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李克強は何故殺されたのか?

1:777 :

2023/10/31 (Tue) 13:17:30

【習近平に疑惑】李克強は死の直前に「軟禁」されていたか【デイリーWiLL】
2023/11/02
https://www.youtube.com/watch?v=R_oYEtMWNIo


10-27 緊急 李克強がまさかの!すでにヤラレタ説も…
2023/10/27
https://www.youtube.com/watch?v=phAFOZk39G4

コンテンツ内で69歳と言い間違えていますが、江沢民は享年96歳です。失礼いたしました。



【Front Japan 桜】中国恒大ついに清算か? / 李克強突然死の影響[桜R5/10/31]
https://www.youtube.com/watch?v=L4I-E7wxkJg

キャスター:渡邉哲也・福島香織

■ 中国恒大ついに清算か?
■ 李克強突然死の影響
2:777 :

2023/10/31 (Tue) 13:37:31

2023.10.31
中国前首相・李克強の「若すぎる」急死に裏はないのか、そして反習近平の流れはどこに向かうか
改革開放の時代、とうとう終焉
石 平
https://gendai.media/articles/-/118464

中国共産党幹部としては異例の「若さ」で
10月27日午前、中国の中央テレビ局・新華社通信が、李克強前首相が当日未明の0時10分、上海にて死去したと速報した。享年68歳だった。当日の夜19時、中央テレビ局定番のニュース番組においては、共産党中央委員会・国務院連名の正式訃告が発表された。


中国の場合、退任した元指導者の死去を伝えるのには、上述のような「中央テレビ局19時ニュースの訃告発表」を持って第一報とするのが普通であるが、李前首相の死去に関しては、当日の午前中にまず速報の形でそれを伝えたのがむしろ異例な早い対応である。

そして中央テレビ局と新華社通信がその速報において、李前首相の死因が「心臓発作」であることを伝えた一方、「全力をあげての救急が行われた」とも強調した。

しかし、李氏の死が伝わったその直後から、中央テレビらが発表した李氏の死因に対しては、国内外では多くの人々が様々な疑問点を挙げてその信憑性に疑念を呈し始めた。筆者の私自身もやはり、いわば「心臓発作死」に疑問を感じている一人である。

今まで、退任した中国共産党と国家の指導者たちは最高レベルの医療・保健を享受してほとんど例外なく80歳以上、あるいは90歳以上の超長寿であった。最近の例を挙げると、江沢民氏が死去したのは96歳、元首相の李鵬氏が死去したのは91歳。そして健在の元指導者たちのうち、元首相の朱鎔基氏は95歳、元首相の温家宝氏は81歳、前国家主席の胡錦濤氏は80歳である。

中共政権の歴代首相の中では、周恩来が78歳で癌によって亡くなったのは一番の「早死」であるが、それに対して、李克強氏が68歳の「若さ」で死去したのはいかにも異例なことであって一種の異様さを感じさせよう。

元共産党中央党校教授で今は海外亡命の蔡霞氏は27日の連続ツイートで、自分の知り得た共産党政権の内部事情からすれば、李克強レベルの元指導者たちは全員、医療チームによって健康状態が随時にチェックされているから、何の兆候もない突然の心臓発作の可能性が非常に低いのではないかと疑問を呈した。

中国国内でも、李氏が首相という激務を務めた10年間に「心臓発作」を起こさずにして、退任してから悠々自適の生活を送っている中で「心臓発作」とは何ことか、と不信感を表するネット上の声が多く見られた。


何で上海で
当局の公式発表では、李氏は26日に心臓発作を起こしてから「全力での救急治療を受けたのだが、効果なく死亡」とされているが、今、中国国内で出た情報では、李氏は発作の後に運ばれて行ったのが上海市内の「曙光病院」であったという。しかし「曙光病院」というのは上海中医(漢方医)大学の附属病院であって、慢性病の治療に強い漢方医治療を売り物にしているが、心臓発作などの救急が得意な病院では決しない。

上海では、心臓病治療・心臓発作救急に関しては、復旦大学附属病院の「華山病院」が最もレベルが高くて有名であるが、しかし心臓発作の李氏は最初からこの華山病院へ運ばれずに、漢方医専門の曙光病院へ運ばれて「救急」を受けさせたのは一体なぜか。それはまた、多くの人々が感じる疑問の一つである。そういう意味では、前述の中央テレビ・新華社通信速報が「全力あげての救急が行われた」と強調するこの態とらしさは逆に、人々の疑念を強める効果となっているのである。

もう一つ、当局の発表では、李克強氏は上海滞在・休息中に「心臓発作」して亡くなったとされているが、それもまた、疑問を感じさせる点である。

上海は習近平主席自身がトップを務めた都市であって、習近平側近の李強首相が前市長である。そしてもう一人の側近である丁薛祥副首相も上海が古巣の幹部である。つまり、上海こそは習近平派の牙城ともいうべき場所であるが、長年、習主席のライバルだった李前首相氏が上海を「休息」の滞在地と選んだのも不自然なことであって、そして上海で急死したことはやはり尋常であるとは思えない。



以上は、「李克強急死」に関するいつくかの疑問点であるが、もちろん今の時点では、彼の死が病死でない「非業な死」であることを示す証拠は何一つもない。

しかしもし、李氏の急死に何かの政治的作為があったとすれば、それは、習近平政権の悪政・暴政に対する国民の反発が高まってきている中で、国民の間で人気の高い李氏が、いずれか反習近平運動の中核として担ぎ出されたことを危惧した習近平たちが、「禍根」を残さないために先手を打った可能性も考えられよう。

ただし今の時点では、それはあくまでも推測上の話に過ぎない。

習近平に押しやられた共青団のエース
急死した李克強氏は一体どういう人物なのか。彼は1978年に北京大学に進学し、法学部で学んだ。北京大学卒業後、共産党外郭団体の共産主義青年団に務めて頭角を現し、共青団組織のトップだった胡錦濤氏の知遇を得て出世街道を歩き始めた。河北省と遼寧省でトップを務めて政治経験を積み、2008年の党大会では政治局常務委員に昇進、翌年3月の全人代で副首相に昇進し「次期首相候補」となったのである。

本来、当時の共産党総書記・国家主席である前述の胡錦濤氏は自らの率いる「共青団派」の次世代指導者として李克強氏を後継者に据たかったのだが、その時、党内で隠然なる勢力を持つ江沢民一派がこの「李克強後継人事」を潰すために、李氏の対抗馬として、江沢民派の息がかかっている習近平氏を後継者として胡錦濤に押しつけた。その結果、2012年秋の党大会で習近平は党総書記に就任、李氏が政治局常務委員のままで党内序列NO.2に。そして2013年3月の全人代では、習氏と李氏がそれぞれ、国家主席と首相に就任した。

そこから始まったのは10年間にわたる習近平主席・李克強首相体制であるが、独裁志向の強い習主席は意思決定権を自分に集中させて行った中で、それまでの慣例として首相が兼任の中央財経委員会主任を主席自ら兼任して、本来なら首相が握るべき経済運営の主導権を李首相から奪い取った。そして李氏を含めた共青団派の最高幹部たちを徐々に意思決定の中枢から排除していった。



その一方、イデオロギー優先・毛沢東回帰の習近平路線に対抗して、李首相ら「共青団派」が経済優先・鄧小平改革・開放路線の継承を掲げて独自路線を推し進め、習近平の暴走に対するブレーキ役を果たしてきた。しかし昨年10月の党大会では李氏を含めた「共青団派」幹部が最高指導部から一掃され、李氏自身は今年3月の全人代で首相退任を余儀なくされた。政権の中枢から「共青団派」が「集団退場」したのと同時に、習近平個人独裁体制が完全に確立された。

そして首相退任からわずか半年、李氏は疑問点の多い「突然死」を遂げることとなった。それは今後の中国政治にどのような影響を与えていくのか。

政権への反発を呼び起こさないか
李氏の急死が発表された直後のネット上の反応を見ると、彼の死を惜しむ声や、彼の考え方や政治スタイルを高く評価する声が圧倒的に多かったことが分かる。李氏の故郷である安徽省合肥市では、彼が育った旧居には、万人以上の民衆が自発的に集まって献花していることは日本のメデイアでも報じられている。 

その一方、彼の死を惜しむネット上の声の多くは、習主席のことを暗に批判しているような言い方していることが中国人ならすぐにわかる。つまり多くの国民は、まさに習近平政治に対する反発と反感の裏返しとして、習主席と対立関係にあった李前首相を意図的に持ち上げて賛美している面もあるが、このような風潮と動きはいずれ、死去した李克強のことを「反習近平」のシンポルに祭り上げていく可能性も十分にあろう。

中国共産党政権の歴史上では、人気のある指導者(あるいは元指導者)の死去が国民的政治運動のきっかけとなった前例はいくつかもある。

例えば1976年、国民に人気の高い周恩来首相の死去がその年の4月に発生した「第一次天安門事件」の引き鉄となったことは周知の史実である。あるいは1989年4月、同じく国民的人気のある胡耀邦前総書記の死が天安門民主化運動勃発のきっかけとなった。両方ともは、指導者の死を弔う群衆の集まりが大規模な群衆的抗議運動へと発展したケースである。



そして今、経済状況が悪化して若者たちの失業率が空前のレベルに達している今の状況下では、「李克強急死」が昨年11月の「白紙革命」に続く新たな全国規模の抗議運動勃発の導火線となる可能性は無いわけではない。

李克強氏の突然死あるいは不審死は、結局、「改革・開放」という時代の終焉を告げるのと同時に、「天下大乱」の動乱の時代の幕開けになるかもしれない。いずれにしても、10月27日という日は、中国史に残る重要な意味を持つ「歴史の日」となろう。
3:777 :

2023/10/31 (Tue) 17:18:40

李克強死去で天安門事件を警戒する習近平
2023.10.31
https://www.thutmosev.com/archives/306474fr.html

民主の女神像は5月30日に建てられ5日間しか存在しなかった


http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-11522.html 草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN 天安門広場に自由の女神像を模した民主の女神像が設置される。
李克強の失脚から1年後に突然の逝去

李克強前首相は23年10月27日未明、上海で心臓発作のため68歳で死去し中国全土で哀悼しようとする人を政府が禁止する奇妙な事態になっている

出身地の安徽省合肥には多くの人が花を持って訪れて各地で追悼の呼びかけがされたが政府はすべて禁止し、李克強が最初からいなかったように振舞おうとしている

政府は新聞社に李克強の記事を印刷しないよう要請しメディアも李克強のニュースを流さず、SNSでは李克強に関する投稿が削除されている

李克強が首相から解任され失脚したのは22年10月20日前後の全人代だったが、ちょうど1年後に心臓発作でなくなるのは不自然な印象を受けた

共産主義や毛沢東主義の習近平に対し李克強は市場経済や自由主義的な発言が多く、「李克強指数」として西側のアナリストにも評価されていた

李克強はしばしば中国政府や習近平に反する事を言い、政府機関が発表した統計に異議を唱えたりし、それが一種の自由な雰囲気を作り出していた

李克強が失脚してから1年で中国は息が詰まるような監視社会になり、自由主義的な言動や経済はなくなり、経済が縮小し生活は悪化した

多くの人は李克強時代を懐かしんでいるが、この状況が1989年天安門事件と似ているのを誰もが感じ始めている

胡耀邦は文化大革命の1967年に失脚したが1972年に復活し鄧小平の部下として出世、文革派に対して改革派と目されて総書記に昇進した

鄧小平は胡耀邦を警戒して対立し守旧派の巻き返しよって1987年1月16日に失脚し、1989年4月15日に死去し天安門事件が始まった

翌16日に中国政法大学を中心に民主派学生の追悼集会が行われ、17日には各地の大学生が北京に集まって市内で民主化を求めた集会を行った

18日には北京の大学生を中心に北京市内で1万人デモを行ったのち、民主化を求めて天安門広場に面する人民大会堂前で座り込みのストライキを始めた


軍が突入し学生が逃げ出すまでの様子
https://www.youtube.com/watch?v=Ek5J-CvJdy4


突入から清掃まで2時間少々
4月21日に市民が天安門広場で民主化を求めるデモを行い、翌22日にデモ隊が李鵬国務院総理との面会を求める声明を出すと事態は一気に緊張していった

22日には天安門広場の道路を挟んだ反対側の人民大会堂で胡耀邦同志追悼大会が開催され、地方都市でも民主化デモが始まった

中国政府は混乱しており学生との対話路線を主張する趙紫陽と対決姿勢の李鵬ら保守派が対立し、メディア統制もうまくいかず政府を批判したりした

5月4日には10万人、5月14日には50万人が北京市内でデモを行ったが警察や公安は対処できず、デモの後は天安門広場に集結するのがお約束だった

5月18日に李鵬、李鉄映、閻明復、陳希同ら政府側と王丹、柴玲、ウーアルカイシ学生側指導者が会談したが物別れに終わり、学生側はテレビを通じて李鵬らを粉々に罵倒した

そんな中で5月15日にソ連を民主化したゴルバチョフ書記長が北京を訪問し、中国も民主化する機運が盛り上がり学生たちはすぐにでも中国が民主化すると期待した

5月17日に鄧小平の決断で戒厳令を布告、5月19日に話し合いを主張する趙紫陽が天安門広場を訪れて学生たちを見舞い、20日に鄧小平は趙紫陽の解任を決めた

5月23日には戒厳令布告に抗議し北京市内で100万人デモが行われるが、一方で政府側や知識人は学生を説得し座り込みを辞めさせようとした

5月30日に天安門広場の中心に、ニューヨーク「自由の女神」を模した「民主の女神」像が北京美術学院の学生によって作られ日本のテレビでも大きく報道されていた

一方で政府の実力排除が近いとも報道されていて、広場に座り込んだ学生たちは対立に疲弊して人数はかなり減少し3000人程度だったと言われている

最初の事件が起きたのは6月3日夜で人民解放軍の装甲車が集結し、軍のトラックが広場に入ろうとしたが学生や市民が焼き討ちし、これで鄧小平は軍の突入を決定したと言われている

6月4日の夜明け前に装輪装甲車数台が突入し周囲を兵士らが取り囲んで、装甲車は走り回り兵士は1人も逃がすなと指示されていた

1人でも生きて脱出すれば外国メディアが真相を報道するからで、広場の外の大通りでは戦車数十台がグルグルと走り回っていた

夜が明けるとブルドーザーとトラックが広場に入り、たった1時間ほどで全てを搬出し何もなかったように跡形もなく消えたという

学生指導者は軍の突入前に脱出し現場の指導者も突入後に脱出、残った学生たちは包囲され全滅したので従って1枚の写真もないし事件後の広場の写真もない

https://www.thutmosev.com/archives/306474fr.html
4:777 :

2023/11/02 (Thu) 21:28:39

【Front Japan 桜】「アフター李克強」の中国 / フェイクが作る戦争報道[桜R5/11/1]
キャスター:宮崎正弘・佐波優子
https://www.youtube.com/watch?v=bcyUOBnzanI&t=532s
5:777 :

2023/12/30 (Sat) 12:48:49

貧すれば混する中国、モラル低下が深刻
2023.12.30
https://www.thutmosev.com/archives/32135yyy.html

河南省で村びと全員で他人の農地を襲っている農民。通報しても警察はなにもしない


https://www.epochtimes.jp/2023/11/183006.html
貧すれば混する中国

中国の景気が悪化するにつれて以前は表に出なかったようなモラル崩壊が起きていて、多くのネット言論人を失望させ悲嘆にくれさせている

22年12月のゼロコロナ解除後にSNSで多く報告されたのは上海や北京中心部で路上生活者が増えていることで、しばらくしたら政府はこの手の投稿をできなくした

「臭い物にフタ」の典型例でその後の様子は良く分からなくなってしまったが、23年夏ごろまでこうした情報が時折西側のニュースになっていました

メディアのインタビューによると路上生活者たちは農民工として大都市で働いていたがゼロコロナで収入ゼロになり戻る故郷がない人達で、ボランティアから食料などを貰っているという

政府や警察はホームレスが居ない事にしたいようで統計上は存在せず、従って公式な支援はなく政府機関に問い合わせても「存在しない」と冷たくあしらわれるだけです

路上生活者は物乞いをする事が多いが中国はキャッシュレスが浸透し現金がなくなったので、寄付や物乞いもスマホのQR決済に移行している

つまりスマホとネット環境がないと寄付も受けられない社会になったわけで、路上生活者やホームレスにとって厳しい社会だと言えるでしょう

ホームレスとも関係があるのは『腐った家』問題で、これは本当に腐っているのではなく購入したが未完成のまま放置されて住むことが出来ない状態のマンションを指しています

一軒家だったらもしかしたら自分や仲間で大工仕事をして完成できるかも知れまいが高層マンションなのでそれは不可能、電気ガス水道・下水道などが通っていないので居住や売買は出来ない状態です

野村證券によると中国では恒大などの破綻によって2000万戸もの未完成物件(建設途中を含む)が存在し、そのかなりは永遠に完成しないと思われています

中国では2019年まで地価は下落しないという土地神話があり、人々は年収の30倍ものマンションをローンで購入し、それを貸して家賃収入で返済するという綱渡りを繰り返していた

ところがゼロコロナ以降多くのマンション価格は下落し家賃相場も下がったがローンは減額されないので、生活破綻者が多くでたが自己破産制度がありません

個人の自己破産制度はコロナ以降に制度化されたが、未だに免責が認められた例は確認されておらず1人も居ないと思われています

ゼロコロナがもたらした家族の崩壊
わずか3年でアメリカを超えると息巻いていた大国が貧困になってしまい、それまでは考えられなかったような現象が起きるようになった

中国では穀物自給率が100%を割り込んで政府は穀物増産を命じたのは良いが、農民の土地を収奪して今栽培しているものをブルドーザーで踏みつぶして穀物畑にしています

こんな事が上手くいく筈がないが習近平の命令なので役人は公園や森林まで整地して畑にし、多くの農民が農地と収穫物を奪われた

そこで起きているのは他人の収穫物を奪うという行為で、泥棒なんていう生易しいものではなく成功した1人の農家の全ての収穫を他の村びと全員が引っこ抜いて持ち去っています

警察を呼んでも相手は村びと全員なので良くて見て見ぬふり、地権者が村びとを殴ったりしたら警察は土地の所有者を逮捕します

三国志とかで良くこの手の話が出てくるのですが、困窮した中国は今2千年前の人心に戻りつつあり、農村では自分の収穫物だけで生きていくのは難しくなっている

中国は確か2021年に習近平直々に「貧困からの脱却達成」を宣言したが、それに因縁をつけた李克強は22年に解任され今は『行方不明者』です

胡錦濤や李克強などの重要人物が行方不明になってもマスコミは「最初から居なかった」ように振舞い、14億人のだれも話題にしないのが中国という国です

現実の中国では月の収入が数千円で年収10万円以下の村が多く存在し、動画サイトではそうした農民の生の証言を見る事もできます

中国は2000年代以降インフラ投資で経済成長したが、その魔法の種であるインフラ工事で手抜き工事による崩壊や事故が毎日のように起きています

日本ではバブル以前の建物が阪神大震災で崩壊していたが、このように手抜き工事が明らかになるのは数十年後なので、中国には多くの欠陥構造物が存在している

おから工事と呼ばれる手抜きは中国の伝統文化と言ってよく、先日の地震では外側は立派なビルなのに、中は「土と石と煉瓦」で鉄筋も入っていませんでした

中国は2022年に人口減少に転じたが西側の出生率に換算すると1.06人、23年は(正直に発表すれば)間違いなく1.0を下回り0.8人台の可能性すらあります

ゼロコロナを引き金に夫婦や家族の関係が崩壊してしまい妻は夫を尊敬しなくなり夫も妻を疎んじて、子どもは学歴競争に放り込まれてボロボロになっている

中国には高層マンションがやたら多いが始まりは毛沢東が「家族を廃止しろ」 と言って家を無くして集団生活をさせた事で、今は高層ビルの中で集団生活をしています

こんな風に家族を破壊した国は例外なく混乱状態に陥っているが、中国はゼロコロナでもう一度家族崩壊をやらかしたので将来は明るくないでしょう

家族を廃止し宗教を廃止するのが共産主義ですが、そこに手をつけてはいけなかった
https://www.thutmosev.com/archives/32135yyy.html
6:777 :

2024/01/28 (Sun) 10:35:49

妙佛 DEEP MAX 中国経済に「貢献」してきた英国人の末路
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16837307



中国で突然人が消え最初からいなかった事になる。ジャックマー、胡錦濤、李克強
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16822526

中国の法律に明文はなく、担当者の「機嫌」を損ねたら逮捕されたり行方不明者になる
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14149283

習近平の暴走、自分のグループに属する幹部を次々に粛清
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16835018

李克強は何故殺されたのか?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16822862

中国では、法律は、皇帝の命令である。だから、皇帝は、法律に従わなくていい。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/615.html

中国は共産主義国ではなく古来からの皇帝が支配する儒教国家
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14008459
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/567.html

マルクス の本を一冊も読んだ事が無い毛沢東が目指した共産主義とは儒教の事だった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14008454

儒教には神がいない。だから嘘に罪悪感を抱かない。
https://nihonsinwa.com/page/881.html
7:777 :

2024/03/24 (Sun) 07:33:11

妙佛 DEEP MAX 「三体」の文革シーンがNGになる理由!中共・近平・闘争について長尺で
2024/03/24
https://www.youtube.com/watch?v=_uAlyI3bDzA



習近平の共産革命はじまる、 より強固な共産主義へ邁進‼
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16824838

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