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宮崎駿『もののけ姫』(スタジオジブリ 1997年)

1:777 :

2024/04/28 (Sun) 16:22:35

宮崎駿『もののけ姫』(スタジオジブリ 1997年)

監督 脚本 原作 宮崎駿

音楽 久石譲
主題歌 米良美一「もののけ姫」
制作会社 スタジオジブリ
公開 1997年7月12日
上映時間 133分


動画
https://archive.org/details/princesa-mononoke_202307


中世・室町期の日本。いまだ人を寄せ付けぬ太古の深い森の中には、人語を解する巨大な山犬や猪などの神獣たちが潜み、聖域を侵す人間たちを襲って、荒ぶる神々として恐れられていた。エミシの末裔のアシタカは、人間への怒りと憎しみによってタタリ神と化した猪神に呪いをかけられ、それを解くために訪れた西の国で、数奇な運命に巻き込まれていく。森を切り開こうとするタタラ製鉄集団とその長エボシ御前、森を守る山犬一族、そして山犬に育てられた人間の少女サン。アシタカはその狭間で、自分が呪われた理由を知り……。


▲△▽▼


もののけ姫 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E3%81%91%E5%A7%AB

あらすじ

プロローグ
中世(室町時代の頃[22][23])の日本が舞台。東と北の間にあると言われるエミシの村に住む少年アシタカは、村を襲ったタタリ神と呼ばれる化け物を退治した際、右腕に死の呪(のろ)いを受けてしまう。その正体は、何者かに鉛のつぶて[24]を撃ち込まれ、人への憎しみからタタリ神と化した巨大な猪神(ナゴの守)であった。アシタカは呪いの為村を追われ[注 4]、呪いを絶つ為にも猪神が来た西の地へと旅立つ。

序盤
アシタカは旅の道中、乱妨取りに奔る地侍との戦いや謎の男ジコ坊との出会いを経て、古い神が棲むという"シシ神の森"に向かう。谷川の岸に辿り着くと、そこには谷に落ち川に流され、気絶している男たちがいた。彼らを岸に助け上げ対岸を見ると、そこには傷ついた山犬と1人の少女の姿があった。山犬と少女はアシタカをにらみつけ、その場を去っていく。
その後アシタカ達は、森の端でコダマに会う。案内されるように森の中を進み、奥の池の岸に着くと、そこには金色に光る鹿のような生き物(シシ神)の姿があった。その姿を見た瞬間、アシタカの腕のあざが激しく反応する。
シシ神の森を抜けて男達の村に着くと、そこは「タタラ場」と呼ばれる、鉄を作る村であった。その地を治めるエボシは「石火矢」と呼ばれる火砲を村人に作らせており、それを使って森に棲む「もののけ」や、村の鉄を狙う地侍たちから村を守っていた。
彼らは鉄を作る為に自然を破壊しているという自覚はあったが、シシ神やもののけ達を敬っている訳ではなかった。アシタカはそこで村人達の話を聞くにつれ、彼らにとってエボシという存在は、生きる希望を与えてくれるものである事を知る。そして同時に、自分に呪いを与えた猪神に鉛のつぶてを撃ち込んだのも実はエボシである、という事実を知る事になる。

中盤
その夜、エボシの命を「もののけ姫」が狙いに来る。その正体はアシタカが川岸で会った、山犬に育てられた人間の娘、サンであった。アシタカは窮地に陥ったサンを救うが、同時に瀕死の重傷を負ってしまう。アシタカは倒れながら「生きろ」とサンに語りかけるも、人を憎むサンは聞く耳を持たず、アシタカを殺そうとする。しかしその時、サンはアシタカから「そなたは美しい」と言われて動揺し、思い留まる。
その後サンは、アシタカを生と死を司るシシ神の住まう湖に連れて行く。シシ神がアシタカの傷を癒すのを見た彼女は、アシタカを生かす事に決め、介抱する。アシタカは次第に心を開いていくサンの姿を見て、森と人が争わずに済む道は無いのか、と思い悩むようになる。

終盤
その頃タタラ場には、エボシにシシ神殺しをさせようとする怪しげな装束の男達が集結していた。彼らを率いるのはジコ坊である。男達は天朝よりシシ神殺しを許可され、不老不死の力があると噂されるシシ神の首を狙っていた。エボシ達もまた、森を切り開くのをもののけ達に邪魔されたくなかった為、協力を約束したのである。タタラ場を出発したエボシ達は、人間との最終決戦を行おうとする猪神の大群と大戦争を始める。ところが、エボシが留守にしたタタラ場は、鉄を狙っている侍の集団に襲われてしまう。
日が暮れる中、森の中でアシタカはシシ神の池に向かうエボシに会い、神殺しを止めて侍に襲われている村に帰るよう伝える。彼女と別れたアシタカはサンを探しに森の奥へ行くが、エボシは構わず湖に向かうのであった。

ラスト
池で月光を浴び、夜の姿に変わろうとするシシ神を見つけたエボシは、気絶したサンを抱えたアシタカが止めるのも構わず、遂にその首を取る。するとシシ神の体から不気味な体液が大量に飛び散り、それに触れた者達は死に、木は枯れてしまう。やがて体液は津波のような勢いで山を埋め尽くし、森は枯れ果てて、タタラ場も壊滅してしまうのであった。
目覚めたサンは、森を見て森が死んだと絶望し、人間に対する憎しみを爆発させる。しかし、アシタカはまだ望みはあるとサンを説得し、二人は協力して、シシ神の首を持って逃げようとするジコ坊を押し留め、首をシシ神に返す。シシ神は首を取り戻したが、朝日を浴びると同時に地に倒れて消える。その瞬間に風が吹き、枯れ果てた山には僅かながら緑が戻り、アシタカの腕の呪いも消えた。

エピローグ
アシタカのプロポーズに対し、サンは「アシタカは好きだが、人間を許す事は出来ない」と答える。アシタカは「それでもいい、サンは森で私はタタラ場で暮らそう、共に生きよう」と語る。エボシもタタラ場の村人達に、「新たに良い村を作ろう」と語りかけるのであった。
最後に、倒れた一本の大木の上に芽生えた若木の横に、1体のコダマが現れて、頭を動かしカラカラと音を立てる場面で終わる。


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【UG】もののけ姫はナウシカの裏側を覗く作品である/ OTAKING explains "Princess Mononoke"
岡田斗司夫 2020/06/30
https://www.youtube.com/watch?v=eSyQrIiKuxg&t=0s

リクエストに応えて『もののけ姫』解説の後編を公開します【UG動画】#254
岡田斗司夫 2020/07/17
https://www.youtube.com/watch?v=9AsjZp1KqCk



【最新】もののけ姫 完全解説まとめ【岡田斗司夫】 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=mRL2PHJPw7Q

・チャプター
0:00 冒頭10分完全解説
8:24 祟り神は土蜘蛛
16:53 アシタカについて
30:15 すごくHなもののけ姫
38:06 夜明けの描写
42:11 エボシ御前の正体
54:30 エボシ御前とサンは親子?
01:08:10 モロの秘密
01:18:40 もののけ姫はハーレムアニメ
01:23:00 お便り紹介
01:26:15 シネマコミック解説
01:44:20 タタラ場ジオラマ解説



もののけ姫・2021年版解説〜エボシ御前とタタラ場の陰謀の秘密 岡田斗司夫ゼミ#407(2021.8.15)/ OTAKING Seminar #407
https://www.youtube.com/watch?v=8a4wpTRd3QE

0:00 オープニング~本日のおしながき
1:14 ゼミ生からのお便り紹介
4:16 もののけ姫の桶狭間の戦い
14:41 モロ対エボシ決着の瞬間はここだ
22:32 女傑の砦タタラ場ジオラマ解説
33:35 タタラ場解説~下の曲輪
37:45 タタラ場解説~上の曲輪
46:18 オモテ放送エンディング
2:777 :

2024/04/28 (Sun) 16:26:51

宮崎 駿 みやざき はやお(東京都 1941年1月5日 - )
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高畑勲・宮崎駿『太陽の王子 ホルスの大冒険』(東映 1968年)
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高畑勲・宮崎駿『アルプスの少女ハイジ』 (フジテレビ 1974年)
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宮崎駿『未来少年コナン』(NHK 1978年)
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宮崎駿『ルパン三世 カリオストロの城』(東宝 1979年)
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宮崎駿『シュナの旅』(NHK-FM 1983年)
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宮崎駿『風の谷のナウシカ 』(東映 1984年)
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宮崎駿『天空の城ラピュタ』(スタジオジブリ 1986年)
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宮崎駿『となりのトトロ』(スタジオジブリ 1988年)
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宮崎駿『魔女の宅急便』(スタジオジブリ 1989年)
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宮崎駿『紅の豚』(スタジオジブリ 1992年)
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宮崎駿『On Your Mark』(スタジオジブリ 1995年)
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近藤喜文・宮崎駿『耳をすませば』(スタジオジブリ 1995年)
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宮崎駿『もののけ姫』(スタジオジブリ 1997年)
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宮崎駿『千と千尋の神隠し』(スタジオジブリ 2001年)
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宮崎駿『ハウルの動く城』(スタジオジブリ 2004年)
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宮崎駿『崖の上のポニョ』(スタジオジブリ 2008年)
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宮崎駿『風立ちぬ』(スタジオジブリ 2013年)
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壺齋散人 映画を語る
https://blog2.hix05.com/archives.html

ルパン三世カリオストロの城:宮崎駿
風の谷のナウシカ:宮崎駿
天空の城ラピュタ:宮崎駿
となりのトトロ:宮崎駿
もののけ姫:宮崎駿
千と千尋の神隠し:宮崎駿
ハウルの動く城:宮崎駿
崖の上のポニョ:宮崎駿


宮崎駿 「君たちはどう生きるか 」 アカデミー賞受賞の理由
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3:777 :

2024/04/28 (Sun) 17:23:41

エボシ御前
https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%A8%E3%83%9C%E3%82%B7%E5%BE%A1%E5%89%8D

スタジオジブリのアニメ『もののけ姫』の登場人物である。
「みなよく見とどけよ!神殺しがいかなるものなのか。」


タタリ神に呪われ故郷を離れたアシタカが流れ着いた工房集落「タタラ場」の指導者。

女丈夫を絵に描いたような人物であり、人を引き付ける魅力に冷静さと苛烈さを併せ持つ女傑。


彼女の統治の下、タタラ場は当時の重要戦略物資であった鉄を作るための製鉄技術に加え、強力な石火矢(ハンドキャノンの一種)の生産技術を持ち、それらを背景に領主アサノに屈することなく独立を保っている。


全ての人々が平等に人間らしく生きられる社会を建設することを目指しており、その足がかりとするべくシシ神の森の開墾を企図していることから、サンら犬神をはじめとした森の神と対立している。


彼女自身、石火矢の名手であると同時に、並の人間を遥かに凌ぐ身体能力を誇るサンと対等以上に斬り結ぶことができるほどの実力者でもある。


人物
「神や祟りを迷信と切って捨て、合理的な思考と手段によって自然を征服する」という行動を示し、女人禁制であったタタラ場の仕事を女性に任せるなど非合理と見れば習俗も意に介さない、いわゆる「近代人」としての性格を持つキャラクター。


山を切り拓く際に猪神ナゴの守に致命傷を負わせてタタリ神に変え、アシタカが死の呪いを受けるきっかけを作った張本人であり、「もののけ姫」サンの視点で物語を見るならば、生まれ育った森と愛する家族を害する明確な敵でもある。

その一方で統治者・為政者としては非常に優秀かつ篤実な女性で、単純な善悪などの価値観で割り切れるような人物でもない。


身売りされた娘達や病人(おそらくハンセン病患者)、その他はみ出し者といった行き場の無い社会的弱者達を差別することなく積極的に保護し、教育と職を与え、人間らしい生活が送れるように講じるなど、非常に高い徳と人情を併せ持ち、タタラ場の人々からは敬われ慕われている。

自身の経歴もあってか、タタラ場は男性蔑視とは言わずとも女性に重きを置いている、あるいはそうやって男社会を打破するような雰囲気を作っている節があり、エボシを慕う女衆も牛飼いの男衆や地侍にケンカ腰だったり、犠牲を冗談半分に揶揄するなど、かなり荒っぽい同権社会を作っていた。


その一方で敵対する者には一切容赦せず、目的のためには手段を選ばない冷徹さも備えている。必要とあらばタタラ場の身内を見捨てる即決を下したり、大勢が死ぬのが前提の作戦を立てて戦に臨むといった一面も持つ。


タタラ場の頭として
はみだし者に生きる意味と場所を作り出すエボシのタタラ場だったが、製鉄を専業とするが故に本来なら農閑期にやるような作業を年中稼働させており、かなりの勢いで山を破壊し、水を汚していた。

この急速な自然破壊は周囲の山野のみならず、流域全体の飲料水や農作物や水産物、もちろんそれを糧にする人も家畜も、社会全体に害を与える恐れがある。そのため周囲から恨みを買っており、パンフレットにも「河川の汚染が地侍がタタラ場に攻撃を仕掛けた理由の一つになっていた」とあり、宮崎駿もインタビューで「タタラ場が攻撃を受けるのは当然の報い」と述べていた。

タタラ場の権益と「国崩し」の理念を守るためとは言え、そうした周囲との対話にも応じず、石火矢の力ずくで追い払っているため、外交的な軋轢はかなり強かったようだ。


アシタカとジコ坊が粥を食べた廃村も、河川の水害で滅びたとされる。森を失った山は崩落や洪水を起こしやすく、直後のシーンで濁流が映されることから、この村もタタラ場の被害を被ったのではないかと考える人もいる(参照)。


また、女人禁制であるタタラで女を働かせ、そこで作った鉄は侍に流れて武器となり、武器を得た侍は戦や強盗や奴隷狩りを進めることで新たな流民や奴隷を生み出し、そうした人々をタタラ場が拾うという悪循環も起きている。

アシタカが初めて人を殺めた場面もまた、地侍による村の襲撃を見かねての事。掲げる理念とは裏腹に、タタラ場の存在もまた、アシタカが言う「新たな恨みと憎しみ」を作り出す側に組み込まれてしまっていた。


もちろんエボシ自身もこうしたタタラ場の弊害や自らの立場については承知の上であり、清濁併せ呑む覚悟と矜持を以って、理想郷の建設のための「国崩し」という目的に邁進する。

エボシにとっては、既存の社会構造や権力の破壊である「国崩し」が最終目的であり、もののけとの戦いは彼女の壮大な計画の一画に過ぎない。禁忌を破って女奴隷や病人などの社会的弱者に鉄や石火矢を作らせ、その弱者たちに石火矢を持たせて侍を銃撃させるなど、エボシの社会構造への挑戦を示唆させる描写はかなり多い。

もともと「国崩し」とは、日本に最初に輸入されたポルトガル製の大砲や、歌舞伎において、国家を転覆させ牛耳ろうとする悪役を指す。つまり、エボシ自身のモチーフである立烏帽子(鈴鹿御前)や石火矢に関連した言葉でもある。


ジコ坊ら「唐傘連」と結託し、石火矢衆を率いてシシ神殺しに挑んでその首を取ることに成功するが、デイダラボッチの暴走を招いてしまい、その混乱の中で犬神モロに右腕を食いちぎられ隻腕となってしまう。

宮崎駿監督はエボシを殺す予定だった(参照)ようだが、死なすには行き過ぎで、でもただ生かすというのも疑問だったということで、この結末に落ち着いたらしい。


シシ神の消滅後は、崩壊したタタラ場に留まり、生き残った者たちと共に新しい村を作って行こうと決意したようだ。それまでの冷たさを欠いた様子で「ここを良い村にしよう」と述べ、製鉄の再建は考えていないのかもしれない。


裏設定
モデルとなったのは、悪路王を鎮めた伝説の美女または女盗賊または女の化け物とされる立烏帽子(鈴鹿御前)である(参照)。つまり、エボシのモデルも「もののけ」の類である。
アシタカの先祖とされるアテルイと混同されてきたこともある悪路王も「もののけ」にカテゴライズされる逸話は多く、立烏帽子と敵対する伝説も残されている。
本編で語られることはなかったが、かつてはタタラ場の娘達と同様に人身売買されたという辛い過去があり、彼女自身が社会的弱者であった。
倭寇の頭目に買い取られ妻となるが、次第に組織を支配するようになった後、夫である頭目を自らの手で殺害し、明の兵器と共に日本へ帰ってきたという壮絶な過去がある。ゴンザはこの組織に属していたが、エボシに惚れ込み付いてきたという。
この頃の経験が、社会的弱者、特にかつての自分と同じ境遇の女性達の救済を目指す原動力や男性を信用しない部分の原因となっていた様である。
余談・ジブリファンの見立てなど
エボシ様のよこがお

最初の発案者かは不明だが、劇中で最初にサンのことを「もののけ姫」と表現してタイトルを回収したのはエボシである。敵討ちの女衆を連れて決闘を挑んだ際も、当のサンに向かって「もののけ姫」と呼ばわっている。
タタラ場を奇襲したサンと一対一で戦っている際、止めに入り人々に自らの呪いを見せつけて争いの無意味さを説くアシタカには「賢(さか)しらに僅かな不運を見せびらかすな!その右腕切り落としてやる!」と、珍しく苛立つような様子を見せた。「賢(さか)しら」とは「利口そうに振る舞うこと・物知りぶる」といった意味であり、壮絶な過去を生き延び、恨み、祟り、悲しみ、怒り、憎悪を過去に嫌と言うほど味わってきた彼女にとって、アシタカの受けた死の呪いはちっぽけなものでしかなく、その程度で知ったような口を利くなと腹を立てたのだろうか。
劇中でモロに傷を負わせた際、その生命力をたとえて「ヤマイヌは首を切っても動く」と周囲の油断を戒めていたエボシだが、最後の最後に本当に首だけで動いたモロに片腕を噛み取られ、たとえ話がまさかの本当になった事には驚き苦笑するような声を上げていた。しかも噛み取られた片腕は、皮肉にも右腕だった。
ジコ坊が、浅野公方を「大侍だな」と呟いたのは、単なる感想ではなくてエボシへの当てつけであったという考察もある。そうでなくても、森の守り手であるモロを倒せる目途が立ったと思ったら西国から乙事主率いる猪神の大群が援軍に現れ決戦を仕掛ける羽目になるなど、状況はエボシ一人に制御できる範囲を超えつつあった。
キャラクター性やストーリー上の役割の類似などから、『風の谷のナウシカ』のクシャナ妃殿下とイメージをダブらせるファンも少なくない。たとえば、軍事力を持つ女性リーダーであり、男性の側近を持ち、社会構造に挑戦する一方で動物と敵対し、危険な武器を動物の大群相手に使ったり、壮絶な過去を持ち、肉体が欠損しているなどの点が類似している。
史実の石火矢は中国から伝来したものだが、射程が短く命中精度も非常に低かった上、殺傷能力も高くなかった。主に大きな音と光による威嚇能力を企図して使われていたもので、本作の石火矢の威力は、ストーリーの都合上、著しく誇張されていると言える。
劇中での初期モデルの石火矢から発せられた火炎放射状の攻撃は、不可思議な古代兵器である「ギリシャの火」をモデルとしている。劇中の石火矢のモデルである火槍という武器も、棒の先端につけた火薬筒から火や爆音を出して攻撃する武器であった。
エボシ御前こそが「製鉄の神」であり(参照)、動機も立場も異なるが、エボシ同様に自然の破壊や「神殺し」を行ったシシ神の化身であるダイダラボッチも「タタラ製鉄」に起源を見るなど、ファンはいろいろと空想を巡らせている。
エボシが作り上げたタタラ場は、奇しくも鬼やヤマタノオロチの正体の一つとして考えられている金工師や製鉄集団その物でもあり、タタラ場がもたらしている上記の弊害を考えれば、彼女もまたアシタカ同様に「鬼」と言うべき存在だったと言えなくもない。
ファンの中にはエボシ御前と織田信長や土田御前との類似性を指摘する声もある。

関連
エンキドゥ:シシ神のモデルと推測されることもあるフンババを殺して首を切り落としたことで呪われ、最終的には死亡している。

https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%A8%E3%83%9C%E3%82%B7%E5%BE%A1%E5%89%8D
4:777 :

2025/02/04 (Tue) 10:13:17

もののけ姫:宮崎駿
続壺齋閑話 (2017年12月 6日 17:48)
https://blog2.hix05.com/2017/12/post-3520.html

miya05.mononoke.jpg

もののけと言うと、昔話に出てくる妖怪のことが想起されるが、この映画のなかでもののけ姫とよばれているのは、妖怪ではなく山犬に育てられた人間の娘のことである。そのもののけ姫が人間を敵として戦う。その戦いに一人の少年が巻き込まれて、もののけ姫と人間との板挟みになる。そんな話を、この映画は描いている。

もののけ姫が人間を敵視するのは、人間が自分たち動物仲間のかけがいのない環境である森を破壊しているからだ。森の破壊者は、鉄の精錬を目的としており、そのためにおびただしい材木を必要とする。鉄の精錬というのは、巨大なエネルギーを要するのだ。その人間に歯向かった動物は当然のこととして殺されるが、その動物の霊が怨霊となって、この世に災いを引き起こす。映画ではその怨霊を祟り神と呼んでいる。少年はその祟り神によって祟られ、余命いくばくもない運命に見舞われる。その呪いを解くには、獅子神と呼ばれるものの力が必要だ。そこで少年は、獅子神と逢うべく、森の中に踏み込んでゆき、そこでもののけ姫に出会うというわけなのだ。

こんなわけでこの映画は、動物たちの怨念を主なテーマにしている。その怨念が祟り神となるわけだが、そうしたたたり神の伝統は、日本の昔話のなかに連綿と受け継がれてきた。そうした祟り神は通常、怨念を抱きながら死んだ人々、たとえば菅原道真とか平将門の亡霊であるわけだが、この映画の中では、動物たちの呪いが怨霊としての祟り神の形をとるわけである。

動物たちが憎んでいる人間は、鉄の精錬所を運営しているえぼし御前という女である。この女は大勢の人間を精錬所に集め、そこで鉄の精錬を行っている。えぼし御前は、動物たちの抵抗をうるさく思い、動物を扇動している獅子神を殺そうとする。そのえぼし御前たちの精錬の拠点たたら部落を、地元の大名が傘下に収めようとしている。また、じこ坊という怪しげな坊主が、獅子神の首を狙う。というわけで、様々な利害が絡み合って物語が展開してゆくのである。

少年あしたかは、基本的には少女もののけ姫を一番大事に思っているが、一方ではたたら部落の人々にも同情している。一番望ましいのは、双方が歩み寄ることなのだが、それはできない相談らしい。人間たちは獅子神を殺そうとするし、もののけ姫は動物たちの代表としてえぼし御前を殺そうとする。少年としては、その両者の板挟みになって、つねに危うい境地に臨むというわけである。

結局獅子神は亡び、えぼし御前は深手を負い、たたら部落は破滅する。人間と動物との闘いはとりあえずは引き分けに終わったわけだ。その戦いの廃墟の上に立って再興を図ろうとする人間たちにあしたかは寄り添うことにする。一方もののけ姫は、仲間の動物たちと暮らすことを選ぶ。二人は再会を約して別れ、そこで映画も終わる。

こんなわけでこの映画は、人間も動物も、どちらが勝ったというわけでもなく、また真に和解したわけでもなく、中途半端なままに終わってしまうのであるが、そのことで何を訴えたかったのか、今ひとつわからないところがある。たしかに理屈としてはわからないのだが、アニメ映画としてはわかりやすい。
https://blog2.hix05.com/2017/12/post-3520.html

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