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2024/01/20 (Sat) 17:31:10
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ジャン=ポール・サルトル(フランス パリ 1905年6月21日 - 1980年4月15日)
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『存在と無』 L'Etre et le néant(1943年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%A8%E7%84%A1
『シチュアシオン』 Situations(1947–65年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%B3
『嘔吐』 La Nausée(1938年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%94%E5%90%90_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)
『自由への道』 Les chemins de la liberté(1945年、1949年)
第一部『分別ざかり』 L'âge de raison (1945年)
第二部『猶予』 Le sursis(1945年)
第三部『魂の中の死』 La mort dans l'âme(1949年)
第四部『最後の機会』(未完)La dernière chance(1949年)
『出口なし』 Huis Clos 1945(1944年5月27日初演、R・ルーロー演出、ヴィユ・コロンビエ劇場)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E5%8F%A3%E3%81%AA%E3%81%97
『悪魔と神』 Le Diable et le Bon Dieu (The Devil and the Good Lord)(1951年6月7日初演)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%A8%E7%A5%9E
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2024/02/02 (Fri) 09:29:34
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壺齋散人 サルトルを読む
https://philosophy.hix05.com/France/Sartre/sartre.index.html
ジャン・ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre 1905-1980)は、第二次大戦直後のヨーロッパで大変な影響力を行使し、かれの標榜した実存主義(existentialisme)という言葉は世界中を席巻した。日本でもサルトル人気はすさまじかった。丸山真男の言う通り、日本人は、思想の領域でも流行に敏感であって、ヨーロッパで評判になっているサルトルに早速飛びついた次第であった。こうしたサルトル人気の背景には、第二次大戦が引き起こした結果への人類の嫌悪感があったと思われる。
第二次大戦は、想像を絶する殺人空間を作り出し、人間の尊厳は完膚なきまでに粉砕された。軍人ばかりでなく、庶民までもが殺戮の対象になり、人間の命は、ピストル一丁分の価値ももたないものになった。そんな人間性否定の風潮が、人間性にこだわったサルトルをして、世界中の人間性を信じたい人々に訴えかけさせたのだと思う。
サルトルが「存在と無」を刊行したのは1943年のことであり、フランスはまだナチス・ドイツの占領下にあった。この本は、ハイデガーの強い影響下に書かれ、「存在と時間」の一変奏曲とまでいわれたが、「存在と時間」がどこかうさん臭いものを感じさせるのに対して、これは人間性への信頼の上に成り立った極めてヒューマンな著作だと受け取られた。そのわけは、サルトルが近代ヨーロッパの知的起源であるデカルトの精神に立ち戻って、個人としての人間の立場から世界の存在の意義について語ったからだと思う。その人間性に立脚した思想をサルトルはユマニズムと呼んだ(ハイデガーはサルトルのユマニズムを嘲笑している)。そのユマニズムが、人間性の否定に直面していたヨーロッパの人々に大きな感銘を与えたといえる。サルトル流行の背後には、そうした事情があったものと考えられるのである。
サルトルは、第二次大戦が終了した後、1940年代半ばから1950年代にかけて、ヨーロッパの思想界の寵児となった。日本でも、早くから紹介され、1950年代には、サルトルを軸とした実存主義の哲学が大流行した。実存主義という言葉を流行らせたのはサルトルであり、ハイデガーなどはそれを迷惑がったのだったが、日本ではそのハイデガーも実存主義者に分類され、実存主義は時代の精神になった観があった。
だが、サルトルの権威失墜は意外に早くやってきた。それについては、クロード・レヴィ=ストロースとの論争が大きなきっかけとなったといわれる。レヴィ=ストロースは、1961年に「野生の思考」を刊行し、その中でサルトルの歴史主義を厳しく批判した。それにサルトルが反論して論争になったのだったが、その論争はレヴィ=ストロースの勝ちと受け取られた。そこでサルトルは敗者のレッテルを貼られ、やがて思想界の主流から外れていくことになる。つまりサルトルの流行は、20年足らずで幕を閉じたのである。
レヴィ=ストロースのサルトル批判は、サルトルの中にあるマルクス主義的な進歩史観に向けられたものであり、その限りでは、サルトル思想の本質をついたものではなかった。だから、サルトルにとっては、言いがかりのようなものだったわけだ。しかし、レヴィ=ストロースの批判が的を外れたものであったとしても、サルトルの思想には時代の流れから取り残されるようなところがあった。
サルトルは、フッサールの現象学を自分の原理的な方法として取り入れた。フッサールの現象学というのは、徹底的に人間個人の意識に定位する立場である。要するにデカルトの人間中心主義的な立場を19世紀末に復活させたのがフッサールだったわけである。それはそれで一定の意義をもったが、しかし、17世紀の思想家であるデカルトの根本思想を19世紀末から20世紀にかけて復活させることには、やはり無理があった。19世紀末から20世紀にかけては、思想界においては、無意識とか言語についての研究が進み、人間の精神活動の枠組が大きく見直されつつあった。そうした時代風潮の中で、デカルト主義に立ったサルトルの思想には、古臭さのイメージが付きまとわざるをえなかった。それがサルトルを古い思想家にした根本的な理由だったと思う。レヴィ=ストロースのサルトル批判はだから、なかばどうでもよいような逸話だったということができる。
かようなわけでサルトルは、いまではすでの歴史上の存在になってしまっている。ハイデガーがいまだに現代的な意義を持つ思想家として扱われていることに比べても、サルトルへの評価の低下は著しいものがある。だが、サルトルは、忘れ去られてよいような思想家ではない。世界大戦を通じての人間性の破壊に果断に立ち向かった思想家であり、文字どおりユマニストである。ユマニズムは、人間性が問題として取り上げられるたびに、つねに参照すべき領域である。そういう意味からサルトルを、もっと見直してもよいかもしれぬ。
なおサルトルは、哲学的な著作のほかに、小説や戯曲の類も多く残しており、非常に多彩な活動をした人である。一人の人間としても尽きせぬ興味を感じさせる。チビ(身長153㎝)で醜男であったサルトルがなぜ、いつも女と仲良くしておられたか。それだけでも人の興味をそそる。ここではそんなサルトルについて、思想の核心に迫るとともに、小説や戯曲の類もあわせて鑑賞してみたい。
存在と無:サルトルの現象学的存在論
サルトルの無
対自存在:サルトル「存在と無」
対他存在:サルトル「存在と無」
共同存在:サルトル「存在と無」
サルトルの無意識否定論
サルトルの所有論
サルトルの遊戯論:「存在と無」から
サルトルにおける穴とねばねばしたもの
私と他者:サルトルの対他存在論
サルトルのサド・マゾ論議
実存主義とは何か:サルトルの倫理思想
唯物論と革命:サルトルのマルクス主義批判
サルトル「方法の問題」を読む
サルトルと弁証法
サルトルのボードレール論:実存的精神分析
ボードレールの詩「女巨人 La Géante 」へのサルトルの注釈
サルトルの短編小説
嘔吐:サルトルの哲学小説
アルトナの幽閉者:サルトルの戯曲
サルトルのフォークナー論
レヴィ=ストロースのサルトル批判
相克と協働:廣松渉のサルトル批判
海老坂武「サルトル」を読む
長谷川宏「同時代人サルトル」を読む