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アメリカへ渡った日本の移民

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2023/08/18 (Fri) 12:23:41

2023年08月16日
アメリカに憧れた日系移民 / 愛と憎しみが渦巻く日本人の心
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68940190.html

「一等国」の面子を保ちたかった日本

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(左 : 「1924年移民法」に署名したカルヴィン・クーリッジ大統領 / 右 : アメリカへ渡った日本の移民)

  一般的に、我が国の言論人や保守派国民は、西歐白人に対して複雑な感情を抱いている。ある者は心から彼らに憧れ、イギリス語やフランス語を学んで“進歩的知識人”となり、西歐文明に精通しない同胞を哀れむ。もっと情けないのは、英会話が上達した気取屋だ。単に言葉を習得しただけなのに、ブリテンやアメリカの白人と“対等”になったと勘違いし、英語を上手く喋れぬ日本人を小馬鹿にする。英米の街に行けば、乞食でも英語を喋っているのに、イギリス人の言葉をマスターすれば“上等な部類の日本人になる”という訳だ。

  一方、西歐白人に相手にされず、露骨に無視されたり、裏で小馬鹿にされた者は、烈火の如く怒り狂い、「レイシストの右翼」とか「白人至上主義の権化」と罵る。しかし、これは一方的に“恋”した男の心情と同じで、自分を振った女に深い恨みを抱く小心者と似ている。振った女からすれば、「アンタは私の好みぢゃない!」と断っただけなのに、拒絶された男は屈辱のあまり、自分を邪険にした女を滅茶苦茶にしようと殺気立つ。保守派国民には西尾幹二のような人物がたまに居て、ストーカーのように卑しい者が多い。たぶん、人には言えない恥ずかしい過去や屈辱があるのだろう。

  毎年八月となれば、保守派の雑誌やYouTube番組では「第二次世界大戦」を主題とした企画が立てられる。案の定、「チャンネル桜」でも八月八日に「大東亜戦争、敗戦の本質」という討論番組が放映され、様々な言論人が登場していた。青山学院大学の福井義高(ふくい・よしたか)教授は、丹念に文献を調べているのか、非常に“まとも”で冷静な見解を述べていたが、著作家の宇山卓栄(うやま・たくえい)になると、根拠となる知識が曖昧で、何が理由で出演となったのか判らない。たぶん、水島総社長が「若手論客を育てたい」と思ったのかも知れないし、他に招く出演者がいなかったとも考えられる。もちろん、宇山氏は左翼じゃなく、そこそこ穏健な意見をのべていたが、米国内部の情報には疎いようだ。

  例えば、宇山氏は1924年に制定された「ジョンソン・リード法(the Johnson Reed Act / the 1924 Immigration Act)に触れ、この法律は日系移民を標的にしたものと述べていた。ただし、彼は「日本人をターゲットにしたものと思います」と表現し、詳しい説明は避けていたから隔靴掻痒の感が残る。なるほど、宇山氏が“個人的”にそう“解釈”し、そう“思う”のは彼の勝手だ。しかし、当時のアメリカ国民や移民問題の専門家、および上下両院の連邦議員は、日系移民を排除するために議会で奮闘した訳じゃない。日系人の排斥は、ついでの“附録”だった。

  1924年の移民法に関しては連邦議会の議事録やロイ・ガリス(Roy L. Garis)の『Immigration Restriction』をはじめ、Roger Daniel 『Coming to America』、 Daniel Tichenor 『Dividing Line』、Daniel Okrent『The Guarded Gate』など、たくさんの専門書が発行されているのでここでは詳しく述べない。図書館に行けば、誰でも大正時代や昭和初期に書かれた日本語の文献も読める。でも、最近は自分で調べず、YouTube番組を観て教養を身に付けようとする人が増えたから、評論家の意見を鵜呑みにして納得する人が結構多い。

  筆者が宇山氏に異議を唱えたいのは、1924年の移民法が主に東歐や南歐からの移民を念頭に置いた規制法であることだ。確かに、クーリー(苦力)が多いカルフォルニア州では、日系移民に対する嫌悪や排斥の雰囲気が濃厚であった。当時、パシフック鉄道は下っ端の労働者として支那人を雇っていたから、同州に住むアメリカ白人はアジア人の流入に腹を立てていた。上院で開かれた特別調査委員会の報告書を読めば、支那人労働者への嫌悪感が相当強かったことが判る。(Report of the Joint Special Committee to Investigate Chinese Immigration, 44th Congress, 2nd Session, Report N. 689, February 1877) サン・フランシスコ市長のアンドリュー・ブライアントも(Andrew Jackson Bryant)、支那人に対する侮蔑を隠していなかった。(San Francisco Municipal Reports for the Fiscal Year 1875-6, Ending June 30, 1876., p.591.)

  宇山氏は日本人をメイン・ターゲットにした法律と思っていたが、全米規模で見た場合、移民法の改正はイタリア人とかギリシア人に加え、ポーランドやハンガリー、ロシアなどからやって来る移民を標的にするものだった。第19世紀末期から第20世紀初頭にかけて、日本人の移民はハワイやカルフォルニア州で増えていたが、それでも奴隷のようにコキ使われていたクーリーとは根本的に違っていた。なぜなら、日本人の移住は日米両政府の協定で制禦されていたからだ。

  一般国民でも知っているように、日本政府は“列強国”の面子を守るため、アメリカへ渡航する出稼ぎ人の制限を約束し、状況に応じて新たな旅券を出さない、あるいは合衆国政府の要請に応じるという「日米紳士協約」を結んだ。これが1907年(明治40)年11月から2月まで、前後七回に亙って交換された覚書の総称である。

Elihu Root 1(左 / エリフ・ルート)
  日露戦争で勝利を収めた日本としては、“一等国”のプライドを保ち、貧乏国の内情を隠したかった。もし、日系労働者や日本人児童の露骨な排斥となれば、日本の面目は丸潰れだ。それに、サンフランシスコの住民達は、「日本人の子供が白人の児童と机を並べて一緒に勉強するなど、けしからん! 日本人の子供は支那人街にある東洋人学校へ行け!」と要求した。こんな気運が高まれば、在米日本人の親達が焦ってしまうのも当然だろう。何しろ、当時の日本人も“日本人としてのプライド”を持っていたから、自分の子供がアジア人学校へ追放されるなんなて我慢できない。「あんな奴らと一緒にされるなんて承知できない。我々に対する侮辱だ!」と考えてしまのだ。(日本人も差別意識を持っていたが、自覚が無かったので被害者意識しかなかった。) 当時、日本政府も引け目を感じていたので、あまり強硬な姿勢は取れず、穏便な措置を執ってもらうよう、国務長官のエリフ・ルート(Elihu Root)国にお願いするしかなかった。

  保守派の日本国民は、「サンフランシスコの教育委員会が日本人児童を排斥した!」と聞いてて憤慨するが、日本人の方にも“やましい”点があったので、一概に現地のアメリカ人を譴責できない。日系人の子供には問題になるような不良はいなかったと思うが、小学校に通う日本人生徒の中には、就学資格の無い者や超過年齢の青年が紛れ込んでいたのだ。例えば、サンフランシスコの小学校には93名しかいなかったが、33名は15歳を超えており、たった二人とはいえ、20歳を超えた生徒までもが紛れていたのである。

  もちろん、大半の日本人は行儀が良く模範的だったので、学校教師からの激しい抗議は無かった。しかし、白人の親からすれば、大切な我が子を不気味なアジア人とごちゃ混ぜにはできない。しかも、毎日毎日、教室の中で異人種と交流するとなれば腹立たしくなる。現在の日本人は「それがどうした? いいじゃないか!悪いことをしている訳じゃないぞ! 」と反論するが、もし、日本人の子供を許してしまえば、支那人やインド人、フィリピン人など、多種多様な東洋人の子供が、日本人に続いて流れ込んでくる。一般の日本人は、自分たちが“アジア軍団”の尖兵、あるいは防禦壁を打ち破る“ハンマー”になっている、という意識が無い。

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(左 : カルフォルニア州に住み着いた支那人の子供 / 右 : 現代のフィリピン人家族 )

  令和の日本人なら、当時のアメリカ人が抱いた不満と不安を理解できるだろう。例えば、荒川区とか台東区の公立小学校に、インド人とかベトナム人、ビルマ人、クルド人の子供が入学し、日本人の児童と一緒に勉強するとなれば、穏健な保護者でも怒り出す。平民階級の親は経済的余裕が無いから、名門の進学校とか私立学校に子供を通わせることはできないけど、「せめて塾くらいは・・・」と考えてしまい、高額な授業料を払っても私塾に通わせたりする。

  それに、多少なりとも“国際化社会”を察知している親は、子供の結婚にも不安を隠せない。もし、跡取り息子や箱入り娘が、ビルマ人とかケニア人の恋人を連れてきたら恐怖となる。箱根駅伝で優勝したからといって、エチオピア人留学生の婿殿なんか厭だし、タガログ語を話す嫁も嫌いだ。初孫がアジア系混血児とか、浅黒い赤ん坊じゃ友人に自慢できないし、遊園地に連れて行っても周囲の目が気になる。ペットの犬は血統書附のジャーマン・シェパードやシベリアン・ハスキーなのに、娘の亭主は雑種のフィリピン人じゃ泣けてくる。

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(上写真 / 「古く良き時代」のアメリカに生きていた白人の子供 )

  ついでに言うと、保守派の日本人はサンフランシスコの排斥事件を耳にして、「日本人に対する人種差別だ!」と目くじらを立てるが、移民や出稼人の子供がアメリカの学校に通うことをどう思っているのか? 以前、当ブログでも紹介したが、アメリカの学校は「良きアメリカ国民」を育成することを目標に掲げている。現在のアメリカは違うが、1950年代までの「良きアメリカ」ではそうだった。Grace A. Turklingtonの『My Country』といった教育本を読めば解るけど、正常な教師は子供達に国家への忠誠心や義務感、愛国心や自己犠牲、勇気、節約、誠実、矜持といった徳目を熱心に教えていた。では、日系移民の子供達は祖国(日本)への忠誠を忘れ、異国への忠誠を毎日唱えるのか? また、帰化した日本人の子供は、イギリス系入植者や建国の父祖を「我が祖先」と思ってアメリカ史を学んでいるのか?

  宇山氏のような日本人は、西海岸で激しくなった日系移民への排斥運動を非難する。だが、見知らぬ東洋人が次々と不動産を購入すれば、温厚なアメリカ人だって眉を顰めるし、「仲間」とは思えぬ異邦人が貴重な「アメリカ国籍」を取得すれば、“エイリアンの侵掠”と考えてしまうだろう。しかも、住み着いた日本人には、16歳未満の子供や扶養を必要とする両親、あるいは妻を呼び寄せる事もできたのだ。もし、これを唯々諾々と許せば、日系人の数はネズミ算式に増えてしまうだろう。また、日本人に「家族の再結合(family reunification)」を許せば、支那人だって同様の許可を求めてくるから、合衆国政府はアジア人の流入を禁止できず、済し崩し的に認めてしまうに違いない。

  「侵掠」というのは戦争だけじゃなく、平時でも起こりうる。元寇でモンゴル兵が日本の男を殺して婦女子を強姦すれば、日本各地には蒙古系日本人が増えてしまうだろう。移民でも同じで、モンゴル人が日本人と結婚すれば、日蒙混血児が幼稚園や小学校で増えてくる。アフリカ難民の帰化を許せば、日本人は段々と黒色人種となってゆき、日本はキューバやジャマイカのような島国へと変わってゆくだろう。一般国民はこうした“変質”を望んでいるのか?

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(左 : ジャマイカ人の若者 / 右 : 強そうなモンゴル人の青年 )

  今では驚きだけど、当時の在米日本人は、実家の両親が嫁に決めた女性を受け容れていた。所謂「写真花嫁(picture bride)」と呼ばれていた日本人妻で、彼女達は一度も会ったことのない男性と結婚すべく、単身、アメリカへ渡っていたのである。戦前の日本人なら見合い結婚なんてちっとも珍しくないが、自由恋愛を常識とするアメリカ人から見れば、非常に奇妙な風習と思えてしまう。

  たぶん、平成以降の日本人なら、当時のアメリカ人を理解できるだろう。例えば、もし、近所にパキ人とかアラブ人が住み着き、彼らが本国から“幼い嫁”を迎え、親兄弟はもとより、姪や甥までも「扶養家族」として連れてきたら、普通の日本人はゾッとするはずだ。異邦人の家族が引っ越してくれば、町内会のオッちんオバちゃんたちは「何者なんだ?!」と騒ぎ出すし、街の雰囲気も一変する。地元の小学校や中学校でも厄介事が増えはじめ、公聴や担任教師もてんてこ舞いだ。もし、父兄参観日*にチャドルやブルカを着た母親が教室に現れれば、日本人の親はビックリするし、子供同士の喧嘩であっても、民族紛争にまで発展しかねない。

  近所のスーパーマーケットにも、パシュトゥーン語やウルドゥー語を話す客が増えるから、日本人の客は「ここ、カブールの雑貨店?」と見間違う。デニーズ(米国系のファミレス)で井戸端会議に熱中する奥様達も、アジア人の新参者となれば不気味に思うから、自宅に招いて親しくしようとは思わない。それに、大半の日本人はアジア諸国の文化に興味を持たないから、役所の「同化政策」なんて空回りだ。学校でも歓迎しない児童が増えれば、必ず、陰湿な差別や陰口が横行する。たとえ担任教師が、「皆さん、民族差別をせずに仲良くしなさい!」と呼びかけても、生徒の方は馬耳東風で、民族ごとに別れてランチを取る。まるで米国の刑務所みたいな光景となるが、子供は生理的に厭な連中と融和することはない。(*註 / 令和の時代だと男女・夫婦の平等、および政治的に正しい思想に基づく「保護者による授業参観」と呼ぶんだろうなぁ~。)

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(上写真 / アフガニスタンに住む人々 )

  もう一つ、日系移民の排斥で言及されないのが、出稼人の生活様式である。大正時代、佐々木指月(ささき・しげつ)という臨済宗の僧侶がアメリカに住んでいた。彼もカルフォルニアで起きた日本人排斥運動を目にしたが、人種差別に対しては冷静だった。彼は現地に住む日系移民の欠点を指摘し、アメリカ人の不満にも理解を示す。そもそも、日系移民は国内の低賃金が嫌いで米国へやって来た出稼人である。希望を抱いて渡ってきた日本人は真面目に働き、お金を貯めたら日本に帰ろうと思っていた。それゆえ、米国での生活は出来るだけ質素にし、無駄遣いをせずに暮らそうと決めていても不思議じゃない。だが、こういう考えでは身なりが汚くても平気となるし、住む家もあばら屋となる。佐々木氏によれば、日系移民は「少しも體面と云うことを重んじない」し、「旅の恥は、かき捨て」という態度であった。(佐々木指月『亜米利加夜話』日本評論社、大正11年、p.28.)

  東南アジアから日本にやって来る出稼人(「研修生」とか「実習生」「留学生」)を思い出せば判るけど、彼らも質素倹約の生活だ。給料をもらっても全部使わず、祖国の親に仕送りをしたり、賭博をせずに貯金に励む。それに、出国前に仲介業者(移民を派遣するブローカー)から大金を借りているので、その返済で大変だ。それゆえ、身なりはみすぼらしくなるし、安い長屋を選んで友人と住む。大勢でシェアすれば家賃の節約になる。狭い部屋で5、6人の共同生活となればしんどいけど、郷土料理をつまみながら同胞と暮らせば結構楽しい。ただし、日本人との交流はほとんどないから、何時まで経っても“よそ者”だ。しかも、正式な日本語教育を受けていないから、読み書きは全く出来ない。たとえ対面での会話は出来ても、電話での遣り取りなんかは無理。佐々木指月が知り合いのオヤジについて茶化していたけど、英語を喋ると自慢していた日本人が、郵便切手さえロクに有様だったという。日本に住むアジア人も似たり寄ったりで、役所の書類でも解読不可能だ。

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(左 : 日系人排斥時代の在米日本人 / 右 : 「写真花嫁」として渡米した日本人女性 )

  宇山氏や高山正之などの本を愛好する日本人は、アメリカ白人による差別ばかりに目を向けるが、「なぜ日本人は米国へ住むことになったのか?」という点に着目する人は少ない。そもそも、大量の日本人が異国に住むこと自体がおかしい。日本人は日本に住むのが一番。文化や人種が違う者が異国に暮らせば、苦労するのは当然だ。米国の差別が厭なら、満洲や越南、インドや南アフリカに行けばいいじゃないか。

  ところが、日本人は明治以来、アメリカに移住することを“当然”と思ってきた。有名な徳富蘇峰でさえ、米国は広大な土地を有するから、カルフォルニアへの出稼ぎは当然と思っていたのだ。蘇峰学人曰く、「日本の移民が、加州に入り来りたる、恰も水の卑きに就くが如きは、是れ自然の勢と云はざるを得ず」、と。(徳富猪一郎『大和民族の覚醒』民友社、大正13年、p.83.) 「水の流れ」と「日本人の移住」が同じ現象なんておかしい。日本人が差別に遭っても帰国しなかったのは、白人の中にも親切な人や公平な人がいたからだ。

  大東亜戦争中、日系人は強制収容所にぶち込まれたが、それでも米国から逃げ出さず、戦争が終わるまで我慢していた。戦後になっても、多くの日系人は米国に留まることを選んだ。なぜなら、人種差別があっても日本に帰るより“まし”と考えたからだ。これは朝鮮から引き揚げた日本人と比較すればよく解る。朝鮮半島に住んでいた日本人は、敗戦後、赤軍や鮮人を恐れて半島から逃げてきた。彼らの中には財産を捨ててきた人も居たという。もったいないことだが、朝鮮人と一緒に共産主義者と戦う気持ちは毛頭無かったし、そもそも朝鮮人は「同胞」じゃない。朝鮮の為に戦うなんて真っ平御免だ。財産よりも命が大切である。日本人は着の身着のままでも、安全で懐かしい日本への帰国を選ぶ。

差別はどこの国にもある

  平成や令和の日本人は、アメリカ合衆国を「移民の国」と思っているが、そんなのは左翼とユダヤ人が吹聴する捏造話である。建国の父祖や独立戦争の将兵は、人種混交の共和国など望んでいなかった。イングランド王国から分離した「アングロ・サクソン人のコモンウェルス」というのが当時の共通認識で、トマス・ジェファソンが「人間の自由」について話したって、そんなのは西歐世界の人間のみ。キルギスタンやトルクメニスタンの山岳民族なんて頭に無いし、朝鮮人や支那人なんかは論外。パプア・ニューギニアの土人に至っては、もはや人間じゃなく『ガリバー旅行記』に出てきそうな原始人。現代では人種論はタブーとなっており、マディソン・グラント(Madison Grant)やロスロップ・ストーダート(Lothrop Stoddard)、カール・ピアソン(Karl Peason)、ハリー・ラフリン(Harry Hamilton Laughlin)といった優生学の提唱者は“悪人”と評されている。しかし、実際は西歐文明のアメリカを西歐人の国家に維持したいと願う愛国者だった。

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( 左 : マディソン・グラント / ロスロップ・ストーダート / カール・ピアソン / 右 : ハリー・ラフリン)

Alex McNear 1(左 / アレックス・マクニール)
  大学教授に惑わされたくない日本人は、本音と現金が飛び交う不動産業界を覗いてみればいい。リムジン・リベラルが住んでいる高級住宅地には、黒人やヒスパニックの住民が異常に少ないぞ。ビル&ヒラリー・クリントン夫妻なんか、NY郊外の「チャパクワ(Chappaqua)」に豪邸を構えたが、懐かしいアーカーンソーの黒人街には目もくれなかった。バラク・オバマもシカゴの黒人街を避けていた。オクシデンタル・カレッジ(Occidental College)に通っていた頃、オバマの恋人はミシェル・ロバーツのような黒人じゃなく、アレックス・マクニール(Alex McNear)という白人学生だった。

  ここでは関係無いけど、1979年から1981年まで恋人だったアレックスによると、オバマは彼女にラヴ・レターを送ったそうだ。そのの中でバラクは、毎日毎日「男」に愛情を抱いていたという。ただし、「空想の中で」だ。(Jon Levine ,‘Barack Obama told ex, ‘I make love to men daily, but in the imagination,’ letter shows, ’New York Post, August 12, 2023.) 正常な日本人が聞けば「えっ、何それ?! オバマってゲイなの?」と尋ねてしまうが、たぶんオバマは全人類を分け隔て無く愛するヒューマニストなんだろう。

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( 左 : 若い頃のバラク・オバマとミッシェル・ロバーツ / 右 : 学生時代のオバマがアレックスに送った恋文 )


  脱線したので話を戻す。誰でも解ることだが、日本人の移民はイギリス人のような西歐人じゃない。アングロ・サクソン系のアメリカ人からすれば迷惑な部外者だ。金銭目当てでやって来た異邦人なのに、矢鱈と自尊心が高く、鼻息を荒くして、「お前らはけしからん ! 俺達を平等に扱え!」と文句を垂れる。でも、東洋人を歓迎しないアメリカ人が聞けば、「なんだ、この野郎! ここはテメエの国じゃねぇだろう。銭が欲しけりゃ、日本で稼げ!」と叱りつけ、塩でも蒔いて追い払うだろう。だいたい、日本人労働者は頭を下げて雇ってもらったのに、しばらくすると対等意識に目覚めるから嫌われてしまうのだ。武闘派のアメリカ人なら遠慮が無いから、日系人に向かって「それなら、さっさと国へ帰れ!」と言い放つ。こう言い返された日本人は、どう反論するのか? まさか、「俺は日本が嫌いで、祖国に貢献するのも嫌だ!」とは言えまい。

  明治でも令和でも、大半の日本人は西歐人による人種差別を殊さら咎める。だが、アジア諸国やアフリカ大陸に行けば、「差別」なんかは幾らでもある。インドに行けばカースト制度の残滓があるし、アラブ人は露骨に召使いを差別する。ソマリア、コンゴ、ルワンダでも同様で、身内とよそ者との区別なんかは当たり前だ。イスラエルに行っても、ユダヤ人が優先で、日本人はアフリカ人と纏めて「外人」扱いだろう。南米でも人種差別は日常茶飯事。ブラジルでは歐州系白人が上流社会を形成し、インディオやアフリカ系の混血児は社会の底辺だ。宝石や香水のポスターに、茶色のインディオや黒いアフリカ人が採用されることは皆無だ。アレッサンドラ・アンブローシオ(Alessandra Ambrosio)みたいな白人女性が普通で、有色人種は高級品のモデルにはならない。(2015年に彼女は来日したけど、日本の視聴者は彼女を「ブラジル人」と思ったのか?)

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(左 : アレッサンドラ・アンブローシオ / 中央 : 原住民であるインディオの母親 / 右 : 下唇に特徴があるブラジル原住民の老婆)

  世界史を学べば判るけど、日本が開国した頃は、たまたま西歐列強が優勢な時代であった。もし、別の時代に開国となっていれば、モンゴル人やアラブ人、トルコ人の圧力に屈服し、彼らに頭を下げながら貿易をしていたのかも知れない。ムーア人とかタタール人、あるいはテュルク系民族に征服されたら、日本人がイスラム教徒になっていた可能性もある。「人種」による差別だけが悪くて、「宗教(宗派)」や「家柄」「部族」「身分」による差別は「まぁ、しょうがないよねぇ~」と黙認するのはおかしい。

  そもそも、黒人や黄色人種に対する差別なんて勝海舟や福沢諭吉だって知っていたぞ。伊藤博文や高橋是清、新渡戸稲造、内村鑑三といった有名人も、アメリカ社会で人種差別があることを判っていた。ところが、日本政府は日米摩擦の火種になりうる移民を禁止せず、むしろ頭を下げて移民の受け容れを頼んでいた。もし、米国での日本人排斥運動が日本の国辱なら、高平小五郎駐米公使は本国に移民停止を訴えるべきだった。しかし、高平公使はルート国務長官と会談を重ね、紳士協定を結んでいたのである。

「憧れの国」だったアメリカ

  保守派国民は認めたがらないが、明治から昭和の日本人にとって、アメリカは“希望の国”であった。日清日露の戦役で勝ったとはいえ、日本は歐米と比べたら格段に貧しく、まともな仕事が見つからないケースも稀ではなかった。それゆえ、明るい未来を望む者は、豊かなアメリカに自分の人生を賭けてみようと考えた。ここで幾つか例を紹介してみよう。

  山梨県の農家に生まれたニスケ・ミツモリは、家が貧乏だったので高等学校に進めなかった。しかし、県立の学校は授業料がタダなので希望があったらしい。でも、彼はまだ17歳。進学の年齢を待っていたが、日露戦争が始まってしまい、徴兵となる可能性が出てきた。しかし、兵隊に入るのが厭だったので、彼はアメリカに渡ろうと思ったそうである。ミツモリ氏には特別な渡航理由は無かったが、「アメリカに着けば何とかなるだろう」という漠然とした考えがあったそうだ。(アイリーン・スナダ・サラソーン編『The 一世 パイオニアの肖像』南条俊二訳、読売新聞社、1991年、p.16.)

  明治13年生まれのシズマ・タケシタは、長崎県壱岐郡にある小さな島で育った。彼が13歳の時に父親が死んだので、シズマ少年は家督を継がねばならず、家を離れることは許されなかった。彼は勉学を希望したが、島には八年間しか学べぬ学校があるだけ。そこで、シズマは17歳の時、母と祖母に内緒で家を離れ、長崎の法律事務所に勤めたという。彼は働きながら法律を勉強したそうだ。この事務所で真面目に働いたシズマは、雇い主のキシハラ先生から認められるようになった。キシハラ先生は「私の跡を継いでよい頃だから、免許を取るための試験勉強をしなさい」と言ってくれたそうである。

  ところが、急に国の規則が変わってしまい、大学を卒業しないと弁護士の資格が取れなくなってしまった。タケシタ氏はすっかり落ち込んでしまい、自殺まで考えたという。キシハラ先生は彼を哀れんだのか、「アメリカに行って英語を勉強し、それから日本で商売をすることを考えたらどうか」と勧めてくれたそうである。タケシタ氏は先生から貰った200円で太平洋航路の一番安い切符を買い、1902年にアメリカへ渡ったそうだ。(上掲書、p.17.)

  チョウイチ・ニッタ氏は子供の頃、海軍兵学校を出て、提督になるのが夢であった。しかし、農地を持つ父親は息子の進学に反対で、長男のチョウイチに農業を継ぐよう求めていた。この父親は小学校以上の教育は必要なし、と考えていたから、大学への進学など最初から許されるわけもなく、チョウイチは意気消沈であった。それでも、彼は挫けず、叔父が居るハワイへ行こうと考えた。チョウイチは父に内緒でパスポートを取得するが、これを知った父親は激怒。チョウイチは船賃さえ払えない。彼の母親も二十歳になったら結婚し、家を守るべし、という考えだったから絶望的だ。

  両親からの反対を受けたチョウイチは自暴自棄になったのか、母に向かって「それなら、もう死ぬしかありません」と言い渡した。チョウイチは本気じゃなかったが、息子の覚悟を聞いた母親はショックを受け、「そんなことをされたら大変だ」と思ったらしい。最終的に、母親が渡航用の船賃を出してくれるよう父親に掛け合ってくれたそうだ。こうしてチョウイチはアメリカに移住することが出来た。(上掲書、pp.17-18.)

  夫と共にアメリカに住むハナヨ・イノウエも、異国での夢を抱いた日本人の一人であった。彼女の父親はちょくちょく米国へ渡り、家に銭をもたらす出稼人であった。彼女の父親はアメリカで稼いだ金で新しい家を建て、農地まで購入していた。ただ、この父親が他の日系移民と違っていたのは、白人の子供達を世話する「家政夫(スクール・ボーイ)」であった点だ。彼は子供達の送迎を仕事にしていたので、アメリカ風の綺麗な英語を話すことが出来たという。当時、日本からやって来た移民はほとんど英語を話せなかったので、彼は同胞のために仕事を斡旋したそうだ。

  ハナヨの思い出話を聞くと、戦前の日本人が味わった苦労が判る。日本の農民は汚い仕事をこなしていたが、アメリカではそんな農業は無かったらしい。彼女がまだ小さかった頃、日本の農民は朝早くから近所を回り、肥やしを集めていた。当時の日本人はどの家でも牛を飼っており、その牛に肥桶を積んだ荷車を引かせていたという。(上掲書、p.38)当時のアメリカにも、キツい仕事や人が厭がる農業があったと思うが、人糞を集めて肥料にするという畑仕事は無かったと思う。アメリカに渡った日本人娘には、日米の違いは鮮烈であった。

  保守派知識人の中には、庶民の常識が通じない奴がいる。ヨーロッパ人でもアフリカ人でも、一緒に暮らせば余計な摩擦が生じ、理性では解決しない喧嘩となる。「嫁姑問題」ほ体験した日本人なら解るが、違った環境で生まれ育った女二人が、一つ屋根の下に暮らせば、ちょっとした事でも“いがみ合い”の火種になる。

  例えば、友達とパーティーやショッピングに以降とする嫁が、赤いドレスやキャミソール姿で外に出れば、嫉妬心に燃えた姑は、「あんな派手な格好で外出するなんて恥ずかしい」と小言を漏らす。これを耳にした嫁は、「何いってんのよ、この糞ババァ! 私の勝手でしょ! これは下着じゃなくファッションなの!」と引き出しに隠した「デス・ノート」に不満を書き連ねる。すると、嫁が留守の間、姑はこの「デス・ノート」を読んで激怒。もっと凄いのは、姑が盗み読みをしていることを承知で、もっと酷い文章を綴っている場合だ。

  人種が違う人々、あるいは文化や宗教が異なる民族は、別々に暮らすのが一番だ。日本人は日本で暮らすのが最も幸せで、他国に移住しても幸せにはならない。また、外人を受け容れることも不幸の輸入である。先進国の中流階級ならいいけど、国籍目当てのアジア人なんか最初から入国させない方がいい。日本人は大学に進んで“肩書き”を得るが、その代償として“常識”を失っている。歴史や政治を学ぶ上で大切なのは、健全な常識で判断することだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68940190.html
2:777 :

2023/08/18 (Fri) 12:25:26

天皇一族はバイシュン業者

 19世紀初頭、世界帝国を建設しようと考えた英国はアジアに対し、アヘン=麻薬を売り、アジア人に英国に対する抵抗心を喪失させ、アヘン売買の利益でアジアを支配するための兵器を買う戦略を採用する。

英国のアヘン売買の中心となったのが、銀行ジャーディン・マセソンであった。マセソンは、英国がインドでアヘンを買い付ける資金を提供し、中国、日本にアヘンを運搬する船の建設費を出し、アヘンの売り上げはマセソンの銀行口座に振り込まれ、その資金で中国、日本を攻める兵器が購入された。兵器の代金は、マセソンの銀行口座で決済された。

マセソン、中国では香港に香港上海銀行(現在の中国の中央銀行)を支店として置き、日本では東京に日本銀行=日銀を支店として創立した。日本政府の井上馨、渋沢栄一に「命令」し、ノウハウを教え、日本銀行を創立させたのは、麻薬銀行マセソンのアレクサンドラ・シャンドである。

日本の中央銀行、日銀は麻薬銀行として創立された。しかし中国と違い、日本では麻薬は売れなかった。


困ったマセソンは、福沢諭吉と天皇に相談し、日本人女性を誘拐し「バイシュン婦」として海外に「販売」する事にした。

貧しい農村の女性には海外で豊かな生活が出来るとダマシ、良家の娘達には洋裁学校を紹介するとダマシ、天皇と三菱財閥は日本人女性を「バイシュン婦」として、海外に売り飛ばした。

天皇と三菱の経営する船会社、日本郵船がダマサレタ女性達をバイシュン婦として海外に運んだ。大部分が処女であった日本人女性達は、船の中で「バイシュン婦」として教育するため、英国人水夫達に毎日、強姦輪姦された。これは天皇の「命令」である。

天皇がダマシ、バイシュン婦として海外に売り飛ばした日本人女性の数は、50万人を超える。大くの女性は、20歳代で梅毒等の性病で死に、または刃物で自分の喉を突き刺して自殺した。

天皇一族の財産はこうして作られた。

http://alternativereport1.seesaa.net/article/50371493.html

高校教科書『新詳説・日本史』の一節から引用する。


「日本の商社活動が活発となり、横浜正金銀行が積極的な貿易金融を行った。(略)また、海運業奨励政策によって、日本郵船会社などの手で、次々と遠洋航路がひらかれていった。(注)日本郵船会社は、三菱会社と半官半民の共同運輸会社との合併によって1885年に設立され、1893年にはボンベイ航路、1899年にはヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアへの各航路がひらいた。」

日本郵船の大株主は天皇家と三菱財閥であった。
アメリカへ大量の移民を運んだのは、この日本郵船の船であった。

<中略>

天皇家と日本郵船の深い関係は、明治時代から続いていた。
この会社の船で娼婦たちが海外に「進出」させられた。
詳しくは山田盟子の『ウサギたちが渡った断魂橋』に書かれている。

日本の偉人中の偉人と評価の高い福沢諭吉は、


「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可するべきこそ得策なれ」

(『福沢諭吉全集』第十五巻)と主張した。


娼婦を送り出す船会社が、天皇家と三菱に大いなる利益をもたらすということを計算したうえでの「得策なれ」の主張であった。


「至尊の位と至強の力を一に合して、人間の交際を支配し、深く人心の内部を犯してその方向を定る」


福沢諭吉の思想は当時の天皇家に迎えられた。


至尊の位(天皇)と至強の力(三菱)を一に合して、日本郵船は発展していった。日露戦争後、アメリカ移民が増えていった。1908年ごろには、約十万人の移民がアメリカにいた。

1901年、共産主義者の片山潜は、小冊子『渡米案内』を発行した。一週間に二千部売れるほどの当時では大ベストセラーとなった。 片山は、アメリカでの移民生活をベタほめした。日露戦争のころ、アメリカに行くのに約二百五十円の大金が要った。現在、日本に密入国しようとする中国人が、中国マフィア(蛇頭)に支払うくらいの金額だった。
やっとアメリカに渡ったものの、新聞や雑誌や『渡米案内』の甘言広告とは違い、辛酸の極みの生活が移民を待っていた。


男たちは鉄路の重労働やタマネギ畑で働かされ、女たちのほとんどは娼婦の館にほうり込まれた。


このときの莫大な金は、福沢が言う「至尊の位と至強の力」すなわち、皇室と三菱の懐に入った。

片山潜は、天皇が支配(大株主)する横浜正金銀行(旧東京銀行の前身)から金を貰って生活していた。当時の日本共産党幹部たちが、ニューヨーク、ロンドン、モスクワと流れていったが、そのほとんどの金は、この銀行が出したのである。元社会党委員長鈴木茂三郎もこの銀行から金を貰った一人である。

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060825

1885年、天皇一族と三菱財閥で日本初の船舶会社


日本郵船が創立される。

明治維新により富国強兵の道を歩み始めた日本は、欧米からあらゆる兵器を購入し続けていたが、欧米への支払いに当てる資金が日本には無かった。

そこで福沢諭吉は、


「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可すべき」


という指示を天皇に与える。賤業婦人つまりバイシュン婦として日本人女性を海外に「輸出、 売却」し、兵器購入資金を作るというプランであり、天皇一族はこのプランに飛び付き実行する。

(福沢諭吉全集 第15巻)

1900年初頭から天皇の命令の下、

「海外に行けば良い仕事があり、豊かな生活が出来る」


という宣伝が日本全国で大々的に行われた。

日本の健全な家庭に育った当時の若い女性達は天皇の言葉を信じた。

天皇一族によりだまされ「バイシュン婦として欧米に販売された」日本人女性の数は数十万人。

大部分は健全な家庭に育った若い女性達であり、天皇は「健全な女性をバイシュン婦」として「売却」する事で、欧米のバイシュン業者から女性1人あたり数千円、当時普通の会社員で
あれば10数年分の給与を手に入れていた。

その金額が数十万人分=莫大な資金がこの天皇一族のサギ行為、女性の人身売買により天皇一族に転がり込んだ。 その資金の一部は戦争のための兵器購入に当てられたが、
大部分は天皇の「個人財産」として「蓄財」された。

天皇一族は自分の金儲けのために、健全な若い日本人女性をだまし、バイシュン婦として欧米に「売却」して来た。

天皇一族は欧米のバイシュン業者とタイアップした日本のバイシュン業者であった。

天皇により経営される日本郵船により、欧米に「売却」された日本人女性は、1人残らず現地に着くと即座にバイシュン宿に「連行」され監禁された。そしてバイシュンを強制された。

初めての外国であり、逃げ場も助けてくれる相手もいない。
数十万人の日本人女性が、天皇によってバイシュンを強制された。

これが従軍慰安婦の原型である。


日本郵船の共同経営者三菱財閥もこのバイシュン業で巨大化した。
この莫大な富を生むバイシュン業に参加させてもらったお礼に、三菱財閥は昭和天皇の結婚後の新居を、全額三菱財閥の出資で建設する。

渋谷区下渋谷の第一御領地の「花御殿」が昭和天皇の新婚の住居であり、それは数十万人の日本人女性を「バイシュン婦として販売した」利益で、三菱の天皇に対する「バイシュン業参加のお礼」として建設された。

(山田盟子「ウサギたちが渡った断魂橋」 新日本出版社)。


また天皇が大株主であった船舶会社商船三井も天皇と協力し、同一の「バイシュン婦・輸出事業」に従事する。 こうして日本人女性の「販売業者」として天皇一族が蓄積した財産は、第二次大戦後日本に進駐してきた

米軍GHQの財務調査官により調査され、当時の金額で1億ドルを超えると記録されている。

国民に対しては「自分は神」であるとしていた天皇は、女性の人身売買で金儲けし、また日清戦争、日露戦争で中国、ロシアから得た賠償金を自分の私財として「着服」していた。

戦争中全ての日本人は餓死寸前の中、軍需工場で「無給」で重労働を行っていた。
そうした重労働と日本人男性=軍人の死によって戦争によって得られた賠償金を、国民のためでなく自分の私的財産として天皇は着服し、密かに蓄財していた。

また日本軍が朝鮮、中国に侵略し、朝鮮人、中国人を殺害し略奪した貴金属は、天皇の経営する日本郵船によって日本に運び込まれ、日銀の地下金庫にある天皇専用の「黄金の壷」という巨大な壷に蓄財された。

中国、朝鮮から略奪された貴金属、そして賠償金=侵略戦争 は天皇の個人的蓄財のために行われていた。

この問題を調査したエドワード・ベアは、「天皇一族は金銭ギャングである」と吐き棄てるように語っている。

(エドワード・ベア「天皇裕仁」 駐文社)

1945年、日本の敗戦が決定的になると、天皇一族はこの蓄財を米国に「取られる」事に恐怖を感じ、海外に蓄財を「逃し」始める。

天皇の個人銀行でもあった横浜正金銀行を通じて、スイスに850万ポンド、ラテンアメリカに1004万ポンド等、広島、長崎に原爆が落とされ死傷者が苦しんでいる最中、天皇は自分の蓄財を海外に次々と逃がす事に専念する。この問題を調査したマーク・ゲインは、海外に天皇が逃した蓄財は累計で5~10億ドルに上るとしている。

(マーク・ゲイン「ニッポン日記」 筑摩書房)。


広島、長崎に原爆が落とされ膨大な死傷者が出、戦後日本をどのように再出発させるかを考えなくてはならない時期に、天皇はひたすら自分の蓄財を守るため数百回に及ぶ海外送金を繰り返していた。

日銀の地下金庫からは、莫大な金塊と貴金属が日本郵船により運び出され、アルゼンチンの銀行そしてスイス銀行まで遠路運搬されていた。

中国では日本に逃げ戻るための船舶が無く、逃げ遅れた日本人女性が中国各地で多数強姦殺人され子供が殺害されている最中、天皇は貴重な船舶を独占し、自分の金塊を遠路
アルゼンチン、スイス等に運び出していた。

天皇が自分の蓄財だけしか頭に無く、日本人の事など何も考えていない事は明白である。

(ポール・マニング「米従軍記者が見た昭和天皇」マルジュ社)。


なお天皇が第二次大戦中「バイシュン婦輸出業」を行っていた商船三井の共同経営者が、CIA(当時はOSS)の対・日本作戦部長マクスウェル・クライマンであるのは何故なのか?

敵国のCIA対・日本作戦部長と「仲良く」天皇が「バイシュン婦輸出業」を行っている=天皇はCIA工作員であったのか?

天皇は戦後、このスイス銀行に預けた金塊を担保に資金を借り、CIAが事実上創立した不動産業者=森ビルと共に、港区の不動産を次々に買収し、またハイテク産業に投資し、莫大な蓄財をさらに莫大に膨れ上げさせて行く。
天皇は神でも「象徴」でもなく単なる金儲け主義の金融ビジネスマンである。

そしてここでも「何故か」CIAと天皇は「共同経営者」である。

天皇は、1940年代初頭からスイス銀行に少しずつ蓄財を「移し」始めるが、ヨーロッパにおいてナチス・ヒトラーが虐殺したユダヤ人から奪った貴金属を管理していたのもスイス銀行であった。

天皇はヒトラーに請願し、ナチス・ヒトラーの口座の中に「天皇裕仁」のセクションを作ってもらい、そこに天皇一族の蓄財を隠していた。

天皇とヒトラーはスイス銀行の秘密口座を「共有」する略奪ビジネスのパートナーであり、ナチスと天皇は一体であった。

(アダム・レボー 「ヒトラーの秘密銀行」 

ベストセラーズ・・また濱田政彦「神々の軍隊」 三五館)。


1924年、米国は「排日移民法」という法律を成立させる。
日米関係はまだ険悪ではなく、日本から余りに多数の若い女性が「バイシュン婦」として米国に「輸入」されてくる事が社会問題化し、それを禁止した法律であった。


天皇自身の発言を記録した「昭和天皇独白録」

(藤原彰「徹底検証・昭和天皇独白録」 大月書店)の「大東亜戦争の原因」=日米戦争の原因の項目に、1946年3月18日の天皇の発言として以下の言葉がある。

「米国のカリフォルニア州への移民拒否については、日本を憤慨させるに十分なものであった。」

この発言は日米戦争の原因についての天皇自身の発言である。

日本人女性をだまし、バイシュン婦として米国に「売却」する天皇のバイシュンビジネス=移民を米国が禁止した、それに憤慨激怒し米国と戦争を始めたと天皇自身が独白しているのである。

天皇一族は神でも「象徴」でも無く、人間のクズの集団である。

追記・・例え殺されても自分の命と引き換えに真実を語るのがジャーナリストの仕事である。

天皇に欺かれバイシュン婦にさせられた数十万人の日本人女性達の無念の人生のために、誰かが真実を語らなければならない。

http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20070607

人身売買と近代日本の成立 


自国女性を海外に売るのが「ロイヤルビジネス」だった

「からゆきさん」と呼ばれたどちらかといえば普通の「娘の身売り」の陰には、さらに悪質な詐欺的人身売買が、国策として、天皇のロイヤルビジネスとして、白人商人と連携して組織的に、国策会社日本郵船(=三菱)により、大々的に行われていた。

そして、その人身売買こそが、日本資本主義の原初的蓄積過程だった。

つまり、近代日本国家は自国女を売って成立した。


「オルタナティブ通信」などを通じて知るようになったこの事実ですが、まとまった知識を持った人をTwitterで見つけました。

http://twitter.com/urashima2


戦前の日本は民族差別に反対してたとか言ってる方がいまだに多いが、実際のところは人身売買する上で邪魔だったというのが大きな理由のようだ。そもそもアメリカが排日移民法を作らざるを得なかったのは日本からあまりに膨大な日本人女性が売られてきたからにほかならない。


戦前の日本が差別を許さないとか、プロパガンダにもならない妄想…。

世界最大の賤業婦人(バイシュン婦)輸出大国だったのに。

それも騙して海外へ連れ出すという極悪非道ぶり。


いわゆる「からゆきさん」なんてハイカラな名称付けられているのが、それ。

ジャパゆきさんは自分の意志でオーディション受けて、どういう場所で働くか承知で来るかも知れない、からゆきさんの大半は国策として騙された人や誘拐・拉致同然に連れだされた方々なのでまるっきり違う。


からゆきさんと言っても中国だけじゃない。

世界中に貨物船の片隅に押し込められ売られており、明治から昭和にかけて、その数は30万人以上とも言われている。

戦争責任を追求する大手マスコミでさえ、からゆきさんについては非情に及び腰。

理由はロイヤル・ビジネスだから。


おもに日本郵船=三菱と組んでいるが、三菱といえば岩崎弥太郎。

岩崎といえば龍馬。龍馬といえばグラバー。

グラバーといえば武器商人…ってな具合に背後は真っ黒の助。

そもそも武器を買うための資金として人身売買をはじめた。


グラバーといえばマセソン商会の元社員で代理人。

マセソンといえばアヘン商人。

ようするに茶を買うためアヘンを売るのが、武器を買うために女性を売る…にかわっただけ。

長州ファイブを留学させたのもマセソン商会。

岩崎=長州閥=天皇家は一蓮托生でアヘン・武器商とつるんでた。


騙して日本人女性を売った金で武器を買う。

その両方でピンハネすればボロ儲け。


三菱財閥が巨大化した最大の理由が人身売買…

などとは歴史の教科書や社史にも出てくるわけない。


人身売買であげた利益で武器を買い、それで戦争を行っては国民を虫けらのように死なせた。そういうビジネスを明治以来一貫して下衆なアヘン・武器商人と結託しながらやってきた。宗教も人種も違う連中を奴隷貿易するでもなく、自国の同胞女性を詐欺まがいに海外へ大量に売り飛ばすという豪快なことをしていた日本。


さうがの毛唐も

「オーマイガッツ!

ジャップのやつ正気の沙汰とは思えない。

オークレイジー」

なんて驚いたことだろう。


そういう背景により、クレージーなジャップによる人身売買を阻止するため、アメリカは排日移民法をつくってくれた。それを、差別だとかいうのだから凄い。


戦争の原因について


「カリフォルニア州への移民拒否については、 日本を憤慨させるに十分なものであった」

とは裕仁天皇のお言葉。これが戦争の原因なのだというから素晴らしい。


戦前の国策による人身売買の実態を隠蔽するため「からゆきさん」と混同されるようにイメージの偽装転換が巧妙になされている。実際はからゆきさんなんてレベルをこえた国策の人身売買が壮大なスケールで行わていた。


本来の「からゆきさん」なんてのは九州の貧しい農村部の女性が女衒に連れられアジアの娼館で働くというものだが、日本郵船とかがやってたのは基本的に詐欺。


「海外で教養を身につけよう」

「あこがれのアメリカで働こう」


なんてかんじで良家の子女から寒村にいたるまで処女を集めた。


私もこのブログで、アメリカの人身売買報告書が日本に異常に厳しいことを人種差別ではないかと批判したことがありましたが、見当違いだったかもしれません。

彼らは当然ながらこういう過去の事実を知っている。この件の被害者は日本人であり、欧米商人も関与していたので、あえて言挙げはしないが、日本国がこういう体質をもっているということには留意している。このような過去の犯罪行為について、日本人がほとんど知らされておらず日本国内に批判も反省もないことも見ている。

普通に「人身売買を防止する」という観点から見て、日本が要警戒国になるのは当然ですね。

これから必然的に貧しくなっていく日本ですが、日本女性は日本国家および天皇一族を警戒したほうが良いといえます。同時に、従軍慰安婦問題や南京強姦事件で騒いでくれる近隣国の人々に感謝しなければならない。被害者が日本人だけなら、誰も騒がず、語ろうとする者は口封じをされ、そんな過去はなかったことになります。

天皇と三菱とが一体になり、外国商人と連携して、国策でこのような犯罪行為を行った歴史が「なかったこと」にされている。何の反省もない。

このままでは、日本国家にカネが必要なときにはまた同じことが繰り返されることになるでしょう。


日本国=天皇=三菱等、

はその成立時から人身売買マフィアであり、芯から腐っていると言えます。初めから腐っているものはどうしようもありません。「日本の解体」が是非必要です。

http://kuantan-bin-ibrahim.blogspot.com/

あめゆきさんの歌、山田わか

 日系アメリカ人の歴史の本を読んでいた時に、

「アメリカの日本人の嚆矢(はじまり)は日本人バイシュン婦」

という記述に出会って、愕然としたことがある。


 コロラドに、江戸時代の日本人バイシュン婦の墓標が残されているそうだが、日米和親条約(1853年)が締結される以前の話である。日本から、アメリカに直接に向かうことができなかったので、アジアを経由して、密航者としてアメリカに渡ったらしい。

 この女性たちの歴史の発掘に尽力されたのが、サンフランシスコの日本語協会の石崎五郎さん(UCデイビス校の獣医学の教授、故人)だった。石崎さんは、そうした女性の存在を不憫に思われたようだ。 中国や東南アジアに渡ったからゆきさんのことは、森崎和江や山崎朋子の著作で知ってはいたが、そうした事実が、このアメリカでもあったのだ。


 明治の新聞ダイジェストを読んでいた時に、オーストラリア行きの船の船倉で、日本人バイシュン婦が窒息死体となって発見されたという記事を目にしたことがあるが、日本人バイシュン婦は、オーストラリアにも、密航させられていたようだ。 十九世紀末のアジアに渡った日本人バイシュン婦を意味する”からゆきさん”という言葉から、山崎朋子(ノンフィクション作家)が、”あめゆきさん”という言葉を作り、「あめゆきさんの歌:山田わかの数奇なる生涯」という本を書いたのが、1978年。

 プラムさんに、山田わかが働いていた場所を訊ねられた私は、シアトル時代の山田わかの手掛かりを求めて、この本を読み返した。 この本の記述とシアトル旧日本人街明細図から、20世紀初頭に、彼女が白人相手のバイシュン婦として働いていた場所が分かった。

現在のシアトル・アジア人街のあるインターナショナル・ディストリクトの一角だ。 私自身、以前、インターナショナル・ディストリクトを訪れた時に、山田わかはどこで働かされていたのだろうと、漠然とした疑問をもちながら、同地域を歩いていたのだが、今回、キング・ストリートと5番街の角のアロハ・ハウス(現在は別のお店になっている)で働いていたことが分かった。


 1906年に、26歳で日本に帰国した山田わかは、近所に住んでいたことから平塚らいてふと知遇を得て、青鞜に参加。『朝日新聞』の人生相談の回答者になって、アメリカ帰りの女流評論家として成功した。


 アメリカの図書館で、私は、戦前に発行された山田わかの本を2冊、見掛けたことがあるし、サンフランシスコで、彼女の夫となった山田嘉吉の教える英語塾で山田わかに出会ったことがあるという人から話を訊いたこともある。 私が渡米した頃には、ヤングさんと呼ばれた日系一世の若手がまだ、生きていたのだ。ヤングさんは、英語の勉強のために、サンフランシスコの山田嘉吉の英語塾に通ったようだ。

 山田わかのシアトル時代の記述については、サンフランシスコで発行された『あめりか新聞』(1937年)のオリジナルをUCLAのライブラリー(special collections library)で読んだこともあるし、山崎朋子が出会ったリン(林)司書から、直接、お話を聞いたこともある。リンさんは、UCLAのアジア関係の生き字引のような方だったが、1990年代の前半に退職された。

第二次世界大戦後、山田わかが心血を注いだ仕事に、バイシュン婦の更生施設の建設、運営があった。 バイシュン婦から更生して家庭人となった彼女だからこそ、更生が、いかに大切であるかということを知っていたのであろう。

 私は、アメリカに住む日本人のことをリサーチしている理由の一つに、日本人は、アメリカから何を学ぶのだろか、ということがある。山田わかの場合は、不屈の向上心だったのではないだろうか。

http://plaza.rakuten.co.jp/katiebooks/diary/200408240000/


昔アメリカで、ハロウィーンに英語もできないくせに白人様の真似をして調子こいていた馬鹿な日本人留学生が射殺された事件がありました。しかし、アメリカ白人がやったことなので日本人は怒りません。その因縁のハロウィーンを、やがて日本人たちはアメリカ白人と一緒になって馬鹿騒ぎして祝うようになりました。

だいたい日本人に同胞意識などない。自分が白人様にでも引き立てられれば、黄色人種の同胞なんてクソみたいなものです。日本人で出世して偉くなる人はみんなそう思っています。


天皇のロイヤルビジネスは、日本人の素人女性を騙して、日本郵船の貨物船に乗せて海外に性奴隷として売り、外貨を稼ぐというものでした。


日露戦争などの戦費もそれで出した。

同胞の日本人女でさえ騙して奴隷にして、船内で白人船員に強姦させてバイシュン婦教育し、外国のバイシュン宿に平気で売る事をしてきた日本人なので、朝鮮人従軍慰安婦の強制連行や戦地や日本軍進駐先(前記事のタイにも進駐していた)での住民強姦など朝飯前のことです。

(そんなことを否定したり事実を争ったりする方がどうにかしています)。


日本はもともとそういう麗しい国なのです。なので、マトモな人間なら、日本人であれ外国人であれ、「反日」になるのが自然です。

http://kuantan-bin-ibrahim.blogspot.com/
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彡三ミミヽ       | ..|ヽ:.:.:.:冫': : :::/,,∠|  福沢諭吉・・・・・
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3:777 :

2023/08/18 (Fri) 12:38:16

人間の屑 福沢諭吉のした事
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14023531

漢民族系朝鮮人の天皇一族による極悪非道の世界侵略の歴史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14003198

日本の国体と日本人の信仰を完全に破壊した明治維新
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14006730

大東亜共栄圏というのは中国・東南アジアで麻薬を売ってぼろ儲けする体制の事だった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14006701

日本が朝鮮併合したのも満州や中国を植民地化したのも食料を増産するためだった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14006703

君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html

昭和天皇が戦争狂になった訳
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html

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