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壺齋散人 表参道の現代建築

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2024/02/24 (Sat) 07:09:32

表参道の現代建築再訪
続壺齋閑話 (2024年2月15日 08:21)
https://blog2.hix05.com/2024/02/post-7671.html

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昨年(2023)の初夏に表参道を訪ねたのは、小生が好きな現代建築の名作が見られると知ったからだ。それまで小生は、東京の街を歩き回り、街のたたずまいをカメラに収めては、「東京風景写真」と称してブログで紹介していたものだ。また、建築遺産と称されるような建築史を飾るような建物の写真を、「東京建築遺産」と称して、併せて紹介した。小生が建築にこだわるのは、一時期建築関係の仕事をやっていたためである。その仕事は、建築を総合的に評価するというものだった。そうした評価は、現代建築について行うものであったが、小生は現代建築をブログで取り上げることはしなかった。ところが、年令を重ね、後期高齢者の仲間入りをすることとなるにいたって、俄然現代建築についても(仕事上ではなく)個人的な関心を抱くようになった。

とりあえず昨年の夏に表参道の現代建築群を見歩き、その後、昨年の秋には銀座の現代建築を訪ね歩いた。表参道の現代建築を再訪する気になったのは、前回は準備不足で、見落としたものが多く、また街路樹のケヤキがまだ多く葉をつけていたため、建物の輪郭が明らかにならないきらいがあったため、ケヤキが葉を落とし、建物の輪郭がくっきりと浮かび上がる今頃の季節(つまり2024年の2月)に、再び訪れる気になったというわけである。今回は下準備をしっかりしたので、見落とすことはなかったと思う。

小生は地下鉄銀座線の表参道駅で下車し、表参道と青山通りの交差点南側の改札から外に出た。外へ出ると巨大な石灯篭が見える。それを傍目に見ながら原宿駅方面に向かう。この道筋は前回来た時にカバーしたところなので、だいだいはわかっている。ケヤキが葉を落としているため、建物の輪郭がはっきりと見えるのがよい。前回訪れなかった建物(ジャイア、ブランチーズ、アイスバーグ)もしっかりカメラにおさめ、原宿駅前の再開発ビルにもカメラを向けた。

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その後、表参道通りの北側を歩いて先ほどの出発点に戻る。上の写真はその道筋で写したものである。前回も写したが、今回はケヤキが葉を落としているおかげで、通りの様子がくっきりと見える。

青山通りとの交差点を右に(南に)曲がり、AOビルと国連大学をカメラに収めたあと、表参道の通りを根津美術館方面に向かって歩き、途上気に入った建物をカメラに収めた。ここは前回スルーしたところなので、いずれも新鮮に映った。特に、通りからややはずれたところにあるサニーヒルズという建物は、鳥の巣の化け物のようで、これでも建築と呼べるのかと危うんだくらいである。しかし現代建築では、建物の強度が保障されているかぎり、どんな設計もあるということだ。

以下、この日カメラに収めた現代建築群について、その写真を紹介しながら、適宜小生の感想を述べたいと思う。
https://blog2.hix05.com/2024/02/post-7671.html



アニヴェルセル表参道、アップル表参道 表参道の現代建築
続壺齋閑話 (2024年2月22日 08:25)
https://blog2.hix05.com/2024/02/post-7684.html

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アニヴェルセル表参道は、もともと結婚式場として作られましたが、2023年にリニューアルされて、ファッション・ブランド、ティファニーが入居しました。そんなことで現在は、結婚式場というよりはティファニーのイメージが強くなっています。


建物の竣工は1998年で、清水建設が施工しました。リニューアルにあたっては、乃村工芸社がデザイン設計を主導したそうです。上の写真は、斜め角度から見渡したもの。既存の建物をベースにして、にぎやかな意匠が施されています。

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これは、同じく斜め角度から、屋上部分まで見上げたもの。

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これは正面からの長めです。ティファニーのイメージが前面に出ています。

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(アップル表参道)

アニヴェルセル表参道の向かって左側にアップル表参道の風変わりな建物が立っています。この地域にはめずらしい平屋建ての建物で、ファサード全面がガラス張りです。設計はアメリカの建築設計事務所「ボーリン・シウィスキー・ジャクソン」。アップル銀座のほか、世界中に展開するアップルストアの設計を手掛けています。竣工は2014年です。上の写真は建物を正面から眺めたもの。

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これは、同じく正面から、アップルのロゴを浮かび上がらせたものです。
https://blog2.hix05.com/2024/02/post-7684.html



表参道KEYAKIビル、ケリング・ビル:表参道の現代建築
続壺齋閑話 (2024年2月23日 08:21)
https://blog2.hix05.com/2024/02/keyaki-1.html

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表参道KEYAKIビル、ケリング・ビルは、一区画の敷地を仲良く分け合うように立っています。ケヤキビルが敷地の角に立ち、それをL字型に囲むかたちでケリング・ビルが立っています。通りを隔てた向かい側から見ると、細長い建物が二つ並んでいるように見えます。

上の写真は、カヤキビルを斜め角度から見上げたもの。左右に隣のビルが囲んでいる様子がわかります。前回来た時には、ケヤキの葉が繁茂して建物の外観がすっきりしませんでしたが、今回ははっきりと見えます。

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これは、ほぼ正面から見上げたもの。入居しているファッション・ブランド、BOSSのロゴマークが存在感を発揮しています。

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これは、一回のエントランス部分。ファッション・ブランドとしては地味ですね。

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(ケリング・ビル)

ケリング・ビルは石とガラスの組合わせがユニークな建物です。

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これは、斜め角度から見上げたもの。建物の角の部分を起用に利用しています。

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これは、狭い路地に面した裏口です。
https://blog2.hix05.com/2024/02/keyaki-1.html


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表参道 おもてさんどう
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A8%E5%8F%82%E9%81%93_(%E5%8E%9F%E5%AE%BF)

表参道(おもてさんどう)は、東京都渋谷区神宮前(原宿)・港区北青山・南青山(青山)にある参道。また、その周辺一帯の通称である。

明治神宮の参道の一つ[† 1]。現在の都道413号線のうち、青山通りから原宿駅前の神宮橋交差点(明治神宮前)に至る区間が相当する。


モードとしての表参道
1919年に明治神宮の参道として整備された大通りが「表参道」そのものであるが、現在ではその通りを中心とする原宿・青山地域を漫然と指して「表参道」と称することも一般的である。とはいえ、1970年代以降の実態は「kawaii文化」発祥の原宿とは違った街の発展を遂げてきた。より洗練された「モードファッション」(モード系ファッション)がその代表であり、それこそが原宿とは違う「表参道」の街の特徴である。町域としての表参道は、渋谷区神宮前と港区北青山・南青山で構成され、銀座と並んでハイブランドの旗艦店が集積しているエリアとしても知られる(「青山 (東京都港区)#企業・法人」「神宮前 (渋谷区)#施設・名所」も参照)[1]。

大人向きの高級ブランド街である銀座と比べると、若者の買い物客が多い。周辺のエリアを総称して「原宿・表参道」または「表参道・原宿」などと呼ばれる。

日本では1970年辺りまで、「若者の街」「若者文化」の流行の発信地といえば新宿だった。しかし1969年、ベトナム戦争への反戦運動として新宿駅西口地下広場で行われていた無許可のフォークソング集会を警察が強制解散させ、その後6月28日に若者達と機動隊が衝突して多数の逮捕者が出た「新宿西口フォークゲリラ事件」を機に、新宿に若者が大規模に集まることが困難となり[† 2]、同時に若者からも新宿が忌避されるようになった。

一方、1973年に渋谷でPARCOの開店があり、渋谷駅からPARCOを経て渋谷区役所・渋谷公会堂に至る「区役所通り」を「渋谷公園通り」と改称して再開発を実施したことで、日本における若者文化の歴史が大きく変化した。その流れは新宿から渋谷、さらに原宿、表参道、裏原宿、代官山へと移り変わっていった[† 3]。これは同時に、政治色の強いカウンターカルチャー[† 4]から商業主義的色彩の強いサブカルチャーへの変質でもあった[2][† 5]。

特に1980年代は、商業主義的色彩の強いサブカルチャー寄りの若者が「お金を持っていた」ため、原宿、裏原宿、代官山、渋谷よりも「表参道」が脚光を浴びた(DCブランドやカラス族など)。

街路樹が立ち並ぶ表参道周辺には、ハイブランドをはじめとしたアパレル関連の店舗および事務所、美容室などが集中する。2006年には同潤会アパート跡地に表参道ヒルズが開業した。

地域としての表参道
通りとしての表参道から、地下鉄・表参道駅周辺までの一帯を「表参道」と呼ぶことも一般的である。その範囲は広く、青山の骨董通り周辺から、青山通り、表参道駅周辺、旧原宿・旧穏田地区の表参道沿いを経て、原宿駅周辺までもが含まれる場合がある[3]。

この一帯はショッピングストリートとして知られ、特に表参道沿いには世界的な有名ブランド店がの路面店が集積している。2006年には大型商業施設・表参道ヒルズ (神宮前4-12)も、表参道沿いに開業した。一方、裏通りは閑静な住宅地となっており、新進気鋭なセレクトショップや有名美容院などと住宅が混雑し、若者にも人気の地域となっている[1]。

表参道と渋谷区(渋谷、裏原宿、原宿、代官山)の繋がりと役割

表参道
「モード」文化発信地。世界中のモードに関するブランド(ハイブランド、高級ブランド)店が並ぶ大通り。日本だとCOMME des GARCONSなど。フランスならLOUIS VUITTONやDior。イタリアならD&GやGucciなど。世界的なファッション雑誌『VOGUE』などパリ・コレクション、ミラノ・コレクション、服飾系専門学校をイメージする装苑などの、モード文化発信地(若者がお金を持っていた1980年代の「カラス族」や「DCブランド」などといったモードファッションの歴史でも有名な街)である。街路樹が立ち並ぶ表参道周辺には、ハイブランドをはじめとしたアパレル関連の店舗および事務所、美容室が集中する。2006年には同潤会アパート跡地に表参道ヒルズが開業した。隣接する港区の青山エリアとともに、東京を代表する「ファッションの街」である。
原宿
「kawaii」文化発信地。住所上は渋谷区神宮前。 竹下通りは若い女性向けのショップが集積しており、観光地としても有名である。商業エリアであるが、路地裏には住宅街とアパレルショップ、美容院などが混在したエリアが広がる。
裏原宿(うらはらじゅく)
「サブカルチャー系」文化発信地。いわゆる「渋谷区全域」を繋げる役割のある重要な地帯で1990年代を例に出すなら「渋谷系」を表すサブカルチャー地帯。渋谷区全体はサブカルチャー系の文化発信地ではあるが、渋谷区の中でも特に裏原宿はその傾向が強い。1990年代、渋谷系というサブカルチャー色の強い音楽ジャンルがもてはやされたTOWER RECORDのある 神南エリア辺りまでを含めて神宮前からアパレル関連業者が集まる同区千駄ヶ谷に至る、原宿周辺界隈の服飾洋品店が集まっている一帯。そのなかで、特に表参道中心寄りの「原宿通り」や「渋谷川遊歩道(通称:キャットストリート)」の南北に伸びたエリア周辺を指す。代々木公園は、大道芸人、パフォーマンスアーティスト、若い世代のコスプレ愛好家に人気のスポット。公共放送NHKの本部(放送センター)には、交響楽団の定期演奏会が開かれるNHKホール、文化的な展示やテレビの表彰プログラムに使用されるスタジオパークがある。 神南エリアには有名セレクトショップやブランドの路面店が集積している。
代官山
「洗練系オシャレ」(落ち着いた意識高い系清楚オシャレ)文化発信地。渋谷区の中では表参道などに次ぐファッションエリアであり、旧山手通り沿いには飲食店が立ち並ぶ。また、高級住宅街でもある。
渋谷
「若者・IT」文化発信地。IT企業の中でも若者が多く活躍するGoogle日本法人があり、2020年に起きたCovid-19以降、メタバース上の仮想現実で日本一番有名なカルチャー街を真っ先に作り上げた場所でもある(ハロウィン渋谷などが有名)繁華街である道玄坂や桜丘町などの地域を含む。街の中心に位置する渋谷駅は山手線南西部のターミナル駅であり、新宿駅に次ぐ世界2位の利用者数を誇る(直通人員を含める)[4]。東急や東急不動産を中心とした東急グループの拠点であり、商業活動が活発である。また、港区の六本木などともにIT企業が集積している地区としても知られる[5]。近年は東急グループが主導の再開発により、渋谷の高層ビル化とオフィス機能を併設した複合商業ビルの建設が進んでいる。渋谷駅ハチ公口(スクランブル交差点)側に百貨店やファッション専門店、飲食店、カフェなどが密集しており、公園通り、渋谷センター街、道玄坂、スペイン坂には大小の店舗が並び、SHIBUYA 109など大型商業施設が存在する。
通り(参道)としての表参道
東京都道413号標識
「東京都道413号赤坂杉並線」も参照
現在の都道413号線が国道246号 (青山通り)と交差する表参道交差点から、原宿駅前付近の神宮橋交差点までの全長約1.1キロメートルの区間を指す(Google マップ)[† 6]。明治神宮の造営にあわせて1919年に完成したこの通りは街路樹のケヤキ並木でも知られ、読売新聞社選定の「新・日本街路樹100景」(1994年)のひとつに選定されている[6]。

現在の道路形状は、幅員36mで中央分離帯が備わり、片側2車線・往復4車線で、両側の歩道寄りには時間制限駐車区間が設けられている。歩道にはケヤキによる街路樹が備わっている。通りには、終点である原宿駅前を含めて、3本の歩道橋が設置されている。

並木通りとしての表参道の街路樹であるケヤキ(欅)は、通りの左右に一列ずつ、現在は合計で163本が生育している[7]。大正時代に植えられた元もとのケヤキは、アメリカ軍による東京大空襲によって1945年に大部分が焼失、現在生育しているケヤキの大部分は1950年頃に植えなおされたものである[7]。ただし、表参道ヒルズ前などの合計11本は戦火に耐えた樹木であり、樹齢90年を超えているものもある[7]。初代のケヤキについては、現地に解説板が備わっている。2020年には「表参道ケヤキ並木道」が土木学会選奨土木遺産に選ばれる[8]。

通りは台地上にある起点・終点に対して、中央部の都道305号 (明治通り)や渋谷区道キャットストリートが谷底となる形状になっている。最も標高が高いのは起点である青山通りの交差点付近で海抜35メートル、谷底であるキャットストリート付近は同20mである[7]。道路建設の際には、谷底である渋谷川(穏田川)両岸の自然地形に一定の斜度で坂が造られたため、切り通しなどが諸所にあり、土留には石垣が用いられた。


クリスチャン・ディオール表参道店
表参道は冬至の朝、明治神宮から起点の青山通りの交差点方向に向かって、道路の延長線上から真直ぐ太陽が昇る設計になっている[7]。

歴史

表参道は明治神宮の参道として整備された

表参道ヒルズ
明治神宮創建にあたり、社殿地北側が馬車道で外苑と直接接続していたことから、当初予定ではこの馬車道が「表参道」となり、その終点が神宮の正鳥居になる予定であった。しかし、正鳥居が本殿から見て鬼門にあたる東北にあたることから正鳥居が現在の南西側に変更され、その正面にあたる街地が、神宮の「表参道」として整備されることになった(なお、馬車道はその後、首都高速道路の一部に変わったためになくなった[9])。計画段階では、外苑正面に直接到達するようにカーブしていたが、既存の道路の活用などを考慮した結果、直進する道路に変更され、外苑に道なりに到達するには、青山通りとの交差点で左折することになった[10]。

神宮創建前年の1919年(大正8年)、東京市によって整備された。翌1920年(大正9年)、東京市電の走っていた青山通りと明治神宮を結ぶ路線バス、「表参道バス」の運行が開始された[11]。さらにその翌年になってケヤキの若木200本が植樹された[7]。

1927年(昭和2年)には同潤会渋谷アパート(後に青山アパートと改称)が、沿道北側の穏田地区に建設された。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月、アメリカ軍による東京大空襲(山の手大空襲)によって表参道付近も甚大な被害を受け、周囲の建物とともに表参道のケヤキの大部分も焼失した[7]。

日本の敗戦後、占領軍であるアメリカ軍が明治神宮に隣接する代々木公園に軍施設、ワシントンハイツを建設、これを機に沿道にはアメリカ人向けの店ができはじめた。1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が勃発すると日本はアメリカ軍の中継地となり、これらの店は益々繁盛するようになった[11]。

つくられた当初は砂利道であった表参道は、戦後になって現在のように拡張整備されて広い道へと変わり、ファッション通りへと変貌していくことになる[9]。1960年(昭和35年)には、明治神宮寄りの沿道南側に原宿セントラルアパートがつくられた。1964年(昭和39年)には近隣の代々木第一体育館などを会場として東京オリンピックが開催され、翌年にはコープオリンピアが竣工した。1970年代以降には、「原宿・表参道」として、もしくは「青山・表参道」として、若者文化・流行の発信地として活気を得、さらには高級ブランド店の集積地となっている。

1972年には沿道半ばに地下鉄千代田線・明治神宮前駅が開業、また道路には1974年に中央分離帯が設置され、それまで片側3車線の対面通行だったものが同2車線に改められた。 1977年頃には暴走族の集結地となり、日曜日の日中には数千台の自動車やオートバイが集まることもあった[12]。暴走族の集結は、翌年の法改正と警察による取り締まりなどにより解消されて姿を消していった。

2003年に取り壊された同潤会青山アパート跡地には2006年2月に表参道ヒルズが開業している。

2008年(平成20年)2月には渋谷区のコミュニティバス「ハチ公バス」に表参道を走る新規路線が開業し、「明治神宮前駅」、「神宮前小学校」、「表参道ヒルズ」という3つの停留所が設置された。また同年6月14日には副都心線が開業し、表参道・原宿エリアから池袋、森林公園、飯能エリアまで一本で行けるようになった。

クリスマス電飾
年末年始に表参道の沿道、明治神宮入口から青山通りまで約1kmのケヤキ並木を電飾するイベントが1991年(平成3年)に開始された。これは地元の商店振興組合「原宿シャンゼリゼ会」[† 7]が主催したものであったが、見物客による交通渋滞や歩道の混雑、ゴミが散乱するなどの諸問題のため1998年(平成10年)で中止となった。

その後は同会の主催で、2001年(平成13年)年末に『光のオブジェ』、2006年(平成18年)年末には和のテイストを入れた灯りの塔60基を歩道に設置する『表参道akarium (アカリウム) 』[† 8]という、派手さを抑えた代替イベントが単発で行われた。

2009年(平成21年)年末からケヤキ並木への本格的な電飾が復活、同年には『表参道 H.I.S.イルミネーション ベルシンフォニー』[† 9]、翌年には『表参道イルミネーション2010』の名称で実施された[† 10]。

主催する表参道欅会はこのイベントを初めて開催するにあたり、先行して1986年(昭和61年)からケヤキ並木への電飾イベントを実施していた「SENDAI光のページェント」(宮城県仙台市)を視察し、以後交流を続けてきたという[13]。2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波によって、仙台港の倉庫で保管されていたページェントの電飾用LED電球が全損すると、表参道はLED電球6万個を貸し出して同市でのイベント開催を支援した[13]。

表参道 イルミネーション(2010年12月)
表参道 イルミネーション(2010年12月)

表参道akarium (2006年)
表参道akarium (2006年)

イルミネーション(2010年)
イルミネーション(2010年)
表参道の延長区間

フロム・ファーストビル
表参道の入口である表参道交差点の手前、港区南青山の根津美術館方面に通じる幅員15メートルの道路(都道413号線)は、古くから「御幸通り(みゆき通り)」と称され[14]、また、青南小学校前に1975年(昭和50年)に竣工した商業ビルの名称から「フロムファースト通り」と呼ばれることもある。太平洋戦争前、御幸通りは根津美術館前を青山墓地方面に直角に曲がって終わり未整備なままとなっていたが、現在同等の幅員があり、明治神宮に参拝した天皇が直接宮城(皇居)に帰れるようにと計画され、「御幸」の名が付いたという[14]。

表参道の逆端である終点、神宮橋交差点から代々木公園の南端を抜けて渋谷区富ヶ谷方面に向かう幅員32メートルの道路は、かつての米軍施設 「ワシントンハイツ」が1964年(昭和39年)に日本に返還された後に建設された区間であるが通称は無く、こちらも都道413号線の一部となっており、代々木公園交番前交差点から先は井ノ頭通りとなっている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A8%E5%8F%82%E9%81%93_(%E5%8E%9F%E5%AE%BF)
2:777 :

2024/02/24 (Sat) 07:17:32

壺齋散人 東京を描く 水彩画と写真による東京点描
https://hix05.com/
3:777 :

2024/02/26 (Mon) 13:39:22

マックスマーラ表参道、エルメス表参道 表参道の現代建築
続壺齋閑話 (2024年2月25日 08:23)
https://blog2.hix05.com/2024/02/post-7689.html

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2022年にオープンしたマックスマーラ表参道は、マックスマーラにとって表参道地区では二つ目のものです。イタリア人建築家アンドレア・トニョンの設計です。庇構造を取り入れ、その部分を流線形にすることで、躍動感を演出しています。この躍動感があるために、実際よりもそびえたつような印象を受けます。

上の写真は斜め角度から見上げたもの。庇が各階の角の部分でそり上げっています。

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これは、庇の流線形がよく見える角度のものです。

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これは、エントランス部分。ファッションブランドらしいシックな雰囲気です。

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(エルメス表参道)

前回エルメス表参道を見た時には、かつての重厚な石垣部分が妙なものに置き換えられているのをみてがっかりしたものでした。その折は、通りを隔てた向かい側から写真をとったものでしたが、今回は間近から撮影しました。

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これは、申し訳程度に残されている石垣部分の一部です。かつてはこの石垣が通りに面して連続していたものです。

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これは、エントランス部分。縦じまにみえる文様は、竹林をイメージしたといいます。
https://blog2.hix05.com/2024/02/post-7689.html
4:777 :

2024/02/29 (Thu) 09:28:18

表参道ヒルズ、ラルフローレン表参道 表参道の現代建築
続壺齋閑話 (2024年2月29日 08:20)
https://blog2.hix05.com/2024/02/post-7697.html#more

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表参道ヒルズは、この地域ではもっとも大規模な建物で、全長が250メートルもあります。そのわりに高さが控えめなので、上から見ると地べたに横たわった竜のように見えるでしょう。

上の写真は、やや東寄りの一郭。葉を落としたケヤキの樹影を通して建物のファサードが見えます。

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これは、東側と西側との接続部分。建物自体は連続しているのですが、このように屈折させることで、変化をもたらそうとしているのでしょう。

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これは、同潤会アパートの一部を保存したもの。

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(ラルフローレン表参道)

ファッション・ブランド、ラルフローレン表参道の旗艦店です。こじんまりとまとまったデザインです。

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これは、やや斜め角度から眺めたもの。
https://blog2.hix05.com/2024/02/post-7697.html#more
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2024/03/07 (Thu) 11:03:46

ジ・アイスキューブス、ウィズ原宿 表参道の現代建築
続壺齋閑話 (2024年3月 7日 08:16)
https://blog2.hix05.com/2024/03/post-7707.html

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表参道と明治通りの交差点から明治通りを北上すると左手に奇妙な形のビルが見えます。ジ・アイスキューブ・ビルという複合施設です。名前のとおり、氷の塊を積み重ねたような形です。その氷の塊をガラスのチューブで表現しています。設計は光井純&アソシエーツ建築設計事務所、竣工は2008年です。

上の写真はやや斜め角度から見上げたもの。この写真からはよくわかりませんが、上部が氷の塊が積み重なって見えます。

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これは、正面からの眺め。オープン当時はスウェーデンのブランドH&Mが入っていましたが、いまは別のブランドのアイコンがファサードを飾っています。

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(ウィズ原宿)

原宿駅の真ん前に大規模複合施設ウィズ原宿があります。一帯を再開発してできたもので、商業施設のほか住宅も含まれています。原宿駅前通りに面したほうが表で、裏側は竹下通りにつながっています。設計は伊東豊雄、竣工は2020年です。

上の写真は駅前から写したもので、奥の建物がウィズ原宿です。全体が見えるようにとればよかったのですが、こんな中途半端な写真になってしまいました。

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これは、建物のエントランス部分。木の素材を利用しています。この建物の一つの売りに、パサージュ空間を取り入れていることがあります。このエントランスは、パサージュの入り口にもなっています。パサージュというのは、パリによくみられるもので、建物内部に連続した通りを取り込んだものです。
https://blog2.hix05.com/2024/03/post-7707.html



東急プラザ表参道 表参道の現代建築
続壺齋閑話 (2024年3月 5日 08:36)
https://blog2.hix05.com/2024/03/post-7705.html


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東急プラザ表参道を再訪しました。前回は、ケヤキの葉が鬱蒼と繁っていましたが、今回は葉を落としていて、建物のアウトラインがよく見えます。一方で屋上の植栽は、常緑樹ですので、冬でも青々としています。

上の写真は、交差点の一郭から眺め渡したものです。

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これは、屋上の植栽の部分に焦点をあてたもの。前面のケヤキが葉を落としているおかげで、緑の様子がよく見えます。

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これは、エントランスの部分。エスカレータがのぞき見えますが、ここはいきなりエスカレータに乗って二回のスペースに直行するように工夫されています。

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これは、交差点を挟んで斜向かいに立っている建物です。東急プラザ表参道の分館です。やはり屋上に植栽を施しています。
https://blog2.hix05.com/2024/03/post-7705.html





GYRE, The Iceberg 表参道の現代建築
続壺齋閑話 (2024年3月 3日 08:38)
https://blog2.hix05.com/2024/03/gyre-the-iceberg.html

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表参道の一郭に神宮前小学校があり、その斜め前に奇妙な形をした建物がたっています。GYRE(ジャイルと読みます)といって、複合商業施設です。ちょっと見た目にも、かなり風変わりな印象をうけます。建物の各階が、それぞれずれているように見えるのです。各階が連続していないで、断絶したものを積みあげたように見えるところから、まるで積み木のイメージそのものです。

設計はオランダを拠点とする建築家集団MVRDV。設計思想は、 SWIRLといって、回転性を持たせるというものです。具体的に言うと、従来箱型の中に整形的に埋め込まれていた各階の独立性を高めたうえに、それぞれの階に回転性を持たせることにより、流動的な雰囲気を出そうということだそうです。竣工は2007年です。

上の写真は、やや斜め角度から見上げたもの。この角度からも、各階がそれぞれ独立性を保ちながら、回転を利かせて積み上げたように見えます。

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これは正面から見上げたもの。とても統一体とは見えませんね。

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これは、横手から見たもの。各階の接線がそれぞれずれて見えます。

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(The Iceberg)

表参道と明治通りの交差点から、明治通りを渋谷方面に向かって300メートルほど歩いたところに、全面ガラス張りの奇妙な形の建物がたっています。The Icebergという名の複合商業施設です。香港の不動産会社ヴェロックスが2006年に竣工させた建物です。設計はCDI青山スタジオ。設計思想は都市のクリスタル。クリスタルのように光り輝く氷山をイメージしたといいます。

上の写真は、やや斜め角度から見上げたもの。全面を覆うガラスは、一つ一つが異なった形状をしています。

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これは、正面のエレベータ・スペースに注目したもの。

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これは、背面を眺め上げたもの。裏手の路地から見える眺めです。
https://blog2.hix05.com/2024/03/gyre-the-iceberg.html

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2024/03/11 (Mon) 17:20:03

AOビル、国連大学 表参道の現代建築
続壺齋閑話 (2024年3月10日 08:19)
https://blog2.hix05.com/2024/03/ao.html

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原宿駅から表参道を引き返して、青山通りとの交差点を右に行くと、ひときわ高いビルが見えます。AO(あお)という複合施設のビルです。高層の建物と中層の建物がセットになっています。高層の建物は、下に向かって幅が狭くなっていて、いかにも不安定に見えます。設計は日本設計。竣工は2009年。名称の「あお」は、「青山で会おう」と語呂合わせをしているのだそうです。

上の写真は、高層のほうを見上げたものです。もともと下部に向かって狭くなっているのですが、この写真では、それが誇張されて、下部がないも同然に見えます。これは実際の姿ではなく、カメラのいたずらです。

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これは、エントランスの部分。高層部分と中層部分とのつなぎ目にあります。

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(国連大学)

AOの少し先に、国連大学の建物があります。国連大学は、1973年に国際条約に基づいて設立された自治機関で、地球規模課題の解決についての共同研究、教育、情報の普及、政策提言を目的とする機関です。大学の名はついていますが、通常の大学とは異なります。日本に本部を置き、世界中に展開しています。

現在の建物は、かつての都電の車庫跡地に建設されたもの。設計は丹下健三、竣工は1992年です。丹下らしく重厚な印象の建物です。上の写真は、ほぼ正面から見上げたもの。

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これは、斜め角度から見渡したもの。

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これはエントランス部分です。

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