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宮崎駿『もののけ姫』(スタジオジブリ 1997年)

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2024/04/28 (Sun) 16:22:35

宮崎駿『もののけ姫』(スタジオジブリ 1997年)

監督 脚本 原作 宮崎駿
音楽 久石譲
主題歌 米良美一「もののけ姫」

動画
https://archive.org/details/princesa-mononoke_202307


中世・室町期の日本。いまだ人を寄せ付けぬ太古の深い森の中には、人語を解する巨大な山犬や猪などの神獣たちが潜み、聖域を侵す人間たちを襲って、荒ぶる神々として恐れられていた。エミシの末裔のアシタカは、人間への怒りと憎しみによってタタリ神と化した猪神に呪いをかけられ、それを解くために訪れた西の国で、数奇な運命に巻き込まれていく。森を切り開こうとするタタラ製鉄集団とその長エボシ御前、森を守る山犬一族、そして山犬に育てられた人間の少女サン。アシタカはその狭間で、自分が呪われた理由を知り……。


『もののけ姫』(Princess Mononoke)は、1997年にスタジオジブリが発表した長編アニメーション映画作品。監督は宮崎駿。キャッチコピーは、「生きろ。」。

興行収入193億円を記録し、当時『E.T.』(1982年)が保持していた日本の歴代興行収入記録を塗り替えた。


あらすじ

プロローグ
中世(室町時代の頃[22][23])の日本が舞台。東と北の間にあると言われるエミシの村に住む少年アシタカは、村を襲ったタタリ神と呼ばれる化け物を退治した際、右腕に死の呪(のろ)いを受けてしまう。その正体は、何者かに鉛のつぶて[24]を撃ち込まれ、人への憎しみからタタリ神と化した巨大な猪神(ナゴの守)であった。アシタカは呪いの為村を追われ[注 4]、呪いを絶つ為にも猪神が来た西の地へと旅立つ。

序盤
アシタカは旅の道中、乱妨取りに奔る地侍との戦いや謎の男ジコ坊との出会いを経て、古い神が棲むという"シシ神の森"に向かう。谷川の岸に辿り着くと、そこには谷に落ち川に流され、気絶している男たちがいた。彼らを岸に助け上げ対岸を見ると、そこには傷ついた山犬と1人の少女の姿があった。山犬と少女はアシタカをにらみつけ、その場を去っていく。
その後アシタカ達は、森の端でコダマに会う。案内されるように森の中を進み、奥の池の岸に着くと、そこには金色に光る鹿のような生き物(シシ神)の姿があった。その姿を見た瞬間、アシタカの腕のあざが激しく反応する。
シシ神の森を抜けて男達の村に着くと、そこは「タタラ場」と呼ばれる、鉄を作る村であった。その地を治めるエボシは「石火矢」と呼ばれる火砲を村人に作らせており、それを使って森に棲む「もののけ」や、村の鉄を狙う地侍たちから村を守っていた。
彼らは鉄を作る為に自然を破壊しているという自覚はあったが、シシ神やもののけ達を敬っている訳ではなかった。アシタカはそこで村人達の話を聞くにつれ、彼らにとってエボシという存在は、生きる希望を与えてくれるものである事を知る。そして同時に、自分に呪いを与えた猪神に鉛のつぶてを撃ち込んだのも実はエボシである、という事実を知る事になる。

中盤
その夜、エボシの命を「もののけ姫」が狙いに来る。その正体はアシタカが川岸で会った、山犬に育てられた人間の娘、サンであった。アシタカは窮地に陥ったサンを救うが、同時に瀕死の重傷を負ってしまう。アシタカは倒れながら「生きろ」とサンに語りかけるも、人を憎むサンは聞く耳を持たず、アシタカを殺そうとする。しかしその時、サンはアシタカから「そなたは美しい」と言われて動揺し、思い留まる。
その後サンは、アシタカを生と死を司るシシ神の住まう湖に連れて行く。シシ神がアシタカの傷を癒すのを見た彼女は、アシタカを生かす事に決め、介抱する。アシタカは次第に心を開いていくサンの姿を見て、森と人が争わずに済む道は無いのか、と思い悩むようになる。

終盤
その頃タタラ場には、エボシにシシ神殺しをさせようとする怪しげな装束の男達が集結していた。彼らを率いるのはジコ坊である。男達は天朝よりシシ神殺しを許可され、不老不死の力があると噂されるシシ神の首を狙っていた。エボシ達もまた、森を切り開くのをもののけ達に邪魔されたくなかった為、協力を約束したのである。タタラ場を出発したエボシ達は、人間との最終決戦を行おうとする猪神の大群と大戦争を始める。ところが、エボシが留守にしたタタラ場は、鉄を狙っている侍の集団に襲われてしまう。
日が暮れる中、森の中でアシタカはシシ神の池に向かうエボシに会い、神殺しを止めて侍に襲われている村に帰るよう伝える。彼女と別れたアシタカはサンを探しに森の奥へ行くが、エボシは構わず湖に向かうのであった。

ラスト
池で月光を浴び、夜の姿に変わろうとするシシ神を見つけたエボシは、気絶したサンを抱えたアシタカが止めるのも構わず、遂にその首を取る。するとシシ神の体から不気味な体液が大量に飛び散り、それに触れた者達は死に、木は枯れてしまう。やがて体液は津波のような勢いで山を埋め尽くし、森は枯れ果てて、タタラ場も壊滅してしまうのであった。
目覚めたサンは、森を見て森が死んだと絶望し、人間に対する憎しみを爆発させる。しかし、アシタカはまだ望みはあるとサンを説得し、二人は協力して、シシ神の首を持って逃げようとするジコ坊を押し留め、首をシシ神に返す。シシ神は首を取り戻したが、朝日を浴びると同時に地に倒れて消える。その瞬間に風が吹き、枯れ果てた山には僅かながら緑が戻り、アシタカの腕の呪いも消えた。

エピローグ
アシタカのプロポーズに対し、サンは「アシタカは好きだが、人間を許す事は出来ない」と答える。アシタカは「それでもいい、サンは森で私はタタラ場で暮らそう、共に生きよう」と語る。エボシもタタラ場の村人達に、「新たに良い村を作ろう」と語りかけるのであった。
最後に、倒れた一本の大木の上に芽生えた若木の横に、1体のコダマが現れて、頭を動かしカラカラと音を立てる場面で終わる。


登場人物

主要人物

アシタカ
本作の主人公。17歳。ヒイ様は「アシタカヒコ」と呼ぶ。エミシ(蝦夷、現在のアイヌ民族の祖とする説もある)がヤマト(大和、ヤマト王権または大和朝廷)との戦い(平安時代に起きた坂上田村麻呂の蝦夷征討)に敗れてから500年余り経過し、朝廷や将軍も衰えていた時代に、東と北の間にあると言われる村に生まれたエミシ一族の数少ない若者(エミシ一族も既に衰亡しつつある事をヒイ様達が口にしている)。かつて田村麻呂率いる朝廷軍と勇敢に戦った、エミシの勇者アテルイの血を引く高貴な生まれで、エミシ一族の族長となるための教育を受け、それにふさわしい気品を持つ。無口であるが正義感が強く、また潔く[26][27]、村を襲おうとするタタリ神に矢を放ち、命を奪う事と引き換えに死の呪いを受ける。それがきっかけとなり、村を追われる。村を出る前に、ヒイ様たちの前でまげ(成人した男子の証[28])を切り、御神体の岩壁に捧げた[29]。まげを切った時に、彼は村の人間として暮らす資格を捨てた[30][28]。彼の鏃は黒曜石製[31]。蕨手刀を持つ[28]。
右腕には、呪いの印である「赤黒いあざ」が残る。それは「強大な力[注 5]を与える代わりに、少しずつ呪いが進行して命を奪っていく」というものである。この呪いは強大な力を発揮する時に、黒い蛇状に変化する事があり、タタリヘビという[26]。武器をもって人と争おうとしたり、タタリ神が恨みを持つ者が近くにいたりすると、突然呪いが暴れ出す。こうなると、アシタカに決して人を殺す気はなくとも、自分では制御できない呪いの力のせいで殺すことになる。人を傷つけたり、殺めた後には呪いがさらに進行している。タタリヘビが現れた時は不明であるが、呪いが暴れている時には、腕のあざが強く激しい痛みと熱を発するため、その力を使った後は、腕を水をかけたり水に浸したりして、痛みと熱を和らげる必要がある。首を奪われた事で命を奪う黒い体液をまき散らし、暴走していたシシ神に、サンと共に首を返し、シシ神の風を浴びた後、右手にわずかな傷あとは残ったもののあざは消え去り、ようやく呪いによる死から免れる事が出来た。
狩猟で鍛え上げた優れた弓術(作中で外したのは侍の兜に弾かれた時のみである)と[26][27]、高い身体能力を合わせ持つ(侍の放った矢を至近距離かつ素手で受け止める離れ業をやってのけている)。また、トキいわく「いい男」で、タタラ場に住む女達にも大いにモテていた。敵対する相手には容赦の無い一方で、無益な殺生や不必要な暴力を望まない誠実で温和な性格でもあるため、牛飼の男達やジコ坊からも好感を持たれる。加えて山犬の娘のサンの心を開き、モロの君や乙事主からも一目を置かれ、シシ神もその命を助けている。エミシ一族は自給自足の為、硬貨[注 6]を持たない。監督の話によると、エミシの村に近い東北は金の産地なので、彼は砂金の大粒を持っていた[30]。

サン
本作のヒロイン。15歳[32]。もののけ姫。犬神(山犬)に育てられた人間。モロの君によると「森を侵した人間が、我が牙を逃れる為に投げてよこした赤子」だという。顔に赤い逆三角形の入れ墨[33]、白い山犬の尾付きの毛皮の外套、白い袖なしの服と、その下に紺色の袖なしの服、白い袋状の革靴といういでたち。戦う時は赤い土面[26][34]と耳付きの白い山犬の毛皮を被る。山犬の牙で出来た短剣と槍を持つ[33]。アシタカと会った時、彼女はモロの君が負った石火矢(いしびや)の傷から、鉛の毒を含む血を口で吸い取り、吐き出していた[35][36]。
自分たちの住処である森を荒らされた恨みから人間を深く憎んでおり、巨大な山犬にまたがり、タタラ場や宿敵であるエボシ御前の命を狙って幾度となく襲撃を繰り返す。自分は山犬だと強く思い込むが、アシタカに会い、荒ぶる神々と人の間で心が揺れ動く[26]。山犬を美しいと思い、自らを醜いと思っているが、アシタカの「美しい」との一言にひどく動揺する。アシタカがシシ神に助けられた後、彼を介抱し、彼に口移しで干し肉を食べさせたりした[37][38]。その後、気絶していた彼が目覚めた時に、彼女が「(ヤックルが)話してくれた。お前の事も古里の森の事も」と言ったが、ヤックルは人語を話す事の出来ないごく普通の動物であるほか、後に彼女が無言の山犬から玉の小刀を受け取る場面や、終盤で彼女が無言の猪神から乙事主の居場所を教えてもらう場面などから、彼女には動物たちとテレパシーで会話できる能力があることを示唆している。また、森の外からの山犬の遠吠えを、彼女が森の中で聞き即座に意味を理解する場面から、彼女には山犬の吠え声を理解する能力もあることを示唆している。
名前は、1980年に宮崎駿がアニメ企画案として構想した作品のヒロインが「三の姫」(三番目の姫)であった事に由来する[39]。
映画の最後に言った「アシタカは好きだが、人間を許す事は出来ない」は、アシタカのプロポーズに対する答えである[40]。監督いわく「(あの後)二人はしょっちゅう会っている」。その証拠に、アシタカは「それでもいい。サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう。会いに行くよ」と返している。
アシタカが気絶して、山犬の巣である岩屋で数日間眠り続けている間に、密かに針と糸でアシタカの衣服を修繕するなど、山犬の子としてだけでなく人間としての家事能力も高い。


もののけ

シシ神(ディダラボッチ)
生命の授与と奪取を行う森の神。イメージボードでは鹿神(ししがみ[41])。夜に命を奪ったり、命を与えたりしている。夜そのもので、神の中では下級に位置する[8]。新月の時に生まれ、月の満ち欠けと共に誕生と死を繰り返す。その首に不老不死の力があると信じられている[42][43]。昼の姿は枝分かれした、樹木の角[22][44]が無数に頭頂部から生えた、猿のように赤い人面[22][44]の鹿(人間のようなアーモンド型の目〈瞳の色は赤〉、山羊のような耳、猪のように前身が発達した胴体、カモシカのように長い体毛〈毛色は脚と尾および頭頂部から背面にかけては薄茶色、顔面の下から腹部にかけては白〉、小さな犬のような尾、3つの蹄のある鳥のような脚といった、無数の動物の様態〈角は植物で出来ている〉を持つ)のような生き物で、水面を浮いて歩く。地面では歩く度、足下で植物が一斉に成長しては枯れる。夜の姿は頭と背中に無数のとげのようなものがついたディダラボッチで、独特の黒い模様と半透明な体を持つ。身長十数mの巨人。体内で青い光を放ちながら、夜の森を徘徊し[42][43]、森を育てている[8]。人語を話す事は出来ない。アシタカが負った石火矢の傷を癒した。また、エボシに新石火矢で二回目に撃たれそうになった時に、新石火矢を見つめると、木の部分に枝葉が生え、撃てなくしようとした。
月光を浴び、夜の姿に変わり始めた瞬間にエボシの新石火矢で首を飛ばされた際は、シシ神の姿で首の付け根から黒い体液が飛び散った後、ディダラボッチの姿で首を求めて暴走を始め、あらゆる生物の命を吸い取った。アシタカとサンの手で首を返されたものの、朝日を浴びて倒れると同時に消滅してしまった。その際、辺り一帯に行き渡る程の暴風を起こし、その風の力によって枯死していた山々の植物を甦らせた。黒い体液は、水に浮き、水上では動きが遅くなる。
アシタカとサンが首を返す直前に、首から流れ出る体液に触れ、タタリ神の黒いあざが二人の全身に拡がるが、首を返し、シシ神の風を浴びた後、二人の全身のあざが消え、アシタカの右腕の呪いのあざも、右手に薄く小さく傷あととして残る状態になり、呪いは消えている。
さらにタタラ場の傷病者(甲六ら)やエボシ(右腕をモロに食いちぎられた)、アサノ軍の侍との交戦の矢によって負傷していたヤックル(アシタカが牛飼い頭に頼んで預けて、男衆と共にいかだでタタラ場に帰還途中に日の出を迎えた)、サンを乗せていた山犬の傷もシシ神の風で完全に治癒している。

モロの君(きみ)
二本の尾を持つ白い巨大な300歳の雌の山犬。シシ神の森の近くの山頂の洞穴にサンや子供達と共に棲む。乙事主とは百年ほど前まで恋仲であった。実子の2頭の山犬同様に、人間に捨てられたサンを育て、娘として愛している。人語を解し、高度な知能と強靭な力を持つ。犬神として恐れられているが、子供想いの母性的な性格であり基本的には温和で争いを好まない。サンと同様に人間を嫌っている。シシ神の森を侵すエボシ御前を憎み、命を狙っている[26]。ナゴの守同様にエボシから石火矢による傷を負わされ、既に身体が弱り、寿命が迫っているが、タタリ神と化したナゴの守と違い己の死を受け入れている。サンを人として解放しようとするアシタカには厳しく当たる一方、サンに対して「彼と共に生きる道もある」と諭す場面もあった。最期は、タタリ神になりかけた乙事主からサンを取り返し、彼女をアシタカに渡した後に、力尽きて倒れ、首以外はシシ神の体液に触れるが、執念で首のみで動き、エボシの右腕を食いちぎり、そのままシシ神の体液の中に飛び込んでいった。
モロ役について、美輪は声を吹き込む前に宮崎から「モロはいわば観世音菩薩なんです」と告げられた。加えて「普段の美輪さんのまま演じて下さればいいですよ」と告げられ、アフレコはある程度スムースにいった[45]。
しかし終盤モロが乙事主に「もはや言葉まで無くしたか」と言うシーンで、美輪は台本だけではモロの感情がつかめなかった[注 7]。そこで美輪がシーンの意図を尋ねると、宮崎はニヤリと笑って「遠い昔モロと乙事主は"いい仲"(恋愛関係)だったんです」と告げた。この一言で美輪は全てを理解して[注 8]演じると、一発でOKがもらえたとの事[45]。

猪神
人語を話す巨大な猪の神。大半は焦げ茶色の毛並みで、例外は白い毛並みの乙事主と茶色の毛並みであるナゴの守。
人間を憎んでいる点では山犬と同じである。また、一族の結束が強く、自らの誇りを優先する傾向があるが、それゆえに凝り固まった考えをしており、九州の森の主である乙事主と共にシシ神の森に来た猪神達と山犬との会談でも、ナゴの守の死を「山犬がシシ神を一人占めして、助けずに裏切った」、「山犬がナゴの守を食い殺した」と決めつけて非難した。終盤で人間と戦う前に、モロによると、シシ神の森の近くの森を、乙事主達が食い荒らしたという。その後、乙事主を除く猪神全員が白い泥を体に塗り、戦いの為の化粧をした。
作中ではタタリ神に変貌したナゴの守がアシタカに討たれ、乙事主と共に人間に総攻撃を仕掛けた多数の猪神も乙事主を除いて全滅、さらに乙事主自身もタタリ神に変貌しかけた挙げ句、シシ神に命を吸い取られた。

ナゴの守(かみ)
冒頭で登場したタタリ神の正体であり、アシタカがタタラ場に赴くきっかけとなった巨大な雄の猪神。乙事主と共に来た猪神達からは美しく強い兄弟だと称されている。
元々は現在のタタラ場の領域にあった森に生息している猪神達を束ねる主であり、森を切り開こうとする人間を排除し続けていたが、エボシ御前が率いて討伐に乗り出してきた石火矢衆の石火矢により同胞は殺され、自身も重傷を負い、苦しみと死への恐怖、劣勢から森を逃げ出し、長い逃避行の中で呪いを取り込みつつ、怨念などの負の感情を増大させ、ついにはタタリ神に変貌、前述の森から遥か遠く離れたアシタカの村へとたどり着くと人間を襲おうとし、止めようとしたアシタカの右腕に呪いを掛けたが、彼に討たれた事で本来の姿と意識を取り戻し、彼の魂を慰め鎮めたいというヒイ様に対して、人間達への呪詛の言葉を吐きながら溶け、骨と化した。その後ヒイ様の命令により村で塚に埋葬された。
アシタカがタタラ場に到着後に、山犬の攻撃で谷に転落して死亡した牛飼いの通夜の際に、男衆の間でアシタカに説明するエボシの偉業としてナゴの守退治が話題に上がり、アシタカの右腕が痛んだ。
アシタカの右腕の暴走は、エボシに秘密の園の病者を紹介される際に(病者達がエボシに頼まれ、新石火矢を開発中なのを見て)、エボシを殺害しようとして発生し、彼が左手で必死に抑えたが、結局は病者の長の説得で完全に収まった。

乙事主(おっことぬし)
四本牙を持つ巨大な白い雄の猪神。500歳の最長老。
老齢の為に目は既に見えないが、嗅覚と洞察力が鋭く、ジコ坊達の偵察を見抜き、また重傷の身でありながらも巨大な岩を体当たりで粉砕する等身体能力も高い。
モロいわく「少しは話の分かるやつ」であるが、死ぬと分かっていても猪神一族の誇りを優先してしまう事があり、モロとの別れ際には、「たとえ我が一族がことごとく滅ぼうとも、人間に思い知らせてやる」と呟いている。モロの君とは旧知の間柄で良い仲(元々は恋人同士であった)であり、森を侵す人間を憎んでいる点では意見が一致しているものの、人間への対抗の方針を巡って意見が対立しており、百年ほど前に別れた[46]。また自分の一族が、食料として人間に狩られかねないほどに弱体化している事に焦燥感を募らせている(他の猪神は彼より体が小さい。また、彼が「〈一族〉みんな小さく、バカになりつつある」と言った)。アシタカの片手からナゴの守の匂いを嗅ぎ取り、テレパシーでナゴの守の最期の様子を知ったと思しき描写がある。
一族であるナゴの守の死を受け、鎮西(九州)からシシ神の森を守るために他の猪神を率いて海を越えて渡来、人間に大攻勢をかける[42]も、身体中から血を流すほどの重傷を負い、サンと共にシシ神の池へ向かう途中、死んだ猪神の皮をはいで被ったジバシリを「甦った一族」と誤認、罠に気づいたサンの制止も聞かずに、錯乱状態となりながら池へ暴走する。途中で倒れた彼に皮を被ったジバシリが毒矢を突き刺し、戦闘による傷の痛みと毒による苦しみにより、タタリ神へと変貌し始めた。名前の由来は、宮崎の別荘があった長野県諏訪郡富士見町の乙事区から(下のエボシ御前は烏帽子区、甲六は富士見町と山梨県北杜市小淵沢町との県境となる甲六川に由来する。別荘自体は富士見町高森区にある)[47]。
宮崎駿はモロと乙事主が昔は恋人同士であった事を絵コンテや台本に明記せず、美輪明宏のアフレコの出来に不満で、大急ぎでアフレコスタジオに駆け込んで、美輪に修正を指示し、元彼の乙事主へのモロの対応として、色恋を表現した女らしい高い声で演技をしてもらい、宮崎は満足した。

モロの子
人語を解する2頭の白い雄の山犬の兄弟。母より体が小さい。月夜に森の端から出てくる時に、目が黄色く光る場面がある。共に作中で名は呼ばれないので不明。サンを乗せ、共に人間と戦う[26]。サンに甘える場面がある為、弟分らしい[48]。母やサンと同様にタタラ場の人間を憎んでいるが、終盤で猪に挟まれたの助けられた際は誰も襲わなかった。終盤で1頭がアシタカをエボシの所へ案内する途中で、自分より足の遅い彼を乗せた。前述の1頭は、アシタカとエボシが森の中で再会した直後に、アシタカを置いてサン達の所へ向かった。終盤でサンを乗せていた1頭は、サンと重傷を負った乙事主と共にシシ神の池に向かう時、彼も傷ついている。だが、彼の傷はシシ神の風で治った。

猩々(しょうじょう)
猿神。ニホンザルより大型の霊長類。濃い灰色の体毛(夜は黒く見える)。黒い瞳(夜は目が赤く光って見える)。人語を話す事が出来る。夜ごと崩された斜面に集まり、森を取り戻す為、木を植えようとする。森を奪った人間を憎んでいる[26]。人間を倒す知恵を得る為に人間を食べようと考え、サンに重傷を負ったアシタカを渡すよう要求する。エボシと猪神達の戦いの直後、森に入ってきたジバシリにおののき逃げ出す。

コダマ(木霊)
精霊の一種で、豊かな森林に棲む。白い体や淡い緑色の体を持ち、頭を動かすとカラカラという音が鳴る。この音でシシ神を呼ぶ[49]。暗い森の中や夜に淡く光り、半透明になったり姿を消す力を持つ。人語を話す事は出来ない。アシタカが森の端でコダマ達と会った時「ここにもコダマがいる」と言っており、エミシの村の近くの森にもいる模様[48]。その後、森の中でコダマ達が集まる一本の大木を見て彼が「お前達の母親か。立派な木だ」と言った。怪我人をおんぶしているアシタカの真似をしたり、森の中で迷ったアシタカを導く等、特に人間に敵意を持っている訳ではないらしい[26]。キャラクターデザインは、森に何かいるのが見えるというスタッフの手によるもの[50]。
ディダラボッチの黒い体液に命を吸われ落下した個体も多いが、最後に生き残った1体が頭を振り回してカラカラと音を鳴らす。
監督とジブリスタッフの話し合いの中で、コダマは数百年〜数千年単位の長期に渡って森の中で成長して、最終的にはトトロになるとされており、『となりのトトロ』に登場した大トトロも、コダマが本作『もののけ姫』の室町時代から『となりのトトロ』の現代(昭和30年代)まで、500年程度経過した姿とされる。

タタリ神
作中で登場した巨大な荒神。動くだけで足元の植物や地面を焼けただれたものに変える等、無差別に呪いと死をまき散らす為、人間から恐れられている。
元々は猪神であり、瀕死の重傷を負い、死への恐怖と人間への憎しみによって呪いを集めて変貌した姿で蛇状の触手をまとっている。
作中で登場したタタリ神は2頭おり、それぞれ姿や経緯が異なる。

ナゴの守
赤黒い蛇状の触手で覆われた姿。目が赤く光る。触手を変幻自在に操る事が出来、本来の姿では不可能と思われる行動(垂直に近い岩壁を這ったり、低姿勢で森の中を爆走したり、機械的に方向転換したり等)を取る事が可能。
アシタカの村を襲おうとした際、彼に左目を矢で射抜かれるも、触手を伸ばして彼の右腕にまとわりつき呪いを残したが、最期はこめかみを矢で射抜かれて倒れた。

乙事主
身体中の至る所から赤黒い蛇状の触手が生えた姿。ナゴの守と違い完全なタタリ神ではないが、言語能力を失い、血を吐きながら猛進する等かつての面影は無くなった。
サンを取り込み、彼女を取り戻そうと体に取り付いたアシタカを大きく振り払った後、モロの君にサンを取り返された。その後、こちらへ向かって来るシシ神の存在を感じて、死への恐怖心から呆然として動けなくなった上に、触手が溶けて形がなくなり、最期はシシ神に命を吸われ倒れた。蛇状の触手は、水に溶けてなくなる。
なお、ナゴの守のように呪いを発する事はなく、また死に際に言葉を発したナゴの守とは違い、最期まで言語能力を失ったままであった。

動物
シシ神の森には、上記の「もののけ」と呼ばれる神と精霊の他にも動物(鹿[51]、熊〈ジコ坊が毛皮を被っている[52]〉、蝶[53]、光虫、オカモンガ[33]、ナメムジナ[33]、ヒネネズミ[33]〈ヒネネズミはロマンアルバムの中の絵コンテでは、ヒネ鼡とも表記〉、ミノノハシ[33]〈ミノノハシは『天空の城ラピュタ』にも登場し、彼らがラピュタ城の水辺にいた時、主人公のパズー達に驚き、水に飛び込む場面がある。また、漫画『風の谷のナウシカ』ワイド判第7巻の土鬼〈ドルク〉という国にある庭の水辺にも登場する〉)がいる。前述の光虫からミノノハシまでは架空の動物。なお、シシ神の森には光苔が生えている[54]。

ヤックル
「アカシシ」と呼ばれる大カモシカ。アカシシは現代では絶滅したという設定の架空の動物[55][56](ミノノハシと同様に、漫画『ナウシカ』の土鬼の庭にいる、人が乗れるほど大型の山羊たち〈1頭だけケストという名がついている〉に似た形態)。赤茶色の体毛、大きな角。人語を話す事は出来ない。主人であるアシタカとは常に一心同体の関係にある。後にサンやモロの子達と親しくなる。アカシシは古くからエミシ一族に騎乗用に使われており、ヤックルの他にも村で飼われている個体の描写がある。


タタラ場の民

エボシ御前
深山の麓で、タタラ場を率いる女棟梁。
冷静沈着な女傑で、サンと互角の戦いを繰り広げるほどの卓越した剣術の腕前を持ち、さらに、山犬の特性を熟知し緻密な戦略を立てる等、非常に頭も切れる。山を削って得た薪を以て、川をさらって得た砂鉄を沸かし、鉄を打ち石火矢をも造り出す工房を築き上げたが、それが今回の争いの元となる。
敵対する者には容赦がなく、必要とあらばタタラ場の人間をも見捨てる事さえも決して辞さない。また、自分達の暮らしをより豊かにするためならば、森を切り開き、神殺しをする事すらも恐れない。一方で、売られた娘達を買い取り、本来は女人禁制のタタラ場で仕事を与えている他、業病にかかり、迫害された病者達をも人として丁重に扱う慈愛の心を持ち、タタラ場の人々に敬われ、慕われている[42]。
終盤でジコ坊と共に部下を引き連れて、シシ神狩りに向かうが、新石火矢でシシ神の首を撃ち落とした後、モロの君に右腕を食いちぎられる。右腕の傷は、シシ神の風を浴びた事により完治している。
シシ神が消滅した後は、生き残ったタタラ場の者達と共に、新しい村作りをする事を決意した。
映画の最後のタタラ場の村民達への報告では山犬の背に運ばれたと発言しているので、シシ神退治でモロに右腕を食いちぎられた後、映像には描写されていないが、シシ神の体液から離脱する為にアシタカが頼んだようで、モロの子に運ばれ救助されており、アシタカへ感謝して、村民に対してアシタカを呼びに行ってくれと発言している。
監督の話によると、昔、白拍子であったという説もある[30]。宮崎駿の著書『折り返し点』によると、「鈴鹿山の立烏帽子」と呼ばれた伝説上の人物鈴鹿御前がモデルである。
タタラ場を作る以前は、倭寇の頭目の人質という形で強引に奥方にさせられていたが、頭目の配下であったゴンザと密かに協力し、謀反に近い形で夫である頭目を殺害して全財産を奪い、倭寇から脱走したとされる。
その際に、中国の明国から最新兵器の石火矢(鉄砲の原型ないし類似武器。劇中に登場する物は、鉄と木で出来ている。発射するのは鉛の弾[24])を自分自身の手で日本に持ち帰ってきたとされる。

ゴンザ
エボシの近侍。禿頭の大男。牛飼いやワラット(藁徒:藁製の笠を被るエボシの護衛)の頭分。
威張り屋かつ短気であり、アシタカを間者と疑うが、本人は至って真面目。アシタカの右腕にタタリヘビが現れた時はもののけと疑った。ただし、トキには言い負かされている上に信用されておらず、エボシを守ると誓った時に「それが本当ならね」と言われて彼女にツッコミを入れると「アンタも女だったらよかったのさ!」と返された。密かにエボシに惚れている[42]。
腕っ節が強く大ぶりの長刀を愛用しているほか、当時としては珍しく文字の読み書きにも堪能である。またカナヅチでもある。
エボシがタタラ場を作る以前の倭寇時代からの腹心の側近であるらしい。

牛飼い
タタラ場の男衆による牧畜・荷駄を担う職能集団。
主に男性の職業で牛を馴らし、牛に荷物を付けて米や鉄の運搬の仕事を担う[26]。石火矢衆とは異なり基本的に丸腰で、普段は山犬などに襲われうる危険な役回りゆえに、死傷者を出すことも決して珍しくない。
自衛のために、移動中は石火矢衆による護衛を受けるが、それでも山犬に襲われて甚大な被害を出した。
劇中では甲六含め3人(石火矢衆1人を含めると、計4人)が山犬に襲われて谷底に転落し、甲六だけがアシタカに救助され生還し、残り2人が死亡扱いで通夜が営まれている。

甲六
トキの夫で牛飼いの一人。集中豪雨の中で米を運搬中、モロの子に襲われ谷へ転落し、川の中からアシタカに助けられた。明るくドジであるが憎めない性格[42]。妻のトキにはいつも言い負かされてばかりで頭が上がらない。牛と共に谷に落下した際には右腕を骨折したが、シシ神の風を浴びた後は折れた腕が治っていた。怪我の影響でエボシ率いる男衆のシシ神退治に参加できなかったが、戦死者が多数出た乙事主の猪神一族との激戦に参加せずに済み、塞翁が馬状態になった。コダマが目の前に出現した時に(シシ神が怖いので)おびえながら、アシタカに「こいつらはシシ神を呼ぶんだ」と教え[57][49]、アシタカからシシ神の事を聞かれた時に「(山犬より)もっとおっかねぇ化け物の親玉だ」と言った。シシ神の体液で枯れた山の緑が、シシ神の風でわずかに芽吹くと、「すげぇ。シシ神は花咲かじじいだったんだぁ」と驚いた。
タタラ場では、妻のトキとともに防戦する女衆に加勢し、侵攻してきたアサノ軍と戦うが、腕を負傷していて武器を使えず、戦力としては全く活躍していなかった。さらにアシタカがやってきた際に預かっていた弓矢を手渡すが、蓑と鞍を持って来なかったので、トキに「この役立たず!」と責められる。
ジバシリのことを知っていたらしく、女衆が気味悪がっている中、ただ一人「ありゃただの狩人じゃねぇ。ジバシリだ」と教えている。

牛飼い頭
牛飼いたちの親方。アシタカの身を案じており、彼を殺そうとした唐傘連を農具で殴ったり、猪神の死体の下敷きとなりながら生き残っていた1頭のモロの子を(エボシの所へ案内してもらう為)救け出すなど、終始アシタカに協力的な態度で接する。

番子
タタラ(踏鞴)を踏み、砂鉄を溶かすための火を焚く女衆。4日5晩の間、休むことなく行う。

トキ
番子頭で甲六の妻。ゴンザを言い負かし、夫にも愛情故のきつい言葉を投げつけるほど、気の強い肝の据わった人物。女衆の頭人的存在である。
タタラ場がアサノ軍の攻撃に遭った際には敵の攻撃の合間の一晩中起きて警戒し、シシ神の体液がタタラ場に襲ってきた時もアシタカが来た際に受けた「触れると命を吸われるが水で進行が遅くなる」という助言を守って、全員を湖に避難誘導する。甲六がタタラ場が壊滅する様子を見て絶望しているところを見て「生きてりゃ何とかなる!」と励ますなど、ポジティブ思考の持ち主。
アサノ軍に対抗して、いざという時には溶けた鉄を浴びせかける作戦を考えていた。

キヨ
山犬に夫を食い殺された番子。エボシを深く慕っている。夫の復讐の為に山犬とサンの命を狙う。アシタカがサンを気絶させ肩に担いでタタラ場を出ようとした時に、石火矢を構えて制止しようとした。それに構わずアシタカが去ろうとした際、隣にいた女に止めるように言われた拍子に石火矢を誤射し、アシタカを後ろから撃ち抜いてしまう。

石火矢衆
シシ神退治を条件に「師匠連」という謎の組織からエボシに貸し与えられた四十名の傭兵集団。柿色の着物に白色の頭巾、黒色の手甲と脚絆に草鞋といった装束。明から輸入した石火矢で獣や侍たちと戦う。エボシの命令でナゴの守の同胞を殺戮し、住処の森を焼き払った。鉄や米の運搬時の護衛で、タタラ場全体の警備も務める[26]。火炎放射器も使う[58]。終盤、飛び散ったシシ神の体液を浴びて多数が命を落とし、生き残った者は逃亡した。
彼らの主兵装である石火矢には様々な種類が存在し、火縄銃型やバズーカ砲型、火炎放射器型などが登場する。
ヤ七
石火矢衆の一人。甲六同様に谷に落ち、瀕死の状態でアシタカに助けられる。

病者
エボシが引き取り、タタラ場の別棟に住まわせ看病している業病の患者たち。新石火矢の製造を任され、これの開発に成功する[42]。終盤にトキに食べ物を渡すほど彼女と親しい病者の女性が、最後はシシ神の風を浴びて病が治ったと思しき描写がある。

病者たちの年長者で、最も重症であり、頭全体を包帯で覆った寝たきりの状態。彼以外の病者達がエボシの頼みで新型の石火矢を開発し、森の生物をさらに殺そうとしているのを見たアシタカの右手が、タタリ神のエボシに対する強い憎しみから、とっさに刀を抜こうとした際、エボシが自分たちを引き取って丁重に看病してくれていることを涙ながらに語り、彼女を庇った。

タタラ者
タタラ場に住む製鉄集団。黒装束に身を包み、昼夜を問わず鉄を作り続けている[42]。


師匠連

ジコ坊
物語の序盤、シシ神の森の存在をアシタカに教えた人物[42]。中年で背の低く小太りな、赤色の羽織(ちゃんちゃんこ)と頭巾に白色の着物の僧体(長吏法師)の中年男。その正体は謎の組織「師匠連」の一員である隠密。勅命により、不老不死の霊力を秘めるとされるシシ神の首を狙っている。唐傘連と石火矢衆の頭領でもあり、狩人(ジバシリ)などをも動かす。配下の唐傘連たちとはいでたちに若干の差異があり、顔面は布で覆ってはおらず素顔、腕には手甲でなく青黒い包帯状の布をバンテージのように巻きつけ、脚絆や袴は履かずに履物は一本歯の高下駄である。また、黒色の葛籠を背負い、赤色の唐傘を携行している。
序盤で野武士の小競り合いに巻き込まれた際、アシタカのおかげで命拾いしたことを恩義に感じており、アシタカがタタラ場に向かう途中の市場で米を買うために、代金として砂金の大粒を支払った際に、それが本物であることを見抜いて(他の人間は砂金自体を全く知らなかった)アシタカを手助けしたほか、古典にも通じているなど非常に博識である。さらに、アシタカからの質問に答えて「シシ神の森」についての情報も教えた。その後も、何かとアシタカのことを気にかけており、エボシにアシタカのことを尋ねたり、エボシを追ってきたアシタカに石火矢衆が発砲した際には制止しするなどしていた。しかし、敵の猪神勢を率いる乙事主のことを一切知らず、部下のジバシリからの指摘でようやく鎮西から一族を引き連れてやってきたことを知る。
恰幅のよい体型だが、一本歯の高下駄で渓流の岩から岩へと身軽に跳躍したり、ヤックルと並走できるほどの俊敏さなど高い身体能力を持つ。基本的には率先して戦おうとはせずに実力を隠しているが、必要とあらばアシタカとも互角に渡り合えるほどの武術の手練れでもある。シシ神の首を奪取し運搬する際は一晩中不眠不休で走り回り、翌朝の日の出寸前までシシ神の体液から生き残った部下の唐傘連(首桶の神輿〈みこし〉の担ぎ手3名)たちと共にどうにか必死に逃げ延びたが、後を追ってきたアシタカと戦っている間に、ついにシシ神にも追いつかれ、襲いかかる体液から逃れようと、担ぎ手2名も首桶の神輿を落として大破させたあげく遁走し、唯一残った部下1名と共に追い詰められて逃げ場を無くしたため、仕方なくシシ神の首をアシタカに渡す。
表立っては飄々とした性格であるが、エボシをシシ神殺しのために利用しようと、エボシの抹殺を提案した部下を諭す一面もあるなど(一方のエボシもジコ坊達を信用しきっていないことをタタラ場の女衆に打ち明けている)食えない男である。シシ神が乙事主の命を奪った時は「なんと。シシ神は命を吸い取るのか」と驚いた。
映画の最後のセリフの担当であり、アシタカにシシ神の首を返還されてしまった不満もあるが、おかげでシシ神の体液に触れずに済み、部下1名と共に自分の命も助かったために「バカには勝てん」と言い残している。


石火矢衆

唐傘連
ジコ坊の配下にある謎の集団。ジコ坊と同じ赤色の羽織と頭巾に白色の着物を身を包んだ僧体で、ジコ坊と異なるのは顔面の大部分を白色の竹田頭巾でマスクのように覆い隠し、両手には白色の手甲、袴、脚絆を着用し草鞋を履いている点。常に赤色の唐傘をたずさえ、爆発物のほか暗器や煙玉など忍具を好んで用いる。唐傘は竹筒製の柄と笠を分離する事ができ、柄は長い吹き矢となって毒針を発射する。また、彼等が常に唐傘を携行しているのは、石火矢の火縄の火が風で吹き消されないようにする為と、火縄と火薬が雨で湿らないようにする為でもある模様。なお活動中は、ジコ坊と同じ黒色の葛籠を背負い、茶色の菅笠もしくは網代笠を被っている。
ジコ坊の指揮下で、シシ神の首を狙って暗躍する。目的のためには手段を選ばない[42]。終盤、飛び散ったシシ神の体液を浴びて多数が命を落とし、生き残った者はジコ坊と行動を共にしていた一人を除いて逃亡した。
乙事主率いる猪神勢との戦闘において、味方であるはずのタタラ場の男衆を捨て駒にしたり、タタラ場が侍に襲撃されている事実をエボシに伝えるためにモロの子を助け出そうとしていたアシタカに毒針を放つなど、タタラ場とその住民たちを全く顧みない身勝手な言動のために男衆の反感を買い、アシタカに加勢した彼らにより袋叩きにされた。
猪神勢との戦闘では、石火矢衆の3人だけが小高い丘の上に陣取って石火矢で応戦していたが、雪崩のごとく押し寄せる猪神勢の大群によってみな突き飛ばされてしまった。さらに崖をよじ登って来る猪神勢に、唐傘連が多数の震天雷[58](爆弾)をその真上から蹴落とした上に、崖に向かって攻め寄せてきた後攻の猪神勢を、崖の下に仕掛けられた地雷火(地中に埋めた爆弾[58])により、立て続けに吹き飛ばしたために、崖の下で強固な柵を張り巡らせていて安全であったはずの男衆が、爆発で飛び散った大量の土砂や岩塊や猪神の死骸の直撃によって甚大な被害を被った。

ジバシリ(地走り)
ジコ坊に雇われた通常の狩人よりも山野の知識に長けた者達。弓矢で武装し、もののけに人と見破られないよう獣の生皮を被ったり、その血を顔に塗るなど、特殊な術を使う[42]。その異相ぶりから、タタラ場の人間達にも気味悪がられていた。シシ神の偵察中、「シシ神の姿を見ると目が潰れる」などとおびえ、ジコ坊にたしなめられた者がいるなど、山の民として神を恐れる傾向が強い。
描写はされていないが、飛び散ったシシ神の体液を浴びて多数が命を落とし、生き残った者たちは、わずかに生き残った石火矢衆や唐傘連と共に一目散に逃亡した。

エミシの村民

カヤ
エミシの村娘。アシタカを「兄様」(一族の中の年上の男子という意味[59][48])と呼ぶが実の兄妹ではなく、里公認のアシタカの許嫁であった[注 9]。アシタカが村を出て行く際には、エミシの乙女が変わらぬ心の証しとして異性に贈るならわしのもの[40]である玉(黒曜石)の小刀[60][28]を贈った。他の娘たちとともにタタリ神となったナゴの守に襲われて危機一髪であったところを、アシタカによって救われる。
村の掟でアシタカの見送りを禁じられていたが、罰を覚悟で自ら掟を破って彼を見送りし、先の小刀をアシタカに渡している。後にこれはアシタカからモロの子を通してサンに贈られた。
オープニングタイトルの土面(カヤが後にアシタカの子を出産して、子孫がアシタカ伝説を誇示するために作った土面)は、アシタカがシシ神を倒したという伝説になってしまうが、シシ神を倒したのではなくサンと共にシシ神に首を返還しシシ神(デイタラボッチ)自身が朝日を浴びてしまって消滅してしまい、後にアシタカはタタラ場で暮らしたのでアシタカ伝説という形態で故郷の村に伝わり、一つ目の角の文様の意味で、製鉄業に携わる者は高温のまばゆい光で片目を失うとされており製鉄業を意味する一つ目と、シシ神を意味する大カモシカの角の形態が融合したものだとする説がある。

ヒイ様
エミシの隠れ里の老巫女であり、村をまとめている[61]。タタリ神となったナゴの守の亡骸を、塚を築いて丁重に供養する。
石や木片などを用いた卜占で吉凶を占う。タタリ神の呪いを受けたアシタカを占い、西で不吉なことが起きているので西へ向かうよう告げる[26]。
村人たちにアシタカを救ってくれるように懇願されるも、タタリ神の呪いはもはやヒイ様の力でもどうにもならず、ナゴの守の亡骸から出てきた、タタリ神化の原因となった石火矢のつぶてをアシタカに手渡し、掟に従って見送りなしで一人旅立つよう言い渡した。
その他

映画の後半で、鉄のためにタタラ場を狙う大侍(領主)・アサノ公方配下の武者達。下記の地侍[62]と違い、完全武装で統率の取れた攻撃を仕掛ける[42]。鉄の貢納を要求したアサノの使者がエボシの命令でトキたち女衆により追い払われたため、昼間に報復と鉄や米などの奪取のために、エボシと男衆がシシ神退治に出払って留守のところを狙って侵攻してくる。タタラ場の下の城郭を攻め落とし、多少の物資を略奪したがタタラ場自体は攻め落としきれず、夜になったので攻撃をいったん中止し、再度の攻撃準備を進めていた矢先にシシ神(デイタラボッチ)の体液が陣地に襲いかかってきたために、タタラ場付近の陣地から慌てて全軍が退却し、タタラ場もシシ神の体液で完全に壊滅したため、得られたものはほとんど無かった。
劇中ではアシタカに気付いた侍が鏑矢を放ち、集まった騎馬武者達数人が連携してアシタカを攻撃した。武者の放った矢がヤックルの足に命中して負傷させているが、逆上した(呪いの「赤黒いあざ」が拡がる描写がある)アシタカの反撃でほとんどが討ち取られたため、残りは戦意を喪失して直ちに撤退している。
地侍
映画の後半で、アサノ軍とは直接関係はないが、アサノに唆されてタタラ場の鉄を狙い攻撃を仕掛ける噛ませ犬にされた挙句、エボシ率いる石火矢衆に大敗する。
石火矢の弾丸で手足を切断される雑兵や鎧ごと粉砕される騎馬武者など、多数の犠牲者を出すも、石火矢衆側も矢を受けて倒れるなど、完全に一方的な戦ではなかった。
旗指物や盾などの家紋は毛利家(毛利元就家の3本矢の∴形状)の物を用いており、その家臣など毛利家と何かしらの関係をうかがわせる武士の軍勢である。
鎧のみを身につけた軽装の雑兵がほとんどを占める。
上記の侍および地侍とは別に、映画の前半で、パンフレットの侍の解説に野武士[42]、ロマンアルバムに野伏(のぶせり)同然の雑兵、または雑兵と記載されている地侍が[63]、アシタカが旅の途中で戦の行われている無名の村を通った時に、女やアシタカに襲いかかったが(一人だけ彼の呪いの力の宿る反撃を受けた)、彼らはアサノともタタラ場とも関係がない。村を通り過ぎた後、町の市場で出会ったジコ坊がアシタカに「礼を言いたいのは拙僧の方でな。田舎侍の小競り合いに巻き込まれた折、そなたのお蔭で助かったのだ」と言ったのは[64]、この村の戦の事だと思われる[65]。


舞台設定

世界観
本作は照葉樹林文化論の示唆を受けた世界観を舞台としている。参考とされたのは中尾佐助の『栽培植物と農耕の起源』であり、日本文化の基底が稲や稲作農民ではないことを明らかにする同書の内容が製作に大きく影響しているとされる[73]。本作では稲作農民に代表される平地の「定住民」とは全く別の生活圏を持つ「遍歴民(山民・海民・芸能民など)」が多く取り上げられる。『もののけ姫』は、遍歴民の世界で展開される物語である。叶精二によれば本作は日本映画で中世史をアウトサイダーの側から描くという、「時代劇の革命」を意図するものであり[74]、網野善彦は本作を「ずいぶん勉強した上でつくられている」と評している[75]。

宮崎監督は作家の司馬遼太郎と対談した時、司馬が新聞記者時代に京都の岩屋不動志明院に宿泊した際、奇っ怪な体験をした話しを聞き『もののけ姫』の着想になったといわれている。

エミシの村
かつて大和朝廷の支配に抵抗し、追われた人々。祭事の衣装や東北地方のマタギに似たアシタカの衣装、彼の使う「雅な椀」、娘の装束など、縄文時代の文化にブータンや北タイの焼き畑圏など照葉樹林文化圏の物が混ざった文化を形成している[76]。

エミシ(蝦夷)を宮崎駿は、大和政権とその支配下に入った稲作農耕民から追われて本州北部の山中に隠れ住んだ、焼畑・狩猟・採集・工芸を生業とする原日本人の残党と解釈している。村をまとめているのは、占いで物事を決めていくという女性(ヒイ様)である。神社の中で拝んでいるのは岩倉(岩の壁)、御神体である岩の塊である。カヤが抜いた、刀身が直線的で先が尖っている刀は蕨手刀という。柄の方には輪が付いている。東日本各地から出土しており、東北地方を中心に8世紀ほどまで作られていた。生活雑器であるが武器にもなり、坂上田村麻呂と戦ったエミシの軍勢はそのような刀を持っていたと考えられている[77]。また、未婚の女性が守り刀を男性に渡すという行為は、『粉河寺縁起』にもみられるように求婚の証であり、カヤが決して戻ってくることのないアシタカに守り刀を渡すという行為は、カヤが一生未婚のまま人生を全うすることを暗示しているとする指摘がある[78]。

石火矢
劇中の石火矢は火銃が発想の源。中国、ヨーロッパのハンドカノンをエボシが改良した石火矢は少し火縄銃のようになっているが、まだ付け火のような棒で火を付けており、火縄銃のようにはいかない。火縄は硝酸を木綿の組み紐に染み込ませてあるもので、火を点けると灯っていき、ゆっくり燃える。それを瞬間的に吹くと、また少し火勢が強くなる。よって火縄銃を撃つ時は、構えてから息を急に吹き掛け、火縄を挟み込み、火蓋を開けて引き金を引くと火縄挟みが落ち、弾が発射される。その段階に到達していないため、後装になっている。弾と火薬が入っているものをそのまま入れて撃つことにより、先から弾を込めなくて済むようになっている。後装は古い大砲にあったものである。弾丸が入った部品に火薬を入れ、砲身に入れる。そして木の楔を打ち込み、点火して撃ち、楔を抜いてこれを引き出し、次弾を装填する[79]。

日本の史実では、鉄砲は南蛮貿易でポルトガルから種子島に伝来したものが発祥(鉄砲伝来)であるとされるが、劇中では中国の明王朝が由来とされる。

通常の火縄銃のライフル銃形態(エボシがシシ神の首切断で使用、タタラ場から猩々を撃退する攻撃で使用など)だけではなく、大口径で両手持ちの長い柄を持つバズーカ砲形態(山犬モロ一族に牛飼いが襲われた際の迎撃で使用、地侍との戦で使用など)や火炎放射器形態(ナゴの守退治で森や猪神たちを焼き払う焼夷弾用途で使用)など、様々な形態が存在する。

非人
非人は中世では柿色の衣を着た人々で、一般平民とは区別されている。神人・供御人とも呼ばれる。非人に関連して浦谷年良は、宮崎駿が尊敬する作家、堀田善衛の『定家明月記私抄』を引用している。「元来天皇家というものが、これらの遊女、白拍子、舞人、猿楽、さらには武芸を事とする武人などの芸能民とともに、各種の職人、広い意味での宗教人など、いわば非農業民、それを別の言葉で言いかえるとして、『遊手浮食』の徒、『無縁の輩』などの『道々の輩』、すなわちこれら路上の遍歴民を統轄し保障をする存在であったことを確認しておきたい」[80]。

着物
製作時にはヤックルの走りの分解図、カヤ達エミシの村の娘達の衣装、アシタカが扱うエミシの矢の形(鏃は黒曜石で三枚羽)など、細かい指定が大量に書かれていた。中でも特徴的なのが「帯の位置」である。現代では、古来の着物の常識が失われているため帯の位置は高くなっているが、本来はへそ下であると注意書きがされていた。一方、その下には「これは『七人の侍』の三船敏郎以来の結び方、アシタカだけに使う」とあった。これは主人公アシタカの「現代の若者性」「若さと未熟さ」といった暗示であるのか、と意味を問われた宮崎駿は「三船のあれは、子供だってことでしょ」と答えている。市場を行き交う人々や、特に、成熟した大人として描かれるジコ坊の帯の位置は低い[81]。

たたら場とエボシ御前
エボシのたたら場の構成員に対する態度は大きく2つに分かれる。戦争で人狩りにあって売られた女たちと、社会から差別を受けてきた癩者(ハンセン病患者)とみられる病者に対しては温かい手を差し伸べているのに対し、病者以外の男たちに対しては乙事主やその配下の猪神たちに対するおとりとして利用されて猪神ともども吹き飛ばされて命を失うことを承知の上でシシ神退治に動員し、その最後の様子を崖の上から眺めているなど、極めて冷淡な態度を取っている[82]。

特に崖の下の牛飼いなど男衆には戦闘前にわざわざ防護柵を張り巡らせて敵の猪神の攻撃を防ごうとする姿勢は見受けられるが、実際は崖の斜面を登って来る敵の猪神を、唐傘連が震天雷を崖の上から落とし、崖に向かって来る猪神を、崖の下に地雷火を地中に埋めて吹き飛ばし、破片や猪神の死骸が落下して甚大な被害が出た。

だが、エボシは女たちに対しても重大な事実を隠している。それは、売られた鉄が武器に加工されて侍の手に渡り、戦争に用いられ、その結果、歴史学者の藤木久志が「奴隷狩り」と称した現象が引き起こされることである。つまり、女たちはエボシが作らせた鉄で作られた武器によって、奴隷として売られてエボシの下にやってきたのである。当然、エボシもこうした矛盾がいつかたたら場を崩壊させかねないことを認識していた。歴史学者の市沢哲はエボシがアシタカに告げた「私の秘密」の正体を社会的弱者である病者たちに新しい石火矢を作らせて同じ弱者である女たちに持たせて侍の鎧を打ち抜かせていくことで侍の力を奪い、鉄が侍のために使われるシステムを打破することで矛盾を解消し、さらに労働によって得られた果実の分配のあり方を変えていくという「国崩し」の実現を図ることとして捉え、森(=シシ神)との戦いはこの目的の中においては局所的なことに過ぎないとする[83][84]。

その一方で、エボシの出現はサンの位置づけを根本的に変えた。元々サンは山の神(この場合はモロの君)へ生贄として捧げられたものである。しかしエボシが現れ人々が山の神に対抗しうる力を持ったことで、人々は神の力の前にただひれ伏す存在ではなくなった。それによりサンは宙ぶらりんの立場に追い込まれ、人でも神でもない、「もののけ」として生きざるをえなくなった[83][85]。

女尊男卑する文化と建物構造も女重視で男軽視の構造になっている。

牛飼いたち男衆はタタラ場の中でも下層に住居も仕事場も全ての生活の場を構えており、敵と戦闘になった際は切り捨てて大屋根を含む上層だけを守り抜く構造になっている(しかし劇中では、アサノ軍に男たちがシシ神退治で留守中を狙われたので、トキたち女衆の防衛隊は最初から下層の防衛を捨てて上層の防衛に専念している)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E3%81%91%E5%A7%AB
2:777 :

2024/04/28 (Sun) 16:26:51

宮崎 駿 みやざき はやお(東京都 1941年1月5日 - )
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832781


扱いが酷すぎたジブリ作品4選
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14047248

宮崎駿『となりのトトロ』
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14050058

宮崎駿『もののけ姫』(スタジオジブリ 1997年)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16850536

宮崎駿『風の谷のナウシカ』
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14050057

宮崎駿『千と千尋の神隠し』
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14050053

【ジブリ】「実は、10年前からずっと採算取れてないんですよ」社員を95%以上リストラ!?スタジオジブリの裏事情がヤバすぎる…【宮崎駿】【岡田斗司夫 / 切り抜き / サイコパスおじさん】
2023/07/14
https://www.youtube.com/watch?v=UdXKroZt7RE


壺齋散人 映画を語る
https://blog2.hix05.com/archives.html

ルパン三世カリオストロの城:宮崎駿
風の谷のナウシカ:宮崎駿
天空の城ラピュタ:宮崎駿
となりのトトロ:宮崎駿
もののけ姫:宮崎駿
千と千尋の神隠し:宮崎駿
ハウルの動く城:宮崎駿
崖の上のポニョ:宮崎駿


宮崎駿 「君たちはどう生きるか 」 アカデミー賞受賞の理由
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16845245
3:777 :

2024/04/28 (Sun) 17:23:41

エボシ御前
https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%A8%E3%83%9C%E3%82%B7%E5%BE%A1%E5%89%8D

スタジオジブリのアニメ『もののけ姫』の登場人物である。
「みなよく見とどけよ!神殺しがいかなるものなのか。」


タタリ神に呪われ故郷を離れたアシタカが流れ着いた工房集落「タタラ場」の指導者。

女丈夫を絵に描いたような人物であり、人を引き付ける魅力に冷静さと苛烈さを併せ持つ女傑。


彼女の統治の下、タタラ場は当時の重要戦略物資であった鉄を作るための製鉄技術に加え、強力な石火矢(ハンドキャノンの一種)の生産技術を持ち、それらを背景に領主アサノに屈することなく独立を保っている。


全ての人々が平等に人間らしく生きられる社会を建設することを目指しており、その足がかりとするべくシシ神の森の開墾を企図していることから、サンら犬神をはじめとした森の神と対立している。


彼女自身、石火矢の名手であると同時に、並の人間を遥かに凌ぐ身体能力を誇るサンと対等以上に斬り結ぶことができるほどの実力者でもある。


人物
「神や祟りを迷信と切って捨て、合理的な思考と手段によって自然を征服する」という行動を示し、女人禁制であったタタラ場の仕事を女性に任せるなど非合理と見れば習俗も意に介さない、いわゆる「近代人」としての性格を持つキャラクター。


山を切り拓く際に猪神ナゴの守に致命傷を負わせてタタリ神に変え、アシタカが死の呪いを受けるきっかけを作った張本人であり、「もののけ姫」サンの視点で物語を見るならば、生まれ育った森と愛する家族を害する明確な敵でもある。

その一方で統治者・為政者としては非常に優秀かつ篤実な女性で、単純な善悪などの価値観で割り切れるような人物でもない。


身売りされた娘達や病人(おそらくハンセン病患者)、その他はみ出し者といった行き場の無い社会的弱者達を差別することなく積極的に保護し、教育と職を与え、人間らしい生活が送れるように講じるなど、非常に高い徳と人情を併せ持ち、タタラ場の人々からは敬われ慕われている。

自身の経歴もあってか、タタラ場は男性蔑視とは言わずとも女性に重きを置いている、あるいはそうやって男社会を打破するような雰囲気を作っている節があり、エボシを慕う女衆も牛飼いの男衆や地侍にケンカ腰だったり、犠牲を冗談半分に揶揄するなど、かなり荒っぽい同権社会を作っていた。


その一方で敵対する者には一切容赦せず、目的のためには手段を選ばない冷徹さも備えている。必要とあらばタタラ場の身内を見捨てる即決を下したり、大勢が死ぬのが前提の作戦を立てて戦に臨むといった一面も持つ。


タタラ場の頭として
はみだし者に生きる意味と場所を作り出すエボシのタタラ場だったが、製鉄を専業とするが故に本来なら農閑期にやるような作業を年中稼働させており、かなりの勢いで山を破壊し、水を汚していた。

この急速な自然破壊は周囲の山野のみならず、流域全体の飲料水や農作物や水産物、もちろんそれを糧にする人も家畜も、社会全体に害を与える恐れがある。そのため周囲から恨みを買っており、パンフレットにも「河川の汚染が地侍がタタラ場に攻撃を仕掛けた理由の一つになっていた」とあり、宮崎駿もインタビューで「タタラ場が攻撃を受けるのは当然の報い」と述べていた。

タタラ場の権益と「国崩し」の理念を守るためとは言え、そうした周囲との対話にも応じず、石火矢の力ずくで追い払っているため、外交的な軋轢はかなり強かったようだ。


アシタカとジコ坊が粥を食べた廃村も、河川の水害で滅びたとされる。森を失った山は崩落や洪水を起こしやすく、直後のシーンで濁流が映されることから、この村もタタラ場の被害を被ったのではないかと考える人もいる(参照)。


また、女人禁制であるタタラで女を働かせ、そこで作った鉄は侍に流れて武器となり、武器を得た侍は戦や強盗や奴隷狩りを進めることで新たな流民や奴隷を生み出し、そうした人々をタタラ場が拾うという悪循環も起きている。

アシタカが初めて人を殺めた場面もまた、地侍による村の襲撃を見かねての事。掲げる理念とは裏腹に、タタラ場の存在もまた、アシタカが言う「新たな恨みと憎しみ」を作り出す側に組み込まれてしまっていた。


もちろんエボシ自身もこうしたタタラ場の弊害や自らの立場については承知の上であり、清濁併せ呑む覚悟と矜持を以って、理想郷の建設のための「国崩し」という目的に邁進する。

エボシにとっては、既存の社会構造や権力の破壊である「国崩し」が最終目的であり、もののけとの戦いは彼女の壮大な計画の一画に過ぎない。禁忌を破って女奴隷や病人などの社会的弱者に鉄や石火矢を作らせ、その弱者たちに石火矢を持たせて侍を銃撃させるなど、エボシの社会構造への挑戦を示唆させる描写はかなり多い。

もともと「国崩し」とは、日本に最初に輸入されたポルトガル製の大砲や、歌舞伎において、国家を転覆させ牛耳ろうとする悪役を指す。つまり、エボシ自身のモチーフである立烏帽子(鈴鹿御前)や石火矢に関連した言葉でもある。


ジコ坊ら「唐傘連」と結託し、石火矢衆を率いてシシ神殺しに挑んでその首を取ることに成功するが、デイダラボッチの暴走を招いてしまい、その混乱の中で犬神モロに右腕を食いちぎられ隻腕となってしまう。

宮崎駿監督はエボシを殺す予定だった(参照)ようだが、死なすには行き過ぎで、でもただ生かすというのも疑問だったということで、この結末に落ち着いたらしい。


シシ神の消滅後は、崩壊したタタラ場に留まり、生き残った者たちと共に新しい村を作って行こうと決意したようだ。それまでの冷たさを欠いた様子で「ここを良い村にしよう」と述べ、製鉄の再建は考えていないのかもしれない。


裏設定
モデルとなったのは、悪路王を鎮めた伝説の美女または女盗賊または女の化け物とされる立烏帽子(鈴鹿御前)である(参照)。つまり、エボシのモデルも「もののけ」の類である。
アシタカの先祖とされるアテルイと混同されてきたこともある悪路王も「もののけ」にカテゴライズされる逸話は多く、立烏帽子と敵対する伝説も残されている。
本編で語られることはなかったが、かつてはタタラ場の娘達と同様に人身売買されたという辛い過去があり、彼女自身が社会的弱者であった。
倭寇の頭目に買い取られ妻となるが、次第に組織を支配するようになった後、夫である頭目を自らの手で殺害し、明の兵器と共に日本へ帰ってきたという壮絶な過去がある。ゴンザはこの組織に属していたが、エボシに惚れ込み付いてきたという。
この頃の経験が、社会的弱者、特にかつての自分と同じ境遇の女性達の救済を目指す原動力や男性を信用しない部分の原因となっていた様である。
余談・ジブリファンの見立てなど
エボシ様のよこがお

最初の発案者かは不明だが、劇中で最初にサンのことを「もののけ姫」と表現してタイトルを回収したのはエボシである。敵討ちの女衆を連れて決闘を挑んだ際も、当のサンに向かって「もののけ姫」と呼ばわっている。
タタラ場を奇襲したサンと一対一で戦っている際、止めに入り人々に自らの呪いを見せつけて争いの無意味さを説くアシタカには「賢(さか)しらに僅かな不運を見せびらかすな!その右腕切り落としてやる!」と、珍しく苛立つような様子を見せた。「賢(さか)しら」とは「利口そうに振る舞うこと・物知りぶる」といった意味であり、壮絶な過去を生き延び、恨み、祟り、悲しみ、怒り、憎悪を過去に嫌と言うほど味わってきた彼女にとって、アシタカの受けた死の呪いはちっぽけなものでしかなく、その程度で知ったような口を利くなと腹を立てたのだろうか。
劇中でモロに傷を負わせた際、その生命力をたとえて「ヤマイヌは首を切っても動く」と周囲の油断を戒めていたエボシだが、最後の最後に本当に首だけで動いたモロに片腕を噛み取られ、たとえ話がまさかの本当になった事には驚き苦笑するような声を上げていた。しかも噛み取られた片腕は、皮肉にも右腕だった。
ジコ坊が、浅野公方を「大侍だな」と呟いたのは、単なる感想ではなくてエボシへの当てつけであったという考察もある。そうでなくても、森の守り手であるモロを倒せる目途が立ったと思ったら西国から乙事主率いる猪神の大群が援軍に現れ決戦を仕掛ける羽目になるなど、状況はエボシ一人に制御できる範囲を超えつつあった。
キャラクター性やストーリー上の役割の類似などから、『風の谷のナウシカ』のクシャナ妃殿下とイメージをダブらせるファンも少なくない。たとえば、軍事力を持つ女性リーダーであり、男性の側近を持ち、社会構造に挑戦する一方で動物と敵対し、危険な武器を動物の大群相手に使ったり、壮絶な過去を持ち、肉体が欠損しているなどの点が類似している。
史実の石火矢は中国から伝来したものだが、射程が短く命中精度も非常に低かった上、殺傷能力も高くなかった。主に大きな音と光による威嚇能力を企図して使われていたもので、本作の石火矢の威力は、ストーリーの都合上、著しく誇張されていると言える。
劇中での初期モデルの石火矢から発せられた火炎放射状の攻撃は、不可思議な古代兵器である「ギリシャの火」をモデルとしている。劇中の石火矢のモデルである火槍という武器も、棒の先端につけた火薬筒から火や爆音を出して攻撃する武器であった。
エボシ御前こそが「製鉄の神」であり(参照)、動機も立場も異なるが、エボシ同様に自然の破壊や「神殺し」を行ったシシ神の化身であるダイダラボッチも「タタラ製鉄」に起源を見るなど、ファンはいろいろと空想を巡らせている。
エボシが作り上げたタタラ場は、奇しくも鬼やヤマタノオロチの正体の一つとして考えられている金工師や製鉄集団その物でもあり、タタラ場がもたらしている上記の弊害を考えれば、彼女もまたアシタカ同様に「鬼」と言うべき存在だったと言えなくもない。
ファンの中にはエボシ御前と織田信長や土田御前との類似性を指摘する声もある。

関連
エンキドゥ:シシ神のモデルと推測されることもあるフンババを殺して首を切り落としたことで呪われ、最終的には死亡している。

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