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壺齋散人 シェイクスピアのソネット:詩の翻訳と解説

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2024/01/15 (Mon) 23:18:29

壺齋散人 シェイクスピアのソネット:詩の翻訳と解説
https://poetry.hix05.com/Shakespeare/shakespeare.index.html

シェイクスピアのソネット154篇は、ある青年に対する同性愛を中心にして、シェイクスピア壮年期の愛と苦悩を描いた詩を集めたものである。この詩集を刊行したとき、シェイクスピアは劇作家としての名声を確立していた。その彼がなぜ、壮年期に書きためたソネットを公刊する気になったのか、諸説ある。いづれにしても、これらの詩は、刊行当時の同時代に書かれたのではなく、過去に書いたものをまとめたものである。

全体は4つの部分に分けられる。まだ若い青年に結婚を勧める詩(1-17)、青年に対するシェイクスピアの愛を歌ったもの(18-126)、ダークレディと呼ばれる女性について歌ったもの(127-152)、そしてフィナーレの2編である。ダークレディに関するものは、青年にあてたほかの詩とはかなりトーンが違う。シェイクスピアはまず、このダークレディと交際した後、青年との同性愛にはいったものと思われる。

シェイクスピアは、劇作品の中では、同性愛をテーマにしたことがないので、しかもかれの劇作品の登場人物は、もっぱら異性愛にふけっているので、そのかれが同性愛者だったというのは意外である。またシェイクスピアは、年上だとは言え、一女性との結婚生活を律儀に送っていたのである。そのかれがなぜ、一青年への同性愛を感じたのか。それ自体、興味深いテーマではある。

このサイトでは、シェイクスピアの154編のソネットのうち40篇あまりを選び出して、管理人による翻訳と簡単な解説を載せてみた。


Sonnet 001 - From fairest creatures we desire increase,

Sonnet 003 - Look in thy glass, and tell the face thou viewest

Sonnet 009 - Is it for fear to wet a widow's eye

Sonnet 012 - When I do count the clock that tells the time,

Sonnet 018 - Shall I compare thee to a summer's day?

Sonnet 020 - A woman's face with Nature's own hand painted

Sonnet 023 - As an unperfect actor on the stage

Sonnet 027 - Weary with toil, I haste me to my bed,

Sonnet 029 - When, in disgrace with fortune and men's eyes,

Sonnet 030 - When to the sessions of sweet silent thought

Sonnet 035 - No more be grieved at that which thou hast done:

Sonnet 038 - How can my Muse want subject to invent,

Sonnet 042 - That thou hast her, it is not all my grief,

Sonnet 043 - When most I wink, then do mine eyes best see,

Sonnet 048 - How careful was I, when I took my way,

Sonnet 055 - Not marble, nor the gilded monuments

Sonnet 060 - Like as the waves make towards the pebbled shore,

Sonnet 062 - Sin of self-love possesseth all mine eye

Sonnet 063 - Against my love shall be, as I am now

Sonnet 071 - No longer mourn for me when I am dead

Sonnet 073 - That time of year thou mayst in me behold

Sonnet 076 - Why is my verse so barren of new pride,

Sonnet 081 - Or I shall live your epitaph to make,

Sonnet 087 - Farewell! thou art too dear for my possessing,

Sonnet 089 - Say that thou didst forsake me for some fault,

Sonnet 091 - Some glory in their birth, some in their skill,

Sonnet 094 - They that have power to hurt and will do none,

Sonnet 098 - From you have I been absent in the spring,

Sonnet 101 - O truant Muse, what shall be thy amends

Sonnet 102 - My love is strengthen'd, though more weak in seeming;

Sonnet 106 - When in the chronicle of wasted time

Sonnet 111 - O, for my sake do you with Fortune chide,

Sonnet 116 - Let me not to the marriage of true minds

Sonnet 119 - What potions have I drunk of Siren tears,

Sonnet 121 - 'Tis better to be vile than vile esteem'd,

Sonnet 127 - If it were, it bore not beauty's name;

Sonnet 128 - Oft, when thou, my music, music play'st,

Sonnet 129 - The expense of spirit in a waste of shame

Sonnet 130 - My mistress' eyes are nothing like the sun;

Sonnet 137 - Thou blind fool, Love, what dost thou to mine eyes,

Sonnet 147 - My love is as a fever, longing still

Sonnet 154 - The little Love-god lying once asleep


詩集・緋色の愛

https://poetry.hix05.com/Shakespeare/shakespeare.index.html


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シェイクスピアのソネット:解説
https://poetry.hix05.com/Shakespeare/ss000.html

シェイクスピアのソネット集は1609年に始めて出版された。時にシェイクスピア45歳、劇作家としての名声を確立し、代表作の殆どをこの時期までに書き終えている。そのシェイクスピアがこの時期に長い間秘蔵していたソネット集を刊行した理由のひとつとして、当時流行していたペストの影響が挙げられる。この疫病によって、劇場も閉鎖される羽目に陥り、シェイクスピアはそこから収入を得ることができなくなったため、新たな収入源を得ようとしてソネット集を出版したとする説がある。

シェイクスピアはそれ以前にも、ソネット集の出版を企てたことがある。1599年にウィリアム・ジャガードなるものが、シェイクスピアのソネットの一部(ダーク・レディ詩篇のうち138と144)を無断で発表したことに危機感を覚え、自ら全体を刊行しようとしたのであるが、この試みは実らぬままに終った。

シェイクスピアは人生の晩年に当たって、いわば万を持してこのソネット集の刊行に踏み切ったのであるが、彼が期待したほどの反響は得られなかった。そればかりか、死後しばらくの間も、高く評価されることはなかったのである。

ソネット集に収められた作品は、一時に書かれたのではなく、かなり長い期間にわたって、書き継がれたものである。その期間はほぼ、1590年代の大部分をカバーしているものと推測される。

ソネットは4つの部分に大別することができる。1から17まで(若い青年に結婚を勧めている作品群)、18から126まで(青年への愛を歌った詩篇群)、127から152まで(ダーク・レディ詩篇と呼ばれるもの)、そして最後の2編(153と154)である。

このうち最も古く書かれたのはダーク・レディ詩篇である。ダーク・レディとはシェイクスピアが熱愛した女性で、髪が黒く、くすんだ色の肌をしていたことから、シェイクスピア自らそう呼んだものである。その彼女を歌った詩の最も古いものは1593年頃に遡るといわれる。この女性は尻が軽かったらしく、シェイクスピアをしばしば悩ませた。後には、シェイクスピアの愛の対象である若い青年と関係するようにもなった。

1から152までの詩篇は、ある青年に対するシェイクスピアの愛を歌ったものだ。その青年が誰であるかについては諸説あるが、今日ではペンブローク伯爵ウィリアム・ハーバートだろうという説が有力である。ソネット集の初版はW.Hなる人に捧げられているが、それがウィリアム・ハーバートなることはほぼ間違いないらしい。

この人物はジェイムズ1世時代に文芸のパトロンとして羽振りをきかせたが、生涯独身で、女遍歴に余念のなかった人物だという。1609年には、エリザベス女王の侍女を孕ませたにかかわらず、結婚の約束を履行しなかったことを理由に投獄されている。

1から17までの詩篇は、この青年に対して結婚を呼びかけたものだ。そのとき青年は17歳の若さであった。シェイクスピアは青年の年齢に対応する17の詩篇を作って捧げたのである。その時シェイクスピア自身は33歳であった。

シェイクスピアはこの青年が成長して若々しい男になると、彼に愛を抱くようになった。有名な18番の歌を始めとした一連の詩は、青年に対するシェイクスピアの同性愛的な感情を歌ったものだ。

シェイクスピアが採用したソネットという詩の形式はルネサンス初期のイタリアで生まれたものだ。ダンテやペトラルカがこの詩形を用いて多くの傑作を作っている。それがフランスに伝わり、ピエール・ド・ロンサールなどの名手を輩出した。イギリスへは16世紀半ばに伝えられ、フィリップ・シドニーなどがこの詩形を用いた作品を作った。シェイクスピアはその伝統を踏まえて、そこに自らの工夫を加えた。

ソネットは、イタリアとフランスにおいては、二つの4行詩と二つの3行詩で一篇を構成していた。二つの4行詩は、abba abba という韻を踏み、二つの3行詩は、ccd eed あるいは ccd ede という韻を踏むのを原則としていた。だから韻の種類は a-e の5つしかないのが普通であった。ラテン語由来の言語にあっては、それが詩に対して音楽的な効果をもたらす作用を持った。

ところが英語で同じような試みをすると、単調に聞こえる難点があった。そこでシェイクスピアは、14行詩の構成を大胆に変えた。

まず全体の内部を、3つの4行詩と最後の二行とにわけ、二つ目の4行詩と三つ目のそれとの間に分裂を持ち込んだ。また、韻の種類も abab cdcd efef gg という具合に、5から7に増やした。こうすることで、構成にはダイナミズムを、音声的効果には多様性をもたらしたのである。

シェイクスピア自身は、14行を分け目なく書き連ねているが、よく読むと上述したような規則が一貫して見られる。

本サイトでは、各々の詩篇について、上述のような規則を考慮し、二つの4行詩のグループと、残りの6行とに分けた上、最後の二行は段落を下げて標記する方法をとった。こうすることで、詩のイメージがいっそう明らかに伝わってくるからである。
https://poetry.hix05.com/Shakespeare/ss000.html
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2024/01/15 (Mon) 23:33:10

シェークスピア 作品集
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person264.html#sakuhin_list_1

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