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新古典主義

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2024/01/02 (Tue) 16:58:46

「アカデミー」と「サロン」について
ジュウ・ショ
https://irohani.art/study/6691/

「アカデミー」と「サロン」についてざっくり紹介します。

アカデミーとサロンは、西洋美術史において超重要な「ルール」を作り上げました。このルールによって画家たちは200年近くも“支配”をされ続けることになります。このルールを知っておくと、美術館の楽しみ方がガラッと変わること間違いなし。ですので、ここでざっくり見てみましょう。


ルイ14世主導で作られた「王立絵画彫刻アカデミー」


ルイ14世の肖像 
Hyacinthe Rigaud


西洋美術史において「アカデミー」というと、一般的にフランスの王立絵画彫刻アカデミーを指します。簡単にいうと「国立の芸大」です。今でいう「東京藝術大学」みたいなのが、1648年に設立され、画家志望の青年が入学し、絵の描き方や彫刻の造り方を学んで、画家として飯を食えるようになる、みたいなルートが誕生したんですね。

ではそれより前の時代のフランスではどうやって画家になったのか、というとほぼ徒弟制だったわけです。もともと「ギルド」という画家・彫刻家組合があって、そこに所属する人が仕事をもらえる、という閉鎖的な仕組みがありました。

だから「たのもう!」てな感じで志望者がギルドのアーティストの門を叩き、下積みを積んで、30代を超えてから独り立ちする、というのが画家として仕事をもらうための正規ルートだったんですね。

そんななか実はお隣のローマには既に1500年代から芸大がありました。だから優秀なフランスの画家志望者は「おいローマだと、もっと仕事もらいやすいらしいぞ」と引っ越しちゃうんですね。

これはフランスにとってもったいない。ローマに派遣されていたシャルル・ル・ルブランは「やべぇっす。フランスの画家が流出してます。うちも芸大作りましょうや」と国務評定官マルタン・ド・シャルモアに報告。それを知ってルイ14世が「王立絵画彫刻アカデミー」を作るんですね。

ちなみにルイ14世はこのほかにも「舞踏アカデミー」「音楽アカデミー」「建築アカデミー」などの国立大学を次々に作りました。フランスが「芸術の都」と呼ばれるようになった背景には、間違いなくルイ14世の尽力があります。

アカデミーがいうことは「絶対」
「アカデミー」のミソは「国立」ということ。1600年代という時代はまだ個人が絵を所有する前の時代において、画家のパトロンは国家か教会がメインでした。そんな状況でルイ14世は国家の仕事をすべてアカデミーに一任します。これは大事件ですよ。

つまり、それまでのギルドの仕事量はめっちゃ減るわけです。そして「画家として飯を食うためにはアカデミーに入らざるを得なくなる」という状況が出来上がるんですね。この時点で「アカデミーの教え=フランス美術の教科書」になるわけです。

アカデミーが作った「テーマの序列」という謎ルール
そんなアカデミーではもう基礎の基礎からガッツリ教え込みます。人体や生物のデッサンからスタートするわけです。これから「よっしゃ画家として飯食っていくぞ!」と考えているアーティストからしたら、絵の常識がすべてアカデミーとなる。

そんななかアカデミーはあるルールを決めます。絵のテーマに順位をつけるんですね。具体的には以下の序列を決めました。

 1.歴史画
 2.肖像画
 3.風俗画
 4.風景画
 5.静物画

簡単にいうと、生徒たちに「みんな歴史画を描こう! 風景画とか描くなよ」と宣言したわけです。歴史画にはキャンバスの外にもストーリーがあります。神話をモチーフにしていたり、寓意性があったりするんですね。寓意とは今っぽく言うと「匂わせ」です。例えば「恋」をテーマとした絵にキューピッドを描く、みたいな。「ストーリーが絵に重厚さをもたらす。だから歴史画は偉大だ!」というわけですね。

ただ、逆にいうとアカデミーのルールによって風景画や静物画の価値は一気に下がります。この時代、風景画とか書いていたら「それまだ背景だよな? その上から神話の人物描くんだよな?」と言われていた時代でした。


「サロン」によって画家の仕事が変わる
Édouard Joseph Dantan


そしてアカデミーは18世紀に「サロン・ド・パリ」を開催し始めます。これは通称「サロン」といわれる、王家主催の展覧会でした。「サロンに出品することで識者などが作品を観たうえで作品を評価して、パトロンがつく」という流れが絵でごはんを食べるために重要になっていくんですね。

とはいえ、最初のころはアカデミーの正会員と準会員しか出品を許されなかったんですね。これによって、もう完全に「アカデミーに認められなくては画家として生きていけない」という状況になるわけです。

つまりもう半ば「歴史画」を描くことを強要されている状況でした。フランスで芸術が盛り上がるいっぽうで、作品の自由度は狭まっていくんですね。

アカデミーによって誕生する「ロマン主義」や「印象派」
このアカデミー支配はかなり長く続きます。「正確無比な線を重視して描くこと」。「色の使い方は落ち着いたものを目指すこと」などのルールができます。

そんな厳しい抑圧の反動として、後年になって個人の表現を重んじる「ロマン主義」や、風景画で世界を変えていく「印象派」が誕生するんです。アカデミーの方針では画家としての自由度が低すぎたんですね。


次回はロココ主義の浮かれまくった世相の反動として生まれる「新古典主義」についてご紹介。その流行の裏には、アカデミーの規範があることを意識しながら読んでいただくと、より理解しやすいと思います。
https://irohani.art/study/6691/


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新古典主義
https://irohani.art/study/6753/

前回はルイ14世がつくった美大・アカデミーについて紹介しました。
今回は前々回の続き、ルイ14世が亡くなった反動で生まれた開放感MAXで自由奔放な様式「ロココ美術」の後に出てくる「新古典主義」について紹介します。


バロック・ロココの派手な表現の反動で生まれる新古典主義

新古典主義とは「おいみんな、いったん落ち着け。ローマ・ギリシャのころの重厚な表現を取り戻そうぜ」っていう考えのもとで流行った美術様式です。ここでの「古典」とは「ローマ・ギリシャのころの建築・彫刻」を指します。当時の建築ってのは装飾的なものはなくて、とにかく「シンプルかつ正確」でした。こうした「教科書通りの作品をつくろう」ってなったわけです。

ではなぜ、新古典主義が出てきたのか。前々回の記事をご覧いただくと分かると思いますが、18世紀初頭のロココ美術はとにかく思考がパリピです。ルイ14世による圧迫感のある治世から解放されたフランス貴族たちが「よっしゃ、自由だ! 豪華でゴッテゴテに装飾したインテリア作るぞ!」とか「愛人とイチャついているところを描いてくれ」みたいに発注することで作品ができていました。

バロック・ロココの派手な表現の反動で生まれる新古典主義
Jean-Honoré Fragonard


ちなみにその前の16〜17世紀のバロック時代にはカトリック教会が信者を増やすために“かなり盛って”描かれたオーバーな表現の作品がよくつくられた時代だったんですね。つまり200年くらいにわたって、派手な表現に重きが置かれていたんです。

それに美大(アカデミー)の先生はもう半ギレ状態です。前回の記事でお伝えしたように、アカデミーの考え方は「古き良きルネサンス期の絵画を描こう」というものです。「派手な色彩表現とかもういいから。ちゃんとデッサンを学んで美しい『線』を選んで描きましょう」と考えていました。


ヘルクラネウムとポンペイの遺跡が見つかりレトロブームに
High Contrast


そんななかイタリアでヘルクラネウム、ポンペイの遺跡が見つかります。当時の人たちからしたら大ニュースですよ。「古代人がおもろい!」みたいな。今だと月刊ムーくらいしか取り扱わなそうなニュースがイタリア全土を席巻します。ここで古代遺跡がブームになるわけです。

古代ギリシャ・ローマへの関心が高まるなか、ロココのときの熱狂はどこへやら、新古典主義の思想のもと「教科書通りのデッサンを大事にした絵を描こう」というのがブームになるんですね。

新古典主義の特徴は「しっかりデッサン」「理性的・倫理的」
では新古典主義の特徴はどんな感じなのか。主に以下のような特徴があります。

● 理性的で倫理観に即したテーマ
● 歴史画、神話画、肖像画などの道徳的なモチーフ
● しっかりとしたデッサンと正確な線で描かれる写実主義な絵
● 誰が見ても安心できる上品さ

まずは「思考」ですが、これは「倫理観を大事にしよう」というものでした。古代ギリシャ人・ローマ人は「丁寧な生活をして徳を積んでいこ!」みたいな風潮だった。そこで新古典主義では、まず芸術家の姿勢として「理性的に生活してください」となったわけです。

こうした思考に基づいて作品がつくられます。なので過度に派手でない色彩で描かれており「しっかりデッサンした『正確な線』」のほうに重きを置いています。またロココのときにはかなり甘美なムードが漂っていましたが、新古典主義になってテーマも重厚になります。
https://irohani.art/study/6753/


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新古典主義の画家・彫刻家

ジャック=ルイ・ダヴィッド Jacques-Louis David(フランス パリ 1748年8月30日 - 1825年12月29日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16833204

ジョゼフ・ターナー Joseph Mallord William Turner(イギリス ロンドン 1775年4月23日 - 1851年12月19日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832192

ドミニク・アングル Jean-Auguste-Dominique Ingres(フランス パリ 1780年8月29日 - 1867年1月14日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832191

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