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鴨 長明 かも の ちょうめい (1155年 - 1216年7月26日)

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2024/01/30 (Tue) 18:46:01

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鴨 長明 かも の ちょうめい (京都 1155年 - 1216年7月26日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%A8%E9%95%B7%E6%98%8E


鴨 長明 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%B4%A8+%E9%95%B7%E6%98%8E+


鴨 長明は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての日本の歌人・随筆家。

代表作『方丈記』の方丈とは、晩年暮らした庵を指す。日野には庵跡とされる地や方丈石がある。また下鴨神社摂社の河合神社には、方丈の庵が復元されている。


著作
方丈記
無名抄
発心集
鴨長明集 - 自選の和歌集。
伊勢記 - 散佚した旅行記。現在は抄本が出版されている。


方丈記 ほうじょうき (1212年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E4%B8%88%E8%A8%98

方丈記 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%96%B9%E4%B8%88%E8%A8%98+


『方丈記』は、賀茂県主氏出身の鴨長明による鎌倉時代の随筆。日本中世文学の代表的な随筆とされ、『徒然草』兼好法師、『枕草子』清少納言とならぶ「古典日本三大随筆」に数えられる。

晩年に長明は、京の郊外・日野(日野岳とも表記、京都市伏見区日野山)に一丈四方(方丈)の小庵をむすび隠棲した。庵に住みつつ当時の世間を観察し書き記した記録であることから、自ら「方丈記」と名づけた。

漢字と仮名の混ざった和漢混淆文で記述された最初の優れた文芸作品であり、詠嘆表現や対句表現を多用し、漢文の語法、歌語、仏教用語を織り交ぜる。慶滋保胤『池亭記』を手本としていることが指摘されており、かつてはこれを根拠の一として偽書説も唱えられていた。隠棲文学の祖や、無常観の文学とも言われ、乱世をいかに生きるかという自伝的な人生論ともされる。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」

の書き出しで移り行くもののはかなさを語った後、同時代の災厄についての記述が続き、後半は草庵での生活が語られる。さらに末尾では自身の草庵の生活に愛着を抱くことさえも悟りへの妨げとして否定的な見解を述べている。

『方丈記』の中で長明は、安元3年(1177年)の都の火災、治承4年(1180年)に同じく都で発生した竜巻およびその直後の福原京遷都、養和年間(1181年~1182年)の飢饉、さらに元暦2年(1185年)に都を襲った大地震(文治地震)など、自らが経験した天変地異に関する記述を書き連ねており、歴史資料としても利用されている。


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壺齋散人 方丈記を読む:現代語訳と解説
https://japanese.hix05.com/Classic/hojoki/hojoki.index.html

方丈記は鎌倉時代初期に成立した随筆集で、著者は鴨長明。鴨長明は、京都下鴨神社の禰宜の家系に生まれたが、神職につくことはなく、もっぱら歌の師匠として名をなした。方丈記は鴨長明晩年の随筆集で、枕草子以来の本格的随筆集として、後年の徒然草を加えて三大随筆集と呼ばれている。

鴨長明は、晩年京都郊外日野に一丈四方の草案を結び、そこで閑居しながら世の中の動きを随筆というかたちで記した。折から平安時代から鎌倉時代への転換期における激動の時代であり、戦のほかに天変地異も重なって、世の中は混乱の極みにあった。鴨長明は、仏教的な世界観からそうした世の中の動きを眺めた。したがって、その見方は平家物語に通じるような無常感に満ちている。

方丈記に記された時代の出来事としては、安元の大火(1177年)、治承の竜巻(1180年)、福原遷都(1180年)、養和の飢饉(1181-82年)、元暦の地震(1185年)などがある。この時代に起きた源平合戦の様子については、詳しく言及されていない。おそらく京都が戦場になることがほとんどなかっためであろう。

最終的な成立時期は、建暦二年(1212年)。その四年後に鴨長明は死んでいるから、かれにとっては絶筆というべき著作である。ここではそんな鴨長明の方丈記について、全文を現代語訳しながら、簡単な解説を加えてみた。

方丈記(一):ゆく河の流れは絶えずして
方丈記(二):去安元三年四月廿八日かとよ
方丈記(三):又治承四年卯月の頃
方丈記(四):治承四年水無月の頃、にはかに都遷り侍りき
方丈記(五):二年が間、世中飢渇して
方丈記(六):いとあはれなる事も侍りき
方丈記(七):大地震振ること侍りき
方丈記(八):すべて世中のありにくゝ
方丈記(九):すべてあられぬ世を念じ過ぐしつゝ
方丈記(十):六十の露消えがたに及びて
方丈記(十一):その所のさまをいはゞ
方丈記(十二):ふもとに一つの柴の庵あり
方丈記(十三):假の庵もやゝふるさととなりて
方丈記(十四):たゞわが身一つにとりて
方丈記(十五):三界は只心一つなり
方丈記(十六):一期の月かげ傾きて


無名抄 むみょうしょう (鎌倉時代)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E5%90%8D%E6%8A%84

『無名抄』は、鴨長明による鎌倉時代の歌論書(和歌に関する理論および評論の書)。正確な成立年は不詳であるが、建暦元年(1211年)10月以降、鴨長明没の1216年までに成立したと考えられている。別名『長明無名抄』『無名密抄』など。約80段からなる。全1巻。6種類以上の諸本が存在するが、その違いは後の人による付加部分の違いに由来する。

歌論としては、幽玄論、題詠論、本歌取りなどの技術論などを記述している。そのほかにも、先人の逸話や同時代の歌人に対する論評など多岐にわたる内容を持ち、随筆風な記述である。後に醒睡笑などに取り入られた逸話を含んでいる。



発心集 ほっしんしゅう (鎌倉初期)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BA%E5%BF%83%E9%9B%86


発心集 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%99%BA%E5%BF%83%E9%9B%86

『発心集』は、鎌倉初期の仏教説話集。『方丈記』の作者として知られる鴨長明(1155-1216年)晩年の編著。建保4年(1216年)以前の成立。『長明発心集』とも。仏の道を求めた隠遁者の説話集で、『閑居友』、『撰集抄』などの説話集のみならず、『太平記』や『徒然草』にまで影響を及ぼし、説話の本性というべきものを後世に伝えている。

天竺・震旦よりは本朝に重心を置き、発心譚・遁世譚・極楽往生譚・仏教霊験談・高僧伝など、仏教関係の説話を集録。仏伝からの引用が多い。長明自身を含む隠遁者(西行が有名)が登場人物の主体をなす。盛名を良しとせず隠遁の道を選んだ高僧(冒頭の玄賓僧都の話など)をはじめ、心に迷いを生じたため往生し損なった聖、反対に俗世にありながら芸道に打ち込んで無我の境地に辿り着いた人々の生き方をまざまざと描き、編者の感想を加えている。人間の心の葛藤、意識の深層を透視したことで、従来の仏教説話集にはない新鮮さがある。

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