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テレビドラマ 松本清張『砂の器』(仲代達矢、田村正和 フジテレビ 1977年)

1:777 :

2023/10/06 (Fri) 16:56:17

テレビドラマ 松本清張『砂の器』(仲代達矢、田村正和 フジテレビ 1977年)

原作 松本清張『砂の器』
監督:富永卓二
脚本:隆巴
音楽:菊池俊輔
制作:フジテレビ、俳優座映画放送

動画
https://www.youtube.com/watch?v=KeFoA9fc1k8&t=1870s
https://www.youtube.com/watch?v=O4i04t0aGeA
https://www.youtube.com/watch?v=-9R_KM4n-S0


フジテレビ系列で、1977年10月1日 - 11月5日に「ゴールデンドラマシリーズ」枠(22:00-22:54)で放送されたテレビドラマ(全6回)。事件発生を1974年に設定している。
1985年2月22日に「金曜女のドラマスペシャル」枠(21:02-23:22)で再編集版が放送された。また、1992年に松本清張が逝去した時にも追悼番組として放映された。全6回版がDVD化されている。

本浦千代吉の「ハンセン氏病」は「精神疾患」へと変更されている。

キャスト(1977年版)
今西栄太郎:仲代達矢
三原雪子:真野響子
田所佐知子:小川知子
成瀬リエ:神崎愛
関川重雄:中尾彬
吉村弘:山本亘
宮田邦郎:小川真司
三浦恵美子:奈美悦子
三木謙一:本郷淳
三木彰吉:佐々木剛
桐原小十郎:信欣三
成瀬しず江:月丘千秋
花江(吉村の恋人):水沢アキ
捜査一課長:鈴木瑞穂
本浦千代吉:坂本長利
田所の妻:幾野道子
成城署刑事:入川保則
旅館の仲居:田坂都
上杉医師:武内亨
国語研技官:松村彦次郎
蒲田署刑事:森幹太
TV司会者:小林大輔
第一発見者(第2話):隆大介
亀嵩の巡査:山谷初男
クラブのママ:川口敦子
旅館の亭主:浜田寅彦
映画配給会社の社員:矢野宣
浪速区の老婆:千石規子
劇団「民衆座」事務員(かわぐちいずみ):宮崎恭子
田所重喜:小沢栄太郎
和賀英良:田村正和

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%82%E3%81%AE%E5%99%A8



『砂の器』(すなのうつわ)は、松本清張の長編推理小説。1960年5月17日から1961年4月20日にかけて『読売新聞』夕刊に連載され(全337回。連載時の挿絵は朝倉摂)、同年7月に光文社(カッパ・ノベルス)から刊行された。後に電子書籍版も発売されている。

東京都内、大田区蒲田駅の操車場で起きた、ある殺人事件を発端に、刑事の捜査と犯罪者の動静を描く長編小説。清張作品の中でも特に著名な一つ。ハンセン氏病を物語の背景としたことでも知られ、大きな話題を呼んだ。ミステリーとしては、方言周圏論に基く(東北訛りと「カメダ」という言葉が事件の手がかりとなる)設定が重要な鍵となっている。   1974年に松竹で映画化、またTBS系列で2回[注 1]、フジテレビ系列で3回、テレビ朝日系列で2回の7度テレビドラマ化され、その都度評判となった。

あらすじ
5月12日の早朝、国電蒲田操車場内で、男の殺害死体が発見された。前日の深夜、蒲田駅近くのトリスバーで、被害者と連れの客が話しこんでいたことが判明するが、被害者のほうは東北訛りのズーズー弁で話し、また二人はしきりと「カメダ」の名前を話題にしていたという。当初「カメダ」の手がかりは掴めなかったが、ベテラン刑事の今西栄太郎は、秋田県に「羽後亀田」の駅名があることに気づく。

付近に不審な男がうろついていたとの情報も得て、今西は若手刑事の吉村と共に周辺の調査に赴く。調査の結果は芳しいものではなかったが、帰途につこうとする二人は、近年話題の若手文化人集団「ヌーボー・グループ」のメンバーが、駅で人々に囲まれているのを目にする。「ヌーボー・グループ」はあらゆる既成の権威を否定し、マスコミの寵児となっていたが、メンバーの中心的存在の評論家・関川重雄の私生活には暗い影が射していた。他方、ミュジーク・コンクレート等の前衛音楽を手がける音楽家・和賀英良は、アメリカでその才能を認められ名声を高めることを構想していた。

殺人事件の捜査は行き詰まっていたが、養子の申し出から、被害者の氏名が「三木謙一」であることが判明する。養子の三木彰吉は岡山県在住であり、三木謙一が東北弁を使うはずがないと述べたため、今西は困惑するが、専門家の示唆を受け、実は島根県出雲地方は東北地方と似た方言を使用する地域であること(雲伯方言、出雲方言)を知り、島根県の地図から「亀嵩」の駅名を発見する。今西は亀嵩近辺に足を運び、被害者の過去から犯人像を掴もうとするが、被害者が好人物であったことを知るばかりで、有力な手がかりは得られないように思われた。

続いて第二・第三の殺人が発生し、事件の謎は深まっていくが、今西は吉村の協力を得つつ苦心の捜査を続ける。他方「ヌーボー・グループ」の人間関係にも微妙な変化が進んでいた。長い探索の末に、今西は犯人の過去を知る。

捜査はやがて、本浦秀夫という一人の男にたどり着く。秀夫は、石川県の寒村に生まれた。父・千代吉がハンセン病にかかったため母が去り、やがて村を追われ、やむなく父と巡礼(お遍路)姿で放浪の旅を続けていた。秀夫が7歳のときに父子は、島根県の亀嵩に到達し、当地駐在の善良な巡査・三木謙一に保護された。三木は千代吉を療養所に入れ、秀夫はとりあえず手元に置き、のちに篤志家の元へ養子縁組させる心づもりであった。しかし、秀夫はすぐに三木の元を逃げ出し姿を消した。

大阪まで逃れた秀夫は、おそらく誰かのもとで育てられた、あるいは奉公していたものと思われる。その後、大阪市浪速区付近が空襲に遭い、住民の戸籍が原本・副本ともに焼失した。当時18歳の秀夫は戸籍の焼失に乗じて、和賀英蔵・キミ子夫妻の長男・和賀英良として年齢も詐称し、新たな戸籍を作成していた。一連の殺人は和賀英良こと本浦秀夫が自身の過去を知る人間を消すためのものだったのである。



1974年松竹の映画において、ハンセン氏病の元患者である本浦千代吉と息子の秀夫(和賀英良)が放浪するシーンや、ハンセン氏病の父親の存在を隠蔽するために殺人を犯すという場面について、全国ハンセン氏病患者協議会(のち「全国ハンセン氏病療養所入所者協議会」)は、ハンセン氏病差別を助長する他、映画の上映によって“ハンセン氏病患者は現在でも放浪生活を送らざるをえない惨めな存在”と世間に誤解されるとの懸念から、映画の計画段階で製作中止を要請した。しかし製作側は「映画を上映することで偏見を打破する役割をさせてほしい」と説明し、最終的には話し合いによって「ハンセン氏病は、医学の進歩により特効薬もあり、現在では完全に回復し、社会復帰が続いている。それを拒むものは、まだ根強く残っている非科学的な偏見と差別のみであり、本浦千代吉のような患者はもうどこにもいない」という字幕を映画のラストに流すことを条件に、製作が続行された。協議会の要望を受けて、今西がハンセン氏病の患者と面会するシーンは、シナリオの段階では予防服着用とされていたが、ハンセン氏病の実際に関して誤解を招くことから、上映作品では、背広姿へと変更されている。

これまで朝日放送・フジテレビ・テレビ朝日の3局で7回ドラマ化されているが、いずれの作品も本浦千代吉の「ハンセン氏病」の描写が変更されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%82%E3%81%AE%E5%99%A8



「砂の器」について ハンセン病が題材だから今はできないとか聞きますが、そういう偏見があったからこその物語なんだから別に今でも問題ないんじゃないでしょうか?
なんで別の理由にするのでしょうか?


ベストアンサー naoさん
2019/4/29 23:09
『砂の器』の原作者、松本清張氏の遺族がハンセン病を題材にすることに反対しているからです。

正確な反対理由はわかりませんが、問題視すべきはそれを知りながら何度も映像化に踏み切るテレビ局のバカさ加減です。
ハンセン病を描かなければ「砂の器」ではない。
従ってハンセン病を扱えないなら「砂の器」の映像化はない。
それだけの話です。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11207043121
2:777 :

2023/10/06 (Fri) 16:57:40

松本清張 砂の器 (大映テレビ 1991)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1042.html

2006年 テレビ朝日 テレビドラマ 『松本清張 けものみち』
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/873.html

松本清張 顔 (TBS 1999)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/663.html

松本清張 中央流沙 (NHK 1975)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/674.html

松本清張スペシャルドラマ ~塗られた本~
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/676.html

松本清張ミステリー時代劇
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/678.html

松本清張 殺人行おくのほそ道 (テレビ朝日 1983)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/308.html


松本清張 ゼロの焦点 (日本テレビ 1991)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1040.html

松本清張 黒い樹海 (テレビ朝日 1997)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1041.html

松本清張 微笑の儀式 (日本テレビ 1995)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1043.html
3:777 :

2023/10/07 (Sat) 05:38:11

松本清張原作ドラマ「砂の器(1977年版)」を久々に観る
2021年8月8日
https://sakamotonorio.com/blog/movie_tvdrama_dvd/2745/

1977年10月から11月にかけてフジテレビ系列で放送。全6回。
主演は仲代達矢。田村正和、山本亘、真野響子、小川知子、中尾彬などが出演。

あらすじ

かつてエリートとして将来を嘱望された
警視庁捜査一課・今西栄太郎(仲代達矢)。

部長の娘と結婚して一人息子を設けるも、
その子どもを自分の不注意で死なせ、妻には逃げられ歯車が狂った。

今では巨人戦の結果だけが唯一の楽しみ。
そんな今西が蒲田操車場で起きた殺人事件に携わる。

所轄の若手刑事・吉村(山本亘)とコンビを組み、
徐々に事件にのめり込んでいく。

逃げた妻の妹・雪子(真野響子)が何かと世話を焼いてくれる中、
若手音楽家・和賀英良(田村正和)に迫っていく今西だが――という話。


感想

映画版を始め数々作品があるが、連ドラならではの良さがある作品。
雪子はオリジナルキャラだが、結構原作に忠実なドラマと言える。

演奏シーンとかは映画版には勝てん気がするけど、これはこれであり。
今西を主人公にして心情を丁寧に追いかけ、
手がかりを掴んだと思えば新たな難問がというつくりはよくできてる。

評論家・関川を演じる中尾彬さんの怪演、
仲代さんと脚本を書いてる奥さん・宮崎恭子さんとの夫婦チョイ共演、
吉村の恋人・花江役の水沢アキさんの美しさなど見どころもたくさん。

そしてマサカズはんはやっぱりマサカズはんだった(笑)
似合うんだよなあ、こういう役。
後の鏡竜太郎や古畑任三郎より、
眠狂四郎と2時間サスペンスを始め悪役の方が評価されるべきと思うんだけど。

今西と雪子のサイドストーリーは連ドラならではだし。
結末は賛否両論あるかもしれんけど、あれはあれでいいのでは。
時代を1974年に設定し、巨人V10を目指す中での絡め方がいいですな。

昔観た時より今西に感情移入するものがある。おっさんになったんだ(笑)
特別どインパクトがあるわけではないけど、味わい深い作品。
https://sakamotonorio.com/blog/movie_tvdrama_dvd/2745/
4:777 :

2023/10/07 (Sat) 05:41:42

亀嵩 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%BA%80%E5%B5%A9++%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%B8%85%E5%BC%B5++%E7%A0%82%E3%81%AE%E5%99%A8



亀嵩 ~奥出雲~ | 松本清張 『砂の器』の地
2023/07/08
https://www.youtube.com/watch?v=GhjOH_J7tLI&t=33s

• 松江 ~出雲~ | 3泊4日松江観光。松江城・玉造温泉・宍道湖
サンライズ出雲 :

• 【@23,210円】日本で唯一の寝台特急サンライズ出雲のシングルルームに乗...
出雲大社から車か電車で1時間半走らせると、奥出雲に亀嵩という地域があります。
そこは、日本のミステリー小説でも大作といわれる、松本清張著作「砂の器」の舞台があります。

私が訪れた当日は、雨に蒼く染まった奥出雲の亀嵩が、抒情と旅情によって霧に包まれていました。
静かにたたずむ亀嵩の駅舎が、ここが和賀英了を育んだ町であることを教えてくれます。
駅舎内には、砂の器のDVDが流されており、菅野光亮による作曲の宿命が聴こえてきます。

この地へ訪れる際は、菅野光亮氏及び千住明氏の「宿命」の音源持参は必須です。
きっと、ドラマティックな世界を見せてくれるに違いありません。

【Contents】
00:08 亀嵩へ向かう道中
00:35 亀嵩駅
02:10 湯野神社入口 松本清張「砂の器」石碑等
02:33 湯野神社へ
02:57 湯野神社本殿
03:15 和賀英了が幼少に隠れていた神社本殿の床下
03:45 亀嵩駅への行き方紹介

【亀嵩への行き方】
■汽車
所要時間:1時間半松江ないし出雲市から山陰本線で宍道駅を経由し、亀嵩駅まで1時間半。
料金   :片道1,170円(松江駅から)
注意点  :2時間から3時間に1本の割合でしか汽車が停まりません。また、往復の料金(約2,400円)を考えると、松江又は出雲市で格安のレンタカー(ニコニコレンタカー)を借りた方が、ほぼ同じ金額で行動範囲が広がります。

■車
所要時間:1時間から1時間半
料金   :高速道路は使わずに行けます。
注意点  :かなり山奥へ入ってゆくので、若干峠道があります。ただ、ヘアピンカーブなどはほとんどありません。エンジンブレーキを使わない程度の峠道です。
※参考:にこにこレンタカーでの料金は、最大の保険込で4,000円弱でした(12時間)。事前予約は必須です。車のグレードは白ナンバーで安価のタイプ。車の調子は全く問題なく、奥出雲への道のりも難なく走行可能です。


【湯野神社への行き方】
亀嵩駅から徒歩30分から50分かかります。
湯野神社の散策を含めて、2時間は考えた方が良いでしょう。
汽車の場合、時刻に注意してください。
付近には、全く何もありません。
ここが、砂の器の舞台なのかと思えないほど、全くお店もありません。

■食事について
亀嵩駅の駅舎内に蕎麦屋があり、出雲蕎麦が食べれます。
または、車で10分弱のところに、亀嵩温泉玉峰山荘があり、レストランがあります。
また、亀嵩温泉玉峰山荘の入り口近くに、「道の駅 酒蔵奥出雲交流館」がありますが、お土産メインで食事はできなかったと思います。

御朱印は、基本貰えないと思った方が良いかと思います。
宮司が常駐しておらず、稀にいらした場合、御朱印を貰えるかと思います。
もしいらしたら、お祓いもして頂けます。
(御朱印代が300円、お祓いが2,000円位だったと記憶しております)


■おすすめルート
前日の夜9時50分発のサンライズ出雲乗車で出雲市へ。

一日目:出雲大社
二日目:亀嵩
三日目:松江城下町と宍道湖の散策(後日公開)
四日目:出雲空港または米子空港から各々の地へ。

帰宅する場合、出雲空港か米子空港からとなります。
距離的にはさほど変わりません。
また、松江→米子空港のエアポートバスは、米子で有名な「ベタ踏み橋」を通ります。
よくテレビで見る、ものすごい傾斜の橋です。


https://www.youtube.com/watch?v=GhjOH_J7tLI&t=33s
5:777 :

2023/10/07 (Sat) 06:19:37

松本清張著 『砂の器』とハンセン病
荒井裕樹
https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n278/n278015.html

1 松本清張『砂の器』の問題点
『砂の器』は昭和35年6月から約1年にわたり読売新聞に連載された松本清張の代表作である。推理小説を要約することほど難しいことはないのだが、大体の筋だけ示しておこう。

将来を嘱望されている前衛音楽家和賀英良は、音楽界での成功ばかりでなく、大物政治家の愛娘との婚約も決まり、着実に名声を得つつあった。そんな折、彼の真の身元を知る元巡査、三木謙一が不意に現れる。実は和賀英良の正体はハンセン病者本浦千代吉の息子本浦秀夫であった。彼は戦後の混乱に紛れ身元を偽造し、現在の地位を手に入れたのだった。彼はその地位と名声を守るため三木謙一を殺害する。

この作品には「業病」という言葉が頻出する。かつてハンセン病(「癩病(らいびょう)」)は遺伝性のものと考えられ、「業病」や「天刑病」などと呼ばれ、前世の罪の報い、もしくは悪しき血筋による病との迷信があり、それを発病することは少なからぬ罪悪を犯すことと同義とされた。もし一人でも親族に発病者が出ると、その家は共同体の中で一切の関係性を断絶され、時には一家離散に追い込まれたという。そのような患者迫害が最も激しかった時期、それが昭和10年代の無癩県運動期であった。

本浦父子が放浪し、父千代吉が三木謙一巡査に保護され療養所に収容された昭和13年という時代はちょうどこの無癩県運動期に該当する。無癩県運動とは〈民族浄化〉を旗印に各府県警察の主導で患者狩りが広く展開された時代である。本浦父子もこの無癩県運動の被害者であったと言えよう。ハンセン病は〈一等国日本〉にとっては〈国恥病〉であり、その存在自体が〈国辱〉とされ、誤った伝染力の認識と相俟(あいま)って、国家を挙げて隔離撲滅が奨められた。ハンセン病は「業病」であり同時に凶悪な伝染病であるという、患者にとって極めて不都合な偏見が幾重にも重なり合っていた。そのような境遇に貶(おとし)められたハンセン病患者を父に持つ本浦秀夫は、戦後の混乱に乗じて自身の身元を偽造し、和賀英良に再生することに成功する。苦労して手に入れた現在の地位を守るために、自身の正体を知る三木謙一を殺害したのだ。しかしそのような嘘で作り上げた彼の栄光はもろくも崩れていく。まるで砂で作った器のように。

松本清張は『砂の器』の作品内時間を発表時期と同じ昭和35年前後に設定している。つまり彼はリアルタイムのこととして同作を書いたことになる。しかし昭和35年には、ハンセン病はすでに科学治療法が確立していたばかりか、患者たちは自分たちの権利獲得と境遇改善のための運動を広く展開していた。昭和34年には「癩病」から「ハンセン氏病」への改称の動きも出ている(『全患協運動史』参照)。そんな昭和35年当時に、松本清張がなんらの疑問を抱くことなく「業病」と言い切れるのはなぜなのか? 社会派と称された松本清張でも、ハンセン病問題に関しては見識が乏しかったとしか考えられない。彼が欲したのは作品の山場を作るに相応(ふさわ)しい〈社会的負性〉であった。その〈社会的負性〉に相応しいものとしてハンセン病=「業病」があったのだろう。とにかく、隠すべき〈社会的負性〉の象徴としてのハンセン病という偏見自体が、同作の中で全く疑われていないのは問題であろう。

2 映画版『砂の器』の問題点
映画版『砂の器』(監督野村芳太郎)は昭和49年に映画化され、同年の『キネマ旬報』の読者投票では一位に選ばれている。脚本を山田洋二と橋本忍が担当していることもあり、幾分ハンセン病問題に配慮した痕跡が窺(うかが)える。

原作から映画への最大の変更点は、刑事今西栄太郎による和賀英良の正体暴露の場面である。捜査本部の刑事たちを前にして、三木謙一殺害事件の真相を語る今西は、今まで隠されてきた本浦父子の境遇について言及する。原作ではわずか約6ページにすぎないこの箇所は、映画では約45分弱と全体の大半を占めることになる。「親知らず」の浜を夕陽に照らされながら父子の歩む美しい映像や、秀夫を苛める悪童たちを追い払う千代吉の姿など、悲惨な境遇に陥った親子の愛情を感傷的に描き出し、涙を誘う仕掛けがなされている。そのような感傷的なシーンとクロスして今西刑事の調査報告が差し挟まれ、和賀英良が三木謙一を殺害するに及んだ経緯が詳細に説明される。原作では和賀英良が正体を隠すことは殺人の単なる動機として描かれているのだが、ここではやむを得ない事情に換えられていると言えよう。原作ではすでに死亡したことになっている本浦千代吉が映画版では生存し、和賀英良の写真を差し出す今西刑事に向かって涙ながらに「知らん男だ」と叫ぶ場面は、息子の幸福を願い、親子の関係を自ら否定する父親の悲しい愛情という映画独自の脚色である。しかし、やはりここでも隠すべき〈社会的負性〉としてのハンセン病という偏見は相対化されていない。

映画が製作された昭和49年には、すでに他ならぬハンセン病回復者自身によって隔離政策への歴史的再考がなされていた。そのような時代に、無癩県運動によって隔離される本浦父子を感傷的に描くばかりで、ハンセン病=〈社会的負性〉という偏見を相対化する視点がなかったのは残念である。

さて、映画は当然のことながら映像を表現の手段とする。そのため不可避的にハンセン病患者を映像化する必要が生じる。『砂の器』はハンセン病患者を、シミのある土気色のメイク、ボロボロの衣裳、ずらしてはめられた軍手(歪んだ手)という形で表現したが、実はこれらの映像表現は、『小島の春』(昭和15年)、『ここに泉あり』(昭和30年)、『愛する』(平成9年)にも共通するハンセン病患者を映像化するための紋切型なのである。そしてこのように表現された患者たちはいずれも重く沈痛な表情をしている。いわば悲しげな表情もメイクの一部となっているのだ。もちろんこのような者もかつてはいただろう。しかし映像化される患者がことごとく同様の紋切型で描かれ、いつも泣いているものだと思われては、描かれる側としてはたまったものではないだろう。

3 ドラマ『砂の器』
2004年にTBS系列で放映された『砂の器』(中居正広主演)では、すでに原作の持っていた推理小説の要素は完全に消失している。このドラマの主眼は、それまで刑事視点から描かれてきた『砂の器』を和賀英良の視点から描きなおし、そこに単なる推理小説に収まらない人間性を描こうとしたことにあったのではないだろうか。

このドラマ版『砂の器』に言及するに際して最も強調しておきたいのは、作品の核ともいうべき本浦千代吉の設定が、ドラマ開始以前にすでに予想できたということだ。実はこれより先、某テレビ局により、本浦千代吉を精神障害者という設定でリメイクした『砂の器』が放映されたことがある。ハンセン病、精神障害者等がすでに人権問題で使えなくなっている現在、公共のテレビ番組で〈社会的負性〉として描けるのは、比較的人権擁護意識の高まっていない犯罪者、それも窃盗や強盗程度ではなく、確実に殺人を含む重大犯罪者だろうと思っていた。

しかしドラマが始まってみて、本浦千代吉が「31人殺し」の犯罪者として設定されていたのには正直驚いた。治安悪化が叫ばれる現在では、1人2人の殺人では〈社会的負性〉としてはインパクトが弱いとでも判断されたのだろうか? そもそも『砂の器』のメインになるのは、本浦秀夫から和賀英良への「すり替え」と、和賀英良のあまりにもショッキングな正体による。そしてそのショッキングさを担保していたのが、ハンセン病や精神障害者の父の存在であった。つまり『砂の器』という作品が作品として成立するためには、リメイクされる時代時代の〈社会的負性〉を必要とするのである。そして描かれる〈社会的負性〉が時代によって変遷をたどるということは、その時々の人権意識によって浸蝕される作品でもあるということだ。

今回のドラマも大変な好評を得たというから、『砂の器』はいずれまたリメイクされることだろう。その際、本浦千代吉はいかなる設定になるのだろうか? おそらくこの本浦千代吉は戦後文学・映画・ドラマ史上、もっとも不幸な役割を負わされた人物かもしれない。
https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n278/n278015.html
6:777 :

2023/10/07 (Sat) 06:57:07

【砂の器】和賀が殺人を犯した本当の理由を考察!ハンセン病への差別や偏見が与えた影響は?傑作ミステリーと称される理由に迫る
https://cinema-notes.com/article/12844/


推理小説界きっての社会派として知られる松本清張のベストセラーミステリーを1974年に映画化した「砂の器」。

日本映画としてもその完成度の高さから歴史に残る一作として人々の記憶に長く留まっている作品です。

ハンセン病という当時としても社会的に取り上げることの難しいテーマを敢えて事件の背後に据えました。

原作を大胆に改変した橋本忍入魂のシナリオの素晴らしさが、この映画の最大の魅力でしょう。

後半、ピアノ協奏曲「宿命」に乗せてカットバックされる和賀英良の一生は、そのメロディーと映像が観る人の魂を揺さぶらずには置きません。

名匠野村芳太郎、名キャメラマン川又昂など当時の邦画界の最高のスタッフと名優たちの演技も素晴らしい本作。

清張が「原作を超えている」と語ったというのは広く知られた有名なエピソードです。

ただ、和賀英良の犯行動機の弱さは原作においても指摘されていたことで、真の動機とは何だったのか、は多くの推測を呼んでいます。

そこにはハンセン病という重いテーマがついて回ることは確かでしょう。

本作が邦画界に燦然と輝く名作文芸作品(ミステリー)となった理由を考察していきましょう。

和賀英良はなぜ犯行に至ったのか
犯行動機の深いところ


和賀が亀嵩であれだけ世話になった命の恩人でもある三木巡査を殺したのは何故か。

これについては小説でも映画でも、一応は「自分の正体」が露見することを恐れたためとされています。

それはそれで妥当なところでしょう。

確かに出自を偽っていたこと、ハンセン病の父がいまだ存命であること、などは彼の未来を断つのに十分ではあります。

しかし、和賀は「それだけのこと」で三木巡査を殺すものでしょうか。

秀夫が三木のところを脱走したのが原点なのでは

秀夫が父と別れ、三木巡査の家に世話になっていたものの、そこを脱走します。

恐らくは大阪に行き、和賀家で奉公に就いたのでしょう。その時から三木とは会っていません。

そして父ともあの駅頭での別れ以来会っていないのです。探してもいないようです。

この時期に三木巡査殺害の深い動機が隠されているのではないかと読み取れます。

ハンセン病の影響
原作の舞台は昭和10年代

松本清張の原作では、本浦親子が流浪する舞台は昭和10年代に設定されていました。

今は病気の理解も進み、良い治療薬も出来ていますが、当時の偏見と差別は酷いものだったといわれています。

国中が戦争に向かって突き進む中での「隔離政策」は苛烈を極め、罹患者に対する偏見や差別は想像を絶したとされています。

そして映画での事件は昭和46年に起きた

映画「砂の器」で和賀英良が事件を起こすのは昭和46年。

本浦親子が全国を彷徨うのは太平洋戦争直前という設定です。

しかし、時代が進んでもハンセン病に対する無知、偏見、差別は大きく変わっていませんでした。

和賀英良が恩人三木巡査を殺さざるを得なくなった大きな原因の一つに自分の父がハンセン病患者であることがありました。

現在も療養生活をする父の存在が世間に知られることを恐れたという点は拭い去れない事実でしょう。

身内にハンセン病患者がいる、映画を観る人は当時に身をおいてそのことを想像してみる必要があります。

日本はアジアで初の五輪を終え、もはや戦後ではないといわれる時代になっていました。

そのような時代にあってさえ知識人といっていい和賀が殺人を犯さざるを得ない社会環境が厳然として存在したのです。


映画製作に反対したハンセン病団体

本浦千代吉と息子の秀夫(和賀英良)が放浪するシーンや、ハンセン氏病の父親の存在を隠蔽するために殺人を犯すという場面について、

全国ハンセン氏病患者協議会(のち「全国ハンセン氏病療養所入所者協議会」)は、ハンセン氏病差別を助長する

引用:ja.wikipedia.org/wiki/砂の器

などの心配があるとして映画の製作を中止するように要請しました。

制作側は、この映画を公開することによる啓発効果を説明しています。

さらにエンド部分に以下のクレジットを付けることで協議会に納得してもらった経緯がありました。

「ハンセン氏病は、医学の進歩により特効薬もあり、現在では完全に回復し、社会復帰が続いている。

それを拒むものは、まだ根強く残っている非科学的な偏見と差別のみであり、本浦千代吉のような患者はもうどこにもいない」


これらのエピソードも当時のハンセン病患者ととりまく環境を雄弁に物語るエピソードといえるでしょう。

和賀英良が望んだこと
「宿命」は父へ想いの結晶

思うに、秀夫は和賀英良となり、自分で自分の道を切り開き音楽の世界で認められるようになりました。

さらに世の中で強い地位を占めるため、政略結婚に出ます。

親思いの秀夫は少年時代に父との関係を封印し、自分が社会を上から見下ろす地位に就くことに執心したと思われます。

ある意味社会に対する復讐という見方もできるでしょう。

ハンセン病に対する差別や偏見から受けた過去のさまざまな仕打ちも当然秀夫の頭にはあったはず。

その傍ら、父との切れない、終わらない関係を「宿命」と題して楽曲に詰め込んだのです。

三木は伊勢から急ぎ上京し、蒲田のスナックで秀夫と対面、強く父との面会を迫ったのでしょう。

しかし、秀夫(和賀英良)の中での父への想いは既に完結していて、その結晶を楽曲にしようとしていたわけです。

結晶である「宿命」の楽想が崩壊する

父に会ってしまえば楽曲のイメージ・楽想は狂いますし、自分を支えている考えが崩れてしまうかも知れないのです。

従って、面会を強要してくる人の善い三木は昔の恩はあっても取り除いておかなければならなかったのではないかと推察できます。


そして和賀はなぜ、この協奏曲に「宿命」と名付けたかという意味も考えてみたいところです。

一世一代の楽曲にこそ、本当は大好きだった父と自分の背負った切ることが出来ない「宿命」を曲に投影させたとみられるのです。

つまり秀夫の中では完結していた「宿命」の完成と発表を確固とするための犯行だったという考察も可能だと思われるのです。

それを身勝手、ということもできるでしょう。

傑作ミステリーとなった理由
橋本忍の大胆な挑戦と推理を楽しむロードムービーとしての側面

本作が傑作となったのは原作者も認めた橋本忍による大胆な改変が第一。

「情」の要素を大きく取り込み、日本人のメンタリティに添うように仕上げられたシナリオは見事という他ありません。

さらに小説では不可能なスケールの大きい音楽の導入が挙げられるでしょう。

名優たちの魂の演技も見逃せないところです。もちろん野村芳太郎の演出、川又昂のキャメラワークも忘れてはいけません。

更にいえることは、この映画が優れたロードムービーでもあるという点です。

本作は秋田県・羽後亀田から始まります。さらに出雲亀嵩・伊勢市・山梨県塩山市・大阪市・石川県が登場。

二人の刑事の捜査行と、和賀英良親子の流浪の旅の2つの時間軸と移動軸が上手く重ねられていくのです。

その結果、観客はあちらこちらを旅しながら事件の解決を推理する楽しみを味わうことが出来る仕掛けとなっています。

特に和賀親子の旅では日本の四季の美しい移ろいが親子の過酷な状況を更に切なくする効果を生んでいるといえます。

こうした点から本作はサスペンスの楽しみを増加させるロードムービーとしての魅力も兼ね備えているという見方も出来るでしょう。

優れたテーマ性
加えて当時も今もまだまだ完全に拭い去れたとはいい切れないハンセン病を大胆に取り上げ、差別と偏見とを殺人というテーマに合体させたこと。

その後「砂の器」はテレビドラマで何回かリメイクされていますが、ハンセン病を背景とした作品は皆無です。

そのテーマ性が光ります。

ミステリーとしては犯人探しというよりも、犯人を殺人という凶行に追い込んだ社会的背景に切り込むスタイルが胸を打ちます。

清張ワールドの完璧な映像化
橋本忍がプロダクションを作ってまでして本作製作に乗り出した覚悟がどのくらいのものか。その覚悟が名作を生んだともいえます。

社会派ミステリーを書いて日本の闇に潜む問題をえぐり出してきた松本清張。

彼のミステリーと社会的問題点を映像の世界において高い次元で融合したのが「砂の器」なのです。

お遍路姿の親子の映像が目に焼き付いてしまうのは、私たちの心の深いところに語りかけるものがある証拠といえるでしょう。

このようにして映画「砂の器」は、結末が分かっていても何度でも観たくなる邦画の永遠の傑作ミステリーとして輝き続けているのです。
https://cinema-notes.com/article/12844/3/
7:777 :

2023/10/07 (Sat) 09:11:03

「砂の器」~終章~
https://www.youtube.com/watch?v=o4puvWc31NU&t=46s

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