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2023/09/05 (Tue) 05:49:37
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2001年9月11日の出来事でネオコンに抵抗する勢力は弱体化した
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202309050000/
ジョージ・W・ブッシュが大統領に就任した2001年の9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された。いわゆる「9/11」である。
その前日、国防長官だったドナルド・ラムズフェルドは軍事予算のうち2兆3000億ドルが行方不明になっていることを認めていた。これは大スキャンダルだったが、9/11のため、この問題は吹き飛んでしまった。
また、ネオコンに担がれていたブッシュ大統領の「財布」と言われていたエネルギー投機会社エンロンの破綻が不可避の状態で、経営内容にメスが入れられようとしていた。ところが倒壊した7号館に保管されていた膨大な関連書類は消えている。
エンロンを生み出した新自由主義的な強者総取りの政策は社会を破壊し、人びとの怒りは高まっていた。2001年7月にイタリアのジェノバではG8サミットが開かれたが、そこへ約20万人が抗議のために集結、取り締まり側は暴力行為をでっち上げる事態になっていた。
また9月10日から11日にかけて、大統領の父親であるジョージ・H・W・ブッシュ元大統領はフランク・カールッチやジェームズ・ベイカー3世とリッツ・カールトン・ホテルでシャフィク・ビン・ラディンと商談していた。
ブッシュたちアメリカ人3名は巨大投資会社カーライル・グループの幹部だったが、商談相手が問題。ジョージ・Wは9/11の直後、詳しい調査をしないまま実行責任者をオサマ・ビン・ラディンだと断定したが、シャフィクはオサマの兄弟だからだ。
ビン・ラディン家はサウジアラビア最大の建設会社を経営、アフガニスタンでCIAは対ソ連戦の主力戦闘員として、サウジアラビアから派遣されたムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を使っていた。その戦闘でビン・ラディン家の会社は建設機械を使い、地下要塞網を建設したと言われている。
ところが、9/11では複数の旅客機がサウジアラビアなど中東出身の人びとにハイジャックされたとされている。証拠はないのだが、そういうことにされ、人びとの目はサウジアラビアに向けられた。
当時、サウジアラビアの駐米大使として赴任していたのはバンダル・ビン・スルタン。「バンダル・ブッシュ」と呼ばれるほどブッシュ家と親しい関係にあった。バンダルは後にサウジアラニアの情報機関、総合情報庁を率いることになる。彼の後任大使になるトゥルキ・ビン・ファイサル・アル・サウドは2001年8月31日、つまり9/11の11日前まで総合情報庁の長官を務めていた。
9/11の直後、ジョージ・W・ブッシュ政権は詳しい調査をしないまま「アル・カイダ」が実行したと断定、その「アル・カイダ」を指揮しているオサマ・ビン・ラディンを匿っているという口実でアフガニスタンへの攻撃を始めている。
その一方、国内では「愛国者法(USA PATRIOT Act / Uniting and Strengthening America by Providing Appropriate Tools Required to Intercept and Obstruct Terrorism Act of 2001)」が制定された。この法律は340ページを超す文書だが、それを議会は提出されて1週間で承認してしまった。
この法律によってアメリカ憲法は機能を事実上停止、令状のない盗聴や拘束、拷問が横行することになった。民主主義を放棄したわけだが、この法律のベースになった法案を1995年2月に提出したとバイデンは自慢している。愛国者法の一部は2015年に失効したものの、「自由法」という形で復活。今ではさまざまな形で愛国者法は生き続けている。
ロナルド・レーガン時代、アメリカでは憲法の機能を停止させる仕掛けをつくっている。「COG」だ。このプロジェクトはロナルド・レーガン大統領が1981年に承認した「NSDD55」から始まる。COGは上部組織と下部組織に分かれ、上部組織は「プロジェクト908」、下部組織は「フラッシュボード」とそれぞれ呼ばれていた。
COGプロジェクトは極秘にされていたが、1987年7月に開かれたイラン・コントラ事件の公聴会において、ジャック・ブルックス下院議員が触れている。オリバー・ノース中佐に対し、「NSCで一時期、大災害時に政府を継続させる計画に関係した仕事を担当したことはないか?」と質問したのだ。この計画とはCOGプロジェクトにほかならない。
ノースに付き添っていた弁護士のブレンダン・サリバンは質問に動揺し、委員長のダニエル・イノウエ上院議員は「高度の秘密性」を理由にして、質問を打ち切ってしまう。イノウエ議員はCOGについて知っていたということだ。
ブルックス議員が取り上げた当時、COGは核戦争を前提にしていたのだが、1988年に変質する。大統領令12656が出され、その対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更されたのだ。そして2001年9月11日、「国家安全保障上の緊急事態」が起こった。9/11だ。
ジョージ・H・W・ブッシュ、フランク・カールッチ、ジェームズ・ベイカー3世、バンダル・ビン・スルタン、オサマ・ビン・ラディンたちを平和的だと表現することはできない。CIAと関係が深いことも事実だ。
しかし、H・W・ブッシュやベイカーは1980年代からネオコンと対立していた。当時、ブッシュやベイカーたちはイラクのサダム・フセイン体制をペルシャ湾岸の産油国を守る防波堤と認識していたのだが、ネオコンはフセインを倒して親イスラエル体制を樹立、シリアとイランを分断して両国を制圧しようと目論んでいた。最終的に「大イスラエル」を樹立、つまり中東全域をイスラエルに支配させようとしていたと言われている。
また、ソ連消滅後、H・W・ブッシュやベイカーはNATOを東へ拡大するつもりはなかったようだが、ネオコンは拡大させてロシアを制圧しようとしていた。ジョージ・H・W・ブッシュが再選されなかった理由はこの対立にあったとも言われている。
選挙でブッシュに勝ったビル・クリントンもCIAと関係が深く、第1期目は旧ソ連圏への軍事作戦に消極的だった。そのクリントンはスキャンダル攻勢にあう。スキャンダルが沈静化するのは1997年に国務長官がウォーレン・クリストファーからマデリーン・オルブライトへ交代してからだ。その後、NATOは東へ拡大、2014年2月にはクーデターでウクライナにネオ・ナチ体制を樹立した。
こうしてみると、ジョージ・H・W・ブッシュ、ジェームズ・ベイカー3世、バンダル・ビン・スルタン、オサマ・ビン・ラディンなどは9/11の実行グループではない可能性があるように見える。一種の予防措置として実行グループが秘密工作に引き摺り込んだのかもしれない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202309050000/
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2023/09/05 (Tue) 06:49:54
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70年代に登場してから現在まで対ソ連/ロシア戦争を続けるネオコンの背景
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14047374
ロシアを滅ぼそうとしているジョージ・ソロスの正体
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14006933
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2024/08/10 (Sat) 05:05:02
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2024.08.10XML 櫻井春彦
世界情勢は急速に悪化しています。局所的な悪化ではなく、地球規模で同時進行、世界大戦から核戦争への展開も懸念される事態だと言えるでしょう。個別の出来事に囚われていると、世界で何が起こっているのかを理解できません。本来なら全体像を明らかにする書籍を出すべきなのでしょうが、困難な状態です。ブログを利用して全体像を明らかにするしかありません。ブログの支援をよろしくお願い申し上げます。
アメリカの好戦派は1991年12月にソ連が消滅した段階で自国が唯一の超大国になったと信じました。ロシアは落ちぶれ、自分たちの植民地になったと考えたのです。そう考えた私的権力の代表格がロスチャイルドだと言えるでしょう。
ソ連消滅後、ボリス・エリツィン時代のロシアではオリガルヒと呼ばれる若い富豪が現れました。そのひとりがミハイル・ホドルコフスキーです。
この人物はソ連時代の1989年、リチャード・ヒューズなる人物と「ロシア人モデル」をニューヨークへ送るビジネスを始め、ソ連消滅後にはエリツィン政権を支える顧問のひとりに就任、1995年にはユーコスなる石油会社を買収、その一方でモスクワ・タイムズやサンクトペテルブルグ・タイムズを出している会社の大株主になっています。
ホドルコフスキーはユーコスの発行済み株式のうち25から40%をアメリカの巨大石油会社、エクソン・モービルとシェブロンへ売り渡そうとしたものの、ウラジミル・プーチンに阻止されています。(Natylie Baldwin & Kermit Heartsong, “Ukraine,“ Next Revelation Press, 2015)
ユーコス株の支配権はホドルコフスキーからジェイコブ・ロスチャイルドへ渡ったとサンデー・タイムズ紙は報じていますが、ホドルコフスキーが彼とジェイコブ・ロスチャイルドとの関係を語った映像が5月22日にインターネットで公開されました。
その映像の中で、モスクワに本社があるルクオイルの真のオーナーはジェイコブだったと明らかにしています。ロスチャイルドはロシアのあらゆる富を奪うつもりだったのでしょう。その中には穀物、鉱物資源、そして石油や天然ガスが含まれています。
ロシアを征服して解体、略奪するためにネオコンはNATOを東へ拡大させていきますが、これは新たな「バルバロッサ作戦」にほかならず、ロシアの親欧米派をも怒らせることになりますが、そうした展開になることは予想され、旧世代の「タカ派」も懸念していました。
例えば、リチャード・ニクソンは1994年の段階でエリツィンの政治的な影響力が低下していると指摘、ロシア議会で反米機運が高まっていると警鐘を鳴らしています。そうした機運の高まりはエリツィンの後継者として反欧米の大統領候補を連れてくる可能性があるとしていましたが、実際、ウラジミル・プーチンを登場させます。
そのほかジョージ・ケナン、ヘンリー・キッシンジャー、そしてズビグネフ・ブレジンスキーでさえネオコンの政策を危険だと警鐘を鳴らしていましたが、こうした旧世代や非ネオコンの意見を封じ込める出来事が2001年9月11日に引き起こされます。ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃されたのです。
これで世界制覇を実現できるとネオコンは考えたのでしょうが、そうした展開にはなりません。2003年3月に始めたイラクへの先制攻撃は思惑通りにならず、2008年8月のジョージア軍による南オセチアへの奇襲攻撃もロシア軍の反撃で失敗しました。2011年春に始めたリビアとシリアに対するアル・カイダ系武装集団を使った軍事介入の場合、リビアは無法地帯と化し、シリアでは西側の傀儡軍が勝利できないことは明白です。2013年11月から14年2月にかけてウクライナではネオ・ナチを利用してクーデターを成功させたものの、東部の反クーデター派と内戦になります。
アメリカはクーデター体制を支援するため、8年かけて戦力の増強を図り、2022年春に大規模な軍事攻勢を始める計画でしたが、その直前にロシアが軍事介入、NATOが軍事支援を強めたものの、敗北は決定的です。残る手段は核兵器だけでしょう。
そして2023年にはイスラエルがガザで住民の大量殺戮を始めたのですが、パレスチナの武装勢力に勝つことができず、状況を悪化させてアメリカ軍の介入を誘う事態になっています。
中東のイスラム世界ではイランや イエメンを除き、米英を後ろ盾とするイスラエルと対決しようとする政府はないようですが、反帝国主義を掲げる武装集団はイスラエルと戦う準備ができているようです。現地のアメリカ軍基地も攻撃され始めています。
世界は歴史の転換期を迎えています。200年ぶり、人によっては500年ぶりだと言います。こうした時代にどのように生きるかを判断するためには状況を理解する必要があります。このブログが状況を理解する一助になればと願っています。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202408100000/
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2024/09/08 (Sun) 00:59:24
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チェイニー親子に支持されたことで確認されたカマラ・ハリスの好戦性
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202409080000/
リチャード・チェイニーとリズ・チェイニーの親子は11月に予定されている アメリカ大統領選挙でカマラ・ハリスに投票すると発言した。この親子はネオコンの中核グループの一員であり、ネオコンに担がれていたジョージ・W・ブッシュ政権で副大統領を務め、ネオコンの政策を実現しようとしているハリスを支援するわけで、不思議ではない。
ハリスは2004年1月から11年1月までサンフランシスコ第27地区検事を、また11年1月から17年1月までカリフォルニア州司法長官を務めているが、州司法長官だった当時、ハリスは冤罪の可能性が高いと言われているケビン・クーパーという死刑囚のDNA鑑定を求める訴えを退けている。
ハリスは自分自身を「進歩派」と称しているが、決して進歩的な検察官ではなく、社会的強者には優しく、弱者には厳しかったと指摘されている。だからこそ副大統領になれ、大統領候補に選ばれたと言えるだろう。
州司法長官時代のカマラは人びとを刑務所へ入れることに熱心で、不登校の子どもの親も刑務所へ送り込んでいたほか、安い労働力を確保するため、保釈金を引き上げて仮出所を拘束し続けたと伝えられている。
それに対し、社会的に強い立場の人には寛容で、例えば支払いが滞っている自宅所有者を正当な手続きを経ずに追い出し、その家を競売にかけ、起訴が相当だとされたワンウエストに対する法手続きをハリスのオフィスは拒否している。
支配者たちが隠している秘密を明らかにする手助けをしていたウィキリークスに対してもハリスは厳しい姿勢を見せ、この団体を支持しないと語っている。
ディック・チェイニーが表舞台に登場したのはジェラルド・フォード政権の時。リチャード・ニクソンがウォーターゲート事件で1974年8月に辞任、副大統領からフォードは昇格したのだ。
この政権ではデタント派が粛清されたが、特に注目されたのは国防長官とCIA長官の交代。国防長官は1975年11月にジェームズ・シュレシンジャーからドナルド・ラムズフェルドへ、またCIA長官はウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ交代している。コルビーは議会でCIAの秘密工作について証言、支配層を激怒させていた。
この粛正を主導したのはラムズフェルド大統領首席補佐官とリチャード・チェイニー大統領副補佐官だが、その背後にはポール・ニッツェやアルバート・ウールステッターを中心とするグループが存在した。この人脈は後にネオコンと呼ばれるようになる。
チェイニーはジョージ・H・W・ブッシュ政権で国防長官を務めたが、その下でポール・ウォルフォウィッツ国防次官が中心になり、DPG(国防計画指針)という形で世界征服計画を作成している。いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。旧ソ連圏を制圧するだけでなく、ドイツや日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に組み入れ、新たなライバルの出現を防ぐと謳っている。その後、政権がかわってもこのドクトリンは維持されてきた。
2001年1月にジョージ・W・ブッシュが大統領に就任、チェイニーは副大統領になった。この政権では事実上、チェイニーが大統領だったとも言われている。
その年の9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃され、人びとがショックを受けている間にアメリカ政府は侵略戦争を本格化させたのだが、イラクへの侵略戦争で早くも挫折する。しかもロシアが再独立、ウォルフォウィッツ・ドクトリンの前提が崩れたのだが、ネオコンは計画を修正しなかった。
ブッシュ・ジュニア政権は アメリカ軍を侵略戦争に投入したが、彼らが信じていたほどアメリカ軍は強くない。思い通りに進まず、次のバラク・オバマ政権は戦術を「チェンジ」した。1970年代にズビグネフ・ブレジンスキーはサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を利用して傭兵の仕組みを作ったが、ブレジンスキーの弟子だということもあり、オバマはその戦術を採用した。つまり、アル・カイダを使ったのだ。
アル・カイダはCIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リストだとイギリスの外務大臣を1997年5月から2001年6月まで務めたロビン・クックは2005年7月に書いている。アラビア語でアル・カイダはベースを意味し、データベースの訳語としても使われる。2014年にはダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)が生み出されたが、これも同じだ。
アメリカはロシアに対してウクライナを、パレスチナではユダヤ教シオニストを傭兵として使っている。明治維新以降、東アジアでは日本がアングロ・サクソンの傭兵としての役割を果たしてきた。チェイニーを含むネオコンはハリスを操り、傭兵を使ってウォルフォウィッツ・ドクトリンを進めるつもりだろう。ドナルド・トランプもこのドクトリンから逃れられないと思うのだが、チェイニー親子の発言を聞くと、トランプでは不安なのだろうと思える。
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