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アダム・スミスが説明する富裕国と貧困国の違い

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2024/04/16 (Tue) 20:40:54

アダム・スミスが説明する富裕国と貧困国の違い
2024年4月15日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/47297
今回の記事ではアダム・スミスの『国富論』より、富裕国と貧困国において経済や国内の状況がどう違うかを説明した部分を紹介したい。

アダム・スミスの国富論

1776年に出版された『国富論』はまさに現代のマクロ経済学の始まりとも言える本であり、経済の先行きを予想できない現代の大半の経済学者の著書よりは、経済を勉強する人がまず読むべき本である。

この本のまさに一番最初には、国の経済を分析する上で一番基本となることが書かれている。

つまり、ある国の経済の大きさをどう考えるべきかということである。

アダム・スミスは次のように書いている。

すべての国の毎年の労働はその国が毎年消費する生活上のすべての必需品や贅沢品を供給するおおもとの原資であり、それら供給物はその労働から直接生産されるものとその生産物によって他国から購入されるものに分かれている。

富の源泉は労働である。労働によって生産が行われ、生産物ができあがる。

しかし国民が消費できる生産物は国内で生産されたものだけでなく輸入されたものも含まれるから、生産されたものの一部を輸入品と交換することによって、国民が消費できるもののすべてが揃うことになる。

需要と供給

この『国富論』の始まりの箇所は、経済学においてもっとも重要な需要と供給という考え方のうち、供給の部分を説明したものである。

だがその供給の量は十分なのか、不十分なのか。それは供給物の需要がどれだけあるかということを考えなければ決まらない。だからアダム・スミスは次のように続ける。

よってこれらの生産物やそれによって買われる物と、それを消費する人々との割合が大きいか小さいかによって、その国のすべての必需品と贅沢品の供給状況の良し悪しが決まることになる。

まさに需要と供給の説明である。

では、その需要と供給の割合はどのような要素に左右されるのか。アダム・スミスは次のように説明する。

しかしどんな国でもその割合は次の2つの要素に影響されざるを得ない。1つ目は技術や熟練度、判断力などの労働の質であり、もう1つは労働力として雇用されている人と、そうでない人との割合である。

1つ目は生産性である。1人の国民がどれだけのものを生産できるかということである。そしてもう1つは、現代の言葉で言えば労働参加率である。

アダム・スミスはこれらの2つの要素のうち、重要な方について次のように指摘する。

そしてこの供給が十分か不十分かは、その2つの要素のうち前者に依存する割合が大きいように見える。

生産性による国内状況の違い

アダム・スミスは労働参加率よりも生産性の重要性を強調している。そのため彼は極端な例として、とても貧しい国ととても豊かな国の例を挙げている。

まず彼は貧しい国について次のように述べている。

狩猟者と漁師から成る未開民族の国では、働くことのできる個人は多かれ少なかれ皆雇用されており、自分や自分の家族か親族のなかで年寄りすぎたり若すぎたり病弱すぎたりして狩猟にも猟にも行けない人々のための、生活必需品や贅沢品をできるだけ生産しようと努力している。

だがそうした国はあまりに貧しいので、幼児や老人や長年の病人などを場合によっては直接殺したり、あるいは捨ててきて餓死させたり野生動物に食べさせたりさせる必要性にしばしば迫られたり、迫られていると考えたりする。

アダム・スミスの生きた18世紀における貧困国の状況が生々しく描写されている。

一方で彼の時代にも豊かな国はまったく違う状況にあった。アダム・スミスは豊かな国について次のように述べている。

一方で繁栄している文明国家では、多くの人々がまったく働かず、しかもその多くが働いている人々よりもしばしば10倍か100倍もの労働の生産物を消費しているにもかかわらず、その社会における労働の生産物全体が非常に多いので、しばしばすべての国民が豊かな供給を受けており、最下層で最貧困層の労働者でさえ、質素で勤勉ならばどんな未開人よりも多くの必需品と贅沢品の分け前を受け取ることができる。

結論

興味深いことに、アダム・スミスの描写する富裕国は現代の国家とそれほど変わっていないように聞こえる。

ここで筆者が注目してもらいたいのは、アダム・スミスの描写する富裕国の間では国民の間で争いが起きておらず、貧困国の国民の間では残酷な生存競争が行われているということである。

そしてここで筆者が指摘したいのは、日本やアメリカなど長らく富裕国として繁栄してきた国が、徐々に貧困国の状況にシフトしていっているのではないかということである。

自民党による搾取は前からあった。彼らは何十年も前から一切変わっていない。彼らの仕事は変わらず国民から徴税して票田にばらまくことである。しかも若者はもう知らない大蔵省のノーパンしゃぶしゃぶ事件でさえ、自民党の過去の文化ではないということを彼らは証明してみせた。自民党に不可能はない。

だが国が貧しくなってくると、国民が経済的により貧しくなっているにもかかわらず、国民に対する政治家の要求は増大する。

多くの国民にとって搾取されていたかどうかは問題ではなく、搾取されて耐えられない状況に置かれているか、そうでないのかが重要であるようだ。だが経済が減速し始めると国家のなかで様々な層がパイを取り合って争い始める。その典型的な例が政治家と被支配者層である。

このトレンドは経済の減速が続けば続くほどその割合は苛酷になり、何処かの時点で臨界点に達して革命(平和的なものであれ暴力的なものであれ)が起きるのである。レイ・ダリオ氏の予言が現実味を増しているように感じる。

レイ・ダリオ氏: 国家が衰退する時期には独裁者が生まれやすい
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/46623

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/47297


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アメリカのインフレを加速させる労働者増加の減速
2024年4月16日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/47340

前回の記事ではアダム・スミスが経済の需要と供給を見るにあたって、労働参加率と生産性に着目していたことを紹介した。

アダム・スミスが説明する富裕国と貧困国の違い


今回の記事ではこの考え方を使って現在のアメリカのインフレ動向を予想してゆきたい。

マクロ経済を分析する方法

アダム・スミスの『国富論』は現代のマクロ経済学の始まりとも言える本であり、前回の記事で説明したように本の最初には国の豊かさが生産性と労働参加率によって決まると書かれている。

それはつまり、労働に参加している人が、労働せず消費するだけの人に比べてどれだけいるか(労働参加率)、そして労働者1人あたりどれだけのものを生産できるか(生産性)ということである。

このアダム・スミスの考え方は現代のマクロ経済学者にも受け継がれている。例えばコロナ前までの先進国の経済の成長率減速について、マクロ経済学者のラリー・サマーズ氏は長期停滞論を提唱し、その原因は人口増加率の減速や国民の高齢化による労働参加率の減少などの人口動態の長期的変化にあると主張していた。

コロナ後はインフレに警鐘を鳴らす経済学者として有名となったサマーズ氏だが、コロナ前までは長期停滞論の経済学者として知られていた。

経済を分析する上で人口動態をこれほど重視するサマーズ氏の姿勢が一般の読者にどれだけ自然に映るかは分からないのだが、人口動態や労働参加率を気にするマクロ経済学の姿勢はまさにこの『国富論』の一番最初の文章の影響なのである。

人口動態とアメリカのインフレ

ではこのアダム・スミスの考え方はコロナ後のインフレについて何を予想できるか。

投資家が注目している雇用統計では、ここ1年ほど特に労働者数の増加が強かったことを読者は覚えているだろうか。

労働者が増加するということは、経済の需要と供給で言えば供給が増加するということであり、インフレ抑制にはプラスの効果となってきた。

平均時給のインフレ率は以下のように推移しており、高いものの加速している気配はない。


賃金のインフレが落ち着いている1つの理由は、上で述べた労働者の増加である。

ラリー・サマーズ氏は人口増加よりもハイペースな労働者の増加を持続不可能なものとし、警鐘を鳴らしてきた。だがこの人口増加には理由がある。コロナ後のロックダウンによる労働者減少のリバウンドである。

コロナ後の労働者数の変化

マクロ経済学的に見たコロナ後の経済の大きな変化は、労働者が減ったことである。

特にアメリカではロックダウンで働けなくなった人に多額の失業保険が支払われたので、職場に復帰するよりも失業を続けた方が儲かるとも言われ、ロックダウンで失われた労働人口が戻ってくるまでにかなり時間がかかった。

また、高齢化社会アメリカの労働力の源泉だった移民の数もロックダウンによって一時的にかなり制限された。

その結果労働者数の増加率がどうなったかと言えば、次のようになった。


一時的にマイナス10%以上にまで落ち込んだ労働者数の変化率は、ロックダウン解除後に持ち直し、その後コロナで働かなくなった人の復帰が徐々に進んだこと、そして移民の流入が再開したことによって、コロナ前の増加率より高い状態が続いていた。

これが最近の労働者増加の理由であると言える。本質的に増えたわけではなく、コロナで減った分が戻っているため一時的に増加率が高まっている。

労働人口の増加率はこれからどうなるか

コロナからの正常化が終わりつつあることで労働者の増加率はコロナ前の水準に戻りつつあるが、コロナ前の増加率はおおよそ1.3%程度だった一方で、今の増加率は1.9%と、まだ高いのである。

だがコロナ後の正常化が終わり、増加率が元に戻る時期が近づいている。例えば労働可能世代の労働参加率は、既にコロナ前の水準を上回り、ここ1年ほど頭打ちとなっている。


だからコロナ休職からの復帰はほぼ終わっているのではないか。

移民の方はどうなっているのかと言えば、人口の増加率を見ると以下のようにまだ加速傾向にあり、先進国であるアメリカの人口増加率が長期的には減少トレンドで普通の状態だったことを考えれば、まだ一時的な流入加速が続いていると思われる。(別にコロナ後によく子供を生むようになったわけではないだろうからである。)


バイデン大統領の国境政策がガバガバということもあるのだが、いずれにしても人口の増加率は長期的には減速トレンドに復帰せざるを得ないだろう。特に今年の大統領選挙でトランプ氏が勝利した場合、国境政策を厳しくしてそうなる可能性が高い。

結論

ということで、アダム・スミスの『国富論』の考え方を借りて労働人口を分析すれば、賃金インフレが今のところ収まっているのは一時的な労働者増加に支えられていると言える。

だが一時的な賃金インフレへの下方圧力は、恐らく来年や再来年に向けて正常化されることになるだろう。

それはただでさえ懸念されているインフレの再燃に、賃金インフレの過熱というもう1つの材料を与えることになる可能性が高い。そしてインフレで利上げということになれば、利下げを期待して上がってきた株価がどうなるかである。

レイ・ダリオ氏やラリー・サマーズ氏がインフレ再加速を警告しているのがますます正しく思えてくるのである。

レイ・ダリオ氏: 米国は利下げすべきではない
サマーズ氏: 米国は利上げの可能性、市場に利下げを織り込ませたのは馬鹿げた間違い

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/47340
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2024/04/16 (Tue) 20:41:56

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