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プラトンのイデア論とは?

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2024/08/08 (Thu) 18:04:31

「Internet Archive プラトン全集 : Free」
https://archive.org/details/githejomur_hu4ht_13/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%B3%E5%85%A8%E9%9B%86%E3%80%881%E3%80%89%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%83%86%E3%83%A5%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%B3%20%E3%82%BD%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%BC%81%E6%98%8E%20%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%B3%20%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3/

ソクラテスの弁明、国家、その他読めます。


作家別公開作品リスト:プラトン
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person915.html#sakuhin_list_1


プラトンの全著書一覧 / 代表作からおすすめまで各作品の内容を紹介!
https://kantbuddha.com/entry/plato-book-ichiran/#i-3


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ソクラテス Socrates(ギリシャ アテネ 紀元前470年頃 – 紀元前399年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%B9
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プラトン Plátōn(ギリシャ アテネ 紀元前427年 - 紀元前347年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%B3


壺齋散人 ソクラテスの思想
https://philosophy.hix05.com/Socrates/socrates.index.html

壺齋散人 プラトンの哲学
https://philosophy.hix05.com/Plato/plato.index.html


『ソクラテスの弁明』(古希: Ἀπολογία Σωκράτους)
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『クリトン』(古希: Κρίτων)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%B3


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プラトンのイデア論とは?【死ぬほどわかりやすく解説】
2020年6月6日
https://uteimatsu.com/theory-of-ideas/

今回の記事は、プラトンのイデア論という哲学用語を
死ぬほど分かりやすく解説してきたいと思います。
では、さっそくいってみましょう!


イデア論とは

結論からいうと、イデア論とは、

あらゆるものの「本質」はこの世の中にはない
→この世とは違うイデア界に存在している

という考え方のことです。


全く意味がわからないですよね笑
なのでよく使われる
「三角形のイデア」という例を紹介してみたいと思います。


イデア論の例「三角形」


三角形の定義は「内角の和=180°」です。


では、皆さんは内角の和が180°の三角形を現実にみたことがあるでしょうか?


そんなの当たり前だろ?と思った方。
しかし、この世の中に本当の三角形を目にしたことがある人はいません。
これは断定できます。


どういうことか?


この世の中で実際に見ることのできる三角形の1つの角を
原子レベルで拡大していくと、線は点の集まりになるのです。


つまり、点の集まりになってしまうと内角の和を数えるどころか
「角」が存在しないことになります
→目にすることのできる三角形は三角形の定義から外れる



しかし、私たちは見たこともない三角形がどういうものかを知っています。


この問題に対して、
プラトンはこのように答えます。。


私たちはこの世の中に、
真の三角形を見たことがないのに三角形がどういうものかを知っている。
→真の三角形は異世界(イデア界)に存在している。



プラトンはこの真実を様々なことに派生させていきます。

死ぬほどわかりやすい哲学ブログ2019.12.15

プラトンとは?どんな哲学者?【死ぬほどわかりやすくまと】
https://uteimatsu.com/essence-of-plato/
こんにちは、素人哲学者 みるまの (@_mirumano_)です この記事ではプラトンという哲学者がどんな人物なのか?どんな思想を持っていたのか?をざっくりと死ぬほど簡単に解説したいと思います。 哲学初心者の方や、プラトン哲学を広く浅く知りたい方におすすすめの...

本当の正義とは?本当の美とは?
本当の正義と美も三角形と同じように、この世の中では見ることができません。
正義の定義なんて人それぞれですし、美の基準も人によって違います。


しかし、「真」の正義、「真」の美もイデア界にあるとプラトンは論じます。


これがプラトンのイデア論です。
おそらく多くの人が感じるのは
「内容は理解した、でもだからどうしたの?」


すごくその気持ちがわかります。


しかし、プラトンがこのようにイデア論を提唱したのには、もっと深いわけがあるのです。


それは、国家を引っ張っていく人物の理想形を掲げるためです。


プラトンの「国家」
彼は国家を引っ張っていく理想的人物を「国家」という自身の著書で分析しています。


これまでのイデア論で正義や美には究極の理想形(イデア)がイデア界に存在していることがわかりました。


それなら、国家を引っ張っていく人物にも理想形があるんじゃね?」
とプラトンは考えたわけです。


では、それはどのような人物か?
プラトンはこのように答えを導きだします。


「国家のイデア(究極の理想形)を知っている哲学者が
国家を引っ張っていくべきだ。
もしくは、哲学者でなくても王になった人物は
国家のイデアを理解できるところまでレベルを上げなければいけない。」




要は「俺たち哲学者こそが国家を引っ張れる人間だ!」と主張した分けです。



ちなみにこのような考え方を哲人王思想といいます。


民主政治だとこのような考え方は実現することはできません。


国を引っ張る政治家も選挙に勝つためには、
民衆にとって都合のいい振る舞いをしなければならない。



選挙で勝ち、自分の理想を追求したくても、
民衆に反対されれば、それは受け入れられない。


このような国家システムでは理想の国家にはなれない。
なぜなら、民衆の全員が「真の理想国家」を知っているわけじゃないから。


そして、理想の国家を知っている人物であれば、
民衆の意見など受け付けないシステムを作ればいい。
その人物が一人で頑張れば理想の国家になれる、と考えたのですね。



プラトンはこのようにして、自分の思想と政治を結びつけていきました。



哲学者の思想が政治に結びつくなんて、
今だと考えにくいですが、当時の哲学者の影響はすごかったのかもしれません。




以上ここまでが、プラトンのイデア論の解説でした。


ここからはプラトンがどのような人物かをまとめていきたいと思います。



イデア論を生み出したプラトンとは?


プラトン(紀元前427〜399)は紀元前に活躍した西洋の哲学者です。


彼は「哲学の黄金時代」を創り出した3人のうちの1人です。



そのうちの1人がソクラテスという哲学者です。
多分皆さんも名前くらいは聞いたことがありますよね。



プラトンはソクラテスの弟子に当たります。



そして、「哲学の黄金時代」を創り出した最後の1人。。
アリストテレスという哲学者です。



プラトンはアリストテレスの師匠に当たります。



これでもうプラトンのすごさがわかりますよね。
要はプラトンは「哲学の権化」みたいな人物なんです。



イデア論を批判したアリストテレス


ソクラテス→プラトン→アリストテレスと続く哲学の黄金時代ですが、
プラトンとアリストテレスの哲学は全く違うものでした。



プラトンはイデア論からもわかるように、理想主義的な哲学者でした。
しかし、プラトンの思想を受け継いだアリストテレスは
現実主義的哲学者になります。



アリストテレスは「本質」はこの世にある、
つまり目に見えているものこそ「本質」と考えたのです。



現実に目の前に見えているものを観察したり、分析したりすることで、
「本質」を追求しようとしたのが、アリストテレスの哲学です。



この2人の関係ってすごい面白いですよね。
哲学の黄金期を創り出した2人の哲学なのに全く違う思想を持っている。。。



漫画にできそうなストーリーです。


プラトンのイデア論まとめ


では、最後に簡単にイデア論をまとめておきたいと思います。



イデア論
→「真実はこの世ではないイデア界にあるよ!!」




ありさ より:
2019年11月18日 1:42 AM
プラトンのイデア論が現代の教育に与える示唆は何だと思うか教えてもらえませんでしょうか?

返信
通りすがり君 より:
2020年5月1日 9:26 AM
筆者じゃない人の個人的意見だけど【観念論】を示唆してるんじゃないでしょうか。
例えば目の前にリンゴがあるとすれば、
この世界が本当に目で見たままのものだろうと、夢だろうと、仮想現実だろうと、いずれにせよ赤いリンゴがあると私達が思う原因が存在するわけですよね?

見たままの世界ならリンゴそのもの、夢なら過去にリンゴを見た時の記憶が再現されている脳の一部分の活動、仮想現実ならリンゴだと思うプログラムが絶対にあるはず。

仮想現実とか夢であると気づくのは不可能だったり難しく、この世界が見たままのものだと証明するのは不可能です[今の技術じゃ観測できない部分=科学の限界=認識の限界的な?]。でもそこにリンゴがあるという認識の原因は絶対に存在します【これが、人間の認識は当てにならないという意見に真っ向から立ち向かう観念論の主張です】
リンゴのイデアって、りんごが見える原因がりんごを見せてるぞ!というただの循環論法でしかないけれど、大昔に観念論の原型を唱えたってすごいことじゃないですか?

まぁ、教育の現場でわざわざイデア論を取り上げるってのは、観念論に繋げて科学絶対主義の諸問題を指摘するための伏線かもしれないですね。
それくらいしか意味がないけどそこは大事かなと。科学の基本である唯物論は広い意味で観念論の1範疇でしかないし(見たままの世界=認識の元凶という説を採用してるだけ)、素粒子とかのレベルになると【便宜上そういう定義にしとくと便利】っていう風になるし、まだよくわかってない科学の最先端を柔軟に受け入れるベースにもなるかもしれないですね
https://uteimatsu.com/theory-of-ideas/


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プラトン魂の三分説をわかりやすく解説←メタ認知向上のカギ
2020年5月5日
https://uteimatsu.com/tripartite-theory-of-soul/

皆さんは「魂の三分説」という言葉の意味を知っているでしょうか?

これはプラトンという哲学者が生み出した哲学用語で、
プラトンの思想を知る上では欠かせない意味を持っています。

また、「魂の三分説」という言葉は、
現代においても実用できるものであり、
メタ認知能力を高めるのに役立ちます。

この記事では、プラトンの「魂の三分説」をわかりやすく解説し、
この「魂の三分説」がなぜメタ認知能力と繋がっているのかについても
紹介していきたいと思います。


魂の三分説とは?
「魂の三分説」とは、
魂の構成する要素が三つあることを指しています。

皆さんは、魂がどこにあるかということを考えたことがありますでしょうか?

胸のあたり?それとも脳みそ?

両方とも正解です。

プラトンの魂の三分説によると、
魂は「頭」、「胸」、「腹」に存在していると考えられます。

その魂ですが、
頭の中にある「理性」、
胸の中にある「意思」、
腹の中にある「欲望」で構成されています。

魂の三分説と「馬」!?
「ふ〜ん。魂は三つの要素からできているんだね。だから何?」

今の段階ではそんな感じかもしれません。
ただプラトンの哲学が面白いのはここからです。

プラトンはこの三つの要素を二頭の馬とその乗り手に例えています。

二頭の馬は「意思」と「欲望」です。
基本的に意思と欲望は反対方向に進もうとします。

「意思」は、自分を高みに近づけるために上へ。
逆に自分の「欲望」に埋もれると魂は堕落してしまいます。
つまり、欲望は下に進もうとします。

逆方向に進む二頭をうまくコントロールするのが、
乗り手である、理性です。

動物と、人間の大きな違いともいえる理性ですが、
理性とは「論理的に考える能力」のことを示しています。

上に行こうとする「意思」と
下に行こうとする「欲望」
論理的に考えて、行き先をコントロールする「理性」
によって、魂は成り立っているのです。

ここで、勘のいい人は「理性」によって「欲望」を抑え込めば、
「意思」の力によって、高みを目指せるんじゃないの?
というような考え方をするかもしれません。

しかし、食欲を満たさずに一生勉強をしていたら、いつか人間は死にます。
睡眠欲を満たさずに働いていたら、死にます。
性欲を満たさずに、ゲームばかりしていたら、人類が滅亡します。

つまり、欲望も魂にとって必要な要素なのです。

そして、この「魂の三分説」を更に進化させたものが
「四元徳」というのですが、これについては、また別の機会に紹介します!!


魂の三分説を生み出したプラトンとは?
「魂の三分説」を生み出したのはプラトンという古代ギリシアの哲学者です。

プラトンは「古代ギリシアの哲学黄金時代」を作り出した
3人のうちの一人です。

プラトンは哲学者以前にとても優秀な人物で、
文才もあったため、たくさんの本を残しています。

有名な著作は
「ソクラテスの弁明」「国家」「パイドン」
などです。

また、哲学者であるにも関わらず、
優秀な人物を育成する学園「アカデメイア」を創ってしまいます。

まぁとにかくプラトンという言葉を聞いたら、
「優秀of優秀」
だと思ってください。

そんなプラトンですが、彼の哲学を作り出しているのが、
「イデア論」
という思想です。

これはあらゆるものの本質が「イデア界」にあるという考え方なのです



魂の三分説とメタ認知
では、ここからは「魂の三分説」を実践することで、
メタ認知能力が鍛え方を紹介したいと思います。

「メタ認知能力」とは「自分を客観視」する力です。
この自分を客観視するというのは、
思った以上に難しいようです。

自分が思っていることがうまく伝わらなくてイライラしたり、
自分のことをわかってくれる人がいないと嘆いたり…
皆さんもそんな悩みを抱えていた時期があるかもしれません。

しかし、メタ認知能力が高ければ、
このような現象に対して、
「今の伝え方だと誤解されかねない」
「自分は周りから見ると、誤解されやすいんだ、気をつけなきゃ」
というように全てがプラスに進むような思考をすることができます。

そのメタ認知能力を高めるのが「魂の三分説」を実践することになります。

自分の「意思」と「欲望」を「理性」によって
コントロールことは、ロジカルな行動を取れるということ、
つまり、客観的に見ても正しい行動を取れるということになるのです。




魂の三分説まとめ
いかがだったでしょうか?
ご理解いただけたのなら嬉しいです。

最後に「魂の三分説」をまとめておきます。

魂は「意思」「欲望」という2頭の馬、
「理性」という乗り手でできている
意思→「高みを目指すぜ!」
欲望→「もうちょい寝ようや」
理性→「お前らは俺に任せとけ」
https://uteimatsu.com/tripartite-theory-of-soul/


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プラトンとは?どんな哲学者?【死ぬほどわかりやすくまと】
2020年6月6日
https://uteimatsu.com/essence-of-plato/


この記事ではプラトンという哲学者が
どんな人物なのか?どんな思想を持っていたのか?
をざっくりと死ぬほど簡単に解説したいと思います。

哲学初心者の方や、プラトン哲学を広く浅く知りたい方に
おすすすめの記事にしましたので、ぜひご覧ください。



プラトンとは?

プラトンは紀元前に活躍した哲学者です。

ソクラテス、アリストテレスと並んで、
「ギリシア哲学の黄金期を創り出した」
と言われています。



哲学者としてのプラトンが成し遂げたことは、
たくさんあるのですが、
おそらく最も有名なのは「イデア論」という哲学を提唱したことでしょう。



プラトンのイデア論とは


「イデア論」という言葉自体は聞いたことがある人も
多いのと思います。?



イデア論というのは
「あらゆるものの本質、真理はイデア界(別世界)にある」
という思想です。



例えば
「花はなぜ美しいのか?」
と聞かれて答えることができるでしょうか?



「色が鮮やかだから」とかなら答えれますよね。



しかし
「なぜ色が鮮やかだったら美しいのか?」
という質問には答えられませんよね。



プラトンはこの「美」という概念の「本質」が
この世の中にはないイデア界(別世界)にあると考えました。



これは「美」のような抽象的なものだけでなく、
「みかん」や「三角形」の本質もイデア界にあるとプラトンは言います。



初めてこの思想を聞いた方は
チンプンカンプンかもしれません。

しかし「一番の美女は誰」という質問に対して「新垣結衣!!」
って断言できないですよね。
人それぞれ感じ方は違いますので。



でも新垣結衣が美女であることにも変わりはありません。



僕たちは「美の本質」が何かわからないのに、
美女は美女だと感じるのです。


プラトンはそのワケを「想起説」という思想によって、
説明していますが、ここでは長くなりますので、省かせていただきます。



プラトンが書いた本


ここからはプラトンが書いた有名本を紹介していきたいと思います。

①『国家』


『国家』は
「より良い国家とは何か?」について書いた本です。



国家を支配するのにふさわしい政治形態から、
その政治を行うのにふさわしい人物の特徴など。。



そういったものを明らかするために

魂の三分説
四元徳
哲人政治
などの思想が『国家』では紹介されています。



つまり、『国家』を理解するには
上の3つも同時に理解しなければならないので、
本としての難易度は結構高いです。


②饗宴

二つ目に紹介するのが『饗宴』です。
これは先ほどの『国家』とはかなり毛色が変わります。



この『饗宴』は「エロス」について書かれてた本です。
「エロス」っていうのは単純にエロい話ではなくて、
「恋」だったり「愛」だったりのことをさします。



この本の中の設定がかなり面白くて好きなのですが、
当時有名だった哲学者6人が集まって「エロス」とは何か?
をバカ真面目に議論するわけです。



興味がある方は読んでみてください。






プラトンとアリストテレスの関係


プラトンとよく比べられる哲学者がアリストテレスです。
この2人は師弟関係でプラトンが師匠・アリストテレスが弟子になります。



この2人が師弟関係と言われるのは
プラトンが優秀すぎて、紀元前なのに自分で学校をつくってしったからです。



そこには優秀な子供達が集められて、
優秀な教育がされるわけです。



その中でも特に優秀だったのがアリストテレスです。



もちろんプラトンのつくった学校なので、
プラトンの思想を勉強するわけですが、
アリストテレスの哲学はプラトンとは逆に進みます。



プラトンは先ほども解説したように
「真理」をこの世ではないイデア界に存在すると考えたのですが、
アリストテレスは超現実的でした。



「いやイデア界ってどこやねん、真理は自分の目の前にしかないやろ!」
というのがアリストテレスの哲学です。



そんな感じでプラトンとアリストテレスは
最終的には全く違う思想を極めていくことになるので、
よく対比されるのです。



ちなみに、豆知識になるのですが、
ソクラテスという「哲学の原点を作った哲学者」の弟子がプラトン。
その弟子がアリストテレス。
という感じで、この時代の哲学者は最強ぞろいです。



猿飛先生から教えを受けた自来也と大蛇丸みたいな感じですね。
エルの思想を受け継いだニアとメロみたいな感じですね。


プラトンとは?まとめ


では最後にプラトンとは?簡単にまとめておきます。

プラトン
→イデア(本質)を知ることができる「哲人」が国家を創るべき!!
 つまりそれは俺。俺最強。
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哲人政治とは?わかりやすく解説【リーダーに必要な資質がわかる】
2020年5月5日
https://uteimatsu.com/aristocracy/

皆さんは「哲人政治」という言葉を知っていますか?

これはプラトンという哲学者が生み出した
「政治体制」のことです。


「哲人」という言葉さえわかれば、
「哲人政治」の意味はわかります。



ただ「哲人」という哲学用語は意外と難しい…



なので、はじめに「哲人」という言葉を理解してもらい、
その後「哲人政治」をさらにほりさげていきたいともいます。



ちなみに、この記事を読んでいただければ
「哲人政治とは?」がわかるだけじゃなく
「リーダーに必要な資質とは?」もわかりますので、
興味がある方はぜひ読み進めてください!!


哲人政治とは?わかりやすく解説


哲人政治の「哲人」という言葉ですが、
これは「魂を構築する要素の中で、最も理性を占める割合が多い人」
を指しています。



「ん?魂を構成する要素?」って感じでしょうか。



「哲人」という言葉を理解する前に、
まずは「魂の三分説」というものを簡単に紹介しておきます。



これもプラトンという哲学者が生み出したもので、
「魂は三つの要素、理性・意思・欲望からできている」
という思想です。



その中でも「理性」は
「意思」と「欲望」の舵を取る役割を果たしています。


プラトンはその理性の多い人間を「哲人」と考え、
その「哲人」が政治を行う体制のことを「哲人政治」と呼びました。



哲人政治と衆愚政治


プラトンは一言でいうと、
「自分達のような哲人(=哲学者)が政治を行うえば、理想的な国家を創れる」
と主張したのです。



調子にのったやつだな、と思うかもしれません。
しかしこれには、それなりの理由があります。



それは「衆愚政治」が原因です。
衆愚政治とは「民主制」が腐ったものです。



おどろくかもしれませんが、
「民主主義」は古代ギリシア時代から採用されていました。



民主主義のいいとことは、
市民全員が政治に参加できるところです。



しかし、それが逆効果となり、
当時の選挙で勝つのは口がうまいとか、
単に人気があるだけとか、そんな人物でした。



そんな人物ばかりが政治を行うと、
まぁ政治はうまく機能しなくなります。



この民主制が腐った状態のことを「衆愚政治」と言います。



哲人政治のメリット


そして、この衆愚政治を生み出す「民主制」を否定し
「哲人政治」がベストだと考えたのがプラトンでした。



プラトンは「哲人」こそが「理想的な国家」
を知ることができると考えていたのです。



それはプラトンが「イデア論」という思想を「核」にしていたからです。


イデア論と政治を結びつけたプラトンの思想をものすごく簡単に説明すると、
「理想的な国家をつくるためには、理想的な国家を知っていなければならない
 それを知ることができる人間は哲人のみ!!」
って感じです。



プラトンはエリートが政治を行うべきだと考えていました。



哲人政治への批判


しかし、哲人政治にも批判はあります。



哲人政治はいってみれば、「独裁政治」です。



だって、
誰も知ることができない
「理想国家を知っている人間」
が政治を引っ張るのです。



そもそもプラトンは
「政治家になるのは哲学者、もしくは政治家は全員哲学者になるべき」
と考えていました。



この思想を現代に置き換えると
「出世するのは高学歴。もしくは出世した後、その人は難関大学に合格すべき」
みたいな感じです。



そんな思想のウケがいいわけありませんよね。
そういった意味で、この「哲人政治」には批判もつきまといます。



哲人政治を生み出したプラトンとは?


ここまで、なんどもプラトンという名前を出しましたが、
ここからは、プラトンがどんな哲学者なのかを紹介します。



プラトンを一言で説明するなら、
「優秀オブ優秀」
です。



彼は「古代ギリシア哲学の黄金時代」を作り出した一人で、
紀元前にもかかわらず、自分で学校を作り出しています。



学校といっても、全員が通う学校ではなく、
優秀な人物を育成する「アカデメイア」という学園です。



その上、
ソクラテスという人物の思想を本にまとめ、
「万学の祖」と呼ばれるアリストテレスの師匠です。


そんなプラトンの核となっている思想は上でも言いましたが
「イデア論」です。


最後にリーダに必要な資質を哲人思想から考えていきたいと思います。

プラトンは
「哲人こそが政治を引っ張っていくべき」
と考えましたが、それは現代においても通用します。



哲人というのは「理性の割合が多い人物」でした。



理性というのは
「あらゆる物事に論理を与えることのできる能力」
を表しています。



まぁ論理力ですね。
論理力が高い人間は「意思」と「欲望」をコントロールできます。



意思をコントロールできなければ、過激な人間になり、
欲望をコントロールできなければ、怠惰な人間になります。



これらの、二つをコントロールできるのが、
「理性」であり、リーダーに必要な資質となります。



会社でリーダー的な役割をしている人や、
今後人を引っ張っていきたい、という方は
「理性」を鍛えるようにしてみてください!



哲人政治のまとめ


いかがだったでしょうか?
最後に簡単にまとめておきます。

哲人思想…理性の割合多めの人間
https://uteimatsu.com/aristocracy/


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ソクラテス、プラトン、アリストテレス【思想の違いをわかりやすく解説】
2020年5月12日
https://uteimatsu.com/origin-of-philosophy/

この記事では、ソクラテス、プラトン、アリストテレス
という3人の哲学者の思想をそれぞれわかりやすく解説していきたいと
思います。



それでは、さっそくいってみましょう!!


なぜソクラテス、プラトン、アリストテレスなのか?


まずは、そもそもこの問題ですよね。
「なんでこの3人を比べるの?」
「他にも色々哲学者っているでしょ?」



それはこの3人が、
哲学の「原点」だと考えられているからです。



厳密にいうと、この3人の前にも
哲学者はいました。



しかし、「哲学の原点」と呼ばれているのは、
なぜかソクラテスを筆頭とするこの3人なのです。



まず一人目のソクラテス(紀元前469年〜紀元前399年)。
彼は「哲学者の祖」といわれている哲学者です。



しかし、哲学の祖といわれながらもソクラテスは、
一冊も彼の本を残しませんでした。



本も書かなかったのに、
ソクラテスが「哲学の祖」といわれるのか不思議ですよね。



その理由は、プラトン(紀元前427年〜紀元前347)にあります。



プラトンはソクラテスの弟子の一人でした。
そして、師匠であるソクラテスが、全く書物を残さなかったことを
残念に思い、ソクラテスに関する様々な本を出版し担です。



プラトンは、哲学者としての才能も持ちつつ、文才もありつつ、
家もお金持ちで、哲学者の中でも生粋のエリートと言えるでしょう。



プラトンは最終的に、
哲学者なのに優秀な生徒を集めて、
「アカデメイア」という学校を作ってしまいます笑



そのアカデメイアで勉強したのが、
最後のアリストテレス(紀元前384〜紀元前322)です。
彼は、アレクサンドロス大王の家庭教師としても知られ
「万学の祖」とも言われています。



また、プラトン同様に
アリストテレスも「リュケイオン」っていう学校を作ってしまいます。



ここまで書いてきたので感じている方もいるかもしれませんが、
ソクラテスとプラトン、プラトンとアリストテレスが
師弟関係になっています。



「哲学の祖」といわれるほどの影響力を持ったソクラテスを始まりとして、
偉大な哲学者が同じ時代に立て続けに登場しているんですね。



この3人は哲学の原点として捉えられるのは、
それが原因でしょう!!



では、ここからはソクラテス、プラトン、アリストテレス、
それぞれの思想をみていきたいと思います。



ソクラテスの思想


ソクラテスを一言で表すとするならば
「謙虚で貪欲な論破野郎」
です。



「哲学の祖」と聞くと、ソクラテスに対して上品なイメージを
持ってしまうかもしれません。



しかし、実際はそうではありませんん。
ソクラテスは当時の政治家や知識人に議論を仕掛けて
論破をしまくっていました。



なぜそんなことをしたのか?
それは、自分が最も賢いというお告げを受けたので、
それが間違っていることを証明するためだそうです。



彼はどこまでもへそ曲がりなんです。



しかし、彼のすごいのは「圧倒的なカリスマ性」を持っていたことです。



彼は、様々な人を論破するうちに、
若者から圧倒的支持を受けるようになります。



そしてその結果、当時ソクラテスを知らない人はいないレベルに達します。



では、なぜソクラテスはそこまでの支持を受けるようになったのか?



それは、ソクラテスが「無知の知」を説いたことが一つの原因です。



ソクラテスの「無知の知」とは?


「無知の知」とは文字通り
「知らないことを知っている」
という意味です。




先ほどソクラテスは論破をしまくった、と言いましたが。
当時のギリシャ政治の状態は腐敗していて、
政治家が都合の良いことばかりを偉そうにベラベラ喋っていたそうです。



ソクラテスはそんな政治家を論破するうちに
「この人達は、自分では何もわかっていないのにわかったふりをしている」
「この人達は、知ったかぶりばかりで本質は理解していない」
「自分は知らないことを自分自身で理解しているから、まだマシ」
ということを気づきます。



これが「無知の知」です。



ソクラテスは謙虚な態度で自分の意見を貫きつつ、論破を繰り返したわけです。



そんな姿を見た若者は
「ソクラテスすげー!!」
ってなるわけです。



最終的に、ソクラテスはあまりに大きな影響力を持ちすぎた結果、
無実の罪を着せられ、殺されていましいます。



そんな「カリスマ性の塊」であるソクラテスの思想を後世に残したのが、
プラトンです。



プラトンの思想


プラトンを一言で表すなら
「優秀 of 優秀」
です。



もともと彼は、いいところの生まれで賢くて、
政治家になるべき人間でした。



しかし、ソクラテスの論破合戦を聞いて、衝撃を受け、
その日のうちに弟子入りします。



しかし、そこまで尊敬していたソクラテスですが
無実の罪で殺されてしまいます。



それを勿体無く思い、彼の勇姿を本に書き残したのが、プラトンです。



もともと、優秀であったプラトンは、
ソクラテスの思想を本にまとめつつ、
自分で学校を作りつつ、
自分の思想を本に残しています。



それがイデア論です。



イデア論は簡単にいうと
「この世には本当の正義、本当の善、本当の美などは存在しない、
これらはこの世とは違うイデア界に存在している」
と考える思想のことを言います。



このイデア論は、以降の哲学界で、
観念論の先駆的な思想として捉えられることになります。



アリストテレスの思想

最後にアリストテレスです。
アリストテレスを一言で示すと「好奇心の塊」です。

アリストテレスはプラトンが作った学園である
「アカデメイア」でトップの学生でした。



しかしプラトンの考えをそっくりそのまま引き継いでいるわけではありません。



というよりプラトンの考えを学んだ上で、
プラトンとは反対の思想を創り上げています。



プラトンのイデア論はざっくりいうと、
「真実だったり、本質はこの世ではない場所にある」
という考え方でした。



しかし、アリストテレスはこの考えに対して、
「そんなこと考えて何の意味があるんだろう?」
という感想を抱きます。



そこから、現実の目に見えるものの中から、
真実や本質を見つけ出そうとします。



そのために、実際に目に見えるものを観察や分析するなどして
真実や本質は何かを見つけ出そうとします。





その結果生まれたのが論理学や動物学や政治学などです。
イルカが魚類ではないということも、
アリストテレスは既に分析済だったそうです。



彼が「万学の祖」といわれるのは、そのためです。



また、彼はプラトンと同じく「リュケイオン」という
学園も設立しています。



ソクラテス、プラトン、アリストテレスの思想まとめ


この3人が圧倒的な人物であったことが理解いただけましたでしょうか?



最後に3人の思想を簡単にまとめておきたいと思います。

ソクラテス
→知らないことを知らないと知っている俺
プラトン
→本質はこの世にはない、そう、イデア論
アリストテレス
→本質は目の前にあるやん、観察と研究大好き
https://uteimatsu.com/origin-of-philosophy/


2:777 :

2024/08/08 (Thu) 18:13:23

【伊藤貫の真剣な雑談】第9回「プラトン哲学と国家の独立」[桜R4/10/8]
https://www.youtube.com/watch?v=Dvx8a-kLDKg


【伊藤貫の真剣な雑談】「プラトン哲学と国家の独立」文字起こし
https://note.com/taizo7263/n/n431ca4e322a8

今日は、普段から喋ってることよりは、相当抽象的なことを喋りますので、半分、大学の講義みたいに、政治思想史とか、哲学史の講義みたいになるんですけれども、以前からこのことを喋るのは重要だと思っていたんですね。

哲学史とか政治史のことに関して喋りますと、皆さんに中々理解していただけない….と。理解していただけないっていうよりも、もう、あの、みんな嫌がる人が多いんですね。(笑)
めんどくさいこと言わないで….面倒くさい理屈を言わないでほしい。
という反応を示される方が多くて。

僕のYouTubeの講演っていうのは10~20万人くらい見ていただけるんですけれども、今回の講演は、多分、ほんの数万人?もしかしたら数千人ぐらいしか見ていただけないかもしれないと思うんです。

ワシントンから日本の外交政策と国内政治を観察していますと、ものすごい表面的な議論を繰り返してるんですね。
で、このまま表面的な議論をいくら繰り返しても、きちんとした、論理的に整合性があり、一貫性のある、政治、外交、国防はできないんではないかと思うんです。

なぜかと考えてみると、やっぱり哲学の点からこの問題を議論しないと、なぜ戦後の日本人が、もしくは大正デモクラシー以来ですね、ですから過去100年間か、110年間の日本が、表面的な議論ばかりして、長期的な展望と、きちんとした明瞭な価値判断に基づいた国内政治と外交政策を実行することに失敗してきたのかということが、なかなか説明できないと思うんですね。

ですから、今日の議論というのは、抽象的な、哲学とか宗教のレベルにまで踏み込んだ議論をします。

で、面白いと思われる方もおられると思いますけれども、つまんない屁理屈を喋ってるなと思われる方もおられると思いますが、最初にこの講演の前半で、過去2500年間の人類の価値判断がどういう風に変わってきたか?

特に、最近200年もしくは最近250年間の欧米人の価値観が、価値判断力が、どういう風に変わってきたのか。で、そのために日本人がどういう風に影響を受けたか。もっとはっきり言うと、価値判断がどんどん変わってきた。もしくは、価値判断力が衰退してきた欧米人に、日本人はかなりもてあそばれてきたところがあるんですね。

それは、もちろん19世紀の中頃まで日本人は外国人と直接議論するような場に立たされなかったわけで。そうすると、国を開いた途端に価値判断の能力がかなり乱れてきたヨーロッパ人、アメリカ人と付き合わなきゃいけなくなった。これは僕は、最近150年間の日本の悲劇だと思うんですね。

というのは、18世紀までの欧米人というのは、そう簡単にポンポン意見を変えたり、自分たちの価値判断力を、判断の基準を、変えたりする人たちではなかったんですけれども、最近200年ぐらいから欧米人が落ち着きを失って、その場その場で自分たちに都合のいいことを言い出して、それでアグレッシブに自分たちの価値判断を非白人諸国に押し付けてくるということを繰り返してきたわけですね。

日本人はそういう西洋文明、西洋諸国に押しまくられて、それに一生懸命対応して、キャッチアップしようとして、時には猿真似して、失敗したりして。

で、現在もそうなわけです。現在の日本政府も、例えばアメリカがウクライナで不必要なクーデターを起こして、それでウクライナという国をアメリカの純軍事同盟化して、ロシアがそれにたまりかねて、ウクライナの東部に侵入していったと。で、それを理由にアメリカは長期の対露戦争を戦って、ロシアを潰そうとしていると。

そのやり方に日本政府は、もう日本政府だけではなくて、マスコミの人はほとんど全員が引きずられた議論をするだけなんですね。要するにこれは最近150年間ずっと、欧米諸国にやることにずっと鼻づらを引きずり回されるようにくっついていった日本の悲劇がずっと繰り返されているわけです。

そのことを、哲学史とか政治思想史の面から分析すると、どういう風になるかということを今日は喋りたいと思います。

で、前半が最近2500年間に何が起きてきたか。哲学史とか政治同士の面からどういう風に変わってきたか。で、後半でプラトンの国家思想を説明して、それで、ソクラテスやプラトンによれば、国家の価値判断の独立と、それからもちろん国防政策の独立というのがどれぐらい大切なものかということを説明します。ですから後半部は プラトンの解説で、前半部は思想史の解説になります。

まず、いつも言ってることなんですけれども、ものを考えるには3つの段階があります。

3つのレベルで考えないとうまく整合性がとれない。要するに、きちんとした 安定性のある思考が成り立たない。その3つのレベルの思考というのは、
一番上に、「哲学や宗教レベル」の価値判断があって、

その下に政治学、それから国際政治学。それから政治思想史。それから経済学、軍事学の「パラダイムレベル」パラダイムというのは”学派”ですね。要するにケインズとかマルクスとかオーストリア学科とか。いろんな学派別のパラダイムがありまして、どのパラダイムを使用するかで議論が変わってくるわけです。2つ目がパラダイムレベルの議論。

3つ目の段階は誰にでもわかりやすい「ポリシーレベル」の議論ですね。目の前に起きたある問題を解決するにはどのポリシーを採用すれば最もコストが安くて最も成功する率が高いかという、目の前の問題に対処するポリシーレベルの問題ですね。

ですから、ものを考えるには「3つのP」フィロソフィカル(philosophical)なレベルの思考。パラダイムレベル(paradigm)の思考。それから3番目のポリシーレベル(policy)の思考があるわけです。

今の日本が一番困っているのは、一番上の哲学や宗教のレベルでの、ものの考え方をどうするかということだと思うんですね。

これは日本人にとって一番苦手なレベルの議論なんです。というのは、日本人はあんまり宗教に興味を持たなかったですよね。もちろん仏教には素晴らしい伝統がありますけれども。
でも、明治維新はいわゆる、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)というのをやって、仏教的な思考パターンっていうのをどんどん弱体化させていったわけですね。ごく一部の人がキリスト教となりましたけれども、彼らの影響力はほとんどなかったと。

では哲学はどうかっていうと、哲学も明治維新以降、 慌てて輸入してみたんですけれども、これもまたほとんどが、はっきり言って表面的な猿真似をしたに過ぎなかったということがありまして。日本人に根付いたものにはならなかったわけです。

ですから、ヘーゲルが流行ればみんなヘーゲルの真似をするし、カントが流行ればみんなカントの真似すると。それからショーペンハウアーが流行ればショーペンハウアーの真似をすると。で、20世紀になると現象学とか、論理実証主義とか。言語分析哲学とか実存主義とか。ポストモダンが流行るとみんなそれを真似すると。

だけども、日本人の、日本の国民のほとんどにはこういう大学の哲学科の教授たちが、「西洋のこれが一番新しいヨーロッパの流行ってる哲学です。」という風に真似してみせても、ほとんど何の影響も受けなかったわけですよね。

また、問題なのは、日本の先生が西洋哲学を紹介するとものすごく奇妙な日本語になるんですよ。日本の大学の先生が書いたヨーロッパ哲学の解説書を読んでもほとんど意味が通じないような文章を平気で書いているわけですよね。

で、しかも、ヨーロッパの哲学の流行が変わると、どんどん変わっていくと。そうすると結局、ほとんどの人たちは日本の哲学者なんていうのはヨーロッパの哲学の流行を借りてきてるだけで、真面目に学ぼうとしても大切なものは何も得られないと。これは事実だったと思うんですね。事実だと思うんですけれども、やっぱり人間にとって哲学と宗教っていうのは、実は一番大切なものなんですね。

で、なぜ一番大切かっていうと、人間が生きていくのに、僕は「2つのM」と呼んでいるんですけれども、2つのMというのは何かっていうと、ミーニングとミッション(meaning , mission)

要するに、人間には、何で自分は生きてるんだろう。 自分の生きてる意味は何だろう、とね。

生きてる意味がわかんなきゃ生きてても面白くないわけで。もしくは刹那的にね、その場その場で対応していくだけで、頭の中は混乱するし、気分も情緒的にも混乱するし、落ち着いた判断っていうのができないわけですね。

もう一つは、人間っていうのは、生まれて年を取って、子供を作って年をとって、死ぬと。そうすると単なる動物と同じだと。そうであるならば、自分が生きてる間に何らかの意味、もしくは意義を追求して実現しようという義務感なり使命感なり、それから任務というかね、やらなければいけないことというものが規定できないわけですね。

ですから2つのMというのは、ミーニングオブライフ、 生きる意味。人生の意味。それからミッションオブライフ、人生の任務、使命感ですね。

このミーニングオブライフとミッションオブライフというものを人間に与えてくれるのは、実は、哲学もしくは宗教だけなんですね。

政治学の本とか心理学の本とか社会学の本をいくら読んでも、生きる意味とか生きる任務が何かっていうことは絶対出てこないんです。

これはやっぱり哲学と宗教から得られるものでありまして、他のいわゆる社会科学とか人文科学とかいうものをいくら勉強してみても、そういう本をいくら読んでみても何も出てこないということなんですね。

宗教と哲学がはっきりしていない国民っていうのは、価値判断の基準とか、自分たちが大切にしている価値規範は何かという議論が曖昧なまま、目先の政策議論をすることになるわけで、そういう国民はいつも腰がグラグラしていて、自分たちの立脚点で自分たちが大切にしている価値判断にしっかり足を踏まえて長期的な政策を実行するという能力を持てないわけです。

ですから、生きる意味、生きる生き甲斐ですね。それから生きるミッションをきちんと方向性を明瞭にしてくれるのが哲学と宗教で、その後に経済学とか国際政治学とか軍事学とか核戦略理論とかそういう学問レベルのパラダイムで、どのパラダイムを採用するのが一番我々にとって良い方針であるかという議論が出てきて、その後に政策議論が出てくるわけです。

正直に申しまして、過去77年間の日本の左翼の護憲主義、平和主義、人権主義、平等主義というのは、何らかの哲学や宗教に基づいたものではなかったわけですね。なんとなくムード的に平和憲法万歳と。平和が一番いいんだと。人権を大切にしましょうと。それがヒューマニズムだと。

ヒューマニズムといっても、人間の行動には必ず価値観が伴いますから、どのような価値判断が我々にとって最も良きものであって、劣等な価値判断というのはどういうものかという、そういう議論は避けてきてるわけですね。

そういう日本の左翼が、本当の哲学とか宗教観に欠けた議論をしてきたと同時に、保守派も吉田茂以来、日米基軸主義というお題目のもとにアメリカに くっついていって、米軍にずっと占領してもらって、アメリカ文明の猿真似をして、アメリカがグローバリズムをやり出すと我々もグローバリズムをやり出すと。アメリカがネオリベラリズムをやると我々もやると。

で、アメリカは、企業は全て株主の利益のために存在すると。だから従業員の給料をバンバンガンガン下げて株主に対する配当を5倍も6倍も7倍も増やせばそれでいいんだと。 ごく一部の株主が儲かれば従業員の給料は全く上がらなくても、もしくはどんどん下げていっても構わないという株主優先主義の資本主義を日本に押し付けてくると、日本の橋本政権、小泉政権、安倍政権は全部それを実行するわけですね。

過去30年間それを実行してきてどうなったかっていうと、日本の勤労者はどんどん貧しくなって、日本の株式市場は、7割が外国勢、特にアメリカに支配されていると。

日本の株式市場を支配している外国の金融機関とかヘッジファンド業者は自分たちが金儲けすることだけ考えてますから、日本の勤労者の労働コストをどんどん減らせと。 驚いたことに日本政府は、はいわかりました、やりますやりますと言って、外国の金融機関と外国の株主と投資家に都合のいい政策をやってきて、それで日本社会をどんどんどんどん、少なくとも日本の人口の半分の人を貧困化させてきて、それで日本の20~40代の2割か3割の人が、貧しいから結婚できないという状態になってきたわけですね。

で、これも保守派の日米基軸主義、要するに日米基軸なんだから、アメリカの言ってくる経済学のパラダイムでも、核戦略のパラダイムでも、国際政治のパラダイムでも全部鵜呑みにして、全部アメリカの言うままやってればいいんだと。それが最近の小泉政権と安倍政権なわけで、日本の立場は経済的にも外交的にも軍事的にもどんどん悪くなってきたわけです。

でも、自民党だけじゃなくて、外務省も財務省も経産省も防衛省も自衛隊も自分たちの価値判断、それから自分たちの長期的な国益のために何をやればいいのかっていうことを考えるよりも、アメリカ様優先で、とにかくアメリカ様が命令してくることを全部やると。それが小泉政権と安倍政権だったわけで、日本の立場は どんどんどんどん劣化していく。

僕から見ると、やっぱりこれは日本人に、哲学、価値規範と価値判断力というものが欠けている。それから国際政治学、経済学、核戦略理論、軍事学、国際政治史で、どのようなパラダイムを我々は採用すべきかという判断力が欠けている。

だから過去25年間、ずっとアメリカの言いなりになってどんどん貧しくなって、日本の立場というのは、中国と北朝鮮がどんどんどんどん水爆弾頭を増やしてますから、どんどんどんどん悪くなっていくわけですね。

で、アメリカ政府は、アメリカの核の傘があるから大丈夫だって言ってるんですけれども、中国、ロシア、北朝鮮が、日本に核恫喝(ニュークリアブラックメール)をかけてきた場合、アメリカ政府は、中国、北朝鮮、ロシアに、日本を守るための核戦争なんかもちろんやらないわけです。やらないんですよこれは。

やらないことがわかっていて、日本の外務省、防衛省、自衛隊は真正面から反論するということが全くできないんです。 本当にできないんですよあの人たちは。

それはなぜかというと、先ほど言いましたように、哲学レベルの判断力、パラダイムレベルの判断力が全くなくて、とにかくアメリカにくっついていけば大丈夫だろうと、日米基軸だと言ってるから、それで済ませてるから日本の立場はどんどん悪くなって、過去30年間、アメリカにもてあそばれてきたわけです。

これは結局、3つのレベルでものを考えてないということをやってるからこういう羽目になってきてしまったわけです。


で、これからヨーロッパのことに移るんですけれども、僕はヨーロッパ文明が好きなんですけれども、過去200年間のヨーロッパ文明は、はっきり言ってダメになってきたなと。で、なぜかと言いますと、ヨーロッパ文明の基盤というのは2つありまして、1つは紀元前4~5世紀に発生した、特にソクラテスとプラトンとアリストテレスが始めたギリシャ哲学ですね。

ギリシャの科学精神で一般的にはソクラテスとプラトンが人類の哲学の基盤を作り、アリストテレスが人類の自然科学と世界社会科学の基礎を作ったと。だから我々が使っている、普段考えている科学的な思考力とか哲学的な思考力っていうのは紀元前4~5世紀にこの3人が始めたものがヨーロッパ文明の基礎になってきてるわけです。

それから約400年経ってからイエスキリストが出て、 新約聖書に載っているようなお説教をして、キリスト教文明というのを作ったわけですね。

だからヨーロッパ文明っていうのはその源流がギリシャ哲学とかギリシャの科学、それからローマ帝国に広がったキリスト教文明というものから来てるわけです。で、それが変わったのが18世紀の後半なんです。

18世紀の後半からギリシャ哲学とキリスト教文明、キリスト教の教義自体を批判する啓蒙思想というのが出てきて、それから最近2500年間はだいたいこの啓蒙思想が正しかったという風にヨーロッパ文明、それからアメリカ文明も動いてきたわけです。

だけど問題なのは、ギリシャ哲学にしてもそれからキリスト教文明にしても人間よりももっと大切な価値があると。それを彼らは トランセンデンタルバリューって呼ぶんですけれども、超越的な価値ですね、それは何かっていう と、究極の真・善・美。アルティメットですね。それから、神聖な価値ですね。英語で言うとディバインバリュー。もしくはディヴィニティー、神聖なるものと。

普通の人はそれを神と呼んでるんですけれどもね。で、とにかくギリシャ哲学にしても、キリスト教にしても、人間よりももっと大切な価値というものがあって、それに従って生きていくのが我々の人間の務めであるという風に思っていたんですけれども、18世紀後半以降の啓蒙思想というのは、良くく言えばエンライトメントと。要するに、光をね、人類に光を与えるという ことになってるんですけれども、良くも悪くも人間中心主義なんですね。 英語で言うとヒューマンセントリックと。

で、もっと言うと人間こそが世界の主人公であり、世界で一番偉いのは人間であると。人間の欲望、それから人間の要求する権利。これが我々にとって一番貴重なものであると。人間の欲望と人間の価値判断と人間の主張する権利ですね、これを尊重するのがいい生き方であると。

そうすると、価値判断の中心がギリシャ哲学とかキリスト教文明ではディヴィニティと神のごときもの、もしくはノーブルマインド。要するに高貴な人間の都合とか人間の好き嫌いよりももっとそれをトランセンド、超越したノビリティと。高貴なるものというものが、もしくは崇高なものというものがあるはずだという風な思考パターンから、人間様が一番偉いんだと。で、人間様こそ世界の主人公であり、人間様が、良いと思うことを政府はやればいいと。で、そういう人間中心主義に変わってきたわけです。

人間中心主義というのは一見素晴らしいように思えるわけですよ。ところがね…. 少なくともソクラテスなりプラトンなりアリストテレスなり、それからジーザスクライストは、人間っていうのはしばしば愚かなことをやるから自制しなければいけないと。セルフレストレイント(自粛)と。

自制心を発揮して、自分の欲望と自分の権利というものだけを主張して、それを通そうとすると、単にいざこざが増えるだけではなくて、社会全体もきちんと運営できなくなると。それから社会の価値規範自体も崩れていくということをプラトンにしてもアリストテレスにしても指摘してたんですけれども、そういうのを無くしてしまったわけですね。

それを真っ先に先頭に立ってやったのが、ディドロとかダランベール、それからルソー、特にルソーなんかがそういうことをやって、自然に帰れと。自然の人間は素晴らしいんだと。原始状態の人間が一番素晴らしかったから、社会の伝統とか因習とかしきたりなんかは全部すっ飛ばして、とにかく人間 の欲望と人間の夢を優先させればいいと。

そこら辺から人間は非常に実益というか自分にとって得になるもの、自分にとって役に立つもの。それから自分の都合を優先させればいいという態度がかなり露骨になってきたわけですね。

そういう一見素晴らしいように聞こえる18世紀の啓蒙主義を経た後の人間が何をやりだしたかっていうと、19世紀になってからの植民地の獲得競争と、それから帝国主義と、それから植民地の非白人に対する露骨な搾取ですね。でこれはもう人種主義です、人種差別主義。

それから、自分たちの民族は一番偉い民族なんだから、自分たち民族の利益をどんどん優先させればいいと。弱い民族は土足で踏みにじっても構わないという民族主義と国家主義と。

そうすると、最初は啓蒙主義で人間の欲望と人間の権利を前面に押し出してそれを尊重するのがいいのだという考えを押し進めた時は、彼らは理想主義的だったんですけれども、それを19世紀になって実践してみたら世界中で植民地獲得競争をやる帝国主義闘争になってしまったと。

それで、よく言われるように、マイトイズライトと。力は正義なりと。 力の強い奴が力の弱い国を踏み踏みにじってどこが悪い?という、そういう国際政治になってきたわけですね。

それが19世紀の帝国主義になって、20世紀の第一次世界大戦、第二次世界大戦につながっていったわけです。

で、我々日本人は、最初はそれに順応して勝者になったような気持ちになったんですけれども、1945年に叩きのめされて、それからはもう二度と独立できなくなったわけです。

これも過去200年間の政治思想史から見ると、それから外交史から見ると、こういうことが起きたのも最終的にはやっぱり西洋人の価値判断力と政治思想がどんどん変わってきたからだと。

僕は少なくとも過去250年間の欧米人の価値規範の変化っていうものをあまり好意的というか肯定的には見てないわけです。で、これはちょっと皆さんに受け入れていただけないかもしれないんですけれども、保守主義は、以前も申し上げましたけれども、何を保守するのか?と。

「What do you want to conserve ? 」保守主義というのはコンサバティズムでしょう?このサーブっていうのは保存するとか温存すると。そうすると、あなたは 一体何を保守したいんですか?ということになるわけですね。

で、現代の、少なくとも アメリカ人とか日本人の多くは、国益を擁護したいと。もしくは国家のパワーですね。国家の力を温存したいと。だからナショナリズムか、もしくは経済利益、軍事利益を保守することというのが保守主義であると。で、それに反対する左翼は嫌いだと。

ところが、保守主義にはそういう国益、コンサバティズム、もしくはナショナリズムコンサバティブと。ナショナリズムを表に出すコンサバティズムとは別に、クラシカルコンサバティズムというのというものがあるんですね。それは何かというと、古典的なバリュー、価値、価値観。それから古典的な文化、様式をなるべく温存したいと。

なぜならば、何百年も続いてきた古典的な文化というのはそれなりに何百年も続いてきたんですから、洗練されたものであって、良いものだけは残ってるんだから、そういうクラシカルなカルチャー、クラシカルなバリューというものをそう簡単に壊すと人間は逆に野蛮な状態に戻ってしまうと。

だからそういう人間の野蛮性を避けるためにクラシカルなバリュー、クラシカルなカルチャーを大切にしようっていうクラシカルコンサバティブの立場があるんですね。


僕は非常に非文化的な人間なんですけれども、それにも関わらず自分のことをクラシカルコンサバティブだと思っておりまして、人類のことを考えると、過去2500年間に、人類の文明でやっぱり質の高い、質の良い文明規範というものがあったと。もしくは質の良い考え方があったと。それが僕は4つあったと思うんですね。

それは、西洋世界ではギリシャ哲学、それからギリシャの科学。それからキリスト教文明。それから東洋世界では仏教と儒教と。この2つがアジアを代表する文明の規範だったと思うんですね。

ギリシャ文明圏というのがありましたよね。それからキリスト教文明圏というのがあって、仏教文明圏、儒教文明圏というのもあったんですけれども、それ以外の文明圏というのはやっぱり非常に小さなものだったし、それから永続性のあった文明規範というのは、ギリシャ哲学とキリスト教と、それから仏教と儒教だと思うんですね。

僕はこの4つの流れを、人類の文明の4つの源流という風に考えておりまして、この4つの源流は、多分、世間では笑いものにされると思うんですけれども、僕はギリシャ哲学とキリスト教の神学、要するに一番コアになる神学的な考え方。それから儒教と仏教のコアになっている、中核になっている思想というのは、21世紀になっても7割ぐらい正しいんじゃないかと。

もちろん3割はね、古臭い迷信に過ぎないとか、あんなのフィクションに過ぎないとかいう風に言って笑い飛ばせるんですけれども、やっぱり7割ぐらいは正しかったんではないかと。

儒教と仏教とギリシャ哲学ができたのは今から約2500年前でしょう? 先ほど申しましたように、18世紀後半の啓蒙思想の時代になってこういう古い思想を笑い飛ばして、人間の欲望を、人間の欲求、それから人間の権利を前面に押し出す啓蒙主義が一番正しいんだと。キリスト教、儒教、仏教なんていうのは古臭いと。
ソクラテスとプラトンも古臭いという風な考え方が出てきたわけですけれども、そういう風に人類文明の4つの源流をそう簡単に貶めるような態度というのは、僕は過去250年間の人類の思い上がりなのではないかという風に考えているんですね。

でなぜそういう風に思い上がるようになったかっていうと、やっぱり科学技術の発展なんですね。科学技術が進んで、もちろん経済生産性が上がるわけですが、それからすごく便利になりますよね。で、便利になって、それで生産性が上がると、人間は、自分たちの好きなように世界を変えられるという風に思い込んで、クラシカルなバリューシステムとかクラシカルなカルチャーよりもどんどん革新していけばいいと。どんどん変えていけばいいと 、変化を重んじるようになるわけですね。

そういう考えがわからないではないんですけれども、変化を重んじて、技術革新を重んじるたびに、人間の殺傷能力というのはどんどん増えてきまして、最近、アメリカとロシアが実質的に戦争を始めましたから、ワシントンに住んでいると、アメリカとロシアが核戦争する確率がどのぐらいあるかだとかね、核戦争するとしたらどういう風に始まるかとか、みんなそういうこと言ってるわけですよ。(笑)

僕には科学技術の進歩によって人間が振り回されているようにしか見えないし、一旦、米露が核戦争を始めれば、これは少なくとも数千万人。もしかしたら数億人死ぬわけですよね。

そういうことまでやるようになった人間っていうのがどれほど賢いものかと。しかもそういう事態になっても、もう一度言いますけれども、アメリカ政府の国務省とCIAは、もしかしたらまた核戦争が起きるかもしれないけれども、中国と北朝鮮とロシアの核ミサイルのターゲットになってる日本人にだけは核を持たせないと。こういう風に国務省とCIAとペンタゴンは決めてるわけですね。非常に不道徳なわけでしょう?

しかも、日本が核攻撃の犠牲となっても、アメリカがそれを理由に北朝鮮、中国、ロシアと核戦争するってことはあり得ないわけですよ。それにも関わらず、アメリカ政府は日本人にだけは核抑止力を持たせないと。

こういうグロテスクなまでに不道徳な政策を日本人に押し付けていて、アメリカ人は、少なくともアメリカ政府の官僚はケロッとしてるわけですよね。

こういうのを見てると、人間の道徳的な判断力というのがどれぐらい進歩したんでしょうかと。むしろ、17~18世紀の方がマシだったんじゃないかと。もっと言えば、プラトンとかアリストテレスが生きていた時代の方がもう少しまともだったんじゃないかとね、そういう風にも思うわけです(笑)

とにかく僕はそういう理由で、過去200年なり250年間の文明の、確かに科学技術は進歩したけれども、人間の価値判断能力がどれほど進歩してきたかどうかは疑問であると。

で、今からプラトン哲学の話に行きますね。

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プラトンは、古代ギリシアの哲学者。ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師にあたる。

プラトンとか、ソクラテスもそうなんですけども、ソクラテスとプラトンの関係っていうのは非常に面白くて、ソクラテスはプラトンの先生だったわけですけれども、ソクラテスというのはとっても奇妙な人で、非常に立派な人なんですよ。

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ソクラテスは、アテナイ出身の古代ギリシアの哲学者。西洋哲学の基礎を築いた人物。

しかも、すごく、ちょっと滑稽なところのある人でね、あのね、 プラトンとアリストテレスってあんまりユーモアのセンスはないんですね。だけどソクラテスというのは非常にユーモアのセンスがある人で、やたらに勇気のある人で、もう体力がすごいんですよ。 体力強壮で、それでもう、戦争に行くとものすごく強いんですよ、ソクラテスっていうのは。要するに戦場ではまさに荒武者という感じでみんなを驚かすような戦闘ぶりを示すんですけども、非常に茶めっ気があって、 皮肉言ったりみんなを笑わせたりするんですね。

彼は変人で、物を書きたがらないんですね。議論にはものすごく強いし、喋るのも非常に表現力豊かなんですけれども、しかし、結局1冊も本を書かなかったんです。

で、ソクラテス先生の言ったことを色々思い出しながら、あのいわゆる「プラトンの対話集」を書いたのがプラトンなんですね。

弟子のプラトンはソクラテスの登場する対話集っていうのを25~28冊ぐらい書いてるんですね。もちろん後半のプラトンの対話集っていうのはソクラテスが出てきますけれども、その考えの7割か8割はプラトンの哲学感で、初期のものは逆に7割か8割がソクラテスの考えをそのまま述べたものなわけです。


「Internet Archive プラトン全集 : Free」
https://archive.org/details/githejomur_hu4ht_13/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%B3%E5%85%A8%E9%9B%86%E3%80%881%E3%80%89%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%83%86%E3%83%A5%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%B3%20%E3%82%BD%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%BC%81%E6%98%8E%20%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%B3%20%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3/

ソクラテスの弁明、国家、その他読めます。


僕がソクラテスとプラトンが非常に好きな理由は先ほど言いました2つのMとミーニングオブライフ。それからミッションオブライフ。

生きる意味と、それから生きる使命ですね、生きる任務。何をやらなければいけないかというのをこの2人は非常に素直に正直に喋ってくれるんですね。しかもレベルが高いんですよ。レベルが高いんだけれども、言葉遣いが 普通の言葉遣いで喋ってくれますから、とってもわかりやすいんですね。

で、 逆に19~20世紀の哲学者っていうのは、一見すごく知性溢れる世界の分析と、それから、文明の分析ということをやっているように見えても、そういう人たちの本を読んでも生きることの意味とか、生きることの任務とか、やらなければいけないこととかいうのは出てこないんですよ。

一番ひどいのが最近 50~60年流行ってきたポストモダンでポストモダンの本なんか読んでると、非常にシニカル(冷笑的)で無気力になって、現代世界をせせら笑うということをやるだけで。もっと単純に言っちゃいますとね、ソクラテスとプラトンは非常に 道徳的なんですけれども、それと同時に非常に男らしいんですよ。で、非常に強い責任感があって勇気があって男っぽいんですよね。

逆にポストモダンの連中っていうのは、なんというか、距離をとってせせら笑うような、冷笑するようなあの態度があって、彼らの議論をいくら読んでもミッションオブライフというようなあの感覚は出てこないんですね。

むしろ傍観者(onlooker)もしくバイスタンダー(bystander)という感じで、現代文明の無意味さを嘆いてみせるというポーズしか取れないわけですね。もしくは何か良心的な態度をみんなに切々と訴えるというような形で、哲学としての健全性って言うんですか、やっぱりあるんですよ。健全性を備えた哲学と、健全性の欠けた哲学と。

サルトルなんかはもう典型的で、もう健全性っていうのが全然ないわけですね。せせら笑って….もちろん彼は秀才ですから、秀才風の説明してみせるんですけれども、生きる意味とか生きがいとか、それから生きるミッションですね。生きることに対するミッションの感覚というのが出てこないわけです。


で、プラトンに戻りますけれども、プラトンとカントにはちょっと共通点がありまして。2人とも、目の前の現実は、もちろん目の前の現実だけれども、目の前の現実だけが現実ではないと。人間にはより根源的な現実があるという風に分けているんですね。

プラトンは、目の前の現実っていうのは洞窟の中に閉じ込められてるプリズナー(囚人)が、洞窟の壁に映っている影を見て、その影のことを指さしてこれが現実だと叫んでいるようなものであると。

要するに洞窟の中に焚き火を焚いて、そうすると、ゆらゆらした影が洞窟の壁に移りますよね。そういうゆらゆら動く影を見て、人間たちはこれが現実だと叫んでいるようなもので、本当の現実ではないと。

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有名な「洞窟の比喩」(プラトン対話集:国家)
カントはそれを別の言い方でフェノメノンとヌメノンという風に分けまして、目の前の我々が相手にしているような一般的な現実はフェノメノンであると。で、その目の前のフェノメノンを生じさせている根源的な現実。彼はそれを、日本語の哲学書では「物自体の世界」という風に書いてますけれども、とにかく最も根源的な目の前の現実のべースにある、一番大切な、全く変わらない現実なんですね。彼はそれをヌメノンと呼んでたわけです。

要するに目の前の現実以外にももっと大切な現実があるということを主張してたという意味において、プラトン哲学とカント哲学っていうのは似てるところがあるんですね。

2人とも目の前の現実を超えたところに親善美の価値観とか、それから神や仏のごとき、ディヴィニティ、ディバイン、要するに神聖なるものというものが存在すると。

ですから、プラトンとカントに共通するのは、目の前の現実っていうのは我々人間が毎日相手にしているような現実。新聞とかテレビのニュースに載るような現実。政治家とかジャーナリストが騒いでいる現実。
そういう 政治家とかジャーナリストが騒ぐような 現実っていうのは吹けば飛ぶようないい加減なものに過ぎないと。そんなものはいくらでも変わると。万物は流転すると。

ヘラクレトスっていうソクラテスの前に生まれた哲学者が万物は流転だと。全ては変わるから確かなものなんか何にもないと。彼らはもちろん目の前の フェノメノンのことそういう風に言ったわけですね。

プラトンとカントに共通するのは、目の前の現実を超えたところに、「もの」自体の世界、もしくは根源的な世界と。プラトンはその世界のことをイデアの世界とかフォーム、形式ですね、フォームの世界と言って、要するに抽象的な、論理的な世界があるんだという風に主張しまして、2人とも目の前の現実だけを分析することには賛成しなかったわけですね。

で、それが原因で2人とも、根源的な現実には神のごとき、もしくは神聖なる価値が存在すると。だから道徳規範とか価値規範っていうのは、全てその場の状況によって変わるような、エフェメラル、吹けば飛ぶようなものでは なくて、永遠性と普遍性を持つ価値判断っていうものが存在することは可能であると、もしくは必ず存在するのだと、そういう風にプラトンとカントは言ってたわけですね。それが原因で2人とも神の存在というものを認めてたわけです。

ところが、神というと普通は宗教だと思うでしょう?ところが、プラトンもカントも宗教は持ってないんですよ。彼らは宗教的な神っていうのには賛成しないんですね。

哲学的にずっと考え抜いてみると、目の前の現実をこういったところにもっと深い根源的な現実っていうのがあるはずで、人間の価値判断力、本当の価値判断力っていうのは、その根源的な現実、もしくはヌメノンから来るはずであると、来てるのだと、彼らはそういう風に言いまして、そこに神聖なる規範、もしくは究極の真善美の価値というものも存在するんだと。

彼ら2人は非宗教的な意味で神の存在というのを肯定してたわけです。そういう風な神の存在、非宗教的な神の存在っていうのを肯定してたのはソクラテスもそうですし、アリストテレスもそうだし、それから皆さんご存知のデカルトもそうなんですね。あとスピノザもそうだし、それから20世紀初頭の有名な哲学者で数学者のホワイトヘッド。それから誰でも知ってる物理学者のアインシュタインも根源的意味における神の存在というのを信じたわけですね。

だからデカルトとかアインシュタインっていうのは自然科学者ですから、そういう数学、自然科学に非常に優れた人たちも神の存在というものを非宗教的な意味で肯定してたわけです。

ということはどういうことかというと、崇高性を持つノビリティ、もしくは スプレマシー、というかシュープリームネス。要するに、非常に崇高なる価値規範っていうのは存在するのであって、我々人間はそれを目指して生きていくべきだと。

ただし、目の前の現実にはそれは存在しないわけですね。だからカントもプラトンもデカルトもスピノザもそれはきちんと分けて議論してるわけです。

で、そういう風な崇高性の存在ともしくは神のごとき価値の存在というものを認めた上で、プラトンは、人間はそのような崇高性を目指さなければいけないんだけれども、人間の性格には3つの欲望、もしくは3つの欲求によって動かされていると。

それは何かっていうと、彼に言わせれば、最も良いレベルでの欲求、もしくは欲望っていうのは、知性や知恵やそれから理性に対する欲求であると。

要するにインテレクチュアル(知的)な欲求ですね。それから2つ目が名誉とか勝利。それから人間のプライドというものを重んじる欲求ですね。
3つ目の欲求は何かっていうと、お金、それから食欲。美味しいもの食べたいとか、それから、女性もしくは男性。要するに性関係における欲望ですね。それから官能的な快感ね、プレジャー。 要するに快楽に対する欲望。それから、贅沢したいとか、見せびらかしたいとか、お金持ちであるとか社会的地位を見せびらかしたいとかね。そういう欲望ですね。これを彼は3番目の欲望と呼んでて、人間っていうのは必ずこの3つの欲求もしくは3つの欲望によって動かされていると。

で、1番目の、知恵とか理性とか知性に対する欲求が一番人間にとって好ましいものであって、2番目の、何でも いいから人に勝ちたいと、それから名誉を得たいと、名声を得たいと、自分のプライドを満足させたいというのは 彼は2番目の欲求であると。3番目の、お金持ちになりたいとか美味しいものいっぱい食べたいとか贅沢したいとか、それから女にモテたいとか男にモテたいとか、そういうのはかなり生物的、もしくは動物的な欲求なわけです。

1番目の欲求を優先する人たちを彼は鉄人タイプと。フィロソファータイプと。哲学者っていうよりも「哲人」ですね。悟りを追求するタイプですね。

2番目の人たちを彼は軍人タイプ。もしくは戦士。ウォーリアー。ファイタータイプ。 軍人タイプ。闘士タイプの人。

3番目の人たちを彼は商人タイプ。商売人タイプ。もしくは快楽主義者タイプの人と呼んだわけです。

この3つの生き方のどれを重んじるかによって彼は政治体制が変わってくると。これがプラトンの有名な「国家」っていう本があるんですけれども、そこで彼が述べているのは、

1番目の哲学的、もしくは鉄人的な欲求を重んじるのが鉄人統治と。

2番目の名誉とか勝利を望む、もしくはプライドの充足を重視するのを名誉体制、もしくは軍人体制ですね。 もしくはあの江戸時代の武士のあの階級ですよ。要するに武士のメンツが立たないとかね。武士の誇りにかけてなんたらかんたらとかね。(笑)そういう、武人統治ですね。

3番目が金儲けを欲求する、お金に対する要求を一番重視するのが富裕者統治。で、プラトンはこれをプルートクラシーと。(金持ちによる政治)と呼んだり、オリガーキー(寡頭体制)と呼んだりするんですけれども、要するに金儲けする人が一番威張ってる社会ですね。

4番目が民主体制なんですね。で、民主体制っていうのは一人一人の欲望、欲求には何らの上下もないと。全ての人の要求はもしくは欲求は全て平等に扱われるべきであると。だから人間の趣味とか、それから余暇の使い方とかお金の使い方全てに上下貴賤はないと。例えば、品のない映画だとかテレビ番組でも、どんなに品のない喜劇俳優であっても、それが大衆に受けてるんだったら、みんなに受けることを言ったやつが勝ちだと。 要するに数は力なりと。民主主義ってのはそうでしょう?

5番目が独裁政治、もしくは専制政治。で、彼はこの5つの政治体制を「国家」の中で議論していて、もう一度言いますと、 哲人統治。武人統治もしくは軍人統治。富裕者統治。民主主義。専制政治。


で、プラトンは(長くなりますから端折りますけれども)、哲人統治以外の軍人統治、富裕者統治、民主主義、それから先制政治は必ず堕落していくと。特に民主主義に関しては、民主主義をやっていると人々のその場の思いつきと、その場の要求だけを優先することになりますよね。

というのも、民主的な政治家っていうのは、とにかく数ヶ月後、もしくは来年か再来年の選挙に勝たなければいけないので、民衆の一番好むことをやりたがるわけです。で、民衆の好む事っていうのは、数か月もしくは数年ごとにどんどん変わっていくし、それから、民衆の、ものを考える能力っていうのはそれほど高くないですから、要するに、人気取りをする人がどんどんどんどん影響力を持つようになると。

それでプラトンは、まあ、くそ真面目な人なので、そういう人気取りばっかりやっているような政治家に国家を任せておくと結局、国家が衰退してしまうと。

で、もっと彼がはっきり書いているのは、本当の指導能力を持つ人というのは、プラトンに言わせれば、民主主義をやると本当の指導能力を持つ人が政治家になりたがらないと。なぜかというと、毎日民衆を相手に人気取りしなきゃいけない わけでしょう?

そうすると、本当に優秀で本当に指導者としての能力のある人は毎日朝から晩まで人気取りのジェスチャーばっかりやってるのが嫌なんですよね。で、選挙民の集会に毎週、もしくは毎日出て行って、ご機嫌取りしなきゃいけないということは嫌なわけです。

これは世界中に言えることで、アメリカでもね、見てますと、優秀な人っていうのはいるんですよ。指導力と人格の優れた人というのはいるんです。だけど、そういう人格が優れていて指導力のある人っていうのは政治家になりたがらない。

民主主義をやってると、もう本当に、優秀な人っていうのは出てこないんですよ。(笑)もうあんなの嫌だと。あんな人前でね、大声で口を声を張り上げて、人前で人と口喧嘩してみせるような、もうあれ、お芝居やってるわけでしょ。政治家っていうのはそういうね、あのバカバカしいお芝居をやるのは勘弁してくれっていうんで、どこの国でも、人間的にまともで人格的にまともできちんとした知性と、それから、価値判断能力を持つ人っていうのは政治には関わりたくないという風になるわけですね。だから民主主義は失敗するんだと。そういう風にプラトンが言ってるんですね。

それでプラトンにの国家論にいくと….実はソクラテスもそうなんですけれども、 ソクラテスも今日の一番重要な点なんですけどね。今から喋るのが今日の議論の一番大切なことなんですけれども、ソクラテスも プラトンも人間にとって、そして国家にとって最も大切なのは、質の高い価値規範を維持すること。

それから、徳のある人生を生きること。もしくは徳のある国家を作ること。要するに質の高い価値規範、それから徳ですね。英語で言うとバーチュー。 徳のある人間になること。徳のある国家を作ること。これが政治の目的であると。

ソクラテスもプラトンも、経済規模とか人口規模とか領土とかいうのはどうでもいいんだと。国家の人口が5万人であろうが500万人であろうが5000万人であろうが、そんなのは国家の偉大さとは何の関係もないと。
たとえ300万人の国民しかいないような 国でも10億人の国民がいる国よりもはるかに偉大であり得ると。 なぜならばその300万人が非常に高い規範を実行して、徳のある生活を、人生を送っているならば、そういう国の方がはるかに偉大であると。だから、軍事力とか経済規模っていうのは国家の偉大さとは何の関係もないんだと。

要するに、彼ら2人によれば、国家の最終的な目的っていうのは、質の高い 価値規範を維持することと、それから徳のある生活を国民が送ること。これが一番大切なのであって経済規模や軍事規模は無関係であると。

で、ソクラテスが言ってるのは、そういう国は独立を守らなければいけないと。なぜなら、独立を守らないのであったら、他の周りの国の価値判断力の低い国とか、それから徳のない国に蹂躙されてしまうからであると。

だからソクラテスはプラトンの著作の中で、他の国に従属するぐらいなら、もしくは他の国に隷属するぐらいだったら国民は全員戦って死んだ方がいいと。

もう一度言いますけれど、独立する目的は、高い価値規範。それから徳のある生活をすることなんですね。で、そういう、人間にとって一番大切な国家の状態、人間の状態を守るためには、もし他の国に蹂躙されるんだったら、国民がみんな 戦って死ぬようなことがあっても、それはもうね、そういうことをやる意味があるっていうか、要するに、とにかく他の国に従属するぐらいだったら、他の国の属国になるぐらいになったら戦って死んだ方がマシだと。そういう風にソクラテスがプラトンの本の中で言ってるわけです。

それぐらい彼らにとっては、独立した質の高い価値判断を守って、徳のある生活をするということが最も国家にとって一番重要なことであると。そのためには戦うのを恐れてはならないと。

そう、ここまで言うとお判りだと思いますけれども、日本は77年前に戦争に負けたからというので、アメリカ軍を未だに日本に進駐させておいて、どう見ても日本の外務省、防衛省、自衛隊には自主防衛しようというつもりは全然ないわけですね。周りの国がどんどんどんどん軍備を増やして、核ミサイルを増やしても、とにかくアメリカ にくっついてりゃなんとかなるだろうと。

で、アメリカの資本主義、株主優先の金持ちだけがどんどんどんどん利益を得ると。で、一般の労働者はどんどん貧しくなると。そういうアメリカの資本主義を押し付けられて、それを実行して、日本の国民の生活をどんどん苦しくしていると。国民の精神もすさんでくると。で、ご存知のように 皆さん、「今だけ金だけ自分だけ」という方向に追い込まれていくわけですね。

過去77年間の日本の政治家は、重光葵と石橋湛山を例外として、米軍を日本から追い出して、自主防衛するという当たり前のことをやろうとしなかったし、石橋湛山も重光葵も、人間にとって一番大切なのは徳のある生活をすることだと。高い価値判断を実践することだと。
そういうことをやって来ずに、全部、アメリカの属国として、アメリカの戦争とか経済政策に追従していくだけの生活を続けてきたわけですね。

そうすると、過去77年間の日本人のあり方というのは、ソクラテスとプラトンが描いたような国家のあり方とは全く逆の生き方をしてきたわけですよね。

彼らにとっては、目に見える軍事力、目に見える領土、それから目に見える経済規模よりも、精神的なノーブルマインドネス。ノビリティ。 要するに高貴さとか、精神的な崇高性と、それから、徳があるかないかということの方が、国家のあり方についてもっと重要だったわけですよ。

だから2人とも、目に見える利益よりも目に見えない利益。それから、目に見えない価値と価値判断ということを重視した人だったわけですね。で、それが彼らにとっては「哲学」するこということであったわけです。

「ソクラテスの弁明」という本を読めばソクラテスがそういう人であることは、もう100%解ります。

それで最初の話に戻りますけれども、日本の過去77年間というのは、哲学的なレベルでの判断っていうのがほとんど何もなかったと。パラダイムレベルの判断があったかどうかも怪しいと。で、目先の利益だけを考えてアメリカに従属してきたと。そういう生き方しかできなかったと。

僕は、だから、ソクラテスとかプラトンを読んでいると、これって過去77年間のね、日本人の生き方とは正反対の議論だなという風にいつも思うんですね。

今日はそのことについてお喋りしました。どうもありがとうございました。
https://note.com/taizo7263/n/na30957cae769


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