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袴田事件の再審について

1:777 :

2023/03/14 (Tue) 14:09:45

袴田事件の再審について
2023年03月14日
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12793628153.html

 私が袴田(冤罪)事件を知ったのは、もう半世紀近い前だ。
 袴田事件が起きたのは、1966年6月のことだから、すでに、57年も前のことだ。私が小中学生くらいのことである。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%B4%E7%94%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 彼が無実であるという噂は、事件直後から流れていた。(当時、父が社会党役員だったので、救援関係の情報が実家に来ていた)
 家族の血痕のついた犯人の衣類は、女性用で袴田さんが着られるものではなかったにもかかわらず、警察は、無理やり、彼を犯人と決めつけた。

 袴田さんの無実の噂は、周辺の人々のなかの真犯人を知っていた人が声をあげたからだと思う。当時、周囲では、誰もが真犯人を知っていた可能性があった。それほど真犯人が誰なのかわかりやすかった。
 https://oitachi-ima.com/jiken/4001/
 だが、警察は、自分たちのメンツ、威信を最優先して、自分たちの想定した筋書きどおりに見込み捜査を行い、「捜査実績」の生贄に捧げた。

 袴田さんは、当時、証拠捏造で冤罪事件を多発させていた静岡県警のエース、紅林麻雄の見込みによって犯人と決めつけられ、今では絶対に許されない拷問的取り調べで勾留期限3日前に「自白」させられた。
 すぐに否認に転じたが、当時の裁判所は、一度でも「自白」すれば、それを安易に真実と決めつけ、最高裁に至るまで「自白を理由として」死刑判決を続け、死刑囚となった。
 だが、絞首刑を50年以上執行されなかったことが、司法側の自身のなさを示していたといえるだろう。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E6%9E%97%E9%BA%BB%E9%9B%84

 以来、57年の歳月を経て、死刑囚として心身ともにズタズタ・ボロボロに切り刻まれた87歳の袴田さんは、それでも生き抜き、家族の支えによって、とうとう再審を勝ち取った。
 日本での再審事例で、再び有罪となったケースは記憶にない。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8D%E5%AF%A9

 しかし、静岡地裁が「冤罪は明白」として保釈までした袴田事件の再審を、東京高裁大島隆明は一度再審否定判決を出している。これも司法の権威を守りたいという権威主義からだろう。結局、解決を長引かせて、袴田さんを早く死なせたいという思惑以外考えられない。
 最初の再審不認可判決を出した東京高裁の大島隆明とは以下の人物
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E9%9A%86%E6%98%8E

 袴田事件 再審開始認める 東京高裁 無罪の可能性高まる 57年前の一家4人殺害 「犯行時着衣」捜査機関の証拠ねつ造か 2023年3月13日
https://news.yahoo.co.jp/articles/77ff2fed67b2295d43be085457981bb725a520be 

 第二次となる再審請求審では、2014年、静岡地裁が、再審を認める決定をしたのに対して、2018年、東京高裁は、一転して、その決定を退けた。ところが、最高裁は、2020年、審理が不十分として、東京高裁に審理を差し戻していた。

 差し戻し審の争点は、袴田さんが犯行時に着ていたとされる、5点の衣類の「血痕の色」。事件発生からおよそ1年2か月後に、会社のみそタンクの中から見つかっていた。
 確定判決では、衣類に残されていた血痕の色が「濃い赤色」などと認定されていた。この点について、最高裁は、1年2カ月間、みそ漬けとなっていた血痕に、赤みが残るのかどうか、十分に検討されていないとして、審理を差し戻した。
 差し戻し審では、弁護側、検察側ともに再現実験を実施。弁護側は「ほぼ黒っぽくなる」と主張、検察側は「赤みが残る」と反論していた。

 きょうの決定で東京高裁は、「専門家の鑑定書や証人尋問の結果、1年以上みそ漬けされた衣類の血痕の赤みが消失することは推測できる」と指摘して、5点の衣類について、「袴田さんの着衣であることに合理的疑いが生じる」と判断。

 第二次再審請求審の静岡地裁の決定で採用された「みそ漬け実験報告書」について、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」として、再審開始を認めた。
 一方、決定では、5点の衣類が見つかった経緯についても言及。「袴田さん以外の第三者がタンクに隠匿して、みそ漬けにした可能性が否定できず、この第三者とは、事実上、捜査機関の者による可能性が高い」と指摘。捜査機関による証拠のねつ造にまで踏み込んだ。
*******************************************************************
 引用以上

 今回の再審判決も、2014年静岡地裁 村山浩昭元裁判官 とおなじように、「静岡県警が証拠を捏造した」(味噌樽の血液付着衣類)と、ほぼ断定する判断を行った。
 上にあるように、事件から14ヶ月間も味噌漬けになっていた衣類の血痕が赤みを保っていることなどありえない…ということだが、DNA鑑定の結果でも、袴田さんの血液ではなかったことが証明された。

 にもかかわらず、検察側は、「1年後でも赤みが残る、DNA鑑定は信用できない」と決めつけ、特別抗告することで再審をどんどん遅らせて、袴田さんが死亡して事件をうたむやに風化させる作戦に出た。
 それは、「捜査当局が証拠捏造を行った」という事実を判例として残したくなかったという思惑に尽きるだろう。

 結局、この事件で本当に問われたのは、捜査当局、警察と検察の「人権よりも自分たちのメンツ」というコンクリートのように固まった封建的発想である。まるで江戸時代のお白洲メンツを引きずっているようだ。
 しかし、時間の経過とともに、科学的分析技術も進化し、警察・検察の嘘が通らなくなっていた。
 麹菌など微生物の培養基に漬け込んだ血染め衣類が14ヶ月間もヘモグロビンの赤みを保つかどうかなど、漬物にかかわる、すべての主婦や業者が瞬時に分かることだ。まして、味噌桶は外気と遮断されていないので、味噌に合わせて容易に酸化してゆくのだから。

 私は、数十年前から、ブログなどで繰り返し、袴田事件を取り上げた。
 初期のものは、消されてしまって、原文もHDやフロッピーの劣化によって取り出せないが、生き残っているものもある。

 世界に大恥を晒した袴田事件再審拒否 まるで三流独裁国家なみのインチキ司法
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828299.html

 極めて重要な内容なので、そのまま転載する
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828259.html

 警察が証拠を捏造して、無実の袴田さんを死刑にしようとした
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5966160.html

 まだ、たくさんあるが無断削除されたものも多い。私が袴田事件を繰り返し発信しはじめてから、なぜか、清水市あたりのIPアドレスで、私に対する極めて下劣な嫌がらせが繰り返されるようになった。

 袴田事件や、免田事件など他の死刑事件を見ていて、私が思うのは、ヘーゲル弁証法の骨子である「世界は合理的な方向に向かう」という本質だ。
 「正義は勝つ」
 古臭いが、ネットで情報の収集や、やり取りが容易に、確実になるほど、「情報の真実性」を検証できる機会、確率が飛躍的に高まってゆく。

 私自身が、今、近所の超狡猾な泥棒によって被害を受けているのに、警察まで騙されて私の主張が虚偽だと決めつけられ、ひどい目にあっているのだが、「正義は勝つ」という、袴田さん再審ニュースを見て、私は強く勇気づけられている。
 私も諦めずに、真実が明らかになり、盗まれたモノが還ってくるまで戦い続けようと、大きな勇気と自信をもらった。

 幸いなことに、80歳近い泥棒夫婦は、私の近所から逃げられないようなので、死ぬまで盗んだものの返却を求め続けることができる。
 可能な限り合法的に、あらゆる方法で戦い続けようと努力している。真面目にやっていれば、いつかは袴田さんのように結果がついてくるはずだ。

 だが、日本の司法では、冤罪であるにもかかわらず、死刑が執行されてしまい、二度と取り返しのつかない事件がたくさんある。
 その最も典型的な事例が、福岡県の久間三千年さん事件だ。

 2009年6月7日 ●もうひとつのDNA誤判事件
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828503.html

 久間さんの事件も、物証が捏造である可能性が非常に強く、事実上、状況証拠だけで自白もないまま死刑判決、執行という資本による悪辣な殺人と言えるほどの事件である。
 とりわけ、冤罪が明らかになった1990年の足利事件でのインチキDNA鑑定を行った鑑定官と同じ人物による鑑定だったが、裁判所は無条件に受け入れた。

 冤罪で処刑されてしまった久間三千年さんの再審を裁判所が絶対に認めない理由
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828286.html

 【確定判決の柱となったDNA型鑑定は、再審無罪が確定した足利事件と同じ手法で警察庁科学警察研究所が行っており、再審請求審ではその信用性が争点となった。
 2014年3月の福岡地裁決定は、弁護団が提出した専門家の鑑定を踏まえ、DNA型鑑定の証明力を「確定判決の段階より慎重に評価すべきだ」と指摘。目撃証言や血液型鑑定などDNA型鑑定を除く状況証拠の総合評価で元死刑囚の犯行と結論付け、岡田裁判長も決定を支持した。(2018/02/06-13:32)
http://healthpress.jp/2015/08/dna-9.html

 DNA学関係者のなかでは、1990年当時、まだ初期のDNA鑑定には欠陥が多く、誤検出の確率が極めて高く、証拠として採用されるだけの信頼性は存在しなかったというのが定説である。】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 2008年10月28日、久間三千年さんの死刑が執行されてしまったが、これは戦後、死刑執行の常識を完全に覆す、二年という異様な早期執行であった。
 普通は、死刑確定後、執行は、どんなに短くとも五年であり、この間に、冤罪が発覚する可能性もあり、また被告が自分の罪に向き合う時間として設定されているのである。(宅間守だけは特別な事情で例外となった)

 久間さんは、逮捕後も一貫して無実を主張し、後に明らかになった、すべての証拠に、証拠価値の存在しないことが明らかにされていた。
 再審請求で、弁護士も無罪に自信を持っていたにもかかわらず、当時の法相、森英介は、冤罪死刑を処刑によって押し潰し、隠滅を図る目的で、前例のない処刑を行ったのであり、森英介には、権力犯罪としての殺人罪が課せられるべきであり、未来永劫、追求されなければならない。

 久間三千年事件は、森英介を主犯とする権力殺人と断言してもいい。
 現在もなお衆院議員を続けている森英介を、殺人犯として死ぬまで糾弾を続けることが、久間三千年さんや袴田巌さんたち無実の死刑囚を二度と出さない戦いであると私は受け止めている。

https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12793628153.html
2:777 :

2023/03/14 (Tue) 14:17:46

袴田事件が示す三つの重大問題(植草一秀の『知られざる真実』)
http://www.asyura2.com/17/nihon32/msg/377.html

袴田事件 真犯人は長女なのに何故いまだに袴田が犯人だと言うキチガイがいるのでしょうか?
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/443.html

袴田事件:首謀犯と思われる長女が死亡。相続目的の家族殺しの犯人は自殺か?
http://www.asyura2.com/13/nihon31/msg/333.html

#Hamkamada case:#袴田事件:焼死体の次女の頭に銃痕。ヤクザ事件だった
http://www.asyura2.com/13/nihon31/msg/334.html

全員実名で告発! 袴田巌さんの罪をデッチあげた刑事・検事・裁判官(週刊現代)
http://www.asyura2.com/14/senkyo164/msg/223.html

獄中の袴田巌さんが手紙につづった「無実」 高杉晋吾さんと往復書簡 「彼はなぁ、本当に正しいんだよ」(東京新聞)
http://www.asyura2.com/17/nihon32/msg/359.html

袴田事件 これが警察のやり方です
http://www.asyura.com/0306/nihon5/msg/838.html


▲△▽▼


日本の農村は怖い _ 狭山事件の背景
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/340.html

名張ぶどう酒毒殺事件 _ 分かっていても公表できないこともある
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/289.html

名張ぶどう酒毒殺事件の真犯人は
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/254.html

再審を認めた裁判官は出世コースから外れてしまう
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/288.html

3:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/14 (Tue) 14:19:30

ミラーマン 植草教授にお尻を撫でられた女子高生のパンティにもウンスジが付いていたのか?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/317.html

ミラーマンの世界 _ 植草先生は何故 ピンサロ、性感マッサージ、ヘルス、イメクラ、ソープランドの中からイメクラを選んだのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/299.html

裁判官がミラーマンを無罪にできなかった理由
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/300.html

植草一秀の痴漢冤罪事件は竹中平蔵がアメリカの証券会社にインサイダー情報をすべて伝えているのを暴露したのが原因だった
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/216.html

4:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/14 (Tue) 17:32:18

袴田事件の真犯人橋本昌子(長女)の定説!自殺と市川正三ヤクザの噂
https://oitachi-ima.com/jiken/4001/

2021.03.28

恐らく、相当昔からあったであろう冤罪と言う
言葉をこれ程リアルに一般人に突き付けた事件
は無いだろう袴田事件。

48年ぶりに冤罪の可能性が濃厚として釈放された
袴田事件の真犯人とは、兼ねてより疑惑が濃厚だった
一家殺害のただ一人生き残った長女である橋本昌子と
今でも水面下で言われている。

当時の長女と家族との関係や長女の夫や市川正三
の噂など、袴田事件が未だに冤罪と言われる濃厚な
理由と真犯人の真相と長女の最期を追ってみようと
思います。
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袴田事件の概要
一家4人が惨殺されたこの事件は複数の証拠から
長い間、袴田巌さんが犯人だと思われてきました。

しかし確実に犯人だと言える証拠はなく、2014年
3月29日には再審の為、釈放されています。
袴田事件
袴田事件は1966年昭和41年6月30日に静岡県清水市に
あるみそ製造会社「こがね味噌」の専務宅で
発生した殺害放火事件です。

当時「有限会社王こがね味噌橋本藤作商店」の
専務41歳、妻38歳 次女17歳、長男14歳の家族
4人が自宅が放火され刺殺された殺人事件として報道
されました。

この事件で亡くなった専務一家4人の遺体には
刃物を用いたと思われる十数ヵ所の傷と頭部に
銃痕があり特に母親と次女の遺体損傷は異常な
レベルの刺殺殺害が当時話題となった事件でした。

当時の検察はこの会社で働いていた元プロボクサーの
袴田巌さんを犯人と断定。

理由は事件現場に残っていた血痕の付いたシャツが
当時から女性物である事は明らかだったのに、彼の
ものであると断定。
冤罪
このように犯行着衣と言われたズボンが、まるでサイズが
合わないにも関わらず、犯人証拠として死刑判決を出します。

そこから事件で使用されたとみられる混合油の成分が
発見されたことなどを理由として袴田巌さんを犯人に
仕立てた昭和最大の冤罪事件として現在も特別控訴審
として争われています。

ただ当時から、かなりの確率で冤罪と
言われながらも司法の闇に包まれて当時30歳だっ
た元容疑者袴田巌氏はその後48年に渡り東京拘置所に
収監された事件です。

何度かの再審でDNA鑑定を行った結果、犯人認定の
決めてとなった血痕付きのシャツは袴田さんのDNAと一致
せず、静岡地裁は再審請求を認めることになります。

実際、袴田さんが犯人だという直接の証拠は
長時間に及んだ取り調べの際に

「息子と母親と暮らすために金がほしくやった」

という自白を録音したテープしかありませんでした。

それに前述しましたがもし金目当てなら母親と次女の
遺体の状態も他の二人と変わらなかったはずです。

本人は犯人だと疑われてからずっと否定し続け
重要な証拠がないところを考えると犯人と決め
付けるには到底無理がある状態だったと言えます。

袴田事件の異常な自白までの経緯
当時、最終的な死刑判決の決めてとなった
容疑者として静岡県警に身柄を束縛されていた
袴田さんの尋常ではないレベルの自白までの
事情聴取も、冤罪を助長した事件として話題に
なっている未解決事件です。

容疑者として逮捕された袴田巌さんは
事件現場管轄の静岡県警に身柄を拘束され、その後、
自白を強要されたまでの苛酷な取り調べが話題になります。

当時、静岡県警には、何件もの冤罪を作りあげた事で
悪名高い、静岡県警の紅林麻雄警部(くればやしあさお)の
多大なる影響を受けていた後輩らが袴田巌氏の
取り調べを行っています。

その取り調べ内容は、尋常ではないレベルの数々で

・炎天下で平均12時間、最長17時間
・排泄行為を取り調べ室に
便器を持ち込み取り調べ官の前で垂れ流しにさせる。
・僅かな睡眠時間も泥酔者の隣の部屋に収容
・泥酔者にワザと大きな声を出させるなど安眠を妨げる行為を扇動
・事件当初、取調官3名だったのが拘留期限前には10名に増員

これらの取調官の違法行為によって拘留期限
3日前に袴田巌は自白を認めています。

僅かな睡眠時にも、わざと泥酔者の隣の房に収容させた
上で、わざと大声で叫ばせたり奇声をあげさせたりの
工作をしたと言う。

その上、勾留期限が迫ってくると、更に苛酷な取り調べを
しいて、昼夜を問わず、睡眠させず、殴る蹴るの暴行を
与え、水も与えず当初3~4人が袴田巌の担当取り調べ員
だったが最終的には、冤罪専門と言われた紅林麻雄の取り
巻きによって10名程に動員して、袴田巌から強引に自供を
取っている。

ここまで苛酷な取り調べを受けながら、袴田巌が
自供したのは拘留期限のギリギリ
3日前であった。

当然、尋常では無いレベルの暴行と意識朦朧の
中での自供であったためその後、自らの命を守る
為の自供であった事を主張。

袴田巌さんはその後、四半世紀に渡り裁判で無実を
訴えてきた末の冤罪として釈放された事件です。

2014年3月27日静岡地方裁判所は再審開始を決定。

「これ以上、拘置を続けることは、耐え難いほどの正義に反する」

この裁判長の判断によって、48年ぶりに袴田巌さんは
釈放されました。

逮捕当時30歳だった袴田巌氏は釈放されたとき78歳の
高齢になっているにも関わらず、その壮絶な取り調べに
よる拷問と長年の独房生活から自身の年齢を23歳だと
思い込んでいる程、精神的な心身のダメージを強く受けて
いた事が分かると思います。

そんな中最終的には2018年6月に高裁は静岡地裁の
再審決定を覆し再審開始を認めないと言う発表を行って
います。

現在、最高裁で審理が続いています。
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袴田事件の真犯人は橋本昌子(長女)が定説!
では事件の真犯人は誰なのか?と当然袴田巌氏が
警察や裁判官によって冤罪として長年拘留されて
いたとしたら誰が真犯人なのか?

そこで浮上しているのが、元々根強く疑惑の
残っていた殺害家族の長女であった橋本昌子です。

袴田さんか再審の為、釈放された翌日に被害者一家の
長女である橋本昌子さんが自宅で死亡しているのが
見つかります。

警察は病死と断定していますが噂では自殺と言われています。

橋本さんは以前、袴田さんが犯人だと
違いないと話していたこともあるので、自分の
家族を殺したと思われる人物が保釈されギリギリの
精神状態が崩壊した可能性もあります。

ところが被害者であるはずの橋本さん自身が
事件の犯人だという噂もあります。

これは一体どういうことなのでしょう!?

順を追って説明しますと彼女が高校2年生の時に
実家の会社で働く従業員と恋に落ち、徐々に学校に
通わず最終的には中退。

これを知った家族は彼女を厳しく叱りますが
自分の気持ちを諦めきれない彼女は自らの行いの
正統性を主張。

改善の見られないことを知った家族は彼女を
勘当します。

その時に駆け落ち同然で家を出た男で事件当時
既に夫となっていた男がヤクザだったそうです。

橋本昌子は当時19歳、当時、既に実家から
勘当されていたのに事件当日は、たまたま帰郷
しており、別棟の祖父の家で寝ていたそうです。

橋本昌子の父親であり殺害された、専務は41歳
母親は38歳でしたが、遺体の損傷は得に母親と妹の
次女が酷く、顔に酷い刺殺痕があった事と、妹に
関しては、刺殺後2度焼きされての死亡だったそうです。

当時の次女17歳と長男14歳の年齢から、事件当日も
殺害現場である自宅に出入りしていた家庭教師によると
長女は家族に、のけ者にされていた
との証言もあったようです。

この事からも、味噌製造会社専務という地位にある
人物の娘で被害者一家の唯一の生き残りだから多額の
遺産を手に入れる為犯行に及んだという噂もあります。

そして家族4人の殺害から見て、尋常では無い怨恨を
持って挑んだ事件にしても、とても女性1人で実行
できる犯行ではない。とも言われた事件です。

ただ現場検証と班員逮捕につながった袴田巌の
血痕の付いた上下のパジャマも、袴田巌自身が
履けるサイズではありませんでした。

後に明らかとなっており、果てしなくこの真犯人は
長女とその夫周辺のヤクザ絡みの事件では
と噂されていたそうです。

確実な証拠が出ていない以上、絶対とは言えない
ものの現場検証と母と妹への無残な顔への刺殺痕
からみて激しい憎悪をもって殺害した事は明らかで
あると想像できます。

そして、長年冤罪を訴えながら、ようやく48年ぶりに
釈放となった袴田巌氏が釈放された翌日に死亡(自殺)
の経緯から見ても、いずれ自分に真犯人としての疑惑が
浮上することを恐れて、自殺や長女に事件の真相を話されたら
困る関係者(ヤクザ)の仕業と考えられるのでは
ないでしょうか。

袴田巌2014年3月29日釈放

橋本昌子 同年3月28日死亡(享年67歳)

偶然が重らないとは言えませんが、あまりにも
奇遇なこの死亡時期が、また不気味です。

袴田事件で冤罪釈放から長女死亡まで
一家4人を殺害したとして死刑判決を受けた
袴田さんは長い間「自分は犯人ではない」と何度も主張
してきました。

それにも関わらず~当時の警察は不確実な証拠を
参考に彼が犯人であると決め付けていたようです。

一番有力な情報といえば取り調べでの自白
ですが、平均すると1日12時間にも及ぶ長時間の
取り調べが実行されていました。

「なんで殺さなきゃならない。何かでっち上げがある」

と断固として犯行を否定していた袴田さんが
金銭目的の犯行だと自白したのには何か裏が
ありそうですね。

警察側が取り調べで強引に犯人にしようと
したのかは分かりません。

しかし有力な証拠がないなかで逮捕に踏み切り
1966年から2014年に釈放されるまでの長期間
刑務所に収監されてきました。

ですのでこれは冤罪かという噂が飛び交って
いても不思議ではありません。

橋本昌子と市川正三(ヤクザ)の噂
最後に被害者宅に出入りしていた金融ブローカーで
ある市川正三が犯人だとする説を紹介します。

金融ブローカーとして働く前は地元の清水一家に
入るヤクザだったと言われる市川正三は小金味噌屋
には何度か運転手として同行した過去があるとの事。

相当酒癖が悪く、酔うと周囲に、この小金味噌屋
の話を自慢家にしていたとの事です。

袴田事件の犯人だという噂もある市川氏は実は
事件後に飛び降り自殺をしていたと囁かれています。

しかし職業柄ヤクザと関係があり自殺したと
言われるビルから突き落とされて死亡したとも
言われたりと何とも闇深い話ばかりが聞こえます。

家族から勘当を言い渡された長女の橋本昌子さんが
遺産狙いで犯行に関わっていたなら、ヤクザと噂される
夫との金銭関係で市川氏と何らかの関係があったのかも
しれません。

事件日当日まで橋本家に殺害された次女と長男の
家庭教師として橋本家に出入りしていた人物が見た
長女に対する家族からの疎外感は、他の人から見ても
明らかだったのは確かなようです。

橋本一家を知る人物曰く、長女はデキのイイ次女の
事を嫌っていたとの噂も残されている。

冒頭でも紹介しましたが殺害された家族の中でも
最も酷い損傷が次女の遺体だったと言われています。

いずれにせよ、もしかしたら関係あったかもしれない
橋本正三も既にこの世を去っており、長女に関しても
袴田巌さん釈放の翌日に謎の死を遂げる。

事件の解明にはほど遠いと言うのが真相なのかも
しれません。

それにしても、この袴田事件で長きに渡って明らかと
なった事は警察や裁判官の稚拙な捏造が明らかとなった
事件だと言わざるを得ません。
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紅林麻雄の家族や息子に子孫は?不審死も当然な拷問王の冤罪の数々

袴田事件の冤罪の可能性まとめ
静岡県民なら誰もが冤罪だと思っているとまで
言われる袴田事件の冤罪の疑惑が濃厚な理由を
まとめます。

1:犯人確定として証拠物件として出た袴田巌さんの
部屋で見つかった上下のパジャマは、どうみても
女物で、当時から元ボクサーでかなり小柄だった
袴田氏でさえ着用出来ないサイズだった。

その事実を分かっていながら、同証拠物権のサイズ
を捏造した事実が発覚。

2:殺害された橋本一家と隣家とは生活音が全て筒抜け
と言われる程だったが、刺殺プラス橋本家全焼の
家屋が全焼と言う状態で物音が無かった事。

3:事件当日に、橋本家の殺害された次女と長男の
家庭教師として2人が橋本家で目撃したと言う
来客の(中年男性)を操作した形跡がなかった。

4:長女(1番損傷が激しかった)の遺体に誰が目視
しても分かるレベルの傷(銃痕)が頭部にあったが
無視。

袴田巌の殺害凶器がクリ小刀としていた為辻褄が
合わない為調査対象から外していたと言われている。

5:家族4人の刺殺と焼死体だったが、食べ終わったアイス
8個があった。

6:長女はデキの良かった次女を嫌っていた。
事件夜、長い旅行から帰り実家に寄った夜にたまたま
家族4人が殺害された事。

7:この事件の自白調書を取った静岡県警の担当刑事は
後に冤罪として4件もの冤罪が証明された事件担当刑事
紅林麻雄(くればやし あさお)は拷問王と言われる程
無実の者から自白を引き出し証拠の数々をでっちあげた事
で知られる悪名高い刑事だった。

8:袴田巌氏が48年ぶり釈放決定の前日、唯一の生存者であり
真犯人と言われ続けていた長女が死亡の不思議。

この当時の事を知る刑事が事件の概要を告発したとき
偽証罪で逮捕され精神鑑定して基地外扱いになっている。

事件当初から、相当に悪質極まりない事情聴取を取り
強引に袴田巌を犯人にでっち上げた事件であると考える
には無理の無い材料が多すぎる事件だったことに違いは
ありません。

警察の闇を感じます。

紅林麻雄の家族や息子に子孫は?不審死も当然な拷問王の冤罪の数々

おわりに
複数の人物が犯人として疑われている袴田事件ですが、一時的とはいえ犯人と疑われた袴田さんの再審が認められたのは大きな進展だと思います。疑惑の第1人者でもあった橋本昌子さんと、市川正三さんも既にこの世にいない事から真犯人を証明することは、限りなく可能性が引くく感じてしまいます、それでも少しでも早い事件の解決を望んでいます。78歳と高齢でのやっとの冤罪疑惑で釈放された袴田巌さんの余生が少しでも安らかで意義のある人生となりますように。心より願うばかりです。

https://oitachi-ima.com/jiken/4001/
5:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/15 (Wed) 04:34:47

袴田事件、証拠「捏造」の可能性にまで言及した高裁決定…捜査当局に衝撃
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https://news.yahoo.co.jp/articles/198b582f1e50a4f28a3c0589d9d7fb6edfcbe9b4

 いったん閉じかけた再審の重い扉が再び開かれた。57年前に起きた「袴田事件」で、東京高裁は13日、死刑が確定した袴田巌・元被告(87)について、再審開始を認める決定を出した。袴田元被告は犯人ではない可能性があるとし、捜査機関による証拠の「捏造(ねつぞう)」の可能性にまで言及。支援者からは歓喜の声が上がる一方、捜査当局には衝撃が走った。


 「再審開始」。13日午後2時3分、東京・霞が関の裁判所庁舎から飛び出してきた弁護士2人がそう書かれた幕を掲げると、支援者らから、「よっしゃー」と大きな歓声が上がった。午前中からの雨は、決定を祝福するかのようにやんだばかりだった。

 その約10分後、袴田元被告の姉・ひで子さん(90)が裁判所から出てきた。目を潤ませながら、「この日を57年間待っておりました。ありがとうございます」とあいさつすると、大きな拍手がわき起こった。

 午後4時から、近くの弁護士会館で行われた記者会見には、100人超の報道陣が詰めかけた。ひで子さんは、袴田元被告自身は「裁判は終わった」と思っていることを明かし、「うちへ帰ったら、『いい結果が出たから安心しな』とだけを言うつもり。巌が早く死刑囚でなくなることを願っている」と笑顔で話した。

 2014年に静岡地裁が再審開始を認める決定を出したものの、東京高裁が18年に取り消すなど、司法判断が変転する異例の経過をたどっている事件。弁護団事務局長の小川秀世弁護士は会見で「検察が最高裁に特別抗告をすることになれば権限の乱用だ。速やかに再審開始を決定し、巌さんに『無罪』の声を聞かせてあげたい」と強調した。

 逮捕から釈放まで48年間にわたった拘束で「拘禁症」を発症した袴田元被告はこの日、支援者に付き添われて、浜松市内の自宅から、日課としているドライブに出かけた。地元の寺を訪れ、帰り際に報道陣から声をかけられると、「勝つ日だと思うね」と話した。

 確定判決が、袴田元被告を「犯人」だとする証拠となった血痕付きの衣類。この日の高裁決定は捜査機関が発見現場のみそタンクに入れた可能性が極めて高いとし、証拠を「捏造」した可能性にまで踏み込んだ。

 静岡県警刑事企画課は、「法曹三者で審理しているため、県警は関与しておらず、お答えする立場にはない」とコメント。「捏造」の指摘についても、「組織として決定文を見ていないため回答できない」とした。

 東京高検の山元裕史次席検事は「主張が認められなかったことは遺憾。決定の内容を精査し、適切に対処したい」とコメント。捜査機関による「証拠捏造疑惑」は静岡地裁決定も言及していたが、ある検察幹部は、再審開始の決定を「予想外」とした上で、衣類の問題について「たとえ第三者が入れた可能性があるとしても、高裁があそこまで書き込むのは冷静さを欠いている」と反発した。

証拠開示にルールなく 結論まで長い時間
 再審請求審を巡っては、弁護側への証拠開示手続きに関するルールがない。結論が出るまでに長期間かかることも問題視されている。

 日本弁護士連合会は2月に公表した意見書で、証拠開示の法制化や、再審開始決定に対する検察官の不服申し立ての禁止を提言した。日弁連の再審法改正実現本部の鴨志田祐美・本部長代行は13日に東京都内で記者会見し、「法整備が喫緊の課題だ」と訴えた。

刑事のベテラン 大善裁判長
大善文男裁判長

 再審開始の決定を出した大善文男裁判長(63)は1986年に任官した刑事裁判のベテランだ。

 陸山会事件で政治資金規正法違反で強制起訴された民主党元代表・小沢一郎衆院議員(80)の裁判では2012年4月、1審・東京地裁の裁判長として、無罪を言い渡した。事件では東京地検特捜部検事(当時)が捜査報告書に虚偽を記載した問題などが発覚し、裁判で検察の捜査を批判した。

 袴田事件の差し戻し審は当初から担当し、昨年12月5日の審理終結時には袴田元被告と高裁内で面談。ひで子さんらによると、「お体はいかがですか」「何か意見はありますか」と声をかけたという。
6:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/16 (Thu) 04:36:06

警察検察断罪した大善文男裁判長(植草一秀の『知られざる真実』)
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/563.html

※補足 http://www.asyura2.com/17/nihon32/msg/306.html


警察検察断罪した大善文男裁判長
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2023/03/post-9cf7fd.html
2023年3月14日 植草一秀の『知られざる真実』

国家にしかできない犯罪。

それは戦争と冤罪。

松川事件、八海事件などいくつもの冤罪事件にかかわり、国家権力への抵抗を貫いた後藤昌次郎弁護士が遺された言葉。

国民を殺す、殺されるに追いやる戦争

やってもいない罪をきせる冤罪

国家にしかできない犯罪である。

戦争による殺戮は国民を物理的に殺すもの。

冤罪は国民を社会的に殺すもの。

国家による犯罪である戦争と冤罪を根絶しなければならない。

冤罪を生み出すのは代用監獄と取調室というブラックボックス。

警察・検察は密室で犯罪を創作する。

場合によっては証拠も創作する。

いまはやりの「ねつ造」である。

冤罪は「魂の殺人」と呼ぶことができる。

東京高裁は3月14日、57年前に起きた「袴田事件」で、死刑が確定した袴田巌元死刑囚の再審開始を認める決定を示した。

1966年に静岡県で一家4人が殺害された強盗殺人事件。

死刑が確定したのは1980年12月のこと。

直ちに再審請求の活動が開始され、1981年4月に第一次再審請求が行われた。

第一次再審請求が棄却されたのは2008年3月のこと。

これだけで27年もの時間が空費された。

第一次再審請求が棄却された翌月の2008年4月に、直ちに第二次再審請求が行われた。

この請求を受けて静岡地裁が、犯人が事件当日にはいていたとされるズボンなど、5点の衣類の再鑑定をすることを決定し、ここから事態は新たな局面を迎えた。

2014年3月27日、静岡地裁は再審開始を決定した。

同時に、死刑の執行と拘置が停止され、袴田氏は釈放された。

9年前のことだ。

直ちに再審が開始され、袴田氏に無罪が言い渡されるべきだった。

ところが、検察側が即時抗告し、2018年6月、東京高裁は再審開始の決定を取り消した。

その後、2020年12月に最高裁は、再審開始を認めなかった東京高裁決定を取り消し、審理を同高裁へ差し戻す決定をした。

審理を差し戻された東京高裁が、この3月14日に再審開始を認める決定を示したのである。

しかし、静岡地裁が再審開始を決定してから9年もの時間が過ぎ去っている。

袴田氏は87歳。

再審請求を支えた姉のひで子さんは90歳だ。

3月14日、東京高裁は「袴田さんが到底犯人とは認定することはできない」と指摘するとともに、捜査機関による証拠の「ねつ造」が行われた可能性を指摘した。

弁護団事務局長の小川秀世弁護士は会見で

「検察が最高裁に特別抗告をすることになれば権限の乱用だ。

速やかに再審開始を決定し、巌さんに『無罪』の声を聞かせてあげたい」

と述べた。

検察が有罪の維持にこだわり、特別抗告によって不服申し立てをすることは許されない。

検察に不服があるなら再審裁判の法廷で争えばよい。

争点となったのは、事件の1年2ヵ月後に見つかった、犯行時に犯人が着ていたとされた「5点の衣類」。

弁護側は発見時に血痕が赤みを帯びていた点に着目して、血痕のみそ漬け実験を実施。

「衣類は数カ月で黒色化し、1年以上で赤みは残らない」と指摘した。

「衣類」は発見前の短期間しか、みそに漬かっていなかったことになり、袴田氏が犯行直後に隠したとする確定判決と矛盾すると主張した。

この論証が実現したのは、第2次再審請求審で、静岡地裁が訴訟指揮で検察側が確定審に提出していなかった「5点の衣類」のカラー写真やネガ、捜査報告書などが開示されたことによる。

検察が収集した証拠が裁判で開示されないことが事件の真相解明の大きな障害になっている。

これは、制度的、構造的な問題だ。

国家による卑劣な犯罪である冤罪を撲滅するための根本的な対応が求められている。

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関連記事
袴田事件 再審開始認める 東京高裁 無罪の可能性高まる 57年前の一家4人殺害 「犯行時着衣」捜査機関が証拠ねつ造か(FNN)
http://www.asyura2.com/17/nihon32/msg/306.html
 
7:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/20 (Mon) 15:08:39

東京高裁が袴田事件の再審開始決定…東京高検の「特別抗告検討」の動きに弁護団らが反発 /今週の静岡
2023/03/20
https://www.youtube.com/watch?v=oC-K65DEpWU
8:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/21 (Tue) 08:49:07

「実験内容などに的確に反論できず」“袴田事件”抗告断念 高検の判断を元判事はこう見た
2023/03/20
https://www.youtube.com/watch?v=7bJf3gNYFgI

1966年、静岡県の旧清水市(現静岡市清水区)で一家4人が殺害されたいわゆる“袴田事件”をめぐり、東京高検が3月20日、抗告を断念しました。

<井手春希キャスター>
専門家に検察の判断について見解を伺います。元裁判官の木谷明弁護士です。東京高検が特別抗告を断念しましたが、木谷さんはこの判断をどのように見ますか。

<木谷明弁護士>
まったく当たり前のことだけど、本当によかったと思います。私はもともと特別抗告できないと思っていたけど、特別抗告するという情報が出たので心配していました。

<井手春希キャスター>
捜査機関による証拠のねつ造についても東京高裁は言及していましたが、検察はこれを認めるしかなかったということでしょうか。

<木谷明弁護士>
あの理屈を詰めていくと、それ以外に考える方法はないんです。その前の実験内容や医者の意見に的確に反論できない限りは、あの結果を認めるほかはないでしょうね。

<井手春希キャスター>
死刑が確定した事件で再審が開かれるのは5件目で、過去4件はいずれも無罪が言い渡されているが、どのような判決が予想されますか。

<木谷明弁護士>
これまでの5件だけでなく、再審開始になった事件で無罪以外の結論になった事件はないので、そうした前例からすると無罪の結論が予想される。無罪以外の判決は現段階において想像できません。今回の東京高裁の決定は、大変説得力があるので、それと異なる決定は再審裁判所でもできないのではないか。

<井手春希キャスター>
2014年に静岡地裁で再審開始を決定した当時の裁判長村山浩昭さんは、今回の特別抗告断念を受け、「この先は再審公判のおいて、しっかりとした審理をできるだけ速く実現し、袴田さんのえん罪が晴れることを一市民して期待している」とコメントしています。
9:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/22 (Wed) 18:41:22

証拠捏造? 周防正行監督が袴田事件に怒り「57年もかかる事件ではなかった」
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https://news.yahoo.co.jp/articles/4434531688bff4fb48ac4aef17501f44731095f2


犯行時の衣類とされる5点

 57年前、静岡県で一家4人が殺害されたいわゆる「袴田事件」。死刑が確定した袴田巌(87)さんの再審(裁判のやり直し)を認めた東京高等裁判所の決定について、検察側は最高裁判所への特別抗告を断念した。これによって死刑確定から40年余りを経て、裁判のやり直しが決定した。

【映像】映画『それでもボクはやってない』の監督が怒り 「日本の刑事司法は問題点だらけ」
https://abema.tv/video/episode/89-76_s50_p883?utm_medium=web&utm_source=abematimes&utm_campaign=times_yahoo

 1966年、味噌製造会社の専務一家が刺殺され家が放火、現金20万円や小切手などが奪われた事件。その会社の従業員だった袴田さんが逮捕された。当初は無罪を主張していた袴田さんは、逮捕から19日後に警察に自白した。

 裁判では弁護側が「自白は強要された」と主張。一方、検察側は袴田さんのパジャマに血が付いていたと主張していたが、事件から1年2カ月後、会社のみそタンクから下着やズボンなど「5点の衣類」が見つかった。検察側はパジャマではなく、これが袴田さんの犯行着衣だと主張を変更。一審の静岡地裁はこの主張を認め、袴田さんに死刑を言い渡した。

 この判決で採用された取り調べ調書は袴田さんが検察官に自白した1通のみで、その他の44通は裁判官の職権で排除された。

袴田事件の年表

 1980年の死刑確定以降、袴田さん側は無実を訴え、2度にわたって再審を求めた。「開かずの扉」とも呼ばれるほど高い再審のハードル。その扉をこじ開けるため、弁護団は「5点の衣類」に付着した赤い血痕について実験を行った。実験では味噌に漬けられた血痕は黒く変化。「5点の衣類」は1年2カ月も味噌につかっていたにしては血痕が赤すぎる。後から何者かが入れたのではないのか?
 
 弁護団は、これを新たな証拠として2回目の再審を請求。静岡地裁はこれを認めて再審の開始を決定し、2014年、袴田さんは拘置所から釈放された。

 東京高裁は今年3月13日の再審開始決定で、「5点の衣類」に関して、「袴田さん以外の第三者がタンク内に隠匿してみそ漬けにした可能性が否定できない。第三者は事実上、捜査機関の者による可能性が極めて高い」と踏み込んだ。

 東京高裁判事、最高裁判調査官を歴任し裁判官としておよそ30件の無罪判決を確定した元裁判官の弁護士の木谷明さんは「証拠の捏造はありうる」と指摘する。

「これまでの冤罪事件を調べてみると、警察や検察が事実証拠を捏造したっていう事件はたくさんある。私が実際に担当した事件でも証拠の捏造が疑われて、最高裁で職権調査の上破棄して差し戻してもらった事件もある。警察は正義の味方。検察も正義の味方。そんなことをするはずがないというように、単純に思い込んでいる人がかなりいるが、それは間違い」

 痴漢冤罪事件を通して日本の刑事司法の問題をテーマにした映画『それでもボクはやってない』を監督し、様々な冤罪事件を取材してきた周防正行氏は、日本の刑事司法の問題点を指摘する。

「袴田事件は一審の合議で、3人の裁判官のうち、1人は無罪心証。違法捜査、証拠の捏造の可能性を指摘している。その時の人に任せてしまっていて、きちんとしたシステムができていない。どんな裁判官にあたるかで死刑か、無罪か決まる、こんなひどい話はない。捜査機関も裁判官も弁護士も間違えることはある。袴田事件は57年もかかる事件ではなかった。システムの問題だと思う」

 再審は無実の人が、刑罰に処せられているのを助ける唯一の方法。周防監督はその再審制度の問題点にも言及する。

「日本に再審法はあるが『裁判のやり直しを求めることはできる』という決まりだけで、どうやって再審を始めるかの決まりがない。やる気がない裁判官にあたれば何も進まない。何も進まなくてもルール違反ではない。そもそもルールがないから。袴田事件は再審法の現状を明らかにして、法改正への大きな転換点になる事件だと思う」

 元裁判官の木谷弁護士も

「裁判所が良きに計らえ。2年3年平気でほったらかして転勤してしまう裁判長がいっぱいいる。(袴田事件は)ご本人が亡くなるのを待っているんじゃないかという気さえする」


(『ABEMA的ニュースショー』より)
10:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/23 (Thu) 14:51:23

なぜ、42年も…“袴田事件”再審確定 高まる法律の改正機運「ルール定め審理しやすく」【現場から、】
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1966年、旧清水市(現静岡市清水区)で一家4人が殺害された事件で死刑判決を受けていた袴田巖さん(87)の再審=裁判のやり直しが確定しました。再審を求めてから42年。昔からえん罪が疑われながら、なぜこれほどの時間がかかってしまったのでしょうか。

<巖さんに説明するひで子さん>
「いまね、ニュースが入って検察が即時抗告を断念したって。あんたは無罪。よかった、よかった、本当に。あんたの言う通りになった。57年間闘ってきただもんね」

袴田巖さん(87)。東京高裁の決定に対し、検察が特別抗告をしなかったことにより、ついに裁判のやり直しが確定しました。

再審を求めてから42年。なぜこれほどの時間がかかったのか。それは「再審法」=再審のルールに不備があるためだと指摘されています。

村山浩昭さん。2014年に静岡地裁で再審開始と袴田さんの釈放を決めた裁判長です。そして現在は、日弁連の再審法改正を目指す委員のメンバーです。村山さんたちが再審に時間がかかりすぎる理由として、まず指摘するのが「検察官による抗告」です。

<元静岡地裁裁判長 村山浩昭さん>
「もし、今回袴田事件で特別抗告したら検察官の抗告は法律で禁止しなければいけないという意見はもっともっと高まると思います。百害あって一利なし的な制度になりつつあると思いますので」

検察官には裁判所が出した決定に対して、不服を申し立てる権利があります。この権利を行使すれば地裁で行われていた審理の舞台は高裁に、高裁で行われていたものは最高裁に移り、次の決定が出るまでにさらなる時間がかかります。

実際、袴田事件でも2014年に再審開始が決まった後に検察が抗告。もう一度、再審開始の決定が出るまでに9年かかりました。抗告をする権利は弁護側にもありますが、日弁連は検察側の抗告だけは禁止すべきと主張。

「一度、再審開始決定が出されたということは、確定判決での有罪の認定に対して合理的な疑いが生じたということ。検察側に意見があったとしても、やり直し裁判で主張する機会は与えられている」としています。

さらに、審理に時間がかかりすぎるもう1つの理由が証拠開示のあり方です。

<元静岡地裁裁判長 村山浩昭さん>
「過去の事例から証拠開示によって再審が決まった事例が多いというか、ほとんどそうなんですよね」

再審についての審理では証拠の開示に法的な義務はなく、弁護側が請求しても、有罪を維持したい検察は応じず、年月ばかりが経過します。袴田事件の場合、10年ほど前に静岡地裁が検察に勧告したことで多くの証拠が開示されました。40年以上伏せられていた供述調書などその数は約600点に及びます。

開示された証拠の中には当初、検察が「存在しない」とし、犯行当時に袴田さんが着ていたとされた「5点の衣類」のネガフィルムの写真が含まれ、血痕の鮮明な赤さが今回の決定に大きな影響を与えました。裁判官として30件以上の無罪判決を確定させ、映画やドラマのモデルにもなったともいわれる木谷明元東京高裁判事は。

<元東京高裁判事 木谷明弁護士>
「裁判所に検事はベストエビデンスしか出さない。ワーストの証拠は全部隠していいという風になっちゃってるんですよ。証拠開示の規定を作らなければいけなかった。それができていないということが最大の問題ですね」

冤罪被害者救済のための制度、再審。袴田さんの42年越しの裁判のやり直し決定を受け、再審法改正の機運はさらに高まっています。

<井手春希キャスター>
Q取材をする中で、再審法の改正は進められるべきだと感じましたか。
<山口駿平記者>
「袴田事件が再審法は改正するべきと訴えていると思います。証拠開示のルール作りと検察官による抗告の禁止が再審法改正の2本の柱となっていますが、実はもう一つ再審請求に時間がかかる理由として指摘されている要素があります。それは再審請求のスケジュールが定められていないという点です。通常の裁判であればいつまでにどういった手続きを踏むべきかというルールがありますが、再審の場合はそれがなく、忙しい裁判所はその対応を後回しにしがちで、さらに後回しになったとしても責任を問われることはありません」

<井手キャスター>
Q再審が行われるかどうかは、その時の「裁判官次第」ということになるんですか。
<山口記者>
「その通りです。袴田さんの再審開始を決めた元静岡地裁裁判長の村山さんは『確定死刑囚はいつ死刑が執行されるか分からないので、早く結果を出したいという思いだった』」と語っています」

<井手キャスター>
Q裁判官の熱量に大きく左右されるということですね?
<山口記者>
「再審法改正についても村山さんは『深刻な再審事件を経験した裁判官は多くない。ルールを定めて審理しやすい状態をつくっていくことが迅速な判断につながる』と訴えています。再審という制度はいわれなき罪を言い渡された人を救済するためのものです。えん罪によって奪われた時間は決して帰ってきません」
https://news.yahoo.co.jp/articles/5326a5d4f5956908891da47b558b8a05ff90c389
11:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/24 (Fri) 18:01:58

ねつ造 袴田さんが指摘【最後の砦 刑事司法と再審/緊急連載 抗告断念㊥】
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https://news.yahoo.co.jp/articles/63cc5b44c21d1807968fdd19daee7d0f681f6bc2



獄中の袴田巌さんから田中薫弁護士宛てに届いたはがき

 1966年にみそ製造会社の専務一家4人が殺害された事件で、重要証拠が捏造(ねつぞう)された可能性を誰よりも早く指摘していたのは、死刑が確定した袴田巌さん(87)自身だ。

 83年1月、東京拘置所から弁護団の田中薫弁護士に宛てたはがきにも〈血染めのズボン等についての私に対するねつ造〉と書いている。

 事件から1年2カ月後、現場近くのみそタンクからシャツやズボンなど「5点の衣類」が見つかる。血痕には赤みが確認できた。一方、袴田さんの再審開始を認めた13日の東京高裁決定は、専門家の化学的知見を踏まえ、1年以上みそに漬かった衣類の血痕に「赤みは残らない」と判断した。

 発見直前に隠された可能性が高まる。当時は裁判が始まり、拘束されていた袴田さんには不可能だった。高裁決定は捜査機関による可能性が「極めて高い」と捏造を示唆した。ズボンの損傷についても「作出の疑い」を突きつけている。

 事件4日後にみそタンクの捜索に関わった元捜査員は、みそを混ぜる櫂(かい)のような棒で底に何かないか探した。「捜索時点では(5点の)衣類はなかった」と証言する一方、みそを全て取り出して見てみたわけではなかったとして「見落とした可能性はあり得る」とつけ加えた。当時の同僚を思い返しても、捏造するような人がいたとは思えないと説明する。

 県警のある現役捜査員は、特別抗告の断念を「悔しいという思いが先にある」と受け止めた。当時の捜査については伝聞だと前置きした上で「捜査員が血眼になって捜査した結果(袴田さんの)逮捕に至ったはず」と信じるが、「ずさんな部分もあったから、こんな形になったのかもしれない」という本音も隠さない。

 検察は衣類が見つかるまで、袴田さんの裁判でパジャマを犯行着衣と主張していた。弁護側がパジャマの血液などについて再鑑定を求めたところ、衣類が発見された。袴田さんは77年の上告趣意書でこの衣類について、捜査員によって〈偽造された部分が明らか〉と訴えた。再鑑定でパジャマに血液の付着がないことが明らかとなれば無罪に至る可能性が出てくるためだ。

 裁判所が捏造の疑いを初めて認めたのが、袴田さんの再審開始を決めて釈放した2014年の静岡地裁決定だった。弁護団の西嶋勝彦団長は「捜査機関が捏造することはない、との神話に裁判所がとらわれてきたのが、これまでの冤罪(えんざい)事件。袴田事件は重要なバイブルになるだろう」と話している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/63cc5b44c21d1807968fdd19daee7d0f681f6bc2
12:保守保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/04/02 (Sun) 11:17:32

「ご飯に毒が入っている」袴田さんは拘置所で精神をむしばまれた。3畳間の独居房、執行の恐怖…死刑が執行停止になるまで(前編) 
2023/04/02
https://nordot.app/1009393408728694784?c=39546741839462401

事件当時、被害者の「こがね味噌」専務の両親と長女が住んでいた住宅。この後方にみそ工場があり、静岡県警が1号タンクなどを捜索した=2022年12月
 1966年6月に静岡県清水市(現静岡市)のみそ製造会社専務宅で起きた一家4人殺害事件。逮捕された袴田巌さんは無実を訴え続けた。当時の捜査は疑惑まみれだったが、裁判所も追認し、1980年に最高裁で死刑が確定した。
 今年3月13日の東京高裁決定は、裁判のやり直し(再審)開始と袴田さんの釈放を決めた静岡地裁の決定を支持し、「捜査機関による証拠捏造の可能性が極めて高い」と判断。検察側が特別抗告を断念し、やっと再審が確定した。ただ、逮捕から約57年、最高裁判決から数えても40年以上かかっている。
 無実であるにもかかわらず東京拘置所に閉じ込められた袴田さんは、いつ死刑が執行されるかもしれないという恐怖の中、精神が徐々にむしばまれていった。姉のひで子さんも人生を大きく狂わされた。裁判所が自らの誤りをただすのに、なぜこれほど時間がかかったのか。静岡地裁での最初の再審開始決定と釈放までを追った。(共同通信=藤原聡)


 

袴田巌さんが再審請求で提出した「意見書」。「私は無実である」と書かれている
 ▽弟の死刑確定、体も心もぼろぼろになった姉
 最高裁で死刑が確定した1980年11月頃から、袴田さんの姉ひで子さん(90)は、なかなか寝付けなくなった。「なぜ巌が死刑なのか。自白は強要されたものなのに」。布団に入っても、東京拘置所の独居房に閉じ込められている弟のことが頭をよぎり、目がさえたまま朝を迎えることもあった。やがて、眠るため酒に頼るようになる。
 「ご飯をろくに食べず、夜はウイスキーをお湯で割って飲んでいた。夜中にふと目を覚ますと、巌のことが浮かぶ。何でこうなったのか、と思うと眠れなくて…。それでまた、ウイスキーを飲んだ」
 ひで子さんは食品関係の会社で経理を担当。毎朝出勤したが、深夜にあおった酒が残ることもしばしば。「殺人犯の姉」という目で見られるのが嫌で、人付き合いも避けた。体も心もぼろぼろの日々が3年ほど続いた。
 一方で、袴田さんの冤罪を信じ、救おうとする動きは活発化していた。著名人や地元の同級生らが次々と支援組織を結成。日弁連は「袴田事件委員会」を設置した。集会が開かれるようになり、街頭でのビラ配りや署名活動も始まった。だが、ひで子さんは支援者から連絡の電話があっても、酔って応対できないことがあった。断酒を決意し、1日、2日、1週間、1カ月…。飲まない日を数えながら、水をがぶがぶ飲んで我慢した。「1年以上やめると、やっと飲みたくなくなった」


 

 

静岡県警が「脱出は可能だった」として裁判所に提出した写真。上部の留め金は写っていない(山崎俊樹さん提供)
 ▽「裏木戸を通った」という不可解な確定判決
 袴田さんの弁護団は1981年4月、静岡地裁に再審を請求した。再審が認められるためには、死刑判決を支えている証拠を突き崩す「新たな証拠」が必要になる。弁護団がまず注目したのは、真犯人が被害者の家にどうやって出入りしたかだ。確定した判決では「袴田さんは裏木戸を通って脱出」となっているが、弁護団は「物理的に不可能だ」と訴えた。
 裏木戸は、袴田さんが住んでいた従業員寮があるみそ工場から、線路を挟んで数十メートルの場所にある。上と下に留め金があり、木のかんぬきがかかる構造だった。判決は「上の留め金はかけたままの状態で、下の留め金は(外れて)オスの部分だけが付いていた」と認定している。
 1981年1月、弁護団の依頼を受け、東洋大工学部による鑑定実験が行われた。裏木戸を再現し、上の留め金だけをかけて、通り抜けられるか確かめた。男子学生が計4回、木戸に加える力を変えて実験したが、体を隙間に入れようとした瞬間、留め金がはじけ飛んだ。
 


 静岡県警も同様の実験をしたが「脱出は可能だった」として、人が通り抜ける写真を裁判所に提出。だが、この写真には上の留め金が写っておらず、後に写真工学の専門家が解析した結果、上の留め金を外さないと同じ写真は撮れないと分かった。
 そもそも、袴田さんは夕食時などに裏木戸から橋本さん宅に出入りしており、留め金を外せば開くことは分かっていた。木戸の下からくぐり抜ける必要などなかった。
 弁護団は、裏木戸の実験結果を新証拠として提出した。しかし、再審請求審は一向に開かれない。
 いたずらに時が過ぎていく中、姉ひで子さん(90)がある日、東京拘置所を訪れると、面会室に現れた袴田さんは「きのう、処刑があった。隣の部屋の人だ」と興奮気味に話した。この日を境に言動がおかしくなっていく。長期の拘置と死刑の恐怖から、袴田さんに拘禁症状が現れてきたのだ。


開いた状態の「執行室」内の死刑囚が立つ踏み板=東京拘置所(法務省提供)
 ▽「悪魔がかぎあなを操っている」
 1981年10月4日、東京拘置所の独居房から袴田さんが、姉のひで子さんに宛てた手紙の一節にはこうある。
 「壁の色が何か異様にみえて人間の姿に固まり、その顔はだいぶ前に処刑された者であったりする。本当に悪魔が鍵孔(かぎあな)を繰っているとしか思えない」
 死刑が確定してから半年ほどたった頃、袴田さんは、近くの独居房にいた死刑囚の刑が執行されたと知り、衝撃を受けた。「次は自分かもしれない」。迫る死の恐怖に、さいなまれた。長期の拘置も影響し、徐々に精神がむしばまれていった。
 東京拘置所の独居房は3畳間にトイレと洗面所がある間取り。窓から空がわずかに見えるだけで外の景色は分からない。

東京拘置所の独居房。約3畳の居室の奥に洗面台と洋式便器が設置されている。窓の外には仕切りがあり外の景色は見えない=東京・小菅
 死刑が確定すると、外部との接触は制限され、家族や弁護士ら一部の人以外とは面会や手紙のやりとりができなくなる。
 ひで子さんは毎月1度、浜松市から東京・小菅の東京拘置所まで通い30分の面会を続けた。弟と会えるわずかな機会を無駄にしたくはなかった。
 絶望の淵にある袴田さんはキリスト教に救いを求めた。拘置所には仏教とキリスト教の「教誨室」があり、神父や牧師から教えを聞くようになった。日記には「私がカトリック者として生きる決意を固めた理由は、人間として絶対に正しく生きてゆける道があるからだ」と記した。1984年12月24日、袴田さんは、教誨師をしていたカトリック関口教会の志村辰弥神父によって洗礼を受けた。
 もう一つの心の支えは、死刑確定後に再審が開始された事件が相次いだことだ。86年5月30日には、島田事件の赤堀政夫さん(93)の再審開始が決定した。「今暗闇の中で、明かりを見たような思いでほっとしている。今度司法の正義を受けるのは私の番だ!」(日記)。袴田さんの期待は高まったが、静岡地裁からは何の連絡もないまま時が流れていった。


袴田巌さんの早期釈放と治療を訴える保坂展人・東京都世田谷区長。左は袴田さんの姉ひで子さん=2012年6月、浜松市
 ▽「弟に会えない」それでも通い続け
 袴田さんは1992年ごろから面会を拒否するようになる。安倍治夫弁護士は東京拘置所長を相手に、袴田さんの人身保護請求を東京地裁に申し立てた。これを受け、同拘置所は袴田さんの様子を記した答弁書や準備書面を提出したが、そこに驚くべき記述があった。
 袴田さんは「毒が入っている」と言って、ご飯を水で洗って食べたり、「電波が飛んでくる」と言って、菓子の袋を体に巻き付けたりしているという。拘禁症状が進み、精神の安定が崩れて破綻してしまったのだ。
 1994年8月9日、静岡地裁(鈴木勝利裁判長)は再審請求を棄却した。請求から13年以上の年月が経過していた。
 1998年の暮れ、弟から面会を拒否され続けていたひで子さんは、社民党の衆院議員だった保坂展人さん(67)に議員会館で会い、訴えた。「もう3年半も弟の巌と会っていません。何とかして会いたいんです」
 面会拒否が続いても、ひで子さんは毎月1度、電車を乗り継いで浜松市から東京・小菅の東京拘置所まで通っていた。「会えなくても面会に行ったことは巌に伝わる。家族はまだ見捨てていないよと伝えたかった」
 


衆院法務委員会に出席した森山法相(当時)=2003年3月18日
 法務委員会に所属していた保坂さんは、東京拘置所を管轄する法務省矯正局に、袴田さんの状態を問いただした。矯正局によると、袴田さんは、ご飯を一粒一粒洗って2時間ぐらいかけて食べる。その他の時間は、独居房の中をぐるぐる歩いて回っているという。
 保坂さんは2002年11月の法務委員会で袴田さんの様子について質問。議事録によると、森山真弓法相(当時)はこう答えた。「断片的に聞くところによりますと、少し常軌を逸し始めた精神状態なのかもしれないと思います」
 心神喪失状態にある場合、法相の命令で死刑執行は停止される。保坂さんは当時を振り返り、「法務大臣がこう言ったら死刑執行できるわけがない。この時に執行の可能性はなくなったと思う」と語った。

街頭で袴田巌さんの支援を訴える新田渉世さん=1月、東京・有楽町
 

 ▽「袴田巌はもういなくなった」
 袴田さんの67歳の誕生日である2003年3月10日、ひで子さんと保坂さん、3人の弁護士が東京拘置所を訪れた。この4年間でひで子さんは2回会ったが、弟は「自分は袴田巌ではない」と言って数分で面会を終えていた。
 保坂さんは拘置所側に面会ができるよう強く要求。刑務官は「部屋の畳替えをするから」と言って、袴田さんを独居房から面会室に連れ出した。
 椅子に座った袴田さんは次のように語った。
 「袴田巌はもういなくなった。全能の神である自分が吸収した」
 「東京拘置所は廃止された。俺は東京国家調査所の所長。死刑執行はできないようにした」
 袴田さんの言葉を、保坂さんがうまく引き出した。面会は30分に及んだ。
 「袴田さんが語るのは、いかに死刑ができないかということ。根源には死刑への恐怖がある」と保坂さんは言う。「死刑はないが、長期拘禁という刑罰を科し、袴田さんが権利主張もできない状態に追いやってしまった」


袴田巌さんの支援を続けてきた東日本ボクシング協会元会長の輪島功一さん=2月、東京都杉並区の輪島功一スポーツジム
 ▽支援に立ち上がったボクシング元王者
 2004年8月27日、東京高裁(安広文夫裁判長)は再審請求を退けた静岡地裁決定を支持し、袴田さんの抗告を棄却する決定をした。
 約1年後、ボクシングの元東洋太平洋バンタム級王者で川崎新田ジム会長の新田渉世さん(55)は、支援者から袴田事件の内容を詳しく聞く機会を持った。
 長時間の過酷な取り調べによる「自白」の強要、事件発生から1年2カ月後にみそタンクから見つかった「5点の衣類」…。話を聞くうちに新田さんは強い憤りを感じ、体が熱くなった。「もう、むらむらと火がついてしまって。すぐに支援活動を始めた」
 東日本ボクシング協会の理事会で袴田さんの支援を提案。会長の輪島功一さん(79)の了解を得て2006年5月、袴田巌再審支援委員会を立ち上げた。
 その年の12月、輪島さんや飯田覚士さん(53)ら元世界王者が、ひで子さんと東京・後楽園ホールのリングに上がった。輪島さんは「袴田さんが命あるうちにボクシング観戦させてやりたい」と語った。
 新田さんは毎月、東京拘置所を訪れ、面会を申請。断られ続けていたが2007年6月6日、面会が認められた。刑事収容施設法の施行で面会許可の条件が変わったからだ。
 会話がかみ合わないと聞かされていたが、「自分もボクシングをやっていた」と切り出すと、袴田さんはこう言った。「あんたの顔はポパイに似てあごが張っている。そういう顔は打たれ強いんだ」。その後も、フックの打ち方など、ボクシングの話題で会話が弾んだ。
 「袴田さんとボクシングの話をするのが自分の役割だと思った」
新田さんは毎月、面会を続けた。雑誌を見せて「今は女子のボクサーがいる」と言うと、袴田さんは「おなご衆がやるのか」と驚くこともあった。
 輪島さんは「ボクサーだからということで、警察は袴田さんに目を付けた」と怒りをあらわにする。「ボクサーほど一つのものに向かって努力する者はいないんだ」
(後編につづく)

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13:保守保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/04/02 (Sun) 11:19:12

「しゃくほう…された」逮捕から48年、袴田さんはついに姉の元へ戻った 死刑が執行停止になるまで(後編)
2023/04/02
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釈放後、東京都内のホテルで過ごす袴田巌さんと姉のひで子さん=2014年3月27日夜(弁護団提供)
 1966年6月に静岡県清水市(当時)の「こがね味噌」専務宅で一家4人が殺害された事件。無実を訴え続けても死刑囚とされた袴田巌さんの精神は、死刑執行の恐怖と長期の拘置でむしばまれた。面会に訪れた姉のひで子さんとの意思疎通も難しくなる中、裁判のやり直し「再審」を求める法廷闘争は続く。弁護団は再現実験を繰り返し、ずさんな捜査の実態を裁判所に突きつけ続けた。裁判官たちもついに「無罪」との心証を抱き、再審開始を決定した。(共同通信=藤原聡)


5点の衣類が見つかった1号タンク(山崎俊樹さん提供)
 ▽みそタンクを最初に捜索した警察官「何もなかった」
 ことし1月、静岡県警清水署の巡査だったA氏は、50年以上前の捜査を振り返り、取材に訪れた私に重い口を開いた。
 「みそタンクの中には何もなかった」
 事件から4日後の66年7月4日、捜査本部は、専務宅から東海道線を隔てて約30メートル先にあるみそ工場を大捜索した。A氏は同僚3人と班を組み、みそタンクを調べた。24基のうち1、2号タンクは返品されたみそ用。「一つは空っぽ。もう一つは膝までみそが入っていた」。懐中電灯を手に、はしごを伝って、みその残るタンク内に入った。「棒でみそを突っついたが、一切、何もなかった。あれば分かるはずだ」。A氏は、捜索時の様子や手の感触を思い起こすように語った。
 この捜索から1年2カ月後、1号タンクから血染めのシャツやズボンなど5点の衣類が入った麻袋が突然、見つかる。検察側は、従業員の袴田さんが犯行直後、タンクに隠したと主張した。袴田さんを死刑とした確定判決も、「5点の衣類」が犯行着衣であり、付いていた血痕が被害者の血液型と一致すると認定し、有罪の最大の根拠にした。
 しかし当時、「衣類発見」の報を聞いたA氏はこう考えていた。「捜索で何もなかったと警察として判断した。だから、その後に入れたのだろうと思った」
では、いつ誰が入れたのか。


「こがね味噌」工場のみそタンクから見つかった「5点の衣類」(山崎俊樹さん提供)
 A氏がみそタンクを捜索した7月4日、捜査本部は工場内の従業員寮も捜索し、袴田さんの部屋からパジャマや作業服などを押収している。袴田さんはこの日から捜査員に交代で尾行されるようになる。
 7月20日には、1号タンクに4トンを超えるみそが新たに仕込まれ、タンクの底に衣類を隠すことはできなくなった。
 袴田さんを尾行したこともあるA氏は、袴田さんが衣類を入れた「可能性はある」と言う。なぜなら「24時間監視していたわけではない。寮のある工場が職場なのだから、いつでも入れることはできる」
 だが、自室も捜索された袴田さんが「5点の衣類」を隠しておけた場所は見当たらない。
 袴田さんは8月18日に逮捕されたため、もし袴田さんが隠したのなら、衣類は少なくとも発見までに1年以上みそに漬かっていたことになる。袴田さんの弁護団はそのおかしさに気付いた。衣類の色は白く、血痕に赤みが残っていたからだ。1年も漬かっていたのなら、血痕はもっと黒っぽくなっているはずではないのか。弁護団はこう主張した。「5店の衣類は(何者かによって)発見直前にタンクに入れられた」
 これが裁判の最大の争点となった。


 

みそ漬け実験で使用したシャツを見せる山崎俊樹さん=2月
 ▽「5点の衣類」を実際にみそ漬けして分かったこと
 前回、再審開始を認めなかった2008年の最高裁決定は、「5点の衣類」について「長期間みその中に漬け込まれていたもの」と認定した。ただ、その根拠は特に示していない。本当に長期間つけ込まれたのだろうか? 弁護団は、実は数年前から「みそ漬け」の再現実験を始めていた。小川秀世弁護士が、「袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会」事務局長の山崎俊樹さんに声をかけて2005年11月にスタート。
「みそを水で溶いて衣類を漬けたら、似たようなものができるのでは」。まずはこう考えた。衣類に血を付けるため、生きた鶏を買って来て採血した。
 実際に、血を付けた衣類をみそ汁のような液体に漬けてみると、20分ほどで「5点の衣類」のような色合いになった。ところが、乾燥するうちに血痕は薄く広がり、見えなくなる。「血液が水に溶けてしまうのが原因」と山崎さんは話す。
 そこで、第2次再審請求の新証拠とするための実験では、みそからしたたる「たまり」に漬けることに。血液も、人から採取することにした。
 山崎さんは「血染め」にするには多量の血液が必要だと考え、採血のために10人を集めたが、実際には3人のわずかな血しか要らなかった。
 「血は布にすごく広がる。5点の衣類の血痕は30ミリリットルもあればできるのではないかと思ったほどだ」。
 たまりにみそを混ぜたどろどろの液に、血染めの衣類を入れて足で踏みつけると、20分ほどで「5点の衣類」とよく似たものができ上がった。一方、市販のみそに1年間漬けた実験では、衣類は濃い茶色に染まり、血痕は黒く変色した。
 つまり、「5点の衣類」の色は短時間でできたものであり、1年間漬けた場合は全く違う色になることが分かったのだ。
 2008年4月25日、みそ漬け実験の結果を新証拠として裁判所に提出。裁判のやり直しを求める第2ラウンド、「第二次再審請求審」が静岡地裁で始まった。


ズボンの端切れ(引き出しの左側)が袴田さんの実家から発見された時の写真(山崎俊樹さん提供)
 ▽ズボンのサンプル、取り寄せたものを警察が実家に置いた?
 2010年9月、袴田巌さんの2回の再審請求を通じて初めて、検察側が存在を明らかにしていなかった証拠が開示された。これも弁護団にとって大きな「武器」になった。
弁護団は当初から検察側の手持ち証拠を開示するよう求めていた。理由はアンフェアだからだ。検察は、警察などが捜査段階で集めた大量の証拠を保有している。だが、裁判に提出するのは限られた一部だけ。有罪を確実に勝ち取れる証拠を厳選する一方で、有罪に矛盾するような証拠や、無実を証明する手がかりになるような証拠があっても、検察側はその存在すら明らかにしない。こうした証拠は公益のために使われるべきで、検察側が都合よく使うのは不公平だ。
 検察側がこの時に開示した中には、みそタンクから発見されたズボンと同じ素材の端切れに関する捜査報告書が含まれていた。


「5点の衣類」が見つかったみそタンク(山崎俊樹さん提供)
 端切れは袴田さんの実家で1967年9月に見つかっていた。この端切れによって、ズボンと袴田さんが結びつけられ、犯行時の着衣と認定された。
 弁護団がこの捜査報告書を検証したところ、端切れが発見される8日前に、捜査員がズボンの製造元から同じ生地のサンプルを入手していた。発見の6日後にも、再びサンプルを受け取っていたことも分かった。
 弁護団は、サンプル自体の証拠開示を求めたが、検察側は1枚だけ提出。もう1枚は「見つからなかった」と回答した。弁護団はその対応をいぶかしみ、こう主張した。「サンプルを2度入手するのは不自然。最初の1枚を実家で発見したように装ったのではないか」
 ところで、この端切れはどのようにして実家から発見されたのか。袴田さんを支援する「袴田巌さんの再審を求める会」代表の平野雄三さんは、実家を捜索した捜査員から1993年に話を聞いており、その内容を以下の通り、報告書にまとめていた
 「67年9月12日、捜査員が実家に着くと、捜査主任だった静岡県警捜査一課の松本久次郎警部が既に家に上がり込んでいた。捜索目的はズボンのベルトと手袋だったが、『タンスの引き出しを調べてはどうか』と松本警部から言われ、引き出しを見ると、端切れが入っていた。松本警部は『これが見つかったズボンの端切れに違いない』と言って、袴田さんの母親から任意提出を受けた…」


一家4人が殺害された橋本さん宅跡。焼け落ちた家は建て替えられている=2月、静岡市清水区
 ▽「袴田と一緒に消火活動をした」食い違う供述も。ついに…
 さらに、検察側がその後に提出した証拠にも重要な供述調書があった。袴田さんと同じ工場の寮にいた元同僚2人が事件直後、県警の事情聴取にこう話していたのだ。「サイレンを聞いて部屋を出ると、袴田が後ろから付いて来て一緒に消火活動をした」
 これは袴田さんを有罪とした確定判決と明らかに食い違っている。確定判決は「事件前日の午後10時半ごろから鎮火の頃まで袴田の姿を見た者はいない」と認定しているのだ。
 反対に、この2人の証言は袴田さんの主張「事件当時は部屋で寝ていた。火事を知り(同僚)2人の後から出て行った」という内容と一致している。
 2人の証言は後に「誰も目撃していない」と変わる。弁護団は「捜査員の誘導があったのではないか」とみている。
 

袴田事件で再審開始を認める決定が出され、喜びを語る袴田巌さんの姉ひで子さん=2014年3月27日、静岡地裁前
 静岡地裁は2014年3月27日、ついに再審開始を決めた。同時に、死刑・拘置の執行停止を決定し、袴田さんの釈放も認めた。
 村山浩昭裁判長の判断はこうだ。血痕のDNA鑑定結果から「5点の衣類」は「袴田さんの着衣でも犯行着衣でもない」と認定。衣類と血痕の色は「みそ漬け実験の結果、1年以上みそに漬かっていたとするには不自然で、ごく短時間でも同じ状況になる可能性が明らかになった」と指摘した。
さらにこう言って警察・検察の捜査を断罪した。
 「証拠が捏造されたと考えるのが最も合理的であり、証拠を捏造する必要と能力を有するのは、捜査機関をおいてほかにないと思われる」
 そして最後に、袴田さんのおかれた状況についても言及。「長期間、死刑の恐怖の下で拘束された。捏造の疑いがあり、国家機関が無実の個人を陥れたことになる。拘置を継続することは、耐え難いほど正義に反する」


 

再審開始決定が出され、東京拘置所を出る袴田巌さん。右は姉のひで子さん=2014年3月27日午後5時21分、東京・小菅
 ▽やっと握れた弟の手「いつの日以来か」
 ひで子さんは、新幹線で東京・小菅の東京拘置所に向かった。
 午後4時過ぎ、面会室で袴田さんと対面したひで子さんは「巌、再審開始になったよ」と話しかけたが、袴田さんは「うそだ。再審は終わった。もう帰ってくれ」と取り合わなかった。
 面会終了後、ひで子さんは「また明日、説明に来ればいい」と思った。実は検察側はこの日、拘置の停止決定を取り消すよう静岡地裁に求めたが退けられ、釈放が決定した。だが、ひで子さんはまだ、そのことを知らなかった。
 長い廊下を歩いていると、看守長が来て「まだ話があります」と応接室に案内した。ひで子さんが長椅子に座って看守長らと話していると、紙袋を持った袴田さんが一人で歩いて入って来た。
 姉の横に腰を下ろした袴田さんは、ぽつんと言った。「しゃくほう…された」「良かったねえ!」。ひで子さんは喜びの声を上げ、弟の手を握りしめた。
 

袴田巌さんのひげをそりクリームを塗るひで子さん=2月、浜松市
 

 手を握ったのは、いつの日以来だろうか。いつも会っていた面会室はアクリル板に遮られ、触れ合えない。「巌の手は温かく、柔らかい」とひで子さんは思った。
 事件が起きた1966年6月30日は、ビートルズが日本武道館で初来日公演をした日だ。袴田さんが逮捕されてから48年の歳月が流れていた―。
 ひで子さんは、釈放の日を忘れられない。「うれしくて、それまでの苦労も嫌なことも、全部すっ飛んじゃった」


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14:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/05/03 (Wed) 08:47:51

幻覚、妄想…「拘禁反応」の恐ろしさとは? 袴田事件で浮き彫りに 再審無罪ならば回復するのか
2023年5月2日
https://www.tokyo-np.co.jp/article/247402


◆「死刑囚」の呼称は外れるが
 「頑張ろうという闘いでございます」
 3月下旬、再審開始決定が出た翌日の静岡市での報告集会。マイクを握った袴田さんは自ら来場者に語り掛けた。再審公判で無罪判決が確定すれば、43年もの間、背負い続けてきた「死刑囚」の呼称はようやく外れる。とはいえ、支援者の山崎俊樹さん(69)によると、現状を理解しているかは定かでないという。
 袴田さんは2014年3月に静岡地裁が拘置の停止を決定し、釈放された後、浜松市内で姉ひで子さん(90)とともに暮らしてきた。釈放当初から今に至るまで、会話もほとんど成り立たない。「袴田事件は存在しない」「裁判は終わった」といった事実とずれた発言が今も続く。
 袴田さんの症状は、刑事施設などへの収容によって、幻覚、妄想、興奮、混迷、的外れな応答などが生じる拘禁反応とみられる。
◆数日で消えるはずが慢性化
 再審開始を決めた東京高裁に弁護団が証拠として提出した報告書によると、袴田さんは歯痛や腰痛、発熱などの不調を外部からの攻撃と捉えがちという。男性への警戒心が特に強く、「男は殺し合いを始める」などと発言する場面も。07年に東京拘置所で面会し、釈放時の主治医を務めた精神科医中島直なおしさん(57)は「袴田さんの特徴は、拘禁反応の慢性化。拘禁状態では、誰もが程度の差こそあれ発症するが、多くは数日で消える」と語る。
 中島さんによると、袴田さんの場合、1980年の死刑確定以降に「激しい興奮を示すことがあり、食事や排せつ物を用いたいたずら、面会の拒否、『悪いやつが電波を出している』などの妄言が目立ち始めた」と説明する。面会の翌年、中島さんは拘置所の記録や手紙、接見した所見から、死刑に適応できず、医療刑務所や精神科病院への移送が必要とする意見書を書いた。
 誇大妄想を抱き、自分の置かれた状況、自分自身の氏名さえ認めなかった。今は激しい興奮やいたずらはなくなったが、会話が成立しないのは、「袴田さんの中では状況を『知りたい』『知りたくない』という二つの意思が交錯し、対立しており、ずれた応答が返ってくるからだ」。
 さらに「慢性化した要因には、死刑の恐怖プラスアルファがありそうだ」とみる。「収監中に経験した母の死、他の確定死刑囚に再審無罪が出たのに『次は自分が』という期待が実らず、収容が長期化した点もあるかもしれない」と推測する。
◆快方に向かうのか
 今後、快方に向かう可能性はあるのか。今年1月に死去した作家・精神科医の加賀乙彦おとひこさんは、講演会などで「無罪判決が出たら、病気は治ると思われる」との見方を示した。
 しかし、中島さんは「可能性がある、としか言えない」と話す。「釈放後、淡い期待を持ったが、回復は難しかった。ただし、『死刑囚』という立場が無罪判決で変われば、何らかの影響を与えるかもしれない」。先月、浜松市で会った際には「拘禁反応は相変わらずだが、少しだけ表情がやわらぎ、ゆとりを感じた」という。
 中島さんは言う。「拘禁反応をなくすことはできず、刑事施設での治療の充実、医療刑務所への移送などを柔軟に取り入れるべきだ。個人的には、誤判を防げないのだから、取り返しの付かなくなる死刑はやめたほうがいいと思う」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/247402
15:777 :

2023/07/09 (Sun) 00:56:22

2023.07.08XML
「こがね味噌事件」でも明らかになった冤罪事件を生み出す組織的な問題
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202307080001/

 1966年6月30日に静岡県清水市で「こがね味噌」専務の家族が殺されるという事件があった。被害者は専務、その妻、次女、長男。遺体には刃物で刺された傷が多数あったという。事件現場は放火されている。

 その容疑者として逮捕された袴田巌は起訴され、死刑が言い渡されている。その裁判をやり直すことが決まったのだが、その公判で検察は有罪立証をするという。それなりの時間が必要になるが、87歳の袴田にとって時間は重要なファクターだ。検察は時間を稼ぎたいのかもしれない。

 事件の現場見取図を見るだけでも単独犯行の可能性は小さいことがわかる。両隣は民家で、ひさしが密着しているため、一見長屋風だ。妻と長男の死体は玄関に近い八畳間、次女はその隣にある仏壇の間とピアノの間の中間、専務は土間の裏木戸近く。刺し傷の状態から考え、それぞれの人を殺すためにそれなりの時間をかけている。ひとりの犯人が周囲の家に気づかれず4名を殺すことは困難だろう。

 当初、マスコミは当局の発表を垂れ流していたが、その後、少なからぬ人が詳しく調査、冤罪である可能性はきわめて高いということは決定的だ。それでも検察や裁判所は死刑判決に執着していた。警察も同じだろう。

 静岡県で冤罪事件が続いていた。1948年11月の「幸浦事件(死刑判決後、無罪)」、50年1月の「二俣事件(死刑判決後、無罪)」、50年5月の「小島事件(無期懲役判決後、無罪)」、54年3月の「島田事件(死刑判決後、無罪)」、そして「こがね味噌事件」だ。

 いずれの容疑者も拷問によって自白させられ、証拠や証言の隠蔽や改竄も指摘されているのだが、前の4事件には共通の警察官が関係している。国警の警部補だった紅林麻雄である。紅林はさまざまな拷問の手法を考案、部下に実行させていたと言われている。「名刑事」と言われていた警官だが、後に「拷問王」と呼ばれるようになる。

 こうした手法を同僚や上司は知っていたはずであり、実際、二俣事件では捜査員の山崎兵八巡査が拷問の事実を告発、法廷で証言している。それに対し、警察は山崎巡査を偽証罪で逮捕した。「妄想性痴呆症」だとして起訴はされなかったが、退職させられている。内部告発は許さないという警察組織の意志を示したのだろう。「こがね味噌事件」の再審決定でも、警察による組織的な証拠捏造の疑いが示唆されている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202307080001/
16:777 :

2023/07/14 (Fri) 10:01:02

「衣類のねつ造は承服できず」袴田さん再審で有罪立証の検察 判決は年単位で先延ばしか【現場から、】
7/13 静岡放送(SBS)
https://news.yahoo.co.jp/articles/34ef4498fcb4d2075b2af266ff9210f793ec0d08


袴田巌さんのやり直し裁判をめぐり検察は7月10日、有罪立証する方針を静岡地方裁判所に伝えたことにより、判決までの長期化は決定的となりました。90歳の姉・ひで子さんは「2、3年なんてこれまでの戦いに比べれば」と話しますが、高齢の2人にとっては重い時間となりそうです。

<男性>
「これ以上、袴田さんを苦しめるな!」
<女性>
「検察側恐ろしい」

袴田事件の弁護団がインターネットで署名を求めたページに寄せられたコメントです。袴田さんの無罪を訴える声は開設から5日で、すでに4万2000を超えています。

世論の声が高まった理由。それは検察が7月10日、再審公判で改めて袴田さんの有罪立証を決めたからです。静岡地検は争う理由についてこう説明しました。

「承服しがたい点がある」

1966年、現在の静岡市で一家4人が殺害された事件で袴田巖さんは逮捕され、死刑が言い渡されましたが、2023年3月、東京高裁が再審=裁判のやり直しを決定しました。再審決定の理由について東京高裁は、犯行着衣とされた「5点の衣類」は、事件後1年2か月も経ってから見つかった割には血痕の赤みが残り、捜査機関によって「ねつ造された可能性が高い」としました。

しかし検察は10日、「『5点の衣類』に付着した血痕に赤みが残ることは不自然ではなく、複数の専門家による鑑定書や調書などで立証する準備がある」とした上で、衣類がねつ造されたことを示す証拠はないと反論しています。

検察が有罪立証に踏み切ったことに、元東京地検特捜部の副部長を務めた若狭勝さんはー。

<元東京地検特捜部 若狭勝弁護士>
「一度起訴した以上は、もう無罪などはあり得ないんだと。ひたすら有罪なんだということで突っ走ることがメンツだとすれば、検察のメンツで動いていたと場合によっては言えるかと。『5点の衣類』についてはねつ造ではなかった、あるいはねつ造とは認められないとする落としどころにもっていくために、戦略的な強い有罪立証をしていると」

過去、死刑事件から再審無罪になったのは4件あります。いずれも検察が有罪を立証したため、1年から2年半の期間がかかっています。袴田さんも無罪の公算は高まっていますが、検察の有罪立証により審理の長期化は決定的と言えます。

<袴田巖さんの姉・ひで子さん>
「まあ57年戦っておりますからね、ここで2年、3年長くなったってどうってことないですよ。頑張っていきます」

一方、弁護団は。

<袴田事件弁護団 小川秀世弁護士>
「皆が袴田さんの無実ということを分かっていて、にもかかわらず長期化をしようとしているのは、検察は人の人生をなんて思っているのか。腹立たしい限り」

弁護団は袴田さんが高齢であることや、精神的に不安定な状況が続く「拘禁反応」の症状があることから、裁判所への出廷を免除するよう求めています。裁判所も袴田さんの出廷は「考えていない」と弁護団の要請を応じるとしています。

<伊豆川洋輔記者>
Q検察が再審公判で、有罪立証をした場合には1年から2年半かかったと。では、検察がもし有罪立証をしなかった場合はどうなっていたんでしょうか。
「近年行われた再審公判では、検察が自ら無罪を主張したケースもあります。こちら2つの事件(足利事件と東京電力女性社員殺害事件)では、再審請求審で別の真犯人の存在が明らかに浮上し、検察側が無罪の求刑や意見書を提出しました。その結果、一番短いもので10日で無罪判決が言い渡されているんです」

Q今後袴田さんの再審に向けた手続きはどのように進められていくのでしょうか?
「再審に向けた裁判所、検察、弁護団による3者協議は、7月19日に4回目を迎え、すでに10月までの日程が決められています。10日に検察が立証の方針を示したことで、再審公判で提出される証拠の範囲や、やり直しの裁判がいつから始まるのか、具体的な調整に入るとみられています。
元東京地検特捜部の若狭勝弁護士は、検察の有罪立証によって新たな証拠を調べたりすることから、判決の言い渡しが年単位で先延ばしになったと話しています。検察の立証方針が明らかになった中、いつ再審公判が始まるのか、さらなる注目が集まります」
https://news.yahoo.co.jp/articles/34ef4498fcb4d2075b2af266ff9210f793ec0d08
17:777 :

2023/07/14 (Fri) 13:41:31

「冤罪ごり押し…恐ろしい」検察に吹き荒れる逆風 袴田さん再審で有罪立証するのは結局「メンツ」のため?
2023年7月14日
https://www.tokyo-np.co.jp/article/263034

 静岡一家4人強盗殺人事件で死刑が確定し、再審開始が決まった袴田巌さん(87)について、「有罪立証」の方針を示した検察への逆風が収まらない。すでに無罪の公算が大きいのに訴追を続ける背景には、捜査機関の証拠捏造ねつぞうに言及した再審開始決定に対する「メンツ」があるとの見方が専らだ。高齢となった袴田さんの審理を長引かせず、迅速に進める方法はあるのか。(西田直晃、大杉はるか)

◆それでも有罪立証を選んだことは、世間を驚かせた
 「すでに決着はついたはずだ。この期に及んで何を言い出すのか」
 袴田さん弁護団の戸舘圭之弁護士は憤りを隠さない。検察に有罪立証方針の撤回を求める声は日に日に増加。ウェブサイト「Change.org」で戸舘氏が8日から募ってきたオンライン署名だ。
 13日夕の時点ですでに4万5000筆を突破。3月に東京高裁の再審開始決定を受け、特別抗告断念を求めた署名より速いペースで増え続ける。賛意を示すコメント欄には、検察への批判の言葉が並ぶ。
 「時間(命)をこんなに奪っておきながら、いまだに冤罪えんざいのごり押しをすすめる検察側…恐ろしい」


 「もうこれ以上袴田さん姉弟をいじめるな!」
 とりわけ目を引くのが、検察の「メンツ」に触れている投稿だ。
 「検察のメンツを守るためだけの時間稼ぎには強く反対します」
 「公権力のメンツの為ために誰かの人生を潰つぶして良い訳が無い」
 「間違いを認めて正すことは、検察の面子めんつを潰すことにはならない」

◆裁判所に「証拠の捏造」言及されたから
 東京高裁の再審開始決定は、検察が犯行時の着衣とし、死刑判決の根拠となった「5点の衣類」について「袴田さんの着衣であることに合理的な疑いが生じる」と退けた。事件の1年2カ月後に見つかった衣類を巡っては、第三者がみそタンク内に隠した可能性に触れた上で「捜査機関の者による可能性が極めて高い」とまで付け加えた。証拠の捏造に言及したのだ。

 再審開始決定後、検察は最高裁への特別抗告こそ断念したが、再審公判での立証方針の検討に「3カ月を要する」と表明していた。戸舘氏は「先延ばししても無実は明らかだが、検察が『捏造はなかった』という格好に最終的にしたいがための後知恵だ。5点の衣類の評価について、別の専門家に鑑定してもらっているようだ」と語気を強める。
 ジャーナリストの江川紹子さんも「検察が有罪を立証するとなれば、再審公判であらゆる証拠を吟味し、事件を総合的に判断し直すことになりかねない。数年単位を要するあり得ないことが起きてしまう」と先行きを危ぶむ。

◆「検察は市民の良識に逆らった」
 そもそも過去のケースに照らせば、再審公判が開かれた時点で無罪となる公算が大きい。戦後の四大死刑再審として知られる免田、財田川、松山、島田事件が典型的だ。検察は捏造を認めたくないだけだと見抜かれているから、余計に逆風が強まったのか。
 再審に詳しい甲南大の渡辺修特別客員教授(刑事訴訟法)は「多くの人が指摘するように、検察にとってはメンツを気にしてのことだろう。警察の捜査を守らなければ、言うことを聞かなくなるとでも思っているのでは。大きな誤りだ」と語り、こう強調する。
 「訴追権を持つ検察は、捜査権を持つ警察に歯止めを掛ける立場にある。これまでに修正する機会は何度もあったのに、今回も権力の乱用という道を選んだ。市民の良識に逆らっており、誰も納得できないはずだ」

◆過去の再審「有罪立証」ケースは

 「弁護士白書2022年版」によると、死刑か無期懲役刑が確定した後、日弁連などの支援で再審無罪になった冤罪事件は、前出の四大死刑再審を含め戦後9件ある。
 このうち1967年に茨城県で起きた布川事件(無期懲役→無罪)では、検察が再審で有罪立証をした。DNA鑑定の請求は裁判所に却下されたが、判決まで10カ月かかった。
 担当した谷萩陽一弁護士は「形だけの鑑定請求で、本当に有罪にしようとしているのではなく、メンツのためだった。検察は無駄な抵抗をしているとしか思えない」と振り返る。袴田さんの再審公判について、「公益の立場から救済する側に回るべきだが、検察はそういう立場に立てないようだ」と不思議がった。
 54年の島田事件(死刑→無罪)でも有罪立証があり、判決まで1年3カ月かかった。関わった佐藤博史弁護士は「法医鑑定が問題になり、検察は死刑求刑もした」と説明する。
 一方、その後担当した90年の足利事件(無期懲役→無罪)では有罪立証はなかった。「再審が始まると、検察は『即判決を』と主張。弁護側の方が冤罪原因の究明のために、DNA鑑定証人3人と取り調べ検事の尋問を求め、判決まで5カ月を要した」と話す。
 袴田さんへの対応について佐藤氏は「本来はどこかで謝らないといけないのに、逆に傷口を広げている」とみる。足利事件で無罪となった菅家利和さん(76)も「再審開始までは不安も多少あったが、大丈夫だと確信していた。袴田さんもすぐに再審を始めて、無罪判決を出すべきだ」と訴える。

◆「裁判所の腕の見せどころ」
 袴田さんへの有罪立証を巡っては、元裁判官からも苦言が相次ぐ。元東京高裁判事の木谷明弁護士は「事実認定に異論がある場合に再審段階で有罪立証することは、理屈上は可能。適当かどうかは疑問があるが…」と指摘する。
 「確定判決の有罪認定の根拠は、今となっては『血痕の付いた5点の衣類』だけ。検察は『1年2カ月みそに漬かっていても赤みが残ることはあり得る』と主張し、そのための鑑定を要求するのだろう」と予想。その上で「これ以上の長期化は望ましくないが、強引に検察の立証を却下すれば、検察の控訴を誘発し事態はさらに悪化する。有罪立証は不要ないし不適当といえるかどうか、裁判所の腕の見せどころでは」と語る。
 元東京高裁部総括判事の門野博弁護士も「再審請求審で長く争っており、この段階になって似たような立証を繰り返すのは相当ではない」と話す。着衣の赤みの鑑定についても「検察は再審請求と本裁判は違うという言い方をするかもしれないが、実質的には同じ」と続け、「審理は相当尽くされており、重ねてやれば重複立証になると裁判所が判断すれば、これ以上の証拠調べを採用せずに審理することは十分あり得る」と語る。
 門野氏はこうも話す。「刑事手続きは事実を明らかにするためにとことんやるということではなく、人権保障を前提に探求するものであり、それが法の理念だ。袴田さんは長く死刑囚という立場に置かれ、人権無視が今も続いている。この問題を、人権の擁護や保障の観点からしっかりとらえ直さなければならない」

◆デスクメモ
 過去の再審事件を見ると、当事者は「再審開始決定」のときに喜びを爆発させている。日本では長い長い再審請求審が主戦場で、その後はほぼ無罪になると知っているからだ。再審公判で検察が争った例もあるが、フルマラソンで勝負がついた直後に、もう一度走る意味はあるのか。(本)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/263034
18:777 :

2023/07/21 (Fri) 06:52:00

袴田事件の不可解すぎる矛盾点 “二転三転”の検察vs弁護士 「証拠の見方が180度違うことはありえない」(ABEMA TIMES)
https://news.yahoo.co.jp/articles/27a4faeee4db4a48403e846261757e5d55ca058f

1966年に静岡県清水市(当時)で起きた一家4人殺害事件、いわゆる「袴田事件」。死刑判決を受けた袴田巌さん(87)の再審公判を前に、検察側が有罪立証する方針を示した。証拠品の捏造(ねつぞう)の可能性も指摘されているが、これまで検察の主張は二転三転してきた。

【映像】「袴田事件」捏造? 検察の証拠の矛盾点を検証

 袴田事件弁護団の事務局長・小川秀世弁護士は、かつて検察から証拠品として出されていた5点の衣類について、捏造だと確信していたものの「弁護団の中でも『捏造』という言葉を使って、裁判所に提出する文書を出すこと自体、固く止められていた」と振り返る。

 小川弁護士は31歳で弁護士登録し、袴田事件弁護団に入って以来、40年近く無罪を主張してきた。しかし当初の風あたりは強かったという。

「警察がこんな大がかりな捏造をするはずがない」(調査官A氏)
「弁護団の主張自体の品位を害する。弁護団の主張自体が裁判所から相手にされなくなるからやめてくれ」(弁護士B氏)

「5点の衣類」

 弁護団に入り、鉄紺色ズボン、ネズミ色スポーツシャツ、白色半袖シャツ、白色ステテコ、緑色ブリーフの「5点の衣類」を担当することになった小川弁護士は、あることに気づいた。

「半袖シャツの右肩の所にも傷があり、そこにB型の袴田さんの血が付いていた。袴田さんは事件の時に消火活動に参加し、その時にパジャマだったが、右肩の所にけがをして、そこにもカギ裂きの傷があり血が付いていた。袴田さんの身体は1つ傷があるだけだが、損傷がある衣類が2組になる」(小川弁護士)

 検察が犯行着衣と断定した半袖シャツと、袴田さんが着ていたパジャマ、どちらも右肩に傷があることは「偶然」とは言いがたい。袴田さんは緑のブリーフを持っていたが、それは母親が送ったもので、1つしかなかった。しかし、「5点の衣類」にも緑のブリーフが入っていた。

「5点の衣類が発見された後で、袴田さんの兄が『巌の緑のブリーフは自分が預かっている』と。そうすると緑のブリーフも2つ、右肩の傷(の衣類)も2つ。どちらかが捏造に決まっている」(小川弁護士)


しかし、検察側は「パジャマのほうを袴田被告が偽装した」「緑色のブリーフは、母が買ったという店では売ってなかった」と主張する。証拠品の衣類5点は、みそのタンクから発見されたとされるが、弁護団の実験で


 しかし、検察側は「パジャマのほうを袴田被告が偽装した」「緑色のブリーフは、母が買ったという店では売ってなかった」と主張する。証拠品の衣類5点は、みそのタンクから発見されたとされるが、弁護団の実験では、1年以上みそタンクの中に漬けられていた場合、証拠品の色合いが薄すぎることを確認。みそとたまりじょうゆにわずか20分漬けるだけで証拠品と同等の色味になり、1年以上漬けると証拠品より濃い色になると証明した。  あわせて付着した血液も、1年経つと黒々とした色合いに変化すると証明した。さらにズボンの下にはいていたはずのステテコのほうが、ズボンの裏生地よりも血液が広範囲かつ鮮明に付着していた。これに対して、検察は「犯行途中でズボンを脱いだかもしれない」と反論した。

 ズボン右側には、カギ裂き傷も付いていた。袴田さんの右すねには、実際に打撲擦過傷が認められたが、逮捕時の検査では認められていなかった。傷が発見されたのは、自白を強要された日の身体検査だったため、取り調べの過程で蹴られたりなどして、できた傷なのではと推測される。しかも、カギ型の向きは逆になっていて、着衣時には身体の傷と照合しないという「不可解すぎる矛盾点」があった。位置が逆なことに検察からの反論はないが、身体の傷については「もともとあった。身体検査はしたが、医者も警察官も気がつかなかった」としている。  加えて、血痕の撮影方法でも対立した。袴田弁護団が、肉眼で見た状況を忠実に再現すべく、白色蛍光灯でフラッシュをたいて撮影したのに対して、検察は白熱電球で撮影したため、より赤みが増したと主張する。  なぜ、検察側からまったく違う鑑定結果が繰り返されるのか。東京高裁判事や最高裁調査官を歴任した、ひいらぎ法律事務所の木谷明弁護士は、検察に協力的な「御用学者」の存在を推測する。

「権力の周辺には、権力に群がる、学者の良心を捨ててしまった研究者がいる。そういう人の協力を得てやるのではないか」(木谷弁護士)  袴田事件を長年追い続けている、元朝日新聞記者でジャーナリストの小石勝朗氏は、「再審開始決定の時に『捏造』に触れられたところが、検察庁や捜査機関、警察にひっかかったのでは」と指摘する。  みそタンクから見つかったとされるズボンは、袴田さんが実際に着用すると、サイズが小さすぎてはくことができなかった。検察は、ズボンのタグに付けられた「B」という表記を、色の表記と知りながら、「Bold(太い)サイズ」を意味するとして、みそに漬かり乾燥したことで「しわくちゃになって、はけなくなった」と主張。その後、弁護団も「B」は色を表す表記と知り、もともと小さすぎるサイズだったことが発覚した。 「みそで漬かって縮んだという言い訳ができなくなった。(その後の)検察の意見書だと、『袴田さんが逮捕されて太ったからはけなくなった』と理由を変えている。どうやって実際に証明できるのかなと不思議」(小石氏)



みそタンクについても、検察の捜査報告書では、事件直後のみその量を80キログラムとしていた。しかし、弁護団の再現により、約2メートル四方のタンクでは深さ1.5センチにしかならず、「5点の衣類」を隠せ


 みそタンクについても、検察の捜査報告書では、事件直後のみその量を80キログラムとしていた。しかし、弁護団の再現により、約2メートル四方のタンクでは深さ1.5センチにしかならず、「5点の衣類」を隠せる量ではないと判明した。 「警察官が実際にみそのタンクの中を捜索している時に、気がつかないわけない。実際に『5点の衣類』が見つかったタンクを捜索したという警察官は、『その時は何もなかった』と言っていた。危険を賭してまでそういう風に言っているということは、かなり信用性が高いのでは」(小石氏)  冤罪や司法制度の問題に詳しい映画監督の周防正行氏は、内部告発をこう見る。 「日本は内部告発や勇気ある行為をした人が、不当な圧力や嫌がらせを受ける国。裁判官もこれまでに違う判決を出す際、まわりと歩調を合わせるなど、忖度をする場合もあると聞いた」(周防監督)  小石氏はジャーナリストの観点から、死刑制度との関連性も指摘する。

「『国家的なテーマになるので、この事件は頑張らなきゃ』みたいな話が、検察なり法務省なり、全体の方針みたいになっているのではないか」(小石氏)  袴田弁護団の小川弁護士は、「冷静に考えれば、我々と証拠の見方が180度違うことはあり得ないと思う」として、検察の行動を「自分たちは先輩の過ちを隠そうと、あるいはそれを守ろうというのが使命だと、誤った考えを持っているのかも」と分析する。  木谷弁護士は、裁判官時代に体験した、検察を物語るエピソードを振り返った。 「浦和の裁判長をやっていた時代に、多くの無罪(判決)をやったと言われている。ある時、まったく事件と関係ない検事が、僕のためを思って忠告してくれた。『あんまり検事の言うことと違うことをやらないほうがいいですよ』と。なぜだと聞くと、『あなた方がいくら頑張っても、1人かせいぜい3人で議論するだけ。俺たち(検察)はいざとなったら、庁全体、高検、場合によっては最高検まで巻き込み徹底的にやる。そんな検察を相手に勝てるはずないじゃないですか。だから、あんまり頑張らないほうがいいですよ』。善意の忠告だが、それに全てが現れている」(木谷弁護士) (『ABEMA的ニュースショー』より)

https://news.yahoo.co.jp/articles/27a4faeee4db4a48403e846261757e5d55ca058f?page=3
19:777 :

2023/07/23 (Sun) 07:43:21

袴田事件再審、検察側が有罪立証する方針発表
7/22
https://news.yahoo.co.jp/articles/ee07a48409d55272a72aa108574e616585ea52c5


週刊金曜日
7月10日、静岡市内で会見に臨んだ袴田ひで子さん(右から二人目)と弁護団。(撮影/粟野仁雄)

 再審が決定している袴田事件について静岡地検は7月10日、再審公判で有罪立証する方針を丸山秀和検事名で静岡地裁に伝え、発表した。弁護側は早期の無罪判決を求めているが、再審公判で改めて有罪、無罪が争われることになり、審理の長期化は避けられなくなった。死刑囚の再審は過去、免田事件、財田川事件など4件あり、いずれも無罪判決となっている。

 同日、静岡市内で記者会見した袴田巖さん(87歳)の姉・ひで子さん(90歳)は「検察はとんでもないことをするだろうと思っていた。これはしょうがない。検察の都合ですから。裁判で最終的に勝っていくしかない。頑張ります」と気丈に述べた。弁護団の小川秀世事務局長は「ただの再審請求審の蒸し返しにすぎない。巖さんはもう87歳。ようやくここまでたどりついたのに、検察は人の人生を何だと思っているのか」と怒った。

 検察側は犯行着衣とした「5点の衣類」(事件発生から1年2カ月後に味噌タンク内より発見)について専門家の意見を聞くなど、有罪立証に向けた追加捜査を実施してきたとしたが、笹森学弁護士は「7人も集まって鑑定するなど前代未聞。まるで署名活動ですよ。1人でちゃんとした鑑定ができないからでしょう」と皮肉った。

 40年以上前から袴田事件に関わってきた田中薫弁護士は「5点の衣類がいつ(味噌タンクに)入れられたのかもはっきりしていない。最初(警察は)犯行着衣はパジャマとし、新聞も血染めのパジャマと書きたてた。それが1年2カ月経ってみたら麻袋に入った5点の衣類だったなんて、そんなことがあるのでしょうか」と訴えた。

 筆者の「3月に特別抗告断念を決めた甲斐行夫検事総長の判断か」との問いに笹森弁護士は「東京高検のイケイケ派の決めたことで、甲斐さんは苦虫を嚙み潰しているのでは」と推測。間光洋弁護士は「検察がいつも誰の判断かを示さないのは無責任で卑怯」と話した。

「捏造」否定したい検察
 1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)で発生した袴田事件では味噌製造会社の専務一家4人が殺害され、80年に最高裁で巖さんの死刑が確定した。2008年からの第2次再審請求では、14年に静岡地裁が再審開始と、死刑および拘置の執行停止を決定。最終的には最高裁より差し戻された東京高裁が「5点の衣類」の血痕の色調について「1年以上味噌漬けされた血痕の赤みは消える」と認定のうえ、衣類は「捜査機関による捏造の可能性が高い」として今年3月に再審を決定。検察は特別抗告を断念した。

 しかし今回の立証方針で検察は「1年以上、味噌漬けされた5点の衣類の血痕に赤みが残ることは何ら不自然ではない」「複数の従業員が5点の衣類は被告人の物と証言している」「タンクに立ち入る機会のあった従業員は専ら被告人」とし「再審公判の審判は、確定審はもとより、開始決定をはじめとした再審請求の各判断に何ら拘束されない」と定義している。

 会見後、弁護団は静岡地検に出向いて抗議文を手渡した。笹森弁護士は「出てきた主任検事に新証拠を見せろと言ったが拒否された。この時点で見せられないはずはない」。間弁護士も「これまで十分時間はあったはず。証拠を示さなければさらに長期化する。許せない」と怒りを見せていた。

 会見で小川事務局長は「赤みが残る可能性といっても、それで犯行を立証できない。撤回させないと仕方ない」とも話した。「赤みが残らないなら袴田さんの犯行ではない」が、いつの間にか「赤みが残るなら袴田さんが犯人」にすり替わった印象だが、たとえ赤みが残っていたとしても、それがすなわち巖さんが犯人であるとの決め手にならないことは、他の多くの証拠からも明らかだ。検察は再審開始決定で裁判官に明示された「捜査機関の捏造」だけは否定したいため、引き延ばしを図っているにすぎないのではないか。

 この日の静岡県は気温が35度を超えたが、巖さんは浜松市内で散歩やドライブに出かけるなどしていたという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ee07a48409d55272a72aa108574e616585ea52c5
20:777 :

2024/09/30 (Mon) 23:18:07

「絶対巖さんに何か通じているんだと」公の場で"無罪勝利"と話した袴田巖さんに弁護士も喜び 控訴期限前に姉ひで子さんの心境は=袴田事件・再審無罪判決
2024/09/30
https://www.youtube.com/watch?v=1zUIQIROXcw

いわゆる「袴田事件」の再審=裁判のやり直しで無罪判決が言い渡された袴田巖さんが9月29日の判決後、初めて公の場で発言しました。袴田さんは「無罪勝利が完全に実りました」とハッキリとした言葉で語りました。9月29日、静岡市で行われた報告会に出席した袴田巖さん、88歳。無罪判決後、初めて口を開きました。<袴田巖さん(88)>
「私が、袴田巖でございます。待ちきれない言葉でありました。無罪勝利が完全に実りました。きょうはめでたく、みなさんの前に出てきたということで。無罪勝利ということに、検察も認めたということで、これからの闘いにおいては、政治的に社会的地位を守っていく、これが根本的なものでございます」

「無罪」と発言をした袴田さん。

会見に同席し、袴田さんの無罪を訴え続けた小川秀世弁護士には、袴田巖さんの言葉を聞いてこみあげてきたものがありました。<袴田事件弁護団 小川秀世弁護士>
「ひで子さんの先ほどのビデオにも出てきましたけど、ひで子さんが今回無罪になったということを伝えたら、それに対しては、何もそういう拒否的なこと、否定的なことは言わなかったじゃないですか。これは、僕は絶対巖さんに何か通じてるんだと、なにかそれが伝わってるんだということを思って、そのことをお伝えしようと思っていたら、本当に伝わってたじゃないですか。すごいうれしい」静岡地裁での無罪判決後、活発になっているのが控訴断念を訴える動きです。9月30日、支援者が街頭活動でチラシを配り、現在5万人の署名が集まっているインターネットでの署名を呼び掛けました。

9月30日、袴田巖さんは都内で行われた会見に姉のひで子さん(91)と出席する予定でしたが、体調不良で欠席。会見に出席した小川弁護士は検察の控訴の可能性についての質問には…<袴田事件弁護団 小川秀世弁護士>
「検察が本当にこの長い審理を終えることができると。検察しかできないことなんだとこの審理を終わらせることは。そういうことを本当に検察に自覚してもらうことが、検察の控訴をやめていただくことの大きな力になると思っています」

ひで子さんは無罪が確定していない心境を尋ねられると…<袴田巖さんの姉 ひで子さん(91)>
「毎日ご飯を食べたあとに、説明というのはおかしいが、無罪になったよ、無罪になったよと言い続けるつもりでいます」

控訴の期限は10月10日。検察の判断に注目が集まります。
21:777 :

2024/10/01 (Tue) 00:37:07

「袴田事件」無罪判決後、姉・ひで子さんが会見 巌さんの“拘禁症”による変化を告白「死刑囚のいる房に行ってからおかしくなった」
2024年9月30日
https://news.livedoor.com/article/detail/27283653/

「袴田事件」無罪判決後、姉・ひで子さんが会見 巌さんの“拘禁症”による変化を告白「死刑囚のいる房に行ってからおかしくなった」
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 1966年6月に静岡県清水市(現静岡市)で起きた一家4人殺害事件のやり直しの裁判(再審)で、静岡地裁の無罪判決(求刑・死刑)を受けた袴田巌さんの姉・ひで子さんが30日、都内で記者会見に応じた。会見では、巌さんの“拘禁症”がどのような形で出てきたのかなどを赤裸々に語った。

【映像】袴田事件、発生当時の様子
 「無期(懲役)時には大変、元気でございました。面会に行っても、私達の方が励まされたぐらい。事件のことを一生懸命話していました。そんな状況でしたが、死刑が確定して死刑囚だけのいるところへ行ってから、隣の部屋の人が処刑された時に、私がたまたま一人で面会に行ったら、あたふたと出てきて、もう身を乗り出すようにして『昨日処刑があった!隣の部屋の人だった!お元気でと言っていた』と言って、みんながっかりしていると一気に言ったんですよ。私はそれを聞いて、突拍子もないことを言うからぽけっとしちゃって。それ以後、電気を出す奴がいるとか、サルがいるとか変なことを言うようになったんです。だから死刑囚のいる房に行ってから、がくんとおかしなことを言うようになったんです。死刑確定から、特に拘禁症はひどくなったと思います」

 「(釈放されて)出てきた時はね、本当に能面のような顔をしていて、あまり物も言わないし、再審開始になったよと言っても『この人たちは変なことばっかり言うから帰ってもらってくれ』と刑務官にそう言っていた。出てきてからも、裁判の話とかそういう話は一切しませんでした。ともかく、家の中を1時間も2時間も歩き回る、家の中から一歩も出ない。男の人たちが来ると、『面会謝絶ですからお断りします』と玄関に鍵をかけてしまう。そういう状況でしたし、2カ月間はうちを出ませんでした。やっぱり、猜疑心が強いというか、とてもじゃないが男の人は敵と見ているんですね。それで長い間、男だけの生活の中で苦労してきたからでしょうけど、そういうことがありありとわかりました。だから私がうちの中に何か閉じこもっていてもしょうがないと思って『私、買い物があるんだけど、荷物が重たいから手伝ってよ』と引っ張り出して、外に出させました。その時には、うんと素直に言うことを聞いて、デパートでわざと重いものを買いましてね。2人で仲良く持って、家に帰ってきたことがあります」

 「そうこうしているうちに、自分が1人で今度歩きたいんでしょうね。私のところへね。『今日はお化けのところに行くから、ついてきちゃ困る』と言うんです。変なことを言うなと思ったんですが、それも逆らわないでそりゃ行っておいでと、1人で出したんです。それ以後、1人で出歩くようになりました。その前に家の押し入れに霊がいると言っていました。押し入れの中をトントン、トントン何かを追い出すようなことをするんですよ。1カ月、過ぎてまた今度その押し入れを探しに来て、開けたら『もういないな』と言ったんです。だから霊が見えなくなったんだと思います」

 「3年ぐらいはそれが続きましたね、拘禁症の加減ですかね。だけど私はともかく巌は自由にしておくしかないかと思いましてね。言う通りにしていました。それで変なこと、とんちんかんなことを言うんです。そんな馬鹿なことを言うじゃないって言いたいけども、そんなことを言ったって通用するわけじゃありません。だから、そうしようねとか、相槌を打って、とんちんかんな話をしていました。それがだんだんとね、5年ぐらい経ちますと薄れてきたと言いますか、拘置所から出てきたときはまともだったんですが、それが後遺症というものが出たのか何か知りませんが、48年も入っていた、その習慣というものは簡単には抜けません。ティッシュペーパーを四つに折るとか、部屋の鍵は全部閉めるとか、お風呂の窓も全部閉めるとか、そういうことをするんですね。夜は電気を全部つけるんです。私が全部消すと、彼はつけて回るんですね。今でも電気はもう全部つけます」

 「袴田事件」は証拠の捏造などを理由に再審が行われ、静岡地裁で無罪判決。10月10日までに検察側が控訴しなければ、無罪が確定する。
https://news.livedoor.com/article/detail/27283653/
22:777 :

2024/10/01 (Tue) 07:03:46

袴田事件が示す三つの重大問題(植草一秀の『知られざる真実』)
http://www.asyura2.com/17/nihon32/msg/377.html
23:777 :

2024/10/01 (Tue) 09:02:01

「私の人生これだけじゃつまらない」死刑囚の弟を支える91歳の袴田秀子さんが不動産経営を始めた理由
9/30 プレジデントオンライン
https://news.yahoo.co.jp/articles/68820a546e96d801399469a1427fcef9c99981de

戦後最大の冤罪事件と言われる「袴田事件」。殺人犯として死刑判決を受けた袴田巖さんの無罪が、2024年9月26日、再審の判決として言い渡された。その袴田巖さんと姉の秀子さんに22年間取材し、映画『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』を10月19日に公開する笠井千晶監督。笠井監督にインタビューしたライターの田幸和歌子さんは「映画は巖さんが中心だが、笠井監督は秀子さんの所有するマンションに住み込んで、仕事を超えた付き合いをしてきた。その笠井監督でしか撮れない映像になっている」という――。

■確定死刑囚になった袴田巖さんがついに無罪

 1966年6月に静岡県清水市の一家4人を殺害したとして死刑が確定した袴田(はかまだ)巖(いわお)さん(88歳)のいわゆる「袴田事件」に対する再審判決が9月26日に静岡地裁で言い渡された。

 明日突然、死刑が執行されるかもしれない――そんな恐怖の日々を重ねてきた袴田巖さんを22年にわたって取材、計400時間もの記録映像をもとにしたドキュメンタリー映画『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』が10月19日に公開される。

 本作の監督で、ドキュメンタリー監督・ジャーナリストの笠井千晶さんは、2002年、テレビ局の報道部にいたときから袴田巖さんの取材を始め、2014年には袴田巖さんの「釈放」の瞬間の表情を至近距離からとらえ、釈放後にはフリーランスとして袴田さん姉弟を取材し続けてきた人。

 22年間も同じ対象を追い続け、たった1人で取材・撮影・編集全てを行ってきた笠井監督を突き動かしたものは何だったのか。

■姉・秀子さんと静岡のテレビ局に勤めていた笠井監督の出会い

 笠井千晶監督が袴田巖さんの取材を始めたのは、静岡放送の報道記者2年目のとき。それから現在までに袴田さんの事件に関するテレビ番組を4本制作してきたというが、東京拘置所に収監されていた巖さんを支える姉・秀子(ひでこ)さんに出会ったことがきっかけだった。

 「最初は報道記者としてご挨拶したのですが、その1カ月後くらいに、たまたま浜松支局に異動になり、それを浜松市で暮らす秀子さんにお伝えしたら、数日後に『私が持っているお部屋に入らない?』と電話でお誘いいただいて」

 秀子さんと笠井監督は、取材対象者と報道記者というだけでなく、「家主と店子」の関係となる。家賃を支払いに行ったり、笠井監督の母親がお歳暮を持参したり、秀子さんが笠井監督の実家に遊びに来たりと、仕事とプライベートの両面から交流がスタートした。

 映画では、巖さんが釈放された瞬間の表情や、釈放後最初の夜に姉弟が枕を並べる様子、拘禁反応の続く巖さんとそれを見守る秀子さんの姿などをありのままに映し出す。なぜここまで秀子さんからの信頼を得たのか。

 実は、冤罪の可能性が出て以降、再審判決が言い渡された今でこそ多数のメディアが取材しているものの、2014年の釈放前は袴田事件を取材しているメディアはほとんどなく、「完全に忘れ去られた事件」だったと言う。そんな中、弁護士や支援者以外でたびたび訪れる人が珍しかったこと、笠井監督が女性だったこともあり、仲良くなっていったそうだ。


■22年にわたりカメラを回し続け、2014年釈放の瞬間も記録

 そもそも笠井監督が秀子さんに初めて連絡をとったのは、袴田事件を知った時に、巖さんが独房で母親など家族に宛てて書いた手紙の存在を知ったのがきっかけ。その実物を見せてほしいと連絡し、実物を実際に見て、触れて、読むうち、大きな衝動に駆られる。それは無罪かどうか以前の、もっと根源的な人間への興味からだった。

 「隔離された独房の中で、誰の目にも触れず、声も聞かれず、明日死刑が執行されるかもしれない、そのために生かされている人が、今この瞬間もひっそりと息をしていると考えたら、何かせずにはいられない思いになりました。その人がどんな気持ちでずっと過ごしているのか、人間が生きるということがこんなことで良いのか、人間の有り様に対する哲学的な興味が湧いてきて、知りたい気持ちが大きく、動かずにはいられなかったんです」

 巖さんは当時すでに拘禁反応(精神状態の悪化)が酷いことから、家族すら会えず、姉の秀子さんも3~4年に1度、しかも10分程度、国会議員への働きかけなどからようやく会える状態が続いていた。死刑囚の情報は厳しく制限されているため、獄中からの手紙を読み進め、その中に出てくる名前の人を探し、取材し、証言を集めてたどる番組「宣告の果て~確定死刑囚・袴田巖の38年~」(2004年静岡放送)を制作。これが日本民間放送連盟賞報道番組部門最優秀賞を受賞する。しかし、それでも笠井監督の興味は尽きず、秀子さんのもとに通い、カメラを回し続けるうち、2014年に東京拘置所に入っていた巖さんが釈放されることに。

■「生きては会えないかと思った巖さんが目の前に現れた」

 「会いたくて会いたくて、ずっと考え続けてきた人が釈放され、目の前にいるとなって、そこからできる限り足を運んで、記録し続けようと思いました。もちろん無罪であってほしい、疑いを晴らしたいとは願い続けていましたが、私の取材のモチベーションはそれとは違う。無罪が認められなかったとしても、たとえ万が一、獄中で亡くなってしまい、ご遺体などの形で初めて面会する日が来たとしても、お会いできるまで注目し続けようと決めて取材していたので、一転、無罪の流れになったのは思ってもみないことでした。私が取材を続けたのは、秀子さんが弟さんを誰が何と言っても信じ抜く気持ちに打たれたことが大きいと思います」

 この映画のもう一人の主役と言えるのが、巖さんを信じ続け、支え続けた姉の秀子さん、91歳だ。

 袴田家の6人きょうだいの5番目が秀子さん、巖さんは末っ子。当初は母親が巖さんを支えており、そんな母親に巖さんは手紙を獄中から書き、母親のために自分の冤罪を晴らして戻るという目標を掲げていた。

■秀子さんは経理のスキルを身につけ、住み込みで働いた

 しかし、もともと健康だった母親が体を壊し、静岡地裁で最初の死刑判決が出てすぐに、巖さんの身を案じつつ亡くなってしまう。そこから長男が中心となり、きょうだい一丸となって支援をしていたが、病気や加齢で徐々に秀子さん中心にシフト。特に秀子さんと巖さんは末っ子とすぐ上の姉でずっと一緒にいたこと、母親の悲しみや無念の最期を間近で秀子さんが看取ったこともあり、母親の思いに報いる意味で受け継いでいく。

 確定死刑囚の弟を長年支えるのは並大抵のことではない。お金の問題もある。

 そんな中、秀子さんは経理のスキルを身につけ、自身は会社に住み込みで働き、質素に慎ましく暮らして家賃や生活費を最小限に抑えながら、切り詰めたお金を東京に行く旅費や、毎月必ず面会に行くと決めて巖さんへの差し入れのお金(1万円~2万円)にあててきたそうだ。

■釈放後の巖さん「私が全知全能の神、唯一絶対の神だ」

 さらに、巖さんが釈放された後も平穏な日々が訪れたわけではない。

 巖さんは家の中を1日13時間も歩き続けたり、ティッシュを畳む作業を延々繰り返したり、「神」を名乗り、街をパトロールするようになり、階段から転がり落ちてケガをしても、外に出て行ったりする様が映画では映し出される。

 「袴田巖はもういない。私が全知全能の神、唯一絶対の神だ」
「死刑制度も監獄も廃止された。袴田事件なんか最初から、ないんだ」

 そうつぶやく巖さん。「死刑」の恐怖を長年にわたって背負い続けた重みに衝撃を受ける一方、驚かされるのは、そんな巖さんに何も聞かず、言わず、行動を抑制せず、巖さんの意思を尊重し続ける秀子さんの強さだ。

■秀子さんは巖さんの現状も受け入れ、達観したように見えるが…

 しかし、最初から超越していた、達観していたわけではないと笠井監督は言う。

 「秀子さんは強い人ですが、しんどかった時期はあったのだと思います。これは秀子さんからお聞きした話ですが、食生活などのせいで体がおかしくなった時期もありました。普通ではないストレスを抱え続けていますから、心身ともに傷つき続け、それを自分で飲み込んで、弱音を吐ける先もなかった、と。

 また、支援の輪が広がっていない頃は、夜も眠れず、お酒に頼ってしまった時期があったそうで。眠れないから飲んでは寝て、それが毎日になった頃、お肌もボロボロで荒壁みたいになったとおっしゃっていました。そんなとき、支援者の方が現れ始めて、自分が酔っ払って電話に出てしまったことを猛省し、以降一切お酒を断ったことがあったと、話してくれました」

■「もしダメだったらどうしよう」と考えても意味のない心配はしない

 笠井監督自身、フリーランスになってからはゴールも定めず、全て持ち出しで、作品が発表できるかわからない状態のまま取材を続けてきた。そんな笠井監督に「働く女性の草分け」的立場から秀子さんは共感してくれたり、大変なときには励まし、背中を押してくれたりすることもあった。

 監督が秀子さんにエンパワーメントされたのは、言葉ばかりではない。「もしダメだったらどうしよう」など、考えても仕方のない心配はしない秀子さんの姿勢は、笠井監督の心の持ち方の指針となり、心が揺らぎそうな場合も「秀子さんを思えば、まだまだできると思えた」と言う。

 映画では終始強く明るい秀子さんだが、巖さんのされた仕打ちを思えば、警察や検察などへの恨みや怒りを抱くのが自然だろう。しかし、秀子さんは恨み言などを一切口にしないのだと言う。

■「秀子さんはこんな目にあっても、恨みつらみを言わない」

 「私が秀子さんを尊敬している理由の1つが、恨みつらみを言葉にすることがないところ。警察、検察、裁判所に対しては『役所はそういうもの、仕事でやっていることだから』とおっしゃるんです。ご自身がかつては税務署に勤めていたこともあって、公的な組織の論理を体感としてわかっているから、そこに恨みつらみをぶつけることにあまり意味がないと思っているのでは……。

 そんなことより、日々を穏やかに暮らすとか、巖さんが自由にやりたいようにやれるために自分自身のエネルギーを注いでいる。もっと高い次元で、現実をありのまま冷静に受け止めて自分に何ができるかを見定めている方なんです」

 笠井監督がまだ出会ったばかりの頃、「今の自分は最初からじゃない。この何十年という闘いの日々が私をそうさせた」と言った秀子さん。その年月の重みをこう推察する。

 「巖さんが47年7カ月獄中に囚われていたのと同じく、塀の外にいた秀子さんも47年7カ月巖さんと同じ時間を共有されていたと思うんです。秀子さんの場合は外で、巖さんにはない苦労もされているんですよね。世間からの強い風当たりや、メディアに書きたい放題書かれること、何より権力から弟を処刑されるという恐怖の状態に置かれ続ける苦労をされてきて。その中でいかに生き抜いて、かつ巖さんを守れるかをずっと考え続けられたこと、身を守る術を身につけていったことが、今の達観した秀子さんを形成していったのかなと思います」

■映画には入れられなかった秀子さんの「50年目のメディア批判」

 映画の主役は巖さんであることから、膨大にある取材映像の中で秀子さんの動画はあえて大幅にカットしている。しかし、その中でも笠井監督の印象に強く残っていることが、ふたつある。

 ひとつは、巖さんが逮捕されてから50年の節目に行われた記者会見の映像だ。

 「巖さんが釈放されるまでは、秀子さんはメディアに言いたいことをほとんど言わなかったんです。それが、釈放されてしばらく経った記者会見では、記者クラブで15人ぐらいの記者を前に、『あなた方にあれだけ書かれたことで家族がどうなったか』と初めて強い口調で堂々と言った。それまでどれだけ言いたくても言えなかったことなのだろうと思いました」

 もうひとつは、メディアや世間が大きく誤解していること。それは「姉の秀子さんは弟・巖さんのために自分の人生を全て捧げてきた」という解釈だ。

■秀子さんは弟のため自分の人生を犠牲にしたわけではない

 「秀子さんの世代の女性は、生活するために結婚するのが当たり前だったそうですが、秀子さんはそれが絶対に嫌だからと、経理のスキルを身につけ、手に職を持って自分の足で立って暮らしてきました。20代で一度の離婚を経て以降、結婚しなかったのも、自立した生活をしていたから必要に迫られなかったこともありますし、巖さんのために人生を犠牲にしたわけじゃありません。

 それに、『私の人生、これだけじゃつまらない』と言って、60歳を機に銀行からお金を借りてローンを組み、マンションを建て、不動産経営もしています。今ではそのマンションの一室で巖さんと暮らしているわけですが、弟を自分の元に取り戻し、一緒に住めるようになったこと自体が夢のような話です。巖さんのことだけじゃない、自分の人生の中に夢を持ちたい、これをやったと思えるものを持ちたいという強い気持ちがあるんです」

 87歳という女性の平均寿命を超え、91歳の今も“かくしゃく”とした姿を見せる秀子さん。巖さんの再審無罪判決で、ついにその闘いに終止符が打たれた。あまりにも長い半世紀以上の年月を奪われつつも、権力に屈せず、結果的に無念を晴らした今、巖さん、そして秀子さんは何を思うのか。笠井監督の取材はこれからも続いていく。
https://news.yahoo.co.jp/articles/68820a546e96d801399469a1427fcef9c99981de?page=5
24:777 :

2024/10/06 (Sun) 16:47:51

「無罪だと思った」3人の元裁判官が語った袴田事件、58年後に無罪判決【報道特集】
2024/10/05 06:30TBS NEWS DIG
https://news.goo.ne.jp/article/tbs/nation/tbs-1461566.html

いわゆる袴田事件で、半世紀にわたり死刑囚として勾留されてきた袴田巌さんに、9月26日、無罪判決が言い渡されました。私たちは、これまでこの事件に関わった裁判官のうち3人を取材。彼らは裁判の過程で「袴田さんは無罪だと思った」と語りました。

事件から58年経って 無罪判決
「袴田事件」のやり直し裁判の判決を、特別な思いで見届けた人がいた。

テレビ音声
「速報が入ってきました。静岡地裁は袴田巖さんに無罪の判決を言い渡しました」


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熊田俊博さん(75)。約40年前、袴田事件の審理に関わった元裁判官だ。今回の無罪判決に…

熊田俊博 元裁判官
「関わってきた裁判官、検察官、再審請求を棄却してきた裁判官。誤判に関わったということで非常に責任が重いと思います。私自身は裁判官として関わったので、私も(責任をとるべき人に)入っていますよね」

袴田巌さん(88)。姉のひで子さんが、さっそく無罪判決を伝えた。


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袴田さんの姉・ひで子さん(91)
「裁判長さんが無罪だって、これでもう終わったでね、安心しな。わかる?わかるでしょ?」

袴田さんは、死刑執行の恐怖におびえながら48年間を過ごしてきた。精神的に不安定な状況が続く「拘禁症状」が今も色濃く残る。


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半世紀以上、袴田さんが犯行の時に着ていたとされてきたのが、血の付いた、いわゆる「5点の衣類」だ。

26日、裁判所は「捜査機関によって血痕をつけるなどの加工がなされたねつ造証拠」と断じた。

58年に及ぶ袴田事件は、「5点の衣類」を裁判官がどう判断するかの歴史だった。


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報道特集は、「袴田事件」に関わった3人の元裁判官を取材。実はこの3人、裁判の過程で「袴田さんは無罪」だと思っていた。

それにもかかわらず、なぜ袴田さんは長きにわたり、死刑囚で在り続けたのか。

「死刑」に反対した元裁判官

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袴田さんは無罪だと思っていた1人目の元裁判官、熊本典道さん(故人)。

1968年、1審・静岡地裁で袴田さんに死刑判決を下した裁判官の1人だ。

判決から約40年後、会見を開き、「本当は無罪だと思っていたが、やむを得ず、死刑判決を下した」と異例の告白をした。


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熊本典道元裁判官
「少なくとも今まで出ている証拠で、有罪にするのは無茶だと思った。まさかこんなところで私の声を聞いてもらえるとは思わなかった」

1966年、静岡県の旧清水市で、みそ製造会社の専務一家4人が刃物で刺され、火を放たれて殺害された、いわゆる「袴田事件」。

警察は、住み込み従業員の袴田さんを逮捕する。決め手は袴田さんの部屋から、わずかな血痕がついたパジャマが押収されたことだ。

熊本さんが最初に疑問を抱いたのが、袴田さんの“自白”。

26日の判決で静岡地裁は、「“自白”は非人道的な取り調べによって獲得された捜査機関によるねつ造証拠」と言い切った。


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取り調べの録音テープ(逮捕当日・1966年)
袴田さん
「あんたがたがね、それだけ自信を持って言ってるけど、他に犯人が挙がったらどうする?」

取調官
「他に犯人挙がったら?ないだろ。挙がりっこない」

取調官
「挙がりっこないよ」

袴田さん
「挙がる。必ず挙がる」

取調官
「他にな、出るわけない」

袴田さん
「専務をなぜ殺さなきゃならないんだよ。俺、本当に世話になって。心から専務には仕えてたよ。よくもやりやがったな俺を。なんとか真面目にやろうと思ったのに。あんたがたこそ人殺しだよ」

警察は、容疑を否認する袴田さんに平均12時間、最も長い日で17時間近くに及ぶ取り調べを行った。


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取り調べの録音テープ(逮捕から18日後・1966年)
取調官
「本当に意気地のない野郎だな。え?なあ。意気地のねえ弱虫だな、てめえは。え?」
「いいことをしたのか、悪いことをしたのかどっちだ?袴田。おめえがな、人に褒められるようなことしたのか、悪いことしたのか、どっちだと言うんだ」
「聞こえないのか?なあ。本当に聞こえないか。お?袴田。返事しろよ、返事を。袴田君。袴田君」

袴田さん
「聞こえますよ」

逮捕から20日後、袴田さんは「パジャマ姿で犯行に及んだ」と自白する。


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熊本典道 元裁判官
「私にしてみれば、他に確たる証拠が無いから自白をとらなきゃどうしようもないなと、調べたんだろうと思った。ところがいざ自白をとってみると、認めるわけにはいかん証拠ですよね」

一度は自白した袴田さんだが、裁判では一転、否認する。すると突然、“新たな証拠”が出てくる。

事件から1年2か月が経過した裁判のさなか、一度は念入りに捜索されたはずの、現場近くのみそタンクから血まみれの衣類が見つかったのだ。


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シャツやズボン、ブリーフなど、あの「5点の衣類」だ。

警察は袴田さんの実家を家宅捜索。すると、タンスからズボンの切れ端が見つかり、その場で「これは『5点の衣類』のズボンの切れ端だ」と報告した。

検察は、すぐに犯行着衣をパジャマから「5点の衣類」に変更したのだ。

熊本典道 元裁判官
「なんで今頃?大体誰が?どうしてああいうものがみそタンクに入っていたんだろう?検察側にとってみれば『新しい証拠が出てきたよ』。私の立場からすれば『あれ?またなんかやったのかな?変なことしたんじゃないの?』っていう受け取り方」

「5点の衣類」と「自白」に対する熊本さんの疑念は膨らみ、一度は「無罪」の判決文を書いたという。

しかし、3人の裁判官のうち他2人の裁判官が死刑を支持。熊本さんは、一転して死刑の判決文を書く役割を任せられる。


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熊本典道 元裁判官
「『こんなもの書けるか!』と先輩に向かって言ったことは覚えています。そういう方に裁判長が気持ちが傾き始めてから、僕の心の中は煮えくりかえるような気持ちですよね」

結局、一審では袴田さんに死刑判決が言い渡された。

犯行着衣がパジャマから「5点の衣類」に切り替えられたことについて、判決は「当初、袴田さんが『パジャマ姿で犯行に及んだ』と嘘の自白をした」とした。

熊本さんは抵抗の証として、判決文に異例の“付言”を書き加えた。


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熊本さんが書いた“付言”
「このような本件捜査のあり方は、厳しく批判され、反省されなければならない。本件のごとき事態が、二度とくり返されないことを希念する余り敢えてここに付言する」

熊本典道 元裁判官
「どっかで、僕が悩んで判決書いたんだということ、無罪にするきっかけを(のちの裁判所に)掴んでほしいなっていう願いだね」

しかし、熊本さんの願いは届かず、1980年、最高裁で袴田さんの死刑が確定。袴田さんは無実を訴え、裁判のやり直し、再審を求めた。

「最初から無罪」と思った元裁判官
袴田さんの無罪判決をテレビで見届けた、熊田俊博さん(75)。袴田さんは無罪だと思っていた2人目の元裁判官だ。

熊田さんは、袴田さんが静岡地裁に対して求めた、再審請求の審理に関わった。


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熊田俊博 元裁判官
「私の心証としては、これは再審開始の方向だなと。私はもう最初から無罪だという風に思っていたものですから」

熊田さんも「5点の衣類」に疑問を抱いた。


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熊田俊博 元裁判官
「(袴田さんが)拘留されてから1年2か月も経って、犯行現場のすぐそばにあるみそタンクの中から着衣が出てくるという発見の経過自体がおかしいわけですよ。当然、捜査段階で事件が起きれば、すぐみそタンクの中を丹念に捜査官が捜索するわけですよ。その段階で見つかっていないということなのに、1年2か月も経ってからそこで発見された」

開かずの扉とも呼ばれる再審。開かれるには「無罪であることを示す新しい証拠」が必要となる。

熊田さんも参加した協議の場で、弁護団は、検察に対して証拠の開示を求めた。8か月が経って、検察が出してきた回答は…

検察の意見書(1985年)
「検察官は弁護人からなされた検察官未提出証拠の提出方要望に対し、これに応ずる意思はない」

熊田さんは、当時、裁判所にできることはなかったと話す。

熊田俊博 元裁判官
「(裁判所が)検察官に対し、証拠開示の命令をする規定もない。規定がないということは検察も裁判所の『開示しなさい』ということに対して、応えて、開示する法的な義務はない。再審の証拠開示に関する規定がないばかりに、ずっと苦労してきているわけですよ」


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再審請求では証拠開示に関するルールが定められていない。そのため、弁護側が請求しても、検察は応じる義務はない。そして裁判所にも、証拠を提出させる法的な力はない。

熊田さんは、1987年、再審を開くかどうかを決める前に退官した。

その7年後、静岡地裁は「5点の衣類」が袴田さんの犯行着衣という認定を覆すことなく、再審の請求を棄却した。

なぜ、無罪の心証を抱く裁判官もいながら、再審は退けられたのか。


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熊田俊博 元裁判官
「確定判決には何十人という裁判官が関わっている。(当時の裁判官には)よほどのことがない限り、『間違いない』という意識が強いと思う。よほど画期的な新証拠が出ないと、『確定判決を覆すことはできない』という意識が非常に強かったんじゃないかと思う」

44年後に新たな証拠が
重い再審の扉。ところが、弁護団に一筋の光が射す。

取り調べの録音テープや供述調書など、約600点に及ぶ証拠を2010年から検察が開示したのだ。この頃、刑事訴訟法の改正を受け、証拠開示の流れが進んでいた。

そして、こんな重要なものが出てきた。


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袴田事件弁護団・小川秀世弁護士(2010年会見)
「カラー写真撮ってるんじゃないですか。今までカラー写真は出ていなかったんですよ」

あの「5点の衣類」のカラー写真だ。


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弁護団は思った。「1年2か月もみそに漬かっていたにしては血痕が赤すぎる」。

弁護団は、血のついた衣類を、実際に一年以上みそに漬ける実験をした。

すると、血痕は黒っぽく変化した。弁護団は「『5点の衣類』の血痕に赤みが残っているのは、捜査機関が自らみそタンクに入れ、直後に発見されたため」と主張した。

再審決めた元裁判官の思い

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袴田さんは無罪だと思っていた3人目の元裁判官、村山浩昭さん(68)。静岡地裁で袴田事件の再審請求を担当していた。

「5点の衣類」のカラー写真を見た時の印象をこう話す。


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村山浩昭元裁判官
「血の赤みがかなり強いというのと、下着のシャツが白いですよね。率直に言って、1年以上味噌に漬かってこういう色なのかというのは、素人でも疑問に思うのではないかと思います」

そして2014年、村山さんを裁判長とする静岡地裁は、再審開始と袴田さんの釈放を決めた。

「5点の衣類」は捜査機関によって、ねつ造された疑いがあるとした。袴田さんは48年ぶりに拘留を解かれた。


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袴田さん(当時78歳)
「皆さんがどれだけのご意見を持つのか。改革は完全に正しく行うつもりでございます。どうかよろしくお願いします」

死刑囚としての長年の拘留は、袴田さんの精神をむしばんでいた。

開いたかのように見えた再審の扉。しかし、決定に対して、検察は不服を申し立て、東京高裁は再審開始を取り消した。

結局、2023年の裁判のやり直しが確定するまでに、さらに9年の月日を費やした。

元裁判官の村山さんは、静岡地裁前で袴田さんの判決を待っていた。


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村山浩昭 元裁判官
「無罪らしくて、良かったです。本当に長かったです」
「(裁判は)人間がやることですから、間違いはないということはないんですよね。実際に私がやった裁判が、全部正しいかと言われると、その保証はありません。ましてや新しい証拠が提出されたら、判断が違うということは十分にあり得ます。自分が関わった判断が間違っていたとしても、それが事後的に救済されるシステムがあるかどうかで裁判官は救われる」

村山さんは再審に関する法律の見直しを訴えた。

無罪判決から一夜 袴田さんは
無罪判決から一夜明けて…


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袴田さんの姉・ひで子さん
「返事はしないですが、なんとなく表情がちょっと明るくなりました。ちょっと紅潮したような表情で。多分、わかっているのかな。言葉は発しませんでした、残念ながら。毎日少しずつ、言っていこうと思います」
https://news.goo.ne.jp/article/tbs/nation/tbs-1461566.html
25:777 :

2024/10/11 (Fri) 10:36:20

捜査機関による検証は進むのか 「袴田事件」の焦点は捜査・公判の問題点の洗い出し 過去の再審無罪事件では「教訓は生かされている」
2024/10/10
https://www.youtube.com/watch?v=hf5iDb1-VVk

2024年10月9日に袴田巖さんの無罪が確定したことで、今後、捜査機関による捜査や公判の問題点の検証が進むのか注目されます。捜査機関は文書などで謝罪をしましたが、弁護団は「検察がいまだに袴田さんを犯人視していて検証の期待はできない」と批判しています。<袴田事件弁護団 小川秀世弁護士>
「我々としては、この談話は、法律としてもおかしいし、事実の認識としてもおかしいし、きちんとした謝罪もなされていない」10月10日の会見で怒りをあらわにした袴田さんの弁護団。矛先が向いたのは検察のトップの言葉です。いわゆる「袴田事件」の再審=やり直し裁判では静岡地裁で袴田巖さんに無罪判決が言い渡され、10月9日、検察が控訴する権利を放棄したことで無罪が確定。裁判所が証拠のねつ造を認定したことについて日本の検察のトップ畝本直美検事総長は「捜査機関のねつ造と断じたことは強い不満を抱かざるを得ません」として上で、再審請求手続きが長期間に及んだことについて「所要の検証を行う」としています。

冤罪となった袴田事件での次の焦点は、捜査機関による検証がどこまで進むのかという点です。<袴田事件弁護団 小川秀世弁護士>
「今回の無罪判決で指摘された検察官も警察と連携したねつ造ということを深刻に受け止めていただいて、これからこういうことが二度とないように検証をすべき。国会に調査機関を設けるべきだとかっていう議論もなされているということは聞いていますし、少なくとも、さっきから話がでているように、検察、警察の調査はなかなか困難なところはありますので、別の組織で、別の形で調査していかなければいけないだろうということは考えています」

日本の警察のトップは10月10日、無罪確定について「重く受け止めている」と言葉にしました。<警察庁 露木康浩長官>
「静岡県警察においても、可能な限り改めて事実確認を行うという報告を受けています。警察庁としても、今後の教訓とする事項があれば、しっかりこれを受け止めて、一層緻密かつ適正な捜査に取り組んでまいりたい」

過去に再審無罪が言い渡された裁判でも捜査機関による自己検証が行われています。1990年に栃木県足利市で当時4歳の女の子が殺害、遺棄された「足利事件」では無期懲役だった菅家利和さんの再審無罪が言い渡されました。

その4日後には検察庁と警察庁が捜査・公判の問題点を検証した報告書を公表。不十分なDNA鑑定結果を過大評価したことなどに触れられていて、菅家さんの弁護を担当した佐藤博史さんは検証の重要性を訴えます。<足利事件を担当 佐藤博史弁護士>
「今は刑事裁判でDNAが証拠になっているときに、裁判所は再鑑定というのをいとわないで、再確認する手続きが一般的になっている。その限りでは、足利事件の教訓は生かされていると思う」

ただ、58年の時間が経った袴田事件の検証は相当な時間がかかると話します。<足利事件を担当 佐藤博史弁護士>
「一番大事なことは証拠の開示、再審の手続きに規定がないということについて。どういう風にスピードアップして再審の結論を出すかということも含めて、法制度の改革に繋げていかなければいけない」

弁護団は10月10日、静岡地検を訪れ、検察側の発表した袴田さんを犯人視する内容は不当だとして声明を提出。現在の姿勢では「検証に期待できない」として、厳正かつ真摯な対応を求めています。

26:777 :

2024/10/12 (Sat) 00:15:57

袴田さん冤罪事件で検察が異例の判断 その本当の理由とは【“法廷の決断” 司法記者が徹底解説】
2024/10/11
https://www.youtube.com/watch?v=1EDG2jl8dBw

58年前、静岡県でみそ製造会社の専務一家4人が殺害された事件をめぐって一度死刑判決が言い渡された袴田巌さん。再審で静岡地裁が無罪を言い渡し、検察が8日、控訴を断念したことで、袴田さんの無罪が確定しました。58年越しに下された再審の判決内容が一体どのようなもので、再審後も有罪の立証を続けていた検察がなぜ控訴を断念したのか、そして関係者の本音はどうなのか、解説します。
27:777 :

2024/10/12 (Sat) 00:17:06

「無罪だと思った」3人の元裁判官が語った袴田事件、58年後に無罪判決【報道特集】
2024/10/06
https://www.youtube.com/watch?v=XsXHDBM0hpk

いわゆる袴田事件で、半世紀にわたり死刑囚として勾留されてきた袴田巌さんに、9月26日、無罪判決が言い渡されました。私たちは、これまでこの事件に関わった裁判官のうち3人を取材。彼らは裁判の過程で「袴田さんは無罪だと思った」と語りました。
28:777 :

2024/10/12 (Sat) 00:18:37

袴田巌さんの死刑判決を書いた元裁判官 生前に語った後悔と訴え
2024/09/29
https://www.youtube.com/watch?v=mnmY2oQurUU

一審の主任裁判官として袴田巌さんの死刑判決を書いた熊本典道さん(2020年死去)。後に「公判当初から無罪の心証を持っていた」と明かし、袴田さんの再審請求を支援した。生前、死刑判決を書いたことへの後悔や事件に対する思いを語っていた。
29:777 :

2024/10/12 (Sat) 00:19:45

【袴田事件】元捜査員が証言「衣類なかった」発生時にタンク捜索に参加 1年後発見に驚き「あり得るのか」
2023/03/15
https://www.youtube.com/watch?v=hoQQYK2bQFw

いわゆる袴田事件について、東京高裁は13日に再審開始決定を出し、犯行着衣について捜査機関による「ねつ造」の可能性を示唆しました。事件発生時に捜索にあたった元捜査員は、取材に応じ「事件後の捜索で衣類は見当たらなかった」と証言しています。
30:777 :

2024/10/27 (Sun) 00:43:30

「袴田さんが10歳若ければ控訴したはず」…死刑執行を防ぐ契機を作った世田谷区長が指摘する「検察のメンツ」
10/26
https://news.yahoo.co.jp/articles/d1a43b4afeb29bd3777e8dbdfc88df01ac6374b5?page=1

 10月8日、東京高検が控訴を断念したことで、袴田巖さん(88)は逮捕から58年ぶりに無罪が確定し、43年ぶりに死刑囚という法的身分から解き放たれた。1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)で起こった味噌製造会社の専務一家殺害事件をめぐり、巖さんと姉のひでこさん(91)の戦いを追う連載「袴田事件と世界一の姉」。その47回目は再審裁判を傍聴してきた地元の若い女性と国会議員として袴田さんの命を救った人物を紹介する。【ジャーナリスト/粟野仁雄】

事件を追い続けた24歳
「えー、わたくしが袴田巖でございます。待ちきれない言葉でありました。無罪勝利が完全に実りました。ついに完全に全部勝ったということで、今日はめでたく皆さまの前に出てきたということであります。こがね味噌事件で無罪勝利ということで、検察も認めたということで……」

 無罪判決の3日後の9月29日、巖さんが静岡市で開かれた報告集会に現れた。その姿を見守った中川真緒さん(24)は「あんなにはっきりと発言されるとは予想もしませんでした。嬉しかった。涙が止まりませんでした」と語った。

 清水市で生まれた中川さんが事件を知ったのは中学生のときだった。2014年3月に静岡地裁で再審開始と釈放が決まった際のニュースで、当時は「自分の故郷でそんなことがあったんだ」という程度だったという。

 強い関心を抱いたのは、昨年3月に東京高裁で再審が決まってから。うつ病に悩まされてきた中川さんだが、静岡地裁に通い続けて8回も傍聴券を獲得し、ブログ「清水っ娘、袴田事件を追う」を綴り続けた。巖さんとはひで子さんと住む浜松市のマンションで会っていた。

「(当時の自分が)23歳だったので、自分のことを23歳とおっしゃる巖さんに親しみを感じました。今回は車椅子だったのがちょっとショックでした。1月にお会いした時よりも小さくなったかな」

いまだに袴田巖さんが犯人と信じる人たち
 中川さんは事件が起きた清水区の横砂地区など巖さんの足跡を辿った。そこで出会った人たちには無罪を信じない人も多く、大半は口をつぐんだ。ボクサーを引退した巖さんが経営していたバー「暖流」近くの飲食店を訪ねた時のこと。

「マスターも巖さんが犯人と思っていた上、奥さんには『もう。十分に償ったんだからいいでしょう』と言われました」

 再審判決後、「模擬裁判」のイベントに参加した中川さんは、再審で無罪判決を下した国井恒志裁判長(58)に礼を言った。検察が控訴を断念した10月8日の朝も支援者らとオンライン署名を求めるチラシを配り、マイクを握って署名を訴えた。

 10月14日、静岡労政会館 で完全無罪報告集会が開かれた。映画「ロッキー」のテーマソングが流れる中、名リングアナウンサーだった須藤尚紀さん(62)が「WBC名誉チャンピオン、袴田巖―っ」とアナウンスし、巖さんとひで子さんが弁護団と握手しながら壇上に上ると、こう挨拶をした。

「長い戦いがございました。やっと無罪、完全無罪が実りました」(巖さん)

「無罪になって勝ったんだよって言ってるんですけど、まだ(弟は)半信半疑でいるようなところがあるんです。みなさんにお祝いしていただいているうちに実感として沸くと思います」(ひで子さん)

 巖さんはチャンピオンベルトを身に着けた。壇上で2人に花輪を贈呈した中川さんは「再審裁判で巖さんに死刑求刑した検察官の顔は絶対に忘れません。この冤罪事件を後世にずっと伝え続けます」と力を込めた。

 畝本直美検事総長(62)は判決について「到底承服できない。控訴すべき内容」としながらも、「袴田さんが長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれ、控訴は相当ではない」との談話を出していた。弁護団は「犯人扱いしている内容で名誉棄損」と撤回を申し入れた。




もう1人の命の恩人
 巖さんの死刑執行を防いだ人物といえば、2014年に巖さんを釈放した静岡地裁の村山浩昭裁判長(現・弁護士=67)だが、命の恩人はもう1人いる。死刑執行を防ぐ契機を作った保坂展人・世田谷区長(68)だ。国政に携わっていた頃から法務省の矯正局に繰り返し巖さんの様子を聞くなど必死に支援した。

「検察組織は無限に継続できるが、袴田さんは違う。検察はもともと(立件は)無理筋だった事件を再審に持ってきた。再審請求しても死刑を執行する現在、生きて袴田さんがこの瞬間を迎えたことは非常に大きい」

 21年前、当時の巖さんは「俺には姉なんかいない」と3年近くひで子さんとの面会を拒絶していた。そこで保阪区長は、東京拘置所を担当する矯正局と示し合わせて「今日は畳の交換の日だから」と巖さんを別室に連れ出し、ひで子さんと面会させた。その時の支離滅裂な会話を知った森山真弓法務大臣(当時=1927~2021)が委員会で「(巖さんは)精神に異常をきたしている」と発言したのだ。

「刑事訴訟法の条文からも、これで死刑執行はないと確信しました」(保坂区長)

 この面会が実現した当時、ひで子さんは70歳だった。

「当時よりさらに逞しくなった印象。肝が座った戦いを続けてこられた信念の強さが無罪を確定させた。その中心軸だったのがひで子さんですね」(保坂区長)

 また、再審が始まるかもしれないという朗報を伝えようにも、当時の巖さんは弁護士とも会わなかった。そんなエピソードを振り返る保坂区長は、感慨深げに言う。

「袴田巖さんには『二重の縛り』があった。物理的に拘置所の牢獄で、長期間、収容されているだけでなく、心の中も別人にならざるを得ないという縛り。今回、報告集会で本人が出てこられたのをニュースで見て『よかったなあ』と思いました。これまで期待しては覆りを繰り返してきたので、縛られていた心のロープは簡単には切れなかった。今、完全に切れたわけではないけど、袴田さんが全能の神から(人間に)戻ったという瞬間を感じました」





「10歳若けりゃ控訴した」
 検事総長談話については「まさに検察のメンツ」と断じる。

「まさに検察のメンツ。裁判所が捏造としたことが気に入らない。検察は5点の衣類だけで有罪になっているわけではないとして他の要因も入り込ませた。『疑わしくは被告人を罰せず』の推定無罪の原則を全く逆にして『無罪を立証できなきゃ有罪』のロジックにしてしまった。袴田さんが10歳若ければ控訴したはずで、そこに根本的な反省はない。ただ、控訴すると検察批判が渦巻くことを恐れたのでは」(保坂区長)

 控訴断念については「政治的配慮」もあるとみている。

「その配慮も自己防衛のため。『控訴したかったけどしないよ』という姿勢。静岡県警と検察はすり合わせたかのように巖さんを長く法的に不安定な地位に置いたことを反省してみせた。不安定どころか、いつ死刑執行されるかの状況に対する反省や検証はまったくない」(保坂区長)

 保阪区長は当時、衆議院議員の国政調査権により袴田さんと会った。「当時は袴田さんの異常も『仮病ではないの』なんて言われていた。国会で選出される人は人権の問題にしっかり取り組んでほしい」と政治家らしく締めくくった。

 NHKは10月12日朝、検察が事件の遺族に控訴断念を謝罪したというニュースを報じた。遺族が巖さんを犯人だと思い、検察が「袴田巖が犯人」と思わせているようにも取れる。だが、再審の終盤、検察が代読した遺族の思いに、巖さんが犯人といった記述はなかった。訴えていたのは、事件で唯一生き残った長女が事件と関係していかのように報じられ、苦しんでいたことだけだった。検察の「印象操作」をNHKがそのまま報じただけだった。
31:777 :

2024/11/07 (Thu) 18:39:09

【袴田事件】死刑確定から44年で無罪に!いま明らかになる3つの謎…事件を追い続けたジャーナリストが指摘する “真犯人” の姿
11/7
https://news.yahoo.co.jp/articles/35eb693255c31dc06581f822d0e6a3834235be33

「主文、被告人は無罪」

 2024年9月26日、「袴田事件」再審の公判で、静岡地裁の國井恒志裁判長がそう言い渡すと、傍聴席からどよめきと拍手が湧き起こった。そして、10月9日、静岡地検が控訴を断念したことで、“死刑囚” 袴田巌さんの無罪が確定した。

【写真アリ】袴田巌さんを58年間支え続けた姉・ひで子さん

 事件発生から58年、死刑が確定してから44年が経過し、現在、袴田さんは88歳。日本最大の冤罪事件といえる袴田事件とは、いったい何だったのか。

「1966年6月30日未明、静岡県清水市(現・静岡市清水区)の味噌製造会社『こがね味噌』の専務・橋本藤雄さん宅が全焼し、焼け跡から一家4人の遺体が見つかりました。

 遺体には刃物で刺した傷が多数あり、会社の売上金が入った袋が奪われた疑いがあるため、静岡県警は強盗殺人・放火事件として捜査本部を設置。同年8月18日、元プロボクサーで同社従業員の袴田巌さんを逮捕しました。

 2年後の1968年、静岡地裁で死刑判決が出て、1976年、東京高裁が控訴棄却。1980年、最高裁で袴田さんの死刑が確定しました。

 一連の流れに疑問を持つ人も多く、1981年、再審請求されますが1994年に棄却。2008年に新証拠とともに第2次再審請求がおこなわれ、2014年に静岡地裁が再審を開始しました。その際、拘留の停止が決まり、袴田さんは48年ぶりに釈放されました」(事件担当記者)

 再審開始から10年――。

 みそタンクから見つかり決定的な証拠とされた5点の衣類について、今回の判決は「捜査機関によって血痕を付けるなどの加工がされ、タンク内に隠匿された」と捏造が断定された。

 さらに、袴田さんの「自白」を記録した調書についても、「肉体的・精神的苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取調べによって作成され、実質的に捏造されたもの」とされた。つまり、「袴田事件」は捜査当局によってでっち上げられた冤罪事件だと改めて証明された。

 そんな袴田事件を追い続けたジャーナリストがいる。藤原聡氏だ。“世紀の冤罪事件” の全貌に迫った藤原氏へのインタビューで、袴田事件の真相に迫る。

■なぜ袴田さんは「自白」に追い込まれたのか

 この冤罪事件では、当初から袴田さんの「自白」が最大の証拠とされてきた。では、なぜ袴田さんは「自白」に追い込まれたのだろうか。鍵となるのが、伝説の「拷問王」の存在だ。

「静岡県では、幸浦事件(1948年)、二俣事件(1950年)、島田事件(1954年)と、死刑の冤罪事件が3件続いて起きています。島田事件で死刑確定後、再審無罪となった赤堀政夫さんは、上申書で、警察官から殴る蹴るの暴力を受け、さらに、16時間も便所に行けず、精神的に追い詰められていく様子を訴えています」(以下「」内は藤原氏)

 この島田事件の捜査主任が、天竜署次長だった羽切平一警部だ。この警部が袴田さんの取り調べに途中参加してから、自白の強要がどんどん過激になっていく。

「袴田さんもトイレに行かせてもらえず、取調室に便器を運んできて『部屋の隅でやれ』と言われたのです。のちに袴田さんは、1日15~16時間取り調べを受けたことや棍棒で殴られたことなどを、手記に綴っています。羽切氏は、赤堀さんを自白に追い込んだのと同じ手法で、袴田さんも追い込んだのです」

 藤原氏は、ここで伝説の “拷問王” の名をあげた。

「幸浦事件、二俣事件、そして無期懲役から無罪になった小島(おじま)事件(1950年)の捜査を指揮し、島田事件にも途中から捜査に加わったのが、“拷問王” と呼ばれた紅林麻雄警部補です。島田事件の捜査主任だった羽切氏は、幸浦事件当時は紅林警部補の直属の部下で、ともに捜査にあたっています」

 難事件を次々と解決する「名刑事」ともてはやされた紅林警部補は、二俣事件、幸浦事件で死刑判決が相次いで破棄されると、一転して “拷問王” や “冤罪王” と呼ばれるようになり、左遷された。静岡県で相次いだ冤罪事件の裏には、きわめて残虐な捜査方法があったのだ。

■なぜ最高裁は死刑判決を出したのか

 当初から袴田さんの冤罪がささやかれていたにもかかわらず、なぜ最高裁で死刑判決が出たのか。1980年、最高裁で死刑が確定するが、その判断は上席調査官の “思い込み” によるものだったのではないかと、藤原氏は指摘する。

「袴田さんの事件を担当したのは、第一調査官室の渡部保夫上席調査官でした。渡部氏は、東京地裁、札幌高裁などで判事を務め、多くの無罪判決を出したことで知られています。

 当時、渡部調査官の同僚だった木谷明調査官が、私の取材に対し、第一調査官室でのやりとりを振り返り、次のような事実を明かしています」

 袴田さんの裁判記録を読んでいた渡部調査官は、みそタンクから見つかった衣類5点の写真を見て、「警察がこんな大がかりな捏造をすると思いますか」と木谷調査官に話しかけた。そして、「木谷さん、この事件は有罪ですよ。もし無罪だったら、私は首を差し出します」と断言したという。

「渡部調査官は、『警察が捏造なんてするはずがない、だから袴田さんは有罪だ』と、頭から決め込んでいたのではないでしょうか。

 最高裁には毎年約1万の案件が寄せられますが、それを定数15人だけで審理するのは不可能です。そのため、実際には調査官が資料を読み、判決文の草案とともに、裁判官に報告書を出すんです。

 判決は『上告理由に当たらない』『事実誤認はない』といった決まり文句が並ぶ “門前払い” の内容となりました。十数年にわたって袴田さんが無罪を求め続けた訴えは、わずか数行の判決文で退けられ、死刑判決が確定したのです」

 冤罪は、1人の調査官の思い込みが生んだ可能性が高いのだ。

■真犯人はどこにいるのか

 袴田さんの無罪は確定したが、では、真犯人は誰なのか。いまだに真犯人に結びつく情報は出ていない。だが、藤原氏が静岡県警の捜査記録を読み返した結果、“有力な容疑者” が浮かび上がったという。これが、もっとも注目すべき新事実だ。

「じつは、『こがね味噌』会計係のT氏はバーやキャバレーで豪遊し、賭博にも手を出した結果、借金が100万円以上に膨らんでいたんです。

 借金で首が回らなくなったT氏は、広域暴力団幹部のI組員らと共謀して、違法な花札賭博をしていたため、賭博容疑で県警に逮捕されました。T氏が逮捕されたのは、袴田さんが逮捕された2日後でした。その後の取り調べで、T氏が会社の業務費100万円を横領していたことも明らかになりました。

 しかし、奇妙なことに、共謀して違法賭博をしていたI組員について、捜査記録に何も書かれていないのです。

 被害者の橋本さんについては、『取引客などと清水市内、静岡市内のバー、キャバレー、飲食店等への出入りが激しく、その店の数は60数軒』と捜査記録にあります。そうした歓楽街を縄張りにしていたI組員と、当然、接触があったはずです」

 その後、タレコミが舞い込む。このI組員が、事件前に被害者である橋本さんの自宅を頻繁に訪れていたという情報が、後年、弁護団にもたらされた。弁護団事務局長の小川秀世氏が、藤原氏に次のように証言している。

「I組員の元運転手が、『袴田事件が起きる前、事件現場となった橋本さん宅に何度もIを連れていった』と話したそうです。また、橋本さん宅に入ったI組員は、運転手を待たせたまま長時間出てこないこともあったそうです。

 つまり、I組員が橋本さんと面識があったことは間違いありません。ただ、I組員についての捜査記録はないので、警察が表に出していないことも考えられます」

 藤原氏は、犯行動機を怨恨とみている。

「その理由は、事件現場の、猟奇的ともいえる凄惨さからです。橋本さんのほか、妻、次女、長男の遺体に合計40カ所を超える刺し傷が遺されました。

 強盗が目的であれば、心臓を一突きするはずです。遺体に多くの刺し傷が遺されているのは、致命傷にはならない程度に、いたぶるように何度も刺したと考えられる。

 司法解剖の結果、橋本さん以外の3人の気管支から “すす” が検出されていますが、生きているうちに火をつけて焼き殺したことになる。怨恨以外には考えられません。

 そして、複数犯の可能性が高い。4人を殺すのは、単独犯では不可能でしょう」

 藤原氏によれば、小川弁護士は「警察が真犯人を隠そうとしたとも考えられる」と話しているという。袴田さんの無罪は確定しても、真犯人が捜査の対象にすらなっていないとしたら、あまりにやりきれない――。

 現在、袴田巌さんは、浜松市の4階建てマンション最上階で、姉のひで子さんと2人で暮らしている。今年2月、そこに “新しい家族” が加わったという。

「茶系長毛の猫・ルビーと、白黒の猫・殿です。袴田さんの支援者が、誕生日にプレゼントしたものです。袴田さんは猫に接していると、表情が穏やかになります。かわいくてしょうがないのでしょう。

 袴田さんは、外出したときに猫のエサを買うようになり、夜遅くなると、『猫がおなかをすかせている。パン、あげてちょうだい』と頼むこともあるといいます」

 58年の想像を絶する辛苦の日々から、ようやく平凡な幸せを取り戻した “姉と弟”。事件を追い続けて来た藤原氏は、「その幸せが1日でも長く続くように」と、心から願っている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/35eb693255c31dc06581f822d0e6a3834235be33
32:777 :

2024/12/26 (Thu) 16:14:07

最高検“袴田さんを犯人だと決めつけたかのように自白求めた”
2024年12月26日
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241226/k10014679301000.html

袴田巌さんが再審=やり直しの裁判で無罪判決が確定したことを受け、再審請求の手続きや当時の捜査の検証を行ってきた最高検察庁は、26日にその結果を公表しました。取り調べについては「袴田さんを犯人であると決めつけたかのように自白を求めるなど、供述に真摯(しんし)に耳を傾けたものとは言えなかった」などとしています。


58年前(1966年)、今の静岡市清水区で一家4人が殺害された事件で、一度、死刑が確定した袴田巌さん(88)について、ことし9月、静岡地方裁判所は再審で無罪の判決を言い渡し、有罪の決め手とされてきた証拠について捜査機関がねつ造したと指摘しました。

最高検察庁は、長期間に及んだ再審請求の手続きや当時の捜査の問題点について検証し、26日に結果を公表しました。

報告書では冒頭で、まず「無罪の結論を否定するものではなく、検察は袴田さんを犯人視していない」と説明しました。

捜査段階の取り調べが非人道的だと指摘されたことについて、「検察官が袴田さんを犯人であると決めつけたかのような発言をしながら自白を求めるなど、供述に真摯に耳を傾けたものとは言えなかった」としています。

また、再審請求の手続きで検察が証拠の開示に応じず、審理が長期化したことについて、当時は通常の刑事裁判でも証拠開示の制度が無かったことを挙げて「検察官の対応に問題があったとは認められない」としています。

その一方で、犯行時の着衣として有罪の決め手とされた「5点の衣類」の写真やネガフィルムについて、「1990年に弁護側から開示の求めがあった段階で探していれば、早期に発見して提出できたかもしれず、審理が進んだ可能性はある。検察官が存在を認識していなかったネガや取り調べの録音テープが後になって発見されていて、証拠の保管や把握が不十分だった」としました。

一方、静岡地方裁判所の判決で捜査機関が「5点の衣類」を証拠としてねつ造したと指摘されたことに対しては、「現実的にありえない。客観的な事実関係と矛盾する。検察側に問題があったとは認められない」と強く否定しています。

今後の対応については、「担当の検察官によって再審請求への対応が異なるが、再審制度が誤った判決を受けた人を救済する重要なものであることから、統一的な方針のもと、十分な体制で適切な判断を行っていくことが求められる。検証で明らかになった問題点を踏まえ、再審手続きにあたっては裁判所の審理が迅速かつ適切に行われるよう、真摯に対応していく」としました。

無罪判決では捜査を厳しく批判
静岡地方裁判所の無罪判決では、警察や検察の捜査について厳しく批判しています。

◇自白調書のねつ造
警察官の取り調べについて、逮捕から自白する前日までの19日間、毎日平均12時間行われたとし、自白しなければ長期間勾留すると告げて心理的に追い詰めた上、取調室に便器を持ち込んで用を足すよう促すなど、屈辱的かつ、非人道的な対応をしたと指摘しました。

さらに、検察官の取り調べについて、「証拠の客観的状況に反する虚偽の事実を交えて、犯人と決めつける取り調べを繰り返し行っていた」と指摘しました。

そのうえで、検察官が作成した自白調書について、「非人道的な取り調べによって作成された」として、実質的に捜査機関がねつ造したと判断しました。

◇「5点の衣類」のねつ造
有罪の決め手とされた「5点の衣類」を捜査機関がねつ造したと判断しました。

「5点の衣類」は、事件発生から1年2か月後に現場近くのみそタンクから見つかり、血痕に赤みが残っていましたが、判決では、「タンクの中で1年以上みそに漬けられた場合、赤みが残るとは認められない」と判断しました。

そして、捜査機関が有罪を決定づけるためにねつ造に及んだことが想定できるとして、「血痕をつけるなどの加工がされ、発見から近い時期にタンクの中に隠された」と結論づけました。

◇「ズボンの切れ端」のねつ造
また、警察が袴田さんの実家の捜索で見つけたとされる「5点の衣類」のズボンの切れ端についても、「捜索の前に実家に持ち込んだあと、押収したと考えなければ、説明が極めて困難だ」と指摘し、捜査機関によるねつ造だと認定しました。

◇供述調書 “誘導が疑われる” 信用性否定
さらに判決では、検察官が作成した袴田さんの母親の供述調書について、検察官による誘導が疑われるとして、信用性を否定しました。

警察が袴田さんの実家から見つけたとされるズボンの切れ端について、検察官の作成した調書では、母親が実家にあったことをうかがわせる供述をしたとされていましたが、裁判で母親は「一度も見たことがない」と証言し、食い違っていました。

これについて、判決では「検察官による誘導尋問が疑われ、調書の信用性は乏しいといわざるをえない」と指摘しました。

そのうえで、検察側が調書に署名や押印があることを根拠に、信用できるとした主張について、「裏付け捜査によって十分な証拠の収集に努め、供述を吟味するという取り調べのあるべき姿や、『検察の理念』にも反しかねない主張だ」と批判しました。

テープに録音された取り調べの実態とは
警察が袴田さんに行った取り調べの内容を録音したテープは、再審請求の審理で弁護団の求めを受けて開示され、その実態が明らかになりました。

袴田さんは、58年前の1966年8月18日に逮捕されます。

任意同行を求められたあとの取り調べで、警察官から「お前さんの良心に聞いて、ひとつお前の行為を反省してもらいたい」などと言われたのに対し、袴田さんは「それじゃあまるで、俺がやったっていうことにしかならないじゃん。犯人じゃないもの、誰かいるよ」などと述べ、潔白を主張していました。

袴田さんが否認を続ける中、8月29日には警察の幹部などが集まり、検討会が開かれました。

当時の静岡県警の捜査記録によると、この会議では「取調官は確固たる信念を持って犯人は袴田以外にはない、犯人は袴田に絶対間違いないということを、強く袴田に印象づけることにつとめる」ことを確認したとされています。

9月4日の取り調べでは、袴田さんが用を足したいと申し出たのに対し、警察官は「便器もらってきて、ここでやらせればいいから」と話し、取調室の中で用を足すよう促していました。

そして、9月5日の取り調べで、警察官は「おまえが犯人だということははっきりしている。おまえは犯人だ。4人を殺した犯人だ。犯人に間違いない。どうして俺はそうなっちゃったということをだな、話をしなさい」などと袴田さんに強い口調で自白を迫りました。

さらに、「自分が犯した殺人という罪、これに対して本当に心から謝る、本当に心から謝罪するんだ」などと、被害者に謝罪するよう繰り返し求めました。

9月6日、逮捕から19日後に、袴田さんは疲れで意識がもうろうとする中、自白したとされています。

静岡地方裁判所の無罪判決では、警察の取り調べについて、袴田さんが自白するまで弁護士との接見をあわせて40分間しか認めず、初回の接見をすべて録音していたことも認定しています。

再審開始確定まで約42年 長期化の要因に2つの指摘
袴田巌さんが最初に再審を求めてから再審開始が確定するまでにはおよそ42年かかりました。

審理が長期化した要因として、「証拠開示」と「検察による抗告」の2つが指摘されています。

◆証拠開示の壁
袴田さんは死刑が確定した翌年の1981年に、無実を訴えて再審請求を行いました。

有罪の決め手とされたのは、事件発生から1年2か月後に現場近くのみそタンクから発見された、血の付いた「5点の衣類」でした。

弁護団は、これらの衣類が袴田さんのものではないことを明らかにしようと、発見された当時に撮影した写真やネガを開示するよう求めました。

これに対し、検察は「必要不可欠の重要写真が隠匿されている事実はない。検察官の手持ちについて、いわゆる証拠あさりをするものとしか考えられない」として応じませんでした。

重要な証拠は開示されず、27年に及んだ1回目の再審請求は退けられました。

弁護団は2008年に2回目の再審請求を行い、再び衣類の写真などの開示を求めました。

すると、2010年になって検察は衣類の鮮明なカラー写真30枚を開示します。

これらの写真は検察が過去の裁判で提出していなかったもので、袴田さんが最初に再審を求めてから開示されるまでにおよそ30年かかりました。

2014年、静岡地方裁判所は衣類に付いた血痕の色が1年以上、みそに漬かっていたとするには赤みが強すぎて不自然だと指摘し「捜査機関が証拠をねつ造した疑いがある」として再審を認める決定を出しました。

一方、検察はネガについては「存在しない」と説明していましたが、その後、警察署の倉庫で発見されたとして、弁護団に開示されました。

これについて、審理を担当した検察官は「事実と異なる回答をしたことは率直におわびする」と謝罪しています。

◆抗告の壁
2014年に再審を認める決定が出ても、袴田さんの再審は始まりませんでした。

検察が不服の申し立て=抗告を行い、静岡地裁の決定は2018年に東京高等裁判所で取り消されます。

その後、最高裁判所が審理のやり直しを命じました。

去年3月、東京高裁は「5点の衣類」について、「事件から相当な期間が経過したあとに捜査機関の者がみそタンクに隠した可能性が極めて高い」として、ねつ造の疑いに言及し、再審を認める決定を出しました。

検察が最高裁への特別抗告を断念したため、再審開始が確定しましたが、2014年の決定からおよそ9年が費やされました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241226/k10014679301000.html

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