777投稿集 2486023


世界の名画・彫刻

1:777 :

2023/12/22 (Fri) 19:09:57

777投稿集
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ウェブブラウザに Brave を使うと、広告なしで youtube を視聴することができます
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スマホやノートパソコンを使っていると失明する
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部屋には名画複製画を飾ろう
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最初の芸術(旧石器時代)
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北アメリカ北西海岸 トーテムポール
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アフリカ・パプアニューギニアの木彫仮面
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ストーンサークル
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メソポタミア美術
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エジプト美術
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エーゲ美術
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ギリシャ美術
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ローマ美術
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ロマネスク・ゴシック美術
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世界の有名な彫刻家とその代表作
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徹底解説!ウクライナ美術史―金属と宝石を用いた古代の工芸品から、中世の教会を彩ったモザイクとフレスコの壁画、近世の聖堂建築を特徴付ける「マゼーパ様式」、近代の「ロシア・アヴァンギャルド」の絵画作品まで - YouTube
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中国美術―石で作った肉、白菜、仏教美術に青磁・白磁まで - YouTube
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【古代メキシコ展】詳しいことは専門家さんを交えてライブでお話しましょうよ♪7月16日(日)20:00~遊びに来てねぇ~☆
こやぎ先生の美術ちゃんねる
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【特別展「古代メキシコ展」について語るライブ】これらの文明を研究されていた特別ゲストを交えてのトークライブです♪(こやぎは全く知りません(笑))
こやぎ先生の美術ちゃんねる
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プロト・ルネサンス美術、初期ルネサンス美術
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ルネサンス美術
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バロック美術
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ロココ美術
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新古典主義
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ロマン主義
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バルビゾン派・写実主義
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印象派・新印象派・後期印象派
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象徴主義
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アール・ヌーヴォー(新しい芸術)
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キュビスム
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フォーヴィスム(野獣派)
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ドイツ表現主義
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エコール・ド・パリ
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ダダイズム
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シュルレアリスム
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抽象絵画
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現代アート
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巨匠のデッサン - YouTube動画
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美術史チャンネル - YouTube
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徹底解説!西洋美術史【年代順】古代から近代までの美術作品の歴史 - YouTube
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早わかり!西洋美術の歴史― 原始時代から20世紀はじめまでの西洋美術史を一気に解説!洞窟壁画、古代の壁画・石像・銅像、中世の輝くモザイク画、ルネサンス期の油絵から、印象派の風景画、象徴主義の神話画まで - YouTube
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この動画では原始美術から、19世紀の印象派、そして20世紀初頭のウィーンを彩ったクリムトやシーレたちの作品にいたるまでの、西洋美術の歴史を簡単にご紹介します。ヨーロッパとその周辺にいた人類は、2万年以上も前から、自然界に認められるものの姿を、絵に巧みに写し取っていました。そして西洋では、20世紀までに無数の平面並びに立体の造形作品が作られ、様々なモチーフが作品に表され、数多くの表現の方法が開発されました。その西洋美術の歴史を、18分と少しの動画で手早く振り返ります。

内容:
①原始美術:洞窟壁画と「原始のヴィーナス」
②古代エジプト美術:フレスコ壁画と石製彫刻
③古代メソポタミア美術
④古代エーゲ美術
⑤古代ギリシャ美術:アルカイック期・クラシック期・ヘレニズム期の像
⑥古代ローマ美術
⑦初期キリスト教美術
⑧ビザンティン美術
⓽中世西欧初期美術
⑩ロマネスク美術
⑪ゴシック美術
⑫初期ルネサンス美術
⑬盛期ルネサンス美術
⑭マニエリスム美術
⑮バロック美術
⑯ロココ美術
⑰新古典主義
⑱ロマン主義
⑲写実主義
⑳印象主義
㉑新印象主義
㉒ポスト印象主義
㉓象徴主義


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壺齋散人の美術批評 西洋美術史の試み
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 ギリシャ美術
 ロシア正教のイコン
 イタリア・ルネサンスの美術
 ダ・ヴィンチの絵画
 ミケランジェロの壁画
 ボスの世界
 デューラーの芸術
 クラナッハの官能美
 ブリューゲルの世界
 ブリューゲルの版画
 エル・グレコの幻想
 カラヴァッジオ
 レンブラント、光と闇
 ベラスケス、バロック最後の巨匠
 フェルメールの女性たち
 ロココ美術
 ゴヤの黒い絵
 ゴヤの版画
 ドラクロア、フランスロマン主義
 バルビゾン派の画家たち
 ドーミエの版画
 マネ、近代絵画の先駆者
 ドガの踊り子群像
 モネ、印象派の開拓者
 ルノワール、印象派の巨匠
 オディロン・ルドンの幻想風絵画
 セザンヌの静物画
 スーラの点描画
 アンリ・ルソー、形ある幻想
 ゴーギャン、タヒチの夢
 炎の画家ゴッホ
 ゴッホの自画像
 ロートレックのポスター
 クリムトのエロス
 アルフォンス・ミュシャ
 ムンク、世紀末の不安
 ボナール、色彩の魔術
 マティス、色彩の魔術
 ピカソ、子どもを描く
 ルオー、キリスト者の幻視
 シャガールの恋人たち
 モディリアーニの肖像画
 クレーの天使
 エドワード・ホッパー

ここで西洋美術の名であらわしているのは、ヨーロッパ民族の文化の一環としての美術である。ヨーロッパ民族は、ヨーロッパからユーラシアの一部にかけて、さまざまな国家を作り、それぞれユニークななかにも、相互に影響を及ぼしあって、今日西洋美術といわれるものを作ってきた。ヨーロッパ人の植民地として始まった北米諸国も、西洋美術の範囲に入る。

ヨーロッパ民族の文化は、まずギリシャ人が先導した。ギリシャ人は、民主主義的な政治であるとか、ギリシャ神話であるとか、哲学・思想の分野でも偉大な業績を残したが、美術の分野においても、建築や彫刻などにすぐれた作品を残した。それゆえ、このサイトでは、ギリシャ美術の紹介から始め、中世、ルネサンスを経て、近・現代の西洋美術へと順次追っていきたいと思う。

ギリシャ文化およびギリシャ美術が衰えた後、西洋美術は長い停滞期に入ったかに見えるが、14世紀頃から、イタリアを中心にルネサンス文化が勃興し、その一環としてルネサンス美術が栄えた。イタリア・ルネサンスは、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナロッティ、ラファエロといった天才的な芸術家を生みだし、西洋美術の偉大な復興を果たした。

ルネサンスの運動は、その後北ヨーロッパにも普及し、ドイツやフランドルに、アルブレヒト・デューラー、ヒエロニムス・ボス、ペーター・ブリューゲルといった偉大な画家があらわれた。それ以後、西洋美術は全ヨーロッパ規模で栄えるようになり、バロック、ロココ、新古典主義、ロマン主義といった近代美術の諸潮流を生み出していった。とりわけバロック美術は、イタリアのカラヴァッジオ、フランドルのレンブラント、スペインのベラスケスといった具合に、国境を超えた全ヨーロッパ的な規模の広がりをみせた。また、ロマン主義美術の運動は、単に美術のみならず、文学を巻き込んだ広範囲な芸術・文化運動の観を呈した。

ヨーロッパにおける近代美術から現代美術への転換をどこに見るかについては諸説あるが、エドゥアール・マネを現代美術の先駆者と見るのが有力な見方である。ついでクロード・モネがあらわれ、印象派の到来を告げた。印象派は大きな運動となり、有力な画家を多数生んだ。その印象派の後は、ゴーギャンやゴッホなど後期印象派をはさんで、現代美術へと転換していく。マティスやピカソが現代西洋美術の先導者とされている。20世紀に入ると、西洋と非西洋との美術的な交流もおこなわれ、西洋美術は世界美術のなかに組み入れられていく。

以上が、西洋美術史についての概略である。このサイトは、その西洋美術史の流れにそって、主要な芸術家ごとに、名作といえる作品を取り上げ、鑑賞のうえ適宜解説・批評を加えたものである。
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2:777 :

2023/12/22 (Fri) 19:59:34

世界の画家・彫刻家(生年順)

ジョット・ディ・ボンドーネ Giotto di Bondone(イタリア フィレンツェ近郊 1267年-1337年1月8日)
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フィリッポ・ブルネレスキ Filippo Brunelleschi(イタリア フィレンツェ 1377年 - 1446年4月15日)
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ロレンツォ・ギベルティ Lorenzo Ghiberti(イタリア フィレンツェ 1381年 - 1455年12月1日)
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フーベルト・ファン・エイク Hubert van Eyck(ベルギー フランドル マーサイク 1385年 - 1426年9月18日)
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ドナテッロ Donatello(イタリア フィレンツェ 1386年 - 1466年12月13日)
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フラ・アンジェリコ Fra' Angelico(イタリア ヴィッキオ 1390年 - 1455年2月18日)
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ヤン・ファン・エイク Jan van Eyck(ベルギー 1395年 - 1441年7月9日)
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マザッチオ Masaccio(イタリア サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ 1401年12月21日 - 1428年)
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サンドロ・ボッティチェッリ Sandro Botticelli(イタリア フィレンツェ 1445年3月1日- 1510年5月17日)
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ヒエロニムス・ボス Hieronymus Bosch(オランダ南部 スヘルトーヘンボス 1450年 - 1516年8月9日)
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レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci(イタリア フィレンツェ 1452年4月15日 - 1519年5月2日)
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アルブレヒト・デューラー Albrecht Dürer(ドイツ ニュルンベルク 1471年5月21日 - 1528年4月6日)
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ミケランジェロ・ブオナローティ Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni (イタリア トスカーナ州 1475年3月6日 - 1564年2月18日)
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ラファエロ・サンティ Raffaello Santi(イタリア ウルビーノ 1483年4月6日 - 1520年4月6日)
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コレッジョ Antonio Allegri da Correggio(北イタリア モデナの近くのコレッジョ 1489年–1534年)
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カラヴァッジオ Michelangelo Merisi da Caravaggio(イタリア ミラノ 1571年9月29日 - 1610年7月18日)
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ピーテル・パウル・ルーベンス Petrus Paulus Rubens(ドイツ ジーゲン 1577年6月28日 - 1640年5月30日)
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ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ Gian Lorenzo Bernini(イタリア ナポリ 1598年12月7日 - 1680年11月28日)
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アンソニー・ヴァン・ダイク Anthony van Dyck(ベルギー アントウェルペン 1599年3月22日 - 1641年12月9日)
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ディエゴ・ベラスケス Diego Rodríguez de Silva y Velázquez( スペイン セビーリャ 1599年6月6日 - 1660年8月6日)
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レンブラント・ファン・レイン Rembrandt Harmenszoon van Rijn(オランダ ライデン 1606年7月15日 - 1669年10月4日)
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ムリーリョ Bartolomé Esteban Perez Murillo(スペイン セビリア 1617年12月31日 - 1682年4月3日)
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ヤーコプ・ファン・ロイスダール Jacob Izaakszoon van Ruisdael(オランダ ハールレム 1628年 - 1682年3月14日)
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ヨハネス・フェルメール Johannes Vermeer(オランダ デルフト 1632年10月31日 - 1675年12月15日)
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アントワーヌ・ヴァトー Antoine Watteau( フランス ヴァランシエンヌ 1684年10月10日 - 1721年7月18日)
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フランソワ・ブーシェ François Boucher(フランス パリ 1703年9月29日 - 1770年5月30日)
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トマス・ゲインズバラ Thomas Gainsborough (イングランド サドベリ 1727年5月14日 - 1788年8月2日)
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ジャン・オノレ・フラゴナール Jean Honoré Fragonard(フランス グラース 1732年4月5日 - 1806年8月22日)
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フランシスコ・デ・ゴヤ Francisco José de Goya y Lucientes(スペイン北東部サラゴサ近郊 1746年3月30日 - 1828年4月16日)
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ジャック=ルイ・ダヴィッド Jacques-Louis David(フランス パリ 1748年8月30日 - 1825年12月29日)
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ウィリアム・ブレイク William Blake(イギリス ロンドン 1757年11月28日 - 1827年8月12日)
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ジョゼフ・ターナー Joseph Mallord William Turner(イギリス ロンドン 1775年4月23日 - 1851年12月19日)
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ドミニク・アングル Jean-Auguste-Dominique Ingres(フランス パリ 1780年8月29日 - 1867年1月14日)
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テオドール・ジェリコー Théodore Géricault(フランス ルーアン 1791年9月26日 - 1824年1月26日)
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ジャン=バティスト・カミーユ・コロー Jean-Baptiste Camille Corot(フランス パリ9区 1796年7月16日 - 1875年2月22日)
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ウジェーヌ・ドラクロワ Ferdinand Victor Eugène Delacroix(フランス サン=モーリス 1798年4月26日 - 1863年8月13日)
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テオドール・ルソー Théodore Rousseau(フランス パリ 1812年4月15日 - 1867年12月22日)
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ジャン=フランソワ・ミレー Jean-François Millet(フランス グリュシー 1814年10月4日 - 1875年1月20日)
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ギュスターヴ・クールベ Gustave Courbet( フランス オルナン 1819年6月10日 - 1877年12月31日)
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ピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ Pierre Puvis de Chavannes(フランス リヨン 1824年12月14日 - 1898年10月24日)
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ギュスターヴ・モロー Gustave Moreau(フランス パリ 1826年4月6日 - 1898年4月18日)
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ジョン・エヴァレット・ミレー John Everett Millais(イギリス サザンプトン 1829年6月8日 - 1896年8月13日)
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エドゥアール・マネ Édouard Manet(フランス パリ 1832年1月23日 - 1883年4月30日)
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ポール・セザンヌ Paul Cézanne(南フランス エクス=アン=プロヴァンス 1839年1月19日 - 1906年10月23日)
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オディロン・ルドン Odilon Redon(フランス ボルドー 1840年4月20日 - 1916年7月6日)
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オーギュスト・ロダン François-Auguste-René Rodin(フランス パリ 1840年11月12日 - 1917年11月17日)
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クロード・モネ Claude Monet(フランス パリ 1840年11月14日 - 1926年12月5日)
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ピエール=オーギュスト・ルノワール Pierre-Auguste Renoir(フランス リモージュ 1841年2月25日 - 1919年12月3日)
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アンリ・ルソー Henri Julien Félix Rousseau(フランス マイエンヌ県ラヴァル 1844年5月21日 - 1910年9月2日)
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イリヤー・レーピン Ilya Yefimovich Repin(ウクライナ ハリコフ近郊 1844年8月5日 - 1930年9月29日)
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エミール・ガレ Charles Martin Émile Gallé(フランス ロレーヌ地方ナンシー 1846年5月4日 - 1904年9月23日)
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ポール・ゴーギャン Eugène Henri Paul Gauguin(フランス パリ 1848年6月7日 - 1903年5月8日)
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アントニ・ガウディ Antoni Gaudí i Cornet(スペイン カタロニア 1852年6月25日 - 1926年6月10日)
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フェルディナント・ホドラー Ferdinand Hodler(スイス ベルン 1853年3月14日 - 1918年5月19日)
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フィンセント・ファン・ゴッホ Vincent Willem van Gogh(オランダ南部ズンデルト 1853年3月30日 - 1890年7月29日)
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ジョヴァンニ・セガンティーニ Giovanni Segantini(イタリア アルコ 1858年1月15日 - 1899年9月28日)
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ジョルジュ・スーラ Georges Seurat(フランス パリ 1859年12月2日 - 1891年3月29日)
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ジェームズ・アンソール James Ensor(ベルギー オーステンデ 1860年4月13日 - 1949年11月19日)
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アルフォンス・ミュシャ Alfons Mucha(チェコ モラヴィア 1860年7月24日 - 1939年7月14日)
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アントワーヌ・ブールデル Antoine Bourdelle(フランス モントーバン 1861年10月30日 - 1929年10月1日)
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マイヨール Aristide Bonaventure Jean Maillol(フランス ピレネー=オリアンタル 1861年12月8日 – 1944年9月27日)
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グスタフ・クリムト Gustav Klimt(オーストリア ウィーン郊外 1862年7月14日 - 1918年2月6日)
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ポール・シニャック Paul Victor Jules Signac(フランス パリ 1863年11月11日 - 1935年8月15日)
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エドヴァルド・ムンク Edvard Munch(ノルウェー ロイテン 1863年12月12日 - 1944年1月23日)
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ロートレック Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec-Monfa(南フランス アルビ 1864年11月24日 - 1901年9月9日)
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ワシリー・カンディンスキー Wassily Kandinsky(ロシア モスクワ 1866年12月4日 - 1944年12月13日)
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アンリ・マティス Henri Matisse(フランス ノール県ル・カトー=カンブレジ 1869年12月31日 - 1954年11月3日)
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ジョルジュ・ルオー Georges Rouault(フランス パリ 1871年5月27日 - 1958年2月13日)
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ピート・モンドリアン Piet Mondrian(オランダ アメルスフォールト 1872年3月7日 - 1944年2月1日)
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オーブリー・ビアズリー Aubrey Vincent Beardsley(イギリス ブライトン 1872年8月21日 - 1898年3月16日)
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エルザ・バロネス・フォン・フライターク=ローリングホーフェン Elsa Baroness von Freytag-Loringhoven(ポーランド 1874年7月12日 - 1927年12月14日)
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オットー・ミュラー Otto Mueller(ポーランド ルバフカ 1874年10月16日 - 1930年9月24日)
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カジミール・マレーヴィチ Kazimierz Malewicz(ウクライナ キエフ近郊 1879年2月23日 - 1935年5月15日)
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パウル・クレー Paul Klee(スイス ベルン近郊 1879年12月18日 - 1940年6月29日)
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フランツ・マルク Franz Marc(ドイツ ミュンヘン 1880年2月8日 - 1916年3月4日)
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エルンスト・キルヒナー Ernst Ludwig Kirchner(ドイツ アシャッフェンブルク 1880年5月6日 - 1938年6月15日)
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パブロ・ピカソ Pablo Ruiz Picasso(スペイン南部アンダルシア地方マラガ 1881年10月25日 - 1973年4月8日)
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ジョルジュ・ブラック Georges Braque(フランス アルジャントゥイユ 1882年5月13日 - 1963年8月31日)
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マリー・ローランサン Marie Laurencin(フランス パリ 1883年10月31日 - 1956年6月8日)
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モーリス・ユトリロ Maurice Utrillo(フランス パリ モンマルトル 1883年12月26日 - 1955年11月5日)
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アメデオ・モディリアーニ Amedeo Clemente Modigliani(イタリア リヴォルノ 1884年7月12日 - 1920年1月24日)
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オスカー・ココシュカ Oskar Kokoschka(オーストリア ペヒラルン 1886年3月1日 - 1980年2月22日)
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藤田 嗣治 ふじた つぐはる(東京都新宿区 1886年11月27日 - 1968年1月29日)
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マルク・シャガール Marc Chagall(ロシア ヴィテブスク 1887年7月7日 - 1985年3月28日)
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マルセル・デュシャン Marcel Duchamp(フランス ノルマンディー 1887年7月28日 - 1968年10月2日)
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ジョルジョ・デ・キリコ Giorgio de Chirico(ギリシャ ヴォロス 1888年7月10日 - 1978年11月20日)
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アドルフ・ヒトラー Adolf Hitler(オーストリア オーバーエスターライヒ州 1889年4月20日 - 1945年4月30日)
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エゴン・シーレ Egon Schiele(オーストリア ウィーン近郊 1890年6月12日 - 1918年10月31日)
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ジョルジョ・モランディ Giorgio Morandi(イタリア ボローニャ 1890年7月20日 - 1964年6月18日)
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マックス・エルンスト Max Ernst(ドイツ ケルン近郊 1891年4月2日 - 1976年4月1日)
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ジョアン・ミロ Joan Miró i Ferrà(スペイン カタルーニャ 1893年4月20日 - 1983年12月25日)
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ポール・デルヴォー Paul Delvaux(ベルギー リエージュ州 1897年9月23日 - 1994年7月20日)
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ルネ・マグリット René François Ghislain Magritte (ベルギー レシーヌ 1898年11月21日 -1967年8月15日)
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蕗谷 虹児 ふきや こうじ(新潟県阿賀野市 1898年12月2日 - 1979年5月6日)
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ジャン・デュビュッフェ Jean Philippe Arthur Dubuffet(フランス ル・アーヴル 1901年7月31日 - 1985年5月12日)
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マーク・ロスコ Mark Rothko(ロシア ドヴィンスク 1903年9月25日 - 1970年2月25日)
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ウィレム・デ・クーニング Willem de Kooning(オランダ ロッテルダム 1904年4月24日 - 1997年3月19日)
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サルバドール・ダリ Salvador Dalí(スペイン フィゲーラス 1904年5月11日 - 1989年1月23日)
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バーネット・ニューマン Barnett Newman(アメリカ ニューヨーク 1905年1月29日 - 1970年7月4日)
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フランシス・ベーコン Francis Bacon(アイルランド ダブリン 1909年10月28日 - 1992年4月28日)
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岡本 太郎 おかもと たろう(神奈川県川崎市 1911年2月26日 - 1996年1月7日)
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ジャクソン・ポロック Jackson Pollock(アメリカ ワイオミング州コーディ 1912年1月28日 - 1956年8月11日)
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ロイ・リキテンスタイン Roy Lichtenstein(アメリカ ニューヨーク 1923年10月27日 - 1997年9月29日)
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アンディ・ウォーホル Andy Warhol(アメリカ ピッツバーグ 1928年8月6日 - 1987年2月22日)
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ジャスパー・ジョーンズ Jasper Johns(アメリカ ジョージア州 1930年5月15日 - )
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ゲルハルト・リヒター Gerhard Richter(ドイツ ドレスデン 1932年2月9日 - )
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ジャン=ミシェル・バスキア Jean-Michel Basquiat(アメリカ ニューヨーク市 1960年12月22日 - 1988年8月12日)
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バンクシー Banksy(イギリス 生年月日未公表)
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3:777 :

2024/01/01 (Mon) 20:50:19

西洋の有名画家・彫刻家とその代表作
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西洋美術史を流れで学ぶ | イロハニアート
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西洋美術史を流れで学ぶ(第1回) ~メソポタミア文明・エジプト文明編~
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西洋美術史を流れで学ぶ(第30回)~総集編!古代から現在までをまとめてみた~ | イロハニアート
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メソポタミア文明・エジプト文明美術(紀元前3000年~300年ごろ)
エーゲ美術(紀元前3000年ごろ)
ギリシャ美術(紀元前700年ごろ)
ローマ・エトルリア美術(紀元前100年ごろ)
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アカデミーとロココ美術(1600年代半ば)
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印象派(1800年代後半ごろ)
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西洋美術史はもっとフランクに楽しめるものだ
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ジュウ・ショのサブカル美術マガジン - 美術|ジュウ・ショ(アートライター・カルチャーライター)|note
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STUDYの記事一覧 | イロハニアート
https://irohani.art/study/
4:777 :

2024/01/01 (Mon) 23:14:20

洞窟絵画、メソポタミア美術・エジプト美術
https://irohani.art/study/4157/

人類が絵を描き始めた4万年前の洞窟壁画からエジプト・メソポタミア文明について、解説します。

なぜ人は表現をする? ネアンデルタール人の洞窟絵画

美術の歴史はとんでもなく古いんです。今から4万年以上前、ほぼ原人に近いネアンデルタール人の時代には「美術作品」が生まれています。動物を狩るために石や木で作った槍や斧のような、実用性のある創作物はもちろんありました。しかし彼らは、なぜか住居にしていた洞窟の壁に「手形」や「動物の写実画」などを書いているんです。

ラスコー洞窟の壁画


その理由ははっきりとは分かっていません。狩りの成功を祈ったおまじないなのか、無意識的に弔いをしていたのか……。いやいやそんな高尚なものじゃなく「暇すぎて、な~んもすることない」とゴロゴロしながら描いたのかもしれません。とにかく人はネアンデルタール人の時代から「創作をすること」を本能的に始めていたんです。


エジプト・メソポタミア文明期

さてそんなネアンデルタール人の時代からときが進み、紀元前3000年~300年ごろに2つの文明が栄えます。エジプト文明とメソポタミア文明です。前者はチグリス・ユーフラテス川、後者はナイル川による豊穣な地だったから農耕も早く、文明がいち早く築かれました。

エジプト文明やメソポタミア文明など「水」に恵まれていた地は農地などの資源がありました。すると争いが起き、階級が生まれるんです。両方とも超中央集権で「国王こそ最高」みたいな風潮がありました。



エーゲ・ギリシャ芸術の礎となるメソポタミア文明の芸術

メソポタミア文明ではシュメール人が都市国家を形成します。「目には目を歯には歯を」のハンムラビ法典、楔形文字などを発明した彼らは主に大理石やレンガなどで彫刻や絵画を作りました。ときにはレンガに色をつけてモザイクアートのように見せています。

ウルのスタンダード


メソポタミア文明の後期には、称える作品がいくつも生まれています。以下の「アッシュールバニパルの獅子狩り」は侵略しようとする敵国(ライオン)をやっつけるアッシュールバニパル王の姿を描いたものです。


アッシュールバニパルの獅子狩り


これらのアート作品は主に大理石を使って作られています。このスタイルはのちにギリシャ芸術に引き継がれることになるんです。まさに初期西洋美術史の基礎はメソポタミア文明から始まりました。


エジプト文明の「来世のため」のアート

一方でエジプト王(ファラオ)が統治していたエジプト文明でもやっぱり超格差社会でした。例えばツタンカーメン。金箔を贅沢に使ったピッカピカなこの作品は、スマホアプリ自撮りくらいシワひとつなく、人間味がないのが見どころ。ファラオは太陽神・ラーの子とされていたので、もはや人間じゃないんです。つまり「神々しいほど良い」。それでこんなに金ピカなんですね。


ツタンカーメン像の黄金のマスク 


一方そのため同じ権力者でも王妃・ネフェルティティは人間なので微細なシワが描かれています。この場合は単に肖像画なので、似てなきゃダメ。加工なしの写実性が求められるわけです。


ネフェルティティの胸像 

さてエジプト文明期のアート作品の特徴といえば「来世思想」にもとづいたものです。

というのもエジプト文明とメソポタミア文明では「死生観」がまるで違っていました。当時の寿命はだいたい20歳といわれていましたが、メソポタミア文明は「与えられた20年を受け入れようぜ」という価値観。一方、エジプト文明は「人生はいったん黄泉の国にいって、また帰ってくるもの」と考えていました。太陽が昇っては沈むのを見て「太陽は向こう側であの世に逝っとるんや。絶対に人生は2、3周目があるはずや」と考えたんです。

だから「肉体が朽ちたら黄泉から帰ってきたときに困らないように」と遺体はミイラにして保存したし、「あの世で困らないように」と、ごはんや財産、ペットを一緒に棺に入れたりしました。

現代で棺に入れるものといえば「献花」や「思い出の品」。エジプト人が見たら「おい、大丈夫か? あの世で困るぞ」とつっこまれること必至でしょう。クレカやスマホを入れとかないと、あの世で飯食えません。

そんあ死生観のもと生まれた作品が「死者の書」です。エジプト人は「黄泉では結構な試練があるに違いない」と思いました。そこで作った”攻略本”を描いたんです。
死者の書
Book of the Dead for the Chantress of Amun, Nany | Third Intermediate Period |
The Metropolitan Museum of Art

例えば有名なやつだと「アヌビスの天秤」。片方に神鳥・マアトの羽根を、もう片方に死者の心臓を置く。心臓が羽根より重たく、しかも嘘偽りを語ると死後の世界にいく前に怪物に食べられる、という話です。たしかに事前知識なしでこんな切羽詰まった状況に出くわしたら「え? あ……えっと……私は嘘ついたことない善人です!」とか汗ダラダラで言っちゃいそう。

「死者の書」では基本的に人や神は顔と手足は横向き、動態は正面で描かれます。そして全員無表情です。できるだけみんなに伝わりやすいように、この構図にしたようです。つまり彼らはアートというより、参考書の「図」みたいな機能性を意識していたんですね。
https://irohani.art/study/4157/


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ピカソの表現の背景には「アフリカ美術」もあります。よく「アビニヨンの娘たち」はアフリカ美術のお面と似ているといわれる通り、「大きな目」をはじめとしてピカソの代名詞の多くはアフリカ美術から得ているものです。

彼は「プリミティブな彫刻は絶対に超えられない」と口にしたことがあります。プリミティブとは日本語にすると「原始的」という意味になります。原始人ってほとんど動物で、本能の赴くままに獣を喰らい、洞窟で眠る、みたいなイメージありますよね。あんな感じでアフリカ美術の持つ「何の影響も受けておらず、本能のままに作られた美術作品」のエネルギーにピカソは惹かれたわけです。プリミティブだからこそ、奇妙奇天烈で斬新な発想の作品ができ上がるんですね。

それくらいピカソは「新しいもの好き」なんです。まだ観たことない表現をどんどん取り入れた人でした。「ピカソ=キュビスム」というイメージはありますが、実は彼がキュビスムをガッツリやっていた期間は数年です。どっちかというとブラックのほうがキュビスムに傾倒していました。
https://irohani.art/study/7444/


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原始美術・彫刻

最初の芸術(旧石器時代)
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縄文土器(縄文時代)
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土偶(縄文時代)
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北アメリカ北西海岸 トーテムポール
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アフリカ・パプアニューギニアの木彫仮面
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メソポタミア美術・エジプト美術

メソポタミア美術
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5:777 :

2024/01/02 (Tue) 08:30:19

エーゲ美術、ギリシャ美術、ローマ美術
https://irohani.art/study/4275/

ゆるキャラみたいなかわいい彫像や、色鮮やかなフレスコ画など、地中海近辺の豊富な資源を用いて作られた作品を見ていきます。


エーゲ美術はキュクラデス・クレタ・ミュケナイの3つの文化に分かれる
エーゲ美術は紀元前3000年ごろから、今のギリシャ地方で発展しました。銅や銀、鉛などの名産地として知られ、周辺諸国よりも裕福だったギリシャ地方は2000年近くも盛り上がることになります。超大国です。

そんなギリシャ地方で紀元前1200年くらいまで流行ったのがエーゲ美術。時期や場所よって「キュクラデス美術」「クレタ美術」「ミュケナイ美術」の3つの順番に分かれます。

シュールすぎるキュクラデス美術の大理石人形
前半のキュクラデス文化でメインとなる創作物は大理石の超抽象的な石偶です。なんか『パーマン』のコピーロボットみたいな……顔は鼻だけが隆起しており、すべて前を向いているのが特徴です。


前期キクラデスII期の群像
Smial


見てください。謎のファミリー組体操です。演目はおそらく「自慢の我が子」です。子の"ドヤ感"がすごいですが、キュクラデス文化の特徴として多くの像が腕を組んでいます。(おそらく技術も発達していない時代だったので、掘りやすかったのかな)。

全員が「無」の表情ですね。デート当日に鳥の糞を食らった瞬間みたいな顔をしています。西洋美術史ではこの後にも石像がどんどん出てきますが、間違いなくそのスタンダードになったのはキュクラデスのものです。


クレタ文化

クレタ文化ではこの石偶が近い形で引き継がれます。『竪琴弾きの男』など、キュクラデス文化の人形に比べて、少し複雑になっています。

また加えて宮殿が作られたりし始めました。なかでも有名なのが「クノッソス宮殿」です。エーゲ美術で最大の宮殿で入り口には雄牛のフレスコ画が描かれています。

雄牛と二人の女性が描かれたフレスコ画
unknown ancient artist


当時、雄牛は大事な家畜であり、なぜかクノッソス宮殿では男女3人で雄牛を飛び越えるスポーツが流行っていたそうです。なんだそれは。なんで男女3人なんだ。何がどうなれば勝敗がつくんだ。などツッコミどころ満載ですが、そっとしときましょう。

このフレスコ画を見ても分かる通り、クレタ美術では壁画を描く文化も浸透していました。アクロティリ遺跡にもゴージャスな壁画があり、当時の人々の暮らしがよくわかります。

黄金のマスクなどが出てくるミュケナイ文化
エーゲ美術後期のミュケナイ文化では死者の顔を覆うマスクが現れるなど、だんだんツタンカーメンやピラミッドのようなエジプト文明のフォロワー感が出てきます。「エジプトと交流してんなぁ〜」ってのがわかります。

アガメムノンのマスク
DieBuche


しかしツタンカーメンが人間離れしていたのに対して、ミュケナイ美術の黄金のマスクは、眉毛や髭までがくっきり彫られていて人っぽさMAXです。エーゲ近辺では「神は人と同じ姿のはずだ」という考え(神人同形説)だったため、人と同じ造形の副葬品などが作られました。


突如「暗黒時代」に突入し、ギリシャ美術へ
しかしミュケナイ文化は、この後の紀元前1200〜700年ごろまで、突如として文献がなくなるんです。この事件を「前1200年のカタストロフ」といい、空白の期間は「暗黒時代(厨二心をくすぐるネーミング)」といわれます。

おそらく海の民に滅ぼされたのではないか、といわれていますが、文字を含む文化そのものがなくなったため、直接的な原因は推察すら難しいんですね。美術の観点でいうとフレスコ画で触れた彩色画も失われてしまいました。

しかし逆に鉄器が持ち込まれたことで食器に絵を描く「壺絵」が発達するなど、よくよく考えたら文化としてはポジティブな効果もあったとされています。


さて、次回はそんな暗黒時代明けの「ギリシャ美術」についてご紹介します。特にエーゲ美術の彫像がどのように進化を遂げたのか、またその背景には古代ギリシャ人のどんな考えがあったのかについてみていきましょう。
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ギリシャ美術
https://irohani.art/study/4358/

エーゲ美術とセットで語られがちなギリシャ芸術。ムッキムキなイケメン像がたくさん出てくる時代です。

西洋美術のスタンダード・ギリシャ美術の登場
紀元前700年ごろからギリシャ地方はまた盛り上がってきます。ギリシャ美術が登場。建築、彫像、絵画など、この後の西洋美術史の基本となる表現が見られるようになります。

建築では「ドーリア式」「イオニア式」「コリントス式」という3つの型が誕生。有名な『パルテノン神殿』もこの時期です。


ギリシャ美術
Steve Swayne


また絵画では「壺絵」といわれ、食器にデザインのパターンや人物画を描く文化が生まれました。黒像式と赤像式の2種類があり、印象が大きく違います。

ギリシャ美術
British Museum

なかでもエーゲ美術のころに比べてめちゃめちゃ進化したのが「彫像」。かつては表情がなく『もののけ姫』のこだま的なサイズでしたが、ギリシャ美術に入ると「クーロス」といわれるかなりリアル感を増した男性の裸像が現れます。


直立不動で微笑みを浮かべるちょっと挙動不審なアルカイック期

ギリシャ美術

Ricardo André Frantz (User:Tetraktys)


ギリシャ美術
Metropolitan Museum of Art


初期はアルカイック期といわれ、ちょっと左足を出して左右の足に均等に体重がかかるようになっており、軽く微笑んでいるのが特徴。「アルカイック・スマイル」といわれ、日本の飛鳥時代にできた仏像にも同じ特徴があります。微笑みによって生命力を表現していたんです。

いま考えると「おい大丈夫か。緊張してんのか 」と背中をさすりたくなるくらいぎこちないポーズと表情なんですが、エーゲ美術と比べると飛躍的に写実性を増しています。

当時の人々は神と人は同じ造形をしていると考えていました。そのため、神と人のどっちを彫ったのかがよくわかっていません。


クラシック期辺りからだんだんマッチョに


ギリシャ美術
Ricardo André Frantz (User:Tetraktys)


さて、アルカイック期が200年くらい続いた後に「クラシック期」がやってきます。より「人間としての自然なポーズ」を極めた結果、左右どちらかの足に体重をかける「コントラポスト(対置)」という手法ができます。

これにより彫像の自由度がグンと高まり、手や顔の表情、衣類のひだなどの動きが出てきます。

合わせて筋肉の動きが顕著になるのもこの辺りからです。「ギリシャ彫刻」で画像検索してみてください。画面はもはやボディビルの大会。メタボは1人もいません。

なぜ全員マッチョなのか。その要因の1つは、当時のギリシャでは7歳から「スパルタ」という兵役があったからです。現代でも残る言葉で、数年前に実写映画化もされましたが、その凄惨さは異常。しごかれまくった結果、青年たちは総じてムッキムキになりました。

またこの時代から神に捧げるため、古代オリンピックが開かれており、全員が全裸で競技をしていたそうです。また神に捧げるためにミスターコンも開かれていました。

つまり「美男子」=「神を喜ばすことができる」とガチで信じられており、みんな来世のためにも体を鍛えていたんですね。この辺りはエジプト文明の来世思想に通ずる部分です。


ただギリシャ彫刻って、見たままを掘ってるわけではないのも確か。簡単にいうと盛ってます。これを理想主義といい「こんな美しい身体、憧れるなぁ」っていう肉体を表現したわけです。神に捧げるものですからね。


ギリシャ彫刻の黄金期・ヘレニズム期
さて話を筋肉から芸術に戻しましょう。紀元前334年にギリシャ地域の強国・マケドニアのアレクサンドロス大王が「東方大遠征」をします。

スパルタ兵を連れて、アジア、エジプト、メソポタミアあたりをばばーっと支配するわけです。

そのためギリシャ地方はめっちゃお金持ちになり、かつギリシャ文化が世界中に伝播します。すると個人的に作品を買う人も出てきました。芸術が大衆のものになった初めての時期です。

つまり作品をつくるモチベーションが、だんだんと「神々のため」から「王のため」に変わるんです。

このアレクサンドロス大王の時代を「ヘレニズム期」といいます。そこで彫像はさらに大きく形を変えます。

クラシック期にも捻ったり曲がったりしてましたが、まだ「前から見ること」を前提として作られていました。ヘレニズム期はさらに体や衣類の曲線が派手になり、前後左右どこから見ても美しい彫像が特徴です。

有名な作品は『ミロのヴィーナス』と『ラオコーン』『サモトラケのニケ』など。特に大蛇と神官・ラオコーンとの戦いを描いた『ラオコーン』は全体を通して非常に躍動感のある激しい作品。しかし人物の表情などの繊細さも兼ね備えているヤバい傑作です。

ギリシャ美術
Vatican Museums


このヘレニズム文化の彫像は完成度高すぎて、後年、マニエリスム、バロックなどの時代で「お手本」として再登場します。美術史を通じて、ものすごくレベルの高い作品なんですね。
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ローマ・エトルリア
https://irohani.art/study/4513/

今回はギリシャ美術と同時期に生まれて発展してきたエトルリア・ローマ文化を楽しくみていきます。『テルマエ・ロマエ』のような彫りの深い古代ローマのおじさんたちは、どんな考えで美術品を作っていたのでしょうか。


エトルリア人による巨大墳墓群「ネクロポリス」

エトルリア人による文明は紀元前10世紀から起こり始めます。実はいまだに謎に満ちた方々で起源や言語などは絶賛調査中です。分かっている部分だけを述べると、エジプト文明の影響を受けている一面もあり「来世思想」を持っていました。

ただエトルリア人独特の文化も多々あったのは確かです。なかでも強烈なのが「墳墓」。「ネクロポリス(死の街)といわれる巨大墳墓が、数百も見つかっています。もはや墓ではなく「都市」であり、エトルリア人が本気で「来世」を信じていたことが分かります。

ネクロポリス
Roberto Ferrari from Campogalliano (Modena), Italy


エジプト人の場合、人間をミイラにして「魂が戻る場所」を確保しようとしました。そして来世では神々の審判を受けると考え、攻略本である「死者の書」を壁画に掘っています。
エトルリア人はもっとリアルで真剣です。墳墓内にはいくつかの通路があり、キッチン備えつけ。宴会場まであり、食器や調理器具まであります。


GerardM


棺にもにっこにこで長椅子に寝そべる夫婦が掘られているなど、もう「苦しみのないあの世でしこたま飲むぞー!」という気概に満ち溢れています(本当にこの棺が使われていたかは未確定)。

ローマ王の威厳を示すためにできたコロッセオにカラカラ浴場
さて、そんなエトルリア人は紀元前1世紀ごろにラテン人が建設したローマに吸収されます。ローマは徐々に文明を組み立て、ギリシャ美術の影響を受けつつ、独自の文化を発達させていきました。

なかでも「これぞローマ美術」というのが巨大建築です。これらの多くが王の威光を国民に示すために作られました。

コロッセオ
Jean-Pol GRANDMONT


例えば闘技場「コロッセオ」は5万人を収容するほど巨大。大理石のブロックを積み上げ、アーチを支柱に使うことで円形に建築しました。剣闘士たちが本気で戦い、ときには公開処刑、罪人同士の殺し合いがおこなわれ、観客は熱狂していたというからドン引きです。今の後楽園ホールとか両国国技館とはわけが違います。

カラカラ浴場
Agnete


またカラカラ帝がつくった「カラカラ浴場」も国民に権力をイメージづけるために作られました。館内には2,000から3,000の浴室があったほか、図書館や競技場などがあります。今でいうとバカでかいスーパー銭湯です。

パンテオン
Macrons


また「パンテオン」も重要な建造物です。ギリシャ美術以前はこのようなドーム型の建築は不可能でした。これを可能にしたのが「コンクリートの発明」です。石材では重量が大きすぎて上部のバランスを保てませんでしたが、凝灰岩と軽石を組み合わせることで支柱の無いドーム型建築が可能になりました。

ギリシャ文明の影響が残る「彫像」
ローマ美術は可愛いのは、これだけ勢力を広げたにも関わらず文化に関して「ギリシャにはかなわないっす」と思っていたところ。そこでローマ人は彫刻だけはギリシャ人に作ってもらっていました。

ローマンズ・コピー
Radomil (talk · contribs)


しかも国民から超人気だったので、元のブロンズ像を大理石でコピーしていました。これを「ローマンズ・コピー」といいます。で、なんと元のオリジナルは溶かして軍事兵器にしてしまったんです。ですので、今でもいろんな美術館に同じ作品が飾られていることもあります。

さて、今回はエトルリア・ローマ美術について紹介しました。ローマ美術はこの後の「ルネサンス期」などにも影響を与えることになります。特に建築の分野では西洋美術史全体に影響を与えました。
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2024/01/02 (Tue) 08:30:29

キリスト教美術
https://irohani.art/study/4703/

今回はローマが弱くなった後にヨーロッパ全土に広がることになる「キリスト教」にまつわる美術作品を紹介します。

ローマ分裂とキリスト教の広がり

キリスト教は1世紀にユダヤ教から分派する形で独立します。その後、ローマ帝国内でスマホくらいの猛スピードで普及します。

キリスト教は「一神教」。つまり「キリスト最高!あなただけを崇拝します!」という考え。しかし1世紀から3世紀ごろまでのローマは強烈な帝政です。ローマとしては「皇帝すら神」くらいのテンションで帝国を愛してほしかったので、最初はキリスト教を禁止にしていました。

ただローマは4世紀に弱くなって東西に分裂。もはや国としてもキリスト教を認めざるをえなくなったんです。この4世紀末からローマ一強時代は終わり、堂々とキリスト教が広がりだします。ここから15世紀くらいまでを「中世」といいます。

偶像崇拝禁止により「シンボル」が誕生

さて、東西に分裂したローマのうち西は速攻でゲルマン民族に滅ぼされてしまいます。いっぽう東は15世紀まで隆盛します。両方とも最初は「偶像崇拝禁止」という約束事がありました。

例えばキリストの絵を描いて、毎朝「おはようございます」とか言うのは背信行為なんです。「キリスト」と「キリストの偶像」があると、存在として2つになります。一神教とはそれほどまでにリアルガチなんですね。

でも崇拝するキリストを描きたい。そこで西ローマでは「シンボル」として「魚」や「羊飼い」が描かれました。

ガッラ・プラキディア廟堂(びょうどう)にあるモザイク画『よき羊飼い』
Meister des Mausoleums der Galla Placidia in Ravenna


「魚」は「イエス」「キリスト」「主の子」「救い」の頭文字を並べると「イクティス(魚)」を意味することからシンボルとなり、「羊飼い」はキリストが福音書で羊飼いと自称していたことから描かれるようになったんです。

東ローマでは「イコン」が発達

東ローマ帝国はビュザンティオンに都を置いたので「ビザンティン」といわれます。西ローマと同様に東ローマでも偶像崇拝は禁止で「聖像破壊運動」まで起きていました。

キリスト教側としては「偶像崇拝やめろー!」と怒ってました。ただ絵画は当時としてはキリスト教布教に最も効果的なメディアだったのも確かです……。

だんだんと「『モーセの十戒』にはダメって書いてあるけど……別によくない?」とブレてきます。9世紀には「イコン(聖なる器)」とめっちゃ良いようにいわれ「う〜ん、個人で拝むならOK」となりました。

『ウラジーミルの生神女』(イコン)
Tretyakov Gallery


正当化された後も聖像破壊運動の対象になりましたが、だんだんと聖書の一場面のキリストを描けるようになります。

中世のサブカル・ケルト美術
ローマがめちゃめちゃ領土を広げていましたが、今のアイルランドなどにはケルト人という独自の文化を継承している民族がいました。彼らは4~5世紀ごろにキリスト教化するも、動植物や渦巻の文様などユニークな文化を誇っていました。

ケルト美術はギリシャやローマに比べて、テキスタイルっぽい、おしゃれな柄が特徴。今でいうところのサブカルチャーって感じで、ヴィレッジヴァンガードにひっそり置かれていてもいいくらいの作品なんです。

なかでも緻密すぎる装飾があしらわれた「写本」は真骨頂。十字架をかたどったうえでその周辺に幾何学模様を散りばめた作品は、今見てもキュートでおしゃれです。「レディ・メイド」なんていわれて大量生産のデザイナーズ工業品が出てくる遥か前から、人類はデザインパターンを知っていたんですね。

『リンディスファーン福音書』の『カーペット・ページ』
Meister des Book of Lindisfarne


今回は初期キリスト教の美術に関して紹介しました。偶像崇拝禁止の時代からだんだんと変化しキリスト自身を描けるようになった、とっても面白い時期ですね。なお、ここから長い間、キリストはモチーフとして描かれまくります。「キリスト像を見れば西洋絵画史が分かる」といわれるくらいです。
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ロマネスク・ゴシック美術
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今回は11世紀から14世紀の中世まっただなかで隆盛したロマネスク美術、そしてゴシック美術についてご紹介しましょう。

ロマネスク美術とは

「ロマネスク」とはそのまま「ローマっぽい」という意味です。11世紀あたりから西ヨーロッパの広い地域で広まった文化を指します。


ロマネスク美術の背が低いガッシリ系建築物

名前の由来は特徴的な建築物。以前、ローマ美術でご紹介したようなデカい石を積み重ねて、土台をがっしりと作った背の低い建築物が目立ったため「ロマネスク」といわれるようになりました。

例えばスペインにある「サント・ドミンゴ・デ・シロスの修道院」を見てみましょう。以下の通り、大きな石で土台を作っているのがよく分かります。

サント・ドミンゴ・デ・シロスの修道院
I, Schweigen


壁の厚さが1mを超えるものも珍しくないというからびっくり。彫りの深い男たちがせっせと組んでいたのでしょう。ただとにかく作りがガッシリしていて重いので、高層にはできなかったんですね。全般的に背が低いのが特徴です。

また窓が小さいのも特徴的。これも素材が重く大きな窓にすると崩れてしまうからです。おそらく日当たり超悪いので内見にいったら絶対にNG出したくなると思います。


ロマネスク美術で花開いたフレスコ画

また建物内には「フレスコ画」が描かれています。これもロマネスク時代の発明です。

それまでの絵画作品は「モザイク画」が主流でした。これは漆喰に粗めの大理石やガラスを壁に埋め込んで作るものです。いまでいうモザイクアートですよね。だから微細な表現ができないので超ぎこちないんです。

「キリストと11世紀の東ローマ皇帝コンスタンティノス9世夫妻」(モザイク画)
Photographer: Myrabella


一方のフレスコ画は大理石やガラスをいったん粉状にして水溶性の顔料を作ってから漆喰の下地に描く手法です。モザイクがと違って筆を使うので緻密な表現が可能になったほか、コストも安く済みました。

「アテナイの学堂」(フレスコ画)
Raphael

ただでかめのデメリットもありまして、やり直しができないんですねこれ。漆喰が乾いてしまうと、表面が固まるので塗り直しができず、気付いたら「あ、終わった……」ってなるんです。

だから悠長に描いている暇もない。描いたそばから乾いていくので「やばい!コレやっばい間に合わないんすけど!」と独り言を呟きながら汗だくで描かなきゃなんです。その分、画家の技量が試されたのは間違いなく、絵としてのレベルもものすごく高まり始めました。


ゴシック美術とは

さて、そんなロマニズム美術が主流だった時代の後に、ゲルマン民族によって流行り始めるのが「ゴシック美術」です。ゴシックと聞くと「ゴシックロリータ」をはじめとするサブカル御用達系ホラーを思い出す方もいるでしょうが、こっちは19世紀から流行りはじめるゴシックブームが起因の言葉ですので、ちょびっと意味合いが違います。

もともとのゴシックは「ゴート族(ゲルマン族)っぽい」という意味。当時の高貴なイタリア人たちがゲルマン民族をちょっと見下して「田舎風情が、古き良きギリシャ・ローマ文化を無視してなんか美術やっとるぞおい」みたいに貶(けな)していたのが由来です。

3つの変化で建築に革命をおこしたゴシック様式
そんないじられてたゴシック美術ですが、ロマネスクのあの“質実剛健っ!”みたいな背の低いガッシリした建築を見事にアップデートしてみせます。

日本でもよく知られている「ノートルダム大聖堂」や「ケルン大聖堂」なんかが代表作です。

ノートルダム大聖堂
Peter Haas


パッと見て分かる通り、この背の高さ。そして窓のデカさ。なんかスタイリッシュでカッコよくなったのが分かるでしょう。窓が大きくなったことで「ステンドグラス」が誕生します。

ストラスブール大聖堂
Clostridium


なぜロマニズムの時代にできなかったことがゴシック期に可能になったのか。その背景には3つの革命があったんです。それが「尖塔アーチ」「リヴ・ヴォールト」「フライング・バットレス」の3つ。

尖塔アーチとはその名の通り、先を尖らせたアーチ構造のこと。これにより壁の体重を下だけでなく横に逃がせるようになりました。そこに足されたのが「リヴ・ヴォールト」です。天井を支えるためのアーチを交差させてつっかえ棒のように配置することで、より外に体重を逃がせるようになりました。

ウースター大聖堂
Mattana


この2つで石の重みを外に逃がすことに成功しましたが、これでは本末転倒で逆に外に崩れそうですよね。そこで生きるのが3つ目の「フライング・バットレス」。建物の外に柱を作り支えることで、外から建物を支えることに成功したんですね。

だいぶ足し算で作られた手法ですが、これによってゴシック様式が完成しました。

ケルン大聖堂
Velvet

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7:777 :

2024/01/02 (Tue) 08:30:41

プロト・ルネサンス美術、初期ルネサンス美術
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「ルネサンスまでもう100年!」という準備期間「プロト・ルネサンス美術」

プロト・ルネサンスとは

プロト・ルネサンスの舞台は13世紀~14世紀のイタリアのフィレンツェやシエナ。繊維業や金融業で栄えた地域であり、他の地域とは違って美術がめちゃ盛り上がりました。

ルネサンスとは「再生」とか「復興」を意味するフランス語です。ローマはゴシック美術の回で説明した通りゲルマン人の侵入などがあり、元の文化を失いかけたことがありました。また商業が盛んだったフィレンツェやシエナでの「新しい経済圏の誕生」も控えていました。

そのためかつてのローマの成功例に学ぶ(再生する)という意味で「ルネサンス」と呼んだわけです。

プロト・ルネサンスとは、ルネサンスに移行する直前の準備期間を指します。


芸術家たちのキリスト像に影響を与えた聖フランチェスコ

プロト・ルネサンス期の絵画作品の多くは聖書の名シーンを描いた宗教画です。10世紀あたりからちらほら画家の名前が出てきますが、この13世紀のプロト・ルネサンス期になると、以下のようにがっつり著名画家が出てきます。人が出てくると西洋絵画が楽しくなってきますよね。

・ジュンタ・ピサーノ
・ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ
・シモーネ・マルディーニ
・チマブーエ
・ジョット・ディ・ボンドーネ

これらの有名画家が一同に集まって作ったのがサン・フランチェスコ大聖堂です。

サン・フランチェスコ大聖堂
Berthold Werner


サン・フランチェスコ大聖堂は聖フランチェスコの遺骨を収めるために建設されました。この「聖フランチェスコ」という修道士の存在が超大事です。

彼はとんでもなくありがたい人で、財産をすべて放棄し、ハンセン病患者の世話をしつつ戦うことを否定しながら常に奉仕の精神を貫きました。そんな彼のもとには数万人単位の追随者がおり、イタリアいちの修道士となったわけです。

彼はもちろん芸術家ではありませんが、彼の教えは画家たちの絵をみるみる変えていきました。「キリストの磔刑像」の変遷を見ると、一目瞭然です。キリストが磔刑に処される名シーンを描いたものですね。

プロト・ルネサンス前の磔刑像(1100年代末ごろ)
まずは1100年代末、プロト・ルネサンス前の磔刑像がこんな感じです。

プロト・ルネサンス前の磔刑像
Unknown authorUnknown author


この絵は個人的に大好きなんです。「あ、そう。打っちゃうのね? 釘、打っちゃうのね? ふーん、いやぜんぜん効いてませんけど?」みたいな無敵感がたまらない。もうなんかこの瞬間から「のちに復活する感」が出まくっていますよね。
キリストはもともと「『神』として崇拝しよう」と考えられていたので、人間ぽさがなかったんです。だから処刑されるときも苦痛なんて感じないんです。

ジュンタ・ピサーノの磔刑像(1250年ごろ)

この後に聖フランチェスコが登場します。彼は「キリストだって私たちと同じ人間の肉体を持っているし、弱さもある。それを分かったうえで崇拝しよう」と説いたんです。その後、1250年ごろに「最初の国民画家」といわれるジュンタ・ピサーノが描いた磔刑像がこちら。

ジュンタ・ピサーノの磔刑像
Georges Jansoone

ジュンタ・ピサーノの磔刑像2
Giunta Pisano


顔は苦痛でゆがみ、人体としての精密さが増しているのが分かりますよね。まだ膝に力が入ってて”ジョジョ立ち ”っぽくなっていたり、シックスパックがちょっと柴犬のお尻みたいになっていたりと、人体構造としては不自然ですが、たった5~60年でここまで写実的になりました。

ちなみに体のラインが曲がっているのは「形式美」をまだ重んじていたからです。ちょっとかっこつけちゃったんですね。

ジョット・ディ・ボンドーネの磔刑像(1315年ごろ)
さて、それからさらに約5~60年「ルネサンスの父」ことジョット・ディ・ボンドーネにより磔刑像はさらにアップデートされます。

ジョット・ディ・ボンドーネの磔刑像
Giotto di Bondone


体の力が抜けている感じが伝わりますよね。膝が自然に折れ、手指から方にかけてのラインも自然です。まったく”盛って”いないですよね。

プロト・ルネサンス美術では、だんだんと「形式的な美」から「リアルな人間の姿(写実主義)」に移り変わっていく時代なんです。


プロト・ルネサンス美術で輝きを放ったジョット・ディ・ボンドーネという天才

写実主義(リアリズム)とは簡単にいうと「目に見えるものをめっちゃリアルに作品に落とし込むこと」です。プロト・ルネサンス期には写実主義を落とし込むために以下の3つのことが重んじられました。

・人体を正確に描くこと
・遠近感も含めて空間を正確に描くこと
・人の感情までを描くこと
この3つを体現して見せたのが先述したジョット・ディ・ボンドーネです。この時代の
スーパースターであり「彼なくしてルネサンス美術はなかった」と個人的には思います。

聖フランチェスコの死
Giotto di Bondone


例えば上の「聖フランチェスコの死」では追随者たちがとんでもなく悲しい表情をしているのが分かると思います。こうした「感情をリアルに描く絵画」はジョットからスタートしました。

オニサンティの聖母

またこちらの「オニサンティの聖母」では、現実に忠実に再現しているので、服のひだなどは過剰でなく自然です。また椅子までの階段にご注目。まだ不完全ながら遠近感を出そうとしていますよね。彼は「奥行き」を表現し始めたんですね。

このようなジョットの”革命的な手法”はこの後も続くことになります。彼のフォロワーは「ジョッテスキ」と呼ばれ(アムラーみたいな感じです)、最終的には100年後のマザッチョによって完成に至るんですね。
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初期ルネサンス美術
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ルネサンスとは?「ローマ共和制を再生しようぜ」という運動

フィレンツェ 
VKras


「ルネサンス」とはイタリアで14世紀末くらいから始まった文化運動のことです。re(再び)naissance(誕生する)でルネッサンス。英語でいうとreborn……つまり「再生」「復興」を意味します。

何の復興を目指したのか、というと「古代ギリシャ・ローマ」です。「コロッセオで結党していた1000年以上前の時代に戻ろう!」といったわけですね。今でいうと十二単着て「皆の衆、ソシャゲなんぞやめて和歌を詠まぬか」と宣言するようなものです。

なんで、そんな大それた運動が起きたのか。それを説明するために、ルネサンス前後のヨーロッパをみていきましょう。

まずルネサンス以前の13世紀ごろまで、ヨーロッパの社会で最も力を持っていたのは「キリスト教会」でした。まだ「芸術家」という職業もないような時代。聖職者が業務の一環として教会の広告として宗教画を描く、みたいなノリで作品が生まれていたんですね。だから美術のパトロンは「国」と「教会」でした。

しかしそんなキリスト教会では権力争いなどが勃発します。聖職者とてしっかり喧嘩するんですな。それで教会の力が衰退しはじめ、反対に「市民」は教会の軍(十字軍)の資材の供給や東方諸国との貿易が栄えたことがあって元気になっていくんです。

ジャン・コロンブ
Jean Colombe


特にイタリア・フィレンツェは繊維業や金融業で儲けに儲けました。その結果、フィレンツェ中の市民が起業して業界に参入したので1店舗ごとの売り上げが減りだしたんですね。それを嫌った金持ちたちは「ギルド」という商人組織を作り「ギルドが認めた人しか新規参入できないから!」と宣言しました。

すると当然、ギルドのパワーが強くなります。ギルドの代表者たちはついに「コムーネ」という自治国家を作るまでになるんです。この試みを成功させるため、かつて共和制で栄えたコロッセオやカラカラ浴場時代の「古代ローマ」の真似をしよう! となったんですね!

ただこの理由の他にもルネサンスが起きた理由はあります。

例えば「古代ローマ時代の遺跡が発見されてレトロブームが起きた」という背景もあります。シャツをズボンにインするブームみたいな感じですね。また反キリスト教ブームもあって「キリスト教が生まれたから、文化が進化しなかったんちゃうんか! キリスト教が発展する前の時代に戻ろうや!」みたいな考えもあったり……。実はルネサンスの背景や定義はいまだに学者によって見方が全然違います。

とにかくこうした背景が合わさった結果「もういっかい古代ローマの時代を復興しよう!」となったんですね。


初期ルネサンス美術とは! 理想主義から写実主義へ

では、ここからはそんなルネサンス美術について紹介します。日本人にも人気が高い時代ですね。

ルネサンス期の美術は時代として14世紀末~15世紀半ばまでの「初期ルネサンス美術」と15世紀半ばから16世紀の「盛期ルネサンス」に分かれます。また場所としてイタリア以外の「北方ルネサンス」もあります。

今回は「初期ルネサンス」について、そして次回に「盛期ルネサンス」、次の次に「北方ルネサンス」を紹介しましょう。

初期ルネサンスを語るうえで押さえておきたいのは「国(君主)」「教会」のほか第三のパトロン「市民」が出てきたことです。これまでは基本的に教会のために描いた宗教画ばっかりだったんですね。だから要するに「嘘でもいいからかっこよく描くこと」が重視されていました。

「なんか派手で神話っぽい」ですし「平面的」ですし「表情は基本的に真顔(フォーマット)」だったんです。

それが「市民(ただし金持ちに限る)」のために描くので「現実世界と実在する人」で「立体的」で「表情豊かな感情表現」となりました。よりリアルになったんですね。これを写実主義といいます。今でいうと「やらせの多いテレビより、正直なYouTube」みたいな感じですね。


ブルネッレスキによって確立した「線遠近法」
そのうえでまずブルネッレスキについて紹介します。彼はもともと彫刻家でのちに建築家となった人です。彼の最大の功績は何と言っても「線遠近法」を確立したこと。彼はすべての建築物の輪郭がすべて地平線(目線の高さ)にある「消失点」に集約されることを発見しました。

線遠近法

上の画像でいうと、地平線(目線の高さ)が赤線で、青丸が消失点です。この青丸に向かって側道や道路の白線、電柱、交通標識などを収束させるように描くと遠近感を模写できることを発見したんですね。


人体把握・感情表現のリアリティを追求したドナテッロ
また彫刻家として人体把握や感情の表現に努めたのが天才・ドナテッロ。彼はブルネッレスキとも親交がありました。ブルネッレスキはドナテッロの彫った像のリアリティにびっくりして「キリストがそのへんの農夫に見えるわ……すご過ぎ……」と驚いたといいます。

マグダラのマリア
I, Sailko


上の作品は彼の晩期の傑作「マグダラのマリア」です。腕の筋肉の精密さ、何かを訴えかけるような表情はまさにルネサンスの精神性「写実主義」が分かると思います。


「空間性」「人体表現」「感情表現」を完成させたマザッチョ
ブルネッレスキの空間性や、ドナテッロの人体把握、感情表現を絵画に落とし込んだのがマザッチョです。間違いなく西洋美術史における大スターの1人です。

ちなみにマザッチョより100年前に写実性にチャレンジした画家はいました。それが前回、紹介したジョット・ディ・ボンドーネです。あらためて紹介しましょう。

ジョット・ディ・ボンドーネ
Giotto


めっちゃ惜しいですよね。階段の遠近感の表現に関してジョットの苦労が見えるようで、私個人的にはこの絵を見るたびに「がんばれ!ジョットがんばれ!」と言いたくなります。

ジョット・ディ・ボンドーネ
Giotto


またこの「聖フランチェスコの死」では悲しみが伝わります。「我らがフランチェスコ修道士が亡くなってしまった……」という辛い場面です。ただこれもまだちょっとぎこちないのは確かですね。

ではこのジョットから100年、マザッチョの絵を見てみましょう(めっちゃハードル上げてしまってマザッチョに申し訳ない)。

聖三位一体
Masaccio


この「聖三位一体」では見事に消失点が設定されており、奥行きが出ているのがわかります。ちなみに当時「キリストを人よりも小っちゃく描くなんて罰当たりやぞ!」という声もあったようですが、ルネサンスではそれよりもリアリティが大事なんですね。

楽園追放
Masaccio
※ 左が修復前、右が1980年代に行われた修復後の画像

またこれはアダムとイヴが楽園を追放される場面を書いた「楽園追放」です。もうとんでもない後悔の念ですよね。「うわぁ~取り返しつかんことをやってしもうたぁ……」という声が聞こえてきそうです。

また男女の筋肉の表現、脇腹のつくりなども非常にリアルです。人体表現も写実性に富んでいます。この写実性、合理主義がルネサンス美術の特徴になります。
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プロト・ルネサンス美術、初期ルネサンス美術の画家・彫刻家

ジョット・ディ・ボンドーネ Giotto di Bondone(イタリア フィレンツェ近郊 1267年-1337年1月8日)
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フィリッポ・ブルネレスキ Filippo Brunelleschi(イタリア フィレンツェ 1377年 - 1446年4月15日)
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ロレンツォ・ギベルティ Lorenzo Ghiberti(イタリア フィレンツェ 1381年 - 1455年12月1日)
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フーベルト・ファン・エイク Hubert van Eyck(ベルギー フランドル マーサイク 1385年 - 1426年9月18日)
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ドナテッロ Donatello(イタリア フィレンツェ 1386年 - 1466年12月13日)
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フラ・アンジェリコ Fra' Angelico(イタリア ヴィッキオ 1390年 - 1455年2月18日)
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ヤン・ファン・エイク Jan van Eyck(ベルギー 1395年 - 1441年7月9日)
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マザッチオ Masaccio(イタリア サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ 1401年12月21日 - 1428年)
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8:777 :

2024/01/02 (Tue) 08:30:50

盛期ルネサンス美術

当時の大パトロン・メディチ家
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特に今のK-POPアーティストを見ていると「いかに事務所の規模が大事か」が分かります。タレントであればスポンサー、相撲でいうとタニマチ……偉大な人の背景にはいつだってパトロンがいるわけです。その財力をもって活動ができ、プロモーションになり、知名度が高まるといった仕組みなんですね。

ルネサンスで教会や君主だけでなく、市民が作品の発注をするようになったのは前回書きました。なかでも大パトロンが銀行業で財を築いた「メディチ家」です。メディチ家はルネサンス前の14世紀なかごろからめちゃめちゃ儲かりはじめ、政治にも参入するようになり、15世紀末に没落するまで、芸術家に肖像画を描かせました。

パトロン・メディチ家
Pontormo


レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ヴァザーリ、ブロンツィーノ、アッローリなど、メディチ家の恩恵を受けたアーティストはたくさんいますが、なかでもボッティチェッリはその最たる人です。
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いよいよみんな大好き「ダ・ヴィンチ」「ミケランジェロ」「ラファエロ」が登場。彼らの作品を通して、15世紀半ばからの盛期ルネサンス美術をみてみましょう。


ダ・ヴィンチというルネサンスを象徴するような超リアリスト

そんなダ・ヴィンチは死ぬほどリアリストで懐疑主義者でした。極端にいうと「自分の目で見たものしか信じない」という、もし口げんかになったらめっちゃ正論で攻めてくるタイプです。

「ペペロンチーノってうめぇよな」とか何の気なしに言ったら「それはいつ、どこで食べたもの?またなぜ美味しいんだい?食感?味付けかい?なぁ君がうまいというペペロンチーノを見せてから言ってくれ」とか早口で言ってきそうな感じの人です。

レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像画
自画像
Leonardo da Vinci


このリアリズムのスタンスはルネサンスにおいてぴったりでした。ルネサンス時代の美術作品の1つが「写実主義」です。その背景の1つとして、もともとローマのキリスト教会や国が主なパトロンだったのが、だんだん市民のお金持ちも絵の発注をし始めたことがあります。またずっと遡ると「キリストだって人間だよ!」という考えが根付き始めたことも関係しているでしょう。

つまりルネサンス期のローマでは「人体や背景などをちゃんとリアリズムをもって描くこと」を意識し始めたんです。そのうえで絵の登場人物にはしっかりと感情(表情)が宿りましたし、遠近感も出始めました。


ダ・ヴィンチの発明

そんなダ・ヴィンチは「天使」を書く際に「天使の羽は見たことないけど鳥と同じなはずだ」と鳥の羽を見ながら宗教画を書いていたといいます。「受胎告知」でも確かに「オオワシかよ!」という感じで描かれていますね。

ダ・ヴィンチの「受胎告知」
「受胎告知」
Leonardo da Vinci


そんな現実主義の彼は「3次元には輪郭線がない」ということに気が付きました。輪郭線とはその通り顔の周りを描いた線のことです。前回に紹介した「ヴィーナスの誕生」でもしっかり輪郭線があります。

「ヴィーナスの誕生」(部分)


たしかに、こめかみ、頬、顎のラインが黒い人はいません。デーモン閣下すら輪郭は描いていません。そこでダ・ヴィンチは「スフマート」という技法を発明します。これは水に顔料を溶いて薄くしたものを指で何度も重ねるものです。

そしてスフマートを生かして描いたのが傑作「モナ・リザ(ラ・ジョコンダ)」になります。顎のラインなど輪郭線が無いのが分かると思います。

「モナ・リザ」


またダ・ヴィンチは「あれ?近くに見えるものと遠くに見えるものでは色が違う!」ということも発見しました。どういうことかの例を持ち出してみましょう。

近くに見えるものと遠くに見えるものでは色が違う
写真AC

同じ山でも近くで見ると新緑ですが、遠くにいくにつれてモヤがかかり青みがかっていきます。この色の違いでも遠近感を出せることを発見するんですね。これを「空気遠近法」といいます。

「受胎告知」や「モナ・リザ」の背景でも空気遠近法がよく表れていますが「最後の晩餐」ではより分かりやすいです。

「最後の晩餐」


これらの発明はダ・ヴィンチが作り、後世に語り継がれる大発見となりました。その背景にあったのは左脳型の懐疑主義、そして強烈な好奇心だったのだと思います。



ルネサンスの合理主義を高めた若き天才・ラファエロ

ラファエロ・サンティの自画像
自画像
Raphael

ラファエロ・サンティのスゴさを見ていく前に「工房」の紹介をさせてください。ルネサンス当時は「工房を構える親方(マスター)」とその弟子の徒弟制で芸術家の社会は成り立っていました。

みんな10代で「頼もう!」と親方の工房の門を叩き、まずは雑用仕事から始まり、10年もすればようやく下書きなどを任せてもらえるようになり、下積みを積んで、親方に登録されたら独立、という職人っぽい感じだったんですね。

ラファエロも11歳で画家・ペルジーノの工房に入りますが、なんと独立したのは17歳という早さだったそうです。そんな彼の作品はとにかく合理的かつ明快。超分かりやすいんです。シンメトリーで、遠近法も正確、人体表現に誇張がない。

「聖母の結婚」
Raphael

「キリストの埋葬」
Raphael


師であるペルジーノのほか、ダ・ヴィンチやミケランジェロの手法を吸収しながらキャリアを重ねた彼の最高傑作が「アテネの学堂」でしょう。

「アテネの学堂」
Raphael


古代ギリシャの哲学者たちが集まって議論する様子を描いた1枚で、シンメトリーと完璧な一点透視図法がラファエロらしさを出しています。

時代や思想が違う哲学者を並べただけでなく、自分自身やダ・ヴィンチ、ミケランジェロの顔に似せて書いているのも特徴的で、また左右の像は別の宗教の神々、手前のアーチがだまし絵としても機能しているなど「ちょっと奇妙な仕掛け」がいくつもある、おもしろい絵です。

ラファエロは30代で亡くなりましたが、作品数はめちゃめちゃ多く、この合理的な絵は今後の西洋美術史において何百年も「お手本」とされました。めっちゃ早熟で、死後に評価される、というかっこよすぎる芸術家です。


ルネサンスの流れに逆らったマニエリスムを創始したミケランジェロ

御三家の最後はミケランジェロ・ブオナローティ。本業は彫刻家ですが、絵の腕も抜群でさらに建築もできて、詩も書けちゃう総合芸術家です。彼の作品で有名なのは「ダヴィデ像」。完璧といってもいいくらいのバランスで正確な人体を彫りました。台座も含めると600cmくらいあります。

「ダヴィデ像」
David Gaya


天才っぽいエピソードとしてミケランジェロはノミで彫る前に「大理石の声」を聞いていたそうです。「どうなりたいんだい?ふむふむツイストパーマの男か……OK」という感じでしょうか。やってることが、もうマンガのキャラクターですよね。

また彼は画家として「マニエリスム的な表現」をはじめてやったことでも知られています。その表現がしっかり出ているのが「聖家族(トンド・ドーニ)」です。

「聖家族(トンド・ドーニ)」
Michelangelo


向かって奥の「友だちのギャグを思い出し笑いする小学生」が可愛くて好きなのですが、ここでは置いておきます。

注目すべきは中央のマリアと、子どものイエスです。イエスを抱きかかえようとするマリアの腕や腰、首は激しくよじれています。イエスの腰もそうですね。ちょっと過度です。これを「セルペンティナータ(らせん状の)」といいます。

今までルネサンスでは「あるがままの姿を合理的に写実する」というブームだったんですが、ミケランジェロの作品はちょっと誇張しているんです。同時期の「アダムの創造」もやっぱりねじれています。

「アダムの創造」
Michelangelo


この絵から30年後に描いた「最後の審判」では400人以上の人が過度に筋骨隆々な姿であらわれます。もう6パックとかじゃないです。15パックくらい割れています。

「最後の審判」
Michelangelo


この見たままの姿以上の「美」を人工的に描くのを「マニエリスム」といい、ルネサンスが終わった後に本格的に流行ります(マニエリスムは第12回くらいで紹介する予定です)。ミケランジェロはまさしくマニエリスムの先駆者だったわけですね。
https://irohani.art/study/5118/


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北方ルネサンス
https://irohani.art/study/5282/

ルネサンスのサブカル!イタリア以外で起こった北方ルネサンスとは
日本で「サブカルチャー」というと、アニメやマンガ、文学、バンド、アイドル、演劇、映画、ひいてはアウトサイダー、都市伝説、廃墟、みうらじゅん、といったいわゆるまんだらけ、ヴィレッジ・ヴァンガードに乱雑に積み重なったナニカを思いつく方が多いのではないでしょうか。

ただ本来のサブカルは1960年代のヒッピー文化からスタートしたもので「決して大衆化はしないけど限られたコミュニティでワイワイやろうぜ」みたいな文化です。決してメジャーにはなれない、でも一部のコミュニティでは盛り上がる、それがサブカルチャーなのです。

北方ルネサンス

Derek Redmond and Paul Campbell


……さて「こいつ何の話してんだ」と戻るボタンを押しかけた方、すみません。つまり北方ルネサンスとは大きい目で見るとサブカルなんじゃないか、ということを伝えたかったんです(懺悔)。私たちにとって「ルネサンス」といえば、教科書にあったイタリア・ローマで起きた運動ですが、実は少し遅れて西ヨーロッパ諸国でも発生したんですね。

それを通称・北方ルネサンスといって、現代の私たちにとっては、イタリアのルネサンスに比べたらマイナーです。立派なサブカルチャーと捉えたほうがわかりやすいと思います。

ほぼ同時期の「モナ・リザ」とか「最後の晩餐」みたいな名画と比べると、ちょっと奇妙で、ちょっと怖くて幻想的……そんな「サブカルチック」な作品が多いのが特徴です。個人的には北方ルネサンス美術が好きな人は変態……いやものずk……もとい個性強めな方が多い気がします。

ルネサンス美術が北方まで広がった背景
イタリア・ローマでは1300年代初頭にはすでにルネサンス美術が開花していましたが、周りのヨーロッパ諸国にそれが広まったのは1400年代です。今のSNS時代では想像できないくらい乗り遅れました。

そもそも繊維業やら金融業が盛り上がって「市民(商人)」がパワーアップした結果、君主の統治を受けずに自分らで組織(ギルド)を作ってお金儲けをし始めたのがイタリア・ルネサンスの背景にありました。その結果、国とか教会だけでなく商人も絵を求め始めるんですね。

ただ北方諸国では君主とその家臣が中心となり国を仕切る「封建制」が強かったんです。それでなかなか市民が台頭できなかったんですね。ただそんな北方諸国、特にネーデルラント(今のオランダとベルギー)では毛織物などで賞に荷が盛り上がり、イタリアと同じような形でルネサンス美術が盛り上がります。

またフランスが宮殿の建設にダ・ヴィンチを雇用するなど、イタリアの芸術家が周りに進出し始めたこともあって、北方ルネサンスは広がりを見せるわけです。

異常なほど繊細な写実主義・初期フランドル派
北方ルネサンスのなかでも、特にネーデルラントで活躍した画家群を「初期フランドル派」といいます。代表的なのが以下の画家たちです。


● ロベルト・カンピン
● ヤン・ファン・エイク
● ロヒール・ファン・デル・ウェイデン
● ハンス・メムリンク
● ヒエロニムス・ボス
● ピーテル・ブリューゲル

ネーデルラントの画家たちは創始者のロベルト・カンピンをはじめ、見たままの光景をリアルに描く「写実主義」をメインに描きました。また宗教画を書く際も「聖書の一場面だが舞台は現実世界」という、めちゃめちゃ斬新なテーマで描きました。

青森のリンゴ農家でアダムとイヴが禁断の紅玉喰うみたいな……、ちょっと麦わら帽子の農家さん見切れてる、みたいな感じですからね。めちゃ新しいです。

そして何より初期フランドル派の作品は、技術が進歩した今みてもすんごい緻密です。米粒にお経書くくらい精密に写真みたいな絵を描いています。では重要な画家たちを例に挙げつつざっくりと紹介していきましょう。

北方ルネサンス美術の創始者!ロベルト・カンピン
北方ルネサンスを始めたのは、通称「フレマールの画家」と呼ばれる画家です。これはロベルト・カンピンと同一人物だと“いわれて”います。彼は先述したように日常生活を舞台にして宗教画を描きました。

例えばマリアのところに天使(ガブリエル)がきて「はいあなたイエスを妊娠しましたよ。お産がんばってね~」と告げる『受胎告知』。かのダ・ヴィンチは1472年にこんな感じで描きました。


『受胎告知』
Leonardo da Vinci


“聖書っぽい”ですよね。「神の庭園」みたいなところでお告げがされてます。この絵に関しては前回の記事で紹介していますので、ここではあえてツッコみません。

この絵より約50年前にロベルト・カンピンが描いたのが、こちらです。


『メロードの祭壇画』(受胎告知)
Workshop of Robert Campin


どうですか、この「実家感」。マリアがまるで「夏休み中に帰省してる大学生の娘」です。ガブリエルが「ほら!だらだらしない!あなたイエスを身ごもったんですよ!」と言ってるように見えてきますね。
要するに「このくらいリアルなほうが感情移入しやすい」という考えで日常風景のなかに聖書のシーンを描くようになったんです。


「油彩」を発明したヤン・ファン・エイク
『ターバンの男の肖像』
Jan van Eyck


さて、そんなロベルト・カンピンの20個下、今でも画法として引き継がれている「油彩」を発明したのがヤン・ファン・エイクです。それまで「テンペラ」といって卵の黄身で顔料を定着させていたのを、彼は油を使いました。これによって塗り直し、ぼかしなどの技法が可能になったんですね。それで彼は顔料を何層にも重ねて絵を描くことで、周りにはできないくらい精密な色彩感覚の調整ができました。

そんな作品はとにかく超現実主義で、部屋の細かいところまで事細かに再現されています。また技術力が当時の他の画家に比べてもえぐいくらい高く、とにかく細かいです。有名な『アルノルフィーニ夫妻像』で紹介しましょう。


『アルノルフィーニ夫妻像』
Jan van Eyck


これ、縦82cm×横60cmと決して超巨大なわけじゃないんです。なかでも後ろの凸面鏡をアップにしてみます。

凸面鏡

実際のこの凸面鏡は直径5cmです。500円玉が2.65cmなのでその倍くらい。この狭いなかに夫妻の後ろ姿と部屋の全景、自分自身が描いてあります。またフレームについた円形の飾りにはキリストの受難のシーンが描かれているんですが、もうこれ1円玉くらいのサイズですよ。いや~、これぞ天才! という素晴らしすぎる技術力です。
https://irohani.art/study/5282/


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ルネサンスの終わり
https://irohani.art/study/5386/

ルネサンスを振り返ってみる

ルネサンスは1300年代からはじまりましたが、1500年代のなかごろにあっさりと終了します。まずは簡単に「ルネサンスとは何ぞや」を振り返ってみましょう。

ときは古代ローマの時代、テルマエロマエみたいな彫りの深い風呂好きたちは「ヒューマニズム(人文主義)」、つまり「人間がすべての中心である」と考えていました。当時は君主が戦いによって領地を広げていた時代で、美術作品としてはムッキムキな彫像が主です。当然パトロンは「国(君主)」でした。

ルネサンスを振り返る
Radomil (talk · contribs)


そこから爆発的に広まったのがキリスト教。「キリスト万歳!」みたいな風潮が3世紀ごろからスタートして美術作品はキリスト関連のものばかりになりました。当然「教会」が超パワーアップし、信者を集めるための広告としても聖書の一場面を描いたものが多くなります。「国(君主)」と「教会」が主なパトロンです。


『ウラジーミルの生神女』 
Unknown authorUnknown author


しかし13世紀ごろからイタリアのフィレンツェ近辺で貿易が栄えたり、繊維業、金融業で一儲けしちゃう市民が出てきました。すると金持ちが商売しやすくなるように、君主に支配されない「自治都市(コムーネ)」を作ります。英語でいうとコミュニティ、日本語でいうと商工会議所みたいな感じですね。

ただ市民が自分で都市を作って運営するのは古代以来のこと。そこで「古代ギリシャ・ローマを見習おうぜ!あのヒューマニズムの時代に戻ろうぜ!」と宣言したのが「ルネサンス(文芸復興)」です。市民がパトロンになったので、聖書の一部とか王様の肖像だけでなく、メディチ家をはじめとした金持ちの絵を「リアルに」描くようになりました。

ジョットはキリストの磔刑像を人間っぽく描きました。ブルネッレスキは「線遠近法」を開発し、マザッチョは「人体の再現」「空間性」「感情溢れた表情」を確立しました。

ダ・ヴィンチは「空気遠近法」を発明し人の顔の輪郭線を消しました。北方ではカンピンが「普通の民家にマリアがいる」みたいな絵を描き、ファン・エイクは5cmの鏡の中にまで住まいの中の様子を緻密に描きました。

全部「もっともっとリアルに」といった写実主義の観念に基づいて描かれるようになったんですね。

なぜルネサンスが終わったのか
では「どうしてルネサンスが終わったのか」という話に移りましょう。一方向からはいえませんが、さまざまな理由が重なって、ルネサンスが終わりました。

自治都市(コムーネ)の崩壊
イタリア
Amada44


1つは「金持ち市民」が力を失ったからです。みんなが「金儲けしてぇ」となると戦いが生まれるもので、さっきの自治都市(コムーネ)同士の内乱が起こります。すると金持ち商人は「どっちが多くの兵士を雇うか」みたいになり、それがもとでイタリア中が金欠になるんです。もうなんかコントみたいな話ですね。

その背景には「新航路の発見」もあります。それまで地中海航路しかなかったんですが、大西洋航路が見つかりました。それでイタリアに入ってくる香辛料などの値段が半額以下の大セールになっちゃって、収入自体が減ったんですね。

で、イタリア中が金欠なときにフランス軍が攻めてきます。そりゃもう、あっさり負けてしまい、大きなパトロンだった市民が崩壊。ルネサンスの画家たちもダメージを受けました。

ルターによる宗教改革がおこった

1520年のルターの肖像 
Lucas Cranach the Elder


ルネサンス期の画家たちは、市民からの依頼が増えたとはいえ、依然プロテスタントの教会からも発注を受けて、聖書をモチーフにした作品を作っていました。

教会の収入源のうちの1つが「贖宥状(しょくゆうじょう)」の販売です。贖宥状とは「罪を軽減してくれるお札」みたいなものです。「これを買えば罪を許されますよー」というやつです。まぁ「お守り」に近いですよね。

で1514年に当時のローマ教皇だったレオ10世は「サン・ピエトロ大聖堂の改修費用を集めます」といった名目で贖宥状をめちゃめちゃ販売するんです。余談ですが、このサン・ピエトロ大聖堂はラファエロやミケランジェロが建築監督になった、美術作品としてもすんごい建物です。

サン・ピエトロ大聖堂
Jean-Pol GRANDMONT


話をもどしましょう。修理費用と謳って贖宥状を発行したんですが、これ実はレオ10世が単純にめちゃめちゃ浪費家でドイツのフッガーさんに返すお金を工面するために発行したんですね。彼はもともと豪族・メディチ家の生まれで浪費家としても有名なんです。

大学の神学科で教授していたマルチン・ルターは、そんなレオ10世の邪悪な目論見を知らなかったんですが「普通にさぁ、贖宥状バンバン発行し過ぎじゃない?ちょっと討論したいんだが」と宗教改革を起こしたんですね。

宗教改革の結果、プロテスタント教会ががっつりレオ10世から離れて、教会の資金力が激減しました。それでルネサンスの美術家たちも大打撃をうけた、というわけです。


ミケランジェロのカリスマ性が大爆発

ミケランジェロ
Attributed to Daniele da Volterra


それとは別に「ミケランジェロ」の存在があります。この人はルネサンス期の画家なのですが、ルネサンスのような「見たものをそのままに」というわけではなく「見たものをちょっとオーバーに」という方向性の画家です。かっこつけたいんです。

彼の絵画作品は独特の“ひねり”や“ねじれ”が目立ちます。また筋肉ムッキムキで「え?どこのジムでそんなことになったの?ぜひ紹介して?」という感じです。


『聖家族』 
Michelangelo

『最後の審判』 
Michelangelo

『アダムの創造』 
Michelangelo


また特にこの「最後の審判」では人体が引き延ばされているのにも注目したいところ。なんか不自然ですよね。「等身どうなってんねん」とツッコみたくなるくらい頭が小さく見えます。

「最後の審判」

これはルネサンスの「あるがままの美」ではなく「人工的に“盛った”美」への転換でした。ミケランジェロの出現に周りの美術家たちも心酔。「俺も真似しよう」というフォロワーが出てきました。美術作品への意識としても、ルネサンスはだんだんと衰退していったんですね。

そして美術の舞台はイタリアからフランスへ……

さて今回はルネサンスの終焉について紹介しました。ルネサンスという運動は芸術の手法だけでなく、文化、価値観などをガラッと変えてしまった運動です。当然、現代の人たちにも大きな影響を与えています。
https://irohani.art/study/5386/


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マニエリスム
https://irohani.art/study/5460/

ルネサンスが終わった1500年代半ばから1600年代前半に流行る「マニエリスム」、またフォンテーヌブロー派についてみてみましょう。

このあたりから西洋美術の舞台はイタリアからフランスへと移っていきます。では美術作品はどのように変わっていくのでしょうか。

マニエリスムとは

エル・グレコ『ラオコーン』
El Greco


マニエリスムとはイタリア語で「様式」とか「手法」という意味です。「マニエリスム美術だけじゃなく、ルネサンスも印象派も全部何かしらの様式だろ」と言いたくなりますよね。

これ、ミケランジェロの弟子のヴァザーリさんが「ミケランジェロ先生やっぱレべル違ぇわ……。これもう教科書(マニエラ)だわ……」と言ったらしく、そこからマニエリスムと名が付きました。その当時のミケランジェロは今でいうHIKAKINみたいな超絶インフルエンサー。周りの画家はみんな彼の手法を真似し、マニエリスムは発達していくわけです。

だからスタートはミケランジェロの絵なんですね。ラファエロやダ・ヴィンチの絵にもマニエリスムっぽいものがありますが、基本的にはミケランジェロ発進です。

マニエリスムの特徴は「自然を上回る美しさ」

では「ミケランジェロの絵ってどんなものだっけ」という話に移りましょう。第10回でもお伝えしましたが、ミケランジェロは他のルネサンス期の画家とはまったく違う絵を描いています。かなりのかっこつけたがり屋さんです。たぶん話とか盛ってくるタイプです。

まずはルネサンス期の画家・マザッチョの「アダムとエヴァ」を紹介します。


マザッチョ『楽園追放』 ※左が修復前、右が修復後 
Masaccio


リンゴをもぐもぐしちゃったので楽園を追放される2人の様子です。正確無比な人体構造、悲しみ溢れる表情がリアリティ溢れていてルネサンス的ですね。当時はみんなこうした写実的でリアルな絵を描いていました。

いっぽうミケランジェロの絵はこんな感じ。


『最後の審判』
Michelangelo


彼の手法の特徴が人体を「ひねる」というものです。このひねったりねじったり、引き延ばしたりした絵を「セルペンティナータ」といいます。イタリア語で「らせん状」とか「蛇がとぐろを巻いたような」という意味です。

「あるがままの写実的な絵を」というより「人工的に自然以上の美を」というのがミケランジェロの方針であり、マニエリスムの特徴になりました。とにかく首や腰、腕をひねらせたいので、必然的にミケランジェロ作品の人物は横を向いているケースが多いです。

この上の絵より「彫像」のほうが伝わりやすいかとも思いますので、そちらも紹介しましょう。「勝利」という作品です。


ミケランジェロ『勝利』像
Michelangelo


この右腕なにこれ、こんな姿勢したことないんだけど……みたいな。とにかく肘も膝も手首も首も可動部は全部動いています。ルネサンスからマニエリスムに転換するきっかけになった作品でもあります。

彫像に関しては「ひねり」によって、これまで前から観られることを前提としていたのが360度どこから見ても楽しめるようになりました。これも大きな変化でした。

マニエリスム期には「寓意(アレゴリー)」を楽しむ文化も発達

またマニエリスムの時代には絵に「寓意(アレゴリー)」を込める文化も発達しました。寓意とは「概念を視覚化したもの」です。あの、トレンディドラマとかで振られたシーンになると急に豪雨が降ってくることありますよね。アレです。悲しみを雨で視覚化しているわけですね。


アーニョロ・ブロンツィーノ(ブロンズィーノ)『愛の寓意』
Bronzino


この「寓意たっぷり絵」のことを寓意画と呼んだりもします。なかでも最も有名と言ってもいいのが上の『愛の寓意』でしょう。ブロンツィーノというマニエリスム期の代表的な画家が描いたものです。

現代の私たちがみると「何が何やら……」という絵ですが、実はいろいろメッセージが隠されています。


まず中央で接吻しているのがヴィーナスとクピドのカップルです。クピドの足元には愛欲の象徴であるハトがおり、背後の老婆は嫉妬の象徴です。ヴィーナスの足元にも愛欲の仮面があります。

ヴィーナスの右でバラの花を持っている少年は「快楽」の象徴、しかしその背後には手が逆についた爬虫類か哺乳類か分からん少女がサソリ(毒)と蜂の巣(甘美)を持っています。そしてその上では時間の神・クロノス(肩に砂時計付き)が強引にカーテンを開けており、真実の仮面を付けた女が姿を表しています。そしてヴィーナスがクピド(キューピッド)の矢を取って背後に掲げています。これは「男女の愛を避けよ」という寓意です。

つまり総合すると「男女の肉体的な愛には一瞬の快楽がある。それは時間とともに薄れてしまうが真実の愛があれば残るよ」という情報があるわけです。なんてややこしいんだ。でもこれを文字ではなく絵にするところがなんだかオシャレですよね。

ただし、この寓意性は現代の私たちが解釈したものです。全部は読み取れませんし正しいかもわかりません。なんなら絵の鑑賞に「正しい」なんてないですよね。僕は「少年の逆転満塁ホームランに喜ぶカップルと、悲しむ老婆、スタンドでボールを捕ろうとするおっさん……」という全裸のどんちゃん騒ぎに見えますが、それも正しいわけです(暴論)。事実、この「愛の寓意」はいまだに美術学者が他の解釈はないかを研究し続けています。


パルミジャニーノ『長い首の聖母』
Parmigianino


このパルミジャニーノ作「長い首の聖母」も「左の天使が持っている壺」や「右下の預言者」「背後の円柱」などに寓意が込められているようですが、今となっては謎で、学者を悩ませている作品です。

こちらはマニエリスム期最高の名画といわれることもあります。もう描いた本人がタイトルにするくらい「あからさまに長い首と指、めっちゃピアノ上手そう……。そして感情が読み取れない無表情。まさに「人工的な美」を追究するマニエリスム感たっぷりですね。

またこの絵から分かる通り「比較的、遠近感が乏しいこと」もマニエリスムの特徴です。かなり後ろにいるはずの預言者が隣にいるように見えますよね。

マニエリスム期のフォンテーヌブロー派によって芸術の中心がイタリアからフランスに

そんなマニエリスム期への突入……というか前回ご紹介したルネサンスの終わりにしたがって、芸術の中心地はイタリアからローマに移動しました。

現在「芸術の都」といえばパリですが、逆にいうと1500年代までイタリアが芸術の中心地だったんですね。

芸術の都がフランスに移った背景

ではなぜ移動したのか。その理由としては前回でお伝えしたように「フランス軍がイタリアを壊滅させた」ということが大きいです。イタリア国内で内戦があったこともあり、弱体化していたところにフランス軍が攻め入ったアレですね。

で、勢いに乗るフランスはそのまま「文化、芸術のレベルもイタリアを追い抜こう」と決意。特にフランソワ1世はレオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに呼び寄せます。ダ・ヴィンチは以前お話ししたように、めちゃめちゃ理系で賢い人ですから「イタリアはもう終わりですね。よし、この話乗りましょう」と快諾。結果的にイタリアのルネサンスをフランスで開花させるんです。

イタリア出身のフォンテーヌブロー派がフランスに文化を持ち込む
またフランソワ1世はそのほかにもイタリアや今のドイツ、ベルギーからも高名な画家をフランスに呼んで、彼らに「フォンテーヌブロー宮殿」の装飾をしてもらうんですね。それで彼らは「フォンテーヌブロー派」といわれます。

「フォンテーヌブロー宮殿」
ignis


このフォンテーヌブロー派は最初イタリア出身の芸術家だけで形成されます。代表的な作品は「ガブリエル・デストレとその姉妹」ですが、これ作者不詳です。

真顔でこっちを向いて乳首をつまむ姉妹、そして奥にはこのとんでもない状況にも関わらず冷静に編み物をする侍女、というシュール過ぎる構図。15秒くらい観ていると「……なにこれ」とジワジワ笑えてきます。


『ガブリエル・デストレとその姉妹』
Unknown authorUnknown author (School of Fontainebleau)


金髪の女性が王の愛妾だったガブリエル・デストレで茶髪が(たぶん)妹のビヤール公爵夫人です。もちろん「う~ん、なんか足りない気がするなぁ……乳首つまませるか……」と何の寓意もなしに描いたわけではありません。ガブリエルが王の子を懐妊したことを示す説が濃厚です。

またガブリエルは指輪をつまんでいます。これは「王と結婚してプリンセスになりたいんだけど!」という彼女の意思表示なんだろうと言われています。

マニエリスムはのちに「マンネリ」に

さて、今回はルネサンス後のマニエリスムについて紹介しました。この時代は斬新な表現だといわれ、こぞってマニエリスムを真似しましたが、実は200年後くらいに「マンネリ」といわれちゃいます。マンネリズムの語源でもあるんですね。
https://irohani.art/study/5460/


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ルネサンス美術の画家・彫刻家

サンドロ・ボッティチェッリ Sandro Botticelli(イタリア フィレンツェ 1445年3月1日- 1510年5月17日)
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ヒエロニムス・ボス Hieronymus Bosch(オランダ南部 スヘルトーヘンボス 1450年 - 1516年8月9日)
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レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci(イタリア フィレンツェ 1452年4月15日 - 1519年5月2日)
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アルブレヒト・デューラー Albrecht Dürer(ドイツ ニュルンベルク 1471年5月21日 - 1528年4月6日)
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ミケランジェロ・ブオナローティ Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni (イタリア トスカーナ州 1475年3月6日 - 1564年2月18日)
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ラファエロ・サンティ Raffaello Santi(イタリア ウルビーノ 1483年4月6日 - 1520年4月6日)
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コレッジョ Antonio Allegri da Correggio(1489年–1534年)
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9:777 :

2024/01/02 (Tue) 08:30:58

バロック美術、ロココ美術
https://irohani.art/study/5538/

聖書の場面を忠実に描いていた時代が終わり、逆に「キリストより人間が大事だぜ」という現実主義かつ写実主義なルネサンスがやってきて終わりを迎えました。そこから巨匠・ミケランジェロが「現実よりも美しいものを作るべきよ」とマニエリスムをはじめ、特にフランスの画家たちの間でブームになり、だんだんとイタリアからフランスに中心地が移っていく……。というのが前回までのあらすじです。

ではバロック美術ではどのような表現が流行するのでしょうか。ヨーロッパ各地でめちゃめちゃ表現が多様化するこの時代をみていきましょう。


キリスト教の「カトリック」と「プロテスタント」がバチバチに

ルネサンスの終わりの回でも紹介しましたが、1500年代半ばにマルチン・ルターさんという大学の教授的な人が「なんかちょっと最近のキリスト教会(カトリック)っておかしいと思う」と宗教改革を起こしました。当時のローマ教皇が借金を返すために「贖宥状(しょくゆうじょう)」というお守りみたいなものを大量に発行したんですね。それに「異議あり」といったわけです。

そこでカトリックから一部のプロテスタントが「ルターについていくわ」と離脱。これでカトリックは力を失ってしまい、ルネサンスの終焉につながります。バロック美術の時代には、この「カトリックvsプロテスタント」が大きく影響します。


プロテスタントのスタンスは「聖書に忠実に。偶像崇拝は禁止」

プロテスタントのスタンスは「偶像崇拝禁止」です。偶像とは「キリストを模した何か」ということ、あの「海割り」で有名なモーセさんが「『キリストはただ一人の存在だから、像とか絵とか作っちゃだめよ』と神が言ってましたよ」と「十戒」に記したのがきっかけで、できたルールです。

プロテスタント側としては「忠実にキリスト教を守っていかなきゃ」ということで、この偶像崇拝禁止を守っていました。


カトリックのスタンスは「偶像崇拝OK!ダイナミックな美術で信者を集めよう」

いっぽうのカトリックは信者独占状態からプロテスタントという競合が生まれたわけです。かつての規模まで復興したい、と絵画や彫刻を“広告”として使います。広告なので、できるだけ「魅力的に見せたい」。そのためカトリック教会は画家や彫刻家に「ダイナミックな表現をしてくれ」と依頼をするんですね。

テレビ通販みたいな感じですかね。「初めて飲んだ日から、朝起きたときの気持ちよさが全然違うんですよ! もう、この枕以外は使えないです!」みたいな。ちょっと過度にキリスト教の素晴らしさをアピールするんです。


バロック美術の特徴

そんなカトリックの発注で生まれた「超ダイナミックな様式」がバロック美術です。バロックとはもともとドイツ語で「歪んだ真珠」といいます。

「あるがまま」を描いていたルネサンスに比べ、バロック美術はとにかくドラマチック。静でなく「動」。コントラスト(明暗)もはっきり意識しています。そのため最初「ちょっと派手過ぎない?下品っていうか……」と受け入れられていなかったんですね。

第6回でご紹介した「ゴシック美術」の「ゴシック」も、もともとは侮蔑的な意味合いでした。やはり急激に文化が変わるときは多くの人が受け入れられないもんですね。もちろん今ではゴシックもバロックも、素晴らしい文化として受け入れられています。

ただし「多様化」の時代でもあった
ただしバロック美術の時代はルネサンスのように「みんな同じ表現を目指した」というわけではないです。この時代はイタリア、フランス、スペイン、オランダ(ネーデルラント)と各国で美術文化が育ちますが、それぞれに特色があります。

ルネサンスの表現を継承したり、風景画や風俗画が育ったりするんです。そのなかでも特にバロックといえば「カトリック教会に関するダイナミックな表現がメインだった」という認識だと分かりやすいでしょう。

今回はバロック時代のダイナミックな絵について紹介しました。「見たままを描く」というルネサンスの真逆と言ってもいい、激しい動きが特徴のこの時代。観ている側としては「すごさ」が分かりやすいのが楽しみやすい部分ですね。まだ「美術の何にハマればいいか分からない」という方におすすめです。

たださっき書いた通り、バロック時代は多様性の時代でもあります。こうした表現だけじゃ終わらない。新しいモチーフ、様式が生まれていきます。
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オランダ・バロック美術
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前回は、イタリア・フランス・スペインでカトリックの入信者を増やすための“広告”として用いられた、超ダイナミックな表現が特徴の美術作品について紹介しました。今回は主にオランダで始まる、西洋美術の新たな表現を面白おかしくみていきましょう。

バロック時代は多様化の時代

前回の第14回を超ざっくり振り返ってみましょう。バロック美術以前、ルネサンス期の最後のほうになると、重大な事件として「宗教改革」が起きました。それでカトリックの一部(プロテスタント)が「もう、キリスト教よりお金稼ぎのほうが大事になってんじゃん!やってらんねぇ!」と分離することになります。

その後、カトリックは「キリストとかマリアのかっこいいシーンをバンバン描いて、信者を集めようぜ」という手法で画家にダイナミックで荘厳な宗教画を描かせるわけです。一方で、プロテスタントは「ちょっとキリスト描くのとか、もうやめなよ。偶像崇拝禁止って言ってるじゃん」と反対するという、はめ外す男子とそれを止める女子みたいな、バチバチのバトルが始まったんですね。

それでバロック時代の美術の大きな特徴は、カトリック主導によるとにかく劇的で激しい表現となっていきます。

とはいえ、バロック美術は一概にそれだけじゃないのが面白いところ。他のモチーフ、表現も育った「多様化の時代」なんですね。

オランダで「市民階級の玄関に飾りやすい絵画」が流行った背景

「ジプシー女」
Frans Hals


「多様化」のなかでも特筆すべきなのが「風景画」「風俗画」「静物画」が誕生したこと。よくよく考えると、この時代までの美術作品は基本的に「宗教画(歴史画)」か「人物画」しかないんですね。パトロンが「教会」「君主(王様)」「金持ち市民」しかいないので「キリスト教の名シーン集」か「王・金持ち市民のモデル立ち」しかお金にならなかったんです。

そんななかで「その辺の風景」や「一般市民の何でもない日常」を描いた絵が流行ります。その舞台となるのが、当時の北部ネーデルラント、今のオランダです。オランダはイタリア、フランス、スペインとはまったく違う作品がブームになりました。

その理由が「カトリックでなくプロテスタント傘下に入ったこと」と「市民階級が力を付けたこと」です。

まず偶像崇拝禁止のプロテスタントを信仰していたので、カトリックのダイナミックな表現は生まれなかったんですね。「ちょっと!偶像崇拝禁止でしょ!」派が多数だったので、周りの国に比べて宗教画は制作されませんでした。

また「市民が力をつけたこと」。この背景にあるのが「貿易」です。当時はいわゆる大航海時代。ヨーロッパとアメリカやアジア大陸との貿易が始まりました。海沿いのオランダにいとっては、もう千載一遇の大チャンスです。これを完全にモノにして、もうぶっちゃけすんごい儲かります。

すると、国全体が裕福になるので、市民でも家に飾る用に絵を買うんですね。オランダは教会が偶像崇拝禁止だし、国王制でもない。なので、画家のパトロンは主に市民となったわけです。

「似てないじゃん!書き直してよ」を避けるための写実性

「テュルプ博士の解剖学講義」
Rembrandt


そんなオランダでまず出てくるのが「集団の肖像画」。ざっくりいうと集合写真です。というのも、国王みたいに「1人が圧倒的に強い」というものではなく、商人グループで儲かったので「みんなで描いてもらおうよ」となったんですね。

すると、1枚の絵のなかにいろんな人を描く必要がるので、顔の特徴を精密に描く必要があります。みんな同じ顔見たいに描いたら「ん~これは髭があるから1丁目の田中さんだろうけど……。これは誰? 俺かこれ……? ちょっとこれ分かんないから描き直してもらおうぜ」となるんですね。なので当時のオランダ人画家は「写実性」が発達するんです。

風景画、風俗画、静物画という「玄関に飾りやすい絵」

「真珠の耳飾りの少女」
Johannes Vermeer


そしてそんな見たものをちゃんと描くという写実主義から発展して出てきたのが風景画、風俗画、静物画でした。

当時少なかったオランダの宗教画(歴史画)は、基本的にイタリアから影響を受けたダイナミックな絵が主流です。それはもう写実性ブームのオランダで「盛りすぎじゃね?」と嫌われちゃうんですね。ハリウッドザコシショウのネタを見て「いや、似てねぇよ……」とか言っちゃう感じです。

しかもサイズがデカくて高級でした。というのも当時「ジャンルのヒエラルキー」というものがあって「1.歴史画(宗教画)、2.肖像画、3.風俗画(日常生活)、4.風景画、5.静物画」という明確なランク付けがあったんです。今考えたらモチーフで順位付けするなんて、ちょっと衝撃ですよね。

その点、ヒエラルキーは下位でも市民にとっては「リアリティがあっていいわね」となり、サイズ的にも飾りやすい「風俗画」や「風景画」「静物画」が流行ります。玄関に巨大なキリストの磔刑像があったら、友だちに「え?病んでんの?」と言われちゃいますもんね。それよりは雄大な自然の絵があるほうが受けたわけです。


ようやく画家の自由が認められてきたオランダ・バロック美術

オランダ・バロック美術の面白いところは「画家が自分の表現をしやすくなったこと」でしょう。それまでは「こんなのを描いてくれ」と発注がきて、その通りに描いて納品するのが通常でした。それまでの画家は今のような「表現者」という感じではなく「職人」というイメージのほうが近かったといえます。

しかしこの時代からは、発注者の肖像や宗教画といった、明確な目的がなくても、自分が興味をもった作品を描けば売れるシステムができたのです。これはようやく美術作品が「自己表現」という意味をおびてきた証ともいえるでしょう。
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ロココ美術
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前回と前々回はとにかく「国王を称えよ!」というノリで政治利用されつつ、ダイナミックな表現に進化していった「バロック美術」を紹介しました。

第16回は、そんなバロック美術の反動で18世紀に流行する「ロココ美術」についてみていきます。今でもインテリアショップにいくと「ロココ調」なんて文字を見かけますよね。アレです。ロココ美術はどんな特徴があり、なぜ流行ったのかを、今回もフランクにみていきます。


ロココ美術前のフランスは「ルイ14世の“圧迫感”」に嫌気が差していた
ロココ美術の舞台となるのは「フランス」です。バロック美術時代のフランスでは王家を盛り立てるのが役割でした。その背景にいたのが太陽王・ルイ14世です。


ルイ14世の肖像 
Hyacinthe Rigaud


「朕は国家なり」で有名な方ですね。この言葉の背景には「王権神授説」という「神が王に任命したのだから、王が最強な。国民は王に逆らえないぜ」というやべぇ考えがあります。それほどまでに絶対王政であり、彼はなんと72年間もフランス王でした。

だから彼のいたバロック美術時代はとにかくダイナミックな表現が特徴。「見て!王家ってこんなにかっこいいのよ!」とアピってたんですね。

また第14回の記事でも触れた通り、カトリック教会が信者を増やすための「広告」としても活用していました。

そんなルイ14世の晩年期はもう戦争のし過ぎでフランスはめっちゃ貧乏になっており、国民も「何が太陽王だよこの野郎」みたいなピリピリムードでした。そして彼は1715年に崩御。すると「やっと太陽王の圧迫から解放されたわ。長かったわ~」と民衆は安堵し、葬列には罵声が飛んだといいます。

ロココ美術とは圧迫政治の反動で生まれた開放的で自由奔放な表現
そこで生まれたのが「ロココ美術」です。対象は「王」ではなく「個人」に向けた作品となり、主に貴族たちがパトロンとなりました。また特徴としてはとにかく「超自由奔放」。「ちょっとコンプラ的にアウトだろ」みたいなテーマを軽やかに描きます。

ヴァトーの雅宴画がロココ絵画の出発点に

アントワーヌ・ヴァトー『シテール島への巡礼』
Jean-Antoine Watteau


なかでもロココ絵画の先駆けとなったのがアントワーヌ・ヴァトーです。彼は一般の人たちの生活を描く風俗画を多く描きました。バロックのころは王家や教会に捧げるものだったので、宗教画、歴史画といった“カッチリしている”作品が多いんですけど、ヴァトーの雅宴画はその辺にいる貴族たちの日常的な戯れを描いた作品です。タッチも、線をはっきり描かずにぼかしている。こういった部分が「ロココっぽい軽快さ」なんですね。

ロココ美術には「エロチックな絵画」も
「コンプラ的にアウトな作品が多い」と先述しましたが、もうひと言で言っちゃうとちょっとエロい絵画もたくさん生まれたのがこの時代。ルイ14世の治世では絶対できなかったヤツです。

例えばフランソワ・ブーシェさんは裸体画を多く描きました。


フランソワ・ブーシェ『水浴のディアナ』 
François Boucher


この作品は女神・ディアナを描いた歴史画ですが、舞台は現世の三次元であり、ディアナもめっちゃ可愛く描かれています。このころは宗教画や歴史画でしか裸体を描けなかったので、テーマを(たぶん、しぶしぶ)神話にしていますが、ブーシェは性愛をテーマにした絵画を多く作ったロココを象徴する画家です。


ジャン・オノレ・フラゴナール「ぶらんこ」 
Jean-Honoré Fragonard


この「ブランコ」はおそらくロココ美術で最も有名な作品なのではないでしょうか。「男爵がブランコに乗る愛人のスカートの隙間から生足を覗いている」絵です。ええ、それ以上でも以下でもありません。

この絵は「司教が押すブランコに愛人を乗せ、その正面に『スカートを覗く私』を描いてくれ」というサン・ジュリアン男爵のやけに具体的な発注に応えたものだそうです。ただし司教のみ、愛人の実の夫をモデルに描いています。

一人目の画家に「(え、何言ってんの、このエロ男爵……)」と断られ、フラゴナールに発注がきました。この紅潮した男爵の頬と、見下ろす愛人の笑っていない眼がヤバいですよね。自由奔放でロココ感MAXなこの作品は、画壇では「不道徳すぎてヒくわ」と不評でしたが、当時の開放感にあふれた市民たちには大好評で、版画に印刷されて売れまくったそうです。

ちなみにディズニーはこの作品が大好物で、「塔の上のラプンツェル」のビジュアルイメージに採用されているほか、「アナ雪」の「ひそかにいのーろーう♪」と歌うシーンでも登場しますね。幽閉されたラプンツェルが軽快に外に出ていく心境や、アナが城門を抜け出すときの開放感と、ロココの自由な表現に重ね合わせているのかもしれません。

実はバロック、ロココの背景にあった「アカデミー」という存在
今回はルイ14世の支配から解放されて浮かれまくっているロココ美術を紹介しました。しかし今見ても可愛らしい作品の数々で最高ですよね。実際、今でもロココ調の机とか椅子は人気が高いです。

前々回、前回、そして今回と、バロック、ロココの作品を紹介してきました。こう描くとルイ14世がめちゃめちゃ悪者みたいに見えますが、彼なくして西洋美術の文化が育たなかったのも事実です。なかでも彼の偉大な発明が「アカデミー」と「サロン」。簡単にいうと美大を作って、展覧会を開いたわけです。
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バロック美術、ロココ美術の画家・彫刻家

カラヴァッジオ Michelangelo Merisi da Caravaggio(イタリア ミラノ 1571年9月29日 - 1610年7月18日)
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ピーテル・パウル・ルーベンス Petrus Paulus Rubens(ドイツ ジーゲン 1577年6月28日 - 1640年5月30日)
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アンソニー・ヴァン・ダイク Anthony van Dyck(ベルギー アントウェルペン 1599年3月22日 - 1641年12月9日)
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ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ Gian Lorenzo Bernini(イタリア ナポリ 1598年12月7日 - 1680年11月28日)
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ディエゴ・ベラスケス Diego Rodríguez de Silva y Velázquez( スペイン セビーリャ 1599年6月6日 - 1660年8月6日)
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レンブラント・ファン・レイン Rembrandt Harmenszoon van Rijn(オランダ ライデン 1606年7月15日 - 1669年10月4日)
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ムリーリョ Bartolomé Esteban Perez Murillo(スペイン セビリア 1617年12月31日 - 1682年4月3日)
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ヤーコプ・ファン・ロイスダール Jacob Izaakszoon van Ruisdael(オランダ ハールレム 1628年 - 1682年3月14日)
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ヨハネス・フェルメール Johannes Vermeer(オランダ デルフト 1632年10月31日 - 1675年12月15日)
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アントワーヌ・ヴァトー Antoine Watteau( フランス ヴァランシエンヌ 1684年10月10日 - 1721年7月18日)
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フランソワ・ブーシェ François Boucher(フランス パリ 1703年9月29日 - 1770年5月30日)
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ジャン・オノレ・フラゴナール Jean Honoré Fragonard(フランス グラース 1732年4月5日 - 1806年8月22日)
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フランシスコ・デ・ゴヤ Francisco José de Goya y Lucientes(スペイン北東部サラゴサ近郊 1746年3月30日 - 1828年4月16日)
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10:777 :

2024/01/02 (Tue) 08:31:29

「アカデミー」と「サロン」について
ジュウ・ショ
https://irohani.art/study/6691/

「アカデミー」と「サロン」についてざっくり紹介します。

アカデミーとサロンは、西洋美術史において超重要な「ルール」を作り上げました。このルールによって画家たちは200年近くも“支配”をされ続けることになります。このルールを知っておくと、美術館の楽しみ方がガラッと変わること間違いなし。ですので、ここでざっくり見てみましょう。


ルイ14世主導で作られた「王立絵画彫刻アカデミー」


ルイ14世の肖像 
Hyacinthe Rigaud


西洋美術史において「アカデミー」というと、一般的にフランスの王立絵画彫刻アカデミーを指します。簡単にいうと「国立の芸大」です。今でいう「東京藝術大学」みたいなのが、1648年に設立され、画家志望の青年が入学し、絵の描き方や彫刻の造り方を学んで、画家として飯を食えるようになる、みたいなルートが誕生したんですね。

ではそれより前の時代のフランスではどうやって画家になったのか、というとほぼ徒弟制だったわけです。もともと「ギルド」という画家・彫刻家組合があって、そこに所属する人が仕事をもらえる、という閉鎖的な仕組みがありました。

だから「たのもう!」てな感じで志望者がギルドのアーティストの門を叩き、下積みを積んで、30代を超えてから独り立ちする、というのが画家として仕事をもらうための正規ルートだったんですね。

そんななか実はお隣のローマには既に1500年代から芸大がありました。だから優秀なフランスの画家志望者は「おいローマだと、もっと仕事もらいやすいらしいぞ」と引っ越しちゃうんですね。

これはフランスにとってもったいない。ローマに派遣されていたシャルル・ル・ルブランは「やべぇっす。フランスの画家が流出してます。うちも芸大作りましょうや」と国務評定官マルタン・ド・シャルモアに報告。それを知ってルイ14世が「王立絵画彫刻アカデミー」を作るんですね。

ちなみにルイ14世はこのほかにも「舞踏アカデミー」「音楽アカデミー」「建築アカデミー」などの国立大学を次々に作りました。フランスが「芸術の都」と呼ばれるようになった背景には、間違いなくルイ14世の尽力があります。

アカデミーがいうことは「絶対」
「アカデミー」のミソは「国立」ということ。1600年代という時代はまだ個人が絵を所有する前の時代において、画家のパトロンは国家か教会がメインでした。そんな状況でルイ14世は国家の仕事をすべてアカデミーに一任します。これは大事件ですよ。

つまり、それまでのギルドの仕事量はめっちゃ減るわけです。そして「画家として飯を食うためにはアカデミーに入らざるを得なくなる」という状況が出来上がるんですね。この時点で「アカデミーの教え=フランス美術の教科書」になるわけです。

アカデミーが作った「テーマの序列」という謎ルール
そんなアカデミーではもう基礎の基礎からガッツリ教え込みます。人体や生物のデッサンからスタートするわけです。これから「よっしゃ画家として飯食っていくぞ!」と考えているアーティストからしたら、絵の常識がすべてアカデミーとなる。

そんななかアカデミーはあるルールを決めます。絵のテーマに順位をつけるんですね。具体的には以下の序列を決めました。

 1.歴史画
 2.肖像画
 3.風俗画
 4.風景画
 5.静物画

簡単にいうと、生徒たちに「みんな歴史画を描こう! 風景画とか描くなよ」と宣言したわけです。歴史画にはキャンバスの外にもストーリーがあります。神話をモチーフにしていたり、寓意性があったりするんですね。寓意とは今っぽく言うと「匂わせ」です。例えば「恋」をテーマとした絵にキューピッドを描く、みたいな。「ストーリーが絵に重厚さをもたらす。だから歴史画は偉大だ!」というわけですね。

ただ、逆にいうとアカデミーのルールによって風景画や静物画の価値は一気に下がります。この時代、風景画とか書いていたら「それまだ背景だよな? その上から神話の人物描くんだよな?」と言われていた時代でした。


「サロン」によって画家の仕事が変わる
Édouard Joseph Dantan


そしてアカデミーは18世紀に「サロン・ド・パリ」を開催し始めます。これは通称「サロン」といわれる、王家主催の展覧会でした。「サロンに出品することで識者などが作品を観たうえで作品を評価して、パトロンがつく」という流れが絵でごはんを食べるために重要になっていくんですね。

とはいえ、最初のころはアカデミーの正会員と準会員しか出品を許されなかったんですね。これによって、もう完全に「アカデミーに認められなくては画家として生きていけない」という状況になるわけです。

つまりもう半ば「歴史画」を描くことを強要されている状況でした。フランスで芸術が盛り上がるいっぽうで、作品の自由度は狭まっていくんですね。

アカデミーによって誕生する「ロマン主義」や「印象派」
このアカデミー支配はかなり長く続きます。「正確無比な線を重視して描くこと」。「色の使い方は落ち着いたものを目指すこと」などのルールができます。

そんな厳しい抑圧の反動として、後年になって個人の表現を重んじる「ロマン主義」や、風景画で世界を変えていく「印象派」が誕生するんです。アカデミーの方針では画家としての自由度が低すぎたんですね。


次回はロココ主義の浮かれまくった世相の反動として生まれる「新古典主義」についてご紹介。その流行の裏には、アカデミーの規範があることを意識しながら読んでいただくと、より理解しやすいと思います。
https://irohani.art/study/6691/


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新古典主義
https://irohani.art/study/6753/

前回はルイ14世がつくった美大・アカデミーについて紹介しました。
今回は前々回の続き、ルイ14世が亡くなった反動で生まれた開放感MAXで自由奔放な様式「ロココ美術」の後に出てくる「新古典主義」について紹介します。


バロック・ロココの派手な表現の反動で生まれる新古典主義

新古典主義とは「おいみんな、いったん落ち着け。ローマ・ギリシャのころの重厚な表現を取り戻そうぜ」っていう考えのもとで流行った美術様式です。ここでの「古典」とは「ローマ・ギリシャのころの建築・彫刻」を指します。当時の建築ってのは装飾的なものはなくて、とにかく「シンプルかつ正確」でした。こうした「教科書通りの作品をつくろう」ってなったわけです。

ではなぜ、新古典主義が出てきたのか。前々回の記事をご覧いただくと分かると思いますが、18世紀初頭のロココ美術はとにかく思考がパリピです。ルイ14世による圧迫感のある治世から解放されたフランス貴族たちが「よっしゃ、自由だ! 豪華でゴッテゴテに装飾したインテリア作るぞ!」とか「愛人とイチャついているところを描いてくれ」みたいに発注することで作品ができていました。

バロック・ロココの派手な表現の反動で生まれる新古典主義
Jean-Honoré Fragonard


ちなみにその前の16〜17世紀のバロック時代にはカトリック教会が信者を増やすために“かなり盛って”描かれたオーバーな表現の作品がよくつくられた時代だったんですね。つまり200年くらいにわたって、派手な表現に重きが置かれていたんです。

それに美大(アカデミー)の先生はもう半ギレ状態です。前回の記事でお伝えしたように、アカデミーの考え方は「古き良きルネサンス期の絵画を描こう」というものです。「派手な色彩表現とかもういいから。ちゃんとデッサンを学んで美しい『線』を選んで描きましょう」と考えていました。


ヘルクラネウムとポンペイの遺跡が見つかりレトロブームに
High Contrast


そんななかイタリアでヘルクラネウム、ポンペイの遺跡が見つかります。当時の人たちからしたら大ニュースですよ。「古代人がおもろい!」みたいな。今だと月刊ムーくらいしか取り扱わなそうなニュースがイタリア全土を席巻します。ここで古代遺跡がブームになるわけです。

古代ギリシャ・ローマへの関心が高まるなか、ロココのときの熱狂はどこへやら、新古典主義の思想のもと「教科書通りのデッサンを大事にした絵を描こう」というのがブームになるんですね。

新古典主義の特徴は「しっかりデッサン」「理性的・倫理的」
では新古典主義の特徴はどんな感じなのか。主に以下のような特徴があります。

● 理性的で倫理観に即したテーマ
● 歴史画、神話画、肖像画などの道徳的なモチーフ
● しっかりとしたデッサンと正確な線で描かれる写実主義な絵
● 誰が見ても安心できる上品さ

まずは「思考」ですが、これは「倫理観を大事にしよう」というものでした。古代ギリシャ人・ローマ人は「丁寧な生活をして徳を積んでいこ!」みたいな風潮だった。そこで新古典主義では、まず芸術家の姿勢として「理性的に生活してください」となったわけです。

こうした思考に基づいて作品がつくられます。なので過度に派手でない色彩で描かれており「しっかりデッサンした『正確な線』」のほうに重きを置いています。またロココのときにはかなり甘美なムードが漂っていましたが、新古典主義になってテーマも重厚になります。
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ロマン主義
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教科書通りで理性に重きをおいた新古典主義に対抗して出てくる「ロマン主義」は画一化された絵の描き方に比べて「もっと個人の感覚を大事にしろや!」と出てきた考え方になります。

今回は新古典主義から抜け出して「自分の表現」を一心不乱に追いかける「ロマン主義」について紹介。新古典主義と同時代のブームです。新古典主義とロマン主義は西洋美術史最大といってもいいライバル関係でした。

1700年代の後半は新古典主義が絵画での主流となりました。まずはざっくり新古典主義を振り返ってみましょう。新古典主義とは「理性をもってきっちりした絵を描きましょう」という考えのもと発達したブームです。

その前にロココ美術という「とにかくド派手で豪華絢爛な作品」がもてはやされた時代があって、その反動で「ちょっといったん落ち着け」となったんですね。

また新古典主義ってのは「ナポレオンのプロパガンダに利用されていた」という背景もあります。だから戦場の軍人を描く絵もすごく多いんですね。きっちりと重厚なタッチで描かれる戦争画は、めっちゃかっこいいんですよ。

ただ、ナポレオンは1814年にボロ負けします。いよいよ絶望した彼は、最終的にフォンテーヌ宮殿で自ら毒をあおって死んだとされています。この時のフランスってのはけっこう残酷。ナポレオンが死ぬとともに、新古典主義の画家たちも国を追われるんですね。中心人物だったダヴィッドも亡命しました。

新古典主義が失速するとともにはじまるロマン主義
それでフランスは軍人による統治から、王政に戻るんですね。すると「戦争画とかもう古くね?」と手のひらを返されちゃうんです。だんだんと新古典主義の勢いがなくなるなか、出てきたのが「ロマン主義」です。

ロマン主義の語源は「ロマンス」です。ロマンスが生まれた背景をざっくり説明しましょう。このころローマ帝国では「書き言葉」と「話し言葉」に分かれていました。このうち話し言葉のほうを「ロマンス語」と呼んでいたんですね。それで、だんだんとロマンス語で書かれる文学・ロマンスが増えていくわけです。その解釈が文学以外にも広がって「古典(書き言葉)に対する文化」として「ロマン主義」といわれるようになります。

日本でいうと、平成の時代に流行った携帯小説とか、SNS上の連載小説とかが、まさしく「ロマンス」的な位置づけですね。昔の価値観に縛られない、あたらしい文化が誕生するわけです。このロマン主義がナポレオン失脚後に、もうとんでもなくめっちゃ人気になります。

ロマン主義とは新古典主義の対義語として出てきた言葉なんですね。新古典主義が「理性的」「合理的」といった面を重視していたのに対して、ロマン主義は「自分自身の感性を信じて描くぜ」というストロングスタイル。その結果「現実的にはあり得ない」とか「超見にくい」みたいな絵が完成したとしてもOKです。だって、それは自分の感受性だから。自分にしか分からない世界を描いているわけですからね。


新古典主義VSロマン主義が勃発

ナポレオン失脚後に「新古典主義」は完全に消えたわけではありませんでした。だいぶ
ダメージは受けていましたが「『正確な線』を重視した合理的で理性的な絵画こそが優れているのだ」と信じていたんですね。

そこに「自分の感性を信じるぜ」というロマン主義が出てきたわけで、お互いのやりたいことが真っ向から衝突するんです。ここから「新古典主義VSロマン主義」が勃発します。


「表現」の枠を広げたロマン主義

この後、ロマン主義によって、絵画は「自分の内なる表現」に向かっていきます。そして
印象派や後期印象派と進んでいくわけです。それまでは「線」を大事にする。つまり対象物の形をきっちりと書くという描き方がだったのが、ここで「色」、つまり表現を大事にするようになるんです。まさにロマン主義は「表現」の枠を広げたわけだ。

そんなロマン主義を契機として「印象派」「後期印象派」といった人が出てくるんですね。
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バルビゾン派
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前回の記事でロマン主義の名作として紹介したウジェーヌ・ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」が描かれたのが1830年。ちょうど同じ時期に「新古典主義vsロマン主義」とはほぼ関係なく、フランスのバルビゾン村で発生したのが「自然主義」です。

今回はそんな画壇の中心部からは逸れたところで、のんびり「あるがままの自然の姿」を描き「風景画」の初動をつくった自然主義者たち、通称・バルビゾン派についてご紹介しましょう。

バルビゾン派とは
バルビゾン派とは1830年ごろからフランスのバルビゾン村に現れた「イーゼルにキャンバスを入れて風景画や風俗画を描く」集団です。彼らの特徴はとにかくあるがまま、見たままの姿を描くということでした。これを「自然主義」といいます。

とにかく「無理に誇張したりせず自然な形で作品を作ろうぜ!」と考えたから「自然主義」です。例えば超絶カッコつけて盛り付けられた“映えっ映えなフランス料理”を見て「いやいや……普通でええわ。味変わらんから」と言っちゃうのが自然主義の精神性になります。

バルビゾン派の当時、まだまだ風景画や風俗画の世間的な評価は高まっていませんでした。というのもこれは第17回で紹介したんですが、当時はアカデミー(王立の美大)が設けた「絵画のモチーフヒエラルキー」がまだ残っていたんです。1位から「歴史画」「肖像画」「風俗画」「風景画」「静物画」というランク付けでした。

ただ、ちょっとずつヒエラルキーが見直されていた。それが分かるのが「ジョン・コンスタブルのサロン・ド・パリ金賞受賞」というニュースです。

バルビゾン派ブームの火付け役、イギリスのコンスタブル

ジョン・コンスタブルの肖像画


「ジョン・コンスタブルって急に誰よ」って感じですので、彼のことをざっくり紹介しましょう。コンスタブルは1776年、イギリスで生まれた画家です。ゴリゴリの田舎育ちでお父さんがトウモロコシ商人で製粉所とか持っていた。って感じののどかなところで育ちます。

彼は先ほど紹介したアカデミーで勉強をするわけですが、そのなかで新古典主義に対して「現代の大きな悪癖は、真実を超えた何かをしようとする華麗さです」といっています。つまり「神話・宗教画」全盛のアカデミーで「みんなかっこつけすぎやろ。もっと真実を描くべきだろ」とおもったわけですね。

そこで彼は、当時は超絶珍しかった「風景画家」になることを決意するんです。もちろん、当時は風景画で飯食うなんて考えられないことですので、たまに肖像画とか神話画も描いていますが、主にのどかな田園風景や畜産農家の絵を描き続けました。

ジョン・コンスタブル『ワイブンホー・パーク』



初期の彼のスタイルは「屋外でスケッチしてから室内で記憶を辿りつつ色を塗る」というものでしたが、1814年以降はスタイルを変更。完全に屋外で油彩を描ききるようになるんですね。これは「あるがままの真実を嘘偽りなくそのまま描く」という熱量があったからです。

そんな彼の作品は新古典主義の面々からは「なに、このふわっとした絵」みたいな感じで冷ややかにみられていましたが、ロマン主義の面々からは「すげぇ。この絶妙な色合い。高い技術力……これはすごい」と評価を受けるようになります。

そして1824年にはアカデミー主催の展覧会「サロン・ド・パリ」に「乾草の車」を出品し、なんと金賞を取るんですね。

ジョン・コンスタブル『乾草の車』



で、この展示を観たのが、主にフランスのロマン主義の画家たち。「おい、イギリスにヤバい風景画家がおる」と話題になるわけです。ドラクロワにいたってはこの絵を見て自分の代表作『キオス島の虐殺』の背景を塗り直しています。

現場で衝撃を受けまくったコロー

ジャン=バティスト・カミーユ・コローの肖像写真(ナダールにより撮影)


そんな現場で衝撃を受けた1人がジャン=バティスト・カミーユ・コローという画家でした。コローはこの展示のあと、1829年から早速、バルビゾン村のフォンテーヌブローの森にいってイーゼルを立てて、戸外制作をしています。

ジャン=バティスト・カミーユ・コロー『フォンテーヌブローの森の眺め』


ちなみにコンスタブルしかり、この当時の戸外制作って実はシンプルな課題がありました。それが「絵の具がすぐ乾いちゃう」っていう……。当時の油絵具は今みたいなチューブ型のものじゃありません。だから、顔料の粉を油で混ぜて、乾かないように動物の膀胱に入れて持ち運ばなきゃいけなかったんですね。今考えたらヤバいですが、当時の戸外制作の風景画家たちは、みんな動物の膀胱を持ち歩いてました。

だんだん盛り上がるバルビゾン派

テオドール・ルソー『バルビゾン村の風景』


そんなコローの登場から約10年、1840年ごろバルビゾン派が本格的に形作られていきます。ちなみにコローは1840年までの間に、テオドール・ルソー、ポール・ユエ、コンスタン・トロワイロン、ジャン・フランソワ・ミレー、シャルル・フランソワ・ドービニーなどバルビゾン派のメンバーとコミュニケーションを取っていました。

で、1860年代に入ると、モネやルノワール、シスレーなどが、バルビゾン村までイーゼルと絵の具を担いで、えっほえっほとやってきて、屋外で風景画を描くようになります。こう、だんだんと椅子とイーゼル持ってきて、森で描く画家が増えてくるわけですよ。

それで1870年代になると、なんと100人以上がバルビゾン村、フォンテーヌブローの森で風景を描くようになるんです。もうなんか、鉄道オタク並みの大渋滞というか。「ちょっと前見えないんだけど」みたいなやり取りもありそうですよね。もしくは「サバゲ―」みたいな感じだったのかしら。「森に入ると、やたら画家に出くわす」みたいな。

バルビゾン派ブームの裏にあった「産業革命」や「進化論」
このバルビゾン派の自然主義的な発想の裏にあったのが「産業革命」やら「進化論」です。イギリスでは1830年代ごろから産業革命が起きました。これによって何が起こったのか、というと「大量生産」ができるようになるんですね。すると世間は完全にビジネス思考になっていきます。

またもう1つ大きかった大事件が1859年のダーウィンの「種の起源」の発表でしょう。ヨーロッパでは特に、これまでの期間で「人間は神が創造した」という超ファンタジックな考えが主流だったのが「もともと微生物で、猿から進化したんだよ~」ってのが発表されたわけです。

この2つのニュースによって「ちょっともうファンタジックなことばっか言ってちゃだめだな」と。「もうちょっとあるがままの現実見ないとな」と意識改革が起きるんですね。

ちなみにこの動きは13世紀ごろのイタリアで起きた「ルネサンス」にとってもよく似ています。何かビジネス面で革命が起きると、世間はかなりリアリストになり、現実を超えたこととか、バカバカしいことを受け入れられなくなるんです。

ちなみに、個人的にはこの「地球レベルのビジネス思考化」ってのがAIが発達した始めた今起きているんじゃないかなぁ、とか思ったりすることがあります。

100人以上の画家集団のなかでも特にすごかった「バルビゾンの七星」


ジャン=フランソワ・ミレー『落穂拾い』



そんな「あるがままの自然や風俗を描こうぜ」というバルビゾン派ですが、特に代表的な画家を「バルビゾンの七星」といいます。以下の7人です。

● ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
● テオドール・ルソー
● コンスタン・トロワイヨン
● ジャン・フランソワ・ミレー
● シャルル・フランソワ・ドービニー
● ナルシス・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ
● ジュール・デュプレ

なかでもミレーは日本でも「落穂拾い」で有名な画家ですね。バルビゾン派は先述した通り「風景」を書く人が多いんですが、彼は「農民」をはじめとした風俗画を描いています。「晩鐘」とかもそうですね。これは「産業革命」によって機械化が進む世間へのアンチテーゼ的な意味も込められていました。だからミレーの絵は西洋美術だけでなく社会学としても使われることが多い。

そのほか、例えばトロワイヨンはひたすら「動物」ばっかり描いていたり、ドービニーは森よりも水辺が好きでセーヌ川ばっかり描いたりしています。バルビゾンの七星は、同じ村にいたのですが、それぞれ特徴が微妙に違うのもおもしろいところです。


バルビゾンの精神は印象派に引き継がれる

ということで、今回はバルビゾン派についてご紹介しました。実はバルビゾン村で戸外制作をしていた画家のなかには、七星以外にも外せない人物がいます。それが「モネ」「ルノワール」「シスレー」など。そう、のちに印象派として風景画の地位を大幅に高めるスターたちが、この時期に制作をしているんですね。
https://irohani.art/study/6885/


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新古典主義の画家・彫刻家

ジャック=ルイ・ダヴィッド Jacques-Louis David(フランス パリ 1748年8月30日 - 1825年12月29日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16833204

ジョゼフ・ターナー Joseph Mallord William Turner(イギリス ロンドン 1775年4月23日 - 1851年12月19日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832192

ドミニク・アングル Jean-Auguste-Dominique Ingres(フランス パリ 1780年8月29日 - 1867年1月14日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832191


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ロマン主義の画家・彫刻家

テオドール・ジェリコー Théodore Géricault(フランス ルーアン 1791年9月26日 - 1824年1月26日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832190

ウジェーヌ・ドラクロワ Ferdinand Victor Eugène Delacroix(フランス サン=モーリス 1798年4月26日 - 1863年8月13日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832189


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バルビゾン派・写実主義の画家

ジャン=バティスト・カミーユ・コロー Jean-Baptiste Camille Corot(フランス パリ9区 1796年7月16日 - 1875年2月22日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832188

テオドール・ルソー Théodore Rousseau(フランス パリ 1812年4月15日 - 1867年12月22日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832186

ジャン=フランソワ・ミレー Jean-François Millet(フランス グリュシー 1814年10月4日 - 1875年1月20日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831814

ギュスターヴ・クールベ Gustave Courbet(フランス オルナン 1819年6月10日 - 1877年12月31日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831815



写実主義の彫刻家

オーギュスト・ロダン François-Auguste-René Rodin(フランス パリ 1840年11月12日 - 1917年11月17日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831688

アントワーヌ・ブールデル Antoine Bourdelle(フランス モントーバン 1861年10月30日 - 1929年10月1日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16834959

マイヨール Aristide Bonaventure Jean Maillol(フランス ピレネー=オリアンタル 1861年12月8日 – 1944年9月27日)
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11:777 :

2024/01/02 (Tue) 08:31:56

印象派
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バルビゾンの森に出現していた印象派

19世紀の前半にフォンテーヌブローの森には100人くらいの画家が出現しました。「天気のいい日にお外で風景とか市民の姿を描くぞい」という運動が起こるんですね。

バルビゾンはなぜ戸外活動をしていたのか。それはお外の木々や河川、農民たちの姿を光景を可能な限り、そのままキャンバスに落とし込みたかったからです。それまでの絵画は見たままの光景をあるがまま描くようなことはしません。あえていうと「ちょっとカッコつける」んですね。

例えばインスタで「今日のランチは無添加サラダでーす♪」とか投稿するときって、たとえ食べかけでもちょっと整えると思います。あれがそれまでの手法だとすると、バルビゾン派は食べかけのシーザーサラダでドレッシングとか卵黄とかごちゃまぜになってても、そのまま投稿するような思考です。

そんなバルビゾンの森には「クロード・モネ」や「オーギュスト・ルノワール」といった画家もいました。そんなモネやルノワールといった画家たちが、1860年代あたりから始めるのが「印象派」なんです。


印象派は古典主義より「実際の風景」を重視した

そんな印象派の画家たちには、先ほどのモネやルノワールのほか、シスレー、ドガ、ピサロ、セザール、セザンヌなどがいました。

彼らはもちろん、古典主義的な絵は描きません。古典主義は「歴史画」「肖像画」「風俗画」「風景画」「静物画」というランク付けのもと、実際に見える世界よりも文学性の高い神話の世界を描こうとする考え方です。以前の記事でも紹介していますので、そちらも参考にしてみてください。

ただ印象派の面々は「いやいや、そんな空想上の話より、三次元のことを正確に描くほうがリアルで大事なことだろ」と思っていたんですね。前回の記事でも軽くお伝えしましたが、1859年にダーウィンの「種の起源」が発表となり「人は神が作った」という考えから「普通に猿から進化した」というのが分かってきます。リアルなことが重視されはじめた時期だったんですね。

そんな「リアリティが大事!」という考えを大事にしたうえで、印象派は外の光、また空気の流れまでを再現しようとするんです。


ピエール=オーギュスト・ルノワール『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』


印象派が確立した「筆触分割」

そんな印象派の特徴的な表現の1つである「筆触分割」について触れておきます。

それまでは色をつくるときってパレットの上で混ぜてつくるしかありませんでした。例えば紫を作りたいときって青と赤を混ぜますよね。ほとんどの小学校の美術の時間では、そう習ったはずです。

ただこの手法だと「混ぜているうちにどんどん黒に近づいていっちゃう」というデメリットがあります。これは外の光をそのまま描こうとする印象派的に、完全にアウトなんですね。

そこで印象派は「筆触分割」という手法を多用するんですね。ちなみに、この手法自体は1800年代の前半からあり、ロマン主義のウジェーヌ・ドラクロワが使っていることでも知られています。

ざっくり概要を伝えると「隣同士に異なる色を配置することで、人間の網膜を錯視させる手法」です。緑と黄色をペタっ、ペタって感じで塗るというより「置く」。すると、引きで見たときに人の網膜は勝手に黄緑に見せるんですね。


ピエール=オーギュスト・ルノワール『陽光の中の裸婦』


だから印象派の絵って、それまでの絵画に比べると絵のタッチがはっきり分かるんです。


サロンで評価されなかった印象派画家たち

そんな斬新な手法を生み出した印象派ですが、サロン・ド・パリ(通称・サロン)ではまったく評価を受けませんでした。サロンというのは古典主義に没入していた国立美大が運営していたんです。つまり、まず風景画ってだけでちょっと不利。しかも、この筆触がはっきり残っている手法ってそれまで観たことないわけです。

だから「え? なにこれ、下書きなん?」と、もうボロクソに叩かれまくります。それに印象派の画家たちは「保守派過ぎるやろ。新しい表現も認めろや」と完全にキレかかっていたわけです。

そんな怒りが頂点に達したのが1863年、印象派のリーダー的存在だったエドゥアール・マネの「草上の昼食」が落とされたときです。マネは当時の貴族の中でブームだった「裸の娼婦を連れてピクニックにいく」という遊びをそのまま描いたんですね。


エドゥアール・マネ『草上の昼食』


ことわっておくと、マネは印象派のリーダー的指導者ですが、目指していたことは印象派とは違います。印象派は「黒使うの禁止な!」と仲間内で約束していましたが、マネは「いやいや、黒いるやろ」と使い続けています。

この1963年のサロンでは「草上の昼食」をはじめ、印象派の絵がかなり多く落とされた年であり、落選数の多さに、当時のフランス皇帝・ナポレオンが「落選者展」を開催したほどです。そこで「草上の昼食」はめちゃめちゃスキャンダルを起こします。なぜなら、とうじ裸婦像は宗教画でしか許されなかったものだったんですね。「現実世界の女を裸で描くとは何事か!」ってなるんです。

「もう自分たちで展覧会開こう!」と考えた印象派のパンク魂

クロード・モネ『印象・日の出』


そんな印象派たちは「もうサロンが評価してくれないんやったら、自分たちで展覧会開催しようや」と思い立ち、1973年に「第一回印象派展」を開催します。

その展覧会には保守的な批評家がやってきて「実像がない印象みたいな絵ですな(笑)」「その通りですな(笑)」と酷評されるんですね。ちなみに「印象派」という名前はこの批評家のセリフから付けられた名前です。古き良きサロンとしては、この新しい表現を認めるわけにはいかなかったんです。

しかし印象派は市民たちには支持されるんです。この背景には先ほどの進化論をはじめ、産業革命によって「フランスの国全体がリアリストっぽい考えになっていたこと」があります。また、1841年にはフランスのストラスブール~バーゼル間にヨーロッパ初の国際路線が開通していました。これによって「風景」の需要が高まっていたこともあります。

実は画壇ばっかりが「絵画はしっかりしたデッサンで宗教画(神話画)を描けよ」と言い続けていたわけで、市民は「風景がいいじゃん。印象派の絵って、家に飾っておきたい感じするよね~」と肯定的だったんですね。


結局、印象派展に参加しなかった指導者・マネ

エドゥアール・マネ『ル・ボン・ボック』


「指導者だが印象派でない」という微妙過ぎるポジションだった画家・マネについて触れておきましょう。印象派展は第8回まで開催されますが、マネは1度も参加していません。

というのも、彼は「サロンの古い考えを新しい展示会で改革しようや」という印象派たちの考えには賛同していないんですね。それより「あくまでサロンで勝負すべき」と考えていた。印象派の面々よりも保守的だったんですね。言い方を変えると「あえてアウェーでサロンの古い考えを変える」ために挑んだ人です。

だから印象派とは距離を置いているわけです。ただモチーフはサロン好みの宗教画や神話画ではない。都市部の人の生活を、あくまで「あるがまま」に描きました。ちなみに彼自身が上流階級だったので、上流階級の人の生活を良く描いています。酒を飲んで女性といちゃついている人の生活をそのまま描いていた。

だから当時の批評家たちはマネを「印象派」と勝手に括っちゃったわけです。今でもマネは印象派の一員と紹介されがちですが、実は微妙に違います。
https://irohani.art/study/7039/


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新印象派・後期印象派
https://irohani.art/study/7160/

芸術の都・フランスにおいて、国全体は「神話画や宗教画といった重厚なストーリーのある西洋絵画こそが正解だ」としていた。国営の展覧会・サロン・ド・パリ(通称・サロン)を開いて、その基準に当てはまった作品のみを評価していたわけです。

しかし印象派は「見たままの光景をそのまま描くこと」に重きをおいており「色彩は光から生まれる」と思っていた。だから女神とかキリストとか出てこない風景画や人物画を描くんですが、当然サロンからは評価されない。あまりに自分たちの作品が評価されないんで、自発的に「印象派展」を開催し、そこにカウンターパンチを食らわせる……といったストーリーを紹介しました。

今回はそんな印象派の姿勢を、さらに自分たちなりの解釈で広げていく「新印象派・後期印象派」について、楽しく見ていきましょう。


印象派以降「サロン第一主義」は壊滅する

印象派が自分たちで開催した「印象派展」は1874年から1886年に開かれました。印象派たちが世間から認知されていく一方で、国営のサロン・ド・パリはものすごい勢いで力を失っていきます。

簡単におさらいをすると、1860年代までの画家にとって「サロン」というのは「唯一の登竜門」みたいなものでした。「サロンに認められたら絵の依頼が来るし、逆にサロンではじかれたら、画家として飯を食うのは難しい」くらいのレベルです。

ただ時代が進むに連れて「そんなん閉鎖的過ぎるやろ。多様化を認めろよ」という動きが出てくるんですね。以前の記事で描いた通り、ジェリコーやドラクロワの「ロマン主義」が出てきて「古い神話の絵とか人の心に響かなくない? 事実を描いた作品のほうが心にくるじゃん」みたいな思想が表立ってきます。印象派も同じような思考でリアリティのある写実的な絵を描きました。

そんななか、1870年ごろになると、サロンも「うーん、さすがにちょっと考えを変える必要があるんかもなぁ」と思います。それで印象派の源流でもあるバルビゾン派出身の画家、コローやミレーなどを選考委員に入れてみるんですね。

この後は「コローとかミレーが選考委員にいたら印象派の絵がサロンで入選するが、いなかったら落とされる」という、何とも一貫性のない状態になっちゃいます。そんななかで印象派は1874年、「もうサロンとか頼らんわい!」と印象派展を開催したんです。

1880年になると、印象派展の認知度も高まってきて、サロンは「もうちょい前衛的な絵にも寛容にならなきゃかもなぁ。ちょっと審査委員の幅を広げてみようか」って思うんですね。あの、最近「キング・オブ・コント」の審査委員が一気に若返りましたが、あんな感じです。

ただやっぱり「何百年も続いた慣習を見直す」ってのは簡単じゃない。この改革案に昔からの審査員は反対勢力も生まれます。で、サロンはもう大混乱しちゃうんです。評価軸がわからなすぎて、例年の倍以上の作品を入選させたりするんですね。

そんなごたつきがあり、結局サロンは1881年から民営化されます。また同時期から1890年代にかけて「サロン以外の民営展覧会」がたくさん出てくる。画家や画商たちは“一匹目のペンギン”である印象派展の成功をみて「サロンも国営じゃなくなったし、もう頼る必要はないだろ」って思ったんです。

すると画家の仕事の取り方自体が変わってくる。「サロンで認められて世間的評価を高める」じゃなくて「民営の展覧会で画商や批評家から評価をもらって、画家と依頼主とをつなぐ」という形になります。

だから当然、画家や作品も多様化していくんですね。それまでは「サロンでウケる画風」で描かなくちゃいけなかったけど、この時代からは「あくまで自分の表現したい形で作品をつくる。一部の画商・批評家が作品を評価してパトロンとつなげる」という形で画家はお金を稼げるようになるんです。

そんな背景があったうえで、新印象派・後期印象派をみてみると、ちょっとこの時代の西洋美術が分かりやすくなるかもしれません。

スーラやシニャックらによる「新印象派」の登場

ジョルジュ・スーラ『グランド・ジャット島の日曜日の午後』


そんな過渡期に発生した画家を新印象派・後期印象派といいます。広義で後期印象派という画家軍があって、新印象派が内包されるイメージです。

前回の記事でお話ししましたが、印象派の面々は「筆触分割」というテクニックを使って絵画作品に色を塗りました。筆触分割とは異なる色を隣同士に配置することで人間の錯視を誘発させ、あらたな色を作るものです。

それまでは基本的にパレットの上で色を混ぜて作っていた。ただ色は混ぜれば混ぜるほど黒に近づいていくんですね。印象派は基本的に「お外で風景の美しさとか光の加減を描こう」という意識なので、色彩が暗くなるのが根本的にNGなわけです。それで、あえて色をほとんど混ぜずに隣同士に配置することで表現をしていました。

そんな筆触分割を論理的に極めた画家が「ジョルジュ・スーラ」です。スーラはものすごく計画的に色の配置を決めたうえで、精密に精密に筆触分割を進めました。その結果、行きついたのが「点描」なんです。つまりミリ単位で筆触分割をおこなうわけですね。この点描の表現はポール・シニャックへと引き継がれていきます。


ポール・シニャック『七色に彩られた尺度と角度、色調と色相のリズミカルな背景のフェリックス・フェネオンの肖像』


「誰の作品でも展示するよ~」というアンデパンダン展の開催

ジョルジュ・スーラ『アニエールの水浴』


スーラの点描は、印象派が目指す筆触分割の完成形ともいえるものでした。彼は1883年に彼は「アニエールの水浴」という作品を作ります。彼はこれを当時民営化していたサロンに持っていくわけです。しかしサロンは「なにこれ……点描じゃん。どう評価したらええんこれ」と落選にします。サロンはまだまだ保守的なんですね。

それでスーラは「もう、サロンとかどうでもいいわ。もうなんか、思考がおじいちゃん過ぎるわ」と幻滅。友だちのポール・シニャックらと「独立芸術家協会」を設立し「アンデパンダン展」を開催するんです。

これは「賞とかないけど、審査なしで誰のどんな作品でも展示するよ」というコンセプトです。今でいうとpixivみたいな場所を作ったんですね。これは保守的なサロンへのカウンターでした。

アンデパンダン展はのちにゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ムンク、ルドンなどの画家が出品をしており「美術の多様化」にものすごく大きく貢献した場です。現在でも日本をはじめ、各国で毎年開催しており、いまだに「新しい画壇のスター」を生み出す展覧会として機能をしています。

そんな偉大な場所を生み出したスーラやシニャックの点描画は、印象派のピサロから「お前たちの作品すげぇな。印象派展にも作品をだしてくれよ」とお声がかかるわけです。

それで彼らは1886年、第8回印象派展に点描画の作品を出品するんですね。ちなみに、新印象派の参加に対して、古参のモネなどは「いや、ちょっと俺らと目指してるところ違うわ」と反発します。板挟みのピサロは「まぁまぁ、新しい表現からも学ぼうや」みたいになだめるんですが、結局モネグループはいじけちゃって、第8回印象派展には参加していません。


脱・印象派! 幅広い展開を始める西洋美術

では新印象派以外の画家にも目を向けてみましょう。

この後期印象派の時期にはスーラやシニャック以外にも、たくさんの著名な画家が誕生します。ただ先述した通り「画風」はまったく一致していません。後期印象派のなかでも「ポール・セザンヌ、ポール・ゴーギャン、フィンセント・ファン・ゴッホ」は御三家といわれます。

なかでもぶっちぎりの主要人物は「近代絵画の父」といわれる、ポール・セザンヌです。

印象派の絵を「永久のもの」にしようとしたポール・セザンヌ

ポール・セザンヌ『リンゴと静物』


セザンヌはもともと印象派の画家でした。ただ彼は「風景や人の一瞬を切り取る写実的表現ではダメだ」と考えたんですね。どういうことかをざっくり紹介しましょう。

印象派は「見たまんまの姿を極力そのまま描こうぜ」って考えていました。例えば「リンゴ」を書くときに、光の当たり方や、光による色合いの変化をできるだけ忠実に再現したんですね。

つまりそのリンゴは「〇月〇日〇時〇分〇秒に〇〇県〇〇市〇番地〇-〇」で描かれた対象物なわけです。超具体的なもので、その一瞬しか存在しない光景を絵にしていました。

いっぽうで、セザンヌは「その一瞬だけじゃなくて『永続的で普遍的なもの』として対象を描きたいんだよなぁ」と思っていたんです。「〇時〇分〇秒のリンゴ」じゃなくて「これぞリンゴ!」っていうのを描きたかった。

だから具体的に描かれた対象を究極までデフォルメ、抽象化していきます。例えば彼は「木の幹は円柱、オレンジ・リンゴは球で構成されている」と分析しています。 対象物を細かく分解して、頭のなかでシンプルな形に置き換えて再構築していくわけですね。


ポール・セザンヌ『リンゴとオレンジ』


すると絵も単純化されていきます。例えば「絵の遠近感がない」や「赤を強調してリンゴを描く」などがセザンヌの絵画の特徴です。すると「1つの絵のなかで多角的な視点の対象物」があらわれてくる。上の「リンゴとオレンジ」では中央、右、左で別々の視点から描かれているのが分かると思います。

これは当時めちゃめちゃセンセーショナルだったわけです。というのもルネサンスの時期に建築家のブルネレスキやダ・ヴィンチが遠近法を発明してから、400年くらい「見た光景を遠近法を駆使しながらちゃんと写実的に描く」というのは常識だったんですね。セザンヌの作品は、そんな「当たり前」をぶっ壊したわけだ。

セザンヌの影響を受けたゴーギャン、ゴッホなどのアーティストたち

ポール・ゴーギャン『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』


そんなセザンヌの作品は斬新すぎて、そりゃもう気持ちいいくらい評価されません。当時の人からしたら「ただのパースが崩れたド下手な絵」なんです。ただ、キャリア後期になって、ポール・ゴーギャンやフィンセント・ファン・ゴッホといった、前衛的な画家が彼を支持し始めます。

セザンヌは絵が売れないうえに妻子がいたので、かなり長く極貧生活を続けていて、一時期は絵の具の代金として自分の絵を渡していました。ゴッホの絵で有名な通称・タンギー爺さんのお店です。


フィンセント・ファン・ゴッホ『タンギー爺さん』


ゴーギャンやゴッホはそんなタンギー爺さんの店で、セザンヌの絵を買うくらいファンだったんですね。結果的にセザンヌの絵の代金をゴーギャンやゴッホが支払うみたいな……ものすごく奇妙な売買をしていました。

繰り返しますが、3人とも画風や表現したかったことは違います。ただ「遠近感のない作品が多い」「対象をデフォルメして描くことが多い」など、共通点も多いです。そんな背景にはセザンヌの革命があったんですね。


「個の時代」に移ろっていく1890~1910年代

フィンセント・ファン・ゴッホ『星月夜』


今回は後期印象派の時代について紹介しました。サロンという大きな存在が権力を失って、画家独自の表現が一部の画商や批評家に認められることで、仕事を得ることができるようになっていった時代です。

西洋美術史のこれまでの変遷では「〇〇派」「〇〇主義」という括りで進んできましたが、このあたりからは、だんだんグループでまとめるのが難しくなっていきます。

最近でも「個の時代」という言葉が流行ってYouTuberやインフルエンサーが増えていますが、近しいものがあるかもしれません。先ほどアンデパンダン展とpixivを並べましたが、すごく似ていると思います。

当時は民営の展覧会ができて多様化が進みました。今はSNSが生まれて多様化が進んでいる。プラットフォームが誕生することで「自由に表現できて、個性を認めてくれる人に出会える」という時代になっていくわけです。
https://irohani.art/study/7160/


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印象派の画家

エドゥアール・マネ Édouard Manet(フランス パリ 1832年1月23日 - 1883年4月30日)
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クロード・モネ Claude Monet(フランス パリ 1840年11月14日 - 1926年12月5日)
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ピエール=オーギュスト・ルノワール Pierre-Auguste Renoir(フランス リモージュ 1841年2月25日 - 1919年12月3日)
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新印象派の画家

ジョルジュ・スーラ Georges Seurat(フランス パリ 1859年12月2日 - 1891年3月29日)
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ポール・シニャック Paul Victor Jules Signac(フランス パリ 1863年11月11日 - 1935年8月15日)
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後期印象派の画家

ポール・セザンヌ Paul Cézanne(南フランス エクス=アン=プロヴァンス 1839年1月19日 - 1906年10月23日)
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ポール・ゴーギャン Eugène Henri Paul Gauguin(フランス パリ 1848年6月7日 - 1903年5月8日)
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フィンセント・ファン・ゴッホ Vincent Willem van Gogh(オランダ南部ズンデルト 1853年3月30日 - 1890年7月29日)
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12:777 :

2024/01/02 (Tue) 12:33:03

象徴主義、アール・ヌーヴォー(新しい芸術)
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今回は、後期印象派と同時代に生まれた「ポスター美術」「象徴主義」「世紀末芸術」についてご紹介します。画家にとって発表の場が増え、前衛的な表現が活性化していくこの時代、「愛」や「死」といった「なんだかちょっぴりスピリチュアルな思想」を描いた作品が次々に生まれていきます。いったいどうして画家たちは、こうした人間の内面を表現したいと思ったのでしょうか。その理由と作品を一緒にみていきましょう。

象徴主義とは
まずは「象徴主義って何なのか」についてご紹介しましょう。象徴主義とはひと言でいうと「目に見えない神秘的なものを大事にしようぜ」という運動です。印象派とほぼ同時の1800年代の後半ごろから、主にフランスやベルギーでがっつり流行しました。

「目に見えないもの」とは愛、喜び、死、不安、悲しみとかです。つまり自分のなかに存在する感情をキャンバスに落とし込んでいったわけですね。こう、自分の内面と格闘しながら感情をキャンバスにぶつける、みたいな。「これぞアーティスト」っていう感性を大事にした運動でした。象徴主義の主な画家は以下の通りです。

● ギュスターヴ・モロー
● オディロン・ルドン
● エドヴァルド・ムンク
● グスタフ・クリムト
● ポール・ゴーギャン
● ジョン・エヴァレット・ミレー


ちなみに同時代には「印象派」が現れています。前回、前々回の記事でお伝えしましたが、印象派の思想はマジでまったく真逆です。彼らは「目で見たものをそのまま描く」という写実主義に重きを置いていました。

じゃあ何で「目で見たものを描きたい」と「見えないものを描きたい」という両極端な運動が同時に起こったのでしょうか。それを紐解く鍵は「産業革命」にあります。

生活スタイルを大きく変えた第二次産業革命
産業革命は全部で3回に分けられます。一次は1700年代後期~1800年代初期の軽工業、二次は1800年代後期から1900年代初期の電気・化学・出版工業など、三次は1900年代半ばからのコンピュータ産業です。

なかでも第二次産業革命のインパクトは凄まじいものでした。エジソンの時代ですね。飲料や洋服が機械によって大量生産できるようになり、鉄道や蒸気船ができて輸送手段が広がった。また蓄音器ができて、音楽を楽しめるようになったほか、映画やラジオといったエンタメもこの時代に生まれます。
産業革命によって「目に見えるものが大事」という感覚に
そんな産業革命の「機械化による大量生産」ってのはインパクトが大きかった。それまでは手で一つひとつ作っていたんですが、同じ時間で何百倍のものを作れちゃうわけです。すると値段も下がる。作れば作るほど売れていく。世界には「モノ」が溢れるわけですね。

そんな大量生産の時代において、人の感覚も「モノを持つことが大事」「財産を持っておくことが大事」「機械って最高! 機械バンザイ」という感じになっていきます。これは最近の「AI黎明期」とか「SNS黎明期」と同じですよね。「自動化って楽ちん」「近くの友だちより顔も知らないフォロワー」みたいな感覚になってきたはずです。
大量生産の反動で起こった「アーツ・アンド・クラフツ運動」
ただ、一方でさまざまな反動が起こるんです。

例えばイギリス機械化によって「安いけど粗悪なもの」が大量に出回るようになった。例えば「皿の型枠」をつくるときに「とりあえず正円で白だよね」という発想になると思います。すると何の創造性もない正円のお皿が大量に出回る。

これに対して産業革命の中心地・イギリスで異議を唱えたのがウィリアム・モリスさん。彼は「いやいや、ちゃんと創造的でイケてるものを作ろうよ。職人の技術を見直そうぜ」って思い「アーツ・アンド・クラフツ運動」を起こしました。

これによって生活必需品や消費物、ポスターなどにも、ちゃんと技術力の高い画家のデザインが組み込まれていくんですね。結局高くなっちゃうんですけど、アーツ・アンド・クラフツ運動はブルジョワ層に受けまくります。


アーツ・アンド・クラフツ運動の代表的なデザイナー、アーチボルド・ノックスのティーセット


ポスター美術

アーツ・アンド・クラフツ運動のなかで盛り上がったものの一つが「ポスター美術」です。このジャンルではアンリ・ド・トゥールーズ・ロートレックやアルフォンス・ミュシャといった人気画家が出てくるんですね。今でいうと中村佑介とか、長場雄みたいな感じで人気イラストレーターが現れるわけです。


アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック『ディヴァン・ジャポネ』


アルフォンス・ミュシャ『モード・アダムス演じるジャンヌ・ダルク』


上はロートレックによるパリの音楽喫茶「ディヴァン・ジャポネ」、下はミュシャによる名女優、モード・アダムス主演の舞台「ジャンヌ・ダルク」のポスター(一点もの)です。

これらのポスター美術では「アール・ヌーヴォー(新しい芸術)」といった様式が生まれます。さっきのアーツ・アンド・クラフツ運動に端を発したもので、ざっくりいうと「創造性が高くてお洒落なデザインをやろう」という考えです。例えば新しい素材(ガラス、鋼、鉄)をよく使ってインテリアや日用品を作りました。


エミール・ガレ『ユリとヒナギクの花瓶』
, Petit Palais


また「植物とか昆虫みたいな“自然物”って美しいよね」と思い、よく作品にあしらうようになった。先ほどのミュシャの「ジャンヌ・ダルク」では植物が装飾されていますが、これはまさにアール・ヌーヴォーの特徴です。自然的なものに美しさを見出したのも「機械化への反発」が含まれているのは間違いないでしょう。

ちなみにこの後1910~30年代になると「アール・ヌーヴォーのゴテゴテな装飾ってうざくね?」となり、安価で装飾の少ない「アール・デコ」が流行します。ただ、その後の1960年代に「装飾あったほうがお洒落やん」と、またアール・ヌーヴォーが流行ったり、最近では「ミニマリスト」が増えましたが、あれは思想的にアール・デコ寄りでしょう。こんな感じで、ヌーヴォーとデコは時代によって行ったり来たりしつつ、共存しています。


産業革命の「モノ最高!」に反対した象徴主義

さて、長いこと脱線しちゃいましたが、話を象徴主義に戻します。そんなこんなで産業革命によって世間は「大量生産最高!」ってなっていたんですね。象徴主義ではそんな「モノ至上主義」に対してカウンターパンチを入れました。「目に見えないものを表現することが大事だろ」って自分の精神世界を描くようになるんですね。それが先述した「愛」とか「死」とか「不安」とかなんです。

象徴主義はフランス、ドイツ、イギリス、ノルウェー、オーストリアなどで同時多発的に発生したのがおもしろいところ。当時のヨーロッパの人画家はみんな同じことを考えていたんですね。テーマは同じですが、作風は画家によって大きく違います。

例えば日本人にはもはやキャラクターとしてなじみ深い、ノルウェー出身のエドヴァルド・ムンクの「叫び」は代表的な作品でしょう。「ムンクの叫び」じゃないですよ。ムンクの「叫び」です。


エドヴァルド・ムンク『叫び』


ムンクは幼いころから母や姉を亡くしています。他の人より死との距離が近く、常に「死の不安」を感じていた。ものすごくメンタルをやられていた方です。そんなムンクはノルウェーの山々の叫びを橋の上で聞き、思わず耳を塞いだ。その光景を描いたのが「叫び」です。なので、叫んでるのはムンクじゃなくて、向こうの夕日に染まった山なんですね。

またフランスのオディロン・ルドンもこの時期の重要な画家です。


オディロン・ルドン『眼=気球』


彼もまた生まれてすぐに里子に出されたり、第一子を亡くしたりと、コンプレックスを背負い続けた画家です。初期のころは「ノワール」と呼ばれるモノクロのタッチの石版画をよく描き、キャリア後半は一点カラフルで華々しい絵を描くようになりました。

またオーストリアのウィーンでは「ウィーン分離派」と呼ばれる画家集団ができます。「古き良きサロンから分離しよう」と考えた集団です。フランスで印象派がやっていたことがウィーンでも起きるんですね。

なかでもグスタフ・クリムトと、その弟子、エゴン・シーレが中心人物です。


グスタフ・クリムト『接吻』


クリムトもルドンと同様、作風を変えた画家です。特に「金の時代」には金箔を多用するなど、それまでになかった表現にチャレンジしています。彼は長いこと「愛と死(エロスとタナトス)」をテーマに描き続けた画家です。

“超ちなみに”なのですが、彼はモデルと愛人関係になることで知られており、多い時には15人もの女性がクリムトの家で寝泊まりしていたという「モテ男っぷり」。ちなみに弟子のエゴン・シーレも女性問題で知られた画家です。やはり「愛」を追究していただけのことはあります。

「死」や「エロス」のモチーフとして描かれるファムファタルたち
そんな象徴主義のなかでよく用いられるモチーフが「ファムファタル」です。ファムファタルとは「男性を魅了し破滅させる女性」のこと。今だとルパン三世の不二子ちゃんが分かりやすいです。個人的にはアンパンマンのドキンちゃんも、ばいきんまんにとってはかなりのファムファタルだなぁ、と思ったりしています。

象徴主義の画家たちは、そんなファムファタルを「死」や「エロス」の象徴として描きました。例えばイギリスの画家・ウォーターハウスの「オデュッセウスに杯を差し出すキルケ」が有名です。


ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス『オデュッセウスに杯を差し出すキルケ』


キルケはギリシャの詩人・ホメーロスの「オデュッセイア」に出てくる魔女です。めっちゃ美人で「薬草や呪文などで人間を家畜に変えて操作する」という少年ジャンプみたいな能力を持っています。ナンパとかしようものなら「ちょっとお茶しな……」くらいのタイミングで豚に変えられちゃいます。めちゃめちゃ怖い女性です。絵のなかにも豚が転がってますが、こいつももとは人間だったのでしょう。

この時代は「チャーチスト運動」という労働者階級が選挙権を求めた運動が起こりました。そのなかには女性チャーティスト協会などの婦人団体も参加しており「女性の参政権」というテーマが盛り上がった時代でもあった。また1850年にはフランスではじめて女子の初等教育が義務化されました。

女性の社会進出も相まって、ファムファタルは盛り上がったんですね。

「画家の人生」がより重要になっていく象徴主義
こんな感じで象徴主義はみんな内省的な絵を描いています。ただ写実的なだけではなく、だんだんと「その画家の人生」が重要になっていくんですね。そのため、多様化しまくっており、まったく一貫性がないのが特徴の一つでもあります。

そして前回の記事でご紹介した通り、この時代から「サロン」という登竜門が失われたことで、画家は比較的自由に自己表現ができるようになりました。写実性はだんだんと亡くなっていき「いったい何を描いてるんコレ」という、あえていうと“ファンタジックな世界”に入っていきます。
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象徴派の画家・彫刻家

ピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ Pierre Puvis de Chavannes(フランス リヨン 1824年12月14日 - 1898年10月24日)
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ギュスターヴ・モロー Gustave Moreau(フランス パリ 1826年4月6日 - 1898年4月18日)
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オディロン・ルドン Odilon Redon(フランス ボルドー 1840年4月20日 - 1916年7月6日)
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アンリ・ルソー Henri Julien Félix Rousseau(フランス マイエンヌ県ラヴァル 1844年5月21日 - 1910年9月2日)
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ポール・ゴーギャン Eugène Henri Paul Gauguin(フランス パリ 1848年6月7日 - 1903年5月8日)
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グスタフ・クリムト Gustav Klimt(オーストリア ウィーン郊外 1862年7月14日 - 1918年2月6日)
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エドヴァルド・ムンク Edvard Munch(ノルウェー ロイテン 1863年12月12日 - 1944年1月23日)
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オスカー・ココシュカ Oskar Kokoschka(オーストリア ペヒラルン 1886年3月1日 - 1980年2月22日)
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エゴン・シーレ Egon Schiele(オーストリア ウィーン近郊 1890年6月12日 - 1918年10月31日)
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世紀末派の画家・彫刻家

フェルディナント・ホドラー Ferdinand Hodler(スイス ベルン 1853年3月14日 - 1918年5月19日)
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ジョヴァンニ・セガンティーニ Giovanni Segantini(イタリア アルコ 1858年1月15日 - 1899年9月28日)
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「アール・ヌーヴォー(新しい芸術)」の画家・彫刻家

アントニ・ガウディ Antoni Gaudí i Cornet(スペイン カタロニア 1852年6月25日 - 1926年6月10日)
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エミール・ガレ Charles Martin Émile Gallé(フランス ロレーヌ地方ナンシー 1846年5月4日 - 1904年9月23日)
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アルフォンス・ミュシャ Alfons Mucha(チェコ モラヴィア 1860年7月24日 - 1939年7月14日)
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ロートレック Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec-Monfa(南フランス アルビ 1864年11月24日 - 1901年9月9日)
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オーブリー・ビアズリー Aubrey Vincent Beardsley(イギリス ブライトン 1872年8月21日 - 1898年3月16日)
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13:777 :

2024/01/02 (Tue) 16:19:39

キュビスム
https://irohani.art/study/7444/

今回は20世紀前半の西洋美術史を語るうえで外せない「キュビスム」についてご紹介。みんな大好きパブロ・ピカソの、あの画風はなぜ誕生したのか? 背景にどんな考えがあるのかを楽しくみていきましょう。

フアン・グリス『ピカソの肖像』


そもそも「キュビスムってなんなのよ」って話からはじめます。キュビスムは英語でいうと「キュービズム」です。もっというとキューブイズム、つまり「立方体イズム」です。日本では「立体主義」と訳されますが、正確にいうと「立方体主義」です。1900年代初頭にパブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックが始めました。

私たちは何かを描くとき、基本的には自分の目でみた一方向からの視点だけで描くはずです。例えば「モナ・リザ」は、こんな感じで真正面の視点オンリーで描かれています。誰もモナ・リザの後ろ姿は知らないです。


レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』


キュビスムはいったん対象をいろんな視点からみて「解体」することから始めます。目の前にモナ・リザ(ラ・ジョコンダ)さんがいたとしたら、彼女を360度の全方位から見るんですね。「正面から観た目」「左から観た鼻」「斜め右からみた口」などの情報を吸収します。

で、その各要素を1つの画面に詰め込んじゃうわけです。いわゆる「ピカソの絵」の顔面があべこべなのは、こうした背景があります。


パブロ・ピカソ『ゲルニカ』(※壁画レプリカ)Allendesalazar Street


こんな思考で描かれた作品をジョルジュ・ブラックが1908年に個展で披露した際に、画家のマティスさんは「なにこれ斬新なんだけど! 幾何学とか立方体の集合で絵が描かれてるやん」と驚いた。だから「キュビスム」である。誤解してほしくないのは、キュビスムは必ずしも「立方体」じゃないということです。

幾何学的な表現の裏にある、セザンヌの構造主義
また。キュビスムのもう1つの特徴が、モチーフがむっちゃ幾何学的に描かれていることだ。遠近法とかまるで存在しない。人の顔なんて、もうマンガくらいざっくりしている。

私は小学生のころ、ピカソの絵を観て「え、なんこれ、下っ手ぁ~。このおじさんマジで才能ねぇ~」と率直に思ったが、いやいやもちろんピカソはキュビスムに行きつくまでにものすごく写実主義な絵を通ってきている。当時の私を「下手なわけないだろう~。世界でイチバン多くの絵を描いた画家だぞ~」って、よしよししながら諭してあげたい。

では、何がピカソやブラックを、こんなざっくりした表現に導いたのか。その背景には「ポール・セザンヌ」という近代絵画の父がいました。キュビスムは完全にセザンヌの影響を受けて描かれたんですね。

ここからは「セザンヌの何がピカソをキュビスムに導いたのか」について紹介します。

セザンヌは中学生くらいから絵を始めた人で、クラスメイトに小説「居酒屋」で有名なエミール・ゾラがいた。今でいうとサブカルマンガの話題で毎日盛り上がる中学生的な感じで、そのまま絵画スクールに入ります。

でも王立大学に落ちて、私立に入るんですね。そこで出会うのが印象派の面々です。以前の記事でもご紹介しましたが、当時は国が運営する展覧会・サロンが「絶対」の時代です。サロンでウケなきゃ飯食えないっていう時代でした。で、サロンが好む絵画作品はルネサンス期から長く続く「遠近法しっかり計算して……正確なデッサンをして……」っていう表現だったんですね。
でも印象派の面々は「そんなんおもんないやろ」と、反旗を翻すわけです。ただセザンヌは比較的、サロン寄りの絵を描くタイプだった。ただ、ぶっちゃけ初期のセザンヌは表現以前に、シンプルにあんまり絵が上手くなかったんですね。

それもあって、最初にサロンに出品した際に王立美大の学生たちから「なんだよその絵は(笑)。一回デッサン学び直したほうがいいんじゃね(笑)」と腹立つ感じで小馬鹿にされます。これはセザンヌにとって、一回絵をやめて地元に戻るくらいの大ショックでした。この人ほんとプライドがデカいんです。

1年後にまた私立のスクールに戻ってきて絵を再開するころには、セザンヌはもう殺し屋みたいな顔つきで「あのとき馬鹿にしたサロン大好き学生ども、見てろよこの野郎」って感じなんですね。で、ここからは印象派のスタイルに染まっていくわけです。

印象派のスタイルってのは「その瞬間の光景を描く」ということでした。筆触分割をすることで、自然のあるがままの色彩を大事にしたり、光の動きを再現したりしていたんです。で、印象派はサロンに対抗して「印象派展」を自主開催し、批評家からボロクソに言われながらもだんだんと知名度を高めていきます。

セザンヌも印象派展にちょいちょい出品するんですけど、これがほとんど評価されない。そんな生活がものすごく長く続きます。彼は40歳くらいまで親からの仕送りで生活していたくらいです。しかもなぜか妻子持ちだったからすんごい貧乏でした。

そんな40歳くらいからセザンヌは印象派の手法に疑問を持つんですね。「その瞬間の『光』ばっかり描いて、肝心の木々とか葉っぱの本質を描けていないんじゃないか」と思うわけです。

例えば印象派が描いていた「木」ってのは「1850年8月13日15時37分54秒にパリ市バルビゾン村5番地で観たケヤキの木」なんです。でもセザンヌは「超一般的で超永続的なケヤキの木」を描きたかったんですね。いつなんどき、誰が見ても分かる「ケヤキの木」です。その姿こそ「モチーフの本質だ」と思いました。

彼は「(印象派の代表的画家である)モネの目はハンパなくすげぇ。でもそれは『一つの目』でしかない」と言っています。つまり裏を返すと「世界中の全員の目で観て共感できるモチーフを描くべきだ」と考えていました。

そんな思考において、セザンヌは何をしたか。そのモチーフ自体を分かりやすく表現するために、複雑な構図をシンプルに、抽象的にしていくわけです。

・遠近感をなくした。
・リンゴは赤く、ミカンはオレンジに! と極端な色使いをした。
・リンゴやミカンは球体、木は円柱、山は円錐と捉えた
・1つのモチーフを解読するために多角的な視点から捉えた

こんな具合にモチーフを抽象化していくんですよね。これがセザンヌのやった革命です。西洋美術史はルネサンス以降、500年くらいずーっと「遠近感を大事にして、1つの視点から描く」ってのが暗黙のルールでした。しかしセザンヌは鮮やかにこのルールを破ってみせたんですね。
セザンヌの考えを深めた「キュビスム」に
そんなセザンヌは本当に長く認められないんですけど、おじいちゃんになって「新しい表現をやりてぇ」っていう、エネルギッシュな若い画家から尊敬されるようになります。そして亡くなったあとも回顧展が開催されました。その回顧展にきていたのがパブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックなんです。

彼らはセザンヌの表現をもとにして、同じように「遠近感をなくす」「モチーフを幾何学的にざっくり描く」「モチーフを解剖する」という実験をしました。これがキュビスムになっていったわけです。つまりキュビスムはただ「新しかった」というだけでなく、描く「対象物の本質を観ようとする」といった考えがあるわけです。
アビニヨンの娘たちから始まるキュビスム
そんな「キュビスム」の出発点ともなった作品がパブロ・ピカソの「アビニヨンの娘たち」でした。スペインのバルセロナのバイシュン婦5人を描いた作品で、当時「下品や下品!」とプチスキャンダルを巻き起こしました。

作品では顔も体も多角的な視点から描かれており、身体はやけにカクカクしています。女性の柔らかさではなく、もうなんかデフォルメし過ぎて「木材」みたいな感覚で描いている。明らかに異常で、当時は周りの画家も「おいおいピカソ、気が狂ったんちゃうか……」と心配したレベルでした。

しかしそんな批判に負けず、ピカソとジョルジュ・ブラックは以下のようにキュビスムを突き詰めていきます。
セザンヌ的キュビスム
1907年の「アビニヨンの娘たち」から始まった時代です。このころは風景画を多角的な視点でとらえる実験をしていました。セザンヌの影響をもろに受けていた時代ですね。


分析的キュビスム
1909年あたりからは風景画は書いておらず、特に人物画や静物画をよくキュビスム風に描くようになっています。このころには「対象を解剖すること」を突き詰めすぎて、ぱっと見「マジで何を描いているのかよく分からない作品」もめっちゃあります。

もう、タイトルを見て、なんとなく何を描いたのかが分かってくるっていうレベルです。対象を取り巻く360度全方向から見た光景を1つのキャンパスに落とし込んでいたんですね。


総合的キュビスム
この時代は絵でなく新聞の切り抜きや写真を貼り付ける、いわゆる「コラージュ」を始めています。ピカソはコラージュ表現を1920年代に入っても続けていました。次回以降で紹介するダダイズム・シュルレアリスムに通ずる表現となっています。

キュビスムはアフリカ美術からの影響も受けている
今回は20世紀初頭にムーヴメントを起こしたキュビスムについて紹介しました。ピカソとブラックの表現の裏には確実にセザンヌがいたんですね。ただし、どちらかというとブラックのほうがセザンヌからガッツリ影響を受けた画家です。

ピカソの表現の背景には「アフリカ美術」もあります。よく「アビニヨンの娘たち」はアフリカ美術のお面と似ているといわれる通り、「大きな目」をはじめとしてピカソの代名詞の多くはアフリカ美術から得ているものです。

彼は 「プリミティブな彫刻は絶対に超えられない」と口にしたことがあります。プリミティブとは日本語にすると「原始的」という意味になります。原始人ってほとんど動物で、本能の赴くままに獣を喰らい、洞窟で眠る、みたいなイメージありますよね。あんな感じでアフリカ美術の持つ「何の影響も受けておらず、本能のままに作られた美術作品」のエネルギーにピカソは惹かれたわけです。プリミティブだからこそ、奇妙奇天烈で斬新な発想の作品ができ上がるんですね。

それくらいピカソは「新しいもの好き」なんです。まだ観たことない表現をどんどん取り入れた人でした。「ピカソ=キュビスム」というイメージはありますが、実は彼がキュビスムをガッツリやっていた期間は数年です。どっちかというとブラックのほうがキュビスムに傾倒していました。
https://irohani.art/study/7444/


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キュビスムの画家

ポール・セザンヌ Paul Cézanne(南フランス エクス=アン=プロヴァンス 1839年1月19日 - 1906年10月23日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831645

パブロ・ピカソ Pablo Ruiz Picasso(スペイン南部アンダルシア地方マラガ 1881年10月25日 - 1973年4月8日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831647

ジョルジュ・ブラック Georges Braque(フランス アルジャントゥイユ 1882年5月13日 - 1963年8月31日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832149

マルク・シャガール Marc Chagall(ロシア ヴィテブスク 1887年7月7日 - 1985年3月28日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832039
14:777 :

2024/01/02 (Tue) 19:19:27

フォーヴィスム(仏: Fauvisme、野獣派)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%A0


フォーヴィスム(仏: Fauvisme、野獣派)は、20世紀初頭の絵画運動の名称。ルネサンス以降の伝統である写実主義とは決別し、目に映る色彩ではなく、心が感じる色彩を表現した。


歴史
1905年、パリで開催された展覧会サロン・ドートンヌに出品された一群の作品の、原色を多用した強烈な色彩と、激しいタッチを見た批評家ルイ・ボークセル(仏: Louis Vauxcelles、英: Louis Vauxcelles)が「あたかも野獣(フォーヴ、fauves)の檻の中にいるようだ」と評したことから命名された。

象徴主義の画家で、当時エコール・デ・ボザール(官立美術学校)の教授をしていたギュスターヴ・モロー[注 1]がフォーヴィスムの画家達の指導者であった。彼が弟子達に主張したのは、形式の枠組みの外で物事を考え、その考えに従うことであった。主な弟子達は、この運動の中心人物であるアンリ・マティス[1]、アンドレ・ドランらであった。

フォーヴィスムはキュビズムのように理知的ではなく、感覚を重視し、色彩はデッサンや構図に従属するものではなく、芸術家の主観的な感覚を表現するための道具として、自由に使われるべきであるとする。ルネサンス以降の伝統である写実主義とは決別し、目に映る色彩ではなく、心が感じる色彩を表現した。世紀末芸術に見られる陰鬱な暗い作風とは対照的に、明るい強烈な色彩でのびのびとした雰囲気を創造した。

フォーヴィスムに分類される主要な画家は、以下のとおり。

アンリ・マティス(Henri Matisse、1869年 - 1954年)
ジョルジュ・ルオー(Georges Rouault1871年 - 1958年)
アンリ・マンギャン(Henri C. Manguin、1874年 - 1943年)
アルベール・マルケ(Albert Marquet、1875年 - 1947年)
モーリス・ド・ヴラマンク(Maurice de Vlaminck、1876年 - 1958年)
ラウル・デュフィ(Raoul Dufy、1877年 - 1953年)
キース・ヴァン・ドンゲン(Kees Van Dongen、1877年 - 1968年)
オトン・フリエス(Henri Achille Émile Othon Friesz、1879年 - 1949年)
シャルル・カモワン(フランス語版、英語版)(Charles Camoin、1879年 - 1965年)
アンドレ・ドラン(André Derain、1880年 - 1954年)
ジョルジュ・ブラック(Georges Braque、1882年 - 1963年)

フォーヴィスムに影響を与えた画家として、明るく強烈な印象の色彩を使用するポール・ゴーギャンやフィンセント・ファン・ゴッホ、点描のジョルジュ・スーラやポール・シニャックに代表される新印象派の画家達、またポール・セザンヌ等が挙げられる。


日本への影響

フォーヴィスムは日本にも大きな影響を与えている。オトン・フリエスの弟子として坂田一男や宮坂勝が挙げられ、現在の日本美術史にも影響を与えたとされる。

その他、1992年から1993年にかけて『フォーヴィスムと日本近代洋画』(愛知県美術館、京都国立近代美術館、東京国立近代美術館)という展覧会が開催されており、その展覧会では次の21名の作家が取り上げられた。

梅原龍三郎(1888年 - 1986年)
川上凉花(1887年 - 1921年)
岸田劉生(1891年 - 1929年)
木村荘八(1893年 - 1958年)
熊谷守一(1880年 - 1977年)
小出楢重(1887年 - 1931年)
小絲源太郎(1887年 - 1978年)
児島善三郎(1893年 - 1962年)
佐伯祐三(1898年 - 1928年)
里見勝蔵(1895年 - 1981年)
中川一政(1893年 - 1991年)
中川紀元(1892年 - 1972年)
中村彝(1887年 - 1924年)
野口弥太郎(1899年 - 1976年)
長谷川利行(1891年 - 1940年)
前田寛治(1896年 - 1930年)
三岸好太郎(1903年 - 1934年)
村山槐多(1896年 - 1919年)
柳瀬正夢(1900年 - 1945年)
萬鐵五郎(1885年 - 1927年)
寺西進三郎(1938年 - 2017年)


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フォーヴィスムの画家

アンリ・マティス Henri Matisse(フランス ノール県ル・カトー=カンブレジ 1869年12月31日 - 1954年11月3日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16833423

ジョルジュ・ルオー Georges Rouault(フランス パリ 1871年5月27日 - 1958年2月13日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832161
15:777 :

2024/01/02 (Tue) 23:40:12

ドイツ表現主義
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E4%B8%BB%E7%BE%A9

ドイツ表現主義は、20世紀初頭にドイツで起こった一大芸術運動である。この感情表現を中心とする手法は、当時、他のヨーロッパの国々で盛んであった印象派(物事の外面的な特徴を描写する)とは対極に位置する。表現主義は、第一次世界大戦後すぐに、他の運動へと受け継がれていった。例えば、構成主義、新即物主義、そして後の抽象表現主義、超写実主義である。

ドイツ表現主義の作品において、よく扱われるテーマは、生活の矛盾(性的なもの、家族間のものなど)から、革命、戦争、社会の矛盾など、いわば既存の秩序や市民生活に対する反逆を目指したものが多い。ドイツ表現主義においては、伝統的な芸術の様式は破壊され、また自然主義とは正反対の立場をとる。表現主義者は、ニーチェに思想的な影響を受けているとされる。


美術
20世紀のドイツ表現主義の画家に直接的な影響を与えたのは、ファン・ゴッホであった。20世紀初頭のドイツには、青騎士やブリュッケなど、いくつかの表現主義の画家のグループがあった。


エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー作「街」(1913年)
"Die Straße"
 

ドイツ表現主義の画家には、

マリアンネ・フォン・ヴェレフキン (Marianne von Werefkin, 1860 - 1938)(青)(en, de)
ワシリー・カンディンスキー (Wassily Kandinsky, 1866 - 1944)(青)
ハインリヒ・カンペンドンク (Heinrich Campendonk, 1889 - 1957)(ラ)(de)
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー (Ernst Ludwig Kirchner, 1880 - 1938)(ブ) - 彫塑作品でも知られる
ジョージ・グロス (George Grosz, 1893 - 1959)
オスカー・ココシュカ (Oskar Kokoschka, 1886 - 1980) - 著作もある
カール・シュミット=ロットルフ (Karl Schmidt-Rottluff, 1884-1976)(ブ)
エゴン・シーレ (Egon Schiele, 1890 - 1918)
オットー・ディクス (Otto Dix, 1891 - 1969) (de) - 後にノイエ・ザッハリッヒカイトへ
エミール・ノルデ (Emil Nolde, 1867 - 1956)(北)
リオネル・ファイニンガー (Lyonel Feininger, 1871 - 1956) - 風刺画家としても知られる
コンラート・フェリクスミュラー (Conrad Felixmüller, 1897 - 1977) (de) - 後に新即物主義へ
マックス・ベックマン (Max Beckmann, 1884 - 1950)
エーリッヒ・ヘッケル (Erich Heckel, 1883 - 1970) (ブ) (de)
マックス・ペヒシュタイン (Max Pechstein, 1881 - 1955)(ブ)
ルートヴィッヒ・マイトナー (Ludwig Meidner, 1884 - 1966) (de) - 詩人としても知られる
アウグスト・マッケ (August Macke, 1887 - 1914)(ラ)(de)
フランツ・マルク (Franz Marc, 1880 - 1916)(青)
ガブリエーレ・ミュンター (Gabriele Münter, 1877 - 1962)(青)
オットー・ミュラー (Otto Mueller, 1874 - 1930)(ブ)
パウラ・モーダーゾーン=ベッカー (Paula Modersohn-Becker, 1876 - 1907)(北)
ヴィルヘルム・モルグナー (Wilhelm Morgner, 1891 - 1917)(ラ)(de)
アレクセイ・フォン・ヤウレンスキー (Alexej von Jawlensky, 1864 - 1941)(青)
クリスティアン・ロールフス (Christian Rohlfs, 1849 - 1938)(北)
がいる。(青:「青騎士」に所属、ブ:「ブリュッケ」に所属、北:北ドイツ表現派、ラ:ライン地方 表現派)

また、主な活動の場がドイツ以外であり、ドイツ表現主義には含められていないが、同時代、表現主義の画家として知られているのは、

ハイム・スーチン (Chaim Soutine, 1894 - 1944) - パリで活躍
エドヴァルド・ムンク (Edvard Munch, 1863 - 1944) - ノルウェー中心
などである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E4%B8%BB%E7%BE%A9


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「表現主義」とは?代表的な画家と作品を解説 | thisismedia
2018/09/13
https://media.thisisgallery.com/20190208

「表現主義」とは?代表的な画家と作品を解説


「表現主義」とは?
表現主義(表現派)は、1900年代前半にドイツを中心に興った美術や建築の潮流です。

特に表現主義の美術については、画家自身の心の内部の世界を表現するという点において、外部の世界の印象を描き出すそれまでの美術とは大きく異なります。

解剖学に基づいた人間の写実性などを重視せず、感情など心の中の様子をモチーフに託して描写するというのが表現主義の特徴です。

表現主義は、19世紀後半からヨーロッパで栄えていた印象派が物事の外見的特徴を強調して描写するのとは対照的な動きでした。1914〜1918年には第一次世界大戦も起きるなど、世界が不穏な空気に包まれた時代でもあります。

表現主義の画家は、北ドイツの「ブリュッケ(橋)」や南ドイツの「青騎士」などのグループごとに異なる特徴を持っています。

ブリュッケにはエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー、オットー・ミュラー、エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーなど、青騎士にはワシリー・カンディンスキーやフランツ・マルクなどがいます。

表現主義と象徴主義の影響を受けたエゴン・シーレも有名で、また、1893年に傑作「叫び」を完成させたエドヴァルド・ムンクは不安や恐怖の表現を追求したことで表現主義のパイオニアとされています。


活躍したアーティスト
エゴン・シーレ
エドヴァルド・ムンク
ワシリー・カンディンスキー


エゴン・シーレ
1890年6月12日-1918年10月31日(享年28歳)

シーレは、表現主義の影響を受けつつも、裸体や死、性行為など倫理的に避けられるものを強烈な個性の画風で描き、独自の絵画を追求したオーストラリアの画家です。

工芸学校を卒業後ウィーン美術アカデミーへ進学したものの、保守的で時代錯誤な古典主義を継承するアカデミーに価値を感じなかったシーレはアカデミーから離れ、クリムトに弟子入りしました。表現の制約から自由になったシーレは、積極的に人型だけでなく性表現の追求、またフランス印象派の影響のもと表現主義の方向へスタイルを移し始めました。

クリムトが企画した展覧会で、初めてゴッホの作品を目にし自らの芸術観に多大な影響を与えたと言われており、自身も「ひまわり」を描いています。

妹をヌードモデルにし、13歳の少女を誘拐した容疑で逮捕され、経済的な基盤を得るためだけに4年間連れ添った恋人と関係を突然断ち両家の子女と結婚するも、妻の姉と不倫関係を続け28歳で病死したシーレの人生はとても濃く異端で、2016年にシーレの半生が映画化されるなど、作品だけでなくシーレ自身の人生も後世に大きな影響を与えています。



エドヴァルド・ムンク
1863年12月12日-1944年1月23日(享年80歳)

エドヴァルド・ムンクは、画家・版画家として有名な作品を残した後期印象派時代の象徴主義や表現主義のノルウェーの画家です。
誰もが知っている「叫び」という作品は世界で最も有名な絵画の一つであり、ノルウェーでは国民的画家として親しまれています。
ムンクは「芸術は呼吸し、感じ、悩み、恋する人々を描くべきである」という信念をもっており、人間の内面の奥底にある“生”と“死”対する“不安”や“恐怖”、“性愛”を主題に、見る者の感情や本能に訴える作品を描き続けました。
1892年のベルリンでの最初の展覧会を行った際には、抗議と激しい非難を浴びてわずか一週間で閉鎖されてしまいますが、皮肉にもこのスキャンダルによって、ムンクの名は広く知られるようになりました。
1908年には過労と暴飲、過剰な精神的ストレスのため精神を病んで入院しますが、この頃に大作を多く生み出しています。
病状が回復すると、ムンクの作品は愛情が感じられる明るい色彩で描かれ、虚ろな人物の表情は生き生きと描かれるようになっていきました。



ワシリー・カンディンスキー
1866年12月4日-1944年12月13日(享年78歳)

ワシリー・カンディンスキーは、美術理論家としても活躍したロシア出身の抽象絵画の画家です。
カンディンスキーは神智学から大きく影響を受けており、抽象絵画の先駆者として位置づけられています。
ドイツの前衛芸術運動「青騎士」のメンバー時代は、音楽の影響を強く受け、作品中に音楽用語をよく使用するなど、彼の作品の中で音楽は抽象絵画を生み出すのに重要なものでした。

この時代からカンディンスキーの絵画は大きく、その表情豊かな色合いは形状や線と独立して評価されるようになりました。

彼は、心理学の研究と同時進行で作品を制作しており、幾何学的要素を中心とした知的な作品が多く制作されました。1922年からバウハウスで教官を務め、芸術初心者向けの基礎デザイン授業から高度な美術理論授業まで幅広く授業を受け持ち、絵画教室やワークショップなどを行ったり、ゲシュタルト心理学要素のある色彩理論を発展させました。



表現主義の傑作3選

1.死と乙女
作者  エゴン・シーレ
制作年 1915年
所蔵  オーストリア・ギャラリー

オーストリア・ウィーン出身の画家エゴン・シーレは、体の捻じ曲がった人間などを独特のタッチで描くことで知られています。

そのインパクトの強い表現方法から表現主義の画家として語られることが多く、24歳のときに制作した「死と乙女」はエゴン・シーレの代表作の1つです。

「死と乙女」に描かれる死んだ男と、男にすがるように抱きつく女は、シーレ自身と長年の恋人ヴァリの愛を表していると考えられています。

同作が完成した1915年は、シーレが別の女性と結婚した年でもありました。

結婚してもヴァリの心をつなぎ留めて共にいようとしたシーレに、ヴァリはショックを受け彼の元を去ってしまいます。

くすんだ色合いでどこか荒廃したイメージの「死と乙女」には、シーレの複雑な心理が如実に表現されているといわれています。



2.叫び
作者  エドヴァルド・ムンク
制作年 1893年
所蔵  オスロ国立美術館

ノルウェー出身の画家エドヴァルド・ムンクの「叫び」は、世界で最もよく知られた絵画の1つといえるでしょう。

鳴り止まぬ幻聴に耐えきれず耳をふさぐ人物の恐怖と不安に歪んだ表情、色鮮やかに波打つ背景、作品全体に漂う不吉な空気。

「叫び」が制作されたのは、厳密には表現主義の時代の数年前ですが、ムンクはこの頃、愛と死をテーマに内面を描写した「星月夜」「不安」など数多くの傑作を生み出しました。

写実的な描き方に頼らない画風は、表現主義のさきがけといわれています。

幼少の頃の母と姉の病死や父のキリスト教への狂信、大人になってからも弟の病死や妹の精神病などから、死と生をめぐる不安はムンクを苛み続けます。

画家としての地位も高まっていた1908年には、ムンク自身も精神病院に入院するなど、メンタル面で厳しい局面もありました。

しかし自身の内面への観察眼と表現力に優れていたムンクは画家として創作を続け、その後の芸術や人間心理の研究に多大な影響を与えました。



3.即興 渓谷
作者  ワシリー・カンディンスキー
制作年 1914年
所蔵  レンバッハハウス美術館

ワシリー・カンディンスキーは、ドイツやフランスで活躍したロシア出身の画家です。

表現主義の一派「青騎士」の代表的な芸術家として知られ、抽象絵画の生みの親ともいわれています。

モスクワ大学で法律や政治経済を学んだカンディンスキーですが、フランスで観たモネの絵画に触発され、ドイツのミュンヘンで絵画を学び芸術の道を歩み始めます。

カンディンスキーは生涯にわたり画風を変え続けましたが、「即興 渓谷」に代表される抽象画は現代芸術につながるものとして特に有名です。

具象的な形を描写するのではなく、色彩と構図を極限まで突き詰めた「即興 渓谷」からは、ほとばしる水の流れのような勢いとリズミカルなイメージが伝わってきます。

カンディンスキーは『抽象芸術論』などの著作もあり、芸術学校バウハウスで教官も務めるなど、芸術理論においても優れた画家でした。



「表現主義」のおすすめ関連書籍3選

『 エドヴァルト・ムンク―「自作を語る画文集」生のフリーズ』

ムンクの代表作の1つ「マドンナ」が表紙になった、ムンクの画文集(八坂書房、2009年)。
ムンクが遺した手紙や手記、作品や芸術観についてのコメントなどを基に、ムンクの芸術と心を読み解く試みです。

「生のフリーズ」とムンク自身が名付けた一連の絵画シリーズが取り上げられ、現代芸術にも通じるムンクを知る上で鍵となる書籍です。
価格¥2,376 八坂書房

● 読者の感想
”ムンクが抱き続けた「生への不安」を垣間見る1冊”
八坂書房の「自作を語る画文集」という珍しいシリーズからの1冊です。
商品説明にある通り、このシリーズの特徴は、画家が残した言葉と作品を共に載せる事によって作品鑑賞・理解の手引きとしている点です。
このような体裁の本は意外と少なく(雰囲気的構成の本はありますが、美術書として耐え得るものはあまり無い)、ムンク作品から感じる、生に対する不安と孤独、病的なまでの思慮深さを、ただ漠然と図版を眺めるのではなく自身の言葉からも紐解いていくように作られています。



『エゴン・シーレ―ドローイング水彩画作品集』

約350点にもおよぶ作品を年代順に、詳細な作品データとともに掲載した同書は、エゴン・シーレをもっと深く知りたい人にも最適です(新潮社、2003年)。

28歳で早逝したシーレですが、約10年間のキャリアの中で数多くの作品を生み出し、今なお世界中に多くのファンを持っています。

特に水彩画とドローイング(線画)には、シーレの世界観の特徴であるエロスと美をしっかりと感じることができます。
価格¥4,860 新潮社

● 読者の感想

”全てが分かります”
なかなかここまで詳しくエゴン・シーレについて書かれている本はないと思います。油彩は少ないけれど、水彩・ドローイングに関しては彼に関する本の中でもかなり上位を占めていると思います。彼の作品を紹介するだけではなく、彼の生い立ちや考え方についても詳しく書かれているので、読んでみるだけの価値はあります。シーレファンなら必見です。この本は裸婦を描いたものが多いのですが、ただ単にエロスを求めているのではなく、彼の精神的な成長とともに確実に芸術性を高めているのが分かります。そういった彼の小さな変化にも目を配ると、よりいっそうシーレの魅力にはまるでしょう。

”充実した作品集”
エゴン・シーレがまだ16歳だった少年期から28歳で亡くなるまでの作品を年代順に編纂し、収録しています。
作品の合い間にシーレに関する伝記的な記述や絵に関する文章がありますが、抑えた分量にとどめられており、絵の掲載に多くのページがあてられているので、たくさんの作品を鑑賞することができます。
シーレの作品は色彩がとても美しいと思いますが、私としてはそれ以上に線が魅力的だと感じます。本書では、シーレの描いた鉛筆や黒チョークによる線描を存分に楽しむことができ、おすすめです。



『点と線から面へ』
カンディンスキー本人による、芸術理論の解説書(筑摩書房、2017年)。色彩や線、コンポジション(構成)など、絵画を形作る構成要素のすべてを徹底的に分析しています。

今から約1,000年前にアートにサイエンスを取り入れ、デザインや絵画以外の芸術分野にも影響をおよぼした、現代でも色褪せない歴史的名著です。
価格¥1,080 筑摩書房

● 読者の感想

”観察と感性による思考”
実のところ「絵画の構成要素の理論的・科学的吟味」という点は、私には難しく感じました。具体的例が図示されない部分で、文による記述だけをたどっていくと、理論的というよりは直観的にも感じましたし、こうした文章を科学的と評することができるのか疑問に思いました。しかし付録の魅力的な図版の数々を見て、点や線による構成が「なぜ画像のこの位置にピタリと嵌まるのか」について考えてみるとき、カンディンスキーが画面構成過程の見通しについて実に的確な判断をもって、それをなるべく簡潔に文章化しようとしたことが分かりました。
https://media.thisisgallery.com/20190208


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表現主義の画家

エドヴァルド・ムンク Edvard Munch(ノルウェー ロイテン 1863年12月12日 - 1944年1月23日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831570

ワシリー・カンディンスキー Wassily Kandinsky(ロシア モスクワ 1866年12月4日 - 1944年12月13日)
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オットー・ミュラー Otto Mueller(ポーランド ルバフカ 1874年10月16日 - 1930年9月24日)
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フランツ・マルク Franz Marc(ドイツ ミュンヘン 1880年2月8日 - 1916年3月4日)
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エルンスト・キルヒナー Ernst Ludwig Kirchner(ドイツ アシャッフェンブルク 1880年5月6日 - 1938年6月15日)
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オスカー・ココシュカ Oskar Kokoschka(オーストリア ペヒラルン 1886年3月1日 - 1980年2月22日)
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エゴン・シーレ Egon Schiele(オーストリア ウィーン近郊 1890年6月12日 - 1918年10月31日)
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エドヴァルド・ムンク _ 世紀末の画家
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世紀の名画 ムンク『マドンナ』の複製画を部屋に飾ろう
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ニーチェやドストエフスキーはエドヴァルド・ムンクにどんな影響を与えたか
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16:777 :

2024/01/03 (Wed) 00:36:30

エコール・ド・パリ

西洋美術史を流れで学ぶ(第25回)~20世紀のパリ編~
https://irohani.art/study/7503/


今回の第25回は「20世紀のパリ」についてご紹介しましょう。
この時代、通称、エコール・ド・パリ(パリ派)といわれる「天才芸術家集団」がパリに集まる。パリにとっては奇跡の時代であり、凄まじい数の名作が生まれました。また同時に、のちに「素朴派」といわれる画家も誕生した時代です。

あらゆる表現が評価されるようになり、19世紀までの伝統的な手法は完全に見直されることになります。そんな「多様性バンザイ」なワクワクする時代をみていきましょう。


20世紀・パリは「芸術家の憧れの地」となった

今の日本人にとって、パリといえばなんてったって「芸術の都」です。

しかし、そもそも西洋美術史を振り返ってみると、17世紀までは芸術の中心地はフランスではありませんでした。14世紀のルネサンスだって、イタリア・ローマやフィレンツェが舞台です。その後のバロック美術もフランスが中心! って感じではなく、ヨーロッパ全体で起きた様式でした。

Norberto Kolus


フランスがアートの話題の中心になった背景には、1648年の「王立美術アカデミー設立」があります。その学校が決めたルールや、王立展覧会の「サロン・ド・パリ」という存在が生まれたことで、その制約に対するカウンターカルチャーが立ち上がっていった。これがロマン主義や印象派などだったんですね。

これは他の国には存在しない(もしくはむちゃくちゃ遅れて到来した)ことであり、フランスはだんだんと芸術の中心地になっていきました。

そんなフランスは20世紀になると、あらゆる芸術家にとってはもう憧れなんですよ。地方の売れないバンドマンとか役者が下北沢に集まる、みたいな感じです。それで西欧諸国から芸術家が集まってきます。


「エコール・ド・パリ」の形成

By Lapady


そんな芸術家たちの多くが集まったのはパリのなかでも18区の「モンマルトル」でした。なぜかというと、シンプルに家賃相場が安かったからです。芸術を志す若者の多くは「パリで芸術をやりたい」と強く思っていたものの、お金がなかったので、モンマルトルに住んだんですね。

そしてエコール・ド・パリの舞台となったのが、ここモンマルトルのなかでも「洗濯船」と呼ばれた集合アトリエ 兼 住宅でした。ここはもともと画家マクシム・モーフラさんがアトリエを構えていたことから、だんだんと画家や詩人、劇団主催者などが出入りするようになり、住むようになっていきます。当時から土曜の夜になると、みんなで集まって、芸術や哲学のことをあれこれ話していたそうです。

1904年にはピカソもアトリエも借りました。前回の記事でお伝えしたキュビスム発祥の作品「アビニヨンの娘たち」も洗濯船で描かれたものです。このあたりからは「洗濯船」自体が「芸術の聖地」みたいな感じで評判が高まっていき、あらゆるアーティストが住むんですね。

また「住んではいないけどよく出入りする人」も豪華です。アンリ・マティス、ジョルジュ・ブラック、ギョーム・アポリネール、ジャン・コクトーらの芸術家が出入りしていました。20世紀の画壇を語るうえで欠かせないスタープレイヤーばかりです。もうなんか、悟空とルフィと炭治郎が毎晩一緒に飯食ってるみたいな……。そんな豪華な場所だったんですね。
「共同生活」によってムーヴメントが起きることがある
そういえば、日本でもとても近い現象が昭和初期に起きています。それが東京都練馬区の「トキワ荘」というアパート。ここには手塚治虫をはじめ藤子.F.不二雄、藤子不二雄(A)、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、寺田ヒロオ、水野英子といった、マンガ界のレジェンドたちが住みました。

手塚治虫は当時から、一般的に知られている漫画家でしたが、他の面々はまだ代表作を描く前の「駆け出し」の時期でした。これから時代を作る芸術家やクリエイターが「1つ屋根の下で共同生活をすること」は「つくる力」を生み出します。

今ではSNSがあって、自分の作品を評価してくれる人が出てきました。だからロジカルにデータを分析しながら自分のつくったものが「大衆に受け入れられているか」を判断できます。また他の人が作った作品をみて「これ超いいじゃん、ちょっと真似しよーっと」と思えます。刺激を受け放題です。

でも当時は自分の作品が「売れるために正しいか」とか「おもしろいか」なんて分かりません。そんななかで駆け出しのクリエイターはみんなむちゃくちゃ不安だったことでしょう。休日の趣味ならまだしも、本業をやっておらず、金銭的な不安もバリバリにあります。当時の駆け出しの芸術家たちは「いつ売れるか分からない」というプレッシャーに蝕まれ続けていたわけです。

そんななか隣に同じ境遇でがんばっている人間がいて、常に芸術の話をいろいろとしながら、評価を受け、刺激をもらいながら作品と向き合える。これは超絶デカいアドバンテージです。

また洗濯船には画商も住んでいました。トキワ荘には編集者も頻繁に出入りしていたそうです。この「クライアントとの距離が近い」というのもメリットだったはずです。いくら才能がある芸術家でも「見つからない」ということは多々あります。

こんな感じで洗濯船もトキワ荘も、駆け出しの芸術家にとって桃源郷だったわけです。そして桃源郷だったからこそ梁山泊になった、といえるでしょう。

ただ、これ「住人がみんな本気だった」ってのがホントにイチバン大事です。まだ日本にもおそらく「夢追い人たちのシェアハウス」は存在すると思います。しかしなかには「毎日バイト帰りにSwitchしながら『明日からがんばろうぜ』と1年間呪文のように唱え続ける」という地獄になっている噂も聞きます。


エコール・ド・パリの画家たち

さて、話を戻しましょう。そんな洗濯船に住人をはじめ、エコール・ド・パリの主な画家は以下です。

● マリー・ローランサン
● モーリス・ユトリロ
● アメデオ・モディリアーニ
● レオナール・フジタ(藤田嗣治)
● マルク・シャガール
● モイズ・キスリング
● アリス・プラン

彼らに共通点はありません。ただ、全員が「これまでにない新しい表現」を目指していた。またヨーロッパ各国からそれぞれのお国の文化を持ちより、刺激を受けていため、自然と革新的な画風が誕生したともいわれます。

例えばモディリアーニはアフリカやギリシャ彫刻をヒントにして、人物画を描きました。パッと見は「こ、怖いんですけど」と驚く方もいるかもしれません。首も顔も極端に細長く、瞳も描かれません。このあたりに彫刻っぽさを感じます。

アメデオ・モディリアーニ『座る裸婦』


また日本人にとって、レオナール・フジタはこの時代の英雄でしょう。日本画の手法をルーツにした女性の人物画が得意な方でその色合いは「乳白色の肌」と呼ばれ絶賛されました。最近になって、その色彩の秘密が分かっていす。硫酸バリウム、炭酸カルシウム、鉛白に加え、なんとシッカロールを使って色を調整していたそうです。


藤田嗣治
Deutsch: Jean Agélou (1878-1921), französischer FotografEnglish: Jean Agélou (1878–1921), French photographer


またマルク・シャガールもこの時代では巨匠の一人です。迫害対象だったユダヤ系の生まれで、地元の動物などをよく描いています。またキュビスムなどを根底にした平面の図式と、カラフルな色彩で妻・ベラとの「愛」を生涯にわたって描き続けた画家でした。


日曜画家による「素朴派」の誕生

さて、ここまでエコール・ド・パリについて紹介してきました。このように西洋美術は、もう完全に「多様な表現」を許す風潮に変わったわけです。そんななかで、より注目度を増したのが「アンデパンダン展」でした。

アンデパンダン展は1884年、ポスト印象派の時代にジョルジュ・スーラたちが初めて開催した展覧会です。ざっくりいうと「誰でも作品出せるよ~!」という展覧会でした。もちろん賞とかありませんが、ここで「発見」されて世に出る画家も出現するんですね。

そんななか「日曜画家」といわれるアーティストも出てきます。日曜画家とは平日は本業でフルタイム勤務をして休日にイーゼルとキャンバスを持ち出して絵を描く人たちです。私はコロナ前に訪仏しましたが、普通に街中で絵を描いている人たちがいました。日曜画家はフランスの伝統になっているんですね。

そんな日曜画家は本格的に絵を習っているわけではない。しかし習っていないからこその斬新さがあるわけです。画商や批評家によっては、そんな絵に「これはすげぇ斬新だ!」と魅力を発見したんですね。こうした何の影響も受けていない日曜画家たちは「素朴派」と呼ばれます。いうなれば「ヘタウマ」です。漫画家でいうと吉田戦車や和田ラヂヲのような、肩の力を抜いて見られるような魅力があります。

素朴派で最も有名な画家はアンリ・ルソーです。彼は税関職員として真面目に勤務しながら絵を描いていました。遠近感はまるでない。しかしセザンヌやピカソのように狙ってやったわけではない。人体のプロポーションもおかしい。陰影の距離感もちょっと不思議な感じ。「上手い」とはいえないのですが、今見てもなんか「クセになる魅力」があるんですね。

アンリ・ルソー『岩の上の子供』


また絵画ではないのですが、フェルディナン・シュヴァルは郵便配達をしながら、なんと宮殿をつくっちゃった人です。43歳で道端で拾った石をきっかけに33年間、周りから変人扱いをされながら「理想宮」という宮殿をつくりました。

シュヴァルの理想宮

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エコール・ド・パリの画家

アンリ・ルソー Henri Julien Félix Rousseau(フランス マイエンヌ県ラヴァル 1844年5月21日 - 1910年9月2日)
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パブロ・ピカソ Pablo Ruiz Picasso(スペイン南部アンダルシア地方マラガ 1881年10月25日 - 1973年4月8日)
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ジョルジュ・ブラック Georges Braque(フランス アルジャントゥイユ 1882年5月13日 - 1963年8月31日)
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マリー・ローランサン Marie Laurencin(フランス パリ 1883年10月31日 - 1956年6月8日)
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モーリス・ユトリロ Maurice Utrillo(フランス パリ モンマルトル 1883年12月26日 - 1955年11月5日)
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アメデオ・モディリアーニ Amedeo Clemente Modigliani(イタリア リヴォルノ 1884年7月12日 - 1920年1月24日)
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藤田 嗣治 ふじた つぐはる(東京都新宿区 1886年11月27日 - 1968年1月29日)
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マルク・シャガール Marc Chagall(ロシア ヴィテブスク 1887年7月7日 - 1985年3月28日)
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蕗谷 虹児 ふきや こうじ(新潟県阿賀野市 1898年12月2日 - 1979年5月6日)
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岡本 太郎 おかもと たろう(神奈川県川崎市 1911年2月26日 - 1996年1月7日)
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17:777 :

2024/01/03 (Wed) 13:57:44

西洋美術史を流れで学ぶ(第26回)~ダダイズム編~
https://irohani.art/study/7656/

今回も同じ時代「第一次世界大戦のまっただなかに起きたダダイズム」についてご紹介します。
ダダイズムは、もう芸術の枠を飛び越えた哲学的な考えです。またこの時代に起きた西洋美術史で最大級の発明・デュシャンの「泉」がもたらした新しい芸術観を見ていきましょう。



第一次世界大戦はそれまでの戦争と何が違ったのか


セルビアから脱出した難民。1914年のライプニッツにて


西洋世界では領土の奪い合いはもちろん、宗教戦争も含めて、ずっと戦争を続けてきた歴史があります。最近ではロシアとウクライナの戦争が話題ですが、そもそもヨーロッパでは、11世紀から20世紀まで「常にどこかで何らかの戦争が起こっている」という状態でした。それによって芸術家は創作を断念せざるを得なかった、という悲しい歴史があるんですね。

ただし1914年から始まった「第一次世界大戦」の規模はそれまでの戦争を遥かに超えるものでした。とんでもない数の死者が出たんですね。死者数は戦闘員900万人以上、非戦闘員700万人以上です。少なくとも1,600万人以上の人が亡くなりました。日本人の人口のうち8人に1人が亡くなっている、と書くと凄惨さがわかると思います。

第一次世界大戦の被害が広がった背景は、参加国の多さはもちろん、第二次産業革命による「機器の進化」があります。銃火器、移動手段などが進化していたわけです。

世間の人々はみんな、戦争におびえるという感情のほかに、「この世界に嫌気がさしている」という感覚も持っていました。最近のコロナ禍の感覚に近いかもしれません。「コロナだるいわ。早く自由に遊びに行きたいのに」という感じですね。

そんな感覚に合わせて生まれたのが「ダダイズム」。おもしろいのは「世界各国で同時多発的に発生した」ということです。スイス・チューリッヒを皮切りにドイツ・ベルリン、フランス・パリ、アメリカ・ニューヨークなどで盛り上がりました。


ダダイズムとは

Unknown author


そんな各国のなかでも、最も早かったのがスイス・チューリッヒです。当時はヨーロッパ各国で戦争が起きていたんですが、スイスは1815年から永世中立国だった。だから戦禍を逃れるという意味でも、芸術家はヨーロッパ各国からスイスに来ていました。

そんなスイスのチューリッヒでは、トリスタン・ツァラ、ハンス・アルプ、リヒャルト・ヒュルゼンベックといった詩人・芸術家たちが「マジで戦争終わんねぇかなぁ~」なんて、話をしていたわけです。もうだるくてだるくて仕方なかったんですね。

で、彼らは「なぜ戦争が起きたのか」ということを議論するようになります。おそらく「暴力で解決するっつう思考が問題だろう」とか「領土を求めようとするビジネス主義がやべえだろ」とか話したんじゃないかと思うんです。

で、最終的に彼らは「人には理性があるから戦争が起きたんだ」と結論を出したんですね。それで「考えることをやめようやもう」って呼びかけるわけです。
ダダイズムの「理性を破壊する」の意味
この考えをもう少し分かりやすくするために、例を挙げてみましょう。例えば「夏の絵を描いてほしい」という依頼があったとします。すると「何がいいかなぁ」と考えて「ひまわりと青空」とか「木の幹にとまるセミ」とかを描きたくなるでしょう。

これがダダイズム的にはアウトなんです。つまり「夏を表すものは何だろうなぁ」と理性を通して考えることが「お前、理性通してるやん! それが戦争につながるからダメなのよ!」ってことなんですね。

ゆえにダダイズムの作品は、もうめちゃくちゃになります。ただ前提として「めちゃくちゃな作品を作ろう」っていう思考ではない。むしろ逆で「何も考えずに作品を作ろう」と思ったんですね。

「ダダ」という言葉は詩人のトリスタン・ツァラが命名しましたが、彼は名前を決めるときにフランス語の辞書を適当にめくった。そこにあったのが「dada(訳:木馬)」という単語だった。だからダダに決定したそうです。つまり、まったく理性を通してないんですね。

デュシャンの「泉」の価値とは

マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
Unknown authorUnknown author


さらにいうと「それまでに作られた美術作品」なんて、すべて理性を通して作られたものであり、ダダイスト的には全部が駄作なんですね。だからダダイストの活動は「芸術を見つめ直す」ということにもつながります。

ダダイスト(ダダイズムの実験をするアーティスト)のなかでも、デュシャンは特に「アートとは何なのか」について、むちゃくちゃ没頭して考えた人です。「アートとは」については、いまだに定義が難しいのが事実です。当時も明文化はされていませんでしたが、なんとなく以下の要件は決まっていました。

● アーティストの思想や哲学は反映されたもの
● 自身の手で作ったもの
● 見たときに魅力を感じるもの(美しいもの、高尚なもの)

この定義は今でもなんとなく皆さんがうなずけるんじゃないかな、と思います。しかしデュシャンは「それって本当に正しいの?」と疑問を投げかけるわけです。そこで彼が作った作品が「泉」でした。

マルセル・デュシャン『泉』


彼は市販の男性用小便器をひっくり返して、台座に載せて「R.MUTT(リチャード・マット)」とサインをしたんですね。先ほどの3つの定義をいっぺんに覆したわけです。それで、自身が委員を務める「ニューヨーク・アンデパンダン展」に出品します。もちろん「ひいき目」を避けるために自分が作ったことは隠していました。

アンデパンダン展は前回の記事でもお伝えしたように「賞はないけど誰でも出品可能で、無審査で何でも展示するよ!」というテーマの展覧会です。しかし「泉」は「ちょっとさすがにこれは……」と、展示されませんでした。当時の芸術観では展示されないのも、うなずけます。自分で作った物じゃないし、汚くて不快だし、何の思想性もない。究極、これを展示してしまったら、もう「渋谷のハロウィンでパリピが吐いた吐しゃ物」でも展示OKとなってしまうわけです。

ただデュシャンは「この便器すらも吐しゃ物だろ」と言い放ったんですね。これで「アート」という言葉は根底から覆りました。これはダダイズムの「理性をぶっ壊す」という概念にも共通するテーマだったんですね。

「泉」は2004年にイギリスでおこなわれた「500人の芸術専門家に聞いた『もっとも影響力のあるアート作品ランキング』で1位を獲得しています。まさに現代アートの出発点といってもいい作品です。
理性を破壊すると「自由」が見えてくる
「理性を破壊する」という行為によって「芸術の自由度」が高まったのもダダイズムの大きな功績です。人は理性がある限り「したくないこと」「できないこと」が生まれます。

先ほどの例でいうと「夏」というテーマにおいて、絶対に浮かばないことを思いつくんですね。「セミ」とか「スイカ」とか、ちょっとひねって「冬景色」は思いつくかもしれません。しかしダダイズム的には、例えば「鹿の剥製」を出して「はい、これ夏ね」って言ってもOKなんです。この発想は一度、理性をなくさないと見えてきません。

このあとダダイズムはダダイストの1人、アンドレ・ブルトンによって「シュルレアリスム」という芸術運動に引き継がれることになります。次回はそんなシュルレアリスムのお話しを紹介しましょう。

https://irohani.art/study/7656/


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ダダイズムの画家・彫刻家

エルザ・フライターク=ローリングホーフェン Elsa Baroness von Freytag-Loringhoven(ポーランド 1874年7月12日 - 1927年12月14日)
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マルセル・デュシャン Marcel Duchamp(フランス ノルマンディー 1887年7月28日 - 1968年10月2日)
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18:777 :

2024/01/03 (Wed) 13:58:41

西洋美術史を流れで学ぶ(第27回)~シュルレアリスム編~
https://irohani.art/study/7784/

今回はダダイズムの思想をベースに立ち上がった芸術運動・シュルレアリスムについて楽しくみていきましょう。前提しておくと、もはやダダイズムやシュルレアリスムは「美術用語」ではなく、臨床心理学っぽいというか……。どっちかというと「人間の生き方」に関わる分野です。「西洋美術史を知りたい」という方はもちろん「つい、毎日を頑張っていきちゃう方」や「自分のアイデンティティが分からない」と悩んでいる方も、ぜひ読んでみてください。


シュルレアリスムとは

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「よっしゃ、シュルレアリスムはじめまーす」と宣言したのは、もともとダダイストだった詩人、アンドレ・ブルトンです。彼はダダイズムの創始者である、トリスタン・ツァラとケンカして、決別したうえで、新たな芸術運動を立ち上げました。

シュルレアリスムという言葉はフランスの詩人、ギョーム・アポリネールが作った言葉です。日本語にすると「超現実主義」となります。日本だと特にお笑いの分野で「シュール」ってめっちゃいわれますよね。「みんながついていけないくらい変な状況」になったときに「シュールやなぁ、おい!」ということが多いと思います。

そのせいか日本では「超現実」を「現実を超越したもの」と誤解されがちです。しかしもともとの意味は「とんでもなく、めちゃめちゃ現実であること」です。「なにこれ超かわいいじゃーん」というときに使う「超」と同じ意味ですね。


シュルレアリスムの目的や意義について
じゃあ「超現実」とはどういうことなのか。ざっくりいうと「夢と現実が入り混じった状況を許容する」という考えが根底にあります。

例えば「偶然入った中華料理屋で厨房を覗いたら二足歩行の猫がコック帽被って一心不乱に鍋を振っていた」とか。完全にあり得ない状況なんですけど、それを「ふむふむ。旨そうなチャーハンだな」と“ 肯定する”という考え方ですね。

アンドレ・ブルトンは、この超現実的な考えこそが「高次元な考えだ」と思ったわけです。というのも1920年代に哲学分野でいう「ヘーゲルの弁証法」という考えがちょっとしたブームになりました。


ヘーゲルの弁証法とは「正」「反」「合」の3つで表せるモノの考え方です。自分と違う考えに出会ったときに、それを否定するんじゃなくて折衷案を取ることでより高次元な考えにたどり着く、というものになります。

例えばカップルで「お昼ごはん食べよう♡」となったとします。わんぱくな彼氏は「ハンバーグ食べたい!」と言い、細みの彼女は「太りたくないからもっとヘルシーなのがいい」と言った。そこでケンカになるんじゃなく「豆腐ハンバーグにしよう」とか「両方選べるガスト行こう」と考えることですね。これがヘーゲルの弁証法です。

アンドレ・ブルトンは「夢」と「現実」の両方が同居している状態を認めてあげることで、高次元な思考にたどり着こうとしたわけです。

彼は自著「シュルレアリスム宣言」のなかで、シュルレアリスムの目的について「真に自由な発想を得ること」と書いています。アートの表現として、何の縛りもなく自由な発想をするうえでシュルレアリスムの思考は最適なんですね。

シュルレアリスムの背景にあるフロイトの精神分析学

「夢」というのは、シュルレアリスム的にいうと「無意識」です。アンドレ・ブルトンはもともと第一次世界大戦のときに、研修医として精神的に病んだ兵士たちを治療する部門にいました。そこで「フロイトの精神分析学」と出会います。


historicair (original)Ju gatsu mikka (derivative work)


フロイトの精神分析をざっくりご紹介します。前提として「人間には意識できている領域より、無意識領域のほうが圧倒的に広い」という考えがあります。そして意識したくないこと(辛い経験とか嫌いな人)を無意識下に追いやってしまう。その結果、人の行動はだいたい無意識領域の影響で左右されるというものです。

つまり「カウンセリングで意識できていることだけを解決してもダメだよー。無意識下のことを意識させることで悩みから解放されるんだよー!」って言ったんですね。

例えば社内でのいじめで鬱になった方に対して「いじめって辛いよね……分かるようんうん」とだけ傾聴するのではいけない。もしかしたらその方には「小学生のときの辛い思い出」とか「親から受けたトラウマ的な言葉」があるかもしれない。そんな無意識に追いやった出来事を意識の表面に出すことで、根本的解決につながるというわけです。

アンドレ・ブルトンは「人の本質は無意識下にある」ということを知るんですね。「夢」はそんな無意識が反映される映像なんです。それゆえシュルレアリスムでは「夢」という言葉がキーワードになっています。


シュルレアリストたちの技法

では、シュルレアリストたちはどうやって作品を作っていたのでしょうか。

自動筆記(オートマティズム)

例えば創始者のアンドレ・ブルトンは詩を書く際に「自動筆記(オートマティズム)」という手法を使いました。何か文章を書く際に、シンプルに高速で書きまくる、というものです。人は文章を書くときに「テーマ」「ロジック」「文法」などを考えます。すると自然に「意識する」という工程が生まれるんですね。ブルトンは意識する間もないほど高速で言葉を出し続けたわけです。すると当然文法的にはめちゃめちゃになるんですが、おもしろいことに「無意識下にある言葉」が出てくるんですね。

ちょっとやってみると「越前ガニが浮いている間だけ、私は氣志團になれる。しびれを切らしてやってきた溶接士が、しゃもじを振り回しながら噴水を飲み干した」みたいな感じです。私の無意識には氣志團とか越前ガニがいるんですね(謎)。これは誰でもできるので、ぜひやってみてください。友だちと会話形式でもできます。相手の返答とか無視して、とにかく高速で会話のラリーを続けるだけです。

デペイズマン

デペイズマンは「同居するはずのない2つ以上のものを一緒の画面に配置すること」です。例えばルネ・マグリットの「光の帝国」という作品では一部が夜なのに、一部が昼になっています。またマン・レイは「贈り物」という作品でアイロンの表面に釘を付けました。

デカルコマニー

デカルコマニーは和訳すると「転写」です。紙と紙の間に絵の具を挟んで、閉じて開くだけです。そこには何の意志も入っておらず、開いたときに絵の具がどんな付き方をしているのかは「完全に偶然」になっています。シュルレアリスムはこうした「偶然によって発想の限界を超越すること」もよく実験していました。

フロッタージュ

フロッタージュは小学生のときにやった人も多いと思います。なにか石とか木材とかでこぼこした固体のうえに紙を置き、さささ~っと鉛筆でこする技法です。すると、作者が意図していない形で絵が浮かび上がるわけです。これもデカルコマニーと同様に、完全に偶然に身を任せる技法ですね。

その他の技法

このほか煙で絵を描く「フュマージュ」や新聞などの文字を適当に切り刻んでまったく新しい形に組み直す「カットアップ」、何の指示もなしに1つの作品を複数人でつくる「優美な屍骸」といった手法があります。

ちなみにシュルレアリストたちのなかでもぶっちぎりで知名度が高いサルバドール・ダリは「キャンパスの前で食器を持って眠る」ということをしていました。意識がなくなったら、自然と持っていた食器を落とす。その音で目覚めて、さっきまでまどろみのなかで見ていた光景を思い出しながら、絵を描いていたんですね。だから、もうはちゃめちゃです。


シュルレアリスト協会と決別したサルバドール・ダリ

「シュルレアリスムといえば、サルバドール・ダリ!」と連想する方も多いと思うんですが、実は彼は数年でシュルレアリスト協会から離れて、拠点のフランスを去り、アメリカに渡っています。で、アメリカで大成功して巨万の富を築くわけです。


決別した原因は「ブルトンと政治観で意見が食い違ったから」といわれています。ただそれ以上にシュルレアリストたちとダリとは、いくつも違いがありました。まずダリは中退したものの「ちゃんと王立の美大で絵を学んでいる点」です。一方でシュルレアリスムの画家たちは、本格的にデッサンなどを勉強していない人が多い。そもそも「自分の本質とだけ向き合い、他者の目を気にしない芸術」なので、技術を身に着ける必要がないんですね。

だからダリの絵は他のシュルレアリストたちに比べて、圧倒的に上手いです。

また「他者の目を気にしない」=「商業主義を完全に取り払う」ということです。アンドレ・ブルトンは「シュルレアリスム宣言」のなかで「私たちは決して仕事をしない」と書いています。言葉だけ取ると、もう完全に「超ニート宣言」なんですけど、いやいやそんな“ こどおじ”ではないですよ。

この背景には「自分の無意識とだけ向き合う」という姿勢があります。仮に発注主がいたとして「仕事をすること=そいつのオーダーに従って作品を制作すること=自分の無意識と向き合うことから離れてしまうこと」なんです。だから仕事をすることでシュルレアリストではなくなってしまうんですね。

ただダリはアメリカにわたってから、いろんなオーダーを受けまくります。インテリアや洋服、舞台装飾などのデザインをしまくり、テレビ番組に引っ張りだこ。もう大スターになっちゃうんですね。日本でもダリ主演でテレビCMができたりしています。この背景には姉さん女房・ガラがいました。彼女はダリのマネジャーとして、彼の仕事を完全に管理していたそうです。

こんな感じでダリとそのほかのシュルレアリストたちとは大きな違いがあったんですね。ただしブルトンはダリ追放後も、シュルレアリスト作品展にダリの絵を展示しています。というのも、やっぱダリの作品があると展示会の盛り上がりが全然違うんですね。正直なブルトン、ほんとかわいい。

シュルレアリスムの「許す」思考

シュルレアリスムの作品群は、とにかく奇妙奇天烈です。でもそれは決して「よっしゃ、表現が出尽くしたし、奇をてらっちゃいますか!」と思ったわけではない。芸術は自由だという着想のもと、人間の「無意識にこそ、本質がある」と考えた結果、生まれた作品になっています。

そして個人的にビビビっときたのは「夢と現実の入り混じった光景をすべて許す」という部分です。自分と違う考えと出会ったときに「いやあなたそれ間違ってるよ」と否定してしまいそうになる方もいると思います。

なぜ否定してしまうのか。その裏には「無意識下に追いやった過去の出来事がある」というのがシュルレアリスム的な考え方です。これはいわゆる「呪い」ですね。その呪いを意識の表面に出したうえで、自分と反対の考えを含めてすべて「許す」。

これは仏教の「禅」に近い考えなんですよね。シュルレアリスムと禅は並べて、紹介されることもあります。あぁ、なんて素晴らしきシュルレアリスムの世界……。

しかしその一方で、1900年代前半の世界情勢は第一次世界大戦から第二次世界大戦へと移ろっていました。「どうしても相手を許せない運動」も起きていたんですね。むしろ「戦争」へのカウンターカルチャーとしてダダイズムやシュルレアリスムが育ったという側面もあります。
https://irohani.art/study/7784/


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ジョルジョ・デ・キリコは形而上絵画派を興し、後のシュルレアリスムに大きな影響を与えた。

デ・キリコは1912年にパリの無審査展覧会で作品を発表し始めたが、アーチの並ぶ古典的な建築、古代ギリシャ風の彫刻、煙を吐いて走る機関車などを配した風景画は当時の流行とは全く異質で、すぐには理解されなかった。しかし詩人で美術評論家のギヨーム・アポリネールに見いだされ、のちのダダイスム、シュルレアリスムに大きな影響を与えた。カルロ・カッラやジョルジョ・モランディのような追随者も生んだ。

日本ではシュルレアリスム系の画家として、デ・キリコとサルバドール・ダリの人気はとくに高い。影響例として、吉原治良の作品と難波田龍起の初期の作品を挙げることができる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B3



形而上絵画(けいじじょうかいが、英・Metafisical painting, 伊: Pittura Metafisica)とは、20世紀初頭にジョルジョ・デ・キリコらによって提唱された、イタリア絵画の芸術動向および絵画様式。形而上派、メタフィジック絵画ともいい、シュルレアリスム絵画の先駆とされる。

形而上絵画の兆候はデ・キリコが1909-1910年頃に制作した《神託の謎》《秋の午後の謎》にすでに見られるが、芸術動向としては1917年にフェッラーラにおけるデ・キリコとカルロ・カッラの出会いによって生まれ、翌年ジョルジョ・モランディが加わり、さらにデ・キリコの弟・アルベルト・サヴィニオやフィリッポ・デ・ピシス(wikidata)らが同調するが、1921年には解体した。他にマリオ・シローニ(wikidata)がいる。

キリコの絵には遠くにいる人物と、洋裁師のマネキンを描いた絵があるが、これは時間と空間のずれの効果を狙ったものである。アルノルト・ベックリンやマックス・クリンガーの影響を受けたとされ、"実際には見ることができないもの(現象・景色)を描く絵画"と描写されている。

アンドレ・ブルトンは、デ・キリコの形而上絵画作品を、それが引き起こす感覚ゆえに高く評価し、シュルレアリスムを創始するときの1つの源泉として位置付けた。

また、マックス・エルンスト、ルネ・マグリット、イヴ・タンギー、ポール・デルヴォー、ピエール・ロワなどへ、強い影響を、場合によっては決定的な影響を与えている。

デ・キリコの典型的な作品に則して述べれば、形而上絵画の特徴としては、主としてイタリア広場を舞台にしつつ、下記のような特徴が挙げられる。これらの特徴の結果、作品を見る者は、静謐、郷愁、謎、幻惑、困惑、不安などを感じることが多い。

1.画面の左右で、遠近法における焦点がずれている。

2.人間がまったく描かれていないか、小さくしか描かれていない。

3.彫刻、または、マネキンなどの特異な静物が描かれている。

4.長い影が描かれている。作品によっては、画面内の時計が示している時刻と影の長さの辻褄が合わない。例えば、時計は、正午に比較的近い時刻を示しているのに、影がひどく長い、など。

5.画面内に汽車が描かれており、煙を出しているので、走っていると思われるのに、煙はまっすぐ上に向かっている。


デ・キリコの作品で、形而上絵画の嚆矢としては、1910年頃に制作された下記の油彩画4作品が挙げられることが多い。なお、デ・キリコの形而上絵画作品は、1910年代だけで100点以上存在する。

神託の謎(Enigma of the Oracle/Enigme de l'oracle)
秋の午後の謎(Enigma of an Autumnal Afternoon/Enigme d'un apres-midi d'antomne)
時間の謎(Enigma of the Hour/Enigme de l'heure)
自画像(Self Portrait (Autoportrait)/Portrait de l'artiste par lui-même(Autoportrait))

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E8%80%8C%E4%B8%8A%E7%B5%B5%E7%94%BB


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シュルレアリスムの画家・彫刻家

ジョルジョ・デ・キリコ Giorgio de Chirico(ギリシャ ヴォロス 1888年7月10日 - 1978年11月20日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831831

ジョルジョ・モランディ Giorgio Morandi(イタリア ボローニャ 1890年7月20日 - 1964年6月18日)
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マックス・エルンスト Max Ernst(ドイツ ケルン近郊 1891年4月2日 - 1976年4月1日)
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ジョアン・ミロ Joan Miró i Ferrà(スペイン カタルーニャ 1893年4月20日 - 1983年12月25日)
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ルネ・マグリット René François Ghislain Magritte (ベルギー レシーヌ 1898年11月21日 -1967年8月15日)
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サルバドール・ダリ Salvador Dalí(スペイン フィゲーラス 1904年5月11日 - 1989年1月23日)
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ジャクソン・ポロック Jackson Pollock(アメリカ ワイオミング州コーディ 1912年1月28日 - 1956年8月11日)
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19:777 :

2024/01/03 (Wed) 14:04:36

西洋美術史を流れで学ぶ(第28回)~バウハウスとヒトラーによる弾圧編~
https://irohani.art/study/7906/

今回は第一次世界大戦終戦後から第二次世界大戦期にかけてのドイツのアートシーンについてご紹介。現在のデザインのベースである「モダンデザイン」を発明した学校・バウハウスや、ヒトラーが弾圧したアート作品について紹介しましょう。

バウハウスとは「モダンデザイン」の学校


デッサウ移転後に建設されたバウハウス校舎
Mewes


「戦争が起きるとテクノロジーが進化する」というのは本当のことで、人の闘争本能ってのは本当に恐ろしいものです……と、急になんか田原総一朗みたいな社会派コメントからスタートしましたが、いや本当に戦争とテクノロジーとはリンクしています。特に顕著だったのが「第一次世界大戦」でした。この戦争では毒ガス、戦車、飛行機、潜水艦といった兵器が“ 発明”されています。

この発明の背景にあったのが第二次産業革命です。第24回の記事 でお伝えした通り、1800年代の後半に第二次産業革命が起きてから、世の中は「機械による大量生産」が主流になりました。超便利なんですよ。大量生産によってモノの値段も下がるし、良いことのほうが多いんですけど、まだ大量生産自体が発展途上なんで、食器や日用品などは粗悪品も増えてしまったんですね。

この「工業製品の劣化」に対して、アートシーンはずっとカウンターをかましていました。「じゃあ、手作業で良質なものをつくったほうがいいやないか!」とキレていたんですね。

ただ、便利なので、機械による大量生産は、第一次世界大戦が起こった1910年代にはもう「普通」になっていました。そのときには「美術学校」と「工芸学校」の2つが別々に誕生していて「アートは芸術家、工芸品は職人」と明確に分離していたんですね。

今でも「絵画を描くのは芸術家で、家を建てるのは大工さん」と分離していると思います。画家っていうと何かおしゃれでアーティスティックだけど、大工さんっていうとどこか昔ながらで保守的な感じ……。この価値観が当時すでに生まれていたわけです。

第一次世界大戦が終わったあとの1919年、ドイツ帝国が崩壊して新しく「ヴァイマル共和国」が誕生します。そんな「新生ドイツとして、いちからがんばろうぜ」と意気込んでいたヴァイマル共和国で誕生した建築学校が「バウハウス」です。

バウハウスが目指したのは「芸術家と大工の垣根をなくした教育」でした。初代校長であり創設者の建築家、ヴァルター・グロピウスは「芸術家も大工も『良質なものをつくる』って意味では一緒でしょうが」と言っています。

その言葉通り、バウハウスでは講師陣に前衛表現をした芸術家を招きました。


バウハウスの講師陣

バウハウスの講師として、特に有名なのがワシリー・カンディンスキーと、パウル・クレーでしょう。クレーは「天使の絵」でご存じの方も多いでしょう。日本では可愛らしい天使が書籍として出版されており、人気が高い画家です。

2人とも初期の「抽象絵画」を担った画家でした。特にカンディンスキーは抽象絵画の祖といわれており、以下のような絵を描いています。


ワシリー・カンディンスキー『Transverse Line - 横線:』



抽象絵画の背景にあるのは第24回で紹介した「キュビスム」です。この時期から絵画は具象から抽象的な表現に変わっていきました。「リンゴ」を描くとしたら、昔は目に見えるリアルなリンゴを写実的に描いていましたが、ピカソの時代から「リンゴ」というモチーフそのものの本質を写すために抽象的に描かれるようになった。カンディンスキーはこの「抽象化」を極限まで極めたんですね。

またこの1920年代は「ドイツ表現主義」が流行った時代です。これは絵画だけでなく映画とか演劇の分野にも波及したんですけど、とにかく「誰かの目を気にすることなく、自分の主観だけと向き合って作品をつくる」という運動でした。

抽象絵画はまさしく「誰の目も気にしない」の頂点だといえます。シンプルに「誰かに感動を届ける」とか「資料として残す」などの考えを完全に撤廃していますよね。そもそも何を描いているのか分からない。でも自分の主観は反映されているんですね。

クレーもまたカンディンスキーの抽象絵画に共感した画家でした。カンディンスキーやクレーは「青騎士(ブラウエ・ライター)」という年刊紙を発行したので、グループ名として「青騎士」といわれます。むちゃくちゃ前衛的な画家集団です。


パウル・クレー『ホフマンへの話』



バウハウスではこの2名をはじめ、ガッツリ前衛芸術をしている芸術家を講師として呼んだんですね。


ヒトラーによって弾圧されるバウハウス


1933年5月10日のベルリンでの焚書
Unknown authorUnknown author


そんなバウハウスは1919年に設立され、1933年まで教育を続けます。なぜ1933年に閉校してしまったのかというと、あの悪名高いヒトラーの弾圧を受けたからです。

この時代のドイツのアートシーンにはヒトラーが大きく関わってきます。彼はナチスの党首として、またドイツの首相として人種差別と弾圧を加えた独裁者です。優生学をガチで信じており、北方人種の血を守り有色人種やユダヤ系を排除することでドイツはもっといい国になると思っていました。文字にするのもおぞましい思想だったわけです。

そんなヒトラーは、実は画家志望だった過去があります。しかし18歳で美大受験に失敗して断念しているんですね。ヒトラーの人生のなかでも最大の挫折といっていい暗黒の時代でした。

アドルフ・ヒトラー Adolf Hitler(オーストリア オーバーエスターライヒ州 1889年4月20日 - 1945年4月30日)
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そんなヒトラーは大人になり権力を持つようになってから、前衛的な芸術を否定しまくります。キュビスム、ダダイズム、ドイツ表現主義、抽象絵画などなど「新しい表現」はすべて弾圧されました。

なぜかというと「頭が悪くなるから」です。もうなんか、お母さんが子どもが下半身を露出してふざけるのを止めたくて「もうクレヨンしんちゃんは見ちゃいけません!」と叱る感覚と一緒です。

確かにこれらの様式はロジカルでないし、必ずしも美しくはありません。もちろん自己の内面と向き合って表現をしているからこそ、こうした前衛的な表現になるんですけど、それをヒトラー(というかナチス)は理解できなかったんですね。ただ単純に「ドイツの芸術は退廃してしまった」と嘆いたわけです。それで彼は作品群に「退廃芸術」とレッテルを貼り、作家たちを弾圧しようとします。


1938年2月27日の日曜の午後、「ドイツ芸術の家」で開催された退廃芸術展を観に訪れたゲッベルス宣伝相
Bundesarchiv, Bild 183-H02648 / Unknown authorUnknown author / CC BY-SA 3.0 DE



1933年には「退廃芸術展」を開催し、112人・約600点の作品を展覧しました。「この展覧会はドイツ国民の税金で開催しています」というチラシを貼ることで、ドイツの国民は「こんなヤバい作品のために、わしらの税金使われたんかい!」とガチギレしたそうです。ナチスの作戦は大成功するわけですね。

バウハウスは1925年に一度ナチスから弾圧され、ヴァイマルからデッサウに移転します。しかしデッサウでも弾圧され、1933年に解散となってしまいました。


今でも引き継がれるバウハウスのデザイン


Charlotte Nordahl from Dresden, Germany


今回は1920年代~30年代のドイツのアートシーンについて紹介しました。先述したように初期のバウハウスは「芸術と工芸の融合」を目指していました。それまでの建築物は装飾がゴテゴテに施されたきらびやかなものだった。しかしバウハウスの建築は一点、無駄がない合理的でスタイリッシュなデザインとなっています。バウハウスの合い言葉は「少ないことは豊かなこと」でした。

ヴァイマルからデッサウに移転してから3年後の1928年には、校長が代わったこともあり、より合理的で無駄のないデザインを追究していくことになります。表現主義的な側面が薄くなったことで多くの国民から愛されるようになったのがこの時期です。

このデザインは今では「モダンデザイン」といわれ、あらゆるデザインの「基礎」として使われています。例えばIKEAの家具はバウハウスのデザインがベースにあるとされています。またiPhoneのデザインにもバウハウスのモダンデザインが感じられます。

終わってみればたった14年しか続かなかった学校なのですが、その「デザイン革命」は令和の今でも「基礎」として生き続けているんですね。


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抽象絵画の画家・彫刻家

ジェームズ・アンソール James Ensor(ベルギー オーステンデ 1860年4月13日 - 1949年11月19日)
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ワシリー・カンディンスキー Wassily Kandinsky(ロシア モスクワ 1866年12月4日 - 1944年12月13日)
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ピート・モンドリアン Piet Mondrian(オランダ アメルスフォールト 1872年3月7日 - 1944年2月1日)
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カジミール・マレーヴィチ Kazimierz Malewicz(ウクライナ キエフ近郊 1879年2月23日 - 1935年5月15日)
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パウル・クレー Paul Klee(スイス ベルン近郊 1879年12月18日 - 1940年6月29日)
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20:777 :

2024/01/03 (Wed) 15:22:08

西洋美術史を流れで学ぶ(第29回)~現代アート編~
https://irohani.art/study/8137/

今回は第二次世界大戦が終わった1950年代から1990年代までの歴史について語らせてください。いわゆる「現代アート」と呼ばれる時代が始まる年代です。「いや、もう一つにまとめるのとか無理よ」ってくらい混沌としています。そのなかから主な運動とアーティストを抜粋してご紹介していきましょう。


「なぜ現代アートにたどり着いたのか」をあらためて振り返る

「現代アート」は広義でいうと、1950年代から現在までのアート運動を指します。

これまでの歴史って「ルネサンス」とか「ロココ」とか「印象派」とか……ある程度「この時代に流行ったのはこれ!」っていう様式がありました。ただ現代アートはもう超カオスです。世界各地で常に新しい表現主義が生まれ、どれがメインストリームかすら、もう分からん状態になっています。

「じゃあどんな様式があるの?」ってのをざっくり並べると、以下の表のようになります。


現代アートの様式 名前 開始時期 特徴
カラーフィールド・ペインティング 1950年代末から1960年代 大胆な色彩でキャンバスに「フィールド」を作り出す抽象絵画
大胆な色彩でキャンバスに「フィールド」を作り出す抽象絵画 1950年代後半 主に戦争のトラウマを呼び起こして描かれた幻想絵画
ミニマリズム 1960年から70年代初頭 作品の完成度を高めるためにあえて省略化して作られるアート作品
ネオ・ダダ 1950年代後半から1960年代 アメリカや日本でおこなわれた不条理性を追究する反芸術運動
ポップ・アート 1960年代 大量生産・大量消費時代をテーマとする芸術様式
コンセプチュアル・アート 1960年代から1970年代 作品を生み出すアイディア・コンセプトに重きを置いたアート様式
アスキーアート 1960年代後半 文字組みを生かしてビジュアライズする手法。顔文字も含まれる
パフォーマンス・アート 1960年代 作者自身の身体を作品として扱うアート
ソフト・スカルプチュア 1960年代 柔らかい素材で彫刻をつくるアート運動
スーパーリアリズム 1970年代 写真をもとに克明に絵画を描くことで写真そのものに近づける手法
ホログラフィー 1970年代前半 写真の「ホログラム」を使ったアート運動
ボディ・アート 1970年代前半 人体を使って、主に絵を描くスタイルのアート
フェミニズム・アート 1960年代後半~1970年代 女性の生活を反映した作品をつくるアート。主に美術史での女性の地位向上を目的にした
アウトサイダー・アート 1970年代 芸術の教育を受けていない芸術家たちが起こしたアート
インスタレーション・アート 1970年代 屋内外の空間全体を使って表現をするアート
ローブローアート 1970年代後半 アングラ漫画やヒップホップを起源に起こったユーモアや風刺の多いアート
ワイルドスタイル 1970年代後半 複雑な文字組みを特徴とするグラフィティアート
ニュー・ペインティング 1980年代 1920年代のドイツ表現主義のリバイバルとして起こった運動
シミュレーショニズム 1980年代 かつての他者の作品を盗用、サンプリングして作るアート
フラクタル・アート 1980年代 コンピュータの「フラクタル」を生かして作品をつくる運動
グラフィティ・アート 1980年代 主に路上の壁などにスプレーで自分の名前やイラストなどを描くアート
トランスグレッシブ・アート 1980年代 あえて反社会的・犯罪的な行動をすることで道徳心をあおる運動
トランスアバンギャルド 1980年代 イタリアで起こった新表現運動。主に「喜び」を意識した表現を特徴とする
シニカル・リアリズム 1990年代 主に中国で起こった、社会や制度をシニカルな視点で風刺した運動
マス・リアリズム 1990年代 ポストモダンにマスメディアやポップアートを織り交ぜた芸術運動
バイオ・アート 1990年代 遺伝子、クローンといったバイオ工学を生かしたアート
ネグリチュード 1990年代 アフリカ・カリブ系黒人による植民地・政治に対する運動
ソフトウェアアート 1990年代 コンピュータソフトを駆使して作品を作るアート様式


これはあくまで「一部」です。本当はもっともっとある。2022年の今でも世界のどこかで新しい表現が生まれ続けています。多様化ってのは素晴らしいですよね。こう、「自分の思想を、自分の好きな手段で発信できる」という自由さを感じます。


現代アートがここまで多様化できた理由

では、なぜアートは、ここまで多様化したのか。その理由を3つに分けて紹介してみましょう。


自分の内面を発信できる状態になった

まず、この連載でも紹介してきましたが、19世紀を境に「芸術作品のあり方」が大きく変わった点があります。

19世紀以前は「自分の好きなことを好きに表現する」というのは稀です。国とか教会とか金持ち市民の依頼を忠実に再現することがアーティストの仕事でした。完全にクライアントワーク。「依頼主に言われた通りのデザインで描く」というのがルールだったんですね。

また当時は識字率がまだまだ低い時代です。カメラができる前、「絵」は情報伝達の貴重な手段であり「世間のことをみんなに伝える」というのも、アーティストの仕事でした。そんな時に前衛表現をしても「なんのこっちゃ?」ですよね。新聞のスポーツ欄で「大谷翔平、さよならホームラン!」と書いてグニャグニャのバットと、ピカソの絵みたいな顔の大谷翔平を描くようなもんです。「なんのこっちゃ」なわけです。メディアとしてものすごく機能していたからこそ、保守的な表現になっていたという背景もあります。

ただ19世紀になって「デカいパトロンから仕事をもらう」というより「自分の作品を気に入ってくれた画商から仕事をもらう」という方向性にシフトチェンジした。また教育体制ができてカメラもできた。

すると「個人的な体験・思想」を作品に落とし込むことを重視するようになるんですね。そしたら「作風もモチーフも素材も、アーティストによってさまざま」という状況になります。で、その結果気に入ってくれたパトロンが仕事をくれる、という感じで細分化されていくわけです。

その流れが20世紀に入ってからも続いていき、多様化が進みました。
メインストリームとカウンターカルチャーの歴史
で、次々に新しい表現ができるわけです。すると「カルチャー」になるものも現れます。 例えばあの、渋谷の裏路地とかに100パー描いてあるグラフィティアートは、もともと黒人のヒップホップの一部ですが、今でも日本で次々に描かれてますよね。役所の人が消しても消しても描かれる。バンクシーは大ブームです。これは立派な「カルチャー」になったといえます。

こうしたカルチャーが生まれると、必ずといっていいほど「いやその思想には反対。マジ遺憾の意なんですけど」と「カウンターカルチャー」が出てきます。以前の記事でたとえると、「ロココ美術」という超派手で華麗な装飾の芸術様式に対して「新古典主義」という、落ち着いた重厚な様式が出てきた。みたいな感じです。「ロココ浮かれすぎやろ、おい」とツッコんだわけですね。こうしてメインストリームが次々に塗り替わるのが文化の歴史です。

現代アートのように様式が細分化されると、そのぶんカウンターも増えます。メインストリームとカウンターカルチャーの争いで、新たな運動が増えていった、という背景もあります。
テクノロジーの進化で「新しい表現」にチャレンジしやすくなった
また多様化した背景として大きいのは、やっぱり「産業革命」「技術革命」です。上の表でもある通り、カメラ、ビデオ、コンピュータと、時代を追うごとにいろんなデバイスが登場しまくった。機械も進化し続けている。「作品をつくる手段」自体が増えたんです。するとアーティストも「新しいこと」にチャレンジしやすくなったんですね。

その結果、1950年代以降はこんなにもカオスな状況になったわけです。


現代アートの分野で活躍したアーティスト

現代アートは幅が広い分、代表的なアーティストもめちゃめちゃ増えているわけですが、ここではなかでも有名なアーティストを紹介します。「名前はよく聞くけど、結局あの人って何がすごいんすか?」っていうもやもやをざっくり解消できたらと思います。


アンディ・ウォーホル
Unknown (Mondadori Publishers)

現代アーティストのなかでも最も成功した芸術家の一人、アンディ・ウォーホルは「ポップアートの巨匠」です。上の表でも書いた通り、ポップアートとは「大量生産、大量消費社会」について描かれた作品を指します。

キャンベルのスープ缶
Thomas Altfather Good

よく見るのは「キャンベルのスープ缶」ですよね。大事なのは「この缶自体のデザインをしたわけではない」ということ。キャンベルのスープ缶自体はもともと存在していて、日本でいう「味の素」レベルで各家庭にあります。ウォーホルにとっては、これこそ大量生産・大量消費の象徴だったわけです。つまり「人間が機械のように仕事帰りにスープを買い、夕食時に飲む」という行動について描いたんですね。

もう一点、大事なのは彼はこの大量生産大量消費に警鐘を鳴らしたわけではないということ。むしろ肯定的です。彼は「ファクトリー(工場)」と名付けた工房で「シルクスクリーン」という印刷技術を用いて大量の作品をつくりました。また「機械になりたい」と発言しています。

この現代社会を肯定することで、ウォーホルの作品は「アートに興味がなかった大衆」をも惹きつけた。その結果、世間に受け入れられたんですね。




ジャン=ミシェル・バスキア(1984)
Galerie Bruno Bischofberger

日本でも人気の黒人アーティスト、バスキア。最近だと、あのやたらお金配るおじさんが約123億円で「Untitled」を落札したのがニュースになりましたね。ハイチ系アメリカ人でニューヨークのブルックリン生まれの彼は、あえて分類すると「グラフィティ」や「新表現主義」といったジャンルで活躍したアーティストです。色使いやモチーフを抽象化した作風にはアフリカンアートの雰囲気も漂う。さまざまなバックボーンがあって、自己流に落とし込みました。

もともとはスラム街の壁などにスプレーで描いていましたが、後期はウォーホルと共作するなどアートシーンでの評価を高めていきます。しかしだんだんとヘロインの摂取をするようになり、マブダチのウォーホルが亡くなると、さらに孤独感に苛まれます。27歳でヘロインの過剰摂取により死去。彼が活躍した期間はたった10年くらいですが、いまだに世界中から支持される芸術家です。



ジャクソン・ポロック
Smithsonian American Art Museum

ジャクソン・ポロックはアメリカ抽象絵画の画家です。彼の全盛期は厳密にいうと1940代後半なんですけど、ここでは現代アーティストの一人として紹介します。

彼の作風は「アクション・ペインティング」です。キャンバスを床に置いたり、壁に立てかけたりして、絵の具を垂らしたり、散らしたりして描きます。

スティーブンス・ヴォーンのアクションペインティング
Stevens Vaughn

この手法の背景には、以前紹介した「シュルレアリスム」があります。第二次世界大戦のなか、ポロックは戦禍を逃れてアメリカに来ていたパリのシュルレアリストたちと交流し、この手法にたどり着きました。シュルレアリスムの精神は「無意識」の状態で作品をつくること。筆で塗るのではなく、あえて絵の具を垂らしたり散らしたりすることで、自分の意識しない仕上がりになるわけですね。

この手法は抽象絵画としてめちゃめちゃ評価され、ポロックは「アメリカを代表する画家」ともてはやされます。しかし彼にとってそれはプレッシャーであり、1950年代からだんだんとメンタルをやられてしまう。最期は酒に酔った状態で笑いながら車を走らせ、友人もろとも事故を起こし亡くなってしまいます。


ジャスパー・ジョーンズ

コラージュやドローイングを組み合わせて作品をつくる芸術家です。「星条旗」を描いた「旗」シリーズが有名ですね。星条旗を組み合わせたり、白で統一したり、背景に新聞紙を敷いたり、さまざまな形で表現しています。すでに全員が知っているモチーフを使って、インパクトのある作品を作り出す、という動きは「シミュレーショニズム」といいます。

ダダイズムの時代にはヒトラーの顔を切り抜いて使うこともありました。また今でもヒップホップ音楽では、他者の過去作品を使う「サンプリング」という文化がありますが、これも「シミュレーショニズム」の1つです。バングラデシュの国旗は日の丸を参考にデザインしたそうですが、これも一種のシミュレーショニズムかもしれませんよね………あれですよ? はっきり明言しないのは、なんか怒られそうで怖いからです。

バングラデシュの国旗

そのほかジャスパー・ジョーンズは「ダーツの的」を描いたり、数字をデザインしたりしています。その思想はネオダダイズムに分類されることが多いですが、作品はポップアートともいえるのが特徴です。

アメリカではそのメッセージ性が高く評価されており、現代アーティストの巨人の一人とされています。日本文化にも高い関心を持っており、1979年から2004年にかけて「Usuyuki(薄雪)」というシリーズを制作しています。ちなみにご存命です。



マーク・ロスコ

ラトビアの切手に描かれたロスコの肖像
Latvijas Pasts (Latvian Post)

ラトビアで生まれ、アメリカで活躍した現代アーティストの1人です。ロスコはユダヤ系なのですが、彼が幼少期を過ごしたロシアではまだ差別 が残っていた。そんなコンプレックスを持ちながら、彼はフリードリヒ・ニーチェやフロイト哲学に没頭しながら「人の空虚性」に興味を抱くようになります。そしてその空虚性を緩和することを目標としました。

作品は抽象絵画なのですが、全体的にものすごく寂しい雰囲気が出ています。少ない線で描かれた人物も物悲しい雰囲気が漂う。でも「それが絵本っぽくてかわいい!」という声もあったり。あの「奈良美智の描く女の子が若い女性に超人気になる」みたいな感じで日本でも人気が高い画家の1人です。



ゲルハルト・リヒター(2017年)
Jindřich Nosek (NoJin)

ゲルハルト・リヒターはドイツ出身の画家です。油彩画や写真といった手法だけでなく、ガラスや鏡などの素材を用いて作品をつくります。抽象絵画だけでなく、具象を織り交ぜながら作る作品は見た目のインパクトだけでなく、ホロコーストを経たから分かるメッセージ性も含まれています。世界中の若者から愛されているアーティストです。



現代アーティストは決して「ヤバい人」じゃないんだよ

今回は1950年代以降の現代アートについて紹介しました。どの作品もインパクトがあって面白いですよね。アートに理解がある方であれば、おもしろがれるんじゃないかしら、と思います。

現代アートの多くは「まだ世に無い表現を見つけて追求する」という思想をもとに制作されています。だからチャレンジングというか、実験的な作品が多くなるんですね。例えば「トランスグレッシブ・アート」なんか、あえて不快感を覚える表現をしたり、倫理・道徳に反することをするっていう、完全ヤベぇ表現様式です。

だからアートに馴染みがない方って「現代アートってなんかついていけないわ。あれでしょ?『人に理解できないことを理解している俺かっけぇ』的なやつでしょ?」と思うかもしれません。あの、金髪マッシュに黒ぶち眼鏡の「僕フランス映画好きなんだよね」系男子と同じ空気を感じるかも。

でも、現代アーティストは誰しも、その作品を表現するためにいろんな挫折や葛藤を通過しているんですね。その先にあったのが、独自の表現だったわけです。その部分を理解すると、作品がおもしろく見えてきます。ですので、中世~近代美術の展覧会によく行く方もいったん頭を空っぽにして現代アートの展覧会に足を運んでみるのもいいでしょう。
https://irohani.art/study/8137/


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抽象表現主義(Abstract expressionism)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%BD%E8%B1%A1%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E4%B8%BB%E7%BE%A9

抽象表現主義(Abstract expressionism)は、1940年代後半のアメリカ合衆国で起こり、世界的に注目された美術の動向である。抽象表現主義という語は、1919年にワシリー・カンディンスキーの作品に記述されたのが初めてで、その後1946年にロバート・コーツ(英語版)が再採用したものである[1]。また抽象表現主義はハロルド・ローゼンバーグ(英語版)が「アクション・ペインティング」と命名しているものの総称としても使用される。


主な特徴

巨大なキャンバス(イーゼル絵画との決別)
画面に中心がなく、地と図の区別がない、「オールオーバー」(均一)な平面
キャンバスは、作家の描画行為の痕跡(フィールド)であると考え、創作過程を重視する


代表的な作家は、ジャクソン・ポロック、バーネット・ニューマン、マーク・ロスコ、ウィレム・デ・クーニング、ロバート・マザウェル(英語版) などで、彼らを評価した批評家として、クレメント・グリーンバーグ、ハロルド・ローゼンバーグなどが有名である。


アメリカがはじめて世界に影響を及ぼした美術運動であり、ニューヨークがパリに代わって芸術の中心地となるきっかけになった。「ニューヨーク・スクール」(ニューヨーク派)とも呼ばれる。


美術の中心はニューヨークへ

1930年代のニューヨークは、ベン・シャーンら、労働者の貧しい現実や社会問題を描くリアリズム絵画や、「アメリカ地方主義絵画」が全盛で、モダニズムは肩身の狭い存在だった。そこにヨーロッパから渡米したハンス・ホフマン、ジョゼフ・アルバースらがグリニッジ・ヴィレッジで私塾を開き、抽象絵画を教え始めた。アメリカ人彫刻家のイブラム・ラソー(英語版)のスタジオにも、アド・ラインハート(英語版)、アルバースらが集い、のちに「アメリカン・アブストラクト・アーティスツ」という組織に発展した。ロスコやポロックなど、後の抽象表現主義のスターとなる作家たちがこうした中にいた。そして1940年代前半には、第二次世界大戦の戦火を避けて、ヨーロッパからシュルレアリスム、抽象絵画、バウハウス関係者など、美術家、音楽家、建築家、デザイナーら、あらゆる種類の前衛芸術家たちがニューヨークに亡命してきた。

彼らがアメリカに感じた魅力は、自由と豊かさ、大勢のパトロンの存在だったといえる。そしてアメリカの若い芸術家たちにとっても、ヨーロッパの最先端を吸収する絶好の機会となった。

第二次世界大戦以前は、アメリカ人の若い画家や彫刻家たちは、芸術の本場であるヨーロッパのパリなどに留学して学ぶことが一般的だった。アメリカはヨーロッパから一方的に学ぶ側で、アメリカ人の蒐集家たちも自国の作家よりヨーロッパの作家の作品を買い集めていた。たまに個々のアメリカ人画家や彫刻家がヨーロッパで評判になることはあっても、大きな影響を与えるようなことはなかった。ヨーロッパの前衛を担う人々がアメリカに移ってきたことで、アメリカでもモダニズムが開花し、ニューヨークの美術は先鋭的なものへと変わった。



影響源

シュルレアリスム
若い美術家たちに大きな影響を与えたのはシュルレアリスムである。サルバドール・ダリのような潜在意識(欲動)の世界を具象的に描く絵は大衆的に人気を博した。またマックス・エルンストに代表されるオートマティスムも大きな影響を与えた。ジャクソン・ポロックの床にキャンバスをおいて描く絵も、インディアンの砂絵のほかに、エルンストなどの影響が指摘されている。


表現主義と抽象絵画
「抽象表現主義」は、はじめ第1次世界大戦後のヨーロッパ絵画に使われた言葉であったが、1946年、評論家のロバート・コーツによってアメリカの美術運動にこの語が当てはめられ、普及した。「抽象」という言葉はバウハウス、未来派、キュビズム、その他1930年代の抽象絵画などの非具象の美学を引き継いでおり、「表現主義」という言葉はドイツ表現主義などの自己表現、激しい感情の表現を引き継いでいる。

激しい感情をキャンバスに叩きつけるようなウィレム・デ・クーニングの作風が典型的と思われがちであるが、マーク・ロスコのように単純に色面を並べる作品や、赤や黒などの単色を塗っただけのバーネット・ニューマン、アド・ラインハートらの画家が抽象表現主義のカテゴリーにくくられている。


アメリカ固有の風土
若い美術家たちはヨーロッパの前衛美術家たちだけから影響を受けたわけではなかった。彼らを育んだアメリカの国土や歴史も表現の源泉である。広い国土、抽象的なまでに地平線まで開けた風景、焦点になるものがなくどこまでも均質に均質に広がる風景など、ヨーロッパと違う巨大な国土が彼らの作品制作の意識の根底にある。

また、特に強調すべきなのは、アメリカ大陸の先住民の美術が1940年代に大きな影響を若いアメリカ人美術家らに与えたことである。大地の上に描かれるインディアンの砂絵やエスキモーの造形物の原始的な美など、その造形センス、大地の上に直接描くというヨーロッパの伝統的な絵画にはない手法などが、ヨーロッパの借り物でない「アメリカの美術」の形成に大きな役割を果たした。

開拓時代以降、ヨーロッパに学び続けたアメリカ絵画は、林や湖や動物といったヨーロッパ的な風景を描くことが多かった。アメリカ人はこの時代までの長い間、アメリカ固有の風景からも先住民の造型感覚からもあまり学ぶことがなくもっぱらヨーロッパを見続けていたといえる。


壁画の経験
また、1930年代には多くの若いアメリカ人美術家が、すぐ間近のメキシコで活動し1930年代にはアメリカでも展開されたディエゴ・リベラ、ダビッド・アルファロ・シケイロス、ホセ・クレメンテ・オロスコらのメキシコ壁画運動に助手などの形で関与し、その壁画や大画面という形式に影響を受けた。また大不況の時代、多くの美術家が連邦政府の芸術家救済プロジェクト「連邦美術計画」(FAP)に雇われてアメリカ各地の建物の壁に絵を描くプロジェクトに従事し、大きな壁いっぱいに壁画を描く体験から大画面に描く喜びや大画面ならではの効果に目覚めた者もいる。


抽象表現主義の出現
キャンバスを「場」として
こうして、大きなキャンバスにおのおのの抽象表現を試みる美術家が続々と出現した。彼らは最大5mを超える超大型のキャンバスをしばしば使った。彼らはこの巨大キャンバスを、現実のものの姿形をそのまま引き写して描く画面とせず、大きなキャンバス布と格闘するように体をいっぱいに使って抽象的な色や形を叩きつける「場所(フィールド)」に変化させた。

具象・抽象を問わず美術に対するヨーロッパの伝統的な固定観念であった、「絵画は布や紙の上に物の形や画家の思想を描いたもの」という捉え方を打破し、絵画とは「美術家が「場」において体を動かして「描く」という行為を行った痕跡」として、その痕跡であるキャンバスを彼らはそのまま呈示した。

その巨大なスケールの中に描かれた難解で抽象的な線・形・色面は、その前に立つ者を包み込んで圧倒し、内容を理解するしないに関わらず、とにかく崇高な印象を与えた。画家は、キャンバスをイーゼルにかけて静かに描く人物から、キャンバスを相手に闘う英雄となった。

これらの抽象表現を、(ピエト・モンドリアンらの流れを汲むような)幾何学的な抽象表現である「冷たい抽象」に対し、行為や色面で感情表現をするような「熱い抽象」と呼ぶこともあった。

アクション・ペインティング
抽象表現主義の中でも、代表的な人物はジャクソン・ポロックであろう。彼は床に置いたキャンバスの上を動き回り、ペンキを垂らしたり撥ね付けたりという型破りな描き方で注目を集めた。アドルフ・ゴットリーブ、ウィレム・デ・クーニングらの激しい筆致も全身を使った画家の激しい動きによって描かれたことを見るものに感じさせた。

彼らの作品のように、描かれているもの以上に美術家がキャンバス上で行ったであろう行為を強く感じさせる絵画を、評論家ハロルド・ローゼンバーグは「アクション・ペインティング」と呼んで擁護し世間に紹介した。彼らは、その常識外れの描き方やできた作品の激しさから、40年代後半から50年代前半にかけてマスコミにスキャンダラスに取り上げられ有名になり、保守的な評論家やマスコミなどからは「誰でもかけそうな、子供の落書き」と攻撃されたが、その作品の直接的な強さや生命力は大戦後の人々をひきつけるものがあり熱狂的な支持も生んだ。またアメリカに一連のスター画家が生まれているという印象を国内外に与えることになった。

アクション・ペインティングは、フランスの「アンフォルメル」や日本の「具体」など、同時期に世界中で同時多発的に行われていた、「描く内容」よりも「描く行為、描き方」を重視する一連の運動とも同時に語られ、戦後のアメリカを代表する同時代美術として見られるようになった。


カラーフィールド・ペインティング
同じ抽象表現主義としてくくられながら、アクション・ペインティングより静かな印象を与えるのが「カラーフィールド・ペインティング」であろう。こちらはその名のとおり、行為によってよりも「色彩」によって、観客を包む「場」を形成するような作品といえる。

キャンバス全体にあまり多くない数の色面が大きく、バランスよく配されている。またその色面には中心や焦点がなく、「地」と「図」の区別もなく、厚みもなく平面的で、どこをとっても均質で、画面を越えて色面がどこまでも続いているように見える、「オールオーバー」といわれる画面作りがされている。

彼らは、絵画はのぞき窓ではなく、絵の具を乗せた単なる平面だと認識した。そのため、画面の中に三次元の奥行きや世界があるように錯覚させる陰影や透視法などヨーロッパ絵画の伝統的な「イリュージョン」は全面的に否定している。また花や人物といった主役となる中心(ヒエラルキー)は「地」と「図」の区別をつくってしまうためこれも完全否定され、平面自体が主役となるように作品を作っている。

たとえばバーネット・ニューマンの、人間以上に大きな大画面を一つの色彩で覆いつくし、そのなかに人間の姿を象徴するような一本の白く縦長の細長い色面(「zip[2]」)を置いて崇高さを醸し出す作品、マーク・ロスコの、大画面に巨大な色面を、何重にも色彩を塗り重ねて作り出した、色が画面からじわじわと放射されるような作品、アド・ラインハートの一色だけで塗られた大画面のように見えて、実は格子状にほんの少し違う色が描き分けられている作品、モーリス・ルイスの下塗りをしないキャンバスに薄めた絵具をたらして、偶然性によりいろいろな色の染みやにじみを作り出した作品(まさに平面そのもの)など、多くは大画面が奥行きのない一つの色で塗られ、それが絵画としての場を形成するようなものである。また、カラーフィールド・ペインティングの特徴は、実は先述のアクション・ペインティングの美術家にも共通しており、ポロックなどのペンキのドリップはまさにオールオーバーに大画面を覆いつくして焦点も始めも終わりもないかのように見える。

これを1950年代から60年代にかけて理論的に主導したのが評論家クレメント・グリーンバーグである。彼はこれらの美術家を1964年に自ら企画した展覧会名にちなみ「ポスト・ペインタリー・アブストラクション」(「絵画的抽象以降の抽象」、「地」に何か「図」が描いてある絵画的な状態を克服して、平面的で一切のイリュージョンを廃した抽象画)と呼んだが、最初にニューマンを評した際に使ったカラーフィールド・ペインティングが定着した。

グリーンバーグは、かつて1930年代に「アヴァンギャルドとキッチュ」という評論を書き、大衆向けの文化を前衛の反対にある俗悪なキッチュだと断じ、明確な主題を持たないがゆえに大衆を寄せ付けない難解な美術を称揚した。戦後になって、さらに「フォーマリズム」の理論を深化させて独自の理論を打ちたてモダニズムを擁護し、抽象表現主義をフォーマリズムに即した美術として賞賛した。

フォーマリズムとは、描かれた内容より形式(フォーム)を重視し、内容からではなく形式から作品を解釈する美学理論でありその歴史は古いが、グリーンバーグは内容より形式にこそ美術を批判的に評価し前進させる力があると考えた。アカデミックな写実に反抗しキュビズムなどから始まったモダニズムは、それ自体の「内的論理」、つまり「自己批評」(美術についての美術であること)と「自己規定」によってある必然的な結論へと突進し、もっとも純粋な美術の形態へと至ることになっている、と彼は言う。絵画が三次元の再現ではなくただの平面だと気づいた初期の抽象画家たちの段階から、いまだ絵具を昔同様に形態・輪郭・色彩に分割されるように用いている幾何学的抽象などの段階を経て、最終的な結論である「形態的な純粋性」にいたり、形態・輪郭・色彩が平面上ですべて一つになるスタイルが完成する、というのが彼の説であった。余計な要素を絵画からそぎ落とし必要で根本的な要素にまで還元することによりモダニズムが最終的な美術の形態になるという彼の議論は美術界に大きな影響を与えた。グリーンバーグはフォーマリズムの立場から批評を加え美術家たちの制作にも介入し、美術家の側もフォーマリズムの理論に沿うべく、イリュージョンを廃し平面的で色面以外の何をも描かない抽象画を作ることを心がけた。


1950年代のアメリカ美術の興隆
1940年代終わりから50年代前半にかけ、アメリカ国内で、それまでヨーロッパ美術の後追いとしか見られていなかったアメリカ美術の興隆が意識されるようになった。グリーンバーグは1948年に、西洋美術の将来はアメリカ美術、それもマンハッタンの34丁目の南にいる50人ばかりにかかっている(が、アメリカ社会の保守性のため滅亡寸前にあると悲憤慷慨する)という論文を発表しているが、50年代には次々現れるアメリカの若手美術家の力量がアメリカ国内で評価されるようになった。グリーンバーグやローゼンバーグは抽象表現主義絵画を盛んに紹介し、理論付けることで美術界を活気付け方向付けた。やがてヨーロッパの文化に対し、アメリカの文化が拮抗し逆転するようになったとの国家意識がアメリカの芸術・文化関係者の間で芽生え始めた。画家や批評家からなる「ニューヨーク美術界」がマンハッタンの南のダウンタウンに出現し、そこへマンハッタンの北にあるアップタウンから美術館・画廊・名家・財閥・成金たちがアメリカの抽象表現主義に殺到するようになるまで幾年もかからなかった。

抽象表現主義は、アメリカに豊かな創造性や生命力を持った絵画が生まれ得る事を証明し、ヨーロッパの美の基準に基づかないアメリカ独自の美学が誕生したことを宣言した。

同じく50年代にはフランス、イギリス、西ドイツなどヨーロッパ各国でアメリカ美術が盛んに紹介され始め、世界の最先端との評価を得るようになった。50年代前半にはまずパリでジャクソン・ポロック展が開催され、美術雑誌がアメリカ美術の特集を組んだ。50年代後半にはイギリスでもアメリカ美術に興味がもたれるようになり、ニューヨーク近代美術館が企画したポロック展やアメリカ現代美術家のグループ展など、複数のアメリカ美術の展覧会がヨーロッパ諸国を巡回した。この頃アメリカとフランスは美術の前衛の主導権争いを繰り広げる形となったが(「抽象表現主義」対「アンフォルメル」)、抽象表現主義につづきポップアートやミニマルアートなど西洋美術・現代美術を主導する美術運動や美術理論がアメリカから登場することで、1980年代まではヨーロッパ美術に対しアメリカ美術が主導権を持ち続けた。


冷戦下のCIAの美術工作
抽象表現主義は、冷戦下の政治の力の側面支援を受けたとも見られている。

抽象表現主義は50年代前半、思想戦・情報戦の武器としてCIAの関心を引くところとなった。東側諸国との冷戦のさなか、CIAは抽象表現主義の美術家や批評家を援助し世界に広めることにより、アメリカには「思想の自由」と「表現の自由」があり、政治・軍事・経済だけでなく文化面でも大きな成果を成し遂げたという証明にできると考え、ソビエト連邦の芸術や文化の硬直性に対し有利に立てると考えた。

アメリカや主にヨーロッパを中心とした進歩的文化人など、世界中の文化人に対するソビエトの影響力は圧倒的で、アメリカは哲学や芸術の世界では常に悪役であり劣勢にあった。この劣勢に対し、CIAは美術も含めたアメリカの芸術の自由さと斬新さ、先端性をアピールすることで、文化人に対するソビエトの影響をそぎ、アメリカの影響を高めようとした。また西洋の芸術のモダニズムや前衛の成果や運動は、今やアメリカの美術界が引き継いだと証明するために、抽象表現主義とその理論が利用された。こうして抽象表現主義は、「冷戦下の文化戦争の尖兵」となることになる。

CIAがいかにしてアメリカの抽象表現主義を世界へ宣伝するために、「文化自由会議」(Congress for Cultural Freedom)を通じて1950年から1967年までの間、展覧会や美術批評活動に対し資金面や組織面で協力したかは、「The Cultural Cold War: The CIA and the World of Arts and Letters[3]」という本に詳しい。

もっとも各国での美術工作の効果はさまざまだった。自国の伝統の深さからアメリカの芸術や理論を受け入れなかった先進国や第三世界諸国も多かった反面、多くの国では、グリーンバーグ的フォーマリズムよりも、ローゼンバーグ的なアクションペインティングが受容された。また、アメリカの美術や美術理論が時として自国の体制や資本主義に対する批判も行っているという点は、アメリカには「抵抗の自由」もある、と文化人が抵抗のモデルをアメリカ芸術に求めることになり、多くの国の進歩的文化人が自国に対する批判としてアメリカ芸術を受容することにもなった。


運動の終わりと影響
抽象表現主義は1950年代終わりにはエルズワース・ケリー、アレクサンダー・リーバーマン、フランク・ステラ(初期)らによる「ハードエッジ」(刃の鋭い縁のように、絵画表面もその理論も研ぎ澄まされた画風を評してこう呼ぶ)にまで行き着いた。彼らはアクション・ペインティングや、戦前の抽象画の一大勢力だった幾何学的抽象を敵視し、形態も色彩もごくごく単純で平面的にすることで更なるイリュージョン[要曖昧さ回避]の排除を意図していた。

そして抽象表現主義は1960年ごろから影響力を失い始める。あまりに還元主義的な理論は、絵画を次第に堅苦しく単調なものとし、運動は硬直化を始めていた。そこへネオダダやポップアートなど、廃物や大衆的なイメージなどを流用した具象的な美術が現れて抽象表現主義に対する反発がはじまった。美術界や大衆はそれらに激しく反発しつつ、次第にその流れを支持するようになった。パトロンたちはポップアートをより楽しめる作品だと歓迎し、冷戦下の文化戦争の当事者たちもアメリカの豊かさと自由をより訴えることのできる美術だと評価した。

評論家レオ・スタインバーグ(英語版) は、ネオダダの作家ジャスパー・ジョーンズらの国旗や標的をそのまま画面いっぱいに描いた作品を、もともと「フラット」な記号を選ぶことで、さらにそれをわざとむらのある筆触で描くことで一層平面的に見せ、形式的には平面をおしすすめることに成功し、一方文学的な内容を導入することなく、日常の記号を美術に取り入れて非文学化しており、形式対内容の争い(フォーマリズム)を超え、総合した次元に至っていると解説する。さらに抽象表現主義の色面の世界は、平面的に見えながら実は空間や雰囲気をかもし出して見る者はその画面の中に意識を浮遊させることができる「擬似平面的」なものだが、ラウシェンバーグの絵画は単なる記号なので意識を画面中に入れることのできない完全な平面である、と抽象表現主義を論難した。

ローゼンバーグやグリーンバーグは当初ポップアートを俗悪だと批判したものの、旗色の悪さは鮮明で、のちにポップアートのいくつかを認める発言を行っているが、影響力は失墜した。抽象表現主義やフォーマリズムは影響を失ったが、抽象表現主義の美術家たちはその後も一貫して制作を続け、後の画家にも影響をあたえている。 たとえば、ハードエッジは、1960年代後半の抽象主義の逆襲ともいえるミニマルアート(ミニマリズム)につながっている。また1990年代以降、グリーンバーグらのフォーマリズム理論は改めて評価されている。


関連作家
ウィレム・デ・クーニング
アーシル・ゴーキー
アドルフ・ゴットリーブ
フィリップ・ガストン(英語版)
リー・クラズナー(英語版)
バーネット・ニューマン
ジャクソン・ポロック
モーリス・ルイス
アド・ラインハート
マーク・ロスコ
クリフォード・スティル(英語版)
エルズワース・ケリー
アレクサンダー・リーバーマン
フランク・ステラ
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現代アートの画家・彫刻家

ポール・デルヴォー Paul Delvaux(ベルギー リエージュ州 1897年9月23日 - 1994年7月20日)
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ルネ・マグリット René François Ghislain Magritte (ベルギー レシーヌ 1898年11月21日 -1967年8月15日)
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ジャン・デュビュッフェ Jean Philippe Arthur Dubuffet(フランス ル・アーヴル 1901年7月31日 - 1985年5月12日)
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マーク・ロスコ Mark Rothko(ロシア ドヴィンスク 1903年9月25日 - 1970年2月25日)
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ウィレム・デ・クーニング Willem de Kooning(オランダ ロッテルダム 1904年4月24日 - 1997年3月19日)
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サルバドール・ダリ Salvador Dalí(スペイン フィゲーラス 1904年5月11日 - 1989年1月23日)
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バーネット・ニューマン Barnett Newman(アメリカ ニューヨーク 1905年1月29日 - 1970年7月4日)
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フランシス・ベーコン Francis Bacon(アイルランド ダブリン 1909年10月28日 - 1992年4月28日)
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岡本 太郎 おかもと たろう(神奈川県川崎市 1911年2月26日 - 1996年1月7日)
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ジャクソン・ポロック Jackson Pollock(アメリカ ワイオミング州コーディ 1912年1月28日 - 1956年8月11日)
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ロイ・リキテンスタイン Roy Lichtenstein(Roy Lichtenstein, 1923年10月27日 - 1997年9月29日)
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アンディ・ウォーホル Andy Warhol(Andy Warhol、1928年8月6日 - 1987年2月22日)
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ジャスパー・ジョーンズ Jasper Johns(アメリカ ジョージア州 1930年5月15日 - )
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ゲルハルト・リヒター Gerhard Richter(ドイツ ドレスデン 1932年2月9日 - )
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ジャン=ミシェル・バスキア Jean-Michel Basquiat(アメリカ ニューヨーク市 1960年12月22日 - 1988年8月12日)
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バンクシー Banksy(イギリス 生年月日未公表)
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21:777 :

2024/01/04 (Thu) 17:40:35

イタリアの画家・彫刻家(生年順)


ローマ美術
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プロト・ルネサンス美術、初期ルネサンス美術
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ジョット・ディ・ボンドーネ Giotto di Bondone(イタリア フィレンツェ近郊 1267年-1337年1月8日)
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フィリッポ・ブルネレスキ Filippo Brunelleschi(イタリア フィレンツェ 1377年 - 1446年4月15日)
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ロレンツォ・ギベルティ Lorenzo Ghiberti(イタリア フィレンツェ 1381年 - 1455年12月1日)
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ドナテッロ Donatello(イタリア フィレンツェ 1386年 - 1466年12月13日)
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フラ・アンジェリコ Fra' Angelico(イタリア ヴィッキオ 1390年 - 1455年2月18日)
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マザッチオ Masaccio(イタリア サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ 1401年12月21日 - 1428年)
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サンドロ・ボッティチェッリ Sandro Botticelli(イタリア フィレンツェ 1445年3月1日- 1510年5月17日)
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レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci(イタリア フィレンツェ 1452年4月15日 - 1519年5月2日)
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ミケランジェロ・ブオナローティ Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni (イタリア トスカーナ州 1475年3月6日 - 1564年2月18日)
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ラファエロ・サンティ Raffaello Santi(イタリア ウルビーノ 1483年4月6日 - 1520年4月6日)
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コレッジョ Antonio Allegri da Correggio(北イタリア モデナの近くのコレッジョ 1489年–1534年)
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カラヴァッジオ Michelangelo Merisi da Caravaggio(イタリア ミラノ 1571年9月29日 - 1610年7月18日)
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ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ Gian Lorenzo Bernini(イタリア ナポリ 1598年12月7日 - 1680年11月28日)
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ジョヴァンニ・セガンティーニ Giovanni Segantini(イタリア アルコ 1858年1月15日 - 1899年9月28日)
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アメデオ・モディリアーニ Amedeo Clemente Modigliani(イタリア リヴォルノ 1884年7月12日 - 1920年1月24日)
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ジョルジョ・モランディ Giorgio Morandi(イタリア ボローニャ 1890年7月20日 - 1964年6月18日)
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22:777 :

2024/01/04 (Thu) 17:40:57

フランス・ベルギーの画家・彫刻家(生年順)


フーベルト・ファン・エイク Hubert van Eyck(ベルギー フランドル マーサイク 1385年 - 1426年9月18日)
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ヤン・ファン・エイク Jan van Eyck(ベルギー 1395年 - 1441年7月9日)
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ピーテル・パウル・ルーベンス Petrus Paulus Rubens(ドイツ ジーゲン 1577年6月28日 - 1640年5月30日)
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アンソニー・ヴァン・ダイク Anthony van Dyck(ベルギー アントウェルペン 1599年3月22日 - 1641年12月9日)
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アントワーヌ・ヴァトー Antoine Watteau(フランス ヴァランシエンヌ 1684年10月10日 - 1721年7月18日)
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フランソワ・ブーシェ François Boucher(フランス パリ 1703年9月29日 - 1770年5月30日)
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ジャン・オノレ・フラゴナール Jean Honoré Fragonard(フランス グラース 1732年4月5日 - 1806年8月22日)
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ジャック=ルイ・ダヴィッド Jacques-Louis David(フランス パリ 1748年8月30日 - 1825年12月29日)
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ドミニク・アングル Jean-Auguste-Dominique Ingres(フランス パリ 1780年8月29日 - 1867年1月14日)
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テオドール・ジェリコー Théodore Géricault(フランス ルーアン 1791年9月26日 - 1824年1月26日)
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ジャン=バティスト・カミーユ・コロー Jean-Baptiste Camille Corot(フランス パリ9区 1796年7月16日 - 1875年2月22日)
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ウジェーヌ・ドラクロワ Ferdinand Victor Eugène Delacroix(フランス サン=モーリス 1798年4月26日 - 1863年8月13日)
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テオドール・ルソー Théodore Rousseau(フランス パリ 1812年4月15日 - 1867年12月22日)
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ジャン=フランソワ・ミレー Jean-François Millet(フランス グリュシー 1814年10月4日 - 1875年1月20日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831814

ギュスターヴ・クールベ Gustave Courbet(フランス オルナン 1819年6月10日 - 1877年12月31日)
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ピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ Pierre Puvis de Chavannes(フランス リヨン 1824年12月14日 - 1898年10月24日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832184

ギュスターヴ・モロー Gustave Moreau(フランス パリ 1826年4月6日 - 1898年4月18日)
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エドゥアール・マネ Édouard Manet(フランス パリ 1832年1月23日 - 1883年4月30日)
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ポール・セザンヌ Paul Cézanne(南フランス エクス=アン=プロヴァンス 1839年1月19日 - 1906年10月23日)
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オディロン・ルドン Odilon Redon(フランス ボルドー 1840年4月20日 - 1916年7月6日)
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オーギュスト・ロダン François-Auguste-René Rodin(フランス パリ 1840年11月12日 - 1917年11月17日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831688

クロード・モネ Claude Monet(フランス パリ 1840年11月14日 - 1926年12月5日)
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ピエール=オーギュスト・ルノワール Pierre-Auguste Renoir(フランス リモージュ 1841年2月25日 - 1919年12月3日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831828

アンリ・ルソー Henri Julien Félix Rousseau(フランス マイエンヌ県ラヴァル 1844年5月21日 - 1910年9月2日)
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エミール・ガレ Charles Martin Émile Gallé(フランス ロレーヌ地方ナンシー 1846年5月4日 - 1904年9月23日)
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ポール・ゴーギャン Eugène Henri Paul Gauguin(フランス パリ 1848年6月7日 - 1903年5月8日)
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フェルディナント・ホドラー Ferdinand Hodler(スイス ベルン 1853年3月14日 - 1918年5月19日)
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フィンセント・ファン・ゴッホ Vincent Willem van Gogh(オランダ南部ズンデルト 1853年3月30日 - 1890年7月29日)
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ジョルジュ・スーラ Georges Seurat(フランス パリ 1859年12月2日 - 1891年3月29日)
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ジェームズ・アンソール James Ensor(ベルギー オーステンデ 1860年4月13日 - 1949年11月19日)
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ポール・シニャック Paul Victor Jules Signac(フランス パリ 1863年11月11日 - 1935年8月15日)
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ロートレック Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec-Monfa(南フランス アルビ 1864年11月24日 - 1901年9月9日)
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アンリ・マティス Henri Matisse(フランス ノール県ル・カトー=カンブレジ 1869年12月31日 - 1954年11月3日)
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ジョルジュ・ルオー Georges Rouault(フランス パリ 1871年5月27日 - 1958年2月13日)
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ジョルジュ・ブラック Georges Braque(フランス アルジャントゥイユ 1882年5月13日 - 1963年8月31日)
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マリー・ローランサン Marie Laurencin(フランス パリ 1883年10月31日 - 1956年6月8日)
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モーリス・ユトリロ Maurice Utrillo(フランス パリ モンマルトル 1883年12月26日 - 1955年11月5日)
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アメデオ・モディリアーニ Amedeo Clemente Modigliani(イタリア リヴォルノ 1884年7月12日 - 1920年1月24日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831648

藤田 嗣治 ふじた つぐはる(東京都新宿区 1886年11月27日 - 1968年1月29日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831644

マルク・シャガール Marc Chagall(ロシア ヴィテブスク 1887年7月7日 - 1985年3月28日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832039

マルセル・デュシャン Marcel Duchamp(フランス ノルマンディー 1887年7月28日 - 1968年10月2日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832063

ポール・デルヴォー Paul Delvaux(ベルギー リエージュ州 1897年9月23日 - 1994年7月20日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832178

ルネ・マグリット René François Ghislain Magritte (ベルギー レシーヌ 1898年11月21日 -1967年8月15日)
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ジャン・デュビュッフェ Jean Philippe Arthur Dubuffet(フランス ル・アーヴル 1901年7月31日 - 1985年5月12日)
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23:777 :

2024/01/04 (Thu) 17:41:18

オランダの画家・彫刻家(生年順)


ヒエロニムス・ボス Hieronymus Bosch(オランダ南部 スヘルトーヘンボス 1450年 - 1516年8月9日)
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レンブラント・ファン・レイン Rembrandt Harmenszoon van Rijn(オランダ ライデン 1606年7月15日 - 1669年10月4日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831573

ヤーコプ・ファン・ロイスダール Jacob Izaakszoon van Ruisdael(オランダ ハールレム 1628年 - 1682年3月14日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16833197

ヨハネス・フェルメール Johannes Vermeer(オランダ デルフト 1632年10月31日 - 1675年12月15日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831574

フィンセント・ファン・ゴッホ Vincent Willem van Gogh(オランダ南部ズンデルト 1853年3月30日 - 1890年7月29日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831564

ピート・モンドリアン Piet Mondrian(オランダ アメルスフォールト 1872年3月7日 - 1944年2月1日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831835

ウィレム・デ・クーニング Willem de Kooning(オランダ ロッテルダム 1904年4月24日 - 1997年3月19日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832049

24:777 :

2024/01/04 (Thu) 17:41:45

ドイツ・オーストリアの画家・彫刻家(生年順)


アルブレヒト・デューラー Albrecht Dürer(ドイツ ニュルンベルク 1471年5月21日 - 1528年4月6日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16833154

ピーテル・パウル・ルーベンス Petrus Paulus Rubens(ドイツ ジーゲン 1577年6月28日 - 1640年5月30日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831572

グスタフ・クリムト Gustav Klimt(オーストリア ウィーン郊外 1862年7月14日 - 1918年2月6日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831829

パウル・クレー Paul Klee(スイス ベルン近郊 1879年12月18日 - 1940年6月29日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831833

フランツ・マルク Franz Marc(ドイツ ミュンヘン 1880年2月8日 - 1916年3月4日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832150

エルンスト・キルヒナー Ernst Ludwig Kirchner(ドイツ アシャッフェンブルク 1880年5月6日 - 1938年6月15日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832153

オスカー・ココシュカ Oskar Kokoschka(オーストリア ペヒラルン 1886年3月1日 - 1980年2月22日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832038

アドルフ・ヒトラー Adolf Hitler(オーストリア オーバーエスターライヒ州 1889年4月20日 - 1945年4月30日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832074

エゴン・シーレ Egon Schiele(オーストリア ウィーン近郊 1890年6月12日 - 1918年10月31日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831830

マックス・エルンスト Max Ernst(ドイツ ケルン近郊 1891年4月2日 - 1976年4月1日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832060

ゲルハルト・リヒター Gerhard Richter(ドイツ ドレスデン 1932年2月9日 - )
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16833459

25:777 :

2024/01/04 (Thu) 17:42:20

スペイン・ポルトガルの画家・彫刻家(生年順)


ディエゴ・ベラスケス Diego Rodríguez de Silva y Velázquez(スペイン セビーリャ 1599年6月6日 - 1660年8月6日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16833191

ムリーリョ Bartolomé Esteban Perez Murillo(スペイン セビリア 1617年12月31日 - 1682年4月3日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16833192

フランシスコ・デ・ゴヤ Francisco José de Goya y Lucientes(スペイン北東部サラゴサ近郊 1746年3月30日 - 1828年4月16日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831578

アントニ・ガウディ Antoni Gaudí i Cornet(スペイン カタロニア 1852年6月25日 - 1926年6月10日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831834

パブロ・ピカソ Pablo Ruiz Picasso(スペイン南部アンダルシア地方マラガ 1881年10月25日 - 1973年4月8日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831647

ジョアン・ミロ Joan Miró i Ferrà(スペイン カタルーニャ 1893年4月20日 - 1983年12月25日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832040

サルバドール・ダリ Salvador Dalí(スペイン フィゲーラス 1904年5月11日 - 1989年1月23日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16833382

26:777 :

2024/01/04 (Thu) 17:42:50

ロシア・東欧の画家・彫刻家(生年順)


イリヤー・レーピン Ilya Yefimovich Repin(ウクライナ ハリコフ近郊 1844年8月5日 - 1930年9月29日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832174

ワシリー・カンディンスキー Wassily Kandinsky(ロシア モスクワ 1866年12月4日 - 1944年12月13日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832070

エルザ・バロネス・フォン・フライターク=ローリングホーフェン Elsa Baroness von Freytag-Loringhoven(ポーランド 1874年7月12日 - 1927年12月14日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16833362

オットー・ミュラー Otto Mueller(ポーランド ルバフカ 1874年10月16日 - 1930年9月24日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832151

カジミール・マレーヴィチ Kazimierz Malewicz(ウクライナ キエフ近郊 1879年2月23日 - 1935年5月15日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832155

マルク・シャガール Marc Chagall(ロシア ヴィテブスク 1887年7月7日 - 1985年3月28日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832039

マーク・ロスコ Mark Rothko(ロシア ドヴィンスク 1903年9月25日 - 1970年2月25日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832056



徹底解説!ウクライナ美術史―金属と宝石を用いた古代の工芸品から、中世の教会を彩ったモザイクとフレスコの壁画、近世の聖堂建築を特徴付ける「マゼーパ様式」、近代の「ロシア・アヴァンギャルド」の絵画作品まで - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=VzUGGSWZZBU&list=PL_LEo6mQTQ1gpEtZYM_zFbweHflCTmr5o&index=13


27:777 :

2024/01/04 (Thu) 17:43:28

イギリス・アイルランドの画家・彫刻家(生年順)

ストーンサークル
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トマス・ゲインズバラ Thomas Gainsborough (イングランド サドベリ 1727年5月14日 - 1788年8月2日)
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ウィリアム・ブレイク William Blake(イギリス ロンドン 1757年11月28日 - 1827年8月12日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16834859

ジョゼフ・ターナー Joseph Mallord William Turner(イギリス ロンドン 1775年4月23日 - 1851年12月19日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832192

ジョン・エヴァレット・ミレー John Everett Millais(イギリス サザンプトン 1829年6月8日 - 1896年8月13日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16833296

オーブリー・ビアズリー Aubrey Vincent Beardsley(イギリス ブライトン 1872年8月21日 - 1898年3月16日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832157

フランシス・ベーコン Francis Bacon(アイルランド ダブリン 1909年10月28日 - 1992年4月28日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832047

バンクシー Banksy(イギリス 生年月日未公表)
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28:777 :

2024/01/04 (Thu) 17:43:48

アメリカの画家・彫刻家(生年順)


北アメリカ北西海岸 トーテムポール
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バーネット・ニューマン Barnett Newman(アメリカ ニューヨーク 1905年1月29日 - 1970年7月4日)
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ジャクソン・ポロック Jackson Pollock(アメリカ ワイオミング州コーディ 1912年1月28日 - 1956年8月11日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832042

ロイ・リキテンスタイン Roy Lichtenstein(アメリカ ニューヨーク 1923年10月27日 - 1997年9月29日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832045

アンディ・ウォーホル Andy Warhol(アメリカ ピッツバーグ 1928年8月6日 - 1987年2月22日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832043

ジャスパー・ジョーンズ Jasper Johns(アメリカ ジョージア州 1930年5月15日 - )
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16833457

ジャン=ミシェル・バスキア Jean-Michel Basquiat(アメリカ ニューヨーク市 1960年12月22日 - 1988年8月12日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16833454

29:777 :

2024/01/04 (Thu) 18:30:49

北欧の画家・彫刻家(生年順)

エドヴァルド・ムンク Edvard Munch(ノルウェー ロイテン 1863年12月12日 - 1944年1月23日)
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30:777 :

2024/01/04 (Thu) 18:32:50

ギリシャの画家・彫刻家(生年順)


エーゲ美術
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ギリシャ美術
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ジョルジョ・デ・キリコ Giorgio de Chirico(ギリシャ ヴォロス 1888年7月10日 - 1978年11月20日)
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