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ダーウィン進化論と優生学

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2024/01/06 (Sat) 11:14:20

雑記帳
2024年01月06日
千葉聡『ダーウィンの呪い 人類が魅入られた進化論の「迷宮」』
https://sicambre.seesaa.net/article/202401article_6.html

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%91%AA%E3%81%84-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%8D%83%E8%91%89-%E8%81%A1/dp/4065336910

 講談社現代新書の一冊として、講談社より2023年11月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は、進化学の学説史というか、ダーウィンの提唱した進化論がどのような背景で提示され、批判や反発も含めてどのように人々に解釈されて、近現代社会に影響を及ぼしたのか、検証しています。現在一般的に「進化」と訳されている「evolution」を、ダーウィンは当初ほぼ使用しておらず、「transmutation(変化)」という用語を使っていました。「evolution」自体は、ダーウィンが『種の起源』を執筆する前の19世紀前半には使用されており、改良や複雑化や発達などといった意味で使用されていました。「evolution」はラテン語の「evolutio(展開する、繰り広げる)」に由来し、密集して折りたたまれていたものが一方向に展開するような減少の表現に用いられており、それが転じて17世紀以降には、個体発生を意味する言葉として「evolution」が使われました。19世紀前半には、「evolution」は内的な力によって生起する一定の方向への時間的変化や、単純なものから複雑なものへと発達・発展する現象を広く表現する言葉として使われるようになります。

 ラマルクなど当時の学者も、「evolution」という言葉は使わなかったものの、地球上の生命の発展はあらかじめ決められた目標に向けた首尾一貫した計画の展開と考えていた点では、一致しており、生物の進歩的な変化との考えは、19世紀前半にはイギリス社会でかなりの程度受け入れられていました。この意味で「evolution」を用いて、宇宙の発達や生物の複雑・多様化や人間と西進の発達や社会の発展・進歩を自然法則として統一的に説明しようとしたのが、ハーバート・スペンサーでした。スペンサーが生物の「evolution」を駆動する力として重視したのは、ラマルク的な獲得形質の遺伝を主とする内的な力でした。つまり、ダーウィンが用いた「transmutation」は、自然界の秩序ある発展となる「evolution」を否定するものでした。ただ、ダーウィンが方向性のない進化にこだわり、進化を進歩と見る考えを常に拒否していたわけではなく、後に獲得形質の遺伝の考えも大きく取り入れ、方向性のない変化との主張も後退させていき、それに合わせるかのように「evolution」を使うようになった、と本書は指摘します。

 ダーウィンは進化を、生物学者としては方向性のないものと認識していたものの、社会哲学者としては進歩の意味で説明しており、それは自説が社会に受容されるには、19世紀イギリス社会の進歩主義に貢献できねばならないと考えていたからだ、との指摘もあります。そのため、ダーウィンの進化論が当時の進歩観に衝撃を与えたわけではなく、対立したわけでもありませんでした。社会はダーウィンの進化論を進歩主義の推進力に利用し、ダーウィンもそれを利用した結果、ダーウィンの「transmutation」と「evolution」は同義となりました。

 20世紀半ば以降、自然選択を中心に据えた進化の総合説が広く定着し、生物の進化が当初のダーウィンの主張通り、方向性のない変化の意味で理解されるようになった時には、生物学者はそれを本来違う意味だったはずの「evolution」で呼ぶようになった、というわけです。本書はこうした事情を踏まえて、生物学以外で自然現象や事物や社会の発展・発達・進歩を表す用語として「evolution」が使われると、それは誤用と指摘する生物学者もいるものの、本来の意味に近いのはそうした用法で、生物学での意味の方こそ異端である、と指摘します。「進歩せよ」を意味する「進化の呪い」は進歩史観に由来し、生物学の原理を社会に当てはめて生まれたのではなく、初めから自然と生物と社会を遍く支配し、進歩を善とするか置換として存在していた、というわけです。

 進化論の言葉として有名ながら、現在の進化学として使われる機会が少ない「適者生存」についても、本書ではやや詳しく取り上げられています。『種の起源』原書初版では、「適者生存」という言葉は使われておらず、この言葉が最初に見られるのはその5年後に刊行されたスペンサーの『生物学原理』です。ダーウィンは表向きにはスペンサーを評価する一方で、生物学、とくに生殖についてはスペンサーの見解はでたらめと考えてようで、「適者生存」という言葉も無視していました。スペンサーは「適者生存」と「自然選択」を同じ意味と考えていましたが、実際には大きな違いがあった、と本書は指摘します。自然選択とよく似た過程は、ダーウィンとウォレス以前から提唱されていましたが、そこでは有害な変異除去のために変化が起きない、と想定されていたのに対して、自然選択では特定の環境下での有利な変異の維持と不利な変異の除去により新たな性質の出現が想定されており、創造的な意味があった、というわけです。

 しかしウォレスは、「自然選択」という用語により選択が誰かによる目的のある能動的な仕組みと誤解されることを恐れて、「適者生存」という用語を採用するよう、1866年にダーウィンに提案します。1869年に刊行された『種の起源』第5版では、自然選択が適者生存と同じような意味で用いられていました。本書はこれを、当時厳しく批判されていた進化論を守るためだった、と推測していますが、これが後に大きな問題をもたらした、と指摘しています。適者も進化と同様に生物学的と日常用語とで意味合いが異なっており、生物学での適者(出生率と生存率の高さ)は強さや賢さといった性質とは必ずしも一致しませんが、人々には、弱者や愚者が排除され、強者や賢者だけが生き残る、と解釈されました。これは、進化論が当時の風潮だった進歩史観に合流する道を開き、自由放任主義の経済と結びついていきます。ハクスリーは、自然選択を適者生存と置き換えたことにより多くの害がもたらされた、と指摘します。

 一方で本書は、社会進化論の代表とされるスペンサーが、実は適者生存を重視していなかったことも指摘します。スペンサーの進化論はダーウィンの進化論とほとんど関係がなく、適者生存という用語で取り入れた自然選択(の一部)はあまり重視されず、創造的な役割を担ったのはラマルク的な獲得形質の遺伝だった、というわけです。スペンサーは、適者生存に創造的な力は乏しく、それが作用するのは植物などあまり「進歩」していない段階の生物に限られ、人間の進化には関係しない、と考えていました。本書はスペンサーの進化論を、ダーウィンの革新的な進化論を取り入れたわけでも、適者生存を人間社会に適用し、弱肉強食型の社会を創ろうとしたわけでもなく、伝統的な進化の観点から導かられたものと評価しています。スペンサーは、ダーウィン以前の進化観に基づいて壮大な思想を展開した、最後の古典的進化思想家だった、というわけです。スペンサーの進化論は自由放任主義を基調として、当時のイギリス社会の進歩史観や古典的自由主義と合致し、現代の自由至上主義(リバタリアニズム)の源流とされています。スペンサーの進化論では、「進化した社会と人間」は協調的で利他性を重んじると想定され、ある意味で楽園思想に基づくものだった、と本書は評価しています。また、スペンサーはイギリスの植民地支配を批判しており、スペンサー自身が「人種」差別による搾取や植民地主義を正当化したことはありませんでした。

 ダーウィンの進化論は大衆に広く知られるようになりましたが、それは『種の起源』が当時の科学的書籍としてはなかなかの水準で売れたからというよりも、当時出現し始めていたサイエンスライターが取り上げたからでした。すでに1872年までに、一部の保守派を除いて進化論は受け入れられていたようです。ただ当時、自然選択説は一時的に注目を集めたものの、間もなく失速し、代わって支持を得たのはラマルク的な獲得形質の遺伝で、祖先から子孫へ一方向的に形態変化が進む、とのネオ・ラマルキズムが広がりました。ただ、ラマルク説を支持する科学者でさえ、ダーウィンの支持者と自称し、その功績を称えていました。大衆に受け入れられたのも進歩の意味での進化で、ダーウィンの独創的な自然選択はほとんど受け入れられていませんでした。そもそも、当時のイギリスとアメリカ合衆国では、ダーウィン説を正しく紹介した知識人もほとんどいなかったようです。つまり、19世紀において、ダーウィンの進化論が当時の社会や思想を変革したり、自然選択説で当時の常識を覆したりといった、「ダーウィン革命」は起きなかったわけです。

 19世紀末に大衆への進化論の啓蒙に最も大きな役割を果たしたのがベンジャミン・キッドで、その著書『社会進化論』では、人間とその社会の進化(進歩)は競争と生存闘争による適者生存(自然選択)の結果で、最も産業化を遂げた民族が最も進化(進歩)した民族とされました。本書はキッド説について、スペンサー進化論の枠組みだけ利用し、その過程をラマルク的な獲得形質の遺伝から粗雑な自然選択に変えたとして、以後の社会に大きな影響を与えた、と評価しています。キッド説では、社会は1個体の生物のような有機体で、個人の利益より社会の利益の方が重視され、それが民族や国家間の闘争と適者生存に結びつけられました。キッド説では、個人と社会の利益の対立関係は宗教により緩和される、と想定されました。キッドの『社会進化論』は世界中で大きな反響を呼び、日本では内村鑑三が強い感銘を受けましたが、夏目漱石は愚論と評価しました。ダーウィン的進化論と、幸福な社会の実現という理想との折り合いのつけ方には2通りあって、一方は人間社会を発展させる精神活動は進化と独立に作用する、という立場で、もう一方はダーウィン的な進化論を拡大解釈し、それを理想の実現に合致する、としてしまう立場です。

 上述のように、ダーウィンの自然選択説は提唱後間もなく失速し、ラマルク的な見解が優勢になりましたが、19世紀末には両者が曖昧な理解に基づくいわば共存状態(これには、晩年のダーウィンが獲得形質の遺伝も取り入れていたためでもありました)から決定的に対立するようになります。この激しい論争においてダーウィンの自然選択説が優勢になっていったのに、遺伝学が大きく貢献したようです。その延長線上に、統計学の多大な貢献もあり、20世紀半ばに進化の総合説が成立します。とはいえ、19世紀末から20世紀半ばの総合説の成立、さらにはその後でも進化と進歩を同一視する観念は根強く残り、さらには人間の進化が進歩でないならば、人間自らが進化を進歩に変えねばならない、との思考が現れます。これは、イギリスにおいて上層階級よりも下層階級の方で出生率が高いことへの危機感に由来していました。

 この過程で猛威を振るったのが優生思想で、分かりやすく改変されたダーウィン進化論が正当化に利用されました。ドイツのナチ体制がおぞましい形で優生思想を現実の政策に反映しようとしたことはよく知られているでしょうが、そのさいにナチ体制が参考にしたのはアメリカ合衆国だったことも、今では日本社会で割とよく知られるようになったかもしれません。優生思想は、ドイツのナチ体制ほど極端ではないにしても、20世紀前半の欧米には広く浸透していたわけです。優生思想の「創始者」的人物は、ダーウィンの従弟で進化論を支持し、統計学の発展に大きく貢献したフランシス・ゴルトンでした。本書は、ゴルトンにより提示された「優れている能力」が恣意的な指標だったことを指摘します。総合説の成立に直接的ではないとしても貢献したと言えるゴルトンが優生思想を提唱したように、総合説の成立に直接的に貢献した偉大な科学者の中にも、優生思想の信奉者はいました。しかし、イギリスでは早くも1910年代には優生思想の勢いは失われ、初期に優生思想を批判した一人が、晩年のベンジャミン・キッドでした。

 一方、イギリスとは対照的にアメリカ合衆国では、1910年代半ばから優生思想が急速に定着していき、ナチ体制が参考とするに至ります。優生思想で問題となったのが、イギリスではおもに階級だったのに対して、アメリカ合衆国では「人種」でした。こうした「人種」の違いの起源は古く、その進化過程に起因すると考えられ、北方で進化した「人種」が最も優れている、と考えられました。一方でアメリカ合衆国においても、優生学者が主張する性質と遺伝子の関係は単純すぎる、との批判もありました。遺伝子間で複雑な相互作用がある、というわけです。しかし、政財官学に深く根付いた優勢思想とそれに基づく活動は、そうした批判では容易に揺らがなかったようです。アメリカ合衆国において政治家や大衆媒体や遺伝学者の多くが優生学と距離を取り始めたり批判的になったりし始めたのは、1930年代になってからでした。また本書は、優勢思想的な観念は古典期ギリシアなどで古代から見られたものの、強力な武器を与えたのが科学だった、と指摘します。

 本書は、ナチ体制の崩壊とともに優勢思想が消滅したわけではなく、いつでも復活する可能性がある、と懸念しています。というよりも、「穏やかな」優勢思想はナチ体制の確立から崩壊の後でも残ったことを、本書は指摘します。今では日本社会でも割とよく知られるようになったかもしれませんが、「進歩的な福祉国家」とされる数量でも、1975年まで強制不妊が行なわれており、日本でも1948~1996年まで優生保護法により25000人ほどが不妊化された、と推測されています。本書は、第二次世界大戦後に優生学が「ステルス化」した、と指摘します。1970年代以降に、優生学という用語を進化学者や遺伝学者は避けるようになったものの、消え去ったわけではなく、見えなくなっただけだ、というわけです。本書は最後に、ゲノム編集技術の進歩など、現在でも優生思想がすでに克服された問題ではないことを指摘しており、これは私も含めて現代人が考えねばならないと改めて思います。


参考文献:
千葉聡(2023)『ダーウィンの呪い 人類が魅入られた進化論の「迷宮」』(講談社)

https://sicambre.seesaa.net/article/202401article_6.html
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2024/01/06 (Sat) 11:21:35

【タブー視される悪魔の学問】人間の命に優劣をつけた「優生学」とは何か?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16829705

現在でも米政府やWHOは劣等な民族を「淘汰」すべきだと考えている
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キリスト教原理主義
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/391.html

ユダヤ陰謀論とグローバリズムを考える _ ヨーロッパ化されたキリスト教がユダヤ思想の正体で、ユダヤ教やユダヤ人とは何の関係も無かった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/504.html

欧米のキリスト教徒全員の行動指針となっているヨハネの默示録
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/506.html

キリストの再臨とアメリカの政治
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イスラエルとアメリカのカルト政治家が虐殺を進める
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パレスチナ問題は米英帝国主義と旧約聖書カルトが生み出した
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ユダヤ人は白人美女が大好きで、非白人は人間だと思っていない
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西側支配層の人類を死滅させかねない政策は背後に優生学
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Microsoft創業者ビル・ゲイツの優生学
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非ユダヤ系アメリカ人にはバカしかいない
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日本育ちのアメリカ人が経験するアメリカの現実!日本とアメリカの人種に関する考えの違い
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アメリカの黒人強制労働の歴史
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接種者を死亡させ、人類の存続を危うくする薬を世界規模で接種させるのは誰か
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ナチスの「人間牧場」 選別した男女に性交渉させ、アーリア人を産ませる
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ナチスのユダヤ人に対する不妊作戦
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遺体は“1000人以上” 暴行、レイプ…先住民の子どもを大規模虐待~カナダ寄宿学校の闇〜
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氷河時代以降、殆どの劣等民族は皆殺しにされ絶滅した。
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コーカソイドは人格障害者集団 中川隆
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/380.html

白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html

アングロサクソンの文化
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007474

ウクライナのネオナチを動かしている優生学の発祥地は英国であり、米国で育った
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202212310000/

「モンゴル人種に属すロシア人」を殺す必要性を訴えたウクライナ軍の米人報道官
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202310070000/

優生学と関係が深い人口削減政策は19世紀のイギリスから始まる
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202307310000/


▲△▽▼


RK: 彼らのやり方は、少数によって大多数の人々を管理して富を独占する。
  そのやり口を見ていると、まるで人間を家畜と考えていて、
  ある意味非常に効率的に管理支配していますね。

BEN:ここが農耕民族である日本人には理解しにくいところで、
  彼らの発想は非常に遊牧民的というか、非常に残酷なのです。

  それはユダヤ人の割礼なんかもそうですが、
  乳牛でもちょっとでも乳の出が悪いとすぐ殺処分するし、
  主人の言うことを聞かない暴れるオスだと、すぐに断種して
  睾丸を抜いてしまうんです。

  だけどこれが農耕民族だと、牛や馬は家族扱いにして大切にする。
  彼ら動物は田畑を耕したり、荷物を運んだりする使役動物だから、
  日本の昭和初期頃までは家の中で大切に飼って、
  潰して食用にすることもあまりなかった。それだけ感覚がまったく違うわけです。

  事実、遊牧民たちは農耕民族のことを、草を食べる
  あるいは穀物と言い換えてもいいのですが、
  羊人(Sheeple シープル)と呼んでいます。

  その羊人である農耕民族を管理するために「羊飼い」としての一神教
  (キリスト教やユダヤ教)があり、その神を動かすことで
  全体を支配するという考えです。

  これまでもその発想でずっと世界を支配してきたのです。

  ですから支配者たちから見ればその他大勢の庶民は同じ人間ではなく、
  「羊人」という家畜にすぎません。

  だから増えて管理が面倒になれば「間引こう」となるし、
  劣等な種族は断種して子孫を作らせないようにする。

  家畜を使って利益を得れば、当然のように牧場主がすべてを奪い取る。

  文句を言えば餌を減らし、ムチで叩いて大人しくさせる。

  このようにして食料と軍事力で世界を管理・コントロールしている連中が
  存在しているのです。
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-a3d1.html
3:777 :

2024/02/22 (Thu) 19:49:49

2024.02.22XML
米英支配層による大量殺戮の背後に優生学
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202402220000/

 ウクライナとパレスチナは戦乱で破壊されて多くの人が死亡、東アジアでは軍事的な緊張が高まっている。仕掛け、推進しているのはネオコンと呼ばれるアメリカの好戦的な勢力だが、いずれもイギリスの支配層が19世紀に始めた長期戦略と深く関係している。

 この戦略は「グレート・ゲーム」と呼ばれていたが、それをイギリスの地理学者ハルフォード・マッキンダーは理論化、1904年に発表した。日露戦争が勃発した年だ。ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もマッキンダーの理論に基づいている。マッキンダーを無視して現在の国際情勢を語ることはできない。

 マッキンダーによると、世界を支配するためには「世界島(アフリカとユーラシア)」を支配しなければならない。そのためにはボルガ川から長江、北極圏からヒマラヤ山脈までの「ハートランド」を支配する必要があり、そのためには東ヨーロッパを支配しなければならない。



 イギリスは海軍力の国である。ユーラシア大陸を締め上げるため、その周辺部(内部三日月帯)をその海軍力で支配するのだが、そのためには1869年に完成したスエズ運河が重要な意味を持つ。その運河を利用して地中海から紅海を通り、インド洋へ抜けることができるようになったのだ。スエズ運河の近くにイスラエル(1948年)とサウジアラビア(1932年)を作り上げたのはイギリスにほかならない。

 イギリスからマダガスカル、スリランカ、マレー諸島、海南、台湾、そして日本へ至る地域は外部三日月帯と呼ばれる。マレー半島から日本へ至る地域は中国を侵略するための拠点。明治維新の背後でイギリスが暗躍、明治体制に深く関与した理由はここにあるだろう。


 徳川時代の日本は長崎だけでなく、松前から蝦夷地、対馬から朝鮮半島、薩摩から琉球という経路で大陸と盛んに交易していた。鎖国していなかったことは明白であり、明治維新で「開国」したわけではない。

 マッキンダーがまとめた戦略の背後にはイギリスの支配層がいた。その中心グループはビクトリア女王にアドバイスしていたネイサン・ロスチャイルド、ウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット、そしてセシル・ローズらだ。

 イギリスはボーア戦争(南アフリカ戦争/1899年~1902年)で金やダイヤモンドを産出する南アフリカを奪い取ることに成功したが、ローズはその戦争で大儲けしたひとり。その侵略でウィンストン・チャーチルも台頭してくる。イギリスの金融資本は世界の金をコントロールできるようになり、金本位制を採用する国の通貨にも大きな影響力を及ぼせるようになった。

 1871年にNMロスチャイルド&サンの融資を受けて南部アフリカでダイヤモンド取引に乗り出して大儲けしたセシル・ローズはアングロ・サクソンを最も高貴な人種だと考えていた。

 ローズは1877年6月にフリーメーソンへ入会、『信仰告白』を書いている。その中で彼はアングロ・サクソンが最も優秀な人種だと主張、その優秀な人種が住む地域が増えれば増えるほど人類にとってより良く、大英帝国の繁栄につながるとしている。秘密結社はそのために必要だというわけだ。

 1890年にローズはロンドンでナサニエル・ド・ロスチャイルドのほか、ステッド、ブレット、ミルナー、サリスバリー卿(ロバート・ガスコン-セシル)、ローズベリー卿(アーチボルド・プリムローズ)たちへ自分のアイデアを説明、そのうちローズ、ロスチャイルド、ブレット、ステッドの4人が協会の指導者になったとされている。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

 ステッドによると、ローズはチャールズ・ダーウィンの信奉者で、トーマス・マルサスの『人口論』から影響を受けたとされている。ダーウィンの従兄弟にあたるフランシス・ゴールトンは優生学の創始者だが、その優生学は人口論と結びつく。人口の爆発的増加を防ぐために「劣等」な人間を削減の対象にしようというわけだ。ハーバート・スペンサーもダーウィンの仮説を社会へ持ち込んだ人物である。ローズも優生学を信奉していた。

 貧困問題の原因を社会構造でなく先天的な知能の問題に求め、産児制限を提唱、フェミニストの運動を支持していたマーガレット・サンガーもマルサスの人口論やゴールトンの優生学を信奉していた。彼女は劣等な人間は生まれつきだと考え、そうした人間が生まれないようにしようということになるからだ。

 ローズの遺産を利用して1903年に始められた奨学制度は今でも機能しているローズ奨学金。奨学生に選ばれると、学費を生活費が提供され、オックスフォード大学の大学院で学ぶことができる。この制度は支配層の人脈を形成する仕組みのひとつだ。

 キャロル・クィグリーによると、1901年までこの協会を支配していたのはローズ。彼以降はアルフレッド・ミルナーを中心に活動した。ミルナーはシンクタンクのRIIA(王立国際問題研究所)を創設した人物としても有名で、「ミルナー幼稚園」や「円卓グループ」も彼を中心に組織されたという。

 ミルナーは1854年にドイツで生まれ、オックスフォードで学ぶ。その後、1881年からポール・モール・ガゼットという新聞社で働くが、85年に退社して政界入りを試みたものの失敗し、南アフリカへ向かった。

 アメリカやイギリスは イスラエルを使い、パレスチナ人を絶滅させようとしている。ウクライナではロシア軍の反撃で失敗したが、日本では遺伝子導入剤の生体実験で住民が死滅しかねない状況だ。人がいなくなれば「高貴な人種」の支配地域が増えると考えている人がいるかもしれない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202402220000/
4:777 :

2024/03/07 (Thu) 18:35:07

正当化とアメリカの400年』 著 イブラム・X・ケンディ 訳 山田美明
『人種差別主義者たちの思考法:黒人差別の正当化とアメリカの400年』 著 イブラム・X・ケンディ 訳 山田美明

2024年3月7日
https://www.chosyu-journal.jp/review/29467

https://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E5%B7%AE%E5%88%A5%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E6%80%9D%E8%80%83%E6%B3%95-%E9%BB%92%E4%BA%BA%E5%B7%AE%E5%88%A5%E3%81%AE%E6%AD%A3%E5%BD%93%E5%8C%96%E3%81%A8%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%EF%BC%94%EF%BC%90%EF%BC%90%E5%B9%B4-%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%83%BB%EF%BC%B8%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3/dp/4334101038



 米ボストン大学教授で反人種主義研究・政策センター所長である著者(1982年生まれ)が、ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大切だ)運動の只中で書いたこの分厚い本は、2016年に全米図書賞(ノンフィクション部門)を受賞し、全米でベストセラーになった。



 「アメリカの400年」とは、イギリス人入植者がアメリカにやってきた植民地時代から現在までで、その間の人種差別思想の歴史全体を概観し、その根本的な打開方向を提起している。今まさに、入植者植民地主義によって生まれたアメリカが、同じく入植者植民地主義のイスラエルを支援し、イスラエルがパレスチナ人の民族浄化をおこなっており、それとあわせて問題の根源を考えさせる。



 黒人差別というとき、1862年の奴隷解放宣言でも、1964年の公民権法でも終止符がうてない「白人vs黒人の暴力の連鎖」と見たり、あるいは「人々の無知と偏見が憎悪の感情を生み出す」、つまり個々の人間の心の問題と見ていたら、打開の方向は見えないままだ。著者はこうのべている。黒人差別思想は、富と影響力と知性を持つその時代の為政者たちが、植民地主義と奴隷的な搾取を正当化するため、その責任が為政者の側ではなく黒人にあると思わせる目的で生み出した政策なのだ、と。



黒人差別思想の淵源



 アメリカの黒人差別思想は、いつ生まれたのか。



 ピューリタンがアメリカに入植するのは、1600年代の初めだ。だが、ヨーロッパの人種差別思想は、それより200年前、ポルトガルがアフリカを占領し奴隷貿易を始めると同時に、人種差別的政策をとったことから生まれたという。



 当初、西ヨーロッパに売られていた奴隷の大半は、トルコの侵略者が拘束したスラブ人(この民族をあらわす言葉が奴隷:slaveの語源)だったが、15世紀半ばからはアフリカ人の供給が増えた。そのときポルトガルは、「アフリカ人は人間以下のけだもので、理性的な習慣がまるでない」「ポルトガルで奴隷として使われた方がはるかにいい」として奴隷貿易を正当化した。実際は西アフリカにはすでにマリ帝国やガーナ帝国があり、文明を築いていたが、それは無視された。



 1492年以降、コロンブスをはじめスペインの入植者たちは、アメリカの先住民を「この土地の黒人」と呼び、銃と聖書の力を頼りに、人類史上まれに見る虐殺に手を染めた。1500年代に入ると、入植者たちは本国スペインに、働かないネイティブアメリカンの代わりにアフリカ人奴隷を送り込むよう嘆願した。17世紀にやってきたピューリタンは、この人種差別思想を利用してアメリカの奴隷制を合法化・法制化したに過ぎない。



 そして資本主義勃興期のヨーロッパでは、科学革命や啓蒙主義の先駆者たちが、同時に人種差別主義者だった。君主制を批判し市民革命の理論的支柱となったジョン・ロックは「西アフリカの女性はサルとの間に子どもを宿している」といい、ニュートンが会長を務めた英王立学会は「白人が人類を支配する」という考え方を規範として確立していた。



現代の奴隷制 監獄ビジネス



 本書のなかでは、「黒人は人間以下のけだもので、野蛮な存在であり、文化をつくりあげることができず、奴隷の状態に満足している」「黒人は白人よりも生物学的に劣る」とする人種分離主義が、現在まで長く影響を持ってきたことを跡付けている。それは入植者植民地主義の特徴だ。昨年来のイスラエルによるガザ攻撃のなかで、イスラエルや欧米の首脳から、パレスチナ人を「野蛮」だとか「人間のような動物」と呼ぶ発言があいついだことを思い出す。



 一方、奴隷解放運動や公民権運動が大きな力を持ってくるなかで、「アフリカ人を野蛮な状態から解放し、キリスト教に改宗させ文明化することで救う(前提は白人の文化だけが優れたものとする考え方)」といった同化主義者が増えていったことも指摘している。そのなかで自分の肌を白く脱色する黒人もあらわれた。同化主義は、奴隷解放運動を沈静化する役割を果たした。



 公民権運動の代表的人物であるマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、1963年のワシントン大行進で「私には夢がある」と演説した時点では、同化主義の影響を受けていたと著者はいう。しかし、人種統合を推進しても黒人のエリートが得をするだけで、貧困にあえぎ都市反乱をおこしている何百万人もの黒人は置き去りにされることに気づいた。そして、首都に貧しい人々を集めて連邦政府に圧力をかけ、完全雇用や所得の保障、住宅の提供などを約束する経済権利章典を採択させようと考え、「抑圧されている民族は、権力を手にした場合にのみ解放を実現できる」と主張し始めた。直後、彼は凶弾に倒れた。



警察官による黒人殺害は21倍



 現在アメリカでは、若い黒人男性は若い白人男性に比べ、警察官に殺害される割合が21倍も高く、刑務所に収監される割合が五倍も高い。黒人の囚人をただ同然の労働力として搾取する監獄ビジネスが横行しているからだ。この現代の奴隷制を維持するために、黒人を指して「生活保護受給者は怠け者」「スラム街は危険」「貧困層は無知」というイメージを、メディアがくり返し流している。それは共和党の大統領レーガンが1982年に「麻薬との戦争」を宣言し、薬物濫用防止法をつくってからのことだ。法律は黒人に厳しく白人に甘くつくられ、収監者は2000年までにそれまでの4倍に増えた。何百万人もの黒人や中南米系移民が選挙権を行使できない刑務所に送られ、選挙権を剥奪されて釈放された。



 さらに1994年、民主党の大統領クリントンが「三振即アウト」法をつくった。過去に2度有罪判決を受けた者が、3度目に有罪になると、その罪がなんであれ終身刑などの重罰となる内容になっており、それが監獄ビジネスを支えている。



 それで利益を得るのは、政治・経済的に権力を握る1%の連中である。彼らは人種差別が根絶されれば、非白人はおろか、低所得層や中間層の白人をも効果的に支配し搾取するツールが失われると恐れている。そこから著者は、アメリカの人種差別を根絶する方法があるとしたら、それは以上のことを深く理解した人々が、組織や地区、郡、州、国家、あるいは世界に対する権限を掌握することだ、その日は必ず来る、と結んでいる。



 アメリカをはじめとするG7の力が衰退し、かつて侵略され支配されてきたグローバルサウスの国々が台頭している今の時代は、この数百年におよぶ植民地主義や人種差別思想を根絶する方向に進む可能性をはらんでいる。



(光文社発行、四六判、662㌻、5000円+税)
https://www.chosyu-journal.jp/review/29467
5:777 :

2024/04/02 (Tue) 13:19:55

2024.04.02XML
ウクライナやパレスチナで戦乱を引き起こした米英金融資本は苦境に陥っている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202404020000/

 ウクライナにしろパレスチナにしろ、戦乱の黒幕はシティとウォール街を拠点とする金融資本であり、東アジアで軍事的な緊張を高めているのも構図は同じ。シティとウォール街を拠点とする金融資本は緊密な関係にあるが、そうした構図を生み出しているのは19世紀にイギリスで作成された世界制覇戦略だ。

 ところが、その戦略が大きく揺らいでいる。ウクライナでは金融資本の手先であるネオ・ナチ体制軍の敗北が決定的。ロシア軍は敵の要塞線を突破し、西へ進んでいる。

 ​イギリスのベン・ウォレス前国防相は昨年10月1日、戦場で戦うウクライナ兵の平均年齢は40歳を超えているとテレグラフ紙に寄稿した記事の中で指摘​している。前線で戦う兵士の平均年齢は42歳だと言われていたので、この話は正しかったのだろうが、今の状況はさらに悪化しているはずだ。

 ガザではイスラエル軍が建物を破壊、住民を虐殺している。アメリカやイスラエルが「建国」する際に行なったようなことを繰り返しているのだが、ハマスとの戦闘は苦戦しているようだ。ウクライナに軍事支援してウラジミル・プーチン政権を倒し、ガザを原爆が投下された長崎や広島のようにして早く軍事作戦を終わらせろとアメリカのティム・ウォルバーグ下院議員は言っている。それだけ苛立っているのだろう。

 アメリカやイスラエルは先住民を虐殺したり追放した後、自分たちの「国」を建設した。パレスチナに「ユダヤ人の国」をでっち上げたイギリスはアイルランドやスコットランドなどでも住民を虐殺している。

 例えば、ピューリタン革命で実権を握ったオリバー・クロムウェルはアイルランドに軍事侵攻しているが、侵攻前の1641年には147万人だった人口が侵攻後の52年には62万人に減少している。50万人以上が殺され、残りは「年季奉公」や「召使い」、事実上の奴隷としてアメリカなどに売られたと言われている。

 ピューリタンは1620年にメイフラワー号でアメリカへ渡った。この人たちはピルグリム(巡礼者)・ファーザーズと呼ばれているが、北アメリカでイギリスが植民した地域でピューリタンは「新イスラエル」を建設していると信じていたという。

 ピューリタンの前からヨーロッパ人はアメリカ大陸へ移民している。1492年にはイタリアのジェノバに生まれたクリストバル・コロン(コロンブス)がカリブ海に現れ、グアナハニ島に上陸したが、その当時、北アメリカには100万人とも1800万人とも言われる先住民が住んでいたと推測されている。これだけ数字に幅があるのは、ヨーロッパからの移住者が先住民を何人殺したかが不明だからだ。1890年にウーンデット・ニー・クリークで先住民の女性や子供がアメリカ陸軍第7騎兵隊に虐殺された時には約25万人に減少、生き残った先住民は「保留地」と名づけらた地域に押し込められた。それを「合法化」するため、「強制移住法」が施行されている。

 その間、1776年に「独立宣言」、そして81年に「建国」が宣言された。独立宣言では「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と謳っているが、先住民について「年齢・性別・身分を問わない無差別の破壊を戦いの規則とすることで知られる、情け容赦のない野蛮なインディアン」と表現、アメリカ・インディアン虐殺が始まる。

 勿論、先住民でけでなく奴隷も人間として扱われていない。奴隷というとアフリカ系を連想する人が多いだろうが、アイルランドなどから売られてきた奴隷もいる。中国から連れてこられた「苦力」も一種の奴隷だ。アメリカの「民主主義」はその程度の代物だということである。

 アメリカを「建国」していた人びとが敵視していたイギリスの支配層も似たようなもの。19世紀後半のイギリスを動かしていたのは金融の世界に君臨していたナサニエル・ロスチャイルド、その資金を使って南部アフリカを侵略し、ダイヤモンドや金を手にしたセシル・ローズ、そのほかウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、アルフレッド・ミルナー(ミルナー卿)たちだ。

 この中で世界支配の戦略を立てたのはローズだと言われているが、 この人物は1877年にオックスフォード大学を拠点とする秘密結社「アポロ・ユニバーシティ・ロッジNo.357」へ入会、その直後に「信仰告白」を書いている。

 それによると、ローズはアングロ・サクソンが「世界で最も優れた種族」だと主張、そのアングロ・サクソンが住む地域が広ければ広いほど人類にとって良いことだとし、そうした戦略を実現するために秘密結社は必要だとしている。ローズは大英帝国を拡大させ、アングロ・サクソンをひとつの帝国にまとめたいと考え、その目標を実現するためにアメリカも支配したかったのだ。おそらく、その帝国の中にイスラエルも含まれている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202404020000/

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