左: エリザベス・モンゴメリー
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/c/a/ca119a9f.jpg

中央: ウィリアム・アッシャー
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右: 「奥様は魔女」
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マリリン・モンローを取り巻くユダヤ人

  ユダヤ人がうじゃうじゃいるハリウッド村は、藝能界というより匪賊や傭兵がたむろする無法地帯と考えた方が的確である。こんな蟻地獄に入って行く若者が跡を断たないんだから、エンターテイメント業界は麻薬に満ちた魔界と呼んでもいい。

米国史の中でも輝かしい1960年代、後世に名を残すこととなった人気女優マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)も、ユダヤ人の魔の手に落ちた悲惨な一例であった。

父親は不明だが、グレイディス・パール・ベイカー(Gladys Pearl Baker)の娘として生まれた、ノーマ・ジーン・ベイカー(Norma Jean Baker)は、義父の「モンロー」姓をつけて藝能界にデビューした。

彼女はラルフ・グリーンソン(Ralph Greenson/ 本名Romeo Greenschpoon)という名うてのユダヤ人を自分の精神科医として雇っていた。このユダヤ人はモンローが自殺した時のセラピストであった。彼はマリリンの精神を安定させるために、過度な薬物治療を行っていたらしい。何かマイケル・ジャクソンに「プロポフォル(propofol)」を過剰投与したコンラッド・マレー(Conrad Murray)医師を思い出してしまう。

こんな麻酔薬(鎮静薬)を個人の邸宅で与えてしまうなんて信じられないが、アメリカという異常な国では非常識が罷り通る。たぶん、グリーンソンも自信満々の医師で、どんどん睡眠導入剤や鎮静剤をマリリンに与えていたのだろう。彼女の友人が証言していたが、マリリンはグリーンソンに会えば会うほど衰弱していったそうだ。


  マリリンの周りには矢鱈とユダヤ人が多かった。グリーンソンの妹エリザベスは、ユダヤ人ミルトン・ミッキー・ラディン(Milton “Mickey ” Rudin)と結婚しており、そのラディンは有力な人脈を持ち、エンターテイメント業界で活躍する法律家であった。そして、彼はマリリンの顧問弁護士も務めていたのである。彼女と昵懇の出版業者アーサー・ジェイコブズ(Arthur Jacobs)や、娯楽企業のMCAで彼女のエージェントを務めるジェイ・カンター(Jay Kantor)とモート・ヴィナー(Mort Viner)もユダヤ人だった。

出演作でもユダヤ人監督に重宝されており、「七年目の浮気」や「お熱いのがお好き」ではビリー・ワイルダー(Billy Wilder)が監督だったことは有名だ。「恋をしましょう」だとジョージ・クコー(George Cukor)が監督で、「帰らざる河」ではオットー・プレミンジャー(Otto Preminger)が総指揮を執っていた。マリリンの個人マネージャーのナターシャ・ライテス(Natasha Lytess)もユダヤ人で、いつも一緒にいたから、二人はレズビアンの関係か、と疑われるくらいだった。また、ユダヤ人写真家のミルトン・グリーン(Milton Greene)も、マリリンのマネージャーになって親しく付き合っていたから、彼女との仲を噂にする者もいたという。


  バイシュンの伝統が根強い韓国では、体で仕事を取る藝能人が多いそうで、悲惨な運命を辿った女性も少なくない。

我が国の藝能界でも所謂「枕営業」があるそうで、さほど人気のない女性藝人は、演技力や歌唱力よりも、有力制作者とか大御所に体を提供して、望む仕事を獲得するらしい。

マリリン・モンローも名声と幸運を摑むために、誰彼となくベッドを共にしたという。

ユダヤ人が跋扈(ばっこ)するハリウッドだから、マリリンが「春」を売った相手も当然ユダヤ人だった。ユダヤ人のテッド・ジョーダンによると、マリリンはキャリアを進展させる為なら誰とでも寝たそうだ。

(Ted Jordan, Norma Jean: My Secret Life with Marilyn Monroe, William Morris & Co., New York, 1989, p.121)

また、アンソニー・サマーズ(Anthony Summers)によれば、彼女がフォックス社と最初のコンタクトを持った時、そのキーパーソンはベン・リヨン(Ben Lyon)で、彼もマリリンと性的関係を持っていたらしい。シェイラ・グラハム(Sheila Graham)も、マリリンが未来のキャリアの為にリヨンと寝たことを述べている。

マリリンの肉体を堪能したリヨンは、キャスティング・ディレクターのソル・ウルツェル(Sol Wurtzel)を呼びつけ、「デインジャラス・イヤーズ」という1947の映画で使ってやれと命じ、マリリンはちょっとした脇役を与えられたという。何とも生々しい裏話だが、藝能界って多かれ少なかれ、こんな横槍が入ってくる。

大物プロデューサーがいきなり素人の小娘をドラマに押し込んだり、ニュース番組の「お天気お姉さん」に任命したり、とやりたい放題の横暴をはたらく。周りのスタッフは大迷惑だけど、有力者に睨まれたら自分の出世が危なくなるから、長いものに巻かれてしまうのだ。

視聴者だって、あまり人気のない女優がどこからともなく新ドラマに抜擢されるから、「どうしてこんな女優が、いきなり重要キャストに抜擢されたんだ?」と訝(いぶか)しく思うだろう。でも、「大人の事情」が絡んでいるから仕方がない。


中央: ナターシャ・ライテスとマリリン・モンロー
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/b/7/b74f99ba.jpg


  「美女と野獣」という映画があったけど、美女のマリリンに群がる野獣は本当に多かった。

被服業界の大御所たるヘンリー・ローゼンフェルド(Henry Rosenfeld)も、白くて美しい肌を嘗(な)めた薄汚いユダヤ人の一人だった。彼はアトランティック・シティーにある自宅にマリリンを招き、自分のスピード・ボートに乗せて、甘い一晩を過ごしたそうだ。

マリリンは映画業界で顔が利く、悪名高いユダヤ人ギャングのバグジー・シーゲル(Bugsy Siegel)とも寝ていたらしい。彼の伝記は映画化されたので、このシーゲルについて知っている日本人もたくさんいるんじゃないか。日本もそうだが、藝能界と暴力団は裏で繋がっているから、堅気の人間が毛嫌いするのも分かる気がする。


マリリンのセックス・ライフは10代の頃から既に始まっており、17歳の時にはテッド・ジョーダン(Ted Jordan / 本名 Edward Friedman)と交際していて、彼は後に『ノーマ・ジーン』という本を書いて、マリリンとの性生活を暴露していた。

このジョーダンにはテッド・ルイス(Ted Lewis / 本名 Theodore Leopold Friedman)というミュージシャンの叔父がいて、マリリンはこのルイスとも寝ていたというのだ。彼女が麻薬を覚えたのは、このルイスからであった。本当に腐った奴らである。

  後に有名女優となる野心家のノーマ・ジーンは、のし上がるためには何でもすると心に決めており、ジョーダンにも、誰とでもセックスをするし、その心構えもできている、と語っていたそうだ。

そこで有言実行のマリリンは、著名なゴシップ・コラムニストで、ユダヤ人のウォルター・ウィンチェル(Walter Winchell)と寝たらしい。しかし、一介のコラムニストと性交したくらいでは、ハリウッドで大女優にはなれない。

まだ無名のマリリンはコロンビア・ピクチャーズのハリー・コーン(Harry Cohn)社長に近づいた。「またユダヤ人か !」とウンザリするが、映画会社の社長や重役にはユダヤ人が多いからしょうがない。

このユダヤ人社長はマリリンを自分のヨットに乗せ、夜のクルージングに誘ったそうだ。美しい獲物を捕まえたコーンは、マリリンに向かって服を脱げ、と命じたという。彼女は言わるままに服をぬぎ始めた。すると、あろうことか、この助平ユダヤ人は、自分のペニスを握りながら彼女に近寄ってきたのだ。

大抵の女性なら、「えっぇぇ!! 何 ! 嫌だ!!!」と真っ青になって叫ぶだろう。マリリンも同じで、彼女はコーンを拒絶したそうだ。そりゃそうだろう。こんな変態ユダヤ人とセックスするなんて、どこか精神が異常じゃないとできない。

マリリンに肘鉄を食らったコーンは、とても激怒したそうで、マリリンは「あんなに怒った人を見たことがない」、と語っていたそうだ。

(Ted Jordan, Norma Jean : My Secret Life with Marilyn Monroe, William Morris & Co., New York, 1989, p.91)


左: マリリン
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  自分のペニスを握って近寄ってくるユダヤ人なんて、想像しただけでも背筋に戦慄が走る。いくら出世のためとはいえ、マリリンの眼に映る発情したコーンの姿は、余りにも酷かったのだろう。若い娘なら当然である。

しかし、権力者を怒らせたマリリンは、コーンからの報復を受けた。彼女はコロンビアの撮影所に出入りすることを禁じられたそうである。かつて、マリリンは藝能界の実情を語っていた。

  プロデューサーが女優に台本に関して話があるからオフィスに来いという時があるでしょう。でもね、それは台本の打ち合わせじゃないのよ。・・・私はプロデューサーたちと寝たわ。もし、寝ていないと言ったら嘘になるもの。

  1955年に20世紀フォックス社と大きな契約を結んだ時、彼女はようやく不動の地位を手にした女優になれた。そして、マリリンはこう呟いたという。

「私はもう二度と、あいつ等のペニスをしゃぶらないわ」、と。

マリリンは年を重ねる毎に反ユダヤ的感情が募ったようで、大御所のジョー・シェンク(Joe Schenck)のことを「あの糞ユダ公(that Jew shit)」と呼んでいたらしい。他のハリウッド・ユダヤ人に対しても、「あのユダ公 ! とか、このユダ公 !」と罵っていたようだ。しかし、彼女は後にユダヤ教に改宗するが、この反ユダヤ感情は妨げにならなかったらしい。やはり、女優の頭はどこか普通と違うのだろう。


中央と右: マリリン・モンロー
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  マリリンは性的に弄ばれていたが、政治的にも利用されていたようだ。精神科医のラルフ・グリーンソンは、彼女の指導者みたいな身分になっていたが、彼には別の顔があった。このユダヤ人は積極的な共産党員で、コミンテルンにも係わっていたという。そして、彼の妹エリザベスの証言によれば、兄のラルフは熱心なシオニストで、イスラエルとの太いパイプを持っていたそうだ。

まったく、ユダヤ人のコミュニストって本当に多いんだから嫌になる。かつて、ハリウッドの共産主義者をあぶり出す「赤狩り」が行われたけど、真っ赤なユダヤ人の映画監督や脚本家、プロデューサーなどが至る所にいたから、保守派のアメリカ人が怪しんだのも当然である。

よく知られているのは、左派が多数を占めるユダヤ人に対するチャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh)の警告である。この「アメリカ第一主義」を掲げる大空の英雄はこう述べた。

  ユダヤ人は我が国にとって最大の脅威である。彼らは我々の映画界、出版界、ラジオ局で広範囲な所有権を持ち、我々の政府において絶大な影響力を行使しているのだ。
(Harold Brackman, The Attack on “Jewish Hollywood”: A Chapter in the History of Modern American Anti-Semitism, Modern Judaism, Vol. 20 , 2000,p.5.)

  ユダヤ人の害悪については、リンドバーグのみならず、他の議員も警戒心を強めていた。例えば、ミュズーリ州選出のジョン・ランキン(John Rankin)下院議員は、ユダヤ人が合衆国政府の転覆を狙った最大の陰謀の一つに責任がある、までと述べていたのである。また、彼は大胆さを以て、米国においてユダヤ人は反政府活動の温床である、と喝破していたのだ。 現在の政治家なら絶対に口に出来ぬ発言である。しかし、当時のアメリカには、まだ言論の自由が残されていた。保守派のアメリカ人が1950年代を懐かしんだのも理解できよう。

ついでに言えば、マリリンと結婚した三番目の夫アーサー・ミラー(Arthur Miller)は、ユダヤ人の劇作家であったが、これまたハリウッドのユダヤ人らしく極左活動家で、黒人に対する人種差別に反対し、労働活動にも熱心に係わっていた人物である。彼も真っ赤なユダヤ人仲間を持っていたので、反共の闘士ジョセフ・マッカーシー(Joseph McCarthy)議員に目を附けられていた。彼は下院の反アメリカ活動調査委員会に召喚されたことがあるが、仲間を裏切ることを拒否し、断じて口を割らなかったという。ユダヤ人にとったら、愛国心よりも同胞愛の方が大切だからねぇ。


  マリリンがセックスした中で最も権力を持っていた男と言えば、やはりジョン・F・ケネディー大統領だろう。

大統領と姦通したマリリンがもたらす寝物語は、グリーソソンにとって貴重な情報源となったはずだ。いくら大統領とはいえ、惚れた女とベッドを共にすれば、何てことはない雑談の中で、国家機密に繋がる重要な情報を漏らすことだってあり得る。当時は冷戦真っ只中。合衆国大統領がどんな考えなのかを直に知る絶好の機会だ。

特に、コミュニストのグリーンソンは、ソ連やキューバに対する外交方針や、イスラエルに関する大統領の考えを知りたかったはず。だから、セラピストのグリーンソンに何でも打ち明ける、警戒心が全く無いマリリンは「便利な馬鹿(useful idiot)」だった。

  大女優になっても精神的に不安を抱えるマリリンは、何でも医者に頼る癖がついていたという。当時のハリウッドでは、リー・シュトラスバーグ(Lee Strasberg)という精神分析医が非常に持て囃されていた。大物俳優といえども、人には言えぬ悩みを抱えているだろうから、誰かしら相談役になる人が必要だったのであろう。だから、こうした弱点を持つ有名人を食い物にするセラピストがいたのも当然で、こうした悪徳医は患者にとっての「神」を演じていたのである。

自分の判断一つで大女優や二枚目男優を操ることができたから嬉しくてたまらない。名優のマーロン・ブランドーには、ベラ・ミッテルマンという精神科医がついていたが、ブランドーはシュトラスバーグについても述べていた。ブランドーの評価では、シュトラスバーグは俳優が集まるスタジオに来る人々を餌食にする冷血漢であったという。しかも、相当な野心家で自分勝手ときている。

彼は自分自身を、まるで神託を告げる司祭か、新興宗教の教祖のように思っていたらしい。彼にたぶらかされた人々は、シュトラスバーグをラビ(ユダヤ教の教師)の如く崇めていたという。ところが、マリリンはこんな類いの精神科医に傾いていたのだ。

日本でもよく藝人が、怪しい霊媒師とか占い師に嵌まることがあるけど、アメリカでも似たような事が多い。マリリンはフロイトの精神分析にも興味を示したそうで、彼女は実際フロイドの娘アンナ・フロイトにロンドンで会っていた。彼女の診断でも、マリリンは相当精神を病んでいたらしい。


左: マーロン・ブランドー
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右: マリリン
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  精神的に不安定なマリリンだったから、薬の過剰摂取で死亡したのだろう。だが、彼女はある意味、主治医のハイマン・エンゲルバーグ(Hyman Engelberg)とセラピストのラルフ・グリーソンに殺されたようなものだ。グリーンソンは助手に鎮静剤の投与を指示していたのだ。しかし、投与されたバルビツール酸系薬が多すぎたため、マリリンは副作用を起こして心不全となり、若くしてこの世を去ることになった。助手からの報告を受けたグリーンソンが、彼女の部屋に駆けつけた時には、既にマリリンは死亡していたという。

後に、色々な陰謀説が囁かれたが、実際は薬物中毒による死亡である。それにしても、哀れな最期だ。おぞましい枕営業を経て、大女優への道を駆け上ったのに、その栄光を味わう精神が衰弱していたのとは。

華やかな藝能生活を送っていた人気女優が、裏では薬漬けの日々を送っていたのだ。何の苦労だったのか分からなくなる。


右: マリリンとジョー・ディマジオ
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  何はともあれ、マリリンの人生には色々な男がいた。映画界の大物やマフィアのギャングと寝ていたかと思えば、野球選手のジョー・ディマジオと再婚したり、はたまたフランク・シナトラと浮き名を流したり、と寄り添う男の幅が広い。

中でも、ジョン・F・ケネディーとロバート・ケネディーとのダブル不倫は有名だ。

英雄は色を好むと言うが、このケネディー兄弟は異常である。
世間はハーバード大卒の爽やかな紳士と評するが、一皮剝けば下半身がだらしないアイリス系移民の倅(せがれ)たちである。兄が肉体関係を結んだ女に、弟も手をつけるなんて、恥知らずというか変態に近い。

一方、マリリンにも倫理観がこれっぽっちも無かった。女房や子供を持つ男と姦通しても平気なんだから。これではユダヤ人たちがマリリンのことを「シクサ(Shiksa)」、則ち「穢れたケダモノ」と呼んでも致し方ないじゃないか。

マリリンからすれば、男を踏み台にして出世したつもりだろうが、セックス相手からすれば、精液を噴射できる共同便所に過ぎない。

ただ、ユダヤ人に蔑まれながらも、ユダヤ人のアーサー・ミラーが結婚してくれたんだから、これだけでも彼女にとって救いになる。たぶん、ミラーは本気で彼女のことを愛していたのだろう。

ただし、ミラーがマリリンのことを「トロフィー・ワイフ」と見なしていたら残念だ。仮に、そうであっても仕方がない面もある。冴えない容姿のユダヤ人作家が、世間が持て囃す金髪美女を手に入れたのだ。親戚や友人に自慢したくなるのも無理はない。三番目の旦那なんだから、マリリンだって贅沢な要求はできないだろう。


凌辱される同胞の女性

  マリリン・モンローが送った波瀾万丈の人生は、多くの事を我々に教えてくれる。

まづ、藝能界はヤクザの世界、ということだ。堅気の娘が足を踏み入れる職場ではない。

ハリウッドは賤しいユダヤ移民が築き上げた悖徳の帝國で、当初はアメリカ白人に媚びて映画界の社会的イメージを向上させたが、一旦巨大な帝國が出来上がれば、そこに飛び込んでくる白人娘を娼婦と見なした。

憧れのハリウッドに旅立つ女優の卵は、狼の群れに迷い込むひよこと同じだ。
映画での配役を獲得すべく、ユダヤ人達に“輪姦”されても、必要経費としか考えない。娘の藝能界入りを許した両親は、娘が裏で凌辱されている事に気づかないんだから、まさに「知らぬが仏」だ。

日本人の親も充分認識すべき現実である。娘がモデルとかアイドル、女優になりたいと言い出し、それを許すなら、可愛い娘を穢らわしいヤクザや下劣な朝鮮人どもへ「生け贄」として差し出した、と諦めるべきだ。


左: 桃井かおり
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右: 「エロスの甘き香り」
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  ちょっと痛ましい話になるけど、女優の桃井かおりには国際政治学者の桃井眞(ももい・まこと)がいた。1991年に起きた湾岸戦争の時、報道番組に出演していたのを覚えている方もいるだろう。桃井かおりは少女時代、英国にバレー留学していたことがあり、どうも可愛い孫娘が立派なバレリーナになるようと、バレリーナの祖母が望んだらしかった。父親の真は娘をたいそう可愛がったようで、まさしく箱入り娘として育てたらしい。しかし、白人ばかりのバレー教室に通っていたかおりは、黄色いアジア人ということで劣等感を抱き、バレリーナになる夢を断念する。

帰国したかおりは演劇を始め、親に内緒で女優になっていた。一時は勘当されたこともあったそうだ。父親が女優業に反対したのも当然であろう。とりわけ、出演した映画の中にエロ作品があったからもう大変。映画ファンならロマン・ポルノ作品の「エロスは甘き香り」や、70年代らしい「けだるさ」を表現した「もう頬づえはつかない」をご存知だろう。

大切に育てた娘が、見知らぬ男と裸でからむベッドシーンを見て、父親の桃井眞はどんな気持ちだったのか? もしかしたら、劇場へは行っていないのかも。そもそも、娘の裸を銀幕で見たいと思う父親はいないだろう。だって、相手の男優が娘の肌を嘗めたり、乳房を揉んでいるんだぞ。怒りと悲しみで胸が張り裂けてもおかしくはない。映画を観る以前に、涙がこぼれてくるじゃないか。


右: 「もう頬づえはつかない」の桃井かおり
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  若い娘を凌辱するユダヤ人はトンデモないが、それを平然と行うユダヤ人の心情とは如何なるものなのか?

一番考えられるのは、欲望剝き出しの世俗主義者という点だ。
純情な白人娘を裸にすれば、大金が儲かるからドンドン淫乱な映画を作るのは分かる。だが、その根底には、西歐社会への憎悪が漲っているのだろう。

ユダヤ人にしてみたら、アメリカ社会は西歐白人が作ったもので、彼らの祖先が築いたものではない。米国は散々ユダヤ人をイジメてきた西歐人が建てた国家であるから、彼らの倫理観や価値観、伝統文化をを守る必要性はどこにも無いのだ。

キリスト教徒が仲間の女性に求める貞操観念や立居振舞い、女性らしさ、気高さなんて、むさ苦しい生活を送ってきたユダヤ人にとって、何の意味も無いし、犬の糞みたいに踏み潰しても気にならない。むしろ、踏み潰すことに快感を覚える。

興味深いことに、ユダヤ人の監督や脚本家は、喜んでキリスト教徒の家庭を愚弄するが、ユダヤ教徒の家庭や価値観を馬鹿にすることは滅多にない。

キリスト教徒の西歐系アメリカ人であれば、「そんなに伝統的価値観を毀したいなら、まづ最初に因習的なユダヤ人社会をターゲットにしたらどうか」と提案したくなる。なぜなら、男尊女卑で人種差別の激しいユダヤ人コミュニティーには、リベラル派のユダヤ人が攻撃したくなるような材料がごまんとあるからだ。わざわざ異教徒(ゴイム)たる西歐キリスト教徒に、その矛先を向けていないで、身近な同胞のコミュニティーを批判する方が先じゃないのか。

「社会正義」をふりかざす赤いユダヤ人は、普通に黒人を「黒いケダモノ」と呼ぶユダヤ人のオバちゃんを非難しろ。


中央: ユダヤ人女性
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右: ユダヤ人男性
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  米国のユダヤ人を見れば、いかに異人種と共存することが危険であるか、が判るだろう。

現在のアメリカでは同性愛者を擁護したり、黒人を礼讃するTVドラマが着々と作られている。すでに長いこと左翼作品が日常にしっかりと組み込まれているから、一般人はもはやその異常性を不思議と感じないのだ。

日本でも藝能界やマスコミに朝鮮人や支那人が浸透し、正常な日本人の精神を歪めている。

そして、藝能界に魅せられた少女たちが、どんどん卑劣な連中に犯され、それが表面に浮き出で問題になることはない。暴露される前に握り潰されるからだ。

ヤクザ的な藝能関係者やアジア系の大物にとって、日本人娘の肉体は、どれほど侮辱しても構わない肉の塊だ。みんなで廻して凌辱すれば、「あの淫売女め !」と酒場で笑い罵ることができ、ますます酒が旨くなる。大日本帝國に支配された朝鮮人にしたら、祖国の同胞が成し遂げられなかった復讐を、個人レベルで果たしたことになるだろう。

そして、日本人の女を性的に従属させることは、被征服民にとって勝者の証となる。ユダヤ人に加え支那人、朝鮮人といったアジア人に対抗できない気弱な民族は、徹底的に打ちのめされるまで被害に気づかない。毎回言うけれど、後悔が先に立ったことはないんだぞ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68580296.html

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2017.10.22
JFK暗殺に関する資料を公開する意思をトランプ大統領は示したが、重要証拠は処分済みの可能性
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201710210000/

1963年11月22日のジョン・F・ケネディ大統領暗殺に関する未公表の資料を10月26日までに公開する方針をドナルド・トランプ大統領は示した。1992年10月26日に発効したJFK記録法は25年のうちに公開することを求めている。

暗殺直後に設置されたウォーレン委員会はリー・ハーベイ・オズワルドの単独犯行だとしているが、この結論を信じていない人は少なくない。重要な証拠や証言が改竄、隠蔽、あるいは処分され、非論理的な説明がなされているからだ。そうした批判の声はすぐに広まり、それを押さえ込むために使われ始めた「呪文」が「謀略論」だ。支配層にとって都合の悪い事実、指摘、分析などが出てくるとこの呪文が連発される。

しかし、ケネディ大統領の公式見解に対して疑問を表明する人は後を絶たず、1991年に公開されたオリバー・ストーン監督の映画『JFK』は話題になった。この映画がJFK記録法を成立させた大きな理由だ。

この映画の主人公はニューオリンズの地方検事だったジム・ギャリソンがモデル。大統領暗殺に絡み、ギャリソンは1969年に実業家のクレイ・ショーを逮捕、起訴するが、その理由はショーが重役を務めていたパーミンデックスという会社にメスを入れたかったからだと見られている。

ウォーレン委員会が犯人だとしているオズワルドは厚木基地での任務を終えた後、カリフォルニア州のエル・トロ基地でロシア語の試験を受けて不合格になり、1959年9月に名誉除隊、イギリスを経由してフィンランドのヘルシンキにあるホテルへチェックインしているが、この間、軍用機を使ったと推測する人もいる。民間航空を利用すると、日程的に無理があるからだ。そしてフィンランドからソ連へ入る。オズワルドがヨーロッパへ渡る際のチケットを買った会社がインターナショナル・トレード・マートで、その理事にショーが含まれている。ショーはサントロ・モンディアール・コメルシアールやパーミンデックスの理事でもあった。

サントロはイタリアにおける反コミュニスト工作に協力、パーミンデックスはアルジェリアの独立に反対するフランスの軍人グループへ資金を供給していたとイタリアでは報道されている。

その軍人グループとは1961年に創設された反ド・ゴール派の秘密組織OAS(秘密軍事機構)。イタリア政府もサントロとパーミンデックスを危険な存在だと認識、1962年に国外へ追放する。両者は本部をヨハネスブルクへ移動させた。(Jim Garrison, “On The Trail Of The Assassins”, Sheridan Square Press, 1988)

パーミンデックスがスイスで設立された当時の社長兼会長、ルイス・モーティマー・ブルームフィールドはイギリスの破壊工作機関SOE(特殊作戦執行部)の出身。第2次世界大戦後、SOEは対外情報機関MI6に吸収される。MI6とSOEはアメリカの情報活動や破壊活動の師匠的な存在の機関だ。ブルームスフィールドはカナダでシオニスト運動を指導していたとも言われている。

ケネディ大統領の暗殺を調べたウォーレン委員会は委員長がアール・ウォーレン判事、そのほかのメンバーはウォール街の弁護士で大戦後には高等弁務官としてナチスの幹部を保護していたジョン・マックロイ、やはりウォール街の弁護士で大戦中から戦後にかけて破壊活動を統括、CIA長官にもなったアレン・ダレス、FBIと関係の深いジェラルド・フォードも含まれていた。暗殺直後の週末、ダレスはバージニア州にあるCIAの極秘施設、ファームに身を潜めていたという。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

オズワルドの単独犯行説を支持していたのはマックロイ、ダレス、フォードの3人で、3人の議員は疑問を持っていた。そのうちのひとり、ヘイル・ボッグス下院議員はCIAと関係が深く、当初は単独犯行説を支持していたのだが、途中で見方を変えている。このボッグス議員はアラスカで飛行中、行方不明になった。

この暗殺では多くの証人や関係者が死亡しているが、そのひとりがマリー・ピンチョット・メーヤー。後にCIAの秘密工作に深く関与することになるコード・メーヤーと結婚、離婚した後にケネディ大統領と愛人関係になったことで知られている。妹はニュウーズウィークの幹部編集者だったアントワネット・ピンチョット・ブラドリーと、大学時代からの親友はアレン・ダレスの側近で破壊活動でも名前が出てくるジェームズ・アングルトンとそれぞれ結婚している。

マリーは機密情報を知りうる立場にいたのだが、ウォーレン委員会が報告書を出した3週間後の1964年10月12日に散歩中、射殺された。ハーバード大学で心理学を教えていたティモシー・リアリーによると、「彼らは彼をもはやコントロールできなくなっていた。彼はあまりにも早く変貌を遂げていた。・・・彼らは全てを隠してしまった。」とマリーは語っていたという。(Timothy F. Leary, “Flashbacks,” Tarcher, 1983)

ケネディ大統領の暗殺はシャルル・ド・ゴール暗殺未遂、マーティン・ルーサー・キング牧師やロバート・ケネディの暗殺にもつながっている可能性が高く、事実が明らかになるとひとりの暗殺に関する話では済まなくなるだろう。

当然、重要な証拠は廃棄済みで、証人も消えてしまった。マインド・コントロールを目的としたMKウルトラ、キューバへアメリカ軍が直接軍事侵攻、さらにソ連との核戦争を視野に入れていた偽旗作戦のノースウッズ、イスラエル軍がアメリカの情報収集戦リバティを攻撃して多くの死傷者を出した事件などでは証拠が廃棄されている。出てくる資料は廃棄し損なったものだけだ。ケネディ大統領暗殺も似たような状況だろうが、それでも全資料の開示は重要だ。


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ケネディ暗殺文書、全面公開せず 米情報機関が延期要請
2017年10月27日 07時56分

 【ワシントン共同】 トランプ米大統領は26日、これまで非公開だった1963年のジョン・F・ケネディ大統領暗殺に関する機密文書のうち約2800件の公開を許可した。残る一部は非公開のままで、今後180日間で公開の是非を検討する。

 トランプ氏は、ケネディ暗殺関連の記録について全面公開する方針を表明していた。しかし政府当局者は中央情報局(CIA)など情報機関から公開延期の要請があり、トランプ氏が安全保障上の理由で受け入れたとしている。
17:777 :

2024/11/19 (Tue) 09:41:54

ロバート・ケネディ・ジュニアが次期大統領選挙に立候補
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14106138


“トランプ人事” 今度は 「反ワクチン陰謀論者」を保健行政トップに指名 子グマ死体をニューヨークの公園に遺棄し物議も…【news23】|TBS NEWS DIG
TBS NEWS DIG Powered by JNN 2024/11/16
https://www.youtube.com/watch?v=6VJOAyc5n_E

トランプ次期大統領がサプライズ人事を次々と発表しています。新たに保健行政のトップ・厚生長官に指名したのは、「反ワクチン陰謀論者」とも伝えられる人物でした。



世界の医療はどう変わるのか?厚生長官にロバート・ケネディ・ジュニア氏を 起用
https://nicochannel.jp/seikeii/live/sm57DXiYr6f5zbpPvvxScok6

厚生長官にロバート・ケネディ・ジュニア氏を起用へ
世界の医療はどう変わっていくのか・・・
YouTubeでは絶対に言えない内容をお届けします。
18:777 :

2024/11/25 (Mon) 12:43:48

2024.11.24XML
JFK暗殺:ソ連に対する先制核攻撃を目論む勢力のクーデター
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202411240000/

 キューバ危機を話し合いで解決、ソ連との核戦争を回避することに成功したジョン・F・ケネディ大統領は1963年6月10日、アメリカン大学の学位授与式でソ連と平和共存する道を歩き始めると宣言した。いわゆる「平和の戦略」を打ち出したのだ。それから5カ月後の11月22日、テキサス州ダラスでケネディ大統領は暗殺された。この出来事をクーデターと考える人は少なくない。

 アメリカが軍事力で世界に押しつける「パックス・アメリカーナ(アメリカ支配による平和)」を否定することから演説は始まり、アメリカ市民は「まず内へ目を向けて、平和の可能性に対する、ソ連に対する、冷戦の経過に対する、また米国内の自由と平和に対する、自分自身の態度を検討しはじめるべき」(長谷川潔訳『英和対訳ケネディ大統領演説集』南雲堂、2007年)だと語りかけた。

 ケネディ大統領はソ連とアメリカとの間で全面戦争が起これば、いずれの国も破壊されると指摘、冷戦の段階でも「両国はともに無知と貧困と病気を克服するためにあてることができるはずの巨額のカネを、大量の兵器に投じている」と警鐘を鳴らしている。

 相手国に対して「屈辱的な退却か核戦争」を強いるのではなく、緊張の緩和を模索するべきだとしたうえで、自分たちの遠大な関心事は「全面完全軍縮」だと表明、核実験の禁止を訴え、他国がしない限りという条件付きで、アメリカは大気圏の核実験をしないと宣言している。

 第2次世界大戦後、敗戦国の日本やドイツだけでなく、戦場になったヨーロッパやロシアも疲弊していた。そうした中、アメリカは国土の大半が戦場にはならず、軍事物資の生産や金融などで大儲け、しかもドイツや日本が戦争中に略奪した財宝も手に入れていたと見られている。軍事的にも経済的にもアメリカは優位な立場にあった。

 それだけでなく、1944年7月22日にはアメリカのニュー・ハンプシャー州ブレトン・ウッズに連合国44カ国の代表が集まって会議を開いて通貨金融に関する協定を締結、戦後の国際通貨金融システムのあり方を決め、アメリカは国際通貨金融を支配できるようになる。世界を支配するための障害はソ連だけだったが、そのソ連はドイツとの戦争で疲弊していた。

 ドイツ軍は1941年6月にソ連に対する奇襲攻撃、バルバロッサ作戦を開始している。西側には約90万人だけを残し、310万人を東側へ投入するという非常識なものだが、これはアドルフ・ヒトラーの命令で実行されたという。これだけの作戦を実行するためには半年から1年は準備のために必要なはずだが、1940年9月から41年5月までの間、ドイツ軍はイギリスを空爆していた。これは陽動作戦だったと見ることもできる。

 1941年7月にドイツ軍はレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達した。ヒトラーはソ連軍が敗北したと確信、再び立ち上がることはないと10月3日にベルリンで語っている。またウィンストン・チャーチル英首相の軍事首席補佐官でNATOの初代事務総長に就任するヘイスティングス・イスメイは3週間以内にモスクワは陥落すると推測しながら傍観していた。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015)

 しかし、ソ連軍の抵抗でこうした予想通りにことは進まず、ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入するものの、ここでソ連軍に敗北し、1943年1月に降伏。この段階でドイツの敗北は決定的だ。

 そこでアメリカやイギリスの支配層は慌て始め、1943年1月にフランクリン・ルーズベルト米大統領とウィンストン・チャーチル英首相はフランスのシャルル・ド・ゴールらとカサブランカで会談している。この時に出てきた「無条件降伏」は戦争を長引かせ、ソ連対策を講じようとしたのだとも言われている。「ソ連勝利」の事実を隠蔽するために使われたのはハリウッド映画だ。

 その当時、アメリカでは原子爆弾の研究開発プロジェクトが進められていた。「マンハッタン計画」だが、これを主導した国はイギリスだった。1940年2月にバーミンガム大学のオットー・フリッシュとルドルフ・パイエルスのアイデアに基づいてプロジェクトが始まり、MAUD委員会なるものが設立されている。

 1943年には核兵器用のウランとプルトニウムを製造するため、テネシー州オーク・リッジに4施設が建設され、そのひとつはオーク・リッジ国立研究所へと発展した。ワシントン州に建設されたハンフォード・サイトではプルトニウムを製造するため、1944年9月にB原子炉が作られている。

 この「マンハッタン計画」を統括していたアメリカ陸軍のレスニー・グルーブス少将(当時)は1944年、同計画に参加していたポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、その計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったという。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)

 ルーズベルトは1945年4月12日に急死、その翌月の上旬にドイツは降伏するが、その直後にチャーチルはソ連への奇襲攻撃を目論む。そこでJPS(合同作戦本部)に対して作戦を立案を命令し、5月22日には「アンシンカブル作戦」が提出された。

 その作戦によると、1945年7月1日にアメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で奇襲攻撃、「第3次世界大戦」を始めることになっていた。この作戦が実行されなかったのは、参謀本部が計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 チャーチルは1945年7月26日に退陣するが、大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行い、「冷戦」の幕開けを宣言した。FBIの文書によると、チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている。(Daniel Bates, “Winston Churchill’s ‘bid to nuke Russia’ to win Cold War - uncovered in secret FBI files,” Daily Mail, 8 November 2014)

 日本がポツダム宣言の受諾を通告してから約1カ月後、アメリカの統合参謀本部では必要なら先制攻撃を行うことが決められた。この決定は「ピンチャー」という暗号名で呼ばれ、1946年6月18日に発効している。(Annie Jacobsen, “Area 51”, Little, Brown, 2011)

 原爆を手にしたアメリカの支配階級はソ連を先制核攻撃する計画を立てる。1949年に出された統合参謀本部の研究報告では、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容が盛り込まれていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

 アメリカは1952年11月に水爆実験を成功させ、核分裂反応を利用した原子爆弾から核融合反応を利用した水素爆弾に核兵器の主役は移っていく。勿論、核兵器を使うには運搬手段が必要。この当時、原爆の輸送手段は爆撃機で、その任務を負っていたのがSAC(戦略空軍総司令部)だ。1948年から57年にかけてSACの司令官を務めたのは日本の諸都市で市民を焼夷弾で焼き殺し、広島や長崎に原爆を落とし、朝鮮戦争では3年間に人口の20%を殺したカーティス・ルメイ中将にほかならない。

 中国を核攻撃する場合、日本や沖縄が出撃拠点になるが、その沖縄では1950年代に「銃剣とブルドーザー」で土地が強制接収され、軍事基地化が推し進められていた。1953年4月に公布/施行された布令109号「土地収用令」に基づき、武装米兵を動員した暴力的な土地接収が実施され、55年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になっている。

 SACは1954年に600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%を殺すという計画を立て、57年に作成された「ドロップショット作戦」では300発の核爆弾をソ連の100都市に落とすることになっていた。

 その頃、アメリカではICBMの準備が進められ、​統合参謀本部議長のライマン・レムニッツァーや空軍参謀長だったカーティス・ルメイを含む好戦派は1963年後半までにソ連を先制核攻撃する計画をたてた​。まだソ連がICBMの準備ができていない時点で攻撃したかったのだ。その作戦の障害になっていたケネディ大統領は1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺されたのだ。

 しかし、ケネディ大統領の暗殺計画はその前から動いていた。大統領は1963年11月2日にシカゴを訪れる予定になっていたが、そのシカゴで大統領を暗殺する計画があるとする警告が警備当局に対し、2カ所からもたらされている。ひとつはFBIの情報提供者「リー」から、もうひとつはシカゴ警察のバークレー・モイランド警部補からだ。

 FBIが入手した情報によると、パレードの途中で4名のスナイパーが高性能ライフルで大統領を狙うとされていた。その情報はシークレット・サービスへも伝えられている。ちなみに、ケネディ大統領暗殺の容疑者として逮捕され、警察で殺されたリー・ハーベイ・オズワルドはFBIの情報提供者だと言われている。シークレット・サービスのシカゴ支部は容疑者を監視、11月1日に2名を逮捕したが、残りの2名には逃げられてしまう。

 また、モイランド警部補の話は「ケネディ嫌いの男がいる」というもの。10月の後半にシカゴのカフェテリアで食事をしていたモイランドは、そこの経営者からケネディ大統領に関して不穏当な話をする常連客がいることを知らされたのだ。そこで警部補はその男が来るのを待ち、トーマス・アーサー・ベイリーだと確認してからシークレット・サービスに連絡している。(James W. Douglass, “JFK”, Orbis, 2008)

 ベイリーは元海兵隊員で、ジョン・バーチ協会に所属。海兵隊時代にはJTAG(統合技術顧問グループ)のメンバーとして日本にいた。オズワルドも1956年7月に日本の厚木基地の第1航空管制大隊へ配属されている。(Peter Janney, “Mary’s Mosaic,” Skyhorse, 2013)

 ケネディ大統領がシカゴのオハラ空港へ到着する予定時刻の30分前、11月2日午前9時10分(東部時間10時10分)にベイリーは逮捕され、シークレット・サービスの取り調べを受けてから収監されたのだが、シークレット・サービスのエージェントは暗殺未遂事件に関する文書を作成していないという。担当の特別エージェント、モーリス・マーティノーの命令だった。

 ケネディ大統領のシカゴ訪問が取りやめになったことは東部時間で10時15分に発表されている。少なくともその10分前に取りやめは決まっていたはずで、このケースでは10時に関係者は決定を聞いていたと言われている。つまり、大統領の訪問中止が決まった約10分後に警察はベイリーを逮捕したことになる。

 そうした情況にあったため、大統領の周辺、例えばウイリアム・フルブライト上院議員たちは大統領に対し、ダラス行きを中止するようにワシントンDCで20日に忠告しているのだが、取りやめにならなかった。(Anthony Summers, "The Kennedy Conspiracy," Paragon House, 1989

 ケネディ大統領のダラス訪問は1963年4月にリンドン・ジョンソン副大統領が発表している。ダラスに不穏な空気が漂っていたことは大統領自身も承知していたはずだが、大統領は予定を変えず、11月21日の夜にフォート・ワース入りした。

 その日から翌日の未明まで、警備を担当するシークレット・サービスのエージェントの多くが「セラー(穴蔵)」というナイトクラブへ繰り出して騒いでいた。そのナイトクラブを経営するパット・カークウッドはジャック・ルビー、つまり、オズワルドを警察署で射殺したとされている人物の友人だという。(Robert J. Groden, “The Killing Of A President”, Bloomsbury, 1993)

 大統領一行は11月22日の朝にフォート・ワースのカーズウェル空軍基地からダラスのラブ・フィールドへ移動、パレード用のリンカーン・コンバーティブルに乗り込んだ。

 このリムジンは防弾仕様でなく、屋根はシークレット・サービスのウィンストン・ローソンの指示で取り外されていた。またリムジンのリア・バンパーの左右には人の立てるステップがあり、手摺りもついているのだが、パレードのときには誰も乗っていない。大統領の指示だったという話もあるが、エージェントだったジェラルド・ベーンは大統領がそうした発言をするのを聞いていないと証言している。元エージェントのロバート・リリーに言わせると、大統領はシークレット・サービスに協力的で警備の方法に口出しすることはなかった。

 12時30分頃、ケネディ大統領は暗殺された。後ろの教科書ビルから撃たれたことになっているが、映像を見ても証言を調べても、致命傷になったであろう銃撃は前方からのものだった可能性がきわめて高い。教科書ビルの所有者はリンドン・ジョンソンの親友だったデイビッド・バード。そのビルに入っていてオズワルドが働いていたテキサス評価書倉庫なる会社のオーナーは、FBIに君臨していたJ・エドガー・フーバーの友人、ジャック・ケイソンだ。

 銃撃が始まると、大統領を乗せたリムジンの後ろを走る自動車にいた特別エージェントのエモリー・ロバーツは部下のエージェントに対し、銃撃だと確認されるまで動くなと命令するが、これを無視してエージェントのクリント・ヒルは前のリムジンに飛び乗った。

 ヒルによると、銃撃の後に喉を押さえるケネディ大統領を見てのことで、まだステップに足がかかる前、血、脳の一部、頭骨の破片が自分に向かって飛んできて、顔、衣類、髪の毛についたとしている。ステップにヒルの足がかかった時、大統領夫人のジャクリーンもボンネットの上に乗り、大統領の頭部の一部を手に触れようとしていた。その時、大統領の頭部の中が見えたという。リムジンの前方から銃撃されたことは決定的だ。(Clint Hill with Lisa McCubin, “Mrs. Kennedy and Me”, Gallery Books, 2012)事件を調査したウォーレン委員会でジャクリーンは髪の毛を元に戻そうとしたと証言しているが、委員会の報告書からは削除された。

 銃撃の直後、ダラス警察のジョー・マーシャル・スミスはパレードの前方にあった「グラッシー・ノール(草で覆われた丘)」へ駆けつけ、硝煙の臭いを嗅いでいる。そこで近くの駐車場にいた自動車修理工のように見えた男を職務質問したところ、シークレット・サービスのエージェントだということを示されたのだが、そこにシークレット・サービスの人間は配置されていなかったことが後に判明している。

 兵士のゴードン・アーノルドは銃撃の直前、「シークレット・サービスのエージェント」をそこで見たと語っている。パレードを見やすい場所を探してグラッシー・ノールに近づいたところ、私服の男に遮られ、近づかないようにと言われたというのだ。アーノルドが抗議したところバッジを見せながらシークレット・サービスだと名乗ったという。

 銃撃が収まってから、今度はふたりの制服を着た「警察官」がアーノルドに近づいて、フィルムを渡すように命じた。アーノルドは素直に渡している。そのフィルムがどうなったかは不明だ。やはり銃撃後、グラッシー・ノールのフェンス近くを走っていたジーン・ヒルもシークレット・サービスを名乗る人物からフィルムを全て取り上げられている。ただ、エイブラハム・ザプルーダーが撮影した8ミリフィルムは後に公開されている。

 事件直後、そのフィルムに関する全ての権利を写真雑誌LIFEの編集者リチャード・ストーリーが5万ドルでザプルーダーから買い取ってシカゴの現像所へ運び、オリジナルはシカゴに保管、コピーをニューヨークへ送ったとされていた。

 ジャクソンはフィルムが外部に漏れることを警戒し、ストーリーに対して動画に関する権利も買い取るように指示。この契約でLIFEはザプルーダー側へさらに10万ドル、合計15万ドルを支払っている。後にオリジナルのほか3本のコピーが作られ、オリジナルはCIAと国防総省の共同プロジェクトとして設立されたNPIC(国家写真解析センター)へ送られたことがわかる。なお、NPICは1996年にNIMA(国家画像地図局)に組み込まれた。現在のNGA(国家地理空間情報局)だ。

 このフィルムをNPICが保管していることを知ったCIA長官のジョン・マコーンは持ってくるように指示、映像を見ている。NPICはそれをオリジナルだとしていたが、本当のところは不明。マコーンはロバート・ケネディに対し、銃撃にはふたりの人間が関係しているという映像から受けた印象を語ったという。またNPICのスタッフで事件直後に映像を見たホーマー・マクマホンによると、銃撃は約8回、少なくとも3方向から撃たれているとしている。(Peter Janney, “Mary’s Mosaic,” Skyhorse, 2013)

 ザプルーダー・フィルムは長い間、一般に公表されていない。フィルムを隠したC・D・ジャクソンはアイゼンハワー大統領のスピーチライターを務めた人物で、アレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、フィリップ・グラハムを中心とするメディア支配プロジェクトの協力者でもあった。

 このフィルムを公開させたのがルイジアナ州ニュー・オーリンズの地方検事だったジム・ギャリソン。これがオリジナルである保証はないのだが、ともかくそれを1969年2月に法廷で映写させた。ただ、フィルムには大きな傷があり、見えない部分がある。

 その傷に関し、LIFE側は現像所の技術的なミスで損傷を与えたと説明したが、有名写真雑誌のプロがそうしたミスをするとは考えにくい。いつ、どのようにして傷つけたかを明確にするべきだが、現在に至るまで納得のできる説明はない。

 本来ならフィルムを隠したC・D・ジャクソンから事情を聞くべきなのだが、大統領が暗殺された翌年、1964年9月18日に彼は62歳で死亡している。

 ケネディ大統領の死亡が確認されたのはダラスのパークランド記念病院。死体を見た同病院のスタッフ21名は前から撃たれていたと証言、確認に立ち会ったふたりの医師、マルコム・ペリーとケンプ・クラークは大統領の喉仏直下に入射口があると記者会見で語っている。前から撃たれたということだ。

 その後、ペリーにベセズダ海軍病院から電話が執拗にかかり、記者会見での発言を撤回するように求められたという。これは同病院で手術や回復のための病室を統括していた看護師、オードリー・ベルの証言。ペリー本人から23日に聞いたというが、数カ月後にそのペリーは記者会見での発言を取り消し、喉の傷は出射口だとする。ウォーレン委員会でもそのように証言した。(Peter Janney, “Mary’s Mosaic,” Skyborse, 2013)

 大統領の死体は法律を無視してパークランド記念病院から強引に運び出され、検死解剖はワシントンDCのベセズダ海軍病院で行われた。担当した軍医のジェームズ・ヒュームスは検死に不慣れだったとも言われている。

 ケネディ大統領の暗殺を調査するため、リンドン・ジョンソン新大統領は1963年11月29日に「ケネディ大統領暗殺に関する大統領委員会」を設置、アール・ウォーレン最高裁長官を委員長に据えた。委員長の名前から「ウォーレン委員会」と呼ばれることが多い。

 委員会のメンバーはウォーレンのほか、リチャード・ラッセル上院議員(当時、以下同じ)、ジョン・クーバー上院議員、ヘイル・ボッグス下院議員、ジェラルド・フォード下院議員、アレン・ダレス元CIA長官、ジョン・マックロイ元世界銀行総裁がいた。そして主席法律顧問はリー・ランキンだ。

 ダレスはウォール街の大物弁護士で、大戦中からOSSの幹部として破壊活動を指揮、戦後CIA長官になるが、ケネディ大統領に解任させられている。マックロイはウォール街の大物で、大戦の後に世界銀行の総裁を経てドイツの高等弁務官としてナチスの大物たちを守った。フォードはJ・エドガー・フーバーFBI長官に近く、ランキンはCIAとFBIにつながっている。ダレスは委員会の中で唯一の専従だった。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

 この委員会にはCIAやFBIから情報が提供されたが、1964年1月にはCIAとの連絡係としてジェームズ・アングルトンが任命された。FBIはウィリアム・サリバンが担当している。(Michael Holzman, “James Jesus Angleton,” University of Massachusetts Press Amherst, 2008)

 ウォーレン委員会が暗殺に関する報告書と出した3週間後の1964年10月12日、ケネディ大統領と親密な関係にあったマリー・ピンチョット・メイヤーが散歩中に射殺された。銃弾の1発目は後頭部、2発目は心臓へ至近距離から撃ち込まれている。プロの仕業だ。

 ウォーレン委員会の結論は リー・ハーベイ・オズワルドの単独犯行だが、この結論をヘイル・ボッグスは口頭で批判していたという。ボッグスは1966年、委員会の腐敗した状況をジム・ギャリソンに話しているという。ボッグスを乗せたセスナ310は1972年10月16日、アラスカで行方不明になった。(Joan Mellen, “A Farewell to Justice,” Potomac Books, 2007)

 ケネディ暗殺の際、CIA、シークレット・サービス、警察などに不可解な動きがあり、複数の狙撃者がいたことを示す証拠や証言が次々と明らかになる。それに対抗し、単独犯説を主張する勢力は「陰謀論」という呪文を考えつき、連呼するようになった。事実を隠蔽する呪文として多用されている「陰謀論」はこの時から盛んに使われている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202411240000/
19:777 :

2024/11/28 (Thu) 07:49:34

トランプ政権の目玉政策を任された民主党脱藩組、戦々恐々の医薬・食品業界
約78兆円の歳出削減託されたマスク、業界との癒着排除目指すケネディ
2024.11.23
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/84537

ケネディ家汚すと罵倒された反乱分子
 組織犯罪の撲滅、労働組合の不正を暴いたロバート・F・ケネディ司法長官(享年42)の亡霊(魂)が、56年ぶりにワシントンに舞い戻ってきた。

 長男ロバ-ト・F・ケネディ・ジュニア(70)がドナルド・トランプ第47代大統領の保健福祉長官*1として「腐敗し切ったFDA(米医療食品局)と大医薬品企業」との相利共生関係にメスを入れると乗り込んでくる。

*1=米国の保健福祉長官(Secretary of Health and Human Service)は日本の厚生労働大臣に当たる。その所管は消費者保護、食品安全、水質循環、科学技術調査・研究、感染症危機管理など日本の6大臣が担当する政策分野での権限を有している。職員8万人の大組織だ。

 特に、FDAのほか米国立衛生研究所(NIH)、米疾患対策予防センター(CDCP)、国立アレルギー感染症研究所(NIAID)などの不透明な管理や民間への天下りなど官民癒着についてはこれまで何度となく指摘されてきた。

 しかし、誰も手をつけようとはしてこなかった。

 ケネディ氏は、コロナ・ウイルス拡散防止で絶対権限を振るったアンソニー・ファウチNIAID前所長(83歳、2022年に退官)が年収48万ドル(約7400万円)と、大統領よりも高額だったことや38年間の要職期間中に巨額の資産を蓄えていた事実などを突き止め批判していた。

(Dr. Anthony Fauci is paid more than the president — here's how much he earns as he prepares to retire from public service )

 それをトランプ氏の絶対的な支持を得て実行に移す。

 ケネディ氏は、水質汚染阻止の弁護士としてこれまで「汚染企業」や官僚と法廷闘争を繰り広げ、近年はコロナ・ウイルスのワクチン*2と自閉症との因果関係、ハンバーガーやフライドチキンのチェーン店で販売されている高カロリー低栄養フード規制強化など消費者目線での社会の不条理に挑戦してきた。

*2=ケネディ氏は、コロナ・ワクチンについては、バイデン政権が認可しているヒドロキシクロキンやエリテマトーデスといった治療剤を「インチキ薬」と断定、即時認可を取り消すよう警告している。

 かつて一世を風靡した反公害消費者運動家のラルフ・ネーダー氏と相通ずる行動で、同氏とも昵懇の仲だった。

 大統領選では当初、民主党から立候補、「泡沫候補」と揶揄され、ジョー・バイデン大統領を支持する兄弟姉妹親類縁者からは「絶縁」された。

 その後、無所属としてキャンペーンを続け、8月、立候補を断念し、保健福祉面での政策合意ができたトランプ氏への支持を表明していた。

憎しみを愛に変えよう
 父親のロバート・ケネディ氏は、白人によるマーチン・ルーサー・キング牧師銃撃(1968年4月、享年39)直後、悲痛と憎悪が煮えたぎる黒人たち観衆を前にして、こう述べたことがある。即席の演説だった。

「私の兄ジョンも白人の手によって殺された」

「悲劇は憎しみや悲しみに向かうこともできる。だが悲劇は互いに理解し合い、思いやり、愛し合う努力へと変えることもできる」

「私たちに必要なのは暴力でも無法状態ではなく、キング牧師が願った人間に対する愛や知恵、思いやる気持ち、苦しんでいる人々に対する正義の心だ」

 この演説から2か月後、ロバート・ケネディ氏も銃弾に倒れた。ケネディ・ジュニア氏は当時14歳だった。

 ケネディ・ジュニア氏にとって父親の存在がどれほど大きかったか。一時マリワナに走ったのも、あまりにも悲劇的な父の死と無関係ではない。

 その後、環境保護問題や公衆衛生に取り組んだのは、「父の不条理に対する妥協を許さぬ精神を強く受けたことが大きい」(ケネディ氏周辺)と言える。

(Speech on the Death of Martin Luther King, Jr. by Robert F. Kennedy)

 ケネディ・ジュニア氏は2018年6月、父を殺したシーハン・べシャラシーハン(パレスチナ人移民、終身刑)をサンディエゴ近郊の刑務所に訪れ、2時間面談している。

 その際、「犯人はシーハンではなく別人だと確信している」と述べている。遺体から13発の弾が見つかったが、シーハンが撃ったのは8発だったことなど不審な点が残されている。

(Who killed Bobby Kennedy? His son RFK Jr. doesn't believe it was Sirhan Sirhan. - The Washington Post)


連邦政府機関の不正一掃と天下り全面禁止
 ケネディ・ジュニア氏は保健福祉長官に指名された際、何をやるか、その抱負をこう語っている。

「私は連邦政府の保健福祉関連機関の不正を一掃する。これら機関の役人の医薬品メーカーへの天下りを直ちにやめさせる」

「これら保健福祉機関を科学的な根拠に基づく伝統ある金字塔的存在にさせる」

「医療分野ではメディケア(高齢者・身障者向け公的医療保険)、メディケイド(低所得者層対象の公的医療保険)、オバマ・ケア(オバマ政権が実施した国民皆保険制度)の徹底見直しを行う」

 このほか、ケネディ氏は次の4つの精査などを掲げている。

①環境と国民の生活
②MMRワクチン接種と自閉症
③人工中絶と女性の生命再生産の権利
④コロナ・ウイルスなど公衆衛生に関する非科学的な根拠

(RFK Jr. has a risky approach to remaking the FDA | STAT )

(RFK Jr. on vaccines, abortion, food, and MAHA ambitions at HHS | STAT)


トランプ政権は「危うい西欧型連立内閣」
 トランプ第2期政権の閣僚、ホワイトハウス高官の顔ぶれがほぼ明らかになった。

 未成年少女買春容疑や「ロシアのスパイ」容疑疑惑など札付き閣僚もおり、米主要メディアは上院での人事承認審議の行方に重大関心を示している。

 ネットメディア「AXIOS」のザカリー・バス氏は、このトランプ第2期政権を「西欧先進民主義国型の連合政権」に類似していると分析している。

「イデオロギーで一致した人材を集めたわけではなく、主義・主張もバラバラなものを自分に対する忠誠心だけで集めた危うい政権だ」

「だから個々の政策決定になると意見が合わず、混乱する内閣になるだろう」

 同氏によれば、次期政権の主要官僚、ホワイトハウス高官は以下の3つの派(閥)に分かれる。

一、「アメリカ第一主義」のナショナリスト

 マット・ゲーツ司法長官(11月21日に指名候補を辞退)、ピート・ヘジセス国防長官、トム・ホマン国土安全長官、ステファン・ミラー大統領次席補佐官

二、エスタブリッシュメント保守主義者

 マルコ・ルビオ国務長官、マイケル・ウォルツ大統領国家安全保障担当補佐官、テルシ・ギャバード国家情報長官、エリース・ステファニック国連大使

三、民主党反乱分子

 イーロン・マスク「政府効率化省」長官、ロバート・ケネディ・ジュニア保健福祉長官

(Populists and billionaires collide in Trump's messy coalition)

 当初はおそらく“トランプ王”のご聖断で政策は決まるだろうが、中長期になると、どうなるか。

 そうした中で外交国防政策は別にして、「トランプ革命」の最大のアジェンダは、5000億ドル(約78兆円)の連邦政府歳出の削減を目指す政府効率化。

 これを億万長者のマスク氏に任せる。

 もう一つの重要アジェンダは保健福祉政策の抜本改革だ。これをケネディ・ジュニア氏に任せる。

 前述の派(閥)で言えば、ともに「民主党反乱分子」だ。

 トランプ共和党政権は重要課題の解決を2人の「外様」に任せるという大胆な決断をしたことになる。

 上下両院の多数派を勝ち取った共和党が閣僚人事をブロックするとは思えない。

 だが民主、共和両党議員の中にも医薬品企業や食品業界とは持ちつ持たれつの関係にある者はいる。

 ケネディ・ジュニア氏の推進する改革に横やりを入れる議員が出てくる可能性大だ。

尻に火の医薬品、食品業界は対応策に苦慮
 官民財界だけでなく、学界からも早くも狼煙が上がっている。

 長年、伝染病学界の重鎮として重きをなしてきたタフト大学のロバート・モリス博士はこう指摘する。

「トランプ・ケネディのコンビが、公衆衛生ストラクチャーにダメージを与えることは間違いない。門外漢による科学者への脅威以外の何物でもない」

「今こそ、学界、学者たちは一致団結して戦う必要がある」

(latimes.com/column-trumps-appointment-of-anti-vaxxer-rfk-jr-to-his-cabinet-has-scientists-fearing-a-catastrophe-for-public-health)

 もっともマクドナルドやケロッグ、コカ・コーラなどは、トランプ氏が大統領選挙で勝つことを想定して食品業界を対象とする食品安全規制強化にどう対応するべきか「勉強会」を行ってきた。

 しかし、「ケネディ・ジュニアの登板で尻に火がついた」(業界関係筋)ようだ。

 また医療薬品業界もケネディ氏の登場に対し、対政府対応の「180度転換」(Sea Change)を迫られている。ロビイストを使った議会の「薬品族」への働きかけが強まっている。

 ケネディ・ジュニア氏の掲げる 「Make America Health Again」(アメリカを再び健康に)運動は賛否両論が乱れ飛ぶ中で「トランプ革命」の目玉として闊歩し始めた。

(realclearinvestigations.com/food_lobbyists_plot_to_have_it_their_way_with_rfk_jr)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/84537?page=5
20:777 :

2025/01/27 (Mon) 15:42:40

2025.01.27XML
トランプ大統領がJFK、MLK、RFK暗殺に関する記録の機密解除を命じた意味
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202501270000/

 ​ドナルド・トランプ米大統領は1月23日、ジョン・F・ケネディ大統領(JFK)、ロバート・F・ケネディ上院議員(RFK)、マーティン・ルーサー・キング牧師(MLK)の暗殺に関する記録の機密を解除するように命じる大統領令に署名した​。この大統領令は、JFKの全暗殺記録を完全公開する計画を15日以内に提示し、RFKとMLKの暗殺に関しては記録を見直した上で完全公開する計画を45日以内に提示することを求めている。

ジョン・F・ケネディ暗殺

 JFKは1963年11月22日、MLKは1968年4月4日、RFKは1968年6月6日にそれぞれ暗殺されたが、いずれもアメリカの情報機関や治安機関が関係していると言われている。JFKの場合、有力な「親米国家」も関係していると推測する人もいる。これまで記録の公開が進まなかった理由のひとつはこうしたところにあるのだろう。

 しかし、推測通りCIAやFBIを含む政府機関が暗殺に関与していたとしても最も重要な情報は口頭のみで行われ、文書にはされていない可能性が高い。それに準ずる重要な情報の書かれた文書はすでに廃棄されているだろうが、想定外の場所に文書が眠っている可能性がある。

 ケネディ大統領は大統領に就任した直後、インフレを回避するために鉄鋼会社の経営者と労働者に協力を求めた。鉄鋼価格を引き上げないという前提で賃金を据え置いて欲しいと大統領は1962年4月に提案、労働者は受け入れたのだが、業界のトップ企業だったUSスチールの会長は4月、大統領と会談した翌日に3.5%の鋼材値上げを発表すると通告、実際に値上げを発表、業界第2位のベツレヘム・スチールなども後を追うのだが、この決定に大統領は怒り、鋼材の購入先をまだ値上げを発表していないルーケンスに変更した。このやり取りでケネディ政権と鉄鋼産業の関係は険悪になっている。

 第2次世界大戦後、アメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を計画していた。これは本ブログでも繰り返し書いてきたことだが、それに対してソ連はキューバへ中距離ミサイルを持ち込む。この事実をアメリカがわは1962年8月に察知、9月には地対空ミサイル発射装置を確認した。(Jeffrey T. Richelson, "The Wizards of Langley," Westview Press, 2001)

 1962年10月19日にケネディ大統領は統合参謀本部のメンバーと会うが、その多数派はカーチス・ルメイのような好戦派。運び込まれたミサイルを空爆で破壊すべきだと主張した。空爆してもソ連は手も足も出せないはずだというのだが、ケネディ大統領はこうした好戦派の主張を拒否する。

 そして10月22日に大統領はキューバにミサイルが存在する事実をテレビで公表、海上封鎖を宣言したが、戦略空軍はDEFCON3(通常より高度な防衛準備態勢)へ引き上げ、24日には一段階上のDEFCON2にする一方、ソ連を空爆する準備をしている。

 10月27日にはルドルフ・アンダーソンが乗った偵察機U2がキューバ上空で撃墜され、シベリア上空ではチャールズ・モールツビーが乗ったU2をソ連のミグ戦闘機が迎撃していた。モールツビーは事態を司令部に報告、引き返すように命じられてアラスカへ向かう。同時にアメリカ側はF102Aを護衛のために離陸させ、ミグよりも早く米軍機がU2を発見、無事帰還できた。こうした出来事を受け、ロバート・マクナマラ国防長官はU2の飛行停止を命令したが、その後も別のU2がモールツビー少佐と同じコースを飛行している。(Richard J. Aldrich, "The Hidden Hand," John Murray, 2001)

 結局ケネディ大統領とソ連の最高指導者だったニキータ・フルシチョフはキューバ危機を外交的に解決するが、ダニエル・エルズバーグによると、その後、国防総省の内部ではクーデター的な雰囲気が広がっていたという。ちなみに、ジョン・フランケンハイマーが監督した映画「5月の7日間」はケネディ大統領自身の勧めで制作されているが、映画が完成する前にケネディは暗殺された。(Peter Dale Scott, “The American Deep State,” Rowman & Littlefield, 2015)

 ケネディ大統領はイスラエルの核兵器の開発を懸念していたことでも知られている。ダビッド・ベングリオン首相と後任のレビ・エシュコル首相に対し、半年ごとの査察を要求する手紙を送りつけ、核兵器開発疑惑が解消されない場合、アメリカ政府のイスラエル支援は危機的な状況になるという警告されていた。(John J. Mearsheimer & Stephen M. Walt, “The Israel Lobby”, Farrar, Straus And Giroux, 2007)

 その一方、ケネディ大統領はイスラエル建国のために故郷を追われて難民化したパレスチナ人の苦境に同情、住んでいた家へ戻り、隣人と平和的に暮らす意思のある難民の帰還を認めた国連決議194号の履行を支持している。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991)

 キューバ危機を外交的に解決したケネディ大統領は1963年6月にアメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行い、はソ連と平和共存する道を歩き始めると宣言した。

 アメリカが軍事力で世界に押しつける「パックス・アメリカーナ(アメリカ支配による平和)」を否定することから演説は始まり、アメリカ市民は「まず内へ目を向けて、平和の可能性に対する、ソ連に対する、冷戦の経過に対する、また米国内の自由と平和に対する、自分自身の態度を検討しはじめるべき」(長谷川潔訳『英和対訳ケネディ大統領演説集』南雲堂、2007年)だと語りかけた。

 平和は不可能であると同時に非現実的だとする考えを「危険な敗北主義的」だとケネディ大統領は批判、そうした考え方は人類の破滅という結論に続いていると訴え、「関係者すべての利益になる一連の具体的措置と有効な協定に基づく、実際的で達成可能な平和に力を注ごう」と主張する。これはケネディ以降の大統領とは正反対の考え方だ。

 また、ケネディ大統領は通貨制度へもメスを入れようとする。1913年に連邦準備法が制定されて以来、アメリカでは通貨政策を民間の銀行が支配、連邦準備制度に加盟する市中銀行の出資する連邦準備銀行が紙幣も発行していた。第2次世界大戦後にドルが世界の基軸通貨になったことから米英の巨大金融資本が世界の金融に大きな影響力を及ぼすことになった。

 この仕組みが財政問題の根本にあると考えたケネディ大統領は1963年6月にEO11110と呼ばれている大統領令を出し、連邦準備制度の枠外で銀兌換紙幣を発行するように命令するが、1963年11月22日に大統領は暗殺され、この命令は取り消されてしまう。市中に流通していた紙幣は回収された。

マーチン・ルーサー・キング牧師暗殺

 公民権運動の指導者として知られるマーチン・ルーサー・キング牧師は1967年4月4日、ニューヨークのリバーサイド教会で開かれた「ベトナムを憂慮する牧師と信徒」主催の集まりに参加した。主催者の発表した声明の冒頭部分に書かれていた「沈黙が背信である時が来ている」という主張にキング牧師は賛成、「なぜ私はベトナムにおける戦争に反対するのか」というタイトルで演説している。

 ところがロン・ポール元下院議員によると、キング牧師の顧問たちは牧師に対し、ベトナム戦争に焦点を当てないよう懇願していたという。そうした発言はリンドン・ジョンソン大統領との関係を悪化させると判断したからだが、牧師はそうしたアドバイスを無視、「リベラル派」とされる人々と対立することになる。キング牧師が暗殺されたのはリバーサイド教会での説教から1年後の1968年4月4日のことだ。ダニエル・エルズバーグは宣誓供述書の中で、キング牧師を暗殺したのは非番、あるいは引退したFBI捜査官で編成されたJ・エドガー・フーバー長官直属のグループだと聞いたとしている。(William F. Pepper, “The Plot to Kill King,” Skyhorse, 2016)

ロバート・ケネディ暗殺

 キング牧師暗殺から2カ月後の 1968年6月6日、その年に予定されていた大統領選挙で最有力候補だったロバート・ケネディ上院議員が暗殺された。検死をしたトーマス・ノグチによると、議員には3発の銃弾が命中、致命傷は右耳後方のもので、銃口は1インチ(2.5センチメートル)以内の距離にあり、残りの2発は議員の右脇に命中していたのだが、逮捕されたのは議員の60センチメートル以上前を歩いていたサーハン・サーハンだった。しかも命中した銃弾はサーハンのピストルから発射されたものでもなかった。

 JFK、MLK、RFK、いずれの暗殺とも公式見解に説得力はなく、事実に基づく非公式の調査が続けられてきた。そうした事実に基づく調査を封印するため、JFK暗殺の直後から唱えられ始めた呪文が「陰謀論」である。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202501270000/
21:777 :

2025/01/27 (Mon) 23:41:31

2025年01月27日
JFK暗殺の闇は深かった / 機密文書の開示と真相究明
https://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68983438.html

科学捜査の基本と証拠の保管

JFK 7244LBJ oath

  第二次トランプ政権が発足し、懸案事項だったJFK暗殺に関する極秘ファイルの公開が行われるようになった。しかし、開示された文書で事件の全貌が明らかになるのかどうかは、今のところ判らない。ただ、JFK暗殺の捜査には驚くような“欠陥”や“手抜き”、そして巧妙な“隠蔽”があった。

  殺人事件において、物的証拠の収集や調査、そして証拠物件の保存は重要である。交番勤務の新米警官でも捜査の基本は弁えているものだ。ところが、米軍の最高司令官が殺害された時の捜査は違っていた。唖然としてしまうが、重要な証拠保全が“いい加減”であったのだ。これでは、アメリカ人じゃなくても驚く。

Cyril Wecht 11( 左 / シリル・ウェクト博士 )
  死体解剖は殺人捜査の初歩。特に、銃による殺人事件なら、現場の保全や兇器の特定、摘出された弾丸の鑑定、弾道の検査、遺体の検死、指紋採取やDNA型鑑定など“科学捜査”で犯人を突き止めなければならない。こうした“常識”を知っている者なら、法理病理学者(forensic pathologist)のシリル・ウェクト博士(Dr. Cyril Wecht)が語る驚愕の体験記に注目するはずだ。

  ウェクト博士は米国科学捜査アカデミー(American Academy of Forensic Sciences)の総裁や米国法医学カレッジ(American College of Legal Medicine)の学長を務めた人物だ。彼はまた、ピッツバーグ大学やデュクエシン大学の教授も務めた学者である。ウェクト氏はベストセラーになった『ベスト・エビデンス(Best Evidence : Disguise and Deception in the Assassination of John F. Kennedy』の著者、デイヴィッド・リフトン(David Lifton)の友人でもあったからJFK暗殺の資料を閲覧する際、リフトン氏に強力を求めたそうだ。

John Kingsley Lattimer 2(左 / ジョン・キングズリー・ラティマー)
  そこで、相談を受けたリフトンは、「ニューヨーク・タイムズ」紙で法律知識を有する記者のフレッド・グラハム(Fred Graham)を紹介した。このグラハム氏がJFKの検死に立ち会ったジョン・キングズリー・ラティマー(John Kingsley Lattimer)軍医に渡りをつけたそうで、ラティマー氏は陸軍に属する医者であった。しかし、彼はコロンビア大学にある泌尿器科の学部長を務めていた人物だ。殺人事件の被害者を調べる検死官じゃない。ラティマー氏の患者には有名人が多く、FBI長官のエドガー・フーバー(J.Edgar Hoover)や大空の英雄チャールズ・リンドバーグ、女優のキャサリン・ヘップバーンやグレタ・ガルボ、ニュルンベルク裁判に掛けられたナチスの高官などがいたが、銃器で殺された死体を調べることは専門外である。

  ただし、ラティマー軍医はJFKファイルを目にしてオズワルドによる狙撃や弾道を調べたそうだ。というのも、彼は古い武器や歴史的アンティークを集めるのが趣味のコレクターであったから、独立戦争や南北戦争で使われた銃器に詳しかった。それで、泌尿科の医者であるにもかかわらず、ラティマー氏は1980年に『Lincoln and Kennedy: Medical and Ballistic Comparisons of Their Assassinations』という著書を出版した。ところが、ラティマー氏の結論はウォーレン委員会の「オズワルド単独犯説」と同じで、ウォーレン判事らの推測を裏付けるものでしかなかった。日本人でも驚いてしまうが、独立した法医学の専門家で、初めてJFKの資料を調べたのはウェクト博士であったのだ。

  ウェクト博士はJFKアーカイヴ資料を管理するマリオン・ジョンソン(Marion Johnson)氏を訪ねることにした。謎解きに魅せられた博士は、アーカイヴに保存された資料や証拠物件のリストを見せてもらったそうだ。彼は有名なザプルーダー・フィルムや遺体のレントゲン写真、検死の報告書などを検証したが、思いがけない“衝撃”も受けていた。例えば、彼はケネディー大統領とジョン・コナリー(John Bowden Connally,Jr.)州知事が来ていた服を調べたが、それらはドライ・クリーニングされ、アイロンをかけられていたのだ。(Cyril H. Wecht and Dawn Kaufmann, The JFK Assassination, Jefferson, NC : Exposit, 2022, p.204.)これらの服は捜査上の重要な証拠物件なのに、そのまま保存されず、証拠能力を“汚染”するような“洗濯”にかけられていたんだから、呆れるほどの暴挙である。「証拠隠滅」とか「捜査妨害」と判断されてもおかしくはない。

James Humes & Thornton Boswell 2( 左 / ジェイムズ・ヒュームズとソーントン・ボスウェル )
  遺体の検死報告書にも“いかがわしい点”が多く、銃弾の貫通箇所にも“小細工”があった。大統領の遺体がベセスダ(Bethesda)の海軍医療センターに運ばれた時、それを検案したのは、海軍医療部隊のジェイムズ・ヒュームズ(James J. Humes)中佐と海軍メディカル・スクーの法医学者であったソーントン・ボスウェル(J. Thornton Boswell)中佐であった。二人とも実際に銃撃された死体を解剖したことはなく、彼らは遺体から摘出されたサンプルを検査するのが専門(通常の仕事)であったという。

  ウォーレン委員会のメンバーは、JFKの背中に空いた穴、つまり後ろの首元から5・3/4インチ下にある弾痕の位置は“まずい”とヒュームズ中佐に文句をつけたそうだ。そこで、ヒュームズ氏は自分と仲間の方が間違っていたと反省し、4インチ上げて弾道に合うよう穴の位置を修正したという。ヒュームズ氏によれば、当日の夜に行われた検死よりも、六ヶ月後に思い出した記憶や再吟味の方が正しいそうである。こんな再検証は馬鹿らしいけど、この修正を承認したのは、委員会のメンバーで後に大統領になるジェラルド・フォードであった。

  さらに“おかしい”のは、「魔法の弾丸(magic bullet)」と呼ばれる証拠品「No.399」の形状である。この弾丸は綿のクッションに包まれ、小さな箱に収められていた。しかし、とても人間の筋肉や骨、そして服の素材を貫通したとは思えぬほど綺麗な状態を保っていた。この弾丸はオリヴァー・ストーン監督のヒット作『JFK』でも紹介されているが、オズワルドのライフルから発射された兇弾は、ケネディー大統領の背中と胸部を突き抜けた後、コナリー知事に当たって彼の胸や手首を突き破り、太股の部分にめり込んでいたのだ。常識で考えれば、こんな弾道はSF漫画の空想である。たとえ、本当だとしても、四カ所も通過すれば、弾丸は原型を留めない。おそらく、滅茶苦茶な形になるはずだ。ところが、この奇蹟の弾丸は、全体の1.5%しか失っていないというのだ。すなわち、発射される前には161グレイン*(約10.44g)の重さで、遺体から摘出された時には158.6グレイン(約10.29g)であったという。(上掲書、p.205) *註/ ここでは「1グレイン(grain)」を「約0.0648グラム」として計算した。

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(左端が「魔法の弾丸」/ 右端が検証実験で使われた潰れた弾丸 / 右 : カルカノ・ライフルを持ったリー・H・オズワルド )

  一応、連邦政府は検証実験をしたそうで、リー・ハーヴェイ・オズワルドが使用したイタリア製のボルト・アクション式ライフル銃「マンリカ・カルカーノ・ライフル(Mannlicher-Carcano rifle)」を用いて、陸軍のエッジウッド兵器廠で再発射実験を行ったそうだ。担当者が撃ったのは、綿を詰めた標的と山羊の死体、そして人間の死体から取り出した手首の骨である。射撃実験の結果は予想通り。障碍物を貫通した弾丸は、「魔法の銃弾」とは全く違い、かなり変形して損傷していたそうだ。

  これだけでも驚くのに、JFK暗殺の証拠リストには重大な瑕疵(かし)があった。何と、大統領の頭蓋骨から取り出した脳味噌が“紛失”していたのだ。アメリカ人じゃなくても「えぇっっ~! うそぉ~! 信じられない!!」と絶叫してしまうが、これは本当の話である。1966年11月22日に行われた検死の後、大統領の頭から抜き取られた脳味噌は、ステンレス製のバケツに収納され、ベセスダ海軍メディカルセンターにあるジョージ・ギャロウェイ(George B. Galloway)提督のクローゼットに保管されたという。12月2日に脳味噌の写真が撮影され、重量1,500gと記録されている。12月6日、JFKの主治医であったジョージ・G・バックリー(George G. Buckley, Jr.)提督が、検死の品々を記したリストに署名していた。

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(左と中央 : 検死の写真と銃弾で吹き飛ばされた頭蓋骨 / 右 : JFKの背中にある弾痕)

  バックリー提督やシークレット・サーヴィスのロバート・ボウク(Robert I. Bouck)特別捜査官、トマス・ケリー(Thomas J. Kelley)監査官らが、証拠品のリストを確認していたし、翌年には司法長官のラムゼー・クラーク(Ramsey Clark)もレントゲン写真や検死に関する品々を確認していた。司法解剖の資料や証拠物件は、後にケネディー大統領の私設秘書であるエヴリン・リンカン(Evelyn Lincoln)に託され、彼女が保管の責任者となっていたが、重要な物的証拠である脳味噌が“いつの間にか”無くなっていたのである。

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(左 : ラムゼー・クラーク / エヴリン・リンカン / ジョージ・G・バックリー / 右 : RFKとアンジー・ノヴェロ)

  もっとも、リンカンはバックリー提督から渡された証拠の箱を開けたことがなく、ロバート・ケネディーの私設秘書であるアンジー・ノヴェロ(Angie Novello)に渡していたのだ。脳味噌を含めた証拠品は、何人かの手に渡っていたので、「何処で、誰が、何時」この物的証拠を盗んだのか判らない。ただ、考えられるのは、「致命傷となった銃弾何処から飛んできたのか、その方角を知られたくない人物が、この窃盗事件の首謀者なんじゃないか?」という点である。

  脳味噌の紛失は深刻な問題だが、暗殺事件から月日が経つと誰も気にしなくなったようだ。本来なら、マスコミが大騒ぎして一大事件になるはずなんだが、なぜか曖昧なまま無視され闇に葬られている。たぶん、暗殺を計画した闇組織が、政府に送り込んだ“モグラ”に命じて証拠品を盗ませたのだろう。JFKを殺した連中が誰なのか判らない。だが、もしかするとドナルド・トランプの失脚や暗殺を目論んだFBIやCIA、あるいはウォール街の闇組織と同じ類いで、ペンタゴンやシークレット・サーヴィスなどに子飼いの手下や協力者を潜伏させている可能性もある。

機密ファイルの公開に反対したJFKの孫

  ジョン・F・ケネディー大統領の甥で、暗殺されたロバート・ケネディー元司法長官の息子であるロバート・F・ケネディー・ジュニア(Robert F. Kennedy, Jr.)は、トランプと組む前から、秘密ファイルの解除を熱心に求めていた。そして、トランプが再選されたことで念願の情報公開が実行された訳だが、これで事件解明となるのかは不確かだ。

  しかし、被害者の親族であるケネディー家に内紛が起こっていたのだから驚く。JFKの孫で、元駐日アメリカ大使にもなったキャロライン・ケネディーには息子がいて、ジャック・シュロスバーグ(John Bouvier Kennedy Schlossberg)というジャーナリスト的作家だ。彼は機密文書の公開に不満なようである。というのも、共和党のドナルド・トランプが自分の利益にするため、祖父の事件を利用したからだ。ジャックは自身の「X」で「真実は神話より、もっと哀しいものである」と呟き、トランプのしたことはちっとも英雄的行為じゃない、と斬り捨てていた。(Lauren Irwin , Jack Schlossberg says ‘nothing heroic’ about Trump JFK declassification', The Hill, January 23, 2025.) つまり、この孫は“よそ者”に過ぎないランプが大嫌いで、一族の悲劇を持ち出して政治の小道具にしたことが気に入らないのだ。

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(左 : ジャック・シュロスバーグ / ドウィン・シュロスバーグ / キャロライン・ケネディー / 右 : ロバート・F・ケネディー・ジュニア)

  普通なら、所属政党や政治信条が違っていても、祖父の事件を明らかにしてくれるトランプに感謝するものだが、ジャック・シュロスバーグは違う。血統的に別種族になっているせいか、真相究明を願う愛国心よりも党派的な敵愾心の方が強くなっている。ジャックの父親はエドウィン・シュロスバーグ(Edwin Arthur Schlossberg)というユダヤ人で、美術評論もするデザイナーだ。エドウィンの曾祖父はウクライナからやって来たユダヤ移民で、繊維業を営む正統派ユダヤ教徒の家系であるという。

  (東歐からやって来たユダヤ移民は、繊維工場や雑貨店を経営して“成金”になった者が多い。南部の白人は、口八丁手八丁でボロ儲けする行商人<peddler>も嫌っており、詐欺師的なユダヤ人と見なすアメリカ人も少なくなかった。日本でも1980年代後半と1990年前半に、新宿や渋谷の路上でアクセサリーや小物雑貨を売っているユダヤ人がいたじゃないか。ただ、普通の日本人は奇妙な外人露天商がユダヤ人と気づかなかった。)

  ユダヤ人の血筋に連なる息子のジャックは、一応、母親の宗教を引き継いで、カトリック信徒のようになっているが、その体質や性格は典型的なアシュケナージのユダヤ人となっている。彼は強制された訳じゃないが、自然と政治の世界に魅了されたようで、上院議員になったバラク・オバマの選挙に注目し、オバマの応援をしていたようだ。こんな調子なので、半ユダヤ人のジャックは親戚のロバート・ケネディー・ジュニアが大統領選挙に出馬しても喜ばず、むしろケネディー家を困らせる恥曝し(embarrasment)と評していた。ジッャクは「ロバートの事を知っている」と語り、「どうして彼が大統領になるべきと考える人がいるのか解らない」とも述べていた。(Reid J. Epstein, J.F.K.’s Grandson Calls Robert Kennedy’s Campaign "an Embarrassment”, New York Times, July 21, 2023.)

  ロバート・ケネディー・ジュニアは前々から、ワクチン接種に反対し、巨額の富を貪る製薬会社を糾弾してきたから、リベラル派の親戚はロバートを「異端児」扱いにしていたのだろう。ジッャクも一族のリベラル思想を受け継いでおり、「陰謀論」を振り撒くロバートを恥ずかしく思っていたに違いない。それゆえ、彼はRFKの出馬に反対したのだろう。でも、よりにもよって、あのジョー・バイデンを支持するなんて「馬鹿」としか言い様がない。ジッャクはバイデンに投票することを楽しみにしていると語っていたが、この痴呆老人が失脚し、副大統領のカマラ・ハリスが候補者となると、ハリス陣営の支持に廻っていた。赤い思想に染まってしまった“お坊ちゃん”いうのは救いようがない。戦前の日本には「赤い華族」がいたから、歐米社会でも同じである。

  アメリカ人やヨーロッパ人だけじゃなく、日本人にも“教訓”となるが、異人種との混血児をつくってしまうと、祖先から引き継いだ肉体と精神が損なわれてしまう、という傾向だ。ジッャク・シュロスバーガーはカトリック教会の学校で教育されても、中身は左翼気質のユダヤ人となっている。ついでに言うと、イヴァンカ・トランプ(Ivana Marie Trump)も仲間と離別した西歐系アメリカ人の典型だ。彼女は元々プレスビテリアン教会に属する御嬢様であったが、ユダヤ人の夫(ジャレッド・クシュナー)をもったせいで、2009年に正統派ユダヤ教徒に改宗していた。娘のアラベラや二人の息子ジョセフとセオドアもキリスト教徒じゃなく、今やユダヤ人の遺伝子が混じった「ユダヤ教徒」だ。

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(左 : 父親のチャールズ・クシュナーと息子のジャレット / 右 : イヴァンカトランプとジャレッド・クシュナー)

  ちなみに、ジャレッドの父親であるチャールズ・クシュナー(Charles Kushner)は、脱税と違法献金で有罪となり、懲役二年の判決を受けたが、トランプ大統領による恩赦で2006年に釈放となった。前科者であるチャールズは、第二次トランプ政権で駐仏アメリカ大使に指名されたというから、トランプも身内には甘いのだろう。秋篠宮家と同じで、変な娘婿をもらうと厄介事や恥曝しの元になるもんだ。

  イヴァンカの父であるドナルド・トランプは不真面目なキリスト教徒だけど、母親のイヴァナはカトリック信徒のチェコ人であるから、普通の西歐系キリスト教徒の男性と結婚すれば、宗教的葛藤はなかったはず。12月になれば両親と共にクリスマスを祝い、復活祭となれば一緒にイースター・エッグ探しを楽しむ。ところが、ユダヤ教になってしまったから、親兄弟とは別々になるし、掛け声だって「メリー・クリスマス」じゃなく「ハッピー・ハヌカ」だ。英国でもキリスト教徒のイギリス人娘が、アラブ人の男と結婚し、異質なイスラム教徒になる例が増えてきた。おそらく、日本もいずれそうなる。

オズワルドは「囮」だった

  脱線したので話を戻す。父と伯父を殺されたロバート・F・ケネディー・ジュニアは、暗殺事件にCIAが絡んでいたと考えている。確かに、ウォーレン委員会にはCIA長官のアレン・ダレス(Allen Dulles)が入っていたし、CIAの副長官にはチャールズ・カベル(Charles P. Cabell)将軍が就いていた。しかも、カベル将軍の弟であるアール・カベル(Earle Cabell)は、暗殺当時、ダラスの市長であったから、“縄張り”での謀殺と考えてもおかしくはない。そもそも、ピックズ湾侵攻の失敗でカベル将軍とダレス長官は大恥をかいたから、この二人が殺したいほどケネディー大統領を憎んでいたのも当然だ。将軍の弟が市長なら、真相の隠蔽工作に便利である。

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(左 : チャールズ・カベル / アール・カベル / アレン・ダレス / 右 : リンドン・ジョンソン)

  副大統領だったリンドン・ジョンソンもケネディーを憎む一人で、バー・マクレラン(Barr McClellan)やロジャー・ストーン(Roger Stone)は、暗殺を企てた闇組織にLBJが入っていたと考えている。マクレランの著作『Blood, Money and Power』によると、ジョンソンの顧問弁護士であったエドワード・クラーク(Edward Aubrey Clark)が暗殺計画に関与し、クラークの紹介でジョンソンの手下になったマック・ウォレス(Malcolm E. Wallace)も暗殺に加わっていたそうだ。興味深いことに、教科書ビルの6階で採取された指紋のなかに、ウォレスの指紋と一致する証拠があったという。こうした経緯を考えると、ジョンソンが一枚噛んでいたとも推測できる。

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(左 : エドワード・クラーク / 中央 : マック・ウォレス / 右 : リンドン・ジョンソン)

  ウォーレン報告書では元海兵隊員のリー・ハーヴェイ・オズワルドが「暗殺者」となっているが、この筋書きには納得できない。本当にオズワルドが教科書ビルの6階からケネディーを射殺したのか? 以前、「海軍特殊部隊(Navy SEALs)」の元隊員で、ミネソタ州の知事になったジェシー・ヴェンチュラ(Jesse Ventura)が、自身の冠番組『Conspiracy Theory』で事件と似たような現場を再現し、カルカーノ・ライフルを持って狙撃を試みた。彼は動く標的を仕留めようと弾丸を発射したが、指定時間内に命中させることが出来なかった。ボルト・アクションを上手く動かせなかったし、ジャミングも酷かったので、数秒間で連続射撃なんか出来ない。だいたい、2発目の1.5秒後に3発目を撃つなんて無理だ。狙撃に失敗したヴェンチュラ知事は神妙な表情を浮かべながら、「通信兵のオズワルドが、あんな狙撃を出来るのか?」と疑問を呈していた。

  おそらく、教科書ビルからの狙撃なんて嘘だろう。大勢の研究者が推測するように、「別のスナイパーが何処かに潜んでいて、リムジンの前方から狙撃したんじゃないか?」と考えている。確かに、ザプルーダー・フィルムを見ると、ケネディーの右側頭部が吹っ飛ばされた時、弾は前方から飛んできたように思えてしまうのだ。昔、筆者が米国にいた時、友人二名に尋ねたことがある。ある日曜日の午後、陸軍で新兵に狙撃を教えているクリスと海兵隊員のカークと一緒に昼飯を取っていた時、「魔法の銃弾」について訊いてみた。すると、二人はニャッと笑って「あんなのは無理だ」と答えていたのだ。筆者も「オズワルドの単独犯説」はウォーレン委員会のプロパガンダと考えているし、質問することすら恥ずかしいと思っている。

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(左 :「デーリー・プラザ」の地図 / 右 : 教科書ビルから見たリムジンの位置)

  そもそも、ケネディー大統領を本気で殺そうとするなら、どうして「ヒューストン通り(Houston street)」を直進してくるリムジンを狙わなかったのか? プロの殺し屋からすれば、“確実な手段”の方が好ましく、仕留めやすい状況と有利な狙撃地点を選ぶはずだ。エルム通りでの狙撃だと、スコープを覗いた時に木が邪魔で狙いにくい。それなら、ビルの方に近づいてくるリムジンを狙った方が楽だろう。ケネディーが乗っていたリムジンは、大通りからヒューストン通りに入り、ちょっと進んでから左に曲がって「エルム通り(Elm street)」を走行した。この道で走行ならリムジンのスピートが落ちるし、衝撃的な映像を撮るには絶好の場所となる。

  おそらく、オズワルドの犯行に見せかけるため、わざと大衆の前を走りすぎるエルム通りを選び、その場面をアブラハム・ザプルーダー(Abraham Zapruder)に撮影させたのだろう。なぜなら、一般人を騙す「暗殺シーンの映像」が無いと、大衆はオズワルドの犯行を疑ってしまい、「別の箇所から撃たれたんじゃないか?」と考えてしまうからだ。もし、射殺シーンの動画があれば、一般人はその映像に釘付けとなり、ウォーレン委員会が示唆するように「オズワルドの犯行」と信じるようになる。テレビ局が何度も繰り返し映像を流すと、巷の庶民はそれが脳裏に焼き付き、“公式見解”を固く信じるようになるのだ。

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(左 : アブラハム・ザプルーダー / 中央 : ジャック・ルビーに撃たれたオズワルド / 右 : 捕まったジャック・ルビー)

八百長テロやクーデタを仕掛ける連中は、 心理戦の専門家を雇い、入念な計画を立てる。9/11同時多発テロや武漢ウイルスによるパンデミックも同じである。知識人なんかも簡単に騙されてしまうのだ。「囮」となったオズワルドは本当に憐れで、「用済み」となったからユダヤ人ギャングのジャック・ルビー(通名 : Jack Ruby / 本名 : Jacob Leon Rubenstein)によって始末されてしまった。(「口封じ」にマフィアのギャングを使うところが、如何にもアメリカらしい。たとえ、裁判でルビーが依頼を自白しても、いかがわしい「裏社会の人間」だから、その証言には信憑性が無いと判断されるだろう。)

  機密文書の公開で暗殺資源の全貌が明らかになることは好ましいが、謀殺を計画した者や実行犯が既に死んでいる場合もあるので、本当に残念である。真相が明らかになって我々が考えるべき点は、「アメリカという国家では、巨大な陰謀が可能となる」という事実だ。世界政治を動かす者は、国内政治も動かす。たとえ、それが犯罪となっても、である。

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