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精神科医・和田秀樹「複雑性PTSDなんかではない」眞子さまの本当の病名は
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https://news.yahoo.co.jp/articles/58e04976e80049b6afc4747e029abd25f69b356f
宮内庁は10月1日、眞子さま(29)と小室圭さん(29)が同月26日に結婚されると正式発表するとともに、眞子さまが「複雑性PTSD」と診断されたことを明らかにした。精神科医の和田秀樹さんは「会見に同席した精神科医は『結婚について周囲から温かい見守りがあれば、健康の回復が速やかに進むとみられる』と発言しましたが、これは国民に誤解を与え、現実に複雑性PTSDの症状に苦しむ虐待サバイバーに脅威を与えるおそれがある」という。その理由とは――。
【画像】複雑性PTSDの実際の症状を赤裸々に記録した書籍
■精神科医が腰を抜かすほど驚いた「眞子さまは複雑性PTSD」
宮内庁は1日、秋篠宮家の長女・眞子さま(29)が「複雑性心的外傷後ストレス障害(PTSD)」と診断されたことを明らかにした。
そのため、この病名がネット上で一気にトピックワードとなった。
この病名については、秋篠宮家の側近部局トップの加地隆治皇嗣職大夫が眞子さまの病状について切り出し、精神科医で、公益財団法人「こころのバリアフリー研究会」理事長の秋山剛氏が会見に同席して「長期にわたり誹謗中傷を体験された結果、複雑性PTSDと診断される状態になっておられる」と述べた。
1991~94年にアメリカに留学して以来、この疾患に向き合ってきた私は、宮内庁のその後の説明を聞くにつけて、腰を抜かすほど驚いてしまった。
なぜなら、複雑性PTSDとは虐待のような悲惨な体験を長期間受け続けた人に生じる心の病であり、治療も大変困難なものとされているからだ。
1970年代、ベトナム戦争で兵士が受けた心理的後遺症やレイプトラウマの研究が進み、1980年に発表されたアメリカ精神医学会の診断基準第3版(DSM-3)に「PTSD」という病名が採用された。
その後もトラウマ研究が進み、児童虐待のような長期反復型のトラウマ体験の場合は、もっと深刻な病状が生じることがわかってきた。
当時のアメリカにおけるトラウマ研究の第一人者であるジュディス・ハーマン(ハーバード大学准教授)は、その主著と言える『心的外傷と回復』(みすず書房)において、複雑性PTSDという病名を提起した。
■複雑性PTSDの症状…自傷行為、性的逸脱、解離症状、希望喪失
ハーマンが提起し、94年に発表されたアメリカ精神医学会の診断基準第4版(DSM-4)の「複雑性PTSD」に加えることが検討された症状には以下のようなものが列挙された。
1:感情制御の変化(自傷行為や性的逸脱など)
2:意識変化(解離症状など)
3:自己の感覚の変化(恥の意識など)
4:加害者への感覚の変化(復讐への没頭だけでなく、加害者を理想化することもある)
5:他者との関係の変化(孤立・ひきこもりなど)
6:意味体系の変化(希望喪失など)
実際、私の留学中も虐待の被害者の患者をかなりの数で診たが、この指摘には心当たりがある。ここで注目したいのは、2の項目にある「解離」という症状だ。
解離は、自分の忌まわしい記憶をふだんとは別の意識状態に置くことで生じると考えられている。要するにトラウマ的な出来事を覚えている意識状態と、普段の意識状態は、別の意識状態になっている。
そのため、その人は、トラウマ的出来事を覚えている意識状態になったときのことは覚えていないし、その意識状態は、普段の意識状態と連続性をもたない。
解離性健忘の場合、その解離状態の時の言動を覚えておらず、かなりの暴言を吐いても、犯罪的な行為(万引きや暴行など)や性的逸脱を行っても、それを覚えていない。
別の意識状態になったときにアイデンティティ(自分が子どもか大人かとか、ふだんの名前や役職など)まで変わってしまう状態は多重人格と呼ばれてきたが、DSM-4では解離性同一性(アイデンティティ)障害と呼ばれるようになった。
■「複雑性PTSDとは、悪口レベルの外傷的体験ではない」
またこの複雑性PTSDの場合、感情も対人関係も不安定なので、婚姻生活や社会生活に支障をきたし、定職にもつけない境界性パーソナリティー障害と呼ばれる診断を受けることも多い。
ただ、ハーマンの過去の記憶を思い出させて、それをぶちまけさせるような治療方針がかえって患者の具合が悪くすることが多いことが明らかになったことで、彼女のアメリカ精神医学会での影響力はかなり弱まった。ハーバード大学でも教授に昇格していない。そのせいか、2013年改訂のアメリカ精神医学会の診断基準の第5版(DSM-5)では、複雑性PTSDの病名は採用されなかった。
ところが、WHOが作るもう一つの国際的な診断基準の最新版(ICD-11)が2018年に公表された際に複雑性PTSDが採用されることになった。これまでの歴史をみるとアメリカ精神医学会の基準に追随することが多かった中で画期的なことである。
おそらくは、世界的に深刻化する児童虐待だけでなく、人権を弾圧するような政府や軍事介入などで生じる心の後遺症を無視することができないと考えたのだろう。
実際、この診断基準で挙げられている逃れることが困難もしくは不可能な状況で、長期間・反復的に、著しい脅威や恐怖をもたらす出来事の例としては、「反復的な小児期の性的虐待・身体的虐待」のほか、「拷問」「奴隷」「集団虐殺」が挙げられている。けっして悪口レベルの外傷的体験などではない。
これに対して秋山医師は、「複雑性PTSDは言葉の暴力、インターネット上の攻撃、いじめ、ハラスメントでも起こる」と拡大解釈をしたわけだ。
実際、インターネット上の誹謗中傷で自殺する人もいるのだから、私もその可能性を否定するつもりはない。
■「温かい見守りがあれば、健康の回復が速やかに」という発言の問題点
むしろ今回、国民に誤解を与え、現実に複雑性PTSDの症状に苦しむ虐待サバイバー(※)に脅威を与えるおそれがあるのは、秋山医師が発した「(小室圭さんとの)結婚について周囲から温かい見守りがあれば、健康の回復が速やかに進むとみられる」という言葉だ。
※児童虐待を受けたあと、生き残り、心の病に苦しんでいる人たち。
自らが虐待サバイバーで複雑性PTSDの実際の症状を赤裸々に記録した『わたし、虐待サバイバー』(ブックマン社)の著者である羽馬千恵さんは、自身が発行するメルマガ(※)の中で、「虐待が終わってからが、本当の地獄だった」と記している。
※大人だって虐待で苦しんでいる。当事者が語る子供時代のトラウマ - まぐまぐニュース! (mag2.com)
虐待を受けた子供たちは大人になり複雑性PTSDに苦しむわけだが、親元を離れ、虐待を受けなくなったり、多少周囲が温かくしてくれたりしところで、そう簡単に治るものではない。
つい最近も3歳児が母親の同居人の虐待で死亡した事件があったが、それに関するニュースの多くは、初動で行政がしっかり対応していたら死ななくてすんだという類のものだった。
たしかにそういう面もあるかもしれない。しかし、もっと重要なのは子供の今後の人生だ。「運よく生き残ったから、よかった」で済む問題ではない。生き残った子供たちは下手をすると生涯にわたる複雑性PTSDに苦しむのである。
■「眞子さまはおそらく適応障害なのではないか」
人格変化のために周囲の人が犠牲になることさえある。古くは永山則夫事件、あるいは大阪・池田小事件の宅間死刑囚、そして山口県光市の母子殺しの少年など、子供時代などに虐待を受けた人物が起こす重大事件は枚挙に暇がない。
銃社会のアメリカでは、虐待を受けた子供が将来重大犯罪を起こすことが多いことも、虐待を受けた子供を親元に返さない大きな理由となっている。
眞子さまの場合、もし、環境が変わり周囲の批判がなくなった結果、秋山医師が断言したように「健康の回復が速やかに進むとみられる」ならば、それは複雑性PTSDなどという心の重病でない。もちろん、私は直接診察したわけではないので100%そうだと言い切れないが、眞子さまに関してはおそらく適応障害(この疾患の詳細は、拙著『適応障害』宝島社新書を参照いただきたい)にあたるのではないかと思う。
ただ、日本の場合、精神科の主任教授が臨床軽視・研究重視の大学教授たちの多数決で決まるため、私のようなカウンセリングや精神療法を専門とする大学医学部は全国どこを探してもない。そのため、複雑性PTSDであれ、適応障害であれ、よい治療者をみつけることはかなり困難だ。
そういう点で、いい治療者を見つけるために眞子さまがご結婚されアメリカに行かれるのはいいことだ。
複雑性PTSDについては予防の必要性は極めて高い。私は、アメリカのように、虐待が見つかったら原則的に親元に返さないできちんとしたチャイルドケアを受けさせるべきだと考える。そうでないと一生不幸を抱えてしまうことになりかねない。
その一方、虐待をしてしまった親に対するカウンセリングも重要だ。アメリカではこれが盛んに行われ、カウンセラーが認めれば、子供はその親元に返される。
日本の場合、残念ながら医学の世界、精神医学の世界がカウンセリングを軽視する傾向があり、見通しは暗いと言わざるを得ない。私の留学先のような「大学でない精神科医の養成機関」をかなりの数作らなければならないと思われる。
■「複雑性PTSDの患者は数十万人に達する可能性がある」
実は、複雑性PTSDの患者はかなり多いと予想できる。というのは、虐待の数が想像以上に多いからだ。2021年8月27日に、令和2(2020)年度の児童相談所における虐待相談対応件数が発表されたが、ついに20万件を超えた(心理的虐待12万1325件:全体の59.2%、身体的虐待5万33件:24.4%、ネグレクト3万1420件:15.3%、性的虐待2251件:1.1%)。
虐待された子供が新規で毎年20万人(実際はもっと多い可能性が高い)ということは、日本中に虐待経験者は全体で数百万人単位いるということになる。仮にその1割が複雑性PTSDになったとしても数十万人だ。これはかなり少なく見積もった数と言えるものだ。これから複雑性PTSDを増やさないだけでなく、現在複雑性PTSDの人たちを救うことが急務だ。
今回の報道でもっと危惧するのは、複雑性PTSDになった人は周囲の人がやさしく見守れば、そのうち症状が緩和する軽い病気であるかのような誤解が広まることだ。
あるいは、芸能人や政治家がバッシング逃れのために知り合いの精神科医に複雑性PTSDの診断書を書いてもらうケースが増え、この疾患に直面している人の苦しみをどこか軽んじるような風潮が世間に広まることもあり得る。
複雑性PTSDという病名が世間に知られることは望ましいことだが、本当の実態が知られないと逆にいちばん迷惑をこうむるのは複雑性PTSDの患者であることも知ってほしい。
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和田 秀樹(わだ・ひでき)
国際医療福祉大学大学院教授
アンチエイジングとエグゼクティブカウンセリングに特化した「和田秀樹 こころと体のクリニック」院長。1960年6月7日生まれ。東京大学医学部卒業。『受験は要領』(現在はPHPで文庫化)や『公立・私立中堅校から東大に入る本』(大和書房)ほか著書多数。
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2024/11/29 (Fri) 02:33:03
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シルヴェスター・スタローン『ランボー First Blood』1982年
監督 - テッド・コッチェフ
原作 - デイヴィッド・マレル
脚色 - シルヴェスター・スタローン、マイケル・コゾル
撮影 - アンドリュー・ラズロ
音楽 - ジェリー・ゴールドスミス
主題歌 - ダン・ヒル「It's a long road」
動画
https://www.bing.com/videos/search?q=First+Blood+1982&FORM=HDRSC4
ランボー - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC
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2024年11月23日
ランボーが本当に伝えたかった事 / 戦争の傷を癒やす方法 (前編)
https://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68978541.html
PTSDを描いたヒット作品
Rambo First Blood 2757Rambo First Blood 324
日本でも大ヒットになった『ランボー』は、好評につきシリーズ化され、2019年には第五作が上映されるほどになった。しかし、完結編となる『ランボー / ラスト・ブラッド(Rambo : Last Blood)』は、もはや戦争を扱った映画じゃない。どちらかと言えば、ヒスパニック・ギャングを相手にした派手な復讐ドラマだ。第一作目の『Rambo : First Blood』(1982年公開)はランボーの内面を描き、観客に深い感銘を与えたが、シリーズを重ねるごとに内容が空虚になっている。第三作目の『ランボー3 / 怒りのアフガン』は、ネタに困ったのか、アフガン・ゲリラと協力する筋書きになっている。9/11テロ事件後のアメリカでは、何となく再放送しづらい作品だ。観客からの評判も悪く、興行的には“失敗作”となっている。
それにしても、なぜ第一作目が“名画”と評されるのか? それは、ランボーが戦争の後遺症に苦しみ、自らの心情を吐露したからだ。『ランボー』の“肝”は最後のシーンにある。興業的には驚愕の戦闘シーンが一番の話題になったが、本当に伝えたかったのは主人公の苦悩であった。
物語は、ランボーが嘗ての戦友を訪ねるシーンから始まる。元「グリーン・ベレー(Green Beret)」の特殊部隊員であったランボーは、親しかったデルマ・バリーに会いたくなり、ワシントン州にある彼の実家を訪ねた。しかし、バリーは既に亡くなっていた。彼の妻によれば、化学兵器(Ogent Orange / 枯葉剤)の影響により彼は癌に罹り、一年前に世を去っていたのだ。
Sheriff Teasle 11( ランボーを捕まえるウィル・ティーズル )
未亡人に別れを告げたランボーは、そのまま旅を続け、ワシントン州のホープという街に辿り着く。だが、そこでは保安官のウィル・ティーズルに目を附けられてしまう。ティールズは独りで道を歩く怪しい男に街を出るよう言い聞かせた。しかし、ランボーは彼の忠告を無視。
街の治安を守りたいティーズルは、言うことを聞かないランボーを“不審者”として拘束し、警察署へ連行する。野良犬のようにしょっ引かれたランボーは、署内で警官らに尋問され、拷問を受ける破目に。この時、警官がカミソリを取り出したので、これを見たランボーは怯えおののく。彼の精神は錯乱し、羽交い締めにする警官がベトコンに思えてしまうのだ。ベトナム戦争で受けた虐待は、フラッシュバックとしてランボーの頭に蘇り、戦士の本能を目覚めさせる。
ランボーは警官らを叩きのめし、警察署から脱出する。すかさず、署内の警官が動き出し、この兇暴な逃亡者を捕まえようとする。地元警察は州兵の応援を得て、山岳地帯に逃走したランボーを捜索した。だが、片田舎の警官達に特殊部隊の英雄を捕らえることなど出来ない。修羅場を何度もくぐり抜けたランボーにしたら、田舎の警官などはボーイ・スカウトの少年程度だ。とてもランボーの敵じゃない。案の定、ライフルを手にした警官達は次々とランボーに撃退されてしまう。地元警察は有効な手段を打ち出せないまま地団駄を踏むしかなかった。
Colonel Sam Trautman 1(左 / サム・トラウトマン大佐)
膠着状態が続く中、特殊部隊を率いていた謎の軍人、サム・トラウトマン大佐が現れる。彼はティーズル達にランボーが沈静化するまで待つように忠告した。しかし、コケにされた警官らは大佐の意見に従わなかった。武装した警官達は、山中での“ハンティング”に出掛けてしまう。戦闘の素人である警官達は、百戦錬磨のランボーによって次々と倒されて行く。
警察や州兵から攻撃されたランボーは、更なる反撃を展開しながら街の中へと戦場を移す。彼は給油所を爆発させて街中を停電にした。さらに、ランボーはスポーツ店に潜伏し、警察署にいる憎いティーズルを狙撃しようと謀る。だが、ランボーが潜む店の中にトラウトマン大佐が入ってきて中止を呼びかける。
一方、ティーズルはランボーが隠れている店内に忍び込むが、逆にランボーによって返り討ちになってしまう。ティーズルを撃ち、興奮するランボーを見つけたトラウトマン大佐は、嘗ての部下に投降するよう促す。店は大勢の警官に包囲されているから、いくら機関銃を手にしてもランボーに勝ち目はない。店の外に集結した警官隊をランボーに見せたトラウトマンは、ランボーに向かって「このミッション(作戦)は終わりだ!(This mission is over!)」と告げ、「終了したんだ(It's over!)」と諭す。
ところが、ランボーは従わず、「何も終わっちゃいないぞ!(Nothing is over!)」と反論する。「俺の戦いは続いているんだ!」というのがランボーの答えであった。ベトナムでの戦いは「俺がアンタに頼んだんじゃない! アンタが俺に頼んだんだ!」とランボーは言う。「俺は必死で戦った。しかし、国へ帰ってみると空港で人々が非難するんだ。“赤ん坊殺し(baby killer)”、とか言って俺を散々罵りやがる。あいつらは何なんだ! 戦争の事を何一つ知らないくせに、頭にくるぜ!」と不満をトラウトマンにぶつける。 「俺は世間の厄介者なんだ! 何者でもないんだ! 戦場では誇りがあり、お互いが助け合っていた」とランボーは叫ぶ。対するトラウトマン大佐はランボーの怒りを静めるべく、「君は英雄だ。こんな事で人生を終わらせるな!」と諫める。
だが、ランボーは従わない。戦場では100万ドルもする兵器を任せてくれたのに、祖国(ここ)では駐車係の職さえ無い!」と叫び、「惨めだ!」と嘆く。ランボーは故郷と戦場の区別がつかなくなっていた。彼はトラウトマン大佐に昔話をし始める。昔、ランボーには仲の良い空軍の友達がいた。戦場では仲間が大勢いたのに、ここ(アメリカ)では独りぼっちだ、と語るランボーの表情はとても痛々しい。
Rambo 834(左 / 過去が蘇って苦しむランボー)
ランボーはトラウトマンに「ダン・フォレストを覚えているか?」と尋ねる。ランボーとダンはよく雑談を交わしていた。もし、帰国したらラス・ヴェガスで遊ぼうとか、1958年製の赤いシボレーに乗って二人で楽しもうぜ、と語り合う間柄であった。
ある時のこと。ダンとランボーのもとにベトナム人の少年が近づいてきた。この少年は彼らに靴を磨かせてくれと頼むが、ランボーは断った。しかし、ダンは了解し、「磨いてくれ」と頼んでしまう。この時、ランボーはビールを飲むために、その場を離れていた。一方、ダンは靴磨きの箱に爆弾が仕込まれているとは知らず、迂闊にも蓋を開けてしまう。即座に、少年の箱は爆発し、その威力でダンの体は吹っ飛ぶ。ダンの手足はバラバラになり、彼の肉片はランボーの体にへばりつく。血塗れとなったランボーは、急いでダンを助けようとするが、すでにダンの体からは内臓が飛び出ている。手足がちぎれてしまった瀕死のダンは、ランボーに抱かれながら「ジョニー、家に帰りたい」と呟く。錯乱状態のランボーは、吹き飛ばされた友人の脚を探そうとするが、どうしても見つけることが出来ない。
ランボーは大佐の前で泣き崩れる。「もう、あれから7年が経つのに」と忘れられない過去を語り、「毎日思い出す。まるで悪夢だ! 気が狂ってしまう」と嘆いた。ランボーの頭の中では毎日過去の亡霊が彷徨(さまよ)っている。彼の精神が落ち着くことはない。何も答えられないトラウトマンは、無言のまま子供のように泣きじゃくるランボーに近づき、心が折れたランボーは大佐の胸にすがりつく。そして、殺気を失ったランボーは、大佐に付き添われて警察に投降する。
映画はダン・ヒル(Dan Hill)が唄う「It's A Long Road」で幕を閉じる。観客はランボーが見せた戦闘能力よりも、しゃがみ込んで泣き崩れるランボーの姿に心を打たれる。悪夢から逃れることができず、ただ少年のように泣きじゃくる英雄に人々は感動した。1982年当時だと、まだベトナム戦争を体験した将兵が多く存在し、POW(戦争捕虜)やMIA(行方不明者)の問題も生々しかったから、ジョン・ランボーの苦しみに共感するアメリカ人も多かった。
David Morell 111( 左 / デイヴッド・モレル )
原作となったデイヴッド・モレル(David Morrell)の小説『First Blood』では、スタローンの映画と違い、ランボーは最後に死んでしまう。彼はティーズルとの銃撃戦で負傷し、大量の血が流れてしまい瀕死の状態となる。そこでランボーはダイナマイトで自決を図るが、フューズに点火することが出来ない。彼がやろうとしている自殺は、永遠の地獄へ送ることになるだろう。しかし、彼には出来なかった。彼は長い間、ずっと自殺を考えていたのに、だ。戦争の時、ランボーの上官は、敵の捕虜になり拷問を加えられた場合に備えて、それを避けるために毒薬のカプセルを渡していた。実際にランボーが捕虜になると、彼にはそれを飲み込む余裕が無かった。しかし、今はフューズに着火できる。(David Morrell, First Blood, New York : M. Evans and Company, 1972, p.246.)大量出血で体が動かなくなったランボーには、既に自殺するだけの力が残っていなかった。彼はフューズに点火することなく意識が徐々に薄くなっている。そして、ランボーは静かに死んで行く。
人生を変えてしまう戦争
話を戻す。帰還兵の苦悩は戦争が終わっても続くようだ。特に、ランボーのケースは悲惨としか言いようがない。彼は戦場で目覚ましい活躍を見せるエリート兵士だが、故郷に帰ってみれば、只の厄介者に過ぎない。しかも、懐かしいはずの社会から孤立し、他人から疎まれるPTSD(心的外傷ストレス障碍)の変人だ。祖国の為に生死を賭け、戦火の地獄を味わったのに、温かく迎えてくれるはずの同胞は、信じられないほど冷たかった。ランボーのような帰還兵は「救国の英雄」ではなく、無辜の女子供を殺しまくった「人でなし」である。
米国の劇場では、多くの退役兵が『ランボー』を観たはずだ。たぶん、大勢の軍人がPTSDに苦しむランボーと自分の過去を重ね合わせ、辛かった日々を思い出したのかも知れない。たとえ、「ハンバーガー・ヒル(Hamburger Hill)」のような戦闘じゃなくても、空爆による突風や弾丸の嵐を経験した兵卒だと、恐怖の記憶が蘇ってくる。ボスニアやイラク、アフガニスタン、ソマリアなどに派兵されたアメリカ兵は、何処から飛んでくるのか分からぬ榴弾砲に晒されるし、道路に埋め込まれた地雷をハンヴィー(Hamvee /軍用トラック)が踏めば、乗組員は即死じゃなくても重傷だ。戦場では人が簡単に死ぬ。何度も戦場を生き延びた陸軍大尉でも、ある非突然、敵の流れ弾が当たって命を失うこともある。大尉を尊敬していた一等兵や伍長などは、「まさか、あの大尉が・・・」と唖然とし、戦争の現実を噛みしめる。
War zone 435War zone 4356
“当たり前”のように平和な生活を送る日本人には、冷酷な地獄を体験した帰還兵の気持ちが分からない。恐怖というものは、直面した時よりも、それを予感する時に怖くなる。筆者がまだ学生時代、ある力仕事の後で退役兵と雑談をしたことがある。焚き火を囲みながら、A氏は戦場での恐怖や負傷の話をしてくれたので、非常に有り難かった。下士官のA氏は、戦場で脚を撃ち抜かれてしまい、自分の最期を覚悟したという。ところが、同じ部隊の戦友が、もがくA氏を引きずって助けてくれたから、A氏は生きて故郷に帰ることができた。もし、戦友が勇気を振り絞って助けてくれなかったら、敵兵に殺されていたかも知れない。もう一人の退役兵B氏は帰国後、戦争体験で苦しみ、人生の意味を考えるようになったという。彼はキリスト教の信仰に目覚め、生きる上で何が重要なのかを探していた。
日本の大学生は“お花畑の住民”であり、高い授業料を払って左翼教授の下らない講義を聴いている。だが、そんな説教(洗脳)にどれほどの価値があるのか? もし、彼らが直接、帰還兵から話を聞くことができれば、その機会は授業よりも数倍有益だろう。これは筆者の主観的な感想になるが、名門大学の教授たちが我々に見せる顔(ツラ)を眺めていると、中古パンツのように“締まり”がなく、“腑抜け”の顔にしか見えない。岸田文雄や石破茂、村上誠一郎のツラを見てみれば判るじゃないか。自衛隊の将官クラスの中にも、事務員みたいな奴が少なくない。
War zone 213War zone 3435
以前、フランスの外人部隊に属していた日本人が述べていたけど、ダメな奴は顔を見ただけで判るそうだ。確かに、戦場で鍛えられた者の“面構え”は一般人と違っている。2005年に亡くなった斉藤昭彦・上級特務曹長は、外人部隊に約20年ほど所属し、アフリカやボスニアでの戦歴を持つベテラン兵であった。斉藤氏は落下傘部隊にも属していたというから、たぶん、何処かの戦場に派遣されていたのだろう。彼の表情には軍人独特の“鋭さ”があり、呑気な日本人の顔つきとは懸け離れていた。
翻って、日本の政治家や政治学者には、情けない奴が多い。なるほど、幼い頃から受験勉強に励み、大学院で大量の赤本を読んでいたのだろうが、そんな連中が口にする言葉には“重み”が無い。聞いていても心に響く“迫力”に欠けているのだ。なるほど、データや数字に強いのかも知れないが、そんなのは知識をひけらかすだけの“自慢話”に過ぎない。ちょいと斜(はす)に構えてアカデミックな説教を垂れれば、世間の一般人はコロッと騙される。しかし、こんな奴らは責任を取らずに威張り散らすだけの“なんちゃって左翼”だ。ソ連が崩壊した時、「私は間違っていた!」と謝罪し、首を吊った左翼学者は居たのか?
脱線したので話を戻す。ジョン・ランボーのように、戦場で凄まじい恐怖を味わった将兵の治療は、いったいどうしたらいいのか? PTSDに特効薬はない。ハーバード大学やスタンフォード大学の心理学者でも無理。となれば、家族や友人、隣人同胞たちが、傷ついた帰還兵を“温かく”迎えてやるしかない。人々が彼らに感謝を示し、その苦悩を理解してやることが最善の治療となる。ランボーが浮浪者のように世間から孤立するのは、彼が社会から必要とされる人間ではないからだ。もし、ランボーが“やり甲斐のある職業”、すなわち“意味のある仕事”に就いていれば、“根無し草の”放浪生活を続けることはないだろう。また、彼が女房や子供を持ち、愛情溢れる生活を営んでいれば、傷ついた精神も徐々に癒やされるはずだ。たぶん、悪夢もやがて消えて行くに違いない。
後編に続く。
https://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68978541.html
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2024年11月27日1
戦場で助かっても自殺するアメリカ兵 / 戦争の傷を癒やす方法(後編)
https://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68978543.html
同胞が助け合う社会
US Army 213US Army 7823
戦争になると多くの将兵が命を失う破目になる。優秀な少尉でも敵の弾丸を喰らって死んでしまうし、強運の軍曹でも重傷となる場合が少なくない。たとえ、野戦病院に運ばれた負傷兵でも、数日後に亡くなる人もいれば、奇跡的に恢復する人もいる。
ただ、奇妙なことに、戦闘で死なずに帰国した将兵の中に“自殺”でこの世を去る人がいることだ。凄惨な体験を経た軍人の中には、肉体的な怪我や精神的な重圧で鬱病やPTSD(心的外傷ストレス障碍)になってしまい、何らかの切っ掛けで自らの命を絶ってしまうという。退役軍人省(Department of Veterans Affairs)の報告によれば、2022年度の自殺者数は493名で、2023年度は523名であった。2008年から2016年の統計によれば、6千名以上の軍人が自殺していたそうだ。(Elaine K. Howley, Statistics on PTSD in Veterans, U.S. News & World Report, June 28, 2019.)
以前の戦争でも自殺者は出ていたようで、ブッシュ政権時代に行われたイラク・アフガニスタン戦争、つまり「イラク自由作戦(Operation Iraqi Freedom)」や「永遠の自由作戦(Operation Enduring Freedom)」の時だと、100名中11人か20人が自殺する事態になっていた。ペルシア湾岸戦争の時には100名中12人が自殺し、ベトナム戦争の時だと100名中15名が自殺する割合になっていたそうだ。
戦争体験を持たない日本人からすれば、「どうして生還できたのに祖国で自殺するのか?」と不思議でならない。一口に「アメリカ兵」といっても様々で、全員が百戦錬磨のエリート軍人じゃないから、中には戦闘前に死の恐怖に怯えてしまい、敵の銃弾じゃなく、自分の拳銃で自分の命を絶ってしまう人もいるのだ。また、無事に帰国できた兵卒でも平穏な生活に戻れず、フラッシュバックでパニックに陥ったり、寝ているときに悪夢を見てしまう人もいる。戦場を体験していない家族や友人は、PTSDに苦しむ帰還兵を理解できないから、どう対処していいのか分からない。自分の“居場所”が見つからない退役兵は、「戦場の方が良かった。また軍に戻って昔の仲間と過ごしたい」と考えてしまうそうだ。
Sebastian Junger 1(左 / セバスチャン・ユンガー )
戦場や退役兵を取材し、ドキュメンタリー映画を制作するジャーナリストのセバスチャン・ユンガー(Sebastian Junger)は、孤独になった帰還兵や自殺を図る軍人を調べ、その原因をいくつか推測していた。彼は著書『部族(Tribe)』の中で所属意識の重要性を述べ、アメリカ社会が冷たくなり、お互いの交流が希薄になっている、と指摘している。
戦場から帰ってきた現代の兵卒は、人間が発展させた緊密な集団から別の社会へと戻って行く。そこでは大半の者が家の外で働き、子供達は見知らぬ人々によって教育される。家族は世間(コミュニティー)から孤立し、個人的に得たものは皆の利益をほぼ完全に削いでいる。たとえ、彼(彼女)が家族の一員であっても、その者は資源を分かち合い、ほとんど全ての事を集団で経験する集団には属さない。現代社会がもつ技術的進歩が何であれ、それにこれがほぼ奇跡的なものであれ、こうした技術から派生する孤立化されたライフスタイルは、人間の精神を深く痛めつけるものである。(Sebastian Junger, Tribe : On Homecoming and Belonging, New York : Twelve, 2016, p.93)
普通の日本人がアメリカ社会に住めば、“鬱陶しい”人間関係が少なく、私生活に干渉してくる隣人や同僚も稀であることに気づくだろう。しかし、その反面、困った時に助けてくれる人を探すのが大変で、相談にのってくれるのは家族や親友だけだ。ましてや、PTSDの帰還兵だと周りの人間は“関わり合い”になりたくないと考えるから、笑顔で敬遠の態度を取り自然と離れて行く。ユンガーは言う。「我々の社会は自らを疎外し、技術に偏り、冷たくて謎めいている。我々が人間として心から望むのは、他者と近づくことであるが、我々の社会はそれを許さない」と。彼は次の点を強調していた。「おそらく、帰還兵にとって最も重要なのは、戦場にいた時と同じように、社会へ戻った時に人々から必要とされ、生産的なことをしていると実感することだ」。(上掲書p.102)
戦争は冷酷無残な殺し合いだが、その一方で温かい側面を持っている。ユンガー曰く、
軍隊生活の中で最も著しいのは、たとえ補助部隊であっても、決して独りではない、ということだ。何日も、何ヶ月も、10名、あるいはそれ以上の者たちと、たとえ肌と肌が密着することがなくても、触れ合うように話す。私がアメリカ兵と一緒にアフガニスタンの僻地にいた時、塹壕の中でたった数フィート離れた状態で10名と寝ていた。横になりながら腕を伸ばすと、側にいた3名に触れてしまうほどだ。彼らはいびきをかくし、話もする。夜中に起きては小便をするが、我々はいつも安心感を持っていた。なぜなら、我々は仲間と一緒だからだ。(上掲書、p.94)
一般の日本人はまだ世間と繋がる生活を保っているので、嫌な事にに直面したり、何らかの問題で困っても、自殺までは考えない。なぜなら、庶民は家族と暮らし、学校時代の友人や職場の同僚と普通に接しているからだ。失恋をしたり、借金を抱えたりしても、誰かが心の支えになってくれるという“安心感”があるので、首つり自殺や飛び降り自殺を考えたりすることはない。逆に、裕福で不自由の亡い暮らしをしていても、誰からも相手にされない人や生き甲斐を持たない人は、「こんなはずじゃなかった!」と自らの人生を嘆く。
ユンガーは人との繋がりが如何に大切であるかを示すため、あるジャーナリストが体験したエピソーどを紹介している。
Nidzara Ahmetasevic 022(左 / ニザラ・アヌメタセヴィッチ )
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が勃発した時、ニザラ・アヌメタセヴィッチ(Nidzara Ahmetasevic)は17歳の少女であった。戦闘が始まってから数週間後のことだ。彼女に恐ろしい不幸が襲いかかる。何と、ニザラの家族が住むアパートメントに砲弾の破片が吹き飛んできたのだ。この“とばっちり”で彼女は重傷となり、意識不明の状態になった。ニザラは直ちに病院へ搬送され、外科手術を受ける破目になるが、信じられないことに、麻酔無しの処置であったという。当然のことではあるが、激痛の叫び声が轟く手術になったそうだ。
紛争のせいで病院は負傷者で溢れかえっていた。病室に入りきらない患者は、便所や廊下、玄関の辺りに寝かせられるという始末。たとえ、ベッドが確保されても、そのシーツは怪我人の血で汚れており、死者の鮮血で濡れていたそうだ。病院で過ごした最初の夜、ニザラの隣で寝ていた女性は、もがき苦しみながら死んでいったという。政治家や軍事評論家は、気軽に「collateral damage(攻撃対象に附随する死者や負傷者の総称)」と言うが、実際に手足が引きちぎれた民間人や頭蓋骨を吹き飛ばされた子供の遺体を見ると、戦争の悲惨さがよく分かる。
二週間後、ニザラは松葉杖をつきながら、どうにか退院することができたという。破壊されたアパートメントは、近所の人々が何とか修復したそうで、食料や水の確保などみんなで協力したそうだ。庭で野菜を栽培したり、オーブンを共有したりと、皆で助け合う生活になっていたらしい。
こうした中で、ニザラは18歳の誕生日を迎えることになった。すると、ある隣人が誕生日ということで細やかなプレゼントを渡してくれたというが、それはたった“1個”の卵であった。(上掲書、p.68.)おそらく、この隣人にとっては、一つの卵であっても貴重な食料だったに違いない。だが、この贈り物をもらったニザラは困った。家族や友人と分け合うには少なすぎる。そこで、彼女は小麦粉と卵を用いて、現地風のパンケーキを作ることにしたという。後に、ニザラの家族は安全を考えてイタリアに移住し、成人したニザラはジャーナリストになった。
戦うことを厭がる未来の日本人
War zone 3435War zone 435
敗戦後、日本人は別の民族になってしまった。占領軍からの強要であったとしても、大勢の国民が積極的に軍隊の放棄を支持したし、安全ならば米国の属州民になっても構わない、と考えだった。このような国民であれば、アジアでの戦争が差し迫っても“対岸の火事”でしかないし、お金を払って兵役を回避しようとする者も出てくるだろう。
しかし、「未来永劫、あと100年経っても日本は安全」という保証は無い。いずれ日本人も武器を持って戦う破目になるだろう。その時、日本の庶民は国防をどう考えるのか? こういった危機に直面した時、日本人は「誰のために戦い、何のために死ぬのか?」と真剣に考え始める。ただ、志願兵の体制だと国防は“自衛隊任せ”となるから、「税金分くらいは、ちゃんと働け!」と叱りつける人が出るかも知れない。それでも、自衛官の家族は負傷兵として夫や息子が帰国した時、「どんな待遇を受けるのか?」を予め考えておくべきだ。
Vietnam war 43Vietnam war casualties 11
日本もやがて歐米のように“異民族混交社会”となるから、兵役は“苦役”か“3K職種”になる。たぶん、兵員不足に悩む合衆国海兵隊のように、低学歴か低所得の若者が社会保障を求めて就く受皿的職業になるだろう。しかし、戦争となれば何割かの将兵が死体か傷痍兵になるから大変だ。遺体袋に入っての帰郷なら、葬儀と焼却炉の後処理で済むけど、重傷の帰還兵となれば、施設か自宅でのリハビリ生活となる。片脚を無くしたり、大火傷の顔面を晒すモンスターとなれば、人々から無視されたり憐れみを受ける人生となってしまうから本当に憐れだ。若い帰還兵なら、以前の健康な身体が懐かしくなるだろう。たとえ戦没者記念日に参加できても、あとの360日くらいは惨めな隠遁生活だ。20歳代で傷痍兵となり、40年か50年を片輪や精神異常者として暮らすとなれば、いくら勲章をもらってもやりきれない。
保守派国民は占領憲法の廃棄と国家の独立を訴えるが、生死を賭けても守り抜きたい祖国とはどんな国家なのかを考えるべきだ。昔の日本人は“当然”の如く戦争に赴くことができた。なぜなら、日本が“日本人の国”であり、祖国防衛が“国民の義務”と思われていたからだ。両親兄弟、祖父母親戚、友人や先輩後輩、恩師とか隣人などを守りたいから恐ろしくても武器を取った。しかし、今は違う。嘗ての日本じゃない。「第三国人」の子孫たる朝鮮人や銭ゲバの支那人が政財界で幅を利かせているし、元不法滞在者のフィリピン人夫婦や日本人と結婚して帰化したタイ人女性、難民を装ったクルド人やイスラム教徒のアラブ人などが堂々と「日本国民」になっている。
普通の日系日本人は、こんな連中のために命を賭けようとは思わない。それに、もし日系人の負傷兵がPTSDになって帰郷したら、アジア系国民は日系人を温かく迎えるのか? 支那人は他人を気にしない民族であるから、片輪になった日系人を目にしても感謝の言葉を述べることはない。むしろ、「日本人、バカあるよぉ~」と嗤いながらビールのを飲むような連中だ。イスラム教徒の帰化人も同じ類いで、アッラーのための聖戦(ジハード)なら喜んで戦うが、天皇陛下のために自爆テロなんかしないだろう。日系人の青年も馬鹿らしくなってしまうから、地位や金銭を使って徴兵忌避を画策するかも知れない。日本の核武装を期待する保守派国民は、“大和魂”の軍人を見ることはなく、日本版のフラワー・チルドレンを見る破目になるかも知れないぞ。
https://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68978543.html
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2024/11/29 (Fri) 02:37:58
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旭川いじめ凍死事件で凍死した14歳女子中学生は複雑性PTSDではなく覚醒剤中毒だった
旭川女子中学生いじめ凍死事件で文春や被害者の母親の証言はすべて嘘だった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16858192
「ママ、死にたい」自慰行為強要、わいせつ画像拡散…氷点下の旭川で凍死した14歳女子中学生への“壮絶イジメ”
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/591.html
旭川女子中学生凍死事件は F君が 韓国の「N番部屋事件」を真似してやった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14003144
あたおかやしま _ 旭川いじめ事件 - YouTube
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14061914
タカユキtwistclub 旭川いじめ事件〜永山中央公園 【再放送総まとめ版】
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14076552
14歳女子中学生の旭川いじめ凍死事件はプチエンジェル事件同様の児童バイシュン・ハニートラップ事件だったのか?
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/215.html
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健司が斬る!【深掘り事件考察】 - YouTube
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旭川いじめ と神居古潭事件の少女は加害者も被害者もドラッグ障害だった:
【7/31最新】旭川・内田梨瑚の舎弟(19)がついに!シャブ中不倫の真相!【深掘り解説】
健司が斬る!【深掘り事件考察】2024/07/31
https://www.youtube.com/watch?v=-Ir3kz0I5ao
0:00 【本日の健司が斬る!】旭川事件に動きあり!
1:42 【おさらい・今日のテーマ】警察の汚職とヤクの専門家が斬る!
3:36【深掘り】実体験!警察の汚れた欲望
7:41 【深掘り】ヤリ●ンと行動からわかる「ヤク中」の証
10:44 【深掘り】薬物依存とADHD そして暴力へ
15:05 【深掘り】19歳A子を分析!暴力アスペとは!?
16:51 【大募集】「家族会」結成!障害を療育する家族へ!
18:21 【追加解説と予告】内田梨瑚と舎弟の相性!?まもなく起訴!
内田梨瑚の生い立ちの深掘り解説は↓
【旭川女子高生殺害事件】内田梨瑚(21)脳疾患が判明【真相】
https://www.youtube.com/watch?v=Id4IzVEhU8o&t=0s
0:00 【目次】本日の健司が斬る!は?
1:43 【挨拶&事件紹介】旭川女子高生●事件を深掘り
3:33 【深掘り】1.“36キッズ”の実態(発達障害の可能性)
5:25 【深掘り】2.生い立ち(暴言家庭と二次障害)
9:33 【深掘り】3.ドロップアウト(「悪」への第一歩)
11:56 【深掘り】4.そして事件発生(ノーブレーキの残虐性)
13:50 【特報×2】「母の悲痛な声」& すすきの事件機密情報
※本事件は発達障害の疑いの強い容疑者とあくまで限定的な環境要因が重なり「支配のために殺人もいとわない人格」が形成された事件です。
発達障害の方の多くは特性を理解し生きづらさを克服することで、善良で優秀な人間として成長することができます。
障害そのものが悪では無いことをどうかご理解下さい。
↓↓↓↓↓【事件概要】↓↓↓↓↓
2024年4月19日
北海道留萌(るもい)市の女子高生
村山月(るな)さん(17)が
北海道旭川市 の内田梨瑚(りこ)容疑者(21) と
旭川市の繁華街36(サンロク)街にたむろする飛行少年少女
“36キッズ”の10代男女3名(19歳少女、16歳男女)により
殺害されたとされる事件
被害者がSNSで内田容疑者の写真を無断転載したことをきっかけに
10万円の電子マネーを要求(手続きが失敗し支払いは未遂)
前日4月18日に月さんを呼び出し、留萌市から数十km離れた山中に拉致
車中では少年少女による恐喝・暴行が行われた。
16歳の2人は途中下車し、
内田容疑者と19歳の少女は
監視カメラの無い橋まで移動
不同意わいせつを行った後、
月さんを橋から10m下の橋に落とし、溺●させたものとみられている。
なお、内田容疑者は「置いてきただけ」と犯行を否認している。
しかし現場付近からは月さんの衣服が見つかっているなど、事件の隠蔽を計った可能性もみられている。
初対面の加害者と被害者が出会ってから4時間あまりでの殺害
事件後も平然と生活を続けた容疑者ら
これはSNSリテラシーの問題ではない!
なぜこのような鬼畜になったのか?発達障害の闇、ここにあり!
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旭川 神居古潭殺人事件 _ 大麻・覚醒剤の売人だった内田梨瑚(21)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16856891
何も知らない普通の人をドラッグの世界に引きずり込む手口
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/902.html
ヤクザは女性に言う事をなんでも聞かせる為に刺青をしている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/194.html
幻覚剤 _ 踊り続けた男は石ナイフで胸を引き裂かれ、脈打つ心臓がつかみ出された
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16857360
統合失調症患者や覚醒剤中毒者が体験する世界を描いた映画 コワイ女ー カタカタ
コワイ女 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%B3%E3%83%AF%E3%82%A4%E5%A5%B3
覚醒剤中毒者が体験する世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/423.html
相場に失敗すると奥さんとお嬢さんにはこういう運命が待っている
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/250.html
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2025/01/05 (Sun) 04:58:24
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レジリエンス (心理学)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B9_(%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6)
心理学におけるレジリエンス(resilience)とは、社会的ディスアドバンテージや、己に不利な状況において、そういった状況に自身のライフタスクを対応させる個人の能力と定義される[1]。自己に不利な状況、あるいはストレスとは、家族、人間関係、健康問題、職場や金銭的な心配事、その他より起こり得る[2]。
「脆弱性(vulnerability)」の反対の概念であり、自発的治癒力の意味である。「精神的回復力」「抵抗力」「復元力」「耐久力」「再起力」などとも訳されるが、訳語を用いずそのままレジリエンス、またはレジリアンスと表記して用いることが多い。
概要
レジリエンス(resilience)は、元々はストレス(stress)とともに物理学の用語であった。ストレスは「外力による歪み」を意味し、レジリエンスはそれに対して「外力による歪みを跳ね返す力」として使われ始め[3]、精神医学では、ボナノ(Bonanno,G.)が2004年に述べた「極度の不利な状況に直面しても、正常な平衡状態を維持することができる能力」という定義が用いられることが多い[4]。1970年代には貧困や親の精神疾患といった不利な生活環境(adversity)に置かれた児童に焦点を当てていたが、1980年代から2000年にかけて、成人も含めた精神疾患に対する防衛因子、抵抗力を意味する概念として徐々に注目されはじめた[5]。
具体的に解りやすい例がPTSDである。1995年のアメリカの論文には、アメリカ人の50% - 60%がなんらかの外傷的体験に曝されるが、その全ての人がPTSDになるわけではなく、PTSDになるのはその8% - 20%であるという[6]。2006年の論文では、深刻な外傷性のストレスに曝された場合、PTSDを発症するのは14%程度と報告されている[4][7]。では、なる人とならない人の差は何か、というのがこのレジリエンスである。
チャーニー(Charney)は2004年に「アロステイシス(allostasis)」という概念を提唱し、それを構成する要素としてコルチゾールに始まり、セロトニンを含む11の生理学的ファクターをあげている[8][9]。しかし、レジリエンスは生理学的ファクターだけではない。2007年にアーミッド(Ahmed)が、目に見えやすい性格的な特徴を「脆弱因子」と「レジリエンス因子」にまとめたが[10]、そこで特徴的だったことは「レジリエンス因子」は「脆弱因子」のネガではないということである。「脆弱因子」を持っていたとしても、「レジリエンス因子」が十分であればそれが働き、深刻なことにはならない。その「レジリエンス因子」には「自尊感情」「安定した愛着」から「ユーモアのセンス」「楽観主義」「支持的な人がそばにいてくれること」まで含む。
国内では小塩真司らによる研究もあり、レジリエンスは「新奇性追求」「感情調整」「肯定的な未来志向」の3因子で構成され、また苦痛に満ちたライフイベントを経験したにもかかわらず自尊心が高い者は、自尊心が低い者よりもレジリエンスが高いとする[11]。
以上レジリエンスを構成する要素は多く、かつ極めて複雑な相互関係を持つ。また、生得的なものからその人自身によって獲得されるもの、感じ方や考え方まで含む。
構築する方法
アメリカ心理学会は、以下の「レジリエンスを築く10の方法」を提唱している[2]。
親戚や友人らと良好な関係を維持する。
危機やストレスに満ちた出来事でも、それを耐え難い問題として見ないようにする。
変えられない状況を受容する。
現実的な目標を立て、それに向かって進む。
不利な状況であっても、決断し行動する。
損失を出した闘いの後には、自己発見の機会を探す。
自信を深める。
長期的な視点を保ち、より広範な状況でストレスの多い出来事を検討する。
希望的な見通しを維持し、良いことを期待し、希望を視覚化する。
心と体をケアし、定期的に運動し、己のニーズと気持ちに注意を払う。
セルフヘルプによってレジリエンスを築く様々な方法が提唱されており、主に認知行動療法(CBT)と理性感情行動療法(REBT)の理論を元にして執筆されている[12]。例えば、Penn Resiliency Program(PRP)と呼ばれるグループ認知行動介入は、様々なレジリエンスの側面を向上することが示されている。17件のPRP研究メタアナリシスでは、介入によって抑うつ症状が有意に軽減されると示された[13]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B9_(%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6)