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聖徳太子 しょうとくたいし (奈良県 574年2月7日 - 622年4月8日)

1:777 :

2024/01/24 (Wed) 20:24:10

日本の文学
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聖徳太子 しょうとくたいし (奈良県 574年2月7日 - 622年4月8日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90


聖徳太子シンポジウム─聖徳太子信仰と伝承─(パネルディスカッション) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=GhIpUK_y6Dk

聖徳太子没後1400年フィナーレイベント (基調講演 2月19日) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=iApR0B9V8mQ

聖徳太子 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90


聖徳太子は、飛鳥時代の皇族・政治家。用明天皇の第二皇子で、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女。

「聖徳太子」は後世の尊称ないし諡号。

叔母の推古天皇の下、蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど中国大陸を当時統治していた隋から進んだ文化や制度をとりいれて、冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った。このほか仏教を厚く信仰して興隆に努めた。


604年 聖徳太子(厩戸皇子) 「十七条憲法」 衆議主義の政治思想
615年頃 聖徳太子(厩戸皇子) 『三経義疏』 日本最古の仏典解注釈書
620年頃 蘇我馬子、聖徳太子 『天皇記』『国記』 日本最古の史書


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十七条憲法
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%83%E6%9D%A1%E6%86%B2%E6%B3%95

十七条憲法 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%8D%81%E4%B8%83%E6%9D%A1%E6%86%B2%E6%B3%95

十七条憲法(原文・現代語訳・解説・英訳)
http://www10.plala.or.jp/elf_/kenpou/2-1.html


十七条憲法とは、推古天皇12年(西暦604年)5月6日に皇太子である聖徳太子が制定した全17条からなる日本最初の成文法。『日本書紀』には、同年4月3日(旧暦)の項に「皇太子親(みずか)ら肇(はじ)めて憲法十七条憲法を作りたもう」と、太子自らが起草したことが記述されている。(聖徳太子31歳の時。)

憲法の名を冠しているが、政府と国民の関係を規律する後年の近代憲法とは異なり、その内容は官僚や貴族に対する道徳的な規範が示されており、行政法としての性格が強い。思想的には儒教[注釈 1]を中心とし、仏教[注釈 2]や法家[注釈 3]の要素も織り交ぜられている。



「和」の思想の源流 --- 十七条憲法以前の和の思想 ---
佐倉 哲
https://www.j-world.com/usr/sakura/japan/origin_of_wa.html

聖徳太子の時代から現在に至るまで、日本において「和の原理」とか「和の思想」とか呼ばれているものが根強く生き続けてきた事実に、わたしはいつも驚きを感じざるを得ない。しかも、例えば、中国大陸における儒教思想や西欧におけるキリスト教思想が、無数の著作や教育機関や宗教施設や国家権力を通して、計画的に意図的に、またときには生命をかけて情熱的に伝えられてきた事情と比べて、日本における和の思想は、きわめて対照的に、学派も生まず、著作もほとんどなく、誰も意図せず、ほとんど以心伝心的に大衆の中で伝えられてきた。このようなものが、たとえば聖徳太子のような個人の思想やある宗教の影響による結果であるはずがない。もっとなにか日本人にとって根元的なものでなければならないはずだ。わたしはそう思うようになった。本論文は、それを求めて、「十七条憲法以前の和の思想」にさかのぼろうとする、ささやかな試みである。


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三経義疏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%B5%8C%E7%BE%A9%E7%96%8F


こーぼーくん【哲学系】 三経義疏 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PL-tDklNSUFrixnTVxbdLRz604abgc_z-3

三経義疏 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%89%E7%B5%8C%E7%BE%A9%E7%96%8F


壺齋散人 勝鬘経を読む
https://japanese.hix05.com/buddhism3/shoman01.html


『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)は、聖徳太子によって著されたとされる『法華義疏』(伝 推古天皇23年(615年))・『勝鬘経義疏』(伝 推古天皇19年(611年))『維摩経義疏』(伝 推古天皇21年(613年))の総称である。それぞれ『法華経』『勝鬘経』『維摩経』の三経の注釈書(義疏、注疏)である。

『日本書紀』に推古天皇14年(606年)聖徳太子が『勝鬘経』と『法華経』を講じたという記事があることもあり[1]、いずれも聖徳太子の著したものと信じられてきた。『法華義疏』のみ聖徳太子真筆の草稿とされるものが残存しているが、『勝鬘経義疏』と『維摩経義疏』に関しては後の時代の写本のみ伝えられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%B5%8C%E7%BE%A9%E7%96%8F
2:777 :

2024/01/25 (Thu) 18:25:10

佐倉哲エッセイ集
https://www.j-world.com/usr/sakura/index.html

佐倉哲エッセイ集 仏教について
https://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/index.html

佐倉哲 無我の思想 --- 仏教のアートマン(永遠不変の魂)否定 ---
https://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_0.html

佐倉哲 空の思想 --- ナーガールジュナの思想 ---
https://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/index.html

佐倉哲 ブッダと大川隆法
https://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/okawa.html

佐倉哲 仏教における「魂」と 「神」
https://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/soul01.html

佐倉哲 ある仏教徒の「死後の世界」観
https://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/masutani.html

法華経の教えってどんなんなんでしょうか?
https://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/bud120.html
3:777 :

2024/01/25 (Thu) 18:25:41

仏教と日本人-壺齋散人の仏教研究
https://japanese.hix05.com/Buddhism/buddhism.index.html


仏教入門:仏教と日本人-壺齋散人の仏教研究
https://japanese.hix05.com/Buddhism/nyumon.html

佐々木閑「大乗仏教」
高崎直道「唯識入門」
渡辺照宏「お経の話」
田上太秀「涅槃経を読む」
柳宗悦「南無阿弥陀仏」
柳宗悦「南阿阿弥陀仏」その二:浄土諸宗の比較


仏教の思想
https://japanese.hix05.com/buddhism2/buddhism200.index.html

智慧と慈悲<ブッダ>:仏教の思想①
仏教の現代的意義:梅原猛の仏教概論
存在の分析<アビダルマ>:仏教の思想②
ダルマの体系:倶舎論の構成
アビダルマの宗教史的位置づけ
空の論理<中観派の思想>:仏教の思想③
認識と超越<唯識>:仏教の思想④
大乗の実践哲学:上山春平

絶対の真理<天台>:仏教の思想⑤
日本天台と鎌倉仏教
法華経の構成
無限の世界観<華厳>:仏教の思想⑥
華厳経の構成
三界唯心:華厳経十地品
四種法界と円融無礙
無の探求<中国禅>:仏教の思想⑦
中国禅の特色
日本の禅
不安と欣求<中国浄土>:仏教の思想⑧
梅原猛の中国浄土論

生命の海<空海>:仏教の思想⑨
曼荼羅の世界
空海と最澄
絶望と歓喜<親鸞>:仏教の思想⑩
梅原猛の親鸞論
法然と親鸞
古仏のまねび<道元>:仏教の思想⑪
永遠のいのち:仏教の思想⑫
梅原猛の日蓮論
日蓮の思想と行動


論の解説:仏教研究
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廻諍論を読む
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廻諍論を読むその二:アビダルマ批判
https://japanese.hix05.com/Buddhism/buddhism38.ejoron2.html

明らかなことば:中論への月称の注釈
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知恵のともしび:中論への静弁の注釈
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中論を読む:仏教研究
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中辺分別論:唯識派の三性説
https://japanese.hix05.com/Buddhism/buddhism41.chuhen.html

唯識二十論
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大乗起信論を読む
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仏教経典の研究:お経を読む
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金剛般若経を読む
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八千頌般若経を読む
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般若心経を読む
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維摩経を読む
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宝積経迦葉品を読む
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中道の思想 : 宝積経迦葉品
https://japanese.hix05.com/Buddhism/buddhism28.chudo.html

勝鬘経を読む
https://japanese.hix05.com/buddhism3/shoman01.html

法華経を読む-仏教経典の研究
https://japanese.hix05.com/buddhism2/hokekyo.index.html

華厳経を読む
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華厳経十地品(十地経)を読む
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日蓮を読む
https://japanese.hix05.com/buddhism3/nichiren.index.html

鈴木大拙の仏教思想ー仏教と日本人
https://japanese.hix05.com/Daisetsu/daisetsu.index.html
4:777 :

2024/01/27 (Sat) 09:59:03

梅原猛の聖徳太子・法隆寺論

聖徳太子 - YouTube
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法隆寺 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA

梅原 猛 うめはら たけし(宮城県 仙台市 1925年 3月20日 - 2019年1月12日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16837060


『塔』(集英社、1976年)
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『隠された十字架 法隆寺論』(新潮社、1972年)
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『聖徳太子』(小学館、1980年 - 1985年)
https://www.amazon.co.jp/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90-%E6%96%87%E5%BA%AB%E7%89%88-%E5%85%A84%E5%B7%BB%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%A2%85%E5%8E%9F/dp/4087459640/ref=sr_1_8?keywords=%E6%A2%85%E5%8E%9F%E7%8C%9B&qid=1706239628&sr=8-8


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梅原猛 隠された十字架
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『隠された十字架』は、哲学者・梅原猛が著した評論。副題に「法隆寺論」とあるように、法隆寺に関して論じている。雑誌『すばる』(当時は季刊誌)に3回にわたって連載され、1972年(昭和47年)5月に新潮社から単行本が出版された。

法隆寺は仏法鎮護のためだけでなく、聖徳太子の怨霊を鎮魂する目的で建てられたと主張する。その大胆な仮説に説得力を持たせるため、様々な古典や史料、論考などを論拠として提示する。

梅原猛は「たたりの条件」として、

個人で神々に祀られるのは、一般に政治的敗者が多い。
且つそのとき、彼らは無罪にして殺害されたものである。
罪無くして殺害された者が、病気や天災・飢饉によって時の支配者を苦しめる。
時の権力者はその祟りを鎮め自己の政権を安泰にする為に、祟りの霊を手厚く葬る。
それとともに、祟りの神の徳を褒め讃え、良き名をその霊に追贈する。

といった公式を与え、聖徳太子がこの条件を満たしているとする。その上で、法隆寺の建造目的が聖徳太子の怨霊鎮魂のためであるとする可能性について論を展開していく。

梅原猛の法隆寺論においてもう一つ着目すべき特徴は、蘇我氏を排して政治的実権を握った藤原氏が歴史を掌ったとし、『日本書紀』の実質的な著者が藤原不比等(不比等は史人に通ずるとする)と論じている所と言える。


評価
常識や通念に捉われない大胆な仮説と、詳細な資料による長大な論証・考察は多くの学者を驚かせ、1972年に第26回毎日出版文化賞を受賞した。作家・秦恒平はそのサスペンスのようなドラマティカルな構成に「猛然文学」・「非小説」と綽名を付けた。また考古学者ではない一哲学者の論考が、かなりの専門的な歴史的・考古学的知識を有していたという点も読者を驚嘆させた。

一方で考古学・歴史学の立場からは、坂本太郎の「法隆寺怨霊寺説について」(『日本歴史』第300号)を皮切りとして、厳しい批判や反論が出されている。

謎の多い法隆寺における建造目的についての論は今日においても様々な議論が交わされており、完全な論証はそれを確実に裏付ける文献が発見されない限り、推測の域に留まるというのが目下の現状である。


目次

第一部 謎の提起

法隆寺の七不思議
私の考える法隆寺七つの謎
再建論と非再建論の対決
若草伽藍址の発見と再建の時代


第二部 解決の手掛り

第一章 なぜ法隆寺は再建されたか
常識の盲点
たたりの条件
中門の謎をめぐって
偶数の原理に秘められた意味
死の影におおわれた寺
もう一つの偶数原理―出雲大社

第二章 誰が法隆寺を建てたか
法隆寺にさす橘三千代の影
『資材帳』の語る政略と恐怖
聖化された上宮太子の謎
『日本書紀』のもう一つの潤色
藤原―中臣氏の出身
『書紀』の主張する入鹿暗殺正当化の論理
山背大兄一族全滅の三様の記述
孝徳帝一派の悲喜劇
蘇我氏滅亡と氏族制崩壊の演出者―藤原鎌足
蔭の支配と血の粛清
権力の原理の貫徹―定慧の悲劇
因果律の偽造
怖るべき怨霊のための鎮魂の寺

第三章 法隆寺再建の政治的背景
思想の運命と担い手の運命
中臣・神道と藤原・仏教の使いわけ
天武による仏教の国家管理政策
日本のハムレット
母なる寺――川原寺の建立
蘇我一門の祟り鎮めの寺――橘寺の役割
仏教の日本定着――国家的要請と私的祈願
飛鳥四大寺と国家権力
『記紀』思想の仏教的表現――薬師寺建立の意志
権力と奈良四大寺の配置
遷都に秘めた仏教支配権略奪の狙い
藤原氏による大寺の権利買収
興福寺の建設と薬師寺の移転
道慈の理想と大官大寺の移転
二つの法隆寺――飛鳥寺と元興寺
宗教政治の協力者・義淵僧正
神道政策と仏教政策の相関
伊勢の内宮・薬師寺・太上天皇をつらぬく発想
藤原氏の氏神による三笠山の略奪
土着神の抵抗を物語る二つの伝承
流竄と鎮魂の社寺


第三部 真実の開示

第一章 第一の答(『日本書紀』『続日本紀』について)
権力は歴史を偽造する
官の意志の陰にひそむ吏の証言

第二章 第二の答(『法隆寺資財帳』について)
『縁起』は寺の権力に向けた自己主張である
聖徳太子の経典購読と『書紀』の試みた合理化
斉明四年の死霊による『勝鬘経』、『法華経』の講義

第三章 法隆寺の再建年代
根強い非再建論の亡霊
浄土思想の影響を示す法隆寺様式
法隆寺の再建は和銅年間まで下る

第四章 第三の答(中門について)
中門は怨霊を封じ込めるためにある

第五章 第四の答(金堂について)
金堂の形成する世界は何か―中心を見失った研究法
謎にみちた金堂とその仏たち
薬師光背の銘は『資財帳』をもとに偽造された
三人の死霊を背負った釈迦像
奈良遷都と鎮魂寺の移転
仮説とその立証のための条件
両如来の異例の印相と帝王の服装
隠された太子一家と剣のイメージ
舎利と火焔のイメージの反復
金堂は死霊の極楽往生の場所
オイディプス的悲劇の一家

第六章 第五の答(五重塔について)
塔の舎利と四面の塑像の謎
釈迦と太子のダブルイメージ
死・復活のドラマの造型
塔は血の呪いの鎮めのために建てられた
二乗された死のイメージ
玉虫厨子と橘夫人念持仏のもつ役割
再建時の法隆寺は人の住む場所ではなかった

第七章 第六の答(夢殿について)
東院伽藍を建立した意志は何か
政略から盲信へ―藤原氏の女性たちの恐怖
夢殿は怪僧・行信の造った聖徳太子の墓である
古墳の機能を継承する寺院
フェノロサの見た救世観音の微笑
和辻哲郎の素朴な誤解
亀井勝一郎を捉えた怨霊の影
高村光太郎の直観した異様な物凄さ
和を強制された太子の相貌
背面の空洞と頭に打ちつけた光背
金堂の釈迦如来脇侍・背面の木板と平城京跡の人形
救世観音は秘められた呪いの人形である
仏師を襲った異常なる恐怖と死

第八章 第七の答(聖霊会について)
怨霊の狂乱の舞に聖霊会の本質がある
骨・少年像のダブルイメージ
御輿はしばしば復活した怨霊のひそむ柩である
祭礼は過去からのメッセージである
舞楽・蘇莫者の秘密
死霊の幽閉を完成する聖霊会
鎮魂の舞楽に見る能の起原
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%8D%81%E5%AD%97%E6%9E%B6
5:777 :

2024/01/27 (Sat) 11:08:51

【衝撃】聖徳太子に隠された謎に迫る│茂木誠 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TKYpKFxLzek

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