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知恵遅れ皇族の英国留学

1:777 :

2024/12/04 (Wed) 05:51:51

2024年12月02日
不良皇族の英国留学 / 薄くなる皇室の闇 Part 1
https://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68978542.html

秋篠宮殿下の原型モデル

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(左3枚 : 若い頃の寛仁親王 / 右 : 若い頃の秋篠宮殿下)

  皇室を尊ぶ一般国民は、男系男子による皇位継承を主張する保守派陣営と女性天皇を容認する改革派勢力で別れている。しかし、最終的どうするかは、旧皇族や旧華族などの意見を聞いた上で、今上陛下が決めることなんじゃないか? 日本国民が本当に反対すべきは、尊皇精神のカケラも無い政治家や裁判官が左翼思想で皇室典範をいじくり、勝手に皇統を枉(ま)げてしまうことだ。

  巷の庶民には様々な見解や要望があるのかも知れない。だが、皇室の将来は“皇族会議”の決定に委ねるべきで、有識者会議とか国会議員が介入すべき事柄ではない。藝人やスポーツ選手、売国奴や変態を選ぶような大衆に意見を求めたら、ロクな結果にならないし、問題を更に悪化させるだけである。

  皇統の危機とは、男系・女系の論争を超えたところにある。皇位を継承する秋篠宮家に深刻な問題があるのだ。そもそも、悪事の常習犯たる秋篠宮殿下が、皇位継承の第一番なんだから恐ろしいじゃないか! サイコパスとまでは呼ばないけど、いかがわしい裏の顔を持つ人物だ。単なるアル中のオヤジじゃない。ロイヤル・パワーで不正をしても、それを不正と思わぬ唐変木ときている。

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  以前のブログ記事でも述べたけど、悠仁親王の進学は、誰が見ても非常に“胡散臭い”手口だった。筑波大附属高校への「推薦入学」だって問題視されたのに、大学進学まで“裏口”とは呆れてしまうじゃないか。東京大学への“ズル入学”なんかは言語道断。もし、紀子妃が暴走して「東大一直線」を強行したら、世間の受験生や一般国民が大騒ぎとなるだろう。これだけでも厄介なのに、悠仁殿下の「海外留学」まで計画しているんだからね秋篠宮夫婦は異常だ。これだと保守派国民だって激昂するぞ! トルコ訪問を前にして、秋篠宮夫婦は記者会見を行ったが、この席で秋篠宮殿下は、次のように語っていた。

  本人が大学生になったら学びたいと言っている、自然誌の分野なわけですけれども、もし、自然誌の分野をさらに深めようと思う時、私の経験からでも言えることではありますけれども、歐米は資料をものすごく、日本と比べものにならないくらい持っています。私自身も若い頃に、資料をいろいろ調べるときに、とにかく見たいものがすぐ出て来るというような、日本では考えられないような経験をしました。(江森 敬治、「悠仁さまの進学先は『初めから東大ありきではない』『海外も視野に』…秋篠宮さま(59)異例の“留学発言”の意味は」週刊文春、2024年11月30日)

秋篠宮 72943
  秋篠宮殿下は「最初から東大を目指すわけではない」との牽制発言を口にしていたが、何年も前から「進学計画」は練られていたんじゃないのか? 食指を伸ばしたのが東京大学や京都大学、あるいは筑波大学であれ、受け容れ側の大学は大歓迎だ。もし、皇族を迎えることが出来れば、国からの研究費や補助金が増額されるし、皇室との太いパイプを築くことができる。大学の経営者はテーブルの上で理想論を語るが、その下で現金を手にする銭ゲバだ。

  昔、明治大学の「替え玉受験」で、藝人の「なべおさみ(本名/渡辺修三)」は息子のために18万円をブローカー(明大のOBを名乗る謎のる紳士)に渡したが、新入生(なべやかん)と受験生の顔写真が違っていたからバレてしまった。だいたい、見知らぬ男から「推薦枠があるから入れる」という話を信じるなんて馬鹿げている。18万円なんて安すぎるだろう。もしかすると、この仲介者は裏社会の人間だったから、渡辺氏は本当の料金を言えなかったのかも知れない。よく、麻薬所持で逮捕された藝人がゲロしないけど、それは出所後の報復を恐れているからだ。渡辺氏の件は“藝人割引”という事も考えられるが、その場合でも、後で何らかの“見返り”を要求されるから、裏口入学は割に合わない。

  でも、皇位継承者を擁する秋篠宮家だと、三菱家のような財界の有力者が「寄附金」という形で賄賂を渡すから大丈夫。しかも、国家(宮内庁や外務省、文科省、国税庁、警察庁)をバックにしているから山口組よりも強力だ。さらに、正田家や安西家の人脈もあるから、秋篠宮家は裏金や小細工に困ったら、おじさんの“ケツ持ち”に頼めばよい。(たぶん、須田慎一郎のような顔をした「オジキ」じゃなく、近衛文麿みたいな冷血漢の「オジさん」だよ。)

  一方、東大に潜り込んだ支那人学生も、悠仁殿下の裏口入学に大喜びだ。もし、サークル活動やグループ研究で、この“ボンボン”をたらし込めば“北京の犬”にすることも可能となる。また、美形の女子学生(支那人留学生)、あるいは他校に通う帰化支那人を使って「ハニー・トラップ」を仕掛ければ、軍隊を用いずに東夷(日本人)を支配できる。まともな日系学生は悠仁殿下を相手にしないから、近づいてくるのは野心家の成金女性か、日本人のフリをした帰化鮮人の娘、あるいは北京の女工作員か日支混血児のスケ番くらいだ。温室育ちの親王なんかは、小学生よりもチョロいから、ちょっと甘い言葉で誘えば、直ぐベッドに引きずり込むことが出来る。秋篠宮家は“プライヴェート”を優先するから、惚れた女がデートに誘えば“目障り”なSPを遠ざけるし、公調から警告を受けても無視だろう。週刊誌のカメラマンがスクープを狙っていても、下半身の性慾を抑えられないのが秋篠宮家の特徴だ。

  チャンネル桜の水島総社長や高清水有子、動物行動学とやらを専攻する竹内久美子らは、矢鱈と秋篠宮家を擁護するが、正常な国民が秋篠宮殿下に接触すれば、生理的に嫌ってしまうだろう。何しろ、秋篠宮殿下の話を聞いただけでも気分が悪くなる。最近、殿下は記者会見に臨まれたが、そこでの質疑応答は眉を顰めたくなるほど酷かった。特に腹立たしいのは、所謂「バッシング」に対する意見で、殿下は自分ではなく国民の方に“非”があると考えていた。殿下曰く、

  当事者的に見るとバッシング情報というよりも、いじめ的情報と感じるのではないかと思います。つまり、不特定多数からそういうものが寄せられているという情報ですね。(「秋篠宮さま 59歳の誕生日」NHK、2024年11月30日)

  もちろん、インターネットでは“罵倒”や“イチャモン”の類いが飛び交っているが、中には真剣な反論や批判だってあるだろう。誕生日に開かれる記者会見だって、毎回毎回、質問と答えが予め決められた八百長コントだ。不都合な事は隠蔽し、宣伝したいことだけをリハーサル通りに繰り返す。秋篠宮夫婦は今度トルコを訪問するというが、トルコ側は格下皇族を迎えて嬉しいのか? 接待役のトルコ人は、低能カップルの相手をする破目になるから、心の底で愚痴をこぼすだろう。まぁ、秋篠宮夫婦は“いつも”のように「通訳を介さず英語で会話」するんだろうが、トルコ共和国は英語圏じゃないぞ。ただ、中学生英語ならトルコ人にも理解できるから、秋篠宮夫婦は言葉が通じたことでハッピーだろう。

三笠宮と同じ秋篠宮の「海外遊学」

  皇族の「海外留学」には“いかがわしい”ものが多い。秋篠宮殿下のオックスフォード大学への留学や眞子内親王のレスター大学留学などは、大金を使った“娯楽旅行”に過ぎない。一緒に英国へ渡航する警護官の費用だけでも“幾ら”になるのか分からないし、たとえ国民が質問しても宮内庁は決して明らかにしないだろう。もし、3交代制で24時間の警護となれば、SPと家族の住宅費や生活費、保険料、特別手当などで相当な金額となるはずだ。単なる聴講生なのに、わざわざ日本人のSPを附けての留学なんて馬鹿げている。しかも、現地の警察や外務当局に“便宜”を頼む訳だから、どれほどの負担になることか! 留学の総費用を正直に公表しないのは、国民の怒りを買ってしまうからだろう。

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 秋篠宮殿下の「モデル」というのは、おそらく三笠宮家の寛仁親王だろう。「髭の殿下」というニックネームで呼ばれていた寛仁親王も、難なくオックスフォード大学に留学したが、その実態は観光や娯楽、スポーツなどをふんだんに盛り込んだ“遊学”であった。

  寛仁親王は1968年4月22日にオックスフォード大学に渡り、約二年半、モドレン・カレッジ(Magdalen College)で勉強したという。だが、留学の“メイン”は飲酒や観光、パーティー、社会見学などで、肝心の学問は二の次だった。大学のボート部に入ることができたのも「日本からの皇族」という身分があったからで、「実力」で入部できた訳じゃない。本人は「ファースト・エイト(8人乗りボートの第一クルー)」の「バウ(bow / 漕手)」になれたと言って自慢したが、誰かの“口利き”で任命されたんじゃないか? だいたい、二学期を過ごしたくらいでボートレースに出場できるなんて怪しい。

  第一、「留学」とはいっても、実際は「語学コース」からの出発で、10月から始まる一学期目は、「ゴドマー・ハウス」という語学学校に通ったそうだ。(三笠宮寛仁『皇族のひとりごと』二見書房、昭和52年p.119.) 寛仁殿下はここで正味四ヶ月間、“英語のみ”を勉強したというが、どの程度の英語力がついたのか疑問である。一応、授業は午前10時から12時半まで。昼食を挟んで午後の授業が再開され、2時半から5時まで勉強したというが、午前の文法クラスと午後の作文クラスを受けて、どれくらい上達したのか判らない。(三笠宮寛仁『トモさんのえげれす留学』文藝春秋、昭和46年p.34.)

  そもそも、世界ランキングでトップに君臨するオックスフォード大学に、あの寛仁殿下が入学できたという事自体が怪しい。学習院大学時代にも勉強していなかった殿下が、難関校のオックスフォードに「合格」したなんて奇蹟としか言い様がないし、イギリス人学生と専門用語で議論できたとも思えない。留学経験のある一般国民なら、「どうせ“コネ入学”だろう!」と馬鹿にしたくなる。小説家の遠藤周作と対談した時、殿下は自身の“英語力”を語っていた。遠藤氏が「英語のほうは当時いかがでした?」と質問すると、殿下は次のように答えていた。

  ぜーんぜん。イギリスに行ったときに何にも役に立たなかったですから(笑)。・・・「ハウ・ドゥ・ユ・ドゥー」と「サンキュー・ベリ-・マッチ」しかわからなかったなあ(笑)。(「諸国漫遊と友だち付合い」、三笠宮寛仁『トモさんの対談・座談・雑談』講談社、昭和53年、p.14.)
 
  当時、寛仁殿下は珍しく真面目に勉強したそうで、予習や復習もやったそうだ。語学学校の授業では、「ウィーラー」という教師が小説を読み聞かせ、その後に生徒が同じ箇所を読んだらしい。そして学生が読む度に、教師が発音の間違いを正し、重要な単語を抜き出して説明したそうだ。(『トモさんのえげれす留学』p.42.) 与えられた英文をしっかりと理解するためなのか、朗読が終わると、各学生が読んだ部分を母国語に訳し、ノートに書き留めたら、再び英語に戻したそうである。まぁ、インド人やパキ人、アフリカ諸国からの留学生と交じって勉強だったから、初歩的な英文和訳や英会話のレッスン程度なんじゃないか。たぶん、高田馬場にあった「NOVA」や「イーオン」の英語教室と同じレベルなのかも知れない。寛仁殿下自身も語っていたが、「僕の英語は簡単な単語が繰り返しでてきて、文を作っていき、そのなかにきわめて多くの感嘆詞や形容詞がはさまって」いたそうだ。(『トモさんのえげれす留学』p.183.) もしかすると、ちょっとマシな「ルー大柴英語」だったりして。

寛仁& アネット
( 左 / 留学中、パーティーを楽しむ寛仁殿下)
  寛仁殿下の「留学」は贅沢なもので、ゴドマー・ハウスで二ヶ月半通学したら、今度はケムブリッジ大学に渡って夏期講座(1968年の7月から8月)の受講生になったそうだ。トリニティー・カレッジの宿に泊まっていた殿下は、英国の政治史や教育史などの授業を聴講したが、非常に難しかったので「三分の一」程度しか理解できなかったという。(『トモさんのえげれす留学』p.57) でも、この「三分の一」すら怪しく、「全然解らなかった」というのが真相なんじゃないか? 殿下はが学習院大学時代に英国の歴史や社会をどの程度学んだのか判らないが、黒柳徹子と対談した時、殿下は学習院時代を振り返り、成績が「メチャクチャ悪かった。というより、勉強しなかったんだね」と答えていた。(「深夜のDJから巨人軍まで」『トモさんの対談・座談・雑談』p.114)

  オックスフォードに戻った寛仁殿下は、「一人の教授対一人の学生」というチュートリアル(Tutorial)形式の授業を受け、教授が指定した本を7、8冊読み、精読した本について論文(用紙5枚から8枚程度)を書いたという。(『トモさんのえげれす留学』p.99)だが、どのような“質”の論文だったのか判らない。初歩的な英語しか解らぬ殿下に、イギリス人を感心させるような学術論文なんて無理だろう。おそらく、高校生が書くような拙い“随筆”程度の代物なんじゃないか。殿下は毎日毎日チュートリアルの日が近づくと、早く論文を「やらねば」と思っていたが、つい他の事をしてしまって、二日前になって慌てて書いていたという。(『皇族のひとりごと』p.122) となれば、どんな“レベル”の論文だったかは想像がつく。

 一学期から三学期まで授業は24週あったから、殿下が1年で書く論文は合計24本だった。殿下も時間が足りなくなって、教師に“お許し”をもらい大目にみてもらったそうだから、相当苦労したのだろう。殿下がしごかれた授業では、教授の前で論文を朗読し、その後に教授から幾つか質問を受けたというが、ちゃんと答えられたのか、何となく怪しい。知っている単語を組み合わせただけの、所謂「ジャングリッシュ」の英文を喋っていたのかも知れないぞ。

  殿下は独自の英語習得論を持っていたそうで、通訳が喋る英語じゃなく、「もっと人間味のある会話」が重要であるという。(『トモさんのえげれす留学』p.236.)また、「僕は昔から、言葉を目でおぼえるのではなく、耳から入れて覚える人間」であったそうだから、学術論文を精読し、論理的な論文を書く、といった勉強じゃないのかも。“優秀”な学生であった殿下は、二年の間に英語が上達したそうで、「お前、日本人のくせにオックスフォード・アクセントでしゃべっているじゃないか」とイギリス人から評される程になっていたという。(上掲書、p.236)えぇぇ~、本当かなぁ~?

  寛仁殿下はモードレン・カレッジの関係者の勧めで、政治や哲学、経済の講義を受けたというが、とても歯が立たないので断念したそうだ。そりゃそうだろう。で、困った殿下はカレッジの学長やディーンに相談した。すると、親切な先生達は、大学に日本語学科があるから、英国人の学者をチューターにして日本史を勉強したらどうか、との助言を与えたそうだ。(『トモさんのえげれす留学』p.102) 他に選択肢が無い殿下は、「わざわざ英国まできて日本史とは」と嘆いたが、よく知っている日本の事を学ぶ訳だから、多少、英語が苦手でも授業について行けるはず。一般国民が聞けば「えっ、バカみたい! 留学の意味が無いじゃん!」と嗤ってしまうが、皇族の留学なんてこんなモンだ。

  英語が苦手な殿下は、「かねがね関心を持っていた英国の憲法」を学ぶべく、高名な法学者のもとでチュートリアルを受けたというが、しばらくすると教授から、「もうこれ以上やると専門的になり難しくなるから」と言われてしまい、殿下はこの「微妙なアドヴァイス」に従って諦めたそうである。(『トモさんのえげれす留学』p.103) つまり、誰でも判る入門程度の「憲法史」ならいいけど、「大学レベルの法学は君には無理だよ!」という訳だ。殿下は英国史の授業も取ったそうだが、これも惨敗だった。

  寛仁殿下は最終的な試験を受ければディプロマコースの卒業証書を取れたが、何度もチュートリアルを変えたので試験を受けることが出来なかった、と述べていた。要するに、「卒業証書の取得は無理だ! しようがないから諦めよう! 」ということだ。殿下曰く、

 「オックスフォードに二年間在学した。そこで勉強もし、オックスフォードの良さを吸収したことに価値があった」と判断し、両親の許可もえて、証書は受け取ってこなかった。(『トモさんのえげれす留学』p.105)

  寛仁殿下は開き直って卒業証書を「受け取ってこなかった」と豪語するが、本当は卒業するだけの“学力”が不足していたからだろう。何しろ、授業について行けず、“聴講生”と同じレベルだったから“卒業生”になれなくても当然だ。いくら「日本の貴族(皇族)」とはいえ、大学生の実力も無い外国人に卒業証書を渡すわけには行くまい。イギリス人は露骨に「落第」と言えないから、「期限切れ」を理由にして追い出したか、鄭重に諭して帰国させたか、のどちらかだろう。


皇族の世話をする英国の有力者

寛仁 ボート(左 / ボート部所属の寛仁殿下)
 寛仁殿下の“遊学”で特筆すべきは、殿下を現地で迎えたホスト・ファミリーの正体である。支配民族たるイギリス人は、西歐に憧れる有色人種を操るのが実に上手い。アフリカやアジアの旧植民地からやって来る女学生とか、酋長や豪族のバカ息子が続々とやって来る。外政官のようなイギリス紳士は、彼らを鄭重にもてなし、適当な学位を与えて褒めそやす。なぜなら、こうした留学生は、帰国すれば現地の政治家になったり、財界や官庁の重要人物になったりするからだ。

  日本の皇族も同じ部類で、たとえ中学生並みの英語力でもオックスフォード大学やケムブリッジ大学に入れてやるし、様々なパーティーを開いてアホを持ち上げたりする。古代ローマ人がゲルマニアとガリアの蛮族を懐柔したように、イギリス人も自惚れの強い寛仁殿下を笑顔で“歓迎”し、英国文化をご説明しながら“ジェントルマン”として遇していた。ちょっと賢い日本人が見れば、恥ずかしくなるような光景だが、甘やかされた皇族には何のことなのか解らない。

  とにかく、外国への留学は結構大変だ。語学力の乏しい青二才なら当然だけど、皇族の海外留学となれば、必ず“有力な支援者”が出てくる。寛仁殿下を手助けしたのは、駐英日本大使の島重信みたいな外務省の役人だけじゃなく、御嬢様の麻生和子とジョン・ケズウィック卿(Sir John Henry Keswick)、そしてウェストモーランド卿も協力者になっていた。

  よく知られているように、麻生和子は吉田茂の娘で、麻生太賀吉(たかきち)の夫人である。そして、このパワー・カップルのもとに生まれたのが麻生太郎だ。(太賀吉の父親も「麻生太郎」という名前だったから、本当に紛らわしい。) 麻生元総理の妹である信子さんは、昭和55年に寛仁親王と結婚し、彬子女王と瑤子女王を産んでいる。信子さんは寛仁殿下からの猛烈な求婚を受けてプリンセスとなったが、まさか後にアル中の亭主から暴力を受ける破目になるとは思ってもみなかったであろう。心労とショックで入院する事態になったくらいだから、相当なストレスが溜まっていたはずだ。遊び人の駄目亭主は、ナイト・クラブの酌婦に入れ込んだり、藝者の部屋に転がり込むといった有様だから、麻生家のお嬢さんとしては“誤算”というより“災難”だ。美人だった信子妃は、もっとマシな男性と結婚できたはずなのに。神様は何らかの試練を与えたのだろう。

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(左 : 孫達に囲まれた吉田茂 / 右 : 新婚当時の寛仁殿下と信子妃)

  話を戻す。駐英大使を務めた吉田茂は、ブロークンで下手糞な英語しか喋れなかったが、和子の方は五歳の頃からブリテン風の英語に馴染んでいた才女だ。(森繁久弥の「吉田茂」は虚構で、立派な宰相を宣伝するためのゴマすり映画である。) 「英国通」を嘯(うそぶ)いていたオヤジとは大違い。英語が得意な和子は、ローマ聖心女子学院を経てロンドン大学に留学できた。18歳の時、彼女は両親に伴われ、国王ジョージ6世に謁見し、これが英国社交界での初デビューとなったらしい。

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(左 : 吉田茂 / 麻生和子 / 信子妃 / 右 : 寛仁殿下 )

Princess Masako 643Princess Kiko 732 また、和子さんは朝日新聞が主催した美人投票で第二位となったから、社交界の華になっても不思議じゃない。となれば、娘の信子が母の美貌を受け継いでいても納得できる。婚約した頃の信子妃は綺麗だったから、寛仁殿下が惚れたのも当然だが、嫁いだ信子妃の方は貧乏籤を引いたようなものだ。遊び人の暴力亭主なんて冗談じゃない。ついでに言うと、信子妃は正直者なのか、雅子妃に会うと笑顔になるが、紀子妃に近づくと急に冷淡になる。たぶん、信子妃は川嶋紀子の本質を察知したのだろう。あの“キツネ笑顔”はある意味恐ろしい。

  寛仁親王の話によれば、英国通で秩父宮殿下とも知り合いだった麻生和子が、殿下の留学に関して人一倍骨を折ってくれたそうだ。麻生家はケズウィック家とたいへん親しく、和子さんの長女である雪子さんが英国に滞在した時、彼女は二年間ケズウッィク家に滞在し、この親日一家と生活していたという。(麻生家は歌舞伎役者みたいで、祖先と同じ名前を受け継いでいる。) 吉田茂に嫁いだのは牧野雪子で、大久保利通の息子である牧野伸顕伯爵の娘だった。この雪子夫人が熱心なカトリック信徒であったから、吉田首相も死後に洗礼を受け、聖マリア大聖堂で葬儀が行われたのである。孫の麻生首相もカトリック信徒。意外と知られていないが、財界の有力者でカトリック信徒は意外と多い。ちょっとビックリするけど、たぶん、上流階級の子供が名門のミッション・スクールに通ったりするからだろう。

  この雪子さんは後に相馬和胤と結婚して「相馬雪子」になっている。吉田茂は白洲次郎とタッグを組んでいたので、娘の和子さんが麻生家に嫁いだ時、白洲夫妻が媒酌人を務めたそうだ。また、英語が達者で吉田首相の娘であったから、和子さんは駐日アメリカ大使であったジョセフ・グルー(Joseph Clark Grew)とも親しく、グルー大使の娘であるリラ・カボット・グルー(Lilla Cabot Grew)の親友でもあった。財閥の御曹司や外交官の御嬢様は西歐人との交流が深く、友人であったり結婚相手だったりする。大久保利賢の娘である百合子は、安田生命の安田一会長の夫人であった。(百合子の母親は高橋是清だったので、彼女はダルマ宰相の孫娘でもあった。) 彼らの息子である安田弘はジャーディン・マセソン商会に就職し、三井財閥の総帥であった池田成彬(いけだ・しげあき)の孫娘である恭子と結婚した。安田会長の娘である安田美和子は、日本の財界でも有名なスイスの金融業者、インターアリアンス銀行の頭取ピーター・フグラー(Peter Huggler)と結婚している。ホント、高級国民の親戚や閨閥は凄い。

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(左 : ジョセフ・グルー / 池田成彬 / 相馬和胤と雪子夫人 / 右 : ピーター・フグラー )

  日本史を勉強した人なら判るけど、ケズウィック家は英国で著名な有力一族だ。サー・ジョンの父親であるヘンリー・ケズウック(Henry Keswick)は、香港上海銀行の会長を務めていたし、父のウィリアムが亡くなると地盤を継いで保守党の政治家になった。ヘンリーの父親であるウィリアム・ケズウック(William Keswick)は、有名な「ジャーディン・マセソン商会(Jardine Matheson & Co.)」に属し、横浜支店を設立した人物だ。ヘンリー・ケズウィックには、デイヴィッド(David)、トニー(Sir William Johnston Keswick)、ジョンの息子がいたが、次男のトニーは横浜生まれである。ヘンリーは香港の拠点に戻ると、そこの「タイパン(Tai-Pan / 大班)」になった。この「タイパン」というのは、外人の最高経営者を意味し、香港や大陸の支那人はイギリス人の大班を目にしていた。

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(左 : ウィリアム・ケズウック / ヘンリー・ケズウック / ジョン・ケズウィック / 右 :「トニー」ことウィリアム・ジョンストン・ケズウィック )

  ちなみに、「007」のジェイムズ・ボンド役を演じたピアース・ブロスナン(Pierce B. Brosnan)は、1988年に「The Noble House」というTVドラマに出演し、香港の貿易会社である「Struan & Company」の「タイパン」役に抜擢されていた。ピアース氏はアイリス系の若手俳優だったが、ドラマの中ではイギリス人のCEO「イアン・ダンロス(Ian Dunross)」を演じ、ブリテン・アクセントの英語を話していた。

  幕末・維新の歴史を学んでいると、「ジャーディン・マセソン商会」の名前がよく目につく。伊藤博文や井上馨たちの留学グループ、所謂「長州ファイブ」がブリテンへ密航しようと謀った時、その計画を手助けしたのが「ジャーデスン・マセソン商会」やトマス・グラバー(Thomas Blake Glover)の「グラバー商会」だった。横浜駐在のウィリアム・ケズウィックは、長州からの「留学生」が英国で円滑に勉強や生活ができるよう、ロンドンのヒュー・マセソン(Hugh Matheson)に頼んだらしい。この有力商人が世話役を引き受けたから、長州藩士の山尾庸三や井上勝(野村弥吉)、遠藤謹助がユニヴァシティー・カレッジ・ロンドンやアンダーソン・カレッジ、ネピア造船所などで西洋の知識を習得することが出来たのである。(政財界の大物や皇族の英国留学・人脈・閨閥に関しては別の機会に述べたい。)

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(左 : トマス・グラバー / ヒュー・マセソン / 井上馨 / 右 : 伊藤博文)

  狡猾なイギリス人は寛仁殿下ばかりじゃなく、これまた劣等生の礼宮文仁(後の秋篠宮)殿下や、その馬鹿娘である眞子内親王と佳子内親王も温かく迎えていた。まぁ、皇室との太いバイプを築くことが出来るので、「寛大な精神」を発揮したんだろう。オックスフォード大学やレスター大学の教授どもは、外人の拙い英語に慣れているから、愚劣な外人貴族の学力に目を瞑り、「素晴らしい皇族」と褒めそやす。イギリス人は犬と馬と外人の調教に長けている。

  オックスフォードの大学院で動物学科の教授を務めていたトマス・ケンプ氏は、日本の取材班から質問を受けた時、秋篠宮殿下を「優秀な学生」と評していたが、「どの点が?」と尋ねたくなる。そもそも、殿下はどんな論文を書き、どれくらいの討論が出来たのか? 眞子内親王の方はエディンバラ大学で美術史を学び、レスター大学の大学院で博物館学を専攻されたというが、修士号を取得できたなんて到底信じられない。第一、眞子内親王は英語の授業をちゃんと理解できたのか? ICU(国際基督教大学)の英語授業でも「全くダメな人」であったのに、ブリテンの大学で学位を取れるなんて奇蹟に等しい。恩師だったシーラ・ワトソン教授に実際の学力を訊いてみたいけど、おそらく「ノー・コメント」だろう。「雄弁は銀、沈黙は金なり(Reden ist Silber, Schweigen ist Gold)」と言うからね。

秋篠宮 オックスフォード大学時代Princess Mako 632Princess Kako 111
(左 : 英国留学中に友人と旅行した文仁殿下 / 中央 : ICU時代の眞子内親王 / 右 : ダンスに夢中だった 佳子内親王)

  佳子内親王も2017年9月から2018年6月までリーズ大学に留学したが、これも“コネ入学”の類いだろう。「パフォーマンス文化産業学科」で舞台芸術を学んだそうだが、いったい何が目的だったのか? たぶん、開放感溢れる豪華な娯楽休暇なんだろう。教育学に興味があるというので学習院に入ったが、希望と違ったので中退し、祖母のコネを使ってICUに潜り込んだ。一応、「AO入試(特別入学選考)」で合格したと言うが、こんなのは美智子妃の差し金だろう。「英語が得意」というキャラクター設定でICUに入ったものの、佳子内親王が選んだ専門は心理学。でも、英国留学では藝術だった。宮内庁のホームページによると、「日本では学ぶ機会の少ない,舞台芸術に関わる分野や,国際基督教大学で専攻していた心理の分野などを含め,幅広く学びました」と。へぇ~、モノは言い様だ。
 
  三笠宮家や秋篠宮家の信奉者は、世間からの“バッシング”を聞くとヒステリーを起こして騒ぎ立てるが、冷静に考えれば当然の反応だろう。外務省や財界人の根回しで名門大学に迎えられ、留学費用の工面すら心配無い、というのが天上界に住む皇族だ。イギリス人の英語が解らなくても講義に参加できるし、論文作成となれば側近か幽霊が原稿を書いてくれる。日本からの貴族となれば現地の有力者がパーティーに招いてくれるし、下手糞な英語でも歐米人は笑顔で対応だ。休日に旅行となれば、親切なホストが案内してくれるし、SPの保護下だから何処に行っても安心である。こんな大名留学が世間にバレたら大変だが、宮内庁がマスコミを抑えているから大丈夫。日本の一般国民は皇族が英国で何をしているのか判らないから、テレビ局や雑誌社が協力すれば何でもOKだ。学歴信仰の日本人は、「優秀な殿下」と評して大喜び。宮内庁の職員は箝口令が敷かれているから、秋篠宮家は嘘が暴露されずにのうのうと過ごしている。素朴に秋篠宮家を信じ切っている国民は本当に憐れだ。

  次回へ続く。
https://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68978542.html
2:777 :

2024/12/04 (Wed) 06:08:13

漢民族系朝鮮人の天皇一族による極悪非道の世界侵略の歴史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14003198

天皇一族の正体
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14037746

【天皇】とは?なぜ偉い?日本に必要なのか?2600年前の誕生秘話から現在の仕事まで
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14150186

天皇の姓は阿毎氏(あまし/あめし/あまうじ/あめうじ)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/232.html

天皇はソウル出身の漢民族
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/233.html

天皇家は伊都国を本拠地として奴隷貿易で稼いでいた漢民族系朝鮮人
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007686

天皇家は2世紀に伊都国から日向・大和・丹後に天孫降臨した
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007799

天皇家は弥生時代後期にソウルから福岡県の伊都国に植民した
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/234.html

天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/104.html

天皇一族の様な一重瞼・奥二重瞼は華北に居た漢民族にしかみられない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/103.html

古代日本の主流氏族の26%が韓国系、天皇制国家支配体制の一軸を成す
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/534.html

飛鳥地方に見られる日本の原風景
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/782.html

平城京から長岡京へ遷都する原因となった「祟り」の正体とは
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/123.html

桓武天皇の失敗と成功―日本列島のアイデンティティー―
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1052.html

神武って何した人?
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/238.html

神武東征 _ 当時世界最大の水銀生産地は奈良で、神武東征も水銀獲得の為だった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007798

邪馬台国は ヤマトノクニ と読むのが正しい
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007801
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/246.html

天皇家は本当に万世一系なのか?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/415.html

「万世一系」の虚妄
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/237.html

皇位継承は兄弟相続するのが古くからの伝統
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/236.html

皇族初夜の儀式「三箇夜餅の儀」 _ 朝鮮半島由来のシルトックという餅を使う儀式
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/313.html

皇族初夜の儀式
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/851.html

皇室に伝わる秘儀
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/851.html


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明治天皇も昭和天皇も天皇家ではなく李氏朝鮮の王族や両班階級の血筋だった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007225

明治天皇も昭和天皇も天皇家の血筋ではなかった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007793

日本の国体と日本人の信仰を完全に破壊した明治維新
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14006730

天皇家は推古朝以降 江戸時代までずっと仏教徒だった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/795.html

現在の天皇一族は全員クリスチャン
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/783.html



明治維新は田布施の 朝鮮人 による日本の乗っ取り
明治天皇も昭和天皇も天皇家ではなく李氏朝鮮の王族や両班階級の血筋だった

故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

熊毛郡田布施町 (00:00:21)
大室寅之佑 (00:03:48)
明治天皇の秘密 (00:03:55)
大正天皇には、子種がない(00:18:39)
西園寺八郎 (00:19:26)
昭和天皇の秘密 (00:21:34)
昭和天皇の父親は、西園寺八郎 (00:22:01)



【田布施システム】朝鮮系に乗っ取られた日本の裏歴史! 歴代首相を生み出す謎の村「田布施」を専門家が徹底解説!
https://tocana.jp/2019/12/post_130392_entry.html
https://tocana.jp/2020/09/post_171763_entry.html

日本の有名政治家の出自が集中する「田布施」_ 戦後の総理大臣の75%が世襲政治家
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14071870

天皇一族は バイシュン業者
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14023528

人間の屑 福沢諭吉のした事
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14023531

人身売買大国 日本
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14110131

こんな女に誰がした_1 (天皇陛下を恨んでね)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/332.html

君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html

昭和天皇が戦争狂になった訳
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html

原爆投下が日本を救った_ ユダヤ人とトルーマンと昭和天皇に感謝
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html

ジェームズ斉藤 : 日本のゴールド「天皇の金塊」
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14006705

日本のゴールド「天皇の金塊」をジェームズ斉藤が徹底解説! 知られざる日本の財宝、驚愕の金額…米デフォルトと関連
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/392.html

明治維新以降、日本はイギリスやアメリカの手先として 動いてきた。
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ウォール街と戦った共産主義者 ルーズベルト大統領
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14067898

戦前の日本陸軍軍人は共産主義者ばかりだった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14016765

太平洋戦争は共産革命を恐れた昭和天皇が英米支配層と組んで起こした八百長戦争だった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14016737

神風特攻は太平洋戦争が八百長だと見破られない為に昭和天皇が命令してやらせた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/564.html

故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

明治維新と太平洋戦争の真相
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/390.html

昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=NQhVOTS0j7A

昭和天皇の戦争犯罪問題が再燃すると困るから天皇一族は靖国神社に参拝できなくなった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/128.html

【昭和天皇】太平洋戦争との関わりは?意外なエピソード?その功績と罪を紐解く
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14150098

ジェームズ斉藤 : GHQ は帝政ロシアやソ連からアメリカへ亡命した極左ユダヤ人だった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14014859

戦後日本のバブル崩壊以前の一億総中流社会は共産主義者ばかりの GHQ が意図的に作ったものだった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/830.html

ウォール街やシティと戦った共産主義者のフランクリン・ルーズベルト
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1037.html

GHQに君臨した"マッカーサー"の愚将ぶり
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/748.html

アメリカ軍は日本国内のクーデターや共産革命を鎮圧する為に日本に駐留している
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14016725

昭和天皇を震え上がらせた共産主義の恐怖とは
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/754.html

関東軍の中枢は共産主義者の巣窟であった。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1055.html

2・26事件は共産主義者の青年将校が起こしたクーデターだった
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/222.html

鈴木貞美『満洲国 交錯するナショナリズム』
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14104501

みんな大好きな 白洲次郎さんの正体
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14103660

ヨハンセンと呼ばれた男 戦後最大の裏切り者 吉田茂と白洲次郎
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1049.html

みんなが騙された悪質なデマ _ 「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/747.html

鬼塚英昭 日本の真相 天皇のための戦争・天皇は内通していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/761.html

ディビット・バーガミニ _ 天皇の陰謀 天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/760.html

大東亜共栄圏というのは中国・東南アジアで麻薬を売ってぼろ儲けする体制の事だった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14006701

日本が朝鮮併合したのも満州や中国を植民地化したのも食料を増産するためだった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14006703

満州国の軍隊とはなんだったのか
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飢餓輸出 _ 日本占領下、ベトナムで200万人が餓死
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14006700

英米金融資本のエージェントだった戦前の日本は英米の利権を守る為に朝鮮を併合した
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林千勝
近衛上奏文を読めば、隠したかった「構造」が見えてくる [これが本当の近現代史#100]
2023/06/03
https://www.youtube.com/watch?v=B_VqXCuV7oc

戦前・戦中・戦後 全てに仕掛け有り [これが本当の近現代史#103]
2023/06/23
https://www.youtube.com/watch?v=1PHUTOQ_TOM

従軍慰安婦・徴用工強制連行、南京大虐殺は事実なのか?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14106485


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昭和天皇と秩父宮・高松宮・三笠宮
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16836182

美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html

天皇一族は全員クリスチャン
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/783.html

美智子さまの正体
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/586.html

美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html

知恵遅れの皇太子の嫁にされた上に、皇族全員から陰湿な苛めに遭った美智子妃殿下は復讐の鬼と化した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/118.html

宮中『魔女追放事件』 _ 入江侍従長の祭祀簡略化工作と戦い敗れた女官
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/618.html

今上天皇の父親が朝日新聞記者だった佐伯晋だというのは本当なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/643.html

秋篠宮文仁  僕の父親は一体誰なんでしょう? 皆さんも一緒に探してください
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007930
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/109.html

天皇家では何時から知恵遅れや発達障害の子供しか生まれなくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/110.html


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エリート洗脳システムとしての 留学制度
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ネオコンが留学生を洗脳してアメリカ金融資本のエージェントにする手口
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米有名大学は金で学歴を「販売」 名門大学生の半分がコネと金入学
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/934.html

ハニートラップ関係投稿集
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14051509
3:777 :

2024/12/06 (Fri) 13:59:42

2024年12月05日
皇族の留学は娯楽旅行 / 薄くなる皇室の闇 Part 2
https://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68978544.html

皇族の軍事訓練は「お遊び」

秋篠宮 タイでの英語スピーチ 002Prince Hisahito 3208


  明治維新を経ると、日本は「近代化」という名の「西歐化」に邁進することになった。後進国だった日本からは、視察や勉強の目的で歐米諸国へ渡航する者が続出。幕末の志士や元幕臣のみならず、皇族にも留学生が出現していたのは、皆様ご存じの通り。西歐への留学生は、榎本武揚(えのもと・たけあき)や西周(にし・あまね)、陸奥宗光と息子の廣吉(ひろきち)、德川慶喜(とくがわ・けいき)の異母弟で島原藩主だった松平忠和(まつだいら・ただかず)、黒羽藩主の大関増勤(おおぜき・ますとし)、軍医の森鷗外、英語教師の夏目漱石ばかりじゃない。

  若い皇族も「寺で拘束されるなんて嫌!」ということで、彼らは希望と夢を抱いて海外を目指していた。例えば、「仁和寺宮」と呼ばれた小松宮彰仁(あきひと)だ。この還俗(げんぞく)王子は元々仁和寺門跡だった。しかし、王政復古の大号令が下されると、「ここぞ!」とばかりに意気込み、天皇陛下宛に海外留学の願書を提出したそうだ。彰仁親王は鳥羽伏見の戦いの時、21歳で新政府の軍事総裁に抜擢され、德川慶喜討伐の大将軍に就任するといった経歴を持つ。それゆえ、さらなる“軍事修行”を積みたいということで、海外留学を熱望したという。この願いは明治3年に受理され、彰仁親王はイングランドに向かうことになった。
         <明治になって西洋へ留学した皇族たち>
   皇族          留学先        滞在期間
  華頂宮博経       アメリカ        明治3年10月~明治6年8月
  小松宮彰仁       ブリテン        明治3年10月~明治5年10月
  北白川宮能久      プロイセン 明治3年12月~明治10年7月
  有栖川宮威仁      ブリテン 明治14年1月~明治16年6月
  東伏見宮依仁      ブリテン 明治16年?月~明治24年7月
  閑院宮載仁       フランス 明治17年4月~明治25年2月
  山階宮菊麿       ドイツ 明治22年11月~明治27年11月
  伏見宮博恭       ドイツ  明治23年9月~明治28年10月

  現在でも歐米諸国への留学となれば相当な費用がかかるが、明治の頃に留学した皇族の費用は幾らだったのか。当時、一般の官費留学生には年間1,000ドル、華族の留学生には1,400ドルが支給されていたという。(浅見雅男『伏見宮 : もうひとつの天皇家』講談社、2012年、p.198) 皇族の留学費用に関しての明確な資料は無いが、こうした金額を考慮すると、華頂宮博経(ひろつね)や小松宮彰仁、北白川宮能久(よしひさ)に対してだけで年間15,000ドルが支給されたことになる。明治3年12月末にフランスへ向かった西園寺公望に対しては、1,400ドルとは別に渡航費用として750ドルが支給されていた。現在の貨幣価値に換算するのは難しいけど、膨大な費用であったことには間違いない。何しろ、皇族や華族の青年が海外留学となれば、随行員が数名派遣されることになる。本人だけじゃなく、附き添いの費用も計算に入れねばならぬから大変だ。(当時の為替レートは1ドル=1円。計算方法で様々だが、当時の1円は現在の約2万円と言われている。)

有栖川宮威仁東伏見宮依仁 111山階宮菊麿閑院宮載仁
(左 : 有栖川宮威仁 / 東伏見宮依仁 / 山階宮菊麿  / 右 : 閑院宮載仁 )

   昭和や平成時代でも留学は高くついたが、明治期の皇族留学となれば滞在費用は嵩むばかり。下級武士や庶民の留学生なら働きながらの貧乏滞在でもいい。だが、皇族の留学生となれば別だ。貴族の対面を保つためにも、それ相応の立派な生活にしなければならない。白洲次郎のように豪商の息子ならいいけど、当時の政府と皇室の懐は豊かではなかった。海外に直営の植民地を持ったり、油田や金山の利権を所有していれば気前よくなれるが、維新後の皇室はまだ独自の財源が無かった。これでは留学費用の大盤振る舞いなんで出来ない。(御料地の鉱山は、明治20年代くらいから皇室財産に編入されていった。)

小松宮彰仁(左 / 小松宮彰仁 )
  彰仁親王は有馬家の娘頼子(よりこ)を娶っていたからラッキーだった。頼子妃の実家は有馬家で、旧久留米藩のお殿様の家系だ。旧幕府時代には21万石の大藩主であったから、婿殿が必要とする金額の一部を負担するくらい何でもない。西歐でも貧乏貴族が裕福な商人の娘を嫁にして、実家から大金を引き出す例があるじゃないか。でも、有馬家からするとちょっと不満である。親戚の有馬頼義(よりちか)によると、「(有馬家でも)小松宮へ妃殿下をさし上げたため相当多くの費用を使ったことは事実で、妃殿下のお里で面倒を見なければ、宮殿下の御洋行の費用など、出所がなかった」そうだ。(有馬頼義『母 その悲しみの生涯』文藝春秋、昭和42年、p.24.)

  パトロンを獲得した彰仁と違い、まだ結婚もしていなかった能久親王は、有力な後継者を持っていなかった。そこで、彼は明治天皇に泣きつき、留学費用を千円増やしてもらった。(上掲書、p.200.)それでも、ドイツに渡った能久親王の留学費用は増える一方。明治8年頃には2万円に達していたという。ところが運悪く、台湾出兵の戦費が嵩んでしまい、天皇陛下や宮内省の財布で賄うことも困難に。となれば明治天皇も容認できなくなり、能久親王に帰国するよう命じたそうだ。

北白川宮能久(左 / 北白川宮能久)
  しかし、能久親王はこれを拒否。私費に切り替えてもいいから留学を延長させてれ、と懇願する始末。それでも、明治天皇は承知せず、再び帰国せよと命じていた。すると、能久親王は断念するどころか、岩倉具視や徳大寺実則(とくだいじ・さねつね)に縋りつき、ドイツ娘と婚約したから、もう二、三年くらい滞在が必要だ、と言い出す。さらに、岩倉や徳大寺に甘えているのか、陛下に許してもらうよう斡旋してくれ、と頼んできたのだ。泣きつかれた徳大寺と岩倉は愕然とする。しかも、外国人女性と結婚したいとは何事か、と逆に憤慨したという。

  三条実美と岩倉は、直ちに帰国するよう電報を打ち、天皇陛下と宮内卿の徳大寺も重ねて帰国命令を発したそうだ。ここまでくると能久親王でも従うしかない。彼は明治10年7月に“やっと”帰国するが、そこには天皇の激怒を伝える岩倉が待ち構えていた。恐れおののいた能久親王は、明治天皇に平身低頭したが、陛下は彼を赦さなかった。結局、殿下は京都にある梨本宮邸で謹慎蟄居を命じられ、死ぬまでドイツに戻れなかった。眞子内親王のケースとは大違い。いかがわしい小室圭との結婚やNYでの豪華な生活、ロー・スクールへの不正入学、外交機密費の流用など、目に余る逸脱行為を許した秋篠宮殿下と皇太后陛下の罪は重い。両者は明治帝を見習え。

  皇族の西歐留学は本当に怪しく、ヨーロッパの軍事教育といっても、実際はスポーツ遊学みたいなものだった。有栖川宮威仁(たけひと)や閑院宮載仁(ことひと)、東伏見宮依仁(よりひと)、山階宮菊麿(きくまろ)もドイツやフランスの士官学校に留学したが、そんなのは馬鹿息子の道楽と同じだ。皇族のお坊ちゃま達は、川上操六や秋山好古のようなプロの軍人になれるのか? 単に海外で“羽を伸ばす”ための娯楽旅行だろう。ドイツの軍学校が山階宮菊麿や伏見宮博恭を受け容れたのは、日本との太いパイプを築くためだった。ブリテンやフランスと比べて日本と縁が薄かった新興国のドイツは、皇族の入学を許すことで日本との関係を強める魂胆があったという。

  そもそも、ドイツの軍学校は外国人の入校を認めていなかった。しかし、今回の措置は例外とし、日本のカイゼル(天皇)に対するドイツ側の友情を示すものだった。つまり、ドイツ皇帝から明治天皇への“好意”という訳だ。駐日ドイツ公使は外務大臣の大隈重信に書簡を送っていたので、日本側も充分その旨を解っていたはず。

  となれば、ドイツに留学した皇族のボンクラどもが、“特別配慮”を受けていたのは当然で、ドイツ人の教官が“手心”を加えたことくらい容易に想像がつく。ところが、現地の皇族達は違う。自惚れているのか、身の程知らずなのか、己の実力も弁えずに若武者気分だ。彼らの伝記などでは、必ずと言っていいほど、「一般の生徒と同じ訓練を受けた」という記述があるらしい。(上掲書、p.204) 確かに、軍事訓練の全面的な免除は無かったが、この坊ちゃま達には“お目付役”のような“警護官”の軍人が附いていた。軍服も日本のものを着用していたというから、明らかに特別待遇を受けていた。敗戦前の帝国陸海軍には、“宮様”の陸軍元帥とか海軍中将、陸軍少将とか海軍大佐、陸軍の参謀総長、海軍の軍令部長とかがいたけど、こんなのは“お飾り”に過ぎない。実権は部下の“プロ軍人”が持っていた。

  そもそも、皇族の若様なんて虚弱体質のお公家さんと同じだ。強靱な肉体を求められる軍人なんて端っから無理。幼少の頃から示現流の猛稽古を積んでいる薩摩隼人なら別だけど、温室育ちの坊々(ボンボン)じゃ、筋肉トレーニングの段階で脱落だ。20kgか30kgの装備品を背負って20kmの行軍となれば、皇族の青瓢箪は途中で脱落するか、ゲロを吐いて失神するかのどちらかだろう。だいたい、日本の皇族がゲルマン人の伍長や軍曹と張り合えるのか? 只でさえ体格やスタミナの面で劣っているのに、恐怖を伴う白兵戦なんて論外。騎兵戦の訓練でもお手上げだ。冬のケーニヒスベルクやポンメルンなんかは物凄く寒いから、山林での軍事訓練なんかは耐えられまい。

華頂宮博経(左 / 華頂宮博経)
  学習院の院長になった乃木希典大将は、「皇族は軍人になるべし」と勧めていたが、皇族の少年に軍人の道は厳しすぎる。だいたい、国内の軍学校でさえ“無試験”で入っていたんだから、ヨーロッパの軍学校へ留学するなんて無謀すぎる。華頂宮博経(ひろつね)親王は、米国のアナポリスにある海軍兵学校へ留学したが、訓練中に負傷してしまった。その後、厳しい訓練が祟ったせいか、親王殿下は肺を患ってしまい、志半ばで脱落だ。明治6年には帰国する結末になった。日本に戻ってきた博経親王は、南部郁子と結婚し、息子の博厚をもうけている。明治9年に彼は海軍少将になるが、同年5月に薨去。享年25という若さだった。

山岡鉄舟谷干城副島種臣佐藤正
(左 : 山岡鉄舟 / 谷干城 / 副島種臣 / 右 : 佐藤正)

  明治天皇や維新の元勲らが皇族の留学生に厳しかったのは当然だ。武士の家に生まれた重臣達は、軍事訓練の辛さを弁えているから、歯の浮くようなお世辞は言わないし、皇族への忖度なども無い。明治天皇の周りには、山岡鉄舟や西郷隆盛、板垣退助、副島種臣、谷干城など、豪快な重臣がずらりと並んでいた。鉄舟は明治天皇と相撲を取っても手加減せず、思いっきり陛下を投げ飛ばしたという。豊橋歩兵第十八連隊を率いていた佐藤正(さとう・せい)中佐は、牛荘の激戦で左膝の関節に銃創を負ってしまい、野戦病院に運ばれるも、傷が化膿したのでやむなく切断となってしまった。(佐藤清勝『佐藤正傳』昭和11年、p.48.)猛将の佐藤少将は後に宮中顧問官となり、広島市長や修道中学校の校長も務めたそうだ。皇族の元留学生なんて実際の戦場では使い物にはならない。秋篠宮殿下を批判すると、秋篠信者は直ぐ「皇族バッシングだぁぁ~」とわめくが、それなら明治天皇も元勲も、ほぼ「反皇室主義者」だ。

碌でなしの皇族

  週刊誌の報道であるから定かではないが、悠仁殿下の進学先は、もしかすると筑波大学になるかも知れない。しかし、目指す大学が何処であれ、「推薦入学」というのは下策だ。次期天皇として相応しい方法ではない。なぜなら、皇室の権威を使えば審査前に「合格」となるからだ。皇室は国民との“紐帯”や“信頼”で成り立っている。だから、皇族は国民から“いかがわしい”と思われるような手段は避けねばならない。もし、東京大学や筑波大学に進学したいのであれば、一般国民と同じく“実力試験”を受けるべきだ。筆者は殿下の進学に反対しているのない。国民から疑念を持たれるような小細工を仕掛けるべきじゃない、と言いたいだけだ。

明石元二郎(左 / 明石元二郎)
  日露戦争の時、参謀本部は明石元二郎大佐に謀略工作を命じ、大佐はロシアへ渡ってレーニンや他の革命家に接触した。大佐が預かった工作資金は実際に幾らか判らないが、おそらく100万円(現在の価値で50億円か60億円くらい)ほどじゃないかと推測されている。外国での任務だから、大佐がロシアで幾ら使ったのか誰にも判らないし、何処で誰に現金を渡したのかも判らない。極秘作戦だから当然だ。明治38年に明石大佐は帰国する。参謀本部で任務終了の報告となる訳だが、この時、明石大佐は鞄の中から残りの資金(紙幣や金貨・銀貨)と帳簿、精算書を取り出して参謀総長に渡したそうだ。

  報告を済ませた後、明石大佐は赤坂区檜町の自宅に帰ったが、その邸宅は何の改築もされていなかった。なぜなら、ロシアへ渡る前、家族に一切の修繕をするな、と釘を刺していたからだ。もし、ちょっとでも“怪しい行動”を見せれば、工作資金を“ネコババ”したんじゃないか、と勘ぐられてしまうだろう。諜報員の任務は極秘で、上官は現場に派遣された部下を信頼するしかない。明石大佐がボルシェビキの連中や情報提供者を買収する際、結構な金を渡すが、その際に領収書を要求することはない。旅館や酒場でも同じで、たとえ接待しても明細書などもらえないから、明石大佐が資金の一部をこっそり懐に入れても絶対にバレない。しかし、明石大佐は不必要な報告を実践した。身分が高い者は、自らを厳しく律し、他者の模範となるよう心掛ける。不都合な事は全て隠蔽する秋篠宮家とは大違いだ。

  八幡和郎みたいな御用学者は、卑しい皇族を擁護することで原稿料を稼ごうとするが、賢い国民は騙されない。八木秀次とか竹内久美子みたいな産経の犬は、安全地帯で吠えているだけ。そもそも、皇室のロイヤル・パワーを使えば、東京大学だろうが京都大学であろうが“思いのまま”となるじゃないか! 学習院大学なら皇族の“我が儘”は「ダメでごさいます!」と却下されるが、他の大学だと「仰せの通りにいたします!」で何でもOKだ。理事長や学長は林檎を磨きながら“御用伺い”にやって来る。昔、三波春夫は「お客様は神様です!」と言ったが、永田恭介学長なら、「親王殿下は福の神!」と絶賛するのかも知れないぞ。
  金の鶏に等しい悠仁親王殿下をお迎えすると、研究費や補助金という“金の卵”が転がり込んでくる。腹黒い学長や理事長は大喜び。東大の「赤門」でも無試験で「フリー・パス」だ。しかし、問題は一般国民の方にある。ドラえもんの「どこでもドア」じゃあるまいし、もし、例の“トンボ論文”で“合格”となったら世間は赦さない。全国の受験生から激しい罵声が飛んでくる。「皇族なら中学1年の学力で東大合格になるのか!」と怨嗟の嵐だ。週刊誌は血眼になって悠仁殿下のテスト結果を得ようとしたが、生徒や教師の口が堅くて匙を投げた。まぁ、筑波大附属高校に通う生徒は良家の子女が多いから、「絶対にヒサ君の成績をバラしたら駄目よ!」と親から注意されているんだろう。もし、雑誌記者から小遣いをもらい、スマートフォンでヒサ君の行動を撮影したら一大事。おそらく、“盗撮”の廉で退学だ。前途有望な少年は、底辺校の馬鹿じゃない。ちゃんと自分の将来を考える。

  トルコ訪問の前に開かれた記者会見で、秋篠宮殿下は悠仁親王の海外留学に言及したが、もしかすると、筑波大学への“変更”に対する“賠償”だったのかも知れない。今年の夏頃まで、マスコミは紀子妃殿下が息子の東大入学を目論んでいるんじゃないか、と囁いていた。しかし、国民からの反撥が激しかったから、宮内庁が妃殿下に路線変更を頼んだのかも知れない。もし、あのまま東大への推薦入学を強行したら、国民の多くが“ズル入学”を非難し始め、雑誌やYouTuberも加勢するだろう。宮内庁の重鎮や側近はこうした事態を懼れているから、「東大進学だけはお止めください!」と紀子妃に懇願したはずだ。

Akishino Bad signPrincess Kiko 720悠仁親王 424

  おそらく、紀子妃殿下も世間の反応に驚き、宮内庁の“言い訳”が通用しないことを悟ったのかも知れない。ただ、宮内庁の役人も紀子妃が無条件降伏するとは思っていないから、妃殿下の怒りを静める特効薬として「留学」を持ち出したんだろう。外務省と相談した側近が、「将来、在学中か卒業後にオックスフォード大学への留学を手配します!」とか何とか言って、妃殿下のご機嫌を取ることは充分考えられる。「学歴コンプレックスを持つ紀子には、英国留学の餌でも与えておけ!」というのが宮内庁の本音なんだろう。

  悠仁殿下の「裏口入学」に対しては一般国民の関心も高いようで、「赤門ネットワーク」と名乗る団体が、推薦入学への反対運動を展開していた。聞くところによると、インターネットでの署名活動を行ったそうで、最初の呼びかけで12,000人の署名が集まったそうだ。この団体の活動は一時的に中断されたが、再び活動が始まると、プラットフォームを変えたのに、7千人もの署名が集まったという。(週刊ポスト2024年12月6・13日号)

  この署名簿は東大の藤井輝夫総長に送られたというが、藤井総長は受け取りを拒否した。1960年代か70年代の東大総長なら、「反天皇制」という言葉に痺れてしまい、名簿くらいは受け取ってしまいそうだが、もはや学生運動の時代じゃない。左翼活動への親近感は無いし、火炎瓶闘争は“御洒落”じゃない。白髪になった元全学連の赤色分子は怒り狂うけど、“社会正義”や“民主主義”なんかは時代遅れだ。角材や黒ヘルはポイ捨てとなる。つまり、「ゲバ棒」より「金の延棒」の方が有り難い、という訳だ。河合栄治郎や森戸辰男、丸山眞男、南原繁が生きていたら何と言うのかなぁ~。

  ちなみに、旧制一高からの入学者だと「無試験」というのがあった。例えば、文学部で試験があったのは西洋史と英文学科だけで、あとは無試験といった塩梅。もちろん、一高の優等生は“ズル入学”じゃなく、誰もが認める実力入学。トップ・クラスの秀才だから、試験が免除になってもおかしくはない。また、成績が一番の生徒は東大の経済学部や京大の哲学科に進学したという。世間のオッちゃんオバちゃん達は驚くけど、大蔵官僚を輩出する法学部じゃない。一方、悠仁殿下は自然誌か何かを専攻するつもりらしいが、秋篠宮夫妻は「鉄門」を改造して「スター・ゲイト*」にするような魔術師だから、理三の学生から嗤われても仕方がない。

  *註 / 1994年にカート・ラッセルとジェイムズ・スペーダーが共演したSF映画『Satrgate』は、日本でもヒットし、TVゲームにもなっていた。エジプトで発見された「スターゲイト」をくぐると別の惑星にワープ出来るという不思議な環状の門であった。でも、日本では“紀子博士の杖”で実現できるんだから日本の皇室は凄い。預言者モーセもビックリ。

  悠仁殿下は『赤坂御用地のトンボ相─多様な環境と人の手による維持管理─』を“執筆”し、京都で開かれた『第27回国際昆虫学会議』に出席されたが、“首席執筆者”の殿下は、外国の研究者と“英語”で会話をしたそうだ。(《トンボに興味津々》悠仁さま『国際昆虫学会』開会式にご参加 『Nice to meet you!』英語で挨拶される姿も」女性セブン2024年9月12日号) 筆者はどんな交流が行われたのか知れないが、研究者との会話となれば、一般人には無縁の専門用語が飛び交うし、微妙な言い回しもあるだろう。となれば、相当な語学能力がないと親睦は成り立たない。本来なら、宮内庁の職員が交流風景を録画し、それを一般国民に見せるべきなんだが、なぜか殿下の肉声は“非公開”となっている。

  秋篠宮家は異常なまでに“英会話”が大好きだ。秋篠宮夫妻はルクセンブルクのギョーム王太子が来日した時、“英語の通訳無し”で会話をなされた、とマスコミは報道した。(「悠仁さまの“通訳なしでご歓談90分”にあった、紀子さま流・グローバル教育」『女性自身』Web、2024年6月12日) 秋篠宮殿下と紀子妃は、ギリシアの首相夫妻が来日した際も、“通訳無し”で会話されたというが、本当に英語で歓談したのか?

秋篠宮 7332紀子妃 8823Akishino & Kiko 111

  川嶋家の御令嬢であった「秋篠宮紀子博士」は、経済学者である赤い父親、川嶋辰彦教授に伴われ、幼少期をアメリカのペンシルバニア州で過ごした。また、将来のプリンセスはオーストリアのウィーンでも暮らし、現地のインターナショナルスクールに通われたこともある。日常会話ていどならドイツ語も喋れるはずなんだが、帰国して学習院大学に入ると、なぜか“支那語”を第二外国語として選んでいた。社会心理学を専攻された才女なら、勉強に有利なドイツ語を選ぶはず。得意なドイツ語を採らないなんておかしい。紀子妃の御学友もちょっと驚いていた。

高円宮久子 2213(左 / 高円宮久子妃)
 「英語」を得意とする皇族には、怪しい人も多いけど、高円宮久子妃の語学力は立派だ。オリンピックの招致イベントで、久子妃はフランス語とイギリス語でスピーチを行ったが、彼女の発音は“上等”だった。側にいた都知事の猪瀬直樹も覚えているだろう。英語やフランス語を習得した人なら分かると思うが、「ちゃんと勉強した人の喋り方だな」と納得したに違いない。

  それもそのはず。久子妃の父親、鳥取滋治郎は三井物産の元海外業務部長で、アメリカやブリテンに勤務したことがあるから、娘の久子妃が英語を流暢に話せるのは当然だ。久子妃はNYのウェストチェスターの学校に通われ、父親がロンドン支店に派遣されると、今度はイングランドのヨークシャーに移り住む。(ロンドン支店の鳥取次長は後に東邦物産の専務取締役になる。) 久子妃はノース・ヨークシャーにあるメアリー・グラマー女子修道院学校に通われ、その後、ケンブリッジ大学に進んで人類学や考古学を勉強する。ガートン・カレッジ(Girton College)を卒業した才女なら、語学力を使っての仕事も可能だ。帰国子女の鳥取久子嬢は、結婚前、三笠宮崇仁親王が国際会議に出席した時、通訳と助手を務めるくらい有能だった。

  翻って、礼宮文仁殿下(後の秋篠宮殿下)は九官鳥でも笑ってしまう程の劣等生。オックスフォードのセント・ジョンズ・カレッジ大学院で魚の分類学を専攻され、「優秀な学生」と評されたが、どんな成績だったのか判らない。しかし、秋篠宮殿下は平成8年に“英語”で博士論文を書き、総合研究大学院大学から理学博士号をもらっている。提出された博士論文「Molecular phylogeny of junglefowls, genus Gallus and monophyletic origin of domestic fowls」(学位授与番号 / 乙第27号)を読むと判るが、殿下は鶏の遺伝子解析まで研究していたのだ。凄い! 学習院大学では法学部の政治学科に属していたのに、英国へ渡ると分類学を英語で学ばれ、聞いたこともない大学院で博士号を取得したんだから。

  ところが、“優秀”な文仁博士は、“英語”のスピーチが苦手なようだ。タイで名誉博士号を授与された秋篠宮殿下は、現地人の前でアカデミックな演説を行ったが、ビックリするような“カタカナ英語”だった。まるで中学二年生が口にするような“ジャングリッシュ”で、聞いている方が恥ずかしくなる。殿下はずっと下を向いて原稿を読むばかり。聴衆のタイ人は下らない朗読にウンザリという表情だった。これがオックスフォード仕込みの英語なのか? 宮内庁はSNSでの発信に力を入れているようだが、なぜ殿下の“素晴らしい英語スピーチ”をホームページで公表しないのか? YouTubeにアップロードして、全国民に見せればいいじゃないか! また、なぜ紀子妃殿下の博士論文を無料で公開しないのか? 国立国会図書館の奥にしまっておかないで、宮内庁のホームページにPDFで貼り付ければいいのに! どうして国民の目から遠ざけて隠蔽するのか?

  秋篠信者は観念論的に秋篠宮家を擁護するが、昭和時代の保守派知識人、例えば福田恆存や小林秀雄、会田雄次、村松剛などは、“おかしな点”があれば率直に意見を述べていた。ただ、昭和天皇はあまりにも素晴らしかったので、彼らの批判は下劣なマスコミの報道に向けられていた。具体的に言えば、「ミッチーブーム」のようなサブカルチャーや占領軍による皇室の“民主化”の話題だ。しかし、令和の皇室批判は意味が異なる。もし、これらの重鎮が今でも生きていて、平成や令和の秋篠宮家を見たら、批判するどころか、呆れ返って言葉を失ってしまうだろう。たぶん、会田雄次先生などはチャンネル桜に呼ばれず、水島社長から「皇室破壊論者」に分類されるかも・・・。

  皇室は国民からの信頼で成り立っている。男系とか女系で揉める論壇の知識人は、イデオロギー論争に明け暮れているが、巷の庶民はインテリどもの説教で皇室を崇めているんじゃない。天皇陛下がご立派で、“尊敬に値する”国家元首だから尊敬しているのだろう。日本人は皇室典範とか成文憲法とかで命令されたから尊敬している訳じゃない。皇室と国民は“社会契約”じゃなく“信義”で繋がっている、というのが庶民の実感だ。

三島由紀夫 002(左 / 三島由紀夫)
  かつて三島由紀夫は「約束」について語っていた。日本人が約束を守るのは功利主義からではない。商売人は「相手が約束を破るかも」という前提で契約内容を厳密に定め、それを書面に記して互いを拘束する。だが、日本人が皇族を尊敬するのは、皇族が尊敬に値する人物であるからだ。少なくとも、皇族は礼儀正しく、品格を保って生活するというの暗黙の諒解じゃないか。もちろん、これを破ったからといって罰金や刑罰が下る訳じゃない。しかし、我々は質素倹約の昭和天皇を見ていたし、未だに多くの国民が覚えている。左翼陣営は昭和天皇を「戦争犯罪人」とか「強姦魔の親玉」と罵ったが、正常な国民は陛下を心から慕っていた。陛下と国民の間には強い絆があり、信頼関係で結ばれていたのだ。三島が言う通り、皇室と国民の間にあるのは「信義」であり、契約書に記された取決や損得勘定の問題ではない。三島曰く、

  一旦約束を結んだ相手は、それが総理大臣であろうと、乞食であろうと、約束に軽重があるべきではない。それはこちら側の信義の問題だからだ。・・・約束の本質は、私は契約社会の近代精神の中にではなく、人間の信義の中にあるというのが根本的な考えである。(三島由紀夫「若きサムライのために」『日本教養全集8』角川書店、昭和50年、p.23.)

  秋篠宮夫妻は「国民からイジメを受けている」と不満を漏らすが、自分達が何をやってきたのかをよく考えてみろ! 素朴に皇室を尊敬している国民の前で堂々と胸を張れる人生だったのか? 昭和天皇への尊敬心は無残な敗戦でも消えなかった。しかし、現在の皇室は内部からの腐敗で崩れようとしている。筆者は単なる下層階級の平民なので、外野席から皇族の不正を眺めているだけだ。秋篠宮を擁護する国民は、プロ野球ファンと同じ気質を持っている。男系論者と女系論者の論争は、巨人ファンと阪神ファンの喧嘩みたいだ。ただし、阪神ファンの方がまともで、もし阪神の選手がドーピング検査で引っかかったら、さすがに擁護しないだろう。秋篠宮ファンはよく考えることだ。

  次回に続く。
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