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菅原孝標女 すがわらの たかすえの むすめ (千葉県市原市 1008年 - 1059年)
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777
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2024/01/29 (Mon) 18:33:43
日本の文学
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菅原孝標女 すがわらの たかすえの むすめ (千葉県市原市 1008年 - 1059年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E5%AD%9D%E6%A8%99%E5%A5%B3
菅原孝標女 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%8F%85%E5%8E%9F%E5%AD%9D%E6%A8%99%E5%A5%B3+
菅原孝標女は、平安時代の貴族の女性。本名は伝わっていない。
10歳頃から50歳頃までの人生を回想した『更級日記』の作者。
父は菅原道真の玄孫で上総国・常陸国の受領を務めた菅原孝標。母は藤原倫寧の娘。母の異母姉(伯母)は『蜻蛉日記』の作者である藤原道綱母。
彼女は寛弘5年(1008年)に出生。寛仁4年(1020年)、上総国における父の上総介としての任期が終了したので一家で帰国(上京)し、3ヶ月ほどの旅程を経てようやく京へと入った。帰国するころ彼女は13歳で、『更級日記』は上総国に居る頃から始まっている。
当時、物語に対する熱が冷めず、翌年に上京した伯母から『源氏物語』五十余巻などを貰い、昼夜を問わず読み耽った。夢に僧が出てきて(女人成仏が説かれている)「法華経・第五巻を早く習え」と言うが、心にも掛けず物語を読みふけったことを、後年『更級日記』の中で、「まづ いとはかなく あさまし」と批評している。万寿元年(1024年)には姉が二女を残して亡くなり、なお物語に耽読した。しかし、この頃から「信心せよ」との啓示を夢に見るようになる。
祐子内親王に仕え、長久元年(1040年)頃、橘俊通と結婚。寛徳2年(1045年)に一男(仲俊)と二女をもうけたが、俊通は康平元年(1058年)に死去し、子供達も独立して彼女は孤独になった。このあたりで『更級日記』は終わっている。
作品
更級日記
夜半の寝覚?
浜松中納言物語?
歌人としては、勅撰和歌集に14首はいっている。
更級日記 さらしなにっき (平安時代中期)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B4%E7%B4%9A%E6%97%A5%E8%A8%98
更級日記 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%9B%B4%E7%B4%9A%E6%97%A5%E8%A8%98
更級日記 現代語訳・朗読つき 全篇徹底解読
https://koten.kaisetsuvoice.com/SarashinaNikki/
更級日記 全文・あらすじ・目次 - 古典の改め
https://classicstudies.jimdofree.com/%E6%9B%B4%E7%B4%9A%E6%97%A5%E8%A8%98/%E5%85%A8%E6%96%87/
更級日記 現代語訳
https://bonjin-ultra.com/sarasina.htm
『更級日記』は、平安時代中期頃に書かれた回想録。作者は菅原道真の5世孫にあたる菅原孝標の次女・菅原孝標女。母の異母姉は『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母である。夫の死を悲しんで書いたといわれている。
作者13歳(数え年)の寛仁4年(1020年)から、52歳頃の康平2年(1059年)までの約40年間が綴られている。全1巻。
『蜻蛉日記』『紫式部日記』などと並ぶ平安女流日記文学の代表作の一に数えられる。江戸時代には広く流通して読まれた。
東国・上総の国府(市原郡、(現在の千葉県市原市)にあったと考えられている)に任官していた父・菅原孝標の任期が終了したことにより、寛仁4年(1020年)9月に上総から京の都(現在の京都市)へ帰国(上京)するところから起筆する。
『源氏物語』を読みふけり、物語世界に憧憬しながら過ごした少女時代、度重なる身内の死去によって見た厳しい現実、祐子内親王家への出仕、30代での橘俊通との結婚と仲俊らの出産、夫の単身赴任そして康平元年秋の夫の病死などを経て、子供たちが巣立った後の孤独の中で次第に深まった仏教傾倒までが平明な文体で描かれている。執筆形態としてはまとめて書いたのだろうと言われている。
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