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2024/11/06 (Wed) 14:45:52
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楳図かずお - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%A5%B3%E5%9B%B3%E3%81%8B%E3%81%9A%E3%81%8A
2024-11-05
楳図かずおさん死去、フランス大使館が「悲しみ」 『JE SUIS SHINGO』書影を添え追悼文
https://www.oricon.co.jp/news/2352790/full/
漫画家の楳図かずおさんが10月28日に亡くなった。88歳だった。5日、小学館が発表した。世界的に評価された存在で、フランス大使館も公式Xに追悼文をつづった。
フランス大使館は「楳図かずお氏の訃報に接し、フランス大使館は悲しみを深くしています。グロテスクと美、恐怖と笑い、現実と非現実の混沌が引き出す芸術的恐怖に、多くの人が戦慄、そして魅了されました。独自の世界観が評価され、アングレーム国際漫画祭では2018年に遺産賞を受賞しました。ご冥福をお祈りします」と敬意。
長編SF漫画『わたしは真悟』のフランス翻訳版『JE SUIS SHINGO』の書影を添え、楳図さんをしのんだ。
楳図さんは1936年、和歌山県高野山に生まれ、奈良県で育つ。小学校4年生で漫画を描き始め、高校3年生の時、『別世界』『森の兄妹』をトモブック社から単行本で出版し、デビュー。『へび少女』『猫目小僧』などのヒット作により、“ホラー漫画の神様”と呼ばれる一方、『まことちゃん』でギャグの才能も発揮。作中のギャグ“グワシ”は社会現象となった。
このほか、『おろち』『洗礼』『わたしは真悟』『神の左手悪魔の右手』『14歳』など、数多くのヒット作を生み出す。2022年、27年ぶりの新作『20KU-SHINGO』を発表。その他、タレント、歌手、映画監督など多数の肩書きを持ち、さまざまなジャンルで活躍。75年『漂流教室』ほかで第20回小学館漫画賞受賞、18年『わたしは真悟』で仏・アングレーム国際漫画祭「遺産賞」受賞、19年文化庁長官表彰受賞、23年第27回手塚治虫文化賞・特別賞受賞。
楳図かずお氏の訃報に接し、フランス大使館は悲しみを深くしています。グロテスクと美、恐怖と笑い、現実と非現実の混沌が引き出す芸術的恐怖に、多くの人が戦慄、そして魅了されました。独自の世界観が評価され、アングレーム国際漫画祭では2018年に 遺産賞を受賞しました。ご冥福をお祈りします。
https://www.oricon.co.jp/news/2352790/full/
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楳図かずお - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B3%E5%9B%B3%E3%81%8B%E3%81%9A%E3%81%8A
楳図 かずお(うめず かずお、1936年〈昭和11年〉9月3日[1][2] あるいは9月25日[3] - 2024年〈令和6年〉10月28日[4][5])は、日本の漫画家・タレント・作詞家・作曲家。血液型O型。本名は楳図 一雄(読み同じ)。初期には山路 一雄やウメヅ カズヲの名義による作品もある。
和歌山県伊都郡高野町で生まれ、奈良県五條市に育つ。1955年に貸本漫画家としてデビュー、『週刊少年サンデー』などに作品を発表。代表作に『漂流教室』『まことちゃん』『わたしは真悟』など。作品は恐怖ものからSF、ギャグもの、時代劇まで、少年もの、少女もの、青年ものを問わず幅広いが、一般にはホラー漫画の第一人者として知られる。
1995年以降、腱鞘炎などといった理由で漫画は休筆し、1990年代後半からはタレント活動を精力的に行っていた。東京都武蔵野市吉祥寺南町に住居兼オフィスを構えた。
来歴
幼少期
1936年9月3日[1][2] あるいは9月25日[3]、和歌山県伊都郡高野町に生まれる。本籍地は奈良県五條市だが、父方は一族全部が教員という家系であり、父・公雄も小学校教員をしていたため、幼少期は奈良県の山間部の僻村を転々とした。高野町で生まれたのは、出産の便宜のため。父は囲碁が好きで囲碁大会に奈良県代表としてしばしば出場するなど、高島忠夫の父とは囲碁友達だった[6]。楳図家の祖先については、(かずおの)曽祖父より前の世代の親族が奈良県外から来たらしいということしか分かっていない[7]。
3歳から6歳までは奈良県宇陀郡曽爾村で過ごし、父から地元の伝説や民話を聞かされて育つ。6歳からは五條市に住し、東京に出る27歳(1963年)までそこで過ごす。五條市に隣接する和歌山県橋本市は、楳図青年の散歩コースでもあり、橋本市の広報誌に4コママンガ『オテンバ日記』を載せたり(1956年)、橋本駅前に『まことちゃん』の像が建てられたり(2002年)と縁がある。
1947年、小学5年生の時、手塚治虫の『新宝島』を読み、漫画家になることを決意する。初めは手塚を模倣して描いていたが、プロを意識しはじめた中学生時代に手塚調を廃し、初山滋や武井武雄など童画家の影響による作風で漫画を描きはじめ、神戸の「改漫クラブ」、青森の「少年少女漫画ルーム」など複数の同人サークルで積極的に活動する。中学時代は『漫画少年』にたびたび投稿していたがなかなか採用されず、往復マンガが一度載ったのを最後に同誌への投稿をやめ、『譚海』や『漫画と読物』などに作品を発表していた[8]。奈良県立五條高等学校在学中は音楽と美術以外に好きな学科は全くなく、授業中には漫画を描いていた[9]。
プロ漫画家として
1955年、五條高校卒業。親の言いつけで奈良学芸大学(現・奈良教育大学)を受験したものの失敗[10]。同年、『森の兄妹』(6月刊。山路一雄名義)、『別世界』(9月刊。共にトモブック社)でプロデビュー。前者は「改漫クラブ」の文通相手だった水谷武子との共作で『ヘンゼルとグレーテル』の漫画化、後者は太古の地球に舞台を取った壮大な叙事詩的SF作品。以後、貸本漫画を多く発表し人気作家となる。
1961年、貸本短編誌『虹』29号に発表した『口が耳までさける時』において「恐怖マンガ」という言葉を作った。1963年8月、同じ大阪貸本漫画家の先輩である佐藤まさあきに誘われ上京。池袋にある佐藤の事務所に居候として3年間住む。以後、目白、高田馬場を経て、吉祥寺(現在)に住す。このころ本格的に俳優を志し、年齢を下に詐称して劇団ひまわりの青年部に入り、『兵隊やくざ』(大映、1965年)や太田博之の映画やNHKの朝の連続ドラマに出演したこともあるが、劇団の上層部の人間から宗教への入信を勧められたのに嫌気が差し退団した[11]。また、当時俳優志望だった久保新二と同居して毎晩ひとつの布団で寝ていたこともある[12]。ただし久保によると「といっても、乳くり合ってたワケじゃないぞ。オレはもちろん、その頃からナヨナヨして奇抜な服着てた楳図もホモじゃねえから」という[12]。
1966年、講談社の少女漫画誌『週刊少女フレンド』に連載した『ねこ目の少女』『へび女(英語版)』等がヒットし、恐怖マンガ家として全国的に知られるようになる。この後、『週刊少年マガジン』(講談社)、『週刊少年キング』(少年画報社)等などでは少年向けのSF作品、『猫目小僧』など恐怖ものを連載。最も多忙な時期で月刊誌・週刊誌あわせて5本の連載作品を持っていた。
1971年、主たる作品発表の場を、『週刊少年サンデー』(小学館)にしぼる。1975年、『漂流教室』ほか一連の作品で第20回小学館漫画賞受賞。同年、自作自演のLP『闇のアルバム』(CBSソニー)を発表。また、この後、ギャグ作品『まことちゃん』の連載とあいまって、バンド活動を展開する。作詞家として、郷ひろみや近田春夫の楽曲の作詞を手がけたこともある。
1982年、『わたしは真悟』を小学館『ビッグコミックスピリッツ』に連載開始。これに伴い、主たる作品発表の場を同誌に移す。
休筆
1995年に完結した『14歳』以後、漫画は休筆中[注釈 1]。理由には、長年の執筆による腱鞘炎が悪化したことの他、『14歳』連載時、小学館の新任編集者にゲンコツの絵を持って来られ、「手はこう描くんですよ」と言われるなど精神的に憔悴したことが挙げられる[13]。小学館との関係は、その後、かつてスピリッツでの担当編集者であった江上英樹が編集長である『月刊IKKI』等が代表作を復刻刊行する等にとどまっている。
休筆以降、現在まで、テレビ・雑誌等で活発なタレント活動を行っており、その明るくサービス精神にあふれたキャラクターを元気一杯に披露している。20代前半の頃より好んで着ている赤白のボーダー柄の服がトレードマークである。2005年の映画『楳図かずお恐怖劇場』シリーズの公開に伴い、絶版作品の復刻もあいまるなど、若い女性ファンを中心に現在もファンを増やし続けている。
休筆以降、映画監督としての活躍
2014年9月17日公開の長編ホラー映画『マザー』は、楳図初の監督作品となる。脚本も楳図で出演もしている。自叙伝の出版が決まった楳図と編集者の周辺に怪奇現象が続出するが、亡き母の怨念がそこにあったことを知るというストーリーで、片岡愛之助が楳図を演じる。母親役の真行寺君枝、編集者役に舞羽美海なども出演[14]。
映画の完成披露会見では、前年の2013年に転倒して頭部を打ったことから慢性硬膜下血腫で8月と9月の2回にわたり手術を受け、右頭部で190cc、左頭部で250ccの血を抜き、その直後に撮影をしたことなどを明らかにした[15]。
2018年1月、『わたしは真悟』が、フランス・アングレームで開催された第45回アングレーム国際漫画フェスティバルにて遺産部門(LA SELECTION patrimoine)に選ばれた[16]。
2019年、文化庁長官表彰[17]。
2021年8月、公式サイトにおいて、1995年の『14歳』以来26年ぶりとなる新作漫画を発表することを告知[18][19]。
2022年1月から楳図かずお大美術展を開催[18]。
2023年、第27回手塚治虫文化賞特別賞を受賞[20]。
胃がんにより死去
2024年7月に自宅で倒れて搬送され、末期の胃がんを罹患している事が判明。手術は行わず、同年9月からは都内のホスピスで終末期医療を受けていた。同年8月には、自らの著作権を一括管理する「一般財団法人UMEZZ」を設立していた[21]。
その後も病床で新作構想なども模索していたが、10月に入り体力が低下し、同年10月28日15時40分、死去した。88歳没。生涯独身だった。訃報は同年11月5日に明らかになった[22]。葬儀は関係者のみで行われ、遺影は「グワシ!」のポーズで撮影されたものが使用され、棺にはトレードマークの赤と白のボーダーシャツと赤いキャップ姿で納められたという[21]。
エピソード
徹底的なオリジナル追求志向であり、他作品から影響を受けることを恐れて漫画や映画、アニメ、小説などには一切触れないという。また、オリジナリティをものにするには、まだ誰も手を付けていない未知の分野を積極的に開拓する姿勢が大切であるとも述べている[26]。
映画「漂流教室」(大林宣彦監督)は、テーマやストーリーが大きく改変され、苦言を呈した。
アメリカの文化にも大きな影響を受けている。エルヴィス・プレスリー(音楽活動)、マリリン・モンロー(わたしは真悟)アメリカ(14歳) など。
赤と白のボーダーシャツ(ロヂャースにて購入)を好む。また赤と白のボーダーラインが自分のラッキーカラーであると語っている。なぜ赤と白のボーダーラインが好きかについては、海賊の着ている服のイメージからだと答えており、そのイメージの源泉は子供の頃に読んだ手塚治虫の『新宝島』から得たと答えている。また漫画家の他になりたい職業は?という問いにも「やっぱり海賊」と答えた。
2007年に吉祥寺の自宅(まことちゃんハウス)を改築した際、外壁に赤と白のボーダーラインを入れた点について、近隣住民2人から「景観を損ねる」として建設差し止め仮処分申請に発展した。東京地裁は、10月12日に以下の理由で住民側の請求を却下。
「本件建物周辺には外壁が青色の建物,黒色の建物,薄紫色の建物など様々な色彩の建物が存在し、本件地域内の建物外壁の色彩が統一されているわけではないことに照らせば、本件建物の外壁部分が周囲の景観の調和を乱すものとまでは認め難い」[27]
「本件建物外壁部分は……原告らの目に常に触れるものとはいえないこと、本件建物は……法令に違反していないこと、本件地域には建物の色彩について法規制はなく、住民間で……建築協定等も存せず、実際にも……周辺には多様な色彩の建物が複数存在し、建物外壁の色彩が統一されているわけでないこと等の事情を併せ考慮すると、本件建物外壁……が……原告らの私生活の平穏ないし平穏生活権を受忍限度を超えて侵害するものということはできない」[27]
その後、原告側から塗装中止を求める訴訟も起こされたが、建物が完成したことに伴い、外壁を撤去するまで毎月10万円の損害賠償を請求する訴訟に変更されたものの、東京地裁は2009年1月28日に「周囲の目を引くが、景観の調和を乱すとまでは認められない」として請求を棄却した。
「まことちゃんハウス」の室内は壁の色が部屋により変えられており、緑の玄関ホール、白のリビング、黄色の寝室、青の書庫、赤の屋根裏部屋などがある。別荘にも赤と白のボーダーラインを入れている。また、吉祥寺以前に居住していた高尾の家の外壁は真黄色であった。
閉所恐怖症気味で、生来の自動車嫌いである(それゆえに一度も自動車免許を取得していない)。電車は利用するが、ほとんど徒歩で都内を移動する。
7つ年下の弟である楳図良雄は広告代理店大広の社員で、担当したアニメ「アンデス少年ペペロの冒険」の主題歌の作詞を兄に頼んでいる。
主要作品
連載作品
ロマンスの薬(原題:ロマンスの薬あげます!!) - 『なかよし』(1962年)
紅グモ - 『週刊少女フレンド』(1965年47号 - 1966年10号)
シリーズこわい本<13>に収録。[29]
半魚人 - 『週刊少年マガジン』(1965年48号 - 53号)
シリーズこわい本<15>に収録。[29]
ひびわれ人間 - 『週刊少年マガジン』(1966年06号 - 12号)
へび少女 - 『週刊少女フレンド』(1966年11号 - 25号)
ウルトラマン - 『少年マガジン』(1966年 - 1967年)
赤んぼ少女 - 『週刊少女フレンド』(1967年30号 - 39号)
のちに『のろいの館』『赤んぼう少女』とも改題される。
SF異色短編集 - 『ビッグコミック』(1968年 - 1969年)
映(かげ)像 - 『ティーンルック』(1968年)
後に『谷間のユリ』[30] と共にシリーズこわい本<1>に収録。[29]
蝶の墓 - 『ティーンルック』(1968年)
猫目小僧 - 『少年画報』など(1968年 - 1976年)
おそれ - 『ティーンルック』(1969年)
死者の行進
おろち - 『週刊少年サンデー』(1969年25号 - 1970年35号)
イアラ - 『ビッグコミック』(1970年1月10日号 - 9月25日号)
アゲイン - 『週刊少年サンデー』(1970年43号 - 1972年5号)
怪獣ギョー - 『週刊少年サンデー』(1971年36号 - 37号)
漂流教室 - 『週刊少年サンデー』(1972年23号 - 1974年27号)
洗礼 - 『少女コミック』(1974年 - 1976年)
まことちゃん - 『週刊少年サンデー』(1976年16号 - 1981年30号)
わたしは真悟 - 『ビッグコミックスピリッツ』(1982年8号 - 1986年27号)
楳図かずおの呪い - (1986年)
神の左手悪魔の右手 - 『ビッグコミックスピリッツ』(1986年31号 - 1988年32号)
14歳 - 『ビッグコミックスピリッツ』(1990年4・5合併号 - 1995年37号)
ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館 - 『芸術新潮』(2022年2月号)[31]
読み切り
愛の方程式 - 『高2時代』(1973年)
ねがい - 『週刊少年サンデー』(1975年16号)
男神 - 朝日ソノラマ『DUO』(創刊号)
作品の映像化
アニメ化作品
まことちゃん
おろち(漫画ビデオ)
楳図かずおの呪い
第1話「ビデオカメラに何が映ったか?」
第2話「幽霊屋敷」
映画化作品
蛇娘と白髪魔(1968年、監督:湯浅憲明)
映画まことちゃん (1980年、監督:芝山努)※本人役としても参加[32]
漂流教室 (1987年、監督:大林宣彦)
漂流教室 DRIFTING SCHOOL (1995年、監督:J・J・ミムラ)
洗礼 (1996年、監督:吉原健一)
楳図かずお恐怖劇場(2005年)
楳図かずお恐怖劇場「まだらの少女」 (監督:井口昇)
楳図かずお恐怖劇場「ねがい」 (監督:清水厚)
楳図かずお恐怖劇場「蟲たちの家」 (監督:黒沢清)
楳図かずお恐怖劇場「絶食」 (監督:伊藤匡史)
楳図かずお恐怖劇場「プレゼント」 (監督:山口雄大)
楳図かずお恐怖劇場「DEATH MAKE」 (監督:太一)
猫目小僧 (2006年、監督:井口昇)
あしゅらの道のまん中で (2006年、歌:浅草ジンタ with 楳図かずお、監督:楳図かずお)PV
神の左手 悪魔の右手 (2006年、監督:金子修介) - コンビニの客役で本人登場
おろち (2008年、監督:鶴田法男)
赤んぼ少女(2008、監督:山口雄大)
監督映画作品
マザー(2014年9月27日、原案・脚本・監督:楳図かずお) - 初の監督作品[33][34]。
テレビドラマ化作品
ロング・ラブレター〜漂流教室〜(フジテレビジョン、2001年)(原作:『漂流教室』)
妖怪伝 猫目小僧
怪談整形美女(原作『黒いねこ面』)
雪花魔人形(原作『おろち』姉妹)
オリジナルビデオ作品
楳図かずおのギャル10アイランド(脚本、監督、主演)-メーカー ボックスランド
うばわれた心臓(1985年、監督:早川光 日本初のオリジナルビデオ作品)原作は高校生シリーズ「恐怖」の1エピソード。
舞台化作品
わたしは真悟(2004年、劇団アロッタファジャイナ、監修:那須博之、脚本・演出:松枝佳紀、出演:上野未来(真鈴役))
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B3%E5%9B%B3%E3%81%8B%E3%81%9A%E3%81%8A
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2024/11/06 (Wed) 14:49:18
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楳図 かずお(1936年9月3日 - )
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/194.html
テレビドラマ 楳図かずお「漂流教室」 2002年
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14036735
楳図かずお の世界
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/628.html
楳図かずお作品集(動画)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/629.html
井口昇 まだらの少女 (松竹 2005年) _ 楳図かずお を映画化すると何故全然怖くなくなるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/277.html
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2024/11/08 (Fri) 14:10:44
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楳図かずお氏の展覧会開催、27年ぶり新作発表
2022/01/29
https://www.youtube.com/watch?v=GLu0ScMvMeo
漫画家・楳図かずお氏の展覧会「楳図かずお大美術展」が1月28日から始まった。27年ぶりとなる新作を発表するほか、現代アーティストとコラボした作品も展示する。3月25日まで。
【楳図かずお大美術展】楳図かずおさんの大ファン・中川翔子 楳図さんに会えて大興奮!「個人的にファンアートを持ってきちゃいました」
2022/01/28
https://www.youtube.com/watch?v=C0SE8nv2rsk
楳図かずおさんの世界を体感できる『楳図かずお大美術展』が1月28日(金)から開催され、そのオープニングセレモニーに楳図かずおさんと芸能界きっての「大楳図ファン」を公言する中川翔子さんが登壇。
楳図さんのことを聞かれた中川さんは「楳図先生がこうやって元気で新たな作品を生み出し続けてくれていることに本当に感謝だし、すごいことだと思います。楳図さんの作品を生で見ていただきたいです。世界中の人たち、早く見て。」と熱弁。それを聞いていた楳図さんは「ありがとうございます」と感謝しました。
最後に中川さんから楳図さんに中川さん力作のファンアートのサプライズプレゼントがあり、絵を見た楳図さんは「ここまで描けるのであれば、こちら(漫画家)の世界でも生活できるよ」と大絶賛していました。
今回、最大の目玉として楳図かずおさんが制作に4年の期間を費やした、27年ぶりの新作『ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館』が原画101 点の連作絵画として初公開されます。
『わたしは真悟』楳図かずお/27年ぶりの新作は続編&平行世界だった/産業ロボットはシカクからサンカク、そしてマルへと進化する/クリエイターにとって幻視能力とは何か?【だめおとな会議室:014】
2022/03/12
https://www.youtube.com/watch?v=eIKC7HmrYq4
第14回では『わたしは真悟』楳図かずおについて、前半部のネタバレありで会議しました。
議題は「クリエイターにとって幻視能力とは何か?」です。
【内容】
★楳図かずお、とは
★『猫目小僧』と劇メーション
★『漂流教室』と大林宣彦監督の劇場版と日本三大ロリコン監督
★あらすじ
★幻視者、幻視能力、幻視力
★めまい
★子供から大人になることの物語
★今回の議題「クリエイターにとって幻視能力とは何か?」
★「楳図かずお大美術展」
『楳図かずお大美術展』解説&漫画『わたしは真悟』を紹介する【読書の放課後】
2022/02/09
https://www.youtube.com/watch?v=lRPV8h5N2V8
楳図かずお『わたしは真悟』は、彼の最高傑作と称される空前絶後の漫画。
この作品をベースにした、六本木ヒルズで開催中の展覧会の内容を解説しました。
マンガ界の頂点にして最高傑作。楳図かずおの「わたしは真悟」
2014/07/13
https://www.youtube.com/watch?v=QZAu2DeaQJg
今までなんで楳図かずおさんのマンガを読まなかったんだろう。面白い!面白過ぎる!
手塚治虫に「火の鳥」という最高傑作があるように楳図かずおには「わたしは真悟」がある。
それほどまでに完成された傑作。今もマンガ界の頂点にある作品の1つであることは間違いありません。
今までバラエティやお家騒動しか知らなかったわたしは楳図さんをナメてました。本当にすいません。
素晴らしいマンガを作ってくれた事と素晴らしい体験を経験する事が出来ました。楳図先生ありがとうございます。
【漫画紹介】西野ンも泣いた永遠の名作『わたしは真悟』
2020/11/17
https://www.youtube.com/watch?v=EA8fQFe0Ags
今日は,ボクがいちばん好きな漫画である,
楳図かずおさんの『わたしは真悟』って作品を
皆ンナに紹介するよ~~~
『わたしは真悟』が読みたい人はコチラ
https://amzn.to/3nzlXW2
018 楳図かずお『わたしは真悟』について語ってみた
2018/12/23
https://www.youtube.com/watch?v=po5GB7TwudI
中川翔子、楳図かずおさんと8年ぶり対面に大興奮「涙が出てきた」 「楳図かずお大美術展」オープニングセレモニー
2022/01/27
https://www.youtube.com/watch?v=ipMr0XeARe8
楳図かずお
2022/12/02
https://www.youtube.com/watch?v=NmiB_QV4HTQ
【これが天才の思考か】楳図かずお × ピーター・バラカン「The Lifestyle MUSEUM vol.88」2009.12.11
https://www.youtube.com/watch?v=9MCIr6HjP-c
第27回手塚治虫文化賞 記念トークイベント The commemorative talk of the 27th Tezuka Osamu Cultural Prize, June 8 2023
手塚治虫文化賞 2023/06/30
https://www.youtube.com/watch?v=FLj7ctjL5LU
2023年6月8日、第27回手塚治虫文化賞(朝日新聞社主催)の贈呈式後、東京・築地の浜離宮朝日ホールにて開催しました。楳図かずお作品の秘密は……ご本人が縦横無尽に語りました。
出演 楳図かずおさん(特別賞)、矢部太郎さん(選考委員、芸人、漫画家)
進行 黒田健朗(朝日新聞文化部 マンガ担当記者)
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4:777
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2024/11/14 (Thu) 14:00:30
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楳図かずおさん、訴訟沙汰の「まことちゃんハウス」以外に所有していた“故郷を思わせる大切な家”
11/14 週刊女性PRIME
https://news.yahoo.co.jp/articles/275e915611014a2f90e8bf12a7a454dc809968f3
「丸は、こう描くんだよ」
母親が、そう優しく伝えると、鉛筆を手にした生後7か月の赤ん坊は、上手に円を描いたという。これが天才の始まりだった。
【写真】「景観を損ねる」訴訟沙汰になったハウス、赤白ボーダー私服で外出する楳図さん
https://www.jprime.jp/articles/-/34189?utm_source=headlines.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=related&page=3
漫画家で芸術家の楳図かずおさんが10月28日、都内のホスピスで胃がんのため亡くなった。
「“恐怖漫画”というジャンルを作った、日本漫画史に多大な功績を遺した鬼才でした。『へび少女』や『おろち』などでは人間の闇を、『漂流教室』や『14歳』などでは社会的な問題から生じる恐怖を題材に描きました。その一方、“グワシ”ポーズで人気を博した『まことちゃん』といったギャグ漫画も。晩年は展覧会などを開催したり、監督として映画を手がけるなど、多才な表現方法に取り組んでいました」(スポーツ紙記者)
多くの漫画家にも影響を与えた一方、長年住んだ東京・吉祥寺では、こんな声が。
「昔からよく見かけて、“街のシンボル”みたいな存在でした。30年以上前からトレードマークである赤白のボーダーシャツを着ており、飲み屋さんで会えばお話しすることもありました。必ず赤ワイン1杯でお会計をして、次の店に行くんです。近くの席になった際に“グワシってできるんですか?”と聞いたら、できなかった(笑)。懐かしいです」(吉祥寺に住む男性)
住民が「景観を損なう」と訴えた家
和歌山県にある高野山で生まれ、奈良県で育った楳図さんにとって、自然豊かな吉祥寺は居心地のいい街だった。
2007年には、外観が楳図さんのトレードマークと同じ赤白ボーダー柄の一軒家、通称『まことちゃんハウス』を建築するが、近隣住民と訴訟トラブルに発展したことも。
「赤と白を基調とした家が景観を損なうとして、建設中に近隣住民が工事の差し止めを求めて東京地裁に提訴したのです。裁判所は“景観の調和を乱すとまでは認められない”と、住民の訴えを退けました。完成後は、多くのファンが訪れる“名所”に。ただ、楳図さんは、この家を仕事用に使い、近くのマンションで生活されていたようです」(前出・スポーツ紙記者)
裁判では、楳図さんが勝訴したが、近隣住民はどう思っていたのだろうか。
「面白い個性的な家だなと思うぐらいですかね。建設反対の署名を求められたこともありましたが断ったんです。個人の感覚の問題なので。私は特に迷惑だと思ったことはないです」(近隣住民の女性)
ほかにも数人の近隣住民に聞いたが、同じような回答だった。
楳図さんが所有していた一軒家
そんな楳図さんだが、自然豊かな東京・八王子にも一軒家を所有していた。昨年、その家に、ある変化が。八王子市内の近隣住民が明かす。
「昨年の秋ごろに、自宅周辺の垣根をマネージャーさんなどが来てキレイにされていたんです。
これまでは年数回ほど訪れるだけでしたから、売ってしまうのかと思って聞くと、マネージャーさんは“楳図先生がもっと訪れたいと思っているので、掃除をしているんです”と言っていました。床暖房も入れて、リフォームをされたようです。ただ、それっきりで……」
楳図さんは過去の雑誌インタビューで、故郷についてこう語っていた。
《奈良県の自然をズルズルひきずっているので、自然がないところは住めないです》
愛した街と、少年時代に漫画の構想で胸を膨らませた故郷を思わせる地で、思い出に浸りたかったのか─。