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2024/01/15 (Mon) 18:09:51
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壺齋散人 世阿弥「風姿花伝」を読む
続壺齋閑話 (2024年1月10日 08:17)
https://blog2.hix05.com/2024/01/post-7601.html
「風姿花伝」は、世阿弥の最初の能楽論である。第一年来稽古条々から第七別紙口伝まで、七つの巻で構成されている。このうち、第三までは応永七年(1400 世阿弥38歳)に成立、続いて第六までが応永九年ごろ成立した。第七別紙口伝は、応永二十五年(1418 世阿弥56歳)ごろに、「花習」とほぼ同時に成立した。第六までは、父観阿弥の教えを世阿弥なりに受け止めたものを書き留めたという性格が強い。とりわけ第三までは、観阿弥の教えをそのまま書いたといえよう。
第一から第三までは、能楽の基本的な心構えについて説く。この部分は父観阿弥の教えにかなり忠実だと思われる。観阿弥は申楽古来の伝統を体現した人物でもあるが、そうした伝統を踏まえた能楽の心構えがこの部分の要諦になっている。世阿弥独自の能楽論は、まだ打ち出されていないと言ってよい。第四は能楽の神事とのかかわりについて記したもので、これも申楽の伝統を踏まえたものとなっている。以上第一から第四までが、風姿花伝の本体というべきもので、これだけを伝えている写本が多数ある。
第五奥義云は能役者の生き方、第六花修云は能の創作についてそれぞれ語る。能役者の望ましい在り方について、創作の秘訣を含めて語っているものである。第七別紙口伝は、主に花とはなにかについて論じる。花とは、ごく単純化して言うと、芸の見どころ、見せどころといった意味である。役者としての芸の見せどころ、観客にとっての芸の見どころとは何かについて、丁寧に論じている。以下、それぞれの巻の内容について、ごく簡単に紹介する。
まず、全体の序について。ここでは、申楽は延年のことわざから起こり、その祖先は秦河勝であり、その河勝の子孫どもが春日・日枝の神事に従ってきたと記す。申楽の役者すなわち能役者は、その伝統を踏まえて、「ただ言葉いやしからずして、姿幽玄ならん」ことに務めるべきである。そう述べたうえで、好色・博奕、大酒を避け、稽古を怠らず、よい意見には耳をすませと勧める。
第一年来稽古条々。これは能役者の年齢に応じたあり方について語ったもの。七歳から五十有余まで七つに区分して各年齢ごとの特徴・心得を記したものである。能の稽古は七歳から始まる。十二・三歳になれば、「やうやう声も調子にかかり、能も心づくころなれば」、次第次第に能のわざを教えるべきである。この時期の花は、「まことの花にはあらず、時分の花なり」という。
十七・八になれば、声変わりして体型も美しさを失うので、時分の花はなくなるが、能役者としてやっていけるかどうかの境目なので、それなりの覚悟が必要だと説く。二十四・五歳は、生涯の芸能が定まる時期である。よって稽古の転機となる時期である。声(謡曲)と身(演技)はこの時期に定まる。そこに新たな時分の花が生まれる。
三十四・五歳で能役者としての全盛期を迎える。したがってこの時期に名声をえられぬものは、そこで頭打ちだといってよい、何故なら四十以後には新たな飛躍は望めないからである。
四十四・五以降は下降期になるので、それなりの工夫が必要となる。この時期は、たとえ能の演技が劣化しなくとも、年相応に「身の花も、よそ目の花も失するなり」。それゆえ直面での芸はできない。ともあれ、四十以降は衰える一方なので、「五十近くまで失せざらん花を持ちたる為手ならば、四十以前に天下の名望を得つべし」ということになる。
五十有余になっては、「麒麟も老いては駑馬に劣る」というとおり、だいたいが見られぬものになるのであるが、しかし例外はある、と言って世阿弥は父観阿弥が五十をすぎてなお花を感じさせたことを紹介する。その理由として、「これ、まことに得たりし花なるがゆゑに、能は、枝葉も少なく、老木になるまで、花は散らで残りしなり」というのである。
ここで世阿弥が言っているのは、花には「時分の花」と「真の花」があるということである。時分の花は年齢に相応するもので、その年齢を過ぎてしまえば失われるが、真の花は年齢が進んでも失われるものではない。それゆえ、生涯の役者として花を感じさせるには、若いころにきちんとした演技力を身につけておくことが大事なのだというわけである。
以上。年来稽古条々は、能役者が生涯のそれぞれの時期に心得るべき事柄を記し、子孫たちに教訓を垂れるかたちを取っている。この年来稽古条々に限らず、風姿花伝は、能についての理論書というよりは、子孫たちへの教訓という意味合いが強い。
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壺齋散人 能楽の世界:能、狂言、謡曲
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能・狂言・謡曲を総称して能楽という。能楽は猿楽から発展し、室町時代に観阿弥・世阿弥父子によって大成された伝統芸能である。その能楽の歴史と、能・狂言の曲目について解説し、鑑賞したい。
能の歴史と現在
観阿弥の能
世阿弥の夢幻能(敦盛を例にとって)
能・謡曲の曲目解説と鑑賞
翁:能にして能にあらず
金春流の翁を見る
高砂:世阿弥の脇能(能、謡曲鑑賞)
能「賀茂」:賀茂神社の縁起譚
能「岩船」:祝言の曲
能「竹生島」:弁財天と龍神
屋島:世阿弥の勝修羅物:平家物語(能、謡曲鑑賞)
田村:坂上田村麻呂と清水寺縁起(能、謡曲鑑賞)
経政:夢幻の中の管弦講:平家物語(能、謡曲鑑賞)
巴:巴御前と木曽義仲(能、謡曲鑑賞)
能「箙」:梶原源太景季と梅
能「清経」
能「頼政」を見る:大槻文藏のゐぐせ
羽衣:天女伝説(能、謡曲鑑賞)
熊野:春の花見(能、謡曲鑑賞)
芭蕉:金春善竹の草木成仏譚 (能、謡曲鑑賞)
姨捨:姨捨山伝説と大和物語(能、謡曲鑑賞)
能「井筒」:在原業平と紀有常の娘
能「松風」:在原行平と海女の恋
能「羽衣」を見て
能「草紙洗」
百萬:嵯峨女物狂:母子の生き別れと再会(能、謡曲鑑賞)
融:世阿弥の幽玄能(能、謡曲鑑賞)
蝉丸:蝉丸神社と芸能民のつながり(能、謡曲鑑賞)
弱法師:盲目の乞食と四天王寺(能、謡曲鑑賞)
菊慈童:枕慈童:邯鄲の枕の夢(能、謡曲鑑賞)
花月:喝食の芸づくし(能、謡曲鑑賞)
道成寺:安珍と清姫伝説(能、謡曲鑑賞)
富士太鼓:夫の仇討ち(能、謡曲鑑賞)
小袖曽我:曽我兄弟、母との別れ(能、謡曲鑑賞)
隅田川:梅若伝説(能、謡曲鑑賞)
大仏供養:悪七兵衛景清の弔い合戦(能、謡曲鑑賞)
泰山府君:桜の命と道教の神(能、謡曲鑑賞)
能「橋弁慶」:五条の橋の義経と弁慶
能「西行桜」
能「三井寺」:鐘の能
能「巻絹」:熊野三山と歌の功徳
能「三輪」:三輪明神の婚姻説話
能「俊寛」:平家物語から
能「鉢木」:北条時頼の廻国伝説
能「安宅」:観世小次郎信光の傑作
能「鉄輪」:嫉妬の呪い
能「天鼓」:父子の情愛
能「三笑」:虎渓三笑
能「自然居士」観阿弥の傑作
能「求塚」:葦屋の菟原処女と生田川伝説
能「正尊」:起請文
班女:世阿弥の舞尽くし能
能「西行桜」を見る
能「大般若」を見る
能「葵上」を見る
砧:能のフランス公演から
能「烏帽子折」
海人(海士):龍女伝説と母の愛(能、謡曲鑑賞)
小鍛冶:三条宗近と稲荷霊験譚(能、謡曲鑑賞)
能「小鍛冶」を見る
国栖:壬申の乱と天武天皇(能、謡曲鑑賞)
合甫:動物(魚類)報恩譚 (能、謡曲鑑賞)
鞍馬天狗:牛若丸と大天狗(能、謡曲鑑賞)
野守:歌物語と鬼 (能、謡曲鑑賞)
蟻通:紀貫之と蟻通明神(能、謡曲鑑賞)
能「鷺」:延年の舞とのかかわり
能「土蜘蛛」:千筋の糸
能「海士」を見て
船弁慶:観世小次郎信光の能
能「恋重荷」
道成寺:能楽公演2020から
能「百万」を見る
能「雷電」:菅原道真の怨霊
能「春日龍神」:明恵上人の入唐渡天
能「黒塚」:安達が原の人食い鬼
紅葉狩:観世小次郎信光の風流能
石橋:浄土欣求の能
能「石橋」を見る
能「山姥」を見る
半能「絵馬」を見る
清門別会の旗揚げ興行を見る
狂言の世界
狂言の歴史
狂言の諸流派と狂言台本
三番叟
佐渡狐
狂言「蝸牛」:誤解の喜劇
狂言「棒縛り」:狂言記より
狂言「柿山伏」:泥棒の居直り
狂言「成上がり」
狂言「呼声」:無奉公物
狂言「宗論」
狂言「鶏婿」
狂言「木六駄」
狂言「素袍落」
狂言「文山立」:山賊の喧嘩
狂言「蚊相撲」
狂言「釣狐」
狂言「萩大名」:野卑な大名
狂言「二人袴」
狂言「居杭」を見る
茸:鬼山伏狂言(能楽公演2020)
NHKの新春能楽を見る(狂言末広がり)
狂言「柑子」
狂言「二人大名」
狂言「通円」を見る:茂山七五三演じるパロディ
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世阿弥の能
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能の世界
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