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イスラエル・ロビーが米国で行なっている親イスラエル教育

1:777 :

2024/01/22 (Mon) 17:27:23

伊藤貫×吉野敏明対談 イスラエルの定義と歴史から見る腐敗しきった政治と世界情勢
https://www.youtube.com/watch?v=q6s0o1P_XfY



2024.01.22XML
イスラエル・ロビーが米国で行なっている親イスラエル「教育」を批判する映画
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202401220000/

ドキュメンタリー映画『イスラエル主義』

 昨年アメリカで公開された​ドキュメンタリー映画『イスラエル主義』​が話題になっている。エリン・アクセルマンとサム・エイラーセンが監督を務めた作品で、イスラエルのパレスチナ人弾圧を正当化するためにアメリカのイスラエル・ロビーが行なっている「教育」を批判している。この映画の上映会を中止させるため、内容が「反ユダヤ主義」だと非難するキャンペーンが繰り広げられたものの、そのキャンペーンを批判する声が上がり、上映は再開されたという。

 アメリカにおいて「親イスラエル教育」を推進しているシオニスト勢力の中心に存在しているAIPAC、いわゆる「イスラエル・ロビー」はアメリカの外交政策に大きな影響力を持っていることでも知られている。

 シオニストがアメリカでロビー活動を始めたのは1939年のことで、そのために創設された団体がAZEC(米シオニスト緊急会議)。1949年にAZC(米シオニスト会議)へ改称した。

 この団体に対し、ジョン・F・ケネディ大統領とロバート・ケネディ司法長官は1963年、外国のエージェントとして登録するように強く求め、公的な立場の人びとへカネを配ることができなくなった。そこで創設されたのがAIPACだ。

 そのケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺され、副大統領から昇格したリンドン・ジョンソンは議会における親シオニスト派のリーダー格だったことからイスラエルに対する政府の圧力は消えた。なお、ロバート・ケネディは1968年6月5日に暗殺されている。

第3次中東戦争

 ロバートが殺される前年の6月にイスラエルがエジプト、シリア、ヨルダンに奇襲攻撃をかけて「第3次中東戦争」が勃発した。その直前、5月30日にイスラエルの情報機関モサドのメイール・アミート長官がアメリカを訪問している。

 戦争の最中、6月8日にアメリカ政府は情報収集船の「リバティ」を地中海の東部、イスラエルの沖へ派遣した。この時点でイスラエル軍はエジプト軍を粉砕し、モシェ・ダヤン国防相はゴラン高原の占領を決めている。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005)

 リバティがイスラエル沖に現れた午前6時、イスラエル軍は偵察機を飛ばすなどしてリバティがアメリかの艦船だということを確認したうえで午後2時5分、3機のミラージュ戦闘機でリバティへの攻撃を開始、ロケット弾やナパーム弾を発射した。ナパーム弾を使ったことから乗員を皆殺しにするつまりだったと推測されている。その後、イスラエル軍は艦船への攻撃を繰り返した。

 リバティの通信兵は寄せ集めの装置とアンテナで2時10分にアメリカ海軍の第6艦隊へ遭難信号を発信することに成功、それに気づいたイスラエル軍はジャミングで通信を妨害してきた。

 遭難信号を受信した第6艦隊の空母サラトガは訓練中で、甲板にはすぐ離陸できる4機のA1スカイホークがあったことから艦長は船首を風上に向けさせて戦闘機を離陸させている。

 艦長は艦隊の司令官に連絡、司令官は戦闘機の派遣を承認し、もう1隻の空母アメリカにもリバティを守るために戦闘機を向かわせるように命じるのだが、空母アメリカの艦長がすぐに動くことはなかった。

 リバティが攻撃されたことはジョンソン大統領へすぐに報告されのだが、ロバート・マクナマラ国防長官は第6艦隊に対して戦闘機をすぐに引き返させるようにと叫んでいる。

 その後、ホワイトハウス内でどのようなことが話し合われたかは不明だが、3時5分にリバティへ戦闘機と艦船を派遣するという至急電を打っている。この時、リバティは攻撃で大きなダメージを受け、メッセージを受信できない状況だった。

 3時16分に第6艦隊の第60任務部隊は空母サラトガと空母アメリカに対して8機をリバティ救援のためへ派遣し、攻撃者を破壊するか追い払うように命令。3時39分に艦隊司令官はホワイトハウスに対し、戦闘機は4時前後に現場へ到着すると報告、その数分後にイスラエルの魚雷艇は最後の攻撃を実行している。そして4時14分、イスラエル軍はアメリカ側に対し、アメリカの艦船を誤爆したと伝えて謝罪、アメリカ政府はその謝罪を受け入れた。アメリカの電子情報機関NSAは交信記録を大量に廃棄、隠蔽工作がすぐに始まる。その責任者に選ばれたのがアメリカ海軍太平洋艦隊の司令官だったジョン・マケイン・ジュニア、つまりジョン・マケイン3世の父親だ。

 リバティ攻撃はジョンソン政権の意向だという疑惑がある。この政権で秘密工作を統括していた「303委員会」において、1967年4月に「フロントレット615」という計画が説明されたという。リバティを潜水艦と一緒に地中海の東岸、イスラエル沖へ派遣するというもので、実際、後にリバティや潜水艦は派遣されていた。

 この計画の中に含まれる「サイアナイド作戦」はリバティを沈没させて責任をエジプト、あるいはソ連に押しつけて戦争を始めようとしたという推測がある。これが事実なら、ジョンソン政権はトンキン湾事件の再現を狙ったということになるだろう。

 リバティの近くにいたアメリカの潜水艦アンバージャックが潜望鏡を使って見ていたとする証言もある。リバティの乗組員も潜望鏡を見たとしている。ただ、記録したはずのデータは見つからない。存在していたとしても破棄されてしまっただろう。

ネオコンの台頭

 第3次中東戦争の後、アメリカではシオニストの「ネオコン」が台頭してくる。その後ろ盾になったのが「聖書根本主義者」とも呼ばれるキリスト教シオニストだ。彼らの教義によると、キリストに従う「善の軍勢」と反キリストの「悪の軍勢」が「ハルマゲドン」で最終戦争を行い、人類の歴史は幕を閉じる。その際、再臨するキリストによって自分たちは救われるのだという。ジェリー・フォルウエルなど有名なテレビ説教師の大半がこの説を信じていた。

 聖書根本主義者はアメリカ軍を「神の軍隊」だと位置づけていた。ところがベトナム戦争で勝てない。欲求不満の状態になった彼らを惹きつけたのが第3次中東戦争で圧勝したイスラエル軍だった。

 フォルウエルを政治の世界へと導いたのはエド・マクティールだ。彼はフォルウエルをロナルド・レーガン、ジェシー・ヘルムズ上院議員、そしてジョージ・W・ブッシュ政権で司法長官を務めたジョン・アシュクロフトに引き合わせている。(Ken Silverstein & Michael Scherer, "Born-Aain Zionist", Mother Jones, September/October, 2002)

 ベトナム戦争の敗北はアメリカで戦争反対の気運を高め、1972年の大統領選挙には戦争反対を明確にしていたジョージ・マクガバン上院議員が民主党の候補として選ばれた。これは民主党の支配層にとっても衝撃的な出来事で、党の内部ではヘンリー・ジャクソン上院議員を中心にして、反マクガバンのグループが出来上がる。CDM(民主党多数派連合)だ。

 ジャクソン議員のオフィスにはリチャード・パール、ポール・ウォルフォウィッツ、エリオット・エイブラムズ、ダグラス・フェイス、エイブラム・シュルスキーなど後にネオコンの中核グループを形成する人々が在籍していた。

 こうした工作もあり、マクガバンは共和党のリチャード・ニクソンに敗れる。ニクソンはアレン・ダレスに近く、平和的な人物とは言えないのだが、それでもデタント(緊張緩和)を主張する。そこで好戦派は送るのだが、その中にはネオコンも含まれていた。

 そのニクソンは1974年8月にウォーターゲート事件で失脚、副大統領だったジェラルド・フォードが昇格、この政権でネオコンは台頭してくる。デタント派がパージされ、ドナルド・ラムズフェルド、リチャード・チェイニーなどネオコンがホワイトハウスの主導権を握ったのだ。ポール・ウォルフォウィッツがCIAで反ソ連プロパガンダを行なっていたグループ「チームB」に入ったのもこの時だ。こうした人びとはロナルド・レーガン政権で要職に就く。

 チームBの活動には国防総省内のシンクタンクであるONA(ネット評価室)が協力したと言われているが、その室長だったアンドリュー・マーシャルはネオコンに戦略を提供してきた人物。ラムズフェルドはこの人物に心酔していた。またマーシャルの師と言われている人物がバーナード・ルイス。ルイスはサミュエル・ハンチントンと同じように「文明の衝突」を主張、シオニストを支持している。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)

 ラムズフェルドはマーシャルだけでなく、フリッツ・クレーマーなる人物の影響も受けていた。クレーマーはジミー・カーター政権に政府を離れたが、その自宅へ少なからぬ人が出入りしている。例えばCIAのバーノン・ウォルタース、国務長官になるアレキサンダー・ヘイグ、上院議員のヘンリー・ジャクソン、ネオコンのリチャード・パールやポール・ウォルフォウィッツ、そしてラムズフェルド。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009)

パレスチナへ向かわなかったユダヤ人

 イスラエルを「ユダヤ人の国」だと主張する人がいるが、パレスチナでイスラエルの「建国」が宣言されたのは1948年5月のことだ。この建国を実現するため、シオニストは1933年8月、ドイツのナチス政権とユダヤ系ドイツ人をパレスチナへ移住させることで合意している。「ハーバラ合意」だ。

 ナチスはユダヤ人弾圧で六芒星を利用している。六芒星は装飾的なモチーフとして使われていたようだ。ボヘミア王カール4世は1354年、プラハのユダヤ人が六芒星の赤旗を立てることを承認したというが、ユダヤ教やユダヤ人を示すシンボルとして採用されるようになったのは19世紀から。キリスト教における十字架のようなシンボルが必要だと考えたようだ。1897年の第1回シオニスト会議でシンボルとして選ばれた。

 シオニズムという語句を最初に使ったのはナータン・ビルンバウムなる人物で、1893年のこと。その3年後に『ユダヤ人国家』という本を出版したセオドール・ヘルツルが近代シオニズムの創設者とされているのだが、この人物も「旗」を欲しがっていた。「ダビデの星」がユダヤ教やユダヤ教徒の象徴になるのはその後だ。

 ドイツからパレスチナへの移住が推進されたものの、ドイツに住んでいる大半のユダヤ系住民はパレスチナへ移住したくない。ナチスの「ユダヤ人弾圧」でドイツに住めなくなっても逃げた先はオーストラリアやアメリカが中心だった。

 シオニストは1946年夏までに7万3000人以上のユダヤ人をパレスチナへ運んでいるが、パレスチナへの移住を望むユダヤ人が少なかったため、イラクに住むユダヤ人に対するテロを実行する。「反ユダヤ」感情を演出してパレスチナへ移住されたという。

 イスラエルを「建国」するためには「国民」だけでなく、「国土」も必要だが、パレスチナにはアラブ系の人が生活している。その住民を追い出すため、シオニストは1948年4月4日に「ダーレット作戦」を発動された。

 後にイスラエル軍の中核になるハガナの下、テロ組織のイルグンとスターン・ギャングは4月9日未明にデイル・ヤシン村を襲う。マシンガンの銃撃を合図に攻撃は開始され、家から出てきた住民は壁の前に立たされて銃殺された。家の中に隠れていると惨殺され、女性は殺される前にレイプされている。

 襲撃の直後に村へ入った国際赤十字のジャック・ド・レイニエールによると、254名が殺されていた。そのうち145名が女性で、35名は妊婦だ。イギリスの高等弁務官、アラン・カニンガムはパレスチナに駐留していたイギリス軍のゴードン・マクミラン司令官に殺戮を止めさせるように命じたが、拒否されている。(Alan Hart, “Zionism Volume One”, World Focus Publishing, 2005)

 この虐殺を見て多くのアラブ系住民は恐怖のために逃げ出し、約140万人いたパレスチナ人のうち5月だけで42万3000人がガザやトランスヨルダン(現在のヨルダン)へ避難、その後1年間で難民は71万から73万人に膨れ上がったと見られている。イスラエルとされた地域にとどまったパレスチナ人は11万2000人にすぎない。いわゆる「ナクバ」だ。現在、イスラエルはガザやヨルダン川西岸で同じことを行おうとしているのだろう。新国家の最大の後ろ盾になった国はエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドが住むフランスだった。国際連合は1948年12月に難民の帰還を認めた194号決議を採択したが、現在に至るまで実現されていない。

アメリカのユダヤ人

 ナチ体制から逃れたユダヤ人の多くはパレスチナではなくオーストラリアやアメリカへ逃げた。つまり、アメリカではパレスチナに思い入れのあるユダヤ人は多くなかったはずだ。実際、パレスチナを支持するユダヤ系アメリカ人の比率はアメリカ人全体における比率より高いと言われている。

 イスラエル・ロビーがユダヤ系アメリカ人の子どもに「イスラエル主義」、つまりシオニズムを叩き込んでいるのはそのためだろう。明治体制が天皇を絶対視させるカルト教育を学校で行なったことを思い出させる。その基盤が「教育勅語」だ。皇国史観は一種の優生論で、アジア蔑視を子どもたちに叩き込んだ。ヨアブ・ギャラント国防相はパレスチナ人を「獣」だと表現しているが、似ている。

 日本人の間にアジア蔑視の感情は今も残っている。中国の体制転覆を狙っているアメリカは日本に韓国や台湾と軍事同盟を結ばせたので表面的には反韓国の言動は制限されているようだが、蔑視感情は消えていない。かつてのように学校で叩き込むということはないだろうが、マスコミを通し、イメージは広げられている。
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2024/01/22 (Mon) 17:29:38

キリスト教シオニズム
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キリストの再臨とアメリカの政治
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パレスチナ問題は米英帝国主義と旧約聖書カルトが生み出した
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ハマスによるイスラエル総攻撃、その前にイスラエルがやった事
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米国の世界戦略を実現、さらにガザ沖に天然ガスを奪うこともガザで虐殺する理由
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3:777 :

2024/08/09 (Fri) 19:35:39

伊藤貫×吉野敏明対談 イスラエルの定義と歴史から見る腐敗しきった政治と世界情勢
【公式】吉野敏明の政経医チャンネル〜日本の病を治す〜 2024/08/09
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4:777 :

2024/08/24 (Sat) 14:53:32

2024.08.24XML
米軍はイスラエルを守るために空母2隻を中東へ派遣したが、イランは中露の支援
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202408240000/

 アメリカ海軍はセオドア・ルーズベルトに続いて2隻目の航空母艦エイブラハム・リンカーンを中東に配置した。イランによるイスラエルへの報復攻撃が不可避であるため、イスラエルを守り、イスラエルに報復する国や組織を攻撃する準備なのだろう。イランは現在、タイミングや攻撃方法を検討しているはずだ。

 マスード・ペゼシュキアンの大統領就任式に出席するためにイランを訪問していた暗殺されたハマスの幹部、イスマイル・ハニエを7月31日にイスラエルは暗殺した。同じ日にヒズボラの最高幹部のひとりであるフア・シュクルも殺している。イラン、ヒズボラ、ハマスは連携して報復すると推測する人が少なくない。

 一方、イスラエルはそうした報復を待っていると考えられている。ハニエやシュクルの暗殺は報復を誘発するために実行した可能性が高い。単独ではハマスに苦戦、ヒズボラと戦えば負けるイスラエルとしては、アメリカの中東における利権を危うくするような状況を作ることでアメリカ軍を引き込もうとしているとも考えられている。

 当然、イランはアメリカ軍が出てくることを想定しているはずで、ロシアや中国と対抗策を練っているだろう。イランはロシアから兵器や情報を提供されているだろう。高性能の防空システムだけでなく対艦ミサイルがロシアからイランへ渡っている可能性もあるのだが、そうした支援がどこまで広がるかが注目されている。イエメンのアンサール・アッラーがロシア製の兵器を手にすることも否定できない。そうなると、アメリカの艦隊が壊滅的な打撃を受ける状況もありえる。

 こうした状況を作ってきたイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はベンシオン・ネタニヤフの息子。ベンシオンは「修正主義シオニスト世界連合」を1925年に創設したウラジミール・ヤボチンスキーの秘書を務めていた人物だ。

 ヤボチンスキーは帝政ロシア時代のオデッサ(現在はウクライナ領)で生まれ、ウクライナでは独立運動を率いていたシモン・ペトリューラと連携している。ペトリューラは1918年から21年にかけて大統領を名乗るが、その時期に彼は3万5000人から10万人のユダヤ人を虐殺したという。(Israel Shahak, “Jewish History, Jewish Religion,” Pluto Press, 1994)

 本ブログでは何度か指摘したが、シオニズムは17世紀のイギリスで生まれたと言われている。プロテスタントの一派であるピューリタンに属していたオリバー・クロムウェルがピューリタン革命を成功させ、アイルランドやスコットランドで住民を虐殺した当時だ。その後、ピューリタンはアメリカで先住民のアメリカ・インディアンを虐殺している。

 そのクロムウェルの私設秘書だったジョン・サドラーは1649年に作成されたパンフレット『王国の権利』の中で、イギリス人はイスラエルの失われた部族のひとつであり、ユダヤ人と同族であると主張、イギリス・イスラエル主義の始まりを告げている。ここからシオニズムが始まるとも考えられているのだ。

 イスラエル構想が具体化するのは1917年にイギリスの外務大臣を務めていたアーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ出した書簡からだろう。イスラエルを建国する目的のひとつはスエズ運河の安定的な支配だったとのだろう。運河によって地中海と紅海を感染が行き来できることはイギリスの戦略上、重要だ。そのため、イギリスは先住のアラブ系住民(パレスチナ人)を弾圧する一方、ユダヤ人の入植を進めた。

 1933年にドイツではナチスが国会議事堂放火事件を利用して実権を握るが、この年の8月にシオニストはナチス政権との間でユダヤ系ドイツ人をパレスチナへ移住させることで合意した。「ハーバラ合意」だ。シオニストにとってナチスのユダヤ人虐殺は好ましいことだった。

 こうした背景を持つベンヤミン・ネタニヤフは昨年10月にガザで戦闘が始まった直後、パレスチナ人虐殺を正当化するため、「われわれの聖書(キリスト教における「旧約聖書」と重なる)」を持ち出し、「​アマレク人があなたたちにしたことを思い出しなさい​」(申命記25章17節から19節)という部分を引用している。

 「アマレク人」を家畜ともども殺し、その後に「イスラエルの民」は「天の下からアマレクの記憶を消し去る」ことを神に命じられたと旧約聖書では記述されている。

 アマレク人は歴史の上で存在が確認されていないが、この民族をイスラエルが敵視している勢力に重ねて見せた。パレスチナ人が生活していた歴史を破壊で消し去るということだろう。

 サムエル記上15章3節には「アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」ということが書かれている。これこそがガザでイスラエルによって行われていることだというのだ。

 ネタニヤフによると「われわれは光の民であり、彼らは闇の民だ」としたうえで、イザヤの預言を理解しなければならないと主張する。「われわれ」とはイスラエル人、「彼ら」とはパレスチナ人、イスラム教徒、あるいはイスラエル以外の人びとを指している。この段階でネタニヤフはパレスチナ人を皆殺しにすると宣言しているわけだ。シオニストはナチス化していると言えるだろう。

 イスラエルにはこうしたネタニヤフを批判する声もあるが、熱狂的な支持者もいる。人口の相当数はそうしたユダヤ人至上主義者だとする見方もある。彼の内閣では終末論的な発言をするカルトが過半数を占め、武装集団を形成している。軍部も手を出せないようだ。こうしたカルトの信者たちは「最終戦争」、つまり地球の破壊を夢想している。キリスト教にもそうしたカルトが存在、両者は連携している。イスラエルのカルトを西側諸国が支援していても不思議ではない。7月24日にネタニヤフ首相はアメリカ議会で演説したが、その際、議員たちは58回に及ぶスタンディング・オベーションを行った。アメリカの議員も正気ではない。

 アメリカには平和推進者を装いながら 戦争を推進、虐殺を支援する政治家もいる。民主党の大統領候補であるカマラ・ハリス副大統領は「ガザでの停戦確保に精力的に取り組んでいる」わけではなく、イスラエルへの武器禁輸に反対している。

 ハリスの副大統領候補に選ばれたティム・ウォルズは軍事力の削減に反対し、イスラエルに対する軍事援助を支持しているほか、イスラエル・ロビーのAIPACとも良好な関係にある。ウクライナでの戦闘でも彼は好戦的。ウクライナへの軍事援助を支持し、同国の駐米大使から「信頼できる友人」と呼ばれている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202408240000/
5:777 :

2024/09/04 (Wed) 16:51:57

ユダヤと白人の狂った世界、パレスチナ人は迫害してもいいのか?
2024.09.04
https://www.thutmosev.com/archives/36683.html

「これは”やって良い事だ”」とユダヤ人と白人は必ず言います

それなら彼らはヒトラーも非難できないと思います


https://jp.reuters.com/world/security/IPIV7MFTQVOPLIURU5BQKKTYKI-2023-10-10/イスラエル、ガザ地区に過去最大規模の空爆 境界を掌握 _ ロイター
狂った連中の価値観

報道によると8月28日の水曜日頃、ベルリンのホロコースト記念碑に「ユダヤ人はジェノサイドを犯している」と落書きされパレスチナ国旗と「パレスチナを解放せよ」という落書きも残されていた

なおドイツはパレスチナで無差別攻撃をしているイスラエルに軍事援助し、ドイツの援助によって多くのパレスチナ人がなくなった

落書きの内容には何の間違いもないと思うがドイツ警察は「反ユダヤ」の容疑で捜索を開始し、捕まったら「落書き」ではなく反ユダヤの罪で処罰される

一方でパレスチナホロコーストに加担したメルケルやショルツ首相は当然ながら処罰されず、自分がパレスチナ人だったらユダヤ人やドイツ人を許せないと思うだろう

汚された記念碑は1943年2月、ユダヤ人でないドイツ人数百人(ほとんどが女性)が夫や自分の子供のユダヤ人が拘束されたのに抗議してデモ行進したのを記念したものだった

デモに参加したドイツ女性の多くは拘束されて労働施設に送られて、25人がアウシュビッツに送られて大半はなくなったとみられている

ドイツ人やユダヤ人は「だからユダヤ人には特別な権利がある」と言うのだが、土地や国家や生活を奪われるパレスチナ人には何の関係もない

アンネフランクがどこでどうなろうがパレスチナ人には関係がなく、もしドイツ人はそうしたいのならドイツの領土の半分を「イスラエル」として分譲してやれば良い

ある日どこかから「不幸な人々」が日本に押しかけて来て「我々は不幸だから日本を占領し日本人を追い出す」と言って日本人収容所を作って無差別爆撃を始めたら、あなたは賛成するだろうか?

24年7月にもオランダの首都アムステルダムにあるアンネ・フランク像に「ガザ」との落書きで汚損され、オランダ警察も犯人捜しをしているが見つかっていない

「アンネフランクが不幸な最後を遂げたから、ユダ人はパレスチナ人を無差別に迫害して良い」という考え方は狂っているが、ほとんどのユダヤ人がそう考えている

欧米人のSNSではもっと露骨な差別と迫害が正当化されていて、自分たちはパレスチナ人を「この世から消し去る」権利があると語り合っている

ユダヤ人によるホロコーストは許されるのか?
ユダヤ人と欧米キリスト教徒によるとドイツに迫害されたユダヤ人とイスラエルには関係がないので、ベルリンやアムステルダムの慰霊碑などを汚すのは「絶対に許せない行為」なのだという

では彼らはパレスチナ人を無差別に攻撃し200万人をこの世から消そうとするイスラエルも「許せない」のかというと、こっちはパレスチナ人はテロリストだからパレスチナ人を「許せない」のだという

言う事が最初から狂っているのだが、ユダヤ人がされたホロコーストは「許せない」と言い、ユダヤ人が今やっているホロコーストは当然の権利だと言っている

イスラエルの首相をしているネタニヤフがこの手の典型的な人間で、パレスチナ人全員をテロリストだと言い、だから全員をこの世から消してやると言っている

パレスチナ解放を目指す武装組織のハマスがイスラエルに奇襲攻撃したのは23年10月7日で、イスラエル側に多くの死傷者を出して251人がパレスチナ側に拉致された

イスラエル軍と米情報機関は何度もネタニヤフに攻撃を警告したがネタニヤフは「妄想だ」と言って相手にせず、易々と奇襲攻撃を許した

ガザ地区で平和に暮らしていた200万人のパレスチナ人には何の関係も無い話であり、ハマスの攻撃にイスラエル軍が無能だったので対処できなかっただけです

ネタニヤフは非難の矛先が自分に向けられたので戦時独裁体制に移行し言論を封じ、ガザ地区に無差別攻撃する事で権力を保った

この辺はヒトラーが失脚を防ぐために侵攻を続けたのと同じであり、独裁者がよく取る方法で自分を批判する人を「ハマスの手先」だと言って粛清しました

無関係なパレスチナ市民たちはネタニヤフのために無差別攻撃を受け、ほとんどの人が家を失い4万人がなくなり10万人以上が負傷し病院が爆撃されたので治療も受けられない

これを見ても欧米のキリスト教徒らは「大したことではない」と言い、250人の人質が連れ去られたのだから200万人のパレスチナ人を葬るのは当然だと言います

ユダヤ人やドイツ人、欧米キリシタンが言う事はだいたい数字の辻褄が合わないのだが、ハマスという武装組織の1回の攻撃への報復で200万人のパレスチナ人全員を葬るのが「当然だ」という風に考えるのです

これを見ると日本から キリスト教を追放した豊臣秀吉は慧眼だったと思っています
https://www.thutmosev.com/archives/36683.html
6:777 :

2024/10/27 (Sun) 11:41:12

2024.10.24XML
シオニストの行うことは、なぜナチと似ているのか
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202410240000/

 イスラエルのシオニストが行なっていることはドイツのナチスが行ったことに酷似している。

 イスラエルは虐殺の範囲をパレスチナからレバノンへ広げつつある。昨年10月からガザで殺された住民は4万5000人を超えたと言われているが、そのほか相当数の遺体が瓦礫の下に埋まっている。ガザ保健省によると、その約4割が子どもであり、女性を含めると約7割に達すると言われている。

 これだけでも大量殺戮だが、それだけでなくレバノンでも空爆で住民を虐殺しはじめた。ランセット誌が今年7月に掲載した論文は「間接的な死者は直接的な死者の3倍から15倍に及ぶ」と指摘している。当時報告されていた「死者37,396人に直接的な死者1人につき間接的な死者4人という控えめな推定を当てはめると、ガザにおける戦闘による死者は最大18万6000人、あるいはそれ以上」とした。イスラエルに対する怒りは高まっている。

 パレスチナやレバノンで大虐殺が止まらないのは「国際社会」、つまりアメリカやその従属国が本気で止めようとしていないからだ。イスラエルは兵器なしに虐殺することはできないが、そのイスラエルへ供給されている武器の69%はアメリカから、30%はドイツから。予想の拠点はイギリスで、キプロス経由で運ばれている。停戦を望んでいると口にしているジョー・バイデン政権だが、行動は逆。つまり戦争を推進している。

 こうした虐殺を副次的な被害だと言うことはできない。例えば、​ベンヤミン・ネタニヤフ首相は昨年10月7日にハマスがイスラエルへ攻め込んだ後、「われわれの聖書(キリスト教における旧約聖書)」を持ち出し、「アマレク人があなたたちにしたことを思い出しなさい」(申命記25章17節から19節)という部分を引用している​。そこには神の命令として、「アマレク人」を家畜と一緒に殺した後、「イスラエルの民」は天の下からアマレクの記憶を消し去れと書かれている。パレスチナ人を皆殺しにするだけでなく、歴史から彼らが存在したことを消し去るとネタニヤフは主張しているのだ。

 また、サムエル記上15章3節には「アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」ということが書かれているが、これこそがガザやレバノンでイスラエルが行っていることだ。イスラエル政府が行おうとしていることは民族浄化にほかならない。

 こうした狂気の政策を推進しているのはネタニヤフ首相のほか、財務大臣を務めるベザレル・スモトリッチと国家安全保障大臣を務めるイタマル・ベン-グビルだとされている。所属政党はネタニヤフがリクード、スモトリッチは宗教シオニスト党、ベン-グビルはユダヤの力。

 スモトリッチはパレスチナ人を「人間以下の存在」だと信じ、エルサレムの将来はダマスカスまで拡大すると公言している。大イスラエル構想だ。

 ベン-グビルはテロ組織イルグンの一員であったイラクのクルド系ユダヤ人の息子。イルグンは1931年にハガナ(後にイスラエル軍の母体になる)から離脱して組織された。当初、ゼエブ・ジャボチンスキーが率いていたが、ジャボチンスキーが死んだ後はメナヘム・ベギンが率いている。ジャボチンスキーは1940年8月にニューヨークで死亡するが、その時に秘書を務めていたのがベンシオン・ネタニヤフ、つまりベンヤミン・ネタニヤフの父親だ。

 ベギンは1913年にロシアのブリスク(現在はベラルーシ)で生まれたが、ここは1919年から39年にかけてポーランド領。1939年当時、ベギンはシオニストの指導者グループのひとりだったが、ポーランドのユダヤ人には嫌悪されていたという。(レニ・ブレンナー著、芝健介訳、『ファシズム時代のシオニズム』法政大学出版会、2001年)

 この時期、この場所に限らず、ユダヤ人の大半はシオニズムを支持していなかった。シオニストは1933年8月、ユダヤ系ドイツ人をパレスチナへ移住させることでナチス政権と合意した。「ハーバラ合意」だが、ヨーロッパのユダヤ人は文化も風習も違うパレスチナへ移住したがらない。

 そうした中、1938年11月にドイツではナチスがユダヤ系住民を襲撃して多くの人を殺害、収容所へ送り込み始める。この「水晶の夜」以降もユダヤ教徒はパレスチナでなく、アメリカやオーストラリアへ逃れている。後にシオニストはイラクなどに住むユダヤ教徒に目をつけ、テロで脅してパレスチナへ移住させた。

 ユダヤ人の多くはシオニズムを支持していなかった。この計画を打ち出したのはイギリスの支配層だ。シオニズムは16世紀の後半、エリザベス1世が統治するイギリスで広がったのである。アングロ-サクソン-ケルトは「イスラエルの失われた十支族」であり、自分たちこそがダビデ王の末裔だとする信じる人物が支配層の中に現れたのだ。ブリティッシュ・イスラエル主義である。こうした話を信じた人の中には、スチュワート朝のスコットランド王ジェームズ6世(イングランド王ジェームズ1世)、そしてオリヴァー・クロムウェルの周辺も含まれていた。

 クロムウェルを支援者していた富裕層の中にポルトガル出身のフェルナンデス・カルバジャルというコンベルソ(ユダヤ教からキリスト教へ改宗した人びと)が含まれていた。そうした関係もあり、クロムウェルは1657年にユダヤ人がイングランドへ戻ることを認めている。イングランドでは13世紀からユダヤ教徒が追放されていた。

 イギリス外務省は20世紀初頭、ロシアとドイツを戦わせようと画策している。イギリス外務省はドイツとの戦争に反対していたグレゴリー・ラスプーチン排除するため、1916年にサミュエル・ホーアー中佐を責任者とする情報機関SIS(通称MI6)のチームをペトログラードへ派遣。そのメンバーに含まれていたオズワルド・レイナーはオックスフォード大学の学生だった当時からフェリックス・ユスポフ公と親密な関係にあり、流暢なロシア語を話した。

 暗殺には3種類の銃が使われているが、トドメを刺したのは455ウェブリー弾。イギリスの軍用拳銃で使われていたもので、殺害現場にいた人の中でその銃弾を発射できる銃をもっていたのはレイナーだけだった。スティーブン・アリーはユスポフ家の宮殿で1876年に生まれたと言われている。(Joseph T. Fuhrmann, “Rasputin,” John Wiley & Son, 2013)

 戦争の障害になっていたラスプーチンが排除された後、1917年3月にロシアではメンシェビキ、エス・エル(社会革命党)、産業資本家が革命を成功させ、アレクサンドル・ケレンスキーの臨時革命政府を成立させた。二月革命だ。この政府はドイツとの戦争を継続させる。

 この展開を嫌ったドイツは亡命中だったボルシェビキの幹部をロシアへ運び、11月の十月革命に繋がった。その際、シオニストはボルシェビキと対立するが、イギリスのウィンストン・チャーチルたちはシオニストを支援している。

 蛇足ながら、「ロシア革命」は二月革命と十月革命、全く別のふたつの革命の総称だ。つまり、「ロシア革命はボルシェビキの革命だ」と言うことはできない。イギリスの金融資本が仕掛けた革命をボルシェビキはドイツの支援で潰してしまったのだ。

 その一方、イギリスは中東を支配する拠点として新たな国、サウジアラビアとイスラエルを作り、イギリスやアメリカの金融資本はナチスを資金面から支援していた。ナチスは1918年にドイツで創設された「トゥーレ協会」と関係が深い。協会の名前は北方神話の土地、ウルチマ・トゥーレに由来し、そのシンボルはナチスと同じ鉤十字だ。(Christopher Simpson, "The Splendid Blond Beast," Common Courage, 1995)

 キリスト教を生み出したのがユダヤ人だという話を受け入れられないヨーロッパ人の中には、その源流を北極周辺に求める人もいた。そこにはアトランティスという大陸があり、そこから文明は広まっていったというのだ。トゥーレとアトランティスは同じものを指しているとする人もいる。

 トゥーレ協会の源流は「ゲルマン騎士団」だとされ、メンバーには多くの貴族が名を連ねていたという。トゥーレ協会が母体となり、1919年に「ドイツ労働者党」が結成され、その翌年には「国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)」へ改称される。アドルフ・ヒトラーが指導者となるのは1921年からだ。
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