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坂本太郎『日本の修史と史学 歴史書の歴史』

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2023/09/16 (Sat) 15:28:37

023年09月16日
坂本太郎『日本の修史と史学 歴史書の歴史』
https://sicambre.seesaa.net/article/202309article_16.html

 講談社学術文庫の一冊として、2020年8月に講談社より刊行されました。本書は、1958年に至文堂より刊行された『日本の修史と史学』の増補版(1966年、至文堂)を底本とします。電子書籍での購入です。今となってはかなり古いわけですが、碩学による日本の史書の解説なので得るところは多そうですし、碩学の五味文彦氏の解説もあるので読み、じっさいに碩学だけあって色々と考察は深く、考えさせられました。まず本書は、日本における最初期の歴史書は『帝紀』と『旧辞』で、継体・欽明朝の頃に編纂された、と推測します。これは当時の有力説だと思いますが、その後はもっと下ると想定した見解や、もっとさかのぼって雄略朝と推測する見解も提示されています(関連記事)。

 『古事記』については、『日本書紀』と比較して歴史書としては素朴幼稚な段階にあるものの、天皇中心に徹して、皇統の尊厳を説くのに一貫していることでは『古事記』の方が整っている、と本書は指摘します。『日本書紀』という書名について、たとえば本居宣長は、「中国」の史書のように王朝交替により国名も変わる場合と違って、国名の変わらない日本で「日本」を書名とするのは「中国」に諂っている、と憤慨したそうです。本書は、「中国」や「朝鮮」に対して、堂々と日本国の独立を主張する心に由来し、諂うという意識から出たわけではない、と指摘します。「日本」という国号の由来についてさまざまな見解がありそうですが、その発信源は中華世界にあり、百済や新羅、とくに百済の知識人が倭の別称として用いたのが直接の起源で、それが渡来人などによりヤマトに伝わり、遅くとも天智朝期には、ヤマト朝廷周辺で百済系渡来人や知識人の間で使用されており、正式に対外的な呼称として採用される前提を形成していたのだ、とも指摘されています(関連記事)。

 六国史の後、朝廷による「公的な」史書はありませんが、編集は続けられていたものの、完成奏上の手続きをとることができなかった、と指摘します。ただ、歴史に対する人々の関心が失われたわけではなく、六国史の流れを組む歴史書として、『日本紀略』や『本朝世紀』や『扶桑略記』が挙げられています。一方で、六国史とは異なる性格というか系統の歴史書として物語風歴史があり、本書はこれを、仮名文の発達や和歌の興隆といった時代背景に位置づけます。さらに本書は、物語風歴史には、六国史には欠ける傾向にあった、読者の魂を動かし、人情の機微を表す叙述が組み入れられていった、と指摘します。こうした物語風歴史の前提として、『伊勢物語』や『大和物語』といった歌物語から派生した『土佐日記』などの日記や『宇津保物語』などの小説があり、そうした叙述の技法を取り入れた物語風歴史として、『栄花物語』や『大鏡』などが著されていった、との見通しを本書は提示します。

 古代末から中世にかけての歴史書の大きな流れとして、この物語風歴史とともに本書が挙げるのは宗教的な史論です。歴史の大勢を概括し、仏教もしくは神道の立場で歴史事象の意義づけを試みた宗教的史論の画期性を本書は指摘し、その嚆矢として『愚管抄』を挙げます。ただ本書は、『愚管抄』執筆の現実的・功利的動機を指摘し、純真な学問的関心に由来する史学理論の書物ではない、とも評価します。古代末から中世にかけての歴史書の大きな流れとしてさらに本書が挙げるのは、『平家物語』などの軍記物語です。本書はその軍記物語の祖として、漢文ではあるものの『将門記』を挙げます。本書は一方で、中世の史書として物語風歴史や史論だけではなく、「正統的な」史書があったことも指摘し、『吾妻鏡』や『百練抄』などを挙げます。

 本書は近世の歴史書の特徴として日本の独自性の確立と、宗教や文芸からの独立を挙げ、学問的研究が行なわれるようになり、盛行した国学もそれに含まれる、と評価します。その背景として、泰平の世が到来し、経済的発展により出版文化も盛んになったことなどが挙げられるでしょう。修史事業は江戸幕府によって断続的に行なわれましたが、諸藩でも盛んで、その代表格として『大日本史』があり、近代には大きな影響を及ぼしました。『大日本史』の編纂は17世紀後半に始まりましたが、内容形式ともに完成したのは近代となった1906年のことでした。こうした近世史学において本書が個人として特筆しているのは新井白石で、その学問が先学から受け継いだものであることや、事態背景に由来する限界を指摘しつつも、『愚管抄』よりもはるかに客観的な時代区分を提示している、と評価しています。

 近代は西洋文化の大々的な導入を特徴とし、本書は歴史学が一個の学問として独立し、歴史研究の担い手を育成する体系的機関(大学の文学部史学科)が設置されたことを重視します。近世の歴史研究は考証法などに進歩はあったものの、儒教的な鑑戒史観や神道的な神秘主義の束縛から免れることはできなかった、というわけです。また、歴史研究の対象範囲が、前近代には自国も含めてほぼ漢字文化圏だったのに対して、近代には世界の広範な地域が対象となり、政治史を中心とする一般通史の他に、社会経済史や文化史も対象となるなど、近代における歴史研究は前近代とは一変します。また、考古学や地理学など関連諸学との提携も歴史研究を進めた、と本書は評価します。

 本書は近代における史観の変遷として最後にマルクス主義の盛行を取り上げ、歴史学の万能薬ではなく、歴史の経済的解釈にすぎず、今も史学独立の必要がある、と指摘します。本書の親本が1958年に刊行されたことを考えると、勇気ある発言として共感します。さらに、歴史学の門外漢としては、現在ではマルクス主義史観を克服したように見えて、太古の人類は母系社会だった、というようなマルクス主義により広まった人類社会の基本的な見方がまだ根強く残っており、歴史認識にも悪影響を及ぼしているのではないか、との疑問もあるので、本書の提言は現在でも有効なのではないか、と思います。
https://sicambre.seesaa.net/article/202309article_16.html
2:777 :

2023/09/16 (Sat) 15:29:52

大神神社の初代神主のオオタタネコのミコトが記したとされる『ホツマツタヱ』
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14139992

古事記(原文・現代語訳・口語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/514.html

日本書紀(原文・現代語訳・口語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/513.html

先代旧事本紀 (現代語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/515.html

古語拾遺(現代語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/516.html

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