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万葉集 (奈良時代末期)

1:777 :

2024/01/25 (Thu) 21:27:41

日本の文学
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万葉集 (奈良時代末期)
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万葉集 arigatodaisuki - YouTube
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万葉集 全体構造 - 古典の改め
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訓読万葉集 ―鹿持雅澄『萬葉集古義』による―
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たのしい万葉集: 巻ごと(巻1~20)
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万葉集入門
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現存する日本最古の和歌集「万葉集」の解説サイトです。
分かりやすい口語訳の解説に歌枕や歌碑などの写真なども添えて、初心者の方はもちろん多くの万葉集愛好家の方に楽しんでいただきたく思います。

万葉集の成立(編者:大伴家持)
巻1~~巻16  天平16年(744)以前?
巻17~~巻20 天平16年(744)以後?


万葉集入門:万葉集全歌一覧巻一~巻四
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万葉集入門:万葉集全歌一覧巻五~巻八
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讃岐屋一蔵の古典翻訳ブログ
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万葉集巻一
万葉集巻二
万葉集巻三
万葉集巻四
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万葉集巻六
万葉集巻七
万葉集巻八
万葉集巻九
万葉集巻十一
万葉集巻十
万葉集巻十二
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万葉集巻十四
万葉集巻十五
万葉集巻十六
万葉集巻十七
万葉集巻十八
万葉集巻十九
万葉集巻二十



「万葉集」(まんようしゅう)は、奈良時代末期に成立したとみられる日本に現存する最古の和歌集である。


万葉集の和歌はすべて漢字で書かれている(万葉仮名を含む)。

天皇、貴族から下級官人、防人(防人の歌)、大道芸人、農民、東国民謡(東歌)など、さまざまな身分の人々が詠んだ歌が収められており、作者不詳の和歌も2100首以上ある。7世紀前半から759年(天平宝字3年)までの約130年間の歌が収録されており、成立は759年から780年(宝亀11年)ごろにかけてとみられ、編纂には大伴家持が何らかの形で関わったとされる。


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柿本 人麻呂 かきのもと の ひとまろ (島根県 660年 - 724年 3月18日)
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柿本人麻呂が書いた万葉集 | 万葉集ナビ
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柿本人麻呂歌集の一覧 | 万葉集ナビ
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柿本人麻呂 - YouTube
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2:777 :

2024/01/25 (Thu) 21:30:25

壺齋散人 万葉集を読む
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万葉の世紀(万葉集と大伴家持)
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王朝の周辺
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万葉集巻一、巻二は各天皇の御世ごとに編年体の形式をとって、それぞれの時代を代表する歌を納めている。巻一には雄略天皇、巻二には仁徳天皇の歌とされるものが冒頭を飾っているが、実質的にカバーしているのは、天智天皇から聖武天皇までの時代、約百年間である。

われわれ現代人は、万葉集の巻一、巻二を読むことを通じて、古代史の一端に触れることができる。

万葉の時代は、大化の改新を経て、日本の歴史上王権の権威がもっとも高かった時代である。だがその王権は常に平和裏に継承されたのではなかった。王権を巡ってはさまざまな戦いがあり、それぞれの戦いを生き残ったものが、天皇の権威を手にすることができた。壬申の乱はそのもっとも象徴的な出来事であった。

ここでは、天智天皇から天武・持統両天皇への権力の継承、権力闘争の影で消えていかざるを得なかった悲劇の皇子たち、そして王朝の周辺にあって万葉の世界を彩ったさまざまな人々を取り上げてみたい。


斉明女帝の歌:万葉ぶりの始め
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天智天皇:万葉集を読む
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天武・持統両天皇(万葉集を読む)
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額田王:恋の歌 
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悲劇の皇子たち:有間皇子と大津皇子
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志貴皇子(万葉集を読む)
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柿本人麻呂
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山部赤人
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山上憶良
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大伴旅人
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大伴家持
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万葉の女流歌人
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下級官人の歌
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万葉の庶民の歌
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四季の歌
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恋の歌
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万葉集拾遺
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3:777 :

2024/01/26 (Fri) 16:02:58

aaああ
4:777 :

2024/01/28 (Sun) 08:30:48

梅原猛氏は、『水底の歌』の中で、「雲は、古代人にとって、死霊の行末であった。死霊が雲になり、雨になるのである」と指摘している。

たとえば、『万葉集』巻二に、 「柿本朝臣人麿の死(みまか)りし時、妻依羅娘子(よさみのをとめ)の作る歌二首」がある。

今日今日(けふけふ)とわが待つ君は石川の貝に交(まじ)りてありといはずやも(224)

直(ただ)の逢ひは逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲(しの)はむ(225)

諸説あるらしいが、梅原氏の解釈では、この二首は以下のような状況で歌われている。

人麿は死んだ。妻は人麿の死を聞いて現場へかけつける。それが、石川のほとりである。女は、その河の河口まできた。夫に逢いたい、せめて、その屍(しかばね)なりと見たいと女はいう。しかし、その屍は河口近くの海に沈んで、どこにあるのか分からない。そして女が詠んだのが、最初の歌である。

女はここに来たけれど、夫の死骸すら見ることができない。「直の逢ひ」とは、せめて死体なりとも逢いたいという願い、すなわち直接の邂逅(かいこう)をいう。しかし夫の死体は(海底の貝に交じって)、どこへ行ったのか分からない。それで女は叫ぶのだ――せめて石川にいっぱい雲が立ちこめておくれ、その雲を見て夫を偲ぼうと。

《雲が、古代日本人にとって、死人の魂の行方を示すものであることは、依羅娘子(よさみのをとめ)の二首目の歌によっても分かる。夫が沈んだという石川の河口までたずねて行って、妻は歌う。

「せめて雲よ、死んだ人の霊の行方だという雲よ、どうかいっぱい石川に立ちこめて、せめて亡き夫の霊魂の存在を私に知らせておくれ」と。》

もう一つ、菊地威雄(よしお)氏の『万葉の挽歌』(2007年)を読んでいたら、「鳥は霊魂の運搬者である」という指摘があった。

たとえば『万葉集』巻二に、「大后(おほきさき)の御歌一首」(153)がある。

鯨魚(いさな)取り 淡海(あふみ)の海を 沖放(さ)けて 漕(こ)ぎ来る船 辺(へ)付きて 漕ぎ来る船 沖つ櫂(かい) いたくな撥(は)ねそ 辺(へ)つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 夫(つま)の 思ふ鳥立つ

(近江の海の沖べを漕いでくる舟よ。岸辺について漕いでくる舟よ。沖の櫂もひどく水を撥ねはいでおくれ。岸辺の櫂もひどく水を撥ねないでおくれ。若草のようにいとしい夫が愛していた鳥が、驚いて飛び立ってしまうではないか。)

この歌について、菊地氏は、こういうことを言っている。

《水面を「いたくな撥ねそ」と歌うのは、水音に驚いて若草の夫の「思ふ鳥」が飛び去ってしまうからである。鳥が霊魂の象徴であることを示す伝承は、魂が白鳥になって天がける倭建命(やまとたけるのみこと)の物語をはじめ数多い。鳥は霊魂を運ぶ器でもあった。》

《天智天皇が生前愛していた水鳥が飛び去ってしまうことは、天皇の霊魂が天がけることである。湖上に浮かぶ鳥は倭姫にとっては天皇を偲ぶ唯一のよすがであった。》

ちなみに、船もまた霊魂を運ぶと考えられていたらしい。
http://h.hatena.ne.jp/matsuiism/228172354017557204
5:777 :

2024/01/29 (Mon) 10:11:32

ああつ
6:777 :

2024/01/31 (Wed) 13:52:51

aaああ

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