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2024/07/28 (Sun) 17:01:37
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開会式|パリオリンピック2024第1日ハイライト動画|NHK
https://www.youtube.com/watch?v=rU3shk92Enk
7月26日から8月11日までフランスのパリで行われるパリオリンピック2024。NHKでは、開会式から閉会式まで毎日ハイライト動画を掲載していきます。
第1日はセーヌ川を舞台に夏のオリンピックでは初めて競技会場以外で行われた開会式。パリらしい華やかな祭典を2分44秒にまとめました。
東京オリンピック2020から3年、2大会ぶりに観客が戻ってきたオリンピックでどんな名場面が生まれるのか、ハイライトでご覧下さい。
Paris Olympics' Opening Ceremony full - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Paris+Olympics%27+Opening+Ceremony++full
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深堀LIVE22:00〜【フランス パリ五輪開会式】アントワネット生首に全身青塗り男!ポリコレ汚染!絶対に触れてはいけない話
巫女ねこちゃんねる
https://www.youtube.com/watch?v=Xymi2ubM_mQ
【フランス パリ五輪開会式】アントワネット生首に全身青塗り男!ポリコレ汚染!キリスト教を敵に回し大炎上!サーフィン会場は植民地!批判に主催者が逆ギレ!
巫女ねこちゃんねる 2024/07/28
https://www.youtube.com/watch?v=7ZF9FC35VME
【フランス/パリ/ 2024 オリンピック】開会式がヤバすぎる・・・・LIVE
巫女ねこちゃんねる 2024/07/27
https://www.youtube.com/watch?v=UsadgfDYnfM
【フランス パリ五輪閉幕】また悪魔儀式!しつこすぎる!いい加減にしろ!の声!ブレイキングダンスとロッククライミングでまた日本人差別!海外でもイジメと大炎上!公金チューチューバッハ会長終了!
巫女ねこちゃんねる 2024/08/13
https://www.youtube.com/watch?v=WYl8o_EBPm0&t=220s
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同性愛者しかトップになれない?仏マクロン大統領の"妻"の秘密
調査報道 河添恵子TV / 公式チャンネル 2024/09/03
https://www.youtube.com/watch?v=R3H-Tff2W9w
ブラックロック,ロスチャイルド...仏マクロン大統領とパリ五輪の背後に隠された秘密
調査報道 河添恵子TV / 公式チャンネル 2024/08/28
https://www.youtube.com/watch?v=3Ln1bA23A_g
パリ五輪開会式の背景はユダヤ選民思想によるキリスト教の否定
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16862095
マクロン大統領はゲイのサイコパス、奥さんは元男性
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16864156
陰謀論? 闇の支配層『黒い貴族 ヨーロッパ13貴族』とは?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16864643
パリ五輪]2024年オリンピックがフランスで開催された裏理由
調査報道 河添恵子TV / 公式チャンネル 2024/08/20
https://www.youtube.com/watch?v=Ry52T1weBys
【LIVE】8/16(金)20:00〜「パリ五輪で暴かれたフランスの闇~マクロン夫妻の秘密~」ーノンフィクション作家 河添恵子
https://www.youtube.com/watch?v=SObIOeIkLG0
河添恵子×古賀真【河添先生に聴くフランスの事情】
大調和ちゃんねる【大経連公式】 2024/08/12
https://www.youtube.com/watch?v=zmvfSfdNiKk
河添恵子×古賀真【続!河添先生に聴くフランスの事情/ジャック・アタリ】
大調和ちゃんねる【大経連公式】2024/08/14
https://www.youtube.com/watch?v=ZZChEPNUOLA
陰謀論の問題 _ ある出来事の受益者が「悪の張本人」だという妄想
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14033997
マクロンのパートナーは男?女?[桜R6/8/14]
https://www.youtube.com/watch?v=EnBdf917dkM
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【パリ五輪】開会式、閉会式のショーの演出はゲイの芸術監督
2024/07/17
https://www.outjapan.co.jp/pride_japan/news/2024/07/16.html
Outsports※によると、今月26日に開幕するパリ五輪の開会式および閉会式のショーの演出を担当するトマ・ジョリー(Thomas Jolly)はオープンリー・ゲイで、これまでの劇場での仕事でもLGBTQのことを表現してきた方です。「Records」と題された閉会式のショーではレディ・ガガが登場するのではないかと噂されているそうです。
トマ・ジョリーは1982年ルーアン生まれ。レンヌのthe National Theater of Brittanyで学び、舞台に自由を見出しました。2006年に自身のカンパニーを立ち上げ、評判を呼び、大きな演劇祭にも出演するようになりました。パリのオペラ座でワッキングを盛り込んだ斬新な『ロミオとジュリエット』を演出したり、『スターマニア』のようなロックオペラではジェンダーをテーマに据えました。2020年に国立演劇センターの監督に就任、そして2022年にパリ五輪の式典の芸術監督に就任しました。トマのパートナーも偶然、同じトマという名前だそうですが、ジョリーは五輪の式典に懸ける情熱をパートナーと分かち合っているそうです。
パリ2024委員会はショーの内容はほとんど公表していませんが、それは「生きていること、共に生きていることの祝福」になるだろうとされています。
ジョリーは最近の『Vogue』誌のインタビューで、7月26日金曜日の夕方にセーヌ川で行なうパレードについて語っています。200ものボートがセーヌに浮かべられ、30万人の観客が堤防からそれを眺めます。彼は、セーヌ川それ自身が中心的なキャラクターになると語りました。「女性のレジスタンスの力――それは偉大なサンボリスムだ」
そして先週、閉会式のショーについてアナウンスがありました。「Records」と題されたこのショーには100名以上のダンサーやアクロバット・パフォーマーが出演します。衣装デザインはテイラー・スウィフト、ビヨンセ、レディ・ガガやK-Popスターにも支持されているKevin Germanierが務めるそうです。振付を担当するKevin Vivesも、ガガと仕事をしたことがある人です。そうしたことから、ガガが登場するのではないかとの噂が立っているようです。
Outsportsは、「彼はフランスのLGBTQだけでなく、もっと広い地域のLGBTQに良い影響を与えるだろう」と述べています。
ジョリーは世界のLGBTQコミュニティに「忘れないで。参加できるのはフランス人だけじゃない、どの地域にいても、このショーにアクセスできるんだ」と呼びかけています。
プライド月間の先月発売されたゲイ雑誌『Tetu』で、ラグビー仏代表主将のアントワーヌ・デュポンは、ラグビー界でのホモフォビア(同性愛嫌悪)をなくそうと呼びかけています。「ピッチ上にゲイが一人だけなんて、とても信じられない」「目標はすべての選手が自分の性的指向に満足し、他人に受け入れられることだ」「ラグビー界はマッチョな文化とみられるかもしれないが、僕らはオープンマインドで、現在ではお互いの性的指向を受け入れることができると思う。コミュニケーションを取り、全員が確実に安心できるようにする必要がある」「もしチームの中にゲイがいて、軽いジョークだとしてもホモフォビックな言葉を聞いたとすれば、カミングアウトしたり話をしたりする手助けにはならないだろう」(素晴らしいですね)
パリでは2018年、マクロン大統領の後援に加え、パリ市とイール=ド=フランス地域圏、スポーツ省の協力、26の全国スポーツ連盟の支援を得てゲイゲームズが開催されています。
なお、今年1月、フランス史上初のオープンリー・ゲイの首相となったアタル氏は、今月の国民議会選挙の結果を受けて辞職することになりましたが、当面は暫定的に職務を続け、五輪も担当するとみられています。
今回のパリ五輪は、史上最もゲイな(ゲイの人物の影響が濃厚な)大会になるのではないでしょうか。
https://www.outjapan.co.jp/pride_japan/news/2024/07/16.html
パリ五輪開会式演出家トマ・ジョリーとは?経歴や代表作と評価を解説
2024 7/30
https://www.hanawa-blog.com/olympic-tomasjolly/
パリオリンピック2024の開会式演出家として、トマ・ジョリー氏の名が注目を集めています。
世界的イベントの演出を担う人物像や、これまでのキャリア、評価は気になるところでしょう。
トマ・ジョリー氏は、演劇界のアカデミー賞とも称されるモリエール賞を複数回受賞し、その革新的な舞台演出は世界中で高い評価を受けています。
本記事では、トマ・ジョリーの経歴、代表作品、そして演出家としての評価について解説していきます。
トマ・ジョリー氏の生い立ちとキャリア
トマ・ジョリー氏 (Thomas Jolly) は、フランス・ボルドー生まれの演出家であり、俳優でもあります。
プロフィール:
名前: トマ・ジョリー(Thomas Jolly)
生年月日: 1982年2月1日(みずがめ座)
出身地: フランス・ルーアン
職業: 舞台演出家・俳優
トマ・ジョリーは、フランス演劇界で「神童」と称され、最も才能ある若手演出家の一人として知られています。
幼少期から芸術への関心が強く、自身の劇団「ラ・ピッコラ・ファミリア」を設立し、22歳で演出家としてデビューしました。。
その後、ボルドー国立高等演劇学校 (École Nationale Supérieure d’Art Dramatique de Bordeaux) で演技を学び、卒業後は舞台俳優としてのキャリアをスタートさせます。
ボルドー国立高等演劇学校は、フランスのパリにある演劇専門の高等教育機関。演劇の教育を専門に行っており、多くの映画俳優や演劇俳優を輩出する名門校。入学試験は厳しく、合格率は2%から3%程度
しかし、ジョリー氏の才能は演技だけに留まりませんでした。
次第に演出にも興味を抱くようになり、2000 年代初頭には演出家として活動を始めるようになります。
独創的な演出スタイルと社会性のある作品づくりで注目を集め、フランスの演劇界で着実にキャリアを積んでいきました。
トマ・ジョリー氏の演出スタイル
トマ・ジョリー氏の演出の特徴は、なんといってもその斬新さにあります。
彼は既存の枠にとらわれることなく、常に新しい表現方法に挑戦しています。
舞台装置や照明、音響といった要素を巧みに駆使し、観客を作品世界へと没入させるような演出を得意としているそう。
彼は伝統的な演劇の枠組みを超えて、観客に新たな視点を提供することを重視しています。
パリオリンピックの開会式でも、彼らしい豪華な作品が期待できますね^^
また、ジョリー氏の作品には社会に対する鋭い視点が込められていることも多く見られます。
現代社会が抱える問題や矛盾を正面から取り上げ、観客に考えさせるような作品づくりを意識しているのです。
例えば、格差社会や環境問題、移民問題など、センシティブなテーマを扱った作品も少なくありません。
彼の作品はしばしば物語性が強く、感情的な深みを持っています。
こうした社会性のある演出スタイルは、時に賛否両論を巻き起こすこともありますが、ジョリー氏の作品が常に話題を呼び、高い評価を受けている理由の一つでもあります。
トマ・ジョリー氏の代表作品と受賞歴
トマ・ジョリー氏はこれまで数多くの舞台作品を演出しており、その中にはフランス国内外で高い評価を受けた作品も少なくありません。
特に代表的な作品としては、以下のようなものが挙げられます。
「Richard III」 (2002 年)
シェイクスピアの戯曲「リチャード三世」を大胆に翻案した作品。独創的な舞台装置と演出手法が話題となり、複数の演劇賞を受賞しました。
「Macbeth」 (2009 年)
こちらについてもシェイクスピアの「マクベス」を現代風にアレンジした作品です。映像やパフォーマンスを駆使したダイナミックな演出が高く評価されました。
「Red」 (2012 年)
アメリカの劇作家、マーク・ロートコによる戯曲の演出。色彩にあふれた舞台装置が特徴的で、観る者に強い印象を残す作品となりました。
「La Mouche」 (2019 年)
フランスの劇作家、ヴェルヌイユによる戯曲「ハエ」の演出。人間とハエの変身劇を題材にした作品で、人間の業やアイデンティティを問う内容が話題となりました。
上記以外にも、ジョリー氏はオペラやバレエなど、ジャンルを問わず幅広い作品を手掛けています。
また、2003年にはフランスの権威ある演劇賞であるモリエール賞 (Molière Award) を若手演出家部門で受賞するなど、輝かしいキャリアを築いてきた人物です。
モリエール賞は、その年の優れた俳優や作品に与えられる演劇賞。毎年4月か5月にパリの有名劇場で授賞式が行われる。素晴らしい舞台芸術のショー、パフォーマー、クリエイターが表彰され、毎年20ほどのカテゴリーでモリエールの像が授与されている
パリ五輪開会式の演出家にトマ・ジョリー氏が選ばれた理由
2024 年のパリオリンピック開会式演出家としてトマ・ジョリー氏が抜擢されたのは、これまでのキャリアと実績が高く評価されたからです。
芸術性と社会性を兼ね備えた演出スタイルは、五輪という世界的な舞台にふさわしいものとして期待されています。
ジョリー氏は過去に大規模なイベントの演出経験もあるため、今回の五輪開会式においても観客を魅了するようなスペクタクルな演出を披露してくれるでしょう。
また、フランスというホスト国の文化や歴史を織り込んだオリジナリティあふれる式典になることも予想されます。
五輪開会式は、大会の顔とも言える重要なセレモニーです。
トマ・ジョリー氏がどのような演出で世界中の人々を驚かせてくれるのか、今から楽しみですね。
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レディーガガパリオリンピックなぜ出演?フランス語話せるのかルーツは?
2024年、パリ五輪の開会式にレディー・ガガが出演した際には、世界中が驚愕しました。 ポップアイコンとして圧倒的な存在感を放つ彼女が、なぜオリンピックの舞台に立っ...
パリ五輪開会式演出家トマ・ジョリーとは?経歴や代表作と評価まとめ
トマ・ジョリー氏は、独創的な演出スタイルと社会性のある作品づくりで注目を集めるフランスの演出家です。
トマ・ジョリー氏は、演劇界の巨匠として、その卓越した演出力で世界中を魅了してきました。
パリ五輪開会式では、彼の類まれなる才能が遺憾なく発揮され、忘れられない感動が生まれることでしょう。
世界中の人々が、その瞬間を心待ちにしています。
https://www.hanawa-blog.com/olympic-tomasjolly/
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【前半無料パート】内田樹 氏出演!「反ユダヤ主義を再考する」
https://www.youtube.com/watch?v=QNdNsuR6GHc
7月31日(水)21:00~ 生放送!
「反ユダヤ主義をめぐって」
ゲスト:内田樹 さん(哲学者)
近代の陰謀史観は18世紀末のフランス革命を以て嚆矢とする。革命が勃発したとき、それまで長期にわたって権力と財貨と文化資本を独占してきた特権階級の人々はほとんど一夜にしてすべてを失った。ロンドンに亡命したかつての特権階級の人々は日々サロンに集まっては自分たちの身にいったい何が起きたのかを論じ合った。けれども、自分たちがそこから受益していた政体が、自分たちがぼんやりと手をつかねているうちに回復不能にまで劣化し、ついに自壊に至ったという解釈は採らなかった。彼らはもっとシンプルに考えた。これだけ大規模な政治的変動という単一の「出力」があった以上、それだけの事業を成し遂げることのできる単一の「入力」があったはずだ。自分たちは多くのものを失った。だとすれば、自分たちが失ったものをわがものとして横領した人々がいるはずである。その人々がこの政変を長期にわたってひそかに企んできたのだ。亡命者たちはそう推論した。
だが、革命前のフランス社会には、そのような巨大な事業を果しうるほどの力を備えた政治集団は存在しなかった。少なくとも政府当局はそのようなリスクの切迫を感知していなかった。しかるに、ある日突然、磐石のものと見えていた統治システムが根底から覆されたのである。恐るべき統率力をもった単一の集団によって事件は計画的に起こされたに違いないのだが、事前にはそのような事業をなし得る政治的主体が存在することさえ知られていなかったのだとすると、そこから導かれる結論はひとつしかない。それは一国の政体をあっというまに覆すことができるような巨大な政治的主体が久しく姿を現さないままに活動していたという「秘密結社の物語」である。
陰謀史観の本質はこの推論形式に現われている。それは「巨大な政治的主体が誰にも気づかれずに活動している」ということがまず事実として認定され、そのあとに「それは何ものか」という問いが立てられるということである。重要なのは「陰謀集団が存在する」ということであって、それが誰であるかということには副次的な重要性しか与えらない。事実、ロンドンに亡命した貴族たちは「犯人は誰か?」という問いに熱中した。フリーメーソン、ババリアの啓明結社、聖堂騎士団、プロテスタント、英国の海賊資本、ジャコバン派、ユダヤ人・・・さまざまな容疑者の名が上がった。そして、多くの陰謀史観論者は「犯人」の特定を二転三転させたが、それを恥じる様子は見られなかった。その様子は適当な容疑者を殺人事件の犯人に仕立て上げて一件落着を急ぐ冤罪常習者の警察官を思わせる。彼らにとっては「この事件の全過程をコントロールしている単一の犯人が存在する」という信憑を強化できるのであれば犯人は誰でもよかったのである。
最終的に19世紀末にエドゥアール・ドリュモンというジャーナリストが登場して、「フランス革命からの100年間で最も大きな利益を享受したのはユダヤ人である。それゆえ、フランス革命を計画実行したのはユダヤ人であると推論して過たない」と書いた。この推論は論理的に間違っている(「風が吹いたので桶屋が儲かったのだから、気象を操作したのは桶屋である」という推論と同型である)。だが、フランス人たちはそんなことは気にしなかった。ドリュモンのその書物『ユダヤ的フランス(la France juive)』は19世紀フランス最大のベストセラーになり、多くの読者がその物語を受け容れ、著者宛てに熱狂的なファンレターを書き送った。その多くは「一読して胸のつかえが消えました」、「頭のなかのもやもやが一挙に晴れました」、「これまでわからなかったすべてのことが腑に落ちました」という感謝の言葉を書き連ねたものだった。読者たちはどうやらこの物語に身体の深いところで納得してしまったようである。
やがて、ドリュモンのこの物語は、同時期にロシアの秘密警察が捏造した偽書『シオン賢者の議定書』とともに全世界に広がり、半世紀後に「ホロコースト」として物質化することになった。フランス革命とユダヤ人を結びつけた陰謀史観の物語はおそらく人類史上最悪の「反知性主義」の事例としてよいだろう。
600万人ユダヤ人の死を帰結したこの物語の最初のきっかけがはげしい「知的渇望」だったということを私たちは忘れるべきではない。そして、この書物を迎えた読者たちの支配的な反応が「長年の疑問が一挙に氷解しました。ありがとう」という大きな解放感と感謝の気持ちだったことも。
歴史的変動(ドリュモンの場合は、産業革命以後のフランスの急速な近代化・都市化・産業化趨勢)に遭遇した人々が「どうして『こんなこと』が起きたのか」を知りたがるのは人間知性の自然である。知性の健全のあかしであると言ってもよい。しかし、その知的渇望はどこかで反知性に転じた。どこで転じたのか。
いささか無礼な言い方になるが、それは一言で言えば、彼らが自分程度の知力でも理解できる説明を切望したからである。
実際に、フランス革命は単一の「張本人」のしわざに帰すことのできるような単純なものではなかった。統治システムの経年劣化、資本主義の発達に伴う生産や流通構造の変化、科学とテクノロジーの進化、近代市民社会理論の登場、英雄的革命家の出現など無数のファクターが革命の勃発には関与しており、そのどれか一つが欠けていても、革命は別の軌跡を辿り、別の政治的事象となったはずである。だから、「どうして革命が起きたのか?」という問いに対して、一言で答えることは不可能なのである。強いて言えば、「いろいろな原因の複合的効果によって」というのがもっとも正直な回答なのであろうが、そのようなあいまいな説明を嫌って、人々は「ずばり一言で答えること」を求めた。
これもまた知的渇望の一つのかたちだなのである。同一の現象について複数の説明がある場合、もっともシンプルな説明を選好する。これもまた知性の働きである。たしかに、一見複雑怪奇に見える現象の背後には、美しいほど単純な数理的法則が存在するという直感こそは、科学的知性を起動させる当のものだからである。
「反ユダヤ主義の父」ドリュモンがユダヤ人のフランス支配の陰謀の物語を着想したときのこと
ドリュモンはその大著の刊行まで、新聞記者としてある新聞社で働いていた(その経営者はユダヤ人であり、彼はその社で厚遇されていた)。そしてある日、ドリュモンは、フランスの政治家も官僚も財界人もメディアもすべてはユダヤ人に支配されているという「隠された真実」を発見した。その証拠に、フランスのメディアは「政官財をユダヤ人が事実上支配している」という真実を報道していない。この完璧な報道管制こそユダヤ人の支配がフランス社会の隅々まで徹底していることの動かぬ証拠である。彼自身ユダヤ人が経営している新聞社で働きながら、そのことに気づかずにいたくらいだ・・・。不思議な論法であるが(ドリュモンという人は論理的な思考がほんとうに苦手な人だった)、読者たちはそれを読んで「なるほど」と同意した。
ドリュモンは古代ローマから現代まで、ヨーロッパの全歴史は「セム族の世界支配の陰謀との戦い」の歴史であったと書いた。それゆえ、これからのちも同じ戦いが意匠を変えて継続することになるだろう、と。彼の物語において、死者たちも未来世界の人々も、その相貌はほとんど変わることなく同一である。セム族の人間は永遠不変のセム的性格を負い続け、アーリア人種も永遠のアーリア人性を負い続ける。たしかに、それによって世界史の見通しは驚異的にシンプルなものになる。あらゆる歴史的出来事は同一の戦いの反復と変奏だったのである。ドリュモンの物語の中で、死者たちは誰もがぎくしゃくした「操り人形」のように無個性的で、無表情である。彼らはただ単一の分かり易いストーリーを再演するためだけにそこに繰り返し召喚される。私はドリュモンの書いた膨大な反ユダヤ主義文献を読みながら何度も窒息感を覚えた。彼において、過去はほとんど現在であった。古代ローマ人も中世の騎士たちも、19世紀末のフランスの紳士たちと同じような論理と感受性によって行動している。その絶望的な「広がりのなさ」に私は辟易したのである。その経験が私に教えてくれるのは、反知性主義を決定づけるのは、その「広がりのなさ」「風通しの悪さ」「無時間性」だということである。
反知性主義者たちにおいては時間が流れない。それは言い換えると、「いま、ここ、私」しかないということである。反知性主義者たちが例外なく過剰に論争的であるのは、「いま、ここ、目の前にいる相手」を知識や情報や推論の鮮やかさによって「威圧すること」に彼らが熱中しているからである。彼らはそれにしか興味がない。
だから、彼らは少し時間をかけて調べれば簡単にばれる嘘をつき、根拠に乏しいデータや一義的な解釈になじまない事例を自説のために駆使することを厭わない。これは自分の仕事を他者との「協働」の一部であると考える人は決してすることのないふるまいである。
http://blog.tatsuru.com/2020/09/03_1232.html
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シオニズムはユダヤ人の考えた事ではないし、現在のパレスチナ人は元々イスラム教に改宗したユダヤ人なんですけどね。ヨーロッパ人と混血していないユダヤ人とパレスチナ人はDNA解析では完全な同一民族なのです。
キリストが再臨した時に生き残るのはユダヤ人だけで、ユダヤ人以外は全員滅びる事になっているので、アングロサクソンは自分達もユダヤ人の子孫だと考えたかったんですね:
シオニズムは16世紀のイギリスで始まりました。その頃、アングロ・サクソンはユダヤ人の「失われた十支族」の後継者だと信じる人が現れたのです。スチュワート朝のジェームズ6世(イングランド王ジェームズ1世)もそのひとりで、自分はイスラエルの王だと信じていました。
そのジェームズ6世の息子であるチャールズ1世は「ピューリタン革命(17世紀半ば)」で処刑されたが、その「革命」で重要な役割を果たした人物がカルバン派のオリヴァー・クロムウェル。彼の私設秘書だったジョン・サドラーも同じように考え、彼は1649年に作成されたパンフレット『王国の権利』の中でイギリス人はイスラエルの失われた部族のひとつであり、ユダヤ人と同族であると主張、イギリス・イスラエル主義の始まりを告げている。
クロムウェルの聖書解釈によると、世界に散ったユダヤ人はパレスチナに再集結し、ソロモン神殿を再建することになっていた。この解釈に基づいて彼は政権を樹立し、1656年のユダヤ人のイングランド定住禁止令を解除、パレスチナにイスラエル国家を建国することを宣言したのだ。シオニズムである。
しかし、ピューリタン体制が倒されるとシオニズムは放棄され、クロムウェルを支持する人びとの一部はアメリカへ亡命、ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリンらはその後継者だと主張したという。
19世紀になるとイギリスでシオニズムが復活しているが、同世紀の終わり近くまで、ユダヤ人社会でシオニズムを支持していたのは一部のエリートだけで、大多数のユダヤ教徒はシオニズムを非難していたとされている。アメリカではウィリアム・ブラックストーンなる人物が1891年にユダヤ人をパレスチナに送り出そうという運動を展開し、ベンジャミン・ハリソン米大統領に働きかけていた。
シオニズムはアングロ・サクソンのプロジェクトである。その目的はユダヤ人をアングロ・サクソンと結びつけ、米英金融資本の帝国主義を勝利させることにあるとも言われている。イスラエルとユダヤ人を一体化させて考えるべきではない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202408080000/
パレスチナ人を虐殺しているイスラエルは、アングロ・サクソンのプロジェクト
パレスチナ人を虐殺、近隣国に対する軍事攻撃を繰り返してきたイスラエルはサウジアラビアと同じように、イギリスの金融資本がシオニストを利用して作り上げた国である。そのイスラエルはシオニストのネオコンと手を組み、世界を世界大戦へと引きずり込もうとしている。
イスラエルは自国を「ユダヤ人の国」だと主張しているが、イスラエルを作り上げたのはイギリスのシティ(金融資本)である。アメリカを支配しているウォール街はシティからスピンオフして出来上がった。現在のイスラエルを支えているのは米英金融資本を中心とする欧米の私的権力にほかならない。
シオニズムという用語は1864年、ウィーン生まれのナータン・ビルンバウムによって初めて使われたというが、近代シオニズムの創設者とされているのは1896年に『ユダヤ人国家』という本を出版したセオドール・ヘルツルだ。
ヘルツルが崇拝していたというセシル・ローズは1870年に南アフリカへ移住、ダイヤモンドの取り引きで財をなし、81年にはデ・ビアスを創設した人物。資金はNMロスチャイルド&サンから得ていた。
ローズは優生学を信奉、アングロ・サクソンを最も高貴な人種だと考えていた。彼は1877年6月にフリーメーソンへ入会するが、その直後に書いた『信仰告白』にもその主張が記されている。最も優秀な人種であるアングロ・サクソンの居住地が広がれば広がるほど人類にとって良いことで、領土を拡大して大英帝国を繁栄させることは自分たちの義務だというのだ。
イギリスでは16世紀に自分たちを「失われた十支族」の末裔だと信じる人が現れた。そのひとりがスチュワート朝のジェームズ6世で、自分はイスラエルの王だと信じていたという。そのジェームズ6世の息子であるチャールズ1世は「ピューリタン革命(17世紀半ば)」で処刑されたが、その「革命」で重要な役割を果たした人物がカルバン派のオリバー・クロムウェル。
彼の私設秘書だったジョン・サドラーも同じように考え、彼は1649年に作成されたパンフレット『王国の権利』の中でイギリス人はイスラエルの失われた部族のひとつであり、ユダヤ人と同族であると主張、イギリス・イスラエル主義の始まりを告げている。
ちなみに、旧約聖書の記述によると、イスラエル民族の始祖はヤコブだとされている。彼には12人の息子があり、それぞれ支族を形成、そのうちユダ族とベニヤミン族の後裔とされる人びとが「ユダヤ人」と呼ばれているのだ。残りは行方不明で、旧約聖書を信じる人びとから「失われた十支族」と呼ばれているのだが、それは神話だ。
クロムウェルの聖書解釈によると、世界に散ったユダヤ人はパレスチナに再集結し、ソロモン神殿を再建することになっていた。この解釈に基づいて彼は政権を樹立し、1656年のユダヤ人のイングランド定住禁止令を解除、パレスチナにイスラエル国家を建国することを宣言したのだが、その後、ピューリタン体制は倒されてシオニズムは放棄される。
クロムウェルを支持する人びとの一部はアメリカへ亡命、ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリンらはその後継者だと主張したというが、19世紀の終わり近くまでユダヤ人でシオニズムを支持していたのはエリートだけで、大多数のユダヤ教徒はシオニズムを非難していたとされている。アメリカではウィリアム・ブラックストーンなる人物が1891年にユダヤ人をパレスチナに送り出そうという運動を展開し、ベンジャミン・ハリソン米大統領に働きかけていた。
シオニズムはアングロ・サクソンのプロジェクトである。その目的はユダヤ人をアングロ・サクソンと結びつけ、米英金融資本の帝国主義を勝利させることにあるとも言われている。イスラエルとユダヤ人を一体化させて考えるべきではない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202408060000/
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2024/07/29 (Mon) 17:36:31
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2024.07.29
パリ オリンピック 青白い馬出ましたね
https://golden-tamatama.com/blog-entry-paris-olympics-pale-rider-coming.html
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ヒャッハー!
さて、ワタスは今、とーーっても忙しい。
なぜならもう体感がありすぎて、いてもたってもいられなくなってきたからですた。
こ、これは近い。
これは定期接種やレプリコンが始まる10月ではない。
もっと早くXデーが来る。
なにかは分からない。
地震か戦争か第2パンデミックか。
ああ、ついに来るXデー。
皆様も備えは万全に。
先ほどまで、ワタスもゾンビが入ってこれないように
庭にバリケードを貼っていますた。
とかなんとか。
さて、そんな中。
あのパリオリンピックの開会式が話題になってますたね。
なんでも、キリスト教を冒涜したLGBTパーティだったとか。
こんな最後の晩餐を模したものだった。
晩餐として供されたのは、こんな巨大な皿の中にいるおっさんだった。
ん?
あのドリフの高木ブーさん扮する雷さん?
ヒィーー
よく見るともっと変態度の高いおっさんだった。
そして、右端にいる人物。
この人物は、男か女か分からない。
髭を生やして踊り狂うLGBTのおっさんだった。
うげぇ
ゲロゲロー
開会式を楽しみに見ていた世界の視聴者は虹色のゲロを吐きますたとさ。
いや〜日本の都知事選も世も末ってますたが。
おフランスも負けじと世も末っていますたね。
東西の世も末対決。
激しく吐き気を覚えしばらくお昼ご飯が食べれませんですた。
これはマリー・アントワネットさんのパフォーマンスですたが。
これもかなり悪趣味ですたね。
青森では人気だったみたいですが。
悪魔崇拝の儀式と言ってる人もいますたが。
まぁ、見るからにそうなんでしょう。
で、ワタスが注目したのはあのペイルライダーが出てたところです。
あのヨハネの黙示録に出てくる青白い馬です。
青白い馬とは、疫病等で人間を死に至らしめる役目を担ってるのですた。
この絵は『黙示録の騎士』。ヴィクトル・ヴァスネツォフ作(1887年)。
yohane1280px-Apocalypse_vasnetsov.jpg
この絵に書かれているのがヨハネの黙示録の四騎士です。
第1〜第3まで白赤黒と来て、最後に青白い馬が来るのでした。
wikiヨハネの黙示録の第四の騎士
ヨハネの黙示録の四騎士(ヨハネのもくしろくのよんきし)は、『ヨハネの黙示録』に記される四人の騎士。
小羊(キリスト)が解く七つの封印の内、始めの四つの封印が解かれた時に現れるという。
四騎士はそれぞれが、地上の四分の 一の支配、そして剣と飢饉と死・獣により、地上の人間を殺す権威を与えられているとされる。
第一の騎士
『ヨハネの黙示録』第6章第2節に記される、第一の封印が解かれた時に現れる騎士。白い馬に乗っており、手には弓を、また頭に冠を被っている。勝利の上 の勝利(支配)を得る役目を担っているとされる。
yohane1280px-Apocalypse_vasnetsov1.jpg
第二の騎士
『ヨハネの黙示録』第6章第4節に記される、第二の封印が解かれた時に現れる騎士。赤い馬に乗っており、手に大きな剣を握っている。地上の人 間に戦争を起こさせる役目を担っているとされる。
yohane1280px-Apocalypse_vasnetsov2.jpg
第三の騎士
『ヨハネの黙示録』第6章第6節に記される、第三の封印が解かれた時に現れる騎士。黒い馬に乗っており、手には食料を制限するための天秤を 持っている。地上に飢饉をもたらす役目を担っているとされる。
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第四の騎士
『ヨハネの黙示録』第6章第8節に記される、第四の封印が解かれた時に現れる騎士。青白い馬(蒼ざめた馬)に乗った「死」で、側に黄泉(ハデス)を連れている。疫病や野獣をもちいて、地上の人間を死に至らしめる役目を担っているとされる。
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この青ざめた馬に乗ってる人は、別名ペイルライダーと言います。
映画にもなってます。
peiru.jpg
青白い馬は、
アメリカ コロラド州デンバーにあるデンバー空港のモニュメントにもなってます。
201102140123069ee.jpg
ひひ~~~ん。
img_6.jpg
いや〜
これは何かのサインでは。
これからいよいよ青白い馬の期間始めますよ〜
それは今年からだった。
パリオリンピックを全世界に向けた発信に使うとは。
なかなか味のあることをする。
ワタスが注目したのはこのパフォーマンスの中。
バタバタと人が倒れるところでしょうかね。
本当にありがとうございますた。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-paris-olympics-pale-rider-coming.html
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3:777
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2024/07/30 (Tue) 08:01:02
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ポリコレる欧米の白人先進国、パリ五輪と米大統領選
2024.07.30
https://www.thutmosev.com/archives/36209.html
LGBTたちがキリストを侮辱するパリ五輪のショー、これが現在のフランス
https://togetter.com/li/2408483 2024年パリオリンピックの開会式がポリコレの詰め合わせで左翼からは大絶賛、右翼からは「2021年東京オリンピックの開会式の方がマシ」言われる – Togetter [トゥギャッター]
世界の憧れでなくなった米仏
パリ五輪が開催されているが2012年ロンドン五輪とは違い、伝統や正当なものよりもポリコレを前面に押し出したものになった
ポリティカルコレクトは政治的正しさという英語で意味が分からないが、実際にはLGBT男性を女性として競技に出場させたり白人国家の黒人大統領を「正しい」と断定することが多い
例えばミスユニバース日本代表にウクライナ人女性が選ばれて不倫で辞退したが、今度はバングラディシュ人の娘が日本代表に選ばれた
ポリコレ世界ではこれは政治的に正しいことであり、もし両親とも日本人の娘が日本代表になたら「政治的な犯罪」ということになる
パリ五輪でもLGBTを賞賛する仕掛けが様々に取り入れられていて、中でもダヴィンチの「最後の晩餐」をモチーフにLGBTや”多様性のある連中”が飲み食いする様子は注目された
ローマ法王庁は「キリスト教を侮辱している」とコメントを発表したが、どう見ても気持ち悪い連中が常識はずれなことをするのが「ポリコレ」の本質です
ポリコレが白人世界で急速に広まったのはオバマ米大統領の当選からで、この人は人種差別是正という名目で「黒人を優遇し白人を減点」する差別法をつくった
それは例えば大学入試ではアフリカ出身の黒人貧困女性の受験生は両親とも白人でアメリカ出身の貧困ではない男性受験者より最初から2倍の点数を与えられる
この2人が競争してアフリカ系が51点を取ると白人男性は100点満点を取っても絶対に合格できず、実際にそのような事態が起きている
現実はそれほど単純な仕組みではないがアフリカや後進国出身、女性、LGBT、貧困層などは評価で優遇され白人、男性、日本人などは最初から減点されている
受験だけでなく企業の採用や昇進、公務員や政治の世界でも「白人男性を差別しなくてはならない」と法律で定めたのがオバマ法でした
この反動でトランプが当選したのだが日本のNHK党の人と同じで党首や元首の器ではなかったため、騒動を起こしただけで差別法は是正されなかった
ポリコレる欧米白人国家
米大統領選はバイデンが高齢で辞退したため副大統領のハリスが自動的に昇格し、この人は女性で黒人でインド人で夫がユダヤ人の子なし猫おばさんというポリコレの権化のような人です
最近の米政権は女性を数人加えるのが義務のようになっていて、加えて黒人など多様性のある人を閣僚に任命しなくてはならない
バイデンが最初から立候補しなければ正式な手続きで別の人が民主党候補に選ばれた筈だが、何かが転がり込むようにハリス女史に権力が転がり込んできた
米報道によるとハリスはバイデンよりもより一層ポリコレで、オバマが始めた弱者のための医療制度などを強化すると言っています
すると例の人種差別是正措置も強化するに違いなく、「女性や黒人を半分以上にしなくてはならない」のようにする可能性もあると見ている
問題はこの手のポリコレが成功しているとは言い難いことで、米最大のメディア企業ディズニーはポリコレを前面に出した結果赤字映画を量産し一部部門の身売りも報じられていた
ポリコレたのはアメリカだけではなく今やイギリス首相(交代したが)やロンドン市長、多くのIT企業代表らがインド人やパキスタン人になっている
イギリスの報道によるとロンドン人口の65%が移民でイギリス人の子孫は1/3以下に減少、レストランの看板の多くがアラビア語やインドパキスタン言語に代わった
ドイツの23年に生まれた新生児の過半数が移民の子で、ドイツはそれを「ドイツの奇跡」と呼んでいるが、要はドイツ人が減ってクルド人などに入れ替わっているだけです
フランスも同様でパリ人口の過半数は移民、23年に移民が暴動を起こしていたがもうすぐ「移民に虐げられたフランス人」が暴動を起こすでしょう
日本のマスコミが理想の国と持ち上げる北欧のスウェーデンも、今はクルド人マフィアに支配された犯罪天国に転落している
呆れる事にこうした欧州白人国家はシリア人やクルド人を生活保護のような制度で養っていて、移民は保護されながらマフィアやテロ組織を作り上げた
それらの見本市とも言えるのがパリ五輪で、犯罪や暴力や不正や八百長が次々に発生していると報じられている
https://www.thutmosev.com/archives/36209.html
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2024/07/30 (Tue) 09:38:43
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セリーヌ・ディオン、オリンピック開会式でエッフェル塔をライトアップ
2024/07/29
https://www.youtube.com/watch?v=V99XxQ4TtUQ
伝説の歌手セリーヌ・ディオンがオリンピックの開会式に登場し、象徴的なエッフェル塔を照らす息をのむようなパフォーマンスを披露します。セリーヌ・ディオンのパワフルな歌声と魅惑的な存在感が、世界で最も有名なランドマークのひとつであるエッフェル塔に幻想的な輝きをもたらす様子を、畏敬の念をもってご覧ください。パリの中心で音楽、スポーツ、文化の祭典が融合するこの素晴らしいイベントは、歴史的な瞬間になる。才能と伝統の見事な融合をお見逃しなく。チャンネルを合わせて、マジックを体験しよう!
Lady Gaga - Mon Truc en Plumes (Live from The 2024 Paris Olympics)
2024/07/28
https://www.youtube.com/watch?v=tbJlZZ87jFY
2024年 07月 29日
雨の中のパリオリンピック開会式 : GRFのある部屋
https://tannoy.exblog.jp/35566781/
開会式前に、サッカーの一次ラウンドが始まっているので、開会式は何か別物のお祭りの様に感じていました。時差が7時間ありますし、ヨーロッパのイベントは夜遅いので、午前2時半からの開会式は、録画をして寝てました。サッカーの様なゲームだと同時性がとても重要です。その試合を見る前に、ニュースやSNSで結果を知ってしまうと、ハラハラ・ワクワク感がなくなくなってしまいます。録画は安全のために担保はしておきますが、やはり眠たくてもLive配信を見る様にしています。
それに比べると開会式は、どの様な演出で行われるかが見る目的で、今回の様に会場の外で、色々と進行していく構成だと、見るポイントが全く違います。それに、テレビの時刻表を見ると四時間も開会式の中継が続きます。それを四時間見続けるのは大変です。
一寝入りすると、四時半過ぎです。どうなったかとテレビを見ると、まだセーヌ川を選手団のボートが通っているところでした。アナウンスを聞くと全部で85隻のボートが使われるそうです。出発点のオステルリッツ橋はノートルダムがあるシテ島の上流の橋です。そこから次々へと下流に向かって出発して行きます。
サンルイ島を右に見てシテ島を左に、サンルイ橋を潜ります。大選手団は大きな船で、参加者が少ない国は小型のボートで波に揺られています。酔っぱらう人もいるでしょうね。オステルリッツ橋から、会場のあるエッフェル塔までですから、相当あります。数キロはあるでしょう。昔何回か歩きましたから距離感がありますが、銀座から新宿ぐらいの距離感です。相当遠いですよ。
雨の中のパリオリンピック開会式_f0108399_10542579.jpg
時間の経過に沿ってボートの中継地点も下流へと移動して行きます。ルーブル美術館からオルセー美術館の間が川幅も広く、噴水も用意されていて豪華なのですが、雨がだんだん強くなり乗っている選手団もびしょびしょです。日本の選手団は、ビニールのコートを着ていましたが、他の外国の選手団は、ほとんどビニールを着ていません。生活の習慣の違いが出ていますね。
開会式はいつも選手の紹介と会場への入場は時間がかかるのですが、今回はそれに船の乗り降りが加わり、6キロ近くの移動も加わり、見ている方も乗っている方も雨の中で大変だというのが伝わります。
アトラクションも多彩で、レディーガガの様な有名人ばかりではなく、パリの夜の多彩を表す様な怪しい人たちも出て来てそれはそれで楽しめました。でも、それを世界中に配信するのもフランス人らしいですね。聖火の点灯の儀式も最初から最後まで、ドキュメント形式で中継されていましたが、ほとんどのロケは晴れた日の綺麗な風景ですので、当日の雨とは画面がマッチせず、製作者の苦しい思いも伝わって来ますね。
どの入場式もIOCの演説や政治家たちの形式ばった紹介はうんざりしますが、マクロンも、率いる政党が不振で、大統領なのでオリンピックまでいられて本人はほっとしているところでしょう。
雨の中壮麗な夕方は見られず演出効果は随分と落ちたでしょうが、エッフェル塔の照明、最後のセリーヌディオン の絶唱による愛の讃歌、伴奏のデビッド・フォスターも随分と老けたと自分のことを棚に上げて見ていました。レディーガガのピアノも、デビッド・フォスターのピアノも雨にぬれてびしょびしょ。天板が水浸しのピアノは初めて見たかもしれません。後から整備の人は大変ですね。
エッフェル塔の展望台から、歌うセリーヌ・ディオンも久しぶりに見ると、病み上がりもあり、56歳の年齢もあり、時のすぎていく様を実感しました。しかし、あの過激な詩の「愛の讃歌」が、流れるのもパリなのでしょう。
雨の中のパリオリンピック開会式_f0108399_10544148.jpg
これが金曜日の夜のこと、前日の木曜日にはサッカー日本代表のパラグアイ戦の圧勝もあり、我々の中では、オリンピックは木曜から始まったのでした。パラグアイ相手の5−0、中二日しか空いていない第二戦は、アフリカのマリ相手に1-0と連勝しました。反対になでしこ は、初戦のスペイン戦に1-2で点差以上の完敗。日曜日の深夜過ぎから見た二戦目のブラジル戦も前半は0-0のまま、後半に入り残り20分ぐらいで、痛恨の失点、その時、同じ時間に柔道の準決勝と三位決定戦も開始しました。柔道の試合は壮絶で、全勝で勝ち進まなければ、決勝戦までいきません。また敗者復活戦は連勝しなければ、銅メダルはもらえません。故に、最後の決勝戦の壮絶な戦い。敗者の絶望と勝者の歓喜。すごいドラマですね。
無事に、阿部一二三が金メダルを取って66キロ級は勝ちました。ひと段落してサッカーに戻り、女子サッカーの結果を探すと、なんと逆転勝ちしたとのこと!びっくりして、録画してあったビデオを巻き直して、ブラジル合点を入れたところから、再生して見直しました。結果がわかっていると、ハラハラ感は削ぐれますが、仕方がありません。すると、メンバーを大幅に入れ替えた後、その選手たちが活躍して新しい結果を出した様です。
https://tannoy.exblog.jp/35566781/
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5:777
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2024/08/03 (Sat) 08:18:10
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不正蔓延パリ五輪、元凶はマクロン大統領
2024.08.02
https://www.thutmosev.com/archives/36264.html
残り10秒で日本に負けそうになったフランスはありもしないファウルを宣告し自国の勝ちとした
これを八百長試合と言います
https://www.yomiuri.co.jp/olympic/2024/20240731-OYT1T50020/オリンピックバスケ男子日本がフランスに延長で敗れる、第4Q残り10秒までリード…八村塁は後半に退場 読売新聞
史上最悪のオリンピック
マクロン大統領は現実よりも理念や理想が先に立つ人で、覚えているのは最初の大統領選で「日産を乗っ取って日本の工場をすべてフランスに移転する」を事実上の公約にしていた事でした
実際にフランス政府は日産を乗っ取るべくルノーと統合を始めたが、話を聞きつけた日産の日本幹部が旧通産省の経済省幹部に泣きついて、官僚は検察庁や東京地検特捜部を動かしてゴーン逮捕に至ったとされている
カルロスゴーン逮捕によってルノー日産統合は不可能になり両社ともに業績が急降下、提携解消によってマクロンの夢は破綻した
マクロンは理想実現のためなら汚い事を平気でやる所があり、パリ五輪ではメダルラッシュによって自分の支持率を上げる目論見があったようだ
理想実現のためには手段を選ばないマクロン大統領が突っ走った結果、疑惑の判定を連発してフランスのメダルを増やそうとしたのではないかと言われている
フランスのメダルを増やすために不正な判定をすると影響はすべての国に及び、審判を買収するような国にとっては「稼ぎ時」になる
最初のもっとも酷かった疑惑の判定は日本VSフランスの男子バレーで起こり、日本リードで試合終了直前に審判が日本のファウルを宣告しフランスが勝利した
多くの検証写真と動画でファウルは誤審と判明しているが、この手の誤審が実は誤審ではなく八百長、審判買収なのは周知の事実です
マクロンの政治戦略のために日本は負けなければならなかったのであり、パリ五輪では同じような「誤審」を連発する事になった
前回東京五輪ではこのような「誤審」はなく2012年ロンドン五輪から東京までは五輪のクリーン化が叫ばれて八百長試合は少なくなっていた
1990年までの米ソ冷戦時代には両陣営がメダル数を競い合い、特に判定が重要なレスリングなどでは審判がどちら陣営かで勝敗も決まった
冷戦終結後の審判買収の常連といえば中国と韓国で、今回もメダル数1位は中国で韓国も現時点で日本と同じ金メダル6個を獲得している(8月1日)
フランスが特に期待していたのは柔道で、競技人口は日本より多く日本を目の仇にし、こんな場合フランス人は必ず八百長に手を染める
男子60キロ級の準々決勝で日本代表・永山竜樹(28)が、フランシスコ・ガルリゴス(スペイン)に不正判定で敗れた
永山がガルリゴスに絞められ、主審が「待て」を宣告するも、ガルリゴスは永山をその後6秒間絞め続け、永山は失神し技が決まったとみなされ一本負けを喫した
欧州で行われているスポーツはすべて不正
男子73キロ級でも、橋本壮市(32)が地元フランスのジョアンバンジャマン・ガバ(23)と対戦し、3つの指導を受けて反則負けを喫した
男子90キロ級決勝では村尾三四郎の内股が無効とされジョージアのラシャ・ベカウリだけが技あり、しかも村尾三四郎の内股はビデオ判定すら拒否するという徹底した八百長ぶりだった
女子では57キロ級決勝で出口クリスタ(カナダ)にホ・ミミ(韓国)が反則負けを喫したが不正な判定で勝ったのがすべて欧州選手、負けたのはすべてアジア選手なのが分かりやすい
欧州選手がメダルを獲得するために不正判定をやっているのであり、審判も選手も一流が集まる大会でそうそう「誤審」などは起きない
柔道の誤審=八百長判定は例の柔道着の白青問題から始まっていて、欧州のごり押しに日本は押し切られ、以降不正判定が続出し欧州国家の審判により「日本潰し」が行われた
オリンピックの不正で名高いのは浅田真央のライバルとされたキムヨナで、キムヨナが出場した全ての大会でキムヨナの元コーチの韓国人が審査員になっていた
この元コーチの女は審査委員のボス的な存在で、他の審査委員に点数や採点を指示したため、何度転んでもキムヨナは絶対に減点されなかった
こんなのがオリンピックの正体であって今までにオリンピックで買収された審判が逮捕された例は一件もなく買収やり放題です
オリンピックだけではなく欧州はプロサッカー、プロテニス、自転車で大規模な不正や八百長事件が過去に発生していました
また欧州選手が有利になるようにルール改正という不正をするのが欧州の十八番で、スキージャンプで日本が優勝すると即座にスキー板の身長制限を設けた
自働車レースでも日本車が勝つとすぐにルール改正をするが、ポルシェやベンツが100回勝ってもその有利さを解消しようとはしない
欧州で行われているスポーツは事実上すべて不正で全てが八百長、欧州選手が勝たなければルールを変更して勝たせるのが欧州のスポーツマンシップです
https://www.thutmosev.com/archives/36264.html
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2024/08/04 (Sun) 22:37:18
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2024年08月04日
ヨーロッパの美を破壊する異邦人 / フランスの癌は健在だ !
https://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68963425.html
フランスを憎む国内の敵
Olympic Paris 213Olympic Paris 93545
パリで開かれたオリンピックは、その競技よりも開幕セレモニーの方に注目が集まってしまった。日本でも相当な話題となってしまったが、前代未聞の破廉恥な演出に世界中の人々が驚いてしまったから当然だ。庶民からはレオナルド・ダ・ヴィンチによる「最後の晩餐」をパロディー化した、と誤解されてしまったが、実際は古代ギリシアの神話をイメージした演出だった。しかし、この演劇に現れた連中の姿が、あまりにも“おぞましかった”ので、結果的に非難囂々となってしまった訳だ。
確かに、ディオニュソス(Dionysos / 酩酊の神)なのか、バッコス(Bakkhos / 酒の神)のパロディーなのかは明確ではないが、テーブルに寝そべった青いオヤジは気持ち悪い。しかも、彼の周りを取り囲む役者も異様で、「何だ、こいつらは!」と眉を顰めたくなる。こんなのは「神々の降臨」じゃなく「破廉恥の饗宴」でしかない。しかも、革命賛美の寸劇もあったから笑い事じゃないだろう。いくら血腥い殺戮を賛美する野蛮国とはいえ、王妃殺しをテーマにするなんて尋常じゃない。首を切断されたマリー・アントワネットがコンシェルジュリー(Conciergerie / 牢獄となった元王宮)の窓に現れ、鮮血を彷彿とさせる赤い煙が焚かれるなんて悪趣味だ。さらに、LGBTQを宣伝するかの如き踊り子が登場するとなれば、まともな家庭は子供に見せない。
Olympic Paris Marie Antoinette 001Olympic Paris Marie Antoinette 022
(左 : 首を切断されたマリー・アントワネット / 右 : コンシェルジュリーから提出する赤い煙)
保守派のフランス人はもとより、正常な日本人であれば、「誰がこんな企画を提案し、どんな奴が許可を出したのか?」と尋ねたくなるだろう。NHKじゃあるまいし、常識と教養を有するフランス人であれば、こんな国辱を容認するはずがない。“腐っても鯛”のフランスだから、多少なりとも良識と矜持を持つ政治家くらい居るだろう。シャルル・ド・ゴール将軍や作家のジャン・ラスパイユ(Jean Raspail)、歴史家のドミニク・ヴェナー(Dominique Venner)が生きていれば、フランスの凋落を嘆いたはずだし、ジャン・マリー・ル・ペン(Jean Marie Le Pen)はもとより、愛国者のルノー・カミュ(Jean Renaud G. Camus)やアラン・ド・ブノア(Alain de Benoist)なども、左翼思想に汚染された祖国を批判するはずだ。
Jean Raspail 2Dominique Venner 1Renaud Camu 1Alain de Benoist 1
(左 : ジャン・ラスパイユ / ドミニク・ヴェナー / ルノー・カミュ / 右 : アラン・ド・ブノア )
Thomas Jolly 732( 左 / トマス・ジョリー)
歐米諸国の報道によれば、この演出を考えたのはトマス・ジョリー(Thomas Jolly )というアート・ディレクターであるという。彼はノルマンディー出身の演劇監督であるというが、実は1982年生まれ(42歳)のユダヤ人。(Vanshika Sharma, 'Who is Thomas Jolly artistic director of the 2024 Olympics opening ceremony, bio, age and religion, The Sports Grail, July 27 2024.) しかも、平等主義と包括性を説く同性愛者ときている。ゲイのトマスは子供の頃、男らしくないユダヤ人(異人種)であったから、イジメの対象になっていたそうだ。(John Leicester, Paris' Olympics opening was wacky and wonderful — and upset bishops. Here's why, The Washington Post, July 28, 2024.)
フランスは昔から反ユダヤ感情が根強い。それゆえ、ユダヤ人の子供が近所の悪ガキどもや学校の級友から毛嫌いされることはよくある。英国でユダヤ人初の首相となったベンジャミン・ディズレイリは、その人相も原因となったのか、幼少時代から“からかいの的”になっていた。祖父(Benjamin D'Israeli)のベンジャミンは、ヴェネツィアからやって来たセファラディー系のユダヤ人であったから、孫のベンジャミンがアングリカン教会で洗礼を受けても、周りのイギリス人は“ユダヤ人一家”としか思われなかった。ディズレイリ首相を描いた風刺画を見れば判るけど、如何にもユダヤ人らしく、嘲笑の対象になっていたことが推察できる。(この点についてはサンダー・キルマン<Sander L. Gilman>の歴史書を参考にしてほしい。)
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(左 : ベンジャミン・ディズレイリ / 右 : ディズレイリの風刺画)
15歳の時、ベンジャミンはヒンガム・ヒルにあるユニテリアンの学校に通ったが、やはりユダヤ人ということで級友からの侮蔑を受けた。ところが、ベンジャミンは大柄の上級生と喧嘩した時、この悪ガキを打ちのめすことが出来た。というのも、彼は密かにボクシングを習っていたからだ。(Elbert Hubbar, Little Journey to the Homes of English Authors, London : G.P. Putman's Sons, 1907, p.392.) 頭のいいベンジャミンは、コスター・ジョー(Coster Joe)のもとで三年間も修行したというから用意周到である。イギリス人の子供だと異人種への嫌悪感が露骨で、気に食わないユダヤ人を見つけるとイジメたくなる。だから、ベンジャミンは先手を打って格闘技を習っていたのだろう。
ひ弱なトマス・ジョリーもボクシングか柔術を習って喧嘩の達人になっていれば、クラスメイトから馬鹿にされず、理不尽な差別をはねつけることも出来たはず。しかし、意気地無しのジョリーは、フランス人からの差別に憤慨するしかなかった。(ディズレイリの少年時代だと、悪ガキどもは「Old clo(Old Clothes / 古着)!」と呼んで小馬鹿にしていたそうだ。ユダヤ人は薄汚い古着を売り歩く行商人のイメージがあるから、「ボロ着を売る賤民」と嫌っていたのかも知れない。)子供の頃に侮辱を受けたユダヤ人は、猛烈なガリ勉となり、成人すると高額所得のビジネスマンや弁護士になって、自分を馬鹿にした西歐人を見返すことがある。「カネと権力を有した者が勝ち組なんだ!」という信念が、屈折したユダヤ人の本音である。
そもそも、ユダヤ人というのは、千年以上も前からヨーロッパ人に嫌われている居候だ。容姿が異なるだけじゃなく、選民思想で凝り固まっている連中だから非常に厄介だ。彼らは“タカリ先”の異教徒を“同胞”と思うことはなかったし、キリスト教に基づく伝統や文化を尊重する気持ちなんか更々なかった。第一、ゲットー暮らしの賤民は、現地人から憎まれる存在だ。スペインやポルトガルのキリスト教徒からは、「豚野郎(マラーノ / Marrano)」と呼ばれていたし、ドイツやフランスでも家畜並みの扱いだった。
ところが、フランス革命が起こると、「世界市民」とか「人間の権利」といった発想が台頭し、ユダヤ人はゲットーから解放されることになる。彼らは単なる金融業者(高利貸し/ 両替商)ではなく、フランス人と対等な権利を持つ“公民(citoyen)”となった。彼らは独自の才能を活かして専門職に就くことができたので、医者や宝石職人、貿易商、宮廷役人、大学教授、裁判官へと変身することができた。こうして異邦人のユダヤ人は、ヨーロッパ社会へと浸透する。
ここで重要なのは、ユダヤ人がヨーロッパ人の不幸で得をする、ということだ。例えば、フランス革命が起こって王族や貴族、街の有力者が虐殺されると、従来の身分社会が崩壊し、ユダヤ人が要職に就く“隙間(チャンス)”ができる。ドイツのゲットーに住んでいたユダヤ人も同様で、ドイツがフランス軍に蹂躙されることでゲットーから抜け出ることができたのだ。当然、ドイツ人は反対したけど、「平等」を掲げるフランス人が強要すれば、敗者のドイツ人は抵抗できない。イングランドでも同じである。カトリックとプロテスタントの対立が起これば、ネーデルラントの裕福なユダヤ商人がオリヴァー・クロムウェルを密かに支援し、ユダヤ人を敵視する王侯貴族を打倒してくれと頼む。ユダヤ人から資金をもらったクロムウェルは、長らく「入国禁止」となっていたユダヤ人の入国を許す。これにより、追放されていた異邦人は、次々と英国へ流れ込むことが出来たのだ。そして、ロスチャイルド家がナポレオン戦争で大儲けしたのはご存じの通り。
脱線したので話を戻す。ユダヤ人のジョリーがフランスの歴史や藝術に敵意を抱くのは当然だ。フランコ・ガリア人が美しいと思う風景や理想とする肉体美などは、ユダヤ人からすれば鼻持ちならない手前味噌である。ルネッサンス期に描かれた宗教画なんて、裸の男女をモチーフにしたポルノ漫画にしか過ぎない。保守的なユダヤ教徒だと、「何だ、こんな偶像崇拝は!」と足で踏みつけたくなるほどの駄作である。フランス人やイギリス人が崇拝するイエズス・キリスなんかは“狂った異端者”、既婚者のマリアが亭主に隠れて拵えた“不倫の子”でしかない。「処女懐胎」は不逞を隠す“嘘”という訳だ。そもそも、“よそ者”たるユダヤ人には、フランク族の首長に対する忠誠心とか、ブルボン王朝への敬愛なんて端っから無い。ユダヤ人からすれば、「地上における天主の代理人」たる国王陛下、なんて馬鹿げた話だ。フランスの王妃も忌々しいオーストリア人の貴族でしかなく、ギロチンで殺されても当然の売女(ばいた)である。
フランス王国の歴史を愛するケルト系のガリア人なら、開催式のイベントに驚愕するが、アート・ディレクターになったユダヤ人は知らん顔。謝罪するどころか、自分の藝術に自信を持ち、反省することなく開き直っていた。ジョリー曰く、
フランスでは、自分が好きなように愛する自由があるし、自らが欲する者を愛することも自由だ。また、何を信じ、何を信じないかも自由である。(Michel Rose, 'Paris ceremony 'Last Supper' parody sparks controvers' , Reuters, July 27, 2024.)
もう呆れてるしかない自己弁護だが、要するにジョリーは藝術の自由を実行したにすぎない、という訳だ。そして、様々なタイプの人間を“包括”するのもフランスの文化だと思っている。それゆえ、青色のペイントを塗りたくった奇人でも、吐き気を催すゲイやレズビアンでもOKだ。こうなれば、醜悪なトランスジェンダーどころか、金玉を露出する変態男でも、髭面の踊り子でも、差別なく登場させるのが“フランス的”ということになる。しかし、なぜかパロディー化すのはキリスト教ばかり。うるさく厄介なユダヤ教やイスラム教は、ちゃっかり避けている。ゲイの預言者モーセとか、巨根のダビデ王、愛人にかこまれたアブラハムといったパロディーはないし、厚化粧のオカマに扮した預言者ムハンマドが登場するコントもない。
それもそのはず。もし、こんなキャラクターが開会式に現れたら大変だ。おそらく、大勢のユダヤ教徒やイスラム教徒がオリンピックの会場に殺到し、テロ事件が起きてしまうだろう。主催者や演出家が狙われ、警備員にも死傷者が出てしまうから、平和の祭典が殺戮の修羅場と化す可能性も出てくる。もしも、トマス・ジョリーがアラッーを侮辱すれば、イスラム教のイマム(導師)から死刑宣告が出されてしまうだろう。たぶん、プロの暗殺者が現れて、彼の首はナイフで切り落とされる。だが、キリスト教なら大丈夫。どんなに侮辱しても神父がターミネーターになることはない。アイルランドなら『処刑人(The Boondock Saints / 1999年の映画)』に出てくるショーン・パトリック・フナナリー(Sean Patrick Flanery)やノーマン・リーダス(Norman Reedus)みたいな殺し屋がいそうだけど、宗教心が消え失せたフランスでは杞憂だ。
詐欺師のユダヤ人
ユダヤ人には物理学や医学、数学、法学、社会学などで活躍する人物が多い。だが、その一方で、タカリ先の社会を腐敗させる悪党もたくさんいる。左翼学者や革命分子に加え、暴利を貪る金融業者に政財界へ食い込むマフィアなど、数えだしたらキリが無い。藝術面でもユダヤ人はその才能を発揮し、フェリクス・メンデルスゾーン(Jabob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy)みたいな作曲家を生み出すこともある。だが、美術家となれば不毛で、日本人が頭に浮かぶユダヤ人画家といったらマルク・シャガール(Marc Chagall)くらい。シャガールはベラルーシ生まれのユダヤ人。あとは、「マーヴェル・コミック」のスーパー・ヒーローを創作したスタン・リー(Stanley Martin Lieber)くらいだろう。
第20世紀のドイツでは「表現主義(Impressionismus)」というが勃興し、「新古典派」のスタイルとは違った画風が流行っていた。あまり日本では知られていないが、例えば、エルンスト・キルヒナー(Ernst Ludwig Kirchner)やゲオルグ・グロス(Georg Ehrenfried Grosz)、エゴン・シーレ(Egon Leo adolf Ludwig Schiele)、オットー・ディックス(Wilhelm Heinrich Otto Dix)などが挙げられる。ユダヤ人の医師で作家のマックス・ノルダウ(Max Nodau)が評したように、当時のドイツでは、伝統的な価値観や倫理・道徳を蔑む風潮が強く、美術界にもその影響が色濃く及んでいた。ちなみに、ノルダウの本名は「サイモン・マクシミリアン・ズュートフェルド(Simon Maximilian Südfeld)で、日本では『パラドックス』や『現代の堕落』といった著作が翻訳本として出版されている。
Ernst Ludwig Kirchner 324Georg Grosz 6920Egon Schiele 11Otto Dix 112
(左 : エルンスト・キルヒナー / ゲオルグ・グロス / エゴン・シーレ / 右 : オットー・ディックス)
キルヒナーやグロスが描いた作品は、ノルダウのような批評家からは「頽廃藝術(Entartete Kunst)」と呼ばれ、以前の美術品とは全く違ったスタイルで描かれている。普通の日本人が西洋美術と聞けば、ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)やフェルメール(Johannes Vermeer)の作品、あるいはラファエロとかレンブラントの絵画を思い出すだろう。キュビズム(Cubisme)の代表格であるパブロ・ピカソや象徴主義(Symbolism)の巨匠エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)を挙げる人もいるけど、アニメ・ファンならフランスのウィリアム・アドルフ・ブーグロー(William Adolphe Bouguereau)を好むだろう。美的感覚は人それぞれだから、どんな作品が上等なのかは明言できないが、現代美術の絵画を見ていると、何となく気分が暗くなる。まるで精神を病んだ人が描いた作品なんじゃないか、と思えてくるからだ。
William Adolphe Bouguereau 663William Adolphe Bouguereau 0334William Adolphe Bouguereau 06387William Adolphe Bouguereau 9383
(左 : ウィリアム・アドルフ・ブーグロー / 右 3枚ブグローの絵画 )
表現主義の絵画も酷く、エルンスト・キルヒナーが描く人物画なんて全く美しくない。むしろ醜悪で美の破壊にしか思えない。画家の精神が悪性腫瘍で蝕まれているかのような印象を受ける。オットー・ディックスは第一次世界大戦で従軍し、第二鉄十字勲章をもらうほどの功績をあげたが、その美意識はドイツ人らしくなく、頽廃藝術と目されてもおかくしない。オーストリア出身のエゴン・シーレの絵画も同じで、グロテスクな作品が多く、陰鬱で暗い人物画や三流ポルノといったイラストが見受けられる。
Ernst Ludwig Kirchner 094Ernst Ludwig Kirchner 213Egon Schiele 0213Otto Dix 234
(左2枚 : エルンスト・キルヒナー / エゴン・シーレ / 右 : オットー・ディックス )
頽廃藝術の代表格といえば、ナチ党から迫害されたゲオルグ・グロスという画家だ。その素性や血筋に関してはよく判らないけど、彼は1918年に共産党に入党した左翼。揉め事を起こす1933年まで党員であったというから健全な精神の持ち主じゃない。(Rose-Carol Washton Long, 'George Grosz, Otto Dix, and the Philistines : The German-Jewish Question in the weimar Republic', Experiment, Vol.9, 2003, p.178.)一方、オットー・デックスは共産党員ではなかったが、平和主義嗜好の左翼であったというから“同じ穴の狢(ムジナ)”といったところだろう。
Degenerate art by Emil NoldeDegenerate art by Emil Nolde 003
(Emil Noldeの頽廃藝術作品)
面白いのは、両者とも反ユダヤ主義の傾向があったのに、ユダヤ人の友達を有し、ユダヤ系知識人と一緒に仕事をしていたことだ。これは筆者の推測になるけど、もしかすると、グロスはプロテスタントに改宗した元ユダヤ人の家庭に生まれたのかも知れない。というのも、「グロス(Groschen / Groch)」という氏族名は、ポーランドのユダヤ人にもある名前であるから、ゲオルグの祖父母がドイツに渡った時、宗教や氏名を変えたとも考えられるのだ。もし、ゲオルグ・グロスがキリスト教に改宗したユダヤ人家族の孫ならば、ユダヤ人を批判しながらユダヤ人と親しく付き合うこともあるし、ユダヤ系ドイツ人と馬が合う「世俗派のユダヤ人」ということも有り得る。
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(グロスが発表したポルノ・イラスト )
話を戻す。紹介することさえ躊躇ってしまうが、グロスの絵は非常に下劣で、羞恥心のカケラも無い。日本ではほとんど知られていないが、グロスが描いたイラストのコレクションに目を通すと、ビックリするような作品に出くわす。例えば、太った醜女(しこめ)や奇妙なオヤジ、肛門や性器を露出した痴女、吐き気を催すセックス・シーンなど、常識人が見たら激昂するようなポルノ作品が多い。グロスが描いたヌード女性のスケッチなどは、中学生がノートの裏に描く落書きと同じで、アダルト・コミックの下書きみたいだ。
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(グロスが描いた破廉恥なイラスト )
とにかく、ゲオルグ・グロスの絵画は、ヒトラーの逆鱗に触れる藝術であった。元々、彼は共産主義の左翼であったから、民族主義の社会党とはソリが合わない。しかも、グロスは反ナチスの気質があったから、ナチ党から迫害されるのは時間の問題であった。危険を察知したグロスは、1933年にドイツから逃れ、アメリカへ移住している。亡命先で暮らそうと決めたグロスは、その画風を変えることで藝術活動を続けることにした。当時のアメリカ人は現在とは比べものにならぬほど保守的で、倫理・道徳にうるさかったから、彼の“業績”を見たらビックリするはずだ。グロスはNYのハンティントンにある美術教室で絵画を教えることになったが、過去のポルノ作品を自慢することはなかった。
歐米諸国と同じく、日本でもユダヤ人は「ナチスに迫害された可哀想な民族」という認識が主流である。しかし、この種族には狡猾で悪質な輩が多数含まれている。本来なら、中世の頃にカナンの地(現在のパレスチナ)へ戻っているはずなのに、そのままズルズルと居坐り続けた。彼らはどんなに迫害されても決してヨーロッパを離れることはなかった。それどころか、異教徒の土地にタカって利益を得ていたのだ。ドイツ人の法律家で政治家にもなったフリードリッヒ・カール・ヴィーブ(Friedrich Karl Maximilian Wiebe)も著書の中で述べていたが、解放後からワイマール時代に至るドイツでは、ユダヤ人の社会進出は目覚ましく、政財界のみならず、法曹界、教育界、映像分野、マスコミなどでもユダヤ教徒が入り込んでいた。ドイツ人みたいなフリをする世俗派のユダヤ人とか、キリスト教に改宗したユダヤ人、ヨーロッパ人と混血したアシュケナージ系ユダヤ人など様々なタイプがいる。ガリシア地方から米国へ渡ったユダヤ人を思い出せば判るだろう。
ユダヤ人には哲学者のスピノザや神学者のレオ・ベックなどの有名人もいるが、ダーク・サイドにも逸材が多い。リー・ハーベイ・オズワルドを殺したジッャク・ルビー(本名/ Jacob Leon Rubenstein)とかOSSが利用したマイヤー・ランスキー(本名 / Maier Suchowljansky)、変態映画制作者のハーヴェイ・ワインシュタイン(Harvey Weinstein)、イスラエルの諜報機関の手先となったジェフリー・エプシュタイン(Jeffrey Epstein)などである。
Magnus Hirschfeld 11(左 / マグナス・ヒルシュフェルド)
1920年代や30年代のドイツでもユダヤ人の浸透は著しく、出版業界だと卑猥な雑誌を発行するユダヤ人がいた。淫乱を売りにする劇場や同性愛者が集うキャバレーの経営者にもユダヤ人が存在したから、当時のドイツ人が毛嫌いしたのも当然だ。まともなドイツ人学者なら専攻しないけど、ユダヤ人のマグナス・ヒルシュフェルド(Magnus Hirschfeld)やイウァン・ブロック(Iwan Bloch)は、セックス学(sexology)の専門家として有名だった。カール・ヴィーブの著書『ドイツとユダヤ人問題(Deutschland und die Judenfrage)』によれば、他にも性科学に興味を示すユダヤ人がいたそうで、学会や雑誌で活動する変態学者もいたらしい。例えば、ルートヴッヒ・レヴィー・レンツ(Ludwig Levy-Lenz)やレオ・シドロウィッツ(Leo Schidrowitz)、フランツ・ラヴィノヴィッチ(Franz Rabinowitsch)、ゲオルグ・コーエン(Georg Cohen)、アルベルト・オーレンバーグ(Albert Eulenburg)などである。
Iwan Bloch 0021Ludwig Levy-Lenz 11Leo Schidrowitz 1Albert Eulenburg 1
(左 : イウァン・ブロック / ルートヴッヒ・レヴィー・レンツ / レオ・シドロウィッツ / 右 : アルベルト・オーレンバーグ )
美術界でもユダヤ人は精力的に動く。頽廃藝術の作品を残した画家となればユダヤ人は少数派に属するが、美術商には有力なユダヤ人が多かった。アドルフ・ヒトラーは兵卒(Gefreiter)から総統(Führer)にまで出世を遂げた軍人あがりの政治家であったが、元々は画家を目指す青年であった。それゆえ、ヨーロッパの美術や建築となれば、独自の見解を持っていた。おそらく、ウィーン時代のヒトラーは、画廊や美術館で見かける表現主義の作品が称賛され、「塗りたくった絵」が高値で売買されていることに憤慨したのだろう。第三帝国の総統は、ユダヤ商人の汚い手口に怒っていた。ヒトラー曰く、
ワイマール共和国時代が特に酷かった。これは美術界におけるユダヤ人の影響力の恐ろしさを如実に物語っている。ユダヤ人どものやり方は信じがたいほどの図々しさだった。インチキ美術評論家の協力も得て、ユダヤ人どうしの間で競り上げて、ナイーヴな人々に屑同然の絵を最高傑作と思わせるのに成功したのだ。自らの知的水準に自負を抱いていたはずのエリートたちさえ、ころりとだまされた。・・・屑同様の絵をだまして高値で売った金で、反対に過小評価した傑作をばかみたいな安値で購入する------これが奴らのペテン藝術の極みともいえる手口だった。(『ヒトラーのテーブル・トーク1941 - 1944』下巻、吉田八岑 監訳、三交社、1994年、p.31)
Hitler 533
日本でもナチスによる美術品の強奪や没収はよく知られているが、ヒトラーによれば、この掠奪で「ユダヤ人による詐欺行為に終止符が打たれた」そうである。被害者には気の毒だけど、裕福なユダヤ人から財産を没収し、その財産目録に目を通してみると、“本物の藝術作品”ばかりが載っていた、というから驚きだ。ユダヤ人の美術商や評論家は、表現主義やダダイズムの“B級品”を絶賛するのに、自分のお金で購入する油絵や彫刻となれば、“ガラクタ作品”じゃなく、古典主義かロマン主義の“美しい傑作”ばかりとなっていたのだ。つまり、ヨーロッパで儲けたユダヤ人は、ヨーロッパ人が描いた“古臭い”美術品を買い漁り、自宅の奥に秘蔵していたという訳である。こうしたカラクリに激怒したヒトラーは、ドイツ人の魂を汚染する下劣な作品を撤去しようと試みた。
私は美術展に足を運ぶたびに、そこに展示されている「ぬりたくり絵」を情け容赦なく外させる。これからは、ドイツ美術館を訪れる人々は、その場にふさわしくない絵を見せられる心配がなくなるだろう。価値のない絵はすべてふるい落とした。たとえプロイセン・アカデミーのお墨つきの画家による作品であっても、無価値なものに対しては展示禁止をためらわなかった。アカデミーに任務をきちんと果たす能力がないのはかえすがえすも残念だ。メンバー間でナアナアでやってきたのだ。最近では、美術のことなど露ほども知らない宗教担当大臣が大失敗をやらかした。いつものユダヤ人の罠にかかって、とんでもない駄作に賞を与えてしまったのだ。(上掲書、p.31.)
ヒトラーやナチ党幹部からすれば、ヨーロッパの美術品、つまりヨーロッパ人が生み出した最高傑作は“ヨーロッパ全体の遺産”であり、賤民のユダヤ人に渡してはならない貴重品であった。もし、これらの遺産が市場で自由に売買されたら、必ず大金持ちのユダヤ人が買い占め、ヨーロッパの庶民は悔しい思い補するに違いない。フランスを占領したドイツが、真っ先に目をつけたのが、フランスのロートシルド(ロスチャイルド)家で、アルフレッド・ローゼンベルク(Alfred Rosenberg)のERR(Einsatzstab Reichsleiter Rosenberg)*が派遣されたのである。エドワルド(Édouard Alphonse James de Rothschild)やロベール(Robert Philippe Gustave de Rothschold)、モーリス(Maurice Edmond Karl de Rothschild)、アンリ(Henri James Nathaniel Charles de Rothschild)のアート・コレクションは素晴らしく、ナチスは欣喜雀躍で数々の名作を差し押さえた。*註/ ERRはアルフレッド・ローゼンベルクが指揮する財産没収の公的機関である。
Alfred Rosenberg 11Edouard de Rothschild 1Robert de Rothschild 21Maurice de Rothschild 1
(左 : アルフレッド・ローゼンベルク / エドワルド・ロスチャイルド / ロベール・ロスチャイルド / 右 : モーリス・ロスチャイルド)
Georges Wildenstein 33(左 / ジョルジュ・ウィルデンシュタイン )
ついでに言えば、有名なユダヤ人画商であるジョルジュ・ウィルデンシュタイン(Georges Wildenstein)が、ナチスと結託して掠奪された美術品を捌いたり、くすねたりして富を築いたという疑惑がある。追放・輸送計画でもナチスと協力したユダヤ人がいたから、たぶん、略奪品や没収品を分類したり、ナチの高官と結託して横領したりするユダヤ人もいたはずだ。「正義の味方」を称したアメリカ軍人にも、ナチスの押収品を売りさばこうとした者がいたくらいだから、盗まれた油絵や金塊、装飾品、貴金属、コインなどが、誰の手に渡って隠匿されたのか未だに判らない。
とにかく、戦後や戦争中には何でもありだ。強者は都合の良い理由を附けて強奪や殺戮を正当化するもので、戦勝国には戦争犯罪を擁護する知識人や法学者がゴマンといる。敗者のドイツにだって言い分はあるだろう。ヨーロッパの支配者たるドイツが、ユダヤ人の保管庫から歴史的遺産を取り戻し、帝國の都を飾る方が好ましい、という理屈だって考えられる。もちろん、ヘルマン・ゲーリングのように略奪品を掠め取ろうとする者もいたが、だいたいはドイツ帝國に集められ、美術館に陳列されるから、それほど極悪非道な行為じゃない。
大英帝国博物館は盗品の倉庫みたいなものだが、エジプト人やエチオピア人が略奪品の返還要求を出しても、イギリス人は応じないだろう。むしろ、「我々がアフリカの芸術品に価値を見出したのだ!」と言い張る。もし、ドイツが戦争に負けていなければ、「ユダヤ人からヨーロッパの遺産を守った英雄」という名誉もあったはずだ。戦後、歐米諸国や日本ではナチスの戦争犯罪が糾弾され、ドイツは悪の権化にされているが、こうした歴史観はユダヤ人が作った“枠組み(frameworkやparadigm)”を基にした思考である。
一般的にユダヤ人というのは、豊穣なヨーロッパに住み着き、ヨーロッパ人の精神や国家から栄養を吸収しながら生きるタカリ屋である。もし、ユダヤ人が美の才能を有し、次々と傑作を生み出す民族なら、今頃、イスラエルは「藝術の都」や「流行の中心地」となっているはず。ところが、現実のイスラエルは魅力に乏しく、ファッションのメッカじゃない。ユダヤ人が集まってセム種族の社会を作ると、“むさ苦しい文化”が目立つようになる。ユダヤ人はヨーロッパ人が生み出した絵画や彫刻に文句をつけ、文学や哲学にもケチをつけるが、ユダヤ人の文化には先進国を惹きつける香りが無い。“批判”を得意とするユダヤ人は、ヨーロッパ文化の破壊に貢献するだけ。共産主義革命に熱狂したがユダヤ人なら、黒人を利用して公民権運動を推進したのもユダヤ人。正常な歐米人なら、トラブルメーカーのユダヤ人に向かって、「お前達だけで暮らし、仲間同士で喧嘩しろ!」と言いたくなる。
ユダヤ人はキリスト教国だけじゃなく、イスラム教国でも嫌われ者だ。ユダヤ人は「移民」や「難民」と称して西歐諸国に押しかけるのに、西歐人はイスラエルに移住しよう何て更々考えない。日本人も「ユダヤ人だらけの国」なんて真っ平御免だ。日本人の画家や美大生、あるいはファッション・デザイナーの卵は、イタリアやフランスに留学しようとするが、イスラエルに留学しようとする者は皆無。アメリカやフランスで人種の多様性や異民族との共生、LGBTQへの理解を訴えるなら、イスラエルだけでやってもらいたいものだ。ユダヤ教のラビは、歐米から戻ってきた不届者や活動家、アフリカ難民を引き入れる左翼に対して、どんな反応を示すのか? もしかすると、ナショナリストの国民や保守派のユダヤ教徒は、リベラル派の同胞と干戈を交えるかも知れないぞ。オリンピックのフェンシングやボクシングより、鮮血が飛び散る内紛の方がよっぽど興味深い。
https://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68963425.html
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2024/08/05 (Mon) 08:00:05
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ヨハネの默示録
第1章
1:1これイエス・キリストの默示なり。即ち、かならず速かに起るべき事を、その僕どもに顯させんとて、神の彼に與へしものなるを、彼その使を僕ヨハネに遣して示し給へるなり。 1:2ヨハネは神の言とイエス・キリストの證とに就きて、その見しところを悉とく證せり。 1:3此の預言の言を讀む者と之を聽きて其の中に録されたることを守る者どもとは幸福なり、時近ければなり。
1:4ヨハネ書をアジヤに在る七つの教會に贈る。願はくは今在し、昔在し、後來りたまふ者、および其の御座の前にある七つの靈、 1:5また忠實なる證人、死人の中より最先に生れ給ひしもの、地の諸王の君なるイエス・キリストより賜ふ恩惠と平安と汝らに在らんことを。願はくは我らを愛し、その血をもて我らを罪より解放ち、 1:6われらを其の父なる神のために國民となし祭司となし給へる者に、世々限りなく榮光と權力とあらんことを、アァメン。 1:7視よ、彼は雲の中にありて來りたまふ、諸衆の目、殊に彼を刺したる者これを見ん、かつ地上の諸族みな彼の故に歎かん、然り、アァメン。
1:8今いまし、昔いまし、後きたり給ふ主なる全能の神いひ給ふ『我はアルパなり、オメガなり』
1:9汝らの兄弟にして汝らと共にイエスの艱難と國と忍耐とに與る我ヨハネ、神の言とイエスの證との爲にパトモスといふ島に在りき。 1:10われ主日に御靈に感じゐたるに、我が後にラッパのごとき大なる聲を聞けり。 1:11曰く『なんぢの見る所のことを書に録して、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤに在る七つの教會に贈れ』 1:12われ振反りて我に語る聲を見んとし、振反り見れば七つの金の燈臺あり。 1:13また燈臺の間に人の子のごとき者ありて、足まで垂るる衣を著、胸に金の帶を束ね、 1:14その頭と頭髮とは白き毛のごとく雪のごとく白く、その目は焔のごとく、 1:15その足は爐にて燒きたる輝ける眞鍮のごとく、その聲は衆の水の聲のごとし。 1:16その右の手に七つの星を持ち、その口より兩刃の利き劍いで、その顏は烈しく照る日のごとし。 1:17我これを見しとき其の足下に倒れて死にたる者の如くなれり。彼その右の手を我に按きて言ひたまふ『懼るな、我は最先なり、最後なり、 1:18活ける者なり、われ曾て死にたりしが、視よ、世々限りなく生く。また死と陰府との鍵を有てり。 1:19されば汝が見しことと今あることと、後に成らんとする事とを録せ、 1:20即ち汝が見しところの我が右の手にある七つの星と七つの金の燈臺との奧義なり。七つの星は七つの教會の使にして、七つの燈臺は七つの教會なり。
第2章
2:1エペソに在る教會の使に書きおくれ。「右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燈臺の間に歩むもの斯く言ふ、 2:2われ汝の行爲と勞と忍耐とを知る。また汝が惡しき者を忍び得ざることと、自ら使徒と稱へて使徒にあらぬ者どもを試みて、その虚僞なるを見あらはししこととを知る。 2:3なんぢは忍耐を保ち、我が名のために忍びて倦まざりき。 2:4されど我なんぢに責むべき所あり、なんぢは初の愛を離れたり。 2:5さればなんぢ何處より墜ちしかを思へ、悔改めて初の行爲をなせ、然らずして若し悔改めずば、我なんぢに到り汝の燈臺を、その處より取除かん。 2:6されど汝に取るべき所あり、汝はニコライ宗の行爲を憎む、我も之を憎むなり。 2:7耳ある者は御靈の諸教會に言ひ給ふことを聽くべし、勝を得る者には、われ神のパラダイスに在る生命の樹の實を食ふことを許さん」
2:8スミルナに在る教會の使に書きおくれ。
「最先にして最後なる者、死人となりて復生きし者かく言ふ。 2:9われ汝の艱難と貧窮とを知る――されど汝は富める者なり。我はまた自らユダヤ人と稱へてユダヤ人にあらず、サタンの會に屬く者より汝が譏を受くるを知る。 2:10なんぢ受けんとする苦難を懼るな、視よ、惡魔なんぢらを試みんとて、汝らの中の或者を獄に入れんとす。汝ら十日のあひだ患難を受けん、なんぢ死に至るまで忠實なれ、然らば我なんぢに生命の冠冕を與へん。 2:11耳ある者は御靈の諸教會に言ひ給ふことを聽くべし。勝を得るものは第二の死に害はるることなし」
2:12ペルガモに在る教會の使に書きおくれ。
「兩刃の利き劍を持つもの斯く言ふ、 2:13われ汝の住むところを知る、彼處にはサタンの座位あり、汝わが名を保ち、わが忠實なる證人アンテパスが、汝等のうち即ちサタンの住む所にて殺されし時も、なほ我を信ずる信仰を棄てざりき。 2:14されど我なんぢに責むべき一二の事あり、汝の中にバラムの教を保つ者どもあり、バラムはバラクに教へ、彼をしてイスラエルの子孫の前に躓物を置かしめ、偶像に献げし物を食はせ、かつ淫行をなさしめたり。 2:15斯くのごとく汝らの中にもニコライ宗の教を保つ者あり。 2:16さらば悔改めよ、然らずば我すみやかに汝に到り、わが口の劍にて彼らと戰はん。 2:17耳ある者は御靈の諸教會に言ひ給ふことを聽くべし、勝を得る者には我かくれたるマナを與へん、また受くる者の外たれも知らざる新しき名を録したる白き石を與へん」
2:18テアテラに在る教會の使に書きおくれ。
「目は焔のごとく、足は輝ける眞鍮の如くなる神の子かく言ふ、 2:19われ汝の行爲および汝の愛と信仰と職と忍耐とを知る、又なんぢの初の行爲よりは後の行爲の多きことを知る。 2:20されど我なんぢに責むべき所あり、汝はかの自ら預言者と稱へて我が僕を教へ惑し、淫行をなさしめ、偶像に献げし物を食はしむる女イゼベルを容れおけり。 2:21我かれに悔改むる機を與ふれど、その淫行を悔改むることを欲せず。 2:22視よ、我かれを牀に投げ入れん、又かれと共に姦淫を行ふ者も、その行爲を悔改めずば、大なる患難に投げ入れん。 2:23又かれの子供を打ち殺さん、斯くてもろもろの教會は、わが人の腎と心とを究むる者なるを知るべし、我は汝等おのおのの行爲に隨ひて報いん。 2:24我この他のテアテラの人にして未だかの教を受けず、所謂サタンの深きところを知らぬ汝らに斯くいふ、我ほかの重を汝らに負はせじ。 2:25ただ汝等はその有つところを我が到らん時まで保て。 2:26勝を得て終に至るまで我が命ぜしことを守る者には、諸國の民を治むる權威を與へん。 2:27彼は鐵の杖をもて之を治め、土の器を碎くが如くならん、我が父より我が受けたる權威のごとし。 2:28我また彼に曙の明星を與へん。 2:29耳ある者は御靈の諸教會に言ひ給ふことを聽くべし」
第3章
3:1サルデスに在る教會の使に書きおくれ。
「神の七つの靈と七つの星とを持つ者かく言ふ、われ汝の行爲を知る、汝は生くる名あれど死にたる者なり。 3:2なんぢ目を覺し、殆ど死なんとする殘のものを堅うせよ、我なんぢの行爲のわが神の前に全からぬを見とめたり。 3:3されば汝の如何に受けしか、如何に聽きしかを思ひいで、之を守りて悔改めよ。もし目を覺さずば、盜人のごとく我きたらん、汝わが何れの時きたるかを知らざるべし。 3:4されどサルデスにて衣を汚さぬもの數名あり、彼らは白き衣を著て我とともに歩まん、斯くするに相應しき者なればなり。 3:5勝を得る者は斯くのごとく白き衣を著せられん、我その名を生命の書より消し落さず、我が父のまへと御使の前とにてその名を言ひあらはさん。 3:6耳ある者は御靈の諸教會に言ひ給ふことを聽くべし」
3:7ヒラデルヒヤにある教會の使に書きおくれ。
「聖なるもの眞なる者、ダビデの鍵を持ちて、開けば閉づる者なく、閉づれば開く者なき者かく言ふ、 3:8われ汝の行爲を知る、視よ、我なんぢの前に開けたる門を置く、これを閉ぢ得る者なし。汝すこしの力ありて、我が言を守り、我が名を否まざりき。 3:9視よ、我サタンの會、すなはち自らユダヤ人と稱へてユダヤ人にあらず、ただ虚僞をいふ者の中より、或者をして汝の足下に來り拜せしめ、わが汝を愛せしことを知らしめん。 3:10汝わが忍耐の言を守りし故に、我なんぢを守りて、地に住む者どもを試むるために全世界に來らんとする試錬のときに免れしめん。 3:11われ速かに來らん、汝の有つものを守りて、汝の冠冕を人に奪はれざれ。 3:12われ勝を得る者を我が神の聖所の柱とせん、彼は再び外に出でざるべし、又かれの上に、わが神の名および我が神の都、すなはち天より我が神より降る新しきエルサレムの名と、我が新しき名とを書き記さん。 3:13耳ある者は御靈の諸教會に言ひ給ふことを聽くべし」
3:14ラオデキヤに在る教會の使に書きおくれ。
「アァメンたる者、忠實なる眞なる證人、神の造り給ふものの本源たる者かく言ふ、 3:15われ汝の行爲を知る、なんぢは冷かにもあらず熱きにもあらず、我はむしろ汝が冷かならんか、熱からんかを願ふ。 3:16かく熱きにもあらず、冷かにもあらず、ただ微温きが故に、我なんぢを我が口より吐き出さん。 3:17なんぢ、我は富めり、豐なり、乏しき所なしと言ひて、己が惱める者・憐むべき者・貧しき者・盲目なる者・裸なる者たるを知らざれば、 3:18我なんぢに勸む、なんぢ我より火にて煉りたる金を買ひて富め、白き衣を買ひて身に纏ひ、なんぢの裸體の恥を露さざれ、眼藥を買ひて汝の目に塗り、見ることを得よ。 3:19凡てわが愛する者は、我これを戒め之を懲す。この故に、なんぢ勵みて悔改めよ。 3:20視よ、われ戸の外に立ちて叩く、人もし我が聲を聞きて戸を開かば、我その内に入りて彼とともに食し、彼もまた我とともに食せん。 3:21勝を得る者には我とともに我が座位に坐することを許さん、我の勝を得しとき、我が父とともに其の御座に坐したるが如し。 3:22耳ある者は御靈の諸教會に言ひ給ふことを聽くべし」』
第4章
4:1この後われ見しに、視よ、天に開けたる門あり。初に我に語るを聞きしラッパのごとき聲いふ『ここに登れ、我この後おこるべき事を汝に示さん』 4:2直ちに、われ御靈に感ぜしが、視よ、天に御座設けあり。 4:3その御座に坐したまふ者あり、その坐し給ふものの状は碧玉・赤瑪瑙のごとく、かつ御座の周圍には緑玉のごとき虹ありき。 4:4また御座のまはりに二十四の座位ありて、二十四人の長老、白き衣を纏ひ、首に金の冠冕を戴きて、その座位に坐せり。 4:5御座より數多の電光と聲と雷霆と出づ。また御座の前に燃えたる七つの燈火あり、これ神の七つの靈なり。 4:6御座のまへに水晶に似たる玻璃の海あり。御座の中央と御座の周圍とに四つの活物ありて、前も後も數々の目にて滿ちたり。 4:7第一の活物は獅子のごとく、第二の活物は牛のごとく、第三の活物は面のかたち人のごとく、第四の活物は飛ぶ鷲のごとし。 4:8この四つの活物おのおの六つの翼あり、翼の内も外も數々の目にて滿ちたり、日も夜も絶間なく言ふ、
『聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、
昔いまし、今いまし、のち來りたまふ
主たる全能の神』
4:9この活物ら御座に坐し、世々限りなく活きたまふ者に榮光と尊崇とを歸し、感謝する時、 4:10二十四人の長老、御座に坐したまふ者のまへに伏し、世々限りなく活きたまふ者を拜し、おのれの冠冕を御座のまへに投げ出して言ふ、
4:11『我らの主なる神よ、榮光と尊崇と能力とを
受け給ふは宜なり。汝は萬物を造りたまひ、
萬物は御意によりて存し、かつ造られたり』
第5章
5:1我また御座に坐し給ふ者の右の手に、卷物のあるを見たり、その裏表に文字あり、七つの印をもて封ぜらる。 5:2また大聲に『卷物を開きてその封印を解くに相應しき者は誰ぞ』と呼はる強き御使を見たり。 5:3然るに天にも地にも、地の下にも、卷物を開きて之を見得る者なかりき。 5:4卷物を開き、これを見るに相應しき者の見えざりしに因りて、我いたく泣きゐたりしに、 5:5長老の一人われに言ふ『泣くな、視よ、ユダの族の獅子・ダビデの萠蘗、すでに勝を得て卷物とその七つの封印とを開き得るなり』 5:6我また御座および四つの活物と長老たちとの間に、屠られたるが如き羔羊の立てるを見たり、之に七つの角と七つの目とあり、この目は全世界に遣されたる神の七つの靈なり。 5:7かれ來りて御座に坐したまふ者の右の手より卷物を受けたり。 5:8卷物を受けたるとき、四つの活物および二十四人の長老、おのおの立琴と香の滿ちたる金の鉢とをもちて、羔羊の前に平伏せり、此の香は聖徒の祈祷なり。 5:9かくて新しき歌を謳ひて言ふ
『なんぢは卷物を受け、その封印を解くに相應しきなり、汝は屠られ、その血をもて諸種の族・國語・民・國の中より人々を神のために買ひ、 5:10之を我らの神のために國民となし、祭司となし給へばなり。彼らは地の上に王となるべし』
5:11我また見しに、御座と活物と長老たちとの周圍にをる多くの御使の聲を聞けり。その數、千々萬々にして、 5:12大聲にいふ
『屠られ給ひし羔羊こそ、能力と富と知慧と、勢威と尊崇と、榮光と讃美とを受くるに相應しけれ』
5:13我また天に、地に、地の下に、海にある萬の造られたる物、また凡てその中にある物の云へるを聞けり。曰く
『願はくは御座に坐し給ふものと羔羊とに、讃美と尊崇と榮光と權力と世々限りなくあらん事を』
5:14四つの活物はアァメンと言ひ、長老たちは平伏して拜せり。
第6章
6:1羔羊その七つの封印の一つを解き給ひし時、われ見しに、四つの活物の一つが雷霆のごとき聲して『來れ』と言ふを聞けり。 6:2また見しに、視よ、白き馬あり、之に乘るもの弓を持ち、かつ冠冕を與へられ、勝ちて復勝たんとて出でゆけり。
6:3第二の封印を解き給ひたれば、第二の活物の『來れ』と言ふを聞けり。 6:4かくて赤き馬いで來り、これに乘るもの地より平和を奪ひ取ることと、人をして互に殺さしむる事とを許され、また大なる劍を與へられたり。
6:5第三の封印を解き給ひたれば、第三の活物の『來れ』と言ふを聞けり。われ見しに、視よ、黒き馬あり、之に乘るもの手に權衝を持てり。 6:6かくてわれ四つの活物の間より出づるごとき聲を聞けり。曰く『小麥五合は一デナリ、大麥一升五合は一デナリなり、油と葡萄酒とを害ふな』
6:7第四の封印を解き給ひたれば、第四の活物の『來れ』と言ふを聞けり。 6:8われ見しに、視よ、青ざめたる馬あり、之に乘る者の名を死といひ、陰府これに隨ふ。かれらは地の四分の一を支配し、劍と饑饉と死と地の獸とをもて人を殺すことを許されたり。
6:9第五の封印を解き給ひたれば、曾て神の言のため、又その立てし證のために殺されし者の靈魂の祭壇の下に在るを見たり。 6:10彼ら大聲に呼はりて言ふ『聖にして眞なる主よ、何時まで審かずして地に住む者に我らの血の復讐をなし給はぬか』 6:11ここにおのおの白き衣を與へられ、かつ己等のごとく殺されんとする同じ僕たる者と兄弟との數の滿つるまで、なほ暫く安んじて待つべきを言ひ聞けられたり。
6:12第六の封印を解き給ひし時、われ見しに、大なる地震ありて日は荒き毛布のごとく黒く、月は全面血の如くなり、 6:13天の星は無花果の樹の大風に搖られて、生り後の果の落つるごとく地におち、 6:14天は卷物を卷くごとく去りゆき、山と島とは悉とくその處を移されたり。 6:15地の王たち・大臣・將校・富める者・強き者・奴隷・自主の人、みな洞と山の巖間とに匿れ、 6:16山と巖とに對ひて言ふ『請ふ、我らの上に墜ちて御座に坐したまふ者の御顏より、羔羊の怒より、我らを隱せ。 6:17そは御怒の大なる日既に來ればなり。誰か立つことを得ん』
第7章
7:1この後、われ四人の御使の地の四隅に立つを見たり、彼らは地の四方の風を引止めて、地にも海にも諸種の樹にも風を吹かせざりき。 7:2また他の一人の御使の、活ける神の印を持ちて日の出づる方より登るを見たり、かれ地と海とを害ふ權を與へられたる四人の御使にむかひ、大聲に呼はりて言ふ、 7:3『われらが我らの神の僕の額に印するまでは、地をも海をも樹をも害ふな』 7:4われ印せられたる者の數を聽きしに、イスラエルの子等のもろもろの族の中にて印せられたるもの合せて十四萬四千あり。
7:5ユダの族の中にて一萬二千印せられ、
ルベンの族の中にて一萬二千、
ガドの族の中にて一萬二千、
7:6アセルの族の中にて一萬二千、
ナフタリの族の中にて一萬二千、
マナセの族の中にて一萬二千、
7:7シメオンの族の中にて一萬二千、
レビの族の中にて一萬二千、
イサカルの族の中にて一萬二千、
7:8ゼブルンの族の中にて一萬二千、
ヨセフの族の中にて一萬二千、
ベニヤミンの族の中にて一萬二千印せられたり。
7:9この後われ見しに、視よ、もろもろの國・族・民・國語の中より、誰も數へつくすこと能はぬ大なる群衆、しろき衣を纏ひて手に棕梠の葉をもち、御座と羔羊との前に立ち、 7:10大聲に呼はりて言ふ
『救は御座に坐したまふ我らの神と羔羊とにこそ在れ』
7:11御使みな御座および長老たちと四つの活物との周圍に立ちて、御座の前に平伏し神を拜して言ふ、
7:12『アァメン、讃美・榮光・知慧・感謝・尊貴・能力・勢威、世々限りなく我らの神にあれ、アァメン』
7:13長老たちの一人われに向ひて言ふ『この白き衣を著たるは如何なる者にして何處より來りしか』 7:14我いふ『わが主よ、なんぢ知れり』かれ言ふ『かれらは大なる患難より出できたり、羔羊の血に己が衣を洗ひて白くしたる者なり。 7:15この故に神の御座の前にありて、晝も夜もその聖所にて神に事ふ。御座に坐したまふ者は彼らの上に幕屋を張り給ふべし。 7:16彼らは重ねて飢ゑず、重ねて渇かず、日も熱も彼らを侵すことなし。 7:17御座の前にいます羔羊は、彼らを牧して生命の水の泉にみちびき、神は彼らの目より凡ての涙を拭ひ給ふべければなり』
第8章
8:1第七の封印を解き給ひたれば、凡そ半時のあひだ天靜なりき。 8:2われ神の前に立てる七人の御使を見たり、彼らは七つのラッパを與へられたり。
8:3また他の一人の御使、金の香爐を持ちきたりて祭壇の前に立ち、多くの香を與へられたり。これは凡ての聖徒の祈に加へて、御座の前なる金の香壇の上に献げんためなり。 8:4而して香の煙、御使の手より聖徒たちの祈とともに神の前に上れり。 8:5御使その香爐をとり、之に祭壇の火を盛りて地に投げたれば、數多の雷霆と聲と電光と、また地震おこれり。
8:6ここに七つのラッパをもてる七人の御使これを吹く備をなせり。
8:7第一の御使ラッパを吹きしに、血の混りたる雹と火とありて、地にふりくだり、地の三分の一燒け失せ、樹の三分の一燒け失せ、もろもろの青草燒け失せたり。
8:8第二の御使ラッパを吹きしに、火にて燃ゆる大なる山の如きもの海に投げ入れられ、海の三分の一血に變じ、 8:9海の中の造られたる生命あるものの三分の一死に、船の三分の一滅びたり。
8:10第三の御使ラッパを吹きしに、燈火のごとく燃ゆる大なる星、天より隕ちきたり、川の三分の一と水の源泉との上におちたり。 8:11この星の名は苦艾といふ。水の三分の一は苦艾となり、水の苦くなりしに因りて多くの人死にたり。
8:12第四の御使ラッパを吹きしに、日の三分の一と月の三分の一と星の三分の一と撃たれて、その三分の一は暗くなり、晝も三分の一は光なく、夜も亦おなじ。
8:13また見しに、一つの鷲の中空を飛び、大なる聲して言ふを聞けり。曰く『地に住める者どもは禍害なるかな、禍害なるかな、禍害なるかな、尚ほかに三人の御使の吹かんとするラッパの聲あるに因りてなり』
第9章
9:1第五の御使ラッパを吹きしに、われ一つの星の天より地に隕ちたるを見たり。この星は底なき坑の鍵を與へられたり。 9:2かくて底なき坑を開きたれば、大なる爐の煙のごとき煙、坑より立ちのぼり、日も空も坑の煙にて暗くなれり。 9:3煙の中より蝗地上に出でて、地の蝎のもてる力のごとき力を與へられ、 9:4地の草すべての青きもの又すべての樹を害ふことなく、ただ額に神の印なき人をのみ害ふことを命ぜられたり。 9:5されど彼らを殺すことを許されず、五月のあひだ苦しむることを許さる、その苦痛は、蝎に刺されたる苦痛のごとし。 9:6このとき人々、死を求むとも見出さず、死なんと欲すとも死は逃げ去るべし。 9:7かの蝗の形は戰爭の爲に具へたる馬のごとく、頭には金に似たる冠冕の如きものあり、顏は人の顏のごとく、 9:8之に女の頭髮のごとき頭髮あり、齒は獅子の齒のごとし。 9:9また鐵の胸當のごとき胸當あり、その翼の音は軍車の轟くごとく、多くの馬の戰鬪に馳せゆくが如し。 9:10また蝎のごとき尾ありて之に刺あり、この尾に五月のあひだ人を害ふ力あり。 9:11この蝗に王あり。底なき所の使にして、名をヘブル語にてアバドンと云ひ、ギリシヤ語にてアポルオンと云ふ。
9:12第一の禍害すぎ去れり、視よ、此の後なほ二つの禍害きたらん。
9:13第六の御使ラッパを吹きしに、神の前なる金の香壇の四つの角より聲ありて、 9:14ラッパを持てる第六の御使に『大なるユウフラテ川の邊に繋がれをる四人の御使を解放て』と言ふを聞けり。 9:15かくてその時その日その月その年に至りて、人の三分の一を殺さん爲に備へられたる四人の御使は解放たれたり。 9:16騎兵の數は二億なり、我その數を聞けり。 9:17われ幻影にてその馬と之に乘る者とを見しに、彼らは火・煙・硫黄の色したる胸當を著く。馬の頭は獅子の頭のごとくにて、その口よりは火と煙と硫黄と出づ。 9:18この三つの苦痛、すなはち其の口より出づる火と煙と硫黄とに因りて、人の三分の一殺されたり。 9:19馬の力はその口とその尾とにあり、その尾は蛇の如くにして頭あり、之をもて人を害ふなり。 9:20これらの苦痛にて殺されざりし殘の人々は、おのが手の業を悔改めずして、なほ惡鬼を拜し、見ること聞くこと歩むこと能はぬ、金・銀・銅・石・木の偶像を拜せり、 9:21又その殺人・咒術・淫行・竊盜を悔改めざりき。
第10章
10:1我また一人の強き御使の、雲を著て天より降るを見たり。その頭の上に虹あり、その顏は日の如く、その足は火の柱のごとし。 10:2その手には展きたる小き卷物をもち、右の足を海の上におき、左の足を地の上におき、 10:3獅子の吼ゆる如く大聲に呼はれり、呼はりたるとき七つの雷霆おのおの聲を出せり。 10:4七つの雷霆の語りし時、われ書き記さんとせしに、天より聲ありて『七つの雷霆の語りしことは封じて書き記すな』といふを聞けり。 10:5かくて我が見しところの海と地とに跨り立てる御使は、天にむかひて右の手を擧げ、 10:6天および其の中に在るもの、地および其の中にあるもの、海および其の中にある物を造り給ひし、世々限りなく生きたまふ者を指し、誓ひて言ふ『この後、時は延ぶることなし。 10:7第七の御使の吹かんとするラッパの聲の出づる時に至りて、神の僕なる預言者たちに示し給ひし如く、その奧義は成就せらるべし』 10:8かくて我が前に天より聞きし聲のまた我に語りて『なんぢ往きて、海と地とに跨り立てる御使の手にある展きたる卷物を取れ』と言ふを聞けり。 10:9われ御使のもとに往きて、小き卷物を我に與へんことを請ひたれば、彼いふ『これを取りて食ひ盡せ、さらば汝の腹苦くならん、然れど其の口には蜜のごとく甘からん』 10:10われ御使の手より小き卷物をとりて食ひ盡したれば、口には蜜のごとく甘かりしが、食ひし後わが腹は苦くなれり。 10:11また或物われに言ふ『なんぢ再び多くの民・國・國語・王たちに就きて預言すべし』
第11章
11:1ここにわれ杖のごとき間竿を與へられたり、かくて或者いふ『立ちて神の聖所と香壇と其處に拜する者どもとを度れ、 11:2聖所の外の庭は差措きて度るな、これは異邦人に委ねられたり、彼らは四十二个月のあひだ聖なる都を蹂躙らん。 11:3我わが二人の證人に權を與へん、彼らは荒布を著て千二百六十日のあひだ預言すべし。 11:4彼らは地の主の御前に立てる二つのオリブの樹、二つの燈臺なり。 11:5もし彼らを害はんとする者あらば、火その口より出でてその敵を焚き盡さん。もし彼らを害はんとする者あらば、必ず斯くのごとく殺さるべし。 11:6彼らは預言するあひだ雨を降らせぬやうに天を閉づる權力あり、また水を血に變らせ、思ふままに幾度にても諸種の苦難をもて地を撃つ權力あり。 11:7彼等がその證を終へんとき、底なき所より上る獸ありて之と戰鬪をなし、勝ちて之を殺さん。 11:8その屍體は大なる都の衢に遺らん。この都を譬へてソドムと云ひ、エジプトの云ふ、即ち彼らの主もまた十字架に釘けられ給ひし所なり。 11:9もろもろの民・族・國語・國のもの、三日半の間その屍體を見、かつ其の屍體を墓に葬ることを許さざるべし。 11:10地に住む者どもは彼らに就きて喜び樂しみ互に禮物を贈らん、此の二人の預言者は地に住む者を苦しめたればなり』 11:11三日半ののち生命の息、神より出でて彼らに入り、かれら足にて起ちたれば、之を見るもの大に懼れたり。 11:12天より大なる聲して『ここに昇れ』と言ふを彼ら聞きたれば、雲に乘りて天に昇れり、その敵も之を見たり、 11:13このとき大なる地震ありて、都の十分の一は倒れ、地震のために死にしもの七千人にして、遺れる者は懼をいだき天の神に榮光を歸したり。
11:14第二の禍害すぎ去れり、視よ、第三の禍害すみやかに來るなり。
11:15第七の御使ラッパを吹きしに、天に數多の大なる聲ありて
『この世の國は我らの主および其のキリストの國となれり。彼は世々限りなく王たらん』
と言ふ。 11:16かくて神の前にて座位に坐する二十四人の長老ひれふし神を拜して言ふ、
11:17『今いまし、昔います主たる全能の神よ、なんぢの大なる能力を執りて王と成り給ひしことを感謝す。 11:18諸國の民怒をいだけり、なんぢの怒も亦いたれり、死にたる者を審き、なんぢの僕なる預言者および聖徒、また小なるも大なるも汝の名を畏るる者に報賞をあたへ、地を亡す者を亡したまふ時いたれり』
11:19斯くて天にある神の聖所ひらけ、聖所のうちに契約の櫃見え、數多の電光と聲と雷霆と、また地震と大なる雹とありき。
第12章
12:1また天に大なる徴見えたり。日を著たる女ありて、其の足の下に月あり、其の頭に十二の星の冠冕あり。 12:2かれは孕りをりしが、子を産まんとして産みの苦痛と惱とのために叫べり、 12:3また天に他の徴見えたり。視よ、大なる赤き龍あり、これに七つの頭と十の角とありて、頭には七つの冠冕あり。 12:4その尾は天の星の三分の一を引きて之を地に落せり。龍は子を産まんとする女の前に立ち、産むを待ちて其の子を食ひ盡さんと構へたり。 12:5女は男子を産めり、この子は鐵の杖もて諸種の國人を治めん。かれは神の許に、その御座の下に擧げられたり。 12:6女は荒野に逃げゆけり。彼處に千二百六十日の間かれが養はるる爲に神の備へ給へる所あり。
12:7かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、 12:8勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。 12:9かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。 12:10我また天に大なる聲ありて
『われらの神の救と能力と國と神のキリストの權威とは、今すでに來れり。我らの兄弟を訴へ夜晝われらの神の前に訴ふるもの落されたり。
12:11而して兄弟たちは羔羊の血と己が證の言とによりて勝ち、死に至るまで己が生命を惜まざりき。 12:12この故に天および天に住める者よ、よろこべ、地と海とは禍害なるかな、惡魔おのが時の暫時なるを知り、大なる憤恚をいだきて汝等のもとに下りたればなり』
と云ふを聞けり。
12:13かくて龍はおのが地に落されしを見て、男子を生みし女を責めたりしが、 12:14女は荒野なる己が處に飛ぶために、大なる鷲の兩の翼を與へられたれば、其處にいたり、一年、二年、また半年のあひだ蛇のまへを離れて養はれたり。 12:15蛇はその口より水を川のごとく、女の背後に吐きて之を流さんとしたれど、 12:16地は女を助け、その口を開きて龍の口より吐きたる川を呑み盡せり。 12:17龍は女を怒りてその裔の殘れるもの、即ち神の誡命を守りイエスの證を有てる者に、戰鬪を挑まんとて出でゆき、 12:18海邊の砂の上に立てり。
第13章
13:1我また一つの獸の海より上るを見たり。之に十の角と七つの頭とあり、その角に十の冠冕あり、頭の上には神を涜す名あり。 13:2わが見し獸は豹に似て、その足は熊のごとく、その口は獅子の口のごとし。龍はこれに己が能力と己が座位と大なる權威とを與へたり。 13:3我その頭の一つ傷つけられて死ぬばかりなるを見しが、その死ぬべき傷いやされたれば、全地の者これを怪しみて獸に從へり。 13:4また龍おのが權威を獸に與へしによりて、彼ら龍を拜し、且その獸を拜して言ふ『たれか此の獸に等しき者あらん、誰か之と戰ふことを得ん』 13:5獸また大言と涜言とを語る口を與へられ、四十二个月のあひだ働く權威を與へらる。 13:6彼は口をひらきて神を涜し、又その御名とその幕屋すなはち天に住む者どもとを涜し、 13:7また聖徒に戰鬪を挑みて、之に勝つことを許され、且もろもろの族・民・國語・國を掌どる權威を與へらる。 13:8凡て地に住む者にて、其の名を屠られ給ひし羔羊の生命の書に、世の創より記されざる者は、これを拜せん。 13:9人もし耳あらば聽くべし。 13:10虜にせらるべき者は虜にせられん、劍にて殺す者はおのれも劍にて殺さるべし、聖徒たちの忍耐と信仰とは茲にあり。
13:11我また他の獸の地より上るを見たり。これに羔羊のごとき角二つありて龍のごとく語り、 13:12先の獸の凡ての權威を彼の前にて行ひ、地と地に住む者とをして死ぬべき傷の醫されたる先の獸を拜せしむ。 13:13また大なる徴をおこなひ、人々の前にて火を天より地に降らせ、 13:14かの獸の前にて行ふことを許されし徴をもて地に住む者どもを惑し、劍にうたれてなほ生ける獸の像を造ることを地に住む者どもに命じたり。 13:15而してその獸の像に息を與へて物言はしめ、且その獸の像を拜せぬ者をことごとく殺さしむる事を許され、 13:16また凡ての人をして、大小・貧富・自主・奴隷の別なく、或はその右の手、あるいは其の額に徽章を受けしむ。 13:17この徽章を有たぬ凡ての者に賣買することを得ざらしめたり。その徽章は獸の名、もしくは其の名の數字なり。 13:18智慧は茲にあり、心ある者は獸の數字を算へよ。獸の數字は人の數字にして、その數字は六百六十六なり。
第14章
14:1われ見しに、視よ、羔羊シオンの山に立ちたまふ。十四萬四千の人これと偕に居り、その額には羔羊の名および羔羊の父の名記しあり。 14:2われ天よりの聲を聞けり、多くの水の音のごとく、大なる雷霆の聲のごとし。わが聞きし此の聲は彈琴者の立琴を彈く音のごとし。 14:3かれら新しき歌を御座の前および四つの活物と長老たちとの前にて歌ふ。この歌は地より贖はれたる十四萬四千人の他は誰も學びうる者なかりき。 14:4彼らは女に汚されぬ者なり、潔き者なり、何處にまれ羔羊の往き給ふところに隨ふ。彼らは人の中より贖はれて神と羔羊とのために初穗となれり。 14:5その口に虚僞なし、彼らは瑕なき者なり。
14:6我また他の御使の中空を飛ぶを見たり。かれは地に住むもの、即ちもろもろの國・族・國語・民に宣傳へんとて、永遠の福音を携へ、 14:7大聲にて言ふ『なんぢら神を畏れ、神に榮光を歸せよ。その審判のとき既に至りたればなり。汝ら天と地と海と水の源泉とを造り給ひし者を拜せよ』
14:8ほかの第二の御使、かれに從ひて言ふ『倒れたり、倒れたり。大なるバビロン、己が淫行より出づる憤恚の葡萄酒をもろもろの國人に飮ませし者』
14:9ほかの第三の御使、かれらに從ひ大聲にて言ふ『もし獸とその像とを拜し、且その額あるいは手に徽章を受くる者あらば、 14:10必ず神の怒の酒杯に盛りたる混りなき憤恚の葡萄酒を飮み、かつ聖なる御使たち及び羔羊の前にて、火と硫黄とにて苦しめらるべし。 14:11その苦痛の煙は世々限りなく立ち昇りて、獸とその像とを拜する者、また其の名の徽章を受けし者は、夜も晝も休息を得ざらん。 14:12神の誡命とイエスを信ずる信仰とを守る聖徒の忍耐は茲にあり』
14:13我また天より聲ありて『書き記せ「今よりのち主にありて死ぬる死人は幸福なり」御靈も言ひたまふ「然り、彼等はその勞役を止めて息まん。その業これに隨ふなり」』と言ふを聞けり。
14:14また見しに、視よ、白き雲あり、その雲の上に人の子の如きもの坐して、首には金の冠冕をいただき、手には利き鎌を持ちたまふ。 14:15又ほかの御使、聖所より出で、雲のうへに坐したまふ者にむかひ、大聲に呼はりて『なんぢの鎌を入れて刈れ、地の穀物は全く熟し、既に刈り取るべき時至ればなり』と言ふ。 14:16かくて雲の上に坐したまふ者その鎌を地に入れたれば、地の穀物は刈り取られたり。
14:17又ほかの御使、天の聖所より出で、同じく利き鎌を持てり。 14:18又ほかの火を掌どる御使、祭壇より出で、利き鎌を持つ者にむかひ大聲に呼はりて『なんぢの利き鎌を入れて地の葡萄の樹の房を刈り收めよ、葡萄は既に熟したり』と言ふ。 14:19御使その鎌を地に入れて地の葡萄を刈りをさめ、神の憤恚の大なる酒槽に投げ入れたり。 14:20かくて都の外にて酒槽を踐みしに、血酒槽より流れ出でて馬の轡に達くほどになり、一千六百町に廣がれり。
第15章
15:1我また天に他の大なる怪しむべき徴を見たり。即ち七人の御使ありて最後の七つの苦難を持てり、神の憤恚は之にて全うせらるるなり。
15:2我また火の混りたる玻璃の海を見しに、獸とその像とその名の數字とに勝ちたる者ども、神の立琴を持ちて玻璃の海の邊に立てり。 15:3彼ら神の僕モーセの歌と羔羊の歌とを歌ひて言ふ
『主なる全能の神よ、なんぢの御業は大なるかな、妙なるかな、萬國の王よ、なんぢの道は義なるかな、眞なるかな。 15:4主よ、たれか汝を畏れざる、誰か御名を尊ばざる、汝のみ聖なり、諸種の國人きたりて御前に拜せん。なんぢの審判は既に現れたればなり』
15:5この後われ見しに、天にある證の幕屋の聖所ひらけて、 15:6かの七つの苦難を持てる七人の御使、きよき輝ける亞麻布を著、金の帶を胸に束ねて聖所より出づ。 15:7四つの活物の一つ、その七人の御使に、世々限りなく生きたまふ神の憤恚の滿ちたる七つの金の鉢を與へしかば、 15:8聖所は神の榮光とその權力とより出づる煙にて滿ち、七人の御使の七つの苦難の終るまでは、誰も聖所に入ること能はざりき。
第16章
16:1我また聖所より大なる聲ありて、七人の御使に『往きて神の憤恚の七つの鉢を地の上に傾けよ』と言ふを聞けり。
16:2かくて第一の者ゆきて其の鉢を地の上に傾けたれば、獸の徽章を有てる人々とその像を拜する人々との身に、惡しき苦しき腫物生じたり。
16:3第二の者その鉢を海の上に傾けたれば、海は死人の血の如くなりて、海にある生物ことごとく死にたり。
16:4第三の者その鉢をもろもろの河と、もろもろの水の源泉との上に傾けたれば、みな血となれり。 16:5われ水を掌どる御使の『いま在し昔います聖なる者よ、なんぢの斯く定め給ひしは正しき事なり。 16:6彼らは聖徒と預言者との血を流したれば、之に血を飮ませ給ひしは相應しきなり』と云へるを聞けり。 16:7我また祭壇の物言ふを聞けり『然り、主なる全能の神よ、なんぢの審判は眞なるかな、義なるかな』と。
16:8第四の者その鉢を太陽の上に傾けたれば、太陽は火をもて人を燒くことを許さる。 16:9かくて人々烈しき熱に燒かれて、此等の苦難を掌どる權威を有たちまふ神の名を涜し、かつ悔改めずして神に榮光を歸せざりき。
16:10第五の者その鉢を獸の座位の上に傾けたれば、獸の國暗くなり、その國人痛によりて己の舌を齧み、 16:11その痛と腫物とによりて天の神を涜し、かつ己が行爲を悔改めざりき。
16:12第六の者その鉢を大なる河ユウフラテの上に傾けたれば、河の水涸れたり。これ日の出づる方より來る王たちの途を備へん爲なり。 16:13我また龍の口より、獸の口より、僞預言者の口より、蛙のごとき三つの穢れし靈の出づるを見たり。 16:14これは徴をおこなふ惡鬼の靈にして、全能の神の大なる日の戰鬪のために全世界の王たちを集めんとて、その許に出でゆくなり。 16:15(視よ、われ盜人のごとく來らん、裸にて歩み羞所を見らるることなからん爲に、目を覺してその衣を守る者は幸福なり) 16:16かの三つの靈、王たちをヘブル語にてハルマゲドンと稱ふる處に集めたり。
16:17第七の者その鉢を空中に傾けたれば、聖所より御座より大なる聲いでて『事すでに成れり』と言ふ。 16:18かくて數多の電光と聲と雷霆とあり、また大なる地震おこれり、人の地の上に在りし以來かかる大なる地震なかりき。 16:19大なる都は三つに裂かれ、諸國の町々は倒れ、大なるバビロンは神の前におもひ出されて、劇しき御怒の葡萄酒を盛りたる酒杯を與へられたり。 16:20凡ての島は逃げさり、山は見えずなれり。 16:21また天より百斤ほどの大なる雹、人々の上に降りしかば、人々雹の苦難によりて神を涜せり。是その苦難甚だしく大なればなり。
第17章
17:1七つの鉢を持てる七人の御使の一人きたり、我に語りて言ふ『來れ、われ多くの水の上に坐する大淫婦の審判を汝に示さん。 17:2地の王たちは之と淫をおこなひ、地に住む者らは其の淫行の葡萄酒に醉ひたり』 17:3かくてわれ御靈に感じ、御使に携へられて荒野にゆき、緋色の獸に乘れる女を見たり、この獸の體は神を涜す名にて覆はれ、また七つの頭と十の角とあり。 17:4女は紫色と緋とを著、金・寶石・眞珠にて身を飾り、手には憎むべきものと己が淫行の汚とにて滿ちたる金の酒杯を持ち、 17:5額には記されたる名あり。曰く『奧義大なるバビロン、地の淫婦らと憎むべき者との母』 17:6我この女を見るに、聖徒の血とイエスの證人の血とに醉ひたり。我これを見て大に怪しみたれば、 17:7御使われに言ふ『なにゆゑ怪しむか、我この女と之を乘せたる七つの頭、十の角ある獸との奧義を汝に告げん。 17:8なんぢの見し獸は前に有りしも今あらず、後に底なき所より上りて滅亡に往かん、地に住む者にて世の創より其の名を生命の書に記されざる者は、獸の前にありて今あらず、後に來るを見て怪しまん。 17:9智慧の心は茲にあり。七つの頭は女の坐する七つの山なり、また七人の王なり。 17:10五人は既に倒れて一人は今あり、他の一人は未だ來らず、來らば暫時のほど止るべきなり。 17:11前にありて今あらぬ獸は第八なり、前の七人より出でたる者にして滅亡に往くなり。 17:12汝の見し十の角は十人の王にして未だ國を受けざれども、一時のあひだ獸と共に王のごとき權威を受くべし。 17:13彼らは心を一つにして己が能力と權威とを獸にあたふ。 17:14彼らは羔羊と戰はん。而して羔羊かれらに勝ち給ふべし、彼は主の主、王の王なればなり。これと偕なる召されたるもの、選ばれたるもの、忠實なる者も勝を得べし』 17:15御使また我に言ふ『なんぢの見し水、すなわち淫婦の坐する處は、もろもろの民・群衆・國・國語なり。 17:16なんぢの見し十の角と獸とは、かの淫婦を憎み、之をして荒涼ばしめ、裸ならしめ、且その肉を喰ひ、火をもて之を燒き盡さん。 17:17神は彼らに御旨を行ふことと、心を一つにすることと、神の御言の成就するまで國を獸に與ふることとを思はしめ給ひたればなり。 17:18なんぢの見し女は地の王たちを宰どる大なる都なり』
第18章
18:1この後また他の一人の御使の大なる權威を有ちて天より降るを見しに、地はその榮光によりて照されたり。 18:2かれ強き聲にて呼はりて言ふ『大なるバビロンは倒れたり、倒れたり、かつ惡魔の住家、もろもろの穢れたる靈の檻、もろもろの穢れたる憎むべき鳥の檻となれり。 18:3もろもろの國人はその淫行の憤恚の葡萄酒を飮み、地の王たちは彼と淫をおこなひ、地の商人らは彼の奢の勢力によりて富みたればなり』
18:4また天より他の聲あるを聞けり。曰く『わが民よ、かれの罪に干らず、彼の苦難を共に受けざらんため、その中を出でよ。 18:5かれの罪は積りて天にいたり、神その不義を憶え給ひたればなり。 18:6彼が爲しし如く彼に爲し、その行爲に應じ倍して之を報い、かれが酌み與へし酒杯に倍して之に酌み與へよ。 18:7かれが自ら尊びみづから奢りしと同じほどの苦難と悲歎とを之に與へよ。彼は心のうちに「われは女王の位に坐する者にして寡婦にあらず、決して悲歎を見ざるべし」と言ふ。 18:8この故に、さまざまの苦難、一日のうちに彼の身にきたらん、即ち死と悲歎と饑饉となり。彼また火にて燒き盡されん、彼を審きたまふ主なる神は強ければなり。 18:9彼と淫をおこなひ、彼とともに奢りたる地の王たちは、其の燒かるる煙を見て泣きかつ歎き、 18:10その苦難を懼れ、遙に立ちて「禍害なるかな、禍害なるかな、大なる都、堅固なる都バビロンよ、汝の審判は時の間に來れり」と言はん。 18:11地の商人かれが爲に泣き悲しまん。今より後その商品を買ふ者なければなり。 18:12その商品は金・銀・寶石・眞珠・細布・紫色・絹・緋色および各樣の香木、また象牙のさまざまの器、價貴き木、眞鍮・鐵・蝋石などの各樣の器、 18:13また肉桂・香料・香・香油・乳香・葡萄酒・オリブ油・麥粉・麥・牛・羊・馬・車・奴隷および人の靈魂なり。 18:14なんぢの靈魂の嗜みたる果物は汝を去り、すべての美味、華美なる物は亡びて汝を離れん、今より後これを見ること無かるべし。 18:15これらの物を商ひ、バビロンに由りて富を得たる商人らは、其の苦難を懼れて遙に立ち、泣き悲しみて言はん、 18:16「禍害なるかな、禍害なるかな、細布と紫色と緋とを著、金・寶石・眞珠をもて身を飾りたる大なる都、 18:17斯ばかり大なる富の時の間に荒涼ばんとは」而して凡ての船長、すべて海をわたる人々、舟子および海によりて生活を爲すもの遙かに立ち、 18:18バビロンの燒かるる煙を見て叫び「いづれの都か、この大なる都に比ぶべき」と言はん。 18:19彼等また塵をおのが首に被りて泣き悲しみ叫びて「禍害なるかな、禍害なるかな、此の大なる都、その奢によりて海に船を有てる人々の富を得たる都、かく時の間に荒涼ばんとは」と言はん。 18:20天よ、聖徒・使徒・預言者よ、この都につきて喜べ、神なんぢらの爲に之を審き給ひたればなり』
18:21ここに一人の強き御使、大なる碾臼のごとき石を擡げ海に投げて言ふ『おほいなる都バビロンは斯くのごとく烈しく撃ち倒されて、今より後見えざるべし。 18:22今よりのち立琴を彈くもの、樂を奏するもの、笛を吹く者、ラッパを鳴す者の聲なんぢの中に聞えず、今より後さまざまの細工をなす細工人なんぢの中に見えず、碾臼の音なんぢの中に聞えず、 18:23今よりのち燈火の光なんぢの中に輝かず、今よりのち新郎・新婦の聲なんぢの中に聞えざるべし。そは汝の商人は地の大臣となり、諸種の國人はなんぢの咒術に惑され、 18:24また預言者・聖徒および凡て地の上に殺されし者の血は、この都の中に見出されたればなり』
第19章
19:1この後われ天に大なる群衆の大聲のごとき者ありて、かく言ふを聞けり。曰く
『ハレルヤ、救と榮光と權力とは、我らの神のものなり。 19:2その御審は眞にして義なるなり、己が淫行をもて地を汚したる大淫婦を審き、神の僕らの血の復讐を彼になし給ひしなり』
19:3また再び言ふ『ハレルヤ、彼の燒かるる煙は世々限りなく立ち昇るなり』 19:4ここに二十四人の長老と四つの活物と平伏して御座に坐したまふ神を拜し『アァメン、ハレルヤ』と言へり。 19:5また御座より聲出でて言ふ
『すべて神の僕たるもの、神を畏るる者よ、小なるも大なるも、我らの神を讃め奉れ』
19:6われ大なる群衆の聲おほくの水の音のごとく、烈しき雷霆の聲の如きものを聞けり。曰く
『ハレルヤ全能の主、われらの神は統治らすなり。 19:7われら喜び樂しみて之に榮光を歸し奉らん。そは羔羊の婚姻の時いたり、既にその新婦みづから準備したればなり。 19:8彼は輝ける潔き細布を著ることを許されたり、此の細布は聖徒たちの正しき行爲なり』
19:9御使また我に言ふ『なんぢ書き記せ、羔羊の婚姻の宴席に招かれたる者は幸福なり』と。また我に言ふ『これ神の眞の言なり』 19:10我その足下に平伏して拜せんとしたれば、彼われに言ふ『愼みて然すな、我は汝およびイエスの證を保つ汝の兄弟とともに僕たるなり。なんぢ神を拜せよ、イエスの證は即ち預言の靈なり』
19:11我また天の開けたるを見しに、視よ、白き馬あり、之に乘りたまふ者は「忠實また眞」と稱へられ、義をもて審きかつ戰ひたまふ。 19:12彼の目は焔のごとく、その頭には多くの冠冕あり、また記せる名あり、之を知る者は彼の他になし。 19:13彼は血に染みたる衣を纏へり、その名は「神の言」と稱ふ。 19:14天に在る軍勢は白く潔き細布を著、白き馬に乘りて彼にしたがふ。 19:15彼の口より利き劍いづ、之をもて諸國の民をうち、鐵の杖をもて之を治め給はん。また自ら全能の神の烈しき怒の酒槽を踐みたまふ。 19:16その衣と股とに『王の王、主の主』と記せる名あり。
19:17我また一人の御使の太陽のなかに立てるを見たり。大聲に呼はりて、中空を飛ぶ凡ての鳥に言ふ『いざ、神の大なる宴席に集ひきたりて、 19:18王たちの肉、將校の肉、強き者の肉、馬と之に乘る者との肉、すべての自主および奴隷、小なるもの大なる者の肉を食へ』
19:19我また獸と地の王たちと彼らの軍勢とが相集りて、馬に乘りたまふ者および其の軍勢に對ひて戰鬪を挑むを見たり。 19:20かくて獸は捕へられ、又その前に不思議を行ひて獸の徽章を受けたる者と、その像を拜する者とを惑したる僞預言者も、之とともに捕へられ、二つながら生きたるまま硫黄の燃ゆる火の池に投げ入れられたり。 19:21その他の者は馬に乘りたまふ者の口より出づる劍にて殺され、凡ての鳥その肉を食ひて飽きたり。
第20章
20:1我また一人の御使の底なき所の鍵と大なる鎖とを手に持ちて、天より降るを見たり。 20:2彼は龍、すなわち惡魔たりサタンたる古き蛇を捕へて、之を千年のあひだ繋ぎおき、 20:3底なき所に投げ入れ閉ぢ込めて、その上に封印し、千年の終るまでは諸國の民を惑すことなからしむ。その後、暫時のあひだ解放さるべし。
20:4我また多くの座位を見しに、之に座する者あり、審判する權威を與へられたり。我またイエスの證および神の御言のために馘られし者の靈魂、また獸をもその像をも拜せず、己が額あるいは手にその徽章を受けざりし者どもを見たり。彼らは生きかへりて千年の間キリストと共に王となれり。 20:5(その他の死人は千年の終るまで生きかへらざりき)これは第一の復活なり。 20:6幸福なるかな、聖なるかな、第一の復活に干る人。この人々に對して第二の死は權威を有たず、彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年のあひだ王たるべし。
20:7千年終りて後サタンは其の檻より解放たれ、 20:8出でて地の四方の國の民、ゴグとマゴグとを惑し戰鬪のために之を集めん、その數は海の砂のごとし。 20:9かくて彼らは地の全面に上りて、聖徒たちの陣營と愛せられたる都とを圍みしが、天より火くだりて彼等を燒き盡し、 20:10彼らを惑したる惡魔は、火と硫黄との池に投げ入れられたり。ここは獸も僞預言者もまた居る所にして、彼らは世々限りなく晝も夜も苦しめらるべし。
20:11我また大なる白き御座および之に座し給ふものを見たり。天も地もその御顏の前を遁れて跡だに見えずなりき。 20:12我また死にたる者の大なるも小なるも御座の前に立てるを見たり。而して數々の書展かれ、他にまた一つの書ありて展かる、即ち生命の書なり、死人は此等の書に記されたる所の、その行爲に隨ひて審かれたり。 20:13海はその中にある死人を出し、死も陰府もその中にある死人を出したれば、各自その行爲に隨ひて審かれたり。 20:14かくて死も陰府も火の池に投げ入れられたり、此の火の池は第二の死なり。 20:15すべて生命の書に記されぬ者はみな火の池に投げ入れられたり。
第21章
21:1我また新しき天と新しき地とを見たり。これ前の天と前の地とは過ぎ去り、海も亦なきなり。 21:2我また聖なる都、新しきエルサレムの、夫のために飾りたる新婦のごとく準備して、神の許をいで、天より降るを見たり。 21:3また大なる聲の御座より出づるを聞けり。曰く『視よ、神の幕屋、人と偕にあり、神、人と偕に住み、人、神の民となり、神みづから人と偕に在して、 21:4かれらの目の涙をことごとく拭ひ去り給はん。今よりのち死もなく、悲歎も號叫も苦痛もなかるべし。前のもの既に過ぎ去りたればなり』 21:5かくて御座に坐し給ふもの言ひたまふ『視よ、われ一切のものを新にするなり』また言ひたまふ『書き記せ、これらの言は信ずべきなり、眞なり』 21:6また我に言ひたまふ『事すでに成れり、我はアルパなり、オメガなり、始なり、終なり、渇く者には價なくして生命の水の泉より飮むことを許さん。 21:7勝を得る者は此等のものを嗣がん、我はその神となり、彼は我が子とならん。 21:8されど臆するもの、信ぜぬもの、憎むべきもの、人を殺すもの、淫行のもの、咒術をなすもの、偶像を拜する者および凡て僞る者は、火と硫黄との燃ゆる池にて其の報を受くべし、これ第二の死なり』
21:9最後の七つの苦難の滿ちたる七つの鉢を持てる七人の御使の一人きたり、我に語りて言ふ『來れ、われ羔羊の妻なる新婦を汝に見せん』 21:10御使、御靈に感じたる我を携へて大なる高き山にゆき、聖なる都エルサレムの、神の榮光をもて神の許を出でて天より降るを見せたり。 21:11その都の光輝はいと貴き玉のごとく、透徹る碧玉のごとし。 21:12此處に大なる高き石垣ありて十二の門あり、門の側らに一人づつ十二の御使あり、門の上に一つづつイスラエルの子孫の十二の族の名を記せり。 21:13東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門あり。 21:14都の石垣には十二の基あり、これに羔羊の十二の使徒の十二の名を記せり。 21:15我と語る者は都と門と石垣とを測らん爲に金の間竿を持てり。 21:16都は方形にして、その長さ廣さ相均し。彼は間竿にて都を測りしに一千二百町あり、長さ廣さ高さみな相均し。 21:17また石垣を測りしに、人の度すなはち御使の度に據れば百四十四尺あり。 21:18石垣は碧玉にて築き、都は清らかなる玻璃のごとき純金にて造れり。 21:19都の石垣の基はさまざまの寶石にて飾れり。第一の基は碧玉、第二は瑠璃、第三は玉髓、第四は緑玉、 21:20第五は紅縞瑪瑙、第六は赤瑪瑙、第七は貴橄欖石、第八は緑柱石、第九は黄玉石、第十は緑玉髓、第十一は青玉、第十二は紫水晶なり。 21:21十二の門は十二の眞珠なり、おのおのの門は一つの眞珠より成り、都の大路は透徹る玻璃のごとき純金なり。 21:22われ都の内にて宮を見ざりき、主なる全能の神および羔羊はその宮なり。 21:23都は日月の照すを要せず、神の榮光これを照し、羔羊はその燈火なり。 21:24諸國の民は都の光のなかを歩み、地の王たちは己が光榮を此處にたづさへきたる。 21:25都の門は終日閉ぢず(此處に夜あることなし) 21:26人々は諸國の民の光榮と尊貴とを此處にたづさえ來らん。 21:27凡て穢れたる者また憎むべき事と虚僞とを行ふ者は、此處に入らず、羔羊の生命の書に記されたる者のみ此處に入るなり。
第22章
22:1御使また水晶のごとく透徹れる生命の水の河を我に見せたり。この河は神と羔羊との御座より出でて都の大路の眞中を流る。 22:2河の左右に生命の樹ありて十二種の實を結び、その實は月毎に生じ、その樹の葉は諸國の民を醫すなり。 22:3今よりのち詛はるべき者は一つもなかるべし。神と羔羊との御座は都の中にあり。その僕らは之に事へ、 22:4且その御顏を見ん、その御名は彼らの額にあるべし。 22:5今よりのち夜ある事なし、燈火の光をも日の光をも要せず、主なる神かれらを照し給へばなり。彼らは世々限りなく王たるべし。
22:6彼また我に言ふ『これらの言は信ずべきなり、眞なり、預言者たちの靈魂の神たる主は、速かに起るべき事をその僕どもに示さんとて、御使を遣し給へるなり。 22:7視よ、われ速かに到らん、この書の預言の言を守る者は幸福なり』
22:8これらの事を聞き、かつ見し者は我ヨハネなり。かくて見聞せしとき我これらの事を示したる御使の足下に平伏して拜せんとせしに、 22:9かれ言ふ『つつしみて然すな、われは汝および汝の兄弟たる預言者、また此の書の言を守る者と等しく僕たるなり、なんじ神を拜せよ』
22:10また我に言ふ『この書の預言の言を封ずな、時近ければなり。 22:11不義をなす者はいよいよ不義をなし不淨なる者はいよいよ不淨をなし、義なる者はいよいよ義をおこなひ、清き者はいよいよ清くすべし。 22:12視よ、われ報をもて速かに到らん、各人の行爲に隨ひて之を與ふべし。 22:13我はアルパなり、オメガなり、最先なり、最後なり、始なり、終なり、 22:14おのが衣を洗ふ者は幸福なり、彼らは生命の樹にゆく權威を與へられ、門を通りて都に入ることを得るなり。 22:15犬および咒術をなすもの、淫行のもの、人を殺すもの、偶像を拜する者、また凡て虚僞を愛して之を行ふ者は外にあり。
22:16われイエスは我が使を遣して諸教會のために此等のことを汝らに證せり。我はダビデの萠蘗また其の裔なり、輝ける曙の明星なり』
22:17御靈も新婦もいふ『來りたまへ』聞く者も言へ『きたり給へ』と、渇く者はきたれ、望む者は價なくして生命の水を受けよ。
22:18われ凡てこの書の預言の言を聞く者に證す。もし之に加ふる者あらば、神はこの書に記されたる苦難を彼に加へ給はん。 22:19若しこの預言の書の言を省く者あらば、神はこの書に記されたる生命の樹、また聖なる都より彼の受くべき分を省き給はん。
22:20これらの事を證する者いひ給ふ『然り、われ速かに到らん』アァメン、主イエスよ、來りたまへ。
22:21願はくは主イエスの恩惠なんぢら凡ての者と偕に在らんことを。
http://bible.salterrae.net/taisho/html/revelation.html
http://bible.salterrae.net/taisho/html/
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2024/08/05 (Mon) 08:00:31
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因みに、難解と言われるヨハネの黙示録の意味は C・G・ユングが『ヨブへの答え』で解明しています。
ヨハネの黙示録はヨハネの実際に体験した白昼夢(幻視)をそのまま正確に文章化したものなので、深層心理学の専門家でないとその意味はわからないのですね。
ヨハネの黙示録は周囲から聖者とされている禁欲者のルサンチマンを表現しているというのがユングの解釈です。
マザー・テレサが典型ですが、ずっと聖者でいる事を強いられると性格が悪くなるのですね:
C.G.ユングの『ヨブへの答え』(原書1952)は非常に面白い。
邦訳は二種類(野村美紀子訳/ヨルダン社、林道義訳/みすず書房)。
ユングは、神を「集合的無意識」として、すなわち、ある時代の民衆の心の無意識的な働きの対象として捉える。
神は物理的事実としては存在しないが、心理的事実としては、十分に実在的である。つまり、神を一種の社会心理学的対象と見るわけである。すると、「神」は決して不変の対象ではなく、歴史的に変容する心理的事実の問題になる。
そのように見た場合、『ヨブ記』は、ユダヤ-キリスト教における神概念の転換を予告する決定的な位置にある。つまり、無意識のレベルに根ざす荒々しい怒りの神であったヤハウェ神は、人間の意識が高まるにつれて、普遍的な愛の神であるキリスト教の神に変容を余儀なくされる。
その転換点を象徴するのが『ヨブ記』におけるヨブとヤハウェの対決であり、『ヨブ記』は、ヤハウェがヨブを力ずくで屈服させたように見えるけれど、実際は、ヤハウェはヨブに敗北したというのがユングの見解である。ユングは言う、「ヨブはヤハウェより道徳的に上に立った。この点では、被造物が創造主を追い越したのである」(みすず版、p68)。
「被造物が創造主を追い越す」などということが、なぜ起きたのであろうか。
ヤハウェは世界の宗教でも珍しい、「無から世界を創造した」神である。これほどの神であれば、その全能の力と知恵は絶大だと思われるかもしれないが、ユングによれば、そうではない。
「世界創造主が意識的な存在であるという素朴な仮定はゆゆしい偏見と言わざるをえない。なぜならその仮定は後に信じがたいほどの論理的な矛盾を生み出したからである。
・・・それに対して神が無意識であり無反省であると仮定すれば、神の行為を道徳的判断の対象とせず、善なる面と恐ろしい面とを矛盾とは見ない見方が可能になる」(p38)。
これはなかなか面白い指摘だ。「無からの創造」を行ったヤハウェは、我々の予想とは違って、無意識で、無反省で、知恵を欠いた神なのである。
ユングによれば、『旧約』におけるヤハウェの「予想もつかない気紛れや破壊的な怒りの発作は昔から有名であった。彼は嫉妬深い道徳の番人として知られ、・・・彼の独特の人格は古代の王にそっくりで・・・、人間の不実な心と密かな思いとを不信の目で探り出そうとする」(p18)。
たしかに疑い深いヤハウェは、サタンにヨブを「試させ」た。精神分析家としてのユングの判定によれば、
「このようなヤハウェの性格を判断すると、それは客体によってしか自分の存在感をもてない人格に相当することが分かる。主体が自己反省せず、したがって自分自身への洞察を持たないときには、客体への依存は絶対である」(p21)。
「無からの創造」を行った神は、それが取り柄だとすれば、「客体によってしか自分の存在感をもてない」神であるともいえる。
ヨブの前に現れたヤハウェは、自分が創造した客体をいちいち列挙して創造主であることを自慢することしかできなかったが、これによってヤハウェは、自分が「客体によってしか自分の存在感をもてない」人格であることを証明してしまった。
圧倒的に強い力を持つ創造主ヤハウェも、反省的意識を欠いている点で、大きな弱点をもっている。それを明らかにしたのが、弱い人間であるヨブである。
なぜ被造物ヨブが、創造主ヤハウェを追い越すことができたのか。それはヤハウェにない自己反省の意識をヨブが持つからである。
「力ある者に対して小さく弱く頼りないために、人間は、すでに示唆したように、自己反省に基づいて意識がその者よりは少しばかり鋭くなっている。つまり人間は生きていくためには、乱暴な神に対する自らの無力をつねに意識していなければならない。神の方はこうした用心を必要としない。神は自分が障害に出会うことがないからである。」(p26)
では、『ヨブ記』で「被造物に追い越された」創造主ヤハウェは、そのまま敗退したのだろうか。
そうではない。人間に追い越された神は、反省して、「人間にならなければならない」と考えた。つまり「神が人間になる」というイエスの誕生である。
ユングは、『ヨブ記』から『新約』までの数百年間に位置する、『ソロモンの箴言』『シラクの息子イエスの知恵』『エノク書』などの文書を通じて、「神の息子イエス」の先駆的形態が生まれつつあることに注目する。
「神の息子」が生まれるためには、「母」がいなくてはならない。男性神ヤハウェだけでは、「神が人間になる」ことはできない。ヤハウェに子が生まれるためには、女性性が準備されなくてはならないが、『ソロモンの箴言』に登場する「ソフィア(=知恵)」という女性名こそ、実はヤハウェの妻であるべき女性性の神話的形象であるというのが、ユングの説である。
だが、男性性が過剰であったヤハウェ神をもとにしたユダヤ―キリスト教には、実際にはヤハウェの妻が登場することはできなかった。それを代償するのが、「イエスの母である人間マリア」であるが、マリアは「聖母マリア」でもある。ユングによれば、1950年にローマ法王が出した「マリア被昇天」の教義によって、父なる神の妻がついに天上にその位置を占めたという。
『ヨブ記』に始まった神の変容は、2500年かけて完成した。
また、無意識の神ヤハウェがキリスト教の愛の神に変容したあとも、無意識そのものはなくならないので、そのような無意識における荒々しい暗黒の神が噴出したのが、『ヨハネの黙示録』であるとする。
このあたりのユング説は、あまりに面白すぎるので、慎重な吟味が必要かもしれない。
http://d.hatena.ne.jp/charis/20060823
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9:777
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2024/08/05 (Mon) 08:00:51
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欧米のキリスト教徒全員の行動指針となっているヨハネの默示録
マクス・ウェーバーによると、宗教改革の際に魂の救済は神が予め定めているとする教えが広がった。善行は無駄だということでもある。
キリスト教世界で最も影響力を持っている文書はヨハネの黙示録だと言われている。しかも原著者でなく、後に加筆した人物の記述。
田川健三によると、その加筆した人物は狂信的なユダヤ民族主義者で、ユダヤ民族以外はすべて殺しつくさるべしと繰り返し、世界中の異邦人が滅ぼしつくされ、殺しつくされ、ユダヤ人、あるいはユダヤ主義キリスト信者のみ救われることを願っている。
(田川健三訳著『新約聖書 訳と註 第七巻』作品社、2017年)
実際、キリスト教の影響下にある欧米諸国は侵略、破壊、殺戮、略奪を繰り返してきた。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904040000/
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回心者ブッシュの演説に聞き入る「十字軍」兵士達
アメリカには「ポーン・アゲン」を なのり、そう呼ばれる人びとがいる。 人生の道半ばで、神に、キリストに、聖書に出会い、キリスト教徒として新しく生まれ変わった人びとであ る。改宗ではなくて、回心と再生を誓う、プロテスタント教会のなかの行動的な一派である。
◆40歳にして「回心再生」
ブッシュニ世はボーン・アゲンのひ とりになった。飲酒にふけって、安易な生活を送っていたのが、名高い伝道師の説教を聞いてからは、四十歳にして酒を断ち、回心再生の人となった。
朝は祈りと聖書の読誦にはじまり、閣議も祈りではじまる。
演説には聖書のことばがちりばめられている。
「アメリカに昧方しないやつは敵だ」というブッシュニ世の人物を特色づける発言も聖書からでている。
「わたしの側に立たない者はわたしに逆らう者、わたしと共に集めない者は散らす者である」
神仏の信仰を問わず、ボーン・アゲンの宗教体験をもつ人びとのおおくは、個人の内面の間題として回心をうけとめている。
ところが、アメリカの 「生まれ変わり」は異様に猛烈である。かれらは公の場で回心の体験を声高 に語って、人間は罪を負って生まれた存在であるから回心しなさい、改俊しなさいと、説得と折伏の活動に訴えることを神に奉仕する使命と信じている。
その特徴は徹底した二元論である。人間は神に選ばれて救われる者と、救われない者に分かれている。回心者に は永遠の平和、福音に耳ふさぐ者は悪魔の子で永遠の地獄が待っている。
善と悪、神と悪魔、味方と敵、白と黒、光と闇が現世を二分して戦っているという論理を用いて、迷える小羊に選択をせまるのである。
原理主義(ファンダメンタリズム) はイスラムの 「専売」のように思われているが、この 言葉と運動は はじめて一九二〇年代アメ リカの白人プロテスタントの環境からうまれた。
ボーン・アゲンは原理主義の三つの 教条を継承している。
聖書に書かれてあることはすべて神の言葉であって、解釈や考証はゆるされない。
人間は神によってつくられた被造物で、サルから進化したなどという「妄説」はゆるされない。
やがてキリストがこの世に再臨して至福の千年 が始まるから、神への奉仕にいそしまなければならない。
◆悪魔うけいれる土壌
最近のギャラップ世論調査による と、アメリカ人の48%は神が人間をつ くったと信じ、28%が進化論に傾いている。そして、悪魔の存在を68%が信 じている。
テロリズムも「九・一一」の悲劇も、バグダッドに巣食う悪魔の仕業だ という圧倒的な政治宣伝がたやすくう けいれられる精神的土壌がそろっている。 プロテスタント教会の少数派であっ たボーン・アゲン原理主義と、帝国を夢みる新保守覇権主義の二つの特殊な 潮流と人脈が、アメリカ政治の中枢を乗とってしまった。
神の下なる道義の国アメリカの指揮 官ブッシュニ世は、「万軍の王の王、主の主」(ヨハネ黙示録)として、神の御業を実践する十字軍に立つのであ る。
しかし、利得の追求を宗教的熱狂で紛飾した十字軍は、中東のみならず、 世界の現状にひそむ限りない複雑さと、そして、人間の惨害を無視して強行されるのだから、前途には、とほうもない魔の陥弊が待っている。
現在の狂ったアメリカ人の精神構造を探るには、アメリカを覆っているキリスト教原理主義的教義が分からないと理解できない。
回心再生と言ったって何のことか分からない。
回心再生して神に仕え、そうでない福音に耳を塞ぐ者たちを、悪魔の子として永遠の地獄に突き落とすことが、彼らの使命なのだ。
このようなキリスト教原理主義の教義が分かっていれば、ラムズフェルドの冷酷さも理解できる。
彼はアフガニスタンの戦場における、タリバン兵の捕虜達をクンドゥスに集め、爆撃して皆殺しにした。悪魔の子として地獄に突き落としたわけだ。
彼らにとっては異教徒は人間とはみなさないのだ。
http://www.asyura2.com/0304/bd25/msg/114.html
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2024/08/05 (Mon) 08:01:27
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ドストエーフスキイ全作品を読む会 『読書会通信』No.164(2017)
チホンvsスタヴローギン 二つの疑問 下原 康子
http://dokushokai.shimohara.net/meddost/akuryoumeta.html
ドストエフスキーの『悪霊』(1871)の「スタヴローギンの告白-チホンのもとで」の章はそれこそ様々な議論の的になっているが、ここでは、チホンとスタヴローギンの会話の中で、私自身、気になった二箇所について想像を交えて触れてみたい。
1.トルストイへのオマージュ?
気づまりな雰囲気で始まったばかりの二人の会話を、スタヴローギンが唐突に打ち切って、(壁に貼られていたと思われる)地図について訊ねる場面がある。
「ふむ・・・・ところであの地図はなんの地図です?おや、この前の戦争の地図だ!なんのためにこんなものを?」
「地図と本文を対照しておるのです。たいへんおもしろい記録でしてな」
「見せてください。なるほど、文章は悪くない。それにしても、あなたにしては奇妙な読み物ですね」
彼は本を引き寄せて、ちらとそれをのぞいた。それは、この前の戦争の状況の膨大な、才能ゆたかな記録であったが、軍事的というより、むしろ純文学的な見地から見てそう言えるものだった。しばらく本をひねくりまわしていてから、急に彼はもどかしげにそれを突き返した。(江川卓訳)
これだけの記述だが、リュドミラ・サラスキナさんの「ドストエフスキーの創作原理からすれば、偶然のディテールはない」という主張に賛同している者としては、<この純文学的見地から見て才能豊かな本>について気にしないわけにはいかない。
まず浮かんだのはトルストイの『戦争と平和』(1869)だが、ロシアのナポレオン戦争(1812)を「この前の戦争」とは言わないだろう。トルストイの年譜を見たら1853年のクリミア戦争で将校として従軍し、セヴァストーポリで激戦に参加し、その体験を『セヴァストーポリ』(1855-56年) という作品に結実させたとあった。
手元にあった米川正夫訳「トルストイ全集2」にこの作品が収録されていた。100頁を超える中編である。(この全集は49歳で早世した親友の伊東佐紀子さんの遺品である)
これがチホンが読んでいた本だと思われる。
それにしても、ドストエフスキーは何のためにこの挿話を入れたのだろうか。
チホンの複雑な性格に何か付け加えるためだろうか、それとも、ドストエフスキーからトルストイに向けたオマージュであろうか。
ドストエフスキー(1821-1881)とトルストイ(1828-1910)はまさしく同時代を生きたロシアの二大文豪である。しかし、直接あいまみえたことはなかったようだ。
「スタヴローギンの告白ーチホンのもとにて」の章は、当初第2部第8章の「イワン皇子」のすぐあとに続く章として書かれたが雑誌掲載を断られた。
その後「告白」の存在は知られることなく、半世紀近くが過ぎた1921年(ドストエフスキー没後40年かつ生誕100年)に原稿が発見されるまで陽の目を見なかった。
したがって、トルストイが「告白」を読んだ可能性はない。だが、もし、読んでいたとしたら『セヴァストーポリ』の挿話をドストエフスキーからのなんらかのメッセージと感じたろうか。
2.『悪霊』第三のメタファ 「熱い・冷たい・ぬるい」
スタヴローギンとチホンは無心論について以下の会話を交わす。
「でも、神を信じないで、悪霊だけを信じることができますかね?」
「おお、できますとも、どこでもそんなものです」
「あなたはそういう信仰でも、完全な無信仰よりはまだしもと認めてくださるでしょうね・・・」
「それどころか、完全なる無神論でさえ、世俗的な無関心よりはましです」(江川卓訳)
このやり取りのあとで、スタヴローギンはなぜか奇妙にそわそわとうろたえ気味になり、
「では、覚えておられますか、『ラオデキヤにある教会に書き送れ』とか?」
と尋ねる。チホンは即座に「ヨハネの黙示禄第8章」の該当箇所を暗唱する。
「ラオデキヤに在る教会の使いに書き送れ。
アーメンたる者、忠実なる真なる証人、神の造りたもうものの本源たる者かく言う、われ汝のおこないを知る。
汝は冷やかにもあらず熱きにもあらず、われはむしろ汝が冷やかならんか、熱からんかを願う。
かく熱きにもあらず、冷やかにもあらず、ただぬるきゆえに、われ汝をわが口より吐き出さん。
汝、われは富めり、豊かなり、乏しきところなしと言いて、己が悩める者、憐れむべき者、貧しき者、盲目なる者、裸なる者たるを知らざれば・・・」
(ヨハネの黙示録 章3)
「たくさんです」スタヴローギンが口を入れた。
「実はですね、ぼくあなたが大好きなんです」
「私もあなたが好きですな」
チホンが小声で答える。(江川卓 訳)
チホンはスタヴローギンの心理に深く入り込み、読む前から「告白」の意味するところを予感していたかのように見える。チホンは言う。
「あなたはただぬるきものでありたくないと思われた。
あなたは異常な意図に、おそらくは、おそろしい企画に押しひしがれておられるように思いますぞ」
この同じヨハネの黙示録の一節が、『悪霊』3部第7章のステパン氏臨終の場面で、福音書売りのソフィアによって朗読される。
ステパンの頼みに応じて、ソフィアがあてずっぽ開いて読み上げたのが偶然にもこの一節だった。ステパンは目をきらきらさせ、枕から頭を起こしながら
「ぼくはそんな偉大な箇所があろうとは、ついぞ知らなかった!」
と叫ぶ。それから急激に衰弱していく中で、
「もう一か所、読んでもらえますか・・・豚のところを」
と頼み込む。朗読を聞いたステパン氏は興奮しうわごとを言いはじめ意識を失いやがて死ぬ。
ここからは私の想像だ。「告白」の発表が不可能になったことを受けて、ドストエフスキーは、この「ヨハネの黙示禄の一節」を、エピグラムに掲げた二つのメタファ(「豚の群れに入って溺れる悪霊ども」と「プーシキンの詩の悪鬼」)に加えるべく、第三のメタファとして物語の最後に提示したのではないだろうか。
「冷たい・熱い・ぬるい」から想起されるのは、『マクベス』の魔女の「きれいは汚い、汚いはきれい」である。
ドストエフスキーの小説には、『悪霊』に限らず、このオクシモロン(矛盾撞着技法)的な登場人物が少なからずみうけられる。
『悪霊』における「冷たい・熱い・ぬるい」から見た人物像 (逡巡しつつ・・・)
熱い 冷たい ぬるい
http://dokushokai.shimohara.net/meddost/akuryoumeta.html
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(スラヴ圏)スラヴのコスモロジー
〈「生命の水の泉」と「大地」のイデア〉
http://www.stakaha.com/?activitycat=%E3%80%8E%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2%E3%80%8F
長編小説『白痴』の時代は、ドストエフスキーにとって「ローマ帝国」の強力な軍事力でユダヤの反乱が鎮圧され、さらにキリスト教徒が弾圧された時代に書かれた『ヨハネの黙示録』の世界と重なるところが多く、「世界の終わり」への恐れとそれを救う「本当に美しい人」への熱烈な願いが記されていたといえます。
11月18日の新聞に「イラン攻撃現実に」という題で、イスラエルがイランの原発開発に強い危機感を抱いているという気になる記事があったので持ってきました。この記事は原爆と原発が結びついていることを物語っているでしょう。つまり、イランの原発開発はアメリカと仲がよかったときは認められていたのです。しかし革命後に政策が変わると、原発の開発は、いつ攻撃の対象になるかもしれないのです。つまり現代という「核の時代」では、原発が世界中の国で広まっていくということは、その国が政策を変えたときに核戦争のきっかけになりうるという危険性を持っているのです。
その意味で注目したいのは、『白痴』ではマルサスの人口論だけでなく、生存闘争の理論や、西欧近代の投機的な自由主義経済、さらに新しい科学技術の危険性が登場人物たちの会話をとおして批判されており、ことに近代文明を象徴する鉄道は『ヨハネ黙示録』の地上に落ちて「生命の水の泉」を混濁させる「苦よもぎ(チェルノブイリニク)の星」の話と結び付けられて解釈されていました。
それゆえ、チェルノブィリ原発事故が起きると『白痴』の予言性が話題となりましたが、それはチェルノブィリという地名が、「苦よもぎ」を意味する単語と非常に似ていたために、ロシアやウクライナ、ベラルーシなどでは原発がそういうのろわれたものであり、それを作ったソ連の政権が神の罰を受けたという批判が強く出たのです。そして、このような『黙示録』の解釈も影響して、この原発事故は神による共産党政権に対する罰だという解釈が広がったことや、原発事故による莫大な経済的損失は、ソ連政権が崩壊する一因となったのです。
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はじめに――投げかけられた問い
お手元にレジュメは届いていますでしょうか?
2枚目のところにスラヴの神話や民話に出てくる森の精や水の精などの絵があります。
私の専門はドストエフスキーなのですが、『罪と罰』とか『白痴』という世界がそういうロシアの民衆的な民話的な世界や宇宙観とも深く結びついており、それが普遍性をおびているために世界中で読まれて深い感動を与えているという話を今回はしたいと思いました。ただ、レジュメにも書きましたけれども、3月に起きた原発事故のために私のふるさとの福島県の二本松でも祖先の墓の上に放射能が降り注ぐなど、日本の大地、大気、川が汚されるという大変な事態がおきました。
さらに私は25年前にチェルノブイリで起きた原発事故の際にモスクワに滞在していましたが、そのときに留学生を引率していたので事故の情報の問題、当時のソ連から情報が流れてこないというのはわかるのですが、日本大使館からも流れてこない。それでヨーロッパの留学生たちがそれぞれの大使館から持ってくる情報を集めてどう対応すべきかなどを考えざるを得なかったということがありました。
実は司馬遼太郎の作品に入っていくきっかけも情報の問題からです。司馬さんは大地震の問題についてもたびたび書いています。たとえば、『竜馬がゆく』の中でも竜馬が大地震に際して深く感じることのできる詩人のような心を持っていたと冒頭近くで説明されています。原発は「国益」という形で進められてきましたが、果たして一部の人たちが握っている情報が我々にちゃんと伝えられているのか、その問題が明治以降もいまだに続いていると思えます。
一方、『坂の上の雲』の第3巻において司馬さんは、東京裁判におけるインド代表判事のパル氏の言葉を引用しつつ、「白人国家の都市に落とすことはためらわれたであろう」と原爆投下を厳しく批判しておりました。実はこの原爆の投下の問題は、原発の問題と結びついており、司馬さんはチェルノブイリ事故の後で「この事件は大気というものは地球を漂流していて人類は一つである、一つの大気を共有している、さらにいえばその生命は他の生命と同様もろいものだという思想を全世界に広く与えたと思います」と語っていました。
実際にチェルノブイリについてはヨーロッパ各国が大変な危機感を持ちました。私の場合は、幸い住んでいたモスクワの方には風の向きが違っていたので流れてこなかったのですが、風の向きが変わればどのような被害が及ぶかはわからなかったのです。それゆえ、今回はスラヴやロシアのコスモロジーを視野に入れることで民話的なレベルから見ても原発がおかしいということを明らかにしていきたいと思います。
* * *
先ほど見ていただいたのはギランの『ロシアの神話』という本に掲載されている絵ですが、スラヴでは自然崇拝が強く、ことに大地は「母なる湿潤の大地」というふうに讃えられており、このような世界観はドストエフスキーが『罪と罰』の後半で描いていますが、それよりも前にプーシキンがおとぎ話のような形で書いていました。
時間がないので、ごく一部を紹介します。「入り江には緑の樫の木があった。その樫の木には猫が繋がれていた。そして右に歩いては歌を歌い、左へ行ってはおとぎ話を語る。そこには不思議なことがある。森の精が徘徊し、水の妖精ルサールカが枝に座る」。こういう形で民話の主人公を紹介したプーシキンは、「そこにはロシアの精神がある、ロシアの匂いがする」と続け、物知りの猫が私に語った物語のひとつをこれからお話しましょうという形で『ルスランとリュドミーラ』というおとぎ話が始まります。
『罪と罰』のあらすじについては、ほとんどの方がご存知のことと思いますが、「人間は自然を修正している、悪い人間だって修正したてもかまわない、あいつは要らないやつだというなら排除してもかまわない」という考え方を持っていた主人公が、高利貸しの老婆を殺害するにいたる過程とその後の苦悩が描かれています。ここで重要なのは、この時期のドストエフスキーが「大地主義」という理念を唱えていたことであり、ソーニャをとおしてロシアの知識人というのはロシアの大地から切り離された人たちだと、民衆の感覚を失ってしまったという批判をしていることです。
たとえば、ソーニャは「血で汚した大地に接吻しなさい、あなたは殺したことで大地を汚してしまった」と諭し、それを受け入れた主人公は自首をしてシベリアに流されますが、最初のうちは「ただ一条の太陽の光、うっそうたる森、どこともしれぬ奥まった場所に湧き出る冷たい泉」が、どうして囚人たちによってそんなに大事なのかが彼にはわからなかったのです。しかし彼はシベリアの大自然の中で生活するうちに「森」や「泉」の意味を認識して復活することになるのです。
このような展開は一見、小説を読んでいるだけですとわかりにくいのですが、しかしロシアの民話を集めてロシアのグリムとも言われているアファナーシエフの『スラヴ民族の詩的自然観』の第一巻が既に『罪と罰』が書かれている時期に出版されていました。そのことを指摘した井桁貞義氏は、ウクライナやセルヴィアを初めスラヴには古くから聖なる大地という表現があり、さらに古い叙事詩の伝説によって育った庶民たちは、大地とは決して魂を持たない存在ではなく、つまり汚されたら怒ると考えていたことを指摘しています。つまり、富士山が大噴火するように、汚された大地も怒るのです。
さらにソーニャという存在が囚人たちから、「お前さんは私らのやさしい慈悲深いお母さんだ」と語られていることに注目して、ソーニャという女性が大地の神格であると同時に聖母の意味も背負っているという重要な指摘をしています。
このようなロシアの自然観や宇宙観は民話などでやさしく語られており、日本でも知られているものがあるので幾つか紹介して、それが文学作品にどうかかわっているかを少し見てみます。
まず、『イワンと仔馬』という作品は、これは永遠の生命を持つ火の鳥が出てくる作品で、手塚治虫の『火の鳥』にも影響を与えています。次に『森は生きている』もあちこちで上演されることもありますしアニメーションにもなっているので、知っている人も多くおられると思いますが、これは月の精の兄弟たちとみなしごの少女、そしてわがままな女王との物語です。
わがままな若い女王の命令で少女は、大晦日に雪深い森の奥に春の花の待雪草を探しに行かされるのですが、たまたま焚き火を囲んでいた12人の兄弟(十二ヵ月の精)たちと出会い、少女が森を大切にして一生懸命に生きているのを知っていた彼らから待雪草を贈られるのです。
一方、人間関係のみで成立している「城」の世界しか知らなかったやはり孤児だった女王は、自分でも待雪草を摘みたいと願って、私も森に行くから案内しなさいと命令して森に行く。つまり、「支配する者」と「支配される者」からなる「城」において絶対的な権力者となった女王は、「自然」や「季節」をも「支配」しようとしたのです。つまり「城」というのは、ここでは現代の日本に言い換えれば「原子力村」と考えればわかりやすいでしょう。「原子力村」の論理だけで生きている人は、「自然」のことを理解できないために、「自然」や「季節」をも支配しようとする。しかし実際には、そういうことはあり得ないのです。そのために女王も「森」に行くと、一瞬にして再び冬の季節に戻って彼女は自分の無力さを感じるのですが、やさしい少女に救われるというストーリーです。
ここで注目したいのはやさしい少女を『罪と罰』のソーニャに、それから自然をも支配できると考えている女王をラスコーリニコフに置き換えると、骨格としては『罪と罰』と同じような自然観が浮かび上がってくるということになることです。
それから『雪娘』というおとぎ話では「桃太郎」などと同じように、子供に恵まれなかった老夫婦が雪を丸めて雪だるまをつくるとその雪だるまの女の子は、老夫婦の気持ちを理解したかのように動き出して、その家の娘になります。しかし、「かぐや姫」が時間がたって、月に戻っていくように、その「雪娘」も春になると一筋の雲になって、天に昇ってしまうのです。
このおとぎ話について先ほどのアファナーシエフはこういうふうに解釈しています。「雨雲が雪雲に変わる冬、美しい雪の娘が大地に、人間が住むこの世に降りてきて、その白さで人々を感動させる。夏が訪れると娘は大気の新たな姿をとり、地上から天に昇って軽やかな翼を持つほかのニンフたちと共に天を飛翔する」。
すなわち、雪娘は溶けて「亡くなる」のではなく、別な形を取って生き続け、さらにまた季節が巡れば、「復活」するという考え方が、ロシアの民話を通して語られているということになります。
一方、『罪と罰』のエピローグでは、知力と意志を授けられた旋毛虫に侵されて、自分だけが真理を知っていると思い込んだ人々が、互いに自分の真理を主張して殺し合いを始め、ついには地上に数名のものしか残っていないという主人公が見る「人類滅亡の悪夢」が描かれています。
実際、この作品が書かれた当時は、オーストリアとの戦いに勝ったプロシアが軍事力をつけたために、フランスとの間での戦争がおき、さらにロシアもまたそういう大戦争に巻き込まれるかもしれないという恐怖感が、欧州の世界で広まっていたのです。そして、軍事力の必要を各国が認識したために戦争に近代兵器が持ち込まれるのです。日露戦争では機関銃が登場し、第一次世界大戦でも用いられ、さらに第二次世界大戦では原子爆弾が用いられるということになります。
つまり長編小説『白痴』の時代は、ドストエフスキーにとって「ローマ帝国」の強力な軍事力でユダヤの反乱が鎮圧され、さらにキリスト教徒が弾圧された時代に書かれた『ヨハネの黙示録』の世界と重なるところが多く、「世界の終わり」への恐れとそれを救う「本当に美しい人」への熱烈な願いが記されていたといえます。
11月18日の新聞に「イラン攻撃現実に」という題で、イスラエルがイランの原発開発に強い危機感を抱いているという気になる記事があったので持ってきました。この記事は原爆と原発が結びついていることを物語っているでしょう。つまり、イランの原発開発はアメリカと仲がよかったときは認められていたのです。しかし革命後に政策が変わると、原発の開発は、いつ攻撃の対象になるかもしれないのです。つまり現代という「核の時代」では、原発が世界中の国で広まっていくということは、その国が政策を変えたときに核戦争のきっかけになりうるという危険性を持っているのです。
その意味で注目したいのは、『白痴』ではマルサスの人口論だけでなく、生存闘争の理論や、西欧近代の投機的な自由主義経済、さらに新しい科学技術の危険性が登場人物たちの会話をとおして批判されており、ことに近代文明を象徴する鉄道は『ヨハネ黙示録』の地上に落ちて「生命の水の泉」を混濁させる「苦よもぎ(チェルノブイリニク)の星」の話と結び付けられて解釈されていました。
それゆえ、チェルノブィリ原発事故が起きると『白痴』の予言性が話題となりましたが、それはチェルノブィリという地名が、「苦よもぎ」を意味する単語と非常に似ていたために、ロシアやウクライナ、ベラルーシなどでは原発がそういうのろわれたものであり、それを作ったソ連の政権が神の罰を受けたという批判が強く出たのです。そして、このような『黙示録』の解釈も影響して、この原発事故は神による共産党政権に対する罰だという解釈が広がったことや、原発事故による莫大な経済的損失は、ソ連政権が崩壊する一因となったのです。
一方、非常に自然環境に恵まれている日本から見ると旧約聖書などで描かれている神の罰という考えは、非情に見えます。しかし古代からのことを考えると、神や天というのは、人智を超えた存在であって、富士山も単に美しくて高い存在であっただけではなくて、大噴火を起こして、我々日本人を深く畏怖させたのです。これについては明日のシンポジウムでも論じられると思います。
こうして、大自然に対する畏怖というものは、これからの時代にも重要だと思えますが、放射能は水に流しても消えるものではなく「循環の思想」に反しており、大自然を汚すものだといえるでしょう。その意味でも早期の「脱原発」が求められており、そのためにはこの学会も含めて全力を尽くしていくべきではないかというのが、私の考えです。
http://www.stakaha.com/?activitycat=%E3%80%8E%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2%E3%80%8F
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11:777
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2024/08/05 (Mon) 08:01:55
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「黙示録」の獣 2016-06-21
https://ameblo.jp/in-your-own-sweet-way/entry-12171852850.html
テーマ:ドストエフスキー『罪と罰』の世界
ドストエフスキーは、プロメテウス神話のほかにも『罪と罰』と神話との結合を試みていました。それは、「ヨハネの黙示録」との結合です。ドストエフスキーは「黙示録」的な世界観を持つ作家でした。
「ヨハネ黙示録」13章には、二匹の獣が現れます。この二匹の獣は、いわば終末神話のプロローグを演じています。この二匹の獣が押させた「666」の刻印の意味は、聖書の用語解説に次のように記されています。
ヨハネの黙示録13:8で、ある人物の名を暗示する数字。ヘブライ語やギリシア語、ラテン語には特別な数字はなく、アルファベットの文字がそれぞれ数を表す。数を用いた暗号は、逆に文字に戻して解読することができる。666について最も有力な説は、ヘブライ語でネロ皇帝と読む解釈である。
初期キリスト教の迫害者ネロ皇帝の名、ネロン・カエサルをヘブライ文字で表記し、その文字に対応する数字を合計すると「666」になるのです。
ヌン レーシュ ワウ ヌン コフ サメク レーシュ
50 + 200 + 6 + 50 + 100 + 60 + 200 = 666
こうして、「666」という数字は、キリスト教の迫害者、アンチ・キリスト、悪魔を指す数とされました。「ゲマトリア」と呼ばれるこの計算法は次第に各国に広まり、それぞれの国のアルファベットを数値に代入してアンチ・キリストを割り出すことが、19世紀にも流行していました。20世紀になってもおとろえてはいません。
たとえば、ロシアの分離派は、宗教改革で自分たちを迫害したニーコン総主教の本名を「NIKON NIKITOS」とギリシア文字で表記し、
N I K O N N I K I T O S
50+10+20+70+50+50+10+20+10+300+70+6=666
また、ナチス・ドイツの独裁者は、ラテン文字表記で
H I T L E R
107+108+119+111+104+117=666
ドストエフスキーの時代において、ロシア人にとって最も脅威となった人物はナポレオンでした。1812年に「祖国戦争」を戦い、その後も長く、ナポレオンのセント・ヘレナ島脱出説などにおびえてきたロシア人にとって、ナポレオンはまさにロシアを迫害する者でした。
さて、ナポレオンをフランス語で綴り「Le Empereur Napoleon」とすると、
L e E m p e r e u r N a p o l e o n
20+5+5+30+60+5+80+5+110+80+40+1+60+50+20+5+50+40=666
そして、ラスコーリニコフですが、彼のフルネーム、ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフをロシア語で表記すると、次のようになります。
РОЛИОН РОМАНЫЧ РАСКОЛЬНИКОВ
そして、イニシャルは「PPP」となります。
「PPP」というイニシャルは、ロシアではほとんどみられないイニシャルで、明らかに作為的なものです。
この「PPP」を上下に反転させると、「666」の数字が現れるのです。
『罪と罰』の創作において、創作の初期段階では、主人公はワシーリィ(ギリシア語のバシリオス〈王者〉から派生)・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフと命名され、中篇小説になる予定でした。しかし、ドストエフスキーは、ワシーリィからロジオンに改名することによる「666」の数字を発見しました。この発見はドストエフスキーの創造力を大いに刺激したと思います。彼は中編小説から、神話との結合をなす長編小説に構想を改めるのです。
そして、ラスコーリニコフは、アンチ・キリスト、悪魔という名前をもつ人物となるのです。
また、ドストエフスキーは、ニヒリズムの行く末と神話的終末思想との結合を試みていました。それは、ラスコーリニコフが見た疫病の夢として表現されています。
ついに、人々は、「目的もなく意味もない」憎悪に駆られて殺し合いをはじめます。軍隊と軍隊が衝突するだけでなく、その軍隊の内部でも殺し合いがはじまり、それが「互いに相手の肉を食い合う」人肉嗜食にまでになります。荒廃と飢えが世界を覆い、疫病だけがますます猛威を振るいます。
「ヨハネの黙示録」は「ノアの洪水」や「ソドム」、「ゴモラ」のように、人間の傲慢をいましめようとする「神の怒り」による終末神話ですが、ラスコーリニコフの疫病の夢は、あくまで人間が主体です。人間の集団的な狂気、そして人間自身の傲慢さこそが、人間を終末に駆り立てる最大の根源であるとみなしています。
ラスコーリニコフの疫病の夢は、「神亡き時代の終末神話」であり「ドストエフスキーの黙示録」といえます。
このラスコーリニコフの疫病の夢と、ナチスのユダヤ人虐殺、資本主義各国の赤狩りと反ソ・ヒステリー、ソ連の大粛清、中国の文化大革命、カンボジアの内戦、南米での虐殺、さらには、パレスチナ内戦、アフガン出兵、イラン・イラク戦争など現代に至るあらゆる流血との類似性を指摘する声もあります。
また、余談ですが、『悪霊』のシガリョフ主義、『カラマーゾフの兄弟』のイワン・カラマーゾフの「大審問官」がソ連のスターリン体制の予言であるとみる学説があります。
ドストエフスキーは、「666」のイニシャルを持つラスコーリニコフの夢と「ヨハネの黙示録」とを結合させ、ニヒリズムによる人類の終末の危機を警告しているのだと読むことができます。それはドストエフスキーが、ニヒリズムに見た退屈さと孤立主義、非道徳性と愛の喪失を、微生物に感染した人間たちの症状に見立てていることからも分かります。つまり、「ラスコーリニコフ=666」と彼の思想〈非凡人の法〉自体が終末のプロローグを演じることになるのです。
しかし、「ラスコーリニコフ=666=アンチ・キリスト=悪魔」の構図だけが、「ヨハネの黙示録」との結合ではありません。ラスコーリニコフは悪魔にしては、あまりにも人間的です。そして、悪魔性に徹して平然と死を選ぶことのできる『悪霊』のニコライ・スタヴローギンとは対照的に、生への執着が強いのです。
生きていられさえすれば、生きたい、生きていたい!どんな生き方でもいい。
生きてさえいられたら!……何という真実だろう!……これこそ、たしかに真実の叫びだ!
この生への執着心が、ラスコーリニコフにとって、更正への原動力となるのです。
そこで、小説の構成を見てみると、一つの事実が浮かび上がります。
『罪と罰』は、第一部(7章構成)、第二部(7章構成)、第三部(6章構成)、第四部(6章構成)、第五部(5章構成)、第六部(8章構成)とエピローグ(2章構成)から成っています。
この数に注目すると、「全6部+1部=7部」という構成は、「ヨハネの黙示録」の「7」を意識したものです。「7」という数字は、過去・現在・未来に存在する神を指す「3」と自然界(地水火風あるいは東西南北)を指す「4」との和である完全数とされています。また、『罪と罰』の「7」は、完全な「7」ではなく、不完全数「6」に短いエピローグのついた構成で、ラスコーリニコフの更正がまだ始まったばかりで、完全には成就されていないことを暗示しているのです。
そして、各部の章の合計は、「7+7+6+6+5+8+2=41」です。この数は、「黙示録」の獣の活動期間「四十二か月」から「1」だけ足りない数です。ラスコーリニコフは、小説にはない最後の「1」で、ソフィアの愛により信仰を取り戻し、「666」+「1」の変身が期待されているのです。
また、「PPP」を左右に反転させると「999」の数字が現れるとして、一人の青年「1」ラスコーリニコフ「999」が「七月はじめの酷暑のころ」に行動するということから、「一九九九の年、七の月」のノストラダムスの人類滅亡の予言詩との結合を示唆する学説もあります。ラスコーリニコフのニヒリズムが「恐怖の大王」となり、〈新しいエルサレム〉という「幸福の名」のもとに〈非凡人〉による支配に乗り出すという読み方です。
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2018-05-10
動物で読み解く『罪と罰』の深層 連載3 〈獣〉(зверь) 清水正
https://shimizumasashi.hatenablog.com/entry/20180510/1525931141
■〈獣〉(зверь)
マルメラードフは告白の最後に、万人を裁き、万人を赦される唯一人の神について語る。親鸞の悪人正機説を彷彿とさせるマルメラードフ神学のお披露目である。彼は語る
「『酒のみも出い、いくじなしも出い、恥知らずも出い!』
そこで、われわれが臆面もなく出て行っておん前に立つと、神さまは仰せられる。
『なんじ豚ども! そちたちは獣の相をその面に印しておるが、しかしそちたちも来るがよい!』
すると知者や賢者がいうことに、
『神さま、何ゆえ彼らをお迎えになりまする?』
するとこういう仰せじゃ。
『知恵ある者よ。わしは彼らを迎えるぞ。賢なる者よ、わしは彼らを迎えるぞ。
それは彼らの中のひとりとして、みずからそれに値すると思う者がないからじゃ……』
こういって、われわれに手を伸ばされる。
そこで、われわれはそのみ手に口づけして……泣きだす……そして、何もかも合点がゆくのだ」(米川正夫訳)と。
ここで、喉の渇きを癒そうと思って酒場に寄り、マルメラードフの神学を聞く羽目になった青年に注目しよう。この青年は瀬踏みに行ったアリョーナ婆さんにラスコーリニコフと名乗っている。ロシア人の名前は洗礼名、父称、姓からなる。酒場の時点で読者は青年の姓がラスコーリニコフであることは分かっているが、未だに洗礼名と父称は報告されていない。マルメラードフは初対面の青年に自分の姓と身分(九等官)を名乗るが、青年は「勉強中です」としか答えず、マルメラードフは青年を〈元学生さん〉と見なして一方的に告白話を展開した。
青年のフルネームはロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフである。洗礼名〈ロジオン〉(Родион)は〈薔薇〉を、父称〈ロマーノヴィチ〉(Романович)はロジオンの父親の名が〈ロマン〉(Роман)であったことを意味し、姓〈ラスコーリニコフ〉(Раскольников)は〈分離派〉(Раскольники)に由来する。イニシャルРРРを下から上にひっくり返すと666になり、悪魔の数字となる
(РРР=666説を初めて発表したのは『謎とき「罪と罰」』の著者・江川卓である)。
つまり『罪と罰』の主人公である〈一人の青年〉(один молодои человек)の額には悪魔の数字666が刻印されていたことになる。
ところで、マルメラードフが告白の最後に神学を披露した時点で青年のフルネームは報告されておらず、従って青年の額に悪魔の数字が刻印されていたなどという認識を得ていた読者はいない。そこで改めてマルメラードフの言葉に照明を当てる必要がある。
「獣の相をその面に印しておる」(образа звериного и печати его)〈豚ども〉(Свиньи)の中に〈酒のみ〉〈いくじなし〉〈恥知らず〉が想定されている。もちろんマルメラードフ自身も含まれている。が、誰よりも明白に〈獣の相をその面に印しておる〉のは、マルメラードフの面前で話に耳を傾けていた勉強中の元学生ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ(РРР=666)であったことになる。因みにマルメラードフがここで言う〈獣〉(зверь)はヨハネ黙示録13章に出てくるそれを意識している。
「また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった」
(ヨハネの黙示録13章1節)
「И стал я на песке морском и увидел выходящего из моря зверя с семью головами и десятью рогами: на рогах его было десять диадим, а на головах его имена богохульные.」(ロシア語訳聖書より)
「また、私は見た。もう一匹の獣が地から上って来た。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った」(ヨハネの黙示録13章11節)
「И увидел я другого зверя, выходящего из земли; и говорил как дракон.」(ロシア語訳聖書より)
「ここに知恵がある。思慮のある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である」
(ヨハネの黙示録13章18節)
「Здесь мудрость. Кто имеет ум, тот сочти число зверя, ибо это число человеческое; число его шестьсот шестьдесят шесть.」(ロシア語訳聖書より)
海から上ってきた第一の獣は豹に似ており、足は熊、口は獅子のようであり、〈竜〉(дракон)から大きな権威を与えられていた。七つの頭のうちの一つが打ち殺されたかと思われたが、その致命傷もなおった。この獣は傲慢なことを言う口を与えられ、〈神に対するけがしごと〉を言い始めた。地から上ってきた第二の獣は、地に住む人々に第一の獣の像を造らせて礼拝させ、従わない者を皆殺しにした。そしてすべての人々の右手か額に獣の名、または獣の名の数字を刻印した。
ここで、様々な隠喩と象徴に満ちた「ヨハネ黙示録」を十全に解釈することはできない。ここでは黙示録の獣と『罪と罰』の主人公の関係についてだけ言及するにとどめる。第一の獣には角が〈十本〉、頭が〈七つ〉、冠が〈十〉とある。これら七、十という数字は竜から与えられた絶対的な力と位と権威を意味している。ラスコーリニコフは自分を絶対者、選ばれた唯一者と考え、非凡人の代表格であるナポレオンと自身とを同一視する傾向があった。第一の獣の頭には〈神をけがす名〉があったが、ラスコーリニコフの額には〈ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ=РРР=666〉という悪魔の数字が刻印されていた。
ラスコーリニコフはソーニャに「ラザロの復活」の場面の朗読を要請するが、その前に数々の〈神に対するけがしごと〉を口にしている。一つだけ引用しておこう。
「ポーレチカもきっと同じ運命になるんだろうな」
と彼は出しぬけにこういった。
「いいえ! いいえ、そんなことのあろうはずがありません、違います!」
とソーニャは死にもの狂いの様子で、まるでだれかふいに、刀で切りつけでもしたかのように叫んだ。
「神さまが、神さまがそんな恐ろしい目にはおあわせにはなりません!」
「だって、ほかの人にはあわせてるじゃありませんか」
「いいえ、いいえ! あの子は、神さまが守っていてくださいます、神さまが!……」
と彼女はわれを忘れてくりかえした。
「だが、もしかすると、その神さまさえまるでないのかもしれませんよ」
一種のいじわるい快感を覚えながら、ラスコーリニコフはそういって笑いながら、相手の顔を見やった。(米川正夫訳)
狂信者ソーニャは神さまは「なんでもしてくださいます!」と言う。哲学的思弁家でもあるラスコーリニコフは、現実を冷静に見ればむしろ神は何にもしてくれないじゃないかと言う。何にもしてくれない神を盲目的に信じるよりも、現実を冷静に見て判断する分別こそが必要なんだ、とまで挑発する。
ラスコーリニコフはソーニャの前では〈不信心者〉(безбожник)、〈神の冒瀆者〉(богохульник)を装って〈神に対するけがしごと〉を口にするが、それをもって彼を反キリスト者と決めつけることはできない。
彼はポルフィーリイ予審判事の前では〈新しきエルサレム〉を、〈神〉を、〈ラザロの復活〉を文字通り信じていると断言している。ラスコーリニコフの分裂は深く、彼を一義的に判断することぐらい危険なことはない。彼は誰よりも激しく執拗に〈神に対するけがしごと〉を口にしながら、同時に誰よりも〈神〉を求めている〈悪魔=666〉なのである。
この悪魔はとつぜん淫売婦ソーニャの前にひれ伏し、彼女の足に接吻する。そしてすぐに身を起こすと、驚愕したソーニャに向かって「わたしはあなたの前にひざまずいたのではない。わたしは全人類の苦悩の前にひざまずいたのです」と答える。一家の犠牲になって身売りしている〈大いなる罪人〉(великая грешница)ソーニャは、言わばすべての人間の罪を背負って十字架上で息を引き取ったイエスその人を思わせる。
ラスコーリニコフという〈悪魔〉は人間の〈苦悩〉に関してきわめて敏感である。マルメラードフは「ものに感じる、学問のある人」とラスコーリニコフを見なして告白話を披露したことを忘れてはならない。全人類の〈苦悩〉(страдание)の前にひれ伏すことのできる〈悪魔〉は限りなく〈神〉に近づいた存在とも言える。ラザロの復活を読み終えたソーニャはラスコーリニコフを「限りなく不幸だ」と思う。この不幸な人間(殺人者・分裂者)に向かって、苦しみという十字架を背負って生きよ、と強く指示したのが大いなる罪人ソーニャ(淫売婦・キリスト者)であった。
ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフを666(獣)と見なすことはできるが、ドストエフスキーの場合、名前においても多義的な象徴的意味が込められている。ロジオン(Родион)は〈薔薇〉(美・愛・聖)を意味するが、同じくギリシャ語起源のイロジオン(Иродион)と見なせばヘーロース=геройつまり〈英雄〉となる。
ロジオンは、ゼウス神に反逆して天界の火を盗みカウカソス山に鎖でつながれ鷲に肝を食われるという罰を受けた、ギリシャ神話の英雄プロメテウスにもたとえられている。またロジオンはポルフィーリイ予審判事によって
「太陽におなりなさい、そうすれば、みんながあなたを仰ぎ見ますよ! 太陽は、まず第一に太陽でなければなりません」
(Станьте солнцем, вас все и увидят. Солнцу прежде всего нада быть солнцем.)と言われている。
ポルフィーリイは現実的な役割としては予審判事であるが、実質的には優秀な心理分析官であり批評家であり、そして予言者でもある。彼が、二人の女を斧で殺害した殺人者ロジオンを〈太陽〉と見なしていることを、単なる皮肉のきいた冗談とのみ受け取ることはできない。いずれにせよ、ロジオンという名は美・愛・聖の統合としての〈薔薇〉(Роза)であり、世界を変革する使命を帯びた〈英雄〉(Герой)であり、万人に仰ぎ見られる〈太陽〉(Солнца)といった多義的な意味を込められている。
父称のロマーノヴィチ(Романович)はロマーヌィチ(Романыч)とも表記されている。前者をロマノフの息子と見れば〈ロマノフ王朝〉、後者をロマンの息子と見れば〈ローマの、ローマ人の、ローマ帝国の、長編小説の〉などと解釈できる。
姓のラスコーリニコフ(Раскольников)は〈分離派〉(раскольники)、〈分離派教徒〉(раскольник)、〈分裂・分離派〉(раскол)、〈打ち割る〉(расколоть)などが考えられる。
因みにロマノフ王朝第二代皇帝アレクセイ・ミハイロヴィチはロシア正教会の権威強化のためニコンを総主教に任命したが、ニコンの奉神礼改革によって教会は分裂した。ニコンの改革案は一六六六年にギリシャ正教会で承認されたが、傲慢な態度で皇帝の反感を買っていたニコンは総主教の座を剥奪された。改革案に断固反対した信徒は一六六六年以来分離派と見なされ弾圧迫害の試練を受けることになる。
『罪と罰』はニコンの改革から二百年後の一八六五年七月のペテルブルクを舞台として展開されている。ロジオンの母親プリヘーリヤはこの二百年を十分に意識してラスコーリニコフ家を由緒ある家柄とし、〈一家の柱であり杖である〉一人息子に没落したラスコーリニコフ家の再建という使命を託すのである。この母親の過剰な期待が、ロジオンを〈高利貸しアリョーナ殺し〉という第一の〈踏み越え〉(преступление)に追い込んで行ったとも言える。〈666〉という悪魔の数字を刻印されていたのは決してロジオンだけではない。ラスコーリニコフ家の人々全員にこの数字は深く関わっているのである。
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2024/08/05 (Mon) 08:02:25
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2017.10.06
ドフトエフスキー『罪と罰』宗教的解釈
http://hikki-c.hateblo.jp/entry/2017/10/06/%E3%83%89%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%80%8E%E7%BD%AA%E3%81%A8%E7%BD%B0%E3%80%8F%E5%AE%97%E6%95%99%E7%9A%84%E8%A7%A3%E9%87%88
前回の記事では、『罪と罰』の物語について述べましたが、今回は本作が現代の予言の書と言われる所以となったキリスト教との関連を紐解いていきます。
ナンバー666
ドストエフスキーは、『罪と罰』と神話「ヨハネの黙示録」との結合を試みていた。
“
「また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。
この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。」
(新約聖書 ヨハネの黙示録13章16-18節より)
”
「ヨハネ黙示録」13章には、二匹の獣が現れます。この二匹の獣は、いわば終末神話のプロローグを演じている。
そして、666という数字は聖書の用語解説に次のように記されています。
ヨハネの黙示録13:8で、人物の名を暗示する数字。ヘブライ語やギリシア語、ラテン語には特別な数字はなく、アルファベットの文字がそれぞれ数を表す。数を用いた暗号は、逆に文字に戻して解読することができる。
666について最も有力なのは、ヘブライ語でローマ皇帝ネロと読む説である。
初期キリスト教の迫害者ネロ皇帝の名、ネロン・カエサルをヘブライ文字で表記し、その文字に対応する数字を合計すると「666」になる。
ヌン レーシュ ワウ ヌン コフ サメク レーシュ
50 + 200 + 6 + 50 + 100 + 60 + 200 = 666
こうして「666=キリスト教の迫害者、アンチ・キリスト、悪魔を指す数」とされた。これは「ゲマトリア」と呼ばれるこの計算法である。それぞれの国のアルファベットを数値に代入し、アンチ・キリストを割り出すことができるとされている。
例えば、ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーは、ラテン文字表記で
H I T L E R
107+108+119+111+104+117=666
また、「罪と罰」が執筆された当時のロシア人にとって最も脅威となった人物は、ドイツの英雄ナポレオンだった。1812年に「祖国戦争」を戦い、その後も長く、ナポレオンのセント・ヘレナ島脱出説などにおびえてきたロシア人にとって、ナポレオンはロシアの迫害者であった。
そして、ナポレオンをフランス語で綴り「Le Empereur Napoleon」とすると、
L e E m p e r e u r N a p o l e o n
20+5+5+30+60+5+80+5+110+80+40+1+60+50+20+5+50+40=666
そして、ラスコーリニコフですが、彼のフルネーム、ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフをロシア語(キリル文字)で表記すると
РОЛИОН РОМАНЫЧ РАСКОЛЬНИКОВ
そしてイニシャルは「PPP」となり、これを上下に反転させると、「666」の数字が現れる。 「PPP」というイニシャルは、ロシアではほとんどみられないイニシャルで、明らかに作為的なものであり、当初予定されていたワシーリィという名前を直前に変更したということからも意図的なものであると推測される。
謎とき『罪と罰』 (新潮選書)
作者: 江川卓
発売日: 1986/02/01
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106003031/umineko08-22/
人類の終末
本作において、ドフトエフスキーは十九世紀に蔓延しはじめた、神を否定し、人間は自らの意志、自らの欲望に基づいて行動するべきだという「ニヒリズム」(虚無主義)の思想に警笛を鳴らしている。
“
感染すると、かつて人々が一度も決して抱いたことのないほどの強烈な自信をもって、自分は聡明で、自分の信念は正しいと思いこむようになるのである。自分の判決、自分の理論、自分の道徳上の信念、自分の信仰を、これほど絶対だと信じた人々は、かつてなかった。(中略)誰をどう裁いていいのか、わからなかったし、何を悪とし、何を善とするか、意見が一致しなかった。誰を有罪とし、誰を無罪とするか、わからなかった。人々はつまらないうらみでお互いに殺し合った。
”
このように彼は、来たるべき世界大戦と宗教戦争・飢饉・天災・疫病などで発狂した人間の精神の乱れにより引き起こされる世界の終末を予言している。
神とは何か
本作における「神」とは、なんなのか。それは「絶対的真理」である。永久不変の正義であり、法則である。
常識や価値観は、時代によって絶えず変化する。
しかし、放火・殺人・窃盗・詐欺などは、いつの時代も罪悪とされており、これからも許されることはないだろう。
ノアの箱舟
「罪と罰」の舞台であるペテルブルグは、初代皇帝ピョートル大帝の時代に都市計画として建設された人工都市である。当時のペテルブルグは、人口の急激な増加や、貧困と不正の蔓延で地獄のような場所であった。
ペテルブルグには、ペトロパヴロフスという要塞があり、スウェーデンの脅威が低下した19世紀には政治犯収容所としても利用され、ドストエフスキーもその一人として収容されていた。
1849年に官憲に逮捕され、死刑判決を受けるも、銃殺刑執行直前に皇帝からの特赦が与えられシベリア流刑となる。四年間に渡る獄中生活の記録は『死の家の記録』に記されている。
ペテルブルグ水の都、つまり水に浮かんだ船にたとえられる。同様にラスコーリニコフの部屋も「船室」と呼ばれる。これらは「ノアの箱舟」を連想させる。ロシアの民話には、ノアの妻をそそのかして箱舟に乗船する悪魔の話がある。悪魔は鼠に化けて船倉に穴を開けようとしたが、英雄は猫になって鼠を退治した。ラスコーリニコフは猫になるはずの鼠。マルメラードフも鼠であるが彼は箱舟から自殺によって下船したが、ラスコーリニコフは生に執着するあまり箱舟にとどまろうとする。
“
生きていられさえすれば、生きたい、生きていたい!どんな生き方でもいい。 生きてさえいられたら!……何という真実だろう!……これこそ、たしかに真実の叫びだ!
”
罰とは何か
まず、罰にあたることとして古い法律解説書にある「汚辱刑」というのがある。自尊心の高い犯人には狂信をあざけり恥をかかせることが必要という理論がある。それに照応するのが、ソーニャに宣告された大地への接吻と全世界への告白である。
“
「立ち、ひざまずいて、あなたがけがした大地に接吻しなさい。それから世界中の人々に対して、四方に向かっておじぎをして、大声で『わたしが殺しました!』というのです。そしたら神さまがまたあなたに生命を授けてくださるでしょう」
”
そこには周囲の人のあざけりと笑いがあった。
また、ラスコーリニコフはさまざま機会で世界との断絶を実感する。そのような人物にとって愛は不可能である。これは、「カラマーゾフの兄弟」ゾシマ長老の言葉と照応する。
“
「地獄とはなにか?それは、もはや愛することができない、という苦しみである。」
”
このように、ラスコーリニコフは愛のない地獄で、生に執着するという矛盾の中で絶望に暮れることになる。これが「罰」の総体である。
ナンバー13と復活祭
「罪と罰」は1865年7月8日から同年7月20日までの13日間の物語である。7月20日は聖イリヤの祝日。
そして一年半後、シベリア流刑にあるラスコーリニコフの復活が訪れる。復活祭の週の朝、ソーニャと会い不意にラスコーリニコフはソーニャへの愛を自覚する(このシーンは聖書のイエス復活を下敷きにしている)。「殺人者」と「娼婦」という呪われた者が愛し合うことでユートピアへの入場資格を得た瞬間である。
“
どうしてそうなったのか、彼は自分でもわからなかったが、不意に何ものかにつかまれて、彼女の足下へ突き飛ばされた気がした。彼は泣きながら、彼女の膝を抱きしめていた。最初の瞬間、彼女はびっくりしてしまって、顔が真っ青になった。(中略)だがすぐに、一瞬にして、彼女はさとった。彼女の両眼にははかりしれぬ幸福が輝き始めた。彼が愛していることを、無限に彼女を愛していることを、そして、ついに、その時が来たことを、彼女はさとった、もう疑う余地はなかった。
”
また、ラスコーリニコフが過ごした屋根裏部屋も復活と大きく関係している。この場所は「戸棚」「トランク」、「船室」と比喩され、上京した母には「棺桶」とも言われる。中でも、「戸棚」や「棺桶」は聖書の「ラザロの復活」や、ホルバインの絵画『死せるキリスト』を象徴させる表現と捉えることができる。
最後に
「罪と罰」は、物語を楽しむ通俗小説としても、キリスト教的背景を持った予言書としても楽しめる作品です。日本人は仏教徒ではあるけれど、無神論者が多いのでキリスト教的な読み方をする人はごく少数だと思います。(私はそうでした)聖書は小説だけでなく、エヴァンゲリオンやその他の漫画等のストーリーにも大きく影響しているので、物語の認識を深めるのに一度読んでみようかな。
http://hikki-c.hateblo.jp/entry/2017/10/06/%E3%83%89%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%80%8E%E7%BD%AA%E3%81%A8%E7%BD%B0%E3%80%8F%E5%AE%97%E6%95%99%E7%9A%84%E8%A7%A3%E9%87%88
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2024/08/05 (Mon) 08:02:50
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アンチキリスト―悪に魅せられた人類の二千年史 – 1998/12/1
バーナード マッギン (著)
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309223346/isisnejp-22/ref=nosim
333夜『アンチキリスト』パーナード・マッギン松岡正剛の千夜千冊
https://1000ya.isis.ne.jp/0333.html
ロマン・ポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』の主題はアンチキリストの母親とは誰かという、ヨーロッパ2000年の謎を継承したシナリオにもとづいた映画だった。ミア・ファローはその途方もない苦悩をよく演じた。
これにくらべると『オーメン』はアンチキリスト思想が20世紀末の世の中にはびこっていることを訴えるにはもってこいだったものの、ダミアンの頭髪の中の666の数字といい、犬狼的獣性の暗示といい、いささかハリウッド的すぎてもいた。
現代においてアンチキリストの存在を信じているのは、世界中に数百万はいるといわれるキリスト教根本主義派(ファンダメンタリスト)たちである。かれらはちょっと信じがたい推理によって、現代においてもなおアンチキリストがいることを指摘する。たとえばヘンリー・キッシンジャー、たとえばミハイル・ゴルバチョフ、たとえばテレビ伝道師のパット・ロバートソン、たとえばサダム・フセイン……。
アンチキリストが現代社会にひそんでいるという考え方は、現代文学にも露出している。
T・S・エリオットが「本当の世界にわれわれを導くために綴られた超常的な作品」と絶賛したチャールズ・ウィリアムズの『万霊節の夜』は、大戦がやっと終わった1945年に発表された作品だが、主人公のクラーク・サイモンを魔術師シモンの再来として描いた。この作品はロンドンの日常性に隣接するらしい「シティ」というヴァーチャルな分身都市に迷いこんだ二人の男女をサイモンが支配するという筋書きだが、ウィリアムズはこうした奇怪なアナザーワールドを設定して、現代社会に巣食う「悪の本質」をアンチキリストとして象徴化した。この主題はウィリアムズの友人のC・S・ルイスも得意としたし、コリン・ウィルソンから荒俣宏におよぶ多くの批評家を虜にした。
これより前の作品ではウラジーミル・ソロヴィヨフの『戦争・平和・終末に関する三つの会話』の中の「アンチキリストの短い物語」が目立つほか、それに影響をうけたアンドレイ・ベリの『ペテルブルク』、メレシコフスキーの『キリストとアンチキリスト』、ロバート・ヒュー・ベンソンの『世界の主』が際立った。アンチキリストは20世紀文学の主題のひとつでもあったのだ。
現代文学が「悪」を描こうとすると、その作家やその作家が育った風土にキリスト教やギリシア正教があるばあい、多くのばあいにその主題はアンチキリスト観念と交差したのであった。
これらの文学作品がアンチキリストを描いた源泉は、おそらくはドストエフスキーの『作家の日記』、とりわけ『カラマーゾフの兄弟』の中の「大審問官」に起因しているとおもわれる。ドストエフスキーをはじめとするロシア文学がなぜに黙示的な傾向をもっていたかということは、すこぶる興味深い問題ではあるが、ここでは省いておきたい。
では、いったいアンチキリストとは誰なのかということだ。
どのように発生したキャラクターなのか。
アンチキリストの存在を確信する異様な歴史は、しつこいほどにヨーロッパを襲ってきた。
むろん恐怖が原因である。その恐怖は「あらゆる神性に刃向かう最終的人間の登場」に対する恐怖であって、それは究極の人間悪というものへの憎悪によっていた。神ももちろん畏怖の対象である。神こそは全知全能であり、最大の力の持ち主である。けれども、その神に救われるべき魂に「悪」が宿っていたらどうするか。神の善は人間の悪を必ず打倒してくれるのか。
古代このかた、悪が誇ってきた例は枚挙にいとまがない。暴君や暴帝はいくらでもいたし、家族や共同体を破壊する悪人は数かぎりなく輩出していた。むしろ悪こそが力の象徴だったのだ。そうだとすれば、そのような人間悪は、憎悪の対象ではありながら、ひょっとすると神をも凌ぐ力をもつのではないか。
恐怖とは、その恐怖なのである。ミルチャ・エリアーデが「歴史の恐怖」とさえよんだ恐怖であった。
このような恐怖あるいは憎悪がどこから生まれたかというと、紀元前3世紀以降のユダヤ教第二神殿時代にまでさかのぼる。
そこに黙示的なメシアの思想が芽生えたとき、そのメシアの存在こそが、同時にそのメシアに反旗をひるがえす集団にとっての憎悪の対象となったのである。
ということは、アンチキリスト像の真の登場は、そのメシアがナザレのイエスとして登場したときだったということになる。意外なことに、イエスそのものの存在がアンチキリストの存在の原型なのである。なぜ、このような見方が成立するかということは、ちょっと考えてみればすぐ理解できる。イエスはメシアとして待望されたのであるが、そのイエス像が絶対化されたとたん、そのような絶対像に対極する絶対像が想定できるからである。
もともとこういう見方の先駆的な温床となったのは、いわゆる黙示文学だった。
黙示文学は神の啓示を伝える内容をもつが、大別すると二つの流れに分かれる。ひとつは天上界の秘密の解明を語るもので、これは各種の天界の物語となっていった。もうひとつは、その啓示の内容に時の神秘や時の流れが含まれるもので、ここに世界の年代やその終焉が語られ、歴史の終わりと新たな神の時代の始まりが予告された。時の終わりが綴られたのだ。
なかで有名なのが『ダニエル書』や『ヨハネの黙示録』である。これらは悪の軍勢に対して神の裁きが下されるという内容だった。とくにその『ダニエル書』7-12章の黙示録はその歴史の終末の年代を暗示した。
こうして黙示的終末論がはびこったのである。
二つの気になる問題が蟠っていた。第1には、いったいその「神の裁き」はいつ下されるのかということだ。この算定は長期間にわたってキリスト教徒を悩ませる。3世紀にはヒッポリュトスが紀元500年が終末の日だとしたし、別の者たちは1000年とか1050年代を算定した。この算定合戦はひきもきらず、かのアイザック・ニュートンさえもがアンチキリストの出現の日時を『ダニエル書』と『ヨハネの黙示録』によって算定しようとしていたほどなのだ。
第2には、おぞましくも強烈な新しいキャラクターが登場しそうなことである。悪魔(サタン)だった。その原型は第二神殿時代のユダヤ教や『ダニエル書』に「小さな角」と揶揄されたアンティオコス4世エピファネスにも見られるが、エッセネ派の分派クムラン宗団の"義の教師"に対する"偽りの教師"や"邪悪な司祭"や、ユダヤ教徒を迫害したヘロデ王にも見られた。
ともかくも、終末がいつかくるはずだということと、悪魔が神に対抗するという発想とが車の両輪となって、以降、アンチキリスト像は加速的に強化されていく。
本書は読むのにちょっと疲れる大著である。著者はシカゴ大学の神学部の研究者だが、黙示的信仰論と至福千年論の権威であるせいで、真面目すぎるし、詳しすぎるのだ。
しかし、詳細な研究だけがアンチキリスト像を正確に浮上させるといってもよい。なにしろアンチキリストについてはあまりにもオカルト趣味が蔓延(はびこ)っている。つい『オーメン』や『エクソシスト』や、そうでなければルシフェロやダースベイダーの肩をもちたくなりかねない。ぼくもずいぶんいいかげんな議論にふりまわされてきた。
しかし、本書でかなりのことが歴史的にはっきりした。ざっと次のようなことである。
ひとつ、アンチキリストには6つの特性がある。
①ユダヤ人の血統をもっている、
②使徒を派遣する、
③世界中から民人を集める、
④追随者に徴(しるし)をつけたがる、
⑤人の姿をとってあらわれる、
⑥神殿をつくる。
ひとつ、アンチキリストは「二重のアンチキリスト」としてあらわれる。奇蹟を与え、そして人類をことごとく滅亡させるという二重性である。
ひとつ、アンチキリスト像がほぼ完全に確立したのは中世であるが、その背景にはアンチキリストを異教徒たちを改宗させる反面教師としてつかったことが大きかった。大グレゴリウスがその筆頭に立っている。
ひとつ、背教者をアンチキリストにしたてることが流行した。ユスティニアヌスはその一人である。
ひとつ、アンチキリスト像は6世紀前後に登場した『ヨハネの黙示録』の図版に大きく依存した。
ひとつ、意外なことには、教皇こそが実はアンチキリストという言葉を普及させた張本人であり(十字軍の派遣のために教皇がアンチキリスト概念を拡張してしまった)、それが昂じて教皇権力の反対者からは教皇こそがアンチキリストであるという発想を出させてしまった。後世、教皇をアンチキリストとして弾劾した最も有名な男はマルティン・ルターだった。
ひとつ、結局、アンチキリストを民衆に広めたのはユオン・ド・メリーの『中世騎士物語』である。
このほか、アゾとビンゲンのヒルデガルトとフィオーレのヨアキムのヴィジョンがアンチキリストのイメージを引っ張ったということもわかった。
しかし、ここまでは迷信深い中世までの出来事である。どんな説が出ようともおかしくはない。問題はそのようなアンチキリスト像がその後も生き延びて、20世紀の社会にもかぶさってきたということだ。
理由はいくつかある。まず宗教改革とプロテスタンティズムがカトリック批判や教皇批判のためにアンチキリストのレッテルを活用した。これはエリザベス女王以降のイングランドでは決定的なものとなっている。ついで、ロシアがアンチキリスト・イメージの舞台になった。
もともとロシアは17世紀には自分たちの国が"第3のローマ"であろうという自覚をもとうとしていた。モスクワ大公国に実現された教会=国家こそは『ダニエル書』2章の"第四の帝国"を任ずる最後の国であるという思想である。
これがピョートル大帝の時期に潜在的に拡張し、ピョートル大帝の人格と悪政こそがアンチキリストの象徴であるというふうにみなされた。悪政とは私生活の乱脈とロシア社会の西欧化ということをさす(メレシコフスキーの『キリストとアンチキリスト』はピョートル大帝をアンチキリストとして徹底的に描いている)。ドストエフスキーやソロヴィヨフが"ロシア的黙示文学"ともいうべきを深化させた背景には、以上のような事情もあったのである。
さらにナポレオンやナポレオン3世がアンチキリストに見立てられたことも大きかった。これは新大陸アメリカにわたったピューリタンたちの喧伝も手伝った。この風潮はアナキストをアンチキリスト呼ばわりする傾向にまで流れこんでいる。
こういうぐあいで、アンチキリストは宗教の問題から社会の問題に横すべりしていった。
ところが、こうした社会化したアンチキリストに対して、むしろ心理化したアンチキリストの存在の重要性を指摘した者があらわれた。カール・グスタフ・ユングである。ユングはキリスト教にはそもそもキリストとアンチキリストという二重性があると分析して、そのような二重性は「自我の影」としての人間の心の暗部を象徴する必然性なのだと説いた。
ありうることである。ただし、そうなると誰の心にもアンチキリストが棲んでいるということになる。はたして、そこまで言えるのか。本書の著者はこのようなユングの見方に反対している。神学者であるマッギンはあくまで信仰における偏向の役割としてのアンチキリストを捉えたいからだ。
しかし、ぼくが本書を読んだかぎりの感想では、アンチキリストの力はそもそもの歴史の当初から信仰の問題よりも心理の問題よりも、むしろ社会の問題として浮上してきたのではないかとおもわれる。いつかじっくり考えたい。
意外なことに、アンチキリストという用語は、『ヨハネの第一の手紙』と『ヨハネの第二の手紙』だけにしか出てこない。
それにもかかわらずアンチキリストという言葉が流布してしまったのは、さまざまな文書に「キリストに代わる者」とか「偽のキリスト」とか「キリストに対立する者」という言葉が頻繁にみられ、それらがやがて"一人のアンチキリスト"に集約されていったからである。
とくに『ダニエル書』、パウロがテサロニケ人に送った二つの手紙、『ヨハネ黙示録』がアンチキリストの"原典"として何百回、何千回と読み替えられてきた。そこにエドム人ドエグ、ゴグとマゴグ、レビヤタン(リヴァイアサン)とベヘモート、魔術師シモン、七頭の龍の伝説、淫婦バビロンなどのキャラクターがアンチキリスト像に習合された。
しかし、当時も今も、アンチキリストは複数者のことであって、世の中にはいくらでもアンチキリストがいるという見方がとられてきたのである。
参考¶著者のバーナード・マッギンには『黙示論的霊性』『終末のヴィジョン』『神秘主義の起源』『ヨーロッパの伝統における黙示的終末』など多くがあるようだが、翻訳書は『フィオーレのヨアキム』(平凡社)くらい。1937年の生まれで、最初は中世思想史を専攻していた。
https://1000ya.isis.ne.jp/0333.html
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2024/08/05 (Mon) 08:03:24
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キリスト教原理主義
キリスト教原理主義の本質は、主に米国が過去に行った過失を正当化できるからこそ普及しているのであり、キリスト教よりもユダヤ教の亜種に近い性質を帯びている。
プロテスタントといえば、多くの日本人はルター派とカルバン派しか思いつかないだろうが、英米のプロテスタントの多くは、英国国教会の亜種である。
英国国教会は、設立当初から血塗られている。
ローマ教会が離婚を許さないのを理由に、ローマ教会を離脱して英国王が首長となる教会を設立したのであるが、そのヘンリー8世は6人の妻を持ち、2番目の妻アン・ブーリンと5番目の妻キャサリン・ハワードを姦通罪で処刑している。6人のうち死別は3番目の妻ジェーン・シーモアのみである。
英国国教会の成立には、ローマ教会を通して仏の影響力を廃したかったのもあるだろう。アビニョン捕囚(1309~77)の影響でフランスはローマ教会への影響力を強化していた。
また、ローマ教会自体が各国の王の上に己の存在を置く状態であり、英国内の反発があるからこそ、英国国教会は存続したのだろう。
つまり、設立自体が、エゴイズムとナショナリズムが動機である。
そのため、エリザベス一世時代に英国国教会から清教徒が反発して分離するのだが、彼らがローマ教会へ戻らずに新しい諸派を建てていった理由も、ナショナリズムによるローマ教会への反発があった。
もちろん、当時のローマ教会は相当腐敗していたのも事実だ。
つまり、英米のプロテスタントの場合、ルター派とカルバン派ほど純粋な動機とは言い難い部分が元来強かったのである。
ローマ教会を離れた時に、教皇に替わる宗教的権威は、何になるか。
自派内のヒエラルキーの頂点である。
古い宗派の中で頂点を極めることは難しいが、新派を建てれば己自身が頂点になりうる可能性がある。
「英国人は六十の宗派を抱えているが、料理のソースは一つだ」というイタリアの諺があるほど、英米のプロテスタントは多数の派がある。
己が宗教的権威になりたいという我欲こそが、多数の派が存在する理由の最大の要因ではないかと憶測している。
一番の問題は、聖書無謬性という偏向なのだが、これはルター派が聖書中心主義を唱えた影響から英米のキリスト教原理主義に多い。
キリスト教において本来一番大切なのは、イエス=キリストの言葉であった筈だが、イエス=キリストの言葉と矛盾する見解を米国人が頻繁に出すのは、聖書無謬性の影響ではないかと思う。
聖書無謬性、というよりも、旧約聖書無謬性こそが、キリスト教原理主義の中心に存在するのではないか。
旧約聖書は、無謬どころか矛盾だらけだが、キリスト教原理主義で重要視されているのは、旧約聖書の内容とヨハネの黙示録なのである。
ヨハネの黙示録の諸派にとって都合の良い解釈することと、旧約の内容が、キリスト教原理主義の根本のようだ。
これでは、キリスト教というよりも、選民思想が極端に強いユダヤ教の亜種である。
まず、北米インディアンの土地を奪ったことについては、「アメリカは約束の地である」と説明する。
鉄砲隊に向かって「特攻」を続けた北米インディアンを、虐殺し続けるのに当たって、「北米インディアンは聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と説明する。
奴隷貿易の中心は実は英国だったが、「黒人は聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と同様に説明している。
聖書の無謬性という信仰を利用することによって、自分達のエゴイズムや貪欲な物欲、選民思想を合理化できるのだ。
どんな人間だとて、異民族でも多数の人間を無差別虐殺すれば、潜在的に罪悪感を感じるものである。
もちろん、本物の「見せかけだけの善人」ならば、潜在的にも罪悪感を感じないだろうが。
米国人の心に在った潜在的罪悪感や不安感を薄れさせ、自らの虐殺・軍事的及び経済的侵略を正当化するために、聖書無謬性は、実に利用価値の高い説なのである。
聖書無謬性は、選民思想を強化し、エゴイズムの発現と経済侵略を正当化する。
だから、英国は「死の商人」として長年成功できたのだろう。日本で有名なグラバーも、英国の武器商人である。
第二次世界大戦後、英国の国土は荒廃していた。
戦争の被害のない米国が「世界の中心」となったのは必然であるが、その世界の中心とは、「世界の武器工場」なのである。この情けない地位は、この先当分揺るぎそうにない。
人殺しで儲ける「商売」は、私は世界中で最も卑しい職業だと思う。
殺傷兵器を多数生産することにも、自己正当化と合理化が必ず必要になる。
「我々は、民主主義を世界に普及するために武器を製造しているのである」とか工場で合理化の言葉を言わなければ、現場の労働意欲が必ず低下していく筈だからだ。
米国で武器を多数製造しなくても、たくさんある別の産業に大半を転換すればいいだけの筈だ。日本は、戦後ちゃんとできたのだから。
だが、恐らく、最早不可能だろう。
なぜなら、米国は「民主的な豊かな社会」から「憎悪と恐怖の対象」「言論を弾圧する強国」へと変質して行っているからである。
報復を恐れて先制攻撃し、無差別攻撃するために、他国民の憎悪と怒りが増し、死を賭しても抵抗を表したいという人々をどんどん増やしているという、ごく当たり前の論理が、米国人には理解できないようだ。
恐らく、欧米人以外の人々を、無意識下で「人間」と認めていないからである。
世界中から恨まれ憎まれていることを、米国人の大半が9.11まで気づかずに済めたのは、エバンジェリカルが米国民が潜在的に持つ罪悪感や不安感を合理化し、選民思想を強化してくれているためである。
戦争があるたびに、米国内のエバンジェリカルは信者数を増していく。
今や、聖書無謬性を信じる米国人が半数以上なのではないか。
例え、神が言ったことが正しかったとしても、転記を続けた古代ユダヤ人が自分達に都合の良い内容に書き換えなかったと何故信じられるのかは、理解に苦しむ。
古代ユダヤ人の知っている世界しか書かれていないからといって、それ以外の土地に住むのは人間ではない、あるいは被差別民族だと信じられるのは、何故なのか。
「木を見る西洋人 森を見る東洋人」に従えば、西洋人の世界観があまりに単純だからと説明できるだろう。
そんなに、世の中、単純なわけなかろうが。
あらゆる物事は、複雑に絡み合っている。
人体の一部が悪くなれば、全体に影響が及ぶようにだ。
潜在的罪悪感を引きずるからこそ、米国は犯罪大国になったのではないか。
エバンジェリカルは「核戦争を待望する人びと―聖書根本主義派潜入記 朝日選書」によると、ヨハネの黙示録の「ゴグとマゴク」、つまりイスラエルに進攻して戦う二つの大国とは、ロシアと中国だと教えているそうだ。
信者を増やすために、「核戦争はすぐ来る」とエバンジェリカルが米国民の恐怖を煽れば煽るほど、「どうせ先はないんだから」と自暴自棄の心境に陥り、犯罪に走る者は増えていったのだろう。
潜在的罪悪感や不安感は、潜在的犯罪者を増加させていき、米国民の人心を荒廃させて行ったのである。
「人のふり見て我がふり直せ」と言う。
経団連が武器輸出を求めた結果、内閣が勝手に、当座米国にのみミサイルを輸出することに決めてしまったが、これは米国の轍を踏むことになるだろう。
潜在的罪悪感を合理化する装置としての宗教は、日本において国家神道と靖国である。
次第に国粋主義者が再度増えて行っている現状を、よく考えてほしい。
米国の事実上支配下に入っている日本では、精神的には戦後の混乱が続いたままなのである。
恐らく、潜在的罪悪感や社会の矛盾を合理化するために、日本人の多数が、再び自発的に国家神道と靖国に縋り始めたのである。
それを否定する者に対して、「非国民」扱いが始まっている。
戦後の精神的混乱を「日教組の偏向が」等とする、安易な合理化を続けているようでは、昭和初期と同じ状況を自ら作り出してしまうだろう。
そして、潜在的罪悪感と社会の矛盾を合理化するのに、靖国では駄目だと考える人々が新・新興宗教に縋っていくのである。
この状況が長く続けば、オウムのような極端な教義を必要とする人々が増えていくはずだ。
武器輸出は、第二・第三のオウムを作り出し、アーレフを強化する。
エゴイズム、利己主義と物質主義、利益優先主義、選民思想などの、「アメリカナイゼーション」が「グローバリズム」の名で一層進行していけば、犯罪発生率が増加するのは当然である。
物事は連鎖していると考えるのは、東洋的発想らしいが、過去の清算が充分に済まないならば、潜在的罪悪感や不安感が、国を誤った方向へと導くのは避けがたいだろう。
良い商品を世界に供給するのを止めて、死の商人への道を進むのが、日本国の将来のために素晴らしいことと思いますか。
経済的論理のみを追求すれば、犯罪発生率は高まり、要人暗殺や報道機関への武力攻撃等の右翼テロが頻発する時代をもたらすだろう。
その先にあるのは、五‐一五事件(1932年犬養毅首相暗殺)、二‐二六事件(1936年陸軍クーデター)のような時代が来るだろう。
貴方は、奥田経団連会長や小泉首相が、そういうことまで考えて武器輸出を決めたと思いますか。
重要案件が国会の議決を経ないで決まる事態は、民主主義の形骸化の進行です。
「誰がなっても変らない」と賢しらに言う人々が多数日本にはいますが、本来、日本の未来を選ぶのは、国民の一票の筈です。
貴方は、どんな未来を選びたいと考えていますか?
何もせずに他人(政治家や官僚)のせいにするというのも、一つの選択であり、その選択に相応しい未来が待っているはずです。
【福音派】聖書の外典・偽書と「聖書の絶対不可謬性」
キリスト教史の中で、旧約聖書が正式に聖典の扱いを受けるようになった歴史は意外に浅く、トリエント公会議(1545)の時である。
2世紀には既に旧約聖書を認めない派が存在し、それに反対するためにも4世紀に聖書のラテン語訳が始まり、397年「正典」が一応決まった。
特に、ヨハネの黙示録を新約に残すかどうかで、随分揉めたらしい。
東方正教会は、長く認めていなかったという。
1世紀末に書かれたもので、「ヨハネによる福音書」「ヨハネの手紙」の著者とは別人が書いているが、今でも諸説あり、作者が福音書作者でないと文献学等で否定されていることを聞くと激怒する宗派もあるらしい。
どの文書が聖書として認められるべきか否かで、長く揉めて来た歴史というのは、大抵の宗教にあることだ。例えば、「北伝仏教の経典の多数は偽書である」という研究もある(「梅原猛の授業 仏教」をご参照下さい)
そんな歴史があるのに、特に、キリスト教原理主義者達を中心に「聖書の絶対不可謬性」を固く信じているキリスト教徒が結構いるのだそうだ。
聖書の中には、これを聖書に含めるかで揉めた文書があるという歴史等を、清教徒は全く知らなかったらしい。そのため、アメリカを中心に「聖書の絶対不可謬性」という、珍奇な教義をもつ教団が多いのだそうだ。
しかも、彼らが「間違いがない」と主張するのは、大抵、本来は聖典ではなかった旧約聖書のほうで、新約と違って間違いだらけの書物だ。
281投稿者:狂ったアメリカ人の精神構造 投稿日:2007年06月10日(日) 08時50分55秒
旧約聖書は盲信されると、世界の迷惑になる話が多すぎるのだ。
聖書と言っても旧約聖書は、基本的に泊付けのために導入されたものであり、どう考えても新約聖書の「神」と矛盾している。
旧約聖書の「神」は、所詮民族宗教の神なので、イエスと違い、人を幸福にすることのない神なのだ。
その「神」とイエスが三位一体であると言ったものだから、それから、キリスト教の神は相当残虐な「神」に変化し、教会の教えも残虐なものに変質してしまったのかもしれない。
ローマカトリックが新教の発生と共に今までの教会のあり方を見直して現在に至るのと対照的に、「自分達こそ、(旧教の輩と違って)汚れなき者である」と主張し続けて来た人々は、随分人殺しが好きな人々になっていき、全く自分達の行動を振り返ろうとはしない。
「神に選ばれた」とか「(自分達だけは)清浄なるものである」とか、「アメリカは『神の国』である」とか言うのは、明らかな(誇大)妄想である。
民族宗教の神ならともかく、キリスト教の神が、そんなに驕り高ぶり尊大で、「自分達は選ばれているから何をやっても許される」といった論理で他国民を無差別虐殺するような信者を、そんなに高く評価するだろうか。
「汝の敵のために祈れ」と言った神がだ。
聖書を書き記したのは所詮古代ユダヤ人であり、聖書の中にサハラ以南の黒人、インド以東のアジア人、北米南米・オーストラリア・ミクロネシアの現地人の存在が書かれていないのは、単に、当時の古代ユダヤ人の知識が足らなかっただけである。
ところが、「聖書の絶対不可謬性」を盲信する人々は、聖書に出て来ない人々を「人間として認めてはならない」という、見解になりがちだ。
清教徒が最初にこの考え方を米国に伝え、英国の清教徒が奴隷貿易を擁護した。自分達は清い名を名乗り、その行動は実に血なまぐさい。
聖書が誤っていることを認めぬ代わりに、世界や現実のほうを自分達の信念に合わせようとすると、随分多数の人々の人権を侵害し、戦争を次々起こし、多数の国を弱体化させ、...たくさんの異教徒をアジア・アフリカ・南北アメリカで殺さなければならない。
実際に、合わせようと今まで努力してきたのが、アメリカ合衆国という国の「裏の歴史」ではないのだろうか。
「キリスト教原理主義のアメリカ」(p.94)では、「聖書の絶対不可謬性」を信じる信者の割合を表示している。
ユニタリアン・ユニバーサリスト 6%
統一キリスト教会 12%
アメリカン・福音ルーテル教会 21%
エビスコーパル・チャーチ(聖公会) 22%
統一長老派教会 25%
統一メソディスト教会 34%
エホヴァの証人 51%
チャーチ・オブ・クライスト 55%
サザン・バプティスト会議 58%
チャーチ・オブ・ナザレン 58%
アセンプリーズ・オブ・ゴッド 65%
ユナイテッド・ペンテコスタイル・チャーチ 69%
チャーチ・オブ・ゴッド 80%
http://hoffnungenlied.cocolog-nifty.com/kaizen/cat1966234/index.html
「敵を妥協せず徹底的に叩く」というアメリカの精神的背景について
http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5503.html
アメリカに移住したピューリタンは、「キリスト教原理主義」を貫いて、「エルサレムの建国」を「マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)」として、西部開拓(実際は先住民殺戮)を推し進めた。
この「キリスト教原理主義」の精神性が連綿と続いているという。
「キリスト教原理主義」は聖書(:福音)絶対であるのと同時に、選民思想であるという。これが他部族みな殺しを正当化させているとのこと。
元々、ヨーロッパ自体が
「古代・地中海周辺における皆殺し戦争の結果としての共同体の徹底破壊」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=330205
により、選民思想も登場してきているという背景があります。
ヨーロッパは、17世紀中頃に徹底殺戮の宗教戦争(:「神」と「悪魔」の戦い)をやめる条約を取り交わしました。しかし、アメリカ(に渡った移民)はその後も長きにわたって、みな殺しの殺戮を繰り広げてきたことが、今尚「敵を妥協せず徹底的に叩く」という精神性に繋がっているのだと思います。
以下、
『世界を操るグローバリズムの洗脳を解く(馬渕睦夫著)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E6%93%8D%E3%82%8B%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%AE%E6%B4%97%E8%84%B3%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E9%A6%AC%E6%B8%95%E7%9D%A6%E5%A4%AB/dp/4908117144
からの紹介です。
****************************
■アメリカを新しいエルサレムの地にする
イギリスでピューリタン革命が起こる前、宗教的な迫害を受けたピューリタンの一部の人たちは、新天地を求めてイギリスからアメリカ大陸に向いました。1620年にピルグルム・ファーザーズがメイフラワー号でアメリカに渡ったのです。
ピューリタン(清教徒)というのは、purity(純水、清浄)という言葉から来たものですが、文字通り、宗教的な純粋、純化を求めていた人たちです。
彼らは、当時のカソリックの腐敗した状況を見て、ルターの宗教改革をさらに徹底してやらなければいけないと考えました。
ある意味で、キリスト教の原理主義であり、相当極端な過激な思想であったと思われます。それゆえに、イギリス国内での迫害も強かったのでしょう。ピューリタンたちはイギリスで食い詰めた最下層の人たちだったという説もあります。
いずれにせよ、彼らの一部はイギリスを逃れてアメリカに移住しました。
彼らピューリタンは、司祭の言葉ではなく、聖書の言葉こそ神の言葉と考えて、聖書の言葉を忠実に実践しようとしました。そして「この地に自分たちにとってのエルサレムを建国しよう」と考えたのです。
ピューリタンたちは旧約聖書を重視しましたが、旧約聖書に忠実に従ったという点ではユダヤ人たちと考え方は同じです。
ユダヤ人は自分達を選民と考えていましたが、ピューリタンも自分達を現代の選民と考えて、アメリカという地をエルサレムにして、神の福音を世界に伝えようと考えました。これが「マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)」と呼ばれるものです。建国の精神に立ち戻って考えれば、アメリカと言うのは宗教国家であることが分かります。
彼らは、神の福音を伝えることを使命と考えていましたから、それを妨害する勢力は皆敵と見なしました。その観点に立てば、先住民の殺戮も正当化されました。
そして神の福音を妨害する勢力を西へ、西へとなぎ倒していったのがフロンティア・スピリットです。フロンティア・スピリットは、ピューリタニズムと表裏一体です。
西へ、西へと進んでいって最終的にたどり着いたのがカリフォルニア。そこから先は海に遮られています。しかし、太平洋を越えて福音を伝えようと考え、アメリカはハワイ、フィリピンに進出し、さらに日本、中国にも福音を伝えようと考えました。
このように、アメリカのたどってきた歴史は、マニフェスト・デスティニーの歴史と考えると筋が通ります。
■宗教国家のアメリカには「妥協」がない
現代のアメリカには、ピューリタニズムの精神はもうほとんど残っていません。アメリカの国体はすっかり変わってしまいました。国体は変質してしまいましたが、彼らのマニフェスト・デスティニーの考え方は変わっていません。アメリカ的な発想を世界に普及させる、あるいは押し付けるというやり方を続けています。つまり、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を世界に広げることが、一貫したアメリカの世界戦略です。
彼らは、「自分達は植民地主義者ではない。帝国主義者ではない」とずっと主張し続けていますが、実際の現象を見れば、遅れてきた帝国主義者の様相を呈しています。彼らは「門戸開放」という言葉を使いましたが、言い方を変えれば、「オレたちにも分け前をよこせ」という意味です。
神の福音を伝えることが目的であったにせよ」、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を広げることが目的であったにせよ、実質的には帝国主義と同じです。
建国の経緯を見れば、アメリカと言う国の本質は宗教国家であることが見えてきます。宗教を広げることを理念としている以上、彼らに妥協というものはありません。その点を理解しておくことが重要です。宗教国家の側面は、アメリカの戦争のやり方にも影響しています。
ヨーロッパにおける戦争というのは、妥協が成立することがよくあります。17世紀に宗教戦争によって疲弊しきったヨーロッパ諸国は、1648年にウェストファリア条約を結んで宗教戦争を止めることを決めました。
宗教戦争というのは、「神」と「悪魔」の戦いですから、悪魔は徹底的に叩くほかなく、どちらかが破滅するまで行われます。続けていけば際限が無くなり、ヨーロッパ全体が破壊されてしまうため、宗教を理由とした戦争を止めるウェストファリア条約が結ばれました。
ウェストファリア条約以降は、ヨーロッパでは戦わずして対立が終わることもありましたし、話し合いによって妥協が成立することもありました。
アメリカの場合は、選民思想によるマニフェスト・デスティニーが根本にあるため、アメリカにとっての戦争は、いずれも宗教戦争的意味合いが濃く、彼らには妥協というものがありません。
第二次世界大戦においては、アメリカは日本を徹底的に攻撃して壊滅状態に追い込みました。その後の占領政策では日本の国体を徹底的に潰そうとしました。一切の妥協はありませんでした。それが宗教国家のやり方です。
今は、ピューリタニズムのアメリカ的な精神を持った人たちは、ほとんどいなくなりました。アメリカの国体が変質して、宗教国家の要素はなくなっていますが、妥協しないやり方は変わっていません。
http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5503.html
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15:777
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2024/08/05 (Mon) 08:03:45
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2019.03.25
ポンペオ国務長官に限らず、米国はキリスト教系カルトの思想に影響されている
アメリカのドナルド・トランプ米大統領がシリア領のゴラン高原におけるイスラエルの主権を認める時期だと表明した頃、マイク・ポンペオ国務長官はイスラエルを訪問していた。そこで同長官はクリスチャン放送網のインタビューを受け、その中でトランプ大統領が現れたのはイランの脅威からユダヤの民を救うためなのかと聞かれる。その答えは「キリスト教徒として、それは確かにありえると思う」だったという。
ポンペオはマイク・ペンス副大統領と同じようにキリスト教系カルト(ファンダメンタリスト)で、トランプ大統領がアメリカ軍にシリアから撤退するように命じたときは激しく反発していた。その命令にはペンスとポンペオだけでなく、アメリカの有力メディアや議員たちも同じように反発していた。
バラク・オバマ政権の政策は東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)の支配国を作ることになる可能性があると2012年8月にDIAは警告していたが、その当時のDIA長官、マイケル・フリンをトランプは国家安全保障補佐官に任命した。そのフリンを有力メディアや議会は激しく攻撃、2017年2月に解任される。その直後の3月、トランプ大統領を排除してペンス副大統領を後釜に据えるという計画があるとする情報が流れた。
1991年当時、国防次官だったネオコン(イスラエル至上主義の一派)のポール・ウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを殲滅すると口にしていた。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在の作戦連合軍)最高司令官の話。(ココやココ)
ネオコンは1980年代にも似たことをホワイトハウスで主張していた。イラクのサダム・フセイン政権を倒して親イスラエル体制を樹立、シリアとイランを分断して両国を殲滅すると言っていたのだが、ジョージ・H・W・ブッシュ副大統領(当時)などイラクをペルシャ湾岸産油国の防波堤と考えるグループと対立、スキャンダルが発覚する一因になった。
キリスト教系カルトがイスラエルへ接近したのは1970年代のこと。ネオコンがアメリカで政治の表舞台へ出てくる時期、つまりジェラルド・フォード政権と重なる。ベトナム戦争でアメリカ軍が苦しんでいた1967年に引き起こされた第3次中東戦争でイスラエル軍が圧勝、カルトの信者たちはそこに新たな「神の軍隊」を見たようだ。
キリスト教の「新約聖書」は何人かが書いた文書を集めたもので主義主張に違いがあるわけだが、その中で最も強い影響力を持っているのが「ヨハネの黙示録」。そこで日本語版を読んだことがあるのだが、おどろおどろしい妄想にしか思えなかった。
新約聖書を研究している田川健三によると、黙示録にはふたりの人物、つまり原著者と編集者によって書かれた文章が混在している。ギリシャ語の能力が全く違い、思想も正反対であることから容易に区別できるという。原著者は初歩的な文法についてしっかりしているのに対し、編集者の語学力は低く、知っている単語や表現をまるで無秩序に並べ立てただけだというのだ。(田川健三訳著『新約聖書 訳と註 第七巻』作品社、2017年)
この説明を読み、黙示録の支離滅裂さの理由がわかった。本当の問題は語学力ではなく、その思想の違いにあるのだ。元の文章を書いた人物はすべての民族、すべての言語の者たちを同じように扱い、ユダヤ人の存在そのものが意識されていないのだが、元の文章に加筆した人物は極端に偏狭なユダヤ主義者で、異邦人は神によって殺し尽くされると考えている。
後のキリスト教は異邦人を異教徒に読み替え、侵略、破壊、殺戮、略奪を繰り返してきた。十字軍の中東侵略やアメリカ大陸での先住民殲滅と略奪は勿論、ピューリタンはカトリックの信者が多いアイルランドなどへ攻め込み、アジアやアフリカも植民地化して殺戮と破壊の限りを尽くした。
そうした流れの中、中国(清)を略奪するために始めたのがアヘン戦争であり、イギリス(シティ)は兵力の不足を補うために日本人を傭兵として使った。その戦略はアメリカ(ウォール街)が引き継いでいる。
ポンペオ長官のトランプ大統領に関する話が事実だったとしても、驚くほどのことではない。アメリカとはそういう国なのである。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201903250000/
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2024/08/05 (Mon) 08:04:12
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読書:田川建三『新約聖書 訳と註』 ヨハネ黙示録 2017/09/07
https://ohta.at.webry.info/201709/article_1.html
13年かかった田川建三の新約聖書翻訳が遂に完結である。長年の田川ファンとしては、慶賀の至である。なんせ、1935年生まれだから、今年で82歳。高齢ゆえに、完結を待たずして病に倒れるなんて状況はいくらでもあり得たのである。
近年の刊行ペースは二年に一回だった。最終稿が上がって最終校正も終わった頃になると田川自身のホームページが2年ぶりに更新されて、そろそろ新刊が出ることと近況として病気をして寝込んでいたことなどが報告されるというのが最近のパターンだったのである。まずは、よかったよかった。
しかし、、、、この調子でいくと『事実としての新約聖書』(新約聖書概論)が発刊されるのは、2ー3年先になりそうだし、それまで田川建三先生の元気が持つかどうかは相当に怪しい。何としても、ここは頑張っていただきたい。そうでないと、日本のキリスト教理解が生半可なまま続いてしまう。日本人のおめでたいキリスト教観が維持されてしまう。それは堪忍してほしい。
で、現物を買ってきて読んだ。訳文41ページ、註が約800ページという配分も相変わらずで、註の文章の中で炸裂する田川節も相変わらずというか、しつこいぐらいに聖書協会の翻訳(文語訳、口語訳、新共同訳)とアメリカ聖書協会の英訳(RSVとか)をこき下ろしまくる。今回は岩波訳が槍玉に上がってないなと思ったら、岩波の黙示録翻訳は特に程度が低いので相手する気にもならないのだそうだ。代わりに槍玉に上がっているのは佐竹明の(注解書の)翻訳と解釈。読みながら「ああ、私は佐竹明の親族親戚でも友達でもなくて良かった」としみじみ思いたくなるくらいに執拗な批判(というか、攻撃だよなぁこれは)を繰り返す。
・佐竹は学問のやり方を根本的に間違っている。しっかりと証拠を上げることには何の興味も示さず、他人の「論文」の結論だけを写してきたとて、それじゃ学問にはならない。それも大部分は近頃の学者になりたがり屋の連中(ほとんどは学問ごっこのお遊びの水準)が業績稼ぎに書いた「論文」を何百と読んだとて、何の役にも立つまいに。p.85
・佐竹さんは太陽が地平線から上って来る瞬間を見たことがないのかしらん。p.91
・佐竹はこの人たちのことを「リベラルな性格を持ったグループ」とレッテルを貼ってお出でだが、このレッテルがエイレナイオスの悪口に起因する、という事実をご存知ないままに、それに乗っかっておいでなだけである。p.110
800ページの注釈の中でこれを延々続けるのである。いや、日本にとどまらず、英独仏の聖書学者を片端からこき下ろしている。
・この種の学説をご自分で検討しないで尻馬に乗る奴が多いが、たとえばローマイヤー。(中略)尻馬進学者はそれを有難い神学の教えに転化しようというのだから有難や聖書学も困ったものである。安物学者は学問をやらずに神学ごっこをやっている。p.175
果てはルターの翻訳も批判にさらされるのだから、半端では無い。私も含めて田川ファンというのは歯に衣着せぬ田川節=罵倒を楽しむという不埒な趣味の人間が多い筈だが、ここまで徹底的にやられてしまうと、さすがに辟易というか、「田川先生、よく分かりましたから、そのあたりでやめてください。読んでる私たちが辛くなりますから」状態である。叩かれている相手が可哀想になってくるぐらいに田川はしつこい。
田川は、自分で書いた原稿は何回も繰り返して推敲するのだと、あるところで述べているのだが、あそこまで繰り返しているとご自身で読んでいて辛くならないのか?とも思いたくなる。しかし、田川はこの調子で全7巻8冊の註を書き切ってしまったのだ。
そして今回、あとがきを読んでいたらこんな一節に出くわした。
「(佐竹明について)自分が若い頃から何かとお世話になり、尊敬してきた先輩、畏友の書物をここまで徹底して、いわばなますに刻むようにして批判を叩きつけるのは、私としては心理的にずい分迷ったのだが、学問である以上、下手な手加減は許されない。…(中略)……真理、真実を明らかにする作業では一切の手加減も許されず、徹底した相互批判を通してしか正確な認識は得られない。学問は非常に徹しなければならないのである。むろん、佐竹さんもそういうことはよく了解なさっておられるはずである。この書物を書き進む時に、私の心には常にその点で痛みがあったが、我々はこういう仕方で協力して学問の真実を前進させていかねばならない。」
うーん。心に痛みを感じておられたんですか、、、
その上であれをやっていらっしゃったということを読むと、田川先生自身が「痛い人」に見えてきました、、、
既存翻訳に関する罵倒は、他巻でもお馴染みのことではあったのだが、今回はそれに加えて「黙示録編集者S」への攻撃が凄まじい。田川は今回の訳と註で「黙示録の原著者が書いた本文に対して、ほど同量の文章を書き加えた編集者Sがいる」という説を唱えた。Sは「サディスティック」の略であり、黙示録で有名な、天使のラッパとともに地上が破壊し尽くされあらゆる生き物が滅ぼされるというような話を書いたのは全てこの編集者Sなのだというのだ。異教徒をホローコーストしたくて堪らないガチガチのユダヤ教教条主義者というのが田川の見立てなのだが、原著者の文章と、編集者Sの文章は使っている語彙や文法で分離することが可能だとも田川はいう。編集者Sは文法が滅茶苦茶だというのだ。ギリシャ語が得意でないのに、無理に文章を書き加えたから、前後の話は繋がらないし文章自体も目を剥きたくなるような文法の間違いで一杯だという。引用すると、以下のようなものである:
・のっけから、構文上ひどく手抜きの下手くそな文。以下最後まで、この手の構文不整合が連続して出現する。編集者Sがそもそも西洋語の文法構造をろくに理解してない証拠。と言うか、そもそも言語の文章構造というものが理解できていない。 p.54
・下手に自己流に言葉を付け加えようとするから、しっぽを出してしまった。p.59
・属格支配の前置詞に続けて名詞を置くのに主格の語を並べるなぞ、唖然とするしかない。(中略)冒頭から不注意でこの種の幼稚な文法的間違いを犯す人は普通はいないだろう。それにこれはギリシャ語の初歩の中でも最も初歩、(中略)つまりこの人、そもそもギリシャ語文法をろくに知らないのである。p.59
これが第1章1節から4節までからの抜粋である。これが第22章の終わりまで延々と続くのだ。
これに加えて、編集者Sのユダヤ教教条主義への攻撃も凄まじい。田川の読者なら保守的なユダヤ教の感性がついに抜けなかった使徒パウロに対する田川の攻撃的文章の数々を思い出すだろうが、パウロより小物の編集者Sへの攻撃はさらに凄まじい。2世紀初頭の西アジアのどこかであのギリシャ語を書いていた著者からすれば、まさか2000年近く経って遥か東の島の人間が自分の書いた文章に悪口を並べているなんて想像もできない事態だろう。
ということで、田川訳新約聖書全8冊の中で田川節の濃度はこの巻が最も高かったです。
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とまあ、「田川節は健在だった」報告はこの辺りにして、内容的な話。やはり「編集者Sの加筆」という田川の見解は面白いと思う。そして、田川訳で編集者Sの加筆部分とされる部分を除いて通しで読んでみると、難解だった黙示録が実にすらすらと読めてしまう。「え、これだけの話だったの?」状態である。つまり、
「私は幻視しました。ローマが滅びて民族の隔てなく人々が平和に暮らせる状態を。終わり。」
天使はラッパを吹かず、海は血に染まらない。悪の勢力はハルマゲドンにも集まらない。千年王国もない。それが、ヨハネ黙示録の元々の姿だったのだというのだ。もちろん、味わうべき文章はそこにもいろいろある。マルクスが貨幣物神のくだりで引用した13章、田川先生お気に入りの18章などは原著者の文章だという。ただ、話と描写があっちこっちに飛んでなんの事やらよく分からなかったヨハネ黙示録の話の筋が、田川説では、実にスッキリと見える。天使がラッパを吹いて地上が破壊されるみたいなスペクタクルはないけれども、分かりやすい構成の話だったのである。
元々はそんなに難解でも複雑でもなかったヨハネ黙示録だが、編集者Sが「ユダヤ人だけが残されて異邦人(ユダヤ人じゃない人々)は滅びる」という立場から執拗に加筆を行い、ホロコースト趣味の視点であれこれと書き加え(田川によれば、その場の思いつきで程度の低い文章を突っ込んでいった)訳が分からなくなった、、ということらしい。
実に面白い見解だと思う。願わくば、専門家の検証を待ちたいところだが(だって、古典ギリシャ語が相当に分かっていないと、あの註はきちんと読めないもん)、田川建三の説を取り上げようという聖書学者がもはや日本にいるとは思えないのが悲しいところである。田川先生の孤独な戦いは著作を残す事でしか世に問えないのだろうか。
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附論:田川建三にはなぜファンがつくのか
田川建三がコアなファンを獲得している理由は、護教論的発想をすっぱり切り捨てている聖書学者だからである。彼は教会とキリスト教自体を突き放して見ている。例えば使徒パウロの「女は会堂で発言するな」という発言を、女性蔑視と田川は言い切っている。要するにパウロは大変に保守的な心性の持ち主だったのだ。そして、大方の聖書学者がいろいろと理屈をこねたりそれっぽい文献を出してきて、「パウロの真意」を言い繕おうとする中で「この発言は、取り間違えようのない女性蔑視の発言だ」と言い切る。現代の基準からすると問題となる発言は困る、つまり聖パウロともあろうお方なら普遍的に立派な人でなくては困る、聖書の言葉は神が聖書記者に霊感を与えて書かせたのだし、、、云々という信者的発想からすると困ったことになる事態であろうとも、田川は反論を退ける。そんな信者の事情など持ち込むなと一蹴する。
フツーの人が、パウロの「女は会堂で発言するな」を読めば、フツーに女性蔑視の人だったんだねと思う。でも、信者サイドの人たちはなんやかんやと理屈をつけたがる。いわゆる護教論というヤツである。キリスト教に心を奪われた人はともかくとして、フツーの感性が残っている人はそういう護教論は胡散臭いと思っているし、鬱陶しい。そしてそれを口にすると、信者サイドはさらに理屈やら「証拠」を積み上げてくるので更に鬱陶しくなる。彼らが積み上げてくる「証拠」をいちいち反論するのには多大な労力を要するからである。なんせ、彼らのバックには聖書学者達がそれっぽい理屈をいっぱい用意してくれている。
2000年にわたって築き上げられたこの護教論の城を攻めるのに、田川建三の著作は大変役に立つ。歴代の聖書学者たちの論拠を、事細かに「テキストの読み方が間違っている」「ギリシャ語の解釈がおかしい」と暴いてくれるからである。キリスト教に対してモヤモヤしたものを抱きつつも、それを具体的な言葉にできないでいる知識人にはうってつけの素材を田川建三は提供してくれている。
これは、単にキリスト教に漠然とした反感を持つ程度のインテリではできない仕事である。向こうが展開している神学の中に相当程度に入り込まない限り、きちんとした反論は構成できない。2000年近い歴史を誇る組織神学はそんなにヤワなものではないのだ。
田川建三がそこに切り込んでいけたのは、新約聖書の正文批評という物証主義(というかテキスト主義?)で作業したことが大きいのだが、元々はキリスト教の環境で教育を受けた人であることが大きいと思う。変な喩えかもしれないのだが、UFOや心霊現象について懐疑論を展開している人には、UFOや心霊現象を信じていた過去がある人が多いという現象に似ている。つまり、UFOや心霊現象を鼻から馬鹿にしている人たちは、UFOや心霊現象のことを深く知ろうとはしない。深入りするのも馬鹿馬鹿しいからだ。そういう人たちがビリーバー(信者)に反論しても、深いところで突っ込めない。しかし、ビリーバーの過去がある人たちは相当に細かいところまで深入りしたことがあるので、反論も無闇に細かいのである。そして、過去の愛着が裏返しになっているので、議論も長続きするし持久力がある。
田川がどこでキリスト教の信仰から自由に物事を考えられるようになったのかは、本人がはっきりとしたことを語っていない以上知る由も無い。しかし、国際基督教大学で教職を勤めていた時代に「存在しない神に祈ろう」と学内礼拝の講話で話し、それが遠因で大学を辞めさせられることになったと語っているから、その頃には人類が神に祈ってきたという行為には敬意を表しつつも神の実在は否定していたことは確かである。しかし、恐らくは東京大学文学部修士課程で西洋古典学を学んでいた頃にはキリスト教の信仰に距離を取っていただろうし、マルクスの考え方なども学んでいただろう。
蛇足になるかもしれないのだが、東大文学部修士課程の西洋古典学科(の古典ギリシャ語)は、プロテスタント系神学者のエリートコースである。そして、どんな学術分野でもそうなのだが、ここで(新約聖書の)ギリシャ語を学んだ学者さんたちは、狭いコミュニティーを形成した。田川建三がかなり執拗に批判し続けた聖書学者荒井献にしても、今回のヨハネ黙示録で散々槍玉にあげられた佐竹明にしても西洋古典学科の同窓生なのであり、個人的な行き来もあった。コミュニティが狭かっただけに、人間関係のこじれ方も半端なかったのでは無いかとも想像できる。
荒井献にしても佐竹明にしても、田川建三の批判から浮かび上がるのは「要領の良い学者」像である。欧米の主流学説を効率よく(あるいは貪欲な数量の論文を)取り入れて論文を書いていく生産性の高さで評価されるという学者像なのだが、荒井や佐竹が本当にそういう学者なのかどうかは私はご本人たちを知らないからなんとも言いかねる。しかし、田川の批判を通じて見えるのはそういう学者像だから、田川はそのように彼らを見ていたのだろうし、そういう学者はどの分野にも居た(私の専攻した分野にももちろん居た)から、説得力はある。そして、その手の要領の良い学者が学閥みたいなものを形成していくのを田川が快く思って居なかっただろうことも容易に想像はつく。
田川はそうした要領とは無縁の道を進んだ。国際基督教大学を追われてからは独力でドイツに行き、アフリカの大学にも赴任し、帰国後は聖書学以外の講義で糊口を凌ぎ、退職後は一般市民を相手に私塾を開いて聖書学を講義し、独力で新約聖書を翻訳し、ほとんど罵倒と変わらないような言葉でかつての同僚の仕事を批判し続けた。愚直なまでにそれを続けたのだ。言ってみれば、「呪われた知識人」である。このポジションに田川は嵌っており、それがファンを呼び寄せているのである。
私も長年の田川ファンを自認するものなのではあるが、こうした事情に基づく田川ファンの構造に無意識で居られるほどの無知でもない。それだけに、精神病理学的な領域に達しているとすら思われる田川の罵倒癖にも無頓着では居られない。
学問上の真実を追求するために情を排した批判は不可欠だと田川は言う。だが、田川の言う「非情」(=情を排した)の実質は「ネガティブな情が満載」なだけのようにも見える。情を交えた学問が百害あるものだとすれば、ネガティブな情を交えた学問はさらに害がありそうなものだ。田川節は少なからぬファンを獲得した。そのファンの存在があればこそ、田川の『新約聖書 訳と註』の出版が可能になったのかもしれないが、あの罵倒が学界全体の向上に繋がったのかは疑問である。田川ファンを自認するものとして悩ましい事態である。
https://ohta.at.webry.info/201709/article_1.html
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17:777
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2024/08/05 (Mon) 08:04:39
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ユダヤ至上主義の歴史は古く、そうした考えを否定したユダヤ人のひとりがイエスだった。新約聖書の研究者である田川健三によると、「ヨハネの黙示録」の原著者もそうした考え方の持ち主だったが、この文書には大きな問題があるという。原著にユダヤ至上主義に基づく妄想を書き加えた人物がいるというのだ。
2020.01.08
ソレイマーニー暗殺の喪が明けた直後にイラン軍が米軍基地をミサイル攻撃
暗殺されたガーセム・ソレイマーニーの喪が明けた直後の1月8日の早朝、イラン軍はアメリカ軍が駐留しているイラク西部のアイン・アル・アサド空軍基地やエル・ビルを含も2基地に対して約35機のミサイルで攻撃、犠牲者が出ているとも伝えられている。50分後にエルビル空港近くの米軍基地などに対して第2波の攻撃があったという。
ソレイマーニーが暗殺された後、イランのゴムにあるジャマカラン・モスクには報復を象徴する赤い旗が掲げられた。イラン・イラク戦争の際にも掲げられなかったもので、その意味するところは重い。
アメリカ軍は6機の戦略爆撃機B-52をディエゴ・ガルシアへ送り込んでいるが、8日早朝の攻撃を受けてアラブ首長国連邦の基地から米軍のF-35が飛び立った。それに対し、自分たちを攻撃した航空機が離陸した国も報復攻撃の対象になるとイランは警告している。
一方、ロシアのウラジミル・プーチン大統領は1月7日に正教会でクリスマスの礼拝に出席した直後、シリアを突如訪問し、バシャール・アル・アサド大統領と会談している。
現在、ドナルド・トランプ政権でイラン攻撃を含む好戦的な政策を推進しているのはマイク・ペンス副大統領、マイク・ポンペオ国務長官、マーク・エスパー国防長官だろう。
このグループと同じ考え方だったジョン・ボルトンは2019年9月に国家安全保障補佐官を解任された。そのボルトンがNSC(国家安全保障会議)へ引き込んだリチャード・ゴールドバーグは、ソレイマーニー暗殺の翌日にNSCを「個人的理由」で辞めたと伝えられた。
この人びとは単に好戦的というだけでなく、ユダヤ人至上主義の信奉者でもある。アーリア人とアーリア至上主義者が違うように、ドイツ人とドイツ至上主義者が違うように、ユダヤ人とユダヤ至上主義者は本質的に違う。
ユダヤ至上主義の歴史は古く、そうした考えを否定したユダヤ人のひとりがイエスだった。新約聖書の研究者である田川健三によると、「ヨハネの黙示録」の原著者もそうした考え方の持ち主だったが、この文書には大きな問題があるという。原著にユダヤ至上主義に基づく妄想を書き加えた人物がいるというのだ。田川はギリシャ語の原文を分析、思想の違いとギリシャ語の語学力の違いからその結論に到達したとしている。
書き加えられた箇所ではユダヤ人以外皆殺しという主張が展開されているのだが、キリスト教ファンダメンタリストと呼ばれている人びとは、その書き加えられた部分に心酔している。彼らが2011年3月11日に三陸沖で巨大地震が発生した際に喜び、殺戮と破壊を望み、核戦争を待望する心情には根深いものがある。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202001080000/
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2024/08/05 (Mon) 08:05:19
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2021.03.25
COVID-19騒動を煽り、ワクチン接種を推進している人口削減論者
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103250000/
COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチンの接種で深刻な副反応が現れる人や死亡する人がいると報告されている。ワクチンに限らず、薬害でも公害でも全ての被害がすぐに現れるとは限らない。中期や長期で症状が出てくる。急性の症状がこれだけ現れていることから類推すると、中長期でも想定外の被害が出てくるだろう。
西側で接種されているワクチンの多くは、mRNA(メッセンジャーRNA)技術を使ったBioNTech/ファイザーの製品とモデルナの製品。繰り返し書いてきたが、このワクチンが行うのは「遺伝子治療」、あるいは遺伝子操作だ。
モデルナの説明によると、彼らが作ろうとしているmRNA技術プラットフォームはコンピュータのオペレーティング・システムと同じようなものだという。同社の最高医療責任者であるタル・ザクスは2017年12月にTEDXで行った講演の中で、この技術によって「生命のソフトウェアをハッキングする」と語っている。
こうしたウイルスを推進してきたひとりがマイクロソフトの創設者としてしられているビル・ゲーツ。妻とビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団を創設、活動している。この財団はWHO(世界保健機関)に多額の資金を寄付していることでも有名。2018年から19年にかけての上位寄付者を見ると、この財団を上回る寄付者はアメリカだけだ。
WHOに対する第4位の寄付者はワクチンのロビー団体であるGAVI。2000年に開かれたWEF(世界経済フォーラム)の年次総会で設立された。資金はWHO、UNICEF(国連児童基金)、世界銀行、ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団などから得ている。WHOがパンデミック宣言やワクチン接種に前のめりになっている理由は想像できるだろう。
ビル・ゲーツは人口を削減するべきだとも発言している。2010年2月にはTEDでの講演で、ワクチンの開発、健康管理、医療サービスで人口を10~15%減らせると語っている。ワクチンで人の命が救われるなら人口は増えそうだが、そうならないと言っている。
人口削減でゲーツより過激な意見を口にしているのがCNNのテッド・ターナー。彼が1996年に「理想的」だとした数値は95%削減した2億2500万人から3億人。2008年にはテンプル大学で、世界の人口を20億人、現在の約3割まで減らすと語っていた。
ゲーツにしろ、ターナーにしろ、人口削減論の根底にはトーマス・マルサスの人口論がある。人口の増加は等比級数的であり、食糧の増加は等差級数的なため、その不均衡が飢饉、貧困、悪徳の原因になるという主張だが、強者が弱者を虐殺し、富を独占して飢饉、貧困、悪徳が広がっていることを気にしていないようだ。
この人口論とセットになっているのが優生学。1871年にNMロスチャイルド&サンの融資を受けて南部アフリカでダイヤモンド取引に乗り出して大儲けしたセシル・ローズはアングロ・サクソンを最も高貴な人種だと考えていた。1877年に彼が書いた『信仰告白』によると、優秀なアングロ・サクソンが支配地域を広げることは義務だという。
人口の削減は人間の大量殺戮につながっているが、「新約聖書」の「黙示録」を信奉している人にとっては当たり前のことだろう。例えば、第9章第15節に「四人の天使が、人類の三分の一を殺すために、解き放たれた」(田川健三訳、作品社、2018年)と書かれている。
黙示録では多くの人間が殺されるとされているが、額の上に印をつけられた者は救われることになっている。第7章第4節によると、「私は、印をつけられた者の数が十四万四千人である、と聞いた。これはイスラエルの各支族の中から印をつけられた者である。」(前掲書)
つまり、助かるのはユダヤ人の一部(12を12倍し、さらに1000倍した14万4000)ということ。第3節に印をつけられた者は「神の僕」だと書かれているので、黙示録のこの部分を書いた人物にとって、キリスト教徒はユダヤ人ということになる。
本ブログでは以前にも書いたが、田川健三は「黙示録」には原著者が書いた部分と何者かによって書き加えられた部分があり、それは思想的な違いと語学力の違いから明白に判別できるとしている。
つまり、原著者は全ての人間の救済を念頭に置き、「まずまずまともなギリシャ語」を書いているのに対し、書き加えた人物は「極端に偏狭なユダヤ主義者」で、「嘘みたいに幼稚なギリシャ語の間違いが次々と最初から最後まで頻発する」という。
本来なら原著者の主張に耳を傾けるべきなのだが、キリスト教世界では破壊と殺戮を正当化する書き加えられた部分が影響を及ぼしている。その部分が「聞きたい話」だったのだろう。神が殺戮と破壊に「お墨付き」を与えていると解釈できるからだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103250000/
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19:777
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2024/08/05 (Mon) 08:05:44
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2021.03.26
人口減少が深刻化な問題になる中、ワクチン推進派は人口削減を主張する
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103250000/
2020年における世界の人口は78億人と推計されている。トーマス・マルサスの人口論によると、人口は等比級数的に増えていくことになっているので、ビル・ゲーツやテッド・ターナーのように、人口を削減するための何らかの手立てを講ずる必要があると考える人が出てきても不思議ではない。
しかし、実際は人口が等比級数的に増えるどころか減少に転じる兆候が出ている。2019年に出版されたダレル・ブリッカーとジョン・イビツォンの『Empty Planet(日本語版:2050年 世界人口大減少)』はその問題をテーマにした著作で、注目された。基本的に同じ結論の論文をランセット誌が2020年7月14日に掲載している。
第2次世界大戦後、「人口爆発」ということが言われてきたが、これは事実でなかったと言えるだろう。そうした主張、あるいは「神話」がが広まったひとつの理由は人種差別にあると指摘する人がいる。東南アジア、中国、インド、アフリカなどの人口が増えたことに対する危機感が生じたというのだ。マルサスの人口論を信奉する人が少なくなかったことも一因だと考えられている。
ランセット誌に掲載されたワシントン大学の研究によると、ピークは2064年の97億人で、2100年には88億人に減少、もし国連の「SDG(持続可能な開発目標)」が達成されたなら、2100年の人口は63億人になると推定している。
新自由主義の導入で社会を破壊してしまった日本では国民の多くが子どもを産み、育てる余力をなくしたこともあり、半減するとしている。つまり、2017年の1億2836万人をピークにして減少、2100年には5972万人(53.47%減)、SDGが達成されたなら5269万人(58.95%減)になるという。中国の人口減も深刻で、2017年には14億1248万人だったものが2100年には7億3189万人(48.18%減)、SDGが達成されたなら6億9974万人(50.46%減)にまで減ると見通されている。
マルサスの理論は人間に思考力がなく、状況を考えず、機械的に子どもを産み続けるという前提でなりたっているが、そうしたことはない。生物には環境に順応する能力があるようなので、一人ひとりの意思以外の力が働くことも考えられる。
もうひとつ、人口を減らす要因がある。人工的に作られた化合物やホルモンなどだ。生活の周辺には多くの化学物質が存在している。そうした物質が発生異常や生殖異常の原因ではないかとする仮説が1996年に出版された『奪われし未来』という著作で指摘された。その後、「環境ホルモン(内分泌攪乱物質)」という用語が広まった。
この本が書かれた背景には、精子の減少がある。出版後の研究によると、1973年から2011年までの間に西側諸国では1ミリリットル当たりの精子数が52%以上減っているという。総数では59%の減少になる。(Shanna H. Swan with Stacey Colino, “Count Down,” Scribner, 2020)
化学物質が生殖機能にダメージを与えることは1970年代から現場では知られている。スワンの本によると、1977年当時、殺虫剤の生産工程に2年以上いると子どもを産めなくなるという噂があったと某化学会社の労働者は語っていたという。(前掲書)
実は、日本でも似たようなことが言われていた。測定限度ぎりぎり、おそらく測定不能なほど微量でも生殖機能にダメージを与える化学物質が次々と見つかっていると、某大学で化学を専攻していた大学院生が1976年頃に話していた。
ここにきて人間の生殖にダメージを与える要因がさらにひとつ増えた可能性がある。COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチンでファイザーの製品が先行しているが、そのファイザーで副社長を務めていたマイク・イードンは、欧州評議会議員会議の健康委員会で委員長を務めるウォルフガング・ウォダルグと共同でワクチンの臨床試験を中止するように求める請願をEMA(欧州医薬品庁)へ提出している。女性を不妊にする可能性があるというのだ。
そうしたワクチンを推進しているビル・ゲーツは人口を削減するべきだとも発言している。2010年2月にはTEDでの講演で、ワクチンの開発、健康管理、医療サービスで人口を10~15%減らせると語っているのだ。
CNNのテッド・ターナーは1996年に「理想的」な人口は今より95%削減した2億2500万人から3億人だと主張、2008年にはテンプル大学で世界の人口を20億人、現在の約3割まで減らすと語っている。
こうした考えの底流に「新約聖書」の「黙示録」があることは否定できない。「黙示録」に後から書き加えられた部分だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103250000/
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2024/08/05 (Mon) 13:50:40
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パリ五輪、女子ボクシングにトランス出場で大炎上中!選手村クーラー無しで米国バスケットチームホテル移動!騒動が止まらない!
巫女ねこちゃんねる
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パリ五輪が酷すぎる 20:00〜オリンピックボクシングが危険と炎上!またもや日本柔道で誤審!
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世界史解体新書 2024/08/04
https://www.youtube.com/watch?v=r4DypbpeAQ4
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2024/08/05 (Mon) 13:50:55
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フランス【パリ五輪/オリンピック】IOCが隠蔽していた!女子ボクシング 衝撃展開に波紋!イマネ・ケリフ選手の幼少時代写真流出!性別疑惑報道にロサンゼルス五輪出場禁止へ?号泣反論!
巫女ねこちゃんねる
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2024/08/05 (Mon) 13:51:58
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LGBTは軍隊の弱体化、家族の解体、国民の断絶が目的
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14118138
LGBT法案は「女性の権利を踏みにじるもの」
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14116705
新しくできるトイレは女性用トイレが廃止されLGBTなどが利用しやすい共用トイレになる
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14104088
古事記から紐解くLGBT問題|茂木誠
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14121107
ポリコレで衰退するハリウッド映画
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コロナ関係投稿集
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9割の日本人が理解していないWHOとは何か?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16861390
【日本の危機】お注射強制でボロ儲けWHOと製薬会社! 闇のパンデミック条約は間もなく決まる
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【今、世界はどうなっている?】林千勝×水島総 第35回「テロとバッド・メディシンな新世界秩序、グローバリストとの戦いは文字通り命懸けの段階に!」[桜R6/7/20]
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接種者を死亡させ、人類の存続を危うくする薬を世界規模で接種させるのは誰か
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14112398
現在でも米政府やWHOは劣等な民族を「淘汰」すべきだと考えている
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14056012
大手メディアが報道しないレプリコンワクチンの真実
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2024/08/05 (Mon) 19:57:44
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【前半無料パート】内田樹 氏出演!「反ユダヤ主義を再考する」
https://www.youtube.com/watch?v=QNdNsuR6GHc
7月31日(水)21:00~ 生放送!
「反ユダヤ主義をめぐって」
ゲスト:内田樹 さん(哲学者)
ユダヤ人がヨーロッパ人に嫌われる様になったのは白人女性を性奴隷としてイスラム教徒に売る商売で稼いでいた為
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/210.html
これがチャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「ユダヤ陰謀史観」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/505.html
ユダヤ人は白人美女が大好きで、非白人は人間だと思っていない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14077515
パリ五輪開会式の背景はユダヤ選民思想によるキリスト教の否定
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16862095
ユダヤ人や支那人・朝鮮人は執念深い、恨みを何百倍にして返す
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14090574
非ユダヤ系アメリカ人にはバカしかいない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14138805
アシュケナージ系ユダヤ人の歴史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14043502
ユダヤ人とか何か?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16821505
ユダヤ教
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/365.html
茂木誠 ユダヤの歴史 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLGqoPsu9icDYmqlUflf_TmVklScqHwoQE
吉岡孝浩×茂木誠 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLIFjTpVDXkJmF-oB8nr1Ap0kjfBnnHWCZ
茂木誠 _ ゼロからわかる旧約聖書
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14132553
茂木誠 _ ユダヤの古代史&世界史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14130919
ネオコンとはトロツキスト共産主義のこと
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/364.html
アメリカの共産主義者の実態はユダヤ移民
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/366.html
帝政ロシアから大量のユダヤ移民がアメリカに逃げてきて共産主義者になっていった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1214.html
「ロシア革命」を実行したユダヤ人とそれを支援したユダヤ人
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1025.html
ロシア革命を支援したユダヤ金融資本
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1110.html
アウシュヴィッツ 探訪記
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14128816
ナチスの「人間牧場」 選別した男女に性交渉させ、アーリア人を産ませる
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14027543
ナチスのユダヤ人に対する不妊作戦
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14047960
独裁者列伝 _ アドルフ・ヒトラー
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/798.html
ヒトラーの共産主義との戦い
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html
ユダヤ陰謀論とグローバリズムを考える _ ヨーロッパ化されたキリスト教がユダヤ思想の正体で、ユダヤ教やユダヤ人とは何の関係も無かった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/504.html
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2024/08/07 (Wed) 09:35:48
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複雑な話は複雑なまま扱うことについて - 内田樹の研究室
2022-08-13 samedi
http://blog.tatsuru.com/2022/08/13_0929.html
「複雑な現実は複雑なまま扱い、焦って単純化しないこと」というのは私が経験的に学んだことの一つである。「その方が話が早い」からである。話は複雑にした方が話が早い。私がそう言うと、多くの人は怪訝な顔をする。でも、そうなのだ。いささか込み入った理路なので、その話をする。
私は人も知る病的な「イラチ」である。「イラチ」というのは関西の言葉で「せっかち」のことである。どこかへ出かける時も、定時になったらメンバーが全員揃っていなくても置いてでかける。宴会でも時刻が来たら来賓が来ていなくても「じゃあ、乾杯の練習をしよう」と言ってみんなに唱和させる(来賓が着いたら「乾杯の儀に粗相があってはならないので、繰り返しリハーサルをしておきました」と言い訳する)。
そういう前のめりの人間なので、当然ながら話をする時も最優先するのは「話を先に進めること」である。ぐずぐずと話が停滞することも、一度論じ終わったことを蒸し返されるのも大嫌いである。そういう人間が長く対話と合意形成の経験を積んできた結論が「話を複雑にした方が話は早い」ということであった。
多くの人は「話を簡単にすること」と「話を早くすること」を同義だと考えているが、それは違う。話は簡単になったが、そのせいで現実はますます手に負えないものになるということはしばしば起こる。現実そのものが複雑な時に、無理に話を簡単にすると、話と現実の間の隔たりが広がるだけである。そこで語られる話がどれほどすっきりシンプルでも、現実との接点が失われるなら、その「簡単な話」にはほんとうの意味で現実を変成する力はない。
そう書いておいてすぐに前言撤回するのも気が引けるが、実は「簡単な話」に基づいて現実を変成することは可能なのである。だからこそ人々は「簡単な話」に魅惑され、それに固着しもするのである。話を簡単にするというのは、単に知的負荷を軽減してくれるというだけでなく、たしかにある種の実効性はある。ただし、複雑な現実を簡単な話に還元することによって出現させられた「現実」はいわば力任せに、無理やりに創り出したものである。そういう「無理やり変えた現実」には「現実である」必然性が欠けている。だから、保持力がない。そのうちに「無理」が祟って、内側から壊れてゆく。そして、形状記憶合金のように、元の「複雑な現実」という本態に戻ってしまう。何一つ解決しないままに。
ギリシャ神話にプロクルステスという盗賊が出てくる。彼は街道沿いで待ち構えて、通りがかりの旅人に彼の寝台で休息するように声をかける。そして、寝台に寝かせて、相手の体が寝台からはみ出したらその部分を切断し、逆に寝台の長さに足りなかったら足を無理やり寝台の長さにまで引き延ばした。
複雑な現実を簡単な話に落とし込む人を見ていると、私はこのプロクルステスの故事を思い出す。当然のことながらそんなことをすると天罰が当たる。神話によれば、英雄テセウスがやってきて、プロクルステスを彼の寝台に寝かせてはみ出した頭と足を切断してしまった。「プロクルステスの寝台」というのは「無理やり出来合いのスキームに落とし込むこと」を意味する喩えとして今でも使われるが、そういう無理をするとかえって自分の頭と足を切られて絶命することになるのである。
だから、現実を切り縮めることも、現実になかったことを書き加えることも、どちらも止めた方がいい。現実はできるだけ現実そのものの大きさと奥行きと不可解さを込みで扱う。たしかに手間はかかる。それに誰がやっても、多少は「切り縮めたり、書き加えたり」という作為は免れない。でも、それを当然のように行うか、疚しさを覚えつつ行うかの間には千里の径庭がある。
「話を簡単にする」方法の中で最も簡単なのは「問題を消す」ことである。問題があるのに、「そこには問題などない」と言い立てるのである。
例えば、北方領土についての日ロの意見はずいぶんと食い違っているが、最大の食い違いは、ロシアが「北方領土はもともとロシア固有の領土であるので、日本との間に領土問題などは存在しない」と主張し始めたことである。「そこに問題がある」ということを当事者双方が認めているからこそ話し合いは始まるのだが、当事者の一方が「問題はない」と言い出したら、問題は未来永劫解決しない。
ナチスは紀元前から続く「ユダヤ人問題」の「最終的解決(the final solution)」とはユダヤ人を「消す」ことだという天才的なアイディアを思いついた。問題の当事者がこの世からいなくなれば、問題もなくなる。
第三帝国の宣伝相だったヨーゼフ・ゲッベルスは1941年に「ユダヤ人問題に関して、総統は問題を簡単にすることにした」と日誌に記しているが、これは「問題を簡単にする」というフレーズの最も印象的な用例として記憶しておいてよいと思う。しかし、歴史が教えてくれるのは「最終的解決」によって話を簡単にしようとしたせいで、ドイツ国民は永遠に解決できない問題を抱え込んでしまったということである。
さすがにこれはかなり極端な事例だが、問題を簡単にするためにふつう「陰謀論」が採用される。これはたいへん使い勝手がよいので、あらゆる人々があらゆる政治的難問についてこれを準用する。
「陰謀論」というのは、何か「都合の悪いこと」が起きた時に、それを「邪悪なるものの干渉」として説明する態度のことである。その集団がかつて「本来の純良な状態」にあったときには、たいへん豊かで生産的で効率的だったのだけれど、外部から異物が混入してきて、集団を「汚染」したせいで、「本来の姿」を失ってしまった。だから、混入した異物を特定し、これを摘抉排除すれば、集団は原初の清浄と活力を回復するであろうというのが「陰謀論」の基本的な話型である。
われわれの集団のどこかに「悪の張本人(author)」がいる。それを名指した時点で仕事はほとんど終わる。あとはみんなで総がかりでその「張本人」を迫害して、叩き出せばいい。「誰が張本人か」を探し出すまでは「犯人捜し」に多少は頭を使わなければいけないけれど、張本人の名指しが終わったあとは、力仕事だけで、知的負荷はゼロになる。だから、世界中の人がこの「簡単な話」に偏愛を示す。政治的カリスマはあるが、頭があまりよくない政治的指導者はほぼ100パーセントこの話型でその政策を実現しようとする。
陰謀論は民衆の政治的熱狂を掻き立てるという点においては圧倒的な力を発揮する。それはナチスにおいてもスターリンにおいても毛沢東においてもイスラム原理主義においても実証済みである。
破局的な大事件が起きた時に、陰謀論者は、それがいくつかの複合的な原因の帰結であるというふうに考えない。単一の「張本人」がすべてを計画し、差配していると考える。
例えば、フランス革命は巨大な政治的変動であったが、それを王政の機能不全、資本主義の発展、啓蒙思想の普及などの複合的な効果とは考えずに、フランスのすべてを裏から支配している「秘密組織」の計画の実現とみなすのが陰謀論である。
この場合、「張本人」は必ず「秘密組織」でなければならない。というのは、革命が起きる直前まで、フランスの警察はこのような巨大な運動を一糸乱れぬ仕方で統制しうるほどの実力を持った「組織」が存在することを知らなかったからである。だから、「闇の組織」だということになる。とりあえず「秘密組織」が存在することは自明とされる。だとすれば、次の問題は「それは誰だ?」ということになる。フリーメイソン、イリュミナティ、聖堂騎士団、英国の海賊資本、プロテスタント・・・さまざまな候補が挙げられ、最終的に「ユダヤ人の世界政府」が「オーサー」だという話に落ち着いた。フランス革命後に、ユダヤ人が被差別身分から解放され、市民権を獲得し、政治経済メディアの各界にはなばなしく進出したという歴史的事実が目の前にあったからである。ドリュモンはこう書いた。「フランス革命の唯一の受益者はユダヤ人である。すべてはユダヤ人から始まる。だから、すべてはユダヤ人のものになるのである。」(『ユダヤ的フランス』)
ある出来事の受益者がその出来事の「オーサー」であるという推論は論理的には成立しない。それは「風が吹けば桶屋が儲かる」という事実から桶屋は気象をコントロールできる謎の力を有していると推論するのと同程度に没論理的である。だが、この陰謀論にフランスの読者は飛びつき、『ユダヤ的フランス』は19世紀フランス最大のベストセラーになった。そして、ドレフュス事件はこの荒唐無稽な陰謀論が一人のユダヤ人将校を破滅させるほどの現実変成力を持っていることを世界に示したのである。
http://blog.tatsuru.com/2022/08/13_0929.html
▲△▽▼
反知性主義者たちの肖像 - 内田樹の研究室
ユダヤ陰謀論の起源
http://blog.tatsuru.com/2020/09/03_1232.html
ホーフスタッターは反知性主義者の相貌を次のように描き出している。反知性主義の「スポークスマンは、概して無学でもなければ無教養でもない。むしろ知識人のはしくれ、自称知識人、仲間から除名された知識人、認められない知識人などである。読み書きのできる彼らは、ろくに読み書きのできない人々を指導し、自分たちが注目する世界の問題について、真剣かつ高邁な目的意識をもっている。」(同書、19頁)
彼らは世界のなりたちを理解したいという強い知的情熱に駆られており、しばしば特定の分野について驚くほど専門的な知識や情報を有している。また、世界をよりよきものにしようという理想主義においてもしばしば人に後れをとることはない(と口では言う)。
けれども、そのような知的情熱や理想主義がしばしば最悪の反知性主義者を生み出すことになるのである。具体的な例を挙げた方がわかりやすいだろう。反ユダヤ主義者がそうだ。
私はある時期、ヨーロッパにおけるユダヤ教思想と反ユダヤ主義について研究していたことがある。そして、この分野について日本にも膨大な量の「研究」書が存在することに驚嘆した。
日本にはユダヤ人はほとんどいない。日本には二つしかシナゴーグ(ユダヤ教会堂)がないが、東京広尾にあるシナゴーグに通っていた在日ユダヤ人は1980年代末で1000人。神戸のシナゴーグに通うユダヤ人はもっと少なかった。日本はユダヤ人とほとんど無関係な国だということである。にもかかわらず、「ユダヤがわかると世界がわかる」とか「ユダヤ人の世界征服の陰謀」といったタイプの反ユダヤ主義的な書物は飽きることなく出版され続けている。それらの本を開くと、国際政治も国際経済もメディアもすべてはユダヤ人の国際ネットワークによって操られているという同工異曲の主張が延々と記されている。よくこんなことまで調べたものだ・・・と驚嘆するほどトリビアルな情報が紹介されている。そのような文章を書いている人たちは、ユダヤ人の世界支配の抑圧的な機構からわれわれを解放しさえすれば、自由で豊かな世界を奪還できるとおそらく信じているのであろう。これらの書物の書き手は間違いなく知的情熱に駆られており、おそらくは善意の人である。けれども、そこには何か知性のはたらきをはげしく阻害するものが含まれている。私はそれを「反知性」として咎めるのである。
知性と反知性を隔てるものは対面的状況でなら身体反応を通じて感知可能であると私は上に書いた。二人で顔を向き合わせている状況だったら、「私」の知性が活性化したかどうかを自己点検すれば、それだけで自分の前にいる人が知性的な人かどうかは判定できる。個人的なレベルでの、かつ短期の出会いについては、それで対応できる。けれども、個人が自分の身体をモニターして前にいる人物が知性的であるかないかを判断するにはおのずと限りがある。会ったこともないし、見たこともないし、声を聴いたこともない人々(外国の人たちや、死者たちはたいていそうだ)の思考や行動が知性的であるかどうかをみきわめるためには、もう少し射程の広い「物差し」が要る。知性と反知性を識別するためには、どのような基準を適用すればよいのか。
反ユダヤ主義に見られる「陰謀史観」は反知性主義の典型的なかたちである。私はそれを「反知性」と判定する。なぜそう判定できるのかを説明するために、まずこのような思考枠組みが出現してくる歴史的経緯を見ておきたい。
世の中にはさまざまな理解しがたい事象が存在する。例えば、グローバル経済では関与する変数が多くなり過ぎて、もはやどのような専門家もこれを単純な方程式に還元することができなくなってしまっている。どこか遠い国で起きた通貨の暴落や株価の乱高下や、あるいは天災やパンデミックのせいで、一国の経済活動が致命的な打撃を受けるリスクがある。一国単位でどれほど適切な経済政策を採択していても、その打撃を逃れることはできない。私たちが知っている限りでも、ドルショック、オイルショック、リーマンショックといった「ショック」によってわが国の経済は繰り返し激震に襲われて、長期にわたる低迷を余儀なくされた。「ショック」という言葉が示すように、それはいつ来て、どれほどの被害を、どの領域にもたらすか予測できないかたちで到来した。私たちがそれらの経験から学んだのは、経済についての専門知は、「想定内の出来事」だけしか起きないときにはそれなりに有用だが、「想定外の出来事」についてはほとんど役に立たないということであった。
この無力感・無能感から陰謀史観は生まれる。陰謀史観というのは、どこかにすべてをコントロールしている「張本人(author)」がいるという仮説である。一見すると、まったく支離滅裂に、いかなる法則性にも随わずランダムに、まさに「想定外」のしかたで生起しているように見えるもろもろの事象の背後には、他者の苦しみから専一的に受益している陰謀集団が存在する。そういう物語への固着のことを陰謀史観と呼ぶ。
陰謀史観は人類史と同じだけ古いが、近代の陰謀史観は18世紀末のフランス革命を以て嚆矢とする。革命が勃発したとき、それまで長期にわたって権力と財貨と文化資本を独占してきた特権階級の人々はほとんど一夜にしてすべてを失った。ロンドンに亡命したかつての特権階級の人々は日々サロンに集まっては自分たちの身にいったい何が起きたのかを論じ合った。けれども、自分たちがそこから受益していた政体が、自分たちがぼんやりと手をつかねているうちに回復不能にまで劣化し、ついに自壊に至ったという解釈は採らなかった。彼らはもっとシンプルに考えた。これだけ大規模な政治的変動という単一の「出力」があった以上、それだけの事業を成し遂げることのできる単一の「入力」があったはずだ。自分たちは多くのものを失った。だとすれば、自分たちが失ったものをわがものとして横領した人々がいるはずである。その人々がこの政変を長期にわたってひそかに企んできたのだ。亡命者たちはそう推論した。
だが、革命前のフランス社会には、そのような巨大な事業を果しうるほどの力を備えた政治集団は存在しなかった。少なくとも政府当局はそのようなリスクの切迫を感知していなかった。しかるに、ある日突然、磐石のものと見えていた統治システムが根底から覆されたのである。恐るべき統率力をもった単一の集団によって事件は計画的に起こされたに違いないのだが、事前にはそのような事業をなし得る政治的主体が存在することさえ知られていなかったのだとすると、そこから導かれる結論はひとつしかない。それは一国の政体をあっというまに覆すことができるような巨大な政治的主体が久しく姿を現さないままに活動していたという「秘密結社の物語」である。
陰謀史観の本質はこの推論形式に現われている。それは「巨大な政治的主体が誰にも気づかれずに活動している」ということがまず事実として認定され、そのあとに「それは何ものか」という問いが立てられるということである。重要なのは「陰謀集団が存在する」ということであって、それが誰であるかということには副次的な重要性しか与えらない。事実、ロンドンに亡命した貴族たちは「犯人は誰か?」という問いに熱中した。フリーメーソン、ババリアの啓明結社、聖堂騎士団、プロテスタント、英国の海賊資本、ジャコバン派、ユダヤ人・・・さまざまな容疑者の名が上がった。そして、多くの陰謀史観論者は「犯人」の特定を二転三転させたが、それを恥じる様子は見られなかった。その様子は適当な容疑者を殺人事件の犯人に仕立て上げて一件落着を急ぐ冤罪常習者の警察官を思わせる。彼らにとっては「この事件の全過程をコントロールしている単一の犯人が存在する」という信憑を強化できるのであれば犯人は誰でもよかったのである。
最終的に19世紀末にエドゥアール・ドリュモンというジャーナリストが登場して、「フランス革命からの100年間で最も大きな利益を享受したのはユダヤ人である。それゆえ、フランス革命を計画実行したのはユダヤ人であると推論して過たない」と書いた。この推論は論理的に間違っている(「風が吹いたので桶屋が儲かったのだから、気象を操作したのは桶屋である」という推論と同型である)。だが、フランス人たちはそんなことは気にしなかった。ドリュモンのその書物『ユダヤ的フランス(la France juive)』は19世紀フランス最大のベストセラーになり、多くの読者がその物語を受け容れ、著者宛てに熱狂的なファンレターを書き送った。その多くは「一読して胸のつかえが消えました」、「頭のなかのもやもやが一挙に晴れました」、「これまでわからなかったすべてのことが腑に落ちました」という感謝の言葉を書き連ねたものだった。読者たちはどうやらこの物語に身体の深いところで納得してしまったようである。
やがて、ドリュモンのこの物語は、同時期にロシアの秘密警察が捏造した偽書『シオン賢者の議定書』とともに全世界に広がり、半世紀後に「ホロコースト」として物質化することになった。フランス革命とユダヤ人を結びつけた陰謀史観の物語はおそらく人類史上最悪の「反知性主義」の事例としてよいだろう。
600万人ユダヤ人の死を帰結したこの物語の最初のきっかけがはげしい「知的渇望」だったということを私たちは忘れるべきではない。そして、この書物を迎えた読者たちの支配的な反応が「長年の疑問が一挙に氷解しました。ありがとう」という大きな解放感と感謝の気持ちだったことも。
歴史的変動(ドリュモンの場合は、産業革命以後のフランスの急速な近代化・都市化・産業化趨勢)に遭遇した人々が「どうして『こんなこと』が起きたのか」を知りたがるのは人間知性の自然である。知性の健全のあかしであると言ってもよい。しかし、その知的渇望はどこかで反知性に転じた。どこで転じたのか。
いささか無礼な言い方になるが、それは一言で言えば、彼らが自分程度の知力でも理解できる説明を切望したからである。
実際に、フランス革命は単一の「張本人」のしわざに帰すことのできるような単純なものではなかった。統治システムの経年劣化、資本主義の発達に伴う生産や流通構造の変化、科学とテクノロジーの進化、近代市民社会理論の登場、英雄的革命家の出現など無数のファクターが革命の勃発には関与しており、そのどれか一つが欠けていても、革命は別の軌跡を辿り、別の政治的事象となったはずである。だから、「どうして革命が起きたのか?」という問いに対して、一言で答えることは不可能なのである。強いて言えば、「いろいろな原因の複合的効果によって」というのがもっとも正直な回答なのであろうが、そのようなあいまいな説明を嫌って、人々は「ずばり一言で答えること」を求めた。
これもまた知的渇望の一つのかたちだなのである。同一の現象について複数の説明がある場合、もっともシンプルな説明を選好する。これもまた知性の働きである。たしかに、一見複雑怪奇に見える現象の背後には、美しいほど単純な数理的法則が存在するという直感こそは、科学的知性を起動させる当のものだからである。
数学にはさまざまな「予想」が存在する。フェルマー予想をフェルマーは「証明した」と書き残したが、久しく誰も証明も反証もできなかった。予想が証明されたのは360年後のことである。リーマン予想は予想が示されてから150年経った現在でも証明されていないが、多くの数学者はいずれ証明されると信じている。数学における「予想」の存在が示すのは、平たく言えば、人間には「まだわからないはずのことが先駆的にわかる」能力が備わっているということである。
かつてソクラテスは「問題」について似たようなことを言った。「問題」というのはよく考えると不思議な性質のものである。私たちはその解法がわかっているものを「問題」としては意識しない。またその逆に、その解法がまったくわからないものも「問題」としては意識しない。私たちが「これは問題だ」と言うのは、まだ解けていないが、時間と手間をかければいずれ解けることが直感されているものだけである。私たちの知性は、自分がまだ解いていない問題について「まったく解けない」のか「手間暇さえかければ解ける」のかを先駆的に判断している。
私たちの知性はどこかで時間を少しだけ「フライング」することができる。知性が発動するというのはそういうときである。まだわからないはずのことが先駆的・直感的にわかる。私はそれが知性の発動の本質的様態だろうと思う。
あらゆる自然科学は、一見ランダムに生起しているかに見える自然現象の背後に数理的な法則性が走っていることを直感した科学者たちによって切り拓かれてきた。その科学的知性のプロトタイプは、自然を前にしてじっと観察している子どものうちに見ることができる。子どもたちを自然の中に放置すると、しばらくしてそれぞれの興味に従って「観察するもの」を選び出す。あるものは昆虫を眺め、あるものは花を眺め、あるものは空の雲を眺め、あるものは海岸に寄せる波を眺める。そうしているうちに、子どもたちがふっと観察対象のなかにのめり込む瞬間が訪れる。それは彼らの様子を横で見ているとわかる。いったいどういう場合に「のめり込む」のか。それは「パターンを発見したとき」である。虫の動きのうちにある法則性があることを直感したとき、花弁のかたちにある図形が反復することを直感したとき、岸辺に寄せる波の大きさに一定のパターンがあることを直感したとき、子どもたちは彼らなりのささやかな「予想」を立てる。もし自分の仮説が正しければ、次は「こういうこと」が起きるはずだと考える。そして自分の「予想」の通りの「イベント」が起きるかどうか息を詰めて見守る。そのとき、子どもたちは自然の中に一歩踏み込み、自然と融合している。それは、はたで見ていても感動的な光景である。そのとき、私たちは彼らのうちで科学的知性が起動した瞬間に立ち合っているからである。
このような「対象へののめり込み」は「ずばり一言で言えば」というシンプルな説明を求める知的渇望とは似て非なるものである。どちらもランダムな事象の背後に存在する数理的秩序を希求している点では変わらない。でも、一点だけ決定的に違うところがある。それは先駆的直感には時間が関与していることである。
自分がある法則を先駆的に把持していることはわかるけれどそれをまだ言葉にできないときの身もだえするような前のめりの構えにおいて、時間は重大なプレイヤーである。「まだわからないけれど、そのうちわかる」という予見が維持できるのは、時間の経過とともにその予見の輪郭や手触りがしだいに確かなものに変じてゆくからである。「熟す」という言い方をしてもいい。青い果実が時間とともにしだいに果肉を増し、赤く変色し、ずしりと持ち重りのする熟果になるプロセスにそれは似ている。Time is on my side というローリングストーンズの名曲があるが、「時間は私の味方である」というのは、時間の経過とともに自分の予見や願望がしだいに現実性を増してゆくことが今この瞬間も感知されている消息を語っている。
フェルマー予測は証明までに360年がかかった。一人の人間の寿命どころか、一つの王朝の興亡に匹敵する時間である。その予測が維持されたのは、時間の経過とともに予測の証明に「近づいている」という実感を世代を超えた数学者たちが共有したからである。
「私が見ているものの背後には美しい秩序、驚くほど単純な法則性が存在するのではないか」という直感はある種の「ふるえ」のような感動を人間にもたらす。その「ふるえ」はその秩序や法則を発見した「個人」が名声を得たり、学的高位に列されたり、世俗的利益を得たりすることを期待しての「ふるえ」とは違う。「誰にでもすぐにその価値や意味が理解されそうな発見」はたぶんそれほどの感動をもたらさない(経験したことがないから想像だが)。ノーベル賞級の発見をしたのだが、ジャーナルに早く投稿しないと、「他の誰か」が自分と同じ発見をして、プライオリティも特許も奪われてしまうかもしれないと恐れているときの「ふるえ」は私が話しているものとは違う。「他の誰か」が自分と同じ発見をしてしまうからもしれないから「急ぐ」という構えそのもののうちに何か本質的に反知性的なものがあるように私には思われる。というのは、自分が直感的に幻視した仮説が「他の誰かによって、すぐに」追尋可能なものであるということが本人にもわかっているなら、実はそれはそれほど直感的ではなかったということだからである。真の直感はもっと大きな時間の流れの中に人を置く。
自分は今これまで誰も気づかなかった「巨大な知の氷山」の一片に触れた。それはあまりに巨大であるために自分ひとりでは、一生をかけても、その全貌を明らかにすることはできない。だから、これから先、自分に続く多くの何世代もの人々との長い協働作業を通じてしか、自分が何を発見したのかさえ明らかにならないだろう。そのような宏大な見通しのうちで、まだ顔も知らない(まだ生まれてもいない)未来の協働研究者たちとのたしかな連帯を感じるときに、ひとは「ふるえ」を覚えるのだと私は思う。
ひとが「ふるえる」のは、自分が長い時間の流れの中において、「いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなしている」という実感を得たときである。「いるべき」ときも、「いるべき」ところも、「なすべき」わざも、単独では存立しない。それは、死者もまだ生まれぬ人たちをも含む無数の人々たちとの時空を超えた協働という概念抜きには成立しないのである。もう存在しないもの、まだ存在しないものたちとの協働関係というイメージをありありと感知できた人間のうちにおいてのみ、「私以外の誰によっても代替し得ない使命」という概念は受肉する。
自然科学というのはまさにそのようなものである。科学性とは何かということについて深く考究したカール・ポパーはこんな例を挙げている。無人島に漂着したロビンソン・クルーソーが孤島に研究室を建て、そこで冷徹な観察と分析に基づいて膨大な数の論文の執筆をなしとげたと仮定する。その研究成果は現在の自然科学の知見とぴたりと一致するものであった。さて、クルーソーは「科学者」だと言えるだろうか。ポパーは「言えない」と答える。ロビンソンの科学には科学的方法が欠如しているからである。
「なぜなら、彼の成果を吟味する者は彼以外にはいないし、彼個人の心性史の不可避的な帰結であるもろもろの偏見を訂正しうる者は彼以外にはいない」からである。
「人が判明でかつ筋道の通ったコミュニケーションの修練を積むことができるのは、ただ自分の仕事をそれをしたことのない人間(somebody who has not done it)に向かって説明する企てにおいてだけであり、このコミュニケーションの修練もまた科学的方法の構成要素なのである。」(Karl Popper, The Open Society and Its Enemies, Vol.II, Princeton University Press,1971, p.219,強調はポパー)
ポパーは科学的客観性とは何かについて、ここでたいへんリアカットな定義を下している。
「われわれが『科学的客観性』と呼んでいるものは、科学者の個人的な不党派性の産物ではない。そうではなくて科学的方法の社会的あるいは公共的性格(social or public character of scientific method)の産物なのである。そして、科学者の個人的な不党派性は(仮にそのようなものが存在するとしてだが)この社会的あるいは制度的に構築された科学的客観性の成果なのであって、その起源ではない。」(Ibid., p.220)
「科学および的客観性はひとりひとりの科学者の『客観的』たらんとする個人的努力に由来するものではない(由来するはずもない)。そうではなくて、多くの科学者たちの友好的-敵対的な協働に(friendly-hostile co-operation of many scientist)由来するのである。」(Ibid., p.217,強調はポパー)
私はポパーが「科学」について述べたことは「知性」についてもそのまま準用できるだろうと思う。科学の場合と同じく、知性が知性的でありうるのは、それが「社会的あるいは公共的性格」を持つときだけである。個人がいかほど「知性的であろう」と念じても、人は知性的であることはできない。知性は「社会的あるいは公共的な」かたちでしか構築されないし、機能もしない。
ただし、「社会的あるいは公共的」という言葉から、「学会」のようなものを漠然と想像すべきではないだろう。複数の専門家が一堂に会して、相互に忌憚なく業績を評価する仕組みができているというだけでは「社会的あるいは公共的」という条件は満たされない。現に、20世紀以降でも、さまざまな国家において当代一流の学者たちがぞろぞろと時の権力者の喜びそうな学説の保証人になった例を私たちはいくらでも知っているからである。ある一時点において多くの支持者を得た支配的な学説であるということだけでは「社会的あるいは公共的」という条件は満たされない。「社会的あるいは公共的」であるためには、時間を味方にしなければならない。時間の経過とともに、学説のあちこちに散乱していた「満たされるべき空虚」がひとつひとつ充填されてゆくような力動的なしかたで構成されたものを「社会的あるいは公共的」な言明と呼ぶべきだと私は思う。そのようなプロセスが出来するためには、そのプロセスには「原理的にその場に居合わせることができないもの」たちも含まれていなければならない。死者たちもいまだ生まれざる者たちにもまたその場に参加する正式の招待状を送られていなければならない。
社会性、公共性とはいまここにおける賛同者の多寡によって計量されるものではない。そうではなくて、過去と未来の双方向に向けて、時間的に開放されているかどうか、それが社会性・公共性を基礎づける本質的な条件だろうと私は思う。「協働」という言葉に私が託したいのは、そのような「存在しない人々」をもフルメンバーとして含む、時空を超えて拡がる共同体の営みのイメージである。
ポパーはかつて、科学者は先行する世代の科学者たちの「肩の上に立って」仕事をするという卓越した比喩を用いたことがある。死者たちからの贈与の恩恵を私たちはいま享受している。だとすれば、私たちの仕事の成果に何らかの価値があったとしたら、その果実を受け取るのは未来の科学者たち、まだ生まれていない、私たちがまだその顔も知らない科学者たちであることになる。先行世代から伝えられた「パス」を、次世代に繋ぐこと。ポパーの「社会的あるいは公共的」という言葉から私が思い浮かべるのは、そのような時間の流れの中で生起する繋がりである。
それゆえ、時間の中でその真理性がしだいに熟してゆくような言明を私は「知性的」と呼びたいと思っている。私が時間の関与にこだわるのは、「ランダムな事象の背後に存在する数理的秩序」を幻視する知性の渇望が必ずしも知性的なものではないということを言いたかったからである。陰謀史観がその適例であるが、それは同時代に多くの賛同者を得たという意味についてだけ言えば「社会的・公共的」な仮説と言えなくもない。けれども、そこには構造的に欠落しているものがあった。そこには時間が流れていなかったのである。
ドリュモンは古代ローマから現代まで、ヨーロッパの全歴史は「セム族の世界支配の陰謀との戦い」の歴史であったと書いた。それゆえ、これからのちも同じ戦いが意匠を変えて継続することになるだろう、と。彼の物語において、死者たちも未来世界の人々も、その相貌はほとんど変わることなく同一である。セム族の人間は永遠不変のセム的性格を負い続け、アーリア人種も永遠のアーリア人性を負い続ける。たしかに、それによって世界史の見通しは驚異的にシンプルなものになる。あらゆる歴史的出来事は同一の戦いの反復と変奏だったのである。ドリュモンの物語の中で、死者たちは誰もがぎくしゃくした「操り人形」のように無個性的で、無表情である。彼らはただ単一の分かり易いストーリーを再演するためだけにそこに繰り返し召喚される。私はドリュモンの書いた膨大な反ユダヤ主義文献を読みながら何度も窒息感を覚えた。彼において、過去はほとんど現在であった。古代ローマ人も中世の騎士たちも、19世紀末のフランスの紳士たちと同じような論理と感受性によって行動している。その絶望的な「広がりのなさ」に私は辟易したのである。その経験が私に教えてくれるのは、反知性主義を決定づけるのは、その「広がりのなさ」「風通しの悪さ」「無時間性」だということである。
反知性主義者たちにおいては時間が流れない。それは言い換えると、「いま、ここ、私」しかないということである。反知性主義者たちが例外なく過剰に論争的であるのは、「いま、ここ、目の前にいる相手」を知識や情報や推論の鮮やかさによって「威圧すること」に彼らが熱中しているからである。彼らはそれにしか興味がない。
だから、彼らは少し時間をかけて調べれば簡単にばれる嘘をつき、根拠に乏しいデータや一義的な解釈になじまない事例を自説のために駆使することを厭わない。これは自分の仕事を他者との「協働」の一部であると考える人は決してすることのないふるまいである。
私はこれを「エンドユーザー・シップ」というふうに呼んでいる。自分の知的努力を享受するのは自分ひとりである。自分の努力がもたらした成果は自分が使い切る。誰にも分与しない、贈与もしない。そう考える人のことを私は「エンドユーザー」と呼ぶ。
これは大学で卒論指導をしているときに学生たちに毎年伝えたことである。私はこんなふうにオリエンテーションのときに話した。
諸君にはこれから卒業論文というものを書いてもらう。これは君たちがこれまで書いてきた「レポート」とは性質が違うものである。「レポート」の場合、君たちは自分がどれほど勉強したか、どれほど出席して講義をノートしたかを、教師ひとりに専一的にアピールすれば済む。「レポート」はふつう教師ひとりしか読まない。だから、たとえそこに嘘を書いても、読んでもいない本を読んだことにしても、ネットからコピーした文章を切り貼りしても、教師ひとりがそれを見落とせば、諸君は高い評点をもらえる可能性がある。そういう「レポート」は評点をもらったらその使命を終え、誰にも読まれることなく、そのまま退蔵され、やがて捨てられる。それがどれほど不出来でも、どれほど誤謬や推論上のミスがあっても、それで困るものはどこにもいない。
卒論はそれとは違う。卒論は君たちのほとんどにとって生涯にただ一度だけ書く「学術論文」である。それは潜在的には「万人」が読者であるということを意味している。教師ひとりが読むわけではない。だから、仮にデータの数値が間違っていたり、引用文献の書名が間違っていたり、事実誤認があったり、論理的に筋道が通らないことが書かれていた場合、仮に教師が読み落としても、他の誰かから指摘される可能性がある。実際に、うちのゼミ生の卒論をネットで公開したとき、自著からの「盗用」に気づいて指摘してきた人がいた。その学生はまさか盗用した本人が自分の論文を見ることになるとは思っていなかったのだろう。
だから、論文の読者が「万人」であるということは書き手にそれなりの緊張感を求める。けれども、それは必ずしもストレスフルな緊張感には限られない。諸君には「君たちと同じテーマで卒論を書くことになった、何年か先の内田ゼミの後輩」を想定読者に論文を書いて欲しい。それならどう書いていいかわかるはずだ。
「重箱の隅を突くような」査定的なまなざしを意識して文章を書くことがいつもよいこととは限らない。たいていの場合、査読者に「自分の論文がどれほどの評点を得るのか」怯えながら書くよりも、自分の後輩を想定読者にして、彼女たちが「自分の論文からどれほどの利益と愉悦を得るか」を想像しながら書く方がずっと生産的だ。
そう考えれば、どう書けばよいかはわかるだろう。君たち自身がこのテーマで卒論を書こうと決めたとき、「こういう先行研究があったらいいな」ということを漠然と思い描いたはずだ。だったら、それをそのまま後輩のために書くようにすればいい。論理的な記述を心がけるのも、引用に正確を期すのも、データや史料の恣意的解釈を自制するのも、それは君たちの書いた「先行研究」を後輩たちがその上に立つことのできる「肩」にするためだ。君たちが読みやすくて、論理的で、データが豊富で、信頼性の高い研究論文を書き残せば、それは「パブリック・ドメイン」として多くの後続研究者に繰り返し利用されることになる。学術研究では「被言及回数・被引用回数」がその論文のもつ影響力の尺度として用いられるけれど、それは言い換えれば、その研究の「社会性・公共性」が高いということだ。
君たちがこれから書く論文の価値を判定するのはゼミの指導教師である私ではない。これから君たちの論文を読むことになる「まだ存在してない読者たち」である。その人たちのために書かなければならない。「レポート」の場合、どれほどひどいものを書いても、どれほど引用のしかたがずさんでも、データの転記ミスがあっていても、それを読んで実害をこうむる読者は(絶望的な気分になる教師の他には)誰もいない。でも、「論文」の場合はそうではない。もし、君たちが引用出典の頁数を間違えたり、書名を誤って表記していたら、後輩たちは典拠を探しあぐねて図書館で何時間もうろうろしなければならないかも知れない。論理的に記述されていなければ、いったい何を言いたいのか知るために繰り返し同じ頁をめくらなければならないかも知れない。論文の質がよいか悪いか、それから影響を受けるのは、まだ見ぬ読者たちである。君たちが質のよい論文を書けば、それによって受益するのは、まだ見ぬ読者たちである。君たちはその人たちに向けて「よいパスを出す」ことを期待されている。論文において君たちはエンドユーザーではなく、パッサーなのである。
おおよそそのような話を私は卒論ゼミの最初の時間に学生たちに話してきた。易しい言葉づかいではあるけれど、私なりに「知性的」であるとはどういうことか、「科学的」であるとはどういうことかを学生に説き聞かせてきたつもりである。それは最終的には「まだ見ぬ読者たち」との協働の営みをどれほど生き生きと想像できるかにかかっている。
反知性的なふるまいは「狭さ」を特徴する。それは上に書いたとおりである。彼らは「いま、ここで、目の前にいる人たちを威圧すること(黙らせること、従わせること)」を当面の目標にしている。それ以外には目的がない。その場での相対的優位の確保、それが彼らの求めるもののすべてである。ほんとうにそうなのだ。彼らには「当面」しかない。彼らは時間が不可逆的なしかたで流れ、「いま、ここ」で真実とされていることが虚偽に転じたり、彼らが断定した言明の誤りが暴露されることを望まない。それくらいなら、時間が止まった方がましだと思うのである。この「反時間」という構えのうちに反知性主義の本質は凝集する。
20世紀における反知性主義者のワーストテンに必ず算入されるはずの人間にジョセフ・マッカーシー上院議員がいる。彼が常習的な嘘つきであり、金に汚く、卑劣漢であったことについては無数の証言があるが、それは彼が1950年から1954年までトルーマン、アイゼンハウアーという二代の大統領の権限を「半身不随」に追い込むほどの権力を持った理由を説明してくれない。全盛期のマッカーシーはその一挙手一投足を世界のメディアが注視するアメリカでただ一人の上院議員だった。同盟国イギリスの『タイムズ』は彼のまわりに立ちこめる空気を「西側の政策決定にあたって不可欠の要素」と語り、ウィンストン・チャーチルはエリザベス二世の戴冠式の祝辞の中でマッカーシー批判の一節を挿入することを自制できなかった。短期ではあったけれど彼が国内外にふるったこの恐るべき影響力は彼の徹底的に反知性主義的な構えにあったと私は考えている。
反知性主義はしばしば法外な政治力を持つことがある。ただし、それは「未来を持たない」という大きな代償と引き替えにしか手に入らない。反知性主義者の最大の特徴は「少し時間と手間をかければ根拠がないことが露見する話」を自信たっぷりに語ることにあるからである。
これほど自信ありげに断言するからには彼はきっと「真実」を語っているに違いないと人々は推論する。この推論そのものは経験的には正しい。けれども、少し時間が経つうちに、彼の話につじつまの合わないところが出て来て、疑問に思って話の裏を取ろうとする人も出てくる。すると、彼は「そんな話をしているんじゃない」と一喝して、また違う話を自信たっぷりに断言する。すると、これほど自信ありげに断言するからには、彼はきっとこの話題については真実を語っているに違いないと人々は推論し、問題になっている過去の断言についての吟味を停止する・・・ということが何度か繰り返される。それが何度か繰り返されているうちに、人々はどうも彼はその場しのぎで嘘を言うことで政治生命を延命させていただけではないのかということにようやく思い至る。でも、信じられないのだ。「どうしてそんなことをするのか」意味がわからないからだ。それが暴露されたときに(時間が経てば必ず暴露される)失うものがあまりに多いからだ。それがわかっていて、なぜ彼はあれほど嘘をつき続けたのか。マッカーシーも、上院議員として選挙民区でこまめに「どぶ板」活動をしているくらいのことで満足していれば、酒浸りで48歳で窮死することもなっただろう。
ジョセフ・マッカーシーは政敵への遠慮ない人格攻撃と悪質な経歴詐称によって順調に政治的キャリアを積み重ね、40代で上院議員に選出された。
「1950年の初め頃、マッカーシーはウィスコンシン州以外の世間の人にとってはとるにたらぬ人間であった。ウィスコンシン州ではかれは下品で大げさな身振りの、公共の利益にいいかげんな態度で臨む安っぽい政治家として知られていた。アメリカ人百人のうち一人がその存在を知っていたかどうかも怪しい」という当時のジャーナリストの筆致は決して意地が悪すぎるというわけではない。(R・H・ロービア、『マッカーシズム』、宮地健次郎訳、岩波文庫、1984年、13頁)
ある日転機が訪れる。1950年ウェストヴァージニア州のウィーリングの共和党婦人クラブという小さな集会でマッカーシーはその歴史的な演説をした。演説中で彼は、国務省は共産主義者の巣窟であり、自分も国務長官もその名前を記載したリストを持っているという爆弾発言を行った。
「後日、マッカーシーは共産主義者が205人と言ったか、81人、57人、それとも『多数の』と言ったかということで若干の論争があったが(かれが何か言うと必ず論争があった)、『国務長官にも知られている』共産主義者が『今も勤務し、政策を立てている』、これは事実だとかれが主張したのにくらべれば、数はどうでもよかった。」(同書、13頁)
ただちに上院に調査委員会が組織されたが、マッカーシーはたいしたことを知っているわけではないということしかわからなかった。問題は、委員会がマッカーシーに「政府部内に共産主義者がいること」を証明せよと要望する代わりに、政府当局者は「政府部内に共産主義者がいないことを証明すべきだ」というマッカーシーの言い分にうっかり同意してしまったことだ。悪魔の証明である。ある政府部局に共産主義者が「ひとりでもいる」ことは簡単に証明できるが、「ひとりもいない」ことはほとんど証明不可能である。マッカーシーズムの期間、政府の各部局の長たちはマッカーシーの弾劾から組織を防衛するために「自分は腐敗しておらず、共産主義に反対で、反逆者を雇用してもいない」ことを証明することを他のすべての業務に優先せざるを得なかった。この無意味な作業のためにアメリカが五年間でどれほどの国益を失ったのか計算するのかを計測したものはいないが、おそらく天文学的な数値に上るだろう。彼が在任中に摘発できた「反逆者」は何人かの元共産党員だけに過ぎなかったが、彼が破壊したものは桁外れだった。
マッカーシーは実際には共産主義者が政府部内に侵入しているのかどうか知らなかったし、興味もなかった。彼に必要だったのは何よりも「注目を浴びること」だった。
彼がウィーリングで歴史的な演説をしたのは1950年2月9日だが、その一月前の1月7日にマッカーシーはワシントンで三人の選挙コンサルタントたち(ひとりの神父、ひとりの大学教授、ひとりの弁護士)とディナーを取りながら次の選挙の「目玉」になりそうな政策を物色していた。コンサルタントの一人はマッカーシーに「セント・ロレンス水路」の推進はどうかと提案した。マッカーシーはそれにはとりあわず、65歳以上のものに月額100ドルの年金をばらまくのはどうかと逆提案した。コンサルタントたちは賛成しなかった。別のコンサルタントが共産主義者の勢力拡大と破壊活動を主題にするのはどうかというアイディアを出した。マッカーシーはこれに飛びついた。彼らはしばらく討議したが、その話を持ち出した神父自身がマッカーシーの興奮ぶりを警戒して、こういう問題にあまり無責任なしかたで取り組まないようにと釘を刺した。マッカーシーは慎重に取り組むと約束したが、もちろん約束は守られなかった。
この逸話は私に「反ユダヤ主義の父」ドリュモンがユダヤ人のフランス支配の陰謀の物語を着想したときのことを思い出させる。ドリュモンはその大著の刊行まで、新聞記者としてある新聞社で働いていた(その経営者はユダヤ人であり、彼はその社で厚遇されていた)。そしてある日、ドリュモンは、フランスの政治家も官僚も財界人もメディアもすべてはユダヤ人に支配されているという「隠された真実」を発見した。その証拠に、フランスのメディアは「政官財をユダヤ人が事実上支配している」という真実を報道していない。この完璧な報道管制こそユダヤ人の支配がフランス社会の隅々まで徹底していることの動かぬ証拠である。彼自身ユダヤ人が経営している新聞社で働きながら、そのことに気づかずにいたくらいだ・・・。不思議な論法であるが(ドリュモンという人は論理的な思考がほんとうに苦手な人だった)、読者たちはそれを読んで「なるほど」と同意した。
マッカーシーもまたある日、共産主義者たちがひそかに政府を支配し、政策を起案しているという「真実」を発見した。まさに共産主義者が政策決定に深く関与していることが、共産主義者が政策決定に深く関与しているという事実が少しも明らかにされない当の理由なのだという論法もドリュモンとよく似ている。「そうでないことを証明してみせよ」という恫喝によってマッカーシーは4年間にわたって大統領と議会ににらみを効かせ、FBIを頥使し、アメリカ社会を狂騒と混乱のうちに陥れた。
なぜ、このような人物がこれほどの政治力を発揮しえたのか。理由の一つは彼が「政府には共産主義者が巣喰っている」という自分が喧伝している当の物語を一瞬たりとも信じたことがなかったからだと『マッカーシーズム』の著者は書いている。私もこれに同意の一票を投じる。
「本当にそう信じ、本当に気にかけていたのなら、唯面倒くさいからとか、期待したような大見出しにならなかったからという理由で、調査を放棄するようなことはしなかっただろう。かれは政治的投機者、共産主義を掘り当て、それが噴油井を上って来るのを見た試掘者だったのである。そしてその噴油井が気に入った。しかし、別のどういう噴油井でも同じように気に入ったであろう。」(同書、97頁)
例えば、マッカーシーはCIAこそ「最悪の状態」だと述べ、そこには百人以上の共産主義者がおり、それをこの手で根絶してみせると宣言した。だが、政府部内にマッカーシーの調査員たちがCIAを土足で歩き回ることを望むものはいなかった。彼らは自分たちの身内の調査委員会の結論(「何もありませんでした」)をマッカーシーに伝えた。マッカーシーはこれ以上ことを荒立てると誰かの虎の尾を踏むリスクがあることを感じ取ったのか、「この問題はこれ以上踏み込まない」と言って調査を切り上げた。マッカーシーの告発が正しければ、CIAはそれ以後も「最悪の状態」のままだったはずであるが、そのことはマッカーシーをあまり悩ませなかった。結局のところマッカーシーのキャンペーンは最終的に何一つ成就しなかったし、調査をすると発表しながら、調査に着手しないことさえあった。
マッカーシーのカラフルな事例が教えてくれる最も豊かな教訓の一つは、自分の言っていることを信じていない人間は、自分の言っていることを信じている人間よりも、論争的な局面ではしばしば有利な立場に立つという事実である。ふつうの人は、自分の言いたいことにまだ充分な裏付けがない場合は断定的に語るのを自制する。だから、どうしても歯切れの悪い言い方になる。そして、自分が「確信のないことを語るときの気後れ」を他人も経験するはずだと推論する。残念ながら、マッカーシーはそのような気後れとまったく無縁の人物であった。ロービアのほとんど詩的な罵倒を採録すると「マッカーシーは確かに嘘つきのチャンピオンだった。かれは思うままに嘘をついた。怖れることなく嘘をついた。白々しい嘘をつき、真実に面と向かって嘘をついた。生き生きと、大胆な想像力を用いて嘘をついた。しばしば、真実を述べるふりすらしないで嘘をついた。」(同書、71頁)
反知性主義者には気後れというものがない。その点で、彼は論争における勝負の綾を熟知していると言ってよい。「ふつうなら気後れして言えないこと」を断定的に語る者はその場の論争に高い確率で勝利する。
しかし、このような「短期決戦」スタイルの言論は当然ながら「手間暇をかけて裏を取る」人によってていねいに吟味されるといずれ土台から崩壊する。時間が経てば必ず崩壊する。だから、反知性主義のほんとうの敵は目の前にいる論敵ではない(彼らは目の前にいる人間のことなど、ほとんど気にしない)。彼らのほんとうの敵は時間なのである。
時間はどのような手立てを講じようと経過する。そして、その過程で「嘘」は必ず露呈する。反知性主義者はだからある意味で「時間と戦っている」のである。それゆえ、彼らの戦術的狡知は「時間を経過させない」ことに集中することになる。
時間を経過させないことは人間にはもちろんできない。人間にできるのは「時間が経過していないように思わせる」ことだけである。これについては経験的にかなり確かなやり方がある。それは反復である。「同じ言葉を繰り返すこと」「同じふるまいを繰り返すこと」によって時間は止まる(ように見える)。すべての反知性主義者はこの点については実に洞察力にすぐれた人類学者だと言わなければならない。彼らは太古の祭祀儀礼以来、同じリズム、同じメロディで反復される同じダンスを見せられているうちに人間は時間の感覚を失ってしまうということを熟知している。強化された反復によって、人間の時間意識は麻痺する。自然的時間は経過するのだが人間的時間は経過しない。歴史上のすべてのデマゴーグはこのことを直感的に知っていた。彼らはしばしば「雄弁」だと言われるが、その「雄弁」性は次々と新しい語彙を作り出すとか、次々と新しい概念を提出するとか、次々と新しいロジックを繰り出すというかたちでは示されない。彼らの「雄弁」性の本質を形成するのは、同一のストックフレーズの終わりなき繰り返しを「厭わない」
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25:777
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2024/08/07 (Wed) 15:03:47
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時間を経過させないことは人間にはもちろんできない。人間にできるのは「時間が経過していないように思わせる」ことだけである。これについては経験的にかなり確かなやり方がある。それは反復である。「同じ言葉を繰り返すこと」「同じふるまいを繰り返すこと」によって時間は止まる(ように見える)。すべての反知性主義者はこの点については実に洞察力にすぐれた人類学者だと言わなければならない。彼らは太古の祭祀儀礼以来、同じリズム、同じメロディで反復される同じダンスを見せられているうちに人間は時間の感覚を失ってしまうということを熟知している。強化された反復によって、人間の時間意識は麻痺する。自然的時間は経過するのだが人間的時間は経過しない。歴史上のすべてのデマゴーグはこのことを直感的に知っていた。彼らはしばしば「雄弁」だと言われるが、その「雄弁」性は次々と新しい語彙を作り出すとか、次々と新しい概念を提出するとか、次々と新しいロジックを繰り出すというかたちでは示されない。彼らの「雄弁」性の本質を形成するのは、同一のストックフレーズの終わりなき繰り返しを「厭わない」という忍耐力なのである。
ふつうの人間は同一性の反復に長くは耐えられない。同一の口調、同一のリズム、同一のピッチ、同一の身振りを繰り返すということはどこか本質的に反生命的・反時間的なふるまいだからである。同一的なものの反復は反生命的であり、反時間的である。だが、デマゴーグは反復を厭わない。むしろ反復に固執する。同じ表情、同じ言葉づかいで、同じストックフレーズを繰り返し、同じロジックを繰り返す。政治的失敗を犯した場合でさえ、その失敗をあえて二度三度と繰り返す。彼らは失敗から学習するということをしない。学習によって「変わる」とせっかく止めていた時間が動き始めてしまうからだ。彼らは同じ表情で、同じ言葉を繰り返す。それを見ているうちに、私たちはそれがいつの出来事だったのか、しだいにわからなくなってくる。一年前の出来事なのか、三年前の出来事なのか、それとも一年後の出来事なのかが識別ができなくなる。この過剰なまでの同一性への固執は彼らの知的無能を示しているのではない。むしろ、彼らの戦術的狡知の卓越性を示している。彼らは自分たちが息を吐くようについている嘘が時間の経過に耐え得ないものであることを知っている。だから、時間を止めようとするのである。
現代に話を戻す。これまでもいろいろなところで書いてきたことの繰り返しになるが、わが国はいま「国民国家のすべての制度の株式会社化」のプロセスを進んでいる。平たく言えば、金儲けに最適化したシステムだけが生き残り、そうでないシステムは廃絶されるというルールに国民の過半が同意したのである。営利企業の活動はもちろんのこと、農林水産業のような自然の繁殖力を永続的に維持管理するための活動も、医療のような国民の健康を保持するための活動も、教育のような次世代の担い手の市民的成熟を支援するための仕組みも、すべてが経済効率だけを判定基準にして淘汰されるべきだという判断に国民の過半が同意を与えた。この趨勢を「国民国家の株式会社化」と私は呼ぶ。
株式会社のCEOは独断専行で経営政策を決定する。従業員や株主の合意を得てからはじめて経営判断を下すような経営者はいない。そのような手間暇をかけていては生き馬の目を抜くグローバル資本主義を生き残れない。ワンマン経営が推奨されるのは、経営判断の適否はただちにマーケットによって検証されることをみんな知っているからである。「マーケットは間違えない」。これはすべてのビジネスマンの信仰箇条であり、これに異を唱えるビジネスマンはいない。CEO の経営判断の適否は、タイムラグなしに、ただちに、売り上げや株価というかたちで可視化される。どれほど非民主的で独裁的なCEOであっても、経営判断が成功している限り、そのポストは安泰である。
現代の政治家たちは「株式会社のCEOのような統治者」をロールモデルにしている。そして、そのことを国民もまた当然のことのように思っている。けれども、人々は国家は株式会社のように経営することはできないという平明な事実を忘れている。政治にはビジネスにおける「マーケット」に対応するものが存在しない。
国政におけるいまここでの政策の適否は今から50年後、100年後も日本という国が存続しており、国土が保全され、国民が安らぎのうちに暮らしているかどうかによって事後的にしか検証されない。株式会社であれば、新製品がどれくらい市場に好感されたか、展開した店舗がどれくらい集客したか、ターゲットの設定がどれくらい適切であったかは、当期の売り上げや株価によってダイレクトに評点が下される。けれども、残念ながら四半期で適否が決まるような政策は国政については存在しない。いま政府が行おうとしている重要政策の適否が判明するのは、その政策が重要であればあるほど遠い未来になる。場合によっては、私たちの死後かも知れない。「政治にマーケットはない」というのはそういう意味である。採択された政策が「失敗」したとわかったときに、国民は「CEOを馘首する」というソリューションが採れない(たいていの場合、失政の張本人はとうに引退するか、死んでいる)。そのとき失政の後始末をするのは国民国家の成員たちしかいない。誰にも責任を押しつけることができない。祖先が犯した政策判断の失敗の「尻ぬぐい」はその決定に参与しなかった自分たちがするしかない。そのような「負債」の引き受けを合理化する唯一の根拠が民主制である。
誤解している人が多いが、民主制は何か「よいこと」を効率的に適切に実現するための制度ではない。そうではなくて、「わるいこと」が起きた後に、国民たちが「この災厄を引き起こすような政策決定に自分は関与していない。だから、その責任を取る立場にもない」というようなことを言えないようにするための仕組みである。政策を決定したのは国民の総意であった。それゆえ国民はその成功の果実を享受する権利があり、同時にその失政の債務を支払う義務があるという考え方を基礎づけるための擬制が民主制である。
このためには、死者もまだ生まれてこない者もフルメンバーとして含む、何百年もの寿命を持つ「国民」という想像の共同体を仮定せざるを得ない。その国民なるものが統治の主体であるという「物語」に国民が総体として信用を供与するという手続きを践まざるを得ない。
これは株式会社とは最も縁遠い共同体理解である。株式会社は短命である。今年起業された株式会社のうち50年後にまだ存続しているものはおそらく1%以下であろう。だが、別に短命であることは株式会社にとって困ったことでも恥ずかしいことでもない。起業して一年目に会社ごと身売りしてキャピタルゲインで天文学的な個人資産を手に入れた経営者は、老舗の看板を細々と100年守っている小商いの経営者より高く評価される。株式会社は「当面の勝利」以上のものを望まない。どれほどの規模の経営破綻を来しても、株券が紙くずになるのが株式会社の取りうる責任のすべてである。倒産してそれで「終わり」である。倒産した企業の社会的責任を何十年何百年も追及し続けるというようなことは誰もしない。
しかし、国家はそうはゆかない。国政の舵取りに失敗すれば、その責任はその政策決定にまったく関与しなかった世代にまで及ぶ。日本のかつての被侵略国に対する戦争責任は戦後70年を経ても追及が終わらない。「もういい加減にしろ」といくら大声でどなっても、「じゃあ、もう追及するのは止めます」と隣国の人々が言ってくれるということは絶対に起こらない。「日本人は戦争責任への反省がない。決して許すまい」という相手のネガティブな心証形成が強化されるだけである。米軍はこのままおそらく未来永劫に日本の国土に駐留し続け、広大な土地を占有し続けるだろう。北方四島もロシアが占領し続けるだろう。国家の失政の責任は無限責任だからである。「70年も経ったのだから、もういいでしょう」と言っても、相手国が「そうですね」と引き下がることはない。彼らはみな「日本に貸しがある」と思っており、その貸しは「まだ完済されていない」と思っている。彼らがいつ「完済された」と思うようになるのか。それを決めるのは先方であって、われわれではない。無限責任とは「そういうこと」である。
しかし、今の為政者たちは、政策の適否は長い時間的スパンの中で検証されるものであって、自分たちが今犯した失政の「負債」は自分たちが死んだ後、まだ生まれていない何代もの世代に引き継がれることになるというふうには考えていない。彼らは自分たちの政策が歴史的にどう検証されるかということには何の興味も持っていない。彼らが興味を持つのは「当面の政局」だけである。政治家であれば「次の選挙」である。「次の選挙」がビジネスマンにとっての「マーケット」を代用する。「マーケットは間違えない」のであれば、次の選挙で当選すれば、彼らが採択した政策の適否についての歴史的判断はすでに下ったということになる。歴史的判断は選挙によって国民がすでに下したのであるから、彼らが表舞台から退場したあと、彼らが死んだあとになって、彼らの下した政策判断がどういう結果をもたらしたか、そんなことには何の意味もない。政治家が「文句があれば次の選挙で落とせばいい」とか「みそぎは済んだ」というような言い回しを好むのは、直近の選挙結果が政策の適否を判定する最終審級であり、歴史的な審判などというものは考慮するに及ばないと彼らが本気で信じているからである。
私は先に反知性主義の際立った特徴はその「狭さ」、その無時間性にあると書いた。私がこの小論で述べようとしたことは、そこに尽くされる。長い時間の流れの中におのれを位置づけるために想像力を行使することへの忌避、同一的なものの反復によって時間の流れそのものを押しとどめようとする努力、それが反知性主義の本質である。
反知性主義者たちもまたシンプルな法則によって万象を説明し、世界を一望のうちに俯瞰したいと願う知的渇望に駆り立てられている。それがついに反知性主義に堕すのは、彼らがいまの自分のいるこの視点から「一望俯瞰すること」に固執し、自分の視点そのものを「ここではない場所」に導くために何をすべきかを問わないからである。「ここではない場所」「いまではない時間」という言葉を知らないからである。
最後にレヴィナスの『全体性と無限』の冒頭の言葉を記して筆を擱くことにする。「形而上学」というレヴィナスの言葉を「知性」に置き換えて読んで頂ければ、私の言いたいことがこのわずか二行に尽くされていることがおわかりになるだろう。
「形而上学は『ここではない場所』、『別の仕方で』、『他なるもの』に向かう。思想史の中で形而上学はさまざまな形態をまとってきたが、最も一般的なかたちとしては、形而上学は私たちにとって親しみ深いこの世界(・・・)から、私たちの棲み着いている『私の家』から、見知らぬ自己の外、ある彼方へと向かう運動として現われるのである。」(Emmanuel Lévinas, Totalité et Infini, Martinus Nijhof, 1971, p.21)
(2020-09-03 12:32)
http://blog.tatsuru.com/2020/09/03_1232.html
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2024/08/07 (Wed) 19:44:57
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長崎を口汚くののしる駐日イスラエル大使
続壺齋閑話 (2024年8月 7日 08:23)
https://blog2.hix05.com/2024/08/post-7937.html#more
今年の原爆の日の式典をめぐる広島・長崎両市の対応は分かれた。広島がイスラエルを招待したのに対して、長崎は招待しなかった。そのことに対して駐日イスラエル大使が口汚くののしっている。長崎市は招待によって混乱が生じることを恐れて見送ったというが、それはでっちあげの理由だというのだ。
日本国内では、広島がイスラエルを招待することへの強い批判がある。広島は、長崎同様、ウクライナを侵略していることを理由にロシアを招待していない。その理由が正当ならば、ガザのパレスチナ人に対してロシア以上にひどい虐殺を行っているイスラエルを招待するのは、あきらかにダブルスタンダードだ。
広島が、ガザの大虐殺には目をつぶって、イスラエル を招待しているのは、見方によっては、非常に政治的な行為である。広島は、ロシアには厳しくする一方で、イスラエルには連帯を表明している、と言われて仕方なかろう。それを主導しているのは某広島市長で、被爆者団体等はそれに批判的だという。これは某広島市長が政治的な動きを見せているのであり、被爆者団体のほうが理にかなった主張をしているとみてよい。
それにしても、駐日イスラエル大使の口汚いののしりかたは、まともな日本人ならとても受けいれられるものではないだろう。当該大使は、今進行中のイスラエルによるパレスチナ人の大虐殺にはいっさい触れていない。それを正当な行為だと思っているなら、ネタニヤフのように、率直に言うべきである。我々が行っているガザでの虐殺は正当な行為なのであり、ガザのパレスチナ人をイスラエルのユダヤ人が虐殺することは、正義にかなったことなのだと、と。
https://blog2.hix05.com/2024/08/post-7937.html#more
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2024/08/09 (Fri) 19:45:38
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伊藤貫×吉野敏明対談 イスラエルの定義と歴史から見る腐敗しきった政治と 世界情勢
https://www.youtube.com/watch?v=q6s0o1P_XfY
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2024/08/11 (Sun) 16:32:03
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ああjj
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2024/08/12 (Mon) 09:51:00
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史上最悪五輪のパリで繰り広げられたホームレス苛め
2024.08.12
https://www.thutmosev.com/archives/36382.html
フランスにはホームレスの保護や支援制度は無く、追い出すだけ
https://www.thelocal.fr/20190319/in-numbers-how-the-homeless-population-of-paris-is-growing
どうしてこんな国になったのか
2024年のパリ五輪はあらゆる競技で不正が行われその多くでフランスが有利になっており、史上最悪の八百長オリンピックの名を欲しいままにしている
選手村ではドラッグが蔓延し窃盗や暴力事件、果ては新型コロナで大量感染者が発生して競技に参加できないなどあり得ないような不祥事が続出している
五輪会場の外のパリで繰り広げられた出来事で外国人記者たちの注目を浴びたのはホームレスへの過酷な追い出し政策で、まるで中国や北朝鮮のように見えないところへ追放していた
24年1月のパリ市推計によるとホームレスの数は4,277人で前年を大きく上回り、3,492人が首都の路上で生活しし、785人がパリ郊外で暮らしている
パリ市によるとホームレスの数は4000人ほどだったが不思議な事に6月までに1万2500人のホームレスがパリから放り出された
NGO団体によると追い払われた人たちの多くは移民や亡命希望者で大勢の子供が含まれ、薬物中毒や夜の商売の女性も追い払われたが代わりの生活は用意されなかった
世界の医師たちは「五輪期間中パリが可能な限り見栄えのいい姿」でいられるように「社会浄化」を行っていると強く非難した
マクロン大統領について最初から抱いている印象は問題を解決するのではなく、問題を「消す」タイプの人で、ヒトラーや毛沢東や李承晩もこのタイプにあたる
マクロンの理想にとってパリのホームレスは消す存在なので、ポーランドのユダヤ人と同じく「見えない場所」に押し込んで始末した
パリのホームレスが収容されたのは幸いにもアウシュビッツ収容所ではなかったが、新たな生活手段や生活場所が用意される事はなかった
マクロンはオリンピック前に数千人のホームレスをパリから追い出したが、リヨンやマルセイユやオルレアンなど別の都市に向かうバスに乗せただけだった
フランスは欧州の北朝鮮か
警察官がやってきて取り囲み、バスの乗車券を「適当に渡された」と言い、渡された乗車券がマルセイユならマルセイユ、オルレアンならオルレアンに輸送された
輸送された先で住居があるとか支援を受けられるのではなく、パリのホームレスはアウシュビッツのユダヤ人のようにバスで運ばれ、運ばれた先で再びホームレスになった
ホームレスの人々は新しい都市に到着後最大3週間を収容施設で生活し、難民資格の審査を受けるが支援を受けられるのは難民と認定された人だけです
認定されなかった外国人は強制送還されるか「釈放」されてその街でホームレスになるが、どちらもまともな生活ではない
それぞれの街の役人は異口同音に「この措置への不満や相談は一件もない」と口を揃えているが嘘に決まっている
オルレアンの収容施設には数百人がいて「支援を受けられると説明されバスに乗ったが、到着したら何もなく騙されたのが分かった」と取材に応えていた
ロシアがウクライナに侵攻した日、寒いので焚火をしていた兵士が「演習だ」と言って騙されて輸送車に乗せられ、降ろされたら四方八方から銃弾が飛んで来て仲間がバタバタ倒れたと証言していたが、それに近い
パリ市の統計でホームレスは4000人で追い出したホームレスは1万2500人だが、パリに10万人のホームレスが居るのはメディアの常識になっている
少し古いが2020年のパリのホームレスの4割は女性で、アメリカなどでも男性と女性の数はほぼ等しいが日本では圧倒的に男性が多い
日本では子供がいる女性は問答無用で保護されて市営住宅に収容され生活保護対象になるが、欧米ではそのような制度がない
女性と合法違法の移民がパリホームレスのかなりを占めていて、政府や自治体の保護はほとんどなく、その癖難民認定されると100%政府の金で一生涯保護される
フランスは日本やアメリカと比べても非常におかしい国だと言える
https://www.thutmosev.com/archives/36382.html
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30:777
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2024/08/13 (Tue) 06:38:16
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パリ五輪開会式の背景はユダヤ選民思想によるキリスト教の否定
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16862095
マクロン大統領はゲイのサイコパス、奥さんは元男性
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16864156
陰謀論? 闇の支配層『黒い貴族 ヨーロッパ13貴族』とは?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16864643
【LIVE】8/16(金)20:00〜「パリ五輪で暴かれたフランスの闇~マクロン夫妻の秘密~」ーノンフィクション作家 河添恵子
https://www.youtube.com/watch?v=SObIOeIkLG0
河添恵子×古賀真【河添先生に聴くフランスの事情】
大調和ちゃんねる【大経連公式】 2024/08/12
https://www.youtube.com/watch?v=zmvfSfdNiKk
河添恵子×古賀真【続!河添先生に聴くフランスの事情/ジャック・アタリ】
大調和ちゃんねる【大経連公式】2024/08/14
https://www.youtube.com/watch?v=ZZChEPNUOLA
陰謀論の問題 _ ある出来事の受益者が「悪の張本人」だという妄想
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14033997
マクロンのパートナーは男?女?[桜R6/8/14]
https://www.youtube.com/watch?v=EnBdf917dkM
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次期フランス大統領エマニュエル・マクロン氏、「ゲイ疑惑はミソジニーの表れ」
https://www.elle.com/jp/culture/celebgossip/a248263/cce-emanuel-macron17-0510/
フランスの新大統領に決まったエマニュエル・マクロン氏。なんとロシアのタブロイド紙が「ゲイのサイコパス」と評し、注目を集めている。
ロシアの新聞「コムソモリスカヤ・プラウダ」はエマニュエル・マクロン氏が上半身裸で登場した雑誌『ギャルソン』の表紙を掲載。この雑誌がLGBT向けであり、雑誌の表紙に「カミングアウト」とあったことから同紙は「マクロンはゲイだと告白している」と解説。
さらに「サイコパスが全員そうであるように彼は自分の掲げる、より壮大な目標を信じきっている。マクロンはフランスを愛さず、フランス国民のために戦うこともないだろう」と批判!
これはinstagramの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
https://www.instagram.com/p/BTbKvoDg9fu/?utm_source=ig_embed
実はこれ、雑誌『ギャルソン』がフォトショップで加工して作った上半身ヌード。対立候補のマリーヌ・ル・ペン氏と異なり、マクロン氏が同性婚の支持者であることから「ギャルソン」は表紙に起用したもよう。でも選挙期間中には、このようにマクロン氏がLGBTの権利を支援する一方で女性と結婚していることを理由に「彼はゲイであることを隠すために、24歳年上の女性と結婚している」と中傷するル・ペン支持者もいた。
マクロン氏はその中傷に対して「ホモフォビアの表れ」とコメント。さらに「もし私が妻より20歳年上であれば、私が妻と親密な関係を持っていないと考える人はいないだろう」「そういう批判の根本にはミソジニー(女性嫌悪)がある」と指摘している。
これらの発言からも、LGBTの権利や男女差別の問題に関してリベラルなことがうかがえるマクロン氏。とはいえ思想や政治方針についてはまだまだ未知数な部分も! これからどのような政治手腕を発揮していくのか、注目していきたい。
https://www.elle.com/jp/culture/celebgossip/a248263/cce-emanuel-macron17-0510/
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31:777
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2024/08/14 (Wed) 07:16:17
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パリ五輪:「日本だけズルい!」外国の選手たちは、日本チームの食事を見て驚愕!!!【海外の反応】
2024/08/13
https://www.youtube.com/watch?v=YffJ4LUegDQ
元アスリートのコメンテーターがグルメ・ツアーじゃないのだから食事に文句をいうのはおかしいみたいなことを言っていたが、アスリートはコンディションを整えるのに食事は重要。
部屋に冷房がなく窓を開ければ虫が入るし、騒音で眠れない。部屋に泥棒がはいるし、川は大腸菌で体調を壊すし審判はいい加減。史上最悪なオリンピックですね。
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2024/08/14 (Wed) 07:18:44
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パリ五輪選手村の不満が 東京の名声を爆発的に上昇!パリ五輪、食中毒で大騒ぎ!
2024/08/13
https://www.youtube.com/watch?v=2_p2YCz19Gs
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2024/08/14 (Wed) 23:32:54
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伊藤貫×吉野敏明対談 イスラエルの定義と歴史から見る腐敗しきった政治と世界情勢
【公式】吉野敏明の政経医チャンネル〜日本の病を治す〜 2024/08/09
https://www.youtube.com/watch?v=q6s0o1P_XfY&t=16s
0:00 はじめに
0:33 イスラエルの定義と歴史
8:32 イスラエルの失敗とは?
11:57 イスラエル・ロビーの存在
伊藤貫×吉野敏明対談 ユダヤ人への幻想と選民思想の実際 ユダヤ人との議論から導いた真実
【公式】吉野敏明の政経医チャンネル〜日本の病を治す〜 2024/08/12
https://www.youtube.com/watch?v=nUXaJxmSubQ&t=615s
0:00 はじめに
0:25 ユダヤ人に抱いていた幻想
8:43 「黙されるのが悪い」 という思想
伊藤貫×吉野敏明対談 米国トップ1%に集中する富 日本が目指すべき中立主義とは
【公式】吉野敏明の政経医チャンネル〜日本の病を治す〜 2024/08/14
https://www.youtube.com/watch?v=yW5FKG-QeoA
0:00 はじめに
0:07 都合のいい現実の押し付け
6:44 アメリカの富がトップ1%に集中
14:18 日本が目指すべき中立主義
▲△▽▼
RK: 彼らのやり方は、少数によって大多数の人々を管理して富を独占する。
そのやり口を見ていると、まるで人間を家畜と考えていて、
ある意味非常に効率的に管理支配していますね。
BEN:ここが農耕民族である日本人には理解しにくいところで、
彼らの発想は非常に遊牧民的というか、非常に残酷なのです。
それはユダヤ人の割礼なんかもそうですが、
乳牛でもちょっとでも乳の出が悪いとすぐ殺処分するし、
主人の言うことを聞かない暴れるオスだと、すぐに断種して
睾丸を抜いてしまうんです。
だけどこれが農耕民族だと、牛や馬は家族扱いにして大切にする。
彼ら動物は田畑を耕したり、荷物を運んだりする使役動物だから、
日本の昭和初期頃までは家の中で大切に飼って、
潰して食用にすることもあまりなかった。それだけ感覚がまったく違うわけです。
事実、遊牧民たちは農耕民族のことを、草を食べる
あるいは穀物と言い換えてもいいのですが、
羊人(Sheeple シープル)と呼んでいます。
その羊人である農耕民族を管理するために「羊飼い」としての一神教
(キリスト教やユダヤ教)があり、その神を動かすことで
全体を支配するという考えです。
これまでもその発想でずっと世界を支配してきたのです。
ですから支配者たちから見ればその他大勢の庶民は同じ人間ではなく、
「羊人」という家畜にすぎません。
だから増えて管理が面倒になれば「間引こう」となるし、
劣等な種族は断種して子孫を作らせないようにする。
家畜を使って利益を得れば、当然のように牧場主がすべてを奪い取る。
文句を言えば餌を減らし、ムチで叩いて大人しくさせる。
このようにして食料と軍事力で世界を管理・コントロールしている連中が
存在しているのです。
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-a3d1.html
▲△▽▼
ユダヤ人とか何か?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16821505
非ユダヤ系アメリカ人にはバカしかいない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14138805
茂木誠 _ ゼロからわかる旧約聖書
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14132553
茂木誠 _ ユダヤの古代史&世界史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14130919
【日ユ同祖論】 日本人のルーツとヘブライ語の謎|茂木誠
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14132140
茂木誠 ユダヤの歴史 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLGqoPsu9icDYmqlUflf_TmVklScqHwoQE
茂木誠 日本人ユダヤ教徒の吉岡孝浩さんに聞く - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLIFjTpVDXkJmF-oB8nr1Ap0kjfBnnHWCZ
【陰謀の歴史】すべては「ロスチャイルド家 vs ロックフェラー家」の対立が原因だった?茂木誠×吉岡孝浩
むすび大学チャンネル
2022/06/23
https://www.youtube.com/watch?v=GKYx05EYWPE&list=PLIFjTpVDXkJmF-oB8nr1Ap0kjfBnnHWCZ&index=12
00:27 ユダヤ人の選民思想は本当か?
01:50 タルムードと聖書
03:04 偽ユダヤ人は存在するのか?
05:21 ロスチャイルド家とロックフェラー家の歴史と日本への影響
11:51 マルクスの共産主義とロスチャイルドは関係するのか
13:04 日本とユダヤ系財閥の意外な関係
18:26 3B政策とロックフェラー
イスラエルとアメリカのカルト政治家が虐殺を進める
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16828427
パレスチナ問題は米英帝国主義と旧約聖書カルトが生み出した
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16824368
ユダヤ人は白人美女が大好きで、非白人は人間だと思っていない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14077515
西側支配層の人類を 死滅させかねない政策は背後に優生学
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202311210000/
Microsoft創業者ビル・ゲイツの優生学
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14142318
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34:777
:
2024/08/15 (Thu) 10:34:20
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【世界は今...#408】レイプ犯を参加させたオリンピック/トランプグッズ大人気/マクロンのパートナーは男?女?[桜R6/8/14]
https://www.youtube.com/watch?v=EnBdf917dkM
■ アメリカ・ペンシルバニア州 - 伊原太郎さん
・強姦魔を参加させたオリンピック
・質屋の心遣い
・商魂たくましいあの方
■ 日本(フランス)- 宇宿洋一さん
・五輪休戦明けでどうなるマクロン
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35:777
:
2024/08/16 (Fri) 07:05:18
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パリ五輪開会式の背景はユダヤ選民思想によるキリスト教の否定
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16862095
マクロン大統領はゲイのサイコパス、奥さんは元男性
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16864156
陰謀論? 闇の支配層『黒い貴族 ヨーロッパ13貴族』とは?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16864643
【LIVE】8/16(金)20:00〜「パリ五輪で暴かれたフランスの闇~マクロン夫妻の秘密~」ーノンフィクション作家 河添恵子
https://www.youtube.com/watch?v=SObIOeIkLG0
河添恵子×古賀真【河添先生に聴くフランスの事情】
大調和ちゃんねる【大経連公式】 2024/08/12
https://www.youtube.com/watch?v=zmvfSfdNiKk
河添恵子×古賀真【続!河添先生に聴くフランスの事情/ジャック・アタリ】
大調和ちゃんねる【大経連公式】2024/08/14
https://www.youtube.com/watch?v=ZZChEPNUOLA
陰謀論の問題 _ ある出来事の受益者が「悪の張本人」だという妄想
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14033997
西側支配層の人類を死滅させかねない政策は背後に優生学
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202311210000/
Microsoft創業者ビル・ゲイツの優生学
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14142318
LGBTは軍隊の弱体化、家族の解体、国民の断絶が目的
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14118138
9割の日本人が理解していないWHOとは何か?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16861390
【日本の危機】お注射強制でボロ儲けWHOと製薬会社! 闇のパンデミック条約は間もなく決まる
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16849337
【今、世界はどうなっている?】林千勝×水島総 第35回「テロとバッド・メディシンな新世界秩序、グローバリストとの戦いは文字通り命懸けの段階に!」[桜R6/7/20]
https://www.youtube.com/watch?v=V8rmozJhW5Q
接種者を死亡させ、人類の存続を危うくする薬を世界規模で接種させるのは誰か
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14112398
現在でも 米政府やWHOは劣等な民族を「淘汰」すべきだと考えている
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14056012
大手メディアが報道しないレプリコンワクチンの真実
【公式】吉野敏明の政経医チャンネル〜日本の病を治す〜
https://www.youtube.com/watch?v=4igSjSaA_bI
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36:777
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2024/08/21 (Wed) 02:56:09
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パリ五輪]2024年オリンピックがフランスで開催された裏理由
調査報道 河添恵子TV / 公式チャンネル 2024/08/20
https://www.youtube.com/watch?v=Ry52T1weBys
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37:777
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2024/08/21 (Wed) 10:15:15
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権利はピザ 少数者を優遇すると、多数者の権利が減る パリ五輪
2024.08.21
https://www.thutmosev.com/archives/80803620ytgf.html
自分は女だと主張する男が女として出場し女を殴って金メダルをマネーを得た
全ての女子種目は元男だけになり、生まれた時に女だった者は出場すらできなくなるでしょう
これが「男女平等」です
https://www.yomiuri.co.jp/olympic/2024/20240810-OYT1T50077/オリンピック性別問題で注目されたアルジェリアのヘリフ、圧勝で「金」…「女性として生まれ育ち競技をしてきた」 読売新聞
権利は奪うか奪われるもの
2024年のパリオリンピックは数々の不正審判や八百長疑惑、LGBTの出場、キリストを侮辱する開会セレモニーなど多くの物議をかもして終了した
この五輪でひとつはっきりした事があってそれは「誰かの権利に配慮したり誰かの権利を増やすと、他の誰かの権利が減った」ということでした
柔道では特に多くの不正な審判判定があり、不正疑惑があった試合はすべてフランスや白人や欧州が勝ち、負けたのはアジアや有色人種でした
オリンピックの委員の大半は今でも欧州の白人が占めていて有色人種は非常に少ないので、八百長をしようと思えばいくらでもできます
柔道団体の決勝ではいきなりデジタルのルーレットが登場し100%フランスが勝つ組み合わせになり、デジタルなので検証は不可能で多くの人はフランスの八百長を確信しました
男子バレーでも日本の勝利数秒前にごり押しとしか思われない判定で日本の「反則負け」を宣告するという不正が行われた
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これらは日本側から見ると不正だがフランス側から見ると「公正」で、フランスのメディアは「負けた日本が腹いせに陰謀論を言っている」と笑い物にしています
こんなのがフランス人の正体なのだが話はこれだけでおさまらす、ボクシング女性では元男性だった選手が女性だと主張して出場し簡単に金メダルを取った
男性と女性は同じ体重でも筋肉量が違い、例え体重と筋肉量が同じであっても男女ではほとんど戦いにもならず男性が圧勝する
ゆえにボクシング協会は元男性が女性として出場するのを認めていないが、パリ五輪のボクシングでは認められて金メダルを取った
今後ボクシングでは全階級が元男性選手だけになり、元男性でなければ絶対にメダルを取れない競技になっていくでしょう
このようにLGBTの権利が増えれば「男」と「女」の権利が減るのは最初から分かっていたが、特に女性はこれを理解できずにLGBTに賛成してしまう傾向があった
その結果女性という性がLGBTに食い物にされてしまい、男性が女性として競技に参加して女性をぶん殴って金と権力を奪っていった
日本ではバブル崩壊以来労働者の賃金が減り続けたが、実は給料が減ったのは「男性」だけで「女性」の給料は30年以上増え続けています
それでもまだ男性の給料が多いのですが「女性の給料が増えると男性の給料が減る」のが真実です
権利はピザという現実
障碍者でも高齢者でもない人が選挙でそうした人達への優遇を主張する候補者に投票するという傾向があります
人は誰でも交通事故や病気などで障害を負う可能性があり、自分がそうなった時の為に障碍者福祉を重視するべきだと考えます
LGBTの記事でも書いたが、こうした少数者の権利が増えると、多数者の権利が減る事には想像が至らない
今の日本は高齢者福祉や高齢者を優遇し過ぎたために、若者の権利が小さくなって少子化につながったという指摘もあります
アメリカでは白人主義者と平等主義者、さらに有色人種主義者などが人種問題で対立しています
「人類皆平等でうまくいく」という考え方で人種の平等化を進めてきたが、アメリカの現実は理想と違っていました
それは「他の人種の権利が増えると、自分の人種の権利が減った」という事です
権利は神様が平等に与えてくれるものではなく、ピザと同じで隣の人が大きなピザを取ったら、自分のピザが減ったのです
アフリカ系やアジア系やヒスパニックの権利が増えたら、白人の権利が減ったから、白人団体は怒っています
たとえばアメリカのある村ではヒスパニックが多数派になると、白人はよそに引っ越して一軒の家族だけになった
すると村ではヒスパニックやアフリカの祭りが行われるようになり、祭りの屋台では白人から見て外国の食べ物だけになった
もし日本で近所の住人がアジア人だけになり、風俗や習慣もすっかり変わったら、絶望的な気持ちになるでしょう
人種間以外でも同じことが起こり、日本では30年間「男性の給料は減り続けている」が、女性の給料は増え続けています
男女平等と言いながら男性の給料は減らされ続け、女性の給料だけが増え続けているのです
「権利はピザ」とはこういう事で、他の誰かの権利が増えると、その分あなたの権利が減らされます
老人の福祉が手厚くなれば当然若者は虐待されるし、障碍者の福祉が多くなる分は、健常者から多くの税金を取り立てるのです
https://www.thutmosev.com/archives/80803620ytgf.html
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38:777
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2024/08/24 (Sat) 14:19:41
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悪人か悲劇のヒロインか...フランスから見たマリー・アントワネット【ゆっくり解説】#単発動画
2024/08/18
https://www.youtube.com/watch?v=L9D4SXHM6B0
パリオリンピックの開会式で話題だったマリー・アントワネット。
彼女は今、フランスでどういう評価をされているのか調査しました!
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39:777
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2024/08/29 (Thu) 09:22:40
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河添恵子【秘密結社? 「イエズス会」とは?」】
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16866759
ブラックロック,ロスチャイルド...仏マクロン大統領とパリ五輪の背後に隠された秘密
調査報道 河添恵子TV / 公式チャンネル 2024/08/28
https://www.youtube.com/watch?v=3Ln1bA23A_g
パリ五輪開会式の背景はユダヤ選民思想によるキリスト教の否定
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16862095
陰謀論? 闇の支配層『黒い貴族 ヨーロッパ13貴族』とは?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16864643
ブラックロックと関係も…?「黒い貴族」とは
大調和ちゃんねる【大経連公式】 2023/12/22
https://www.youtube.com/watch?v=5CTuEC32TVQ
ロスチャ・ロックフェラー上の黒い貴族。
河添恵子国際情報アナライズ 2023/09/07
https://www.youtube.com/watch?v=awnl-QcJ2vU
呪われた「13」の本当の意味とは?
調査報道 河添恵子TV / 公式チャンネル 2024/07/26
https://www.youtube.com/watch?v=uX0Gq9KlW2U
河添恵子【英王室とその後ろにいる黒幕】
大調和ちゃんねる【大経連公式】 2024/04/23
https://www.youtube.com/watch?v=jeB_LtuwbvU
河添恵子【エプスタインリストとビルゲイツ】
大調和ちゃんねる【大経連公式】2024/02/09
https://www.youtube.com/watch?v=jOwicmaRJbQ
河添恵子【「理解できない」を理解すること】
大調和ちゃんねる【大経連公式】2023/12/05
https://www.youtube.com/watch?v=hF_WPiTruUQ
【LIVE】8/16(金)20:00〜「パリ五輪で暴かれたフランスの闇~マクロン夫妻の秘密~」ーノンフィクション作家 河添恵子
https://www.youtube.com/watch?v=SObIOeIkLG0
河添恵子×古賀真【河添先生に聴くフランスの事情】
大調和ちゃんねる【大経連公式】 2024/08/12
https://www.youtube.com/watch?v=zmvfSfdNiKk
河添恵子×古賀真【続!河添先生に聴くフランスの事情/ジャック・アタリ】
大調和ちゃんねる【大経連公式】2024/08/14
https://www.youtube.com/watch?v=ZZChEPNUOLA
マクロン大統領はゲイのサイコパス、奥さんは元男性
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16864156
次期フランス大統領エマニュエル・マクロン氏、「ゲイ疑惑はミソジニーの表れ」
https://www.elle.com/jp/culture/celebgossip/a248263/cce-emanuel-macron17-0510/
マクロンのパートナーは男?女?[桜R6/8/14]
https://www.youtube.com/watch?v=EnBdf917dkM
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40:777
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2024/09/02 (Mon) 14:40:55
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【フランス】パリオリンピックで批判が殺到?!なぜフランスはこうなのか、フランスの偉人と歴史から考える
世界史解体新書 2024/09/01
https://www.youtube.com/watch?v=t-A_nA9ylOY
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2024/09/03 (Tue) 09:17:21
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【フランス】フランスと移民! 黒人の選手の活躍と移民がもたらした問題
世界史解体新書 2024/09/02
https://www.youtube.com/watch?v=qcC-E7yAB84
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42:777
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2024/09/08 (Sun) 01:58:52
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同性愛者しかトップになれない?仏マクロン大統領の"妻"の秘密
調査報道 河添恵子TV / 公式チャンネル 2024/09/03
https://www.youtube.com/watch?v=R3H-Tff2W9w
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43:777
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2024/10/04 (Fri) 18:49:27
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【フランス】パリオリンピック開会式は間違いでした!フランス革命の全肯定は左翼史観です
世界史解体新書 2024/10/04
https://www.youtube.com/watch?v=_EuAcBg4Zao
本日のテーマは「フランス革命とマリ=アントワネット」でした!