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現代アート

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2024/01/03 (Wed) 15:28:54

西洋美術史を流れで学ぶ(第29回)~現代アート編~
https://irohani.art/study/8137/

今回は第二次世界大戦が終わった1950年代から1990年代までの歴史について語らせてください。いわゆる「現代アート」と呼ばれる時代が始まる年代です。「いや、もう一つにまとめるのとか無理よ」ってくらい混沌としています。そのなかから主な運動とアーティストを抜粋してご紹介していきましょう。


「なぜ現代アートにたどり着いたのか」をあらためて振り返る

「現代アート」は広義でいうと、1950年代から現在までのアート運動を指します。

これまでの歴史って「ルネサンス」とか「ロココ」とか「印象派」とか……ある程度「この時代に流行ったのはこれ!」っていう様式がありました。ただ現代アートはもう超カオスです。世界各地で常に新しい表現主義が生まれ、どれがメインストリームかすら、もう分からん状態になっています。

「じゃあどんな様式があるの?」ってのをざっくり並べると、以下の表のようになります。


現代アートの様式 名前 開始時期 特徴
カラーフィールド・ペインティング 1950年代末から1960年代 大胆な色彩でキャンバスに「フィールド」を作り出す抽象絵画
大胆な色彩でキャンバスに「フィールド」を作り出す抽象絵画 1950年代後半 主に戦争のトラウマを呼び起こして描かれた幻想絵画
ミニマリズム 1960年から70年代初頭 作品の完成度を高めるためにあえて省略化して作られるアート作品
ネオ・ダダ 1950年代後半から1960年代 アメリカや日本でおこなわれた不条理性を追究する反芸術運動
ポップ・アート 1960年代 大量生産・大量消費時代をテーマとする芸術様式
コンセプチュアル・アート 1960年代から1970年代 作品を生み出すアイディア・コンセプトに重きを置いたアート様式
アスキーアート 1960年代後半 文字組みを生かしてビジュアライズする手法。顔文字も含まれる
パフォーマンス・アート 1960年代 作者自身の身体を作品として扱うアート
ソフト・スカルプチュア 1960年代 柔らかい素材で彫刻をつくるアート運動
スーパーリアリズム 1970年代 写真をもとに克明に絵画を描くことで写真そのものに近づける手法
ホログラフィー 1970年代前半 写真の「ホログラム」を使ったアート運動
ボディ・アート 1970年代前半 人体を使って、主に絵を描くスタイルのアート
フェミニズム・アート 1960年代後半~1970年代 女性の生活を反映した作品をつくるアート。主に美術史での女性の地位向上を目的にした
アウトサイダー・アート 1970年代 芸術の教育を受けていない芸術家たちが起こしたアート
インスタレーション・アート 1970年代 屋内外の空間全体を使って表現をするアート
ローブローアート 1970年代後半 アングラ漫画やヒップホップを起源に起こったユーモアや風刺の多いアート
ワイルドスタイル 1970年代後半 複雑な文字組みを特徴とするグラフィティアート
ニュー・ペインティング 1980年代 1920年代のドイツ表現主義のリバイバルとして起こった運動
シミュレーショニズム 1980年代 かつての他者の作品を盗用、サンプリングして作るアート
フラクタル・アート 1980年代 コンピュータの「フラクタル」を生かして作品をつくる運動
グラフィティ・アート 1980年代 主に路上の壁などにスプレーで自分の名前やイラストなどを描くアート
トランスグレッシブ・アート 1980年代 あえて反社会的・犯罪的な行動をすることで道徳心をあおる運動
トランスアバンギャルド 1980年代 イタリアで起こった新表現運動。主に「喜び」を意識した表現を特徴とする
シニカル・リアリズム 1990年代 主に中国で起こった、社会や制度をシニカルな視点で風刺した運動
マス・リアリズム 1990年代 ポストモダンにマスメディアやポップアートを織り交ぜた芸術運動
バイオ・アート 1990年代 遺伝子、クローンといったバイオ工学を生かしたアート
ネグリチュード 1990年代 アフリカ・カリブ系黒人による植民地・政治に対する運動
ソフトウェアアート 1990年代 コンピュータソフトを駆使して作品を作るアート様式


これはあくまで「一部」です。本当はもっともっとある。2022年の今でも世界のどこかで新しい表現が生まれ続けています。多様化ってのは素晴らしいですよね。こう、「自分の思想を、自分の好きな手段で発信できる」という自由さを感じます。


現代アートがここまで多様化できた理由

では、なぜアートは、ここまで多様化したのか。その理由を3つに分けて紹介してみましょう。


自分の内面を発信できる状態になった

まず、この連載でも紹介してきましたが、19世紀を境に「芸術作品のあり方」が大きく変わった点があります。

19世紀以前は「自分の好きなことを好きに表現する」というのは稀です。国とか教会とか金持ち市民の依頼を忠実に再現することがアーティストの仕事でした。完全にクライアントワーク。「依頼主に言われた通りのデザインで描く」というのがルールだったんですね。

また当時は識字率がまだまだ低い時代です。カメラができる前、「絵」は情報伝達の貴重な手段であり「世間のことをみんなに伝える」というのも、アーティストの仕事でした。そんな時に前衛表現をしても「なんのこっちゃ?」ですよね。新聞のスポーツ欄で「大谷翔平、さよならホームラン!」と書いてグニャグニャのバットと、ピカソの絵みたいな顔の大谷翔平を描くようなもんです。「なんのこっちゃ」なわけです。メディアとしてものすごく機能していたからこそ、保守的な表現になっていたという背景もあります。

ただ19世紀になって「デカいパトロンから仕事をもらう」というより「自分の作品を気に入ってくれた画商から仕事をもらう」という方向性にシフトチェンジした。また教育体制ができてカメラもできた。

すると「個人的な体験・思想」を作品に落とし込むことを重視するようになるんですね。そしたら「作風もモチーフも素材も、アーティストによってさまざま」という状況になります。で、その結果気に入ってくれたパトロンが仕事をくれる、という感じで細分化されていくわけです。

その流れが20世紀に入ってからも続いていき、多様化が進みました。
メインストリームとカウンターカルチャーの歴史
で、次々に新しい表現ができるわけです。すると「カルチャー」になるものも現れます。 例えばあの、渋谷の裏路地とかに100パー描いてあるグラフィティアートは、もともと黒人のヒップホップの一部ですが、今でも日本で次々に描かれてますよね。役所の人が消しても消しても描かれる。バンクシーは大ブームです。これは立派な「カルチャー」になったといえます。

こうしたカルチャーが生まれると、必ずといっていいほど「いやその思想には反対。マジ遺憾の意なんですけど」と「カウンターカルチャー」が出てきます。以前の記事でたとえると、「ロココ美術」という超派手で華麗な装飾の芸術様式に対して「新古典主義」という、落ち着いた重厚な様式が出てきた。みたいな感じです。「ロココ浮かれすぎやろ、おい」とツッコんだわけですね。こうしてメインストリームが次々に塗り替わるのが文化の歴史です。

現代アートのように様式が細分化されると、そのぶんカウンターも増えます。メインストリームとカウンターカルチャーの争いで、新たな運動が増えていった、という背景もあります。
テクノロジーの進化で「新しい表現」にチャレンジしやすくなった
また多様化した背景として大きいのは、やっぱり「産業革命」「技術革命」です。上の表でもある通り、カメラ、ビデオ、コンピュータと、時代を追うごとにいろんなデバイスが登場しまくった。機械も進化し続けている。「作品をつくる手段」自体が増えたんです。するとアーティストも「新しいこと」にチャレンジしやすくなったんですね。

その結果、1950年代以降はこんなにもカオスな状況になったわけです。


現代アートの分野で活躍したアーティスト

現代アートは幅が広い分、代表的なアーティストもめちゃめちゃ増えているわけですが、ここではなかでも有名なアーティストを紹介します。「名前はよく聞くけど、結局あの人って何がすごいんすか?」っていうもやもやをざっくり解消できたらと思います。


アンディ・ウォーホル
Unknown (Mondadori Publishers)

現代アーティストのなかでも最も成功した芸術家の一人、アンディ・ウォーホルは「ポップアートの巨匠」です。上の表でも書いた通り、ポップアートとは「大量生産、大量消費社会」について描かれた作品を指します。

キャンベルのスープ缶
Thomas Altfather Good

よく見るのは「キャンベルのスープ缶」ですよね。大事なのは「この缶自体のデザインをしたわけではない」ということ。キャンベルのスープ缶自体はもともと存在していて、日本でいう「味の素」レベルで各家庭にあります。ウォーホルにとっては、これこそ大量生産・大量消費の象徴だったわけです。つまり「人間が機械のように仕事帰りにスープを買い、夕食時に飲む」という行動について描いたんですね。

もう一点、大事なのは彼はこの大量生産大量消費に警鐘を鳴らしたわけではないということ。むしろ肯定的です。彼は「ファクトリー(工場)」と名付けた工房で「シルクスクリーン」という印刷技術を用いて大量の作品をつくりました。また「機械になりたい」と発言しています。

この現代社会を肯定することで、ウォーホルの作品は「アートに興味がなかった大衆」をも惹きつけた。その結果、世間に受け入れられたんですね。




ジャン=ミシェル・バスキア(1984)
Galerie Bruno Bischofberger

日本でも人気の黒人アーティスト、バスキア。最近だと、あのやたらお金配るおじさんが約123億円で「Untitled」を落札したのがニュースになりましたね。ハイチ系アメリカ人でニューヨークのブルックリン生まれの彼は、あえて分類すると「グラフィティ」や「新表現主義」といったジャンルで活躍したアーティストです。色使いやモチーフを抽象化した作風にはアフリカンアートの雰囲気も漂う。さまざまなバックボーンがあって、自己流に落とし込みました。

もともとはスラム街の壁などにスプレーで描いていましたが、後期はウォーホルと共作するなどアートシーンでの評価を高めていきます。しかしだんだんとヘロインの摂取をするようになり、マブダチのウォーホルが亡くなると、さらに孤独感に苛まれます。27歳でヘロインの過剰摂取により死去。彼が活躍した期間はたった10年くらいですが、いまだに世界中から支持される芸術家です。



ジャクソン・ポロック
Smithsonian American Art Museum

ジャクソン・ポロックはアメリカ抽象絵画の画家です。彼の全盛期は厳密にいうと1940代後半なんですけど、ここでは現代アーティストの一人として紹介します。

彼の作風は「アクション・ペインティング」です。キャンバスを床に置いたり、壁に立てかけたりして、絵の具を垂らしたり、散らしたりして描きます。

スティーブンス・ヴォーンのアクションペインティング
Stevens Vaughn

この手法の背景には、以前紹介した「シュルレアリスム」があります。第二次世界大戦のなか、ポロックは戦禍を逃れてアメリカに来ていたパリのシュルレアリストたちと交流し、この手法にたどり着きました。シュルレアリスムの精神は「無意識」の状態で作品をつくること。筆で塗るのではなく、あえて絵の具を垂らしたり散らしたりすることで、自分の意識しない仕上がりになるわけですね。

この手法は抽象絵画としてめちゃめちゃ評価され、ポロックは「アメリカを代表する画家」ともてはやされます。しかし彼にとってそれはプレッシャーであり、1950年代からだんだんとメンタルをやられてしまう。最期は酒に酔った状態で笑いながら車を走らせ、友人もろとも事故を起こし亡くなってしまいます。


ジャスパー・ジョーンズ

コラージュやドローイングを組み合わせて作品をつくる芸術家です。「星条旗」を描いた「旗」シリーズが有名ですね。星条旗を組み合わせたり、白で統一したり、背景に新聞紙を敷いたり、さまざまな形で表現しています。すでに全員が知っているモチーフを使って、インパクトのある作品を作り出す、という動きは「シミュレーショニズム」といいます。

ダダイズムの時代にはヒトラーの顔を切り抜いて使うこともありました。また今でもヒップホップ音楽では、他者の過去作品を使う「サンプリング」という文化がありますが、これも「シミュレーショニズム」の1つです。バングラデシュの国旗は日の丸を参考にデザインしたそうですが、これも一種のシミュレーショニズムかもしれませんよね………あれですよ? はっきり明言しないのは、なんか怒られそうで怖いからです。

バングラデシュの国旗

そのほかジャスパー・ジョーンズは「ダーツの的」を描いたり、数字をデザインしたりしています。その思想はネオダダイズムに分類されることが多いですが、作品はポップアートともいえるのが特徴です。

アメリカではそのメッセージ性が高く評価されており、現代アーティストの巨人の一人とされています。日本文化にも高い関心を持っており、1979年から2004年にかけて「Usuyuki(薄雪)」というシリーズを制作しています。ちなみにご存命です。



マーク・ロスコ

ラトビアの切手に描かれたロスコの肖像
Latvijas Pasts (Latvian Post)

ラトビアで生まれ、アメリカで活躍した現代アーティストの1人です。ロスコはユダヤ系なのですが、彼が幼少期を過ごしたロシアではまだ差別 が残っていた。そんなコンプレックスを持ちながら、彼はフリードリヒ・ニーチェやフロイト哲学に没頭しながら「人の空虚性」に興味を抱くようになります。そしてその空虚性を緩和することを目標としました。

作品は抽象絵画なのですが、全体的にものすごく寂しい雰囲気が出ています。少ない線で描かれた人物も物悲しい雰囲気が漂う。でも「それが絵本っぽくてかわいい!」という声もあったり。あの「奈良美智の描く女の子が若い女性に超人気になる」みたいな感じで日本でも人気が高い画家の1人です。



ゲルハルト・リヒター(2017年)
Jindřich Nosek (NoJin)

ゲルハルト・リヒターはドイツ出身の画家です。油彩画や写真といった手法だけでなく、ガラスや鏡などの素材を用いて作品をつくります。抽象絵画だけでなく、具象を織り交ぜながら作る作品は見た目のインパクトだけでなく、ホロコーストを経たから分かるメッセージ性も含まれています。世界中の若者から愛されているアーティストです。



現代アーティストは決して「ヤバい人」じゃないんだよ

今回は1950年代以降の現代アートについて紹介しました。どの作品もインパクトがあって面白いですよね。アートに理解がある方であれば、おもしろがれるんじゃないかしら、と思います。

現代アートの多くは「まだ世に無い表現を見つけて追求する」という思想をもとに制作されています。だからチャレンジングというか、実験的な作品が多くなるんですね。例えば「トランスグレッシブ・アート」なんか、あえて不快感を覚える表現をしたり、倫理・道徳に反することをするっていう、完全ヤベぇ表現様式です。

だからアートに馴染みがない方って「現代アートってなんかついていけないわ。あれでしょ?『人に理解できないことを理解している俺かっけぇ』的なやつでしょ?」と思うかもしれません。あの、金髪マッシュに黒ぶち眼鏡の「僕フランス映画好きなんだよね」系男子と同じ空気を感じるかも。

でも、現代アーティストは誰しも、その作品を表現するためにいろんな挫折や葛藤を通過しているんですね。その先にあったのが、独自の表現だったわけです。その部分を理解すると、作品がおもしろく見えてきます。ですので、中世~近代美術の展覧会によく行く方もいったん頭を空っぽにして現代アートの展覧会に足を運んでみるのもいいでしょう。
https://irohani.art/study/8137/


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抽象表現主義(Abstract expressionism)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%BD%E8%B1%A1%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E4%B8%BB%E7%BE%A9

抽象表現主義(Abstract expressionism)は、1940年代後半のアメリカ合衆国で起こり、世界的に注目された美術の動向である。抽象表現主義という語は、1919年にワシリー・カンディンスキーの作品に記述されたのが初めてで、その後1946年にロバート・コーツ(英語版)が再採用したものである[1]。また抽象表現主義はハロルド・ローゼンバーグ(英語版)が「アクション・ペインティング」と命名しているものの総称としても使用される。


主な特徴

巨大なキャンバス(イーゼル絵画との決別)
画面に中心がなく、地と図の区別がない、「オールオーバー」(均一)な平面
キャンバスは、作家の描画行為の痕跡(フィールド)であると考え、創作過程を重視する


代表的な作家は、ジャクソン・ポロック、バーネット・ニューマン、マーク・ロスコ、ウィレム・デ・クーニング、ロバート・マザウェル(英語版) などで、彼らを評価した批評家として、クレメント・グリーンバーグ、ハロルド・ローゼンバーグなどが有名である。


アメリカがはじめて世界に影響を及ぼした美術運動であり、ニューヨークがパリに代わって芸術の中心地となるきっかけになった。「ニューヨーク・スクール」(ニューヨーク派)とも呼ばれる。


美術の中心はニューヨークへ

1930年代のニューヨークは、ベン・シャーンら、労働者の貧しい現実や社会問題を描くリアリズム絵画や、「アメリカ地方主義絵画」が全盛で、モダニズムは肩身の狭い存在だった。そこにヨーロッパから渡米したハンス・ホフマン、ジョゼフ・アルバースらがグリニッジ・ヴィレッジで私塾を開き、抽象絵画を教え始めた。アメリカ人彫刻家のイブラム・ラソー(英語版)のスタジオにも、アド・ラインハート(英語版)、アルバースらが集い、のちに「アメリカン・アブストラクト・アーティスツ」という組織に発展した。ロスコやポロックなど、後の抽象表現主義のスターとなる作家たちがこうした中にいた。そして1940年代前半には、第二次世界大戦の戦火を避けて、ヨーロッパからシュルレアリスム、抽象絵画、バウハウス関係者など、美術家、音楽家、建築家、デザイナーら、あらゆる種類の前衛芸術家たちがニューヨークに亡命してきた。

彼らがアメリカに感じた魅力は、自由と豊かさ、大勢のパトロンの存在だったといえる。そしてアメリカの若い芸術家たちにとっても、ヨーロッパの最先端を吸収する絶好の機会となった。

第二次世界大戦以前は、アメリカ人の若い画家や彫刻家たちは、芸術の本場であるヨーロッパのパリなどに留学して学ぶことが一般的だった。アメリカはヨーロッパから一方的に学ぶ側で、アメリカ人の蒐集家たちも自国の作家よりヨーロッパの作家の作品を買い集めていた。たまに個々のアメリカ人画家や彫刻家がヨーロッパで評判になることはあっても、大きな影響を与えるようなことはなかった。ヨーロッパの前衛を担う人々がアメリカに移ってきたことで、アメリカでもモダニズムが開花し、ニューヨークの美術は先鋭的なものへと変わった。



影響源

シュルレアリスム
若い美術家たちに大きな影響を与えたのはシュルレアリスムである。サルバドール・ダリのような潜在意識(欲動)の世界を具象的に描く絵は大衆的に人気を博した。またマックス・エルンストに代表されるオートマティスムも大きな影響を与えた。ジャクソン・ポロックの床にキャンバスをおいて描く絵も、インディアンの砂絵のほかに、エルンストなどの影響が指摘されている。


表現主義と抽象絵画
「抽象表現主義」は、はじめ第1次世界大戦後のヨーロッパ絵画に使われた言葉であったが、1946年、評論家のロバート・コーツによってアメリカの美術運動にこの語が当てはめられ、普及した。「抽象」という言葉はバウハウス、未来派、キュビズム、その他1930年代の抽象絵画などの非具象の美学を引き継いでおり、「表現主義」という言葉はドイツ表現主義などの自己表現、激しい感情の表現を引き継いでいる。

激しい感情をキャンバスに叩きつけるようなウィレム・デ・クーニングの作風が典型的と思われがちであるが、マーク・ロスコのように単純に色面を並べる作品や、赤や黒などの単色を塗っただけのバーネット・ニューマン、アド・ラインハートらの画家が抽象表現主義のカテゴリーにくくられている。


アメリカ固有の風土
若い美術家たちはヨーロッパの前衛美術家たちだけから影響を受けたわけではなかった。彼らを育んだアメリカの国土や歴史も表現の源泉である。広い国土、抽象的なまでに地平線まで開けた風景、焦点になるものがなくどこまでも均質に均質に広がる風景など、ヨーロッパと違う巨大な国土が彼らの作品制作の意識の根底にある。

また、特に強調すべきなのは、アメリカ大陸の先住民の美術が1940年代に大きな影響を若いアメリカ人美術家らに与えたことである。大地の上に描かれるインディアンの砂絵やエスキモーの造形物の原始的な美など、その造形センス、大地の上に直接描くというヨーロッパの伝統的な絵画にはない手法などが、ヨーロッパの借り物でない「アメリカの美術」の形成に大きな役割を果たした。

開拓時代以降、ヨーロッパに学び続けたアメリカ絵画は、林や湖や動物といったヨーロッパ的な風景を描くことが多かった。アメリカ人はこの時代までの長い間、アメリカ固有の風景からも先住民の造型感覚からもあまり学ぶことがなくもっぱらヨーロッパを見続けていたといえる。


壁画の経験
また、1930年代には多くの若いアメリカ人美術家が、すぐ間近のメキシコで活動し1930年代にはアメリカでも展開されたディエゴ・リベラ、ダビッド・アルファロ・シケイロス、ホセ・クレメンテ・オロスコらのメキシコ壁画運動に助手などの形で関与し、その壁画や大画面という形式に影響を受けた。また大不況の時代、多くの美術家が連邦政府の芸術家救済プロジェクト「連邦美術計画」(FAP)に雇われてアメリカ各地の建物の壁に絵を描くプロジェクトに従事し、大きな壁いっぱいに壁画を描く体験から大画面に描く喜びや大画面ならではの効果に目覚めた者もいる。


抽象表現主義の出現
キャンバスを「場」として
こうして、大きなキャンバスにおのおのの抽象表現を試みる美術家が続々と出現した。彼らは最大5mを超える超大型のキャンバスをしばしば使った。彼らはこの巨大キャンバスを、現実のものの姿形をそのまま引き写して描く画面とせず、大きなキャンバス布と格闘するように体をいっぱいに使って抽象的な色や形を叩きつける「場所(フィールド)」に変化させた。

具象・抽象を問わず美術に対するヨーロッパの伝統的な固定観念であった、「絵画は布や紙の上に物の形や画家の思想を描いたもの」という捉え方を打破し、絵画とは「美術家が「場」において体を動かして「描く」という行為を行った痕跡」として、その痕跡であるキャンバスを彼らはそのまま呈示した。

その巨大なスケールの中に描かれた難解で抽象的な線・形・色面は、その前に立つ者を包み込んで圧倒し、内容を理解するしないに関わらず、とにかく崇高な印象を与えた。画家は、キャンバスをイーゼルにかけて静かに描く人物から、キャンバスを相手に闘う英雄となった。

これらの抽象表現を、(ピエト・モンドリアンらの流れを汲むような)幾何学的な抽象表現である「冷たい抽象」に対し、行為や色面で感情表現をするような「熱い抽象」と呼ぶこともあった。

アクション・ペインティング
抽象表現主義の中でも、代表的な人物はジャクソン・ポロックであろう。彼は床に置いたキャンバスの上を動き回り、ペンキを垂らしたり撥ね付けたりという型破りな描き方で注目を集めた。アドルフ・ゴットリーブ、ウィレム・デ・クーニングらの激しい筆致も全身を使った画家の激しい動きによって描かれたことを見るものに感じさせた。

彼らの作品のように、描かれているもの以上に美術家がキャンバス上で行ったであろう行為を強く感じさせる絵画を、評論家ハロルド・ローゼンバーグは「アクション・ペインティング」と呼んで擁護し世間に紹介した。彼らは、その常識外れの描き方やできた作品の激しさから、40年代後半から50年代前半にかけてマスコミにスキャンダラスに取り上げられ有名になり、保守的な評論家やマスコミなどからは「誰でもかけそうな、子供の落書き」と攻撃されたが、その作品の直接的な強さや生命力は大戦後の人々をひきつけるものがあり熱狂的な支持も生んだ。またアメリカに一連のスター画家が生まれているという印象を国内外に与えることになった。

アクション・ペインティングは、フランスの「アンフォルメル」や日本の「具体」など、同時期に世界中で同時多発的に行われていた、「描く内容」よりも「描く行為、描き方」を重視する一連の運動とも同時に語られ、戦後のアメリカを代表する同時代美術として見られるようになった。


カラーフィールド・ペインティング
同じ抽象表現主義としてくくられながら、アクション・ペインティングより静かな印象を与えるのが「カラーフィールド・ペインティング」であろう。こちらはその名のとおり、行為によってよりも「色彩」によって、観客を包む「場」を形成するような作品といえる。

キャンバス全体にあまり多くない数の色面が大きく、バランスよく配されている。またその色面には中心や焦点がなく、「地」と「図」の区別もなく、厚みもなく平面的で、どこをとっても均質で、画面を越えて色面がどこまでも続いているように見える、「オールオーバー」といわれる画面作りがされている。

彼らは、絵画はのぞき窓ではなく、絵の具を乗せた単なる平面だと認識した。そのため、画面の中に三次元の奥行きや世界があるように錯覚させる陰影や透視法などヨーロッパ絵画の伝統的な「イリュージョン」は全面的に否定している。また花や人物といった主役となる中心(ヒエラルキー)は「地」と「図」の区別をつくってしまうためこれも完全否定され、平面自体が主役となるように作品を作っている。

たとえばバーネット・ニューマンの、人間以上に大きな大画面を一つの色彩で覆いつくし、そのなかに人間の姿を象徴するような一本の白く縦長の細長い色面(「zip[2]」)を置いて崇高さを醸し出す作品、マーク・ロスコの、大画面に巨大な色面を、何重にも色彩を塗り重ねて作り出した、色が画面からじわじわと放射されるような作品、アド・ラインハートの一色だけで塗られた大画面のように見えて、実は格子状にほんの少し違う色が描き分けられている作品、モーリス・ルイスの下塗りをしないキャンバスに薄めた絵具をたらして、偶然性によりいろいろな色の染みやにじみを作り出した作品(まさに平面そのもの)など、多くは大画面が奥行きのない一つの色で塗られ、それが絵画としての場を形成するようなものである。また、カラーフィールド・ペインティングの特徴は、実は先述のアクション・ペインティングの美術家にも共通しており、ポロックなどのペンキのドリップはまさにオールオーバーに大画面を覆いつくして焦点も始めも終わりもないかのように見える。

これを1950年代から60年代にかけて理論的に主導したのが評論家クレメント・グリーンバーグである。彼はこれらの美術家を1964年に自ら企画した展覧会名にちなみ「ポスト・ペインタリー・アブストラクション」(「絵画的抽象以降の抽象」、「地」に何か「図」が描いてある絵画的な状態を克服して、平面的で一切のイリュージョンを廃した抽象画)と呼んだが、最初にニューマンを評した際に使ったカラーフィールド・ペインティングが定着した。

グリーンバーグは、かつて1930年代に「アヴァンギャルドとキッチュ」という評論を書き、大衆向けの文化を前衛の反対にある俗悪なキッチュだと断じ、明確な主題を持たないがゆえに大衆を寄せ付けない難解な美術を称揚した。戦後になって、さらに「フォーマリズム」の理論を深化させて独自の理論を打ちたてモダニズムを擁護し、抽象表現主義をフォーマリズムに即した美術として賞賛した。

フォーマリズムとは、描かれた内容より形式(フォーム)を重視し、内容からではなく形式から作品を解釈する美学理論でありその歴史は古いが、グリーンバーグは内容より形式にこそ美術を批判的に評価し前進させる力があると考えた。アカデミックな写実に反抗しキュビズムなどから始まったモダニズムは、それ自体の「内的論理」、つまり「自己批評」(美術についての美術であること)と「自己規定」によってある必然的な結論へと突進し、もっとも純粋な美術の形態へと至ることになっている、と彼は言う。絵画が三次元の再現ではなくただの平面だと気づいた初期の抽象画家たちの段階から、いまだ絵具を昔同様に形態・輪郭・色彩に分割されるように用いている幾何学的抽象などの段階を経て、最終的な結論である「形態的な純粋性」にいたり、形態・輪郭・色彩が平面上ですべて一つになるスタイルが完成する、というのが彼の説であった。余計な要素を絵画からそぎ落とし必要で根本的な要素にまで還元することによりモダニズムが最終的な美術の形態になるという彼の議論は美術界に大きな影響を与えた。グリーンバーグはフォーマリズムの立場から批評を加え美術家たちの制作にも介入し、美術家の側もフォーマリズムの理論に沿うべく、イリュージョンを廃し平面的で色面以外の何をも描かない抽象画を作ることを心がけた。


1950年代のアメリカ美術の興隆
1940年代終わりから50年代前半にかけ、アメリカ国内で、それまでヨーロッパ美術の後追いとしか見られていなかったアメリカ美術の興隆が意識されるようになった。グリーンバーグは1948年に、西洋美術の将来はアメリカ美術、それもマンハッタンの34丁目の南にいる50人ばかりにかかっている(が、アメリカ社会の保守性のため滅亡寸前にあると悲憤慷慨する)という論文を発表しているが、50年代には次々現れるアメリカの若手美術家の力量がアメリカ国内で評価されるようになった。グリーンバーグやローゼンバーグは抽象表現主義絵画を盛んに紹介し、理論付けることで美術界を活気付け方向付けた。やがてヨーロッパの文化に対し、アメリカの文化が拮抗し逆転するようになったとの国家意識がアメリカの芸術・文化関係者の間で芽生え始めた。画家や批評家からなる「ニューヨーク美術界」がマンハッタンの南のダウンタウンに出現し、そこへマンハッタンの北にあるアップタウンから美術館・画廊・名家・財閥・成金たちがアメリカの抽象表現主義に殺到するようになるまで幾年もかからなかった。

抽象表現主義は、アメリカに豊かな創造性や生命力を持った絵画が生まれ得る事を証明し、ヨーロッパの美の基準に基づかないアメリカ独自の美学が誕生したことを宣言した。

同じく50年代にはフランス、イギリス、西ドイツなどヨーロッパ各国でアメリカ美術が盛んに紹介され始め、世界の最先端との評価を得るようになった。50年代前半にはまずパリでジャクソン・ポロック展が開催され、美術雑誌がアメリカ美術の特集を組んだ。50年代後半にはイギリスでもアメリカ美術に興味がもたれるようになり、ニューヨーク近代美術館が企画したポロック展やアメリカ現代美術家のグループ展など、複数のアメリカ美術の展覧会がヨーロッパ諸国を巡回した。この頃アメリカとフランスは美術の前衛の主導権争いを繰り広げる形となったが(「抽象表現主義」対「アンフォルメル」)、抽象表現主義につづきポップアートやミニマルアートなど西洋美術・現代美術を主導する美術運動や美術理論がアメリカから登場することで、1980年代まではヨーロッパ美術に対しアメリカ美術が主導権を持ち続けた。


冷戦下のCIAの美術工作
抽象表現主義は、冷戦下の政治の力の側面支援を受けたとも見られている。

抽象表現主義は50年代前半、思想戦・情報戦の武器としてCIAの関心を引くところとなった。東側諸国との冷戦のさなか、CIAは抽象表現主義の美術家や批評家を援助し世界に広めることにより、アメリカには「思想の自由」と「表現の自由」があり、政治・軍事・経済だけでなく文化面でも大きな成果を成し遂げたという証明にできると考え、ソビエト連邦の芸術や文化の硬直性に対し有利に立てると考えた。

アメリカや主にヨーロッパを中心とした進歩的文化人など、世界中の文化人に対するソビエトの影響力は圧倒的で、アメリカは哲学や芸術の世界では常に悪役であり劣勢にあった。この劣勢に対し、CIAは美術も含めたアメリカの芸術の自由さと斬新さ、先端性をアピールすることで、文化人に対するソビエトの影響をそぎ、アメリカの影響を高めようとした。また西洋の芸術のモダニズムや前衛の成果や運動は、今やアメリカの美術界が引き継いだと証明するために、抽象表現主義とその理論が利用された。こうして抽象表現主義は、「冷戦下の文化戦争の尖兵」となることになる。

CIAがいかにしてアメリカの抽象表現主義を世界へ宣伝するために、「文化自由会議」(Congress for Cultural Freedom)を通じて1950年から1967年までの間、展覧会や美術批評活動に対し資金面や組織面で協力したかは、「The Cultural Cold War: The CIA and the World of Arts and Letters[3]」という本に詳しい。

もっとも各国での美術工作の効果はさまざまだった。自国の伝統の深さからアメリカの芸術や理論を受け入れなかった先進国や第三世界諸国も多かった反面、多くの国では、グリーンバーグ的フォーマリズムよりも、ローゼンバーグ的なアクションペインティングが受容された。また、アメリカの美術や美術理論が時として自国の体制や資本主義に対する批判も行っているという点は、アメリカには「抵抗の自由」もある、と文化人が抵抗のモデルをアメリカ芸術に求めることになり、多くの国の進歩的文化人が自国に対する批判としてアメリカ芸術を受容することにもなった。


運動の終わりと影響
抽象表現主義は1950年代終わりにはエルズワース・ケリー、アレクサンダー・リーバーマン、フランク・ステラ(初期)らによる「ハードエッジ」(刃の鋭い縁のように、絵画表面もその理論も研ぎ澄まされた画風を評してこう呼ぶ)にまで行き着いた。彼らはアクション・ペインティングや、戦前の抽象画の一大勢力だった幾何学的抽象を敵視し、形態も色彩もごくごく単純で平面的にすることで更なるイリュージョン[要曖昧さ回避]の排除を意図していた。

そして抽象表現主義は1960年ごろから影響力を失い始める。あまりに還元主義的な理論は、絵画を次第に堅苦しく単調なものとし、運動は硬直化を始めていた。そこへネオダダやポップアートなど、廃物や大衆的なイメージなどを流用した具象的な美術が現れて抽象表現主義に対する反発がはじまった。美術界や大衆はそれらに激しく反発しつつ、次第にその流れを支持するようになった。パトロンたちはポップアートをより楽しめる作品だと歓迎し、冷戦下の文化戦争の当事者たちもアメリカの豊かさと自由をより訴えることのできる美術だと評価した。

評論家レオ・スタインバーグ(英語版) は、ネオダダの作家ジャスパー・ジョーンズらの国旗や標的をそのまま画面いっぱいに描いた作品を、もともと「フラット」な記号を選ぶことで、さらにそれをわざとむらのある筆触で描くことで一層平面的に見せ、形式的には平面をおしすすめることに成功し、一方文学的な内容を導入することなく、日常の記号を美術に取り入れて非文学化しており、形式対内容の争い(フォーマリズム)を超え、総合した次元に至っていると解説する。さらに抽象表現主義の色面の世界は、平面的に見えながら実は空間や雰囲気をかもし出して見る者はその画面の中に意識を浮遊させることができる「擬似平面的」なものだが、ラウシェンバーグの絵画は単なる記号なので意識を画面中に入れることのできない完全な平面である、と抽象表現主義を論難した。

ローゼンバーグやグリーンバーグは当初ポップアートを俗悪だと批判したものの、旗色の悪さは鮮明で、のちにポップアートのいくつかを認める発言を行っているが、影響力は失墜した。抽象表現主義やフォーマリズムは影響を失ったが、抽象表現主義の美術家たちはその後も一貫して制作を続け、後の画家にも影響をあたえている。 たとえば、ハードエッジは、1960年代後半の抽象主義の逆襲ともいえるミニマルアート(ミニマリズム)につながっている。また1990年代以降、グリーンバーグらのフォーマリズム理論は改めて評価されている。


関連作家
ウィレム・デ・クーニング
アーシル・ゴーキー
アドルフ・ゴットリーブ
フィリップ・ガストン(英語版)
リー・クラズナー(英語版)
バーネット・ニューマン
ジャクソン・ポロック
モーリス・ルイス
アド・ラインハート
マーク・ロスコ
クリフォード・スティル(英語版)
エルズワース・ケリー
アレクサンダー・リーバーマン
フランク・ステラ
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現代アートの画家・彫刻家

ポール・デルヴォー Paul Delvaux(ベルギー リエージュ州 1897年9月23日 - 1994年7月20日)
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ルネ・マグリット René François Ghislain Magritte (ベルギー レシーヌ 1898年11月21日 -1967年8月15日)
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ジャン・デュビュッフェ Jean Philippe Arthur Dubuffet(フランス ル・アーヴル 1901年7月31日 - 1985年5月12日)
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マーク・ロスコ Mark Rothko(ロシア ドヴィンスク 1903年9月25日 - 1970年2月25日)
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ウィレム・デ・クーニング Willem de Kooning(オランダ ロッテルダム 1904年4月24日 - 1997年3月19日)
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サルバドール・ダリ Salvador Dalí(スペイン フィゲーラス 1904年5月11日 - 1989年1月23日)
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バーネット・ニューマン Barnett Newman(アメリカ ニューヨーク 1905年1月29日 - 1970年7月4日)
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フランシス・ベーコン Francis Bacon(アイルランド ダブリン 1909年10月28日 - 1992年4月28日)
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岡本 太郎 おかもと たろう(神奈川県川崎市 1911年2月26日 - 1996年1月7日)
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ジャクソン・ポロック Jackson Pollock(アメリカ ワイオミング州コーディ 1912年1月28日 - 1956年8月11日)
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ロイ・リキテンスタイン Roy Lichtenstein(Roy Lichtenstein, 1923年10月27日 - 1997年9月29日)
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アンディ・ウォーホル Andy Warhol(Andy Warhol、1928年8月6日 - 1987年2月22日)
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ジャスパー・ジョーンズ Jasper Johns(アメリカ ジョージア州 1930年5月15日 - )
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ゲルハルト・リヒター Gerhard Richter(ドイツ ドレスデン 1932年2月9日 - )
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ジャン=ミシェル・バスキア Jean-Michel Basquiat(アメリカ ニューヨーク市 1960年12月22日 - 1988年8月12日)
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バンクシー Banksy(イギリス 生年月日未公表)
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