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横山典弘 _ 日本ダービーのダノンデサイルの勝因は髪の毛1本レベルの〝異変感知〟

1:777 :

2024/05/27 (Mon) 18:06:19

【皐月賞2024】 ファンファーレ前にダノンデサイルが競走除外で場内騒然 現地映像
2024/04/14
https://www.youtube.com/watch?v=zj9fd3wE8z8

2024年 日本ダービー(GⅠ) ダノンデサイル【カンテレ公式】
2024/05/26
https://www.youtube.com/watch?v=1gsLGzVUnI8

2024年 日本ダービー(GⅠ) 勝利騎手インタビュー 《横山典弘》ダノンデサイル【カンテレ公式】
2024/05/26
https://www.youtube.com/watch?v=uUFvFNmFdUY




2024/05/27
【日本ダービー】田原成貴氏が独自回顧 これが横山典だ!ダノンデサイルの勝因は髪の毛1本レベルの〝異変感知〟
日本ダービー2024
https://tospo-keiba.jp/breaking_news/45607

[GⅠ日本ダービー=2024年5月26日(日曜)3歳、東京競馬場・芝2400メートル]

 第91回日本ダービーが26日に東京競馬場で行われ、9番人気のダノンデサイルが2馬身差で快勝。56歳3か月でダービー&GⅠ最年長Vとなった横山典弘騎手(56)は10年ぶり3度目、安田翔伍調教師(41)は初のダービー制覇となった。1番人気の皐月賞馬・ジャスティンミラノ以下を退けた同馬の走りは、7万8678人が詰めかけた東京競馬場の大観衆をどよめかせたが、元天才ジョッキー・田原成貴氏(65)の目に映った“勝負の分かれ目”とは――。

研ぎ澄まされ続けている〝感性〟
 ノリちゃん、おめでとう! 本当にすごいものを見せてもらった。オレは常々、彼の馬乗りとしての感覚がいかに優れているか? を伝えてきた。今回のダービー制覇はまさにその証明だったと思う。若いころから感性は光っていたが、今なお研ぎ澄まされ続けているのだと痛感した。

 多くの方は最年長Vを飾ったダービーの騎乗のことを言っていると思っているだろう。もちろん、それは間違いではない。勝ったダノンデサイルと道中できっちり折り合い、最後の直線で最内をシュッと抜け出すことができたのは鞍上の手腕が大きい。だが、オレは今回のダービー以上に皐月賞を回避したことが勝因だと思っている。その英断に関してはノリちゃん自身が勝利インタビューで語っているが、競走除外するに至った過程に彼の非凡さが隠されているのだ。

皐月賞の発走直前に競走除外となったダノンデサイル(手前左)。右は異変を察知し下馬した横山典

回避を決めたのは皐月賞の返し馬が終わった後、ゲートインの直前だった。クラシック1冠目という晴れ舞台だけに「騎手として難しい判断」「回避する勇気」といった声を聞くが、そもそもオレは違和感をいち早く察知したことに意味があると思っている。鈍感な騎手が乗っていたら、ダノンデサイルのわずかな狂いに気付かず皐月賞を走っていただろう。もし無理して出走していたら、ダービーでこのような結果が出せていたかは分からない。並の騎手では気付かない異変を感知する能力が偉業を生んだのだ。

 ほとんどの皆さんは競走馬に乗ったことがないと思う。だから分かりやすく自転車でたとえよう。サドルが斜めになっていて、お尻の中心と少しズレていたら走行中に違和感を覚えるだろう。だが、肉眼では分からない程度のズレだったらどうか?

 恐らく何も感じずに通常運転できるはずだ。これがダノンデサイルの皐月賞での状態。つまり、ノリちゃんは常人では分からない異変を返し馬で察知した。彼は自分の重心と馬の支点を合わせて騎乗する際、髪の毛1本のズレもなく正確な位置に乗る。だから違和感に気付くのだ。現役時代、ノリちゃんとはそういった馬乗り談議をよくした。若い時から「究極の目標は手綱を離しても馬に乗れること」なんて言っていたのを覚えている。

 一方、安田翔伍調教師もすごいと思う。ノリちゃんが感じたわずかな異変がダノンデサイルの馬体のどの部分なのか、時間を要することなく的確に発見し、ベストの処置を施した。判断が間違っていたり、異常がある部位を見つけることに時間を要していたら、これほど短期間で立て直すことはできなかったし、素晴らしい状態でダービーの舞台に送り込むことはできなかっただろう。安田翔調教師もノリちゃんの天才的な感性に応えるべき感覚を身につけているからこそなしえた偉業だと思う。

また遠くにいっちゃったな
 当然ながらダービーの騎乗も完璧だった。馬の状態は皐月賞から立て直されてアップしていたとはいえ、まだまだ未完成な部分が多いダノンデサイルの機嫌を一度も損なうことなく実にうまい競馬をしていた。まずスタートを決めたことが大きいし、そこから「なんならハナに行ってもいい」とちゅうちょなく前に推進して出て行った思い切りの良さが、その後にスムーズにレースを運べたことにつながった。

 スタートして少しでも迷いがあれば、スローな流れの中で内の2番手というベストな位置は確保できなかっただろう。あの位置を取れたことで、3~4コーナーにかけて外からコスモキュランダ、サンライズアースがまくって行った時も息を入れ、脚をためることができた。

 逆にジャスティンミラノはコスモとサンライズのまくりを受けたあの部分だけレースに悪い節ができてしまった。そこがジャスティンミラノの負担になった。ダノンデサイルが楽をした分、差は大きかったのだ。

 和生くん、武史くん、分かったかい。これが横山典弘だ。まだまだ父の背中に届かないだろ。また遠くにいっちゃったな。

華麗なデットーリ・ジャンプを披露した横山典

https://tospo-keiba.jp/breaking_news/45607
2:777 :

2024/05/27 (Mon) 22:47:27

【本城雅人コラム】横山典弘騎手、ダービー制覇しても祝勝会には出なかったあの日 「前田オーナーや橋口先生が言ってくれたから…今の子供たちがあると思うんですよ」
5/27
https://news.yahoo.co.jp/articles/22585faf7f31cb8cd23528178fa19eccba28fa3e


◇中央競馬コラム「ぱかぱか日和」本城雅人

 逃げ馬のメイショウタバルが取り消したことで、多くの騎手がペースが遅くなると読んだ。ジャスティンミラノの戸崎騎手の位置も悪くない。だが、より完璧に乗った騎手がいた。それがダノンデサイルの横山典弘騎手だ。逃げてもいいくらい出していったが、外からエコロヴァルツが来ると、すっと引いてポケットに入れた。そこからは内ラチから離れることなく経済コースを通る。名人横山典弘らしい計算尽くされた競馬だった。

 「勝つ時はすべてがうまくいくものですよ」

 そう聞いたのは2度目のダービー制覇となったワンアンドオンリーについてだった。あの時は追い込み馬だった同馬を先行させようか悩んでいたところ、オーナーから「前が残っていると思うけどどう思う」と言われて腹が決まった。この日と同じようにライバル馬を間近で見ながら競馬ができた。途中で故障馬がいたが、影響のない場所にいた。勝つ時はすべてうまくいく―言うは易しだが、実現できたのは万全の準備があったから。今回でいうなら皐月賞で異常を覚え横山典騎手の判断で競走除外にしたこともそう。その後はダービー初挑戦の安田翔伍調教師と相談し、馬を仕上げた。

 ロジユニヴァースで勝った1度目のダービーは、レース後は関係者と祝福し、その後は仲間たちと夜通し飲んだ。だが橋口元調教師初のダービー制覇となった前回は、オーナーと調教師に断りを入れて、祝勝会に出ることなく真っすぐ自宅に帰った。

 家では騎手になって4年目の長男・和生と競馬学校に入ったばかりの三男・武史が待っていた。

 「あの日、前田オーナーや橋口先生が家族で祝ってきなさいと言ってくれたから、今の子供たちがあると思うんですよ」と横山典騎手は振り返る。

 あの夜は食卓で競馬談議に花が開いた。この日は向正面で武史騎手が、地下馬道では和生騎手が祝福した。順調にG1ジョッキーになった二人の息子は、父の背を見て、ますますダービーを勝ちたくなったに違いない。(作家)
https://news.yahoo.co.jp/articles/22585faf7f31cb8cd23528178fa19eccba28fa3e
3:777 :

2024/05/31 (Fri) 07:48:43

ダノンデサイル皐月賞除外…横山典はこんなにすごかった【獣医師記者コラム・競馬は科学だ】
5/3
https://news.yahoo.co.jp/articles/1ac02f4ea1bc6d283b6d0aeb831c5fc170c11748

◇獣医師記者・若原隆宏の「競馬は科学だ」

 日本ダービーは予想者としては痛恨だった。ダノンデサイルについては京成杯の道中でボロを放ったことを生理学的な観点から「かなりの化け物に違いない」と書いていながら、直近の調整過程が万全とは言えなかったことで△にとどめてしまった。

 攻め馬の見た目も「悪くはない」という程度だったが、記者も含め、多くのファンに買い控えさせたのは皐月賞の除外だろう。

 横山典は優勝会見で「皐月賞での自分の決断が間違っていなかった」と、胸を張った。職人の腕と誇りに拍手を送るほかないのだが、この決断、獣医師目線でもとてつもなくすごい。

 除外を判断する現場責任者は発走委員だ。ゲート裏には獣医委員が駆けつけ、常歩と速歩で歩様を診断。発走委員に助言し、発走委員が決断する。発走委員の出自は獣医師か馬術選手。歩様診断については事実上、獣医委員と発走委員2人の専門家が協議している。

 皐月賞発走直前のダノンデサイルの歩様はモニターで記者も見たが「言われてみれば右前のような気もするが、跛行(はこう)とは言えない」というのが正直なところ。例えば右前が着地で痛む場合、着地時に頭部が微妙に上がったりするのだが、こうした特徴的な所見は観察できなかった。四肢の着地時間もほぼ均等に見えた。

 とはいえ、学部卒後すぐに文系就職したペーパー獣医師の観察眼である。あれを見抜けるポイントがあるなら知りたい。ダービーの表彰式の外周で、その道の大先輩を見つけ「あの跛行、僕は見て分からなかったんです」と聞いてみた。

 返ってきた答えが想定外だった。「あれは私も見た目では分からないよ。やっぱり乗り手の感覚だよね」。あの時駆けつけた獣医委員(多くは若手)はもちろん、発走委員よりも年期を重ねた重鎮がそう言うのである。少なくとも、横山典が察知し、訴え、獣医委員と発走委員を説得できなければ除外とはなっていなかったであろうことは間違いない。

 安田師によれば、除外後に厩舎地区に戻った段階では「馬運車を下りるのも嫌がるくらい」顕著な跛行を呈していたそうだから、走っていれば無事で済まなかった可能性もある。横山典はそれを事前に察知し、あまつさえ6週後にダービー勝利にまで導いた。学生時代から抱き続けてきた尊敬の念が振り切れるほど増したダービーだった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1ac02f4ea1bc6d283b6d0aeb831c5fc170c11748
4:777 :

2024/06/02 (Sun) 06:03:49

【甘口辛口】ホクトベガの悲劇を経験した史上最年長ダービージョッキー・横山典弘には騎乗馬への愛がある
2024/06/01

■6月1日 「ミスター競馬」と呼ばれた野平祐二さんは、調教師として3冠馬のシンボリルドルフを手掛けたが「ダービージョッキー」の称号は得られなかった。本人いわく「わたくしは勝負師になれませんでした。『何がなんでも勝ってやる』という気迫が体の奥底から湧いてくるという経験はしたことがなかった」。

先の日本ダービーで3勝目を挙げた横山典弘騎手は、野平さんからすれば勝負師だろう。だが、「何がなんでも勝ってやる」という気迫を感じさせない。むしろ野平さんのように、自身の持つ技術や知識を駆使してレースに向かっている。付け加えるなら、56歳の大ベテランに感じるのは騎乗馬への愛だ。

1997年4月3日、UAEドバイで「砂の女王」と称されたホクトベガがレース中に転倒。重度の骨折により安楽死となった。およそ1年後、主戦を務めていた横山典弘は僚誌・週刊ギャロップの取材に重い口を開いた。「ベガを殺したのは俺だ」。自分の仕掛けが早すぎたことで悲劇が起きた、と。拭い切れない悔恨。

その純粋ともいえる繊細な心は、時として勝負で裏目に出ることもあるが、彼の最大の武器でもある。4月の皐月賞の発走直前、ダノンデサイルの歩き方に違和感を覚えて回避を進言した。その馬を駆って3度目のダービーを制覇。「自分の決断が間違っていなかったんだなと…。ああいうことがあっても大事にすれば応えてくれる。まずは馬に感謝です」。それを愛と呼ばずしてなんと言おう。

愛馬がレースで無事に最大限の力を発揮させるために自分はいる-。ホクトベガがいたからJRA史上最年長のダービー制覇があった。そう思うのは小欄だけではないだろう。(鈴木学)
https://www.sanspo.com/article/20240601-NEPW5VI7S5PFRCYULQURVX6UDQ/

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