777投稿集 2482257


大神神社の初代神主のオオタタネコのミコトが記したとされる『ホツマツタヱ』

1:777 :

2023/08/15 (Tue) 08:12:08

大神神社の初代神主のオオタタネコのミコトが記したとされる『ホツマツタヱ』


縄文ホツマツタヱの旅【CGSいときょう】 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PL6mu43UnNThDc4VEosKvKotu3XFXaOZD9

もぎせかチャンネル ほつまの世界 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%82%E3%81%8E%E3%81%9B%E3%81%8B%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB+++%E3%81%BB%E3%81%A4%E3%81%BE%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C

もぎせかチャンネル いときょう先生のホツマを学ぶ - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%82%E3%81%8E%E3%81%9B%E3%81%8B%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB+++%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%82%87%E3%81%86%E5%85%88%E7%94%9F%E3%81%AE%E3%83%9B%E3%83%84%E3%83%9E%E3%82%92%E5%AD%A6%E3%81%B6


発見から解読まで/縄文叙事詩『ほつま』の世界01
もぎせかチャンネル
2023/08/14
https://www.youtube.com/watch?v=tn9U9zjyv0M&t=214s

『古事記』との決定的な違い/ほつまの世界02
もぎせかチャンネル
2023/08/15
https://www.youtube.com/watch?v=0NZVs4WJlaM

文字の謎、君が代の本歌/ほつまの世界03
https://www.youtube.com/watch?v=MW5tjux2OE8&t=1203s

古事記・日本書紀の謎に答える!/ほつまの世界04
https://www.youtube.com/watch?v=E8ot1N4iqVQ

『検証ほつまつたゑ』編集人・原田峰虎さん(とらさん)
https://www.facebook.com/torasan3776/?locale=ja_JP
https://www.instagram.com/torasan223/
https://twitter.com/mitoraminetora/status/1471807534868672524


▲△▽▼


ヲシテは古代文字なのか?/いときょう先生にホツマを学ぶ01
https://www.youtube.com/watch?v=Uw6kGk5ylEs&t=663s

神代七代からアマテルまで/いときょう先生にホツマを学ぶ02
https://www.youtube.com/watch?v=sYztPNa1nqw&t=556s

天孫降臨から神武東征まで/いときょう先生にホツマを学ぶ03
https://www.youtube.com/watch?v=RLfW7nf06T0&t=238s

欠史八代〜崇神天皇/いときょう先生にホツマを学ぶ04
https://www.youtube.com/watch?v=UoR4cxLF37o&t=115s

2023年9月22日のいときょう先生、茂木誠先生の対談を終えて
https://www.youtube.com/watch?v=iNzOdwVF2O4&t=308s


▲△▽▼


ホツマツタエ/ほつまつたゑ/秀真伝 解読ガイド
https://gejirin.com/index.html


徹底解説 ほつまつたえ講座 改訂版
https://gejirin.com/semi-hozma_index.html 

本講座は、2017年3月~2021年5月に “まぐまぐ” のシステムを用いて配信した有料メールマガジン『徹底解説ホツマツタヱ講座』の改訂版です。 
 

第1回 東西の名と蝕虫去る文 (1) 2023年6月23日
第2回      〃     (2) 2023年6月30日
第3回      〃     (3) 2023年7月7日
第4回      〃     (4) 2023年7月11日
第5回      〃     (5) 2023年7月12日
第6回 天七代 とこ酒の文 (1) 2023年7月15日
第7回     〃    (2) 2023年7月16日
第8回     〃    (3) 2023年7月18日
第9回     〃    (4) 2023年7月19日
第10回 一姫三男生む殿の文 (1) 2023年7月20日
第11回     〃     (2) 2023年7月21日
第12回     〃     (3) 2023年7月22日
第13回 日の神の瑞御名の文 (1) 2023年7月24日
第14回     〃     (2) 2023年7月25日
第15回     〃     (3) 2023年7月26日
第16回     〃     (4) 2023年7月27日
第17回     〃     (5) 2023年7月28日
第18回 和の枕言葉の文 (1) 2023年7月30日
第19回    〃    (2) 2023年7月31日
第20回    〃    (3) 2023年8月1日
第21回    〃    (4) 2023年8月3日
第22回 日の神十二后の文 (1) 2023年8月4日
第23回     〃    (2) 2023年8月5日
第24回     〃    (3) 2023年8月6日
第25回     〃    (4) 2023年8月7日
第26回     〃    (5) 2023年8月9日
第26回 遺し文 清汚を直つ文 (1) 2023年8月10日
第27回      〃     (2) 2023年8月13日
第28回      〃     (3) 2023年8月14日
第29回      〃     (4) 2023年8月15日
https://gejirin.com/semi-hozma_index.html


▲△▽▼


徹底解説 みかさふみ講座
https://gejirin.com/semi-mikasa_index.html 

・第58回 アワ歌の文 (6) 2023年6月16日
・第57回 アワ歌の文 (5) 2023年6月9日
・第56回 アワ歌の文 (4) 2023年6月2日
・第55回 アワ歌の文 (3) 2023年5月26日
・第54回 アワ歌の文 (2) 2023年5月19日
・第53回 アワ歌の文 (1) 2023年5月12日
・第52回 年内になす事の文 (3) 2023年5月5日
・第51回 年内になす事の文 (2) 2023年4月29日
・第50回 年内になす事の文 (1) 2023年4月21日
・第49回 埴纏りの文 (3) 2023年4月14日
・第48回 埴纏りの文 (2) 2023年4月7日
・第47回 埴纏りの文 (1) 2023年4月1日
・第46回 嘗事の文 (7) 2023年3月24日
・第45回 嘗事の文 (6) 2023年3月17日
・第44回 嘗事の文 (5) 2023年3月11日
・第43回 嘗事の文 (4) 2023年3月2日
・第42回 嘗事の文 (3) 2023年2月22日
・第41回 嘗事の文 (2) 2023年2月12日
・第40回 嘗事の文 (1) 2023年2月2日
・第39回 タカマ成る文 (8) 2023年1月22日
・第38回 タカマ成る文 (7) 2023年1月12日
・第37回 タカマ成る文 (6) 2023年1月2日
・第36回 タカマ成る文 (5) 2022年12月22日
・第35回 タカマ成る文 (4) 2022年12月12日
・第34回 タカマ成る文 (3) 2022年12月3日
・第33回 タカマ成る文 (2) 2022年11月23日
・第32回 タカマ成る文 (1) 2022年11月16日
・第31回 春宮の文 (4) 2022年11月6日
・第30回 春宮の文 (3) 2022年10月27日
・第29回 春宮の文 (2) 2022年10月17日
・第28回 春宮の文 (1) 2022年10月4日
・第27回 還十二の后立つ文 (5) 2022年9月24日
・第26回 還十二の后立つ文 (4) 2022年9月15日
・第25回 還十二の后立つ文 (3) 2022年9月5日
・第24回 還十二の后立つ文 (2) 2022年8月26日
・第23回 還十二の后立つ文 (1) 2022年8月17日
・第22回 一女三男の文 (5) 2022年8月9日
・第21回 一女三男の文 (4) 2022年7月26日
・第20回 一女三男の文 (3) 2022年7月14日
・第19回 一女三男の文 (2) 2022年7月6日
・第18回 一女三男の文 (1) 2022年6月24日
・第17回 酒法の文 (6) 2022年6月14日
・第16回 酒法の文 (5) 2022年6月3日
・第15回 酒法の文 (4) 2022年5月26日
・第14回 酒法の文 (3) 2022年5月19日
・第13回 酒法の文 (2) 2022年5月12日
・第12回 酒法の文 (1) 2022年4月20日
・第11回 起尽四方の文 (8) 2022年4月7日
・第10回 起尽四方の文 (7) 2022年3月30日
・第9回 起尽四方の文 (6) 2022年3月23日
・第8回 起尽四方の文 (5) 2022年3月10日
・第7回 起尽四方の文 (4) 2022年3月4日
・第6回 起尽四方の文 (3) 2022年2月24日
・第5回 起尽四方の文 (2) 2022年2月7日
・第4回 起尽四方の文 (1) 2022年1月28日
・第3回 クニナツが宣ぶ (3) 2022年1月17日
・第2回 クニナツが宣ぶ (2) 2022年1月11日
・第1回 クニナツが宣ぶ (1) 2022年1月4日
https://gejirin.com/semi-mikasa_index.html


▲△▽▼


謎の文字、フトマニ、君が代の本歌/ほつまの世界03
もぎせかチャンネル
2023/08/16
https://www.youtube.com/watch?v=MW5tjux2OE8


原田峰虎 | プロフィール
京都の東寺潅頂院そばで出生。寅年牡牛座B型波乱のペガサス。早稲田大学除籍処分。学生時代は亜細亜を彷徨いつつ世界一周。輸入貿易業を経て沼津港で30年間和風鮮魚料理店を経営。コロナ破産。ホツマツタヱ再発見者である松本善之助氏に出逢い、ホツマツタヱ読書人となる。ホツマ再発見50周年フォーラムを東京プレスセンターで、同年、タカシマ縄文サミットを近江高島でプロデュース。他方で、藤原角行の直系を嗣ぐ光清流不二御法家の法灯を伝える不二行者として垢離取りや滝行を指導中。研究同人誌『検証ほつまつたゑ』現編集長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
『フトマニ歌占い アマテラスがまとめた日本最古の占術』より
https://www.hmv.co.jp/artist_%E5%8E%9F%E7%94%B0%E5%B3%B0%E8%99%8E_000000000934092/biography/


フトマニ歌占い~アマテラスがまとめた日本最古の占術~ 2023/5/31
原田峰虎 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%8B%E6%AD%8C%E5%8D%A0%E3%81%84%EF%BD%9E%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%81%8C%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%80%E5%8F%A4%E3%81%AE%E5%8D%A0%E8%A1%93%EF%BD%9E-%E5%8E%9F%E7%94%B0%E5%B3%B0%E8%99%8E/dp/4867231312

本邦初公開!縄文時代から伝わる神秘の占い。記紀の原典『ホツマツタヱ』に登場する古代占術「太占(フトマニ)」。3つの数字で導かれる深遠な占いを現代風にわかりやすく解説。

目次 :
第1章 フトマニの謎を解く(アマテラス大御神が定めた占い/ 骨を焼いて占う太占とは違う歌占い ほか)
第2章 フトマニ歌占いの実際の手順―「卦」の定め方(誰でもすぐにできるフトマニ占い/ サイコロがなければトランプカード ほか)
第3章 フトマニの卦を解く(主象と親神と配象の「象文字」で読み解く/ 三重(みつかさね)にはご注意を ほか)
第4章 フトマニ歌占い一二八首(アマテラスにより三千年以上前に撰集された歌/ フトマニ歌占いページの見方 ほか)


縄文時代から伝わる神秘の占い。

記紀の原典『ホツマツタヱ』に登場する古代占術「太占(フトマニ)」。
3つの数字で導かれる深遠な占いを現代風にわかりやすく解説。

一日のはじめに、迷ったときに、新しいことを始めたいときに……、
古事記の神々も活用した歌占いがあなたを良き方へと導いてくれます。


『フトマニ』は、歌占いですが、歌に本質的な意味があるのではなく、
本書の裏表紙に描かれる『モトアケ(フトマニ図)』にすべてのカギが秘められています。
この『モトアケ』を読み解くことが、縄文人の宇宙生命観を解明することにつながるのです。
そもそも、『モトアケ』を取りまとめたのが伊勢外宮のトヨケ神で、
占いの128卦を註釈する歌を撰集されたのは伊勢内宮のアマテル神です。
その成立から深秘に満ちているのが、この『フトマニ』なのです。

日本国を建国した真実の祖神たるトヨケ神とアマテル神の宇宙生命観が、
日本人の、そして皇室に連綿と伝わる叡智の源泉となっているのです。
『フトマニ』の吉凶観・運命観を理解すれば、誰でも、あらゆる逆境を克服し、
安らかなる恵みの慈雨でその心身を「みそぐ」ことが出来るはずです。


▲△▽▼
▲△▽▼


古事記(原文・現代語訳・口語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/514.html

日本書紀(原文・現代語訳・口語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/513.html

先代旧事本紀 (現代語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/515.html

古語拾遺(現代語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/516.html
2:777 :

2023/08/15 (Tue) 08:15:53

日本人はどこから来たのか?【CGS 茂木誠 超日本史】
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14133679

世界最初の農耕文明を作った長江人の末裔の現在
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14034569

日本語のルーツは9000年前の西遼河流域の黍(キビ)農耕民に!
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14019324

金平譲司 日本語の意外な歴史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14020106

DNAからみた縄文人と弥生人 神澤秀明(国立科学博物館)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14088258

縄文人と弥生人 「日本人の起源」論争
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14058699

5~7世紀(三国時代) の朝鮮人は現代朝鮮人と同じだった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14059584

朝鮮人の起源
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14036232

朝鮮の無文土器時代人が縄文人を絶滅させて日本を乗っ取った
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007681

被差別同和部落民の起源 _ 朝鮮からの渡来人が先住の縄文人・弥生人をエタ地域に隔離した
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007586

天皇家は伊都国を本拠地として奴隷貿易で稼いでいた漢民族系朝鮮人
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007686

天皇家は2世紀に伊都国から日向・大和・丹後に天孫降臨した
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007799

神武東征 _ 当時世界最大の水銀生産地は奈良で、神武東征も水銀獲得の為だった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007798

邪馬台国は ヤマトノクニ と読むのが正しい
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007801

アイヌ人は北海道縄文人の直系の子孫、アイヌ語は縄文人が話していた言葉
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007570

オホーツク文化人の起源とアイヌ人との関係
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007585

琉球人は沖縄の先住民なのか?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007597

ユダヤ人の Y-DNA _ 日本にはユダヤ人の遺伝子は全く入っていない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007378

秦氏がユダヤ人だというのはド素人の妄想
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007812

朝鮮の無文土器時代人が縄文人を絶滅させて日本を乗っ取った
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007681

被差別同和部落民の起源 _ 朝鮮からの渡来人が先住の縄文人・弥生人をエタ地域に隔離した
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007586

ここまで分かった! 「古代」謎の4世紀
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14080144

考古学から見た新羅, 百済, 大加耶の対倭交渉 -5世紀前半代を中心にㅣ 高田貫太
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14092198

北九州市城野遺跡 "朱塗り石棺の謎" -発掘調査記録公開!-
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14122950

吉野ケ里遺跡の謎のエリアで見つかった石棺墓からは副葬品は見つからなかった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14117417

卑弥呼が眠っている!?箸墓古墳
https://www.youtube.com/watch?v=3G92G5lhqKg

3:777 :

2023/08/15 (Tue) 08:17:58

ヲシテ文献
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B2%E3%82%B7%E3%83%86%E6%96%87%E7%8C%AE

ヲシテ文献(ヲシテぶんけん、woshite)は、ヲシテで記述された五七調の長歌体の文献である。ヲシテ文献のことが「ヲシテ」と表現されることもある。

現存する文書としては、前編をオオモノヌシ(大物主)のクシミカタマのミコトが後編を編集して、大神神社の初代神主のオオタタネコのミコトが記したとされる『ホツマツタヱ』、前編をアマノコヤネのミコトが記して、後編を伊勢神宮の初代の神臣(クニナツ)ヲヲカシマのミコトが編集したとされる『ミカサフミ』、さらに、アマテルカミ(記紀にいう天照大神)が編纂して占いに用いたと伝えられている『フトマニ』等が発見されている。

これらの成立時期は不詳であるが、少なくとも江戸時代中期にまで遡ることが可能である。歴史学、日本語学等の学界においては、戦前から清原貞雄らにより後世の偽書であるとされ[1]、近年も日本史学の分野では武光誠、日本語学の分野では飯間浩明らにより江戸時代に神道家によって作成された偽書であるとされていた。だが、松本善之助により『ホツマツタヱ』の全文が発見されたのは、昭和41年(1966年)であり、その後の、吾郷清人や鳥居礼などの研究家からは古史古伝のひとつであるとされていた。しかし、漢字が渡来する以前に日本で通用していた文字と文献であって、後世の偽造とされる神代文字・古史古伝とは全く異なるとの主張もあらたに提出されている。文献全体の包括的な史料批判は、池田満によってなされている[2]。

ヲシテ文献はいずれも、江戸時代中期にはすでに存在していたことがいえる。例えば、江戸時代に奈良の西大寺の末寺の僧侶溥泉(ふせん)によって書かれた『朝日神紀』『春日山紀』、京都の天道宮の神主小笠原通当による『神代巻秀真政伝』などに、ヲシテで記された『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』が引用されている。また、『和字考』『神字日文伝』などにヲシテの文字が記録されている[3][4]。

原書
成立当初に存在したと考えられる文書。文書内の記述によると、複数回に分けて編集され、最終的に完成したのは、人皇12代ヲシロワケ(景行天皇)の57年である。ヤマトタケ(記紀にいう日本武尊)が崩じたのに伴い、国政の混乱が予想された。ヤマトタケの遺言に基づき、ヲシロワケの勅令により次の3つの文書が編纂されたとされる。同一の世界観をもち、同一の文字ヲシテによって記述されている。成立当初は、布に染め付けられていたと記述されているが、原本は失われている。現存するのは、和装の和紙に墨書されたその写本とされるもので、少なくとも江戸時代中期に遡れる。

カクのミハタ(漢訳表記されて、天香山本記、神嶺山伝記等、「カグのフミ」ともいう)
龍谷大学所蔵の『トシウチニナスコトのアヤ』は、『カクのミハタ』に所収されていたと考えられる。最古の写本は溥泉(ふせん)伝本で、『神嶺山伝記歳中行事紋(トシウチニナスコトノアヤ)』 宝暦15年(1764年)以前の写本。
『フトマニ』も、この『カクのミハタ』に所収されていたと考えられる。
『アワウタのアヤ』(富士山御師の本庄家伝来)も「カクのミハタ」に所収であったと考えられる。溥泉の引用文中にも一部の文章が記載されていた。江戸時代の中頃の写本。写本者は不明。影印版を掲載した解説書が出版されている。『よみがえる縄文時代 イサナギ・イサナミのこころ』(池田満、展望社)。
『カクのフミ』は、全巻で100アヤにものぼるという。『ホツマツタヱ』27アヤ33ページに根拠の記録がある。  
フトマニの最古の写本(野々村立蔵本)は、幕末から明治期。但しフトマニの記述の内容は、ホツマツタヱとミカサフミに含まれている。また、ホツマツタヱ23アヤに、エッセンスが説かれている。
ミカサフミ(漢訳表記されて、神載山書記・三笠山紀等)
全64アヤ。9アヤ分のみ発見。五七調の長歌体になる、歴史書でもあり、哲学にも特に詳しい。
最古の写本は、和仁估安聡写本 安永8年(1779年)以前。
ホツマツタヱ(漢訳表記されて、秀真政伝紀・秀真伝・政伝記等)
全40アヤ。全巻のアヤは発見ずみ。五七調の長歌体になる歴史書であり、哲学書でもある。五七調、1万行以上にも上る、膨大な文章。
最古の写本は、和仁估安聡写本 安永4年(1775年)以前。
引用文書
原書の一部が引用されている文書。

朝日神紀 溥泉(ふせん)著 安永8年(1779年)ごろ(草稿本、龍谷大学所蔵)
春日山紀 溥泉(ふせん)著 安永8年(1779年)以前 (草稿本、龍谷大学所蔵)
春日山紀 溥泉(ふせん)著 安永8年(1779年) 刊行本(安永9年版もあり)
神明帰仏編 溥泉(ふせん)著 安永8年(1779年)ごろ(草稿本、龍谷大学所蔵)
生洲問答 和仁估安聡著 安永8年(1779年)(草稿本、野々村直大氏所蔵)
神代巻秀真政伝 小笠原通当著 天保14年(1843年) 刊行本
字形伝来文書
ヲシテの字形のみ引用されている文書。

和字考 敬光著 寛政5年(1793年)
神字伝 金鳳子著 寛政6年(1794年)
神字日文傳「疑字篇」 平田篤胤著 文政2年(1819年)
神代神字弁 釈頓慧著 嘉永2年(1849年)
神代文字捏造ブームと偽書疑惑
江戸時代に国学が隆盛し、漢字伝来以前の日本が独自の文字を有していたとの説が広がった。その為、「神代文字(しんだいもじ・かみよもじ)とよばれる多くの文字が創作された。

ヲシテ文献を記述している文字「ヲシテ」は、その神代文字のひとつであるとするのが学会における定説である。古筆研究者の小松茂美によると、捏造された文字であるとする根拠は次の4つである。

鎌倉時代までの古文献では、漢字の伝来以前に、わが国に文字がなかったと記されている[5]。
上代特殊仮名遣におけるかな文字の区別が見られないということ。すなわち、母音の差異に基づく甲・乙両種の音の区別が消えるのは、10世紀の半ばであると考えられる。仮に神代文字が存在していたものとすれば、これら甲・乙両種の音を表す文字が当然なければならない。
神代文字は47文字または50文字で成り立つと言われているが、その数の基礎は「いろは歌」と「五十音図」に求められる。ところが「いろは歌」は9世紀はじめにつくられ、「五十音図」もその最古の例は11世紀はじめであり、年代が合わない。
字形を提示しての神代文字は、すべて江戸時代以降に成る。それも、有力なものは表音文字が音節文字で字母表としてのみ掲示され、ことばを表記した痕跡はない。
神代文字のひとつによって記述されている文書ということ等から、ヲシテ文献も偽書であるとされていたが、池田満により、『古事記』『日本書紀』の原書であると証明する新説も提示されている[6]。

ヲシテ文献の成立と伝承・再発見
ヲシテ文献の成立
文書内の記述によると、「原書」としたものにも先行文献(「ミソギノフミ」(『ホツマツタヱ』5アヤ2ページ)「ミミノハ」(『ホツマツタヱ』16アヤ62ページ)など)があったことが記されている。これらを基に「原書」は編纂された。アマテルカミ(記紀にいう天照大神)の崩御、アマノコヤネの逝去、そして、神代12代のウガヤフキアワセズの崩御がほぼ同時期に起こり、ヤマトウチ(記紀にいう神武東遷)が予定されたため、後世の根本資料とするために編纂され、宮中に奉納された。これが「原書」の前半部である。その後、文書内の暦で約800年後、ヤマトタケ(記紀にいう日本武尊)が崩じたのに伴い、国政の混乱が予想され、ヤマトタケの遺言に基づき、人皇12代ヲシロワケ(景行天皇)の勅令により、ヲシロワケの57年に「原書」の後半部が編纂され、宮中に奉納された。その際、前半部の校正も行われたとされる。

文献の伝承
その後、この文献がどのように伝承されたのかは分っていない。ある時期までは、宮中にて「正史」として把握され管理されたと想像される。しかし、漢字や漢文の流入により、いつしか忘れ去られ、物部氏の滅亡に代表される古い豪族の衰亡、藤原氏の仏教への傾倒などによって、管理もおろそかになっていったものと思われる。生洲問答によれば、道鏡の時代にはまだヲシテ文献の原書が全巻そろっていたという。吉備真備は、天香山本記(カグノフミ)・神載山書記(ミカサフミ)・秀真政伝紀(ホツマツタヱ)を所蔵していた。しかし、道鏡により文書の改ざんが指示され、文書を守る為に大加茂臣赤坂彦が自刃し、子孫は和仁估氏を名乗り文書を隠し持って近江へ蟄居し、その後秘伝の書としたという。また、桓武天皇が最澄に秀真政伝紀(ホツマツタヱ)を託し、比叡山の石室に納めたともいう。しかしながら、これらを裏付ける資料は見つかっていない。

近世における伝承
江戸時代中期から、検証可能な形で文書の伝承が確認されている。ひとつは、奈良の律宗の寺院で西大寺の末寺である寂照寺の住職であった僧溥泉(ふせん)の下である。溥泉は、先師よりホツマツタヱとミカサフミおよびカクのフミの写本を見せられ、朝日神紀・春日山紀・神明帰仏編を記し、その中でそれらを引用した。この内、春日山紀は安永8年(1779年)に出版された。溥泉の蔵書は、現在龍谷大学の図書館に所蔵されている。しかしながら、ヲシテ文献の写本はカクのフミの1アヤ分のみしか発見されていない。

もうひとつは、和仁估(わにこ)氏の末裔であると称する近江の和仁估安聡のところである。和仁估は祖父より写本を相伝し、ヲシテ文献について研究を重ねた。そして、写本の校正と漢訳を試みた。その際、比叡山の石室に納められた写本をも参照したという。また、写本を伏見宮家にも奉納したという。和仁估によるホツマツタヱとミカサフミの写本(いずれも漢訳付)は発見ずみである。ただし、伏見宮家にあるという写本、あるいは比叡山の写本は発見されていない。

確認されている和仁估によるホツマツタヱの写本2種の内、漢訳のない写本は天保年間に京都の天道宮の神主を務めていた小笠原通当に貸し出された。小笠原は溥泉の春日山紀を読んで読解の方法を知り、神代巻秀真政伝をまとめて天保14年(1843年)に刊行した。その後、この写本は、子孫の小笠原長弘に継承され、長弘によって返還されたがその後原本は失われた。長弘によって写された写本および、その甥の小笠原長武によって写された写本が現存している。

長弘は明治7年(1874年)正木昇之助と共にホツマツタヱの一部を抜粋し、宮中に奉呈しようと試みた。この写本は、現在「奉呈本」とよばれている。その後、長武によって完写本が内閣文庫に収められた。長武は、ホツマツタヱと古事記・日本書紀の同一内容の箇所を比較して研究することをはじめて試みている。松本善之助や池田満の現代研究につながる端緒を小笠原長武が開いたと言える。

これらの動きはあったが、ヲシテ文献は世間に知られることもなく埋もれていた。

写本再発見の経緯
写本の再発見は、「現代用語の基礎知識」の初代編集長をしていた松本善之助が「本当の日本とは何なのだろうか?」との疑問に取り付かれたことから始まった。昭和41年(1966年)8月に東京・神田の古本屋でみつけたのが、後に「奉呈本」(現在、池田満所蔵)とよばれる写本だった。

「奉呈本」には3アヤしか収められていなかったため、松本は全巻の捜索に取り組み、四国の宇和島の旧家小笠原家で、ホツマツタヱ全巻の写本を2つ発見(内1写本は「覆刻版ホツマツタヘ」として印影版が出版)、さらに、国立公文書館の内閣文庫にも全巻の写本が収蔵されているのを発見した。平成4年(1992年)には、滋賀県高島市安曇川町の日吉神社からホツマツタヱ全巻の親写本が発見された。この写本は、『和仁估安聡本ホツマツタヱ』として印影版が出版された。これらの再発見の後、近代的な研究がはじめられるに至っている。再発見の経緯は『ホツマツタヱ発見物語』(松本善之助:著、池田満:編、展望社)によって公表されている。

写本が近世まで秘匿された理由の推測
真書であるという立場の論者の間では、一般に『日本書紀』編纂者の意図は、中国(唐)に対する外交政策を有利にするために、日本にも皇帝に匹敵する天皇がおり、正史を漢字で記すだけの文明があると証明する必要があると考えて、漢字で記された歴史書を作ったという見方が定着している。

中国の皇帝は、天帝思想であり、天から使命を得て帝位についている。ヲシテ文献の研究家である池田満は[3]、ヲシテ文献の中で当時カミヨ(上代/神代)と呼ばれた歴史について、記紀の編纂にあたり、地上でのできごとではなく天上でのできごとであることにし、日本の天皇も皇帝と同じく天帝であると潤色したのではないか、と推定している。ヲシテ文献のひとつ「ホツマツタヱ」のカミヨ(上代/神代)の記述の内、アマカミ(古代の天皇の名称)の記述以外、臣下であるトミ・オミ(臣)の記述は全く神代の時代の記紀に見られないからである。真書説の立場からは、朝廷が、当時の国字であったヲシテを捨て、漢字を国字に、漢文を公文書の公用語として採用した。そして記紀が成立し、日本書紀が正史とされ、漢字・漢文により表現する時代が長くなると、ヲシテを振り返るものもなくなり、いつしか秘伝の書とされるに至ったのではないかと推測されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B2%E3%82%B7%E3%83%86%E6%96%87%E7%8C%AE


▲△▽▼


ホツマツタヱ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%84%E3%83%9E%E3%83%84%E3%82%BF%E3%83%B1

『ホツマツタヱ』は、「ヲシテ」なる「文字」(いわゆる「神代文字」の一つである)を使っているいわゆる「ヲシテ文献」のひとつ。『古事記』『日本書紀』の原書であると根強く考える者も一部に存在する[1]。

五七調の長歌体で記され、全40アヤ(章)・10700行余で構成された、肯定派の研究者によれば記紀の「原書」であるという、いわゆる「古史古伝」のひとつである。その成立時期は、記紀との内容比較から『古事記』『日本書紀』よりも古いという主張もあるが、写本の出現時期などからは少なく見積もった場合、江戸時代中期までしか遡れない。『春日山紀』(安永8年、1779)の存在による[2](『春日山紀』は、江戸時代当時の木版活版での印刷出版物である。岩波書店版『国書総目録』に記載あり)。

概要
『ホツマツタヱ』の成立時期は不詳であるが、安永8年版と安永9年版の二種類の版本が『春日山紀』にある。『春日山紀』には、『ホツマツタヱ』の40アヤの各所からの引用文がヲシテ文字の原文で縦横に掲載されている。

文献全体の包括的な史料批判は、池田満によって『定本ホツマツタヱ』(展望社)が上梓されて、『古事記』『日本書紀』との原文の内容比較がなされている。また、『日本書紀』『古事記』との、内容比較においてどう判断してゆくかは、『ホツマツタヱを読み解く』(池田満、展望社)によって公表されている。また、『ホツマツタヱ』などの内容についての総合的な解説は『ホツマ辞典』(池田満、展望社)によって、年表や、系図も付録されて詳しく公表されている。

『ホツマツタヱ』には、複数の写本が現存している。幾つかの写本では「ホツマツタへ」「ホツマツタエ」とも、また漢訳されて「秀真伝」「秀真政伝紀」とも表記されている。[3]『ホツマツタヱ』と同様の文字による古文書である『ミカサフミ』(「三笠紀」)『フトマニ』(「太占」)も発見されている。この3書に使われている文字は同一で、文書の中では「ヲシテ」と呼ばれている。

更に『よみがえる日本語-ことばのみなもと「ヲシテ」』(池田 満・青木 純雄・平岡 憲人 明治書院)や『よみがえる日本語II-助詞のみなもと「ヲシテ」』(池田 満・青木 純雄・斯波 克幸)の出版を受けて、さらにその勢いは増しつつある。

諸写本の微妙な文字の違いの校異の表記、『古事記』『日本書紀』と『ホツマツタヱ』の3書比較、『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』『カクのフミ(フトマニなど)』の総合的な研究とその本来のあるべき姿への復権が進められつつある(参考図書を参照のこと)。

ホツマツタヱの文字と類似文献
ヲシテ(ホツマ文字)は1音1字の文字である。母音要素(母態)と子音要素(父相)の組み合わせで成り立っている。48文字の基本文字があり、変体文字を含めると197文字が確認されている。文字について詳しくは、『ヲシテ』を参照のこと。

同時代のヲシテ(ホツマ文字)で書かれた文献には、伊勢神宮初代の神臣(クニナツ)オオカシマ命が記した『ミカサフミ』、アマテルカミ(記紀にいう、天照大神)が編纂して占いに用いたと伝えられている『フトマニ』などが発見されている。類似文献について詳しくは、『ヲシテ文献』を参照のこと。

ホツマツタヱの意味
従来説(和仁估安聡説)
漢訳すると『秀真』となる。『ツタヱ』は『伝え・言い伝え』であり、『ホツマツタヱ』は、『まことの中のまことの言い伝え(真の中の真の言い伝え)』の意味である。『正式の伝記・正式の歴史書・正史』という意味となる。

新説(ヲシテ言語学説)
『ホ』はそれぞれの名家に伝承されていた文書を示すとすし、あえて漢訳するとしたら『文』が適切であるとする。『ツ』は名家に伝承されていた複数の文書を集めるイメージになっており、あえて漢訳するとしたら『集』が適切であるとする。『マ』は集めた文書を平たく受止めたうえで、一つの筋に纏めて次に進めるというイメージになっている。現代語でいうと『編集』である。あえて漢訳すれば、『纏』が適切であるとする。いくつもの名家に伝わった文書を集めて、編集して、一つの文書に結実させてゆくプロセス。そのプロセスを『ホツマ』と命名しているとし、『ホツマツタヱ』はこうしたプロセスを経て纏められた文書群を後世に伝えたものであるとする。あえて漢訳すると、『文集纏伝』となる。この説はヲシテ文字の形に込められている意味やイメージを研究した結果導き出されたものであるとされる。[4]

ホツマツタヱの内容

あわうた
(小笠原長弘写本ハツアヤより)。全編がこのようなヲシテによる長歌で記述される。ヲシテの右にあるのは、伝承中に付加されたふりがな。
『ホツマツタヱ』は、アメツチの始まり(天地開闢)から、カミヨ(記紀にいう神代)、そして初代人皇のカンヤマトイハワレヒコ(神武天皇)を経て人皇12代のヲシロワケ(景行天皇)の56年までを記述している。

1アヤから28アヤまでが前編で「クシミカタマ」の編集、29アヤから40アヤは後編で「オホタタネコ」(大田田根子)の編著による。

皇室の祖先が8代アマカミのアマテルカミ(天照大神)や初代アマカミのクニトコタチまで遡る。

『ホツマツタヱ』では、上記の歴史の他、ワカウタ(和歌)の成立、アワ歌という48音の基本音を表すウタおよび「縄文哲学」の詳しい記述、皇室の成立と歴史、結婚の法、イミナの意味、ミソキの方法、正しい食事の法、マクラ言葉(枕詞)の意味、刑罰の法、国の乱れの原因、国の意味、統治理念、ヲシテという文字のなりたち、ミクサタカラ(三種の神器)(タマ・カカミ・ツルキ)の成立と意味、トノヲシテと呼ばれる当時の憲法、国号の変遷、乗馬の法、各地の馬の品種、トリヰ(鳥居)の意味、自然神の祭祀、大宇宙とヒトの関係、暦の法、ヤマトウチ(神武東遷)の背景、天皇即位の儀式の変遷、ツツウタの意味、葬儀の法などが述べられている。

また、歴代の天皇のイミナ(実名)と陵墓、伊勢神宮他主要な神社の創建のいわれ、ヤマトコトハ(大和言葉)の語源なども述べられている。

真書であれば、日本の国の創建と古代日本の文明を明らかにする書物ということになるが、その根拠は乏しい。真書としての根拠の提示に、池田満は、『定本ホツマツタヱ』(松本善之助 監修、池田満 著、展望社)、および、『ホツマツタヱを読み解く』(池田満 著、展望社)、『ホツマ辞典』(池田満、展望社)などを出版して世に問うている。「縄文哲学」の言葉は、池田満の命名による。また大田田根子命は崇神天皇と同世代の人物であり、景行天皇までの歴史を編纂したという内容には矛盾がある。



完本として公開されている写本
和仁估安聡本(やすとし本) 40アヤの全巻あり
滋賀県高島市、藤樹記念館にて保管
漢訳文付本
写本自序;安永4年・1775
1992年発見
『和仁估安聡本ホツマツタヱ』(わにこやすとしほん ほつまつたえ)として印影版が市販された。
現在につたわり公開されている写本すべての親本。21アヤがカタカナ表記。28-41(4行)カタカナ表記。
小笠原長弘本(ながひろ本) 40アヤの全巻あり
宇和島市、小笠原家所蔵
写本時代、明治33年頃/1900頃
1967年発見
『覆刻版ホツマツタへ』として市販された。
抜け行の多い写本。特殊ヲシテ表記が少ない。古い濁音表記が少ない。数詞ヲシテ(数詞ハネ)の表記が少ない。13アヤで8行、16アヤで8行の抜け個所あり。
小笠原長武本(ながたけ本) 40アヤの全巻あり
16アヤまで:池田満保管、17~40アヤ:宇和島市、小笠原家所蔵
写本時代、明治期;1868〜1921
数詞ヲシテの表記が多い。13アヤで8行の抜け個所あり。
内閣文庫所蔵本(小笠原長武写本) 40アヤの全巻あり
国立公文書館、所蔵
写本時代、明治期;1868〜1921
国立公文書館で閲覧できる。
小笠原長武本と同等。数詞ヲシテの表記が多い。13アヤで8行の抜け個所あり。


目録
和仁估安聡本(やすとし本) ホツマツタヱの目録 「ヲシテをカナに直したもの(と漢訳文)」

古い時代の、ヲシテ文献の成立時代には、アヤの番号での呼び名は「ふそむのあやに」(ホ0-18)の用例がある事から、アヤ番号は用いられていた事が判る。だが、「アのヒマキ」などの区分は、ヲシテ時代においておこなわれていたのかどうかは、根拠がない。

アのヒマキ(天の巻)
コトノベのアヤ (序)
キツのナとホムシさるアヤ(1.東西の名と穂虫去るアヤ)
アメナナヨトコミキのアヤ(2.天七代、床御酒のアヤ)
ヒヒメミオうむトノのアヤ(3.一姫三男生む殿のアヤ)
ヒノカミのミズミナのアヤ(4.日の神の瑞御名のアヤ)
ワカのマクラコトハのアヤ(5.和歌の枕言葉のアヤ)
ヒノカミソフキサキのアヤ(6.日の神十二后のアヤ)
ノコシフミサガをたつアヤ(7.遺し文サガお絶つアヤ)
タマがえしハタレうつアヤ(8.魂返しハタレ撃つアヤ)
ヤクモウチコトつくるアヤ(9.ヤクモ撃ち琴つくるアヤ)
カシマたちツリタイのアヤ(10.鹿島断ちツリタイのアヤ)
ミクサゆつりみうけのアヤ(11.三種神器譲り、御受けのアヤ)
アキツヒメアマカツのアヤ(12.アキツ姫、天が児のアヤ)
ワカヒコイセススカのアヤ(13.ワカ彦、伊勢、鈴鹿のアヤ)
ヨツギのるノトコトのアヤ(14.世継ぎ告る祝詞のアヤ)
ミケヨロツなりそめのアヤ(15.御食、万、生成のアヤ)
はらみつつしむヲビのアヤ(16.胎み慎しむ帯のアヤ)
ワのヒマキ(地の巻)
カンカガミヤタのナのアヤ(17.神鏡八咫の名のアヤ)
ヲノコロとまじなふのアヤ(18.オノコロとまじなふのアヤ)
ノリノリヒトヌキマのアヤ(19.ノリノリヒトヌキマのアヤ)
スメミマゴトクサゑるアヤ(20.皇御孫十種神宝得るアヤ)
ニハリミヤノリさたむアヤ(21.宮造り法の制定のアヤ)
ヲキツヒコヒミツのハラヒ(22.オキツヒコ火水のアヤ)
ミハさためツルキナのアヤ(23.御衣定め剱名のアヤ)
コヱクニハラミヤマのアヤ(24.コヱ国ハラミ山のアヤ)
ヒコミコトチをゑるのアヤ(25.ヒコ命鉤を得るのアヤ)
ウカヤアヲイカツラのアヤ(26.ウガヤ葵桂のアヤ)
ミオヤカミフナタマのアヤ(27.御祖神船魂のアヤ)
キミトミノコシノリのアヤ(28.君臣遺し法のアヤ)
ヤのヒマキ(人の巻)
タケヒトヤマトうちのアヤ(29.神武大和討ちのアヤ)
アマキミミヤコトリのアヤ(30.天君、都鳥のアヤ)
ナヲリカミミワカミのアヤ(31.ナオリ神ミワ神のアヤ)
フジとアワウミミズのアヤ(32.富士と淡海瑞のアヤ)
カミあがめヱヤミたすアヤ(33.神崇め疫病治すアヤ)
ミマキのミヨミマナのアヤ(34.ミマキの御世任那のアヤ)
ヒボコきたるスマイのアヤ(35.ヒボコ来る角力のアヤ)
ヤマトヒメカミしつむアヤ(36.ヤマト姫、神鎮むアヤ)
トリあわせタチバナのアヤ(37.鶏合せ、橘のアヤ)
ヒシロノヨクマソうつアヤ(38.ヒシロの世、クマソ撃つアヤ)
ホツマうちツズウタのアヤ(39.ホツマ撃ち、つず歌のアヤ)
アツタカミヨをいなむアヤ(40.アツタ神、世をいなむアヤ)


参考文献

出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2017年11月)
『「〔ホツマツタヘ〕」の成立〈本文篇 1〉』松本善之助(「ホツマツタヘ」中の神武天皇 の記事を「古事記」「日本書紀」 の同部分と比較して) ホツマツタヘ研究会 1973/08
『ホツマツタヘ」―秘められた日本古代史』 松本善之助 毎日新聞社 1980/07
『続 ホツマツタへ―秘められた日本古代史』 松本善之助 毎日新聞社 1984/01
『謎の秀真伝』ー神代文字で書かれた原日本の実像 佐治芳彦 徳間書店 1986/06
『言霊―ホツマ』THE WORD SPIRIT 鳥居礼 たま出版 1998/05
『ホツマ辞典-漢字以前の時代へ-』池田 満 ホツマ刊行会・展望社 ISBN 4885460190 出例個所の明示もしている。ヲシテ時代での語意の解説、系図の付録、年表の付録あり。1999/06
『「ホツマツタヱ」を読み解く―日本の古代文字が語る縄文時代』池田 満 展望社 ISBN 9784885460838 2001/11
『定本 ホツマツタヱ』(池田 満=校訂・編集) 展望社 ISBN 4885460867 ※ヲシテ表記・フリガナつき・校異の頭注付き・写植活字組み版 2002/03
『神代の風儀』ー「ホツマツタヱ」の伝承を解く 鳥居礼 新泉社 2003/02
『縄文人のこころを旅する-ホツマツタヱが書き直す日本古代史-』*池田 満 展望社 ISBN 4885460980 2003/05
『記紀原書ヲシテ』(上・下) 展望社 ※ヲシテ表記・フリガナなし・校異の脚注付き・写植活字組み版 2004
『よみがえる日本語-ことばのみなもと「ヲシテ」』池田 満・青木 純雄・平岡 憲人 明治書院 ISBN 4625634075 2009/05
『甦る古代 日本の誕生』ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩 千葉富三 文芸社 2009/07
『ホツマで読むヤマトタケ(日本武尊)物語」』―古事記・日本書紀が隠した日本神話の真実 池田満 展望社 2010/08
新訂『ミカサフミ・フトマニ』―校合と註釈 池田満 日本ヲシテ研究所 2012/04
『甦る古代 日本の真実』 全訳秀真伝 記紀対照―1300年の封印を解く 千葉富三 文芸社 2012/08
『よみがえる日本語II-助詞のみなもと「ヲシテ」』池田 満・青木 純雄・斯波 克幸 明治書院 ISBN 4625634156 2015/07
『はじめてのホツマツタヱ 天の巻』今村聰夫他 かざひの文庫 2015/09
『秀真伝にみる神代の真実』古事記・日本書紀ではわからない歴史と思想 加固義也 たま出版 2015/10
『はじめてのホツマツタヱ 地の巻』今村聰夫他 かざひの文庫 2016/04
『はじめてのホツマツタヱ 人の巻』今村聰夫他 かざひの文庫 2016/08
『ホツマツタヱ入門書 勉学のすすめ』吉田六雄 ホツマツタヱ史学研究会 ISBN 978-4-9909679-6-3 2022/2 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%84%E3%83%9E%E3%83%84%E3%82%BF%E3%83%B1
4:777 :

2023/08/16 (Wed) 07:40:27

ホツマツタエとは?神代文字の原文を読み解く!偽書についても解説
2022 10/29
https://amaterasu49.com/media/spiritual/1189/

ホツマツタエとは?

皇大神社(こうたいじんじゃ)元伊勢伝承地(吉佐宮)

『ホツマツタエ/ホツマツタエ』はいわゆる日本の古代文書で、古代大和ことばで綴られた一万行に及ぶ叙事詩です。漢字で『秀真伝』と書きます。

時代的には、縄文後期中葉から弥生、古墳前期まで約一千年の神々の歴史・文化を今に伝えており、古事記や日本書紀で省かれたとされる挿話や逸話が多く記述されています。

この『ホツマツタエ』と呼ばれる古文書は、景行五十六年(第12代天皇『景行天皇』の在位中)に三輪臣大直根子命(みわのとみおおたたねこのみこと)によって編纂、献上されたものとされています。

ちなみに、景行天皇はあの『日本武尊(やまとたけるのみこと)』の父とされる天皇です。

ホツマツタエは『あ』の巻、『わ』の巻、『や』の巻の三巻四十紋で構成されており、秀真(ホツマ)文字とも呼ばれる神代の古代文字、ヲシデで執筆されています。

また、『ホツマツタエ』と同時期に編纂された書物に『ミカサフミ』『フトマニ』があり、これら三冊を纏めて『ヲシテ/ヲシデ文献』と呼ばれます。

『ホツマツタエ』は機織り(ハタオリ)を基本として書かれているため、『章』という区切りではなく『紋(あや)』を使っています。

ホツマツタエの原文を読み解く

ヲシデで書かれた原文の「東西」の名と穂虫去る紋の冒頭

それでは、ホツマツタエにはどんなことが書いてあるのか、一紋から一説抜粋して紹介していきたいと思います。

“キツノナトホムシサルアヤ――「東西」の名と穂虫去る紋(綾 /文 /アヤ)”より

原文かな

ソレハワカ ワカヒメノカミ ステラレテ ヒロタトソダツ カナサキノ ツマノチヲヱテ アウアウヤ テフチシホノメ ウマレヒハ カシミケソナエ タチマヒヤ ミフユカミオキ ハツヒモチ アワノウヤマヒ モモニヒナ アヤメニチマキ タナハタヤ キククリイワヒ ヰトシフユ ヲハハカミキル メハカヅキ コトバオナオス アワウタオ ツネニオシヱテ アカハマナ イキヒミニウク フヌムエケ ヘネメオコホノ モトロソヨ ヲテレセエツル スユンチリ シヰタラサヤワ アワノウタ アダガキウチテ ヒキウタフ オノツトコヱモ アキラカニ ヰクラムワタヲ ネコヱワケ フソヨニカヨヒ ヨソヤコエ コレミノウチノ メグリヨク ヤマヒアラネバ ナカタエリ スミヱノヲキナ コレオシル         
原文書き下し

それ和歌は 和歌姫の神 捨てられて 捨(ヒロ)たと育つ 金析命(カナサキノミコト)の  妻の乳を得てアワウワや 手打ち潮の眼 生れ日は  炊御食(カシミケ)供え 立ち舞ひや 三年冬(ミフユ)髪置き 桃に雛   菖蒲に粽(ちまき)棚機や 菊栗祝ひ 五年(ヰトシ)冬  男(ヲ)は袴着る 女(メ)は被衣(カヅキ) 言葉を直す アワ歌を 常に教ゑてアカハマナ イキヒミニウク フヌムエケ ヘネメオコホノ モトロソヨ ヲテレセエツル スユンチリ シヰタラサヤワアワの歌  葛垣琴打ちて 弾き歌う  自づと声も 明らかに  五臓六腑(ヰくらむわた)緒 音声分け  二十四四十八(よそや)声  これ身の内の 循り良く  病あらねば 永らえて  住江(住吉/スミヱ)の翁 これを知る
ホツマツタエの訳、意味について解説

はじめてのホツマツタエ

前項目で触れた抜粋部分の現代語訳としては以下のようになります。

現代語訳

そもそも和歌は、和歌姫が捨てられていたところを金析命(カナサキノミコト)に拾われ育てられたことから始まります。金析命の妻の乳を飲んで育ち、「アワワ」と声を出したり、手を打って良い顔をした。子供が生まれると神にお供えをして家族や親族に加える儀式を行い、三歳の冬には髪置きの儀(三歳まで赤ん坊は髪の毛を剃っているが、髪を伸ばすのを許される)をする。元日(一月一日の朝)には餅を供えて、天地(アワ)の神を祭る。桃の花の季節には雛の祭りをして、菖蒲(アヤメ)の季節には粽を備え、夏には棚機(タナハタ)の儀式を行い、秋は栗や菊を供えて祝うのだ。(子供が)五歳になると、男の子は袴を着て、女の子は被衣(キヌカヅキ)の儀式をして、正しい言葉を学ぶように、アワ歌を常に教えるようになる。この『アワの歌』は、葛垣琴(カダガキ。琴の原形のような楽器といわれる)を弾きながら合わせて歌うと、自ずと言葉も身に付き、心や体に音や言葉で二十四の音が沁み入り、四十八音で身について体内を良く循環して病気にもならず長生きをする。住江(スミヱ)の翁(金析命/カナサキ)はこの事についてよく知っていた。
このように古事記と同様に神々の歴史・文化を今に伝えており、人間はどう暮らせば良いのかを指し示す挿話や逸話が描かれています。

全編を載せている書籍を次のページで紹介しますので、興味のある方は是非読んで古事記との違いを確認してみてはいかがでしょうか。


ホツマホタエでは天照は男? 昼子姫とヒヨルコと天照大神。消えた姫と男神(天照大神)の謎
古事記・日本書紀とホツマツタエの記述の大きな違いの一つに、天照大神の性別が違う事があります。

太陽を司る女神として当たり前に信仰されている天照大神ですが、ホツマツタエにおいては男の神様として登場します。

初めて聞く方からすればとても驚かれるかもしれませんが、ホツマツタエでは天照大神は男神です。

では、古事記・日本書紀で語られている天照大神のエピソードはホツマツタエでは一体どうなっているのかというと、日本書紀で天照大神として描かれている部分には昼子姫という神様が収まっています。

昼子姫は古事記には居ません。そしてホツマツタエに出てくる昼子姫と古事記・日本書紀に出てくる蛭子は語感は似ていますが、これもまた別の存在です。

これだけだと何が何やらさっぱり分からないと思いますが、順に整理していくと以下のような話になります。

古事記・日本書紀において伊弉諾(イザナギ)、伊弉冉尊(イザナミ)の二神が生んだのは。

①天照大神

②月読尊

③蛭子

④素戔嗚尊(スサノオノミコト)

こうなっているのですが、ホツマツタエでは。

①昼子姫(和歌姫)

②ヒヨルコ

③天照大神

④月読尊

⑤素戔嗚尊(ソサノオノミコト)

となっています。

“ヒヨルコ”とは「ひ弱なる子」という意味です。古事記・日本書紀で蛭子として登場する子ですが、このホツマツタエでは別の存在として登場する昼子姫とヒヨルコが古事記・日本書紀では混同されて描かれて登場しています。

古事記・日本書紀で三歳になるまで足腰が立たず、不完全な存在として天磐櫲船(アメイワノクスブネ)に乗せて流され(捨てられ)た蛭子ですが、ホツマツタエにおいては

“伊弉諾、伊弉冉尊、筑波の宮にてミトのマグバイし昼子姫を生む。しかしその時、父君の御年四十歳、母君の御年三十一歳で二年後に「天の節」に当たり、その汚穢隈(オエクマ)を受けぬようにと、三歳にも満たないうち、岩楠船に乗せて捨てる。金折翁(カナサキノヲキナ)それを拾い、西殿にてご養育する。”

“二神八尋の殿にて天の御柱を巡り、「天(あ)のアワ歌」を逆に歌い、回り方も逆だったために、月が満たないで流産する。その子をヒヨルコ(ひ弱な子)という。吾(あ)が恥(はぢ)として、淡路(あはぢ)に流す。”

このように全く別の存在であります。

天照大神はこの後に生まれます。

それに関しては以下のように書かれています。

“世嗣を生まんとする伊弉冉尊(イザナミ)は、父豊受大神(トヨケノカミ)に相談される。大神自ら禊され、その結果二神に神の子種が宿り世嗣誕生することを直感される。

そのころ二神は、原見(はらみ)山にて千日の行に入り、まさに千日になろうとしていた。伊弉冉尊は月の汚血(オケ)が終り三日後であった。二神が拝まれていた日の輪の霊魂(チタマ)が突然分け降り、思わず二神はそれを抱き夢心地となる。後に床神酒(トコミキ)によって交わり、天照大神(アマテルカミ)を孕む。

九十六ヶ月目にして、一月一日の朝日とともに誕生する。しかし胞衣(ヱナ)のまま出産したためにその胞衣を檪(イチル、クヌギのこと)の笏(サク)をもって「裂く」。叔母菊桐姫(白山姫)は、生まれたばかりの天照大神の泣き声をを聴きとり、天照大神みずから幼名を「ウヒルキ」と名のられたのを知る”

この時点では天照大神は男の神様「アマテル」です。妻も12人いました。

それが後の古事記・日本書紀において女の神様にされてしまった理由についてはまた複雑な事情があり、当時の政変と漢訳の際に誤解ある翻訳をされてしまったことなど、いくつもの都合が絡み合った理由があるようです。古事記・日本書紀で天照大神として描かれている逸話の多くはホツマツタエでは昼子姫や、別の女の神様の話となっているのです。

ホツマツタエは偽書?
ホツマツタエには、偽書である疑惑が付きまとっています。

しかしその根拠としては、ホツマツタエはヲシデ(文字)で書かれているわけですが、日本には古来から続くような固有の文字などないのだから、オシデで書かれたホツマツタエは偽書であるという考え方のようです。

『古語拾遣』を執筆した斎部広成(いんべ ひろなり)がその中で「上古の世、未だ文字有らざる時(大昔の世には文字は無い)」と語り、後世の学者も倣い続けています。

つまり文化というものはすべて外国から来たものだとしている思想とからすると、ホツマツタエのような日本独自の文字で書かれた文書の存在は齟齬であり、非常に都合が悪いのです。

実際の事は分かりませんがこの事については、世界的にもレベルの高い文明である日本の古代に文字が無かったと考えるのは、逆に不自然では? と考えている人も多いようです。

ホツマツタエについてまとめ
今回ホツマツタエとは何か、古事記・日本書紀との違いは何かを掻い摘んでご説明させて頂きましたが、実際のところ説明しきるには全然文字数が足りないと思います。

ですが、この記事をきっかけに興味を持って読んでみたいと思えば是非原文や翻訳を読んでみて頂けたらと思います。

古事記・日本書紀では曖昧な表現でいわゆる神話的に描かれていた逸話の数々が、ホツマツタエにおいては実に生々しく描かれていたりします。

その事細かな内容に何となく読んでいた日本神話が、今の私達に繋がっている日本の歴史の一部である身近な存在だったと感じるのではないでしょうか?

時々の事情によって手を加えられてきた神話のより深い原点の魅力を識(し)って頂けたら幸いです。
5:777 :

2023/08/16 (Wed) 07:45:06

【ホツマツタエ】日本最古の歴史書?内容や作者などの謎に迫る
2019年11月26日
https://zinja-omairi.com/hotumatutae/


こんにちは!北極神社の新米巫女、橋本ユリです。

日本には謎の多い古文書が多々残されています。縄文時代に成立し日本最古の古文書と言われている「ホツマツタエ」もその一つです。

ホツマツタエは学会や学者から偽書と見なされているため、現代においてはほとんど研究がされていません。しかし、江戸時代から研究はされており、内容の翻訳は既にされています。

さて、未だに謎の多い「ホツマツタエ」には、一体何が記されているのでしょうか?

今回の記事では、そんな「ホツマツタエ」の謎に迫っていきます。
それでは参りましょう!

ホツマツタエとは

ホツマツタエは神代文字(じんだいもじ)を使って書かれた叙事詩です。旧字で「ホツマツタヱ」とも書かれます。

神代文字は、古代において日本に漢字が伝来する以前に使用されていた文字だと言われています。神代文字には様々な種類があります。

ヲシテ

天命地鎮(あないち)

カタカムナ文字

サンカ文字

豊国文字(とよくにもじ)


この中でも、ホツマツタエは「ヲシテ文字」を使って書かれました。ホツマツタエは「ヲシテ文献」と呼ばれる古文書の一つでもあります。

ホツマツタエは漢字で「秀真伝」「秀真政伝紀」などとも書かれます。日本書紀においては「秀真国」という言葉が出てきますが、これは「優れている国・立派な国」という意味です。「秀真国」には日本を称賛するような意味合いがあります。

そのため、「秀真伝」と漢字で表記されるのは、「優れた日本の言い伝え」という意味があるのではないかと言われています。

なお、ホツマツタエは学会から偽書と認識されています。しかし、その一方では「ホツマツタエは古事記や日本書紀を編纂する際に重要な参考資料となったはずである」と主張する声もあります。

一般的には偽書と認識されているホツマツタエですが、現代では愛好家たちの手によって独自に研究が進められているそうです。

また、ホツマツタエ肯定派の考えでは、ホツマツタエは『古事記』や『日本書紀』の原本であるとされています。『古事記』『日本書紀』の編纂の際に主要資料として扱われた文献のことを「古史古伝(こしこでん)」といいます。

このように、ホツマツタエには未だに解明されていない謎が多くあります。


いつ作られた

ホツマツタエが『古事記』や『日本書紀』よりも前に成立したと考えるのであれば、紀元前7世紀ごろに成立したのではないかと言われています。時代的には縄文時代ごろのことです。

ただし、実際の正確な成立年は明らかになっていません。成立年については歴史的根拠が未だ発見されていないため、あくまでも研究家の予想になります。

ホツマツタエの全文が発見されたのは昭和41年のことです。古史古伝研究家の松本善之助氏によって、古書店で偶然発見されました。発見されたホツマツタエの全文は、江戸時代ごろに製本されたものであるとされています。

ホツマツタエが本当の古文書であるならば紀元前7世紀ごろ、偽書であるならば江戸時代ごろに作られたと考えられます。


作者

ホツマツタエは、1章から28章までの前半部分を「クシミカタマ」が編纂し、29章から40章までの後半部分を「オホタタネコ(大田田根子)」が編纂したと記述されています。

クシミカタマは一般的には「大物主神(おおものぬしのかみ)」と呼ばれる古代日本の神様です。別名で「倭大物主櫛甕魂命(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)」とも呼ばれます。

『日本書紀』の記述によると、大物主神というのは「大国主神(おおくにぬしのかみ)」の別名だとされています。大国主神は国を守護する神様です。

そして、大田田根子は大物主神の子孫です。「意富多多泥古命(おおたたねこのみこと)」とも表記されます。大田田根子は、崇神天皇の時代に大物主神を祀った人物だと伝えられています。

大物主神は神話に登場する神様ですので、実際にホツマツタエの文献編纂に関わっていたとは考えづらいです。また、大田田根子については実在した可能性はありますが、それも定かではありません。

何故かというと、古代天皇の実在性については諸説あるためです。

初代神武天皇から実在した説

第10代崇神天皇から実在した説

第15代応神天皇から実在した説

第26代継体天皇から実在した説


大田田根子は、崇神天皇の時代に生きた人物とされています。そのため、「神武天皇から」または「崇神天皇から」どちらかの実在説が真実であれば、大田田根子も実在した可能性が高くなります。

しかし、「応神天皇から」または「継体天皇から」どちらかの実在説が真実であれば、大田田根子の実在性は非常に低くなり、記述による架空の人物だということになります。

つまるところ、ホツマツタエの本当の作者は謎に包まれている部分が多いのです。記述では「クシミカタマ(大物主)」と「大田田根子」が編纂をしたとされてますが、実際には別の人物が編纂をした可能性もあるのです。

また、ホツマツタエが偽書であり江戸時代に成立したと考えるのであれば、大田田根子とは関係のない全く別の人物が編纂をしたということにもなります。


ヲシテ文字とは

ヲシテ文字は、日本に漢字が伝来するよりも前に使われていた文字だとされています。昔は「ホツマ文字」「秀真文字」「伊予文字」とも呼ばれていました。

ヲシテ文字を使って書かれたとされる書物に「ヲシテ文献」があります。ヲシテ文献として定められている書物は以下の通りです。

ホツマツタエ

ミカサフミ

カクのミハタ


ホツマツタエとミカサフミには歴史が記されていますが、カクのミハタには占術が記されています。

先述の通り、ホツマツタエを始めとするヲシテ文献は学会において偽書とされています。そもそも神代文字自体の存在が学会においては否定されており、神代文字は古代文字などではなくどこかの時代で創作された文字だと言われています。

神代文字については江戸時代の頃から近代にかけて様々な学者の手によって研究がされてきました。研究の結果、漢字が外来する以前は日本には特有の文字は使われていなかったと結論づけられています。

しかし、ヲシテ文字が古代文字であるということを支持する層も一定数存在し、ホツマツタエと同様に現代でも愛好家によって研究が続けられています。いつかヲシテ文字の真偽が明らかになる日が来るかもしれません。


ホツマツタエの概要

ホツマツタエは五七調の長歌体で記されており、全40章(全40アヤ)で構成されています。

内容的には『古事記』や『日本書紀』と大筋は同じです。天地開闢から物語は始まり、初代天皇である神武天皇が国をおさめ、第12代天皇・景行天皇の時代までの出来事が記述されています。

それでは、ホツマツタエの内容について紹介していきます。


アワの歌

ホツマツタエには「アワの歌」と呼ばれる基本の48音で構成された歌が載せられています。アワの歌の歌詞は下記の通りです。

あかはなま いきひにみうく
ふぬむえけ へねめおこほの
もとろそよ をてれせゑつる
すゆんちり しゐたらさわや

アワの歌は五七調で、全48音で構成されています。アワの歌と同様にかな文字を重複させずに作られた歌として「いろは歌」があります。

いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ  つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす

いろは歌は七五調で作られています。成立したのは10世紀~11世紀頃と見られています。アワの歌が成立したのが紀元前と仮定するのであれば、アワの歌に比べてかなり新しいものになります。

いろは歌は、現代では下記のような漢字が当てはめられています。

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず

いろは歌は漢字を当てはめてみると、ぱっと見ただけで何となく意味が通じますね。では、アワの歌はどうでしょうか?

アワの歌は、いろは歌とは違い、一音一音に意味が宿るとされています。例えば「あ=天」「わ=地」という意味があります。このようにアワの歌には一音ずつに意味があり、それが言霊になっているとされています。

また、ホツマツタエによるとアワの歌はイザナギとイザナミによって作られたと記述されています。


内容

ホツマツタエの内容は多岐にわたります。下記がその一覧です。

天地開闢から始まる神話

初代天皇から景行天皇までの時代の物語

当時のしきたりについて

アワの歌の成立経緯

縄文哲学

宇宙と人との関係

歴代天皇たちの実名

ヲシテ文字の成立経緯

禊の方法

大和言葉の語源


などなど、神話や天皇の記述だけでなく、その時代特有の作法やしきたり、思想についても記述されているのだそうです。


記紀との違い

記紀とは『古事記』と『日本書紀』のことです。ホツマツタエの内容は記紀と似ているのですが、異なっている部分も多々あります。そのうちのいくつかを紹介していきます。


①天照大神が男神

天照大神(あまてらすおおかみ)は、一般的には高天の原を統べる女神だとされています。恐らくアマテラスと聞くと女神を思い浮かべる人が多いのではないかと思います。

しかし、ホツマツタエに登場するアマテラスは「アマテル神」と呼ばれ、男神だとされているのです。そして、瀬織津姫(せおりつひめ)を妻としています。瀬織津姫は古事記や日本書紀には登場しないのですが、水や祓いを司る神様とされており「祓戸大神(はらえどのおおかみ)」の一柱に数えられています。

アマテル神と瀬織津姫を夫婦として祀っている神社に「井関三神社」があります。

厳密には「天照国照彦火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこほあかりくしだまにぎはやひのみこと)」と「瀬織津比咩命(せおりつひめのみこと)」を主祭神として祀っています。

このように記紀に登場しない神様を主祭神として祀っている神社は非常に珍しいです。井関三神社は、兵庫県たつの市に鎮座していますので、近くまで行くことがあればぜひ立ち寄ってください。


②豊受大神は天照の祖父?

豊受大神はトヨウケビメとも呼ばれる女神です。天照大神の食事を司る神様とされています。

女性的なイメージの強い豊受大神ですが、ホツマツタエにおいては「トヨケ神はアマテル神の祖父」だと記述されているのです。記紀とは性別が違う上に系図まで異なっています。

豊受大神は伊勢神宮の外宮で祀られているのですが、屋根が男神の仕様になっています。このことからも、豊受大神が男神であった可能性が指摘されることがあるそうです。


③スサノオの名前

古事記や日本書紀には、須佐之男命(すさのおのみこと)という神様が登場します。ヤマタノオロチを倒したという逸話が有名なので、知っている人も多いのではないかと思います。

スサノオはホツマツタエにも登場するのですが、名前の表記がスサノオではなく「ソサノヲ」と記述されています。

これは、スサノオがソサ(紀州)で生まれたことに由来しています。

名前は少々違いますが、天照大神(アマテル神)に高天の原を追放され、葦原中国でヤマタノオロチを倒し、クシナダヒメ(イナダ姫)と結婚したという大筋の物語は同じです。


④記述年代の違い

『古事記』『日本書紀』『ホツマツタエ』は、それぞれ記述されている年代に違いがあります。

『ホツマツタエ』:天地開闢から景行天皇(71年)まで

『古事記』:天地開闢から推古天皇(628年)まで

『日本書紀』:天地開闢から持統天皇(697年)まで


天地開闢は全てに共通していますが、天皇記については、ホツマツタエは記紀と比べるとかなり古い時代のところまでしか記述がされていません。

ホツマツタエの作者は大田田根子という景行天皇の時代に生きた人物という説がありますので、作者の生きた年代と記述されている年代の辻褄は合っていることになります。

古事記や日本書紀との違いを一部紹介させてもらいました。この他にも、神様の系図が異なっていたり、神話の物語がところどころ変わっていたりといった違いが色々とあります。


まとめ


橋本ユリ
謎の多い古文書「ホツマツタエ」について紹介させてもらいました。ホツマツタエが真の古文書なのかどうか、学会では否定されていますが、古代文字が存在していたと考えると面白いですよね。


ホツマツタエの全文は翻訳されており、翻訳本の出版もされています。もしホツマツタエの翻訳本を読むのなら『はじめてのホツマツタヱ』という書籍がおすすめです。

『はじめてのホツマツタヱ』は「天の巻」「地の巻」「人の巻」の全3巻で構成されています。古文書を読むのが初めての人でも分かりやすいように書かれています。

ホツマツタエは『古事記』や『日本書紀』のように天地開闢から天皇までの物語が記述されています。記紀を読んだことがある人であれば、すんなり物語に入っていけるのではないかと思います。

記紀とは記述が異なる部分が色々あるので、違いを楽しみながらぜひ読んでみてください。

https://zinja-omairi.com/hotumatutae/
6:777 :

2023/08/16 (Wed) 08:58:17

はじめてのホツマツタヱ 天の巻 単行本 – 2015/9/28
今村聰夫 (著), 磐崎文彰 (編集), 緒方徹 (イラスト)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%AF%E3%81%98%E3%82%81%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%83%9B%E3%83%84%E3%83%9E%E3%83%84%E3%82%BF%E3%83%B1-%E5%A4%A9%E3%81%AE%E5%B7%BB-%E4%BB%8A%E6%9D%91%E8%81%B0%E5%A4%AB/dp/4884698533

古事記の原典ともいわれる、神代文字「オシテ」で書かれた謎の古代書『ホツマツタヱ』。
この壮大な物語を丁寧にわかりやすく現代訳。

天照大御神は男だった!?
神代を解明する真実の書か
それとも巧妙に創作された偽書か

アマテラスは男神で、その妻はセオリツ姫、
ヒルコはアマテラスの姉で、豊受大神はアマテラスの祖父、
その他、古事記に書かれたいない神々の系譜が明らかに!

※この本はホツマツタヱ全体のうち1アヤから16アヤまでを収録した「天の巻」です。
この後、「地の巻」「人の巻」へと続きます。


天朝はニニキネからウガヤフキアワセズの時代。本巻では、国家運営の要諦となる数々の教えが次々と紹介されていく。
ヤタ鏡、剣の意味、宮造りや竈神の真意など、他書に見えない思想哲学に注目。

天下りした天火明命とニギハヤヒの関係や、海彦山彦の確執、カモヒトことウガヤフキアワセズとタマヨリ姫など、
神武天皇に至る複雑な系譜が緻密に語られ、目から鱗が落ちる。
ツミハヤヱコトシロヌシやアマノコヤネなど重臣達の活躍も活き活きと描写。

『はじめてのホツマツタヱ 人の巻』平成28年夏頃発売予定
地巻の最後にアマテル大御神が崩御。マサカキも枯れ尽き、天朝には不穏な動きが。
ツクシを治めていた神武天皇は決意して「ヤマトウチ(東征)」に立つ。
神武天皇の仁政で天朝は安泰を取り戻すものの、豊かさからの人心の緩み、
新興勢力との確執など、後継する朝廷には困難がつきまとう。
時代は崇神天皇を経て景行天皇に至り、ヤマトタケの出番となるが、
父祖と臣民の期待を背負う活躍は、やがて悲劇の終末を迎える。
最後に明かされるソサノヲとの宿縁とは。


なぐなぐ
5つ星のうち5.0 古事記、日本書紀のモヤモヤ感を払拭してくれます!
2022年1月9日
日本神話は好きだけど、神々の行動に納得できずモヤモヤを感じる人は、多いのではないでしょうか。天照大神と豊受大神が一緒に伊勢に祀られた理由、スサノヲ命は良い神なのか悪い神なのか、八岐大蛇の正体とは?、大国主命とその息子たちがあっさり出雲を譲った理由、熊野本宮の由緒、鹿島神宮と香取神宮の関係など、記紀を読んだだけではサッパリ分かりませんが、ホツマツタエを読むと、おつりが出るくらいの情報量でこれらの疑問に答えてくれます。膨大な情報にも関わらず齟齬や矛盾はありません。しかも読んだ後は、心が洗われるような神々しさにうっとりします。
ホツマツタエは歴史学会からは偽書扱いされていますが、素人が読む分には十二分に説得力を持った民族伝承です。ここに書かれた事象が事実だったかどうかは検証出来ませんが、日本各地に残る古い神社が持つあいまいな由緒の本当の姿を明快にしてくれます。各地の神社の由緒書を調べてみると、「一説には」と但し書きしてホツマツタエとおぼしき由緒を載せている神社もチラホラあります。神主さんの中にも密かにホツマツタエのファンがいらっしゃるのでしょう。
縄文時代からの日本人の心を理解し豊かな感性に育ててくれるホツマツタエは、素直に読むのが良いと思います。偽書と思って読まないのはもったいないです。
著者の現代語訳は非常に分かりやすく、詳しくて奥が深いため、物語として読みごたえがあります。有志の研究会が調べた内容を反映して集約されたとのことなので、翻訳の中に多くの方の知恵が凝集されているのでしょう。
日本古代史や神話が好きな方には、ぜひお薦めです!
7:777 :

2023/08/16 (Wed) 09:03:55

はじめてのホツマツタヱ 地の巻 単行本 – 2016/4/21
今村 聰夫 (著), 磐崎 文彰 (編集), 緒方 徹 (イラスト)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%AF%E3%81%98%E3%82%81%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%83%9B%E3%83%84%E3%83%9E%E3%83%84%E3%82%BF%E3%83%B1-%E5%9C%B0%E3%81%AE%E5%B7%BB-%E4%BB%8A%E6%9D%91-%E8%81%B0%E5%A4%AB/dp/4884698738/ref=pd_vtp_h_pd_vtp_h_sccl_5/356-7154373-8873023?pd_rd_w=Af4Bt&content-id=amzn1.sym.a075abab-259f-40c3-bc0f-76d5f3149ef5&pf_rd_p=a075abab-259f-40c3-bc0f-76d5f3149ef5&pf_rd_r=2FDTPN6X52QV5JG2X0FB&pd_rd_wg=w47wl&pd_rd_r=4b61c6fc-667c-4507-b19e-8632f05d2d61&pd_rd_i=4884698738&psc=1#


なぐなぐ
5つ星のうち5.0 天照大神から神武東征直前までの謎を解明
2022年1月25日に日本でレビュー済み
個人的にニギハヤヒの存在の謎に興味がありましたが、この本を読んで非常に納得しました。天火明(ホノアカリ)とニギハヤヒは別人物ですが養子関係にあったこと、ホノアカリには子供がいなかったため、海部氏の勘注系図に子孫として記録されていた天香具山と天叢雲は子孫ではなく重臣であったこと、がこの本から判明しました。記紀や他の古史古伝の不十分な点を非常に明快に伝えており、偽書と言われながらも真実を語っている本だと感じました。ウガヤフキアエズは一人として描かれており決して60世代も繰り返していないため、ウエツフミと合致しない点がありますが、60万年生きたという伝承から多世代説が創作されたのかな?と想像しています。誰か良い解決策があれば教えて下さい。

8:777 :

2023/08/16 (Wed) 09:04:05

はじめてのホツマツタヱ 人の巻 単行本 – 2016/8/26
今村聰夫 (著), 磐崎文彰 (編集), 緒方愛美 (イラスト)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%AF%E3%81%98%E3%82%81%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%83%9B%E3%83%84%E3%83%9E%E3%83%84%E3%82%BF%E3%83%B1-%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%B7%BB-%E4%BB%8A%E6%9D%91%E8%81%B0%E5%A4%AB/dp/4884698797/ref=pd_bxgy_img_sccl_1/356-7154373-8873023?pd_rd_w=GIU7D&content-id=amzn1.sym.bc57a5ab-9f02-4944-8c5c-9e1696e0d32c&pf_rd_p=bc57a5ab-9f02-4944-8c5c-9e1696e0d32c&pf_rd_r=SZR106XJK8QRSGEBXX1D&pd_rd_wg=4AgUx&pd_rd_r=341962bb-936b-4aab-a954-d6d37e5d59a2&pd_rd_i=4884698797&psc=1


なぐなぐ
5つ星のうち5.0 神武から景行天皇までを詳細に!
2022年2月3日に日本でレビュー済み

初代神武天皇から第12代景行天皇までの事績が詳細に描かれています。第8代孝霊天皇までは欠史8代といわれ、記紀に具体的な事績がないために実在が疑われています。しかしホツマツタエでは、これらの天皇の事績だけでなく、家臣や后の名前や事績もふんだんに出てきます。記紀に出ていない内容なので真偽を検証することは出来ませんが、家臣や后の名前は他の氏族の家系図(海部氏勘注系図や先代古事本紀など)と見事に一致しており、その信憑性の高さを感じさせます。現代になってから発見された考古学的所見(出雲の加茂岩倉遺跡から大量の銅鐸が出土したなど)についても記載されており、偽書として一蹴できるものでは全くありません。
原文は難解な七五調のひらがな(正確にはヲシテ文字)の羅列ですが、本書はそれを精緻に生き生きと翻訳してくれているため、読み物としても非常に面白く、精神性も高いです。疑いの心を捨てて素直に読むと、とても得るものが多いと思います。



ほのぼの
5つ星のうち5.0 先人の誤読を憂え、本書に期待します。
2021年1月22日に日本でレビュー済み
 万年初心者ですがここまで読み進んで、何十年ぶりかでようやく全体像がつかめるようになりました。やはり優れた案内書は無駄な試行錯誤を省き学習効率を高めてくれます。これからホツマツタヱを読み始める方、独習を長く続けている方にも本書を手引きにされることをお勧めします。

・様々な疑問 
ところで最終章には訳の誤りとかではなく、先人による解釈のあやまりではないかと思われる看過できない記述があり、現代訳の正確さもあいまって一層鮮明にミスリードを確信させてくれますので参考までにここにご報告します。

・ まず他でもないヤマトタケの先御魂がソサノヲの神であった、という理解をもとにした訳出についてです。なんども素直に読みますとこれは人物を取り違えたための誤訳ではないかと思われます。

・ ニニキネ神の都酒折の『蓬莱の宮』を懐かしんで、宮津姫とともに楽しみたいとして尾張に酒折宮を再建することを願ったのはヤマトタケその人です。ならば普通に考えると、蓬莱宮を懐かしむヤマトタケこそがニニキネの後身でなくてだれだろう、と思いませんか。酒折に人を派遣してその図面を描かせるほどの強い思いは自ら作り上げた秀真の都『酒折の宮』であったから、と考えるのが自然ではありませんか。皇子がソサノヲの神であれば出雲や八重垣の宮を懐かしむ、となりそうですがどうして無関係の『酒折の宮』に深い思いを抱くのでしょうか。皇子がソサノヲの神の後身だとすると物語の流れに無理があります。

・ 父帝をして『身は我が子であるけれども、真実は神の子である』、とまで言わせた英明の皇子ヤマトタケが、『賤しいソサノヲの神』であると推定するのには無理があるのではないでしょうか。ヤマトタケ皇子は東西を平定したばかりでなく、筑波の道を定め、三種神宝の奥義書を改めて、ホツマツタヱ、ミカサ文、香久の文を染め直させて天成神道を再興された文武に秀でた英傑です。その英傑の皇子の前身を世上もっとも卑しい行いを演じたソサノヲの神に比定するのは物語の一貫性や推定し得る因果関係から逸脱し無茶苦茶、支離滅裂ではありませんか(笑)。その行いの高潔さからして、神格の一貫性はニニキネ神→ヤマトタケ皇子にあるでしょう。(例えば三種神宝を再興するなどの功績)

・ では仮の親子となったソサノヲは誰なのか。それはもう火を見るよりも明らかに描かれています。父帝オシロワケ天皇です。ご自分ではっきり述べておられます。『身は我が子、真は神の。我暗く、平けざる御世を継がしめて、絶えざらしむる。』父帝は謙遜ではなく自らの叡智の暗さを自覚され、ヤマトタケを我が子ながら真は神とみなされ後事を託されたのでした。皇子亡き後父帝自らの去就に深く迷われたのも当然です。そこでヤマトタケが夢に現れ、諄々と先の世からの縁を説き聞かせ、父帝の迷いを諭された、という流れが自然です。中世の研究者は天皇の不可侵性、無謬性という神話に固執してこの大切な物語の登場人物を取り違え、父帝の本心の告白を無視したのでしょう。

・大宮氷川神社の起源について
我が先御魂知ろしめし川合の野に大宮を建てて祭らす氷川神。とあります。だからヤマトタケ皇子は氷川の神ソサノヲだ、と考えられているようですが、それは早合点で事実は逆です。自らの先御魂を祭るような人物がどうして英明の皇子にふさわしいでしょうか。自らの崎玉は祭らない、というのが自明の作法(例えばオオナムチ神の例)。この文を補うとこうです。『我が先御魂がニニキネであることを思い出されたヤマトタケ皇子は同時に父帝がニニキネを羨んで親子となった縁を知り、父帝の思いが達せられんことを願って深い畏敬の念をもって父帝の先御魂ソサノヲを秀真の河合の地にお祭りになった。』ヤマトタケ・ニニキネ神のホームグラウンド『秀真』がこの地だからできたことです。ご自分の先御魂を自分で祭るなどという自己中毒症状を微塵もお持ちでないことを確認しておきましょう。ひとえに父帝とその先御魂ソサノヲの神への敬愛の思いのなせる業です。

 皇子はあえて先御魂を祭ることはされませんでしたが埼玉県の語源となる埼玉神社としてしかるべき位置に先御魂をひっそりと安置されています。このことからも皇子の先御魂は氷川神ではなく別の御魂であることがわかります。

・羨みて仮の親子ぞ
父帝の夢、津島森での皇子との対面。ソサノヲ神がニニキネ神を羨んで父帝の子供に生まれたのなら子供のヤマトタケ皇子の方こそソサノヲの神ではないのか。という考えがあるようです。後から生まれる子供に親を選ぶ権利があるなどという法則はありません。すべてタカマの総合的な『えにし』の営みによるものでしょう。このケースではソサノヲの神は日の神から諭された、『民の垂乳根となる』ことこそ与えられた課題であり、宿願であったわけですから、ニニキネを子として迎えて垂乳根の道、秀真の道を習得したいと心から願われた結果、ソサノヲを父親、ニニキネを皇子とした親子の『えにし』がタカマの計らいによって結ばれたと考えられます。父帝紀の至る処に『子を思う親心』がうたわれているのがその証です。(たとえばヤマトタケ皇子より『倦むことのないタラチの恵』とたたえられ)人生の進路を失った時は我が子のことを思い導とせよ(けむひせばただ御子思え)などなど)

ここまで考察しますとヤマトタケ皇子がニニキネの後身である可能性が見えてきます。ここでは略しますがさらに細かく詰めれば父帝オシロワケのアマキミがソサノヲの神の後身であることは疑いようがありません。
 
次にホツマツタヱ全編を通しての絶唱 折数え歌を見てみましょう。
・わがひかるはらみつにしきあつたがみ もとつしまはにおれるかひかわ

この歌はホツマツタヱがただの史書などではなく壮大な蓬莱伝説とその神仙の思想の全体系であることを教えてくれます。折数え歌というからにはここでホツマツタヱ実文40章、想定されている仮文40章のホツマツタヱ全編の折り返し目『要』織留の歌なのでしょう。

ニニキネの神は言った、わが杼駆る蓬莱参山の錦は織りつづられて今熱田神となった。
この錦織をたどって『元の』タカマに至る縞衣に、見事に織りつづるか『氷川の神』は

三度述べ「しずの姿」に雲隠れ。「しずの姿」を江戸期の漢訳者はソサノヲが蓑傘を着用した姿を想定しているようですがこれは甚だしい偏見による誤読でしょう。「再び熱田神はシライ鳥の姿となって雲にお隠れになった」、という畏れ多い情景がふさわしいでしょう。それにしても訳文の下敷きとなった江戸期の漢訳者の、ソサノヲの神に対する故なき侮蔑感はどうしたことでしょう。ソサノヲの神は曲がりなりにも過ちを自覚して神に帰られた真の神なのですよ。卑しい姿で現れるわけがないではありませんか。その証拠にこの夢をご覧になってお目覚めになった父帝は後、すべてを悟られていました。その聡明さはヤマトタケ皇子に少しも劣るものではありません。以下試訳です。

「夢に熱田神の御告げを聞いた。それによると我(オシロワケ天皇)はかつて卑しき氷川神であった。しかし我が子ヤマトタケは朕が天機を織り綴ることにより元のタカマに帰ることができる(元津縞衣=魂返し)、と恵みの言葉を垂れてくれた。真にわが深い迷ひを諭す示しであった。
 ところが通説はこちら。
「神の告げ。『我(ヤマトタケ)は卑しき氷川神。元の出雲に帰る。』と[H40-43]恵み凝る?。(父の)迷ひを諭す示しなり。となり 通説だと 

英明の皇子ヤマトタケ=>いやしいソサノヲ氷川神 
父帝=聡明なニニキネ神=>しかし迷いだらけ。

となりますよね。通説は、支離滅裂でおかしくありませんか? これでは父帝の迷いは深まるばかりではありませんか(笑)。
元に帰ると恵凝る。とは父帝へのヤマトタケの熱い御心です。要で折り返して元に帰る、これが行き来の道、の大義であり極意でしょう。蓬莱参の教えに即して元のタカマへの縞衣に織ることを教えられた父帝はその意義を即座に深くお悟りになり、ソサノヲ神以来の深い迷いを断ち切ることがおできになったのではないでしょうか。神は人、人は神なり・・・云々はその御心境を行き来の道を説く皇子の言葉を借りて表現されたものと理解することができます。天皇は皇子の歌から見事に行き来の道をお悟りになり、タカマの本来の(元の)ご自身にお帰りになったのでした。

 これらの文脈が了解できなければ、ホツマツタヱは単なる出来損ないの紀伝体小説に堕してしまいます。これからは無理解の先人の誤読に従うことはやめましょう。でなければ人類遺産ともいうべき命の法灯であらせられる天皇、三種神宝、その豊富な思想と神話群は再び闇に沈んで、待ち望まれる世界に輝き渡ることはないでしょう。ホツマツタヱとは、皇祖ニニキネ神とその後身ヤマトタケ尊によって成立した蓬莱山伝説の奥義書です。本書全3巻はその手引きをしてくれる稀有の現代語訳と確信しています。
9:777 :

2023/09/27 (Wed) 12:04:26

あああ
10:777 :

2024/02/29 (Thu) 06:02:44

ゲノム解析からわかってきた日本人のルーツ~神武東遷・邪馬台国・空白の四世紀
葛木御歳神社 -MitoshiJinja- 公式Channel
2024/02/15
https://www.youtube.com/watch?v=iSlBLpHywTk

古墳時代に日本に大量の渡来人がやってきた~! DNAのゲノム解析からわかってきた 日本人のルーツ。古墳時代、渡来人が大量に日本にやってきた!縄文・弥生・古墳時代の歴史をどう読み解けばよいのか?皆さんにわかりやすくお話しします。また、銅鏡からわかることも併せて。久しぶりの古代史シリーズです^^
葛木御歳神社



邪馬台国の謎
葛木御歳神社 -MitoshiJinja- 公式Channel
2023/09/11
https://www.youtube.com/watch?v=O_3AGnmJJbs&list=PLPwPAN3kQkWAhNti4MfDScHrEQXeKIr1Z&index=4

葛木御歳神社の宮司が、邪馬台国の謎について語ります。まずは魏志倭人伝の記述がちょっと変!
ヤマトでも九州でもないような不思議な記述について。
邪馬台国は「女王国」と呼ばれます。古代日本には多くの「女王国」が存在していた!?
最新の茶臼山古墳を始め、遺跡からわかること等々・・・ぜひご覧ください。
葛木御歳神社公式HP https://www.mitoshijinja.jp/


葛城・鴨氏、八咫烏と神武天皇の物語
葛木御歳神社 -MitoshiJinja- 公式Channel
2023/07/11
https://www.youtube.com/watch?v=bs5VlcUddhM&list=PLPwPAN3kQkWAhNti4MfDScHrEQXeKIr1Z&index=1

葛木御歳神社宮司が地元葛城・鴨氏ゆかりの神話の物語を解説いたします。
鴨氏のルーツは?
八咫烏は何者?金鵄が飛んできて何故ナガスネヒコ軍は総崩れになったのか?神武天皇は御所市の柏原で政務を執った(本居宣長談)など。


古代の出雲と葛城と九州の関係~二つの天孫降臨と出雲国譲り神々のその後~
葛木御歳神社 -MitoshiJinja- 公式Channel
2023/08/19
https://www.youtube.com/watch?v=PJtQK6_3zUU&list=PLPwPAN3kQkWAhNti4MfDScHrEQXeKIr1Z&index=2

葛木御歳神社宮司が地元葛城からさらに広げ、葛城・鴨氏と出雲の関係、葛城・鴨氏と九州の関係を紐解きます。
前編では、「二つの天孫降臨」として、天孫族がヤマトで一つになるお話を中心に、地元に残る長髄彦のその後や、富雄丸山古墳にも触れますね。後編では、「出雲国譲り神々のその後」として、大国主が国譲りをした後、大国主の御子神たちが出雲からヤマトに移り住んだ経緯や痕跡などを出雲大社の客座五神や荒神谷遺跡などから考察します。


出雲の国譲り神々のその後~大国主神の御子神はヤマト葛城、鴨氏の神として復活した!
葛木御歳神社 -MitoshiJinja- 公式Channel
2023/08/25
https://www.youtube.com/watch?v=XaXF-4jJYqc&list=PLPwPAN3kQkWAhNti4MfDScHrEQXeKIr1Z&index=3

後編では「出雲国譲り神々のその後~大国主神の御子神はヤマト葛城、鴨氏の神として復活した!」として、大国主が国譲りをした後、大国主の御子神たちが出雲からヤマトに移り住んだ経緯や痕跡などを出雲大社の客座五神や荒神谷遺跡などから考察します。
葛城、鴨氏はやはり、出雲の流れを引いていた!江戸時代まで出雲大社には葛城の鴨三社に祭られている大国主神の御子神が勢ぞろいで祭られていた!
8/19にアップした前編では、「二つの天孫降臨」として、天孫族がヤマトで一つになるお話を中心に、地元に残る長髄彦のその後や、富雄丸山古墳にも触れています。ぜひ前編もご覧ください。


葛木御歳神社HPには、オンライン、アーカイブ講座の動画もご案内しています。ぜひご覧くださいね^^

葛木御歳神社 -MitoshiJinja- 公式Channel - YouTube
https://www.youtube.com/@mitoshijinja/playlists
https://www.youtube.com/@mitoshijinja/videos


神社講座 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLPwPAN3kQkWBpI_iRu3GEZul02S3SNKUz

祝詞 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLPwPAN3kQkWBUriHXbpCFyYCWOI4sh3U4

全国の神社紹介 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLPwPAN3kQkWALFxUi_pxlfzu4bejPcZaJ

葛木御歳神社祭事 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLPwPAN3kQkWBhj6lRhN4dHFAqslExyIrO

古代史・神話解説 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLPwPAN3kQkWAhNti4MfDScHrEQXeKIr1Z


葛城・鴨氏、八咫烏と神武天皇の物語
葛木御歳神社 -MitoshiJinja- 公式Channel
2023/07/11
https://www.youtube.com/watch?v=bs5VlcUddhM&list=PLPwPAN3kQkWAhNti4MfDScHrEQXeKIr1Z&index=1

葛木御歳神社宮司が地元葛城・鴨氏ゆかりの神話の物語を解説いたします。
鴨氏のルーツは?
八咫烏は何者?金鵄が飛んできて何故ナガスネヒコ軍は総崩れになったのか?神武天皇は御所市の柏原で政務を執った(本居宣長談)など。


古代の出雲と葛城と九州の関係~二つの天孫降臨と出雲国譲り神々のその後~
葛木御歳神社 -MitoshiJinja- 公式Channel
2023/08/19
https://www.youtube.com/watch?v=PJtQK6_3zUU&list=PLPwPAN3kQkWAhNti4MfDScHrEQXeKIr1Z&index=2

葛木御歳神社宮司が地元葛城からさらに広げ、葛城・鴨氏と出雲の関係、葛城・鴨氏と九州の関係を紐解きます。
前編では、「二つの天孫降臨」として、天孫族がヤマトで一つになるお話を中心に、地元に残る長髄彦のその後や、富雄丸山古墳にも触れますね。後編では、「出雲国譲り神々のその後」として、大国主が国譲りをした後、大国主の御子神たちが出雲からヤマトに移り住んだ経緯や痕跡などを出雲大社の客座五神や荒神谷遺跡などから考察します。


出雲の国譲り神々のその後~大国主神の御子神はヤマト葛城、鴨氏の神として復活した!
葛木御歳神社 -MitoshiJinja- 公式Channel
2023/08/25
https://www.youtube.com/watch?v=XaXF-4jJYqc&list=PLPwPAN3kQkWAhNti4MfDScHrEQXeKIr1Z&index=3

後編では「出雲国譲り神々のその後~大国主神の御子神はヤマト葛城、鴨氏の神として復活した!」として、大国主が国譲りをした後、大国主の御子神たちが出雲からヤマトに移り住んだ経緯や痕跡などを出雲大社の客座五神や荒神谷遺跡などから考察します。
葛城、鴨氏はやはり、出雲の流れを引いていた!江戸時代まで出雲大社には葛城の鴨三社に祭られている大国主神の御子神が勢ぞろいで祭られていた!
8/19にアップした前編では、「二つの天孫降臨」として、天孫族がヤマトで一つになるお話を中心に、地元に残る長髄彦のその後や、富雄丸山古墳にも触れています。ぜひ前編もご覧ください。


葛木御歳神社HPには、オンライン、アーカイブ講座の動画もご案内しています。ぜひご覧くださいね^^

葛木御歳神社 -MitoshiJinja- 公式Channel - YouTube
https://www.youtube.com/@mitoshijinja/playlists
https://www.youtube.com/@mitoshijinja/videos


神社講座 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLPwPAN3kQkWBpI_iRu3GEZul02S3SNKUz

祝詞 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLPwPAN3kQkWBUriHXbpCFyYCWOI4sh3U4

全国の神社紹介 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLPwPAN3kQkWALFxUi_pxlfzu4bejPcZaJ

葛木御歳神社祭事 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLPwPAN3kQkWBhj6lRhN4dHFAqslExyIrO

古代史・神話解説 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLPwPAN3kQkWAhNti4MfDScHrEQXeKIr1Z



荒神谷から出土した多量の銅剣の埋納年代と埋納された理由
荒神谷から358本の銅剣が出土して久しいのですが、それらの銅剣はいつごろ埋められたのか興味があります。現在最も支持されている埋納年代と埋納された理由を教えてください。

アンサー
1 埋納年代について
  発掘した地層に炭化物が混じった焼土があり、鑑定でA.D.250± 80とA.D.1250± 80の年代測定結果が出ていますが、鎌倉時代はあり得ないので、前者であると結論付けています。
  3世紀ですね。
   ※ 荒神谷遺跡発掘調査概報3(島根県教育委員会)参照

2 理由について
  永らく不明でしたが、大国主が国譲りの際に恭順の儀式として武器を埋納したとの新説が出ています。(東北大学名誉教授:田中英道説)
  発掘された銅剣のほとんどに✖印が、鋳造時ではなく、後から刻印されているのも、同じく理由不明でした。
  これも廃棄して使用しないとの意味があると説明しています。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13278059.html

  • 名前: E-mail(省略可):

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.