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壺齋散人 授記:正法眼蔵を読む

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2024/01/15 (Mon) 18:26:35

壺齋散人 授記:正法眼蔵を読む
続壺齋閑話 (2024年1月 8日 08:15)
https://blog2.hix05.com/2024/01/post-7596.html

正法眼蔵第二十一は「授記」の巻。授記という言葉は仏教用語で、特別の意味を持たされている。岩波の仏教辞典には「過去世において過去仏が修行者に対して未来の世において必ず仏になることを予言し保証を与えること」とある。言い換えれば、過去の時代における修行の結果として、未来における成仏が確約されるということである。だから、成仏は一代で完結するものではない、ということになる。過去世の因縁が今の世の成仏の前提となっているのである。

これに対して道元は異議を唱え、授記という言葉に別の意味を与える。成仏は、当該の者の時世を超えた修行の賜物ではなく、現世で出会った指導者の指導の賜物だというのである。その指導者自体も、自分自身を導いてくれた指導者がいて、またその指導者も彼自身の指導者がいた。この時代ごとに受け継がれる指導の連鎖を道元は「授記」と名付けるのである。その連鎖の一環として、修行者も加わるというのが、授記の意味するところである。

そのような趣旨のことを道元は、この巻の冒頭で次のように言っている。「佛單傳の大道は授記なり。佛の參學なきものは、夢也未見なり。その授記の時節は、いまだ菩提心をおこさざるものにも授記す。無佛性に授記す、有佛性に授記す。有身に授記し、無身に授記す。佛に授記す。佛は佛の授記を保任するなり。得授記ののちに作佛すと參學すべからず、作佛ののちに得授記すと參學すべからず。授記時に作佛あり、授記時に修行あり。このゆゑに、佛に授記あり、佛向上に授記あり。自己に授記す、身心に授記す」。

授記というのは、悟りを得たものから、つぎの悟りを得るものへと直接伝えられるのであり、したがって現世でのことである。なにも前世の功徳によって授記されるわけではない。そのゆえに、「無佛性に授記す」とも言われるのである。授記の保証があるから仏になるのではない。また、仏になったから授記されるのでもない。悟りを得て仏になりたいというその意志の中に授記がある。

このような道元の考えは、悟りを自力に基礎づける考えと連動している。しかも、その悟りの実現は、過去の修行の因縁によるものではなく、現世の修行の結果としてもたらされる。そう考えるところに、道元の自力修行の本質的な要素を認めることができる。さとりは、仏の慈悲によるよりは、修行者自身の意志によるのである。

それゆえにこそ、続く分節で次のように強調される。「まさにしるべし、授記は自己を現成せり。授記これ現成の自己なり。このゆゑに、佛佛、嫡嫡相承せるは、これただ授記のみなり」。つまり、授記というのは、自分自身のさとりへの意志が実現することをいうのであり、そうした実現された自己が授記というのである。

以上は、授記についての総論的な説明である。以下、例によって、様々な古仏たちの言動を紹介しながら、その具体的なありようを説明していく。その前に、授記の種類として八種があげられているが、たいした意味はない。ただ、授記が現世における修行だということを納得すればよい。
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古仏のまねび<道元>
続壺齋閑話 (2020年9月 7日 17:11)
https://blog2.hix05.com/2020/09/post-5337.html

角川書店刊仏教の思想シリーズ第11は「古仏のまねび<道元>」と題して、道元の生涯と思想をテーマにしている。担当は高崎直道と梅原猛。高崎はインド哲学が専門で、道元の専門家ではないが、だからこそ道元を仏教全体の大きな流れのうちに位置付けられる資格があると梅原は言っている。その道元の思想は「正法眼蔵」に集約されているが、これがまた世界一難解といってよいほどむつかしい書物だと梅原は言う。小生も同感で、今の自分の知力を以てしては、十分に理解することができないでいる。いつか読みこなせる日が来ることを願っているが、生きている間にその日が来ることを期待できるかどうか、甚だ心もとない。

もっとも、高崎に言わせれば、道元には体系だった思想はないということらしい。道元は仏教者であるから、釈迦の教えを忠実に守ったはずで、その釈迦の教えは、高崎によれば四諦に代表される。四諦とは、大乗・小乗通じての仏教の根本的な教えで、釈迦が悟りを開いたあと初めての説教の中で言及したものだ。苦集滅道を言う。苦とは、人生は苦であるという真理、集とは、苦の原因は煩悩であるという真理、滅とは、煩悩をなくし苦を滅した状態が悟りであるという真理、道とは悟りを得るために人は道を修すべきであるという真理である。この四つの真理(四諦)のうち、道元は、滅・道の二諦の理想だけ説いて、苦・集二諦の現実に触れていないと言って、高崎は道元を批判するのであるが、それはとりもなおさず、道元には修業への意欲はあるが、人性についての深い思索はないということを意味する。

たしかに、道元の始めた曹洞宗というのは、座禅の実践ばかりが派手に映って、その実践を支える思想的な背景はあまり知られていない。曹洞宗は一応仏教の一派、つまり宗教ということになっているが、仏教の他の宗派や仏教外の宗教と比較して、宗教らしいところが薄いように思われる。宗教というより、修業とか鍛錬といったほうが相応しい。座禅が目ざすのは無我の境地と言い、その無我の境地が悟りにつながると言われるが、悟りがどのような内実を持つのか。果たして宗教的な感情に満たされているのか、部外者からはなかなかわからないところがある。

そんなわけで、道元の始めた曹洞宗という仏教の一派が、仏教全体及び日本の仏教の歴史の中でどのような位置を占めているのか、この本はある程度明らかにしてくれる。高崎の批評にかかわらず、道元もまた立派な仏教者であり、かれの始めた日本の曹洞宗も、仏教の一つの典型を示すものだというのが、この本の一応の結論になっている。とはいっても、この本を読んで、道元の思想を十分に理解できるかと言えば、そこはあまり期待しないほうがいいかもしれない。

道元ほど、修業を重視した仏教者はいない。只管打坐という言葉があらわしているように、ひたすら座禅に打ち込むこと、それを生涯にわたって貫くことを求めている。それには思想的な背景がある。道元は大乗仏教の根本であるところの、衆生は誰でも仏になれるという思想を共有していたわけだが、それが天台本覚思想のように、努力しないでも成仏できるという考えには我慢がならなかった。人が仏になれるのは厳しい修業を通じてであって、その修業の瞬間ごとに成仏できるのだと考えた。したがって人は修業を怠る時には、すでに仏に見放されているのである。それゆえ人はつねに修業をしていなければならない。その修業とは只管打坐のことである。そういう考えから道元は、弟子に向ってひたすら座禅することを求めたのであった。

そのような姿勢を道元自身も自分の師匠である如浄から受け継いだ。その如浄のことを道元は古仏と言っている。仏教の根本は古仏によって面受されることで身につくものだというのが道元の考えである。経典を読んだからといって身につくものではない。あくまでも古仏に面受されて身につくものである。如浄もそのようにして面受されたのであるし、如浄の師も又同様に面受された。そのつながりは、禅祖達磨にまで遡り、更に釈迦にまで遡る。仏教の教えは釈迦による面受に始まり、達磨や如浄を経て道元に至る、一連のつながりによって伝えられてきた、というのが道元の考えである。したがって道元は、自分は面受の法統を通じて直接釈迦につながっていると考えていた。

面受は、師が弟子に伝えるということをあらわしているが、これを弟子の立場から言えば、師をまねる、まねぶ、ということになる。この本の表題にある「古仏のまねび」とは、そうした弟子による師の模倣をいうわけである。学習は模倣から始まると言われるが、宗教的な実践もその例外ではないということであろう。

道元には非情な厳しさがあり、それが道元に近づきがたい印象を与えているのだが、その厳しさはかれの生い立ちにも理由があると梅原らは言っている。道元の父は久我源氏の祖である源通親、母は松殿基房の娘だと言われている。基房の娘はかつて木曽義仲の妾であった。しかし義仲の没落により、まだ十代で寡婦となり、三十を過ぎて通親の妾にされた。その時の通親は時の権力者であり、娘は政略結婚の道具に使われたわけである。その父は道元が三歳の時に死に、母は八歳の時に死んだ。その母は、現世に深い恨みを抱いていたと言われる。その恨みが道元に乗り移って、道元の現世否定的な傾向を強めたということらしい。

いずれにしてもそうした道元の生い立ちが、かれの現世に対する否定的な見方と、貴族的な孤高さとを養ったと梅原らは見ているわけである。さもありそうなことではある。

なお、この本は、道元の有名な言葉「心身脱落」をめぐって興味あるやりとりを載せている。この言葉を道元は、如浄から受け取ったのだが、その受け取り方に間違いがあったのではないか、と高崎は言うのである。如浄が言ったのは「心塵脱落」であり、これだと心の塵を落とすという意味でわかりやすい。それを道元は「心身脱落」と聞き間違えたのではないか。心身脱落ということばで何をあらわしているのかよくわからない。もしも道元が聞き間違えたということであれば、そのわからない理由がよくわかると高崎は言うのであるが、それについて梅原は、たとえ誤解だとしても、心身脱落という言葉には、特有の思想内容が認められるので、あえて間違いだとことあげすることもないだろうと言う。

このやりとりは仏教界で話題となって、色々と付随的な論争を呼んだようだが、その結果わかったことは、如浄も心身脱落と言っていたのであって、その如浄の言葉を道元は素直に受け取ったということだった。心身脱落とは、身も心も現世から脱落(超越)するということらしい。
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日本の禅
続壺齋閑話 (2021年7月26日 17:02)
https://blog2.hix05.com/2021/07/post-5961.html

日本の禅は、栄西が臨済宗を、道元が曹洞宗を導入・布教したことから始まる。栄西は比叡山で天台宗を学び、二度にわたって宋に留学した。最初の留学は、密教理解の深化が目的で、禅についてはそれほど力を入れていない。二度目の留学の際に、臨済宗を研究・修行し、それを日本で布教した。臨済宗は、南宗禅系統の禅で、当時の中国では禅の主流であった。

道元は、栄西にとっての孫弟子にあたる。年齢には59歳の開きがある。だから栄西に直接師事したわけではなく、栄西の後継者明全に師事した。その明全とともに宋に留学し、曹洞宗を学んだ。曹洞宗は、臨済宗と同じ南宗禅の系列だが、臨済宗全盛の当時の中国にあっては、時代遅れと見られていた。それをわざわざ道元が選んだのは、禅の本来の姿に帰るべきだとする考えがあったからだと思われる。道元が留学した頃には、臨済宗は公案中心の理屈ばった形式主義に流れ、禅本来の宗教的な熱気が失われていた。それに不満を感じて、道元は禅本来の実践的な性格を取り戻そうとして、曹洞宗に魅力を感じたのではないか。

臨済宗と曹洞宗の相違を簡単に言うと、臨済宗は公案中心、曹洞宗が只管打坐ということになろう。臨済宗は公卿や上級武士など支配層に普及し、曹洞宗は地方の武士や庶民の間に普及した。鎌倉五山や京都五山の文化は、臨済宗のものである。それに対して曹洞宗のほうは、華やかな文化を生み出してはいない。そのかわり、庶民の宗教心を強く捉えたといえよう。

鎌倉・室町時代を通じて、臨済宗のほうは公案中心で、禅のバイブルといわれる臨済録、碧巌録、無門関のうち、碧巌録がよく読まれた。碧巌録は公案集といった体裁の書物である。ところが、徳川時代になると、その公案主義に乱れが生じたので、白隠和尚が立て直した。今日の日本全国の臨済宗は、白隠の系統として、公案中心のあり方をとっている。漱石の小説の主人公が、鎌倉の円覚寺で座禅する一方、出された公案に呻吟する場面はよく知られている。

徳川時代の初期に、滅亡した明から隠元和尚がやってきて黄檗宗を開いた。黄檗宗は、禅の復興運動というべきもので、形式に流れがちだった臨済宗を批判し、禅本来の姿を取り戻そうとするものだった。だから実践的な性格が強い。その黄檗宗に刺激されるかたちで、曹洞宗も実践的な性格を強化させたといわれる。

近代になって、欧米諸国に禅への関心が高まった。そのきっかけをつくったのは、鈴木大拙が英文で書いた禅に関する書物だった。とくに、「大乗仏教概論」は大きな反響を呼んだ。大拙はその本を、「大乗起信論」を種本として書いたのだったが、大乗起信論は禅者の間でよく読まれたものだった。大乗起信論の説のうち最も重要なのは如来蔵思想である。如来蔵思想というのは、すべての人間には本来仏性があるとするものだ。座禅をすることで、その仏性に目ざめるという考えにそれはつながるわけだが、そうした考え方は、禅に本来そなわっていたものだ。とりわけ実践的な性格の強い曹洞宗について、特にそう言えるのではないか。

西田幾多郎は、大拙の友人として、やはり禅に親しんだ。西田の思想は、無を強調することにあるが、その無の思想を西田は禅から学んだ。西田は、無門関をよく読んだという。禅の書物は、一般に無を強調するところがあるが、無門関はとくにそうだ。無門関は48の公案からなる。その第一は「趙州無字」というものである。これは無についての公案であって、それから始まるということは、無門関が無の問題を特に重んじていることを物語っている。

この無門関は、禅の本場中国ではほとんど読まれていないらしい。ところが日本では、最も読まれた禅書である。そんなところに、中国禅と比較した日本の禅の特徴が認められる。日本の禅は、とりわけ無にこだわる禅だと言えそうである。中国の禅は、老荘思想の影響を受けたということもあって、人生に対する悠然たる態度が認められる。それに対して日本の禅は、無にこだわるあまりに、余裕のない修行いってんばりの、窮屈なものになってしまったというのが、柳田や梅原の見立てのようである。
https://blog2.hix05.com/2021/07/post-5961.html


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辨道話:正法眼蔵を読む
続壺齋閑話 (2023年4月10日 08:30)
https://blog2.hix05.com/2023/04/post-7079.html

道元が「辨道話」を書いたのは寛喜三年(1231)、四年にわたる宋留学から帰国して四年後のことだ。その時道元は京都深草の廃寺の近くに草庵をもうけて、ひっそりと修行を続けていた。後に高弟となる懐奘が師事を許されるのは文暦元年(1234)のことである。

「辨道話」は、宋における修行の成果を述べ、自分が天童如浄によって開眼(得度ではない)したことと、その開眼つまりさとりについての認識の具体的な内容について語ったものである。「道」は仏道をいい、「辨」は弁ずるという意味だが、ここでは修行という意味合いで使われている。だから「辨道」は仏道を修行するというような意味である。徂徠にも「辨道」という書があり、そちらは儒教の説く「道」を弁ずる、つまり説明するという意味だが、それは後世の使い方であって、道元において「辨道」は上記のような意味合いで使われている。

「辨道話」は独立した著作として書かれたもので、「正法眼蔵」とは本来別のものである。だが、現行の岩波文庫版「正法眼蔵」(水野弥穂子校注)では冒頭に置かれている。正法眼蔵全体への序論、あるいは総論のような位置づけなのであろう。道元の教えの骨格のようなものが書かれており、これを読めば道元の考えていたことがだいたいわかるのである。

文章そのものは、道元の書いたものとしては比較的読みやすい。和文中心で言葉はわかりやすく、またこむつかしい理屈を弄することもない。だから、予備知識がなくても理解できる。

全体の構成は、大きく四つの部分からなる。一つ目は総論であり、仏教の意義はさとりにあることが語られる。二つ目は、そのさとりを得るために道元自身が行った修行について述べられる。三つ目は、さとりを得るためには只管打坐すべきであり、その結果得られる心身脱落こそがさとりの境地なのだと語られる。四つ目は問答である。これは仏教をめぐるさまざまな問題について問答を繰り返すことで、真実を明らかにしていくというもので、ソクラテスのダイアローグを彷彿させるものである。問答の相手は明示されていないが、おそらく当時の道元への批判を体現した架空の人物であろう。

一つ目の総論部分は、次のような文章で始まっている。「諸仏如来ともに妙法を単伝して、阿耨菩提を証するに、最上無為の妙術あり。これただほとけ仏にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧、その標準なり」。これは、釈迦以来の仏祖たちが代々師匠から弟子に直伝してきた教えをうけ、さとりにむけて修行するには、最上の方法がある。それは、自受用三昧である、と言っているのであるが、自受用三昧とは、仏がさとりの境地を自ら楽しむ、という意味である。そのように、修行者も、さとりの境地を自らさとることで、つねにさとりの境地にいることができる。さとりというものは、一回限りの出来事ではなく、恒常的な状態なのだという意味が、この文章には込められているのである。つまり悟り(証)と修行(修)との一体不可分を主張している。

続いて、「この三昧に遊化するに、端坐参禅を正門とせり」とある。さとりの境地を自受用三昧するには、もっぱら端坐参禅すべきだというのである。端坐参禅は只管打坐と言い換えられる。只管打坐することで、さとりの境地に達するとともに、それを続けることで、さとりの境地を持続できるのである。

総論の最後は、次の文章で結ばれる。「いまをしふる功夫弁道は、証上に万法をあらしめ、出路に一如を行ずるなり。その超関脱落のとき、この節目にかかはらむや」。これは、さとりの境地のうえにあらゆる存在が成り立ち、自分自身の生き方としては真実と一体となることが肝要だ、という意味である。これはさらりとした言い方だが、道元の唯心論的な考えが反映された部分である。

以上、総論においては、悟りを得るためになすべきこと、また、悟りを得た境地の具体的なイメージが語られた、といえる。

二つ目の部分では、道元自身の修行について語られる。若くして栄西に師事したこと、宋に留学して天童の如浄の指導を得て、「一生参学の大事」を終えたということなどだ。「一生参学」とは、生涯修行にいそしむことを決意したということであって、悟りを開いたということではない。このように道元は、宋で得度したとは言っていないのであるが、しかし曹洞宗の教えを徹底的にたたきこまれたので、それをもとにさとりの見通しがついたし、また、衆生のために教える用意もできたというふうに考えていたようである。

三つ目の部分では、修行の正法としての只管打坐、およびその結果もたらされるさとりの境地としての心身脱落について語られる。この部分は次の文章で始まる。「宗門の正伝にいはく、この単伝正直の仏法は最上のなかに最上なり。参見知識のはじめよりさらに焼香、礼拝、念仏、修懺、看経をもちゐず、ただし打坐して身心脱落することをえよ」。「宗門の正伝」とは、曹洞宗の法統に代々直伝されてきた教えという意味。その具体的な内容は、焼香、礼拝、念仏、修懺、看経などを用いず、「ただし打坐して身心脱落することをえよ」というものである。「ただし」は道元の言葉の癖で、「ただ」と同義。ただひたすら打坐すべしというのである。打座は座禅のこと。座禅することで心身脱落できる。心身脱落とは、心身共にこの世への執着がなくなるという意味である。この世への執着を切ることで、さとり(真理)の世界に遊ぶことができるというわけである。

続いて、「もし人、一時なりといふとも、三業に仏印を標し、三昧に端座するとき、遍法界みな仏印となり、尽虚空ことごとくさとりとなる。ゆゑに諸仏如来をして本地の法楽をまし覚道の荘厳をあらたにす」という文章がある。「三業」は身口意のこと。要するに人間の行為をいう。その人間の行為のすべてにわたって、すべての存在が仏のしるしとなる。全世界がことごとくさとりの境地になる。それゆえ、諸仏如来は、仏としての本来のあり方を楽しみ、さとりの厳かさがます。

以上、三つの部分にわたって、さとりについての道元の総論的な考えが述べられた。以下、四つ目の部分では、個々の問答を通じて、さとりや修行についての各論が展開されることになるわけである。それについては、次稿にゆずりたい。
https://blog2.hix05.com/2023/04/post-7079.html


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仏教と日本人-壺齋散人の仏教研究
https://japanese.hix05.com/Buddhism/buddhism.index.html

日本人は宗教心に薄いとよく言われる。それは、宗教をどう考えるかにもよる。世界でもっとも多い宗教人口を抱える一神教(ユダヤ・キリスト教及びイスラム教)の立場からみれば、そう言えるかもしれない。現代の日本人にかかわりの深い宗教といえば、仏教と神道ということになるが、これらはどちらとも一神教ではない。なかには浄土宗のように、阿弥陀仏に帰依するという点で一神教に近い宗派もあるが、それを奉じている日本人は一部である。大部分の日本人は、一神教とは縁遠い。そんなことから、一神教を奉じる人からは、日本人は宗教意識が薄いと言われるわけである。

しかし仏教はやはり宗教の体系であるし、神道も日本人古来の宗教意識を体現したものだ。その神道に仏教が重なるような形で、日本人の宗教意識は涵養されてきた。なぜそうなったか。神道は、単純化して言えば、原始的なアニミズム信仰に柳田国男が指摘したような先祖崇拝がからんだものと考えられるが、宗教としては体系性に欠け、また精神的な深みという点で不徹底なところがあった。そこを仏教によって補強してもらい、宗教としての生き残りをはかった。それが神仏習合の進んだ理由だと言える。

宗教は、どんな形のものにせよ、信仰の部分と戒律の部分からなる。信仰は神への帰依という形をとり、一神教の場合には超越心への絶対的な帰依となる。その神をもとにして体系的な世界観を作り上げる。一方、戒律の部分は、修業のあり方をさすが、世俗的な道徳の基礎となるものである。この両面にわたって、仏教は強固な基礎を持っている。体系的な世界観に基礎づけられた信仰のあり方が一方にあり、その信仰に基礎づけられた道徳の体系がある。こうしたものが、神道と結びついて、日本独特の神仏習合の体系が出来上がっていった。

そういうわけで、日本人の宗教意識は、非常にユニークなものである。純粋な仏教でもなく、純粋な神道でもない。その両者が奇妙に混合して、日本独特の宗教意識が出来上がった。その宗教意識のなかで、深層の部分は神道的なものが占めていると思われるが、形に現われた部分は、仏教によって基礎づけられている。そういう点では、神道的な仏教と言ってよいかもしれない。

この神仏習合的な宗教が、徳川時代の末期まで、日本人の宗教意識を形成していたと言える。神仏習合が本格的に始まったのは平安末期であるが、基本的には仏教導入の始めから、伝統的な宗教意識である神道的なものと相互に影響しあいながら、仏教が日本人の間に浸透したのである。その仏教も、はじめは貴族層に限定されたものだったが、鎌倉時代以降には、日本的な宗教改革運動が花開き、仏教が庶民の間にも浸透していった。その過程で神仏習合が一段と進み、日本的な独特の仏教が成立した。それを鈴木大拙は日本的霊性と呼んだ。

この日本的霊性としての仏教的な宗教感情は、徳川時代の末期までは、非常に強く日本人の意識を支配していたと思われる。徳川時代には、仏教は個人的な宗教感情にとどまらず、道徳や世間的規律をも規定していた。世間的規律という点では、儒教の影響もあったが、儒教は基本的には武士の行動を律するものであり、宗教というよりは、支配のための戒律という面が強かった。一般庶民は、儒教よりも日本的な(神仏習合的な)仏教に強く影響されていたのである。

ところが明治維新の混乱にまぎれて、神道勢力が仏教排撃の旗を振って、いわゆる廃仏毀釈運動が起った。この運動の結果、日本各地で仏教寺院が破壊されたほか、僧侶が還俗を迫られるなど、仏教にとっての一大危機ともいえる事態が出来した。その出来事が仏教に及ぼした影響は計り知れない。それによって仏教が消滅することはなかったが、国民の仏教への信仰が揺らいだことは間違いない。今日の日本人が宗教意識に欠けるとすれば、それは廃仏毀釈運動の大きな成果だと言ってよい。

宗教というものは、人間の一生に深いかかわりを持つものである。キリスト教を例に取れば、生まれた時、結婚する時、死んだ時、といった節目ごとに宗教行事が行われる。生まれた時にはキリスト教への帰依を象徴する洗礼の儀式があるし、結婚した時には神による祝福があり、死んだ時には(原罪をもって生まれてきたことへの)神の許しがあるといった具合だ。日本の場合には、徳川時代において、同じようなことが仏教をめぐって行われた。生まれた時には寺によって登録され(人別帳等)、結婚する時には仏前に報告し、死んだ時には寺の墓に埋葬されるといった具合だ。これらの節目ごとの儀式は、廃仏毀釈の結果、神社が引き継いだ。ひとつ葬式だけは寺の専管として残った。神社が死の汚れを忌んで、葬儀を引き受けようとしなかったからだ。

このように、仏教と日本人のかかわりは、長い歴史のなかでさまざまな変遷を経て来た。そのなかには、変わらない部分と変わった部分とがある。変わらないのは、日本の仏教が一貫して大乗仏教だったことだ。仏教が日本にはじめて伝来したのは、公式には宣化三年(538)のこととされ、その際に釈迦仏像と大乗経典が伝えられた。仏教は朝廷の庇護を得て、聖徳太子が『法華経』『勝鬘経』『維摩経』を注釈した『三経義疏』を著すなど、着実に繁栄していったが、朝廷はじめ一部の貴族層にとどまった。それは奈良、平安時代を通じても変わらない。奈良時代には、南都仏教と呼ばれる大乗仏教各派が栄え、平安時代には天台、真言の両密教が栄えたが、いずれも国家鎮護を主な役割とした、支配の正統性を期待されるようなものにとどまった。

仏教が庶民の間に広がったのは、鎌倉時代以降のことである。鎌倉時代の初期に、日本的な宗教改革運動ともいうべきものが起り、そこから浄土諸宗、禅宗、日蓮宗などの宗派が生まれた。浄土諸宗は「南無阿弥陀仏」という名号を一心にとなえることを宗旨とし、阿弥陀仏への帰依を専らにすることから、仏教のなかでは一神教的な色彩が強い。日蓮宗は仏のかわりに法華経という経典への帰依を専らとする。これらに対して禅宗は、禅定による悟りを得ることを目的としている点で、仏教各派のなかではもっとも自力救済的な面が強い。そんなこともあり禅宗、特に曹洞宗は、下級武士層を中心に広まった。浄土諸宗とりわけ真宗は農民など庶民層に広まり、日蓮宗も町衆を中心にした庶民層に広がった。これらを総称して鎌倉仏教と言う。

鎌倉仏教は、室町時代には日本全国津々浦々に浸透し、その過程で神道との集合も進んで、いわゆる日本的な仏教文化が成立した。衣食住にわたり、今日日本的と言われる文化は室町時代に成立したといえるが、日本的仏教も又その一つとして指摘できる。日本的仏教は、人びとの精神生活を豊かにする一方、信仰を掲げて権力の無法に立ち向かう推進力にもなった。全国を席巻した一向一揆や、日蓮宗を結合の絆とした京の町衆の動きなどはその典型的なものである。

徳川時代に入ると、仏教は支配の用具としての意義を持たされた。あらゆる人々は寺の檀家制度に組み入れられ、幕府や諸藩の権力は寺を通じて庶民を支配、把握したのである。それが明治に入ると廃仏毀釈の運動が起き、仏教は庶民の日常とはあまり深いかかわりをもたなくなり、その結果日本人の宗教意識が弱まるような事態も起きたわけである。

以上は、日本における仏教の歴史を俯瞰したものである。だがここでは、仏教の教義そのものには立ちいらなかった。以後、それについて、各論という形で取り上げていきたい。まず、日本の仏教が取り入れた大乗仏教について、経典の解釈や、中観派や唯識派など各教派の主張の特徴を考察し、ついで日本的な仏教といわれるものの特徴にも言及したい。


仏教入門

佐々木閑「大乗仏教」

高崎直道「唯識入門」

渡辺照宏「お経の話」

田上太秀「涅槃経を読む」

柳宗悦「南無阿弥陀仏」

柳宗悦「南阿阿弥陀仏」その二:浄土諸宗の比較


仏教の思想

智慧と慈悲<ブッダ>:仏教の思想①

仏教の現代的意義:梅原猛の仏教概論

存在の分析<アビダルマ>:仏教の思想②

ダルマの体系:倶舎論の構成

アビダルマの宗教史的位置づけ

空の論理<中観派の思想>:仏教の思想③

認識と超越<唯識>:仏教の思想④

大乗の実践哲学:上山春平

絶対の真理<天台>:仏教の思想⑤5

日本天台と鎌倉仏教

法華経の構成

無限の世界観<華厳>:仏教の思想⑥ 

華厳経の構成

三界唯心:華厳経十地品

四種法界と円融無礙

無の探求<中国禅>:仏教の思想⑦

中国禅の特色

日本の禅

不安と欣求<中国浄土>:仏教の思想⑧

梅原猛の中国浄土論

生命の海<空海>:仏教の思想⑨

曼荼羅の世界

空海と最澄

絶望と歓喜<親鸞>:仏教の思想⑩

梅原猛の親鸞論

法然と親鸞

古仏のまねび<道元>:仏教の思想⑪

永遠のいのち:仏教の思想⑫

梅原猛の日蓮論

日蓮の思想と行動


論の解説:仏教研究

廻諍論を読む

廻諍論を読むその二:アビダルマ批判

明らかなことば:中論への月称の注釈

知恵のともしび:中論への静弁の注釈

中辺分別論:唯識派の三性説

唯識二十論

中論を読む

中論を読むその二:原因(縁)の考察

中論を読むその三:運動(去ることと来ること)の考察

中論を読むその四:六根、五蘊、界の考察

中論を読むその五:貪りに汚れること貪りに汚れた人との考察

中論を読むその六:つくられたもの(有為)の考察

中論を読むその七:行為と行為主体との考察

中論を読むその八:火と薪との考察

中論を読むその九:自性と無自性の考察

中論を読むその十:業と果報との考察

中論を読むその十一:アートマンの考察

中論を読むその十二:原因と結果との考察

中論を読むその十三:転倒した見解の考察

中論を読むその十四:四つのすぐれた真理の考察

中論を読むその十五:ニルヴァーナの考察

大乗起信論を読む

大乗起信論を読むその二:法と義

大乗起信論を読むその三:心のあり方

大乗起信論を読むその四:まよいとさとり

大乗起信論を読むその五:対象的世界の虚妄性

大乗起信論を読むその六:対治邪執について

大乗起信論を読むその七:発心について

大乗起信論を読むその八:信心のための修行について


仏教経典の研究:お経を読む

金剛般若経を読む

金剛般若経を読むその二:聖者について

金剛般若経を読むその三:甚深あるいは即非の論理について

金剛般若経を読むその四:如来について

八千頌般若経を読む

八千頌般若経を読むその二:般若波羅蜜とはなにか

八千頌般若経を読むその三:菩薩大士とはだれか

八千頌般若経を読むその四:常諦菩薩の求法

般若心経を読む

維摩経を読む

維摩経を読むその二:仏国土の清浄について

維摩経を読むその三:ヴィマラキールティとは何者か

維摩経を読むその四:菩薩たちとヴィマラキールティの対話

維摩経を読むその五:文殊菩薩とヴィマラキールティの対話

維摩経を読むその六:天女と如来の家系

維摩経を読むその七:不二の法門

維摩経を読むその八:世尊とヴィマラキールティの対話

宝積経迦葉品を読む

中道の思想:宝積経迦葉品

勝鬘経を読む

勝鬘経を読むその二:一乗と無名住地

勝蔓経を読むその三:一諦としての苦滅諦

勝鬘経を読むその四:如来蔵

法華経を読む

法華経を読むその二:方便品

法華経を読むその三:譬喩品

法華経を読むその四:信解品

法華経を読むその五:薬草喩品

法華経を読むその六:授記品

法華経を読むその七:化城喩品

法華経を読むその八:五百弟子授記品

法華経を読むその九:授学無学人記品

法華経を読むその十:法師品

法華経を読むその十一:見宝塔品

法華経を読むその十二:提婆達多品

法華経を読むその十三:勧持品

法華経を読むその十四:安楽行品

法華経を読むその十五:従地湧出品

法華経を読むその十六:如来寿量品

法華経を読むその十七:分別功徳品

法華経を読むその十八:随喜功徳品

法華経を読むその十九:法師功徳品

法華経を読むその二十:常不軽菩薩品

法華経を読むその二十一:如来神力品

法華経を読むその二十二:嘱累品

法華経を読むその二十三:薬王菩薩本事品

法華経を読むその二十四:妙音菩薩品

法華経を読むその二十五:観世音菩薩普門品

法華経を読むその二十六:陀羅尼品

法華経を読むその二十七:妙荘厳王本事品

法華経を読むその二十八:普賢菩薩勧発品

華厳経を読む

華厳経を読むその二:普光法堂会

華厳経を読むその三:菩薩の浄行と功徳

華厳経を読むその四:菩薩の十住

華厳経を読むその五:菩薩の十行

華厳経を読むその六:十の無尽蔵

華厳経を読むその七:十の回向

華厳経十地品(十地経)を読む

十地経を読むその二:第一歓喜にあふれる菩薩の地

十地経を読むその三:第二垢れをはなれた菩薩の地

十地経を読むその四:第三光明であかるい菩薩の地

十地経を読むその五:第四光明に輝く菩薩の地

十地経を読むその六:第五本当に勝利しがたい菩薩の地

十地経を読むその七:第六真理の知が現前する菩薩の地

十地経を読むその八:第七はるか遠くにいたる菩薩の地

十地経を読むその九:第八まったく不動なる菩薩の地

十地経を読むその十:第九いつどこにいても正しい知恵のある菩薩の地

十地経を読むその十一:第十かぎりない法の雲のような菩薩の地

十地経を読むその十二:終章この経の委嘱


日蓮を読む

日蓮の生涯と思想

守護国家論:日蓮を読む

立正安国論:日蓮を読む

開目抄:日蓮を読む

観心本尊抄:日蓮を読む

撰時抄:日蓮を読む

報恩抄:日蓮を読む

下山抄:日蓮を読む

諫暁八幡抄:日蓮の神祇観

日蓮の即身成仏観

こいしこいしと申しつたへさせ給へ:日蓮の慈愛


鈴木大拙の仏教思想

鈴木大拙「大乗仏教概論」を読む

鈴木大拙の大乗仏教論

鈴木大拙の涅槃観

鈴木大拙「禅とは何か」を読む

鈴木大拙の日本的霊性論

即非の論理:鈴木大拙の思想

https://japanese.hix05.com/Buddhism/buddhism.index.html
2:777 :

2024/01/15 (Mon) 18:29:24

【カースト制度】とは?インド最大の闇
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14150216

【ヒンドゥー教】驚愕の神話!ヤバすぎる神様たち…成立から問題点まで
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14150213

【仏教】とは?教えから歴史、宗派の違い
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14150214

【アンコールワット】感動の世界遺産
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14150212



神仏習合の日本仏教
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/383.html

天皇家は推古朝以降 江戸時代までずっと仏教徒だった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/795.html

仏教衰退が招く廃寺、寺がなくなると廃村間近
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14078127



釈迦の本当の教え
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14008350
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/735.html

釈迦の悟りとは何であったのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html

不可触民(ダリット)の世界 _ 釈迦が見た地獄とは何だったのか
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/707.html

タイは天国に二番目に近い国 1 _ タイの仏教
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/377.html

仏教信仰は人間を堕落させる _ タイがバイシュン国家になった理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/708.html

仏教国 タイ _ 世界中が感動したタイの CM
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14003357

被差別部落出身の有名人は? _ 法華経は宗教ビジネスの聖典
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/860.html#c169

浄土真宗と創価学会は被差別同和部落民の宗教
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/371.html

西洋の達人が悟れない理由
2. 梵我一如はエロスの世界
3. 秘密仏教(密教)とは…
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/385.html


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釈迦の言葉
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/741.html

参考資料 _ ダンマパダ
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/737.html

参考資料 _ スッタニパータ
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/736.html

参考資料 _ ブッダ最後の旅
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/738.html


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