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小六で父から…/11回おろした母に見せつけながら…/体だけで繋がれた愛情なき親子関係

1:777 :

2024/03/10 (Sun) 15:52:27

【前編】小六で父から…/11回おろした母に見せつけながら…/体だけで繋がれた愛情なき親子関係/塚原たえ
街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜 2024/03/08
https://www.youtube.com/watch?v=iYh4mdHuZNA

00:48 亡き弟の思い胸に覚悟の「実名告発」
06:44 異常性欲者の父と不倫に溺れる母
10:07 母親の隣で娘の処女を奪った鬼畜父
11:27 深い絶望に追い討ちをかけた母の言葉
17:06 体だけで繋がれた愛情なき親子関係
21:29 祖母から受け継がれた「虐○の連鎖」
25:17 16歳で妹と共に駆け込んだ警視庁…
30:04 地獄から救ってくれた初めての大人
34:39 性虐○と精神支配の末に命を絶った弟
41:50 20年の平穏を崩壊させた一通の手紙


街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜 - YouTube
https://www.youtube.com/@gairokuch/playlists
https://www.youtube.com/@gairokuch/videos
2:777 :

2024/03/11 (Mon) 18:30:50

【後編】 「自分のからだは汚い…」父から処●奪われ…/時効撤廃求めるも…/塚原たえ
街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜
https://www.youtube.com/watch?v=PjdlD2-7-v8

00:00 OP
01:03 父親からの凄惨な虐○に壊された心
04:56 日常生活で甦る忌まわしい記憶
09:43 被害者の前に立ちはだかる「法の壁」
17:45 時効撤廃を求める実名告発
21:57 性被害者を苦しめる「セカンドレ○プ」
28:17 当事者同士が繋がり支え合える場所
35:05 性虐○の時効を考える講演会


文春オンライン
「ほら見ろよ」母親の目の前で子どもに性虐待を行う父親 弟は自ら命を絶った《姉が覚悟の実名告発》
https://bunshun.jp/articles/-/67167
3:777 :

2024/03/11 (Mon) 18:31:53

フロイトが否定した父娘相姦はすべて事実だった _ 1968年栃木実父殺し事件
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14047842

他人には絶対に知られたくない秘密って沢山あるよ _ フロイトが妄想だと信じた近親相姦の話はすべて事実だった
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/418.html

ビル・クリントンはペドフィリア
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1163.html

ロリコン男は何を考えているのか? _ ロリコン向けラブドールの世界
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/270.html

世紀末の画家 ポール・ゴーギャン _ ゴーギャンこそ「南国楽園」白人セックスツーリズムおよび児童買春ツーリズムのパイオニア
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007315
4:777 :

2024/03/11 (Mon) 18:36:20

「ほら見ろよ」母親の目の前で子どもに性虐待を行う父親 弟は自ら命を絶った《姉が覚悟の実名告発》
「ルポ男児の性被害」連載
2023/11/29
https://bunshun.jp/articles/-/67167


父親による姉弟への悪魔のような性虐待と精神支配の末、弟は自ら命を絶った。亡くなった弟のため、そして自分のために立ち上がった塚原たえさん(51)は実名告発を決心。性暴力の実情を長年取材するジャーナリストの秋山千佳氏が徹底取材した。

◆◆◆

「和寛は死んでも構わない」
 2021年10月。塚原たえ(51)は、知人にいない「中村」姓の人物からの手紙を受け取った。相手の住所にも見覚えがない。

 封を開けると、1枚の便箋が出てきた。



 前略

 元気でいる事と思います

 私も終活の年となり子供の相続意志確認したく

 連絡をとりたいと思います

 人でなしの親のせいで貧乏し皆気が狂ってしまいました

 皆深い傷を負いました よく生きていてくれたと思います

塚原さん ©文藝春秋
塚原さん ©文藝春秋


 20年以上連絡を絶ってきた実の父親(73)からだった。なぜ今の住所がわかったのか。混乱、恐怖、怒り……体の震えが止まらなくなった。

 翌年1月、たえは体調の落ち着いた日を選んで、便箋にあった番号へ電話をかけた。相続放棄の意向を伝えるため、そして弟の和寛(仮名)のことで重大な報告があった。

 電話口で、たえは声に動揺を出さないようにしながら伝えた。

「和寛は、自殺したよ」

 父親は、息子の死にまったくうろたえず、あっさり言った。

「和寛は死んでも構わないけど、たえちゃんが死ぬのは嫌だよ」

 この電話からおよそ2年が経つ今、たえは振り返って目を赤くする。

父親からの手紙 ©文藝春秋
父親からの手紙 ©文藝春秋
「和寛は死んでも構わない、という一言で、これまで隠してきた性虐待を明るみに出そうという気持ちに火がつきました。父親にとって、子どもたちはあくまで性の道具でしかない。あんたのせいで死んだんだよと……。私と同じ境遇で同じように苦しんだ弟が生きた証を残したいし、弟の代弁をできるとしたら私だけだと思っています」

 たえの手元に、和寛の写真はわずかにしか残されていない。

「これは私が2歳、弟が1歳くらいですかね。いつも裸で撮られていて、寝ているところも多い。父親はこの頃からそういう対象として見ていたのかなと思います」

 和寛はたえの1学年下だが、正確にいうと11カ月しか差がない。母親の産褥期が明けるかどうかという時期でも父親が性行為を強いたのだろう、とたえは見ている。

初めて性虐待を受けたのは9歳の時
 姉弟は山口県内で生まれ育ったが、たえには小学3年生以前の記憶があまりない。父親は長距離トラックの運転手をしていたが、その時期に仕事を辞めて家にいるようになり、母親が家計を担うようになった。

 初めてたえが性虐待を受けたのはこの頃、9歳の時だ。父親から指や異物を膣に入れられるようになった。


 身体的虐待も激化した。それは和寛に対しても同様だった。

 屋外にある風呂に連れていかれ、“行水”と称して何十回と水の中に顔を沈められた。息ができず「苦しいな、早く楽になりたいな、このまま しねたらいいのに」と考えたことが、たえの最も古い記憶の一つだ。

 季節問わず、裸にされて屋外へ放り出されることもしばしばだった。

「当然、近所中に見られます。行水の時だって私たちの悲鳴が響き渡るわけです。それで通報してくれる人がいて、警察官が駆けつけることもありました。けれど父親が『しつけのためにやった』と言うと、警察官も『ほどほどに』で帰ってしまう。そんなことがしょっちゅうあったんですけど、当時の警察はそれ以上動こうとしませんでした」

©文藝春秋
©文藝春秋
 近所の人は次第に、通報しても無駄だと学習したようだ。

 和寛が小学3年生のある夕方のこと。父親から裸で後ろ手に縛られ、腰にロープを巻いて車の後部につながれ、父親の運転するその車に引きずられたことがあった。まだ明るい時間帯であり、近所の人たちも目にしたが、止めに入る者はいなかった。

「普通に考えたら、殺人行為じゃないですか。だけどそれすら誰も助けてくれなかったんです。『あの子かわいそうだよ、誰か助けてやりなよ』と言い合うだけで終わりました。あの父親は怖い、何をされるかわからないというイメージが周囲にも植え付けられていたのでしょう」

 この年、和寛の担任だった男性教師が放課後に訪ねてきて「和寛君とたえさんを養子にしたい」と父親に申し出たことがあった。父親は腰を据えて話すことなく追い返した。たえは成人後、教師の連絡先を探し出してお礼を言ったことがある。地元では唯一、姉弟を助けようとしてくれた大人だったからだ。

 同じ頃、東京で女優として成功している叔母も「2人を養子にしたい」とやってきた。虐待の噂を親族から聞きつけ、心痛めたのだろう。しかしこの時も父親は突っぱねた。

 姉弟に共通していたのは「大人は助けてくれない」という認識だった。2人とも感情を顔に出すことは滅多になく、言葉にすることもなかった。

ダンボールに隠れて「2人で生活しようね」
 姉弟間でのコミュニケーションは、アイコンタクトが基本だった。

 数少ない子どもらしい情景として、姉弟でテレビの前に並んで座り『8時だョ! 全員集合』を観たことがたえの記憶に残っている。「面白いね」と笑っていると、父親が不機嫌になり「こんなの見てるんじゃねえ」と言い出した。姉弟はいつものようにアイコンタクトを取って、居間から離れた。


父親が留守にしていて姉弟でキャッチボールをした時には、帰ろうとすると、父親の車が戻っていた。2人とも足がすくみ、近所の墓地へダンボールを持っていって隠れた。

「子どもって無力じゃないですか。逃げたくてもどうしたらいいのかわからない。だからその時はダンボールに隠れて『ここでずっと2人で生活しようね』と言いました。当然すぐ見つかってしまったんですけど。弟とはお互いの辛さがわかるぶん、助け合いの気持ちがあり、姉としては本当に逃してやりたかった」

 和寛が裸で屋外へ放り出された際、たえが木戸の枠の壊れた隙間からバスタオルなどを渡して「逃げな」と言ったことがある。和寛は渡されたものをまとって逃走したが、すぐ誰かに捕まって家に戻された。和寛はこの後、父親からの逃走を試みるようになる。

少年時代の弟
少年時代の弟
和寛もまた、性虐待を受けていた
 たえは11歳になり、小学5年生から6年生になる頃、初潮を迎えた。

 父親はその日、異様に上機嫌だった。日頃は金がないと言っているのに「お祝いだ」とケーキを買ってきた。

 夜、たえだけが父親に呼ばれて「布団に入れ」と言われた。

「その日初めて挿入されたんです。父親が布団をめくって、隣の布団に座っていた母親に『ほら見ろよ、入った入った』と言いました。母親も『何やってんの』と笑っていました。それが性被害と言われるものだと理解するのはもっと後のことで、その時点での認識は、気持ち悪い、痛い、苦しい。和寛は別の部屋にいました」

 たえは後年、母親に「どうしてあの時助けてくれなかったの」と問い詰めている。たえ自身が母になろうとしているタイミングのことで、普通は娘のために体当たりしてでも、もっと言えば殺してでも助けるべきではないかという思いが高じたためだ。

 母親は「怖かったから」と答えた。母親も壮絶なDVを受けていた。たえが言う。

「正直に言えば、母親もかわいそうな人ではありました。中絶は11回していますし、暴行を受けて血まみれで救急車で運ばれたことも何回かあります。顔にはいまだに傷跡が残っていますが、その傷を負った日には縫ってすぐに仕事へ行かされたそうです」

 母親にも被害者の側面があるとはいえ、たえや和寛が「大人は助けてくれない」と絶望した最大の理由は、最も身近な大人である母親が助けてくれなかったことだった。

 和寛もまた、性虐待を受けていた。

 たえがそれを知ることとなったのは、和寛が小学6年生の時だった。

「最初に私が目にしたのは、口腔性交でした。和寛が裸で後ろ手に縛られて、ああしろ、こうしろと命令されていました」

5:777 :

2024/03/11 (Mon) 18:39:25

《制服をハサミで切り裂かれ、教科書は水没》父親の日常的暴力と性虐待の末に29歳で弟は自殺した 姉が実名告発
「ルポ男児の性被害」連載
秋山 千佳 2023/12/05
https://bunshun.jp/articles/-/67403


父親による姉弟への悪魔のような性虐待と精神支配の末、弟は自ら命を絶った。亡くなった弟のため、そして自分のために立ち上がった塚原たえさん(51)は実名告発を決心。性暴力の実情を長年取材するジャーナリストの秋山千佳氏が徹底取材した。

◆◆◆

Ⓒ文藝春秋
Ⓒ文藝春秋
制服をハサミで切り裂かれ、教科書は水没
 塚原たえが中学2年生の頃の写真がある。父親とぴったり体を寄せ、笑顔を見せている。

 たえが写真に目を落として言う。

「何も知らなければ楽しそうな親子に見えますよね。でも、心の中はまったく違います。父親にもっとくっつけと言われてやっただけ。言われたとおりにすれば、父親は怒らず、優しくなるというのをこの頃覚えたんです。笑顔も芝居です」

当時の塚原たえさんと父親。「笑顔も芝居です」(塚原さん)
当時の塚原たえさんと父親。「笑顔も芝居です」(塚原さん)
 弟の和寛(仮名)の姿は、写真にない。

「この時、弟は父親に殴られた末に裸で外に放り出され、近所の家の服を盗んで無賃乗車で山口から富山まで家出していました。保護された弟を車で迎えに行く途中で撮ったのがこの写真です」

 中学生になった和寛は、父親から暴行を受け、裸で外に放り出されるたびに、家出を繰り返していた。女子であるたえは同じように放り出されても、裸でうろつくことができずに立ち尽くすだけだった。だが和寛は、近所で服を盗めば逃げられると学んだらしい。

 とはいえ、食事を抜かれることも多く小柄な和寛がうろついていれば、必ずどこかで大人に見つかる。児童相談所に一時保護され、親権者である父親の元へ返される。

 父親は迎えに行った当日こそ「もう、和寛君は~」と優しい口調で接するが、数日すると殴る蹴るや性虐待が再開した。そしてまた和寛は父親から逃げるのだった。


姉弟は、ほぼ不登校のような状態だった。父親に制服をハサミで切り裂かれ、教科書は水没させられていた。たえは切り裂かれた制服を縫い合わせたが、虐待による外傷が目立つ日には登校を阻止された。

「学校へ行けないから友だちと呼べる人もいなかったし、勉強はもちろんついていけない。恥ずかしい話ですが、私も弟も算数は分数までしかわかりませんでした」

塚原さん ©文藝春秋
塚原さん ©文藝春秋
「服従します」弟と2人で土下座
 たまたま登校した日、たえはクラスの女子が交際相手との性行為の話題で盛り上がっているのを耳にした。「あれ、私は父親にされている」と体が硬直した。

 父親はそういう行為をするたび、「絶対に外で言うなよ。お前とおれがやっているのはいけないことなんだからな」と釘を刺していた。何かがおかしいと思いながらも、“いけないこと”の共犯のような感覚を植え付けられ、誰にも聞けずにいた。中学3年生のたえは性被害の認識を持ちはじめ、自分の体を切り裂きたいと思うようになる。

幼少期のたえさんと和寛さん
幼少期のたえさんと和寛さん
 一方でこの時、切り裂きたいという思いを性加害者=父親に向けることはなかった。

「支配されていたということでしょうね。中学時代、よく弟と2人で『服従します』と土下座させられていましたから。そういう関係性しか知らずに育った影響はいまだに残っていて、人との付き合い方が相手の言いなりになりやすいです。弟も生前そういうタイプでした」 


助けてほしい一心で担任に告白
 たえが高校1年生の時、蒸発を繰り返してきた母親がついに姿を消した。父親が東京で職を得て、子どもたちも移り住むこととなった。

 たえは父親に高校を退学させられたが、その直前、担任の男性教師から「そのアザどうしたの?」と尋ねられている。

塚原さん Ⓒ文藝春秋
塚原さん Ⓒ文藝春秋
「父親に殴られていること、性被害に遭っていることをストレートに伝えたのですが、面倒なことになると思われたのか『そうなのか』の一言で終わってしまいました。性被害を打ち明けたのはその時が初めてで、助けてほしい一心で話したのに、無視された思いでした」




「絶対に外で言うなよ」父親の日常的暴力と性虐待の末に29歳で弟は自殺した《姉が実名告発》
連載「ルポ男児の性被害」第6回・後編
https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h7294?ref=full

父親による姉弟への悪魔のような性虐待と精神支配の末、弟は自ら命を絶った。亡くなった弟のため、そして自分のために立ち上がった塚原たえさん(51)は実名告発を決心。性暴力の実情を長年取材するジャーナリストの秋山千佳氏が徹底取材した。

制服をハサミで切り裂かれ、教科書は水没
 塚原たえが中学2年生の頃の写真がある。父親とぴったり体を寄せ、笑顔を見せている。

 たえが写真に目を落として言う。

「何も知らなければ楽しそうな親子に見えますよね。でも、心の中はまったく違います。父親にもっとくっつけと言われてやっただけ。言われたとおりにすれば、父親は怒らず、優しくなるというのをこの頃覚えたんです。笑顔も芝居です」


「笑顔も芝居です」
 弟の和寛の姿は、写真にない。

「この時、弟は父親に殴られた末に裸で外に放り出され、近所の家の服を盗んで無賃乗車で山口から富山まで家出していました。保護された弟を車で迎えに行く途中で撮ったのがこの写真です」

6:777 :

2024/03/11 (Mon) 18:41:28

「兄を刑務所に入れて」NHK朝ドラ主演女優・藤田三保子が告発 子どもを性虐待
「ルポ男児の性被害」連載
秋山 千佳 2023/12/20
https://bunshun.jp/articles/-/67820

塚原たえさん(52)による覚悟の実名告発は大きな反響を呼び、ついに叔母が立ち上がった。叔母とは、NHK朝ドラ『鳩子の海』でヒロインを演じた女優・藤田三保子さん(71、旧芸名:美保子)だ。当時、東京で女優として成功していた藤田さんは、父親から性虐待にあっている塚原さんら子どもたちを案じ、「2人を養子にしたい」と山口を訪れたことがある。だが、父親はこの申し出を突っぱね、その二十余年後、弟・和寛(仮名)は自ら命を絶った――。性暴力の実情を長年取材するジャーナリストの秋山千佳氏による実名インタビュー。

◆◆◆

時効があることがおかしい
 女優の記憶にある故郷は暗い。

 兄妹で「てて(父)なし子」と呼ばれ、差別に耐えた。その兄とは17歳の時、心の中で縁を切った。人には言えない事件が背後にあった。

 NHK朝の連続テレビ小説『鳩子の海』でヒロインを演じた、藤田三保子(71)。

 姪の塚原たえ(52)が父親からの性虐待を実名告発したことで、縁を切った兄=たえの父親について明かそうと決断した。かつて幼いたえとその弟・和寛(仮名、故人)を救おうとして救えなかったことを、三保子は今も後悔しているという。

「兄は何をするかわからない人だし、本当は関わり合いになりたくない。でも、たえが実名を出してでもあの人のことを世に訴えたいと言い出した時、気持ちが痛いほどわかりました。今からでも兄を刑務所に入れてほしいし、性虐待に時効があることがおかしいのです」

自身も虐待を受けていた女優・藤田三保子さん(71) ©文藝春秋
自身も虐待を受けていた女優・藤田三保子さん(71) ©文藝春秋
 三保子は、資産家の一人息子の父、新派女優だった母の第2子として山口県で生まれた。もっとも両親は三保子が2歳の時に離婚しており、父の記憶はない。美人で教養があり東京で活躍していた母は、戦争が激化した頃に見合いで嫁がされた相手の「飲む、打つ、買う」、特に女癖を許せなかったらしい。

 三保子は物心つく前から、3歳上の兄・剛(仮名)とともに、よその家に預けられている時期が長かった。1950年代の山口でシングルマザーの働き口は、ホテル・旅館の仲居か、水商売以外にはほぼ皆無だった。母は旅館の住み込みの仲居となり、兄妹は、旅館の目の前にあった下足番の家で暮らした。

「母はお金を持ってくる時以外、一度も子どもたちに会いにきたことはありません。温かい言葉をかけるようなこともなかったです。預けられた家には同世代の男の子がいて、彼とそのお母さんに私たち兄妹はいじめられました」

実名告発が大きな反響を呼んだ塚原たえさん Ⓒ文藝春秋
実名告発が大きな反響を呼んだ塚原たえさん Ⓒ文藝春秋
藤田氏も虐待されていた
 剛も「ててなし子」と呼ばれるのは同様だったが、外でどんな目に遭ったかは知らない。

 三保子がわかるのは、同居することになった母からの虐待があったことだ。

「私や兄がけんかしたという噂を聞いただけで、殴る蹴るでした。相手が悪くても『お前が悪い』と言って、息が止まるまで蹴られたこともあります。母は女優時代の舞台写真や新聞記事を眺め、事あるごとに父への恨みを聞かせてきました。今思うと、過去の栄光を引きずって、こんなはずじゃなかったと現状を呪っていたのでしょう。そして、山奥で酒場の女将をしていることへの不満や怒り、閉塞感を、子どもたちにぶつけていたのだと感じます」

 剛は中学を卒業すると、東京で就職・進学することになり、集落を出た。

 中学生になった三保子も、その夏には防府市へ引っ越した。乱暴な兄がいなくなり、田舎での差別から解放されたことで、それまでとは別人のように活発になった。高校生になるまでまた他人の家に預けられたが、自立心が育まれた。

 三保子は県立防府高校へ進学した。3学年上の作家・伊集院静をはじめ、著名な卒業生が多くいる進学校だ。ただ三保子は大学へ進まず、女優になろうと決めていた。当時は母を楽にさせたいという一心だった。身長は168cmまで伸び、ソフトボール部では“エースで4番”の主将を務めた。

 三保子が高校生の頃、母が慌てて金を借り集めて東京へ向かったことがある。それからまもなくして、剛が県内に戻ってきた。


「母は詳しいことを言わずに行ったのですが、後で聞いたら、兄が盗みを働いて警察に捕まったそうです。さもありなん、と思いましたね」

「お前のことが好きだ」母を押し倒していた剛
 再び一緒に暮らすようになった剛は、母との力関係で逆転するようになった。

 剛は母に対し「俺がこうなったのはお前のせいだ」と鬱憤をぶつけ続けた。

「毎日親子げんかばかりしていて、うんざりしました。何をしたとかしないとか些細なことから始まるのですが、よく見れば、兄から母への愛と憎しみが渦巻いているのを感じました」

 後年のことになるが、剛が老いた母を押し倒して「お前のことが好きだと言っているのがわからないのか!」と叫んでいるのを、中学3年生のたえが目の当たりにしている。三保子はそれを聞き、兄の母に対する愛憎が根深いことを痛感することになる。

塚原たえさんの叔母は、NHKの朝ドラ『鳩子の海』でヒロインを演じた藤田三保子さん ©文藝春秋
塚原たえさんの叔母は、NHKの朝ドラ『鳩子の海』でヒロインを演じた藤田三保子さん ©文藝春秋
 三保子が高校3年生になると、剛は結婚すると言って相手を連れてきた。母と同じ名前の女性だった。

 三保子は彼女を見て、内心、なるほどなと思った。弱々しくて、何でも言うことを聞いてくれそうな人を選んだな、と感じた。剛が暴力性を見せても服従する雰囲気が既にあった。

「思うに、兄は母のことをすごく愛していたのでしょう。だけど母から暴力を振るわれたり今でいうネグレクトのような状態に置かれたりして、愛情が歪んでいった。母で果たせなかった思いが、妻や、後には子どもたちに向かったのだと感じます。妻の名前が母と同じなのは偶然だと思っていたけど、母が満たしてくれなかったものを求めた結果なのかもしれません」

 1971年3月。高校の卒業式の5日後、三保子は女優をめざして東京へと旅立った。一方、その年の12月には、山口で家庭を持った剛に第1子が生まれる。たえだ。

幼少期のたえさんと和寛さん
7:777 :

2024/03/11 (Mon) 19:54:57

「昔、兄にいたずらされたことが」塚原たえさんの叔母、藤田三保子氏が“虐待の連鎖”を実名告発
連載「ルポ男児の性被害」第7回・後編
https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h7453?ref=full

塚原たえさん(52)による覚悟の実名告発は大きな反響を呼び、ついに叔母が立ち上がった。叔母とは、NHK朝ドラ『鳩子の海』でヒロインを演じた女優・藤田三保子さん(71、旧芸名:美保子)だ。当時、東京で女優として成功していた藤田さんは、父親から性虐待にあっている塚原さんら子どもたちを案じ、「2人を養子にしたい」と山口を訪れたことがある。だが、父親はこの申し出を突っぱね、その二十余年後、弟・和寛(仮名)は自ら命を絶った――。性暴力の実情を長年取材するジャーナリストの秋山千佳氏による実名インタビュー。

虐待されても“世界一の母親”だと思っていた
 女優をめざして上京した藤田三保子(旧芸名:美保子)は、3年目でチャンスを掴む。

 NHK朝の連続テレビ小説『鳩子の海』のヒロイン・鳩子役を射止めたのだ。山口県が主な舞台で、鳩子は一人でたくましく生きていく女性という設定だった。

『鳩子の海』は1974年春から1年間放送され、平均視聴率47.2%は朝ドラ歴代4位の記録となっている。翌年からは、こちらも高視聴率で鳴らした刑事ドラマ『Gメン’75』(TBS)で、選ばれし7人の刑事「Gメン」唯一の女性刑事を演じた。

 私生活では、25歳でNHKのディレクターと結婚し、2人の連れ子の母になった。

 だが順調な時期は長く続かず、27歳の時、膠原病を発病した。発熱や全身の倦怠感、関節の腫れなど様々な症状が出る難病だ。長期入院を余儀なくされた。

8:777 :

2024/03/11 (Mon) 20:45:59

複雑性PTSD になるのは家庭内性的虐待が殆ど


精神科医・和田秀樹「複雑性PTSDなんかではない」眞子さまの本当の病名は
和田 秀樹 精神科医
2021/10/07
https://president.jp/articles/-/50716


宮内庁は10月1日、眞子さま(29)と小室圭さん(29)が同月26日に結婚されると正式発表するとともに、眞子さまが「複雑性PTSD」と診断されたことを明らかにした。精神科医の和田秀樹さんは「会見に同席した精神科医は『結婚について周囲から温かい見守りがあれば、健康の回復が速やかに進むとみられる』と発言しましたが、これは国民に誤解を与え、現実に複雑性PTSDの症状に苦しむ虐待サバイバーに脅威を与えるおそれがある」という。その理由とは――。

精神科医が腰を抜かすほど驚いた「眞子さまは複雑性PTSD」

宮内庁は1日、秋篠宮家の長女・眞子さま(29)が「複雑性心的外傷後ストレス障害(PTSD)」と診断されたことを明らかにした。

そのため、この病名がネット上で一気にトピックワードとなった。

この病名については、秋篠宮家の側近部局トップの加地隆治皇嗣職大夫が眞子さまの病状について切り出し、精神科医で、公益財団法人「こころのバリアフリー研究会」理事長の秋山剛氏が会見に同席して「長期にわたり誹謗中傷を体験された結果、複雑性PTSDと診断される状態になっておられる」と述べた。

1991~94年にアメリカに留学して以来、この疾患に向き合ってきた私は、宮内庁のその後の説明を聞くにつけて、腰を抜かすほど驚いてしまった。

なぜなら、複雑性PTSDとは虐待のような悲惨な体験を長期間受け続けた人に生じる心の病であり、治療も大変困難なものとされているからだ。

1970年代、ベトナム戦争で兵士が受けた心理的後遺症やレイプトラウマの研究が進み、1980年に発表されたアメリカ精神医学会の診断基準第3版(DSM-3)に「PTSD」という病名が採用された。

その後もトラウマ研究が進み、児童虐待のような長期反復型のトラウマ体験の場合は、もっと深刻な病状が生じることがわかってきた。

当時のアメリカにおけるトラウマ研究の第一人者であるジュディス・ハーマン(ハーバード大学准教授)は、その主著と言える『心的外傷と回復』(みすず書房)において、複雑性PTSDという病名を提起した。

複雑性PTSDの症状…自傷行為、性的逸脱、解離症状、希望喪失
ハーマンが提起し、94年に発表されたアメリカ精神医学会の診断基準第4版(DSM-4)の「複雑性PTSD」に加えることが検討された症状には以下のようなものが列挙された。

1:感情制御の変化(自傷行為や性的逸脱など)
2:意識変化(解離症状など)
3:自己の感覚の変化(恥の意識など)
4:加害者への感覚の変化(復讐への没頭だけでなく、加害者を理想化することもある)
5:他者との関係の変化(孤立・ひきこもりなど)
6:意味体系の変化(希望喪失など)

実際、私の留学中も虐待の被害者の患者をかなりの数で診たが、この指摘には心当たりがある。ここで注目したいのは、2の項目にある「解離」という症状だ。

解離は、自分の忌まわしい記憶をふだんとは別の意識状態に置くことで生じると考えられている。要するにトラウマ的な出来事を覚えている意識状態と、普段の意識状態は、別の意識状態になっている。

そのため、その人は、トラウマ的出来事を覚えている意識状態になったときのことは覚えていないし、その意識状態は、普段の意識状態と連続性をもたない。

解離性健忘の場合、その解離状態の時の言動を覚えておらず、かなりの暴言を吐いても、犯罪的な行為(万引きや暴行など)や性的逸脱を行っても、それを覚えていない。

別の意識状態になったときにアイデンティティ(自分が子どもか大人かとか、ふだんの名前や役職など)まで変わってしまう状態は多重人格と呼ばれてきたが、DSM-4では解離性同一性(アイデンティティ)障害と呼ばれるようになった。


「複雑性PTSDとは、悪口レベルの外傷的体験ではない」
またこの複雑性PTSDの場合、感情も対人関係も不安定なので、婚姻生活や社会生活に支障をきたし、定職にもつけない境界性パーソナリティー障害と呼ばれる診断を受けることも多い。

ただ、ハーマンの過去の記憶を思い出させて、それをぶちまけさせるような治療方針がかえって患者の具合が悪くすることが多いことが明らかになったことで、彼女のアメリカ精神医学会での影響力はかなり弱まった。ハーバード大学でも教授に昇格していない。そのせいか、2013年改訂のアメリカ精神医学会の診断基準の第5版(DSM-5)では、複雑性PTSDの病名は採用されなかった。

ところが、WHOが作るもう一つの国際的な診断基準の最新版(ICD-11)が2018年に公表された際に複雑性PTSDが採用されることになった。これまでの歴史をみるとアメリカ精神医学会の基準に追随することが多かった中で画期的なことである。

おそらくは、世界的に深刻化する児童虐待だけでなく、人権を弾圧するような政府や軍事介入などで生じる心の後遺症を無視することができないと考えたのだろう。

実際、この診断基準で挙げられている逃れることが困難もしくは不可能な状況で、長期間・反復的に、著しい脅威や恐怖をもたらす出来事の例としては、「反復的な小児期の性的虐待・身体的虐待」のほか、「拷問」「奴隷」「集団虐殺」が挙げられている。けっして悪口レベルの外傷的体験などではない。

これに対して秋山医師は、「複雑性PTSDは言葉の暴力、インターネット上の攻撃、いじめ、ハラスメントでも起こる」と拡大解釈をしたわけだ。

実際、インターネット上の誹謗中傷で自殺する人もいるのだから、私もその可能性を否定するつもりはない。

「温かい見守りがあれば、健康の回復が速やかに」という発言の問題点
むしろ今回、国民に誤解を与え、現実に複雑性PTSDの症状に苦しむ虐待サバイバー(※)に脅威を与えるおそれがあるのは、秋山医師が発した「(小室圭さんとの)結婚について周囲から温かい見守りがあれば、健康の回復が速やかに進むとみられる」という言葉だ。

※児童虐待を受けたあと、生き残り、心の病に苦しんでいる人たち。

自らが虐待サバイバーで複雑性PTSDの実際の症状を赤裸々に記録した『わたし、虐待サバイバー』(ブックマン社)の著者である羽馬千恵さんは、自身が発行するメルマガ(※)の中で、「虐待が終わってからが、本当の地獄だった」と記している。

※大人だって虐待で苦しんでいる。当事者が語る子供時代のトラウマ - まぐまぐニュース!(mag2.com)

羽馬千恵『わたし、虐待サバイバー』(ブックマン社)羽馬千恵『わたし、虐待サバイバー』(ブックマン社)
虐待を受けた子供たちは大人になり複雑性PTSDに苦しむわけだが、親元を離れ、虐待を受けなくなったり、多少周囲が温かくしてくれたりしところで、そう簡単に治るものではない。

つい最近も3歳児が母親の同居人の虐待で死亡した事件があったが、それに関するニュースの多くは、初動で行政がしっかり対応していたら死ななくてすんだという類のものだった。

たしかにそういう面もあるかもしれない。しかし、もっと重要なのは子供の今後の人生だ。「運よく生き残ったから、よかった」で済む問題ではない。生き残った子供たちは下手をすると生涯にわたる複雑性PTSDに苦しむのである。

「眞子さまはおそらく適応障害なのではないか」
人格変化のために周囲の人が犠牲になることさえある。古くは永山則夫事件、あるいは大阪・池田小事件の宅間死刑囚、そして山口県光市の母子殺しの少年など、子供時代などに虐待を受けた人物が起こす重大事件は枚挙に暇がない。

銃社会のアメリカでは、虐待を受けた子供が将来重大犯罪を起こすことが多いことも、虐待を受けた子供を親元に返さない大きな理由となっている。

眞子さまの場合、もし、環境が変わり周囲の批判がなくなった結果、秋山医師が断言したように「健康の回復が速やかに進むとみられる」ならば、それは複雑性PTSDなどという心の重病でない。もちろん、私は直接診察したわけではないので100%そうだと言い切れないが、眞子さまに関してはおそらく適応障害(この疾患の詳細は、拙著『適応障害』宝島社新書を参照いただきたい)にあたるのではないかと思う。

ただ、日本の場合、精神科の主任教授が臨床軽視・研究重視の大学教授たちの多数決で決まるため、私のようなカウンセリングや精神療法を専門とする大学医学部は全国どこを探してもない。そのため、複雑性PTSDであれ、適応障害であれ、よい治療者をみつけることはかなり困難だ。

そういう点で、いい治療者を見つけるために眞子さまがご結婚されアメリカに行かれるのはいいことだ。

ヘルズキッチンのマンハッタンクルーズターミナルから見た超高層ビル写真=iStock.com/Global_Picsヘルズキッチンのマンハッタンクルーズターミナルから見た超高層ビル ※写真はイメージです
複雑性PTSDについては予防の必要性は極めて高い。私は、アメリカのように、虐待が見つかったら原則的に親元に返さないできちんとしたチャイルドケアを受けさせるべきだと考える。そうでないと一生不幸を抱えてしまうことになりかねない。

その一方、虐待をしてしまった親に対するカウンセリングも重要だ。アメリカではこれが盛んに行われ、カウンセラーが認めれば、子供はその親元に返される。

日本の場合、残念ながら医学の世界、精神医学の世界がカウンセリングを軽視する傾向があり、見通しは暗いと言わざるを得ない。私の留学先のような「大学でない精神科医の養成機関」をかなりの数作らなければならないと思われる。

「複雑性PTSDの患者は数十万人に達する可能性がある」
実は、複雑性PTSDの患者はかなり多いと予想できる。というのは、虐待の数が想像以上に多いからだ。2021年8月27日に、令和2(2020)年度の児童相談所における虐待相談対応件数が発表されたが、ついに20万件を超えた(心理的虐待12万1325件:全体の59.2%、身体的虐待5万33件:24.4%、ネグレクト3万1420件:15.3%、性的虐待2251件:1.1%)。

虐待された子供が新規で毎年20万人(実際はもっと多い可能性が高い)ということは、日本中に虐待経験者は全体で数百万人単位いるということになる。仮にその1割が複雑性PTSDになったとしても数十万人だ。これはかなり少なく見積もった数と言えるものだ。これから複雑性PTSDを増やさないだけでなく、現在複雑性PTSDの人たちを救うことが急務だ。

今回の報道でもっと危惧するのは、複雑性PTSDになった人は周囲の人がやさしく見守れば、そのうち症状が緩和する軽い病気であるかのような誤解が広まることだ。

あるいは、芸能人や政治家がバッシング逃れのために知り合いの精神科医に複雑性PTSDの診断書を書いてもらうケースが増え、この疾患に直面している人の苦しみをどこか軽んじるような風潮が世間に広まることもあり得る。

複雑性PTSDという病名が世間に知られることは望ましいことだが、本当の実態が知られないと逆にいちばん迷惑をこうむるのは複雑性PTSDの患者であることも知ってほしい。

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