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国とは?国家とは?定義と歴史から見る異なる概念を知る

1:777 :

2024/11/19 (Tue) 14:58:27

ネットでは以下の様なデタラメな話をする人が多いですね:

国とは?国家とは?定義と歴史から見る異なる概念を知る〜前編〜
【公式】吉野敏明の政経医チャンネル〜日本の病を治す〜 2024/11/16
https://www.youtube.com/watch?v=v_EIiG3ficg&t=1s

0:00 はじめに
0:26 日本は国?国家?
9:13 国と国家の違いとは?


国とは?国家とは?国を定義する4つのこと〜後編〜
【公式】吉野敏明の政経医チャンネル〜日本の病を治す〜 2024/11/17
https://www.youtube.com/watch?v=26AzBjd4UPU

0:00 はじめに
0:28 国を定義する4つのこと
5:37 共産主義が掲げる無政府状態
13:15 日本における男女の役割


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真実は

知恵袋ユーザーさん 2019/2/13 15:35
「国」と「国家」の違いって何ですか?


20160215さん 2019/2/18
【国】とは国境線で区切られた領土のことで、【国家】はそこに成立する政治組織のことです
「主権・領土・国民」の3つを揃えると国として認められます
日本の場合、「日本」というのが【国】で、「内閣(政府)・国会・裁判所」というのが【国家】です

国民全員が横並びの状態(大統領や総理大臣が存在しない)では、いつ誰が命令違反をするか分かりません
いつ誰が強盗をしても、いつ誰が殺人をしても、放火や窃盗をしても、取り締まることができません

これでは人々は安心して生活することができません
これを「万人の万人に対する闘争」状態と言います

この闘争状態に陥らないためにも、国民は「国家」という強大な権力組織を作って、命令違反をした人間を取り締まるのです



blu********さん 2019/2/13 15:53
そもそも日本語にはあまり用法に違いが無いようですが

国というのは王様のような人がある領域を支配しているもの
ローカルな領域のこと

国家というのは近代国民国家主義に基づいて
ある領域の中にいる人を、拡張された仮想家族とし
国をその家族がいる家なのだという理屈です

戦前の日本は天皇がお父さんで
国民はみんなその家族(皇民)
ということで、植民地化した国などを
皇民化(家族化)するということになります

(当然、本当は家族じゃないんですが)

ですから国家主義というと
全体主義的な意味になります

よく「愛国」といいますが
自分の郷土を愛するのは「パトリオティズム」
国家を愛するのは「ナショナリズム」ということで
右翼のような人は「愛国」ではなく「愛国家主義」ということになります。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13203421003


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真実は

NationとCountryの違いとは?分かりやすく解説!
2023.09.09
https://toumaswitch.com/r7g8ybrc2h/

主な違い – 国民 vs 国

NationとCountryは、同義で使われることもある関連用語です。

しかし、これは国家と国に違いがないことを意味するものではありません。

国家とは、共通の起源、歴史、文化、民族、言語によって結ばれ、特定の州や領土に居住する人々の集団であるのに対し、国とは、独自の政府によって支配されている土地の区域を指します。

したがって、国家と国の主な違いは、国家が人々の集団を指す文化的・政治的用語であるのに対し、国は主に地域や領土を指す政治的概念であることである。



国家とは何か

ネイションとは、共通の起源、歴史、文化、民族、言語によって結ばれ、特定の国家や領土に居住する人々の大集団です。

スターリンは『マルクス主義と民族問題』の中で、民族を「共通の言語、領土、経済生活、共通の文化に表れた心理的構成に基づいて形成された、歴史的に構成された安定した人々の共同体」と定義している。

それは、人々が何世代にもわたって共に生活することによって生じる。

国家は文化的・政治的な共同体です。

民族と比較すると、国家はより非人間的、抽象的であり、あからさまに政治的であると考えられている。

また、国家という言葉は、国や国家と同義に使われることもあります。

このように使われる場合、ほとんどの場合、地域を指している。

国家が独自の国や領土を持つ場合、それは国民国家と呼ばれる。


国とは何か

国とは、その国の政府によって支配されている土地の区域のことです。

1つの国には、複数の国が存在することもあります。

アメリカ合衆国はこの種の国の例です。

国は主に政治的、地理的な概念です。

国とは、独立した主権国家である場合もあれば、非主権国家または旧主権国家の政治部門として他の国家に占領された領域である場合もあります。



Nation と Country の違い

定義
国家とは、共通の起源、歴史、文化、民族、言語によって結ばれ、特定の国家または領土に居住する人々の大規模な組織です。

国とは、その国の政府によって支配されている土地の区域を指します。



参照
Nation は主に人の集まりを指します。

国とは、領土を指します。

フィールド
Nationは文化的なものであり、政治的なものでもあります。

カントリーは主に政治的、地理的なものです。

抽象と具象の比較
国家はより抽象的な概念です。

Country is a concrete concept.Difference Between Nation and Country - infographic

スターリン、ヨーゼフ。

「Marxism and the National Question”. Marxists.org. マルクス主義者インターネット・アーカイブ. 2016年5月10日に取得。

“Relief map of Australia” by Hans Braxmeier (CC BY-SA 2.5) via Commons Wikimedia

“Kam people” by Jialiang Gao – Original Photograph (CC BY-SA 3.0) via Commons Wikimedia

https://toumaswitch.com/r7g8ybrc2h/


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真実は

国と国家: 違いと比較 By エマ·スミス
https://askanydifference.com/ja/difference-between-nation-and-country/

簡単に言えば、国とは、個人が最高の権限または権力を持つ政府を持つ場所または地域です。 すべての人を統治する適切なシステムがあります。


主要な取り組み

1.国は共通の言語、文化、歴史、アイデンティティを共有する人々のグループであり、国家は政府と国境を持つ地理的な地域です。

2.国は独立した国家を持っている場合と持たない場合がありますが、国家は常に独立した主権国家です。

3.国は主観的および文化的要因によって定義できますが、客観的および政治的要因は国家を定義します。


国対国家

国家は、特定の地域で共に暮らし、同じ伝統に従っている人々の巨大なグループである場合があります。 彼らの文化も同じです。

「国家」という用語は、フランス語に由来します。 国は、政府を持つ国家として生活する巨大な人々のグループになる可能性があります。

国は独立国家になることができます。


国家とは、共通の文化、伝統、そして場合によっては共有の領土に基づいて確立された個人の共同体です。 さらに、国家は民族グループよりも政治的です。

彼らの選択または決定に応じて、それは自治権を持つ独立した国家、または当局によって統治される独立国家、別のサイトの規則と規制に従う地域、または単に個人の集まりである可能性があります.


比較表

比較のパラメータ 国家 国
https://askanydifference.com/ja/difference-between-nation-and-country/


国家の語源
それは「ナシオン」を意味します - 「起源の場所」を意味する古いフランス語の言葉です。

国の語源
それは「contree」を意味します - 「遠隔地」を意味する古いフランス語の言葉です。


国家のアイデンティティ
それは、同じ文化と伝統を共有する個人の集まりとして一般に認識されています。

国のアイデンティティ
それは一般に、権威によって統治される「国家」として認識されています。


国家の都道府県 すべての国に州があるわけではありません。

国の都道府県 国民国家の概念では、すべての州に XNUMX つの国家があります。


国家の例 バスク人はスペインに住んでいます。

国の例 ロシア連邦。


国家のAlternative あるいは、主権国家と国について使用することもできます。

国のAlternative 実質的な方法ではありませんが、政府の地位を持たない特定の地域や地域で使用できます。



国家とは何ですか?
国家とは、共有された文化と伝統に基づくつながりを持つ特定の地域に居住する個人の巨大なクラスターです。 国家とは、日常の言語、体制、宗教、歴史的出来事を共有する、人類的に多様化されていない個人のチームです。


国家は、その自治、統一、明確な利益を自覚する文化的・政治的な共同体として定義されています。法学では、国家とは主権国家を指す用語です。

その特定の州の地元のインディアンによって形成されたさまざまな国の「インディアンネーションズ」のように。 場合によっては、シンド語、ヨルバ語、ロヒンギャ語、イボ語のように、標準的な歴史、文化、言語を共有しているにもかかわらず、領土を持たない人々もいます。

この用語は、古いフランス語で「原産地」を意味する「ナシオン」という言葉に由来しています。 多くの人はまた、主権国家または国を指すためにこの用語を何気なく使用しています。




国とは?

「カントリー」という言葉は、古フランス語の「contrée」に由来します。 この用語は 11 世紀まで英語に含まれていなかったと想定されていますが、 の中で イングランドのノルマン侵攻。

個人の集まりが主権国家を取り囲むと、それは国民国家と呼ばれます。国民国家内に住む人々は、歴史、言語、民族、文化を共有しています。

国は、主権国家とも呼ばれます。 主権を持たない国には、さまざまな程度の自治があります。

国には、プロトコル名と地理名または短縮名という 2 つの名前があります。どちらの文字も完全で正式かつ公式です。たとえば、議定書名はインド共和国、地理名はインドです。



国家

国と国家の主な違い

国家の例としてはスペインに住むバスク人、国の例としてはロシア連邦が挙げられます。
国家は、主権国家や国の代わりになることができます。 国は、政府の地位を持たない特定の地域または地域について、実体のない政治的な方法で交互に使用されます.


国と国家の違い
参考情報
https://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1177/1474474014539248

https://askanydifference.com/ja/difference-between-nation-and-country/


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国民国家 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%9B%BD%E5%AE%B6

国民国家(英: Nation-state、仏: État-nation、独: Nationalstaat)とは、国家内部の全住民をひとつのまとまった構成員(=「国民」)として統合することによって成り立つ国家。領域内の住民を国民単位に統合した国家そのものだけではなく、それを主権国家として成立する国家概念やそれを成り立たせるイデオロギーをも指している。


ウェストファリア条約で総称される条約のうちミュンスター条約締結の図(ヘラルト・テル・ボルフ画)
歴史的にみれば、絶対王政によって中央集権体制の整えられた国家が三十年戦争を通じてさらに強力化し、三十年戦争の講和条約であるヴェストファーレン条約(1648年)によって、このとき神聖ローマ帝国(ドイツ)の領域に多数の主権国家が生まれ、またオランダ(北部ネーデルラント)はスペインから国としての独立を果たした[注釈 1]。こうしてそのとき生まれたヨーロッパの国際秩序を「主権国家体制」ないし「ウェストファリア体制」と称する。

こののち、ヨーロッパでは17世紀のイギリス市民革命(清教徒革命、名誉革命)、18世紀のフランス革命などにみられるように、絶対王政に対する批判として君主に代わって「国民」が主権者の位置につくことによって近代国家が形成された[1]。18世紀から19世紀にかけて、オランダ・イギリス・フランスにつづいてヨーロッパの他地域でも市民革命が起こり、また、英仏をモデルとした近代化が進められた[1]。こうして成立した国家が「国民国家」であるとされる。

「国民国家」形成過程においては、国民は一般に、国旗、国歌、使用する文字や言語の標準化などの統制を通じて、国民的アイデンティティを形成していく[1]。


諸国民の春

1848年のベルリン三月革命
ヨーロッパにおいては、1848年革命(「諸国民の春」)ののち、つぎつぎと「国民国家」が成立した。ドイツ帝国とイタリア王国は統一運動によって、バルカン半島ではセルビア王国、モンテネグロ公国、ルーマニア王国、ブルガリア公国などはオスマン帝国からの独立によって、それぞれ生まれた国民国家であった。近代の国家システムのなかで、国民は主権者としてのさまざまな権利を有すると同時に、納税、兵役、教育の義務を担うこととなった。国民国家形成はしばしば、当該民族にとって「悲願のできごと」として表現されることが多い。しかし、実際には、国家領域のなかには多様な人びと、複数の集団が存在していることが多いため、さまざまな問題をはらんでおり、歴史的に重大な事件を引き起こす要因ともなってきた(後述「国民国家のはらむ問題」節参照)。

国民的アイデンティティー
国家の住民を、「国民」にまとめあげる際、重要な要素となったのが「民族としてのアイデンティティー」であった。ここでいう民族は、人類学的な民族(エスニック集団)と必ず一致しているわけではない。国家の一員としての帰属意識(国民的アイデンティティ、ナショナル・アイデンティティー)の獲得を促したのが、工業化による富や社会構造の変動、言文一致運動とそれを担った娯楽の発展、マスメディアの誕生、義務教育等々による国語の定着などである。また、多くの場合は時期をほぼ同じくして、歴史が国民に共有されたこと、経済圏が統一されて国民経済が確立したことが、その促進要因として挙げられる[注釈 2]。国民国家は、国家のために税金から命まで差し出す国民を育成し、それまでの嫌々ながらも従う農民の構図に比べて圧倒的に動員能力のある国家を生み出した[2]。


明治天皇
日本では、明治維新によって、日本列島に大日本帝国という国民国家が成立した。それまで幕藩体制下では民衆はまず直接の統治者である藩を国(クニ)として意識していた。それまでは幕府による統一はあっても中央集権は緩やかであり、藩をまたぐ民衆の移動が制限されていたので言葉や文化、政治の違いも大きく、民衆は「日本国民」という意識が稀薄であった。そうした状況を改め、西欧諸国に対抗するべく明治政府は一君万民を唱え中央集権化を進めることで地方較差を薄め、「日本国民」としての意識を広めていく必要があった。しかし、西欧的な「国民」という概念は当時の日本人にとって抽象的であり、民衆に浸透させることが困難であると危惧した明治政府は、当時の民衆にもわかりやすいように、万民が等しく天皇陛下の臣(臣民)であるというように広めた。

宮台真司は、「幕藩体制下では『クニ』とは藩のことで、庶民レベルには『日本』という概念がなかった。だから、日本統合の象徴である『天皇』という“共通の父”により、『一君万民』のフレームによってクニとクニの対立を忘却させ、一つの国民国家として融和させた」と述べている[3]。また、宮崎哲弥は「マスメディアは国民国家の要であり、特にテレビは、日々刻々『国家なる幻想』を産出している装置である」と指摘している[4]。



問題

1861年イタリア統一
統一されたイタリアの初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世
「諸国民の春」ののちイタリアでは、イタリア統一運動が活発化し、1861年にはイタリア王国が成立した。しかし、そののちも、オーストリア帝国領内には「イタリア語の発音が聞こえる地域」がのこった。南ティロル地方、トレンティーノ地方、トリエステ、イストリア地方、フィウーメ(リエカ)、ダルマツィア地方など旧ヴェネツィア共和国領にあたる地域であり、これらの地域は「未回収のイタリア」と称された。統一イタリア王国は普墺戦争の際、プロイセン王国軍と同盟してオーストリアと戦い、ヴェネツィアを回収したが、戦争は7週間で終結したため、ヴェネツィア以遠のイタリア人居住地域の「奪回」を果たすことができなかったのである。


「未回収のイタリア」(ブルガリア語)
「未回収のイタリア」の存在は、その後のイタリアを左右しつづけた。イタリアは、第一次世界大戦に際し、当初三国同盟に基づいて同盟国側に立ったが、「未回収のイタリア」帰属問題をめぐりオーストリア・ハンガリー帝国と対立、開戦に際しては中立を宣言し、最終的には、1915年にイギリス・フランスなど連合国側について参戦した。しかし、こうして第一次大戦の戦勝国となりながらも、期待していたフィウーメなどの領地が得られなかったことから、戦後のヴェルサイユ体制に強い不満をもつ人も少なくなかった。「未回収のイタリア」問題は、1920年代から30年代にかけてのファシスト党の台頭の遠因のひとつとなったのである。



1871年ドイツ統一
19世紀後半のドイツ統一は、一般的には、プロイセン王国の宰相オットー・フォン・ビスマルクによって進められ、1871年のプロイセンを中心とするドイツ帝国(ドイツ国)という国民国家の成立で達成されたと理解される。しかし、実際のドイツ帝国は、領域内の全住民をひとつのまとまった構成員として統合する国家という上述の定義からは程遠いものであった[5]。

ドイツ統一へ向けた議論は、1848年のフランクフルト国民議会で本格化した。この時期のドイツは、オーストリア帝国とプロイセン王国の二大邦国をはじめ39の独立領邦がドイツ連邦という国家連合を構成し、各自の国家主権を保持したまま相互の安全保障を図っていた。議会では「ドイツ人とは何か」「どこまでをドイツとするか」という問題をめぐって紛糾した。前者においては、

地縁(ドイツに住む人)
言語(ドイツ語を話す人)
血縁(ドイツ人的血縁をもつ人)

が考えられたが、実際にはこれらが重ならないことも多かった。プロイセンやオーストリアには言語・血縁において「非ドイツ人」も多かった一方、ドイツの領域外にも東方植民などによって多数の「ドイツ人」が居住していたからである[5]。

後者においては、「小ドイツ主義」、「大ドイツ主義」、そして「中欧主義」という3種類の統一構想が用意された。小ドイツ主義はオーストリアを除外したプロイセン中心の案であり、大ドイツ主義ではオーストリアの「ドイツ的部分」のみを含めた統一、中欧主義では「非ドイツ人」も含めたオーストリア・プロイセン・ドイツ諸邦を包摂する統一を意味するものであった。フランクフルト議会では当初「大ドイツ主義」が優勢であったが、オーストリアは、その内部のドイツ的部分・非ドイツ的部分を問わないオーストリア帝国の単一・不可分を主張する「一体性宣言」を発したことで「大ドイツ主義」が動揺し、激しい議論の結果、「小ドイツ主義」方式が採用されることとなった[5]。しかし、統一ドイツの世襲皇帝に選出されたプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世は、1849年、「議会の恩恵による」帝位に就くことを拒否して、ドイツ統一憲法(「パウロ教会憲法」)は宙に浮いて統一実現には至らなかった[5]。


プロイセン王国・ドイツ帝国の宰相ビスマルク
結局、ドイツ統一はビスマルクの誘発した普墺戦争(1866年)と普仏戦争(1870年-1871年)によって成し遂げられた[5][6]。それは「小ドイツ主義」的ではあったが「大プロイセン」的な性格をもっていた[注釈 3]。この過程で、ビスマルクはバイエルン王国のルートヴィヒ2世を買収している[6]。このように強引な形で完成した「国民国家・ドイツ」は、オーストリアに1,000万人を越えるドイツ人を残す一方、普墺・普仏戦争によって獲得した南部シュレースヴィヒ(英語版) (旧シュレースヴィヒ公国領)やエルザス=ロートリンゲン(旧フランス領)などには「非ドイツ人」を多数かかえる国家となった。

歪な形で成立した「国民国家」における未解決の諸問題は、新たな問題の火種となった。エルザス=ロートリンゲンをめぐってはフランスとの対立が繰り返され、第一次世界大戦後に顕在化した旧オーストリア領のドイツ人問題[注釈 4]はアドルフ・ヒトラーに独墺合邦及びズデーテン併合の野望を抱かせた[注釈 5]。「非ドイツ人」問題は、周辺諸国との国境問題や国内での民族問題につながったが、その最たるものがナチス・ドイツ(ヒトラー政権)によるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)である。

一方、第一次大戦後もドイツ領にとどまったシレジア(シュレージエン)では、ドイツ系住民によるポーランド系住民の迫害が起こり、従来、ドイツ帝国への帰属意識の強かったポーランド系住民の間にも民族意識が高まって、シレジアのポーランド(ポーランド第二共和国)への併合を求めるシレジア蜂起が数回にわたって起こっている。

「国民国家」は、国民の同質性を前提として統合されたが、「国民」という均質で固定された純粋な存在を意識的につくりだしていく一方、他面では雑種的でしかありえない文化や言語、そこからはみ出てしまう社会的少数者に対して抑圧的、排他的な現実をつくり出した[1]。この現象は、決してドイツに限った話ではない。「国民国家」の大義は、先住民族や少数民族の権利と衝突することが多いのである。20世紀前半は、世界各地において、国民国家に潜在化していた矛盾や隠蔽してきた諸問題が、特に際立って露呈した時代であった[1]。



現代
第二次世界大戦後には、多国籍企業が多数あらわれ、国民経済の枠組みを超える存在となっている。また、東南アジア諸国連合 (ASEAN) やヨーロッパ連合 (EU) や南米諸国連合 (UNASUR) のような地域連合も結成され、特に冷戦後にはその動きが活発化するなど、「国民国家」の枠組みが問われる時代になっている。しかしながら、「国民国家」の問題は決して過去の問題ではない。

現代のドイツ連邦共和国基本法によれば、「ドイツ人」とは、「ドイツ国籍を有する者」または「ドイツ民族所属性を有する難民ないし被追放者として、あるいはその配偶者ないし直系卑属として、…(略)…ドイツ・帝国の領内に受け入れられていた者」と規定される。この文言のなかの「ドイツ民族所属性を有する」という定義は、ナチ時代の内務省の回状に淵源をもつといわれる。これは、戦後、移住先の東ヨーロッパ諸国などを追われたドイツ系の人びとを受け入れるためにやむを得ない処置でもあったが、ドイツは、現代においても同一言語・同一人種という民族主義的な国籍原理を採用しているのである[注釈 6]。


1945年から1990年までは「1つの国」であった旧ユーゴスラビア連邦(クロアチア語)
多民族国家であったかつてのユーゴスラビア社会主義連邦共和国は、その多様性を「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と表現されていた[注釈 7]。しかし、冷戦の終結と東欧社会主義の崩壊は、この国を「ヨーロッパの火薬庫」に引き戻した。

1991年6月、スロベニアとクロアチアの両共和国はユーゴスラビア連邦からの独立を宣言し、セルビアが主導するユーゴスラビア連邦軍とスロベニアとの間に十日間戦争、クロアチアとの間にクロアチア紛争が勃発した。十日間戦争は短期間で終結したものの、クロアチア紛争は長期化し、それまで地域社会で共存していたセルビア人とクロアチア人が相互に略奪、虐殺、強姦を繰り返す「憎しみの連鎖」が生まれた。また、1992年3月に発せられたボスニア・ヘルツェゴビナの独立宣言をきっかけに、独立に反対するセルビア人と独立を推進するボシュニャク人(ムスリム人)が軍事的に衝突、多くは独立に賛成の立場をとるクロアチア人がこれに加わった。これが同年4月よりはじまったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争である。ボスニア・ヘルツェゴビナでは、セルビア人・クロアチア人・ボシュニャク人の混住が進行していたため、状況はさらに深刻で、セルビア、クロアチア両国が介入したこともあって戦闘は泥沼化し、その過程で民族浄化が発生した。1995年7月、セルビア人勢力は、国際連合の指定する「安全地帯」であったスレブレニツァに侵攻し、同地のボシュニャク人男性すべてを絶滅の対象とし、8,000人以上を組織的に殺害するスレブレニツァの虐殺が引き起こされた。この虐殺は、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷および国際司法裁判所によってジェノサイドと認定された。1996年に起こったコソボ紛争でも1999年にジェノサイド(ラチャクの虐殺)が発生し、国際問題へと発展した。


「国民国家」の先進国とされてきたフランスもまた、バスク地方など分離主義運動など多くの火種をかかえており、イギリスにもアイルランド共和軍(IRA暫定派)による北アイルランドのイギリスからの分離と全アイルランドの統一を目指す運動があり、ブリテン島内部にもスコットランドの地域分離主義運動がある。


現在
第二次世界大戦以降、旧列強の植民地が相次いで独立し、また、その後の冷戦の崩壊による急速なグローバル化のなかで、「国民国家」の批判的な問い直しが進行している[1]。社会科学や文化研究の領域においては、どのような文化装置ないし政治的装置によって「国民」という均質的な「想像の共同体」が現出したのか、また、「国民」は歴史的につくられてきた存在にほかならないのに、どうして言語や民族によって一定の過去や伝統、文化を保持する機構として自明視されたのか、さらに、「国民」の形成が、レイシズム(人種主義)や性差別、クセノフォビア(外国人嫌悪あるいは外国人恐怖)、階級などといった社会的な差別構造をともなうのは何故なのかなどの問題について分析作業が進められている[1]。

1983年には、アメリカ合衆国の政治学者ベネディクト・アンダーソンによって、このような国民国家論の先がけとなる『想像の共同体』が刊行された。ここでは、近代社会への移行期に興起した「世俗語革命」による近代小説の成立、そして「出版資本主義」によって書籍が流通することによって「国家語」の成立に寄与したことが指摘された。そして、言語と出版文化の共有を通じ、「公定ナショナリズム」の後押しによって「国民」という集団的なアイデンティティが形成されていく仕組みと社会編成が示された[1]。書名の「想像の共同体」とは、共同体のメンバーは「おそらく互いを知ることができない」ところに由来している。


同じ1983年には、イギリスの社会学者でユダヤ系のアーネスト・ゲルナーが『民族とナショナリズム』を著し、産業社会の勃興と国民形成の関連性を指摘した。そこでは、ナショナリズムは「政治的単位と民族的・文化的単位の一致を求める一つの政治的原理」であると論じ、「産業化」および産業社会の要請に応える高度な「識字能力」の一般化、また、巨大な社会的費用をかけた教育システムの整備を実行に移せるのは畢竟、国家でしかありえないとして近代ナショナリズムの起源を説明した[1]。

1983年にはまた、イギリスの歴史家エリック・ホブズボームの編著による『創られた伝統』が刊行されている。これは、「国民国家」を歴史的な観点から考察したもので、「国民」「国家」「民族」の具体的・実定的なイメージを象徴する様々な伝統もまた、実は近代国家形成期に創出されたものにほかならないことが示されている[1]。

1988年には、アメリカの社会学者イマニュエル・ウォーラーステインとフランスの哲学者エティエンヌ・バリバールが世界システム論などの見地から共著『人種・国民・階級』を著している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%9B%BD%E5%AE%B6



グローバリゼーション - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

リージョナリズム - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
2:777 :

2024/11/19 (Tue) 15:22:40

【主権国家体制とは】成立の経緯から現代の問題点までわかりやすく解説
2021年1月13日
https://liberal-arts-guide.com/sovereign-state-system/

【現実主義(リアリズム)とは】国際関係の重要理論をわかりやすく解説
2020年5月9日
https://liberal-arts-guide.com/realism/

【ネオリアリズムとは】理論の形成〜発展までわかりやすく解説
2020年5月9日
https://liberal-arts-guide.com/neorealism/

【リベラリズム(国際関係)とは】現代までの変遷と理論をわかりやすく解説
2020年5月9日
https://liberal-arts-guide.com/liberal-international-theory/

【コンストラクティビズム】国際関係論におけるコンストラクティビズムの特徴や批判などわかりやすく解説
2020年10月17日
https://akademeia-literacy.com/international-relation/constructivism/



理想主義 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%86%E6%83%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9

民主的平和論 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E7%9A%84%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%AB%96

現実主義 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E5%AE%9F%E4%B8%BB%E7%BE%A9#%E7%B3%BB%E7%B5%B1

ネオリアリズム - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

新古典的リアリズム - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%8F%A4%E5%85%B8%E7%9A%84%E7%8F%BE%E5%AE%9F%E4%B8%BB%E7%BE%A9

ディフェンシブ・リアリズム - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

攻撃的現実主義 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BB%E6%92%83%E7%9A%84%E7%8F%BE%E5%AE%9F%E4%B8%BB%E7%BE%A9

リベラリズム ・ネオリベラリズム - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0_(%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%96%A2%E4%BF%82%E8%AB%96)

リベラルリアリズム(英国学派) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E5%9B%BD%E5%AD%A6%E6%B4%BE

社会構成主義 (国際関係学) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E6%A7%8B%E6%88%90%E4%B8%BB%E7%BE%A9_(%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%96%A2%E4%BF%82%E5%AD%A6)

マルクス主義国際関係論 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%96%A2%E4%BF%82%E8%AB%96

従属理論 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%93%E5%B1%9E%E7%90%86%E8%AB%96

レーニン主義 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9

世界システム論 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0%E8%AB%96


▲△▽▼


保守や右翼がディープステートと呼んでいるのは欧米の資本家階級の事なのですが、保守や右翼の人はマルクス経済学の用語を非常に嫌うので、わざわざ陰謀論的な言葉を使っているのです:

トランプの真の敵/ディープ・ステートとは何か?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16878485  

ディープステートは誰なのか?もはやその存在はバレ始めている!(及川幸久×石田和靖)
【越境3.0チャンネル】石田和靖 2024/10/16
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16874514

渡辺惣樹『虚像のロシア革命』『ネオコンとは何か? 』
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14147355



ディープステート(ネオコン)とは? ミアシャイマー vs 伊藤貫 - YouTube
「ミアシャイマー」の思想・ネオリアリズムの国際政治学
https://www.youtube.com/watch?v=2VIupJG07UM&t=275s

何が違うのか!? 古典派(伊藤貫) vs ネオリアリスト(ミアシャイマー・ウォルツ) (情緒vs論理、陰謀論vs社会科学) - YouTube
「ミアシャイマー」の思想・ネオリアリズムの国際政治学
https://www.youtube.com/watch?v=ROZP1v146jM

チャンネル名から伊藤貫氏の名前を外した理由
https://uipkmwvubg9azym.hateblo.jp/entry/2023/10/31/095631

「ミアシャイマー」の思想・ネオリアリズムの国際政治学 - YouTube
https://www.youtube.com/@Mearsheimernishibesusumu/videos

ミアシャイマーが馬渕睦夫の陰謀論を完全論破! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PIsoWZQMqfE

「ミアシャイマー」の思想・ネオリアリズムの国際政治学(YouTube)のブログ
リアリスト学派の国際政治学による日本の外交・国防、国際情勢の分析
https://uipkmwvubg9azym.hateblo.jp/archive
3:777 :

2024/11/19 (Tue) 15:23:30

2023-10-31
チャンネル名から伊藤貫氏の名前を外した理由
https://uipkmwvubg9azym.hateblo.jp/entry/2023/10/31/095631

チャンネル名から伊藤氏の名前を外すことになりました。
外した理由は二つあります。

一つ目の理由は、伊藤氏の国際政治学のパラダイム(学派)と、このチャンネルが正しいと考えているパラダイムが違うからです。
このチャンネルは国際政治学のネオリアリズム(攻撃的リアリズム・防御的リアリズム・新古典的リアリズム)という学派が正しいと考えていますが(※この3つのどれが正しいという決めつけはしていません)、伊藤氏のパラダイムは古典的リアリズムです。
そして、このパラダイムが違うと、国際政治に対する分析の結果も、未来予測も違ったものになります。



この二つの違いを簡単に説明すると、ネオリアリズムは、基本的に国際政治の構造によって、国際政治は左右されると考えるのですが、古典的リアリズムは、構造ではなく、その国の性質(例えば、支配欲が強い など)に左右されると考えます。
例えて言えば、地動説と天動説のように、ネオリアリズムと古典的リアリズムは、根本的に違います。
また、国際政治学界での一般的な評価としては、1979年にケネスウォルツが「国際政治の理論」という本を発表し、構造的現実主義の理論(ネオリアリズム)を発表してから、初めて国際政治学は社会科学の域に入ったとされています。
またネオリアリズム以外の学派(リベラル制度主義、コンストラクティビズム)も、ウォルツのネオリアリズムをたたき台にして理論構築しており、古典的リアリズムは学術的には過去の遺物(信憑性のない理論)として葬り去られたという形になっています。
このような経緯を踏まえて考えても、このチャンネルは、ネオリアリズムが正しいと考えています。
具体的な学者としては、ケネスウォルツ、ミアシャイマー、スティーブンウォルト、クリストファーレインなどです。

伊藤氏は、ウォルツなどのネオリアリストの名前を出すことがよくありますが、「支配欲で国際政治は動く」と度々発言しています。
また、それ以外にも、伊藤氏は、過去、「雑誌 表現者」において、「ネオリアリズムと古典的リアリズムを区別していない」と発言していたり、ミアシャイマーを古典派のモーゲンソーと同じ分類に入れるという内容の論考を表現者で発表しています。
これらから考えると、伊藤氏のパラダイムはネオリアリズムではく、古典的リアリズムだというのが客観的な評価です。
伊藤氏のパラダイムは、新古典的現実主義であるという反論があるかもしれませんが、新古典的リアリズムは、安全保障をベースに国家は動くと考えているので、支配欲で国家は動くという伊藤氏とは根本的に違います。

ネオリアリズムと古典派の未来予測の違いについて言えば、例えば、伊藤氏は、「アメリカは中国と戦争まではせずに、あっさり東アジアを見捨てる(投資家が反対するからというのも理由としてあげられている)」と度々発言していますが、ミアシャイマーは、「東アジアの覇権をめぐって、アメリカは中国との戦争も辞さない」という考えなので、まったく予測が違うということになります。
このように予測が異なるのは、古典派は支配欲で国家は動くと考えていますが、ネオリアリズムでは、安全保障を第一にして国家は動くと考えているからです。

二つ目の理由は、伊藤氏が「ディープステート」、「資本家が米外交を支配している」、「ウクライナ戦争はアメリカが企画して、意図的に起こした」など、陰謀論者的発言をしばしば行っているからです。
伊藤氏のこれらの発言をネオリアリズムの学者たちは支持していません。
たとえば、ウォルト教授は、Foreign Policy誌に「DSというようなもの存在しない」という内容の論文を出していたり、ミアシャイマー教授も、「外交を動かしているのは、資本家ではなく、外交エリートたち」という発言をしていて、伊藤氏の言うような陰謀論は否定しています。
このような両者の考え方の違いは、一つ目の理由で説明した両者の根本的な考え方の違い(国家は支配欲で動くのか、安全保障で動くのか)から生まれます。

先ほど、古典派の理論は学術的に見て、非科学的と評価されていると説明しましたが、陰謀論も古典派と同じような思考に基づいたものなので、陰謀論も非科学的という評価になります。

この点についての詳細はケネスウォルツの国際政治の理論を読んでいただきたいのですが、陰謀論も古典的リアリズムも、理論が帰納的であるということです。国際政治はシステムからの影響を無視できない以上、理論は帰納的ではなく、演繹的・体系的なものでなければならないということです。




いわゆる陰謀論は、古典派が全盛だった時代に流行した過去の遺物です。
悪い国が戦争を始めるなどと考える古典派は陰謀論と非常に相性がいいです。

それ以外に、核戦略論についても、伊藤氏は80年代の知識を根拠にしていると発言されていますが、核戦略論は、ここ数十年で大きく変化しており、80年代の知識では正確な分析ができなくなっています。
例えば、核があるから米中は戦争できないという伊藤氏の主張は、現在の核戦略論では否定されています。なぜなら、戦術核において、この数十年で大きな技術革新があり、核兵器の持つ意味合いが80年代とは変化しているからです。

また、伊藤氏は核の傘は嘘と発言されていますが、ミアシャイマーも含め、他のネオリアリストの学者の中で、核の傘を否定している人は一人もいません。
つまり、「核の傘は嘘ではない」ということです。

このチャンネルでは、ある時点まで、「伊藤氏はネオリアリズムに基づいて、国際政治分析をしている」と思っていたのですが、そうではないということに気が付いて、伊藤氏からの伝聞ではなく、自ら国際政治学について一から学び直す必要があると考えました。
そして、このチャンネルでは、去年の終盤から半年程度動画制作を休止して、チャンネルページの投稿欄を利用して、ウォルツの「国際政治の理論」を毎日引用しながら、チャンネルメンバーと一緒に理解していくという作業をしました。
この本は、現在の国際政治学の基本書に位置付けられていて、必読文献になっています。
まだ投稿はそのまま残しているので、チャンネルメンバーになれば誰でも閲覧できます。


www.youtube.com

このチャンネルで過去に作った動画の中には、ネオリアリズムから見ると正しくない内容のものがあります。
そのために、非公開にした動画もありますが、一部が間違っている動画ついては、今後、カットなどの作業が必要だと考えています。

ウォルツの国際政治の理論の日本語版が出たのが、2010年で、まだ10年余しか経過していません。



このことは、ネオリアリズムが日本ではまだ十分に理解されていないということを意味します。
日本で、古典的リアリズムや陰謀論のような非科学的にものを信じている人がまだまだたくさんいるのは、(科学的な)ネオリアリズムについてまだ理解が不十分であることも原因の一つではないかと思います。
また日本の国際政治学者の大多数は、コンストラクティビズムか、リベラル制度主義に属する人たちなのですが、ウクライナ戦争や中国の台頭について、これらの学派は、予測に失敗したので、「国際政治学は信用できない」という間違ったイメージが広がってしまっていることも、陰謀論が流行してしまう原因の一つではないかと思っています。
ネオリアリズムは、ウクライナ戦争の発生リスクや中国の台頭について正確に予測していました。そして、陰謀論と違い、学術的に検証されているものなので、信憑性が確保されています。

とは言っても、伊藤氏のことを全く支持していないという訳ではなく、伊藤氏の哲学の領域での発言については傾聴に値するものがあると考えているので、今後も、教育論などで伊藤氏の発言を取り上げさせていただくことはあると思っています。
しかし、伊藤氏の名前をチャンネルに入れると、陰謀論や古典的リアリズムを支持しているという誤解を与えてしまうため、やむを得ず外すことにしました。

これをお読みの方のほとんどは、伊藤氏の国際政治分析は正しいと考えていらっしゃると思いますが、一度、ウォルツの「国際政治の理論」を読まれてみて、伊藤氏の考え方(古典的リアリズム)との違いを確認されてみたらいかがでしょうか

私がここでいくら説明しても、納得していただくのは難しいと思うからです。
私も、伊藤氏が絶対に正しいと考えていた時は、伊藤氏に対する批判は全て間違いだと思っていたので、その時の自分のことを思い出すと、皆さんが、これを読んで納得するとは思えません。
今から思うと、一種の洗脳状態であったと思います。

私が間違えてしまったのは、「伊藤氏は、ウォルツやミアシャイマーの考え方を正確に伝えてくれているから、彼らの本は読む必要がない」と思い込んでいたことです。



この本を読んでみて、伊藤氏の国際政治分析はネオリアリズムではなく、古典的リアリズムに基づいたものであることが分かりました。

だから、ご自身で国際政治の理論を最後まで読まれて、自ら納得するというプロセスが必要だと思います。
この本は、今の国際政治学の枠組み(土台)を説明しているので、この本の内容を理解できていないと、他の国際政治の理論(この本を土台にして、防御的リアリズム・攻撃的リアリズム・新古典的リアリズムが生まれている)は理解できないです。
ネオリアリズムはリベラル制度主義などと違って、理想や願望を理論に組み込んでいないので、真実性を感じられると思います。
そして、ネオリアリズムを理解した上で、陰謀論と比較すれば、陰謀論がどれほど非科学的な話なのかが分かるでしょう。
ウォルツもこの本の中で、陰謀論を批判しています。
陰謀論を信じている人は、雷が神の仕業だと考えていた原始時代の人と同じです。
原始人は、科学的知識がないから、雷を神の仕業だとしか思えませんでした。
ネオリアリズムを学ばれれば、今まで陰謀論だと思っていたことが、思い込みに過ぎなかったことが分かるでしょう。

今後、国際政治分析については、ミアシャイマーらのネオリアリストの学者の見解を論拠にして動画制作をしていく予定です。
ネオリアリズムの学者の間でも(対中政策などで)論争もあり、ミアシャイマーに対する批判もあるので、それも紹介していく予定です。
https://uipkmwvubg9azym.hateblo.jp/entry/2023/10/31/095631
4:777 :

2024/11/21 (Thu) 07:30:02

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