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2024/01/25 (Thu) 20:29:45
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日本の文学
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ホツマツタヱ
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ホツマツタヱ - YouTube
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ヲシテ - Wikipedia
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神代文字
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ヲシテ文献 - Wikipedia
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『ホツマツタヱ』は、「ヲシテ」なる「文字」(いわゆる「神代文字」の一つである)を使っているいわゆる「ヲシテ文献」のひとつ。『古事記』『日本書紀』の原書であると根強く考える者も一部に存在する。
五七調の長歌体で記され、全40アヤ(章)・10700行余で構成された、肯定派の研究者によれば記紀の「原書」であるという、いわゆる「古史古伝」のひとつである。
その成立時期は、記紀との内容比較から『古事記』『日本書紀』よりも古いという主張もあるが、写本の出現時期などからは少なく見積もった場合、江戸時代中期までしか遡れない。
『春日山紀』(安永8年、1779)の存在による(『春日山紀』は、江戸時代当時の木版活版での印刷出版物である。岩波書店版『国書総目録』に記載あり)。
『ホツマツタヱ』の成立時期は不詳であるが、安永8年版と安永9年版の二種類の版本が『春日山紀』にある。『春日山紀』には、『ホツマツタヱ』の40アヤの各所からの引用文がヲシテ文字の原文で縦横に掲載されている。
文献全体の包括的な史料批判は、池田満によって『定本ホツマツタヱ』(展望社)が上梓されて、『古事記』『日本書紀』との原文の内容比較がなされている。また、『日本書紀』『古事記』との、内容比較においてどう判断してゆくかは、『ホツマツタヱを読み解く』(池田満、展望社)によって公表されている。また、『ホツマツタヱ』などの内容についての総合的な解説は『ホツマ辞典』(池田満、展望社)によって、年表や、系図も付録されて詳しく公表されている。
池田満 - Wikipedia
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『ホツマツタヱ』には、複数の写本が現存している。幾つかの写本では「ホツマツタへ」「ホツマツタエ」とも、また漢訳されて「秀真伝」「秀真政伝紀」とも表記されている。『ホツマツタヱ』と同様の文字による古文書である『ミカサフミ』(「三笠紀」)『フトマニ』(「太占」)も発見されている。この3書に使われている文字は同一で、文書の中では「ヲシテ」と呼ばれている。
更に『よみがえる日本語-ことばのみなもと「ヲシテ」』(池田 満・青木 純雄・平岡 憲人 明治書院)や『よみがえる日本語II-助詞のみなもと「ヲシテ」』(池田 満・青木 純雄・斯波 克幸)の出版を受けて、さらにその勢いは増しつつある。
諸写本の微妙な文字の違いの校異の表記、『古事記』『日本書紀』と『ホツマツタヱ』の3書比較、『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』『カクのフミ(フトマニなど)』の総合的な研究とその本来のあるべき姿への復権が進められつつある(参考図書を参照のこと)。
ホツマツタヱの文字と類似文献
ヲシテ(ホツマ文字)は1音1字の文字である。母音要素(母態)と子音要素(父相)の組み合わせで成り立っている。48文字の基本文字があり、変体文字を含めると197文字が確認されている。
同時代のヲシテ(ホツマ文字)で書かれた文献には、伊勢神宮初代の神臣(クニナツ)オオカシマ命が記した『ミカサフミ』、アマテルカミ(記紀にいう、天照大神)が編纂して占いに用いたと伝えられている『フトマニ』などが発見されている。類似文献について詳しくは、『ヲシテ文献』を参照のこと。
ホツマツタヱの内容
『ホツマツタヱ』は、アメツチの始まり(天地開闢)から、カミヨ(記紀にいう神代)、そして初代人皇のカンヤマトイハワレヒコ(神武天皇)を経て人皇12代のヲシロワケ(景行天皇)の56年までを記述している。
1アヤから28アヤまでが前編で「クシミカタマ」の編集、29アヤから40アヤは後編で「オホタタネコ」(大田田根子)の編著による。
皇室の祖先が8代アマカミのアマテルカミ(天照大神)や初代アマカミのクニトコタチまで遡る。
『ホツマツタヱ』では、上記の歴史の他、ワカウタ(和歌)の成立、アワ歌という48音の基本音を表すウタおよび「縄文哲学」の詳しい記述、皇室の成立と歴史、結婚の法、イミナの意味、ミソキの方法、正しい食事の法、マクラ言葉(枕詞)の意味、刑罰の法、国の乱れの原因、国の意味、統治理念、ヲシテという文字のなりたち、ミクサタカラ(三種の神器)(タマ・カカミ・ツルキ)の成立と意味、トノヲシテと呼ばれる当時の憲法、国号の変遷、乗馬の法、各地の馬の品種、トリヰ(鳥居)の意味、自然神の祭祀、大宇宙とヒトの関係、暦の法、ヤマトウチ(神武東遷)の背景、天皇即位の儀式の変遷、ツツウタの意味、葬儀の法などが述べられている。
また、歴代の天皇のイミナ(実名)と陵墓、伊勢神宮他主要な神社の創建のいわれ、ヤマトコトハ(大和言葉)の語源なども述べられている。
真書であれば、日本の国の創建と古代日本の文明を明らかにする書物ということになるが、その根拠は乏しい。
真書としての根拠の提示に、池田満は、『定本ホツマツタヱ』(松本善之助 監修、池田満 著、展望社)、および、『ホツマツタヱを読み解く』(池田満 著、展望社)、『ホツマ辞典』(池田満、展望社)などを出版して世に問うている。
「縄文哲学」の言葉は、池田満の命名による。また大田田根子命は崇神天皇と同世代の人物であり、景行天皇までの歴史を編纂したという内容には矛盾がある。
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2024/01/25 (Thu) 20:32:20
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大神神社の初代神主のオオタタネコのミコトが記したとされる『ホツマツタヱ』
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縄文ホツマツタヱの旅【CGSいときょう】 - YouTube
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もぎせかチャンネル いときょう先生のホツマを学ぶ - YouTube
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『古事記』との決定的な違い/ほつまの世界02
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文字の謎、君が代の本歌/ほつまの世界03
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古事記・日本書紀の謎に答える!/ほつまの世界04
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神代七代からアマテルまで/いときょう先生にホツマを学ぶ02
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天孫降臨から神武東征まで/いときょう先生にホツマを学ぶ03
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欠史八代〜崇神天皇/いときょう先生にホツマを学ぶ04
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縄文ホツマツタヱの旅【CGSいときょう】 - YouTube
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2024/01/25 (Thu) 20:53:21
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日本の古代歴史書まとめ
古事記 (712年)
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日本書紀(720年)
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先代旧事本紀 (807年 - 868年)
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斎部 広成 いんべ の ひろなり(京都 平安時代初期) 古語拾遺(807年)
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大神神社のオオタタネコのミコトが記したとされる『ホツマツタヱ』
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2021年02月06日
関根淳『六国史以前 日本書紀への道のり』
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歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2020年6月に刊行されました。本書はまず、古代には『日本書紀』と『古事記』以外にも少なからぬ史書があるのに、膨大な研究蓄積のある『日本書紀』と『古事記』の影響が現代ではあまりにも大きくなっているので相対化する必要がある、と指摘します。『日本書紀』は古代から、『古事記』は江戸時代以来の膨大な研究があります。現代ではあまりにも両書その上で本書は、六国史以前の史書として、帝紀・旧辞と天皇記・国記と『上宮記』と『古事記』を取り上げます。
帝紀は大王(天皇)家の血縁関係を記した系譜を中心に関連する出来事を記したもの、旧辞はそれ以外の昔の物語、との理解が一般的です。後の大王家を中心とする各地の豪族は祖先伝承を受け継ぐことで支配の歴史を継承し、古墳の造営と祭祀の継続が地域単位でまとまっていた政治社会を維持する舞台装置でした。被葬者(王)の地位(王位)の継承順や妻子などに関する情報が伝承され、これが帝紀の原資料になっていった、と本書は指摘します。当初は口承だった系譜が文字に変化したことは大きな変化なので、その背景に社会発展があったはずだ、と本書は指摘し、帝紀・旧辞の成立は欽明朝とする津田左右吉説を、古代の系譜が血統継承を意味するとは限らない、などといった近年の研究成果に基づいて検証します。
本書は、諸史料に断片的に見える記事から、帝紀は1~2巻程度で、大王に限らず王族や豪族も作成・所有していた、と推測します。本書は、帝紀成立を欽明朝とする津田説には明確な根拠がなく、稲荷山古墳出土鉄剣銘から、雄略朝期の中央王権に文字化された帝紀が存在した、と推測します。本書はその背景として、対宋外交による漢文運用浸透を挙げます。ただ、当時の帝紀には年月日を伴うものではなかった、とも本書は指摘します。
旧辞に関しては、帝紀との区別の難しさが以前より指摘されています。帝紀は旧辞の一部と考えるべきかもしれない、というわけです。本書は、旧辞の「旧(むかし)」とは帝紀に対応しており、旧辞とは大王以前の神話を伝えるものだったのではないか、と指摘します。旧辞の古い在り様を伝えているのは大嘗祭で、出雲以東と美濃以西の語部が参加する服属儀礼になっており、その地方と中央の交流が、旧辞の類似性と多様性をもたらした、と本書は指摘します。本書は旧辞が文字化され帝紀に接続された時期を推古朝と推測します。
推古朝に編纂されたと伝わる天皇記と国記に関して、天皇記は当時「帝紀」だった、と本書は推測します。ただ、それ以前に成立した帝紀と区別して、本書では天皇記と呼ばれています。天皇記の内容について本書は、『日本書紀』につながる系譜と神話は一応完成していた、と推測しています。天皇記は乙巳変で焼失したのに対して、国記は取り出されます。本書は、天皇記が蘇我氏の帝紀だったので乙巳の変後の新政権により抹殺された、と指摘します。国記は編年体の史書ではなく、氏族系譜と推測され、戸籍的な要素も指摘されています。天皇記と国記の編纂の背景としては、隋の出現や新羅との戦いなど対外情勢の緊張と、新興勢力の蘇我氏の自己正当化・権威確立があった、と指摘されています。
『上宮記』は、聖徳太子没後に蘇我氏に政治権力を奪われた上宮王家が勢力挽回のために編纂された、と指摘されています。『上宮記』はその表記法の古さから、7世紀前半の成立と推測されています。『上宮記』編纂の背景として、聖徳太子と推古帝没後に上宮王家と蘇我本宗家との関係が悪化したことを本書は重視します。上宮王家の賞揚には、蘇我氏を正当化する天皇記に対抗する史書が必要だった、というわけです。『上宮記』の著者は、斑鳩寺(法隆寺)の僧侶と推測されています。
『古事記』は、 10世紀前半には史書とは認識されていませんでした。本書は『古事記』の相対化を主張し、さまざまな帝紀の一つにすぎなかった、との見解を取り上げています。『古事記』と同じような内容と完成度の帝紀は他にも複数あった、というわけです。さらに本書は、『古事記』の序文は偽作だと主張します。一方本文は、蘇我氏が特別な意味を持っていると考えられることや、音韻学の成果などから、7世紀後半にはほぼ完成していた、と推測されています。本書は、古代にはさまざまな書物が朝廷や貴族の邸宅にあり、そのうち一書に後代の人間が偽作(擬作)としての序文を付し、『古事記』が成立した、と推測しています。『先代旧事本紀』もそうした経緯で成立し、古代には『古事記』以上の権威を有しました。
本書は、『日本書紀』の講書で講師を務め、 『先代旧事本紀』の権威を確立した矢田部公望こそ、『先代旧事本紀』に序文を付して権威化した人物と推測しています。本書は、『古事記』本文が蘇我氏系の帝記だった天皇記で7世紀後半に成立し、蘇我氏でも本宗家と敵対的関係にあった倉山田氏が編纂に深く関わっている、と推測します。また本書は、「古事記」とはそもそも普通名詞で、現在伝わる『古事記』いがいに複数の「古事記」があった、と推測します。本書は、9世紀前半に『日本書紀』講書の講師を務めた多人長が、参考書として『古事記』採用し、序文を付けたのだろう、と推測しています。『古事記』はあくまでも『日本書紀』解読のために取り上げられただけで、特別な意味を有するようになったのは江戸時代の本居宣長以降というわけです。したただ本書は、序文偽作としても『古事記』の価値は変わらない、と指摘します。
本書も認めるように、以上の見解は憶測に憶測を重ねたところが多分にあります。しかし、古代には『日本書紀』と『古事記』以外にも多くの史書があったことと、『古事記』の価値・権威が現在(というか本居宣長以降)よりもずっと低かったことは間違いないでしょうし、本書の見解は全体的に魅力的だと思います。本書が指摘するように、『古事記』序文が後世の偽作である可能性は高いと思いますが、この問題も含めて、本書の見解は今後も議論されていくでしょう。そうした動向も、できるだけ追いかけていきたいものです。
https://sicambre.at.webry.info/202102/article_6.html
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2024/01/27 (Sat) 09:35:18
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