777投稿集 2576435


マルセル・デュシャン(フランス ノルマンディー 1887年7月28日 - 1968年10月2日)

1:777 :

2023/12/25 (Mon) 21:52:37

世界の名画・彫刻
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マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp、1887年7月28日 - 1968年10月2日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3


マルセル・デュシャン - YouTube
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2:777 :

2024/01/03 (Wed) 07:54:44

マルセル・デュシャン 『泉』(いずみ、Fontaine)

『泉』(いずみ、Fontaine)または『噴水』は、1917年に制作されたレディメイドの芸術作品であり、磁器の男性用小便器を横に倒し、"R.Mutt"という署名をしたものに「Fountain(噴水/泉)」というタイトルを付けたものである。

マルセル・デュシャンの作とされていたが、近年の研究では、本作を含む多くのデュシャン作品は、ドイツの前衛でダダイストの芸術家・詩人の女性、エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン(Elsa von Freytag-Loringhoven)が制作したとされている。

デュシャンは本作を1917年にニューヨークで開催された独立芸術家協会 (Society of Independent Artists) の「ニューヨーク・アンデパンダン」展に出品しようとした。デュシャンはアンデパンダン展の委員であり、出品料を支払えば無審査で誰でも出品できる規則であったにもかかわらず、協会はこの作品の出品を許可しなかった[5]。この決定を不服として同展覧会の実行委員長を辞任[6]。その後この作品は行方不明である[6][7]。

「噴水/泉」は、社会学者のピーター・バーガーのようなアバンギャルドの研究家からは20世紀を代表する作品とみなされており、少なくとも17点のレプリカが存在する。この作品は「芸術の概念や制度自体を問い直す作品として、現代アートの出発点」[8]であり、従来の伝統的な彫刻形式をはみ出した造形作品としての"オブジェ"の認識は本作から始まったとされる[9]。

一方で「噴水/泉」が「現代アートの出発点」ではないという意見もある。例えば「芸術と価値」などの著書で知られるアメリカの美学者、芸術哲学者であるジョージ・ディッキーは、デュシャンらが初めて制度自体を問い直したのではないと発言をしている。「デュシャンとその仲間がはじめて、芸術の身分の授与という振る舞いを発明したといいたいのではない。実際にも、彼らはただ、これまで存在していた制度的な装置をふつうとは異なったやり方で利用したにすぎない。アートワールドはそもそもはじめから存在した以上、デュシャンがそれを発明したわけではないのである」。一方で「デュシャンのレディメイドは芸術作品としてさほど価値はないかもしれないが」、「芸術理論にとってきわめて重要なものである」と、その必要性は認めている [10]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%89_(%E3%83%87%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3)



デュシャンの「泉」の価値とは

マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
Unknown authorUnknown author


さらにいうと「それまでに作られた美術作品」なんて、すべて理性を通して作られたものであり、ダダイスト的には全部が駄作なんですね。だからダダイストの活動は「芸術を見つめ直す」ということにもつながります。

ダダイスト(ダダイズムの実験をするアーティスト)のなかでも、デュシャンは特に「アートとは何なのか」について、むちゃくちゃ没頭して考えた人です。「アートとは」については、いまだに定義が難しいのが事実です。当時も明文化はされていませんでしたが、なんとなく以下の要件は決まっていました。

● アーティストの思想や哲学は反映されたもの
● 自身の手で作ったもの
● 見たときに魅力を感じるもの(美しいもの、高尚なもの)

この定義は今でもなんとなく皆さんがうなずけるんじゃないかな、と思います。しかしデュシャンは「それって本当に正しいの?」と疑問を投げかけるわけです。そこで彼が作った作品が「泉」でした。

マルセル・デュシャン『泉』


彼は市販の男性用小便器をひっくり返して、台座に載せて「R.MUTT(リチャード・マット)」とサインをしたんですね。先ほどの3つの定義をいっぺんに覆したわけです。それで、自身が委員を務める「ニューヨーク・アンデパンダン展」に出品します。もちろん「ひいき目」を避けるために自分が作ったことは隠していました。

アンデパンダン展は前回の記事でもお伝えしたように「賞はないけど誰でも出品可能で、無審査で何でも展示するよ!」というテーマの展覧会です。しかし「泉」は「ちょっとさすがにこれは……」と、展示されませんでした。当時の芸術観では展示されないのも、うなずけます。自分で作った物じゃないし、汚くて不快だし、何の思想性もない。究極、これを展示してしまったら、もう「渋谷のハロウィンでパリピが吐いた吐しゃ物」でも展示OKとなってしまうわけです。

ただデュシャンは「この便器すらも吐しゃ物だろ」と言い放ったんですね。これで「アート」という言葉は根底から覆りました。これはダダイズムの「理性をぶっ壊す」という概念にも共通するテーマだったんですね。

「泉」は2004年にイギリスでおこなわれた「500人の芸術専門家に聞いた『もっとも影響力のあるアート作品ランキング』で1位を獲得しています。まさに現代アートの出発点といってもいい作品です。


理性を破壊すると「自由」が見えてくる
「理性を破壊する」という行為によって「芸術の自由度」が高まったのもダダイズムの大きな功績です。人は理性がある限り「したくないこと」「できないこと」が生まれます。

先ほどの例でいうと「夏」というテーマにおいて、絶対に浮かばないことを思いつくんですね。「セミ」とか「スイカ」とか、ちょっとひねって「冬景色」は思いつくかもしれません。しかしダダイズム的には、例えば「鹿の剥製」を出して「はい、これ夏ね」って言ってもOKなんです。この発想は一度、理性をなくさないと見えてきません。
https://irohani.art/study/7656/
3:777 :

2024/01/03 (Wed) 07:57:40

近年の研究では、代表作の『噴水(泉)』を含む多くのデュシャン作品は、ドイツの前衛でダダイストの芸術家・詩人の女性、エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン(Elsa von Freytag-Loringhoven)が制作したとされている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3


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レディ・メイドと『泉』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3

早い時期に油絵を放棄したデュシャンは、既成の物をそのまま、あるいは若干手を加えただけのものをオブジェとして提示した「レディ・メイド(英語版)」を数多く発表した。1913年制作の『自転車の車輪』が、最初のレディ・メイドといわれている。レディ・メイドのタイトルの多くは、ユーモアやアイロニーを交えた地口や語呂合わせで成り立っており、一つだけの意味を成り立たせないように周到に練られている。デュシャンは、レディ・メイドについて明確な定義が自分でもできないと語っていた。


『泉』

アルフレッド・スティーグリッツによって撮影された写真の一枚である。
なかでも、普通の男子用小便器に「リチャード・マット (R. Mutt[10])」という署名をし、『泉』というタイトルを付けた作品(1917年制作[11])は、物議をかもした。この作品は、デュシャン自身が展示委員をしていたニューヨーク・アンデパンダン展[12]に匿名で出品されたものの、委員会の議論の末、展示されることはなかった。後年、デュシャンは「展示が拒否されたのではなく、作品は展覧会の間じゅう仕切り壁の背後に置かれていて、自分も作品がどこにあるか知らなかった」とインタビューに応えている[13]。デュシャンは自分が出品者であることを伏せたまま、展示委員の立場から抗議の評論文を新聞に発表し、委員を辞任した。最終的にはこの作品は紛失した(展示に反対した委員が意図的に破棄したのではないかと考えられている)。

後日、自身が編集に携わった雑誌「THE BLINDMAN」においてデュシャンは、アルフレッド・スティーグリッツが撮った『泉』の写真も含めて以下の様に言及している。

マット氏が自分の手で『泉』を制作したかどうかは重要ではない。彼はそれを選んだのだ。彼は日用品を選び、それを新しい主題と観点のもと、その有用性が消失するようにした。そのオブジェについての新しい思考を創造したのだ
これは、レディ・メイドに関するデュシャンの考え方の一端を表しているとも考えられる。

こうしたエピソードはいかにデュシャンが、美術の枠を外そうとし、また拒否反応があったかという点を示しているとも言えるが、抗議文の発表など手際の良さも目立ち、予めこの事がおこるのを予期していたとも考えられ、「みるものが芸術をつくる」というデュシャンの考え方を端的に示した一流のパフォーマンスとも言える。デュシャンはこの後、ほとんど作品を制作発表しなくなる。

件の『泉』を含むレディ・メイド作品の多くはオリジナルは紛失している。『泉』は、スティーグリッツによって撮られた一枚の写真を残して紛失しており、現在目にすることのできるのは写真か複製に限られている。しかし、30年後にデュシャンに傾倒する若者が、別の市販の便器の展示許可を本人から得て話題となった。デュシャンが芸術は受け継がれていくものだと考え承諾し、「R. Mutt」のサインを入れた。現在、芸術としての公式の便器が数百点に上る。

『泉』は2004年12月、世界の芸術をリードする500人に最もインパクトのある現代芸術の作品を5点選んでもらうという調査の結果、パブロ・ピカソの名作『アヴィニョンの娘たち』を抑えて堂々の1位を獲得した(ターナー賞のスポンサーとジンの製造会社が実施)。『泉』の発表後、20世紀の多くの芸術家は「デュシャン以降、何が制作できるのか」という問いに直面しており、それに応えた作品が多く生まれている。

なお、『泉』という日本語題名については、誤訳であり、『噴水』と訳すべきであったという説もある。それは、レディ・メイドという性格上、泉という自然のものではなく人工のものとして扱うべきであるというのが理由である。また、デュシャンのエロティシズムに対する態度から決して性的なモノを拒否していたとは思われないというのがもうひとつの理由である。もしこの作品を邦題『噴水』として受容鑑賞するならば、その噴水のノズルは何か? それはこのオブジェの前に在ってしかるべき男性器であり、すなわち作品名からしてダブルミーニングではないか、というのが誤訳説である[要出典]。
「噴水」とすべきという点については、別の主張もある。 デュシャンの「泉」に使われた便器は配管して水を流した場合、水が噴水のように上に噴出する[14]。そこからこの作品の題名がFountain=噴水、と名づけられたという説である。
参考:drinking fountain=噴水式水飲み場【略】DF、あるいはwater fountain=噴水式水飲み器という表現もある。

『泉』という日本語のタイトルがつけられていることから、この作品にはアングルの代表作『泉』となんらかの関係があると考え、この二つを結びつけて論じる人たちがいるが、デュシャンの『泉』の原題はFontaine(英語ではFountain)で、アングルの『泉』の原題La Sourceとは異なる。この2つは類義語ではあるが、日本人以外でこの二つの作品の関係を論じる人はいないようである。

2006年、パリのポンピドゥー・センターの企画展ギャラリーで行われた「ダダ展」で、従来よりポンピドゥー・センター内の国立近代美術館で普段はガラスケース内に展示されていた『泉』が、この企画展に移されケース無しで展示されていた。企画展終了の数日前、一人の男がこの『泉』をハンマーでたたき、国立近現代美術館所有の『泉』は破損した。警察発表によればこの男は「自分のやった事は芸術的パフォーマンスであり、デュシャンも理解したはずだ」と述べたという。

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