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2024/01/02 (Tue) 20:14:49
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世界の名画・彫刻
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西洋美術史を流れで学ぶ(第23回)~象徴主義編~
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エルザ・バロネス・フォン・フライターク=ローリングホーフェン(Elsa Baroness von Freytag-Loringhoven, 1874年7月12日 - 1927年12月14日)
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エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン - YouTube
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2024/01/03 (Wed) 08:01:33
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近年の研究では、代表作の『噴水(泉)』を含む多くのデュシャン作品は、ドイツの前衛でダダイストの芸術家・詩人の女性、エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン(Elsa von Freytag-Loringhoven)が制作したとされている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3
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マルセル・デュシャン 『泉』(いずみ、Fontaine)
『泉』(いずみ、Fontaine)または『噴水』は、 1917年に制作されたレディメイドの芸術作品であり、磁器の男性用小便器を横に倒し、"R.Mutt"という署名をしたものに「Fountain(噴水/泉)」というタイトルを付けたものである。
マルセル・デュシャンの作とされていたが、近年の研究では、本作を含む多くのデュシャン作品は、ドイツの前衛でダダイストの芸術家・詩人の女性、エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン(Elsa von Freytag-Loringhoven)が制作したとされている。
デュシャンは本作を1917年にニューヨークで開催された独立芸術家協会 (Society of Independent Artists) の「ニューヨーク・アンデパンダン」展に出品しようとした。デュシャンはアンデパンダン展の委員であり、出品料を支払えば無審査で誰でも出品できる規則であったにもかかわらず、協会はこの作品の出品を許可しなかった[5]。この決定を不服として同展覧会の実行委員長を辞任[6]。その後この作品は行方不明である[6][7]。
「噴水/泉」は、社会学者のピーター・バーガーのようなアバンギャルドの研究家からは20世紀を代表する作品とみなされており、少なくとも17点のレプリカが存在する。この作品は「芸術の概念や制度自体を問い直す作品として、現代アートの出発点」[8]であり、従来の伝統的な彫刻形式をはみ出した造形作品としての"オブジェ"の認識は本作から始まったとされる[9]。
一方で「噴水/泉」が「現代アートの出発点」ではないという意見もある。例えば「芸術と価値」などの著書で知られるアメリカの美学者、芸術哲学者であるジョージ・ディッキーは、デュシャンらが初めて制度自体を問い直したのではないと発言をしている。「デュシャンとその仲間がはじめて、芸術の身分の授与という振る舞いを発明したといいたいのではない。実際にも、彼らはただ、これまで存在していた制度的な装置をふつうとは異なったやり方で利用したにすぎない。アートワールドはそもそもはじめから存在した以上、デュシャンがそれを発明したわけではないのである」。一方で「デュシャンのレディメイドは芸術作品としてさほど価値はないかもしれないが」、「芸術理論にとってきわめて重要なものである」と、その必要性は認めている [10]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%89_(%E3%83%87%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3)
デュシャンの「泉」の価値とは
マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
Unknown authorUnknown author
さらにいうと「それまでに作られた美術作品」なんて、すべて理性を通して作られたものであり、ダダイスト的には全部が駄作なんですね。だからダダイストの活動は「芸術を見つめ直す」ということにもつながります。
ダダイスト(ダダイズムの実験をするアーティスト)のなかでも、デュシャンは特に「アートとは何なのか」について、むちゃくちゃ没頭して考えた人です。「アートとは」については、いまだに定義が難しいのが事実です。当時も明文化はされていませんでしたが、なんとなく以下の要件は決まっていました。
● アーティストの思想や哲学は反映されたもの
● 自身の手で作ったもの
● 見たときに魅力を感じるもの(美しいもの、高尚なもの)
この定義は今でもなんとなく皆さんがうなずけるんじゃないかな、と思います。しかしデュシャンは「それって本当に正しいの?」と疑問を投げかけるわけです。そこで彼が作った作品が「泉」でした。
マルセル・デュシャン『泉』
彼は市販の男性用小便器をひっくり返して、台座に載せて「R.MUTT(リチャード・マット)」とサインをしたんですね。先ほどの3つの定義をいっぺんに覆したわけです。それで、自身が委員を務める「ニューヨーク・アンデパンダン展」に出品します。もちろん「ひいき目」を避けるために自分が作ったことは隠していました。
アンデパンダン展は前回の記事でもお伝えしたように「賞はないけど誰でも出品可能で、無審査で何でも展示するよ!」というテーマの展覧会です。しかし「泉」は「ちょっとさすがにこれは……」と、展示されませんでした。当時の芸術観では展示されないのも、うなずけます。自分で作った物じゃないし、汚くて不快だし、何の思想性もない。究極、これを展示してしまったら、もう「渋谷のハロウィンでパリピが吐いた吐しゃ物」でも展示OKとなってしまうわけです。
ただデュシャンは「この便器すらも吐しゃ物だろ」と言い放ったんですね。これで「アート」という言葉は根底から覆りました。これはダダイズムの「理性をぶっ壊す」という概念にも共通するテーマだったんですね。
「泉」は2004年にイギリスでおこなわれた「500人の芸術専門家に聞いた『もっとも影響力のあるアート作品ランキング』で1位を獲得しています。まさに現代アートの出発点といってもいい作品です。
理性を破壊すると「自由」が見えてくる
「理性を破壊する」という行為によって「芸術の自由度」が高まったのもダダイズムの大きな功績です。人は理性がある限り「したくないこと」「できないこと」が生まれます。
先ほどの例でいうと「夏」というテーマにおいて、絶対に浮かばないことを思いつくんですね。「セミ」とか「スイカ」とか、ちょっとひねって「冬景色」は思いつくかもしれません。しかしダダイズム的には、例えば「鹿の剥製」を出して「はい、これ夏ね」って言ってもOKなんです。この発想は一度、理性をなくさないと見えてきません。
https://irohani.art/study/7656/