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2024/11/25 (Mon) 04:15:06
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シルヴェスター・スタローン『ランボー First Blood』1982年
監督 - テッド・コッチェフ
原作 - デイヴィッド・マレル
脚色 - シルヴェスター・スタローン、マイケル・コゾル
撮影 - アンドリュー・ラズロ
音楽 - ジェリー・ゴールドスミス
主題歌 - ダン・ヒル「It's a long road」
動画
https://www.bing.com/videos/search?q=First+Blood+1982&FORM=HDRSC4
ランボー - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC
『ランボー』(原題: First Blood)は、1982年のアメリカのアクション映画で、『ランボー』シリーズの第1作である。
ディヴィッド・マレルのデビュー小説『一人だけの軍隊』の映画化作品であり、社会から孤立したベトナム帰還兵ランボーと、たまたま街を訪れた流れ者というだけでランボーを排除しようとした保安官との戦いや、ランボー自身の独白を通して、「ベトナム戦争によって負ったアメリカの傷」が描かれている。 本作によりスタローンは当たり役の一つを得て、『ロッキー』に続くキャラクターイメージを獲得し、アクションスターとしての地位を不動のものとした。本作は単なる娯楽追求のアクション映画と異なり、現実のアメリカのベトナム帰還兵の姿と重ね合わせたストーリー[3]となっており、非常に重いテーマの作品となっている。
あらすじ
プロローグ
1981年12月のワシントン州。ベトナム帰還兵ジョン・ランボーは、ベトナム時代の戦友を訪ねて山間の田舎町を訪れる。しかし戦友は、戦争で浴びた化学兵器の後遺症で癌を患い、既にこの世を去っていた。戦友宅を辞去し、食事をとるため街へ入ったランボーに、保安官ティーズルが声を掛ける。ティーズルはランボーがトラブルを起こしそうな身なりや顔つきだと判断し、偏見から街を素通りして出ていけと高圧的な態度で告げ、ランボーをパトカーに乗せて市街地の外れへと追い出す。それでも来た道を戻り街へ入ろうとするランボーを、ティーズルは公務執行妨害とサバイバルナイフ所持で逮捕し保安官事務所へと連行する。
保安官達との戦闘
事務所の取調室に入れられたランボーに、ベトナム時代に囚われの身になった時の体験がフラッシュバックする。取調べにあたる保安官達はフラッシュバックにより沈黙するランボーに対し、取り調べに協力的でないとして高圧的に接し、小突いたり消防ホースからの噴流を浴びせるなど拷問じみた嫌がらせを行う。そしてランボーの髭を剃ろうと羽交い絞めにし、シェービングクリームも付けずにその顔へ剃刀を近付けた瞬間、ランボーの脳裏に、かつてベトナムで受けた拷問の様子が鮮烈に蘇ってくる。その場にいた保安官助手全員を素手で叩きのめし、ランボーは没収されたナイフを奪い返して山中へと逃走する。
ティーズルは部下を率いて山狩りを開始し、絶壁まで追い詰める。しかしヘリに乗っていた保安官助手が独断でランボーの射殺を図り、身を守ろうとしたランボーが投げた石によって動揺したヘリから転落し、命を落とす。「これは事故だ、彼を殺す意志はなかった」と戦闘の停止を呼びかけるランボーに対し、死んだ保安官助手の独走を知らないティーズル達は仇討ちとばかりに発砲。これをきっかけにランボーは反撃へと転じ、グリーンベレー仕込みのゲリラ戦で保安官助手達を1人ずつ無力化し、最後に残ったティーズルの喉元にナイフを突き付けて「この山では俺が法律だ」と言い残し、山奥へと姿を消す。
州兵による追撃
ティーズルが麓へ戻ると、州警察と州兵によって組まれた対策本部へ、国防総省からサミュエル・トラウトマン大佐が派遣されてくる。ランボーのベトナム時代の上官である大佐は、ゲリラ戦においてランボーがどれだけ優秀な兵士であるかを語り、被害を最小限に抑えるため、一旦ランボーから手を引いて山から下ろし、別の街へ移動したところを改めて逮捕することを提案する。しかしティーズルは自分の手でランボーを捕えることに固執し、大佐の案を聞き入れない。ランボーを説得するため、大佐はベトナム時代のコールサインを使って無線で呼び掛ける。応答したランボーは、ベトナム時代の戦友たちが彼を除いて全員死んだことを伝えつつ、先に仕掛けてきた(first blood)のは保安官達だと告げ、投降の意思がないことを明確に表す。
夜が明け、追っ手に見付かったランボーはねぐらにしていた廃坑に駆け込むが、州兵によって包囲される。戦闘慣れしていない州兵たちはランボーの戦闘力に恐怖し、ティーズルが生け捕りにしろと言うのも聞かず、坑道にロケット弾を撃ちこんでランボーを生き埋めにする。跡形もなく崩れ落ちた廃坑を見て、州兵、州警察、ティーズルは、ランボーの死を確信する。しかし間一髪で坑道に跳び込んで生きていたランボーは坑道の中をひたすら進み、ついに出口を見つけて地上へと脱出する。
街へと逆襲へ
ランボーは通りかかった州兵のトラックを強奪。荷台にあったM60機関銃と弾薬を携え、夜陰に乗じて再び街へと姿を現す。彼はガソリンスタンドを爆破して街の注意をそちらに向けた後、保安官事務所の電源を断って近所の銃砲店を破壊し、保安官事務所に連射の銃弾を撃ち込む。ティーズルは屋上の天窓に潜んで待ち伏せていたが、踏み込んできたランボーに返り討ちにされ、重傷を負って屋内に転落する。彼にとどめを刺そうとするランボーの前に、大佐が現れる。「周囲は完全に包囲され200丁のM16がお前を狙ってる、もう助かる見込みはない、投降しろ、戦いは終わった」と告げる大佐に、ランボーは「まだ終わっちゃいない!戦争は続いている!」と絶叫する。そしてその口から、戦争終結から7年経った現在でも続くトラウマと悲劇が語られる。
ベトナムから帰還した直後に空港で戦争を知らない一般人から浴びせられた反戦デモの罵声。ベトナムの戦場には助け合える友人がたくさんいたのに、祖国アメリカでは誰も助けてくれない。100万ドルの兵器を使いこなした歴戦の勇士でも、祖国アメリカでは駐車場の警備員の仕事にすら就けない。博打好きだった戦友が靴磨きを装って近づいた子供の自爆テロによって無惨に爆死した瞬間も、今なお悪夢として自分を苛む。戦友とは、この戦争が終わったらラスベガスでスポーツカー(原語ではシェビー)を乗り回そうと楽しそうに語って、約束していたが、もう永遠に果たせない。ランボーは走馬灯のようにベトナム戦争を回顧しながら、まるで子供のように泣きじゃくり、凄惨な事件の背後にある悲劇を知った大佐は、ただランボーをその胸に抱きとめることしかできなかった。
そしてランボーは投降。救急車で搬送されるティーズルを横目に大佐の手で連行されていき、事件は終結する。
登場人物
ジョン・ランボー
演 - シルヴェスター・スタローン
本シリーズの主人公で、ベトナム帰還兵。グリーンベレーの元隊員。戦闘のプロフェッショナルだが、作中では相手を殺さないように手加減するなど冷酷ではない。戦争で功績を残した優秀な兵士。しかし、帰国後は国民から疎まれ、仕事に就けていない。また戦争での悲惨な記憶がフラッシュバックして苦しんでいる。
サミュエル・トラウトマン
演 - リチャード・クレンナ
大佐。ランボーの上官。ランボーの理解者として捜査に加わる。
ティーズル
演 - ブライアン・デネヒー
保安官。流れ者のランボーを目の敵にして不当な理由で逮捕したが逃げられ、追跡する。ランボーに対してトラブルを起こしたことが事件の発端となる。
カーン
演 - ビル・マッキニー
州警察長。
クリント・モーガン
演 - パトリック・スタック
中尉。
ガルト
演 - ジャック・スターレット
保安官。ランボーに対して露骨な虐め行為を行う。逃走したランボーを追った際にヘリコプターに乗り込むが、生け捕りにするというティーズルの指示に背いてランボーを狙撃するうち、谷川へ転落して死亡する。
ミッチ
演 - デヴィッド・カルーソ
保安官。
ウォード
演 - クリス・マルケイ
ティーズルの部下。
バルフォード
演 - マイケル・タルボット
ティーズルの部下。
レスター
演 - アルフ・ハンフリーズ
ティーズルの部下。ランボーが保安官事務所から脱出する際にランボーと鉢合わせし、顔面に肘打ちを喰らわされ怪我を負う[4]。以降の登場では鼻にテーピングを巻いている。
オーヴァル
演 - ジョン・マクリアム
保安官。
シングルトン
演 - デヴィッド・L・クローリー
ティーズルの部下。
プレストン
演 - ドン・マッケイ
ティーズルの部下。
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2024/11/25 (Mon) 04:19:42
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2024年11月23日
ランボーが本当に伝えたかった事 / 戦争の傷を癒やす方法 (前編)
https://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68978541.html
PTSDを描いたヒット作品
Rambo First Blood 2757Rambo First Blood 324
日本でも大ヒットになった『ランボー』は、好評につきシリーズ化され、2019年には第五作が上映されるほどになった。しかし、完結編となる『ランボー / ラスト・ブラッド(Rambo : Last Blood)』は、もはや戦争を扱った映画じゃない。どちらかと言えば、ヒスパニック・ギャングを相手にした派手な復讐ドラマだ。第一作目の『Rambo : First Blood』(1982年公開)はランボーの内面を描き、観客に深い感銘を与えたが、シリーズを重ねるごとに内容が空虚になっている。第三作目の『ランボー3 / 怒りのアフガン』は、ネタに困ったのか、アフガン・ゲリラと協力する筋書きになっている。9/11テロ事件後のアメリカでは、何となく再放送しづらい作品だ。観客からの評判も悪く、興行的には“失敗作”となっている。
それにしても、なぜ第一作目が“名画”と評されるのか? それは、ランボーが戦争の後遺症に苦しみ、自らの心情を吐露したからだ。『ランボー』の“肝”は最後のシーンにある。興業的には驚愕の戦闘シーンが一番の話題になったが、本当に伝えたかったのは主人公の苦悩であった。
物語は、ランボーが嘗ての戦友を訪ねるシーンから始まる。元「グリーン・ベレー(Green Beret)」の特殊部隊員であったランボーは、親しかったデルマ・バリーに会いたくなり、ワシントン州にある彼の実家を訪ねた。しかし、バリーは既に亡くなっていた。彼の妻によれば、化学兵器(Ogent Orange / 枯葉剤)の影響により彼は癌に罹り、一年前に世を去っていたのだ。
Sheriff Teasle 11( ランボーを捕まえるウィル・ティーズル )
未亡人に別れを告げたランボーは、そのまま旅を続け、ワシントン州のホープという街に辿り着く。だが、そこでは保安官のウィル・ティーズルに目を附けられてしまう。ティールズは独りで道を歩く怪しい男に街を出るよう言い聞かせた。しかし、ランボーは彼の忠告を無視。
街の治安を守りたいティーズルは、言うことを聞かないランボーを“不審者”として拘束し、警察署へ連行する。野良犬のようにしょっ引かれたランボーは、署内で警官らに尋問され、拷問を受ける破目に。この時、警官がカミソリを取り出したので、これを見たランボーは怯えおののく。彼の精神は錯乱し、羽交い締めにする警官がベトコンに思えてしまうのだ。ベトナム戦争で受けた虐待は、フラッシュバックとしてランボーの頭に蘇り、戦士の本能を目覚めさせる。
ランボーは警官らを叩きのめし、警察署から脱出する。すかさず、署内の警官が動き出し、この兇暴な逃亡者を捕まえようとする。地元警察は州兵の応援を得て、山岳地帯に逃走したランボーを捜索した。だが、片田舎の警官達に特殊部隊の英雄を捕らえることなど出来ない。修羅場を何度もくぐり抜けたランボーにしたら、田舎の警官などはボーイ・スカウトの少年程度だ。とてもランボーの敵じゃない。案の定、ライフルを手にした警官達は次々とランボーに撃退されてしまう。地元警察は有効な手段を打ち出せないまま地団駄を踏むしかなかった。
Colonel Sam Trautman 1(左 / サム・トラウトマン大佐)
膠着状態が続く中、特殊部隊を率いていた謎の軍人、サム・トラウトマン大佐が現れる。彼はティーズル達にランボーが沈静化するまで待つように忠告した。しかし、コケにされた警官らは大佐の意見に従わなかった。武装した警官達は、山中での“ハンティング”に出掛けてしまう。戦闘の素人である警官達は、百戦錬磨のランボーによって次々と倒されて行く。
警察や州兵から攻撃されたランボーは、更なる反撃を展開しながら街の中へと戦場を移す。彼は給油所を爆発させて街中を停電にした。さらに、ランボーはスポーツ店に潜伏し、警察署にいる憎いティーズルを狙撃しようと謀る。だが、ランボーが潜む店の中にトラウトマン大佐が入ってきて中止を呼びかける。
一方、ティーズルはランボーが隠れている店内に忍び込むが、逆にランボーによって返り討ちになってしまう。ティーズルを撃ち、興奮するランボーを見つけたトラウトマン大佐は、嘗ての部下に投降するよう促す。店は大勢の警官に包囲されているから、いくら機関銃を手にしてもランボーに勝ち目はない。店の外に集結した警官隊をランボーに見せたトラウトマンは、ランボーに向かって「このミッション(作戦)は終わりだ!(This mission is over!)」と告げ、「終了したんだ(It's over!)」と諭す。
ところが、ランボーは従わず、「何も終わっちゃいないぞ!(Nothing is over!)」と反論する。「俺の戦いは続いているんだ!」というのがランボーの答えであった。ベトナムでの戦いは「俺がアンタに頼んだんじゃない! アンタが俺に頼んだんだ!」とランボーは言う。「俺は必死で戦った。しかし、国へ帰ってみると空港で人々が非難するんだ。“赤ん坊殺し(baby killer)”、とか言って俺を散々罵りやがる。あいつらは何なんだ! 戦争の事を何一つ知らないくせに、頭にくるぜ!」と不満をトラウトマンにぶつける。 「俺は世間の厄介者なんだ! 何者でもないんだ! 戦場では誇りがあり、お互いが助け合っていた」とランボーは叫ぶ。対するトラウトマン大佐はランボーの怒りを静めるべく、「君は英雄だ。こんな事で人生を終わらせるな!」と諫める。
だが、ランボーは従わない。戦場では100万ドルもする兵器を任せてくれたのに、祖国(ここ)では駐車係の職さえ無い!」と叫び、「惨めだ!」と嘆く。ランボーは故郷と戦場の区別がつかなくなっていた。彼はトラウトマン大佐に昔話をし始める。昔、ランボーには仲の良い空軍の友達がいた。戦場では仲間が大勢いたのに、ここ(アメリカ)では独りぼっちだ、と語るランボーの表情はとても痛々しい。
Rambo 834(左 / 過去が蘇って苦しむランボー)
ランボーはトラウトマンに「ダン・フォレストを覚えているか?」と尋ねる。ランボーとダンはよく雑談を交わしていた。もし、帰国したらラス・ヴェガスで遊ぼうとか、1958年製の赤いシボレーに乗って二人で楽しもうぜ、と語り合う間柄であった。
ある時のこと。ダンとランボーのもとにベトナム人の少年が近づいてきた。この少年は彼らに靴を磨かせてくれと頼むが、ランボーは断った。しかし、ダンは了解し、「磨いてくれ」と頼んでしまう。この時、ランボーはビールを飲むために、その場を離れていた。一方、ダンは靴磨きの箱に爆弾が仕込まれているとは知らず、迂闊にも蓋を開けてしまう。即座に、少年の箱は爆発し、その威力でダンの体は吹っ飛ぶ。ダンの手足はバラバラになり、彼の肉片はランボーの体にへばりつく。血塗れとなったランボーは、急いでダンを助けようとするが、すでにダンの体からは内臓が飛び出ている。手足がちぎれてしまった瀕死のダンは、ランボーに抱かれながら「ジョニー、家に帰りたい」と呟く。錯乱状態のランボーは、吹き飛ばされた友人の脚を探そうとするが、どうしても見つけることが出来ない。
ランボーは大佐の前で泣き崩れる。「もう、あれから7年が経つのに」と忘れられない過去を語り、「毎日思い出す。まるで悪夢だ! 気が狂ってしまう」と嘆いた。ランボーの頭の中では毎日過去の亡霊が彷徨(さまよ)っている。彼の精神が落ち着くことはない。何も答えられないトラウトマンは、無言のまま子供のように泣きじゃくるランボーに近づき、心が折れたランボーは大佐の胸にすがりつく。そして、殺気を失ったランボーは、大佐に付き添われて警察に投降する。
映画はダン・ヒル(Dan Hill)が唄う「It's A Long Road」で幕を閉じる。観客はランボーが見せた戦闘能力よりも、しゃがみ込んで泣き崩れるランボーの姿に心を打たれる。悪夢から逃れることができず、ただ少年のように泣きじゃくる英雄に人々は感動した。1982年当時だと、まだベトナム戦争を体験した将兵が多く存在し、POW(戦争捕虜)やMIA(行方不明者)の問題も生々しかったから、ジョン・ランボーの苦しみに共感するアメリカ人も多かった。
David Morell 111( 左 / デイヴッド・モレル )
原作となったデイヴッド・モレル(David Morrell)の小説『First Blood』では、スタローンの映画と違い、ランボーは最後に死んでしまう。彼はティーズルとの銃撃戦で負傷し、大量の血が流れてしまい瀕死の状態となる。そこでランボーはダイナマイトで自決を図るが、フューズに点火することが出来ない。彼がやろうとしている自殺は、永遠の地獄へ送ることになるだろう。しかし、彼には出来なかった。彼は長い間、ずっと自殺を考えていたのに、だ。戦争の時、ランボーの上官は、敵の捕虜になり拷問を加えられた場合に備えて、それを避けるために毒薬のカプセルを渡していた。実際にランボーが捕虜になると、彼にはそれを飲み込む余裕が無かった。しかし、今はフューズに着火できる。(David Morrell, First Blood, New York : M. Evans and Company, 1972, p.246.)大量出血で体が動かなくなったランボーには、既に自殺するだけの力が残っていなかった。彼はフューズに点火することなく意識が徐々に薄くなっている。そして、ランボーは静かに死んで行く。
人生を変えてしまう戦争
話を戻す。帰還兵の苦悩は戦争が終わっても続くようだ。特に、ランボーのケースは悲惨としか言いようがない。彼は戦場で目覚ましい活躍を見せるエリート兵士だが、故郷に帰ってみれば、只の厄介者に過ぎない。しかも、懐かしいはずの社会から孤立し、他人から疎まれるPTSD(心的外傷ストレス障碍)の変人だ。祖国の為に生死を賭け、戦火の地獄を味わったのに、温かく迎えてくれるはずの同胞は、信じられないほど冷たかった。ランボーのような帰還兵は「救国の英雄」ではなく、無辜の女子供を殺しまくった「人でなし」である。
米国の劇場では、多くの退役兵が『ランボー』を観たはずだ。たぶん、大勢の軍人がPTSDに苦しむランボーと自分の過去を重ね合わせ、辛かった日々を思い出したのかも知れない。たとえ、「ハンバーガー・ヒル(Hamburger Hill)」のような戦闘じゃなくても、空爆による突風や弾丸の嵐を経験した兵卒だと、恐怖の記憶が蘇ってくる。ボスニアやイラク、アフガニスタン、ソマリアなどに派兵されたアメリカ兵は、何処から飛んでくるのか分からぬ榴弾砲に晒されるし、道路に埋め込まれた地雷をハンヴィー(Hamvee /軍用トラック)が踏めば、乗組員は即死じゃなくても重傷だ。戦場では人が簡単に死ぬ。何度も戦場を生き延びた陸軍大尉でも、ある非突然、敵の流れ弾が当たって命を失うこともある。大尉を尊敬していた一等兵や伍長などは、「まさか、あの大尉が・・・」と唖然とし、戦争の現実を噛みしめる。
War zone 435War zone 4356
“当たり前”のように平和な生活を送る日本人には、冷酷な地獄を体験した帰還兵の気持ちが分からない。恐怖というものは、直面した時よりも、それを予感する時に怖くなる。筆者がまだ学生時代、ある力仕事の後で退役兵と雑談をしたことがある。焚き火を囲みながら、A氏は戦場での恐怖や負傷の話をしてくれたので、非常に有り難かった。下士官のA氏は、戦場で脚を撃ち抜かれてしまい、自分の最期を覚悟したという。ところが、同じ部隊の戦友が、もがくA氏を引きずって助けてくれたから、A氏は生きて故郷に帰ることができた。もし、戦友が勇気を振り絞って助けてくれなかったら、敵兵に殺されていたかも知れない。もう一人の退役兵B氏は帰国後、戦争体験で苦しみ、人生の意味を考えるようになったという。彼はキリスト教の信仰に目覚め、生きる上で何が重要なのかを探していた。
日本の大学生は“お花畑の住民”であり、高い授業料を払って左翼教授の下らない講義を聴いている。だが、そんな説教(洗脳)にどれほどの価値があるのか? もし、彼らが直接、帰還兵から話を聞くことができれば、その機会は授業よりも数倍有益だろう。これは筆者の主観的な感想になるが、名門大学の教授たちが我々に見せる顔(ツラ)を眺めていると、中古パンツのように“締まり”がなく、“腑抜け”の顔にしか見えない。岸田文雄や石破茂、村上誠一郎のツラを見てみれば判るじゃないか。自衛隊の将官クラスの中にも、事務員みたいな奴が少なくない。
War zone 213War zone 3435
以前、フランスの外人部隊に属していた日本人が述べていたけど、ダメな奴は顔を見ただけで判るそうだ。確かに、戦場で鍛えられた者の“面構え”は一般人と違っている。2005年に亡くなった斉藤昭彦・上級特務曹長は、外人部隊に約20年ほど所属し、アフリカやボスニアでの戦歴を持つベテラン兵であった。斉藤氏は落下傘部隊にも属していたというから、たぶん、何処かの戦場に派遣されていたのだろう。彼の表情には軍人独特の“鋭さ”があり、呑気な日本人の顔つきとは懸け離れていた。
翻って、日本の政治家や政治学者には、情けない奴が多い。なるほど、幼い頃から受験勉強に励み、大学院で大量の赤本を読んでいたのだろうが、そんな連中が口にする言葉には“重み”が無い。聞いていても心に響く“迫力”に欠けているのだ。なるほど、データや数字に強いのかも知れないが、そんなのは知識をひけらかすだけの“自慢話”に過ぎない。ちょいと斜(はす)に構えてアカデミックな説教を垂れれば、世間の一般人はコロッと騙される。しかし、こんな奴らは責任を取らずに威張り散らすだけの“なんちゃって左翼”だ。ソ連が崩壊した時、「私は間違っていた!」と謝罪し、首を吊った左翼学者は居たのか?
脱線したので話を戻す。ジョン・ランボーのように、戦場で凄まじい恐怖を味わった将兵の治療は、いったいどうしたらいいのか? PTSDに特効薬はない。ハーバード大学やスタンフォード大学の心理学者でも無理。となれば、家族や友人、隣人同胞たちが、傷ついた帰還兵を“温かく”迎えてやるしかない。人々が彼らに感謝を示し、その苦悩を理解してやることが最善の治療となる。ランボーが浮浪者のように世間から孤立するのは、彼が社会から必要とされる人間ではないからだ。もし、ランボーが“やり甲斐のある職業”、すなわち“意味のある仕事”に就いていれば、“根無し草の”放浪生活を続けることはないだろう。また、彼が女房や子供を持ち、愛情溢れる生活を営んでいれば、傷ついた精神も徐々に癒やされるはずだ。たぶん、悪夢もやがて消えて行くに違いない。
後編に続く。
https://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68978541.html
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2024/11/28 (Thu) 20:16:52
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2024年11月27日1
戦場で助かっても自殺するアメリカ兵 / 戦争の傷を癒やす方法(後編)
https://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68978543.html
同胞が助け合う社会
US Army 213US Army 7823
戦争になると多くの将兵が命を失う破目になる。優秀な少尉でも敵の弾丸を喰らって死んでしまうし、強運の軍曹でも重傷となる場合が少なくない。たとえ、野戦病院に運ばれた負傷兵でも、数日後に亡くなる人もいれば、奇跡的に恢復する人もいる。
ただ、奇妙なことに、戦闘で死なずに帰国した将兵の中に“自殺”でこの世を去る人がいることだ。凄惨な体験を経た軍人の中には、肉体的な怪我や精神的な重圧で鬱病やPTSD(心的外傷ストレス障碍)になってしまい、何らかの切っ掛けで自らの命を絶ってしまうという。退役軍人省(Department of Veterans Affairs)の報告によれば、2022年度の自殺者数は493名で、2023年度は523名であった。2008年から2016年の統計によれば、6千名以上の軍人が自殺していたそうだ。(Elaine K. Howley, Statistics on PTSD in Veterans, U.S. News & World Report, June 28, 2019.)
以前の戦争でも自殺者は出ていたようで、ブッシュ政権時代に行われたイラク・アフガニスタン戦争、つまり「イラク自由作戦(Operation Iraqi Freedom)」や「永遠の自由作戦(Operation Enduring Freedom)」の時だと、100名中11人か20人が自殺する事態になっていた。ペルシア湾岸戦争の時には100名中12人が自殺し、ベトナム戦争の時だと100名中15名が自殺する割合になっていたそうだ。
戦争体験を持たない日本人からすれば、「どうして生還できたのに祖国で自殺するのか?」と不思議でならない。一口に「アメリカ兵」といっても様々で、全員が百戦錬磨のエリート軍人じゃないから、中には戦闘前に死の恐怖に怯えてしまい、敵の銃弾じゃなく、自分の拳銃で自分の命を絶ってしまう人もいるのだ。また、無事に帰国できた兵卒でも平穏な生活に戻れず、フラッシュバックでパニックに陥ったり、寝ているときに悪夢を見てしまう人もいる。戦場を体験していない家族や友人は、PTSDに苦しむ帰還兵を理解できないから、どう対処していいのか分からない。自分の“居場所”が見つからない退役兵は、「戦場の方が良かった。また軍に戻って昔の仲間と過ごしたい」と考えてしまうそうだ。
Sebastian Junger 1(左 / セバスチャン・ユンガー )
戦場や退役兵を取材し、ドキュメンタリー映画を制作するジャーナリストのセバスチャン・ユンガー(Sebastian Junger)は、孤独になった帰還兵や自殺を図る軍人を調べ、その原因をいくつか推測していた。彼は著書『部族(Tribe)』の中で所属意識の重要性を述べ、アメリカ社会が冷たくなり、お互いの交流が希薄になっている、と指摘している。
戦場から帰ってきた現代の兵卒は、人間が発展させた緊密な集団から別の社会へと戻って行く。そこでは大半の者が家の外で働き、子供達は見知らぬ人々によって教育される。家族は世間(コミュニティー)から孤立し、個人的に得たものは皆の利益をほぼ完全に削いでいる。たとえ、彼(彼女)が家族の一員であっても、その者は資源を分かち合い、ほとんど全ての事を集団で経験する集団には属さない。現代社会がもつ技術的進歩が何であれ、それにこれがほぼ奇跡的なものであれ、こうした技術から派生する孤立化されたライフスタイルは、人間の精神を深く痛めつけるものである。(Sebastian Junger, Tribe : On Homecoming and Belonging, New York : Twelve, 2016, p.93)
普通の日本人がアメリカ社会に住めば、“鬱陶しい”人間関係が少なく、私生活に干渉してくる隣人や同僚も稀であることに気づくだろう。しかし、その反面、困った時に助けてくれる人を探すのが大変で、相談にのってくれるのは家族や親友だけだ。ましてや、PTSDの帰還兵だと周りの人間は“関わり合い”になりたくないと考えるから、笑顔で敬遠の態度を取り自然と離れて行く。ユンガーは言う。「我々の社会は自らを疎外し、技術に偏り、冷たくて謎めいている。我々が人間として心から望むのは、他者と近づくことであるが、我々の社会はそれを許さない」と。彼は次の点を強調していた。「おそらく、帰還兵にとって最も重要なのは、戦場にいた時と同じように、社会へ戻った時に人々から必要とされ、生産的なことをしていると実感することだ」。(上掲書p.102)
戦争は冷酷無残な殺し合いだが、その一方で温かい側面を持っている。ユンガー曰く、
軍隊生活の中で最も著しいのは、たとえ補助部隊であっても、決して独りではない、ということだ。何日も、何ヶ月も、10名、あるいはそれ以上の者たちと、たとえ肌と肌が密着することがなくても、触れ合うように話す。私がアメリカ兵と一緒にアフガニスタンの僻地にいた時、塹壕の中でたった数フィート離れた状態で10名と寝ていた。横になりながら腕を伸ばすと、側にいた3名に触れてしまうほどだ。彼らはいびきをかくし、話もする。夜中に起きては小便をするが、我々はいつも安心感を持っていた。なぜなら、我々は仲間と一緒だからだ。(上掲書、p.94)
一般の日本人はまだ世間と繋がる生活を保っているので、嫌な事にに直面したり、何らかの問題で困っても、自殺までは考えない。なぜなら、庶民は家族と暮らし、学校時代の友人や職場の同僚と普通に接しているからだ。失恋をしたり、借金を抱えたりしても、誰かが心の支えになってくれるという“安心感”があるので、首つり自殺や飛び降り自殺を考えたりすることはない。逆に、裕福で不自由の亡い暮らしをしていても、誰からも相手にされない人や生き甲斐を持たない人は、「こんなはずじゃなかった!」と自らの人生を嘆く。
ユンガーは人との繋がりが如何に大切であるかを示すため、あるジャーナリストが体験したエピソーどを紹介している。
Nidzara Ahmetasevic 022(左 / ニザラ・アヌメタセヴィッチ )
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が勃発した時、ニザラ・アヌメタセヴィッチ(Nidzara Ahmetasevic)は17歳の少女であった。戦闘が始まってから数週間後のことだ。彼女に恐ろしい不幸が襲いかかる。何と、ニザラの家族が住むアパートメントに砲弾の破片が吹き飛んできたのだ。この“とばっちり”で彼女は重傷となり、意識不明の状態になった。ニザラは直ちに病院へ搬送され、外科手術を受ける破目になるが、信じられないことに、麻酔無しの処置であったという。当然のことではあるが、激痛の叫び声が轟く手術になったそうだ。
紛争のせいで病院は負傷者で溢れかえっていた。病室に入りきらない患者は、便所や廊下、玄関の辺りに寝かせられるという始末。たとえ、ベッドが確保されても、そのシーツは怪我人の血で汚れており、死者の鮮血で濡れていたそうだ。病院で過ごした最初の夜、ニザラの隣で寝ていた女性は、もがき苦しみながら死んでいったという。政治家や軍事評論家は、気軽に「collateral damage(攻撃対象に附随する死者や負傷者の総称)」と言うが、実際に手足が引きちぎれた民間人や頭蓋骨を吹き飛ばされた子供の遺体を見ると、戦争の悲惨さがよく分かる。
二週間後、ニザラは松葉杖をつきながら、どうにか退院することができたという。破壊されたアパートメントは、近所の人々が何とか修復したそうで、食料や水の確保などみんなで協力したそうだ。庭で野菜を栽培したり、オーブンを共有したりと、皆で助け合う生活になっていたらしい。
こうした中で、ニザラは18歳の誕生日を迎えることになった。すると、ある隣人が誕生日ということで細やかなプレゼントを渡してくれたというが、それはたった“1個”の卵であった。(上掲書、p.68.)おそらく、この隣人にとっては、一つの卵であっても貴重な食料だったに違いない。だが、この贈り物をもらったニザラは困った。家族や友人と分け合うには少なすぎる。そこで、彼女は小麦粉と卵を用いて、現地風のパンケーキを作ることにしたという。後に、ニザラの家族は安全を考えてイタリアに移住し、成人したニザラはジャーナリストになった。
戦うことを厭がる未来の日本人
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敗戦後、日本人は別の民族になってしまった。占領軍からの強要であったとしても、大勢の国民が積極的に軍隊の放棄を支持したし、安全ならば米国の属州民になっても構わない、と考えだった。このような国民であれば、アジアでの戦争が差し迫っても“対岸の火事”でしかないし、お金を払って兵役を回避しようとする者も出てくるだろう。
しかし、「未来永劫、あと100年経っても日本は安全」という保証は無い。いずれ日本人も武器を持って戦う破目になるだろう。その時、日本の庶民は国防をどう考えるのか? こういった危機に直面した時、日本人は「誰のために戦い、何のために死ぬのか?」と真剣に考え始める。ただ、志願兵の体制だと国防は“自衛隊任せ”となるから、「税金分くらいは、ちゃんと働け!」と叱りつける人が出るかも知れない。それでも、自衛官の家族は負傷兵として夫や息子が帰国した時、「どんな待遇を受けるのか?」を予め考えておくべきだ。
Vietnam war 43Vietnam war casualties 11
日本もやがて歐米のように“異民族混交社会”となるから、兵役は“苦役”か“3K職種”になる。たぶん、兵員不足に悩む合衆国海兵隊のように、低学歴か低所得の若者が社会保障を求めて就く受皿的職業になるだろう。しかし、戦争となれば何割かの将兵が死体か傷痍兵になるから大変だ。遺体袋に入っての帰郷なら、葬儀と焼却炉の後処理で済むけど、重傷の帰還兵となれば、施設か自宅でのリハビリ生活となる。片脚を無くしたり、大火傷の顔面を晒すモンスターとなれば、人々から無視されたり憐れみを受ける人生となってしまうから本当に憐れだ。若い帰還兵なら、以前の健康な身体が懐かしくなるだろう。たとえ戦没者記念日に参加できても、あとの360日くらいは惨めな隠遁生活だ。20歳代で傷痍兵となり、40年か50年を片輪や精神異常者として暮らすとなれば、いくら勲章をもらってもやりきれない。
保守派国民は占領憲法の廃棄と国家の独立を訴えるが、生死を賭けても守り抜きたい祖国とはどんな国家なのかを考えるべきだ。昔の日本人は“当然”の如く戦争に赴くことができた。なぜなら、日本が“日本人の国”であり、祖国防衛が“国民の義務”と思われていたからだ。両親兄弟、祖父母親戚、友人や先輩後輩、恩師とか隣人などを守りたいから恐ろしくても武器を取った。しかし、今は違う。嘗ての日本じゃない。「第三国人」の子孫たる朝鮮人や銭ゲバの支那人が政財界で幅を利かせているし、元不法滞在者のフィリピン人夫婦や日本人と結婚して帰化したタイ人女性、難民を装ったクルド人やイスラム教徒のアラブ人などが堂々と「日本国民」になっている。
普通の日系日本人は、こんな連中のために命を賭けようとは思わない。それに、もし日系人の負傷兵がPTSDになって帰郷したら、アジア系国民は日系人を温かく迎えるのか? 支那人は他人を気にしない民族であるから、片輪になった日系人を目にしても感謝の言葉を述べることはない。むしろ、「日本人、バカあるよぉ~」と嗤いながらビールのを飲むような連中だ。イスラム教徒の帰化人も同じ類いで、アッラーのための聖戦(ジハード)なら喜んで戦うが、天皇陛下のために自爆テロなんかしないだろう。日系人の青年も馬鹿らしくなってしまうから、地位や金銭を使って徴兵忌避を画策するかも知れない。日本の核武装を期待する保守派国民は、“大和魂”の軍人を見ることはなく、日本版のフラワー・チルドレンを見る破目になるかも知れないぞ。
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