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レジスタンスとは?

1:777 :

2023/08/23 (Wed) 06:40:53

ドイツに負けて立ち上がったフランス国民!レジスタンスってほんとうは反則?【茂木誠vs佐藤敏弘】 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=e4ixd4cau_Y

西側で第二次大戦を戦ったのはレジスタンスだが、その主力はコミュニスト
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1195.html

英米はドイツ軍がソ連に勝てないとわかる迄は、ウォール街のエージェントのヒトラーと戦う気は全く無かった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/615.html

米英金融資本とナチスの緊密な関係
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1573.html

米国の資本家はスターリンを倒す為にヒトラーを支援した
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1245.html

ファシズムとは巨大資本が支配する統制経済 の事
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14125646

ヒトラーの共産主義との戦い
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html

ウォール街やシティと戦った共産主義者のフランクリン・ルーズベルト
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1037.html

共産主義者のルーズベルトは意図的に東欧をソ連に支配させた
アメリカ軍はなぜ不利なノルマンディに上陸したのか 「戦後」を作った錯覚
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1053.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/963.html

共産主義者のルーズベルトは意図的に北方領土をソ連に支配させた
2019.01.21 旧ソ連の北方領土占領、米国が軍事支援していた…歴史の定説を覆す発見文=粟野仁雄/ジャーナリスト
https://biz-journal.jp/2019/01/post_26352.html

戦前の日本陸軍軍人は共産主義者ばかりだった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14016765

太平洋戦争は共産革命を恐れた昭和天皇が英米支配層と組んで起こした八百長戦争だった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14016737

ディビット・バーガミニ _ 天皇の陰謀 天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/760.html

鬼塚英昭 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA    
2:777 :

2023/08/23 (Wed) 06:44:03

大戦中、西ヨーロッパでドイツ軍と戦っていたのはレジスタンス。その主力はコミュニストだった。ウォール街やシティの支配者にとってコミュニストは目障りだ。

 そこで、アメリカとイギリスの情報機関は大戦の終盤、ジェドバラというゲリラ戦の組織を作った。その人脈は戦後も生き続け、アメリカでは軍の特殊部隊や情報機関の破壊工作部門になる。

 ジェドバラの人脈はヨーロッパにもネットワークを築く。1948年頃にはCCWU(西側連合秘密委員会)という組織が統括、NATOができてからはその新組織に吸収され、CPC(秘密計画委員会)が指揮することになる。その下部組織としてACC(連合軍秘密委員会)が1957年に設置され、NATOの秘密ネットワークを動かすことになった。NATOへ加盟するためには秘密の反共議定書にも署名する必要があると言われている。(Philip Willan, “Puppetmaster”, Constable, 1991)

 こうしたネットワークの中で最も知られているのはイタリアのグラディオだろう。1960年代から80年代にかけての時期、「極左」を装って爆弾テロを繰り返していた。人びとを恐怖させ、その恐怖と左翼を結びつけようとしたのだが、これは成功した。

 フランスで人気があったシャルル・ド・ゴールはコミュニストでなかったが、レジスタンスに参加していた。つまりアメリカやイギリスの支配者にとって目障りな存在だ。そのド・ゴールを敵視する秘密組織OAS(秘密軍事機構)が1961年に創設される。OASへ資金を流していたパイプのひとつ、パーミンデックスはジョン・F・ケネディ大統領暗殺でも名前が出てくる。

 フランスの内務大臣だったエドアル・ドプは1947年6月、政府を不安定化するため、右翼の秘密部隊が創設されたと語っている。その年の7月末か8月6日には米英両国の情報機関、つまりCIAとMI6と手を組んで秘密部隊はクーデターを実行する予定で、シャルル・ド・ゴールを暗殺する手はずになっていたとされた。

 OASは1961年4月にスペインのマドリッドで秘密会議を開き、アルジェリアでのクーデターについて話し合っている。アルジェリアの主要都市を制圧した後でパリを制圧するという計画で、4月22日にクーデターは実行に移される。

 CIAはクーデターを支援していたのだが、ジョン・F・ケネディ大統領はジェームズ・ガビン駐仏大使に対し、必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じた。アルジェリアにいるクーデター軍がパリへ侵攻してきたならアメリカ軍を投入するということだ。CIAは驚愕、クーデターは4日間で崩壊した。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

 その後、ド・ゴール大統領はフランスの情報機関SDECEの長官を解任、第11ショック・パラシュート大隊を解散させる。OASは1962年に休戦を宣言するが、ジャン-マリー・バスチャン-チリー大佐に率いられた一派は同年8月22日にパリで大統領の暗殺を試みたものの、失敗。暗殺計画に加わった人間は9月にパリで逮捕された。全員に死刑判決が言い渡されたが、実際に処刑されたのはバスチャン-チリー大佐だけだ。

 暗殺未遂から4年後の1966年にフランス軍はNATOの軍事機構から離脱、翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出す。フランスがNATOの軍事機構へ一部復帰すると宣言したのは1995年のこと。NATOへの完全復帰は2009年にニコラ・サルコジ政権が決めている。この段階でフランスもアメリカの属国になった。(続く)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102140001/




西側で第二次大戦を戦ったのはレジスタンスだが、その主力はコミュニスト
第2次世界大戦で西ヨーロッパの国々は事実上、ドイツと戦っていない。西側で戦ったのはレジスタンスだが、その主力はコミュニスト。レジスタンスの活動が活発だったフランスやイタリアでコミュニストの人気が高かったのはそのためである。

 そうした西ヨーロッパを支配するためにアメリカやイギリスの支配者の作り上げた組織がNATOにほかならない。大戦末期にアメリカやイギリスの情報機関はレジスタンス対策でジェドバラというゲリラ戦用の部隊を編成、大戦後にはその人脈を軸にしてウォール街はOPCを組織、後にそれがCIAの破壊工作部門になる。

 そうした秘密工作を実行するための組織はヨーロッパでも作られ、NATOができるとその中へ組み込まれ、CPC(秘密計画委員会)の下で活動し始める。1957年になるとCPCの下にACC(連合軍秘密委員会)が創設され、ここが軸になったNATO加盟国に秘密部隊のネットワークが編成された。中でも有名な部隊がイタリアのグラディオ。1950年代から80年代にかけ、極左を装って爆弾テロを繰り返している。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202012050000/  



被支配者である大多数の人びとが望まない政策を実現するため、支配者はショックを使うことが少なくない。さらに進んで人びとを恐怖させることも戦術として使われてきた。

 第2次世界大戦後、アメリカとイギリスの情報機関がNATO加盟国に秘密部隊を作った。

 秘密部隊を生み出したのは大戦中に米英がレジスタンス対策として組織したジェドバラ。1941年6月にドイツ軍は西部戦線に約90万人を残して約300万人をソ連への軍事侵攻、バルバロッサ作戦に投入した。西側は圧倒的に手薄な状態になったのだが、ドイツ軍と戦ったのはレジスタンスだけだった。

 ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入するのだが、11月になって戦況が一変。ソ連軍の反撃でドイツ軍25万人は完全包囲され、1943年1月に生き残ったドイツの将兵9万1000名はソ連軍に降伏する。それまでアメリカやイギリスはソ連とドイツの戦いを傍観していた。

 この展開を見てアメリカとイギリスは慌て、1943年5月にワシントンDCで会談、7月にアメリカ軍とイギリス軍はシチリア島に上陸した。ハスキー計画である。その時に米英軍はコミュニスト対策としてマフィアと手を組んだ。西ヨーロッパでドイツ軍と戦っていたレジスタンスの中にはシャルル・ド・ゴールも含まれていたが、主力はコミュニスト。そのコミュニストに対抗させるため、ジェドバラというゲリラ戦用の組織をアメリカとイギリスの情報機関は編成したのである。ハリウッド映画で有名になったノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月になってからだ。

 ジェドバラの人脈は戦後も生き続け、アメリカ国内では軍の特殊部隊やCIAの秘密工作部門で核になる。西ヨーロッパではNATO参加国の内部で秘密部隊を作り、そのネットワークはCCWU(西側連合秘密委員会)、後にCPC(秘密計画委員会)が指揮。その下部組織として1957年に設置されたのがACC(連合軍秘密委員会)だ。その下でNATOの秘密ネットワークが活動してきたのである。

 そうした秘密部隊の中で最も有名なイタリアのグラディオは1960年代から80年代にかけ、極左を装って爆弾テロを繰り返し、クーデターも計画した。左翼に対する恐怖心を人びとに植えつけ、安全を求めさせ、左翼勢力を弱体化させると同時に監視システムを強化していった。これが「緊張戦略」だ。この時は恐怖を作り出すためにテロが使われたが、今はウイルスが使われている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202101110000/



3:777 :

2023/11/24 (Fri) 23:49:31

知らないのは日本人だけ。 欧米はビジネスの道具として「憎しみ」を操っている=鈴木傾城
2023年7月17日
https://www.mag2.com/p/money/1337107


世界史は意図的に仕掛けた「憎しみ」によって起こっているというのは、小学校の頃から教えておいた方がいい。知らなければ何度でもワナにハマってしまう。戦争の裏側にいる「黒幕」は、今も昔もこの「憎しみ」という強い感情を操り、世界中で金儲けの機会を生み出している。(『 鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編 』)


欧米は「憎しみ」を煽り立てて何をしているのか?
現代の世界が憎しみに溢れているのはなぜか。それは、人間がもともと「憎しみ」という感情を心に持っているからだ。この「憎しみ」に着目した国々があった。広大な植民地を持っていた欧米諸国だ。

全世界を統治した欧米諸国は、支配下においた国が自分たちに刃向かわないように、恐ろしい「仕掛け」を用意した。それが「分割統治」である。

1. ある国を力で征服する
2. 国民を宗教や人種で2つのグループに分ける
3. 互いに相手を憎み合わせて消耗させる
4. そして、統治者に刃向かわないようにする

これはイギリスが得意とした統治である。イギリスが植民地を放棄したあとも、対立と憎悪は消えるわけではないので、それがそのまま現代の紛争となって爆発している。

インド国内のヒンドゥー教徒とイスラム教徒。中東のイスラム教徒とユダヤ教徒。スリランカのタミル人とシンハラ人。香港の中国人とインド人。イギリスの支配下にあった国々は、ほとんどがこの分割統治時代の憎しみに今も揺れ動いている。

これを、そのまま受け継いだのはアメリカだが、アメリカは軍事国家なので「憎しみ」の使い方が違い、自分が邪魔だと思っている国の周辺国に対して「憎しみ」を煽り立て、戦争を起こして軍事に介入して破壊と復興で儲ける仕組みを取っている。

「憎しみ」を煽り立てるのはアメリカだが、アメリカに刃向かって来ないように双方が永遠にいがみ合うようにして互いに消耗させる。

ロシアとウクライナはもともと犬猿の仲だが、その「憎しみ」を煽り立て戦争をさせて、アメリカの敵であるロシアを徹底的に疲弊させているのはアメリカだ。

互いに憎しみ合わせ、そして争わせた
世界史は欧米が仕掛けている「憎しみ」による分断によって起こっていたというのは、小学校の頃から教えておいた方がいいように思う。知らなければ何度でもワナにハマってしまうからだ。

たとえば、インドを見てほしい。

インド人はよく自分たちの国を「バーラト・マーター(Bharat Mata)」と言う。「母なるインド」という意味だが、その巨大な国土はしばしば女神に見立てられる。そのために、イギリスが去った後のインド・パキスタンの「分離独立」は、女神の身体を切断するイメージとして捉えられた。

東西パキスタンはインドの腕と見られていたから、分離独立が決まった1947年には、ネルー首相がバーラト・マーターの腕をナイフで切断しようとする風刺画が描かれていた。パキスタンとバングラデシュは、切断された女神の「片腕」だったのだ。

インドがイスラム教徒を取り込めなかったのはなぜか。1877年にインドがイギリスの植民地になってから、統治者イギリスはインドのヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立を、実に巧みに煽って利用していたからだ。

互いに憎しみ合わせ、そして争わせた。

イギリスは、ヒンドゥー教徒を結束させて反英闘争を行ったガンジーに対抗させるために、イスラム教徒やシーク教徒を支援してヒンドゥー教徒と対立させた。

イスラム教徒やシーク教徒は、インドでは少数派だ。だから、強大なイギリス政府のうしろ盾を得てヒンドゥー教徒と対抗するのは合理的な選択だった。

しかし、精神的指導者であったガンジーの融和をことごとくはねつけるイスラム教徒は、イギリスの思惑通りヒンドゥー教徒の激しい憎しみを買った。それが、ガンジーの推進する非暴力主義とは別に、過激なヒンドゥー至上主義者を生み出す元になった。

分割統治の憎悪がガンジーを抹殺した?
ガンジーはイスラム教徒の敵ではない。実際にパキスタンの分離独立が決まると、インド国内のイスラム教徒がヒンドゥー教徒の猛烈な暴力や差別にさらされた。するとガンジーは、逆にヒンドゥー教徒の狭量さを批判して、さらに融和を推し進めようとした。この政治家は、それほど懐の深さと慈愛心に富んでいた。

しかし、国民の間には憎悪が渦巻いていた。

イスラム教徒の頑なな姿勢がインドに混乱を招き寄せ、破滅的な状況にしてしまったと、ほとんどのインド人は考えていた。義憤に駆られるヒンドゥー至上主義者には、ガンジーの慈愛は、まったく理解できないばかりか、激しい怒りさえ覚えるものだったようだ。

「国を混乱させたのはイスラム教徒ではないか。なぜヒンドゥー教徒の精神的指導者であるガンジーが、そんなイスラム教徒を擁護するのか……」

やり場のないヒンドゥー至上主義者の爆発的な怒りが、やがてガンジー暗殺へとつながっていった。ガンジー暗殺は、まさに彼の慈愛心が生み出した悲劇だった。

イギリスはインドという植民地をマハトマ・ガンジーのせいで失ってしまった。しかし、イギリスが行ったヒンドゥー教徒とイスラム教徒の「分割統治」によって生み出された「憎しみ」が、最後にはガンジーを抹殺した。

ガンジーの暗殺はイギリスがコントロールしたのではない。イギリスが植え付けた「憎しみ」が、あたかもイギリスの意思に沿うように、自動的にガンジーを葬り去ったのである。

イギリスがしたことは簡単だ。

国民を2つに分け、憎悪を作り出し、憎悪の矛先を互いに向けさせたのだ。

ルワンダで起きた大虐殺も分割統治が遠因だった
ルワンダの大虐殺は、フツ族とツチ族との憎悪が生み出した最悪の虐殺だった。実は、この憎悪もまた欧米の植民地統治から生み出されている。ここを統治していたのはドイツだ。イギリスではない。

しかし、植民地統治とは「分割統治」がうまくいくことは知られていたから、ドイツもその手法を使った。ドイツはルワンダの中でも少数派のツチ族に目を付けて、ツチ族を支配者にしてフツ族を統治させたのだ。

少数派が多数派を統治する。

そうすると、憎悪の目は少数派のくせに威張っている少数派に向かって行くのである。猫がねこじゃらしの穂先と戦っているのを見て、人間は笑う。ねこじゃらしの穂先は人間が操っているのに猫はそれに気がついていない。

しかし、分割統治で「憎しみ」が作り出されると、人間もまたそうなるのである。少数派による統治が長らく続くと、憎悪が決定的に固定化していく。操っている黒幕が見えなくなってしまって、当事者同士の憎しみだけがクローズアップされていくのだ。

「憎しみ」がどんどん育って、黒幕のことを考える余裕がなくなる。

そして、その国を収奪し終わった欧州諸国が引き上げた時、いずれ悲劇が訪れるのだ。権力の後ろ盾を失った少数民族は多数派の中にぽつりと取り残され、迫害の対象になり、場合によっては惨殺されていくのである。

それが悲劇的な形で起こったのがルワンダの大虐殺であった。たった100日の間に100万人近くが虐殺されたのだから凄まじい。フツ族過激派によるツチ族大虐殺であった。この虐殺に反対する常識のあるフツ族もまた一緒に虐殺された。

「憎しみ」に着目して統治する恐ろしい仕掛け
少数派は今までちやほやされてきた。我が物顔でそこに君臨していた。税金を取り立て、自分たちは豪勢な生活をしていたのだ。憎悪は充分にある。実は、それが分割統治の神髄だったのだ。

国民の憎しみをすべて、この少数民族に集中させるのである。

だから、虐げられていた多数派は、その少数派の「猫じゃらしの穂先」を目がけて襲いかかる。今まで威張っていた少数派に対して、情けをかける者などいない。そうやって、少数民族は、捨てられたときに皆殺しにされていく。

ルワンダで起きた史上最悪の大虐殺の裏側には、そういった欧米諸国の仕掛けが過剰なまでに効いたのが遠因があった。

「憎しみ」に着目して統治する。恐ろしい仕掛けだ。

憎しみが生まれ、憎しみが育つと、それを仕掛けた「黒幕」は、双方を操ることによって利益が得られる。たとえば、今まさに目の前で起きているロシアとウクライナの戦争は、軍事国家であるアメリアが仕掛けた戦争である。

ロシアはアメリカの敵であり、打倒すべき存在である。そのため、アメリカはウクライナ人とロシア人の元々あった「隣国憎悪」を利用して、双方の憎悪を煽り立てた。欧米をバックにして挑発するウクライナがロシアに侵攻されると、これを機にアメリカはウクライナ側について戦争を勃発させた。

そして、ウクライナを軍事支援して、ウクライナが使うアメリカの兵器の代金は同盟国から徴収して儲ける。この場合、アメリカから見ると、戦争が長引けば長引くほど武器弾薬が売れるので都合がいい。

一方が大勝利を収めてしまえば儲けの機会が減るので、争いは絶妙に膠着するようにできている。そして、膠着すればするほど双方の憎しみが自動的に倍加されて、解決不能になる。

すると、ますます事態は膠着して無限に武器弾薬が売れ続けることになる。欧米諸国は「憎しみ」の扱いに慣れている。しかし、戦争はいずれ終わる。終わったら、負けた国家の権益を奪い取って儲け、双方の復興を引き受けて儲ける。

戦争の裏側にいる「黒幕」は、 今も昔もこの「憎しみ」という強い感情を操り、世界中で金儲けの機会を生み出している。「憎しみ」というのは、実は壮大なビジネスの道具だったのである。

お人好しな日本人は気づくこともないだろうが……。
4:777 :

2023/12/10 (Sun) 08:04:48

2023.12.10XML
今年の12月で真珠湾攻撃から82年、レノン暗殺から43年
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202312100000/

 今から82年前の1941年12月7日に日本軍はハワイの真珠湾にあるアメリカ太平洋艦隊の基地を攻撃、43年前の1980年12月8日にジョン・レノンがニューヨーク市にあるダコタの入り口で射殺された。

 真珠湾を攻撃する直前、日本軍はマレー半島を攻撃している。その時点でアメリカ側は日本側の機密情報を入手していた。ドイツの外交官ハンス・トムセンは日本の外務省が使っていた暗号機B型(パープル)の暗号をアメリカが解読しているとヨアヒム・フォン・リッベントロップ独外相へ報告、その情報は日本側へ伝えられていたのだが、日本の外務省はそれを使い続けている。

 ちなみに、アメリカでは第2次世界大戦が始まった後、通信傍受と暗号解読を目的とするSSA(通信安全保障局)を設立、1942年3月には日本海軍が使っていた呂暗号(JN-25)も解読に成功、同年6月に実行されたミッドウェー諸島攻略作戦の内容を事前に入手していた。

 日本軍が太平洋で軍事作戦を計画していたことをアメリカ側は知っていた可能性が高いのだが、どこを攻撃するかはつかんでいなかった。真珠湾は遠浅のため攻撃が技術的に難しく、守りの堅い軍港。攻撃のリスクは高い。

 その前、アメリカ政府の内部では日本に対する石油の輸出が議論されていた。財務省は積極的だったが、フランクリン・ルーズベルト大統領は石油の禁輸が「日本をインドシナへ駆り立てる」と考え、1937年より前の日本に対する石油輸出量は維持すると主張していた。(岩間敏「戦争と石油(1)」石油・天然ガスレビュー、2006年1月)

 日本軍はマレー半島を攻撃するという考えが常識的だろう。実際、最初に攻撃したのは石油があるマレー半島だ。そこへ日本の艦船が近づいていることもわかっていた。

 イギリスのウィンストン・チャーチル首相も日本のそうした動きを察知、1941年11月にベンガル(現在のバングラデシュ周辺)で「拒否政策」と呼ばれる焦土作戦を打ち出す。日本軍の食糧にしないということでサイロや倉庫から種籾を含む全ての米を押収、また輸送手段を奪うということで漁民の船や自転車を取り上げたのだ。

 その政策を推進中の1942年10月にベンガル地方はサイクロンに襲われた。死傷者が出ただけでなく農作物が大きな打撃を受け、食糧不足は避けられない状態になる。ところが飢餓が見通されてもチャーチル政権は米の運び出しを続ける。チャーチルは1943年1月、イギリスの食糧と資源の備蓄を強化するため、インド洋で活動していた商船は全て大西洋へ移動させていた。(Madhusree Mukerjee, “Churchill’s Secret War,” Basic Books, 2010)

 それに対し、現地の提督は1943年10月に政策の継続は大惨事を招くとチャーチル首相に警告、イギリス下院では満場一致で食糧を送ると議決したが、首相は無視した。食糧を送るというルーズベルト大統領の提案も拒否している。その結果、ベンガルでは1943年から44年にかけて大規模な飢饉が引き起こされ、餓死者の人数はベンガル周辺だけで100万人から300万人に達したと推計されている。

 チャーチルが焦土作戦を実行したのは日本軍がインドへ侵攻してくると考えたからだが、そうなるとアメリカの参戦なしにイギリス軍は日本軍に勝てないとイギリス政府は見ていた。日本軍の真珠湾攻撃を見てチャーチルは大英帝国が存続できると考えただろう。(Nu’man Abd Al-Wahid, “Debunking the Myth of America’s Poodle, Zero Books, 2020)

 真珠湾を攻撃した頃、ドイツ軍はモスクワでの戦いでの敗北が決定的になっていた。これが独ソ戦の転換点だ。そして1942年8月にドイツ軍はスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まるが、11月になるとソ連軍が猛反撃でドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲され、43年1月には生き残ったドイツの将兵9万1000名は降伏する。

 これを見て慌てたのがチャーチル。ルーズベルトやフランスのシャルル・ド・ゴールとカサブランカで会談、そこで「無条件降伏」という語句が出てきた。これはドイツの降伏を遅らせ、米英が軍事作戦を行う時間的な余裕を作るためだったとも言われている。

 そして1943年7月に米英両国軍はシチリア島へ上陸。ハリウッド映画で有名になったノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月になってからだ。コミュニストの影響力が強かったシチリア島へ上陸するため、アメリカ軍はマフィアの協力を得ている。

 アメリカ海軍のONI(対諜報部)はユダヤ系ギャングの大物だったメイヤー・ランスキーの仲介でイタリア系犯罪組織の大物ラッキー・ルチアーノに接触、協力させることに成功した。ランスキーとルチアーノは子ども時代からの友人。ふたりともアーノルド・ロスティンの子分だった。

 当時、ルチアーノは30年から50年の強制労働という不定期刑が言い渡されていた。優雅に暮らしていたとはいうものの、死ぬまで刑務所から出られそうになかった。そこに救いの手をさしのべてきたのがONIである。

 ルチアーノはシチリア島の大ボスだったカロージェロ・ビッツィーニを紹介、ビッツィーニの要請で島内のボスはイタリア軍やドイツ軍に関する情報を米軍に提供したうえ、破壊活動にも協力した。シチリア島で強い影響力を持っていたコミュニストを押さえ込むため、マフィアを利用したという側面もある。大戦後、シチリア島がマフィアの支配地になるのはそのためだ。1946年2月9日、ルチアーノは「好ましからざる人物」という名目で刑務所を出され、国外に追放された。自由の身になったということだ。

 真珠湾攻撃の39年後にレノンは殺された。レノンの右側、2.5メートルほど離れたところにいたマーク・チャップマンが発射した4発の銃弾がレノンの左側から命中している。至近距離から撃たれたことが医学的に示されている。殺される直前、レノンは反戦運動の前面に出ようとしていた。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202312100000/


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