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イネやアワやキビの栽培は日本列島では縄文時代晩期終末をさかのぼらない

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2023/11/19 (Sun) 08:31:15

日本列島における水稲栽培やそれと関連した文化の伝播は、時空間的差異が大きいようです。本書では、プラント・オパール分析を根拠に、イネ自体は縄文時代中期から存在した、とされていますが、イネやアワやキビなどユーラシア東部大陸系穀物の確実な痕跡は、日本列島では縄文時代晩期終末をさかのぼらない、との見解が現在では有力だと思います(関連記事)。本書は稲作の到来とともに、長江から北方に逃れた人々が日本列島に到来した可能性を指摘しますが、その根拠はYHgで、確かに長江流域集団が北進して日本列島に到来した可能性はあるものの、そうだとしても、古代ゲノム研究の進展を踏まえると、その遺伝的影響は小さいようです
https://sicambre.seesaa.net/article/202311article_18.html


雑記帳
2022年02月26日
設楽博己『縄文vs.弥生 先史時代を九つの視点で比較する』
https://sicambre.seesaa.net/article/202202article_26.html

https://www.amazon.co.jp/%E7%B8%84%E6%96%87vs-%E5%BC%A5%E7%94%9F-%E2%80%95%E2%80%95%E5%85%88%E5%8F%B2%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%82%92%E4%B9%9D%E3%81%A4%E3%81%AE%E8%A6%96%E7%82%B9%E3%81%A7%E6%AF%94%E8%BC%83%E3%81%99%E3%82%8B-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E8%A8%AD%E6%A5%BD-%E5%8D%9A%E5%B7%B1/dp/4480074511


 ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2022年1月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は縄文時代と弥生時代とを、生業や社会や精神文化の観点から比較し、単に両者の違いだけではなく、縄文時代から弥生時代へと継承されたものについても言及しています。時代区分は、縄文時代については、草創期15000年前頃以降、早期が11300年前頃以降、前期が7000年前頃以降、中期が5400年前頃以降、後期が4500年前頃以降、晩期が3200年前頃以降で、弥生時代については、早期(九州北部地方)が紀元前9世紀以降、前期(九州北部地方)が紀元前8世紀以降、前期(近畿地方)が紀元前7世紀~紀元前6世紀以降、前期(伊勢湾地方)が紀元前6世紀へ紀元前5世紀以降、前期(東日本)が紀元前5世紀~紀元前4世紀以降、中期が紀元前4世紀以降、後期が紀元後1世紀以降となります。


●生業

 縄文時代の農耕の可能性は古くから指摘され、一時は有力とも考えられていましたが、その後の再分析により現在では、イネやアワやキビなどユーラシア東部大陸系穀物の確実な痕跡は、日本列島では縄文時代晩期終末をさかのぼらない、との見解が有力になっています。また縄文農耕櫓では、イネに先立って雑穀が栽培されていたと考えられていましたが、両者はほぼ同時に日本列島に出現することも明らかになってきました。弥生時代の農耕については、かつて発展段階論的に考えられており、水田稲作は粗放で生産性の低い湿田での直播から始まり、灌漑により半乾田での耕作という生産性の高い段階に達した、というわけです。しかし、福岡市の板付遺跡での発掘調査により、最初期の水田は台地の縁にあり、すでに灌漑水利体系という高度な技術を備えた完成されたものだった、と明らかになりました。このように、本格的な穀物栽培は弥生時代に始まりましたが、縄文時代にも、ヒョウタンやウリやアサやゴボウやエゴマやダイズなど、植物栽培はありました。ただ本書は、縄文時代を通じた植物栽培の特徴として、嗜好品的な性格を指摘します。また本書は、縄文時代の食料資源利用技術について、弥生時代と比較して劣っていると単純に言えるわけではない、と強調します。

 本書は縄文時代の栽培も「農耕」と呼び、縄文時代と弥生時代の農耕の質的差を指摘します。それは、縄文時代には農耕が生業のごく一部にすぎず、さまざまな生活道具が農耕用に特化しているわけではないのに対して、弥生時代の農耕は、地域的多様性があるものの、道具と儀礼は農耕用に特化している、ということです。文化要素の多くが農耕に収斂しているか否かが、縄文時代と弥生時代の違いというわけです。弥生時代の農耕について本書は、少ない種類の資源を集中的に開発・利用する選別型と、多くの資源を開発・利用する網羅型に二分しています。縄文時代の生業は基本的に網羅型なので、弥生時代の網羅型生業は縄文時代に由来しますが、ユーラシア東部大陸部の生業は、華南が選別型で華北は網羅型となり、これが朝鮮半島経由で日本列島にもたらされた可能性を、本書は指摘します。

 漁撈については、縄文時から弥生時代にかけての継承の側面とともに、環濠や水田の開発により形成された内水面環境で行なわれていた新要素もあった、と指摘されています。また、貝の腕輪など九州と南西諸島との交易の証拠から、広域的な活動範囲の海人集団の活動も推測されており、本書は、農耕集団の求めに応じての大陸との交通活発化にその要因がある、と指摘しています。狩猟民についても、農耕集団との相互依存関係が指摘されていますが、狩猟民は海人集団のように有力な政治的勢力になっていったわけではなさそうです。


●社会問題

 縄文時代には通過儀礼として耳飾りや抜歯や刺青がありました。耳飾りの付け替えの風習は縄文時代のうちに終了しましたが、抜歯と刺青は弥生時代に継承されました。耳飾りには複数の種類があり、集団間の違いとともに、集団内の地位の違いも示していたようです。抜歯は弥生時代まで継承されたものの、たとえば東海系の抜歯は弥生時代中期中葉に水田稲作とそれに付随する文化の到来とともに、急速に失われていったようです。また抜歯には、大陸系と縄文系の違いもあったようです。刺青については、人類遺骸での判断がきわめて困難なので、文献にも依拠しなければなりませんが、複雑だった縄文時代晩期終末の刺青が弥生時代中期以降に衰退し、紀元後3世紀に再度複雑化するというように、単純な経過ではなかったことが示唆されます。

 祖先祭祀については、縄文時代に定住が進み、竪穴住居の内側や貝塚から埋葬遺骸がよく出土するように、生者と死者の共住により芽生えていったのではないか、と推測されています。定住生活の進展により、資源領域の固定化と、資源の確保や継承をめぐる取り決めが厳しくなっていっただろうことも、祖先祭祀が必要とされた要因と考えられます。縄文時代中期には集落が大型化していき、何代にもわたって同じ場所に居住し続け、集落内部の埋葬小群は代々の家系を示しているのではないか、と推測されています。弥生時代には、縄文時代の伝統を継承しつつも、祖先祭祀のための大型建物が軸線上にあることなど、大陸由来の要素が見られるようになります。

 まとめると、縄文時代は複雑採集狩猟民社会で、定住化が進み、生活技術が高度化したものの、ユーラシア南西部や東部とは異なり、本格的な農耕社会には移行しませんでした。また縄文時代でも、西日本の集落が東日本と比較して小規模傾向であるように、東西の違いは大きかったようです。これについては、落葉広葉樹林帯の多い東日本と照葉樹林帯の多い西日本との違いも影響していますが、東日本は西日本と比較して資源の種類数が少ないため、集約的労働が必要となり、集落規模が大きくなる傾向にあった、とも指摘されています。階層化、つまり不平等は、副葬品の分析などにより、縄文時代にある程度進行していたことが窺えます。弥生時代の階層化の進展は、戦争の発生および大陸との交流増加に起因するところが大きかったようです。本書は縄文時代から弥生時代にかけて、階層構造がヘテラルキー(多頭)社会からヒエラルキー(寡頭)社会へと変わっていき、その最初の画期は弥生時代中期初頭だった、と指摘します。


●文化

 縄文時代の基本的な男女の単位は夫婦と考えられますが、生産単位では性別分業が進行していたようです。弥生時代になると、男女一対の偶像の出現かからも、農耕では他地域と同様に男女共業傾向が強かった、と示唆されます。芸術的側面では、縄文時代の動物の造形が立体的だったのに対して、弥生時代には平板になった、と指摘されています。これについては、森という立体的空間からさまざまな資源を得ていた縄文時代の網羅型生業体系から、大陸の影響を受けた弥生時代の農耕社会への移行が背景にあるのではないか、と指摘されています。

 土器については、弥生時代になって朝鮮半島の無文土器の影響を強く受けるようになったものの、近畿地方では前期のあっさりした文様が、前期後半から中期にかけて文様帯の拡張へと変わるように、一様ではなかったことと共に、弥生土器の形成に縄文土器が役割を果たしていたことも指摘されています。土器の伝播は、縄文時代から弥生時代への移行期において、九州北部から東方への伝播だけではなく、東日本から西日本への伝播もあった、というわけです。弥生時代以降の日本史を、大陸に近い西日本から東日本への単純な文化伝播として考えてはならないのでしょう。

 本書は弥生時代の多様性を強調し、農耕体系にしても、おもにイネを栽培対象として、灌漑による水田栽培を行なう遠賀川文化に代表されるものと、中部地方高地や広東地方の条痕文系文化に代表される、雑穀(アワやキビ)を主要な栽培対象として、畠で農耕を行なうものとでは、農具などの道具も違ってくる、と指摘します。後者は、縄文時代にも見られた複合的な網羅型生業体系で、前者と比較して縄文文化的要素が強くなっています。両者の境界は三河地方あたりで、これは縄文時代晩期の東西の文化の違いを反映しているのではないか、と本書は推測します。縄文時代晩期の東日本が複雑採集狩猟民なのに対して、西日本はそうではありませんでした。縄文時代から弥生時代への移行については、近年飛躍的に進展している古代DNA研究(関連記事1および関連記事2)が大きく貢献できるのではないか、と期待されます。


参考文献:
設楽博己(2022)『縄文vs.弥生 先史時代を九つの視点で比較する』(筑摩書房)

https://sicambre.seesaa.net/article/202202article_26.html
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2023/11/19 (Sun) 09:31:33

完新世における人類の拡散 _ 農耕と言語はどのように拡大したのか
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太田博樹 _ 縄文人ゲノムから見た東ユーラシア人類集団の形成史
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日本語のルーツは9000年前の西遼河流域の黍(キビ)農耕民に!
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金平譲司 日本語の意外な歴史
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DNAからみた縄文人と弥生人 神澤秀明(国立科学博物館)
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縄文人と弥生人 「日本人の起源」論争
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5~7世紀(三国時代) の朝鮮人は現代朝鮮人と同じだった
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朝鮮人の起源
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朝鮮の無文土器時代人が縄文人を絶滅させて日本を乗っ取った
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被差別同和部落民の起源 _ 朝鮮からの渡来人が先住の縄文人・弥生人をエタ地域に隔離した
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日本人はどこから来たのか?【CGS 茂木誠 超日本史】
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古代日本人は狩猟民族だった!?| 茂木誠
2023/09/19
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【縄文時代】1万年前の驚きの食生活とは?縄文人は何を恐れどんな世界観で生きていたのか?
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【弥生時代】~原始人から人間へ~
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高校日本史で習った縄文時代の通説が最新の研究で変化している|山田康弘
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井戸尻考古館 _ 縄文人の生活再現
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土偶の真実、知られざる縄文の生活
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縄文土器・弥生土器はどうやって作られていたのか?
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アイヌの食文化、狩猟採集民・原始農耕民の料理
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【神道】とは?日本固有の宗教をわかりやすく解説!仏教との関係は?
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日本の太陽崇拝、磐座崇拝、モイワ山崇拝、鳥居の起源
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冬至と夏至の古代太陽信仰
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日本列島の巨石文化
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縄文時代の人々の言葉・食べ物・服装・道具や 遺跡・土器を学ぼう
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3:777 :

2024/03/02 (Sat) 09:16:51

雑記帳
2024年03月02日
藤尾慎一郎『弥生人はどこから来たのか 最新科学が解明する先史日本』
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 歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2024年2月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は、おもに考古学の観点から弥生時代を検証し、近年飛躍的に発展しつつある古代ゲノム研究にもかなりの分量を割いていることが特徴です。まず、弥生時代の前提として、日本列島において穀物栽培がまず始まったのは現在の島根県や福岡県であり、その最初の年代は縄文時代晩期最終末~弥生時代早期なので、縄文時代後期および晩期に穀物を対象とした農耕はなかった、と指摘されています。プラント・オパールや籾痕土器を根拠に縄文時代中期まで稲作がさかのぼる、との見解も以前に提示されましたが、プラント・オパール自体の年代測定の難しさや、後世のプラント・オパールの混入を否定できないことや、籾の圧痕による肉眼観察での種同定の難しさなどから、日本列島において縄文時代に穀物農耕は晩期最終末を除いてなかった、との見解が現在では有力になっています。一方で、縄文時代には1万年前頃からダイズやアズキなどの一種の栽培化が行なわれていたことも指摘されています。ただ、縄文時代には、そうしたマメ類は社会を質的に転換させるほど生産されてはいなかったようです。

 本書でまず詳しく解説されているのは、著者も関わった弥生時代開始年代の繰り上がりに関する議論です。この研究成果が公表されたのは2003年5月でしたが、その数年前に刊行された寺沢薫『日本の歴史02 王権誕生』(講談社)では、玄界灘地域への水稲農耕の伝播は紀元前400年頃で、その前の紀元前8世紀頃に畑稲作や支石墓が朝鮮半島から九州に伝わった、とされています。弥生時代の指標とされる水田稲作の開始は紀元前10世紀までさかのぼる可能性がある、との発表には高い関心が集まり、一般向けに大きく報道されました。この弥生時代の開始は紀元前10世紀頃までさかのぼるかもしれない、とする仮説に対しては、当初から厳しい批判が寄せられ、2010年代半ばの時点でも完全に否定する見解が提示されていました(岩永., 2013)。

 この論争は2010年代後半に、酸素同位体比年輪年代法の登場と、宮本一夫氏による弥生時代早期の炭化米を試料とした放射性炭素(¹⁴C)年代測定に大きな影響を受けました。これにより、紀元前5~紀元前4世紀頃を弥生時代開始年代とする、弥生時代後期華夷施設(弥生短期編年)はほぼ否定され、弥生時代の紀元前10世紀~紀元前9世紀頃となる早期開始説(弥生長期編年)説が主流になっていきます。ただ、弥生時代の開始年代について、著者も含めて歴史民俗博物館(歴博)主体の紀元前10世紀後半説と、宮本氏などの紀元前9~紀元前8世紀説の違いは残っています。歴博説では、水田稲作の開始から環濠集落や戦いなど農耕社会成立を示す指標の出現まで3世代ほど要することになりますが、宮本氏などの説では、水田稲作の開始と農耕社会の成立は同時になります。本書は、水田稲作開始などの経済的変化と農耕社会の成立が同時に見られるのが、論争のある九州北部沿岸地域を除くと、現時点では近畿や東海から「渡来系弥生人」が移住したかもしれない中部高地と関東南部だけになる、と指摘します。また本書は、酸素同位体比年輪年代法が、弥生時代前期初頭以降の歴博の編年と整合的であることを指摘します。この新たな弥生時代開始の年代観を前提とすると、日本列島において水田稲作が始まった頃は、過去3000年間で最も寒冷だったそうです。

 本書の古代ゲノム研究への言及は、著者の昨年の論文(藤尾., 2023)をほぼ踏襲していると思いますが、本書は一般向けなので、藤尾., 2023の方がより専門的になっています。縄文時代から弥生時代への移行が人類集団の変容や置換を伴っていたのか、そうだとしてどの程度だったのかについては、本書でも簡潔に言及されていますが、近代黎明期から1990年代頃までの広い視野で検証した新書もあります(坂野., 2022)。本書は、弥生時代前期後半の愛知県朝日遺跡のゲノム解析された個体から、縄文時代晩期末以降に日本列島に到来した集団と縄文時代以来の日本列島在来集団との遺伝的混合が、水田稲作の開始期ではなく、しばらく経過してからと推測され、それは在来系土器の割合が紀元前6世紀以降に少しずつ増えることと整合的なのではないか、と指摘します。

 ただ、本書も指摘するように、弥生時代前期までの人類のゲノム解析数は少なく、今後の研究の進展が期待されます。本書でも改めて、弥生時代の日本列島の人類集団の遺伝的多様性が指摘されており、少なくとも一定以上は考古学とも相関しているようです。年代的にも地理的にも比較的近接している、伊勢湾沿岸地域の愛知県の朝日遺跡と伊川津遺跡では、それぞれ遠賀川系土器と条痕文系土器が使用されており、核ゲノムが解析された個体では、前者が「縄文人」との遺伝的混合をさほど示さない「渡来系」、後者が他の「縄文人」と一まとまりを形成する、と分かりました。現時点での古代ゲノム研究を自分なりの理解で述べた私見については、著者の昨年の論文(藤尾., 2023)を取り上げた記事で述べました。

 上述のように、日本列島において穀物栽培がまず始まったのは現在の島根県や福岡県であり、その最初の年代は縄文時代晩期最終末以降ですが、水田稲作が始まった玄界灘沿岸地域ではなく、九州東北部から中国西部にかけての地域で、土器の様式構造や社会の質的変化をもたらしたわけではなく、多様な食料獲得手段の一つにすぎなかったようです。この水田稲作よりわずかにさかのぼる穀物栽培の担い手や伝播形態は、まだよく分かっていません。弥生時代早期前半となる紀元前10世紀後半に玄界灘沿岸地域で灌漑式水田稲作が始まり、日本列島各地に穀物栽培が広がっていきます。灌漑式水田稲作ではなく、紀元前11世紀に奥出雲で始まった網羅的な生業構造の一環としての穀物栽培は、アワやキビやイネも含んでいたかもしれず、紀元前9世紀後半~紀元前8世紀前葉にかけて、中国や四国から関東にかけて広がった可能性があるようです。これら網羅的な生業構造下での穀物栽培では、社会的側面が質的に変化せず、縄文時代晩期の文化伝統が祭祀的側面も含めて、やや変容しつつ継続していきます。

 一方で水田稲作は、紀元前7世紀には西日本のほとんどの地域で行なわれていたようです。ただ、同じ地域でも水田稲作に適した土地とそうではない土地があるわけで、水田稲作民とアワやキビを栽培する狩猟採集民は共存していたのではないか、と本書は推測し、その土器指標として、前者については遠賀川系、後者については突帯文系の長原式を挙げています。選択的な生業構造での水田稲作を選択した前者と、網羅的な生業構造の中で採集や狩猟や漁撈やアワとキビの栽培などを行なっていた後者、と本書は把握しています。後者では、縄文時代以来の土偶祭祀や石棒祭祀が継続されていました。ただ、こうした生業構造の違いが常に集団間の遺伝的差異を伴っていたのか否かについて、本書は今後の遺伝学的研究の進展を俟つ、としています。本書は、穀物栽培段階を経ずに定型化した灌漑式水田稲作が始まった地域と、網羅的な生業構造の一環としての穀物栽培の後に水田稲作が始まった地域との違いとして、前者では外部から完成した生業構造の導入事例が多いのに対して、後者では発展段階的な農耕の定型化過程が見られる、と指摘します。

 東北地方北部で紀元前4世紀前葉と意外に早く水田稲作が始まったことは、比較的よく知られているように思います。これは日本海側の津軽地域ですが、それ以前の穀物栽培の痕跡はまだ確認されていません。ただ、この津軽地域の初期水田稲作の代表的な遺跡である砂沢では、生業面で水田が選択されただけで、それ以外では縄文時代晩期から続く既存の道具が用いられています。木製農具はなく、石庖丁ではなく剥片石器で穂摘み(収穫)が行なわれている、というわけです。杭や矢板を用いた用水路や畦畔は設置されず、高低差を利用した自然の水の流れで水が引き込まれており、石材の供給体制も縄文時代晩期と変わりません。祭祀も含めて社会面では「弥生時代的」要素は完全に欠落しており、縄文時代の土偶祭祀が継続しており、本州と四国と九州において、津軽は水田稲作と土偶祭祀がともに行なわれていた唯一の地域です

 本書は、北海道と琉球諸島を除く日本列島の農耕受容について、以下のように4通りに分類しています。それは、(A)灌漑式水田稲作が突然始まった玄界灘沿岸地域、(B)穀物栽培の後で灌漑式水田稲作が始まった西日本と伊勢湾沿岸地域、(C)穀物栽培の後で農耕文化複合を経て灌漑式水田稲作が始まった中部高地や関東、(D)Cが農耕文化複合のまま灌漑式水田稲作が始まった利根川以北です。これらの担い手の遺伝的構成はたいへん注目され、BとCとDでは紀元前10世紀後半以降もある時期までは、「縄文人」的な遺伝的構成要素で完全にモデル化できる集団が残っていたのではないか、と予測され、今後の研究の進展が期待されます。

 弥生時代はかつて、当初から鉄器を使用しており、水田稲作と鉄器の使用が同時に始まる世界で唯一の先史時代文化と位置づけられていましたが、弥生時代開始の根問題が紀元前10世紀後半までさかのぼり、弥生時代早期から前期末までの約600年間は、鉄器のない石器時代と明らかになりました。しかし本書は、水田稲作の開始を単なる生産経済の始まりとして経済的側面で把握するだけではなく、遼寧式青銅器文化の生産基盤として始まったのかどうか、考察することにより、縄文時代的な生業構造の延長上で栽培可能なアワやキビを対象とした穀物栽培とは一線を画した、西日本における紀元前4世紀前葉(弥生時代前期末)以前の約600年間を、世界史の枠組みで把握することが可能になる、と指摘します。本書は、石器が主流で、わずかに青銅器の再加工品が存在する前期末までの弥生時代の数百年間について、朝鮮半島で政治的に劣勢にあった集団が日本列島に到来したため、青銅器が本格的に流通しなかった可能性を指摘します。玄界灘沿岸地域で青銅器を保有する層が登場するのは、紀元前4世紀後半(弥生時代中期初頭)以降です。本書はこうした特徴を示す弥生時代早期~前期末を、世界史において初期青銅器時代段階と把握できる、との見解を提示します。


参考文献:
岩永省三(2013)「東アジアにおける弥生文化」『岩波講座 日本歴史  第1巻 原始・古代1』P101-134
関連記事

坂野徹(2022)『縄文人と弥生人 「日本人の起源」論争』(中央公論新社)
関連記事

寺沢薫(2000)『日本の歴史02 王権誕生』(講談社)

藤尾慎一郎(2023)「弥生人の成立と展開2 韓半島新石器時代人との遺伝的な関係を中心に」『国立歴史民俗博物館研究報告』第242集P35-60
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/records/2000021
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藤尾慎一郎 (2024)『弥生人はどこから来たのか 最新科学が解明する先史日本』(吉川弘文館)

https://sicambre.seesaa.net/article/202403article_2.html
4:777 :

2024/07/29 (Mon) 04:59:56

弥生土器を開発したのは縄文人だった!?【日本の古代史シリーズ】
みどりTV 2024/06/04
https://www.youtube.com/watch?v=UyAhvPEIPfc

今回は「縄文人は遼河文明で弥生土器の技術を開発したか?」を調査します。
遼河下流域の偏堡文化で、弥生土器の特徴を備えた土器が開発されました。
そして、突帯文土器などが作られ、九州にも渡来してきます。
今回は現代人のYハプロで分かる範囲で調査していきます。
偏堡文化は、遼河文明では珍しいつぼ型土器を作った文化ですが、例えばアカホヤ大噴火で朝鮮に渡ったYハプロC1a1が偏堡文化に行けば、つぼ型土器も作るだろうと考えられるからです。上野原文化では既に弥生土器のつぼ型土器にそっくりな土器が出土しています。大陸は陶器が中心になっていくため、縄文人が偏堡文化で土器を改良したと考えると自然だと思います。

■参考書籍
・地図でスッと頭に入る縄文時代 :https://amzn.to/46jUoX3
・宮本 一夫「農耕の起源を探る: イネの来た道」 (歴史文化ライブラリー 276) :https://amzn.to/3Vzzv7P
・遠藤典夫「日本人と日本文化の起源を探る 第1部 朝鮮半島の先史考古学―旧石器時代から初期鉄器時代まで―」:(https://amzn.to/4bZESlW)
・安田喜憲「日本神話と長江文明」 (環太平洋文明叢書 2): https://amzn.to/4apjlls

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