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酒鬼薔薇聖斗 _ とても普通とは思えない母親の素性が明らかに..

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2024/06/14 (Fri) 23:52:49

神戸連続児童殺傷事件 - YouTube
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神戸連続児童殺傷事件 - Wikipedia
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【衝撃】実は母親も異常者だった...次々と明らかになる母親の信じられない行動【ゆっくり解説】
ゆっくり日本の凶悪事件【ゆっくり解説】 2024/03/30
https://www.youtube.com/watch?v=T905t0UROnM

今回はあの凶悪犯罪者”酒鬼薔薇聖斗”の母親について解説しています。
母親の生い立ちから異常なまで厳しい躾、事件後の異常な発言など...
とても普通とは思えない母親の素性が明らかに...


【遂に】酒鬼薔薇を見つけた!「彼はまた人を●すだろう」【ゆっくり解説】
ゆっくり日本の凶悪事件【ゆっくり解説】2024/03/09
https://www.youtube.com/watch?v=GxjEzKR4_wY

名前を変えひっそりと暮らす元少年A…酒鬼薔薇は全く更生してなかった...彼は今、あなたの街にいるかも?!



同級生が明かす”報道されていない第二の事件”...そして同級生の正体は?【ゆっくり解説】
ゆっくり日本の凶悪事件【ゆっくり解説】2024/04/06
https://www.youtube.com/watch?v=uyfAzV-kzbY

突如2ちゃんに現れた”酒鬼薔薇の同級生”
あの殺人鬼の知られざる”第二の事件”とは?
そして同級生と名乗る人物の正体は?


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2019年07月31日
元少年A酒鬼薔薇聖斗の母親がおかしい!両親や家族の居場所やその後

酒鬼薔薇聖斗が犯した神戸連続児童殺傷事件をご存知でしょうか。あんな残酷な事件を犯したのは生い立ちに原因があり、彼の両親、特に母親がおかしいからだと言われています。そのおかしいと言われた母親の言動と、酒鬼薔薇聖斗ら家族の居場所やその後について調べてみました。

元少年A酒鬼薔薇聖斗の母親がおかしい!両親や家族の居場所やその後のイ

元少年A酒鬼薔薇聖斗が犯した事件とは?

少年犯罪史上最も残忍な事件の一つ、神戸連続児童殺傷事件、別名、酒鬼薔薇聖斗事件。犯人からの声明文と挑戦状には、自らの名を酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)と名乗っていたことから、酒鬼薔薇聖斗事件とも呼ばれるようになりました。

それでは、神戸連続児童殺傷事件の詳細を簡単に説明します。

1997年神戸連続児童殺傷事件

『さあゲームの始まりです。愚鈍な警察諸君、ボクを止めてみたまえ。ボクは殺しが愉快でたまらない。人の死が見たくて見たくてしょうがない。汚い野菜共には死の制裁を積年の大怨に流血の裁きを。SHOOLL KILLER 学校殺死の酒鬼薔薇』(声明文)

1997年、神戸連続児童殺傷事件。兵庫県神戸市須磨区にて数ヶ月にわたり、死亡者2名、重軽傷3名の小学生が殺傷された事件です。


中でも当時小学5年生の少年の首を切り落とし、酒鬼薔薇聖斗が通っていた中学校の正門前に声明文と共に置くという猟奇的な犯行でした。

地元新聞社には、犯人から警察に対する挑戦状が郵送されました。神戸連続児童殺傷事件は、あまりに残虐かつ無慈悲な事件だったのでメディアもこぞって犯人探しを始めました。

当時14歳の犯人に日本中が震撼

神戸連続児童殺傷事件の犯人は「中年のがっちり体型の男」「高い教育を受けた人間」などとメディアは報じてましたが、捕まったのは若干14歳の中学生でした。

その残虐性から、神戸連続児童殺傷事件の犯人が未成年であると誰も予想すらしなかったのではないでしょうか。

動物虐待行為を行っていた情報や、被害者男児と顔見知りである点などから、警察は比較的早期に犯人を割り出していたようですが、対象者が中学生のため極めて慎重に捜査は進められたそうです。

元少年A酒鬼薔薇聖斗の生い立ち

14歳の中学生が、どうして神戸連続児童殺傷事件というあんな残虐な事件を犯す犯人になってしまったのか。両親や生い立ちに原因があるのではないか。その答えは幼少期に隠されているかもしれません。まず、その生い立ちを調べてみました。

3人兄弟の長男として誕生

1983年、第一子の長男としてこの世に生まれます。父母共に健在の中流家庭。普通の生い立ちです。父親は仕事で2~3週間家を空けることが多く、それを母親が代わりに埋めていたようです。

後に弟が2人生まれますが、長男ということから一番厳しい躾を受けて育ちます。

弟がいたため母親の愛情少なく育つ

翌年、年子として弟が誕生します。両親の愛情は次男へと注がれ、長男である彼を突き放すようにして育てました。生後10か月で断乳が強行され、次男に授乳していると良く泣いていたそうです。自分の居場所が一つ、なくなった瞬間でした。

母親の愛情を受けられたのが1年程度と短かったことが、その後の母親に対する憎悪につながったと言われています。彼も母親の愛を十分に受けていると感じていなかったようです。

母親の愛情が少ない分祖母に溺愛される

母親に甘えられない分、同居している祖母に甘えていました。彼の居場所は祖母の元にあったのかもしれません。祖母の言うことには反抗せず従い、祖母にねだって買ってもらった愛犬を「おばあちゃんの犬」と呼んでかわいがっていたそうです。

祖母が亡くなり異常な行動が現れはじめる

彼が小学校5年生のとき祖母が亡くなります。それは同時に、自分の安心できる場所がなくなった瞬間でした。

かわいがっていた犬も中学に入る頃に死んでいます。その後からナメクジを殺すようになり、蛙を解剖し、何十匹の猫を殺め、頭部を切断するようになりました。


彼自身、自分のブラックな人格を酒鬼薔薇聖斗と名付けていました。とするならば、祖母の死をきっかけに酒鬼薔薇聖斗が誕生したのかもしれません。彼は自分の生い立ちをどう思っていたでしょう。

「祖母が死亡したのをきっかけに、死とは何かについて強い関心を抱くようになった」と本人がその後に語ったそうですが、生い立ちを見ると、もっと早い段階で暴力に目覚めていたという見解も否定できません。

元少年A酒鬼薔薇聖斗の家族

少年犯罪には、生い立ちや幼少期に育った環境、いわば家族やその両親に関係があるとされています。日本中が震撼した犯人、酒鬼薔薇聖斗の場合はどうだったのでしょうか。生い立ちの次は、彼をとりまく家族について調べてみました。

子煩悩だが仕事熱心過ぎた父親

父親が当時勤めていたのは神戸にある有名企業。2~3週間家を空けることもあり、休日出勤も珍しくない程多忙だったようですが、たまの休みにもゴルフに出かけることが多く、父子の関係は薄かったようです。

子煩悩であるという反面、息子たちが兄弟喧嘩をしていると時には激高し、長男である酒鬼薔薇聖斗だけを叱りつけたり、暴力を禁じながらも父親が息子を叩いたりと理不尽な躾もありました。

一方で、酒鬼薔薇聖斗が所持していたとされるナイフや斧を見つける事があっても、家の軒下から猫の死骸を見つける事があっても、父親は注意する事が無かったとされています。

いつも苛ついていた母親

父親の不在を埋めていたのは母親です。三男が生まれてから母親の躾はさらに厳しくなりました。酒鬼薔薇聖斗は物心ついた時から母親に甘えさせてはもらえませんでした。小学校入学前の門限は5時。その時刻を過ぎると、家に入れてもらえないこともありました。

母親はいつも苛ついていて、生い立ちや境遇からして相当体罰を加えていたとされています。一方で、世話好きで教育熱心。地元の子供会や皆が嫌がるPTA役員も積極的に引き受けたそうです。

両親以上に元少年Aを愛した祖母

母親からの愛情不足を埋めていたのは祖母です。両親以上に酒鬼薔薇聖斗の世話を焼き、愛情を注ぎました。

祖母は「長男に厳しすぎる」、母親は「子どもの育児に口出しするな」という喧嘩をよくしました。母親に叱られている酒鬼薔薇聖斗をかばっていたのは、父親ではなく祖母でした。

殺人鬼となった兄を大事だと言う弟

犯人になった兄ですが、弟たちは大事に思っていると漏らしていました。今まで通りに接し、面会に訪れていた際にも兄を励ましていたようです。

元少年A酒鬼薔薇聖斗の母親もおかしい人なのか?


酒鬼薔薇聖斗が犯した神戸連続児童殺傷事件。おかしい人間ではないと、このような非人道的な事件は生まれないとされています。では、母親も頭がおかしい人間なのでしょうか。父親は多忙で留守がちを言い訳に出来るかもしれません。それでは母親は?

息子がナイフを所持していても、生き物を殺していても、それを側にいた母親も見過ごしていたそうです。そういった生い立ちがこの事件の要因になったと思われています。

おかしいことをおかしいと気付くことができない母親ら両親。そんな両親に育てられたからこそ、自分がおかしい人格にあることに酒鬼薔薇聖斗は気付けなかったのかもしれません。その母親のおかしい言動をまとめてみました。

小学3年生の元少年Aをノイローゼにする

元少年A酒鬼薔薇聖斗は、幼稚園の年長の頃3回ほど自家中毒(精神的な影響により肉体に影響が出る状態)にかかっていますが、小学3年生の頃は軽いノイローゼと診断されています。

3年生になって間もない頃、しかられた彼が激しく泣き、意味のわからないことを口走ったので病院を受診。ノイローゼとの診断が下り、母親の叱り過ぎを指摘されたそうです。

彼が母親について書いた作文にも「やさしいときはあまりない」「しゅくだいをわすれたり、ゆうことをきかなかったりすると、ふとんたたきをもって百たたきがでる」「ぼくもお母さんがいなかったらな」との言葉が並んでいます。

元少年Aが野良猫を撃つためのエアガンを購入

裏の菜園を荒らす野良猫を威嚇するため、母親はBB弾のピストルを買っています。理由は、この家族が飼っていた犬の餌を野良猫が食べたり、裏庭に入ってきて糞をして行くので、家の近所に住みついている野良猫が嫌いだから。

この頃から彼も、邪魔だという理由で猫の腹を蹴り上げて友人を驚かせています。猫の殺し方が残虐だったのは、単に死への興味だけでなく、家族が猫を憎んでいた事を身近で見ていた部分が深層心理にあると思われます。

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小動物を虐待する元少年Aへの忠告に逆切れ

事件発生前、あなたの息子が小動物殺しをしていると近所の住人が忠告しに行きます。ですが母親は聞く耳を持たず「うちの子はそんなことしない」と逆切れしたそうです。

事件当日被害者宅で留守番と称したまごっちで遊ぶ

被害者男児が祖父の家に行くと言ったきり行方不明となった事件当日。母親は留守番をやってあげると被害者家族の家にあがりこみ、当時流行っていた育成ゲーム「たまごっち」を3匹育てはじめたそうです。

「警察まだー?」と他人事で、ゲームをしながら息子の自慢話を始めました。たまりかねた親戚により、母親は追い出されたそうです。


通夜で列席した際にもおかしい行動は続きます。遺体が酷い状態だったため、被害者の母親はそれを直視することができませんでした。そんな彼女に酒鬼薔薇聖斗の母親は「難儀やな(困ったな)、顔ぐらい見たりいな」と声を掛けたそうです。

その後、自分の息子が犯人だと分かった後も、母親をはじめとする加害者家族から、被害者へ一言の謝罪もありませんでした。顔見知りだったにも関わらずです。

元少年A逮捕後は悔恨の手記を出版

被害者男児遺族との裁判が終わった翌月の1999年4月、酒鬼薔薇聖斗の両親は「少年A この子を生んで」という手記を出版しています。この手記は、息子との暮らしや事件前後の姿を両親が綴ったものです。

なぜ自分の子供が殺されねばならなかったのか、という遺族の疑問に答えるために手記を書いたという触れこみでしたが、出版前に酒鬼薔薇聖斗の両親から遺族への説明はありませんでした。

悔恨の手記の印税で他県に家を建てる

手記の印税は、全て被害者への方への償いとさせていただいた、と文庫版のあとがきに書かれているそうです。その額7000万円。その悔恨の手記の印税は、弟2人を進学させたいからとの理由で被害者には払わなかったと言われています。

実は、実際それも建前で、他県に豪邸を建てたというのが本当のところらしいのです。

被害者への億超えの賠償金を毎月2万ずつ払うと言う

医療少年院に送られたその後、殺害された2名の遺族は酒鬼薔薇聖斗と両親を相手に民事訴訟を起こしました。

1999年に女児の遺族とは示談が成立し、約8000万の示談金を支払うことになりました。男児の遺族との裁判では、1億4000万円の賠償を命じる判決が下されました。


裁判官が損害賠償を命じると「毎月2万円ずつ払います」とふざけた回答をして、母親はお叱りを受けています。裁判中もおかしい発言をして裁判官にたしなめられるというようなことがあったようです。

その後、1ヶ月に酒鬼薔薇聖斗から4,000円と両親から8,000円支払われていると報道されています。

逮捕後の元少年Aと家族

神戸連続児童殺傷事件の犯人と判明し逮捕されたその後。彼にとっての居場所はどこにあったのでしょうか。彼自身も、その家族も大きく人生が変わっていきます。どんなやり取りがこの家族にあったのか、調べてみました。

面会に来た弟に謝罪

神戸連続児童殺傷事件をきっかけに兄が犯人となってしまった弟たち。自分の居場所が自宅だけになります。

警察の出入りは激しく、メディアは自宅に押し掛け、学校にも行けない、カーテンすら開けれない暗闇の日々が続きました。面会に来た弟たちに兄として謝罪をしています。

仮退院中に父親と二日間過ごす

仮退院中、初めて彼は父親に謝罪したそうです。実直で無骨な父親は今まで耐えていたのでしょう。その言葉を聞いた瞬間、父親は息子から目を逸らし、目頭を突き刺すように抑え、見ないでくれとでもいうように声を押し殺して泣き始めました。

父親が泣くところを見たのは、これが生まれて初めてだったようです。

優しく接する母親を罵倒

鑑別所に初めて面会に行った母親に「帰れ豚野郎!」と彼は罵り、恨みを持って睨みつけました。彼が母親に愛されていないと感じており、厳しい躾や暴力は虐待であり、それらが自己肯定を欠落させる原因になったことは明白です。

母親は優しく接したようです。面会のたびに泣き崩れていたようです。時すでに遅すぎました。もっと早くに息子の居場所を確保してあげていればと悔やまれます。

釈放後の元少年Aの行動

釈放後も元少年Aのおかしい行動が続きます。沈静化していた神戸連続児童殺傷事件も再加熱することとなります。順を追ってそのおかしい行動を説明いたします。

手記を出版

32歳となった元少年Aが手記「絶歌 神戸連続児童殺傷事件」を太田出版から刊行します。初版10万部。手記の出版に対し被害者の遺族は何も知らされておらず、出版中止と回収を求めいましたが結局増刷されています。

被害者の父親も手記「淳」を出版されていますが、その中で彼の手記についても触れています。それによると元少年Aから手紙が届き、手記「絶歌」の印税の一部の約1000万円を慰謝料として差し出したい、というものでした。

加害者両親の弁護士も、順番が逆だとインタビューに応えています。手記を出版する際に遺族に了解をとり、その後の印税をとなるのが筋でした。ご遺族は慰謝料の受け取りを拒否しています。

ホームページの開設

元少年Aは週刊文春宛てに、ホームページ開設の告知が記された手紙を出します。その手紙はA4用紙20枚、2万字以上。

手記「絶歌」の出版経緯を中心とした自己主張と、出版をサポートしていた見城への怨恨が大部分で、被害者遺族への謝罪や事件に対する反省の記述はありません。

ホームページ内も元少年Aの異常性が溢れていて、何一つ変わっていませんでした。1年後、ホームページは閉鎖されています。


HPと同じ年に、月額800円のメルマガ配信を開始しましたが、わずか3日後に凍結されました。これに対し配信元のFC2は「規約上の違反及び多数のユーザーに迷惑をかける行為」と説明しています。

元少年A酒鬼薔薇聖斗の家族のその後

社会復帰を果たしている元少年A酒鬼薔薇聖斗。名前を変え、整形をし、この日本のどこかで暮らしているのは間違いないです。その後、この家族はどうなったのでしょうか。家族それぞれの居場所についてしらべてみました。

父親と母親は協議離婚

30年以上勤務した職場を追われて居場所をなくした父親は、元少年Aの2人の弟の通学問題を考えて妻と協議離婚しています。

次男は大学卒業後アニメの学校に通う

母親に引き取られた弟たちは人目を避ける生活を強いられ、学校も転校し、母親の姓を名乗り、四国や和歌山を転々としたそうです。次男は工学部の大学に進学し、その後アニメの学校に行っています。

三男は高校を中退し働く

三男は高校を中退し、働いています。大学資金に回すといった手記の印税は、この家族の私腹を満たすために使われたとされています。

家族も元少年Aも現在の居場所は不明

Pixabay logoPhoto by lechenie-narkomanii
元少年Aは結婚をして子供も産まれ家族で暮らしているそうです。顔は整形したようですが、面影があると言われています。母親は近くのアパートで祖母を引き取り介護をしているとの事です。父親や兄弟の消息、そのほか現在の居場所は不明です。

元少年Aは自身の結婚式の招待状を遺族に送ったとされています。今現在父親となり、自分の犯した罪の重さを知ったとも言っていますが、この行動はいかがなものでしょうか。

元少年Aの末路

元少年A酒鬼薔薇聖斗が犯した神戸連続児童殺傷事件は、少年犯罪の中でも極めて残酷な事件でした。彼の生い立ちや育った環境、彼をとりまく家族が彼の成長過程に支障をきたした部分もあるでしょう。

ですが、それは人殺しをしていい理由にはなりません。今もなお被害者家族は苦しんでいるのです。その想いを胸に、彼は一生かけて償いの人生を歩んでほしいです。生きる意味と、祖母の胸ではない自分の居場所を探し求めながら。
https://kirari-media.net/posts/2839


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2019/08/07
「少年A」を産んだ母親の悲しすぎる思い
息子に「生きる資格」はあるのか
https://president.jp/articles/-/29559

少年Aが実の息子だと知った両親は何を思ったか。逮捕後、面会に行くなり浴びせられたのは「帰れ、ブタ野郎」の言葉。それから両親は手記『「少年A」この子を生んで……』の出版を決める。本のタイトルをつけたのは母親だった――。

※本稿は、松井清人『異端者たちが時代をつくる』(プレジデント社)の第6章「『少年A』の両親との20年」の一部を再編集したものです。

少年A逮捕の日
少年Aの両親の手記『「少年A」この子を生んで……』が完成するまで、2年もの長い月日が必要だった。

1999(平成11)年、『週刊文春』の3月25日号と翌週号に内容の一部が先行して掲載され、単行本『「少年A」この子を生んで……』は4月2日に発売となる。森下香枝記者(当時、現・週刊朝日編集長)、渾身のスクープだった。

母の手記と育児日誌、そして父の日記で構成された本の内容は、相当に衝撃的だ。

父の日記は、Aの逮捕当日から始まっている。

〈1997年6月28日(土曜日)――逮捕の日
朝7時15分ごろ、今日は子供達の学校も私の会社も休みで、家族全員その時はまだ眠っていました。
突然、インターホンが鳴り、私が寝間から起きて玄関のドアを開けると、警察の方が二人中に入ってきて、スッと警察手帳を見せられました。名前までは覚えていません。
「外では人目に付くので」と言った後、一人が玄関のドアを開め、「息子さんに話を聞きたいのですが……」と言われました。
「はあ、ウチ、息子は三人おりますが……」
「ご長男A君です」〉(『「少年A」この子を生んで……』)
フラフラ状態で顔は土気色の母親
こうして、Aは連行された。次いで母親が警察に呼ばれ、ようやく午後6時ごろに帰宅。6時10分ごろ、父親は警察官から「子供達をどこかに預けることはできますか?」と聞かれる。わけを尋ねても「理由は聞かんといてください」の一点張りだった。言われるまま、Aの弟二人を近所の親戚に預け、帰宅した6時35分ごろ。警察官から「ちょっと淳君の事件で重大なお話があります」と、家宅捜索令状を見せられた。

〈まさか淳君の事件にAが関わっているとは、正直言って想像もできませんでした。
「A君を容疑者として今、取り調べをしています」(中略)
あまりのことに、記憶も途切れ途切れにしか残っていません。
妻も同じで、「お父さん、これ、どうなってるの。もう一回言うて」と混乱するばかり。
「Aが何したんですか? えー、何したんですか?」
私も繰り返し繰り返し、尋ねていたように思います。
妻は、次の月曜に当たっていた町の掃除当番ができなくなることを思い出し、隣の家に伝えに出ましたが、もうフラフラ状態で顔は土気色でした。〉


「淳君事件の犯人逮捕。友が丘の少年」
〈そんな動転の中、家宅捜索が始まりました。
私達夫婦は、「えー、えー」としか言葉が発せられず、何が何だか分からないまま、警察官がAの部屋から次々と押収していく品物に対し、「これを指で指して」と言われるままに、ただロボットのように従って、写真をバシャバシャ撮られていました。
8時半ごろ、付けっ放しになっていた居間のテレビの画面に、「淳君事件の犯人逮捕。友が丘の少年」という短いテロップが出ました。
「えっ、こ、これですか? これはAのことですか?」
捜索している警官に妻が尋ねると、「そうです」という短い返事が返ってきました。〉(同書)
両親はAとの面会を求め続けるが、なかなか叶わない。「上司と相談したところ、警察の周囲にマスコミが多いので、面会は当分無理です」というのが、須磨署留置場係の説明だ。

結局、Aが須磨署から少年鑑別所に移されるまで、一度も面会は許されなかった。

「帰れ、ブタ野郎」
本の第二章「息子が『酒鬼薔薇聖斗』だと知ったとき」と題する母の手記は、念願の面会がようやく実現した場面から始まる。

〈「帰れ、ブタ野郎」
1997年9月18日、私たち夫婦が6月28日の逮捕以来、初めて神戸少年鑑別所に収容された長男Aに面会に行ったとき、まず息子から浴びせられたのがこの言葉でした。
「誰が何と言おうと、Aはお父さんとお母さんの子供やから、家族五人で頑張って行こうな」と、夫が声をかけたそのとき、私たち二人はこう怒鳴られたのです。
鉄格子の付いた重い鉄の扉の奥の、青のペンキが剝げかかって緑に変色したような壁に囲まれた、狭い正方形の面談室。並べてあったパイプ椅子に座り、テーブルを挟んでAと向かい合いました。あの子は最初、身じろぎもせずこちらに顔を向けたまま、ジーッと黙って椅子に腰掛けていました。
しかし、私たちが声をかけたとたん、
「帰れーっ」
「会わないと言ったのに、何で来やがったんや」
火が付いたように怒鳴り出しました。
そして、これまで一度として見せたこともない、すごい形相で私たちを睨みつけました。
《あの子のあの目――》
涙をいっぱいに溜め、グーッと上目使いで、心底から私たちを憎んでいるという目――。
あまりのショックと驚きで、私は一瞬、金縛りに遭ったように体が強張ってしまいました。(中略)
15分ほど私たちは顔を向き合わせていたのですが、最後まで「帰れっ」とAに怒鳴られ、睨まれ続けていました。
この子は私のせいで、こんなことになってしまったのではないか?
Aは目で私にそう抗議している。
《私のせいなんや……》(中略)
私たち親は正直言って、この時点まで、息子があの恐ろしい事件を起こした犯人とは、とても考えられませんでした。どうしても納得することができませんでした。
あの子の口から真実を聞くまでは、信じられない。きっと何かの間違いに違いない。
いや、間違いであってほしい。たとえその確率が、0.1パーセント、いえ0.01パーセントでもいい。その可能性を信じたいという、藁にも縋る思いで、その日鑑別所の面談室を訪ねたのです。〉(同書)


息子のためであれば、しねます
家へ遊びに来ることもあった土師淳君が行方不明になると、父親も母親も捜索に参加している。息子が手にかけたとは思いもせず、遺体の頭部がAの部屋の屋根裏に隠されているとは知る由もなく、地域一帯を探し回っていたのだ。

我が子の犯行と確信したあと、母親が耐え難い胸の内をさらけ出した一節がある。

〈あの子の行為で淳君、彩花さんはどんなに苦しみ、辛く痛い思いをなさったのでしょうか? ご本人たち、ご家族がAの行為により、どんなに悲しみ、苦しまれたのか?
Aは自分の正当性ばかりを主張し、やってしまった行為の責任を負うことなど、とうていできるはずもない、ということになぜ気付かないのでしょうか?
息子には、生きる資格などとうていありません。
もし、逆に私の子供たちがあのような行為で傷つけられ、命を奪われたら、私はその犯人を殺してやりたい。償われるより、死んでくれた方がマシ、と思うはずです。
ささやかで不甲斐ないお詫びをされるよりかは、いっそAや私たちが死んだ方が、せいせいされることでしょう。きっと被害者のご家族は、私たちが存在していること自体、嫌悪されているのではないでしょうか。
いつの日かAを連れて、お詫びに行くなどとんでもなく、虫のいい話かもしれません。
被害者のお宅にAが姿を見せたとすると、ご家族の方々に「死んで償え」と罵倒され、たとえその場で殺されたとしても、当然の報いで仕方がないことだと思います。
でも、その時は私に死なせてください。(中略)
私は夫のためにはしねませんが、息子のためであれば、しねます。Aのやったことはあの子を生み、育てた私の責任です。〉(同書)
「できれば、この題名にしていただきたい」
ここに母親の悔いと、Aへの愛情が凝縮されている。

松井 清人『異端者たちが時代をつくる』プレジデント社
『「少年A」この子を生んで……』という本のタイトルは、実は母親がつけたものだ。ある日、森下記者が戸惑ったような表情で、一枚の紙片を持ってきた。

「お母さんが、『本の題名はこれでどうでしょうか』と言ってきたんですけど……」
「えっ、これでいいと言ってるの?」
「ずっと考えてたそうです。『できれば、この題名にしていただきたい』と……」

編集者には付けられない、思い切ったタイトルだ。両親の手記なのに、母親が一人で全責任を背負おうとしている。そんなぎりぎりの思いが伝わってくる気がして、一字一句も直さず、そのまま採用すると決めた。
https://president.jp/articles/-/29559?page=3


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少年A「ショックレスハンマーと狂気の部屋」
文春が追いかけた酒鬼薔薇聖斗
https://president.jp/articles/-/29519

1997年、神戸市須磨区で起こった連続児童殺傷事件。2年後、加害男性「少年A」の両親は手記を出版した。その背景には、当時『週刊文春』記者で、土佐犬と共に育ったという森下香枝氏の存在があった――。
※本稿は、松井清人『異端者たちが時代をつくる』(プレジデント社)の第6章「『少年A』の両親との20年」の一部を再編集したものです。


真っ直ぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた
一人の少年の犯罪が、社会にこれほどの衝撃を与えた例はないだろう。

第一の犯行は2月10日だった。小学校6年生の女児を、ショックレスハンマーで殴打し、加療一週間のケガを負わせる。同じ日。別の小学校六年生の女児を、またしてもショックレスハンマーで殴打。

3月16日。小学校4年生の山下彩花さんを、八角玄翁(鉄のハンマー)で2回殴打。彩花さんは一週間後に死亡する。

同日。小学校3年生の女児の腹部に、刃渡り13センチのくり小刀を突き刺し、加療約14日間のケガを負わせる。

被害者はいずれも、通りすがりの女子小学生だった。3月の犯行後につけ始めた「犯行ノート」に、少年Aはこう書いた。

〈朝、母が「かわいそうに。通り魔に襲われた女の子が亡くなったみたいよ」と言いました。新聞を読むと、死因は頭部の強打による頭蓋骨の陥没だったそうです。金づちで殴った方は死に、おなかを刺した方は回復しているそうです。人間は壊れやすいのか壊れにくいのか分からなくなりました。〉

この翌月には、「懲役13年」と題する長い作文を書いている。「13年」とは、自分がそれまで生きてきた年月を指すのだろう。その最後の段落に、Aはこう書いている。

〈人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、
俺は真っ直ぐな道を見失い、
暗い森に迷い込んでいた。〉

「さあ、ゲームの始まりです」
犯行は、さらにエスカレートしていく。

5月24日、弟の同級生で顔見知りだった、小学校六年生の土師淳君を、通称「タンク山」の頂上に誘って絞殺する。翌25日の昼間、金ノコで頭部を切断し、自宅へ持ち帰った。

26日深夜、自分が通っていた中学校の正門前に、頭部を遺棄。自筆の声明文を、口にくわえさせていた。今も記憶に残る、あの声明文だ。

〈さあ ゲームの始まりです
愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくて見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを

SHOOLL KILLER
学校殺死の酒鬼薔薇〉

6月4日には、神戸新聞社に犯行声明文を送りつける。そこには、こんな一文があった。

〈透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない〉
〈しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。持って生まれた自然の性としか言いようがないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。〉


自分が無価値なら他人も無価値であるべき
『文藝春秋』(2015年5月号)は、神戸家裁が少年Aに「医療少年院への送致」を命じた審判「決定」の全文を掲載した。その一部を抜粋する。

〈「一連の非行時における少年の精神状態、心理的状況」
1.年齢相応の普通の知能を有する。意識も清明である。
2.精神病ではない。それを疑わせる症状もなく、心理テストの結果もそれを示唆する所見がない。
3.性衝動の発現時期は正常であるが、最初からネコに対する攻撃(虐待・解剖)と結び付いた。その原因は分からない。自分の中にありながら自分で押さえられないネコ殺しの欲動を魔物と認識し、その人格的イメージに対し、酒鬼薔薇聖斗と名付けて責任を分離しようとした。
4.ネコ殺しの欲動が人に対する攻撃衝動に発展した。現実に他人を攻撃すれば罰せられるため、性衝動は2年近く空想の中で解消されていたが、次第に現実に人を殺したいとの欲動が膨らんで来た。
5.他人と違い、自分は異常であると分かり、落ち込み、生まれて来なければ良かった、自分の人生は無価値だと思ったが、次第に自己の殺人衝動を正当化する理屈を作り上げて行った。
6.それは、自分が無価値なら他人も無価値であるべきである。無価値同士なら、お互いに何をするのも自由で、この世は弱肉強食の世界である。自分が強者なら弱者を殺し支配することも許されるという独善的な理屈であった。

「現在の少年の状況」
〈被害者らに済まなかったとは思わない。償いをしたいとも思わない。もともと何時か捕まって、人を殺した自分も殺される(死刑になる)と思っていた。社会復帰なんかしたくない。このまま施設内の静かな場所で早く死にたい。
殺した二人の魂が体内に入り込んで来ていて、毎日3回位、1回40秒位、腹や胸に食い付く。締め付けるように痛い。今に自分の身体が食い尽くされる。非常にしんどく苦しいが、自分が死ぬまで出て行ってくれないだろう。〉

両親に手記を書かせた女性記者
Aの両親との面会を実現させた森下香枝さんは、「あきらめの悪い」記者だ。

いったん取材相手に食らいついたら、ひるまない、引き下がらない、絶対にあきらめない。猪突猛進というか、エネルギーの塊というか、走り出したら止まらない悍馬(かんば)のようだ。

嚙みついたら放さないのは、実家で土佐犬と一緒に育てられたからだ、という噂もあったが、真偽は不明。まだ27歳の女性記者で、大阪の『日刊ゲンダイ』から移ってきて2年目くらいだったと思う。

持って生まれた事件記者の資質が、『週刊文春』で開花したのだろう。少年Aの事件の後も、「和歌山毒物カレー事件」や、猛毒トリカブトで話題になった「埼玉連続保険金殺人」など、数々のスクープを飛ばした。

その後、朝日新聞社に移籍。週刊誌の記者が全国紙に引き抜かれることなど、めったにない。新元号「令和」が発表された日、『週刊朝日』編集長に就任した。

忘れられないエピソードがある。

週刊誌の目次や新聞広告をつくるとき、その週の最大の目玉記事を一番右に置く。これを「右トップ」と呼ぶ。次の売り物は一番左で、「左トップ」だ。スクープを取ってくると、「これは当然、右トップですよね」とアピールしてくる記者もいる。


中3少年“狂気の部屋”
ある校了日の朝のこと。新聞広告をチェックしていた私の席へ、森下記者が定規を持ってやって来た。何事かと思ったら、自分が担当した記事広告の寸法を測り、口を尖らせて抗議するのだ。

「なんで私の記事が、こっちの記事より7ミリも小さいんですか!」

土師淳君が殺害され、「酒鬼薔薇聖斗」の犯行声明が出されると、森下記者は自ら志願して取材チームに加わった。それからは、ほとんど神戸に居続けて、両親の親族や、代理人の羽柴弁護士へのアプローチを試みたのだ。羽柴さんの事務所に足繁く通い、何度も手紙を送って、両親に会わせてほしいとお願いする。その熱意と「あきらめの悪さ」がやがて、とてつもないスクープに繫がっていく。

森下記者が『週刊文春』に書いた記事の正確さも、アドバンテージになったようだ。逮捕を受けての第一報は、7月10日号の「中3少年“狂気の部屋”」。その中に、少年Aについてこんな証言がある。

〈「記憶力がすごくて、百人一首のテストで百点を取ったことがあった」(同級生)〉

のちに私たちが、母親から聞くことになる正確なエピソードだ。

両親の心を動かした“印税”
ある友人は言葉につまりながらもA少年をかばう。

〈「何か物が無くなったり、事件があると、すぐ疑われる。仲間でイタズラをしていても、全部A君のせいになってしまう。みんな『あのAやったら』と納得してしまう。
A君はそんな時、自分がやっていなくても否定しないんです。でも、その時は悔しがらないのに、少ししてから、すごく寂しそうな顔をする。だから、どこかでウサは晴らしていたんだと思います」〉

この証言も、のちに事実とわかる。彼女の記事には、飛ばしや誇張がなかった。

さらに森下記者は、国内外の少年犯罪に関するさまざまな情報を、羽柴弁護士にもたらす。それが、羽柴さんと両親の気持ちを動かした。

海外では、事件を起こした人物の家族が手記を出版し、その印税を被害者や遺族への賠償に充てるケースがある。その一例として、アメリカで17人の青少年を殺害したジェフリー・ダーマーの父親が『A FATHERʼS STORY』という本を書き、印税を被害者遺族への賠償に充てた事例を克明に調べ上げ、羽柴弁護士に伝えたのだ。

土師淳君の遺族は、損害賠償を求めて少年Aとその両親を提訴していた。「被害者の遺族にさえ公開されない、家裁審判の内容を開示してほしい」という要求が、主たる目的だという。とはいえ、請求額は1億400万円。Aの両親は争わず、請求額はそのまま認められる。

山下彩花さんの遺族とは、8000万円を支払う示談が成立していた。ケガをさせた女児への示談金もある。少年Aの父親は長く勤めた会社を辞め、退職金をすべて差し出したが、それだけではとても足りない。

『週刊文春』の異常なあきらめの悪さ
松井 清人『異端者たちが時代をつくる』プレジデント社
そこで羽柴弁護士が、本の印税専用の振込口座を開設し、被害者の遺族がいつでもチェックできる仕組みをつくる。両親が印税には1円たりとも手を付けず、全額を賠償に充てていることが、この口座で確認できるのだ。

3家族にせめてもの償いをする見通しが立ったことで、両親はついに手記の出版を決意した。

大新聞やテレビのキー局をはじめ、あらゆるマスコミが、神戸に精鋭の記者を送り込み、両親の所在をつかんで話を聞こうと、激しい報道合戦を繰り広げた。その中でなぜ、『週刊文春』だけが両親と接触でき、独占手記を取るに至ったのか、とよく聞かれる。結局は、森下記者の粘りと「あきらめの悪さ」が他社の記者を凌駕し、熱意と誠意が両親と代理人の心に届いたということだろう。
https://president.jp/articles/-/29519?page=4






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