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2023/12/26 (Tue) 18:13:29
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世界の名画・彫刻
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ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner、1775年4月23日 - 1851年12月19日)
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2024/05/14 (Tue) 10:35:01
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ターナーの風景画
続壺齋閑話 (2024年5月14日 08:30)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7811.html
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J.M.W.ターナー(J.M.W.Turner 1775-1851)は、イギリスの風景画家の最高峰の作家であるとともに、イギリスの美術史上もっとも偉大な画家といってよい。その名声はイギリスにとどまらず、世界中になりひびいている。ターナーはイギリスが初めて生んだ、真に世界的な巨匠といえるのではないか。かれは自分の作品を死後総て国家に寄贈したので、いまでもほぼ完全なかたちで国有財産となっている。
ターナーは生涯を通じて風絵画を描き続けた。その点は、同時代のライバル,コンスタブルが、生活の必要上肖像画を多く手掛けたのとは異なっている。風景画では生活はできないのだが、かれはなんとか生活の工面をたてながら、風景画を描き続けた。しかも、コンスタブルが故郷サフォークをはじめ、イギリス国内の風景にこだわったのに対して、ターナーは積極的に海外に出かけ、イタリアなどの外国の風景も描いた。
ターナーの画風は、幾度も変換した。その変換は五回とも七回ともいわれている。キャリアの始めごろには写実的な風景画を描いたが、1819年のイタリア旅行以後は、形にこだわらず、光あふれる色彩感を重んじるようになった。晩年の作品は、後の印象派を思わせるような、光を重視した画風である。批評家のなかには、ドゥル-ズのように、抽象画と評するものもいる。
「国会議事堂の炎上(The Burning of the Houses of Lords and Commons, 16 October 1834)」と題されるこの絵は、1834年10月16日における国会議事堂の炎上をモチーフにしたものである。ターナーは、この火災に大きなショックをうけたとみえ、幾枚もスケッチし、数点の油彩画や水彩画を残した。
この作品は、火炎のすさまじい勢いを、あざやかな色彩と光によって表現している。光や色彩を重んじる画風は、以後晩年におけるターナーの基本的な画風となった。
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7811.html
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2024/05/16 (Thu) 13:14:56
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ヴェニス ターナーの風景画
続壺齋閑話 (2024年5月16日 08:44)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7815.html
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ターナーはヴェニスが気に入って、生涯に三度長期旅行をしている。最初は1819年から翌年にかけて、二度目は1833年、三度目は1840年だった。かれが最初のヴェニス訪問の際にてがけたスケッチや水彩画をもとに、大きな油彩画を制作したのは1833年5月ごろのことであった。それがきっかけで、かれはヴェニスをモチーフにした作品を作りたいと望み、1833年の夏に、ヴェニスに滞在して、スケッチや水彩の下絵を多数ものにした。そして、それらをもとにヴェニスをモチーフにした一連の油彩画を制作した。
ずばり「ヴェニス(Venice - The Dogana and San Giorgio Maggiore)」と題されたこの絵は、二度目のヴェニス滞在から生まれた作品。この作品は、翌1834年のローヤル・アカデミー展に出品された。マンチェスターの織物業者が350ポンドで買い取った。それに気をよくしたターナーは、以後1846年までほぼ毎年、ヴェニスをモチーフにした作品をローヤル・アカデミーに出展し続ける。
ヴェニスの港のにぎやかな光景を描いている。副題に「税関とサン・ジョルジョ大聖堂」とあるとおり、右手前が税関の建物、その奥の塔がサン・ジョルジョ大聖堂である。船を含めて手前側のモチーフは明確な線で描かれているが、中景から遠景にかけては、曖昧な線で描き、光を感じさせるよう工夫している。
(1834年 カンバスに油彩 90×122㎝ アメリカ、ワシントン国立絵画館)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7815.html
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2024/05/18 (Sat) 16:28:26
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月光下に石炭を積み込みする乗員 ターナーの風景画
続壺齋閑話 (2024年5月18日 08:10)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7818.html
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「月光下に石炭を積み込みする乗員(Keelmen Heaving in Coals by Moonlight)」と題されたこの絵は、もともと「イングランドの河川」をテーマにした水彩画のシリーズの一つ「タイン河畔のシールズ」に基づいたものだが、これを発注したのは「ヴェネツィア」を発注した実業家である。その実業家は、かつては栄華をほこり、今では色あせつつあるヴェネツィアの港と、いまや勃興しつつあるイングランドの港とを対比させたいという意向をもっていたと言われる。
モチーフのタイン川は、ニューキャッスルを流れる川で、広い河口は産業用の港としてにぎわっていた。この絵は、その港に停泊した船のうえで、乗員が石炭を積み込む作業を描いている。ミソは、夜間でも月光をたよりに船積み作業が行われているということで、イギリスの工業力を象徴するような風景と受けとられる。
画面のほぼなかばに、白く輝く月があり、それが放つ光が、港を含めて河口一帯を明るく照らしている。その光の処理の仕方は、後の印象派を想起させる。イギリスの絵画史上、光をこのように表現できたのは、ターナーが初めてである。
(1835年 カンバスに油彩 90×122㎝ ワシントン国立絵画館)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7818.html
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2024/05/21 (Tue) 13:08:52
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戦艦テメレール ターナーの海景画
続壺齋閑話 (2024年5月21日 08:22)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7822.html
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ターナーは海景を描くのが好きだった。そんな彼にとって、「戦艦テメレール The Fighting Temeraire, tugged to her last Berth to be broken up」は海景を描いた作品の傑作だ。この絵には、海景の表現とともに、テメレールと言う戦艦についての、かれなりのこだわりが込められている。そのこだわりとは、故国イギリスへの愛国心に発していると言われる。
テメレール号は、対ナポレオン戦争の山場ワーテルローの海戦で活躍した船である。イギリス人にとっては、とりわけ思い入れの強い船だ。なにしろイギリスの国運を象徴するような船なのである。その戦艦テメレールが、1838年に解体処分されることとなった。テームズ側に係留されていた戦艦は、下流のロザハイズで解体されることになり、タグボートでそこまでひかれていった。この絵は、そんなテメレールの姿を描いたものである。
夕日に照らされたテームズを、テメレールがタグボートにひかれていく。いテメレールとタグボートは画面左側に描かれ、それと左右対称させる形で、沈みゆく夕日が描かれる。夕日は強い光を周囲に放ち、その光を浴びて雲が赤くそまる。その赤い色は水面をも染めている。
一方、テメレールの上空には青空がのぞいていて、それが三角形を呈している。その三角形の青い空を背景にしてテメレールが浮かび上がる。その高いマストは、時代に取り残されていることを人々に感じさせる。時代は蒸気機関のほうへと変わっているのだ。
(1938年 カンバスに油彩 91×122㎝ ロンドン、ナショナル・ギャラリー)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7822.html
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2024/05/23 (Thu) 14:56:32
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奴隷船 ターナーの海景画
続壺齋閑話 (2024年5月23日 08:33)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7824.html
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奴隷船(The Slave Ship )と称されるこの絵は、もともとは「人間を海に放り投げる奴隷商人たちー近寄る台風(Slavers Throwing overboard the Dead and Dying--Typhon coming on)」と題されていた。台風に直面した奴隷貿易船が、奴隷たちを生死の別なく海上に放り投げるシーンを描いたものである。
ターナーは、1839年に出版された「奴隷貿易の歴史(The History and Abolition of the Slave Trade トーマス・クラークソン著)を読んで、そこに記されている奴隷船の行動に感銘をうけてこの作品を描いた。その奴隷船はゾン号といって、1781年に奴隷を載せてジャマイカに向かう途中台風に遭遇し、132人の奴隷を海中に放り投げた。その理由が、自然災害による場合には、保険が適用されないということだった。そこで船長は、奴隷が逃亡したという理由をでっちあがるために、かれらを海中に放り投げたようなのである。
そんなわけでこの絵は、ターナーの社会的な関心を示す作品である。かれはこの作品を、1840年のローヤル・アカデミー展に出品し、大きな反響があった。その反響の中には、奴隷制廃止論者による好意的な評価があった一方で、大英帝国にとって恥さらしな絵だというものもあった。
画面ほぼ中央に日没が描かれ、その光が海上や上空の雲に反射して、全体に赤の強烈な色彩感が台風のイメージに合致するような効果を発揮している。左手遠景に風と波しぶきをあびる帆船が描かれ、画面手前におぼれる奴隷たちが描かれる。とりわけ、右下には、奴隷の足と思われるものが波間に浮き、そのくるぶし部分には足かせがはめられている。その足に魚がくらいつき、また、かもめが周りを飛び回る。陰惨なイメージである。
(1840年 カンバスに油彩 91×123㎝ ボストン美術館)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7824.html
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2024/05/25 (Sat) 11:26:47
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のろしと青い光 ターナーの海景画
続壺齋閑話 (2024年5月25日 08:14)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7827.html
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「のろしと青い光(Rockets and Blue Lights (Close at Hand) to Warn Steamboats of Shoal Water)」と題されたこの絵は、「奴隷船」とともに、1840年のローヤル・アカデミー展に出品された。ともに海景をモチーフにした作品である。両方とも海を背景にして、船のイメージを描いているが、モチーフは明確なラインで表現されておらず、色彩の変化によって表現されている。こうした傾向は、次第に強まり、ついには抽象画を思わせるような斬新な画風へと発展していくのである。
副題に「浅瀬の蒸気船に警告」とあるように、嵐の中で浅瀬に乗り上げた蒸気船に警告するために、海岸に集まった人々が、のろしを上げているシーンを描いたもの。すさまじい嵐の勢いは、逆巻く白波や空を覆う黒雲によって表現されている。その黒雲の間から、青い空がのぞき、その青い空の部分にのろしが見える。
画面左手には大勢の人々が集まり、船の様子をかたずをのんで見守っている。その船は、遠景に黒々と表示されるばかりで、明確なイメージにはなっていない。
(1840 カンバスに油彩 92.1×122.2㎝ マサチューセッツ、クラーク美術院)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7827.html
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2024/05/28 (Tue) 16:40:15
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吹雪 ターナーの海景画
続壺齋閑話 (2024年5月28日 08:13)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7832.html
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ターナーは晩年、荒れた海と蒸気船をモチーフにした絵を多く描いた。「吹雪(Snow Storm)と題されたこの絵は、その代表作の一つ。副題に「港口から出た蒸気船(Steam-Boat off a Harbour's Mouth)」とあるように、吹雪の中を港口から出て、外洋で漂流する蒸気船を描いている。この蒸気船は、アリエル号という名の外輪船で、ドーヴァー・パケットに活躍していた。
ターナーは、荒れ狂う海のイメージを体感するために、船員に頼んでマストにくくりつけてもらい、そこに四時間も滞留して観察を続けたと自ら証言している。その信ぴょう性を疑う者は多いが、本人は真剣にそう主張した。
逆巻く海と躍動する雲に翻弄されるように、蒸気船が漂流している。その煙突からは黒々とした煙が立ち上っている。ターナーの油彩画は、晩年ますます抽象的になっていくが、これもそんな抽象性を感じさせる。
(1842年 カンバスに油彩 91×122㎝ ロンドン、テート・ギャラリー)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7832.html
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2024/05/30 (Thu) 08:44:06
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平和ー海上埋葬 ターナーの海景画
続壺齋閑話 (2024年5月30日 08:06)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7835.html
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「平和ー海上埋葬(Peace - Burial at Sea)」と題されたこの絵は、スコットランドの画家デヴィッド・ウィルキーの死を哀悼した作品。ウィルキーはターナーと同時代人の画家で、ヨーロッパ大陸を遍歴し、各地の風俗を題材にした作品を手掛けた。最後の旅は、中東への旅で、エルサレムやアレクサンドリアなどを歴訪、その帰途ジブラルタル付近で死んだ。1841年のことである。ターナーはその死を悼んでこの絵を制作した。
ウィルキーの遺体は、イギリス側の船にわたされ、その船で海上埋葬された。この絵は、その海上埋葬の様子を、ターナーが自分の想像力を駆使して描いたものだ。船が二隻いるのは、イギリス側の船と、それにウィルキーの遺体を引き渡した船であろう。
この作品は、「戦争」と題した作品と対をなしている。その二つを並べることで、戦争と平和の意義について考えてもらいたいと意図したのだろう。戦争のほうは暖色主体のけばけばしい印象を与えるのに対して、平和をモチーフとしたこの絵は、モノトーンに近い静寂な印象を与える。
(1842年 カンバスに油彩 87×86.7㎝ ロンドン、テート・ギャラリー)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7835.html
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2024/06/01 (Sat) 13:07:34
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雨、蒸気、スピード ターナーの風景画
続壺齋閑話 (2024年6月 1日 08:14)
https://blog2.hix05.com/2024/06/post-7837.html
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「雨、蒸気、スピード(Rain, Steam and Speed - The Great Western Railway)」と題されたこの絵は、ターナーの風景画の到達点を示すものと受けとられる。かれの風景画は次第に抽象性を高めていったが、それがこの作品では頂点に達する。モチーフの輪郭にはこだわらず、色彩でその雰囲気を出すことで、対象の存在感を表現している。その存在感は、疾走する列車のスピード感に乗って、見るものに迫ってくる。
列車が走っているのは、メイドンヘッド・ブリッジという鉄橋。ロンドン西部、テームズ側の中流に架かる橋である。グレート・ウェスターン鉄道が鉄道用に建設した橋で、いまでも昔のままにあるそうだ。その橋を駆け抜ける蒸気機関車が、この絵のモチーフである。
蒸気機関車は、イギリスの産業革命を先導したシンボル的なものだ。列車のほか、船の動力としても使われた。ターナーは蒸気船にも大きなインスピレーションを感じ、多くの作品のモチーフにしている。
雨や、川から立ち上る霧など、列車をとりまく環境は荒っぽい筆致でざっくりと表現されている。そのざっくり感が、この絵に独特の抽象性をもたらしている。
(1844年 カンバスに油彩 91×121.8㎝ ロンドン、ナショナル・ギャラリー)
https://blog2.hix05.com/2024/06/post-7837.html
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2024/06/04 (Tue) 21:13:22
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ノラム城、日の出 ターナーの風景画
続壺齋閑話 (2024年6月 4日 08:13)
https://blog2.hix05.com/2024/06/post-7841.html
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「ノラム城、日の出(Norham Castle, Sunrise)」と題されたこの絵は、ターナー最晩年の代表作。「雨、蒸気、スピード」に見られた抽象性が、この作品では一層高まっている。輪郭はぼかされ、モチーフの城は朝日をあびて、混とんとしたイメージで表現されている。
ノラム城は、スコットランドとの国境を流れるツィード川に建設されたもので、スコットランドからイングランドを防衛するための前線の拠点というべき砦。ターナーはこの城に大きな興味をもったらしく、1897年に訪れてスケッチしている。1801年にも再訪し、その折のスケッチをもとに、白黒の版画や水彩画などを制作している。
この絵の構図とほぼ同じ構図の作品が1816年に白黒版画として作られている。ターナーはそれをもとにこの絵を描いたと思われる。だが原画がかなり具象的なのに対して、こちらは随分と抽象的である。
画面中央に見えるのが城郭の塔の部分。川は、そこに突き当たって右側へ流れを変える。その右側の方角にも、城塞の一部が伸びているようにみえる。
(1845年 カンバスに油彩 90.8×121.9㎝ ロンドン、テート・ギャラリー)
https://blog2.hix05.com/2024/06/post-7841.html