起源
マイケル・ミニシーノという人物と、ラルーシュ運動
米国で現在流行っているような「文化的マルクス主義」論の発端となったのは、マイケル・ミニシーノ[note 3]という人物による「新たな暗黒時代: フランクフルト学派と所謂『ポリティカル・コレクトネス』」 (New Dark Age: The Frankfurt School and 'Political Correctness') という小論[12]である[5][13][14]。ミニシーノは、 ユダヤ・キリスト教(英語: Judeo-Christian)的、およびルネッサンス的な理想は放棄されてしまい、現代美術においてはその代わりに「醜悪さの暴政」が導入されたとし、その結果として20世紀後半の米国は「新たな暗黒時代」になってしまったとの持論を展開した。ミニシーノの主張によると、これは、米国に文化的悲観主義(英語: cultural pessimism)を植え付けようとする陰謀のせいとされた。その陰謀は、まずはゲオルク・ルカーチ、続いてフランクフルト学派、そしてエリート階級に属するメディア業界人や政治運動家の3段階で実行されることになっているという[5]。
ポール・ウェイリッチとウィリアム・リンド
「文化的マルクス主義」という陰謀論の成立過程で重要な役割を果たした人物としては、ほかに、ポール・ウェイリッチ(英語: Paul Weyrich)とウィリアム・S・リンド(英語: William S. Lind)が挙げられる。ウェイリッチはヘリテージ財団など保守系団体の設立にかかわった宗教保守の活動家で、リンドはペイリオコンの流れに位置する著述家である。
自身が設立した保守系シンクタンクのひとつであるen:Free Congress Research and Education Foundationの活動で、ウェイリッチはウィリアム・S・リンドに、「文化マルクス主義」の歴史を文章化する仕事を発注した。ここでは、「文化マルクス主義」は、「『en:Western Marxism』のブランド名のひとつで、『多文化主義』とも呼ばれているが、よりカジュアルな場では『ポリティカル・コレクトネス』と言うこともある」と定義されている[19] 。「ポリティカル・コレクトネスの起源」と題されたそのスピーチにおいて、リンドは次のように書いている。「分析的に検討すれば、つまり歴史という文脈に位置付けた上で見れば、その正体が何であるのか、すぐにわかります。ポリティカル・コレクトネスとは文化的マルクス主義なのです。これは、経済学から文化の用語に移し替えられたマルクス主義なのです。このたくらみの起源は、1960年代、ヒッピーたちと平和運動にあるのではありません。そのルーツは、第二次世界大戦にまでさかのぼるのです。ポリティカル・コレクトネスの根本的な理念を、古典的マルクス主義と照らし合わせれば、その照応関係は明々白々たるものです」[20]
ペイリオコンの論客であるパット・ブキャナン元ホワイトハウス広報部長は、ウェイリッチとリンドが繰り返して口にする「文化的マルクス主義」との主張の繰り返しに対するペイリオコンでの間での注目を、増大させる役割を果たした[23][24]。ベルギーのリエージュ大学教授であるジェローム・ジャマン[note 5]は、ブキャナンのことを、文化的マルクス主義論の「知的モメンタム」[25]と呼び、2011年のノルウェー連続テロ事件を実行したアンネシュ・ブレイヴィクのことを、「暴力的なきっかけ」と呼んでいる[25]。両者とも、複数の著者が書いた『ポリティカル・コレクトネス: あるイデオロギーの短い歴史』 (Political Correctness: A Short History of an Ideology) という著作を取りまとめたウィリアム・リンドに依拠している。ジャマンはこの著作のことを、「2004年以降、誰もが典拠として引用するようになった」中核的なテクストであると位置づけている[25]。
歴史家のマーティン・ジェイは、リンドが保守派のカウンターカルチャーを記録して著した『ポリティカル・コレクトネス: フランクフルト学派』 (Political Correctness: The Frankfurt School, 1999) は、「何通りかの圧縮された記述を生み出し、それらが複数の急進的な右翼のウェブサイトに掲載されることになった」ために、「文化マルクス主義」論のプロパガンダとして効果的な作用を持った、と述べている[1]。さらにジェイは、次のように書いてもいる。
文化的マルクス主義論にはまっている右翼テロリストは、ブレイヴィク以外にも複数いる。例えば、2018年に英国の労働党に所属する国会議員、ロージー・クーパーの暗殺を企てていたことで有罪となったジャック・レンショーは、2016年に極右過激派集団としては英国で初めてテロ組織として指定された「ナショナル・アクション(英語: National Action (UK))」のスポークスパーソンを務めていた人物だが、かつてイギリス国民党 (BNP) の少年部に所属していた時期に党のために制作したビデオで、この陰謀論を唱えていた[41][42][43]。また、2019年に米カリフォルニア州でパウウェイ・シナゴーグ銃撃事件を起こしたジョン・T・アーネストは、白人ナショナリズムのイデオロギーに触発されていたが、ネット上に投稿したマニフェスト文書において、「全てのユダヤ人」は、「文化的マルクス主義と共産主義」の促進を通じ、「ヨーロッパ人種を根絶やしにすること」を綿密に計画してきた、という持論を展開していた[44]。
テロへの反応
文化的マルクス主義陰謀論が、実際の世界で政治的暴力を引き起こしたことに関して、イェール・ロー・スクールのサミュエル・モイン(英語: Samuel Moyn)教授は、「『文化的マルクス主義』というのは、粗雑な中傷の言葉で、存在しないものを存在しているといっている言葉であるが、残念なことに、だからといって実際の人々が、怒りや不安の感覚がますます増大しているのを和らげるためのスケープゴートとして、代償を払わされる立場に追いやられることはない、ということにはならない。そしてまさにそれを理由として、『文化的マルクス主義』なる言葉は、まっとうな不平不満と向き合うことからの情けない逃避であるばかりでなく、徐々に心のタガが外れていく瞬間において、危険な誘惑となるものなのである」と述べている[45]。
アンドルー・ウッズも、2019年の小論「文化的マルクス主義と大聖堂: 批評理論についてのオルタナ右翼的な2通りの見方」(Cultural Marxism and the Cathedral: Two Alt-Right Perspectives on Critical Theory) において、文化ボルシェヴィズムとの対比の意義を認めているが、他方で現在の文化的マルクス主義という陰謀論が、ナチスのプロパガンダから生じたという見解には疑問をつきつける。ウッズによれば、文化的マルクス主義に見られる反ユダヤ主義は、「深い部分から、米国的なもの」である[5]:47 。ウッズはまた、Commune誌において、文化的マルクス主義陰謀論の詳細な系図を描いているが、その起点は ラルーシュ運動に置いている[13]。