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対馬の仏像は李氏朝鮮の「仏教禁止、仏像破壊」で日本に売った可能性が高い

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2023/10/30 (Mon) 14:19:26

対馬の仏像は李氏朝鮮の「仏教禁止、仏像破壊」で日本に売った可能性が高い
2023.10.30
https://www.thutmosev.com/archives/305764fr.html

問題の浮石寺は1400年頃の仏教廃止で廃寺になり仏像は破壊された。仏像は打ちこわしの対象になっていた


https://www.mindan.org/old/front/newsDetail9117.html 韓国伝統の4山寺…世界文化遺産へ
対馬の仏像はどうして日本に来たか

2022年5月にユン大統領が就任してからそれまでの文在寅政権が日本に敵対姿勢だったのと変わって、対日関係を改善しようとする姿勢がみられるようになった

例を挙げると10月26日ソウル最高裁で2012年に盗難にあい韓国の寺と韓国政府は所有権を主張していた対馬の仏像について高裁に続いて所有権は日本の寺にあるという判決が確定した

韓国の寺と韓国政府は1300年代に倭寇が奪ったと主張し日本に存在する多くの半島由来の品についても韓国に所有権があると主張していた

観世音菩薩坐像の仏像の中から結縁文に「高麗国瑞州浮石寺」「天暦三年」という文字があり浮石寺は朝鮮半島忠清道瑞山郡(旧百済のソウル近郊)にあった

韓国の浮石寺は慶尚北道栄州市にあるが文書などから李氏朝鮮の1400年代初頭の仏教弾圧で一度廃寺になり後の時代に同じ名前の寺を作ったと思われる

浮石寺は李氏以前に最も有力で有名な寺院であり、日本で言えば「法隆寺、東大寺」のようなもので、仏教弾圧が緩んだ時期に大寺院の名前を取って再興しました

仏像がどうして日本に来たのかは不明で僧侶は「鑑定書があったが捨てた」と話していて、倭寇や日本が持ち去ったとする根拠は何もない

旧浮石寺は1407年(太宗7年)から1424年(世宗6年)の仏教弾圧で廃寺になったがこの時代に日本軍は半島に攻め込んでいないし特別な権益で支配した事もありませんでした

西暦350年頃に神功皇后の軍隊が半島に攻め込み三韓を臣従させたが663年10月に天智天皇の軍隊が白村江の戦いで唐・新羅に敗れて全軍撤退し半島の支配権を失った

神功皇后は仁徳天皇の婆さんで仁徳天皇は西暦300年台後半に生まれ427年に崩御したとされ、三韓征伐のとき神功皇后は妊娠中だったと書かれているのでそのまま解釈すれば西暦300年代の中頃だった事になります

観世音菩薩坐像の結縁文には西暦330年浮石寺と書かれているので神功皇后の軍隊が持ち帰った可能性があるが、これは韓国側が長年否定してきた事です

神功皇后の三韓征伐によって約300年間日本が半島を支配下に置いたのを韓国は否定し、日本の左翼学者と結託して「神功皇后はいなかった」という理論を展開しています

旧浮石寺はソウルに近い海岸から10km程度の場所にあったと思われ、初期の戦いのあと新羅・百済・高麗は日本に朝貢したつまり戦わずに贈り物をしたと日本書紀に書かれている

当時の日本にとって仏像は大変価値があるものだったので、百済支配地にあった旧浮石寺の仏像を贈り物として日本に出しだしたのが最も可能性が高い


現代浮石寺は旧浮石寺が1400年頃廃寺になった150年後以降に再建した寺で場所も異なる別の寺です
https://www.youtube.com/watch?v=s6bdOjk7hlY


旧浮石寺の仏像は破壊命令が出たが何者かが対馬に持ち出した


「ゴミ」として日本に転売された可能性
韓国政府が主張するように神功皇后が架空の人物で三韓征伐はなかったとすると、次に日本軍が攻め込んだのは1592年の秀吉の朝鮮出兵になってしまう

その前の1274年に蒙古襲来がありモンゴル人は船を持たないので実際には蒙古の手先として高麗が船を作り高麗軍が操船して日本を侵略しました

高麗や朝鮮はこの他にも度々対馬壱岐を侵略していて、朝鮮軍によって島民のほとんどが犠牲になったことも、島民軍に惨敗したこともあった

だが他国を侵略する時に仏像を持ってくるとは考えにくく、あり得るとすれば李氏時代に倭寇などに廃寺の仏像を売ってしまい、倭寇が対馬に持ち込んだような事でしょう

対馬でも日本でも半島の由緒ある仏像は大変価値があるものだったので、高値で交換できた可能性があります

1400年代以降になると李氏朝鮮は儒教を国教としたため仏像はむしろ排斥されていて、それがお金や価値がある物と交換できるなら喜んで取引したでしょう

いうなればリサイクルで半島では仏教禁止のためゴミかむしろ危険物で、それを倭寇を通じして日本に売れば高値で売れたと思われます

度々倭寇が出てくるが古代の海賊はならず者であると同時に運送会社や商人も兼ねていて、お金を払えば日本と半島に人や商品を運んでいました

李氏朝鮮の1400年代初頭に仏教は禁止されたが半島全土で36寺院だけが存続を許され、この時代に儒教的な変化が起きた

現代中国では仏教を禁止しているが少林寺など許された寺だけが存続し、念仏を唱えたり仏の教えを説教すると逮捕され収容所に送られます

李氏朝鮮の仏教はそこまで酷くなかったがかつて百済だけで数千あったとされる寺が36になったところから、大部分の寺は打ち壊され仏像が破棄された筈です

因みに現代日本では寺と神社が8万社づつあり、道端の祠や地蔵はその100倍はあるのかも知れません

記録によれば李氏朝鮮の中宗王は1507年に科挙の僧科を廃止し仏像を破壊させたが、1550年以降は逆に仏教を再興し始めた

この仏像破壊期に「壊すくらいなら日本や倭寇に売ってしまおう」という考えは当然あったと思われ、日本からすれば価値あるものを格安で購入できた

わざわざソウルまで盗みに行かなくても仏教を禁止した時期に向こうから売りに来た訳で、その時期とすれば対馬の寺はそうしたルートで入手した可能性が高い

李氏朝鮮における仏像は隠れキリシタンの十字架みたいなもので、持っていたら危険な物だったのです
https://www.thutmosev.com/archives/305764fr.html

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