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【原爆】隠されたアメリカの闇…日本人を使った人体実験だったのか?

1:777 :

2023/09/19 (Tue) 05:06:50

【原爆】隠されたアメリカの闇…日本人を使った人体実験だったのか?威力から終戦後の世界まで徹底解説!
2021/08/06
https://www.youtube.com/watch?v=5oZIVJ4y4P8

広島と長崎に落とされ15万人の日本人の命を奪った原爆
戦争を終わらせるための秘策だったのか?
それとも残虐非道な人体実験だったのか?
原爆に込められたアメリカのメッセージとは?
そもそもなぜ広島と長崎だったのか?
民間人虐殺はなぜ許されたのか?
原爆が分かれば国際社会の闇が見えてくる!



【広島原爆ツアー】原爆の爪痕を現地広島から分かりやすく解説
2021/08/06
https://www.youtube.com/watch?v=WjVNVaXiQdw

どこに落とされ、その時広島はどうなったのか?
悲惨な現状を、現地の爪痕から振り返る!





【長崎原爆ツアー】恐ろしい原爆の爪痕を現地長崎からわかりやすく解説
2021/08/09
https://www.youtube.com/watch?v=616zfmkvOsY&list=PLp6PKFXjU68RH6JQ_M0sV6ZbppnbRMmJz&index=14

現地長崎に残された原爆の爪痕とは?
原爆はなぜ長崎に落とされたのか?
長崎の人々はいかにして原爆と戦ったのか?

原爆について知ることが、平和への第一歩です。
2:777 :

2023/09/19 (Tue) 05:10:31

米極秘文書から紐解く原爆投下の真実|林千勝
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14136503

原爆投下が日本を救った_ ユダヤ人とトルーマンと昭和天皇に感謝
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html
3:777 :

2023/09/20 (Wed) 15:18:03

aaあ
4:777 :

2023/12/08 (Fri) 10:31:03

国際金融資本の原爆観


原爆は国際金融資本グループが第二次世界大戦後の世界で、核兵器で大儲けをする計画でなされた実験であった。

原爆開発を最初に立案したのはイギリスでした。 ところが、ナチスドイツとの戦争で疲弊したイギリスは財政的に逼迫し原爆開発は頓挫します。 そこでイギリスはアメリカにこの計画を売り込むのです。

チャーチルとルーズベルトは「ケベック協定」を結び、イギリスの原爆開発情報はアメリカに譲渡されたのです。 この裏にはもちろん、ロスチャイルド系イギリス企業インペリアル・ケミカルズとアメリカの企業デュポンとの蜜月関係が背景にあります。


第二次世界大戦中に暗躍した世界をまたがる金属カルテルの存在

先のインペリアル・ケミカル、デュポンを始め、モルガン系企業GE(ゼネラル・エレクトリック)、カナダのインターナショナル・ケミカル、はてはドイツのIGファルベンまでも単一カルテルを形成していた!

この金属独占大資本網こそが、物理学において原爆開発の兆しが見え始めた第二次大戦前あたりを境に「原爆製造」という巨大産業の実現に与した真の黒幕。

ドイツに原爆が落とされず、日本に落とされた理由もそこにある。
つまり、ドイツも最初からグルだったという事です!

さて、周知の通り原爆にはウラン濃縮型とプルトニウム型の二種類ありましたが、前者に必要とされるプルトニウ235は、「ロックフェラー=メロン財閥」が主に製造したものであり、後者のプルトニウムは「モルガン=デュポン」(ロスチャイルド)が主に製造したもの。

そして重要な点はこれからなのですが、ロックフェラー勢の主導により時期的にも先行したウラン型爆弾の開発は比較的早い時期の完成を見ます。ところが、ロスチャイルド主導のプルトニウム爆弾の方は開発が遅れてしまいます。

アメリカ(いや、正確には原爆カルテル)としては、どうしても両タイプの原爆を使用したかったのです。 原爆プロジェクトの総指揮をとった陸軍長官ヘンリー・スティムソンはモルガン財閥と深い関係のある人物であり、終戦を引き延ばし、プルトニウム爆弾を是が非でも日本へ投下する使命を帯びていました。

そのためにこそ日本へ無条件降伏が突きつけられたのです。
これによって、日本は事実上降伏するためのカードを奪われる事となったのです。
http://bichir.blog95.fc2.com/blog-entry-20.html


原爆投下の理由について、新型爆弾である原爆を当初、米国の原爆を開発した科学者たちは、呉などの軍港の、それも沖合いに投下するという説明を受けていました。それを、当時の米国軍部は原爆の威力を測定する意味合いで、都市部に落とすことに変えました。人体実験を目的として日本に落としたと言えます。このことは、残された米軍の資料など、さまざまな証拠から明らかになっています。

ところが日本人の多くは、「第二次世界大戦を早く終わらせるために、アメリカは日本に原爆を投下せざるをえなかった」と教育され、いまだにそう思い込んでいます。

実際、昭和20年の東京大空襲など、一連の空爆による日本全土焼き払い作戦のときから、米軍部は日本に戦争遂行能力がないことをはっきりと知っていました。日本全土を焼き払うこと自体、すでに人体実験です。一般市民が無差別に死んでいくなかで、戦争の恐怖がどのように天皇を頂点にした国家を変えていくのか、研究していたのだと私は見ています。そして、その次に原爆投下です。敗戦前の少なくとも半年の間、日本人は国ごと一部の米国人の実験用モルモットとして、やりたい放題に殺されたというのが歴史の事実です。
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/65994ae0b3913cc45916b22cb791d6a0


広島・長崎への原爆 米で「実験」と記載

【ラスベガス(米ネバダ州)4日=杉本宏】ネバダ核実験場を管轄している米エネルギー省ネバダ事務所が発行している刊行物「公表された米核実験」の中に、太平洋戦争末期に実施された広島、長崎への原爆投下が「核実験(テスト)」として記載されていることが4日、明らかになった。

この刊行物は同事務所が毎年、編集・発行しており、昨年5月に出された第12版が最新のもの。米国が1945年7月から91年12月までの間、同実験場などで実施した843回の核実験(英国との共同実験も含む)について、103ページにわたり実施時期、場所、爆弾の威力などを記載している。

この中で、米国の手による核爆発はすべて「公表された米核実験」としてくくられている。広島、長崎のケースは「第2次世界大戦、実戦使用──広島」などと表記され、その目的も「実戦」と書かれているが、時期別、実験名別のいずれの区分でも「公表された米核実験」の欄の中に分類・記載されている。

原爆の対日使用は「人体実験」だった。

「広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。1つには戦後世界でのアメリカ
の覇権確立である。そしてもう1つは、原爆の効果を知るための無数の人間への
『人体実験』である。

だからこそ、占領後にアメリカ軍が行なったことは、第1に、原爆の惨状について
の報道を禁止し、『人体実験』についての情報を独占することだった。

第2に、史上前例のない火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・
長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者の
ケロイドの皮膚や臓器や生存被爆者の血液やカルテを没収することだった。

第3に、日本政府をして国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否させることだった。たしかに、『実験動物』を治療するのでは『実験』にならない。そこでアメリカ軍は全力を尽くして被爆治療を妨害したのである。

第4に、被爆者を『治療』せず『実験動物』のように観察するABCC
(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置することであった。加害者が被害者を観察するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか。」

広島で女学生(14歳)のときに原爆にあい、現在も原爆後遺症で苦しむ詩人の 橋爪文さんは、「ABCC」(原爆傷害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)について、次のような恐ろしい事実を述べている。

「私は広島の生き残りのひとりです。 〈中略〉 ここで、ひとつ触れたいことは『ABCC』についてです。これは日本でもほとんど知らされていないことですが、戦後広島に進駐してきたアメリカは、すぐに、死の街広島を一望のもとに見下ろす丘の上に『原爆傷害調査委員会』(通称ABCC)を設置して放射能の影響調査に乗り出しました。そして地を這って生きている私たち生存者を連行し、私たちの身体からなけなしの血液を採り、傷やケロイドの写真、成長期の子どもたちの乳房や体毛の発育状態、また、被爆者が死亡するとその臓器の摘出など、さまざまな調査、記録を行ないました。

その際私たちは人間としてではなく、単なる調査研究用の物体として扱われました。治療は全く受けませんでした。そればかりでなく、アメリカはそれら調査、記録を独占するために、外部からの広島、長崎への入市を禁止し、国際的支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。日本政府もそれに協力しました。こうして私たちは内外から隔離された状態の下で、何の援護も受けず放置され、放射能被害の実験対象として調査、監視、記録をされたのでした。

しかもそれは戦争が終わった後で行なわれた事実です。私たちは焼け跡の草を
むしり、雨水を飲んで飢えをしのぎ、傷は自然治癒にまかせるほかありません
でした。あれから50年、『ABCC』は現在、日米共同の『放射線影響研究所』となっていますが、私たちはいまも追跡調査をされています。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html


ビキニ核実験も広島・長崎の人体実験の続きだった:


 ①米側は、気象変化について気象学者らの警告を事前に受けながら無視し、実験を強行した。

 ②死の灰が出ることが予測されていたうえ、過去の実験から居住地域に向かうことがわかっていた。

 ③ロンゲラツプなど風下の4環礁の住民に対し、意図的に事前警告をせず、避難措置もとらなかった。

 ④米兵は34時間以内に救出されたのに、住民の救出には最大4日かかった。同程度被ばくしたアイルツク環礁には避難措置はなく汚染した水や食料でさらに被ばくした。

 ⑤汚染の残るロンゲラツプ環礁に対する安全宣言を出して避難した住民を帰還させ、人体への放射能の長期的影響を調べた。

 ⑥全島が被ばくしたにもかかわらず、人体研究の対象となった環礁以外では、医療援助や総合的な検診がない―などだ。

マーシャル住民らに実施した人体研究「プロジェクト4・1」は、これまで 「医療ケア」プログラムとして知られていた。同研究の存在が明るみに出たことで、「ケア」の裏側で「放射能が人体に長期的に及ぼす影響」についての徹底的なデータ収集を進めていたことが判明した。現在も研究はエネルギー省の手で続けられており、特定の被ばく者集団を対象に40年以上にわたって追跡調査されたデータは、原爆傷害調査委員会(ABCC、放射線影響研究所の前身)が集めた広島、長崎の被爆者データとともに同省健康研究室で一括して管理されている。

 セリグマン同省次官補代理(同室長)は、一連の資料を「完全なデータセツト」と呼び、放射能の人体への影響を調べるうえでの基本資料であることを隠さない。マーシャル側が「モルモット扱いだ」と批判してきたのも調査目的の「二面性」とかかわる。

 これまでの調査から、「医療ケア」では説明できない事例も判明している。赤血球の追跡調査目的で、放射性クロムを注射した事例と、主として被ばく直後に放射性物質の除去のために使われるエチレンジアミン四酢酸(EDTA)という物質を被ばくから七週間たってから投与した例だ。

 米軍による一連の「放射能人体実験」について調査した米大統領諮問委員会は95年、「全体が人体実験だったとはいえない」としながらも、二例は患者の治療目的を逸脱した研究だったと結論づけた。
 こうした事例について、米政府は当時、マーシャル住民への説明や同意を得ずに実施したうえ、現在も「担当医師のプライバシー」などを理由に、対象にした住民らの氏名公表に応じていない。

マーシャル側は、独自調査で少なくとも20人以上が放射性物質を注射されたことを突き止め、うち生存者5人も特定した。ロンゲラツプ環礁の議員ナビ・クンさんの母アトミネさん(58)もその一人で、乳がんや脳しゅように苦しんでいる。クン議員は、「本人への情報開示がないため、『実験』との因果関係を調べることが難しい」と話す。

これに対し、研究にかかわった医師らは現在でも「ケアのために必要な措置だった」と強弁する。エネルギー省当局者はマーシャル側に「注射は、X線検査のようなもので害はない」と説明したという。

放射能実験にかかわる人権問題に詳しい米国人弁護士クーパー・ブラウン氏によると、米側が実施した被ばく者の甲状せん摘出手術についても、「摘出する必要がないのに、放射能以外の原因のがんや肥大との比較研究のために摘出された疑いがある」という。

ブラウン氏は同時に、当時の米原子力委について、

「(マーシャル住民は)文明化されていないがネズミよりは我々に近いと公言する幹部もいた」

と述べ、人体実験の対象になったアラスカ先住民らと同様、「人種差別的」な要素が合まれていた疑いを提起する。
http://www.ask.ne.jp/~hankaku/html/bikininews.html

米国防総省 広島、長崎の原爆被爆者データ 核戦争研究に利用
ABCC収集解禁文書で「モルモット説」裏付け

【ワシントン30日共同】米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)が広島、長崎の被爆者から収集した医学データを、国防総省が将来の核戦争を想定した軍事目的の研究にも利用していた事実がこのほど、同省や全米科学アカデミーなどの解禁文書で確認された。

国防総省は、核使用の際の医療対策に収集データが役立つと期待。広島、長崎のデータとビキニ環礁での原水爆実験の資料を比較し、爆心周辺で放射線から身を守るには服装をどうするか、などといった分野も研究していた。
ABCC設立当初から被爆者が抱いていた「モルモット扱いしているのでは」という疑いを裏付けるものだ。

また日本で「ABCCの研究は非人道的」との非難が強まることを恐れた米側が、病理標本やデータを重要機密資料として、その保護に極度に配慮していたことを示す文書も見つかった。

1946年11月26日、トルーマン大統領は「原爆が人間に与える長期的影響の研究を継続すべきだ」との陸、海両軍医務総監の勧告を承認。これを受けて全米科学アカデミー研究評議会に原爆傷害委員会(CAC)が設置され、現場機関として広島、長崎にABCCが発足した。

CAC議事録によると、47年3月のCAC第1回会議で海軍の代表が「防御的措置」と「攻撃的措置」の両面で被爆者データを利用することを提案した。またパターソン陸軍長官は同月、ジュエット科学アカデミー総裁に送った書簡で被爆者研究の「軍事的重要性」を強調し、極東司令部による協力を約束した。

翌48年6月に「特殊兵器プロジェクト」(国防総省国防核兵器局の前身)のハズブルック参謀長がまとめたメモは、被爆者データは「放射能戦争研究に非常に重要」だとして、核攻撃の際の死傷者数や負傷者の治療などに関する情報への利用に期待を表明した。

ABCCで収集されたデータや生検、解剖標本はこうして同プロジェクトや陸軍病理研究所で保管され、47-49年にまとめられた核戦争防護の各種研究に生かされた。
同プロジェクトのワイナント放射線防衛局長の論文は広島、長崎より良い防護施設がなければ「米国の大都市では10万人以上の死傷者が出る」と核シェルターの重要性を強調。ホートン同局医療部長の論文は、広島の被爆者の生殖能力や遺伝的影響などのデータを引用した。

さらにクーニー原子力委員会軍事応用局放射部長の論文は、広島、長崎でのデータとビキニ実験との比較から身体器官への影響を分析。「爆心から1.5キロ離れた地点なら軍服、シャツの着用でも防護になる」などと指摘した。
今さら驚かないが…

近藤幸四郎・広島県被団協事務局次長の話 中学生の時、先生に(調査のためABCCへ)行ってくれんか、と言われた。アメリカにはとても協力する気になれず断った。モルモット扱いは、我々は前々から言っていて今さら驚かない。50年たって、ようやく証明されたかという感慨が強い。

<ABCC> 原爆放射線の長期的な医学影響調査を主な任務として1946年11月、トルーマン大統領が設立を指示した。47年から広島、長崎で調査を開始、予算は米国原子力委員会などから出された。日本からは国立予防衛生研究所が参加。約12万人を対象に寿命(死亡)調査、成人健康調査、病理学的(解剖)調査、遺伝的調査などを実施した。(共同)(毎日新聞 1995/07/30)

核戦略用に設置? 米の研究所、治療はせず

米国は47年、原爆傷害調査委員会(ABCC)を設立。広島、長崎に研究所をつくり、原爆が人体に与えた影響を調べ始めた。75年からは、米国エネルギー省と日本の厚生省が費用を折半する財団法人の放影研が調査を引き継いでいる。
87年から全米に散らばるABCC関連の文書を探し集め、ABCCの元所員らにインタビューして被爆者研究の歴史を調べているペンシルベニア大のスーザン・リンディー教授に尋ねた。

──ABCCの研究は軍事目的だったのですか。

「研究は、核兵器が人類にとってどんな意味を持つかを決めるためのもので、冷戦戦略の一部だった。米国の将来の核戦争に備えるためだったことは疑いの余地がない。ニューヨークに原爆が落とされたら社会的にどうなるか、人問がどうなるか、というモデルでもあった」

──ABCCは調査だけで治療はしないといわれてきました。なぜでしょう。

「治療すれば、原爆投下の謝罪につながると考えていたようだ」
ABCCは、多い時は1000人を超える職員を抱えていた。16万の被爆者を選び、どこでどんな状況で被爆したかを数年かけて1人ひとりにインタビューし、亡くなった7500人を解剖した。

現在も母集団の12万人について、亡くなるたびにその死因を追跡し、2万人を2年に1度健康診断する。8万人の被爆2世、そして2800人の胎内被爆者の調査も継続中だ。放射線以外でも、疫学調査としてこれを超える規模のものは世界に存在しない、といわれる。

被爆者をモルモット扱いしたと言われるABCCの姿勢は、放影研にも引き継がれてはいないだろうか。

占領史研究者、笹本征男さん(54)は、今年末に発行される「通史日本の科学技術〈国際期〉I・II」(学陽書房)の中で、ABCCの研究を引き継ぐ放影研の設立目的にも不明確さが残る、と指摘している。

財団法人の目的には「被爆者の健康保持及び福祉に貢献する」ことをうたっている。一方、両国政府が74年に交わした公式の外交文書では、目的は「放射線が人に及ぼす影響の調査研究活動」とされ、「被爆者のため」という文言はどこにもないのだ。


■年20億円の投入

6月末に訪れたワシントン郊外のエネルギー省で、「シーダ」という名前のデータベースを見た。

ハンフォード、ロスアラモス、オークリッジといった核兵器製造現場で働いた人たちの健康状況を1人ひとり追跡するデータベースだ。その中に「JALSSA01」というファイルがあった。

ABCC、放影研が集めた被爆者7万5991人の被ばく線量、性別、死因などの関連がオンラインで分析できる。利用するにはエネルギー省の許可が必要だという。

被爆者のデータは、実は原爆をつくり、落とした国の、核兵器をつくる省に管理されていた。

同省のセリグマン次官補代代理は「放射線の人体への影響を知るには、日本の被爆者の研究が最も基本となる」と話す。被爆者のデータは、核兵器、原子力関係の労働者から得られたデータと違い、一挙に放射線を浴びせられた子供から老人までの男女多数が、長期にわたって追跡されているからだ。

米国が今も年間約20億円を広島・長崎の研究に投じ、威力の見直しなども進めているのは、データの重要性が極めて大きいからと思えば納得できる。原子力発電、X線などの医療分野、そして核兵器工場でも、放射線をどれだけ浴びると有害かという基準づくりに、被爆者を追跡したデータは必要不可欠となっている。


被爆者治療せず 50年代の米公文書

原爆投下後に広島、長崎に設置された米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)をめぐり、米政府が「原爆は特別な兵器ではない」との主張が揺らぐのを避ける意図で、被爆者の治療をさせなかったことが50年代の米公文書で明らかになった。

原爆投下への謝罪と受け止められることも懸念し、被爆者と他の戦災者を区別しない方針を固めていた。米国は当時の冷戦下で、非人道的と非難されて原爆が使いにくくなるのを防ごうとしていたとされ、研究者は「被爆者への対応も核戦略の中に位置づけられていた」とみている。

朝日新聞が米国立公文書館に対し、ABCCに関する複数の公文書の閲覧を請求した。いずれも50年代に作成された当時は機密扱いで、機密期間が過ぎた80年代以降に開示対象になった。

ABCCは被爆者を検査してデータを収集したが治療はせず、被爆者の間に批判があった。

50年代になって日本の報道機関も取り上げるようになっていた。
今回閲覧したうち、パーソンズ駐日公使が国務省北東アジア部にあてた文書(54年2月)には、治療しない理由について「ABCCには日本での医療資格がない」ことなどを列挙。さらに重要なこととして「(治療すれば)被爆者に特別な意味があり、他の兵器の被害者とは異なるという見方を支持することになる」と説明した。「原爆投下への謝罪と解釈されかねない」とも指摘した。

また、ロバートソン極東担当国務次官補にあてた文書(同年1月)の中で、北東アジア部の担当者は米政府の公式見解として「被爆者支援の責任は負わないし、その他の爆撃による被害者と区別することはできない」と述べている。

こうした考え方の背景について、核問題を研究する米ジョージタウン大歴史学部博士課程の樋口敏広さん(28)は「旧ソ連とにらみ合った冷戦下で、米国は原爆を使用可能な兵器と位置付ける必要があった。ABCCが被爆者を治療しなかった理由は核戦略と結びついていた」とみている。(朝日新聞 2007/08/06)

http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/atomic_bomb.html

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