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「和の道」神道・日本文化チャンネル - YouTube

1:777 :

2023/12/30 (Sat) 17:51:41

「和の道」神道・日本文化チャンネル - YouTube
https://www.youtube.com/@Wanomichi/playlists
https://www.youtube.com/@Wanomichi/videos
2:777 :

2023/12/30 (Sat) 17:57:12

日本の太陽崇拝、磐座崇拝、モイワ山崇拝、鳥居の起源
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14136221

冬至と夏至の古代太陽信仰
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14131739

日本列島の巨石文化
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14132954

縄文時代の人々の言葉・食べ物・服装・道具や 遺跡・土器を学ぼう
https://www.jomon-jidai.com/
https://www.jomon-jidai.com/sitemap
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14131837

神道の事を単なる儀式であって宗教ではないと思っている天皇一族には理解できない神道の世界
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/124.html

縄文人の蛇信仰
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/200.html

東洋ではどんな分野の達人でも超能力者
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/607.html

弥生人の鳥信仰と太陽信仰
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/208.html

日本人の海民性
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/693.html

東漢氏の遺産「祓いの神道」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/209.html

西暦400年前後に、秦氏(弓月氏)が、百済の民、数十万人を引き連れて日本に移住してきた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/550.html

大阪住民の半数は渡来人の子孫
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/780.html

天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/104.html

皇族初夜の儀式「三箇夜餅の儀」 _ 朝鮮半島由来のシルトックという餅を使う儀式
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/313.html

ヤマトンチュには絶対に話してはいけない パナリ(新城)島の秘密
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/706.html

沖縄パナリの秘祭 _ 臨月になった美女を引き出して洞の中で行う秘密の儀式とは
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/446.html

縄文時代・弥生時代の日本の原住民の信仰
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/387.html

琉球の古神道
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/386.html

アイヌの信仰
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/385.html

アイヌの食文化、狩猟採集民・原始農耕民の料理
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14017000

神仏習合の日本仏教
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/383.html

天皇家は推古朝以降 江戸時代までずっと仏教徒だった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/795.html

神道の事を単なる儀式であって宗教ではないと思っている天皇一族には理解できない神道の世界
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/124.html

現在の天皇一族は全員クリスチャン
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/783.html
3:777 :

2023/12/30 (Sat) 17:57:31

日本書紀(原文・現代語訳・口語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/513.html

古事記(原文・現代語訳・口語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/514.html

先代旧事本紀 (現代語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/515.html

古語拾遺(現代語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/516.html


▲△▽▼

折口信夫 國文學の發生(第三稿)まれびと の意義
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/424.html

折口信夫 鬼の話
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/422.html

折口信夫 河童の話
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/423.html


▲△▽▼

柳田国男 山の人生
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/420.html

柳田国男 遠野物語
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/421.html

4:777 :

2024/07/23 (Tue) 09:41:15

『宗教の完成形』創始者や教義が存在しない...日本発の超高度宗教「神道」がスゴすぎる...【岡田斗司夫 / サイコパスおじさん / 人生相談 / 切り抜き】
おかだぬき夫の超解説【岡田斗司夫切り抜き】2024/07/12
https://www.youtube.com/watch?v=AgqqBbomlkQ

00:00 ダイジェスト
00:23 神道にはなぜ教えがないのか
05:50 ピラミッドが作られた理由
08:21 宗教とは夢を信じる高度な遊び
12:01 AKB48はもう神でいいんじゃない?


5:777 :

2024/07/23 (Tue) 09:42:14

日本古来の「神道」がスゴすぎる…|謎だらけの宗教は、なぜ日本中に広まった!?
しんりゅう / ファンタジー&神話研究所 2024/06/14
https://www.youtube.com/watch?v=UTSD3W6RpFY

※ごめんなさい、訂正です!
9:17 仏教の一種である「道教」や「密教」→「道教」、そして仏教の一種である「密教」

今回の動画では、謎多き日本の民族宗教「神道」について徹底解説しました!
怨霊もイモムシも祀られる神道、改めてスゴすぎます。
このチャンネルでは、ファンタジー大好きオタクが元ネタの神話や伝承を解説していきます。

0:00 「神道」は謎に満ちた日本古来の宗教!
0:53 神道の基本は「アニミズム」。あらゆるものに神が宿る!
3:25 「ケガレ」と「祓い」。生命力を高めるお清めの儀式!
5:52 神道が祀る「八百万の神々」。太陽神からイモムシまで誰もが神様!
7:46 神と仏が結びつく「神仏習合」。日本の神は仏の化身!?
10:17 怨霊を祀る「御霊信仰」。祟りを力に変える独特の信仰
12:01 神様の仮住まい「神社」。自然の祭場から俗世を離れた聖域に
15:02 神を祀る「神主」と「巫女」。実は役職が細かく分かれてます!
18:31 現代でもメジャーな「祭り」と「神楽」。元々は神聖な行事なんです
20:53 神道にも分類がたくさんある。政治の影響で生まれた神道も!
22:21 日本人の生活は神道と密接に関わっている
6:777 :

2024/07/23 (Tue) 09:45:44

【神道】とは?日本固有の宗教をわかりやすく解説!仏教との関係は?
大人の教養TV 2021/09/11
https://www.youtube.com/watch?v=3uYESzh-wow&t=52s

00:00オープニング
01:42神道の起源
05:07稲作の始まり
05:51王の誕生
08:09天皇の登場
09:41古事記
11:10仏教の伝来
12:33蘇我氏vs.物部氏
13:33神様仏様
14:57神仏習合
16:52明治維新
18:43国家神道
21:55戦争への利用
23:43戦後の神道
25:19まとめ
26:19エンディング
7:777 :

2024/07/23 (Tue) 09:47:45

なるほど日本 第32話 | 古代神道とは 縄文時代から口伝で伝わる日本固有の信仰
QPJ VISION 2023/05/10
https://www.youtube.com/watch?v=MjtAsILefMY

一般的に知られる神道は、仏教をはじめ儒教・キリスト教・ヒンドゥー教など様々な宗教と混ざり合って今に至りますが、記紀成立以前から神仏習合が始まるまでの神道を「古代神道」といいます。
今回は、古代神道についてご紹介します。

【古代神道と古神道】
古代神道とは、記紀成立以前から神仏習合に至るまでの間の神祇制度などを指しますが、古神道とは、仏教などの影響を受けていない時代の古代神道について史学、文学及び霊学的に追求し、理論的に体系づけられた神道を意味します。
8:777 :

2024/07/23 (Tue) 09:49:29

【なぜ?】日本独自の「神道」が世界中で大人気!?縄文時代から続く日本人の高度な宗教観がスゴすぎる【衝撃】
歴女は古代史を語りたい 2024/03/02
https://www.youtube.com/watch?v=9_twUfDaXvM

教義も教祖もいない謎の日本発祥宗教「神道」とは…?
日本人の宗教観がスゴすぎる…!
9:777 :

2025/02/05 (Wed) 06:46:33

上色見熊野座神社 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%8A%E8%89%B2%E8%A6%8B%E7%86%8A%E9%87%8E%E5%BA%A7%E7%A5%9E%E7%A4%BE


上色見熊野座神社 (かみしきみくまのざじんじゃ) | 観光スポット | 【公式】熊本県観光サイト もっと、もーっと!くまもっと。
https://kumamoto.guide/spots/detail/12741


「神秘的過ぎて恐怖すら感じた」ジョディ・フォスターがTVで紹介された上色見熊野座神社を参拝…無神論者だった彼女の価値観が一変した理由【海外の反応】
JAPANの品格 2025/02/01
https://www.youtube.com/watch?v=toWt4R5i8cQ

01:00 13歳でアカデミー賞ノミネート!世界が驚いた神童の軌跡
03:36 ハリウッドスターを震撼させた日本の神社文化!想定外の異次元体験
07:26 アニメ の聖地から世界遺産級の絶景へ!外国人を虜にする上色見熊野座神社の魅力
10:21 ハリウッドが驚愕した日本の神社文化。無神論者が涙した衝撃の体験
13:00 全米が驚愕したトーク番組での告白!無神論者が日本の神に出会った瞬間
14:55 欧米人が熱狂する神社文化!世界中から感動の声
10:777 :

2025/02/06 (Thu) 09:50:58

二礼二拍手一礼は正しい参拝方法? 決まった方法はない
2025.02.06
https://www.thutmosev.com/archives/81483680.html

二礼二拍手一礼を辞めれば行列は短くなります

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国が勝手に決めた参拝方法

毎年恒例の行事に年始の初詣があり、どこかの神社に家族や友人などと連れ立って、あるいは1人で参拝した人も多かったのではないでしょうか

ところが初詣が一般に普及したのは明治中期以降のことで、江戸時代までは恵方参りが一般的でした

恵方参りは1月1日(元日)にその年の恵方にある社寺に参拝して幸福を祈願するもので、方角は毎年変わりました

初詣が広まったのは鉄道会社が遠くの神社に客を運ぶためのキャンペーンがヒットしたという身も蓋もない話が事実だったようです

正月のニュースに神社の初詣渋滞というのがあり、最近初詣で長い行列が常態化していると書かれていました

確かにどの有名神社に行っても短い時で数十人、長い時は数百人や数千人もの行列ができています

ニュースの内容によると渋滞の原因は「二礼二拍手一礼」をする人が増えたため、昔より一人当たりの時間が長くなったらしい

多くの人が二礼二拍手一礼をするようになったのは平成以降で、平成の神社ブームやアニメの影響で多くの人がそうするようになった

平成の即位の礼や関連行事はテレビ中継されたり人々の注目を浴び、公式な参拝法として広まりました

アニメや映画の中でも二礼二拍手一礼する人が多いので、他の方法は間違っていると主張する人が増えた

だが実際には日本人が二礼二拍手一礼するようになったのは「平成以降」であり、伝統でもなんでもありません

二礼二拍手一礼を正式な参拝方法と決めたのは明治期の大日本帝国で、悪名高い国家神道を全国に普及させようとしました

幕末から明治にかけての日本はキリスト教を模範とすする宗教改革に取り組んだが、その動機は西洋はキリスト教だから発展したという間違った認識によるものでした

キリスト教は一神教だから日本も一神教でなくてはならないと言い、仏教を廃止して神道に統一しようとすらしました。(廃仏毀釈)

キリスト教にならって神道もアマテラスだけの一神教にしようとし、アマテラスだけを唯一神にしようとしました

この時に参拝方法も二礼二拍手一礼だけを正しいと決め、他の参拝方法は間違っていると断定しました

神道の参拝方法は各人自由が基本
明治3年1月3日に「神仏分離令」が発布され、暴徒が寺を襲って略奪や破壊行為に及んだりしました

暴動は明治4年に終息したが、その後も寺を解体したり仏像や経典を燃やすなどの行為が全国で行われた

神仏分離令は明治天皇が発布した事になっており、閣議決定や国会決議などと違って取り消すことはできない

ばか過ぎてどうにもならないが、二礼二拍手一礼は亡霊のように生き残り、平成日本で大復活を遂げました

では江戸時代以前の参拝はどうしていたかというと、それぞれの地方や神社で方法が違い、これが正しいというものは無かった

古くは魏志倭人伝の記述に、倭人は土下座の代わりに拍手を打つと書かれていて、礼をする代わりだったようです

神道はもともと一つの宗教ではなく、それぞれの村や集落の神を祭るもので、当然神様によってルールも違いました

拍手の回数や礼の回数も村々や神社によって違い、 人々はかなり適当にやっていました

一般的なのはパンパンと2回拍手を打つスタイルで、昭和期までほとんどの人がそうしていたと思います

ところが平成になって人々が急に二礼二拍手一礼をやりだしたので、初詣は渋滞してしまいました
https://www.thutmosev.com/archives/81483680.html
11:777 :

2025/05/18 (Sun) 23:32:10

廃仏毀釈について - 内田樹の研究室 2019-05-29
http://blog.tatsuru.com/2019/05/29_0925.html

 昨日の寺子屋ゼミで「廃仏毀釈」についての発表があった。いくつかコメントをしたので、備忘のためにここに書き留めておく。

 神仏分離・廃仏毀釈というのは不可解な歴史的事件である。すごく変な話なのである。歴史の教科書では「合理的な説明」がよくなされているが(水戸学が流行していた。明治政府が欧米列強に伍するためにキリスト教に対抗して国家神道を体系化するために行った。江戸時代の寺檀制度に増長した僧侶の堕落のせいで民心の仏教から離反していた・・・などなど)、どうも腑に落ちない。

 神仏習合というのはそれ以前にすでに1300年の伝統のあるほとんど土着した日本の宗教的伝統である。それを明治政府の発令した一篇の政令によって人々が軽々と捨てられたということがまず「変」である。この人たちにとって、千年を超える宗教的伝統というのはそんなに軽いものだったのか?

 神仏分離令の発令は慶應四年(1868年)である。「五畿七道諸国に布告」して、「往古ニ立帰リ」「普ク天下之諸神社、神主、禰宜、祝、神部ニ至迄、向後右神祇官附属ニ被仰渡候」という祭政一致の方針が示される。

 次に神社に対して「僧形ニテ別当或ハ社僧抔ト相唱ヘ候輩ハ復飾被仰出候」という命令が発された。社僧とは神社に勤める僧侶であり、別当は寺院と神社が一体化した神宮寺の責任者である僧のことである。この人たちに「復飾」(還俗)して、神職に奉仕するように命じたのである。

 驚くべきは、この命令に対して全国の社僧・別当たちが特段の抵抗もなく従ったということである。「長いものには巻かれろ」という処世術が宗教界に徹底していたのか、それとも「神と仏といい ただ水波の隔てにて」という血肉化した神仏習合マインドのせいで寺で読経しようと神社で祝詞を上げようと、同じことだということだったのか、私にはわからない。

 そのあと仏像をご神体としていた神社に対しては仏像仏具仏典の類を「早々ニ取除」くことを命じた神仏判別令が出された。

 それまで神宮寺の多くでは仏像をご神体に祀っていたのである。

 この「特段の抵抗もなく」というのが不思議なのである。

 ありうる説明としては、神仏分離の当初の意図が「宗教の近代化」であり、すべての制度が「近代化されねばならぬ」ということについて明治初年の民衆たちも「まあ、公方さんもいなくなっちゃったし、なんかそういう潮目みたい」というふうに感じ取っていたからだ、ということがありうるかも知れない。歴史の滔々たる流れに逆らっても仕方がないんじゃないの、と。それくらいの歴史感覚は一般民衆にもあったのかも知れない(わからないけど)。

 ターゲットになったのは寺院だけではない。最初に発令されたのは六部、虚無僧、山伏、梓巫女、憑祈祷、狐下しなどの「前近代」的な遊行の宗教者の禁止だった。加持祈祷、オカルト、ノマド的宗教者が「まず」禁止された。そういう「前近代的な宗教のかたち」の徹底排除が近代国家の心理的基礎づけに必要だったと明治政府が判断したのである。

 だから、そのあと明治40年代になると、今度は神社合祀令が出て、「前近代的な神道」が排除されることになる。これについては南方熊楠がはげしい反対運動を展開したので、記憶されている人もいると思うけれど、全国20万社のうち7万社が廃されるというすさまじい「神社整理」であった。

 神道の国家統制を実施するためには、神社を公費で運営する必要がある。しかし、神社の数が多すぎて管理コストがカバーできない。だから小さい神社は(氏子たちがどれほど信仰していようと、どのような貴重な祭祀や芸能が伝えられていようと)、コスト削減のために統廃合するという政府の態度のうちに「神道に対する敬意」を見ることはむずかしいだろう。

 だから、国家神道というのは別にある種の宗教性の価値が高騰したということではなく、端的に「宗教的なものを政治的利用価値だけをものさしにして格付けした」ということに過ぎないのだと思う。
 
 もう一つあまり指摘されないことに天皇家はもともと仏教徒だという事実がある。

 京都東山の真言宗泉涌寺は13世紀に四条天皇の葬儀が行われて以来、天皇家の菩提寺に近い機能を果たしていた。江戸時代の歴代天皇皇后は後水尾天皇から孝明天皇まで全員が泉涌寺に葬られている。当然歴代天皇の位牌もここにあり、僧たちが読経してその菩提を弔っている。明治天皇の父である孝明天皇の葬儀は仏式で行われている。今でも歴代天皇の祥月命日には、皇室を代理して宮内庁京都事務所が参拝している。

 だから、天皇制=国家神道という図式が成立するのは、慶應四年の神仏分離令からさきの敗戦までの77年に過ぎないということになる。日本の天皇制の全歴史のうちの77年だけである。それを126代の歴代天皇がすべて神道の祭主であったと信じている人あるいは信じているふりをしている人が天皇制の支持者・反対者のいずれにも多い。これは天皇制という制度の複雑さを捨象して、問題をシンプルで、ハンドルしやすいものにしようとする態度の現れだと私は思う。

 つねづね申し上げている通り、複雑なものは複雑なまま扱うのが知的に誠実な態度だと私は思っている。複雑な仕組みをわかりやすい図式に縮減して、敵味方に分かれて罵り合うのは知的には不毛なことである。それよりは、素直に「なんだか一筋縄ではゆかぬものだ」と認めて、いったん理非正邪の判定を「かっこに入れて」、ほんとうのところは歴史的事件として何が起きたのか、ほんとうのところその歴史的事件の意味は何であるのかについて冷静に問うということが必要ではないのか。

 廃仏毀釈について腑に落ちないもう一つのことは、熱狂的な廃仏運動はかなり短期間で終息し、やがて寺院が再興され、人々が寺院に参詣するようになったということである。廃仏毀釈運動は慶應四年に始まり、明治三年にピークを迎え、明治九年にはほぼ収まった。なんで、そんなにあっさり終わってしまったのか。

 1300年続いた神仏習合という宗教的伝統をほとんど一夜にして弊履の如くに捨て去った熱狂が10年も続かなかった。この非対称性がよくわからない。それほどまでに仏教の檀家制度が憎く、僧侶の腐敗が許し難いものであったら、あるいは明治政府の宗教統制が厳格なものだったら、10年で廃仏運動が「収まる」わけがない。でも、あっさり終わってしまって、誰もその話をしなくなった。

 だから、今の日本人は「神仏習合」についても「神仏分離」についても、よく知らない。

 習合という宗教現象は他の宗教でもあることだから、理解はできる。けれども、それを一度暴力的に分離してみたら、さしたる抵抗もなく実現され、にもかかわらず数年でなんとなくそれも尻すぼみになり、それから100年経ってまたじりじりと神仏習合に戻っているという現象はうまく説明ができない。

 私が毎年参拝している羽黒山はもともと神仏習合で、本尊は聖観音菩薩だったが、神仏分離で山上の仏像仏具は捨てられ、ご本尊はご神体に入れ替えられた。そのときに酒田の篤志家が棄てられたり、焼かれたりした仏像を拾い集めて、自宅の蔵に保存していた。それを最近になって「もともと羽黒山のものだから」というのでその子孫が返却を申し出てきた。羽黒山はそれを嘉納して、二年ほど前に「千仏堂」という建物を本堂の横に立てて、数百体の仏像を安置している。神社の中に寺院があるという神仏習合の「ふつうのかたち」に戻ってきたのである。

 この神仏習合の「復古」趨勢に対してはいずれファナティックな神道系の政治組織から「やめろ」という攻撃が始まる可能性があると私は予想している。そのときにわれわれは明治初年に神仏分離をドライブしたイデオロギーと心性の現代における「アヴァター」を見ることができるかも知れない。

 「廃仏毀釈」に付随したさまざまな事件のうち、記憶しておいてよいトリビアがあるので、それを最後に列挙して話を終えたいい。

(1)廃仏毀釈にもっともはげしく抵抗したのは浄土真宗であった。県内のほぼすべての寺院が廃寺となった鹿児島でも、浄土真宗だけは廃仏の運動が下火になるやたちまち全県に布教を行い、廃寺の再建に取り組んだ。江戸時代に真宗門徒が弾圧されたときに「隠れ念仏」活動をしていた「抵抗の伝統」が生き残っていたのであろう。

(2)最も苛烈な廃仏運動を指揮した一人は、松本の知藩事であった戸田光則。戸田は将軍家の血筋を引き、松平姓と葵の家紋を許された親藩だったが、戊辰戦争が始まってから、勤王か佐幕か最後まで迷った末、新政府軍が中山道を通過する時点でようやく腹をくくって新政府についた。この日和見主義に対する新政府からの不信を解消するために戸田は廃仏毀釈に異常な熱意を示したのである。彼はまず戸田家の菩提寺を破壊するところから始めたのである。

(3)もう一人は京都府知事だった槇村正直。長州藩士で木戸孝允に重用された人物である。京都の文化的伝統にまったく関心がなかった槇村はきわめて熱心に廃仏運動に取り組んだ。まず神仏習合の祇園社感神院を八坂神社に改組し、本地仏の薬師如来を撤去。北野天満宮は北野神社に改名され、境内の寺院はすべて撤去解体された。彼は五山の送り火も地蔵盆も盆踊りも禁止したのである。それがどういう経緯で、どういう言い訳で復活したのか、誰か知っていたら教えて欲しい。

(4)興福寺は廃仏運動の被害がもっとも大きかった寺である。興福寺は春日大社と一体化していたが、分離され仏像仏具教典が棄てられた。五重塔も民間に売却され、金属だけを取り出すために買い主が火をかけようとしたが、延焼をおそれた近所の住人に制止されたおかげで焼けずに残った。いまは国宝である阿修羅像も運慶作とされる無著・世親像も金堂の床にうち捨てられていた。その惨状については、前に釈先生と興福寺に聖地巡礼に参ったときに詳しく伺った。

(5)伊勢には御師(おし・おんし)と呼ばれる「宗教者兼観光案内人」のような人がいた。自分の家を宿坊として参拝者を宿泊させ、聖地を案内し、伊勢暦や神札を売り、加持祈祷も行った。御師の職業的な特徴はそれぞれが自分の「檀那」を有していたことである。江戸時代には伊勢に御師2000人がいて、宿坊600軒があった。当時の伊勢詣では年間300万人、檀那総数は400万軒。

 という話を読んで、羽黒山伏のことを思い出した。羽黒山もかつては山伏が営む宿坊が300軒あり、それぞれの宿坊には「檀那」となる人々がいた。農閑期になるとその町村の人たちが「講」をつくって、連れ立って羽黒を訪れ、山伏の先達で三山で修験場を訪れ行をおこない、遊びながら故郷に帰った。羽黒に雪が降り山に登れなくなると、山伏たちは里に下りてその「檀家」を巡歴して、加持祈祷を行い、お札を売った。伊勢御師と同じである。

 あるときは定住する信者のもとを移動する宗教者が訪れ、あるときは定住する宗教者のもとを移動する信者が(聖地巡礼と観光旅行を兼ねて)訪れる。このような宗教と観光、行と娯楽の癒合したかたちは、前近代の日本に広く見られたようで、出雲大社、富士山、熊野などにも御師がいて、各地の檀那たちと密接な「師檀関係」を結んでいた。

 慶應四年の神仏分離令では山伏と御師がまっさきに弾圧の対象となった。羽黒山伏は宿坊が10分の1になったけれど、いまも残っているが、伊勢御師は明治初年に途絶えた。いったい、神仏分離令は何を圧殺しようとしたのかがここからよく知られる。

*神仏分離についての上の記述は

『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』 (鵜飼秀徳、文春新書)、『神々の明治維新』(安丸良夫、岩波新書)、
『廃仏毀釈百年―虐げられつづけた仏たち 廃仏毀釈百年―虐げられつづけた仏たち 』佐伯恵達、みやざき文庫)

に多くのご教示を得たものであることを謝意とともに記しておく。
http://blog.tatsuru.com/2019/05/29_0925.html

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