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ポール・セザンヌ(南フランス エクス=アン=プロヴァンス 1839年1月19日 - 1906年10月23日)

1:777 :

2023/12/23 (Sat) 10:59:06

世界の名画・彫刻
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西洋美術史を流れで学ぶ(第17回)~アカデミーとサロン編~
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西洋美術史を流れで学ぶ(18回) ~新古典主義編~
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西洋美術史を流れで学ぶ(20回) ~バルビゾン派編~
https://irohani.art/study/6885/

西洋美術史を流れで学ぶ(第21回)~印象派編~
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西洋美術史を流れで学ぶ(第22回)~新印象派・後期印象派編~
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西洋美術史を流れで学ぶ(第24回)~キュビスム編~
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ポール・セザンヌ(Paul Cézanne, 1839年1月19日 - 1906年10月23日)
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セザンヌ - YouTube
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【入門/10分集中】セザンヌ りんごや水浴図で偉大な探求!ピカソへ思考を受け継いだ「先駆者」の画家をゼロから10分で解説(アート 美術 画家 絵画)
ZERO ART / ゼロアート
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ポール・セザンヌの絵を部屋に飾ろう
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2:777 :

2023/12/27 (Wed) 19:52:44

ポール・セザンヌとは|400年の美術の歴史を変えた作品を、生涯を振り返りながら解説|ジュウ・ショ(アートライター・カルチャーライター)
https://note.com/jusho/n/n1fa8cc9f057c?magazine_key=m5d87b7817204
3:777 :

2024/01/02 (Tue) 12:04:53

後期印象派のなかでも「ポール・セザンヌ、ポール・ゴーギャン、フィンセント・ファン・ゴッホ」は御三家といわれます。

なかでもぶっちぎりの主要人物は「近代絵画の父」といわれる、ポール・セザンヌです。


印象派の絵を「永久のもの」にしようとしたポール・セザンヌ

ポール・セザンヌ『リンゴと静物』


セザンヌはもともと印象派の画家でした。ただ彼は「風景や人の一瞬を切り取る写実的表現ではダメだ」と考えたんですね。どういうことかをざっくり紹介しましょう。

印象派は「見たまんまの姿を極力そのまま描こうぜ」って考えていました。例えば「リンゴ」を書くときに、光の当たり方や、光による色合いの変化をできるだけ忠実に再現したんですね。

つまりそのリンゴは「〇月〇日〇時〇分〇秒に〇〇県〇〇市〇番地〇-〇」で描かれた対象物なわけです。超具体的なもので、その一瞬しか存在しない光景を絵にしていました。

いっぽうで、セザンヌは「その一瞬だけじゃなくて『永続的で普遍的なもの』として対象を描きたいんだよなぁ」と思っていたんです。「〇時〇分〇秒のリンゴ」じゃなくて「これぞリンゴ!」っていうのを描きたかった。

だから具体的に描かれた対象を究極までデフォルメ、抽象化していきます。例えば彼は「木の幹は円柱、オレンジ・リンゴは球で構成されている」と分析しています。 対象物を細かく分解して、頭のなかでシンプルな形に置き換えて再構築していくわけですね。


ポール・セザンヌ『リンゴとオレンジ』


すると絵も単純化されていきます。例えば「絵の遠近感がない」や「赤を強調してリンゴを描く」などがセザンヌの絵画の特徴です。すると「1つの絵のなかで多角的な視点の対象物」があらわれてくる。上の「リンゴとオレンジ」では中央、右、左で別々の視点から描かれているのが分かると思います。

これは当時めちゃめちゃセンセーショナルだったわけです。というのもルネサンスの時期に建築家のブルネレスキやダ・ヴィンチが遠近法を発明してから、400年くらい「見た光景を遠近法を駆使しながらちゃんと写実的に描く」というのは常識だったんですね。セザンヌの作品は、そんな「当たり前」をぶっ壊したわけだ。


セザンヌの影響を受けたゴーギャン、ゴッホなどのアーティストたち

ポール・ゴーギャン『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』


そんなセザンヌの作品は斬新すぎて、そりゃもう気持ちいいくらい評価されません。当時の人からしたら「ただのパースが崩れたド下手な絵」なんです。ただ、キャリア後期になって、ポール・ゴーギャンやフィンセント・ファン・ゴッホといった、前衛的な画家が彼を支持し始めます。

セザンヌは絵が売れないうえに妻子がいたので、かなり長く極貧生活を続けていて、一時期は絵の具の代金として自分の絵を渡していました。ゴッホの絵で有名な通称・タンギー爺さんのお店です。


フィンセント・ファン・ゴッホ『タンギー爺さん』


ゴーギャンやゴッホはそんなタンギー爺さんの店で、セザンヌの絵を買うくらいファンだったんですね。結果的にセザンヌの絵の代金をゴーギャンやゴッホが支払うみたいな……ものすごく奇妙な売買をしていました。

繰り返しますが、3人とも画風や表現したかったことは違います。ただ「遠近感のない作品が多い」「対象をデフォルメして描くことが多い」など、共通点も多いです。そんな背景にはセザンヌの革命があったんですね。
https://irohani.art/study/7160/
4:777 :

2024/01/02 (Tue) 16:13:26

今回は20世紀前半の西洋美術史を語るうえで外せない「キュビスム」についてご紹介。みんな大好きパブロ・ピカソの、あの画風はなぜ誕生したのか? 背景にどんな考えがあるのかを楽しくみていきましょう。
https://irohani.art/study/7444/

そもそも「キュビスムってなんなのよ」って話からはじめます。キュビスムは英語でいうと「キュービズム」です。もっというとキューブイズム、つまり「立方体イズム」です。日本では「立体主義」と訳されますが、正確にいうと「立方体主義」です。1900年代初頭にパブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックが始めました。

私たちは何かを描くとき、基本的には自分の目でみた一方向からの視点だけで描くはずです。例えば「モナ・リザ」は、こんな感じで真正面の視点オンリーで描かれています。誰もモナ・リザの後ろ姿は知らないです。


レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』


キュビスムはいったん対象をいろんな視点からみて「解体」することから始めます。目の前にモナ・リザ(ラ・ジョコンダ)さんがいたとしたら、彼女を360度の全方位から見るんですね。「正面から観た目」「左から観た鼻」「斜め右からみた口」などの情報を吸収します。

で、その各要素を1つの画面に詰め込んじゃうわけです。いわゆる「ピカソの絵」の顔面があべこべなのは、こうした背景があります。


パブロ・ピカソ『ゲルニカ』(※壁画レプリカ)Allendesalazar Street


こんな思考で描かれた作品をジョルジュ・ブラックが1908年に個展で披露した際に、画家のマティスさんは「なにこれ斬新なんだけど! 幾何学とか立方体の集合で絵が描かれてるやん」と驚いた。だから「キュビスム」である。誤解してほしくないのは、キュビスムは必ずしも「立方体」じゃないということです。


幾何学的な表現の裏にある、セザンヌの構造主義

また。キュビスムのもう1つの特徴が、モチーフがむっちゃ幾何学的に描かれていることだ。遠近法とかまるで存在しない。人の顔なんて、もうマンガくらいざっくりしている。

私は小学生のころ、ピカソの絵を観て「え、なんこれ、下っ手ぁ~。このおじさんマジで才能ねぇ~」と率直に思ったが、いやいやもちろんピカソはキュビスムに行きつくまでにものすごく写実主義な絵を通ってきている。当時の私を「下手なわけないだろう~。世界でイチバン多くの絵を描いた画家だぞ~」って、よしよししながら諭してあげたい。

では、何がピカソやブラックを、こんなざっくりした表現に導いたのか。その背景には「ポール・セザンヌ」という近代絵画の父がいました。キュビスムは完全にセザンヌの影響を受けて描かれたんですね。

ここからは「セザンヌの何がピカソをキュビスムに導いたのか」について紹介します。

セザンヌは中学生くらいから絵を始めた人で、クラスメイトに小説「居酒屋」で有名なエミール・ゾラがいた。今でいうとサブカルマンガの話題で毎日盛り上がる中学生的な感じで、そのまま絵画スクールに入ります。

でも王立大学に落ちて、私立に入るんですね。そこで出会うのが印象派の面々です。以前の記事でもご紹介しましたが、当時は国が運営する展覧会・サロンが「絶対」の時代です。サロンでウケなきゃ飯食えないっていう時代でした。で、サロンが好む絵画作品はルネサンス期から長く続く「遠近法しっかり計算して……正確なデッサンをして……」っていう表現だったんですね。
でも印象派の面々は「そんなんおもんないやろ」と、反旗を翻すわけです。ただセザンヌは比較的、サロン寄りの絵を描くタイプだった。ただ、ぶっちゃけ初期のセザンヌは表現以前に、シンプルにあんまり絵が上手くなかったんですね。

それもあって、最初にサロンに出品した際に王立美大の学生たちから「なんだよその絵は(笑)。一回デッサン学び直したほうがいいんじゃね(笑)」と腹立つ感じで小馬鹿にされます。これはセザンヌにとって、一回絵をやめて地元に戻るくらいの大ショックでした。この人ほんとプライドがデカいんです。

1年後にまた私立のスクールに戻ってきて絵を再開するころには、セザンヌはもう殺し屋みたいな顔つきで「あのとき馬鹿にしたサロン大好き学生ども、見てろよこの野郎」って感じなんですね。で、ここからは印象派のスタイルに染まっていくわけです。

印象派のスタイルってのは「その瞬間の光景を描く」ということでした。筆触分割をすることで、自然のあるがままの色彩を大事にしたり、光の動きを再現したりしていたんです。で、印象派はサロンに対抗して「印象派展」を自主開催し、批評家からボロクソに言われながらもだんだんと知名度を高めていきます。

セザンヌも印象派展にちょいちょい出品するんですけど、これがほとんど評価されない。そんな生活がものすごく長く続きます。彼は40歳くらいまで親からの仕送りで生活していたくらいです。しかもなぜか妻子持ちだったからすんごい貧乏でした。

そんな40歳くらいからセザンヌは印象派の手法に疑問を持つんですね。「その瞬間の『光』ばっかり描いて、肝心の木々とか葉っぱの本質を描けていないんじゃないか」と思うわけです。

例えば印象派が描いていた「木」ってのは「1850年8月13日15時37分54秒にパリ市バルビゾン村5番地で観たケヤキの木」なんです。でもセザンヌは「超一般的で超永続的なケヤキの木」を描きたかったんですね。いつなんどき、誰が見ても分かる「ケヤキの木」です。その姿こそ「モチーフの本質だ」と思いました。

彼は「(印象派の代表的画家である)モネの目はハンパなくすげぇ。でもそれは『一つの目』でしかない」と言っています。つまり裏を返すと「世界中の全員の目で観て共感できるモチーフを描くべきだ」と考えていました。

そんな思考において、セザンヌは何をしたか。そのモチーフ自体を分かりやすく表現するために、複雑な構図をシンプルに、抽象的にしていくわけです。

・遠近感をなくした。
・リンゴは赤く、ミカンはオレンジに! と極端な色使いをした。
・リンゴやミカンは球体、木は円柱、山は円錐と捉えた
・1つのモチーフを解読するために多角的な視点から捉えた

こんな具合にモチーフを抽象化していくんですよね。これがセザンヌのやった革命です。西洋美術史はルネサンス以降、500年くらいずーっと「遠近感を大事にして、1つの視点から描く」ってのが暗黙のルールでした。しかしセザンヌは鮮やかにこのルールを破ってみせたんですね。
セザンヌの考えを深めた「キュビスム」に
そんなセザンヌは本当に長く認められないんですけど、おじいちゃんになって「新しい表現をやりてぇ」っていう、エネルギッシュな若い画家から尊敬されるようになります。そして亡くなったあとも回顧展が開催されました。その回顧展にきていたのがパブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックなんです。

彼らはセザンヌの表現をもとにして、同じように「遠近感をなくす」「モチーフを幾何学的にざっくり描く」「モチーフを解剖する」という実験をしました。これがキュビスムになっていったわけです。つまりキュビスムはただ「新しかった」というだけでなく、描く「対象物の本質を観ようとする」といった考えがあるわけです。
アビニヨンの娘たちから始まるキュビスム
そんな「キュビスム」の出発点ともなった作品がパブロ・ピカソの「アビニヨンの娘たち」でした。スペインのバルセロナのバイシュン婦5人を描いた作品で、当時「下品や下品!」とプチスキャンダルを巻き起こしました。

作品では顔も体も多角的な視点から描かれており、身体はやけにカクカクしています。女性の柔らかさではなく、もうなんかデフォルメし過ぎて「木材」みたいな感覚で描いている。明らかに異常で、当時は周りの画家も「おいおいピカソ、気が狂ったんちゃうか……」と心配したレベルでした。

しかしそんな批判に負けず、ピカソとジョルジュ・ブラックは以下のようにキュビスムを突き詰めていきます。


セザンヌ的キュビスム

1907年の「アビニヨンの娘たち」から始まった時代です。このころは風景画を多角的な視点でとらえる実験をしていました。セザンヌの影響をもろに受けていた時代ですね。


分析的キュビスム
1909年あたりからは風景画は書いておらず、特に人物画や静物画をよくキュビスム風に描くようになっています。このころには「対象を解剖すること」を突き詰めすぎて、ぱっと見「マジで何を描いているのかよく分からない作品」もめっちゃあります。

もう、タイトルを見て、なんとなく何を描いたのかが分かってくるっていうレベルです。対象を取り巻く360度全方向から見た光景を1つのキャンパスに落とし込んでいたんですね。


総合的キュビスム
この時代は絵でなく新聞の切り抜きや写真を貼り付ける、いわゆる「コラージュ」を始めています。ピカソはコラージュ表現を1920年代に入っても続けていました。次回以降で紹介するダダイズム・シュルレアリスムに通ずる表現となっています。

キュビスムはアフリカ美術からの影響も受けている
今回は20世紀初頭にムーヴメントを起こしたキュビスムについて紹介しました。ピカソとブラックの表現の裏には確実にセザンヌがいたんですね。ただし、どちらかというとブラックのほうがセザンヌからガッツリ影響を受けた画家です。

ピカソの表現の背景には「アフリカ美術」もあります。よく「アビニヨンの娘たち」はアフリカ美術のお面と似ているといわれる通り、「大きな目」をはじめとしてピカソの代名詞の多くはアフリカ美術から得ているものです。

彼は「プリミティブな彫刻は絶対に超えられない」と口にしたことがあります。プリミティブとは日本語にすると「原始的」という意味になります。原始人ってほとんど動物で、本能の赴くままに獣を喰らい、洞窟で眠る、みたいなイメージありますよね。あんな感じでアフリカ美術の持つ「何の影響も受けておらず、本能のままに作られた美術作品」のエネルギーにピカソは惹かれたわけです。プリミティブだからこそ、奇妙奇天烈で斬新な発想の作品ができ上がるんですね。

それくらいピカソは「新しいもの好き」なんです。 まだ観たことない表現をどんどん取り入れた人でした。「ピカソ=キュビスム」というイメージはありますが、実は彼がキュビスムをガッツリやっていた期間は数年です。どっちかというとブラックのほうがキュビスムに傾倒していました。
https://irohani.art/study/7444/
5:777 :

2024/01/12 (Fri) 06:40:31

ああq
6:777 :

2024/05/13 (Mon) 09:53:53

フランス映画「セザンヌと過ごした時間」 ゾラとセザンヌの奇妙な友情
続壺齋閑話 (2024年5月13日 08:30)
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france.cezanne.jpg

2016年のフランス映画「セザンヌと過ごした時間(Cézanne et moi)」は、エミール・ゾラとポール・セザンヌの奇妙な友情を描いた作品。奇妙というのは、ゾラの視点からのことで、セザンヌはゾラに対して普通に振舞っていると思っている。ところがゾラにはそう思えない、という意味だ。

というわけで、歴史上に足跡を残したこの二人の友情を、主にゾラの視点から描いたものだ。二人は南仏の町エクス・レ・バンで共に育った幼馴染だ。ゾラはイタリア人の移民で、学校ではいじめられていた。それを一つ年上のセザンヌがかばってやった。セザンヌは絵が好きで画家になりたい夢をもっていた。一方ゾラはフランス社会に溶け込み、フランス社会のことを小説で書きたいと思っていた。

成長した二人はそれぞれの道を歩む。ゾラは若くして成功し、当代一流の作家として社会的に認められる。一方セザンヌはなかなか評価してもらえない。いつまでもうだつのあがらぬセザンヌが、ゾラに向かって複雑な感情を抱き、それを行動にもあらわす。その行動は攻撃的なもので、それにゾラはうんざりさせられながらも、年が老いるまで付き合い続けるといった内容である。

ゾラは、作家として成功しただけでなく、ドレフュス事件へのかかわりとか、社会的な分野でも名声を博す。一方セザンヌは、画家として評価されないばかりか、人間としても一人前には見てもらえない。ゾラはセザンヌより先に死ぬのだが、その時点でもセザンヌはまだうだつがあがらなかった。かれの作品が世の中に受け入れられるのは、死ぬ間際だったのである。

だからこの映画の中での二人の関係は、成功したゾラとうだつの上がらないセザンヌという非対照的な関係である。子供の頃は、セザンヌがゾラを保護する立場だったが、大人になってからは、セザンヌはゾラの前に頭が上がらないのである。その分、かれはゾラに対して乱暴に振舞う。この映画の中のセザンヌには、ほとんどいいところがない。

小生はセザンヌを近代美術史上もっとも偉大な画家と思っている。それについては、メルロ=ポンティのセザンヌ論に影響されたということもあるが、しかし絵画のイメージを決定的に変えたのがセザンヌであることは違いなく、現代絵画はセザンヌから始まると言ってよい。そのセザンヌの画家としての偉大さが、この映画からは全く伝わってこない。そこがこの映画の欠点だろう。こんな映画を見せられれば、セザンヌについてとんでもない思い込みを刷り込まれるばかりだ。
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